身近で起こる貰い受け霊障

霊的な事柄が原因で起こる障害のことをスピリチュアルでは霊的障害、略して霊障と呼びます。

霊障という言葉は何だかちょっと怖い雰囲気を持っていて、霊的な特別な能力を持つか、霊媒体質など特殊な事情を持つ人にしか関係がないという認識を持っている方も多いと感じます。

確かに霊的に鈍ければ、あまり、意識も霊界に向きません。

そのため霊障の元になるような霊的存在が関与していても気にならず問題として認識されない場合もあります。

なので、軽いものならば、ほっておいても知らぬ間に内なる霊性の輝きにより祓い落とされたり、守護霊の加護によりクリアにされることで目に見える障害と認知される前に解決してしまう場合もあるでしょう。

若くて体力があるときには少々、怪我をしたり細菌やウィルスにやられて病気になっても、知らないうちに治ってしまっていることも多いのと一緒です。

そのため、霊障が顕在化することが少ないため、多くの人に気に止まるのは、明らかな特殊ケースばかりが多くなりました。

如何にも取り憑かれて精神の均衡を崩したり、不可思議で恐ろし気なケースばかりが霊障の実体だと勘違いされているフシもあります。

本来は霊障のもとになるマイナスの霊的存在というものは細菌やウィルスと同様で、周囲のどこにでもいるものです。

特殊なケースのものばかりではありません。

所謂、心霊スポットやいわくのある場所に行くことがマイナスの霊的存在に憑かれる原因だとは限らないのです。

特定の場所や人物、物などに強烈な執着があるか、それらに何らかの濃い縁起があらかじめあるような霊物は別として、所謂、不成仏霊などの場合、縁も所縁もない人に憑いて来る場合もあります。

これを「貰い受け霊障」と呼んでいます。

直接的な濃い縁起がないマイナスの霊的存在であっても、間接的に縁起が結ばれると人から人へとまるで細菌やウィルスのように渡り歩く霊物もあるのです。

典型的なのは、別段、誰か特定の人に執着をしているわけではない不成仏霊です。

生前、フラフラと心や生き方を定めずにその日暮らしをしているようなメンタリティの人が思いがけず亡くなると不成仏霊になる確率が高くなります。

そうすると通常は守護霊が迎えに来て所定の霊界へ行くという道筋からも外れて、あっちフラフラ、こっちフラフラと彷徨うようになります。

守護霊がついているはずなのに何故こんなことになるのかといえば、その人自身に素直さが欠けていて守護霊の誘導に従えなかったり、生前から大きな霊障を抱え込んでいて、正しい守護霊の導きが分からなくなってしまっているケースがあります。

強烈な唯物論的な思考に囚われ、現世だけが全てと絶対的に思い込んで譲らないという場合も不成仏霊化することが多いようです。

色々あって本人の思惑とは別にマイナスの霊的存在と認定されてしまうような状況になった人は、現世と幽界のはざかいで浮遊するわけですね。

そして、そんな浮遊霊は実は沢山います。(汗)

