【GW霊界開運講座】決定成就の祈り

今回は朝早い段階での記事のアップになりました!

まだ、寝てるらっしゃる方もいるであろう時間帯に記事を書いています。(笑)

なぜか今日は目覚めが早かったので、清々しい精神状態のときにお話をしておこうと思います。

今日のテーマは、「決定成就の祈り」ということでお話していきたいと思います。

守護霊への祈りや様々な霊法としての祈りの方法をご紹介したりしていますが、お祈りというものには、一つのポイントがあります。

それは、まず、願望成就の祈りは、なかなか成就されないということです。

ええっ!と思われた方もいらっしゃることと思います。

通常、祈願といいますと何か神仏にお願い事をするというイメージが強いので、願望成就の祈りが届かないのであれば、何のために祈るのかという話になってしまいます。

しかし、それでも霊界法則を考えると願望成就の祈りは、成就しにくいといえるのです。

それは、なぜかといえば、一つには願望を成就したいという願いの奥にあるエゴの働きが負のエネルギーを創生して、願望成就の方向に向かう機運を阻害するからです。

祈りの中に愛と真心がなければ、正のエネルギーが生み出されないために、幸福を創生する力が弱くなるのです。

次に願望を成就したいと願う心のありようは、願望は成就されていない、つまりは、自分が理想とする状態とは異なる霊界に感応してしまうことになるため、顕現化の法則により、願望が成就されない霊界の波動が成就されてしまうことになります。

「○○が叶いますように」「何卒、○○できますように」

このように祈れば祈るほど、その背景の霊界としては、「○○は叶っていない」「○○できていない」という状態の霊界に感応してしまうわけです。

ですから、守護霊に祈る時も神仏に願をかける時も、単なる願望成就の祈りでは、届かないということがいえるのです。

では、どのような祈りであれば、願望成就に結びつく祈りとなるのでしょうか。

一つは、必ず自分以外の人に対する愛の祈りに徹すること。

どうしても願望成就ということで祈り始めてしまうと自分のことばかりを願ってしまいがちです。

例えば、「あこがれの○○さんと仲良くなりたい!」という願いをお祈りするとするならば、単純に「あこがれの○○さんと仲良くなれますように!」と祈ってはダメだということです。

まず、祈るならば「あこがれの○○さんが私と関わることにより幸せになりますように。幸せのお手伝いが少しでもできますように。それから○○さんと私に関わる人達が全て調和して幸せになってくださいますように」と祈るのがよいでしょう。

自分も含めて、関係する全ての人達が幸せでありますようにという調和の祈りが必要なのです。

それから、一番大事なことは、決定成就の祈りに帰結させるという点です。

「○○できますように」というお祈りの終わり方をしてしまうと、「○○できていませんので」という前提となる霊界が付きまとうことになります。

ですから、必ず、お祈りの最後に「○○が成就するようにお導き頂きましてありがとうございます」とあたかも決定したかのような祈りの文句と感謝の心に帰結させていくことが大切です。

それから、「全ては神様、守護霊様のお心に叶うようにお任せ致します」という言葉も添えると執着心も薄まり、負のエネルギーの量産も抑えられるので、なお成就しやすいお祈りとなります。

これらは、お祈りの基本となりますので、是非、覚えておいて頂ければと思います。


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【GW霊界開運講座】気負いの心を捨てる

こんにちは!

天心です。

最近は、どんどん暖かな空気を感じるようになりましたね。

昨日などは、地域によっては、30度を超えたところもあったようですね。

東京も25度で、ちょっとした夏を感じさせる日和でありました。

日中では半袖でもいられるほどでした。

今日は少し落ち着いて18度と気温は下がりましたが、なかなか過ごしやすい天候ですね。

気持ちの良い日には、学び研鑽する時間とするのもいいかと思います。

今回の開運コラムは、【GW霊界開運講座】と称しまして、「気負う心を捨てる」というテーマでお話させて頂きたいと思います。

GWの間においても少しでも学び研鑽するための一助となればと思います。

さて、世の中には、様々な開運法や心がけた方がよいこと、努力したほうがよい事柄が存在していることと思います。

本当に素晴らしい考え方や有効な開運のための方法論も存在しているように思います。

多くの方は、こららの方法に触れた時に感激して、是非実行することで、自分の人生の何かが変えられると期待します。

しかし、多くの場合は、途中で挫折するか、あるいは、初めから自分には実践することは無理だろうと諦めてしまう方が多いのが現実かも知れません。

なぜ、多くのハウツーや開運法を聞いても実践できずに挫折してしまうのでしょうか。

その答えは、気負う心にあります。

例えば、トイレを掃除すると運気が上がるという開運方法があります。

とても有名なものなので、誰でも一度は耳にしたこともあるかと思います。

こういう開運方法を聞くと誰しも、「よし!今日からトイレをピッカピカにするぞ!」と意気込みたくなります。

その意気やよしです。

しかし、大抵、三日坊主で終わることが多いのではないでしょうか。

あるいは、あまりにも汚れ過ぎているトイレを見てげんなりして、やる気を失ってしまったりするのではないかと思います。

これは、いきなり大層なことをやり始めようと気負うことで、息切れを起こしてしまうからです。

完璧に何かをこなそうと意気込むと、それができないと思うや否ややることそのものに対する情熱が失われてしまうことになります。

ですから、大切なことは、できることから始めるということを心がける必要があります。

例えばトイレ掃除などは、いきなりピッカピカに磨きあげようとするのが難しいと感じるならば、まず、トイレのドアノブだけを磨いていみる。

あるいは、トイレの便座だけを拭いてみる。

大事なことは、これなら今、すぐにでもやれると自分自身が感じらることを実践してみるのです。

誰かに評価してもらったり、こうあらねばならないなんて気負う必要はないのです。

むしろ、気負いの心を捨てて、ほんのちょっとだけでも、やってみよう。

守護霊へのお祈りにしても、完全に情熱を注いで気合いを入れて毎日祈るのでは続かないかもしれないけれど、朝起きたら、守護霊に挨拶と感謝の語りかけを行う、良いことがあったら「ありがとうございます」とお礼を言ってみる。

まずは、こんなところから始めてみるのもいいと思います。

はじめから完全を目指さない。

本当に自分ができるところから、まず、はじめて、一つずつ実行していく。

これを繰り返していくと、段々、自分の実行力に自信がついてくることになるので、そのときにはさらなるステップアップを図ってゆけばよいのです。

こうしてゆくほうが、三日坊主で終わってしまうよりも、あるいは、はじめから、挑戦を諦めてしまうよりも意義のあることであると思います。

以上、「気負う心を捨てる」というテーマでお話させて頂きました。

このお話が皆様の良い人生を送るヒントとなることを願っています。



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魂と心と身体の関係

今回は久しぶりの霊界事情カテゴリによる記事の発表になります。

ですが、新説・霊界ストーリーではありません。

物語の途中のまま、随分と間隔をあけてしまって申し訳ありませんが、続きの方が何分、壮大な物語になってしまうことが想定されています。

上部霊界についての霊界探索は、本当にどこからお伝えすればいいのかわからないくらいに広大無辺で伝えるべきことが沢山あります。

整理しながら、何度も霊感旅行を行い、見聞をしながらも、つかみようもない世界。

ブログ上で発表するか、あるいは、もしかしたら別冊の自家製の電子書籍を作成して希望者にお分けするという形になるかも知れません。

まだ、詳しいことは決まっていませんし、守護霊様やもう少し上の存在の方たちにもお伺いを立ててみながらどうするかを決めていきたいと思います。

もうしばらく、お待ち頂ければと思います。

さて、今回の霊界事情のお話としては、ご質問を受けたことによるご回答になる内容とさせていただきたいと思います。

ご質問の内容をかいつまんで要約させて頂きますと、脳死や心肺停止になった場合に霊的にはどのような状態となっているのか。そして、臓器移植などを行った場合、霊界的には何か影響はあるのか。

かなり質問内容を省略してしまっていますが、あえて骨子を抜き出すならば、このようなご質問でありました。

この回答をするためには、まず、魂、霊体、肉体の関係についてお話する必要があります。

肉体と霊、魂の関係については、様々な諸説があり、表現方法やそのために使われる名称なども本当に多岐にわたってあります。

概ね言っていることは同様なことなのですが、表現が異なるので、様々な意見があるように見えるものです。

私のこれからお話することも、他の諸説と同様のところもあり、それと同時に異なる部分もあるかと思いますが、あまり難しく考えずにイメージをつかんで頂ければ幸いです。

さて、私が魂、霊体、肉体についてお話する表現方法としては、神道から伝わる一霊四魂という考え方を採用させて頂きます。

この一霊四魂という考え方も神道の中でも諸説がわかれるところであるため、私がこれから解説する内容は他の一霊四魂論とは、異なる場合がありますが一つのメタファーとして受け止めて頂ければと想います。

まず、人間というものの一番中心となるコアな部分があります。

元々の深い部分に持つ根源的な意志、神なる部分とも表現されています。

多くの人はこれをと呼びます。

なんとなく、人間には魂が存在するということを感じていらっしゃる方は多いと思いますが、実は魂と一口にいっても様々な種類があることを理解している人は少ないと思います。

まず、魂の中心部になり、神性の意志そのものとも言うべき直霊(なおびのみたま)というものがあります。

別名を一霊ともいいます。

一霊四魂の一霊の部分がこれに当たります。

この直霊は、神様そのものであり、神様から直接授かった分神であり、人間のエゴなる部分をそぎ落としてゆくと最終的にこの直霊が現れてくることになります。

よく宗教などでも、人は神の子と言われたり、人は神であるなど言われることもありますが、直霊が存在すればこそ、このような考え方が生まれてきたと思われます。

もちろん、人間=神ではありません。

ただ、人間には神性が宿る。ということは言えるかも知れません。

この神性が一霊とするならば、後の四魂は一体何を示しているのでしょうか。

直霊以外に魂には四つの要素で構成されています。

奇魂(くしみたま)・・・感性、霊性、直感、芸術的品格、統合性、知性等
幸魂(さちみたま)・・・愛、真心、育成力、情感等
和魂(にぎみたま)・・・親和性、協調性、柔軟性等
荒魂(あらみたま)・・・元気、忍耐性、闘争性、凝結力、体力、筋力、運動力等

四魂は、それぞれに意志の中にある機能をそれぞれになっている魂といえます。

例えば、奇魂は、主に感性や知性の部分をつかさどっています。

美しいものを素直に美しいと感じる心や芸術を解するような意志の部分を指しています。

人が物事を選択したり決めたりする際には、様々な根拠はあるかと思いますが、まず、知性で思考したりしながら最終的には直感的に決断を下しているはずです。

こういう一連の意志決定を行うことができるのは、奇魂を授かっているからです。

奇魂は、人体でいうと頭頂部に鎮まっています。

幸魂に関しては、一言でいえばです。

愛の塊が幸魂であるともいえます。

魂を構成する上で幸魂も重要な要素であるともいえます。

なぜならば、全てのものを育成してゆく原動力となっているのは、愛の力である幸魂であるからです。

愛がなければ、奇魂だけでは育むことはできないのです。

世の中には才能があり、知性もあり、センスの鋭い方もいらっしゃいますが、冷たくどこか退廃的になってしまっている方もいます。

これは、奇魂が発達してはいるものの幸魂が未発達であるということがいえるでしょう。

幸魂は、身体でいうと胸の鳩尾あたりに鎮まっています。

次に和魂についてですが、これは親和性をつかさどっているわけなんですが、どういうことかといいますと、人間というものは、様々な環境の変化にさらされながら生きています。

生きてゆくためには、色んな人とも協調関係を結び、仲良く生きていく必要があります。

また、変化にもなるべく適応して、調和していくことが求められています。

和魂は、全てのものに調和していく機能が込められています。

人間は生まれてくる時も、死んでいく時も一人ではありますが、生きている間は、様々な人達と交流して心を通わせあったりしながら仲良くなりますね。

生まれ出た家族の一員として調和していきますし、社会に出れば社会の人達や環境と調和して生きてゆくのです。

これは和魂があるからこそ、可能なことでもあります。

和魂はお腹から、おへその下あたりの身体の部位に鎮まっています。

最後に荒魂についてです。

荒魂は魂の中でも実は最も物質次元に近い存在であるといえます。

半霊半物質といった存在で、霊的な表層部分と肉体そのものをつかさどっています。

霊的な働きとしては、忍耐力や根性、何かを貫き通す精神力といったところを担っています。

また、絶対負けないぞ!といった闘争的な意志も荒魂の機能によるものです。

同時に身体としては骨や筋肉などを形成する要素ともなっています。

つまり荒魂というものは、身体の体力や筋力に比例している唯一目に見える魂の種類であるともいえるのです。

よくスポーツインストラクターなどの人は、端正な体つき骨格、筋肉を持ってらっしゃいますが、どこかさわやかで清々しいところがありますよね?

