恋愛成就!江ノ島弁財天

先日といっても、少し期間が空いてしましましたが、再びの江島神社(えのしまじんじゃ)に参拝致しました。

一度、記事にてお話したこともありましたが、今回は第二弾ということで、また別の角度からお話してみたいと思います。

先日の参拝では奥津宮(おくつみや)を中心にお参りをしてみたところ、深い神秘がある場所だということがわかりました。

江島神社のシンボルマークである三角が三つそろい、浪に囲まれている絵柄の示すもの、亀石の意義。

当初、今回はそのことについて話をしようと思っていたのですが、あまりにも内容が壮大、かつ手に余る内容であることが判明したため、ブログ上での発表は控えることと致しました。

なんだか竜頭蛇尾な感じになって申し訳ないですが、代わりに江ノ島弁財天の秘密の一つをお話してみたいと思います。

前回もお話したように、中心的な働きは求道の士を救うというものであります。

しかし、それだけではないんですよね。

これも前回、少しお話しましたが、弁舌の才も与えてくれる功徳があるのですが、これは、何も道を広めてゆくためだけの才能として活用されるものばかりではありません。

実は恋愛の時には、気のきいた、相手を楽しくロマンティックな心地に導く言霊を発する力を与えてくれるという働きがあります。

妙音弁財天(びょうおんべんざいてん)様によくお願いしてから、デートをしたり、好きな人に告白をすると、言霊に羽が生えているかのように、ふわふわと優しい妙なる言霊となって相手に伝わるということだそうです。

武骨で、歯の浮くようなセリフなど口にできないという方は、妙音弁財天様にお祈りをするといつもとは違う、雰囲気でおしゃべりすることができるかもしれません。

また、すぐに相手を怒らせたり、傷つけるようなことを口にしてしまう癖のある方も、お祈りすれば、言霊は優しく、相手に届くようになるわけです。

恋愛というものは、コミュニケーションが円滑にいかないと成就しずらいものです。

折角の出会いがあっても、うまいコミュニケーションが取れないがために、チャンスを逃す人もいます。

ですから、そんな折にはぜひ、妙音弁財天様にお祈りをしてみてはいかがでしょうか。

きっと、言葉使いも段々と恋愛向け(笑)になってくることでしょう。

最後にお祈りの方法をご紹介しておきます。

「妙音弁財天様。うるわしき言霊の力をお与え頂きましてありがとうございます。私の言霊の曇りを祓い導いて頂き感謝いたします。これより○○様と△△の予定ですので、良き言霊を使うことができますようお導きありがとうございます。」

このようにお祈りしてから、デートや告白、お付き合いするようにすると良いでしょう。

宜しかったら活用してみてくださいね。



天心 拝


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邪魔する存在を浄化する意義

遠隔浄霊が終わり、フィードバックを受けました。

首が締まる感覚があるということで、審神をしてみたところ、生霊系のものが憑いていることがわかり、早速、処置を行ったところ、やはり、浄霊が終わった直後は、少し違和感が続いていたとのこと。

しかし、しばらくすると楽になってきたというご連絡があり、ホッとしたところであります。

霊的な邪魔をする存在を取り除くことができても、現実へのフィードバックは、すぐには行われないケースは多いものです。

それは、少し、現実に顕現化した影響が残ってしまうことに原因があります。

霊界と現実にはタイムラグがあるわけです。

霊界では既に変化して改善されていても、現実が変わるには現実における法則に則ることでした実現できないのです。

病気になった原因が、霊障であったとしても、霊障を浄化したからといって、病気になってしまった現実がすぐに変わるわけではないということです。

だから、現実的な治療というものを行わないかぎりは、改善はしない場合も多いものです。

ヒーリングや霊的な治癒に関しても、ある程度は物質的な部分への影響はあるものの、この法則を理解していないと全てがヒーリングや霊的な方法で完治すると勘違いしてしまう方もいるかも知れません。

病気になったらまず医師に相談。

これが基本であることは、重ねて申し上げておきます。

それから、他の事柄に関しても、現実的な状況を改善していくためには、現実を物質的に具体的に変えてゆくことの方が強く影響を与えるものであることを言うまでもありません。

早く、何かを成し遂げたい、何かを成功させたいと願うのであれば、現実的な努力は必要不可欠であることをきちんと理解しておくべきでしょう。

また、逆説的な言い方になりますが、現実的な努力ができにくい、何か邪魔をしているものがあるような気がする。

このように感じられることがあると思います。

努力したくても、なかなか、努力できる状況が整わない、いつも邪魔が入る。

こういう場合には、霊障が関係している場合もあるため、その障りを浄化することで、その邪魔がなくなる、あるいは減少してくるということがあります。

マイナス作用を引き起こす存在がなくなるということは、現実的、努力がしやすくなるということでもあるわけです。

このようなことを踏まえた上で、浄霊やヒーリング、霊的な秘義は理解するのが望ましいといえます。

現実的な努力と霊的な法則。

この両輪を踏まえた上で、人生を歩むことが、一番、バランスのとれた生き方であるともいえるでしょう。



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決断力、行動力が運を開く

運が良い人、悪い人にはつぶさに観察していると様々な共通点があるようです。

その中でもとりわけ、最近、わかってきたことは、フットワークの軽さというのが一つのポイントであるようです。

運が良い人というのはともかく、決断も行動も早いと言えます。

もちろん、短慮で軽率がいいと言っているわけではありませんが、何事もずるずると長引かせて先送りにする方の場合は、幸運到来もずるずると先送りになる傾向があるということです。

お仕事においても、メールの返事すぐに出さない、雑用を後回しにして、結局、することを忘れているなどの人が出世をしたり、良い仕事をしているというお話をあまり耳には致しません。

大抵、仕事もうまくいき、明るく快活に日々を送ってらっしゃる方というのは、やるべきことが万事素早く、卒がないところがあるようにも見えます。

一つの傾向であり、全てがそうだとは言い切れないところではありますが、守護霊団などが活発に動く場合というのも、当人がてきぱきと気持ちよく動いている時であるという傾向もあります。

本人がダラダラ、ぐずぐずとしている状態だと、守護霊も全く守護しないか、遠くで見守っているだけになります。

なので、決断、行動、フットワークを軽やかに!は、一つの開運ポイントでもあるといえるのです。

そもそも、なぜ、足取りが重くなるのかといいますと一つには怠りの心があるからです。

やらなければならない事務仕事や雑用、電話連絡をする、メールを返すなどをやらずに先送りにしてしまうのは、ひとえに「めんどくさい」という気持ちがあるからなのです。

この「めんどくさい」という気持ちは、霊界では、もっとも重く、開運からは程遠い状態のものであるといえます。

恨んだり、嘆き悲しんだりしている人の霊界も重く、苦しい波動に満ちていますが、それでも、その苦しみから逃れたい、心をすっきりして前を向いて生きていきたいという気持ちがそこにはあります。

そういう気力がある分、まだ、現状を変えていこうという気力が湧いてきやすいといえましょう。

しかし、怠け心のめんどくさいという気持ちの霊界を持っている場合は、何事も無気力で、前に進もうとする気力すらわかない状態であるといえるのです。

ですから、この怠け心の状態でいると、最悪の霊界に感応し、一生うだつが上がらない人生になる恐れがあるわけです。

ある意味では、あらゆる下部霊界の中でもこの怠け心が一番、タチが悪い霊界であるといえるでしょう。

この霊界からの波動を断ち切るためには、怠け心を捨ててゆく他はありません。

現実的な行動としては、先送りにしていた雑事や事務仕事、例えば、メールの返信をかく、連絡の電話を入れる、しなければならない支払手続をする。

部屋の掃除、ついつい、めんどくさくて後回しにしてしまっていることをさっさとかたずけることを始めることです。


「別に後でもいいかあ」
「めんどくさいから、やんなくてもいいよね?」


このような発想が頭をよぎった時は注意が必要です。

怠け心霊界に影響を受けている可能性が十分にあります。

また、滞っていることが沢山ある人も注意した方がいいでしょう。

積もり積もれば、どんどんと霊界が大きくなり、もう何もしたくないという程に、心から気力を奪われてしまう結果になってしまうやも知れません。

開運の一つのポイントとしては、まず、怠け心を排して、決断、行動をしていくことであると心得て頂ければと思います。



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アンチテーゼという魔物

こんにちは!

天心です。

昨日はブログ更新ができませんでした!

というのも、その前日に募集した遠隔浄霊取次のための準備、審神、取次と意識を集中させなければならなかったからです。

そのくらい、遠隔浄霊は、時間と気力と労力を使わされてしまうのです。

一応、昨日、つつがなく取次は終わりましたが、その後は、集中力も途切れ、ブログ更新もできなかったわけです。

やはり今のところは限定1名が限界みたいですね。

もう少し、やり方を検討して、良い方法を模索していければとは思っています。

今回も、沢山の方がお申し込み頂いたのですが、抽選に漏れてしまった方は、非常に残念ではありますが、次回に期待して頂ければと思います。

さて、このたびの開運コラムのテーマは「アンチテーゼという魔物」ということでお話させて頂きたいと思います。

アンチテーゼというもは、簡単に言いますと「反・○○」といった考え方のことを言います。

物事には、必ず、反対意見というものがあるものです。

これは当然といえば当然のことであります。

スピリチュアルということに関しても、非常に賛同して積極的に興味を持つ方もいれば、当然、そんなものは認めない、スピリチュアルなぞ興味を持つべきではないという意見も必ずあります。

私は、スピリチュアルという考え方や生き方を推奨している身ではありますが、同時にその反対意見が存在することも十分に理解しているつもりです。

反対される方には反対される方なりの論理や価値観というものがあると思うのです。

そういう価値観や論理をあえて、攻撃したり、誤っているなどと決めつけるつもりはないのです。

人それぞれの価値観や論理がまじりあって混成されているのが社会です。

社会性とは、これらのまじりあう混成された要素がうまく調和していくことに努めようとしていくことなのではないかと考えています。

だからこそ、アンチテーゼも必ず存在するものだと常に認識はしているつもりです。

しかし、同時にアンチテーゼという考え方には、霊的にマイナス作用を働かせる要素も含まれているということを言わねばならないと思い、今回のテーマをお話するに至ったわけです。

なぜアンチテーゼにマイナス作用があるのかについてお話する前に、少しアンチテーゼという考え方の特性についてお話してみたいと思います。

もうお亡くなりになりましたが、マザー・テレサというクリスチャンの偉大なシスターがいらっしゃいました。

彼女は、貧困にあえぐ人達の心の安らぎのために、粉骨努力し、まさに不惜身命の想いで、手を差し伸べていった方です。

我々凡人にはとても真似できないほどの愛と、愛に裏打ちされた行動は多くの人達の胸を打ち、称賛される方も沢山いらっしゃいました。

彼女が亡くなった今でもその精神に賛同し、ボランティアや貧困の救済に助力を惜しまない方々がいらっしゃいます。

マザー・テレサは、平和を愛する心を常に持っていました。

そんな彼女に対し、ある質問がぶつけられたことがあります。

「あなたは平和を愛しているのに、なぜ反戦運動に参加しないのですか?」

反戦運動とうのは、戦争に対するアンチテーゼです。

平和を愛するならば、当然、平和を乱す元凶となる戦争に反対する立場を表明して、反戦運動に参加してもよいのではないか。

こう考えれば、確かに質問者の疑問もわからないではありません。

この問いに対してマザー・テレサはこう答えたといいます。

「反戦運動ではなく、平和の集会であるならば私は喜んで参加致しましょう」

反戦運動と平和の集会、一体どう違うというのでしょうか。

一見、同じように見えますが、この二つは全く異なる性質を持っていることがわかります。

マザー・テレサの主張した平和の集会とは、常に平和を願い、平和について考え、どうしたら平和を実現できるかについて、皆が考える集会です。

一方、反戦運動というものは、裏側には平和というキーワードは存在しているかも知れませんが、常に念頭にあるのは「戦争」ということについてなのです。

別の言い方をすれば、「戦争」なくして「反戦争」という考え方は構造上成り立たないともいえるでしょう。

戦争が起こるという状況は平和にとって忌むべきことでしょう。

しかし、どうしたら平和になるかという発想なしに単に「戦争」に反対というだけでは、解決にはならないということをマザー・テレサは言いたかったのかも知れません。

これは戦争にかぎらず、全てにおいて、いえることかと思います。

最近のことでいえば、「反・原発」という気風が高まっています。

考え方として、現在、発生している大事故の状況を考えれば、感情としてはとてもわかるものです。

私は、このブログの趣旨からそれますので、あえてこの件に関しての意見は表明しませんが、考え方として、原発推進にも反・原発にも論理や正義は存在しているはずだと考えています。

しかし、「反・原発」も「反・戦争」と同じで、単に原発に反対している以上、原発という対象物なしに存在しえない考え方といえましょう。

だから、マザー・テレサに習うならば、原発に変わる発電技術やエネルギーを具体的に推奨するという立場で意見を表明することが大事なのではないかなと思わけです。

アンチテーゼの霊的、問題点もここにあるとえいます。

常にアンチテーゼばかりで、不満のあること、自分の気に入らないものに対し、反発の意識を持ち続けていると霊界は常に消極的な波動で満ち溢れたものがつくられていきます。

その霊界は、新しいものを生みだしたりすることはありません。

何しろ、全てに対しアンチテーゼの波動が満ちているからです。

何かを壊し、自分の意見が通ったと悦に浸る、邪霊が跋扈する世界です。

あくまで、これはずっとアンチテーゼという立場だけで、凝り固まった場合の霊界の姿であります。

生きてゆけば、どうしても受け入れられない、アンチテーゼを提唱しなければならないような事態に遭遇することもあるでしょう。

それはそれで当然のことなのです。

ただ、そういう状況にあっても、常に、「では、どうすればよいのか?」「何をもって自分は是とするのか」ということを考えて欲しいと思うのです。

マザー・テレサが「平和の集会」という前向きな提案を思いついたように、私たちも世の中にある不条理に反対するだけでなく、どうしてゆくべきかを考える。

このことが大切なのではないかなと思います。



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【申込締切】第二回遠隔浄霊を締切ります

こんにちは!

天心です。

無償の遠隔浄霊のお申し込みについて、締切をさせて頂きます。

お申し込み頂いた方、ありがとうございした。

抽選にて当選した方には、メールにてお知らせいたします。

次回の募集は、まだ未定です。

ブログ記事にて募集は行う予定ですので、希望の方はお見逃しのなきよう要ブログチェックです。

今回は、ご応募ありがとうございました。

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【人数限定(第二回)】遠隔浄霊のご案内

こんにちは!