細菌やウィルスは目には見えなくてもあらゆる場所にいるように浮遊霊もあらゆる場所にいるのですね。

霊人を細菌と一緒にするなと怒られてしまいそうですが、実際、貰い受け障害というのは、細菌感染にちょっと似ています。

私が大学3年生の時のお話しです。

就活説明会を学内で開催すると大学側から通知があり、参加をしました。

同期の友達と会場に向かうと沢山の学生が集まっています。

すると強烈な肩の重みを感じ始めたのです。

「これは確実に貰い受けしたな」と感じました。

当時はまだしっかりとした浄霊法も確立しておらず、祓いのける方法も良く分かっていません。

とりあえず守護霊にお祈りをしていると後から同じ講義を受講していた友人が私の傍に寄ってきました。

そして、「おっ!なんだ?肩でも凝っているのか?」と私が肩に手を当てつつ悪戦苦闘している姿を見てその友人は私の肩を揉むようなしぐさで軽くつかみました。

その瞬間、私の肩は重い荷物を降ろした直後のような軽さを覚えたのです。

友人は私の肩をマッサージしたわけではありません。

ただ、軽くつかみそのまま手を外しました。

この時、私は正直まずいかもと思ったのですが、ちょっと遅かったようです。

私の肩に乗っていた浮遊霊と思しきものは、私から貰い受けをして友人の方へと移動していったようでした。

その後、友人は「俺もなんか肩凝って来たよ」と苦笑いをしていましたが、私は真実を告げることも出来ず、ただ、早く友人から貰い受けの霊障離れていくように祈るばかりでした。

こんな風に意外と貰い受けが起こる場合があるものです。

では、貰い受けを防ぐ方法はないのでしょうか。

実際には完全に防ぐ方法は今のところありません。

いくつかの原則を述べれば、以下のことが挙げられます。

1.出来るだけ自身の霊波長を高次の状態を保つ
2.不成仏霊がいそうな穢れに触れない
3.なるべく早い段階で穢れを落としておく
4.日頃から守護霊の加護を得るべく語り掛けを習慣化する


1.は簡単に言えば常に心掛けを明るく前向きにしておくということですね。

2.は中々難しいこともあるかと思いますが、明らかに不浄な場所へ理由もないのに行かないといことですね。

無論、これは、旅行や仕事、それなりの付き合いや社会的行事で避けられないケースも多いので、あまり神経質になりすぎない方が良いとは思います。

3.は穢れというのは最初はそれほど気になるものではありません。

というよりも殆ど穢れたことすら気づかないことも多いものです。

小さい穢れのうちは殆ど問題はありませんが、塵も積もれば山となるように溜まってくると問題が顕在化していくようになります。

ですから、なるべくちょっと疲れて来たなと感じる時にはリフレッシュする何かを行ったり、霊的な浄化を試みることが肝要です。

4.は言わずもがな守護霊と日頃から仲良くしておきましょうということです。

これは基礎体力や免疫力を挙げて細菌やウィルスに開けない身体を作ることと同じです。

守護霊の加護が強くなれば小さな霊障に負けることは無くなってくるはずです。

以上、身近で起こる貰い受け霊障のお話しでした。


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思念の色と生霊

現世にまだ肉体を持っているにも関わらず、強い念を持った霊体を持つに至った姿を「生霊」といいます。

一般的な解釈としても上記の認識を持たれている方が多いと思います。

生霊と言いますとネガティブなイメージがありますが、必ずしもそうではありません。

執着心からではない、本当の愛と真心からの強い思いも生霊となります。

その生霊は軽やかで透明感があり、清々しくてどこかピカピカと輝いているように見えます。

もちろん、見えるといっても霊眼に映る霊的な様相です。

ただ、愛と真心をベースにした想いを執着心ではなく、強く出すというのは中々難しいものです。

愛や真心だと本人は思っていても単純に執着心からの場合が多いのです。

執着心が強くなると生霊は重たく、ねっとりとした濁りを帯びるようになります。

灰色だったり、黒かったりします。

執着心の強さが色合いに出ます。

あるいは心配や不安は、カサカサした感じで、セピア色をしていることもあります。

度合いにもよりますし、他の感情の念が合わさることで、色合いが変わることも多いです。

思念にも色があるというのは、霊眼でものを見る必然性が出て来た頃から気づいたことです。

時々、ひょろひょろと蛇のような思念が飛んでいくのが見えたりしますが、それが色合いを持った思念だと気づくのには、少し時間がかかりました。

本来、物理的に考えれば、思念に色があるはずはないのですが、霊界というのは不思議で、それに相応しいもので感得されることが多いのですね。

生霊が強烈になり、凝結力が出てくると今度は姿かたちに意味合いが出てきます。

その生霊の強さもそういったことから判別できることもあるということですね。

生霊の一つの霊的実相としてお話ししておこうかなと思います。


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帰ってこいこい自分の生霊?

