守護霊アドバイスについて

霊視・霊感鑑定の名称のもと、インターネット掲示板上で申込を募集して、早くも数カ月が経過致しました。

鑑定の方式も日々、進化しながら今日に至っています。

最初はどう伝えていけばよいのかも、試行錯誤の連続で、どうしたらより多くの方に気づきを得て頂くことができるのか、どうすれば少しでも幸せに近づくヒントを得て頂けるのか。

こればかりを考えながら実施して参りました。

まだまだ、鑑定方式や伝え方も完全とはいえませんし、色々、勉強させて頂きながら、どうすべきかを模索中です。

これで完璧、これでOKというものは、おそらく最後まで存在しないのではないかなと最近では思っています。

なぜならば、これで良いと思った瞬間に人間は成長を止めてしまう生き物だからです。

なので、常に改良を重ねて、学習して、変わってゆくのが人として生を受けた意味でもあると思います。

単純な霊視ヴィジョンだけの鑑定から、様々な反省を経て、現在では、混乱を与えかねない鑑定方法を改めて、守護霊との対話を重視する方法に切り替えています。

このあたりの事情は、以前の記事である「霊視・霊感鑑定のルールの改定」にてお話しています。

現在は守護霊アドバイスという種目にて、ご相談者の方の守護霊様にお伺いを立てるスタイルにて、相談に関するアドバイスを頂く方式となっています。

しかし、まだまだ、この方式にも誤解や勘違いをして申込まれる方がいらっしゃることを現在も痛感しています。

特に守護霊アドバイスを占いと同一視されている方が多く見受けられます。

これは、ある意味、最初に申込を募集した掲示板のカテゴリが占いであったために仕方のないところではあります。(現在は一度、掲示板を削除する方向に動いています。ですから掲示板を見かけても書き込みしないで頂きたいと思います。)

他に該当するようなカテゴリもなく、一番、近くわかりやすいカテゴリでもあったためにそのようにしたわけなんですが、これが後々までの誤解を生じるキッカケになってしまったことは否めません。

どこが違うのかといいますと、占いはまず、未来の可能性を予見したり、そのための解決策や努力の方向性を見出すところに意義あります。

これからどうなっていくのか、どうしていくべきかの方向性を知ることでヒントを与えて、悩みを克服しようとするところに占いの良さがあるわけです。

では、守護霊アドバイスはどうなのでしょうか。

守護霊アドバイスも基本的には同じ部分もあります。

守護霊にアドバイスを聞くことで、ヒントにして悩みを克服していこうとするという側面があります。

しかし、守護霊の役目というものは、そこで終わるものではありません。

本来は、魂の成長を助け、見守り、人生の中で学び研鑽していく日々をサポートするのが役目なわけです。

占いの場合は、悩みが解決したり、越えることができれば、そこで使命は終わります。

なので、占い師は日がな一日、相談者の悩みを聞き、そこにヒントと方向性を占術により導きだすことに明け暮れることになります。

そして、相談者の方も悩みが解決すれば、「ああスッキリした!(笑)」とばかりに喜び、日常に帰っていきますが、再び、悩みが発生した時には占い師のもとに駆け込むことになるのです。

もちろん、それはそれで、占いを活用して日々の生活を充実して送ることは良いことだと思います。

占いを活用することで穏やかな一日が送れるならば、素晴らしいことなのかも知れません。

しかし、それだけで終わってしまうのであれば、占いで十分ということになります。

わざわざ、守護霊にお出まし頂いて、相談に乗って頂く必要はないのではないかなと思うわけです。

守護霊がなぜ相談に乗ってくれるのかといえば、その背後には、このアドバイスを通して今一度、人生のあり方を振り返り、正すキッカケにして欲しいという思惑があるからに他なりません。