天心です。

いつもブログを読んでくださいましてありがとうございます。

今回は第二回目の遠隔浄霊のお知らせをさせて頂きたいと思います。

この度、人数限定ではありますが、再びの遠隔浄霊を実施してみたいと思います。

本来は、自助努力による浄化が基本ではありますが、当方からも浄化力を強化すべく、援護射撃をしていくようなイメージとなります。

具体的には、お申し込み頂いた方の背後の霊界にアクセスして、その人の問題となっている箇所に影響を与えている霊障を少し取り除くという方法で浄霊を行っていきます。

とても負担がかかる方法なので、基本、無償では行っていなかったものなのですが、今回は、人数を限定しての無償による浄霊を試みます。

なぜ、今回そのような試みを行うかと申しますと、霊視・霊感鑑定の御依頼で解決が難しいケースが出てきています。

霊視・霊感鑑定においても、微量に霊障を祓うことができるのですが、やはり限界があります。

しっかりと意識を切り替えて、集中する方法でないと難しいのが現実です。

なので、全ての人に必要かどうかは疑問ではありますので、まずは人数限定で行いたいと考えています。

人数を限定しないと私が倒れてしまう可能性があるので、そのあたりのことはご理解頂ければと思います。

また、遠隔にて浄霊なんてできるの?という疑問もあるかと思います。

確かにマンツーマンでの取次の方がやりやすい部分は多々ありますし、理想ではあります。

しかし、基本的には、背後の霊界は、現実的な物理的空間を超えた存在です。

本来は、あまり物理的接触に意味はないのです。

ただ、受けられる方や取次を行うものが、意識を向けやすい、臨場感を感じやすいという点で異なる部分があるだけです。

もちろん、背後の霊界に接続しなければできないことなので、霊視・霊感鑑定よりも詳細な情報が必要になりますが、接続さえしてしまえば、物理的空間にあまり意味はないのです。

ということで、今回は二度目の試みになります。

今後、いつまた取次の機会を設けることができるかは不明です。

ご希望の方は、この機会にお申し込みを検討してみてください。


***お申し込みのルールについて***

1.冷やかし、おふざけ、真剣さを感じないご依頼はご遠慮ください。
2.今回の限定人数の枠は【1名】とさせていただきます。申込が殺到した場合は抽選になります。
3.お申し込み資格は、過去に私の霊視・霊感鑑定を受けたことがある方が対象となります。
4.浄霊で全ての問題が解決するわけではありません。自助努力を忘れないこと。
5.真心を持って神仏に感謝する気持ちがあること。
6.何か改善を保障をするものではありません。あくまで許された範囲での浄霊作用となります。



***お申し込み方法について***

以下の項目を記載の上、メールにてお申し込みください。

申込アドレス:tensin.session●gmail.com ※●はスパム対策です。@に変えてご使用ください。

件名:「無償遠隔浄霊の申込」と記載してください

本文:

1)お名前(実名)を記載してください
2)性別(男性 or 女性
3)年齢
4)生年月日
5)お住まいの都道府県
6)家族構成(両親の存命の有無、配偶者、子供
7)宗教有無(なし or 所属しているところ
8)仏壇・位牌(なし or 宗派が分かれば書いてください
9)ご寄付(基本無償なので通常は「なし」で結構ですが、希望する方は「あり」記載してください。ご寄付の方法についてお伝えいたします)
10)写真(添付ファイルで送れるならば送ってください。必須ではありません
11)気になっていること(何か特別気になることがあれば記載してください。


以上のことを記載した上で、お申し込み頂ければと思います。

後、基本的な注意事項などは、霊視・霊感鑑定の時と同様です。

限定人数を超えた場合は、抽選となります。

抽選に当たった方のみメールを返信させて頂きます。

締めきりを行う際には、もう一度、お知らせ記事にて、お知らせします。

以上になります。




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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-月天宮2】

☆初めて読む方はコチラからお読みくださいね!
☆前回の新説・霊界ストーリーはコチラをクリックしてくださいね!


初めてこの記事を読まれる方は、一番上のリンクをクリックすれば、一番最初の記事を読むことができます。

前回記事は二番目のリンクをクリックでページが切り替わります。


<前回までのおさらい>

上部霊界の入り口ともいえる月天宮(つきのあまみや 又の名はげつてんぐう)はとても、静かで穏やかな霊界でした。

少年少女のキラキラした心根がそのまま反映されたようなメルヘンの世界。

上部霊界に移動するための基本は妙なる心であると守護霊はいいます。

この霊界の波動は、確かに静かな音楽が奏でられているような感覚のようにも思えます。

言葉ではなかなか言い表せない心地良い微風の吹き抜けるようなそんな霊界を探索し始めるのであった。


<続き>

宇宙空間にぽっかりと浮かんだお月さまが、とても美しく感じられるように、月天宮の世界の中心に眩く煌々と輝く宮殿は、それ以上に美しく感じられます。

この月天宮にしばらく滞在すると現実感覚が限りなく薄れてきます。

心も童心に帰り、好奇心とワクワク、ドキドキしていたあの頃に戻ってゆくのです。

音響設備の整っている会場で、静かにクラッシック音楽を堪能しているような心地がします。

私と守護霊はこれから、この月天宮の中心となる宮殿へと向かいます。

フワリと母の胸に抱かれた感覚のまま、ゆっくりと宮殿へ向かい、中に入るとさらに輝きが増してみえます。

透明感のある金色の世界。そこの中心にお姫様がいらっしゃいます。

月照姫之命(つきてるひめのみこと)、またの名を月依姫(つきよりひめ)と申し上げます。

お顔は不思議なことに貴婦人といったような感じにも見受けられますが、少女のようなあどけない感じも受けるのです。

本当に楽しい時に見せる女性の笑顔をそのまま体現して、ずっとニコニコされているのです。

楽しさ、ウキウキした感じ。この波動の塊のような方です。

塊なんて称してよいものか、ちょっと失礼かも知れませんね。

ともかく、謁見するとそれだけでも、不幸な気持など微塵もなくなってしまうほどの波動を持っていらっしゃいます。

月照姫之命:「楽しくて、軽やかで、笑顔を忘れなければいつしか不幸などなくなってしまうものですよ」

天心:「おっしゃる通りですね。でも、なかなかそれが出来ないのが人の性なんです」

月照姫之命:「頭で考え、心配のタネばかり追っているからなのよ。もっと楽しいことを追いかければ皆楽しくなるのにね」

天心:「現実問題として、なかなかそれが難しかったりするわけなんですが」

月照姫之命:「それが問題ね。皆、目に見えるものばかりにとらわれているのね。目に見えるものなんて、すぐにでも消えてしまう陰みたいのものなのに。どうして陰ばかりを追って、実体を見ないのかしらね」

天心:「とおっしゃいますと?」

月照姫之命:「人の幸福も不幸も皆、自分の心根から発したもの。誰がいじわるしたわけでもないのよ。それなのに人は、自分の心以外に意味を求めているの。」

天心:「なるほど。自分の心を楽しく、軽やかにしていくためにはどうしたらおいのでしょう?」

月照姫之命:「まずは不幸を演じることを止めることね。それから不幸だと思っていることの裏側には幸せのタネが潜んでいるの。これを探すことね」

天心:「幸せのタネですか。見つけてゆきたいと思いますが、何かお力添えは頂けないでしょうか?できればですけど。。」

月照姫之命:「フフフ、いつも私の名前を呼んで、今日も幸せのタネを見つけさせてね♪ってお祈りしてくれたら、気づきの力と運気の風を送ってあげてもいいわよ」

天心:「ありがとうございます!是非、実践させて頂ければと思います。」


終始笑顔で軽やかな波動を持つ月照姫之命様でした。

月照姫之命様にお祈りする場合は、出来れば、お月さまを見ながら、「月照姫之命様。本日も気づきと諭しと幸せのタネをお与え頂きありがとうごいました。明日もまた幸せのタネを見つけることができますことを感謝いたします。全てを宜しくお願い致します」

このようにお祈りするほが正式には良いようです。

月天宮の波動があなたのもとに届けられることでしょう。


☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-月天宮3】へ続く


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鑑定結果の返信が完了致しました!

現時点で、守護霊アドバイス、天命・過去世調査・霊障判定・簡易修祓の鑑定結果、取次結果の返信を全て完了致しました。

中には、項目記入漏れ等の見直しをお願いするメールを出している段階の方もいらっしゃいまして、まだ、お返事を頂けてない状態ではありますが、返信という意味では全て終わりました。

ご希望通りの結果、あるいは、ご希望に添えない結果もあったかと思いますが、全ては心を込めて取次をさせて頂いた結果であります。

皆様の何かのヒントとなれば幸いです。

また、鑑定が遅れたために数日後の返信となり、気付いてらっしゃらない方も多くいらっしゃるのか、フィードバックを頂けていない方もおられます。

無償鑑定の説明記事にも書かせて頂いて言います通り、鑑定結果後のフィードバックは、届いているかどうかの確認の意味もあるので、御面倒でもお願いしたく思います。

また、鑑定申込をしたはずなのに結果が届いていないという方がいらっしゃいましたら、お知らせ頂ければと思います。

送った日付、ハンドル名などを書いて頂けると確認がスムーズです。

メールトラブルなどにより、返信結果が送付出来ていない場合もあります。

まず、考えられるのが迷惑メールと判定されてしまい、迷惑フォルダに入っていること。

それから、ドメイン指定をしたりフィルタリング機能により、返信結果のメールが届いていない場合があります。

ご確認頂ければと思います。

他のトラブルでメール事態が送信できていない場合もあるので、その場合は、こちらから再送致します。

あるいは、お申し込みメール事態が何らかの理由で届いていなかった等の事象も過去にありましたので、結果が届いていない方は、お知らせ頂ければと思います。

非常に沢山の方からの鑑定依頼が溜まりに溜まった状態であったところ、ようやく、全ての取次が一段落致しましたので、確認の意味を込めてご報告させて頂いております。

今後も、ブログ、鑑定ともに宜しくお願い致します。


天心 拝



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よく身体を動かす

最近は本当に良い天候に恵まれていますね。

まだ5月だというのに気温は真夏日。

このままあっという間に夏に季節が切り替わってしまいそうな勢いです。

さて、今回の開運コラムのテーマは「よく身体を動かす」ということを掲げてみました。

私は、ブログ記事の中で、ことさら心の働きや霊界についてお話を進めてきました。

だから、どうしても心の中ばかり見つけてしまう傾向に導いてしまっているかも知れないと思い、本日は身体を動かす重要性について言及しておきたいと思います。

心というものは、目に見えず、形もないので、直接触れることはできません。

いくら見つめても、心をどうにかしようと頑張ってみても、なかなかうまくいかない場合もありますね。

お祈りをすることによって、少し心の世界に影響を与えられますが、どうしても霊界が曇りすぎているとお祈りする気力すら湧かない状態になることもあるでしょう。

そういう場合は、身体を動かすことが大事になってきます。

大抵、心が硬直状態にある場合は、身体も硬直状態にあり、動きが止まっている場合が多いものです。

心と体は連動しているため、心がどうしても動かない、クサクサしてヤル気が起きないという場合は、少し身体を動かしてみることをお勧めします。

まずは、簡単な体操をしてみるのも良いでしょう。

あと、散策や外部との刺激がある行動もお勧めです。

いきなり激しい運動や、特別なことをする必要はありません。

なるべく動くことを心がける。

これだけでも大分違ってきます。

是非、試してみてください。


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守護霊に預け委ねる心

誰もが生きていく人生の中で、右に行くべきか左にゆくべきか悩むことはあるでしょう。

単純に右か左かの二者択一のようなケースだけでなく、人生には複雑でこんがらがった状況の中、判断、決断していかなければならないシーンは沢山あります。

人は常に正解を選びたいという欲求がありますので、なおさら迷ってしまいます。

迷っても保留にしても、時は流れていきます。

状況はどんどん変わってゆきますし、止まることはありません。

そんな時には、どうしても何かにすがりたくなることでしょう。

占い、霊視、カウンセリング、コーチングと様々な悩み解決の方法の道具立ては世の中にあふれていますが、どれをとっても最後に決断するのは、自分自身です。

決断できなければ、これらの道具も意味をなさないことになります。

私も守護霊アドバイスなどで、守護霊からのヒントやお諭しを取次、お伝えしたりしていますが、内容は正解そのものというよりも、むしろ、考えるべきポイントを教えてくれているといったものが多いように感じます。

守護霊は魂の教育係なので、正解を教えるというよりも、何を今、考えなければならないかのヒントを出してくれるわけです。

鑑定を受けられた方の中にはヒントを得て、前向きに進む決心をした旨のフィードバックをくださった方もいらっしゃいました。

このように守護霊アドバイスも自分の人生を前向きに生きてゆくための道具立てとして活用することが大事なわけですが、毎回毎回、守護霊アドバイスを受けるチャンスを得られるとはかぎらないでしょう。

私も身体一つで取次をしているわけですので、いつでもどこでも、お力になれるわけではありません。

そこで、迷った時に守護霊に導いてもらう一つの霊法をご紹介しておこうと思います。

それは、「守護霊に預け委ねる心」を持つということです。

迷いが生じた時、何か判断をしなければならない状況に置かれた時に、どうしようか悩むことと思います。

どっちにしたらいいのだろうか。。

誰しも正解を選びたいという気持ちがありますから無理もありません。

しかし、人為でいくら考えて判断しても、それが正しい結論に繋がるのかどうかは、わかりません。

だからこそ、迷うわけですね。

では、どうすればよいのか。

「守護霊様。○○の件に関して、今迷っています。私は○○すべきだと考えていますが、他の方の意見は△△だといいます。全てお任せ致しますので、まさしき道筋へとお導き頂きますようにお願い致します。お守り頂きまして誠にありがとうございます。」

このようにお祈りします。

お祈りの文章は変えてもかまいません。

ポイントは、守護霊に全てを任せるという宣言をして、全てをゆだねることをお祈りするのです。

その後は、迷わず気持ちの傾いている方を選ぶか、状況によって選択しやすい方を選ぶのです。

この時はもう、考えずに選びます。

なぜなら、散々、自分で考えて悩んで結論が出せなかった事柄であるはずなので、これ以上考えても結論はでないはずです。

だから、守護霊に委ねるお祈りをしたならば、後は直感と状況による選択をしっかりとするしかありません。

このようにして迷って決断がつかない場合には、守護霊にお祈りして前に進めてゆくと、知らず知らずのうちに道が正されて、おかしな方向に身体が向かなくなるのです。

そして、決断した結果は全て守護霊からのフィードバックになりますので、それを受け止める覚悟を決めておけばよいわけです。

迷って進めない時、決断がしずらい時には、守護霊を巻き込んで、道を開いてゆくという方法もあるのだということです。

一つの参考にしてみて頂ければと思います。



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霊界は自由?