これは、身体を鍛えると同時に荒魂を鍛えているからなんですね。

スポーツマンは大抵、さわやかな人が多かったりします。

また、プロレスラーの方なども、筋骨隆々たるものがあり、同時に闘争心が強く、精神力にも恵まれている方も多いです。

格闘技などをされている方は、殴られたり、蹴られたりすることも多いでしょうけれど、そういったことは臆せず、闘って勝つという道を一番に考えていたりします。

普通の人だったら、臆病風に吹かれてしまうところではありますが、荒魂が鍛えられているので、精神力が強いわけです。

以上が、一霊四魂から見た、魂の全容説明となります。

これを別の説明で表現しますと、肉体(荒魂)、心(和魂)、魂(奇魂、幸魂)と分類することもできます。

私たちが、霊界と呼んでいる部分は主に和魂が主催する世界であります。

その上に神様の存在する神界があり、その世界は魂(奇魂、幸魂)の存在以外は入ることができません。

私たちは、生きている間は一霊四魂であるわけですが、死ぬと荒魂のハクと呼ばれている部分が消え去ることになります。

これが肉体の死です。

それから、基本的には霊界に旅立つことで、そこでの暮らしがはじまりますが、メインとなるのは、魂の部分の荒魂と和魂の部分になります。

奇魂と幸魂はまだ、霊体としての荒魂、和魂に覆われている状態であるために主にはならないのです。

しかし、段々と霊層も上がり、不必要な部分がなくなってくると、脱皮して魂の存在、すなわち、奇魂と幸魂が表に現れて、ついには直霊そのものの存在となり、神界に赴くことになるのです。

これが一つの人の生まれ、そして、死に、それからまた生まれて死んでを繰り返し、最終的に向かうべき一つのベクトルになるわけです。

以上がとても長いお話になってしまいましたが、ご質問に回答するために知っておいてもらう必要のある前提のお話になります。

これを踏まえた上で、脳死や臓器移植について考えてみましょう。

脳死状態になった場合、人はどうなるのでしょうか。

これは、状態としては、荒魂のハクの部分が現世に止まり、奇魂、幸魂は大抵の場合は、帰幽してしまっています。

本来の死の場合は、まず荒魂のハクが消え、他の魂が次に帰幽するのが順番なのですが、脳死などの場合は、順番が異なる場合が多いといえます。

脳死などの場合は、荒魂と和魂がそのまま現世に止まっているために、まだ意識的なものがあります。

不思議なことに聞こえるかも知れませんが、半分帰幽しながらも、しっかりと意識は現世にもあるわけです。

身体を動かす臓器である脳が死んでしまっているために何も反応することができないでいますが、意識はあるわけです。

ですから、臓器移植をするために臓器を取り出してしまうという行為は、当人にとっては納得いかない場合もあるわけです。

肉体的な痛みはありませんが、まだ意識があるために、擬似的な痛みや感情を頂くことはあるのです。

ただ、勘違いして欲しくないのは、臓器移植は悪であるなどというつもりはないということです。

臓器移植をすることによって、助かる命もあり、移植されて誰かの命と共に活かされるという選択もあってよいはずです。

神仏も臓器移植を裁いたりはしません。

問題になるのは、やはり本人の意思を尊重するということだと思います。

ご本人が臓器を提供して、他の命が救われるならば、喜んで臓器を指しだそうという愛の気持ちを抱いていたならば、本人は臓器に執着をしていないために、切り取られたかたといって、何か不便をきたすことはないのです。

なぜならば、霊界の世界では和魂と荒魂の魂の部分が主催している世界であるために、現世での状態や常識は適用されません。

現世でのこだわりを持ったままだとそのまま、霊界でも適応されてしまいますが、こだわりを捨ててしまえば、たとえ臓器を失っていても、何の問題もないのです。

霊界では、若返ったり、手足を失ったひとでも、それを取り戻したりする人もいます。

現世でのこだわりを捨てれば、年齢も状態も思うがままなのです。

ですから、臓器移植に関しては、ご本人が納得されているということが一番のポイントになってくることでしょう。

これを持ってご質問の回答とさせて頂ければと思います。



天心 拝



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継続こそ霊界を変えるカギ

このブログ上で霊視・霊感鑑定を実施しはじめてから、4か月くらいが経過しようとしていますが、様々な人からフィードバックを受けています。

悩みの内容も異なりますし、なかなか、フィードバックの内容を公開する方法やタイミングが合わないこともあるのですが、全てに目を通し、可能なかぎりフォローをするようには心がけています。

喜んで頂いているお声を頂くと私も本当に自分のことのように、嬉しく感じるものです。

就職活動でご苦労されている方からは、私の鑑定通りに春先からお仕事が決定して希望通りの職場に就職できたというご報告がありました。

また、半年以上も悩んでいた足腰の痛みが、私のご紹介した霊法を実践された二日後にすっかりと痛みがなくなってしまったというお返事も頂いています。

その他にも進むべき方向性が見えてきたり、アドバイスを読んで勇気が湧いてきたと元気なお便りをくださる方もいらっしゃいます。

こういうお言葉を聞けるだけでも、私は幸せを感じます。

私がこの活動をしているのは、単に霊的な事柄を自己満足で発信したいからではありません。

どんな霊界の実相をお話したとしても最終的には人の幸福に繋がってゆかなければ意味がないと考えているからです。

だから、私の目標は、霊界や守護霊の存在をアピールするに止まることなく、多くの人に少しでも幸せになるキッカケを作ってゆければという思いがあります。

慶びのフィードバックは、私にとっても重要な意味を持っているのです。

自分の行っているやり方が常に人の幸せに役に立つことであるのか。

ここからずれてしまうと、この活動もあまり意味をなさなくなってしまうからです。

不幸な預言をして、人を不安に陥れたり、これみよがしな霊的知識を振りかざして、好奇心だけを煽るようなブログにだけはしたくない。

そう思っています。

さて、慶びのフィードバックの一部を端的にご紹介しましたが、物事は、万事うまくいくものばかりではありません。

私自身は精一杯、お取次をさせて頂いておりますが、なかなか、悩みの根本解決、事態の改善まで至っていない方の報告もあります。

通常、良い報告は公表されて、あまり芳しくない報告は、公表しないか、あるいは控えめにするのが一般的です。

しかし、それだと物事の良い側面ばかりが強調されて真実を見誤る人が現れてくる可能性があります。

霊視・霊感鑑定を受ければ全てが解決されるかも。

何か助けてもらえるかも。

期待だけが大きくなり、肝心の霊界法則や自助努力を無視した、何か特殊で奇跡的なものを想像し期待する風潮が出てくることは、あまり好ましいことではありません。

ですから、はっきりとここで言っておきたいのは、霊視・霊感鑑定で守護霊のアドバイスを受けたり、天命・過去世調査、霊障判定・簡易修祓などを受けても、すぐに状況が変わらない人もいらっしゃるということです。

背負っている負のエネルギー、もともと持っている幸運を招く正のエネルギーの量、それからバランス、また現実的にとりまく状況は、人により千差万別です。

だから、一概に全ての人に同じ結果がもたらされるわけではないのです。

傾向として、普段から真心からの行為や自分以外の人への愛の実践が本当の意味で実践出来ている方は、ひとたび軽く修祓(しゅばつ)をして霊障を祓っただけでも、突然、奇跡とも感じてしまうくらい状況が変わる方もいます。

しかし、同じように愛の行動をしていても、背負った負のエネルギーや複雑な家系の因縁などが絡んでくると、なかなかそのような吉なる結果がでてこない人もいるのです。

傍から見れば不公平なことのように見えますが、全てのことには理由があり原因があるものです。

現実的な状況、霊界の状態、正負のエネルギーのバランス、霊障の有無、様々な要因をからまった糸をほぐして一本ずつ解いてゆく根気が必要になってきます。

こういう努力の継続が、少しずつ状況を改善してゆくことに繋がってきます。

すなわち現実に影響を与えている霊界を変えてゆくためには、継続的努力がどうしても必要であるということです。

なかなか、変わらない。

相変わらず苦しみがなくならない。

このようなフィードバックを受けるたびに、少しでもその方が、問題解決の方向へ向かってゆくようにとお祈りをしています。

しかし、途中でその方自身が諦めて、努力を辞めてしまえば、そこで問題解決への道は閉ざされます。

辛いこと、苦しいことを乗り越えた先にしか輝く未来は存在しないのです。

もちろん、私もどうしたらより多くの人ができるだけ早く、悩みの沼から脱することができるのか研究をしています。

試行錯誤の連続です。

まだ、うまくいっていないところも多々ありますが、これからも創意工夫、努力を止めずに継続してゆくつもりです。

どうか、皆様も、知らぬうちに幸運が舞い込んだ時には、それに感謝して、そうでない時にも、未来にての幸運到来を信じて、努力の継続は止めずにいて欲しいと願っています。

全ての人に漏れることなく、幸運が到来致しますことを祈念しています。



天心 拝



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【守護霊問答】金運を良くする方法とは

こんにちは!


天心です。

ゴールデンウィークも目前に迫ってまいりました。

今年の大型連休は、自粛ムードの中、どのような連休を過ごす方が多くなるのでしょうね。

観光地も閑古鳥が鳴いている状態と耳に聞こえてくる状態。

逆転の発想をすれば、今年は、いつもなら予約できないような旅館なども比較的、取りやすいのではないでしょうか。

ここは一つ、日本経済のため(笑)、自粛ばかりではなく、皆さまには連休を楽しんで頂けることを願っています。

そんなことを言われても、時間はあってもお金がない(笑)

先立つものがなければ、楽しむこともままならないと嘆く方もいらっしゃるかも知れませんよね。

お金が全てではありませんが、経済社会というものは、お金がある程度はないと、なかなか身動きが取れないというのも事実です。

そこで、今回は、守護霊問答のテーマとして、金運を良くするにはどうしたらいいのか?ということについて、守護霊様に伺ってみたいと思います。

正直な感想をいえば、守護霊はあまりお金には関心がないように感じます。

向こうの世界にはお金というシステムはないのでしょうかね(笑)

守護霊としては、魂の向上以外にはあまり興味はないのかも知れませんが、そこをあえて聞いてみたらどんな回答があるのかなと、ちょっと興味もあって、このテーマを取り上げてみました。

それでは、金運を良くするというテーマでの守護霊問答のはじまりです。


天心:「今回は、金運を良くするためにはどうしたらいいのか?というテーマをお伺いしたいのですが、宜しいでしょうか」

守護霊:「金運とは、すなわち人運に他なし」

天心:「・・・どういうことでしょうか?」

守護霊:「金は天から降ってきたりしない。ましてや湧いてでてくるものでもない」

天心:「おっしゃるとおりですが、現世にはお金を持っている方とあまり持ってない方がいますよね。持っている方は金運があるということになると思うのですが、どうしたら金運をアップすることができるのでしょう?」

守護霊:「金運とは金を運ぶ機運のことである。しかし、それを運んでくるのは、常に人である」

天心:「金運を良くするポイントは”人”にあるということでしょうか」

守護霊:「その通り」

天心:「う~ん、ちょっとわかったようで、わからないのですが、どうして人が金運を良くするポイントになるのでしょうか」

守護霊:「金とは実体のないもの。すなわち方便である。豊かさを運ぶのは人である。人を無視して金を追いかけても虚しいばかりである」

天心:「方便ですか。。確かにお金ってそれそのものには価値はないですよね。紙と金属ですし。守護霊様がおっしゃりたいのは、お金よりも人が大事ということでしょうか?人脈とか?」

守護霊:「金に苦労し、金が欠乏するのは、金ばかりを観て人を見ぬからである。人との交流に真心から望めば、金に限らず、縁も健康も目に見えぬ幸せすらも手に入るなり。」

天心:「人との交流、形だけじゃなくて心から人と交わることができれば、金運もアップするということですか」

守護霊:「その通り。金、縁、手に入れたいと思う全てのもの。人はモノばかりを追いかける。人に愛を向けよ。真心で助け合え。結局は皆、人を通してしか入らぬものぞ」

天心:「なるほど。確かにお金も人から頂くものですし、良いご縁も人を通してもたらされますよね。欲しいと思っているものも、誰かが作らなければないわけですし、そう考えると人との関係をいかに正常化していくのかって全てに通じる大切な事柄なのかも知れませんね」

守護霊:「うむ」

天心:「でも、人付き合いが苦手な人とかは、やっぱり不利ですよね。というか、どうしたら人との関係をよりよいものにしていけるのでしょうか」

守護霊:「自己を押しつけぬこと。どんな人であれ良き心根は存在することを知ること。見かえりなき愛をそそぐ。これい以外に他なし」

天心:「自分の意見ばかりを押し付けない。嫌な人だと思っても良いところを探そうとする。あと相手に期待するのではなく、相手のことを思いやり無償の愛を向けるということですね」

守護霊:「夢夢忘れるなよ」

天心:「わかりました。今回も金運についてお諭し頂きましてありがとうございました!」


以上が守護霊問答になります。

今回は金運についてお伺いいたしました。

読者の方の何か参考になれば幸いです。


天心 拝




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川崎大師について

只今、白檀のお香を焚いて、お部屋を清め、身を清めたところです。

お香は、その場の邪気を清めてくれますし、精神的な穢れも少し祓ってくれます。

少し、穢れが積り過ぎていたところがあったので、久しぶりにお香を焚いてみたわけです。

大分、すっきり致しました(笑)

この白檀香は、昨日、川崎大師を参拝致しました時に仏具屋さんで購入したものです。

以外と手に入りやすいものなので、香り系のものが苦手でない方にはお勧めです。

さて、今回は神田明神ではなく、川崎大師にお参りさせて頂いたわけですが、この仏閣においても、もちろん、お賽銭をさせて頂いております。

義援金の募金箱も設置されておりましたので、これにも支援をさせて頂きました。

このように皆様から寄せられたご寄付の一部は、神仏や被災者の方の支援に少しでも役立てるようにしています。

川崎大師は、神社ではなく、真言宗仏閣であり、その真言八祖であり、日本において宗派を開いた弘法大師空海を祀る霊場であります。

弘法大師空海は、鎮護国家のために何度も護摩祈願をして、日本国の厄難を祓いました。

この護摩祈願のおかげもあってか、平安時代と呼ばれる時代が到来して、国民が安らかに暮らせる時代を築くことができたともいえます。

そういう歴史もあって、川崎大師には、厄難を減少させるパワーが満ちています。

実際に真心からの祈願を行うと、弘法大師が観音様の姿をして現れて、身心にまとわりつく、厄難の原因となる負のエネルギーを減少させてくれています。

基本的には、顕現化の一歩手前の負のエネルギーを少し皮一枚はぎ取ってくれる感じです。

この川崎大師に現れる弘法大師様は、少しでも厄難を減らす霊験を表してくれるわけです。

大変ありがたく、私も度々、お世話になっているのです。

鑑定の取次や様々なことが原因で憑いてしまった負のエネルギーや穢れをクリーニングしてもらうのです。

神田明神様の場合は、祓いの力もありますが、それよりも、霊界の実相や霊法について、力添えをしてくれることが多いのですが、川崎大師の場合は、何といっても悪いものを祓う力が絶大です。

あまりにも災厄が多いと感じている方は、川崎大師はお勧めです。

例によって、この霊場においても、ご寄付を頂いた方の厄難を祓う取り次ぎをさせて頂きました。

そのパワーは、どんなに離れていても、届きます。

ですから、ご寄付をされた方は、どうか川崎大師に対して祈りを行ってみてください。

「川崎大師にます聖観音、弘法大師の大霊、諸天善神達。悉く、災禍厄難を祓い清めて頂き誠にありがとうございます。」

このように祈り言葉を発してから、南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)と36回唱えます。

こうすることより一層の厄難除去の力を感じることができるはずです。

後、もし川崎大師を訪れる機会があった場合には、護摩木を書かれることもお勧めします。

護摩木は祈願の際にお焚きあげして頂くことで、五行の力も加わって、通常の祈願の十倍の影響力を持ちます。

つまり、普通にお参りするよりも十倍、厄難が祓われる力が発揮されるようになるということです。

ですから、護摩木も申込まれる方が、折角、お参りするのであれば、よりよい参拝となることは間違いないでしょう。

経蔵も素晴らしいところです。

とても重厚な仏様の気で満ちています。

中央には、お釈迦様の像が祀られています。

静かに瞑目していると仏界の世界に感応してきます。

私は必ずこの経蔵には、立ち入るように心がけています。

少しでも仏智の気が充満しているフィールドに触れて、多くのことを学び悟る力を授かるためです。

そして、授かった知恵は多くの人達の幸せの役に立てていこうという誓いを持っています。

本当に清々しい良い参拝になりました。

これからも頑張って取次をしていきたいと誓いを新たに致しました。

皆様にも少しでも川崎大師のお力添えが生き届きますことを最後に祈念させて頂きたいと思います。



南無大師遍照金剛


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ヘミシンクと霊性開発

こんにちは!