以前、「生霊について」という記事を書きました。

一般に広がっている生霊というものは、とりわけ生きている人間から呪われたり恨まれたりすることで生霊の憑依を受けるというイメージがあります。

このイメージは間違いではありませんが、実際にはもっと細かく生霊というものは分類されるものです。

必ずしも強烈な呪いや恨みでなくても、人の念というものは、生霊化するものでもあり、多かれ少なかれ想いを向けたものに影響を与えます。

生霊というものは、簡単に言ってしまうと、念の凝結したものであり、霊眼に移るその姿はマチマチです。

はっきりと実体を持った姿で見える場合もありますが、多くの場合は、ドロドロした塊だったり、雲みたいな灰色のもやもやだったり、そのバリエーションは色々あるのです。

なので、良く聞かれることとして、「私についている生霊は男ですか?女ですか?」「一体、生霊の正体は何者ですか?」というものがありますが、必ずしもこれらがはっきりわかるわけではありません。

むしろ、判然としないことも多く、念の凝固体が複数人のものや他の霊物と合体していると最早何が何だかわからない場合も多いのですね。

生霊の影響もその念の種類によっても異なります。

身体の重さやしびれという具合に出ることもあれば、精神的なやる気が回復しない、イライラなどの変調に表れることもあります。

なので、一概に生霊というものを語れないものなのですね。

さて、今回は、生霊にまつわる誤解で、もっとも大きな点に触れてみたいと思います。

その誤解とは何かといえば、生霊の問題は他人から発せられるケースにだけ存在するという認識です。

何となく他人の念を受けることが生霊の影響を受ける問題点であるという意識が多いのですが、そうとは限らないのですね。

良くあるケースとして、あまりにも自分自身の悩みが深くなったり、人を恨む念が強かったりした場合、自分自身の生霊が霊体から剥がれていくことがあります。

つまり、別の言い方をすれば、生霊とは恨まれたり呪われたりされた人間だけでなく、それを行った人間にも影響があるということです。

例えば、強烈な念を発し続けていくと、霊体がその分、弱まって希薄化していきます。

そうなるといつも通りのパフォーマンスを出せない状況になったりします。

運気も下がったりして、最悪、命数すらも左右する大きなマイナスの力を発動することもあるのですね。

ですから、他人から受ける生霊だけでなく、自分自身の霊体から剥がれ落ちていく生霊についても留意する必要があるということになります。

一旦、剥がれた生霊は、霊的な技法で戻すことも可能ですが、自分自身で自分の霊体に生霊を戻す方法はあります。

己自身の歪んだ霊界を正す努力をすることです。

霊界の曇りを取るためには、出してしまったマイナスの念を上回る、プラスの念を出すことが肝要です。

それは即ち、暗い気持ちを払拭して、明るく前を向く状態に戻していくことに他なりません。

このように霊界を改善していくことで出ていった生霊は再び、自分の霊体に戻ることでしょう。

以上が自分の生霊の対策の一つになります。


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ミスリードを誘う霊的存在

何をやっても上手くいかない。

成功に向けて計画を練ってもいつしか頓挫してしまう。

何だか見えざる手に邪魔をされているような、そんな状況に陥ってしまうことが時として人生にはあるかと思います。

多くの場合、その原因を物理的な要因に求めたり、単なる運が悪いとかたずけてしまいがちです。

しかし、どんなにこの世的な目線で失敗する物事の要因を究明しようとしてもいっこうにその原因が見えてこないことがあります。

何故ならば、本当の失敗の要因が私達が通常で考えているような部分にあるわけではないからです。

誤解のないようにお話をしておくと私は決して失敗には物理的要因がないといっているわけではありません。

むしろ、この世に起こる失敗の要因を分析すれば、大方は物理的かつ現実的な原因が判明することも多いでしょう。