大分、霊界について詳しく述べてきたつもりですが、それでもまだ語り尽くせないのが霊界の実相であります。

新説・霊界ストーリーでは、なるべく臨場感を持って、霊界の存在を感得して頂きたいという思いがあるので、私が感得したものを物語風にご紹介しているわけです。

それでも、中々、全てを語りきることができないので、様々な角度から、霊界の実相に迫るべくお話をさせて頂いています。

霊界は、心の世界であるということは、基本事項として、何度もお話してきました。

霊界が心の世界ということは、思ったことは何でも実現してしまうのでしょうか。

基本的には、思ったことが実現するのが霊界の法則の一つでもあります。

では、霊界は自由であるのでしょうか。

残念ながら全てが自由になるわけではありません。

なぜかといいますと、人の心には観念と呼ばれる、心に制約を加えるものが存在しているからです。

観念とは「観」ている「念」と書きますが、文字通り、今の心に漂う念を観じているから観念なんですね。

つまり、自分が今、思っている念に執着して、それを見続けているからこそ、本来は柔軟な自在性に満ちた霊界であるはずが、制約を自ら加えて不自由なものにしてしまっているといえます。

もう少し平たくいえば、思いこみ、こうであらねばならない、こうあるべき等という硬直した考え方を持っている場合、それがまさに観念なのです。

私は、本当に繰り返し、口が酸っぱくなるくらいに、霊界を変えてゆくことが、現実界の様々な事象をコントロールしていく基本であることをお話してまいりました。

このブログを以前からずっと読んでらっしゃる方はおわかりかと思いますが、霊界からのフィードバックが現実の世界に影響を与えています。

だから、霊界を変えてゆくことが、現実を変えてゆく一つの手段となるわけです。

しかし、中々霊界というものは、変えずらいものでもあります。

それはなぜか。

観念の存在が自由な霊界変動を邪魔してしまうからです。

主に観念とは、人生の中で体験したことや教育されたこと、あるいは何かの偏った思想のある話を聞いたり、それを信じたりすることで、発生してきます。

一番大きな影響を与えているのは家庭環境であり、次に学校、その次は会社などの組織ではないかと思われます。

家庭環境においては、両親や家庭の事情により、躾や教育方針が違います。

もちろん、それは良いのですが、大事なこととして、自分の家庭でのルールは絶対的な真理ではないということを理解していない場合があるということです。

学校教育にしても、会社での常識、当たり前なこととして処理されていることも、絶対的な正義ではありません。

例えば、「行儀よくしなさい」「汚いものを障るんじゃありません!」「騒がないで!」などと良く子供を躾をする姿がありますよね。

もちろん、場合によっては行儀よくさせなければならない時もありますし、やたらと汚いものを障られて病気になってもいけません。

静かにすべき場所でギャーギャー騒ぐのを許してしまっては、マナー違反というものです。

しかし、常に行儀よくするのが正義なのか。汚いものは触れないのがいつもいいのか。静かに黙々と過ごすのが良いことなのか。

時には杓子定規な考えを捨てて、本音で語り合いふるまうことが大事な場合もあるでしょう。

汚いからと言ってふたをするのではなく、泥んこになって、そんなこと気にしないで遊ぶような経験も必要な場合もあります。

全く元気のない、生きているか死んでいるのかわからないような子供というのも不気味です。(笑)

元気にはしゃぎまわる姿こそが子供の本性であるともいえるでしょう。

絶対的な正義はないのです。

絶対的な尺度もないのです。

全ては流れゆく状況の中で、都度、最善とは何かを考えならば柔軟に対応していく。

これが、人間の持つ自由な心の本性であるといえるのです。

しかしながら、私たちには、生まれてから現在に至るまで、ありとあらゆるシーンで、観念を持ってしまうような出来事に遭遇しています。

強烈な失敗体験や何か嫌なことを言われたり、怒られたりしたことで、これは「やってはいけないこと」「こうすると嫌な目にあう」などの思い込みが発生してしまうのです。

もちろん、これらの体験からの解釈は正しく機能する場合もあるでしょう。

友達と殴り合いのケンカをしてしまい、後々で気まずい思いをした経験から、暴力やケンカは良くないと反省するのは概ね正しく機能しているといえます。

でも、もし、友人が明らかに人の道に踏み外すような行為をしようとしていたらどうでしょう。

ケンカはよくないからと何も言わずに事なかれを決め込むのがよいのでしょうか。

こういう場合は、しっかりと正しい道に引き戻してあげるのがよいわけです。

もしかしたらケンカになったり、騒乱になったりしてしまう可能性もありますが、本当に相手のことを考えるならば、躊躇してはならない時もあるのです。

もちろん、これはあくまで例え話なので、現実的にはそう単純に割り切れないかも知れません。

ここでいいたいのは、観念とは、心がしばられる状態であるということを理解して欲しいのです。

一つ一つの事象を追いかけても結論はでないかも知れませんが、少なくとも自分の思い込みの可能性を疑ってみる。

こうすることで、観念をはずすことができます。

また、もうひとつの観念を外す方法があります。

それはしっかりと勉強するということです。

中途半端ななまかじりな知識や理屈で勉強を止めて、「人生こんなもの」というしたり顔で、学問する心を放棄してしまうからこそ、観念が出来上がってしまうのです。

中国古典などを紐解けば、古来、為政者は論語や中庸、大学、春秋、易経といった様々な古典を読んで学問を怠ることがないようにすべきであると記されています。

為政者などは、常に大局から観て国を治めて、民を愛し、指導していくことが求められていました。

だからこそ、誤った観念で国をおさめられては、大変なことになるわけです。

様々な古典を読み、偏りなく、君子としての道を学ぶことが要求されていたわけです。

自分の小さな経験や体験にとらわれず、観念をつけないためには、大局からの視点で記された古典を読むことが一番効果的であったということなのでしょう。

私たちは為政者ではないかも知れませんが、人生を観念で縛られずに自由に生きるためには、勉強が不可欠です。

そして、何よりも霊界の自由度を高めるためには、勉強して自分の観念を飛び越えるくらいの度量の深さを身につける必要があります。

このブログも多様な観点から説明させて頂いています。

その理由は中途半端に霊界とはこんなもんだと思いこんで観念を作ってほしくないからです。

観念を作れば、霊界はとてつもなく不自由なものになってしまいます。

だから、このブログも最新記事だけちょっと読んでわかったような気になると危険です。(笑)

いつの間にか観念で縛られてしまうことになりますからね。

それを防ぐためには、常に勉強です。

古典を読んだり、様々な書籍を偏りなく読んで学ぶこと。

もちろん、体験、経験も大事です。

しかし、全てを体験、経験できない以上、先人の残した書物を謙虚に学んでいくことも大切です。

というわけで、私のこのブログもバックナンバーを含めてこれからもお読み頂けると幸いです。(さりげなく宣伝(笑))

今回は、霊界と観念についてお話させて頂きました。

お付き合い頂きありがとうございました!


天心 拝


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守護霊は信じるよりも親しむ

守護霊のことに関して、本当に色んな角度からお話させて頂いて参りましたが、今回は、また別の角度から守護霊との付き合い方を考えていければと思います。

まず、大きな傾向として、皆さんに感じるのは、守護霊や神霊、神仏といった存在に対して、常に「信じる」「信じないか」の二元論で考えてしまうことがあるのではないかと思います。

信仰という言葉があるように、存在を信じることで、信仰の証とするといったような、従来の宗教が説いてきたイデオロギーが浸透しているのかも知れません。

しかし、霊界というものの実相から考えると、信じる信じないということは、あまり意味をなさないといえます。

例えば、神様は存在するということを「信じている」というスタンスをとっている方がいるとします。

でも、神様を視たこともなければ、感じたこともない。

存在感もないものを、ただ信じているという方がいらっしゃるとします。

これは信心や信仰かも知れませんが、霊界的には何の意味もないのです。

なぜならば、守護霊や霊界というものは、感応し、そこに実在性を実感して、深く味わい、交流しながら親しんでいかなければ、わからないものだからです。

概念として、あるいは信仰、信心、信念として「存在を信じる」というスタンスを貫いたところで、本当の意味における確信には至らないのが現実です。

だからこそ、守護霊との交流は、理屈ではなく体感であり、実感していくことで、本当の意味での存在を確信していくプロセスにあるといっても良いでしょう。

私は、様々なことで守護霊のお話をしたりしていますが、これは理屈として守護霊の存在を信じているということではなく、実感として、そこに守護霊の存在を感じているのです。

「それは特別な人でないと無理なのでは?」

このような感想を持つ方もいらっしゃるかも知れません。

しかし、先日の守護霊との交流についてのお話でも触れましたが、決して特別なことはなく、交流を続けていけば、必ずそこに実感を伴う瞬間は現れてきます。

例え姿は見えなくとも、段々とそこにいる感覚がつかめてきます。

こうした感覚を培ってゆくことで、本当の確信に繋がっていきます。

知識だけではない、理屈を越えた体験を通して人は、真に確信することができるのです。

だから、どうか理屈だけでこのブログもお読みにならないようにしてください。

理屈から考えたら、随分と荒唐無稽なことも書かれていると思われる方もいらっしゃることでしょう。(笑)

しかし、理屈で考えたら、守護霊も霊界も分かりません。

少しずつ体感して、存在を感じていく。

これが、霊覚の向上の一つのポイントになってきます。

理屈よりも理屈を越えた体得を目指していければと思います。


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鑑定依頼の状況について

いつもお世話になっていいます。

天心です。

いつも暖かいブログコメントや拍手、拍手コメントなどありがとうございます。

現在、守護霊アドバイス、天命・過去世調査、霊障判定・簡易修祓などのご依頼が沢山待ち行列ができてしまっている状態になってます。

返信には、大分お時間を頂いてしまっている方もいらっしゃいます。

申込依頼を送ったのに返信がないと心配されている方もいらっしゃるようです。

何人かの方からもお問い合わせを頂いております。

鑑定は、単純にエイ、ヤッっとやっつけ仕事のようにできる類のものではなく、許されたタイミングやご相談者の方の受け取るにふさわしい状況が整わないと、取次ができない場合もあります。

以前、記事にも書いてお知らせしたように、重たい念ばかりがかぶさってくると、取次の時間もかかってしまいます。

とはいえ、私個人としては、なるべく早くに返信をしたい。

待っている方にはなるべく、スピーディな対応をしたいと心がけてはいますが、ご相談者の方の状態、それから内容によって、すぐに取り次げるものと、そうでないものの差もでてきます。

単純に依頼があったものを流れ作業のように行っているわけではないのです。

一人一人のご相談に意識を向け、ちゃんと向き合い、取次を行って、返しているのです。

だから、どうしても時間がかかってしまう場合もありますので、何卒、ご理解、ご了承頂ければ幸いです。

もちろん、ご相談者の方の天の時と相談内容がぴったりとあっている場合には、スピーディな返信が送られてくることもあります。

ですから、本当にお待たせしてしまっている方には申し訳ありませんが、気長に楽しく、ワクワクとした気持ちでお待ち頂ければ嬉しく思います。


天心 拝



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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-月天宮】

☆初めて読む方はコチラからお読みくださいね!
☆前回の新説・霊界ストーリーはコチラをクリックしてくださいね!


初めてこの記事を読まれる方は、一番上のリンクをクリックすれば、一番最初の記事を読むことができます。

前回記事は二番目のリンクをクリックでページが切り替わります。


<前回までのおさらい>

養生の霊域にて霊体の癒しが終わると、○○三頭龍王様より癒しの霊法を授かることができました。

思わぬお土産に浮足立つ私。

それをたしなめるように守護霊は、霊法を活かせるも殺すも私次第であると諭したのでした。


<続き>

いよいよ上部霊界編に突入致します。

前回は上部霊界に旅立つために霊体に受けたダメージを癒す必要があったため養生の霊域にて薬師如来様に癒しを与えて頂きました。

しかし、実際のところ、折角、癒して頂いたにも関わらず、霊界探索によるものではなく、霊視・霊感鑑定などで受ける負のエネルギーや霊障の攻撃により、何度も傷つけられて、とても上部霊界に移動できる状態ではありませんでした。

だから、実際には、養生の霊域には記事でお話した以外にも何度もお世話になっています。(笑)

現実との兼ね合いの中で実施している霊感旅行であるため、どうしても流れが断たれてしまうと、再び、霊界にチャンネルを合わせるのは中々難しかったりするのです。

そんな理由からしばらくの中断が挟まり、初めてこの新説・霊界ストーリーを読まれる方は、なんだこのお話は!?と驚かれるかたもいらっしゃるかも知れません。(笑)

是非、初めての方はこのシリーズに関しては、最初から通して読んでみることをお勧めします。

霊界という世界の実相が少しだけ体感できるかと思います。

前置きが長くなりましたが、これから上部霊界編がスタート致します。

上部霊界は本当に広大無変な様々な世界が広がっています。

どこまでご紹介できるのか、あるいは許されるのかはわかりませんが、できるかぎり伝えてゆきたいと思います。

まず、私が守護霊に導かれて移動した上部霊界は、月天宮と呼ばれる霊界でありました。

上部霊界の入り口ともいわれる霊界で、霊界での本質を理解し、現世でのこだわりなどが一切、なくなるとこの世界をまずは通るようです。

白々とした月の光と瑠璃色の光のコントラスト。

とても静かな霊界です。涼やかなのですが、波風の立たない穏やかさがあります。

うっすらと音が聞こえてきます。

音楽でしょうか。トライアングルを優しく叩いた時のような妙なる音色が空間に響き渡ります。

決してことさらに主張しない音。

それから、浮遊感覚。

フワフワとうき雲に乗って、安心しきったお母さんの胸の中で、あるいは背中で、あるいは乳母車に乗せられて、優しく優しく、どこか光のある方向へと導かれていきます。

私は、余計なことを考えることなく、この上部霊界である月天宮の波動に心を奪われていました。

しっかりと見聞しなければと思っていたのに、月天宮に感応した瞬間から、もうどうでもよくなってしまったのです。(笑)

それくらい心地良く、素晴らしい世界だということです。

現幽界などとは全く違う波動です。

理屈から言えば、現幽界の方が現実的で、現世において出来なかったことも、簡単に実現できたりします。

だから、現世の常識的観念からいえば、現幽界も天国のような世界であるなと感じていました。

しかし、守護霊によれば、現幽界は、あくまで下部霊界であるということでした。

その意味はその時には、よくわからなかったのですが、今はよくわかります。

ここがまだ、入口だということなので、この先は一体何が控えているのでしょうか。

ワクワクします。


天心:「何か今までの全てを忘れてしまいそうです」

守護霊:「ここは入口に過ぎぬ。皆、上部霊界に移動する際には、必ずここを通る」

天心:「そうなんですか!?まだ先があるんですね」

守護霊:「いかにも」

天心:「もう、ズバリお聴きしてしまいますが、この霊界に移動するためには何が必要なんですか?」

守護霊:「妙なる心なり」

天心:「妙なる心?どういうことなんでしょう?」

守護霊:「現世にての諸々の執着なく、常に麗しき童のごとき感性を持つこと」

天心:「つまり、子供の頃に持っていたようなキラキラした心や感性が必要ということですね」

守護霊:「その通り」

天心:「そういえば、この霊界の景色はなんともメルヘンな感じがしますね」

月天宮は、宇宙空間に光の玉がシャボン玉のように浮かんでいます。

良く見ると玉の中には霊人がいるのですが、皆さん自由自在に動き回っています。

歩く必要がないんですね。

月天宮は、中央に眩く輝く宮殿のようなものがあります。

まるで、ディズニーランドにあるシンデレラ城が光沢を帯びているような感じです。

先ほどから聞こえてくる不思議な音色もこの月天宮の真ん中にある宮殿の方から発せられているように感じます。

中に住んでいるのは、かぐや姫かはたまた、シンデレラか(笑)