天心です。

ヘミシンクについて、ご質問を受けましたので、回答となる記事をアップさせて頂こうかと思います。

ヘミシンクとうのは、御存知の方もいらっしゃることと思いますが、脳に特定の周波数の音を聞かせることで、トランス状態(変性意識状態)と呼ばれる精神状態を作り出すことで、スピリチュアルな心の世界を探索したり、霊的な存在と会うことができる技術のことです。

私自身は、ヘミシンクを利用したことはないのですが、多くの文献や情報は、比較的、手に入りやすいので、どういったものなのかということは理解しているつもりです。

スピリチュアルブームもあり、段々と霊的な開発やより体感的に知りたいという欲求が高まる中、科学的なアプローチで霊的世界とコンタクトを取ろうとする動きがあります。

その代表的な方法論の一つとして、ヘミシンクはあります。

ヘミシンクは、あくまで技術です。

思想や哲学、宗教的なイデオロギーなどがなく、そういったものとは無縁で、単に好奇心や興味を満たすのには丁度よい技術なのかも知れません。

様々な宗教団体などが過去に社会的な問題となるような事件を起こしたりしている中、霊的なことには興味はあるけれど、そういった組織や団体には関わりたくない。

そういう思いも手伝って、こういう技術的なもの、科学の香りのするものが好まれ始めているのは、ある意味わかるような気も致します。

しかし、技術とはそれ自体は、善でも悪でもありません。

昨今の原子力などを観ればわかるように、安全に取り扱えていた時には、とても生活を潤し、発展させる原動力でありました。

でも、今は震災の影響で原子力発電所に事故が起こってからは、日本にいや世界に黒い影を落としています。

もはや、原子力は悪だと言わんとばかりの世論になりつつあります。

技術というものの善悪というものは、人の見方、感情に左右されるものです。

ヘミシンクもまた技術であるならば、人の見方によって、善にも感じられ悪にも感じられる。

これがヘミシンクに対する私の見方です。

だから、ヘミシンクは良くないものだと一方的に決めつけるつもりはありませんし、かといって、ヘミシンクを無条件に礼賛するつもりもありません。

使い方次第によっては、もしかしたら、自分の可能性が開ける一つのツールになるのかも知れません。

しかし、残念ながら、今の人々の霊的な咀嚼力や認識力を考えると安易にヘミシングによる霊的な開発を行うことは、お勧めできないというのがホンネです。

実はヘミシンク以外にも、トランス状態を作る方法というものは、昔からいくつかあったのです。

日本でいえば古神道の行法などが挙げられます。

また、山岳に生き断崖絶壁にて命綱一本でつるされながら祈願したり、滝行を行ったり、瞑想などを実践したりすることも、トランス状態を作るための一つの修行であり方法論でもあります。

後は、各宗教団体の中で行われている秘義的な儀式などもあるでしょう。

これらは、皆、霊的な開発のために神仏を降ろしたり、霊をコントロールしたりするための基礎となる精神状態を作り出すために行われてきたことなのです。

それぞれの団体や種類によって主張していることは異なるかも知れませんが、煎じつめれば、最終的には、霊性の開発というテーマにいきつきます。

このようにヘミシンクという技術が脚光を浴びる以前にも、同じような目的のために行われた様々なノウハウは存在していたわけです。

ヘミシンクは、それらを科学的なアプローチで実現しようとしています。

それゆえに、昔から行われてきた秘義や行法と同様に一つの問題点をヘミシンクは内在しているといえます。

それは、トランス状態を作り出すと様々な霊的なあるいは精神的な存在がコンタクトをとってこようとするという点です。

守護霊と審神」の記事でもお話しましたが、正邪の別ということがしっかりと判別できる器量がない人が、安易にトランス状態を作り出し、霊的な世界とコンタクトを取ろうとすると、必ず邪霊や魔物が感応してくる可能性が高いといえます。

真に愛と真心が極まっていないと神霊は降りてきません。

ヘミシンクは技術であるために霊的な世界とコンタクトを取る方法論には、力を入れているのかも知れませんが、昔から伝わる審神の法や本来、最低限知っておかなければならない心構えを説くという部分が少し欠落しているように感じます。

精神世界への体感を深める素晴らしさや利点を説くのは良いとしても、危険性が伴うこと、それらをどのように回避していくべきなのかをしっかりと説いていないのは、少し問題ではないかと思うのです。

しかも、ヘミシンクは道具を使い自分で自己責任で行うことがほとんどです。

近くに信頼のおける指導者がいるわけでもなく、本やマニュアルを読み、後は道具を使って自己流にやっていくスタイルであることが多いので、とても危険だと言わざるを得ないでしょう。

もちろん、異論もある方もいらっしゃるでしょうし、危険もなく活用されている方もいらっしゃるのかと思います。

何事にも例外はありますが、一つだけいえるのは、単なる好奇心や興味本位、そして何より愛と真心の極まりの状態を作り出せない人には、ヘミシンクに限らず、やたらと霊性開発などを実践するのは控えたほうがよいかと思います。

やたらと霊的な秘義やヘミシンクによる開発をするよりも、一日一日、守護霊様に感謝の祈りをささげること。

そして、家族や友人、それからお仕事で関係している人、つながっている全ての人達の笑顔を思い浮かべて、その人達に心からの幸せを祈ってみてください。

そういう祈りを続けていると、知らないうちに霊性が磨かれてきて、知らぬ間に直感や霊感がさえてくるようになります。

もちろん、いきなり守護霊や神霊と直接的にコンタクトが取れるようになるわけではありませんが、そうやって守護霊との霊線を強めてゆくことが、遠回りに見えても正しく安全な霊性開発の道に繋がってゆくのです。

少し、質問者さんの意図とは異なる回答になってしまったかも知れませんが、参考になれば幸いです。


天心 拝



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「得」と「徳」

あなたは、もし、素敵な宝物のようなものが、なんの苦労もなく、対価も支払うことなく、手に入れることができたならば、どう思いますか?

のっけから変な質問で恐縮ではありますが、多くの場合、「得」したなと思われることと推察いたします。

これは、誰でも、どこかで楽をして、得るものを得たいという気持ちがあることを表しています。

だから、本来は、それなりの苦労を伴って手に入れるべきものを、楽に手に入れられた場合には、ラッキーな出来事に心が躍ることでしょう。

幸運は、誰もが望むものです。

当然といえば当然の反応であるといえます。

しかし、これらの「得」の裏側には、様々な問題点が潜んでいることを本日はお話していこうと思います。

誰でも得をしたいと思うものなのですが、その心根の裏側には、大抵はエゴが潜んでいるものです。

もちろん、どのような人間にも多かれ少なかれエゴは潜んでいるものなので、あまりにこれを気にし過ぎていては、生きていけなくなります。

皆、修行僧や修道女のようなストイックで質素な生活をしなければならなくなるででしょう。

志があって修行僧や修道女になられた方はいいとしても、一般の社会に生きる私たちにこのような生活を送ることは困難であります。

それなりに豊に家庭を築き、時には遊んだり、趣味に興じたりすることは、決して悪いことではありません。

自分が幸せになることを考えることも、悪いことではないのです。

しかし、エゴとうものは、段々と肥大化してくると、却って人を不幸にする働きがあるのも事実です。

偶々の僥倖に慶ぶ程度のことならば、問題ないのですが、常に「得」ばかりを求めているといつしかエゴは肥大化してくるものです。

「自分にとって得なのはどれか?」
「有利な選択をしたい」
「効率的に簡単に成功を収めたい」


このように段々と「得」ばかりを追いはじめるとエゴは途端に肥大化して、負のエネルギーを量産しはじめます。

自分にとっての「得」ばかりを念頭に置き始めると、自分にとって得になりそうなことには、敏感になってきます。

なにかうまい話、得になりそうな話には、飛びつくようになるのです。

しかし、うまい話というものは、霊的に観ると正のエネルギーの損失になっていることが多いのです。

もちろん、ガセネタや虚偽のものあるので、そういうものは別にしても、自分の得になるというものは、全て正のエネルギーの消耗になります。

これは、ある意味仕方のないところではあります。

本来、苦労して、努力して、あるいはなんらかの対価を支払い、ようやく得るものを何の苦労もなく手に入れることができるわけなので、その分、見えない正のエネルギーが消耗するというわけです。

正のエネルギーが消耗すれば、負のエネルギーを中和していたものが弱まることになるので、逆に不運なことが発生してくる可能性もあるわけです。

ですから、必ずしも苦労なく手に入れたものというものは、幸せに繋がるとはかぎらないのです。

エゴを肥大化させないためには、「得」ばかりを追いかけないということが大切です。

例えるならば、いつも食事をおごってくれる友達がいるとします。

毎回、おごってもらってラッキー!で済ませてしまえば、それは、段々とエゴの肥大化に繋がってしまいます。

最低でも「いつも、おごってもらって悪いな」「たまには自分の方がおごってあげようか」という優しい愛の心を持つことが大事です。

愛の心で、それを形に出してゆけば、それは、自分の「得」にはならないかも知れないけれど、「徳」にはなります。

「徳」とは、言わずと知れた正のエネルギーのことです。

正のエネルギーを蓄えていけば、必ず、顕現化の法則により、幸や福徳が現れてきます。

このことがわかれば、「得」を求めるより、「徳」を求める方が結果的に幸せに近づくことになることがわかります。

しかしながら、どうしても「得」を求める人が多いのが現状ではあります。

少しでも自分に得な方に考えることが、まるで自分の幸せに繋がるのだと信念を持っているかのように見える時があります。

私が見てきた様々な人達がいますが、「徳」多き人は本当にどんどん、運が向いてきたり、進歩発展しているのがわかります。

そういう方達を見かけると本当に気持ちのよい感じを受けるのです。

一方で、自分の得にはさとい方達は、なぜか、あまり開運されていないように見えるのが実情なのです。

もちろん、どう生きるか、どう考えるかは人それぞれの価値観や選択にかねられています。

一つの考え方として、幸福を手にするための心構えを少し、お話しておきたいなと思いましたので、本日は、「得」と「徳」についてお話いたしました。

本日も皆さまの人生が輝けるものであることを願っています。


天心 拝



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守護霊と審神

今回はブログにて、ご質問を頂いたことに対する回答を含めた内容をお話させて頂きたいと思います。

ご質問の趣旨を要約すると、「守護霊にフーチを使いコンタクトを取り、答えを得る方法」についてです。

フーチというものは、ペンタグラム(振り子)などを用いて、霊的な存在とコンタクトをとり、回答を得ようというものを指します。

ご質問の趣旨としては、どうしたらフーチをうまく使いこなし、守護霊とうまく交流して答えを引き出せるかということに主眼が置かれているのですが、私の立場から申し上げるとすれば、安易にフーチにより守護霊と交流を試みるのは、危険であるといわざるを得ません。

様々な方が今、スピリチュアルに興味を持ち、できれば、守護霊や霊的な存在と交流をはかりたいt願う方が増えてきています。

もちろん、関心、興味を持つことは悪ことではありませんし、できれば交流してみたいと考えるのは当然の流れかも知れません。

しかし、霊的な存在と交流する場合には、いくつかの原則を知らないと危険な場合が多いのです。

今回、質問の趣旨からは少しはずれてしまうかも知れませんが、重要なテーマかと思いますので、お話したいと思います。

まず、フーチの問題点ですが、実際にフーチによって、守護霊がおり下って道を示す場合もないことはありません。

しかし、実際のところ、神霊という存在は、やたらと降り下ってくるわけではありません。

神霊と同じくらいの霊覚レベルに達し、心の中に愛と真心を充満させている状態でなければ、決して降りてきたりはしないのです。

フーチの場合、大抵は、興味本位であったり、どうしても知りたいことをなんとか答えてもらおうという基本的に自分本位の気持ちが強い場合が多いでしょう。

そのような心根で、フーチを行えば、守護霊どころか、怪しい邪霊やおかしな霊的存在を呼び込んでしまう場合もあるのです。

私自身も守護霊と交流を行っていますが、私個人のことを我欲で祈ったり、楽をしたいから未来を教えて欲しいという気持ちで伺いを立てたりすることはありません。

ほとんどの場合は、他人のための祈りであり、伺いを立てるのは他人の悩みに関してがほとんどです。

私の個人のことは、本当に最小限にとどめ、人間としての努力をして、どうにも進むことができないと感じた時には、そっと守護霊に語りかけて意見を伺うことがあります。

そいういう場合には、個人的なことであったとしても、少しだけ守護霊も力を貸してくれることもあるのです。

常に自分の心をチェックして、魔物が入ってこないように審神(さにわ)しながら霊視・霊感鑑定を行っているわけです。

このことからフーチで安易に守護霊とコンタクトを取ろうとするのがなぜ危険なのかおわかり頂けたかと思います。

さらにフーチは、結果がYESかNOに限定されるため、守護霊アドバイスのように内容を吟味して、正邪を判別する審神がしずらいところがあります。

全てがYESかNOだけでは、かなり困難であります。

また守護霊などの神霊は、特に限定的、断定的な内容はあまり、教えてくれません。

必ず、本人にも考えさせ、あくまでポイントでありヒントとなるようなキーワードしか教えてくれません。

そういう意味でもフーチによる守護霊コンタクトは、なかなか困難であると言わざるを得ないのです。

これが、フーチによる守護霊とのコンタクトに対する私の回答となります。

少し、質問された方の求めているものとは異なった回答であるかとも思いますが、あえてこれを回答とさせていただきたいと思います。

さて、先ほどから、いえ、以前から時折、審神(さにわ)という言葉を使っておりましたが、これについて、きちんとお話をしていなかったことに最近気づきました。(汗)