しかしながら、私が問題にしたいのは、あくまで、真の原因についてなのです。

例えば新規事業を立ち上げて失敗してしまったとします。

その原因は、社長が放漫経営に陥り、資金繰りや売り上げが低迷したためというのが現実的な要因だといえるでしょう。

その要因を受けて現実的な対策を考えるならば、社長がしっかりと気を引き締めて事業に臨むという当たり前の方策が浮かび上がってくることでしょう。

一見すると失敗の原因もわかり解決策も得られたことで目出度く解決と相成りそうに見えます。

実際のところ解決する場合もあるでしょうが、何度も同じ失敗を繰り返してしまうケースも意外に多くあるものです。

これは何故かといえば、現実的な原因や解決策があっても、それを正しく実行できない霊的背景があるからに他なりません。

人は正しいと感じていても、その正しいあり方を実行に移せないことがあります。

実行に移そうとしても、抵抗感を覚えたり、面倒くさいと感じてしまったりすることで、実行を断念してしまうことがあります。

あるいは、根本的に正しい考えが受け入れられない状況になってしまうなんてケースもあるでしょう。

事業の経営に失敗して、心ある友人から「お前もっとしっかり取り組まなきゃダメだぞ!」と激励されても、「ふん!そんなのわかっている。俺は精一杯やっている!」と取り付く島がないような態度をしてしまうわけです。

要するに私達が何かを成功させたい、あるいは幸せな人生を歩みたいと願うならば、正しい真理を正しく理解しそれを素直に実行するという言葉にすると当たり前のことが必要なわけです。

しかし、それが何故か出来ない、間違ってしまう、正しいことを正しくないと感じてしまう、むしろ間違ったものを正しいと受け入れてしまうといった歪んだ状態になってしまうことが意外にあるのです。

実はそのような目に見えない部分での真の失敗要因に霊的な存在の干渉があります。

霊的な存在の干渉というと何か特別なことを想像するかも知れませんね。

昔ながらの怪談話や現代の心霊話に出てくるような霊に襲われたりとか、首絞められたとか、追いかけられたとか、真夏の怖い話の鉄板ストーリーなどを思い浮かべる人もいることでしょう。

確かに中にはそういったオドロオドロシイ体験というものをする方もいるかも知れませんが、実は霊的な存在の干渉というのは、そういったものとは少し違うものです。

怪談話に出てくる霊というのは、大概は、恨みを持っていたり、誰かに明確に悪意を持って害を及ぼそうとしていることが多いものです。

しかし、実際のところは、そういう霊以外にもマイナスの影響を与えてくる存在は沢山いるのです。

誤解を恐れずに言えば、特に害を与えようと思っていない存在であったとしても、結果的に私達にマイナスの影響を与えてしまう霊的な存在というものは多々いるのです。

例えば生前から愚痴が多く、怠惰な日々を送っていた方が亡くなって、その後、成仏もせず浮遊状態の霊人として幽界をさまよっていたとしましょう。

当然のことながらこういった霊人は、霊格も霊覚も低く、霊波動も低いわけです。

ある時、たまたま、霊波長が落ち込んでいる時にそういった不成仏霊と感応してしまった場合には、その方の霊界とその不成仏霊とのつながり(霊線)が出来てしまいます。

このようなケースでは霊縁は薄いのでほっとけば離れていくことも多いのですが、その後も霊波動が回復せず、落ち込んだままでいると段々とその不成仏霊との霊線は濃くなり、受ける影響も大きくなってきます。

そうなると何が起こるのかといえば、段々と不成仏霊の持っている性格や性質に憑かれている方が似てきます。

具体的に言えば、怠惰になり、愚痴っぽくなったりするのですね。

今まではそんなに愚痴っぽくもなかったし、それほど怠惰な生活を送っていたわけでもないのに気が付けば、生活が荒れているなんていうことになるわけです。

先ほども言いましたが、憑依レベルが低いうちならば、勝手にいつしか離れていくことが多いのですが、憑依レベルが高まってくると中々、離れていかなくなりますし、同化していくことになります。