本当にファンタジーな感じです。

もしかしたら、ウォルト・ディズニーはこの霊界の波動を受けて、様々なお話やキャラクター、世界観を考え付いたのかも知れません。

現世に生きる人は、いつしか、子供の頃のような感性を失ってしまいます。

世知辛く、損得勘定で考え、物質的な肉感的な喜びばかりを追求してしまいがちになっています。

それらのことに囚われているかぎりは、この月天宮に入ることは難しいのかも知れません。

妙なる心を取り戻す。

一つの魂の向上のポイントになるのかなと思います。


☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-月天宮2】へ続く



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富岡八幡宮と深川不動尊

神社・仏閣シリーズとして新しい神域を紹介致します。

先日、参拝に行ってまいりました富岡八幡宮深川不動尊です。

この両神社、仏閣は、東京の門前仲町という古き味わいのある街に鎮座しています。

しかも、富岡八幡宮と深川不動尊は眼と鼻の先という近距離に位置するため、門前仲町に行ったならば、この二つは両方詣でないともったいないですね。

富岡八幡宮は、いわずとしれた八幡様でありますが、八幡宮は、全国で稲荷社を抜きに考えれば、一番多い系統の神社であるともいわれています。

祭神は応神天皇ですね。

富岡八幡宮でお参り致しますと、ぼんやりしていたことがハッキリとしはじめたり、具体的な願望成就のお力が強く現れているようです。

実際に拝殿に詣でてお祈りしていると、翁の能面を付けたような神霊が姿を現してくれます。

いつもニコニコした好々爺といった感じで、ご眷族の白蛇神を従えて、白光を放っています。

白蛇神はツルツルした光沢感ある肌であります。

翁のような神霊はからは、白檀のような深い味わいのある香りが微風に乗って届けられてくる。

そんな感じであります。

大変涼やかで、雅楽の音がうっすらと聞こえてきそうな雰囲気の中、愛と真心で真剣に祈る時、お姿を現してくださるようです。

もちろん、人も吉、我も吉の精神で、自己愛にとらわれない大らかな心根で祈れば現在の状況を願いの叶いやすい方向へと軌道を修正してくださるとのことです。

神社参拝というものは、お社に散ずるのではなく、その神域に坐す神霊との交流が本来の意義になります。

ですから、神霊の姿を伺うことで、その神域に詣でた時に感応しやすくなるのです。

時々、守護霊アドバイスなどの鑑定で、「守護霊のお姿」がどんな感じであるのかを伝えさせて頂くことがあります。

これも、守護霊と感応しやすくなるのには有効です。

もちろん、たとえお姿は見えずとも、そこに神仏がいて、神様がいて、守護霊がいると確信して祈れば、感応して息吹を頂くことができます。

感応道交して、初めて、霊界における意義のある参拝となるので、是非、神社仏閣に詣でる時は、そういった心持で詣でるとよいでしょう。

富岡八幡宮でも例によって、お玉串を奉納させて頂きました。

ご寄付を頂いた方をはじめとして、そうでない方も含めた祈願を致しました。

富岡八幡宮における神徳の風がいきわたりますことを祈念しております。

富岡八幡宮を後にすると次は深川不動尊に立ち寄りました。

この仏閣も成田山系列の不動明王を中心に祀る仏閣であります。

丁度、護摩祈願が始まる時間帯でありまして、僧侶たちによる祈祷の様子を拝見することができました。

ものすごい圧巻でド迫力の護摩祈願です。

ズーンズーンという重厚な波動がお腹の底に響き渡ります。

やはり不動尊という仏様は凄まじい霊力を発揮されますね。

護摩壇の炎の中にはしっかりと不動明王様が現じられておりました。

この現実の世において、しっかりとした不動の心を持たずして、志や目標を達成することは難しいものがあります。

なんとなく、そうなりたい、そうしたいというだけでは途中であきらめてしまったり、挫折してしまうことが多い世の中です。

不動明王様はそんな我々を憤怒の形相で導いてくれています。

一見恐ろしいような顔つきですが、心には慈愛が満ちているのです。

なぜ、憤怒の形相をするのかといえば、絶対に衆生を迷いの淵より救済するぞ!という真剣な気持を持っているからなんですね。

人間も何かに真剣に向き合う時はとても怖い顔をしていることがあります。

必死で命を救おうとしている時のレスキュー隊の人達の顔、治安を守るために犯罪と闘う時の警察官の顔はとても必死で怖い顔つきをしています。

これは、なんとしても、人を救おう、正義を守ろうという強い信念があるからこそ、その力の強さが顔に現れているのです。

仏様の中には結構、異形の神といわれているほど、顔つきが凄まじい仏様がいらっしゃいます。

それは全て、衆生を救うために真剣に力を発揮されようとされているからです。

だから、異形の姿の仏様ほど、霊力は強いのです。

別の言い方をすれば霊験や証、サインの出方が強力であるともいえます。

それでは、涼しい顔した仏様は霊力が弱いのでしょうか。

そうではありません。

癒しの力や、悟りを得る知恵を持つ仏様は、涼しい顔をしています。

病に苦しむ衆生を救おうとされる薬師如来様は大変、優しい、穏やかな顔つきでいらっしゃいます。

病気を見てくれる看護師さんや医師は、穏やかで優しい感じのする方が多かったりしますね。

職業が異なれば、顔つきも大分変わってくるものです。

求められているものが異なるので、どちらが正しいとか、上であるとかの差はありません。

それぞれのお立場で、頑張る時のお姿や雰囲気の違いがあるだけです。

仏様も同じように、それぞれのタイプや得意分野によって、お姿や顔つきも変わってくるというわけです。

深川不動尊では、不動明王様が何が何でも衆生を救いたいと大発願をして、お力を発揮されています。

是非、この不動の信念の力を頂くことで、現実に強く生きるエネルギーを受けたいところです。


天心 拝



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守護霊との交流について4

前回は、守護霊が具体的な言葉によるメッセージを送ってくる瞬間について少し言及させて頂きました。

もっとも、守護霊はいつでも必要とあらば、語りかけてきてはいるので、受け取る側の問題でそれに気づかないだけなのではあります。

霊的に鋭敏になってくると、どういった繊細なメッセージも感じとることができるようになります。

ただ、厳密にいえば、色々とメッセージを言葉で受け取るためにはコツがあるのです。

それに関しては、ブログ上で発表することは、どんな方でも誰でも参照できてしまう媒体という特性上、難しいものがありますので、控えさせて頂きたいと思います。

勿体付けているわけではないのですが、前回も少し触れたように、守護霊とのメッセージを言葉で受け取る段階に入ってくると急激に魔の者に攻撃される危険性が増加致します。

審神がしっかりと出来るようにならないと、やたらと言葉によるメッセージを受けようとすると、邪霊に騙されたり、振り回されたりし始めます。

そうなると、その人、本人の人生も狂ってしまいますし、妄言、妄動を起こすようになると周囲の人達に迷惑をかけてしまうようになるのです。

なので、やたらと霊的なノウハウや方法論を人を見ずに伝えてしまうと社会や当人を困惑させる結果になってしまいます。

このブログで守護霊に興味をもたれた方もいらっしゃることとは思いますが、どうか面白半分、興味半分で、交流を図ろうとすることはおやめください。

真剣に人生に向き合い、人生と心を豊かにするために、真摯に守護霊と向き合い、語りかけ、祈るという姿勢でいるうちは、問題はないでしょう。

しかし、興味本位、冷やかし半分のいいかげんな気持で、交流を図ろうとすれば、いつしか、おかしな邪霊に惑わされる結果となってしまいます。

そこのところを真にご理解頂き、よりよい守護霊との交流を試みて頂ければと思います。

さて、私が守護霊の姿を初めてみたのは、丁度、20代の一番、社会人として忙しい日々を送っていた頃のことでありました。

本当に毎日、くたくたで残業しながら、時には徹夜続きを経験して、それでも、必死で仕事に向き合っていた時のことでした。

ある時、目の前に巨大なお坊さんの姿が現れたのです。

唐突な話で、にわかには信じられないかも知れませんが、無理もないことです。

何しろ当人の私も、その時は眼を疑いましたから(笑)

今までは見えていなかった守護霊の姿がその時、はっきりと感得してヴィジョンとして見えるようになったわけです。

その時、お姿を現してくださったのは、黄緑色のパステルカラー色した袈裟を身に付けたお坊様で、しかも、2、30メートルくらいの大きさがあったのです。

私はこの巨大坊主に度肝を抜かれて、一瞬立ち尽くしていました。(笑)

お坊さんというのはともかくとして、その大きさ、そして、何より黄緑色のパステルカラーって・・(笑)

もしかして、これは守護霊じゃなくて自分を惑わすために現れた邪霊ではないのかと疑ってかかりました。

この頃は、大分、審神の知識も深まっていましたので、見たものをそのまま受け入れるようなことはありませんでした。

パステルカラー色なんていかにも、怪しげです。

私の当時のお坊さんのイメージとしては、大体、袈裟とかは黒っぽかったり、茶系か濃い紫、濃紺といったものを持っていました。

黄緑色のパステルカラーはないだろうと(笑)

それで、私は、とりあえず、守護霊ヴィジョンに関しては、無関心を決め込み、見なかったことにしたのです。(笑)

そうして月日が少し流れまして、ある時、川崎大師に詣でることになりました。

このブログで何度かご紹介させて頂いた仏閣の一つであります。

弘法大師空海の縁の霊場の一つですね。

川崎大師の大きなお賽銭箱の前でお祈りしていると、その奥の間で、丁度、護摩祈願が始まるところに差し掛かりました。

お参りしたことがある方はご存知かと思いますが、川崎大師では、午後3時になりますと、僧侶による護摩祈願が執り行われるわけです。

その護摩祈願の前に僧侶の方が、少し法話のようなことをしてくださるのですが、その時も丁度、午後3時に差し掛かり、僧侶の方が奥の間にご登場されました。

お賽銭箱の前で祈っていた私は、その僧侶の方を見て、驚きました。

なぜなら、その方、パステルカラーの黄緑色の袈裟を来ているではありませんか!

なんと、真言宗の僧侶の方の着用している服装は、私のイメージしていた服装と大分違うようなのです。

その時まで、私には、そういった知識はありませんので、知る由もないのですが、どうやら、あの時見えた守護霊は、真言宗の関連の僧侶のようなのです。

この不思議な附合により、ようやく、あの時見たヴィジョンの意味がわかったわけです。

その後も色々と検証しながら審神をして、その守護霊様とは、ご交流させて頂いております。

仕事で精一杯頑張っているところへ、励ましてくれるために姿を見せてくださった守護霊に本当にこの時は感謝の想いを抱きましたね。

このように守護霊との交流度合いというものは、ステップバイステップで進んでいくものです。

急に何か修行をしたから、霊能が開けたり、極端な予言のメッセージを送ってくるようなことは、通常はないのです。

繰り返しになりますが、守護霊はあくまで魂の教育のために粉骨努力をされる存在だからです。

その人の魂の成長に応じて、少しずつ力を示されたり、道を示されたりするのです。

霊的な感性も、その人の成長に応じて必要ならば必要な時に必要なだけ開かれてくる。

これが正しい、霊感、霊能の育て方であって、守護霊との交流は、あくまで、輝ける魂、輝ける人生のためにあることを忘れないようにしたいものです。

読者の皆様が興味本位に落ち着くことなく、真のスピリチュアルなスタイルを確立されますことを願っています。



天心 拝



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守護霊との交流について3

守護霊に祈り、語り、そのフィードバックを外部環境の変化から読みとる。

こういう形での守護霊とのコミュニケーションはしばらく続きました。

お祈りすると必ず何らかの変化の兆しがあるのです。

それを読みとるために、様々な角度から解釈し理解し、咀嚼するようになっていきました。

すると、不思議なのですが、段々と霊的な感性も同時に冴えてきて、ある時から、心の奥から言葉が湧きあがってくるようになったのです。

本当にかすかで、はっきりとはしないのですが、何かメッセージのようなものが聞こえます。

一言二言、フッと心に浮かんだりするわけです。

そして、その言葉の意味するところを考えたりしながら、行動していくと、答えにたどり着くようになりました。

この感覚というのは、中々、文章や言葉では言い表し難いものです。

例えるならば、今日食べたご飯の味を言葉で表現するのはとても難しいことと同じことです。

美味しかった、まずかった、しょっぱかった、甘かった。

これらの言葉を尽くしても、感覚というものは伝わり難く、自ら体験しなければわからないものです。

私がブログ記事などで、守護霊に語りかけたり、お祈りをすることを提案しているのは、いくら言葉で説いたところで、霊界や守護霊というものは、理屈ではわからないものであるからという理由があります。

実際に少しでも実践、体験して、守護霊の存在を身近に感じなければ、意義が薄いというものです。

メッセージの内容も最初は、よくわからなかったり、本当に受け取れているのかな?