ということで、折角なので、これから少しだけ審神(さには)についてお話したいと思います。

審神(さには)とは、一言でいえば、物事、あるいは霊的なものの真偽、正邪を判別して詳細を明らかにする行為のことであります。

古くは弓削道鏡の神託事件にも審神のことを学ぶことができます。

事件のあらましは、弓削道鏡が嘘の神託をもとに天皇の位につこうとしたことでありました。

当時、弓削道鏡はとても信頼されていたため、神託はそのまま採用されて、弓削道鏡が天皇につく流れができてしまっていました。

しかし、和気清麻呂が後から宇佐八幡宮に詣でて審神したところ、でたらめであったことが発覚。

このことで、弓削道鏡の皇位略奪を防ぐことができたというわけです。

細かいところは、かなり省略しましたが、ここでポイントとなるのは、弓削道鏡の神託の正邪を和気清麻呂が審神したというところです。

昔から神託の類は、間違ったものが流布される危険があることが認識されていたために、必ず審神という行為が行われたことを意味しています。

また、審神に関しては、神道家の本田親徳(ほんだちかあつ)なども詳しく研究し、本田霊学として体系だてています。

このように目に見えないものというものは、とてもデリケートで、時として誤った方向性に導いてしまう可能性を秘めています。

だからこそ、その善悪正邪を見極める目を養っていく必要があるのです。

今回の記事では、審神については、さわりしかお話できませんが、今後もおりをみて、少しずつお話してゆけたらいいなと考えています。

皆様の今後の学びとヒントにこのお話が寄与しますことを願っています。



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道名の授与

こんにちは!


天心です。

以前、ブログ記事にて『「名前」のお話』にて、名前の意義についてお話させて頂きました。

名前にも様々な意義があり、亡くなられた方につける戒名などは、死後、霊界での指針となる方向性を込めたものをつけるのがよいということも、お話させて頂きました。

しかし、名前に意義があるのは、死後の世界だけではありません。

生きている人間にも名前はとても大切な意味を持ちます。

それは、天命を示す方向性を意味しているからです。

両親は名前をつける際に、どんな子供に育って欲しいのかを願いながら、名前をつけます。

このことは、一つには、子供の人生の方向性を意識していることが伺えます。

自然と名前の意義を知らず知らずのうちに理解しているからこそ、このようなことを意識しながら命名しているわけです。

前置きはこのくらいにして、本題に入ります。

今回から初めての公開となりますが、天命全うを祈念しての道名の授与をお取次していきたいと思います。

これは、一人一人の天命がしっかりと全うされるように道しるべとなるものとして名前を授与致します。

一人一人の天命にちなんだ道名を、その方の守護霊を通じて授与して頂くのです。

名前が授与されると、知らず知らずのうちに天命にそった道筋に引き寄せられるようになります。

私も、「天心」という道名を持っていますが、「天の心を取り次ぐもの」という天命を全うするために守護霊から授与されたものなのです。

俗名には俗名の意義はあるかと思いますが、お取次をする時には、あくまで「天心」なのです。

人にはそれぞれに天命があり(一つではありませんが)、それは今生で全うすべき課題の一つでもあります。

その天命を全うできるように導いてくれるのが、道名の存在なのです。

出家をした僧侶の方は、俗名を名乗らず、この道名を名乗るのは、自らの仏道成就を必ずや全うするぞ!という意志の現れであるといえます。

私達は出家したり、何か特別な生き方をしているわけではありませんが、それでも、天命のままに生きたいと願うものです。

そのために道名の授与を守護霊より受けることは、意義があることなのです。

しかし、ただ単に名前を変えたからといって、全てが改善されたりするわけではありません。のんべんだらりと日々を過ごしていては、道名もただの飾りになってしまいます。

天命を成就するぞ!という固い誓いと信念を持っていなければ無意味であるということです。

これらのことを踏まえた上で、道名の授与のお取次を一般公開したいと思います。

さて、ここで、道名の授与を希望される方に対して、その申込方法をお伝えしたいと思うわけなんですが、この道名の授与に関しては、少し、条件の付与がなされました。

どういうことかといいますと、誰でも彼でも道名を授与するのは、守護霊からの許可がでなかったのです。

本当に意義を知り、本当に求める人でなければ、道名をつけても、途中で天命を挫折してしまうことになるからです。

後、日頃から、守護霊からの指摘として、「あまりにも簡単に取次をし過ぎている。もっと当人に真剣さを求めるべき」というものがありました。

誰にも気がるに相談してほしいという思いがあり、あまり敷居を高くしないようにしておりましたが、度々、このような指摘を受けることが多くなってきたのです。

今までと同様、誰にでも道名を授与する取次をしてしまえば、きっと真剣でなく、興味本位や意義を理解しない間違った心根で申込んでしまう人もいる。

このことを鑑みて、色々、考えて、守護霊にも伺いをたてながら、決定した申込条件をまず、お伝えしたいと思います。

【申込条件】

1.一度以上、天命・過去世調査を受けられたことのある方
2.天命を全うしたいという真剣な気持がある方
3.天命・過去世調査にて、ご寄付を頂いた方


基本的にはこの3つになります。

まず、道名の授与をお取次する場合には、最初に天命の取次をしておく必要があります。
そのため、いきなり道名を授与してほしいと思われても、不可能です。

ですから、まずは、天命・過去世調査を受けられた方が条件の一つになります。

それから、天命・過去世調査において出された天命を本当に真剣に追求していくつもりがある方だけお申し込みして頂きたいと思います。

あまりピンとこない、興味も真剣味も感じない状態で、道名だけ授与されても、意味がありません。

そして、最期に今回は、天命・過去世調査にてご寄付を頂いた方のみが申込できることになります。

通常は、無償であり、一切の料金などを頂いてはいません。(「通常は、無償であり・・・」とありますが、これは2011.04.20時点での方針です。現在はすべてを無償で行うことの問題点などの浮上により、方針は変わっております。但し、根本的な意味合いとしてビジネスライクにならないように、なるべく人の心と心が通じ合う形でありたいという考えは変わっていません。)

これは、物品売買やサービス業のようなビジネスライクなやり取りの中には、真心は薄くなるため、神霊も守護霊も神仏もあまり、真心のこもらないものを受け取ってはくださらないというところがあるからです。

私自身もこの活動は、皆さまの真心で支えられていくのが望ましいと考えておりますし、何かのサービス業や利益追求のような活動にするつもりはありません。

また、無償にすることで、多くの方が申込できるチャンスを作ってゆきたいという想いもあります。

だから今回の道名も、とても迷ったのです。

しかしながら、無償にしてしまうと必ず、真剣に求める心が希薄になってしまう傾向があるのも事実です。

どんなに真剣だと想いをこめても、何の負担もなく手軽に行えるものに、本当の真剣さは生まれない。

守護霊の指摘や、日頃から世の中の動向を観察する中で、分かってきたことです。

そこで、今回の道名の授与の取次に関しては、ご寄付をされた方のみに限定することに致しました。

このあたりの事情をご理解頂ければ幸いです。

他の鑑定に関しては、原則、今まで通りの対応とさせていただきますので、道名の授与に関しては、このような条件になりますことご容赦頂ければと思います。

さて、いよいよ申込方法について記載させて頂きます。


【申込方法】

メールの件名(タイトル)道名の授与
ハンドル名ハンドル名を書いてください
年齢お歳を記載してください
性別男 or 女
天命・過去世調査済 or 未(原則、済でなければ受け付けません)
天命・過去世調査の申込日付申込をした日付を記載してください。
天命・過去世調査にてご寄付をされた日付ご入金された日を記載してください。
ご寄付無 or 有 (今回の道名におけるご寄付の有無)
誓願:道名を授与されるにあたり、精進努力することの誓いの想いを記載してください。

メール送付先:tensin.session○gmail.com ※○は@に変更してお使いください。


以上が申込方法になります。

この活動が皆様の元気となり、幸せな心を生む一つの指針となることを祈っています。


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感応力を磨く神社参拝

時として日常の中で雑多な物事にもまれているうちに、自分の霊体も魂も穢れが蓄積されていることがあります。

私なども霊視・霊感鑑定を続けてゆくと、ご相談者の念や気を受けるために、かなり霊体にダメージを受けてしまうことがあります。

一人一人の念や気は微量なものであっても、それが重なり合い続いてゆくと、結構な量となり、段々と霊体がしぼんできたりします。

毎日、禊祓いをしながら、なんとかしのぎ、騙しだまし、鑑定を続けているわけなのですが、どうしても、それでは追いつかない場合には、神社・仏閣に詣でて大きな力をお借りして、大修祓(だいしゅばつ)を行います。

私は日頃お世話になることが多いのが神田明神であり、仏閣としては、川崎大師ですね。

あと、先祖の供養力という意味では浅草寺に詣でてお力を添えて頂くこともあります。

このように、時々、霊的な修祓を行っていかないと、つぶれてしまいます。

これは、私だけのことではなく、実は皆さんにもいえることでもあります。

特に霊的な事柄にかかわったりしていないにしても、やはり日常生活において、様々な念や気を知らず知らずのうちに受けてしまっているものです。

お仕事をすれば、様々な人間関係の中で、恨まれたり、ねたまれたり、余計な念を受けることも考えられます。

微弱の念かもしれないけれど、これが一年365日、数年にわたり続いてゆけば相当な量の念を受けることになります。

だから、本当は定期的に修祓を行い、清々しい霊体と魂を保っておくのが理想です。

このブログにもプチ遠隔修祓として、音源ファイルを用意しています。

霊力を込めたものなので、本格的な浄霊お祓いにくらべれば効果は小さいかも知れませんが、誰でも手軽にダウンロードして使うことができますので、宜しければ活用して頂ければと思います。

また、きちんと神霊が鎮座している神社に詣でることも一つの修祓となります。

その場合、単にお参りをするのではなく、神霊と感応するつもりで詣でることが大事になります。

どういうことかといいますと、まず、その神社に降り来る神霊に意識を向けるのは、もちろんですが、神社の境内の雰囲気、風の流れを感じ、鎮守の杜の独特な香りを味わういながら、境内の中を散策します。

そうするとその神社の神気と感応するために、大きく霊体と魂が禊されることになります。

ちょっと難しいと感じるかも知れませんが、あまり難しく考えずに神社の雰囲気を楽しみながら神様に語りかけてゆけばいいのです。

最初はよくわからないと思うかも知れませんが、理屈でない感性の部分で罪穢れが落とされて、心地よい幸せでほのぼのとして感覚がわかってくると思います。

神社参拝の昔からの形式も確かに大事なことではありますが、形式ばかりを覚えて、本当の意味で神霊と交流することがなければ、神社参拝の意義は薄れてしまいます。

ちょっと疲れたなと感じることがあれば、穢れが蓄積しているかも知れません。

そんな時には、神社参拝をお勧めします。

是非、試してみてください。



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観音様による先祖供養

先祖供養ということをテーマに様々なお話をさせて頂く中、ご質問を頂くようになりましたので、今回は、先祖供養の方法について少しお話したいと思います。

先祖供養といえば、お墓参りや仏壇にお供え者をして、お寺などで法要を行ったりと様々なイメージがあるかと思います。

宗門宗派によっても考え方や為すべき方法も異なり、一口にこれが正しいやり方というものは、存在しないというのが実情であります。

先祖供養というものは、先祖に対する真心を形で表す。このことが一番大切なポイントなわけで、形だけ供養をしても、実際には意味がありません。

もちろん、真心があるなら何もしなくてよいというのも間違いです。

本当に真心があるのであれば、必ず形を伴って行動に現れてくるはずだからです。

なので、形と心がそろった状態で先祖や亡くなられた方に対する供養をすることが大事になります。

ただ、そうはいっても、具体的な方法がある程度、わからないとこれで本当に供養になっているのかな?と疑問も浮かんできてしまうかも知れませんね。

なので、今回は、一つ、具体的な先祖供養の方ほうについてお話したいと思います。

まず、実際の形式的な部分を細部まで語るのは、このブログの使命ではないと考えますので、細かいしきたり、仏事などについては、お寺様にお聴きするかご相談するのがよいかと思います。

私がこのブログでお話したいのは、あくまで霊的背景を踏まえた上でのソフト面における供養についてです。

つまり、実際のところ祖先霊が霊的環境が少しでも改善されたり、霊層が向上したりするために有効であると思われる子孫にできる先祖供養の方法論であります。

それは何かといいますと観音様による先祖供養の方法になります。

まず、仏壇があればそちらに向かい、祖先霊、または亡くなられた方に対して以下のように語りかけます。

「遠つ御親代々(とおつみおやよよ)の親達、うからやからの御魂達(みたまたち)、また○○様の御魂。まさしくあるべき霊界にての御修行誠に御苦労さまであります。このたびは、子孫を代表して心からの供養をお取次させて頂きます。海のもの山のもの取り揃えて、馳走を準備致しております。どうぞお召になってさらなる霊界でのご修行にお力をお入れ頂きますことを願い奉ります」