ですから早いうちに自らの霊波動を改めるようにしていくことが大事なわけです。

憑依レベルが深くなった場合には、お祓いなどで浄化しないと中々、改善しない場合もあります。

私のところにおいても遠隔浄霊などで時々、霊的ケアをされていく方もいらっしゃいます。

ちょっと脱線してきたので、話を元に戻しますと、マイナスの波動を持つ霊的存在というものは、つながりを持つだけでマイナスの影響を与えてきます。

マイナスの影響はまずはメンタルに現れてきます。

良くある誤解は、霊に憑かれるといきなり物理的な障害があらわれてくるというものがあります。

もちろん、強い影響力を持つ霊的存在であれば、そのようなケースもあるかも知れません。

しかし、本来は霊的な影響というものはメンタルに現れてくるものです。

つまり憑かれた人のメンタリティや考え方、選択などにマイナスの影響を与えるわけです。

真剣に事業に打ち込まなければならないのに遊びたくなったり、すぐに思ったことを口にして人から不興を買って、折角のチャンスを失ったり、間違ったものが正しく見えて、ひどい目に合うような選択をしてしまったりということが起こるわけです。

霊的存在のミスリードは、あまり気にしすぎてもダメですが、実際のところ、意外なところで影響を及ぼしている場合も多くあります。

もし、失敗が続いたり、あまりにも気になる場合には、自らの霊波動を上げるべく心根を改善したり霊的なケアをしてみるのが良いのかも知れません。


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スピリチュアル的な病の真相~樹木は祟る?~

病気になるのには原因があるものですが、時として原因が不明瞭なことも多々あるものです。

医療機関を訪ねても原因が判然としない場合には、スピリチュアル的な要素も顧みてみることも一つの手段ではあります。

何でもかんでもスピリチュアルに原因を求めれば答えが得られるわけではありませんが、時として病気は私たちが見落としている点に気づかせてくれる場合もあるものです。

またまた、私の個人的な体験談になってしまいますが、子供の頃に体験した出来事についてお話してみたいと思います。

私の幼少期は喘息の発作がひどかったことは、過去記事においても時折、触れてきました。

本当に一度、発作が起こるといつ治まるのかわからないほど、喘息に苦しめられた経験があります。

発作の原因は様々に考えられるので、出来る限りその原因を突き止めて改善していくことに注力して当時は対処していました。

そういった対処が功をそうして発作が治まる時もあるのですが、何をやっても症状の改善が見られず、一向に良くならないこともままありました。

不思議な黒い猫の正体でお話した内容の時も非常に大変な思いをしましたが、この時以外にも重度の発作は何度も経験していました。

やはり、ある時、喘息の発作が止まらなくなり、どうしょうもなくなった時のことです。

普段はあまり、神仏とか宗教とかにすがることはない人であったのですが、どうしていいのかわからなくなった母がどこからか仏教の経典らしきものを引張りだしてお経をあげて祈祷をしていました。

何のお経であるかは子供だったので良く分かりませんでしたが、母が必死だったことは伝わってきます。

しかし、必死で上げる母のお経を読む気持ちとは裏腹に私の病状は悪化の一途を辿っていきました。

むしろ、お経を読めば読むほど、私は何だか苦しみが増大するようで、何かが覆いかぶさってくる感じがするのです。

今ならば、その理由はわかるのですが、当時は良く分かっていませんでした。

お経というものは、必死で読経すると、その必死の想いが強すぎて、マイナスに働くことが多いのです。

お経が悪いのではなく、お経を読む人の境地に問題があると、マイナスに働いてしまうということなのです。

苦しむ我が子を何とか救おうとお経を読むわけですが、その気持ちの中に悲壮感やネガティブ感が大勢を占めてしまうと逆効果になる場合が多いのです。

そんなことはわからないので、兎に角、有難いお経であると思い、母は読経をし続け、私はそれに比例するように、病状が悪化していったのです。

何だかわからないけど、母がお経を読むたびに私は苦しくなるので、何度か、母の経典を持つ手を掴み、声にならない、喘ぎ声で「やめて」とつぶやきますが、母の耳には届きません。