と疑問に思ったりすることもあるかと思います。

もちろん、そういった疑問がある通りに守護霊以外のメッセージである場合もあります。

時には危険な存在からのメッセージだったりする場合もあるでしょう。

だから、最初はメッセージの内容にこだわらず、鵜呑みにしないこと。

どんなに凄い内容のメッセージを受け取れたとしても、有頂天になったり、自分が凄い霊能者になったつもりになって、ベラベラと人にしゃべったりしないことです。

メッセージの内容の審神ができないうちは、これを守る必要があります。

「お前は○○だ」「お前に使命を与えてやろう」などと、やたらと大げさなことを言ってくるような内容は注意が必要です。

あと「○月○日、事故にあう」などという不吉で断定的な事柄もまず、守護霊ではありません。

守護霊は、いつも魂の教育と愛からの指導を行う存在です。

やたら本人を天狗にさせたり、不安や恐怖に陥れるような内容は、極力、メッセージとして与えたりはしないものです。

どうしても、戒めとして伝えなければならない場合は、方向性を示し、その内容は慈愛に満ちています。

このあたりをしっかりと見極められないうちは、メッセージの内容は参考程度に受け止めて、現実的な努力と社会常識を逸脱しない形で、生活を送ることが大事です。

守護霊との交流が進んでくると必ず、良い面がある背後でダークサードな一面もあるということをここでお話させて頂きました。

次回に続きます。



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守護霊との交流について2

守護霊との交流の第一歩は、一方通行の方思いな語りかけ、祈りであったことを前回はお話させて頂きました。

守護霊といっても、何せまだ、姿も形も見えない状態です。

ただ、只管、そこに守護霊がいて聞いてくれていると信じて、語りかけ、祈り続ける状態がしばらく続きました。

「今日は○○なことがありました。これって何か意味があるんでしょうか?」
「明日、△△をすることになっているのですが、どうか上手くいきますうに導いてくださいね」
「なんかお腹が痛いです。この痛みなんとかしてください」


本当にもういろんなことを言い続けました。(笑)

そうすると、スーッと暖かい風が吹いてきたり、おでこのあたりが涼しく感じたりするわけです。

気持ち的にズーンと沈んでいる時も、何か抱きしめられているようなホッとする感覚に包まれて、祈り終わってからしばらくすると、もう悩んでいないのです。

知らないうちに心が晴れやかになっている。

不思議な感覚です。

こういうことを繰り返しているうちに、ある時ふと、あることに気付いたのです。

守護霊は、語りかければかけるほど、その分、強くサインや証を示してくれるということです。

私が日増しに守護霊の存在を強く感じるようになったのは、毎日毎日、これでもかと語りかけ、祈り続けたからであります。

霊能力のメカニズムのお話でも少し触れましたが、意識を霊界に向けると霊感が冴えてきます。

毎日、守護霊に意識を向けていた私は、いつの間にか霊的にものすごく鋭くなっているのに気付いたわけです。

もちろん、まだこの段階では、感じるというレベルであり、ヴィジョンを視たり、メッセージを受けたりはできません。

しかし、段々と霊感が冴える最中に私はあることに気付きました。

守護霊は外部環境を使って、メッセージや何かを知らせようとされることがあるということです。

私の体験を少し、ご紹介しましょう。

中学生の時の話です。

私は中間試験を控えていました。

この頃は本当に勉強が苦手で試験でもあまり成績が良くありません。

今でこそ、難解な本なんかも特に気にせずに読んだり、チャレンジすることがありますが、中学生の頃の私は完全に、のび太君状態でした。(笑)

勉強が嫌いなので、試験前なのにやる気が起きません。

私は、守護霊に「私は全く勉強する気が起きません。。試験前なのにこれではまた、試験は散々な結果に終わります。どうかやる気を出すにはどうしたらいいのでしょう?」

このように半分、愚痴に近いようなお祈りを守護霊にしていたわけです。

例によって、守護霊は清々しい気を送ってくるだけで、何か答えてくれるわけではありません。

どんなに気持ちが晴れたって、どんなに守護霊の存在を確信できても、試験勉強に集中できずに試験結果が散々なことになったら意味がない。

私は、この時には守護霊の存在は、あまり現実的には意味がないのでは?なんて不貞のことを考えたりもしていました。

親の心、子知らずといいますが、守護霊の心、当人知らずといったところでしょうか。

この時は、まだ守護霊の霊界でのサポートの仕組みがわかっていませんでした。

お祈りをしてから、ある授業を受けました。

歴史の授業です。

例によって、勉強嫌いな私は、授業に対して集中して聞いていません。

だってつまんないですから(笑)

授業を淡々と聞き流していると(笑)、歴史の授業は脱線して、いつの間にか先生の大学時代についての雑談に突入していました。

そのお話の内容は、大学というところは、中学や高校と違って、好きな分野の勉強が選択できるし、授業も選択するしないは学生本人が決めることができるといったお話でした。

それから、授業がない日は、平日であっても友達と映画を観に行ったりした話をしてくれました。

平日の映画館です。

待ち時間や長い行列を作ってならばなければ、観ることができない映画なども楽々、待つことも並ぶこともなく、空席の多いシアターの真ん中で悠々観れたと昔ばなしを語っていました。

なんとも優雅な話です。(笑)

中学生の私にとって、雑談のどれもが楽しくて、いつの間にか聞き入っていました。

先生がこの雑談をした主旨としては、今は色々、受験勉強とか大変でも、大学にまで進学すれば、自分の好きなことができるようになるぞ!という、だから頑張れという(笑)そういうオチに落ち着きました。

まだ中学生で単純な発想の私は、すっかり大学に進学するつもり満々になっていました。(笑)

そのためには、まず高校受験をしっかりと突破して大学受験にエントリーする資格を得るようにしなければなりません。

それからというもの私は、全く勉強に興味が持てなかった私が、いつの間にか大学進学を目指して、勉強する気力が湧いてきたのです。

この時、ハタと気づきました。

守護霊に祈っていた内容が、いつの間にやら叶っているではありませんか。

そして、この時、感じたのは、勉強にヤル気を出すのに必要なことの答えは、頑張って得ようと思える目標を持つことであると守護霊が教えてくれたのだということです。

メッセージもなく姿も見えないけれど、外部環境を通して守護霊は一生懸命、こちらのために知らせるように働いてくれていたのです。

これは、漫然と過ごしていたら気付かずに通り過ぎてしまうような事柄でもあります。

別に授業中、先生の話が雑談に発展することは珍しいことではなかったですし、偶々、先生が昔話を披露して、それでいて、勉強を頑張るように諭しただけといえばそれだけの話です。

しかし、それでもこうした偶然の外部環境と祈りの内容の附合は何度も経験することになりました。

お祈りした後は、必ず外部環境に起こる現象に注意を凝らすようになっていました。

なんでもないような事柄が、実は守護霊からのサインであるかもしれないからです。

このことを知らないと本当に守護霊からのサインを見過ごしてしまう可能性が高いわけです。

例えば、「早く良い人と出会いをください!結婚したいです!」と守護霊に祈ったとしましょう。

しばらくして、母親がやってきて、「あんた部屋が散らかり過ぎ!もっと綺麗にしなさい」と小言を言われたとします。

通常であれば、「ああ、うるさいな~」とか「早く結婚してうるさい小言を聞かないですむハッピーな生活をしたい」なんて思ってしまうのが、ありがちなパターンかと思います。

しかし、これは、守護霊が「もっと気を細やかにもって清潔に心がけて、自分の魅力をアップさせることを心がけなさい。そうすれば結婚の縁も結びやすくなるのだよ」と教えてくれているわけです。

お母さんは、いつも通り、娘に小言を言っているだけだと思っていますが、実は守護霊がお母さんを使って、サインを送ってきているわけです。

外部環境に起こってくることをなんとなく見過ごしてしまえば、守護霊の苦労は水の泡となることでしょう。

もちろん、守護霊も当人が見過ごす可能性も考慮していますので、外部環境によるアプローチは一回だけとは限りません。

複数回にわたり、似たような意味あいを持つ現象を起こしてみせて、当人に知らしめようとします。

なので、何度も起こるような事柄は守護霊によるサインである可能性が高いので、注意が必要です。

守護霊との交流するポイントの二つ目は、お祈りをしてそれから、外部環境に起こる現象を受け止め、咀嚼することにあります。

これを毎回繰り返してゆくと、守護霊への問いかけ、その返事を得るというキャッチボールが成立することになります。

これが最初の守護霊とのコミュニケーションのヒナ型となりますので、覚えておくとよいでしょう。

次回に続きます。



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守護霊との交流について

今回は守護霊との交流コミュニケーションについて実体験などを交えながらお話してみたいと思います。

私が守護霊との交流しはじめた時のことについて、以前、アメブロ版ブログの方でご質問を受けたので、そちらの方で回答させて頂いた時に少しだけお話させて頂いたことがあります。

様々な鑑定をしたり、ブログ記事を書いたりしているからか、もしかしたら、私が過去に何か特別な修行をしたりして、霊的な能力を磨いてきたのかと思われている方もいらっしゃるかも知れませんね。

大抵、霊能者などは、霊的な秘儀を行ったり、滝行や断食などの荒行を積んだりして、霊力を高めるようなイメージがありますよね。

もちろん、そういった方法もありますし、実際に修行されている方もいらっしゃることでしょう。

しかし、私は一介の一般市民と同じ生活をしています。

過去に霊的な秘儀やそういった勉強をしたことはありますし、人格修養として、中国古典や哲学などにも書物を通して学ばせて頂いたことはあります。

滝行や断食のような荒行はしたことがありませんが、そのメカニズムは理解しています。

でも、それらのことを霊能力を磨いたり取得するために修行したりしたことはありません。

これからもないでしょう。

なぜならば、修験者や山伏の修行に特別な思い入れがあるとかならば、別ですが、私たち一般人は、日々の生活の中で、人格を磨き、霊的感性を磨き、社会性を通しながら魂の向上を目指すのが最もリーズナブルな道筋であるといえるからです。

私がブログなどを通してお話している内容は、あくまで一般人向けであり、社会生活を送りながら実行可能であることを目指しています。

一般社会のぐちゃぐちゃした、ドロドロの問題だらけの日常に目をそむけずに、それを研磨の石として、学び研鑽していくことこそが、私たちの生きる道であると信じています。

さて、少し横道に話がそれましたので、守護霊に話を戻します。

私が守護霊という言葉を初めて知ったのは、最初は子供の頃、私の兄が読んでいた、「うしろの百太郎」という漫画においてでした。(笑)

御存知の方もいらっしゃるかと思いますが、この漫画は百太郎という守護霊と主人公の一太郎という少年が様々な霊的な事件に遭遇しながら、霊界を探求していく話です。

ちょっと全体的にオドロオドロシイ雰囲気のある漫画ではありましたが、なかなか興味深い(笑)お話です。

この時は、まだ、守護霊やら霊界やらとはそれほど、縁が深かったわけではなく、漫画を読みながらも「ふ~ん、そんな世界があるんだなあ~」なんて感じて、半信半疑で読んでいたわけです。

もちろん、守護霊とお話したり、霊界について直接的に交流するなんてことはありませんでした。

このようなお話をすると他の霊能者やスピリチュアル系の人に比べるとなんとも普通な感じがするじゃありませんか?(笑)

そうです。私は至極、普通の人間であり、特別な存在でもなければ、偉い人なわけでもありません。

最近は、鑑定させて頂いている方などから、天心先生などと呼ばれたりすることもありますが、そんな風に呼ばれる度に大変、恐縮な想いをしています。(汗)

私は、あくまで一つのメタファーとして霊視・霊感鑑定でご奉仕をさせて頂いているだけで、何か特別なわけではありません。

ご相談に来られる方の中にも、それぞれの生活の中で、あるいは仕事の中で、頑張ってらっしゃることを伺う度に頭が下がる思いをすることもあります。

その方はその方の立場と状況、環境の中で努力して頑張ってらっしゃる。

それは、とても立派なことであり尊い、魂の向上のための学びをされていることでもあるのです。

いくら霊的に敏感であったり、知識があったりしても、日常生活が滅茶苦茶である人が尊かったり偉いというものではないのです。

例え、霊的に鋭敏ではなくても、霊界知識なんて知らなくても、自分の行くべき道筋をわきまえて、邁進努力されている方は魂も輝いているのです。

本当にそういう方は立派だと思います。

私は、そういう方を見かけるたびに、その方の御魂に拝礼したい気持ちになります。

その人の内なる神性が現れているからです。

またまた脱線してしまいました(汗)

私が守護霊と交流しはじめたのは、12、3歳くらいの頃からになります。

丁度、このあたりから私のスピリチュアルや霊的なこと、人生に対する哲学的なことを深く関心を持ち、探求をし始めた時期であります。

私は、1歳の頃から喘息を持ち、それからアトピー性皮膚炎も患っています。

今は、大分改善されましたが、まだ完治はしていません。

他にもそくわん症(背骨の曲がる病気)にかかったこともありました。

それが原因で苛めにあったり、本当に死ぬような気持を味わったりしたことも多々あったのです。

家も決して、豊かではなく、病弱な私はどれだけ、家族に迷惑をかけたかわかりません。

葛藤と苦しみの答えを見つけるためにわたしは、いつしか、様々な古典や霊的なこと、書物などを読み、様々な先生と呼ばれる方達の講演会などにも顔を出したりもする日々を送りました。

子供の頃は、なかなか講演会などには行くことができないので、親を説得して付き添ってもらう形で参加したこともあります。

人生の答えを知るために、私は子供の頃から数十年の歳月をかけて探求してきたことになります。

一般的な子供は、友達と遊んだり、野球をやったり、思春期になればテレビや芸能人に興味を持ったり、異性との甘い交際に胸をときめかせている時代です。

私は、そんな中、只管、真実とは人生とはと問い続ける日々を送っていたのです。

考えてみれば、寂しい青春時代だともいえます。(笑)

普通のことを楽しむ余裕はほとんどなく、青春の大半を真理や哲学、スピリチュアルに投じるしか、私には選択子がなかったように思えます。

これが私の天命の一つなのだろうなとうっすらと思いながら人生を歩いてきたわけです。

そんな中で、守護霊との交流は始まりました。

最初は交流といっても、あれこれお話したりできたわけではありません。

私が知りたいこと、教えてほしいことを一方的に訴えるだけの方思い状態でありました。(笑)

後は、こうして欲しい、ああして欲しいというお願いごとばかり(笑)

当時の守護霊様はさぞ辟易したことであろうこと疑いありません。(笑)

そんな一方的な私の言うことも、特に罰を与えるわけでもなく、じっくりと聞いてくださる守護霊は随分と辛抱強い方であるなと思います。

今では守護霊を私も見習って、霊視・霊感鑑定などでもご相談者の悩みを辛抱強く聞きながら、課題を解決していくための取次をさせて頂いています。

時々、取次結果が厳しく、お伝えすることも厳しい内容になってしまうこともありますが、その結果を見ながらも、ああちょっと厳しいのではないかな?等と心配しつつ補足を加えたりしているのです。