このように先祖霊、亡くなられた語りかけます。

そして、いうまでもないですが、供養の場合はなるべく種類多く、供え物を準備してお供えを致します。

お盆や命日の場合は特に、故人の好きだったものを中心にお供えをすると喜ばれます。

単純にお水、線香、お花だけだと寂しいので、ある程度、バラエティに富んだ食べ物を並べるとよいでしょう。

量よりも種類が多い方がいいと思います。

霊界では現世的にみて量が少なくても、足りなくなるということはありません。

量は少なくても、種類にこだわったほうがよいのです。

また、お供えする際の注意点としては、お酒などの飲み物を備える時は、ちゃんとコップについでお供えすること。

そして、果物などもちゃんと切って皿に乗せてお供えするのです。

間違っても、酒瓶をキャップもとらずにそのまま備えたり、果物も丸ごと供えることはしないほうがよいでしょう。

人霊は生前の習慣がまだ残っているために、ちゃんとお食事ができる準備を調えて、箸などもそろえてお供えする方がうれしいのです。

神仏へのお供えは、そこまでする必要はないのですが、ご先祖様は人霊ですから、こういう配慮や気配りが必要なわけです。

それから、ここからが重要ですなんですが、観音様にお祈りを致します。

観音様は正式には聖観世音菩薩と申し上げますが、いかなる状況の人にもあらゆる救いの手を差し伸べるという大発願をされた仏様であります。

観音様の御名をお唱えすることで、たちまちに救済の手を差し伸べてくださいます。

お唱えする場合には、南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)と唱えます。

回数としては36回になります。

唱え方としては、「なーむーかんぜーおんぼーさー」という感じで少し、音を伸ばすような感じで唱えます。

35回まではこのような感じで唱えて、最期の一回は、「なーむーかんざーおんぼーさーつー」と締めくくります。

このようにお唱えした後に、観音様にお祈りを致します。

「聖観世音菩薩様。何卒、父祖伝来の罪と穢れそして咎をお許しください。先祖の犯した罪や穢れを子孫である私○○がなり変わってお詫び申し上げます。祖先たち、○○が霊界にて少しでも修行して霊層向上ができますことように導きください。我が真心からの供養を祖先たちに取次頂きましてありがとうございます。」

このようにお祈りした後に観音経を3回お唱えしてください。

観音経に関しては、5文字ずつの漢文からなる、韻が踏まれた美しい響きを持つ経典です。

その実際の内容はここでは割愛致しますが、書店やネットで調べればわかることと思います。

この観音経には、観音様の偉大な働きが描かれていて、なおかつ言霊の力で観音様のお力が顕現するような仕組みになっています。

お唱えするだけでも、祖先霊の霊層アップ、霊界環境の改善に繋がります。

これらのことを命日、お盆で行うことは、一つの先祖供養になるといえます。

他にも方法は沢山ありますが、一番効果的で誰でもその気になれば実践できる方法として、これらの方法をお話しておくことにします。

また、最期に一つだけ付け加えますと、浅草寺をはじめとする観音様をきちんとお祭りしている寺院で護摩供養を受けるという供養方法もあります。

ご自分で色々と執り行うのが難しいと思われる方は、そういった寺院にゆだねるのも一つの手段であります。

これにて質問の回答そして、先祖供養の具体的な方法論のお話とさせていただきます。



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守護霊の交代について

守護霊という存在は、魂の教育係であると同時に、その人を守護してサポートする存在であることは、既に何度もお話させて頂きました。

神霊である守護霊は、霊覚も高く、生前、学問や教養を身につけていたり、非常に精神も鍛練された方が多いため、非常に崇高な存在でもあるわけです。

霊体も霊覚に応じて大きくなったりしています。

私自身も初めて自分の守護霊様を垣間見たときには、非常に驚きました。

2,30メートルくらいにも巨大化したお坊さんの姿が眼前に現れたので、「おおっ!」と腰を抜かしそうになったのを覚えています。(笑)

霊体は伸縮自在であるのですが、霊覚が高い人ほど、霊体が大きくなる傾向があります。

もちろん、小さくもなれますが、霊力を強く発揮される時は、大きくなることが多いようです。

また、守護霊の生前の職業といいますか、行っていた役割で一番多いのが、僧侶、武将、武士です。

人によっては、神官や牧師さん、行者や学者の場合もあります。

でもやはり、正守護霊はなぜか僧侶が多いように思えます。

昔の僧侶は学問を積み、心の修養をしていた方が多かったからなのかも知れません。

守護霊は神霊ですので、基本的に霊覚の高い方がなるわけなんですが、守護をする人の霊覚をはるかに超えた神霊は、守護霊にはなれません。

これはどういうことかというと、例えば落第すれすれの学生を指導する先生を守護霊として想像してみてください。

学生を指導するためには、先生はその学生よりも優れていることは間違いありません。

大学もきちんと卒業して、教員免許も持っていてはじめて、教師としてとして、学生を指導することができるわけです。

しかし、落第すれすれの学生に、例えばものすごい有名で実力もある大学教授などが指導するということはあまりないですよね?

おそらく、あまりにも実力が高すぎて、高度な知識や教養を身につけている大学教授などの指導を受けても落第すれすれのレベルの学生には、チンプンカンプンで、まったく指導がいきわたらない状態になってしまうはずです。

やはり、学生のレベルに合わせて先生のレベルも調節しないと教育というものはうまくいかないものです。

守護霊もこれと同じようにその人に合わせたレベルの方が守護をするということが原則になるわけです。

霊界の法則という側面から説明しますと、同じ霊層をはるかに逸脱した存在は、霊界を共有することが困難であるということが理由の一つとしてあげられます。

たまに「私には弘法大師が守護霊としてついています」なんてことを言っている人を見かけることがあります。

その人が客観的に観て、弘法大師に近いくらいの素晴らしい学問、教養、霊力を持っていて、人格も素晴らしい方であるならば、そういう可能性も否定できません。

しかし、どう考えても、そのレベルに達していない人であるならば、弘法大師が守護霊につくなどということはありえません。

過度に誇張してアピールしているのか、あるいは、何か善からぬ存在に騙されている可能性があります。

一つの審神の基準になりますね。

話が横にそれましたので、元に戻しますと守護霊は守護をしている人の霊層をはるかに逸脱する存在がなることはないということです。

では、ここで一つクイズを出しましょう。

守護している人が守護霊の霊覚にまで肉薄するほど、レベルアップしてきた場合には、守護霊との関係はどうなってゆくでしょう?

これは、落ちこぼれの学生が一生懸命、勉強して成績も上がり、先生の方も、段々と学生の質問にも答えら得れないような状況になってきた場合を想像してみてください。

学生の学力が上がってきてしまい、落第しそうだったのに、今や進学校への進路も考えるほどに成長したため、今の先生の指導では不足が生じています。

こういう場合は、もっとその学生のレベルに応じた先生に変える必要がありますよね。

守護霊も同じように守護している人の霊覚が向上してきたために、現在の守護霊では指導不足に陥ると判断された場合には、新しい守護霊と交代することになります。

これが守護霊の交代する理由です。

守護霊が交代することで、さらなる魂の向上がなされていくわけです。

守護霊は交代しないといいきる霊能者の方もいらっしゃるようですが、それは、交代するほど霊覚を向上させた人を観たことがないのではないかと思われます。

人が本気で頑張り、努力をして、現在の自分の考え方、教養、志などを大幅に高めていくことで、霊覚が向上して、それに応じて守護霊は交代するのです。

守護霊が交代すると本当に傍から観ると別人に生まれ変わったかのような変化があります。

変化があったから守護霊が交代したともいえます。

そういう意味でも単に現在の守護霊に唯唯諾諾として、教えを請い、指導されるままに生きるのではなく、守護霊のレベルをはるかに超える志を持つということも人生を輝かせるためには、必要な考え方ではないかと思います。


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【報告2011/4/14】神田明神にて追風祈願

すっかり春も真っ盛りで、桜もその艶やかな淡いピンク色の素敵な花を惜しげもなく絢爛に咲かせていますね!

自粛ムードも漂う中、暗くなってばかりはいられないと、気を取り直して、お花見に興じる人達の姿も見かけることが多くなりました。

大震災による被災にあわれた方、そして亡くなられた方のことを思えば、つい消極的になり、おのずと静かな心持ちで過ごしたいと思う方もいたことと思います。

しかし、あまりにも暗き心で沈んでばかりいては、復興に向けての活力を失ってしまうことにもなります。

亡くなられた方への鎮魂、そして、被災にあわれた方に対して、義援金やその他できるかぎりの支援をした後は、元気に日本の国を支えるため日常をしっかりと充実させる努力をするのがよいのです。

どんなに苦しいことがあっても、その苦しみはずっと永遠に続くことはありません。

立ち直る意志のともしびがあるかぎり、私たちは何度でも復活できます。

神霊や神仏も諦めない情熱と邁進努力するその姿により一層の加護をしてくださるはずです。

結局のところ、人の情熱と愛と真心からの行動にまさる神通力はないのです。

さて、本日のブログ記事は、「神田明神への追い風祈願」のご報告とさせていただきます。

大変ありがたいことに、沢山の方がこの私のブログ上での活動に賛同して頂き、また、霊視・霊感鑑定の縁を受けたことへの守護霊、神仏への感謝、真心の気持ちを込めたご寄付をして頂いております。

無償での鑑定が基本であり、ほとんどの方が無償での鑑定である中で、そっと真心を示されているその方達のお気持ちは、軽やかな波動を持ち、本当に清々しい心地がいたします。

守護霊も神仏もその清々しい真心がある人の元へは積極的に折り下ってきて守護を致してくれています。

なぜならば、守護霊も清々しい軽やかな波動の人ほど、近づきやすく、守護も行いやすからです。

単に差別をしているわけではなく、霊界法則として、波長の近い人には近くで守護しやすいということがあるからなのです。

ドロドロの執着心や自分さえよければいいという心根の場合は、近くで守護したくてもできないという事情があります。

常に愛と真心そして感謝の心を忘れずにそれを行動に移す時、守護霊や神仏はそっと力を貸してくれるというわけです。

毎回、神田明神にお参りするのは、ひとつは私の活動を支援してくださている感謝の祈りをささげるためでありますが、同時に真心からの寄付をして頂いたことに対する神様への報告もしています。

ご寄付の一部からお玉串を捻出して、献灯を行い、それ以外にも適宜、お玉串を捧げ、最近では義援金を募る募金箱にも寄付させて頂いています。

毎回、ご寄付を頂いた場合はこのようにさせて頂いています。

ご寄付は皆さまのご入金のタイミングが異なるという事情もあるため、ある程度、集まった時を見計らって、神田明神を参詣して、お玉串、義援金へとさせて頂いている次第です。

大体、月に1度は最低、神社へ伺うことにしています。

さらにご寄付を頂いた方への格別なる守護と幸福の到来の祈願をさせて頂いております。

真心に準じた幸運の追風を与えて頂けますようにとお祈りしているのです。

このように取り計らうことによって、少しずつ運を添えて頂いています。

是非、ご寄付をされた方は、「神田明神様。幸運の追い風を授けて頂きまして誠にありがとうございます」とお祈りしてみてください。

より、追い風が来ていることを肌で実感できることと思います。

霊界の法則は、意識を向ければ感応するというものです。

このような祈りをささげることで、より強く幸運の追い風をうけることができるはずです。

そして、私も、出来る限り、ご寄付をされた方の真心にお応えするため、より意識を持って頂き、少しでも幸福を享受される方が増えますことを願って、記事にてお話をさせて頂いているわけです。

この場を借りて、ご寄付の感謝を伝えさせて頂くと同時に、幸運の追い風が届きますことを祈念いたしております。



天心 拝



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霊能力のメカニズム3

霊能力のメカニズムについてのお話の第三段になります。

前回は、霊能力の原則2についてお話を致しました。

簡単におさらいすると霊能力とは、中間役の霊的存在が支援して成り立つということをお話したわけですが、その中間役には眷族神によるものと、守護霊によるものとなどがあることをお話させて頂きました。

一番、高次元で安全な霊能力は、守護霊からの支援を受けるタイプのものであることがわかりました。

眷族神の場合は、天命や人生の意義からはずれた方向に導かれてしまう可能性があるということでした。

これを踏まえた上で、原則3についてのお話をしてゆきたいと思います。


原則3 霊能力に正邪あり

霊能力と一口にいっても様々な種類があることは、なんとなく想像できたかと思いますが、ここで重要なこととして覚えておいて欲しいのは、霊能力には正しいものと邪なものがあるということです。

皆さん、霊能力というと不可思議な力をイメージして、ありえない奇跡を見せてくれるものが凄い能力であると思われている方があまりにも多いような気が致します。

目に見えないものをはっきりと視たり、知りようのないことを言い当てたり、とにかく願望成就の力が強かったりとわりとはっきりとした現状で確認できるものほど、凄い霊能力であると思っている傾向があります。

私も霊視、霊感鑑定にて、「なんでそこまでわかるんですか?」「どうしてそれがわかったんですか?」というような驚きの声を頂くことがあります。

誰でも、知りようのないことを指摘されたりすると、驚くわけですね。

しかし、私は、一度たりとも、相手のことを言い当ててやろうとか、探り当てて驚かせてやろうと思ったことはありません。

ただ、守護霊様との交流の中で、取次させて頂いたことをお伝えしたり、咀嚼して解説をさせて頂いているにすぎません。

ご相談者の方が喜んでおられるし、よいことなのかなと思う一方で、正しい認識を示さなければいけないのではないかと考えていました。

仏教の言葉で「正法に不思議なし」という言葉があります。

これは、正しい法というものは、やたらと不可思議なことを行ったりすることではないという戒めの言葉でもあります。

仏教経典などを紐解くと、ずいぶんと奇跡的なことが発生をしている描写が見受けられるのですが、本来の仏教の教えは、そういった不可思議なこととは別にありますよというのがこの言葉の大意ではないかと思います。