ご相談に来られる方に思惑があるように守護霊にも思惑はあるものです。

悩みを解決して、スッキリしたらそこで思考停止して、後は好き勝手な人生と日々を送るというのでは、守護霊からわざわざアドバイスを受ける意義は薄いといえるのです。

ですから、もし、単なる悩み相談を受けたい、悩みさえ解決できればそれでいいと考える方には、守護霊アドバイスは向かない場合もあります。

なぜならば、必ずしも相談者の望む結果や答えを守護霊がくださるとはかぎらないからです。

優しく頭をなでて欲しいという気持ちがあっても、喝が入ることもあります。

こういうことを知りたいと願っていることがあっても、教えてはくれないこともあるからです。

だから、必ずしも満足して希望をかなえる結果になるとは限らないわけです。

守護霊アドバイスを伺うということは、人生を見つめ直し、意義を正して向き合う覚悟の気持ちがないと、がっかりして終わることもありえます。

どこまでも魂の向上と成長をメインに動くのが守護霊のあり方です。

ここを踏まえた上でお申し込み頂けると、より意義の深い守護霊アドバイスとなることと思います。



天心 拝


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良い「気」に触れる

背後の霊界を改善し、自らの霊覚、霊格を磨いてゆくための方法は様々なものがあります。

基本は、心根を改善して霊層を上げてゆくことですが、具体的にはどうしたらよいのでしょうか。

その方法の一つとして、良い「気」に触れるというものがあります。

「気」という言葉はよく使われる言葉の一つでもありますが、霊界改善にとっても非常に重要な意味を持っています。

私がここで言う「気」とは何かといえば、ひとえに「感覚」であるということがいえます。

例えば、「熱気」という言葉がありますが、この熱気とは何を指しているのでしょうか。

火をたけば熱を感じますね。

熱風を受ければ、これもまた熱いと感じます。

目に見えたり、手に取ったりはできなくても、熱いと感じる何かがある。

これが「気」というものの正体であります。

例えば、中国には古来から伝わる気功法と呼ばれる「気」を扱う技が伝えられています。

よく、テレビなどでも気功家と呼ばれる人が、気を発したり、その気を使って、人の病気を直したり、するのを見たことがある人もいらっしゃることと思います。

気功家はまるで、気を触れられるもの、手に取れるものとして扱いますが、傍から観ている人には、何も見えません。

「いったいこの人何をしているんだ?」と(笑)普通だったらいぶかしんでみてしまいます。

でも、実際に気功法で病気が治ったり、気を受けた身体の部分が連動して動いたりということが実際には起こっています。

なぜこのようなことが可能なのでしょうか。

それは、気とは感覚のことであり、気功とは感覚を鍛えて、その感覚を目に見えない物理の空間を越えたルートで相手に伝えることができるようになることを目指しているものだからであります。

いろんな定義やスタンスはあるかと思いますが、私が考える気とはこのようなものであります。

だから、霊的な気配や感覚を感じることができれば、それは「霊気」と呼ばれ、神なるもの、神性なる感覚を受ければそれは、「神気」を受けたことになるわけです。

また、邪で何か悪い方向に引っ張っていこうとしたり、霊界を歪めてしまうような感覚については「邪気」といいます。

このように一言で「気」といっても様々にあるわけです。

このような「気」に対する理解を踏まえた上で、霊界を改善していくための方法として、なるべく良い気に触れていくということが挙げられます。

良い気の代表的なものは、神社などで受けることができる「神気」であり、読んでいて清々しく気持ちよく感じる本なども良い気がでているといえます。

素晴らしい音楽や芸術に触れることも、良い感覚を受けますので、良い気を受けることになります。

ともかく、霊界というものは、理屈よりも心根の世界ですので、ロジックだけで考えても、改善できるものではないのです。

理屈抜きで良い感覚を受ける、良い気を受けること。

これが、一つの霊界改善の要点であるといえるでしょう。



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ペットの霊はどうなるか?

さて、久しぶりに霊界事情のカテゴリのお話をしてみたいと思います。

ミニアンケートなどの結果から、何度か上がってきたのが動物の霊に関する質問でありました。

その中でも一番気になるのはペットについてですよね。

愛するペットは家族同様であり、霊界に旅立った後にどうなってしまうのか気になるところではあります。

結論からいいますと、ペットは基本的に動物の霊が集まる特殊霊界に旅立つことになります。

その霊界はペットや動物にとっては天国のような場所です。

飢えたり、外敵に襲われたり、理不尽に狩られるようなことはない場所だからです。

ペットや動物は、人間のように高度な魂を授かっていません。

霊性の大部分は荒魂と少しの和魂、それから微かな幸魂を授かることがある程度です。

人間のように奇魂を授からないので、高度な分析や思考、創造力や芸術性は持ち合わせていないのです。

大部分は、現世的な本能であり、その中では感情もあります。

そして、わずかではありますが、愛を感知する感性も備わっています。

ペットでも基本は動物ですので、動物の本能でする噛んだり引っかいたり、他の動物とケンカをしたりということをしますが、長年愛情をかけていると、それに反応するかのように人間に愛を向けてきたりもします。