私も苦労と心痛を経験しながら、現在に至っているので、ご相談者の皆さまの心労は人情としては凄くわかるのです。

理屈や正論を越えて、辛いものは辛い。

これがホンネであるのもわかるのです。

それでも、魂第一で考える守護霊の結果は厳しい場合もあり、それでも伝えないわけにはまいりません。

一段上の大局から物事を視ている守護霊ですから、きっと正しいはずなのです。

そう思って取次を行っています。

さて、守護霊様の私の交流の第一歩は、一方通行の呼びかけでありました。

これでは交流していることには、ならないのではないかと思われるかも知れませんよね。

でも、メッセージは言葉で来るとはかぎらないのです。

不思議なことなんですが、守護霊に語り続けていると、暖かい清々しい波動を感じることがあります。

なんだか胸にホッとするような感覚です。

安心感というものでしょうか。

言葉ではないし、何か具体的に示してくれているわけではないけれど、只管、語りかけ祈り続けているとこの感覚がわかってくるのです。

私は何度も祈り、何度も語りかける中で、これを経験しています。

最初はこれが何であるのか、全くわかりませんでしたが、ともかく只管訴えていると気持ちがすっきりしてくるのです。

これが守護霊が祈りを受け取ってくれたサインでありでもあるのです。

守護霊との交流は、まずここから始まります。

只管只管、方思いでも良いから、語りかける。

それは間違った祈りかも知れないし、内容はエゴに満ちているかもしれないけれど、素直な気持で想いをぶつけていると必ず守護霊は感応して答えてくれるのです。

この感覚がつかめないと、全てのことは頭の中の理屈だけになってしまいます。

理解したり、知識をつけることは大事なことですが、体験、感覚で体得することが霊界を学んでいく上では、大切な要素の一つになります。

このことを覚えておいてください。

少し、長くなったので、守護霊との交流については、次回に続きたいと思います。



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現世思考と霊界思考

私たちは、現実的な肉体のある人間としての側面と、肉眼では見えない霊界に籍を置く、霊的存在という二つの側面があります。

いまさらこのブログの読者の方に言うまでもないことかも知れませんね。

でも、この二人の側面があるがゆえに現実世界での考え方と霊界での考え方の相違により、混乱をきたすこともあるかと思います。

現実に生きる我々にとって大切なことと、霊界における重要なことというものは、一致するところもありますが、得てして異なる部分を持っているものです。

例えば、現実において重要視されることは、富を得て豊になることであったり、素敵な異性と巡り合い、幸せになることであったり、事業を打ち立てて成功したり名誉を手に入れることであったりします。

霊界においては、全ては、霊覚の向上、霊層向上、魂の脱皮などが最優先課題であり、現実世界で大切に思っていたことというものは、あまり重要視されないことが多いのです。

現実では豊かになって楽しむことが重要でも、霊界での心の豊かさが求められます。

これは現実思考霊界思考とで相違があることをわかりやすく物語っています。

現実思考で人生を生きれば、自然と物質的な豊かさや喜びを見だそうとして、手に入れようとします。

その結果、霊性が曇り、いつの間にか物質的な欲求の虜となり、霊覚も霊層も低い状態になります。

一方で、あまりにも霊界思考でいきすぎると浮世離れした社会性や常識性がなくなってくることになります。

いつもフワフワと霊界を漂うような心地で、常識がなかったりマナーやルールも守らないようなどこか異端な存在になってしまいます。

これでは、霊性は磨かれても、社会で役に立つ人間にはなれませんし、時として、反社会的な行動すらとるようになるかも知れません。

現実思考と霊界思考、どちらに偏ってもバランスのとれた人生であるとはいえないでしょう。

ですから、大切なことは現実思考と霊界思考のギャップを認識した上で、双方がクロスしてバランスをとれる生き方をすることが大事です。

例えば、現実にて得た豊かさに囚われるのではなく、活用して、愛と真心を表現する糧とする。

豊かになった分、世の中に還元して、困った人に恵みを与えることで、正のエネルギーを蓄え、愛の実践により霊性を磨いてゆくわけです。

あるいは、事業も単なる金儲けとして考えるのではなく、事業を通して、人を幸せにして、霊性においても良い方向へ導くような理念を持つ。

こうすることで、事業も現実思考だけに偏ることなく、霊性も加味した形でのものになるためのバランスが取れるというものです。

現実思考と霊界思考の融合を図る。

まず、これが一つの道です。

これとは別にもうひとつ大事なことがあります。

それは現実思考と霊界思考の相違を知ることです。

現実思考では、現状に広がる状況と折り合いをつけながら、一歩一歩、努力を積み重ねて目標を実現していきます。

これに反して霊界思考では、まず志を立て目標を想い描いた瞬間から霊界にその理想の状態が実現することになります。

これは現実思考とは大きく異なる考え方であるといえます。

現実においては、一足飛びに何事も到達することができないものです。

時間と労力をかけて一つ一つ積み上げてゆくしか実現の方法がありません。

しかし、霊界においては、理想を打ち立てた瞬間に実現しています。

そして、理想となる霊界が出来上がった瞬間から現実に向けてのフィードバックが起こり、顕現化が始まるのです。

霊界思考がなく現実思考のみで生きている方は、現在おかれている状況を強く認識してしまうために、霊界までも現状と変わらぬような状況にしてしまい、結果、現状が続いてゆくことになります。

「私は貧乏だから、一生つつましく生きていくしかないだろう」
「私なんか結婚できるわけない。出会いもないし」


現実思考で考えれば、このように考えてしまいがちになります。

こうなると霊界も「一生貧乏霊界」が作られることになりますし、「一生未婚霊界」が作られることになります。

当然、これらの霊界からのフィードバックを受けて顕現化に向かうことになるので、実際のところも霊界の表す通りの状況が現れることになります。

私はこのブログで度々、霊界を変えてゆきましょうという提案をさせて頂いています。

でも、なかなか、心根が変えてゆくことができない方もいらっしゃることでしょう。

その理由の一つとして、現実思考が強すぎるということがあります。

現実思考と霊界思考をごっちゃにしてしまっているという言い方もできるかも知れません。

霊界は基本的に自由な世界です。

想像力と念によってつくりかえることができる世界なのです。

現実を視て、出来るできないというのは、現実的な社会に生きる時には、必要な判断かと思いますが、霊界思考をする時には無意味であり、下手をすると害にすらなる場合があります。

もっと自由に自分の理想を描いて良いのです。

霊界思考をする時には、もっと希望を持って、楽しく幸せな理想の世界に心を遊ばせる必要があります。

現実的に考えて、「あれをするには○○年くらいかかって、お金も○○円くらいかかる。。」なんて世知辛いことを考える必要はないのです。

ただただ、理想のイメージの世界を広げてゆけばいいだけです。

だから、霊界をチェンジしていく際には、どこまでも能天気にどこまでも楽天的に霊界思考でゆくべきです。

もちろん、現実の社会で人と交わりながら生きる場合には、それに準じた形で行動する必要はあるでしょう。

しかし、一日のうち数分でもいいから、霊界思考を持つ時間を持つことをお勧めします。

その時は是非、現実なんか忘れて、思いっきり都合がよく幸せに浸れる世界を思い描いてみてください。

理想の世界は霊界となって即座に作られて、そこからのフィードバックが始まることになるでしょう。



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【重要】ほたて様へ

いつもお世話になっています。

天心です。

天命・過去世調査のお申し込みを頂いた、ほたて様にお知らせです。

鑑定結果を送付しましたが、エラーとなって却ってきてしまいました。

ドメイン指定などの設定をされているか、メールアドレスに変更があることが想定されます。

お手数ですが、今一度、ご確認いただけますでしょうか?

宜しくお願い致します。

霊界における時間について

私たちは、日々、時間に追われながら生きています。

一日は24時間であり、一年は365日と定められていて、この暦を中心に生活の在り方を定めています。

考えてみれば、時間というものは、私たち人類共通の言語であるといえるかも知れません。

時間という基準を通して、私たちは予定を立てて、その予定を持って、協調しながら社会を構成しているわけです。

思えば、人類の最大の発明品は、暦であり時間であるのかも知れません。

重要な意味を持つ時間についてですが、霊界についてはどのような意味を持つのでしょうか。

以前、鑑定をさせて頂いたご相談者の方からご質問を受けましたので、この場を借りて少しだけ、霊界における時間についてのお話をさせて頂きたいと思います。

私たちは、時間の尺度を様々に規定して、推し量ろうとしています。

世紀、年、月、日、時、分、秒等ナド。

しかし、大まかに分けると未来、現在、過去という識別の仕方もあります。

霊界において、未来、現在、過去はどのように流れているのでしょうか。

結論からいえば、霊界に現世のような時間の概念はありません。

正確にいえば、概念は存在していますが、現世のように流れているわけでないということです。

どういうことか少し説明させて頂きたいと思います。

私たちは、現世において、一日一日と時間を意識して、未来に向かって現在を生き、過去を積み上げていると考えて生きています。

しかし、よくよく考えてみるとこの考え方には、少し無理があることに気がつく思います。

例えば、未来について考えてみてください。

未来とはなんでしょうか。

これから起こりうること、可能性ということになるわけですが、まだ、発生していない状況の事を指しています。

いうなれば、ボーリング場にてピンに向けてボールを投げた時、まっすぐにピンに向かっていけばピンは全部かあるいは多くが倒されるであろうということがわかります。

時々、未来は全て決定していて運命によって固定的であるものだと勘違いしている方がいらっしゃいますが、未来とはどこまでも現時点からみた可能性であるということがいえます。

だから、現在が変われば、未来も変わる。

これが未来というものの正体でもあります。

一方、過去とは何かと考えれば、これは記憶であり、記録であるといえるでしょう。

過去というものは、発生した状況に対する事実を心にとどめ、あるいは記録として残し、その事実を直接体験していない人とも発生した状況を共有することができるわけです。

私たちは、坂本竜馬にあったことはありません。

凄く高齢の方ならば、子供の頃、観たことがあるという方もいらっしゃるかも知れませんが、現代に生きる大部分の方は、坂本竜馬にあったことがありません。

しかし、私たちは、坂本竜馬が存在したことを知っていますし、明治維新にて活躍した幕末の志士の一人であることを知っています。

歴史的な記録があり、写真も残っています。

多くの作家たちが、彼を取り上げて物語を作り、私たちはそれに触れることができます。

坂本竜馬の記録物に触れることで、過去を知ることができるわけです。

このように過去もまた、実体を持たない心の世界に止まるものであるということがいえます。

未来も過去も現実には存在しないなら、存在するのは今現在だけだと考える人もいるでしょう。

しかし、果たしてそうでしょうか。

現在とは何かといえば、今のこの瞬間なわけですが、今この瞬間とは常に変化を遂げています。

現世とはお釈迦様諸行無常と説いているように、一刻一刻と変化を遂げ続けています。

今現在だと思っているこの一瞬も、変化してすぐに過去のものになってしまいます。

現在というものもまた、今目の前にある現実を心のうちに認識しているということを離れては、存在することはできないのです。

このように考えると未来も過去も現在も心の中にあるだけで、現実には、一定せず変化を続けているという事実が残るだけです。

この変化に様々な尺度をつけて時間というものを私たちは認識することができているわけです。

だからこそ、現実の中では時間という尺度を使った方が、わかりやすいですし、行動しやすいのです。

しかし、霊界には時間の概念は必要ありません。

なぜならば、創造しようと思ったことは、時間的拘束をうけることなく、実現することができるからです。

但し、身に付いた観念や想念の毒のために霊界においても時間の概念にとらわれたりしている霊人は存在しますが、原則をいえば、霊界には時間の流れはなく、ただ、あるがままにある世界となっています。

逆の言い方をすれば、未来も過去も現在も霊界には同時に存在しています。

このようなことをいうと奇妙なことのように思われるかも知れませんが、霊界にとっては別段、不思議でもなんでもありません。

未来像を想像した瞬間に霊界にもその未来像は表現されてしまうからです。

過去というものも記憶として思い起こせば、たちまちに霊界に反映されてしまうのです。

だから、同じ霊界に存在していることなので、未来も過去も出来事としては、同時に存在することができるというわけです。

現世では変化の法則に従って順次、時が流れていきますが、霊界では時は一瞬でもあり、永遠でもあるのです。

現世において、亡くなる時に走馬灯となって過去の出来事を一瞬で垣間見る現象が報告されていますが、これも霊界にとって、現実における数十年の月日も時間的拘束を受けなくなるために為せる技であるともいえるでしょう。

霊界には時間的意味は少ない。

一つの霊界観として、理解して頂ければ幸いです。



天心 拝



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【ご報告】神田明神にて追風祈願

ゴールデンウィークが終わり、休暇モードからお仕事モードに切り替え第一日目ですね!

なかなか、連休の中で培った?(笑)休暇モードは抜けきらない方もいらっしゃることと思います。

私もゴールデンウィークの企画であった【GW霊界開運講座】を終えて、通常モードにブログを切り替えて参りたいと思います。

その第一弾としては、神社参拝カテゴリにおいて、昨日、行った神田明神追い風祈願の御報告をさせて頂きたいと思います。

昨日は、ゴールデンウィークの最終日ということもあり、企画もののブログをちゃんと全うできたことの感謝の祈願と、例によって、霊視・霊感鑑定においてご寄付をして頂いた方への追い風祈願をさせて頂くために神田明神へ赴いたわけです。

なんどもこのブログでは登場している神田明神ですが、昨日は、拝殿の前に立ってお祈りを始めると、今まで鑑定させて頂いた方のお悩みの内容が走馬灯のように眼の前を駆け巡ります。

不思議な体験ですが、ようは、全部、しっかりとお祈りして神田明神からの追い風の功徳がいきわたることの取次をしろという守護霊からのメッセージであったようです。(笑)

ということで、いつも以上にご祈願の時間が長くなってしまいました。

お仕事の悩み、人間関係の悩み、結婚生活の悩み、恋愛の悩み、自分の病気や性格の悩み、生きる意味とは何かという深い悩み、本当に様々なケースを事細かに奏上させて頂きました。

少しでも、悩み葛藤の解決のヒントになるような流れが、ご寄付をして頂いた方を中心に、それ以外の方にも行きわたるようにお祈りさせて頂いたわけです。

もちろん、今回も神田明神へのお玉串、献灯、義援金への募金をさせて頂きました。

これも、寄付の中からさせて頂いています。

こうすることで、私を仲介役として、少しでも、ご寄付を頂いた方に神徳がいきわたるように取次をさせて頂くわけです。

間接的ではありますが、ご寄付をされた方は、このような形で真心が神様の元へ届けられているのです。

他の神社・仏閣に詣でた時も同様です。

全て、神仏の取次をするつもりで、ご祈願をさせて頂いています。

神社・仏閣によって、功徳の追い風の種類は異なるので、毎回違う風が行きます。

神田明神は、霊界の風通しを良くして、霊層の向上がしやすくなる功徳があるみたいです。

このような功徳を受けると問題となっている霊界の波動が少しずつ変化して、上部の方へ移行しやすくなるという作用があるようです。

あくまで追風なので、霊界を積極的に改善していく努力をすることが大前提ですが、通常よりもしやすくなるということです。

ちなみに前回の記事で川崎大師のお話をさせて頂きましたが、川崎大師に関しては負のエネルギーを少し減少させてくれる功徳があるようです。

このように神社・仏閣によって働きが異なるので、詣でる時には特に意識してお参りするとよいかと思います。

ということで、ご寄付を頂いた方々には、感謝の念をこの場を借りてお伝えさせて頂きたいと思います。

本当にありがとうございました!



天心 拝



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【GW霊界開運講座】観自在の生き方

こんにちは!