また、儒教のおしえを広めた論語などの古典にて有名な孔子「怪力乱神を語らず」という言葉で、人々が不可思議なことにとらわれないように諭していたりします。

霊能力というものも、本来は、とても自然な形で現れる能力であり、やたらと不可思議なことを行おうとするのは、本来の道からははずれているといわざるを得ません。

不可思議ばかりを求めているといつの間にか、そういった不可思議ばかりを求める、霊界と感応することになります。

そうなると神霊や守護霊とは違う、邪な存在が憑依して、不可思議な現象を見せたり、霊能力を支援したりしはじめるのです。

このような邪な霊による霊能力が身に着くと、言動や行動がおかしくなったり、社会常識的を無視した行動をとるようになったりします。

恐ろしい災害の予言をこれ見よがしにしてみたり、傲慢で人を見下すような言動をとったり、社会的に見て、言っていることが大きく逸脱してきたりするのです。

世の中に霊能者や占い師、スピリチュアルな方々は沢山いらっしゃいますが、言動や行動、その人の社会性が傍から観てあきらかにおかしいという場合は、注意が必要です。

本人も気づかぬうちにおかしな存在にあやつられて霊能力の虜になっている可能性があります。

そして、そんなおかしな霊能者と関わり合いを持つと、相談した人間もおかしな方向にミスリードされてしまいます。

とても哀しいことですが事実です。

ですから、霊能力というものは、あくまで自然であり、その人が前向きに生きるための助力であり、ヒントであるものであるのが正しいものであるといえます。

これみよがしな不可思議を強調する霊能者には気を付けた方がよいでしょう。

正しいものと邪なものを見分ける方法を審神(さにわ)といいます。

この審神がきちんとできないとおかしな霊能力に惑わされてしまう結果になってしまいます。

審神については、この記事ではとても説明しきれませんので、別の機会にゆずりますが、原則3としては、霊能力には正邪の別があることを認識しておいてください。



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先祖と子孫は二人三脚

先祖供養に関するお話も第三回目を迎えましたね。

前回は、戒名のお話をさせて頂きました。

ご先祖様や亡くなられた方にとって、戒名がいかなる意味を持つのかという点をテーマにお話させて頂いたわけです。

もともとお寺の檀家に入られている方や、身心深い方にとっては、先祖供養は身近なものであったりすると思いますが、最近では、無宗教であったり、現実主義、合理主義が近代的な考え方であるとされている状況を考えますと先祖供養といわれてもピンとこない方もいらっしゃるのではないかなと思います。

「そもそも、なぜ先祖供養などしなければならないのか」
「子孫である私に先祖が影響をなぜ与えてくるのか。迷惑であるし納得いかない」


このように感じる方もいらっしゃるかも知れませんね。

先祖は立派な功績や功徳(正のエネルギー)を積まれた方は、亡くなられた後も上部霊界で輝く存在となって活動をされているわけですが、あまり良い所業を行わなかった(負のエネルギーをため込んだ)ご先祖様は、下部霊界にて、あまり宜しくない状況で生活をされています。

下部霊界のご先祖様は、あまりにもヒドイ環境であるために、家系をたどり子孫を頼ってくるわけです。

下部霊界のご先祖様に頼られると、子孫の方も下部霊界の影響を受けるので、なかなかパッとしない人生を歩むことになったりするわけです。

こういうお話を致しますと、「冗談ではない!なぜ、自業自得で下部霊界に逝ってしまった先祖に迷惑をかけられねばならないのか。納得できない」と感じるかも知れません。

確かに、自分の行いや心根で、不幸になっているならば、自業自得と納得もできるものの、誰かのせいでそうなっていると思ったら、なんだか釈然としないのも無理はないのかも知れません。

しかし、これは、先祖だけの問題であるとは言いにくい部分があります。

霊界から霊人が転生して現世に生まれてくる時には、もともとある正のエネルギー、負のエネルギーをともに背負った状態で生まれてきます。

そして、その背負ったエネルギーと同等の波動を持つ家系に引きつけられて、生まれてくるわけです。

いくら、裕福で幸せな家庭環境を持つ、正のエネルギーに満ち満ちた家系に生まれたいと考えたとしても、己の持っているエネルギーと同等のものと感応するという法則が働くために、その法則を越えた家系を選ぶことはできないわけです。

他の記事でもお話した霊界感応の法則であります。

自分の霊界と同等の霊界を持つ家系にしか生まれることはできないわけです。

そういう意味では、自分の生まれた家系がどんなに劣悪と思えるものであったとしても、それを一概に先祖の責任と言い切るわけにはいかないのです。

ですから、下部霊界の先祖がいるということは、自分にもどこか、その霊界に感応してしまう要素があると考えるのが妥当であるわけです。

家系というものも一つの霊界であるといえるのです。

さて、先祖と子孫の関係は家系という一つの霊界でくくられているわけですが、これを霊線といいます。

先祖と子孫を結ぶ、ひとつのリンクであり、紐であります。

先祖の霊界の影響を子孫が受けるのは、この霊線の存在があるからです。

逆にいいますとこの霊線の存在により子孫の状態も先祖の霊界に影響を与えています。

子孫が現世にて一生懸命、霊層を上げるような、正のエネルギーをため込むような行動をとればとるほど、霊界の先祖は、その影響を受けて、霊的環境が改善されることになります。

真の供養を行うことも、この霊線の存在があるために、先祖の霊的環境の改善に役だっているというわけです。

この霊線の存在と法則があるがために先祖の霊は、子孫を頼ってくることがあるわけです。

時として、先祖霊達は背後霊団を形成して、子孫に働きかけることがあります。

これは守護霊団とは異なり、イレギュラーの非正規グループです。

子孫にもっと頑張るように戒告を与えたり、時には助けることもあります。

しかし、守護霊団と違い、教育のためというよりは、子孫にしっかりと霊層を上げる努力をさせることで、自分らの霊層も上がってゆこうとする目的であることが多いのです。

あとは、子孫が単に情的にかわいくて仕方がないので、守護をすることがあります。

ちょうど、孫がかわいくて、ついつい、おこずかいを沢山、あげてしまったり、何かを買い与えてしまう祖父母の行動に似ています。

そういう霊界事情がありますので、先祖霊という存在は、何かと影響を与えてくるといえるのです。

先祖供養の究極は、子孫がしっかりと霊層をあげること。正のエネルギーを蓄えること。

これにつきるわけです。

これに加えて、お盆や命日の供養を行えば、なお良いということになるます。

先祖と子孫は霊線により二人三脚を歩んでいるといえます。

先祖の霊層を上げれば、その影響は子孫にも届き、子孫の人生も改善されてきます。

同時に子孫が霊層を上げれば、先祖も霊的環境が改善される。

このことを理解したうえで、先祖という存在に向き合ってゆく必要があります。

きっても切れない先祖との関係。

これをうまく活用して、人生を輝かせていくことが大事なことであるということです。



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霊能力のメカニズム2

霊能力のメカニズムについての続きです。

前回は、原則1までお話させて頂きました。

少しおさらいしておきますと、霊能力は意識の法則に従うという原則があることをお話致しました。

霊的な事柄に意識を向ければ向けるほど、霊界に感応が起こり、霊的に鋭敏になるというのが、この原則の骨子であります。

とりわけ霊感と呼ばれるものは、意識を向けることで磨かれてゆくことがわかります。

この原則から言えることは、正しい存在(守護霊、神仏、神霊)に強く意識を向ければ、正しい霊感が磨かれるということです。

古来、霊感を磨く方法として、古神道や密教、修験道などで様々な行法が伝えられていますが、一番、中核をなす原則は皆、同じであり、この原則を軸に方法論が展開されています。

もちろん、単に霊的感性を磨こうというだけでなく、そこに宗教上の哲学や考え方、イデオロギーが付加されたことによって、それぞれに個性を持たせているわけです。

私がお話している内容は、あくまで偏りをなるべくなくし、その一番骨組みのところであるといえるかも知れません。

最近では、自ら霊能力を身につけようとする方もいらっしゃいますが、まず、この原則を踏まえる必要があります。

そうしないと単なる形だけの行法や儀式を行うことは、時として危険である場合があるからです。

なぜならば、いかなる霊界に感応するかによって、どのような種類の霊能力が開花されるのかが決まってくるからです。

よくわからない、古来から伝わる修行法や儀式を実践すると、その背景にあるよくわからない霊界に感応してしまします。

そうしますと、怪しいおかしな霊界をバックボーンとした霊能力が開くことになり、危険なのです。

常時、おかしなヴィジョンや幻聴が聞こえるようになったり、考え方も社会性を逸脱したり、常軌を逸した行動をいつの間にかするようになることもあります。

そのため、「○○を殺せ!と神が命じた」などと言って、凶悪な事件を起こす人や「世界は滅亡する!」などと恐ろしく人を不安にして、解決策を示さない予言をしはじめたり、「私は救世主だ!」とあまりにも荒唐無稽なことを喧伝し始めたりするようになったりします。

時折、このようなことを口にする霊能者がいますが、注意が必要です。

おかしな霊界を背景に持つ霊能者は、まるで伝染病をまき散らすように、人々に社会性を逸脱した行為や怪しい行動をとらせるような霊波動をまき散らしています。

このような霊能を身につけたばかりに人生を棒に振り、魂を歪めてしまうのは、本当に哀しいことです。

正しい霊感を得る大切な方法は、社会性を尊重し、常識をわきまえながら、日々、進歩向上しようとする明るく前向きな生活を送ることにあります。

そして、日々の生活の中で守護霊や神仏と交流しながら、良い霊界の波動を受けることで、自然な形で磨かれてくるのです。

おかしなヴィジョンが常時見えたり、怪しい予言、人を不幸にするような、断定的で、悲観的なメッセージを守護霊や神仏が与えることはありません。

一生懸命に努力して、祈りの生活を送る中で、自然な形で、ヒラメキを与えてくれたり、ふっと励ますような言葉が浮かんだり、選択に迷った時にふと選びたいなと思ったものが実は一番、その人にとって大事な選択になる。

このような形で現れる霊感は正しい霊感の姿であるわけです。

次に原則の2をお話致します。


原則2.霊能力は、中間役的な存在により取り次がれる

霊能力といいましても、様々な種類がありますが、その違いは、背後で力を貸す存在によっても変わってきます。

よく、単に病気を治したり、失せものを探し出したりするのが得意な霊能者がいます。

これは、背後から白蛇神稲荷明神などからの支援を受けて、霊能を発言しているケースがほとんどです。

特徴としては、現実的な御蔭や霊験が強く、小さな範囲で影響を及ぼすことが多いといえます。

ちょっとした小金が手に入ったり、病気がよくなったりするわけです。

但し、あくまで局所的な現れ方をする場合がほとんどで、太極観はありません。

人生を先々まで見通したり、魂の成長や脱皮という人類共通の大命題については、ほとんど関係してこないのが実情です。

ただ単に、御蔭や霊験を表すことが多いゆえに人としての魂の成長を阻害してしまうことも多いといえます。

次に同じ眷族神でも天狗や龍神、龍王の支援を受けた霊能というものがあります。

これは、御蔭や霊験というもののスケールが異なってきます。

病気治しなども行いますが、ちょっと回復するというレベルを越えて、難病が治ったり、死にかかっている人が助かるというレベルの現れ方をします。

龍神の場合は、天候もある程度、操作したり、組織レベルでの宗教団体の教祖となるくらいのカリスマ性を発揮したり、人を魅了する力が発揮されることが多いようです。

範囲もパワーもけた外れなのが特徴といえます。

こちらも同じように魂の成長を阻害する可能性があります。

あまりにもパワーが強いために、その力に振り回されたり、我を失って強権を振るい、傲慢になってしまう可能性が高いのです。

現実的な御蔭や霊験があったり、天地も動かすほどのパワーなんて聞いてしまうと、「凄い!」と有頂天になって、その力を欲したりするようになりがちです。

人情的にはわかりますが、これらの眷族神からの霊能は、得てして人間として本来の成長や学びの機会を奪い、本来の人生の意義を全うできない事態に引き込んでしまう場合もあります。

私、個人としては、あまり眷族神からくる霊能とは関わりたいと思いません。

これらの霊能をもったために魂を曇らせ結果的に負のエネルギーを積み上げてしまうことになってしまえば、大局的に観て悲惨この上ない状況に追い込まれることになるからです。

では、例によって正しい霊能を支援する中間的存在とは何かということになるわけですが、これは、ひとつには守護霊の存在があります。

守護霊はいわずもがな、神霊であり、魂の成長と学びを第一義としている存在です。

決して、本人の魂の成長から外れたり、結果的に不幸になるような方向に導くことはしません。

一番、安全で、それでいて頼もしい存在であるといえるのです。

ですから、あまり滅多なことで眷族神や他のいわれのわからない中間役の霊的存在をあがめるのは、危険でありますので、そのようなことに手を出すことよりも自分の守護霊との交流を深めてゆくことが、一番、安全な霊能力に繋がるということがいえます。

守護霊様と普段から交流していると、自然と道が正されて、一番良い方向へ導いて頂けます。

これこそ、本当の意味で人を幸せに導く霊能力であるといえるでしょう。


今回は原則2についてお話させて頂きました。

次回は原則3についてお話したいと思います。


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霊視・霊感鑑定の感想を頂きました!

こんにちは!東北・関東大震災から早くも一カ月も経過してしまいましたね!

まだ、問題は沢山あるものの、少しずつ、平静の様相を取り戻そうと国民が一丸となって頑張っている時です。

未曾有の国難ではありますが、それに負けずに明るく前向きに復興に向けて頑張ってゆくほかありません。

不平不満を言う前にやるべきことをやってゆきましょう!