しばらく、喘息の発作とお経によって生み出される押しつぶされそうな想念によって喘いでいると、あるメッセージが心に浮かんできます。

不思議な黒い猫の正体の記事においてもお話しましたが、当時は守護霊などの知識があまりなかったので、メッセージの正体が何であったのかは分かりません。

ただ、何か核心に迫る内容のものであるという感覚だけがそこにはあるのです。

メッセージは次のようなものでした。


琵琶の樹はところを選ぶ

間違えれば不吉

桃の樹はよこしまを祓う



子供の頃なので、メッセージの細かい意味することは良く分かりませんでした。

しかし、この時は何故か一瞬にして思いあがるフシがあることに気づけたのです。

琵琶の樹というのがポイントでした。

私は子供の頃、琵琶の実が大好きでした。

自分の家で琵琶の樹を育てることが出来れば、毎日、琵琶が食べられるのではないか?と浅はかにも考えていました。

琵琶の実を食べ終わって残った種を土の盛られた植木鉢に埋めておいたのです。

そして、月日が流れると小さな芽が出てきたのです。

「やった!このまま大きくなれば毎日、琵琶が食べられるぞ!」

芽が出てきたことで、益々、テンションが上がって、琵琶を育てるのに希望を膨らませて世話をしていました。

しかし、ご存知の通り、琵琶の樹というのは、大きな樹になります。

本来、植木鉢などで育てられるはずはないのです。

例え小さな芽が出たとしても、移し替えなければ枯れてしまいます。

子供なのでそんなことは分からずに種を植えれば、琵琶の樹が育って、実が食べられると期待していたのです。

メッセージはおそらく、私が琵琶の種を植木鉢に植えた行為に問題があることを指しているに違いない。

そう感じた私は、何とか母に伝えようとしましたが、うまく説明が出来ません。

これは、どうしょうもないなと諦めかけていた頃、祖母が家に来てくれて、琵琶を見るなり、「ああ、これはダメだ」と母に言うのです。

祖母は霊感があるようで、色々とその方面のことは分かるようなのです。
(ただ、私は当時は、祖母の霊感のことは良く理解はしていませんでしたが。)

母がお経を上げようと考え付いたのも祖母の影響があったからです。

結果、祖母の助言に従い、琵琶の樹の小さな芽は広い土地に移し替えることになったのです。

私は、ちょっと名残惜しい気もしたのですが、メッセージのこともありますし、移し替えることに異存はありませんでした。

驚いたのは、その後、祖母から桃の樹でつくられた枝をお守りとしてもらったことです。

メッセージには「桃の樹はよくしまを祓う」とあったからです。

その後、私の容体は段々と回復の方向に向かっていきました。

正直、喘息の発作が治まって、ホッとしたのを覚えていますが、それにしても、なぜ、琵琶の樹を植木鉢で育てようとしたことがそれほどの苦しみになって帰ってきたのか、その当時は分かりませんでした。

月日が流れ、スピリチュアルな知識が充実するまで成長を遂げた頃のある日に守護霊様にお伺いをしてみたところ、その真相が明らかになったのです。

実は樹木にも霊は宿るもので、特に樹木の種類によっては、龍神の依代になるものもあるのです。

琵琶の樹は特別な樹で、特に冥界に繋がる厳しい神仏に直結した龍神がかかる依代になるようで、育てるには注意が必要であるようなのです。

琵琶の樹を植木鉢で育てていたら、龍神がかかろうとしていた依代が途中で蔑ろにされることになる。

このことが琵琶の樹にかかる予定であった龍神の逆鱗に触れていたようで、祟られていたようなのです。

もし、祖母が気づかずにそのまま琵琶の樹を育てていたらもっと大変な目にあっていたかも知れません。

樹木だからといって、侮ってはいけないということもこの時の出来事で学ぶことになりました。

それ以来、樹木に対しても誠意ある気持ちで対してあげるように心がけるようにしています。

何かの参考になればと思います。


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プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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