天心です。

いよいよ、ゴールデンウィークも最終日になりましたね。

飛び石連休ではありましたが、長期間の大型連休、皆さまはどのようにお過ごしになられましたでしょうか。

充実した連休であったならば幸いです。

私も連休は色々としたいことを大いにやろうと休みの初めには意気込んでおりましたが、想いと現状は裏腹で(笑)積み残した宿題も沢山あります。

まだ、鑑定しきれていない守護霊アドバイスや天命・過去世調査、霊障判定・簡易修祓、それから、ブログやメールを通して、ご質問を受けたことに対する回答、伝えなければならないことの多くはまだ、未発信のままです。

なんとかこのゴールデンウィーク期間中の企画として行ってきた【GW霊界開運講座】だけは全うできたようです。(笑)

様々な角度から開運に至るヒントをちりばめつつお話をしてきましたが、読者の皆様のお役には立てたのでしょうか。

成果のほどはわかりませんが、皆さまの心に届きますようにという祈りを込めて、最終日のお話をこれからさせて頂きたいと思います。

今回のテーマは、「観自在の生き方」です。

人は、常に正しい行動をしたいと願う生き物です。

誰だって、初めから悪い方向に行きたいと願いながら生きている人はいないですよね。

正しさとはなんだろう、どのように生きることが正しい生き方なのだろうと誰もが一度は、いや一度ならずは考えることでしょう。

人は、それぞれに正義を考えて、いつしか自分なりの正義を悟ります。

正しいと思う基準ができあがり、それに基づいて判断しながら生きてゆくわけです。

しかし、その己が正しいと思う基準は果たして正しいといえるのでしょうか。

実は、正義の心こそが、自分を苦しめている正体であることを知る人は、以外と少ないように思います。

「正義の心が自分を苦しめる?なんで?おかしくない?」

このように思う方もいることは想像できますね。

普通は正義に準じて生きたならば、正しいことをしているのだから幸せになったり、充実して生きられるはずだと考えるのは無理もないことです。

もちろん、正しいと信じる道をゆくことは、大切です。

というよりも正しいと信じる道を行く以外に人は進むべき道を得ることはできないといってもよいでしょう。

では、なぜ、正義の心が自分を苦しめることになるのでしょうか。

少し譬え話をしたいと思います。

あなたがある会社に勤めたとしましょう。

その会社の社長は、少しワンマンなところがあるものの、とても、会社と社員を愛しています。

どこか厳格な父親的なところがあります。

考え方は保守的で、コツコツと真面目に従順に働く社員には、給与も少し弾んだりします。

しかし、目上を敬わなかったり、目立つようなスタンドプレーをするような社員にはどこか厳しく冷たいところがあります。

「入社して10年は下済みであるのは当然で、10年以上にならなければ鼻たれ小僧同然である」

このように考える社長のもと、あなたは、歳も若く、才気あふれている社員として働いていると想像してみてください。

あなたにとって、この会社のやり方は旧態依然として、発展性も乏しく、評価基準も情実が絡むので、どこかフェアじゃないものを感じています。

会社にて自分の才覚を表して貢献しようと思っても、社長は、年功序列の思考で、古くから勤め上げた社員には重要な仕事をアサインしますが、入社したばかりの若い社員には、なかなか、仕事を任せようとはしません。

どうやら、あなたがこの会社で自分の思う通りの仕事をするためには、10年以上働きながら社長の信頼を勝ち取るしかなさそうです。

こういうシチュエーションに身を置かれた時に、おそらく、こう思うはずです。

「この会社はダメだ。社長は頭が固すぎる。経営方針が間違っている」

自分の中の正義から言えば、もっと才能ある人を登用して、貢献した人には十分な報酬と、重要な仕事を任せるべきだ!というのが、あなたの正義であると思えるかも知れません。

しかし、他の社員も同じように考えているかどうかは別でしょう。

ある社員から観えれば「社長は、私の日々の頑張ってきた実績を評価してくれる暖かい人だ。頑固なところもあるが、社員を愛し守ってくれている。決して目先の成績だけで社員を判別しないので、安心して働ける」

このように感じている社員もいるかも知れません。

社長の意向に沿い、それでいて、従順であり、継続して頑張っている社員には、この会社の社長は篤く報いていくでしょうし、報いられた社員も自分の中にある、保守的でどこか人情的なところを優先する、序列が守られたやり方を支持する正義に準じることができるため、満足していることでしょう。

見方を変えれば、同じ会社、同じ社長に対する評価も変わるものです。

自分の中に正義があるのと同じように他人の中にも正義があります。

もちろん、会社を経営する社長の中にも正義が存在しています。

お互いの正義がかみ合えば、幸せを感じて不満はなくなりますが、お互いの正義にずれが現れれば、反発の気持ちを感じるものです。

これが自分の中にある正義が自分を苦しめる理由です。

人それぞれの正義がぶつかりあうことが苦しみの原因であったりするのです。

苦しみを感じている人の大多数は、自分の直面している現状に不満を持っています。

なぜなら、自分が正義と思うことが行われていないことに納得できずに苦しんでいるわけです。

先ほどの譬え話に出てきた若手の才気あふれる社員にとっては、自分の勤めている会社に自分の正義が存在しないために苦悩しているともいえます。

この苦悩の解決方法の一つとしては、転職という方法があります。

もっと合理的で、フェアな評価システムを採用して、若くてもどんどん才能とやる気のある社員には難しい仕事も任せていくような外資系のような会社に転職すれば、彼の正義と一致する会社に入社できるので、彼の不満は消えて幸せを感じることができるかも知れません。

彼にとって、転職した外資系会社では、正義が行われていると感じることでしょう。

しかし、この外資系の会社においても、見方を変えれば、やはり不満に思う要素は多々あることでしょう。

自分の頑張りをほとんど評価されず、数字でしか判断してくれない。

社内の人間関係が冷たい。

「コツコツ10年かけて、下済みしながら仕事を覚えていくぞ!」

と長期的に考えるような社員にとっては、即戦力のみを求められて、常に結果を出さなければ、その場で退場になります。

人情や温かさなどは、ない職場かも知れません。

あくまで譬え話なので、必ずしも外資系がこうだというつもりはありませんが、合理主義、成果主義が行きつくところは、このような論理が正義として行われることになるかと思います。

結果を出して、才気もある人、あるいは才能を発揮できている間は、とてもメリットも感じて幸せを感じられるかも知れませんが、ひとたび失敗すれば、どん底に落ちる可能性もあるでしょう。

保守的で、温かみのある会社こそが、会社としてあるべき姿だと信じる人にとっては、とてつもなく悪い会社であるように見えるかも知れません。

ここでもまた、会社の正義と自分の正義がぶつかり合い、苦悩がはじまるわけです。

この場合も転職をすれば、解決する可能性はあるでしょう。

しかしです。

この世の中には本当に大勢の人達がひしめき合いながら生きています。

人類の総人口は現在は70億人に膨れ上がっているといわれています。

極論をいえば、70億人分の正義がこの世には存在しているといえるのです。

その中で70億人全てと正義が合致することは多分ないはずです。

自分の勤める会社の人間関係だけにあてはめても、気の合う人もいれば、会わない人もいます。

正義が一致する人もいれば、合致しない人もいる。

これは、当たり前のことです。

あまりにも自分の正義に固執して、自分の正義に一致するものばかりを求めてしまえば、いつまでたっても苦悩からは解放されないことになります。

では、真に苦悩から解放されるためにはどうすべきなのでしょうか。

それは、「観自在の生き方」をするほかないでしょう。

観自在とは、観世音菩薩の別名になります。

観世音菩薩とは、様々な形に姿を変えて、衆生を救おうとされている仏様であります。

ある時は、母親の姿となり乳飲み子を救い、ある時は軍神の姿となり、悪を退け、ある時は、千本の手を差し伸べて多くの苦しむ人を救います。

その時々に必要な姿に変化して、ケースバイケースで対応をしていく柔軟性と自在性を持つ仏様が観世音菩薩であるのです。

私たちは、今、様々な正義やあるいは制度や環境、状況の中で生きています。

決して単純な世界ではありません。

何か唯一無二の正義や考え方に寄り添えば、うまく物事が運ぶというほど、わかりやすい世界には生きていません。

常に自在性や柔軟性を求められています。

少し面倒な社会に見えることもあるかも知れませんが、社会に現れている事象というものは、すべからく神仏の望む姿を密かに示唆していることが多いものです。

では、神仏は何を人に求めているのでしょうか。

正義に囚われず、状況や環境にも囚われず、観世音菩薩のごとき人になってほしい。

これが、神仏の現代に求めているポイントだといえます。

この考えは認めない。これは正しいけど、あれは間違い。

このように膠着した考えにとらわれるのではなく、愛と真心を起点に持ち、常に、正義とは自在なりと悟ることです。

この悟りに至る生き方こそが、「観自在の生き方」であります。

どんな時代であろうとも、どんな環境にあろうとも、自在に姿を変えて、愛と真心を表現する。

これこそが、現代に生きる人の究極の生き方なのかも知れません。

簡単ではありませんが、私自身も観自在の生き方を実践していければ幸いです。


長きにわたり、【GW霊界開運講座】にお付き合い頂きましてありがとうございました!



天心 拝



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【GW霊界開運講座】飽きの心を克服する

どんなに熱心に物事に取り組んでみても、継続性がなければ実りは少ないものです。

以前の記事でも継続性の大事さについては、お話をさせて頂きました。

魂の向上とは無窮の真理であり、ある程度の期間、それについて考えたり行動したりしたら終わりというものではありまません。

一生涯続いてゆくものであり、死してもまた、霊界にて続いてゆき、さらに再誕しても、また続いてゆくのです。

なんだか気の遠くなるようなお話ですが、永遠のテーマとはそういうものなのです。

しかし、なかなか継続していこうと思っても続けられないのが人間の性でもあります。

なぜならば、人間の心には「飽きる心」があるからです。

最初は、興奮し、興味をそそられて熱意を持って取り組むことも、時がたてば、熱が去ってゆき、ついには関心を失ってしまうのです。

守護霊様も大体、3カ月から6カ月経つと人は、熱意が薄まってくる傾向が出てくると警告しています。

私のこのブログにも沢山の方からのコメントやメッセージ、拍手、それから霊視・霊感鑑定を通して多くの方が興味を持ってくれています。

大変、ありがたいことであり、それらの暖かい言葉に励まされたからこそ日々の更新を行ってこれました。

しかし、守護霊様がおっしゃられるには、今こうして、熱意と興味を持っておられる方も、段々と興味を失ったり別のことに気を取られたりする人が出てくるだろうということでした。

どうしてなんでしょうか?と問いかけてみるとその答えは「飽きの心」を克服できない人が出てくるということでした。

何事も熱意は3カ月、6か月と経過すると薄れてくるのが法則であるようです。

新しくやる気と情熱を持たねば、どんなことであれ、皆熱意が薄れてくるという警告を与えられています。

これを受けて、私として為してゆくことは、日々新たに挑戦し、読者のみなさんが日々、新鮮な気持でブログを読んで頂けるように創意工夫をしたり、私自身の熱意を今まで以上に燃えたぎらせて、メッセージを伝えてゆくことに精励する他はないでしょう。

ただ、私が熱意を失わなかったとしても、読者の方々が熱意を失ってしまえば、そこで学びの場は終了になります。

永遠無窮のテーマはそこで途切れて、また混沌とした日常に飲み込まれていくのかも知れません。

守護霊様が教えてくれたことは、なんでも成功させたり、真実へ辿りつける尊き人になるポイントは、この「飽きの心」を越えて行ける人になることだということです。

お習いごとでも、お仕事でも、家庭生活でも、趣味でも、スピリチュアルな学びでも、何でも同じです。

「飽きの心」を越えられた人だけが、魂を成長させて、現実的にも物事を完遂させることができるのです。

3カ月の壁、6カ月の壁、1年の壁、3年の壁と「飽きの心」を段々と越えてゆけるならば、こえるごとに心は鍛えられて信念は不動のものとなってゆくのです。

この壁を超えることができない人には、いかなる分野においても成し遂げることはできないのです。

「なんだか飽きてきたな」「ちょっと面倒くさいな」

という気持ちが現れてきたら要注意です。

その気持ちを越えてゆくるかどうかが、あなたの魂の壁を越えられるかどうかの分水嶺であります。

惰性に流されれば、何事も得られません。

このことをよく覚えておく必要があるでしょう。




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【GW霊界開運講座】言祝ぎの心を持つ

人は皆、裁きの心を持っています。

このことは良いことなのか悪いことなのか。

あの人は良い人なのか悪い人なのか。

なんでも白黒つけたがる生き物だということもできるかもしれません。

ひとたび悪だと決まれば、誰も、その人やそのことを叩くことに躊躇がありません。

自分は正義だと言わんとばかりに、人を叩くのです。

最近、ネットで流れる情報にしても、ニュースのコメント欄などを見ていると本当にその傾向が強いなと感じることがあります。

体制に対する批判、誰かのなしたことに対する批判、一億総批評者といっても過言ではないのかも知れません。

皆裁きの心を捨てられないから、他人の批判を止められないのです。

どこまでも自分を正当化してどこまでも人を責め立てる。

赦しの愛が全く感じられない世の中にちょっと寒いものを感じてしまいます。

冷たい心を持つ人は、本当に冷ややかで殺伐とした霊界を背後に持っています。

だから益々、なんじゃかんじゃと物事を裁いたり、批判したりすることはあっても、自ら愛のこもった創造を行っていこうという気概もありません。

文句を言うだけなのです。

求めるばかりで、与えることを知らなくなった人の心はとても冷たいのです。

その反面、暖かい心根の方もいます。

言祝ぎ(ことほぎ)の心を持った人です。

言祝ぎとは、人を祝福して、人を誉めたたえる言葉や行動をとることです。

常に人の良いところに着目して、誉めたたえていこうという気持ちがあるので、とても暖かい心根であるといえます。

常に心に愛があるので、背後の霊界も暖かく愛の光に満たされているのです。

いつもいつも、罪人を探し、裁判官よろしく裁きを行おうとすれば、そこに愛などありません。

もちろん、社会制度を保つためには裁判制度や司法というものが必要な場合もあるでしょう。

しかし、それはあくまで、社会システムを維持するための方便であり、ある意味で必要悪というものに過ぎないのです。

幸せになれない原因の大きな要因の一つは裁きの心を捨てられないことにあります。

「浮気した旦那が赦せない」「同僚のあの発言は赦せない」「○○であるべきなのに!ゆるせない」

赦せない理由は沢山あるでしょうけれど、そもそも人間の尺度による判断は、公平ではありません。

なるべく公平に考えるようにしているというのが限界であり、どうしてもどこかに恣意的な思惑が絡んでしまうものです。

主観というものからは、誰も逃れられないからです。

善悪を決めているのは、いつでも自分自身の主観です。

どんなに論理的に善悪を決めているように見えても、その論理すらも前提は主観から発します。

その主観で事をまた人を裁くのは、本来的には正しいこととは言えません。

霊界的にもそうです。

だから、なるべく、人の良いところを言祝ぎしてあげましょう。

言祝ぎの心を持ち、沢山の愛ある言葉をかけるように心がけましょう。

裁きの心を捨てて、人を言祝ぐことを心がければ、自然と愛と真心が満ち溢れてきて、いつしか、霊層も上がってくるはずです。



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【GW霊界開運講座】咀嚼力を磨く

他の記事においても、守護霊神霊、神仏は様々な知らせメッセージを送ってきているということをお話させて頂きました。

霊的に鋭い方は、それらをキャッチすることができますが、なかなか、分からないという方もいらっしゃることと思います。

守護霊や神霊は必ずしも心に直接的にメッセージを送ってくるわけでありません。

現実の中で起こってくる様々な事象を通して、サインとして教えてくれている場合も多いものです。

このお話も以前にさせて頂いたことと思います。

サインや証を通して、守護霊、神霊のメッセージを知ることができるわけですが、なかなかこれに気づかないことも多いのではないでしょうか。

なぜ、気がつかないのかと申し上げれば、それはひとえに咀嚼力の弱さというものがあります。

例えば、何か道筋を示す時には、守護霊は困難を与えることがあります。

なぜならば、人は、平穏無事な人生を送っている時には、そのぬるま湯的な生活から抜け出せないことも多いからです。

のんべんだらりと魂の向上という究極のテーマをほったらかしにして、日々の生活における幸不幸に一喜一憂していると守護霊がもっと頑張らなきゃだめだよというメッセージとして、困難を与えることがあるわけです。