というわけで、本日もブログの更新を楽しんでやってゆこうと思います。

今回は、霊視・霊感鑑定を過去受けられた方からの感想を発表させて頂きたいと思います。

ブログを読んでいて、霊視・霊感鑑定に興味はあるけれど、どうなのだろう?という疑問に少しでも答えるものとなれば幸いです。


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ハルです。

では、感想文を書かせていただきます。

まずはじめに相談してメールを頂いた時思ったのが、私の性格をズバリ言われたのでビックリしました。

なので、信頼できました。

誰にも明かしてなかった友人関係がうまくいかなかった理由が初めてわかり、頂いた文章により、私の深くトラウマになってしまっていた心を少しずつほぐし癒してくれるようでした。


そして、またしばらくすると別の心配ごとが頭をよぎるようになり相談しました。

「幸せイメージをまず3カ月持つと突破口が見えてくる」と言われたのですが、はじめは周りの事を考え、自分が幸せな未来をつかむことを2の次にしていて、なかなか幸せな未来を想像できなかったのですが、徐々にイメージを作り出すことができるようになりました。

これにより、自分も幸せになっていいんだって思えるようになりました。


またしばらくして別の相談をしました。

今の家庭問題です。

その時、現実と理想の話を教えていただきました。

理想はいつもあとから追いかけてくるものだと。

理想を現実にしてしまったら、それはもう理想ではなくなり現実だと。

どのような判断をしても間違いではないが、不平不満をもった心ではいい結果は出ない事。

心根の持ち方が問われていること。

納得できました。

私にとっては、どのような悩みもこの文章を読み返せば乗り越えられる気がして、とてもありがかったです。


最後に過去世調査です。

私にとっては自分を犠牲にして生きることが天命なのか、自分の考える生活を実現していくのが使命なのか、どちらでも自分は生きていけそうだけど、どうすべきかわからずにいたので、過去世を教えていただき、自分なりにこの先の道の在り方を考えることができました。

全体を通して思ったことは、天心様からいただく文章は、筋が通っていて、理解しやすく、丁寧に教えていただき納得できるといったところです。

そして優しさを感じます。

いろいろな言葉や言い回しも使っていて知的だとも思いました。

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以上が頂いた感想の全文です。

この他にも沢山の方からのフィードバックがあります。

これからは、随時、ご紹介させて頂いていこうかと思います。

感想をお寄せ頂いたハル様には、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。


天心 拝



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霊能力のメカニズム

今回は、新たなカテイゴリとして「霊能力」というテーマを追加してお話してゆきたいと思います。

私自身は、あまりこの霊能力という言葉は、あまりしっくりは来ていないのでありますが、多くの方になじみの深い言葉であることから、トピックの名称として採用させて頂きました。

霊能力といいましても、あまたに種類も存在しております。

昨今では、有名な方を上げれば江原啓之氏などがいらっしゃいますね。

スピリチュアルカウンセラーという言葉を確立して、オーラを視ることでその人の状態を把握されたり、亡くなった方と交信してその言葉を伝えたりされています。

彼のこの能力は霊視霊言と呼ばれていまして、霊的なものをヴィジョンとして視覚的にとらえることができます。

後、霊の言葉を取り次いで、生きている家族に伝えることができる能力が霊言ですね。

言葉を伝えることで、想いを残していた霊の執着を緩和して、生きている人には、癒しを与えているわけです。

カウンセリング的要素が強いため、スピリチュアルカウンセラーとはよく言ったものです。

ただ、オーラや霊視、霊言というものは、別に真新しいものではなく、昔から存在していた能力ではありました。

彼の特徴的なところは、昔ながらの霊能の抹香臭さや宗教色を取り払い、あくまで癒しに特化したところにあるのかも知れません。

もう一人、有名な方をご紹介しますと青森の神様こと木村藤子氏ですね。

この方もよくテレビなどに出演されていますから、きっと読者の方も御存知ではないかなと思います。

この方は、江原氏とくらべるとやや神道系の宗教的な系統の霊能者の方でありますね。

ずっと神様と交流しながら、お告げをもとに透視や霊視を行っておられるようです。

彼女の場合は、おそらく、祖先から受け継がれてきた神様と交流する中で、失ったものがどこにいったのかを当てたり、今後、どのように未来が進んでゆくのかを観通す力があるのでしょう。

予言的な力を色濃く感じます。

さて、特に有名な方を例にあげさえて頂きましたが、霊能者と一口にいっても本当に様々なタイプの方がいらっしゃいます。

私は記事の中でもお話させて頂いておりますが、霊界の真相はどこまでも広く、深いということが、様々な霊能者を観ているとわかってくると思います。

なぜなら、誰一人として、全く同一の霊界の実相を語る方はいらっしゃらないということです。

それぞれに表現に個性があり、見え方やとらえかたが千差万別であるからです。

このように皆それぞれ言うことがバラバラであるから、話を聞く人は何が本当なの?と混乱してしまうこともあるかと思います。

しかし、これはある意味仕方のないことです。

例えば、遠く宇宙から宇宙船に乗って、他の惑星の人が地球にたどり着いたとします。

平たく言えば宇宙人です。

偶々、着陸したところが日本であったとします。

宇宙人はきっと、「地球とは海に囲まれた小さな島が一つあるところだ。住んでいる人は黒い髪に黒い目をしている」とこのように感じるでしょう。

しかし、他の宇宙人が、欧州などに宇宙船を着陸させたとしたらどうでしょうか。

「ああ、ここの惑星の人は、皆、金色の髪で青い目をしている」と思うかも知れません。

そして、皆、それぞれが見聞した地球の感想を故郷の惑星に帰って語ることでしょう。

地球に行ったことのない、宇宙人の惑星の人達は、「地球ってよくわからない場所なんだね」と思うことでしょう。

あまり良い譬え話ではありませんが、このことから言えるように霊界は広大無辺で、全てを把握することは不可能なものなのです。

ですから、霊能者の方がいう霊界観はあくまで、その一部であると認識しておくことが大事であります。

かくいう私自身も霊界探索などを行った記事を時折アップさせて頂いておりますが、これとて、霊界のごくごく一部の実相に過ぎないのです。

だから、私は自分のいうことが全て正しい!などと主張する気はまるでありません。

少しでも霊界に関する見聞を深める手助けになればいいなという思いがあるだけです。

さて、例によって、前置きが長くなりましたが、早速、霊能力のメカニズムについてお話したいと思います。

このテーマ、話はじめたら、終わりがないくらいに深いものになってしまいます。

ですから、まずは、本当に基本的な原則部分だけを今回はお話したいと思います。


原則1.霊能力とは、意識の法則に従う

よく霊感がある、霊的感性が鋭いと呼ばれる方がいらっしゃいます。

霊が見えたり、霊の気配を感じたりすることができるわけです。

こういうことがなぜ起こるのかといいますと、霊の世界に意識を向けているからなんですね。

霊界というものは、意識すると感応する。すなわちテレビのチャンネルを合わせるとそのテレビ局の番組を視ることができるのと同じ要領で、霊界と繋がるということなります。

霊感が強い人は、必ずといっていいほど、霊的なことに関心を持っています。

「あっ肩が重くなった。これは霊が憑いているかな」「自分にはどんな霊がついているのかな」

などと意識を霊的なことに対して向けているわけです。

意識を向けると霊界と感応しやすくなるため、霊的に鋭敏になってくるのです。

十中八九、霊に敏感という方は、このパターンに当てはまります。

私は、よく霊障には意識を向け過ぎないようにとアドバイスをさせて頂くことが多いのですが、これは、霊界に感応させないことで、霊障にチャンネルを合わせないようにさせるためなのです。

譬え電波が飛んできていても、チャンネルを合わせなければ、番組が映らないテレビと同じように霊界のことも意識を向けなければ、霊的な気配も気にならなくなり影響が少なくなります。

但し、反論として、「生まれてから霊を意識する間もなく、既に霊感がある場合もあるのでは?」という意見もあると思います。

この場合は、過去世などで霊的な事柄にかかわっていた可能性が高いです。

今生でも霊界に興味があり、引き続き探求することになるので、益々、意識が霊界に向くことになります。

そして、結果的に霊的感性が益々磨かれるわけです。

これが霊能力とは意識の法則に従うというゆえんです。

意識を向けると霊界に感応するわけですが、問題は、自分に悪影響を与えるような霊の存在や下部霊界に意識を向けることであるので、逆にいえば良い霊界や神霊や神仏に意識を向けることで、良い霊界に感応することができます。

そういう意味でも霊障や悪霊に意識を向けるのではなく、守護霊や神霊、神仏に意識を向けることで、良い霊界が形づくられます。

霊能力の意識の法則を踏まえた上で、まずは、良い霊界に感応することを目指してゆくことが大事であるのです。


今回は、まず原則1だけお伝えいたしました。

次回は、原則2のお話をしたいと思います。

お楽しみに!



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矛盾を越える心

昨夜は、またまた大きな余震が発生致しました。

宮城県沖でマグニチュード7.4であったらしく、三月十一日以降で、一番大きな規模の余震であったかと思います。

一部地域では津波警報も出されて、あの日の悪夢が再び呼び起されました。

しかし、死人は出ておらず、原発も今のところは以上はないとのことで、なんとか災害を最小限度に抑えることができたようです。

読者の皆様も余震にはくれぐれもお気をつけください。

さて、本日は、「矛盾を越える心」というテーマでお話をさせて頂こうかと思います。

人生には、どちらを立てればどちらかが立たないといった二律背反の状態が少なからず存在します。

例えば、子供の頃や学生時代は、青春真っ盛りで、その時の感性でしかわからないこと、感じられないことがあったりしますよね。

若い時は、友達と遊んだり、恋をしたり、本当にやりたいことが沢山あるものです。

でも、同時に将来のことを考えたら、しっかり勉強したり、何か自分のスキルになるようなことを磨いたりすることに時間を注いだ方が、よいという考え方もあります。

勉強に精を出せば、友達と遊んだり、恋をしたりする時間は当然、少なくなりますし、制限を受けます。

一方で、青春時代というものは、かけがえのない時間であり、その時にしか得られないものもあるわけです。

どちらかを選べと言われても、とても、悩みますよね(笑)

どちらが正解というわけでもないですし、どちらを選ぶのも自由です。

しかし、両方選ぶというのは、なかなか難しい。

まさに二律背反な矛盾の中で葛藤をすることになります。

人が負のエネルギーを蓄えてしまう一つの大きな要因に悩みを持ち続けるということがあります。

悩みとは、言霊的解釈でいうと汝(な)の闇(やみ)でありまして、心が曇って真っ暗になるから、負のエネルギーを呼び寄せ、蓄えてしまうというわけです。

矛盾を抱えている状態を長く続けていると、悩みが増えてしまいます。

では、どうしたら、この悩みの状態を解除することができるのでしょうか。

一つは頭で考えて行動するのを止めるということが挙げられます。

人は得てして、全てのことを100%完璧にやらねばならないと思いこんでいるところがあります。

中途半端はいけませんよと言わんとばかりに、全部を完璧に成し遂げようとしてしまうわけです。

青春時代は、一度しかないからと遊んでばかりいる人もいれば、将来のことばかりを頭に描いて、勉強ばかりをする日々を送る人もいます。

でも、どちらも中途半端でもかまわないから、自分なりに一歩踏み出してバランスをとってみることで、矛盾は解消してゆくものです。

頭で考えてどちらが良いのか、どちらが正解なのか、自分の道はなんなのかと考えこんで足がすくんでしまっているから、矛盾する状況の中で、悩みが生まれてしまうわけです。

最初にもお話しましたが、人生には矛盾が付き物です。

矛盾を含まない人生というものは存在しません。

矛盾を越えてゆくためには、頭で考えて決めつけないこと。

自分のバランス感覚を信じて、一歩踏み出してゆくこと。

これがまずは一つのポイントとなります。

悩み過ぎてしまうのは、全てを完璧にやろうとする心であり、頭で全てを判断してしまうところにあります。

そこをまずは改めていくことが大切です。


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【守護霊問答】傷つきずらい魂となるには

こんにちは!


天心です。

本日はとても暖かいですね!

日中の最高気温は東京では20℃になるそうです。

桜も満開になっているところも出てきたようです。

上野公園などでは、今年のお花見は自粛を呼びかけられていて、例年のような賑やかさはないのですが、それでも桜は元気に咲いています。

どんなに辛いことがあっても、必ず時期が来れば美しい花を咲かす桜のように私たちも、いつか大輪の花を咲かせたいものですね。

さて、今回は、久しぶりの【守護霊問答】です。

テーマは、<傷つきずらい魂となるには>でお送りしたいと思います。

スピリチュアルなことに興味があったり、霊感体質であったりする方に共通する傾向としては、非常に繊細な心を持っているということがあります。

繊細さというものは、感性が鋭く、様々なことに触れて受け取る情報が沢山あるという言い方もできるかも知れません。

他人が何の気なしに見過ごしている事柄も、鋭くキャッチして把握してしまう。

そんな鋭敏な感性を持ち合わせている人は、魂も傷つきやすかったりします。

魂というのは、その人の本質的な部分であり、そこには本当の姿や性質が詰まっています。

本来、魂のままに自分を表現できていれば、皆、幸せを感じ、誰一人として不幸を感じることはなくなるわけです。

しかし、実際のところは、そのようにうまくはいかないのが現状のようです。

なぜかというと、魂を覆っている存在があります。

それが霊界というものです。

この霊界というものが、多かれ少なかれ、魂というものに影響を与えてしまっています。

霊界が魂に悪影響を及ぼしている状態を私は魂の傷と呼んでいます。

現実的な解釈をすると自分らしい行動、言動ができない、いつもクヨクヨしてしまう。

こういうように捉えることができるかも知れません。

今回は、この魂の傷がつきずらい、すなわち悪影響を及ぼす霊界をつくらないためにはどうすればよいのかという観点で守護霊に質問を投げかけて答えて頂きました。

自分が傷つきやすいと感じる方の何かの参考になれば幸いです。


天心:「守護霊様。今回は傷つきずらい魂ということについてお伺いしたいと思います」

守護霊:「魂は自ら傷つける。他によって傷つくものにあらず」

天心:「どういうことでしょうか」

守護霊:「魂の傷を負いやすいものは、皆、外側ばかりを観ておる」

天心:「外側ですか?」

守護霊:「如何にも。誰それがどうした、何某が何を言った、全ては他のことばかりである」

天心:「確かに傷つけられたと感じる時は、いつも他人の存在がありますね」

守護霊:「その通り。まずはこの幻想を止めねばならぬ」

天心:「ちょっと待ってください。私は、魂の傷は他人の言葉や行動を必要以上に感性で受け取ってしまうために傷がつくと思っているのですが、間違っているのでしょうか?」

守護霊:「一見正しく思えるが、実は心得違いをしておる」

天心:「心得違い。。それは何なのでしょうか」

守護霊:「日和見主義の己を無視して、他に原因を求める心を正当化してはならぬ」

天心:「日和見主義?」

守護霊:「あちらにゆけば安全よ、こちらのほうは都合が悪い。自己中心的に自分の都合ばかりを求めて右に左に揺れ動く。この心が魂に傷を与えている」

天心:「確かに私たちは、自分の都合で動いてしまいますね。いつも自分に都合のよいものを選択したいと思って、道を選んでいるような気がします。でも、それは普通のことではないのですか?」