しかし、大抵の人は、この困難の意味に気づきません。

単なる不幸であり、どうして私はこんなにも大変なんだろうと嘆くだけで終わってしまうことがほとんどなのです。

本来は、しっかりと発生してきた事象を咀嚼して、意義をわきまえ、自分を磨く糧にするのが正しい姿勢なのですが、このようにはなかなかならないのです。

物事を咀嚼する力が不足していると言わざるを得ないのです。

ですから、様々な事柄をもっとしっかりと見つめて意義を見つけていく必要があります。

困難なことに遭遇したら、「守護霊様が何か諭してくれているのかも」「感謝の念が足りなかったかな?」「どこか自分の心が緩んでいたところがあったかも」と様々な意義を考えて、咀嚼して、受け止めてゆくことで、霊的な咀嚼力は磨かれていきます。

現実の生活で発生してくる全ての事象こそが、何よりも魂を育ててくれる教科書であります。

色んな書籍を読むことも大切でありますし、先人の教えを受けることも魂を磨く研磨剤になることでしょう。

しかし、本来の魂の修行は生活の中に全てそろっているものです。

そこに気づいてゆかなければ、意味がありません。

一日のうちスピリチュアルなことを考えて、本を読んだり、あるいは何か神社参拝などをして、感得するものがあったとしても、精々、1、2時間といったところでしょう。

他の残り22時間の間は、どうなのか。

魂の修行というものは、一日24時間、365日行われているものなのです。

何かのセミナーで素晴らしいお話を聞いたりすることもお勉強ではありますが、後は好き勝手に生きているというのであれば、それは、魂の学びを誤解しているというものです。

生活の中で体験し、知り、悟ったことをしっかりと身につけてゆくためには、咀嚼力が必要です。

深く味わい、どういう意味や意義があるのか。

ここを探求していくことが大切です。

咀嚼力を磨く。

一つのテーマとして考えて頂ければ幸いです。



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【GW霊界開運講座】損して徳をとる喜捨の心

ゴールデンウィークも半ばになりましたが、皆さまにおかれましては楽しんでおられますでしょうか?

昨日などは、あいにくの雨となっておりましたが、今日は良い天気になりそうですね。

このブログを読んでいる方は、本来の魂の輝きを取り戻そうとする欲求が強い方なんではないかなと最近は感じることがあります。

大型連休で、皆さまが休んでおられる最中にもこうして、何かを学びとうろとしているのですから、魂の欲求に従っているわけです。

魂が輝けば輝くほど、学びたい勉強したいという欲求は強まっていきます。

そんな方達のために少しでも、何かお役に立てる記事をアップすることができれば幸いです。

今回のテーマは「損して徳とる喜捨の心」についてお話します。

以前、『「得」と「徳」』という記事でもお話しましたが、人はどうしても「得」には敏感になります。

なんでも、自分の得になることは喜んでつかもうとするけれど、損になることは、あまり気が進みません。

得よう得ようと思う心が強いわけです。

しかし、本当に幸せになろうと思ったならば、「得」よりも「徳」を求めなければならないことを以前の記事ではお話させて頂きました。

とは正のエネルギーのことでもあります。

この徳を得るためには何が必要なのでしょうか。

それは、得るためには、まず自らが与える気持ちを持つ必要があるということです。

なんでもかんでも得ようとしても、心の中がエゴで充満していれば、そこに何かが入ってくる余地はないのです。

得るためには、まず自分が損をしてもエゴを捨てる必要があるということです。

仏教の言葉に托鉢というものがあります。

出家した僧侶の方が街に出たり、民家を回ってお賽銭やお布施を頂く托鉢という行為がありますが、あれは、単なるお布施の集金をしているわけではありません。

托鉢は、僧侶の方が世間の人達と触れて、民衆の悩みを知る修行の一つであるともいわれていますが、必ずしも僧侶の方の修行だけの意味ではないようです。

もともと托鉢を考えたのはお釈迦様であるという説があります。

ある時、お釈迦様は弟子たちと修行する中、民家を周り、お布施を募りながら修行をしていこうと弟子たちに話しました。

そして、托鉢として回る民家はなるべく、貧しい家庭を回るようにしようとお釈迦様は言ったそうです。

それを聞いた弟子たちは、耳を疑いました。

「釈尊よ、貧しいではなく豊かな者からお布施を頂いた方がよいのではないか?」

このような意見が口ぐちに弟子たちからあがってきました。

弟子たちの言い分は、常識的に考えたら正しいように思えます。

しかし、お釈迦様はいいました。

「今、貧しいものは、過去において施しをする心なく、自分の得ばかりを考えてきたからこそ貧しいのだ。だからこそ、布施をして豊かになる礎を築かせてあげることが大事なのだ」

この話を聞き弟子たちは深い釈尊の教えに感銘を受けて教えの通りに托鉢を回ることになったのです。

貧しいものでも、喜んで布施をすることで、徳が積まれて幸せになれるというお話なわけですが、これを別の角度から解釈しますと、貧しい人達は、得ばかりを追い求めて、徳が欠乏したために貧乏になってしまったといえます。

貧乏か豊かにかぎらずに、真心から喜んで自分の得を捨てて、普段お世話になっている方へのお礼の気持ちを形で示したり、志ある方や困っている方への寄付をしたりするその真心を養うことが大事であるということです。

これは今、現実の世の中で一番感じる問題の一つなので、何度も別の角度からお話させて頂いています。

自分を救いたい、助かりたい、得をしたいという思いを持つ方が増えています。

人として生まれたならば当然、持っている感情の一つであるかと思います。

しかし、自分を救いたいならば、まず、喜んで自ら真心を示し、何かに貢献していこうとする気持ちを持つことがスタートになります。

そのスタートに立つためのキーワードが喜捨であるといえます。

まず、自分から他人に愛を与える。

この気持ちを持つことが喜捨、すなわち、人のために喜んで自分の得を捨てることができる境地であるといえるでしょう。

少しでも世の中にうごめく負のエネルギーを消滅させて、多くの人が正のエネルギーを感受することができるようになれば、より多くの人が幸せになることができるはずです。



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【GW霊界開運講座】宣り直しで穢れを祓う

人間は生きていれば、必ず、失敗したり、間違えたり、嫌な目にあったりするものです。

良いこと、悪いことが起こるのは、その人の背後の霊界からのフィードバック、そして、正負のエネルギーのバランス、その人の行動や心がけ、様々な要因が絡み合って、人生を形作っています。

誰もが、良いことばかりの人生を送れるのならば、幸せなことなのでしょうけれど、どうしても、挫折や不安、壁への衝突が起こるものなのです。

だから、苦難をなくそうとか、失敗しないで人生を歩もうとすることは、中々難しいとえいます。

人間は、苦悩や葛藤、失敗や嫌な目にあうと大抵は心が暗くなり、感情がマイナス方向に向くために心を曇らせて霊界をも曇らせてしまいます。

誰だって、嫌な目にあえば、心が曇るのは仕方のないことです。

悲惨な目にあっているのに、ヘラヘラと笑っていられる人は、いないのが普通です。

心を曇らせない方がよい、霊界をなるべく明るいものにしていこうということが大切なことは、理解できても、いざ、苦境にさらされた時に、心を明るく維持できないという思いをされる方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

「心を常に明るく」とか「霊界を上部にあげる心根」とか言われても、なかなか難しい。

ホンネの部分では、そう思ってしまう方も多いかも知れませんね。

そこで、今回は、心が曇ってしまった、あるいは、気分が落ち込むような事柄に遭遇して、ついつい愚痴を言ってしまったり、暗い発想に心が支配されてしまった時に対処方法についてお話したいと思います。

その方法とは「宣り直し(のりなおし)」と呼ばれるものであります。

古来、神道より伝わる方法でありますが、古くは古事記に描かれるイザナギノミコト、イザナミノミコト国産みをする際にまでさかのぼります。

古事記によれば、イザナギノミコトとイザナミノミコトがお互いに言葉をかけあうことで、様々な国を生み落としていったことが描かれています。

詳細は割愛しますが、その際にこの二柱のミコトは、言葉を掛け合う順番を間違えてしまったために最初に国生みを失敗しています。

女であるイザナミノミコトが先に言葉をかけ、それから応じるようにイザナギノミコトが言葉をかけたのですが、女の方から言葉をかけるのは、間違いであるとわかり、二柱のミコトは、もう一度やり直しをします。

今度は男の方から言葉をかけて、それに応じるように女の方が言葉をかけたわけです。

こうして、やり直すことで、今度は正しく国生みができたということが古事記には描かれています。

本当はもっとしっかりとしたストーリーがあるのですが、この場は古事記を語る場ではないので、かなり省略しています。

ここで最も言いたいのは、イザナギノミコトとイザナミノミコトは最初に国生みに失敗したけれど、やり直すことによって、正しい結果を得ているという部分であります。

この、「やり直す」ことこそ「宣り直し」なのです。

宣る(のる)とは、言葉を奏上することです。

それを直す(なおす)ことで、過ちを正常な状態に正してゆくことができるわけです。

ですから、私たち人間も例えどんなに失敗したり間違ったり、苦しいことに遭遇して、愚痴をこぼしてしまったり、暗くなってしまったりしたとしても、「宣り直し」をすることで、輝ける魂に戻ってゆくことができます。

「クソ!失敗した。もう嫌だ!」「私なんてどうせ何をやってもダメなんだ。。」

こんな風に思ってしまったとしても、「失敗したけれど、これは次に進むための材料だ元気を出していこう!」「これで私の経験がまた増えた。益々、自分を磨くことができてよかった!」と、考えを改めて、それから言葉にも出していくことで、宣り直してゆけばよいわけです。

例え失敗したり、つい愚痴を言ってしまったとしても、宣り直しすればいいのだから、ある意味気楽に生きることができます。

過ちに囚われて、ずっと自分を責め続けたり、心を暗くしてしまうくらいならば、言い直し、宣り直し、やり直して、気を取り直してゆけば、心の曇りも取れて、霊界も曇らすことがなくなってくるのです。

これが宣り直しの効用であります。

過去の過ちや失敗したと思っていることを全て宣り直ししてみてください。

「受験に失敗して希望の学校に入れなかった・・」⇒「私に必要な学校に守護霊が導いてくださった」
「大好きな彼氏に振られてしまった」⇒「もっと良い出会いを守護霊は用意してくれたんだ」
「上司にこっぴどく叱られた。俺はダメなやつ」⇒「また成長するための糧を頂いた。これでまた一歩素晴らしい人間になれた」


このように宣り直ししていくと、過去の失敗と見なしていたものや、自分に暗い影をおとしていたものが、少しずつなくなってゆくために、魂が輝き始めてくるのです。

宣り直しとは、認識の変更というようにもとらえることができます。

失敗というマイナスの認識をしていたものを、別のプラスの認識に変えてゆくということでもあります。

だからこそ、過去にどんなことが起こっていたにせよ、宣り直しをするならば、過去の穢れは祓われていくということがいえるのです。

是非、「宣り直し」を実践してみてください。



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【GW霊界開運講座】幸せイメージを持つ

以前から度々、お話してきたことに幸せイメージを持つということがあります。

これは、自分の性格や生活、日々の習慣、クセなどに影響を与えている背後の霊界を改善するためにする最初の一歩であるともいえます。

上部霊界は、常に幸せの波動に包まれています。

自らの波動を上部霊界に合わせるように努力することで、背後の霊界が改善されてくるのです。

何度も、このお話は様々な角度でお話させて頂いております。

しかし、中々、幸せイメージを持とうといわれても、長い間、下部霊界の影響下にあった方の場合は、幸せイメージそのものが考えられない、幸せってなんであったか?という状態にまでなってしまっていることもあるでしょう。

そういう場合は、まずは、浄霊をして、少し霊界を縛り付けていたものをはずしてあげることで、不幸イメージで硬直していた考えが、緩むこともあります。

これが一つの手です。

引き寄せの法則は、もともと存在しているマイナス方向に引っ張られるものの存在をどこか無視していて、プラス方向に自分の意識を調整していくことだけが説かれているように思えます。

そういう意味では、欠落している点があるといえるかも知れません。

私も、過去に一度だけ、浄霊の取次希望を募集したことがありますが、取次直後には、やはり少し心が前向きになるようなレポートを受けています。

しかし、その後の幸せイメージを持ち続けるという努力をしない場合、元に戻る傾向があることもはっきりしてきました。

なので、背後の霊界を変えてゆくには、浄霊が2割、幸せイメージを持つ努力が8割、必要だということです。

たった2割か・・と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、全く、幸せイメージが持ちずらく最初の段階でつまずいてしまう方には、2割といえど、体感的には大きなものです。

また、幸せイメージを持つことができている方にとっても、2割の邪魔をしている存在が消えるだけでも、その後の努力の進み具合は大きく変わってくるのです。

ただ、浄霊は、中々、時間も労力もかかってしまうため、期間限定の上で、しかも募集人員は1名が今のところ限界です。

第一回目の募集をしてから、まだ、募集を再開できていない状態にあります。

そこで、浄霊をしなくても、少しでも霊障を取り除くことができる簡単な方法を紹介しておきます。

一つは、このブログのプチ遠隔修祓の音源を聞くこと。

もうひとつは、行ったことのない土地に旅行に出かけることです。

行ったことのない土地に旅行することで、気分が転換されます。

気分が転換されると大分、邪気や邪霊も祓われてくる場合があります。

他にも様々な方法はありますが、自分でできる祓いとしては、こういったものがあります。

中々、幸せイメージが持ちずらいという方は、実践してみてください。


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プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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