守護霊:「魂を曇らすものは、常に自分の都合で他を解釈しているのだ。他の行動、言動、どれも他の意志があり、都合がある。同じように自分の行動、言動に主体性がなければ、いつだって魂は傷つき曇るだろう」

天心:「それは、他人をあまりに意識して、自分の都合で解釈している他人の言動に振り回されずに、自分の主体性をしっかりと持っていれば、魂を傷つけることはないということでよろしいでしょうか」

守護霊:「その通り」

天心:「つまり、他人を気にし過ぎている自分が自分の魂を傷つけたいたということなのですね」

守護霊:「如何にも」

天心:「う~ん、しかし、なかなか他人の言動を気にしないって難しかったりしますよね。何かよい方法はありますか?」

守護霊:「第一に日和見主義をやめることである。決めたこと信念沿って生きる癖をつける。第二に腹の底から無理やりにでも他に対する愛と真心を捻りだし向ける。自己中心のエゴが魂を曇らせる要因となる。第三に<私はいつも私らしく何物にもゆさぶられず魂のままにふるまい、少しも曇ることがなきものなり>の言霊を常に口にすべし」

天心:「あれこれ、他人の顔色をみたりしないで、自分で決めたことをやりぬける、愛と真心を他人にも向ける、そして、最期はマントラですね!」

守護霊:「実践履修すれば必ずや魂の強きものとなるであろう」

天心:「わかりました。ありがとうございました」


以上が守護霊問答になります。

読者の皆様の何かのヒントになることを願っています。



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過去世を知る意義

最近、霊視・霊感鑑定のルール改訂に伴い、鑑定メニューの中に過去世 *1 の鑑定も含まれるようになりました。

以前も、お話したとおり、私の基本的なスタンスは、過去世よりも現世であり、今生を輝かせて、天命を全うすることの方が、より重要であると考えています。

単なる興味本位での過去世を知る意義は、あまりないといえるからです。

それどころか、過去世が素敵なものであれば、何か自分が凄い人になったような気になってしまったりして、今生の自分と向き合わなくなる可能性もあります。

逆に悪行の限りを尽くしたような過去世が出てしまった場合に、ショックを受けてしまうかも知れません。

過去世を知って一喜一憂するのは、愚かなことです。

なぜなら過去世がどうであれ、今生の人生を充実させて、日々、夢と希望を持って歩まなければ何のための人生なのかということになってしまいます。

だから、本来は知る必要はないのかなとも思っていました。

しかし、思いのほか、多くの方は、過去世というものに大変な興味を頂いています。

自分の霊的なルーツを知りたい、探りたい、これは誰でも心の底で持っていることなのかも知れません。

単に意味がないと一蹴してしまうのも、つれない態度ではないかなと思い始めたわけです。

そこで、興味本位だけに止まらない意義深い内容にするために、過去世をお知らせする時には、「天命」を中心に据えて、補足的な意味合いで関係の深い、過去世の調査を行うことにしたのです。

天命・過去世調査をお申し込みになる場合は、必ず天命ありきで考えて欲しいと思います。

過去世を知って、一喜一憂するのは、意味がないので、まずは天命を知り、その意義を咀嚼して、その上で自分の過去世の意味を考える。

こういうスタンスが正しい過去世への向き合い方であるといえます。

お申し込みになられる方は、ここを理解した上でお願いしたいと思います。

また、守護霊や神仏が許可してくれて初めて、天命も過去世もわかります。

必ず、守護霊や神仏に感謝の祈りも忘れずにして欲しいと思います。

人としての真心や感謝なくして、人生を良い方向に改善することは、できないのだということも理解して頂ければと思います。



*1 過去世とは何かということについては、以前の記事「過去生と現生の関係」を参照してください。



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守護霊が大発動するための秘訣

守護霊は、いつも24時間、365日間、私たちを守ってくれていますというお話を以前、させて頂きました。

同時に、いつもべったりとくっ付いて守護してくれているわけではないというお話もさせて頂きました。

ホームセキュリティの会社の警備と非常によく似た仕組みになっているということをお話致しましたが、いつも守護霊が傍にいて守ってくれているとう方が時折、いらっしゃいます。

いうなれば、24時間、365日、ピッタリとSPのようにつきっきりで守護してくれているというわけです。

本来は、このような守護は、ありえないのですが、人によっては、強力な守護を受けている方がいるのです。

なんだかズルイと感じるかも知れませんが、こういう守護を受けている方は、ある法則を踏まえて日々の生活や人生を歩んでおられます。

では、その法則とはどんなものなのでしょうか。

【1】守護霊は、その人の魂のレベルを超えた内容に打ち込む時に積極的に力を与える

守護霊が常に一体となって、その人を守護している時というほは、例外なく、その人が自分の実力では及ばないような事柄に挑戦したり、そういう大きな志を持って行動している時であったりします。

日々、緩慢に自分の出来ることだけをやっているという方の場合は、守護霊は遠くで遠隔守護をしているだけで、ご自分の神霊界での修行を行いながら、見守っているだけです。

守護霊の守護を強力に受けたいと思うのならば、まずは自分の中で大きな志や目標を立ててみることが大事です。

「平凡でいいや」とか「自分の日々の平安な生活が守られればいい」というような志のレベルの場合は、ほとんどは遠隔守護だけです。

「何か人のために役に立とう」とか「もっと○○とかに挑戦してみよう!」と大目標を立てて行動を起こした時に、見守っていた守護霊は、サッとおりきたりとその方を強く守護しはじめるわけです。

なぜ、このような守護の仕組みになっているのかというと、繰り返しになりますが、守護霊にも神霊界でのお役目や生活があります。

その守護霊としての活動と本来の己の御魂磨きの両面をしなければならないのが守護霊の立場であるわけです。

だから、このバランスを取るために、滅多なことでは、直接的な守護はしないのです。

しかし、守護している人間が、己の限界を超えて、頑張ろうとする時には、本人だけの力では、どうにもならない壁が出てくるので、それをどうにか越えさせてあげたいと守護霊も思うわけです。

そういうわけで、本気で頑張っている人、志の大きい人で行動している人には、守護霊は、取るものもとらずに駆けつけて守護してくださるというわけです。


【2】腹の底から本気になる時に守護霊は守護を強化する

志の大きさ以外にも守護霊の直接的な守護を得る方法があります。

それは、本気になるということです。

本気になるといっても、口先だけ、形だけではダメです。

腹の底から、何かに取り組む姿勢や心、そして言葉もそれに準じた形にしてゆかなければなりません。

お腹の底から自分の決意を発奮して、頑張る時、守護霊は、その本気度に惹かれて、降りてきます。

本気の気持ちは、魂を輝かせます。

本気で何かに取り組んでいる人の姿は、人間の目線で見ても、とても感激し、感動します。

守護霊も同じなのです。

守護霊が感動するような本気の心を持つ人は、一番、守護霊に厚く守護を受けている人であるといえます。

では、本気とは何か。

すぐの行動であるといえます。

本気であるならば、ゴチャゴチャと自分に言い訳をしたり、苦言をいったり、依存して停滞することなく、一歩一歩踏み出して行動をしてゆくはずです。

本気で悩みを解決したい、本気で問題を解決したい、本気で成功を手に入れたい、こう思うならば、一にも二にもすぐの行動になって現れてくるはずなのです。

愚図愚図言い訳をしたり、ゴネたりするのは本気であるとはいいません。

そのような心根は、すぐに守護霊は見破ってしまいます。


以上の2点が守護霊の守護を強烈に受けるための法則となります。

他にも法則はありますが、この二つが本当に大事な基本的なエッセンスになりますので、よくよく心得てゆくことが大事であります。



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霊視・霊感鑑定の感想文募集

しばらく、暖かい日が続いていましたが、今日は少しだけ気温が下がり、冷えた空気と曇り空の中、こうしてブログを書いています。

お天気が曇り空だと、なんだか心まで重く感じてしまうこともありますが、天候に負けてばかりはいられませんね。

どんなに空が灰色でも、心は常に青空で太陽が燦々と輝いている。

そんな気持ちで一日を過ごしたいものです。

さて、今回は、お知らせをさせて頂きます。

今まで、無償による霊視・霊感鑑定を行ってまいりましたが、多くの方がお申し込み頂き、喜んで頂いておりますが、一方で、「霊視・霊感鑑定って実際のところはどんな感じなんだろ」「何か不吉なことを言われて脅されたりしないかな」というような、二の足を踏んで、見守っているだけの方もいらっしゃるように感じます。

いつまで、この霊視・霊感鑑定を無償により続けてゆけるのか、先はわからない状態なので、今のうちにこの機会と縁をつなげてゆかないのは、もったいないことではないかなと感じています。

とはいえ、霊視・霊感鑑定がどんなもので、実績はどうなのかということが、わからないと不安に思う方もいらっしゃるのは無理もないことです。

そこで、今まで、霊視・霊感鑑定を受けられた方にお願いがあります。

今まで、受けてきた中で、色々と思うところが会ったかと思います。

そういったところの体験談的な感想文を書いて送って頂けないでしょうか。

元々、無償の霊視・霊感鑑定においては、ブログにて鑑定内容を紹介させて頂くことがある旨を条件の一つとして記載させて頂いています。

しかし、実際の鑑定での生々しいやり取りをそのまま掲載するのは、いくら了承を得た上でのこととはいえ、少し躊躇する気持ちがあり、今まで掲載するのを控えておりました。

人によっては、非常にプライベートな内容も書かれているために、そのまま掲載するのは難しいかなというものもあります。

そこで、お願いしたいのが、今回、ブログで紹介させて頂く用の感想文を是非、書いて送って頂けるとありがたいと思うのです。

これは、霊視・霊感鑑定ってどんななの?という一歩踏み出せない人達が、安心して申込んで頂くためのキッカケになるのではないかなと考えています。

感想文を書いて、掲載することができれば、また、多くの人の悩みが霊視・霊感鑑定で少しでも軽くなる手助けをすることにもなります。

こうした行いは、法施(ほっせ)と申しまして、ひとつの正のエネルギーを蓄える行為に該当します。

ご面倒をおかけいたしますが、是非、今まで鑑定を受けられたことがある方は、ふるって感想文を送って頂ければと思います。

送り先は、鑑定申込のメールアドレスと一緒でかまいません。

tensin.session○gmail.com ※○は@に変えてください。

タイトル「鑑定後の感想文」
内容掲載しても問題ない形での感想文を書いてください。


以上、ご協力頂けると大変ありがたく思います。

宜しくお願い致します。


天心 拝



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供養から観る戒名とは

先祖供養に関する記事の第二弾ですね。

今回は、「戒名」*1 についてお話したいと思います。

戒名に対して、多くの人の持つイメージを代弁すれば、おそらく「亡くなった時にお坊さんにつけてもらう名前」「なんか漢字だらけの長ったらしい難しいアレでしょ?」こんなところではないかと思います。

確かに間違いではないですが、正確にいえば、戒名とは、仏教において、仏弟子に入門を許された時につけられる特別な名前のことなのです。

本来は、亡くなった方につけるのではなく、生きている人が僧侶として生きる際に戒(かい)を授けられる時に師匠にあたる僧から与えられるものなわけです。

戒とは、仏道を成就して、悟りを開くために己を律するために自分に課す、戒めのことですね。

なので、戒名は、出家した僧が修行を全うするための戒を忘れないための名前であるわけです。

有名な歴史上の僧侶の戒名を上げれば、弘法大師と呼ばれた「空海」も戒名であります。

あるいは、戦国武将の武田信玄も出家しており「信玄」は戒名です。

俗名は「晴信」といいます。

このことからもわかるように、本来は、戒名は生きている人間につけるものであったわけです。

では、なぜ今は、亡くなった後につけるのでしょうか。

ここに供養としての戒名の在り方が現れています。

亡くなった後は誰でも、自分の属する霊界へと旅立ってゆくわけなんですが、霊界においても修行ともいうべき生活が待っているわけです。

しかし、霊界生活になじむためには時間もかかりますし、最初は何をどうすればよいのかもわからないでいることも多いのです。

いきなり、霊界知識もないままに、生きている時に霊的な世界のことにさっぱり関心がなく、旅立っていかれた人達は、なかなか、進むべき道が定まらなかったりします。

そんな時に、役に立つのが、自分のゆくべき道筋が込められた戒名をつけることで、霊達は、ピシッと方向が定まるというわけです。

これが、供養という観点での戒名の意義であります。

但し、最近は、形骸化が進み、戒名の本来持つ意義が失われつつあります。

亡き人の戒名を受ける側の親族も、よくわかっていないために、故人に対する情から、なるべく立派な戒名をつけてあげたいと、多額の御寄進をすることで、立派な戒名をつけてもらうようなこともあるようです。

お寺側も、本来はその人にあったランクの戒名をつけるのが筋であることは、わきまえていることと思いますが、いつの間にか檀家の頼みで断りずらいなどの理由からなのか、どこかビジネスライクに金額によりランクを決めてしまっているようなところがあるように感じます。

戒名は立派なものをつければよいというものではありません。

その人にあった方向性や天命、あるいは亡き人であるならば、霊界での修行の眼目を考えた上でつけるべきなのです。

やたらと立派な戒名をつければよいというものではないのです。

これがわからず誤解が誤解を呼び、今や、戒名など形式的なものだと思う方が増えてきて、戒名を付けずに葬儀を済ませるというケースも多くなってきていると聞いています。

もちろん、宗派や宗教の違いなどで考え方は違うので、戒名をつけることは絶対的なものではありません。

しかし、少なくとも日本人であり、特定の宗教を信仰しているという事情があるわけではない場合には、戒名をつけるということが供養になる場合もあることを知っておくのは良いことなのではないかと思います。

もちろん、単にお金を支払ってビジネスライクな気持でつけてもらった戒名に意義は薄いといえます。

「名前」のお話』のところでもお話しましたけれど、名前には霊力があり、働きがあります。

この法則に従ってつけられた戒名をつけてあげることが大事なポイントなわけです。

おそらく、このような観点で戒名をつけたり考えたりしている人は、少ないのではないかと思います。

真の戒名をつけることは、供養の一環にもなるということを今回はお話させて頂きました。


*1 一般的に思われている戒名は、院号+道号+法名+位号がセットになったものを指しています。本来は法名の部分が戒名の中心部に当たります。



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Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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