人間のように高尚な愛や複雑な愛情表現はできませんが、それでも、飼い主に対する愛の感情は持っているわけです。

ペットや動物の霊性というものは、人間に比べると低いという一面もありますが、その分、ピュアであり、人間のように複雑な念や高度な思考ができるがゆえに、自分で煮詰まったり、心根を曇らせてしまうようなことがありません。

だから、大抵の場合は動物用の天国のような住みやすい霊界へと旅立つことができるのです。

しかし、何事にも例外はあります。

例えば、虐待されて殺されたようなケースにおいては、恨みを抱く場合もあります。

この場合は、祟りの動物霊となり、現世に止まる可能性もあります。

自然界のルールの中で、命を失う分には、彼らも本性の中にそれを承知している部分があるために問題には成り難いのですが、人間の手によって、あまりにもヒドイ虐げや虐待をし続けた場合には、ペットや動物の方でも感情はあるわけなので、祟り動物霊となるわけです。

なので、一寸の虫にも五分の魂。

あまり、動物をいじめたり、虐げたりすることは戒めなければならないでしょう。

とはいえ、もちろん、私たちは、動物をすべてではないにせよ食べてくらしています。

これは仕方のないことではありますが、やはり命を奪い頂いているということを踏まえ、心の中で感謝の気持ちを持って毎日の食事を頂くようにすることが本来の筋であります。

余談になりますが、かのケンタッキーフライドチキンでは、年間、何万羽もの鶏を食べ物として提供しているお店であります。

なんでも年に一回は鶏の供養を会社を上げてしているということをテレビで見たことがあります。

これは、命を頂くことに対するお詫びと感謝の気持ちを表した行為であり、とても良いことであると思います。

私たちも供養はともかく、いつも食事を頂く時には、命を頂いているという感謝の気持ちを持って食することが大切なのかも知れません。

また、最期にペットに関して注意事項があります。

ペットが亡くなられた後に飼い主の方はとても哀しい気持ちになるはずです。

これは当然の感情ではあると思うのですが、人間の場合と同様で、あまりにペットの死を悼む気持ちが強すぎるとペットが折角、良い霊界に逝こうとするするのを妨げる結果になるということです。

念がペットを縛り付けてしまうので、ある程度、葬儀やお悔やみの期間はあっても良いのですが、あまりにも度を越して哀しみ続けるのは、ペットにとってもマイナスであるということをお伝えしておきたいと思います。

今回はペット、動物について霊界事情をお話してみたました。

何かの参考になれば幸いです。


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FGSの会よもやま話

FGS会報メルマガ創刊号も無事、発刊できて、ひといきついているところです。

少しずつ、感想といいますか、フィードバックのメールを頂くようになりました。

皆さん、概ねご満足いただけているようで、少しほっとしています。

第二段のメルマガ作成には、まだ着手できていませんが、少しずつやっていきたいと思っています。

今回のコンテンツでやはり一番人気があったのは、音源コンテンツであったのではないかと思います。

ブログ上でもプチ修祓の音源(「お祓いについて」記事参照)を公開していますが、今回は未発表、非公開音源です。

内容はFGSの会メンバーのみ知ることができるサプライズコンテンツなので、ここではふれませんが、多くの人が、音源をお聴きになり、なにがしかの感覚を受けられたようです。

「涼やかな気を感じた」「ちらっと守護霊様らしき姿が見えた」「重かった肩や腰がスッキリした」等ナドです。

色々なご報告を受けて、私自身もなるほどと勉強になっています。

多くの方のフィードバックは、私も見落としていた点を認識することができるためとても役にたっています。

ブログというと一方的な情報発信に終始してしまう場合が多いのですが、このように双方向コミュニケーションがとることで、新たな発見があることはとても有意義に感じます。

ご質問もよく頂きます。

全てに答えられるとはかぎらないのですが、これも一つの読者やメンバーとの交流となるので、楽しいことでもあります。

ただ、ブログ記事や会報メルマガをよく読めば書いてある場合の質問ケースもあるので、できれば質問の前に復習されてからにして頂くとより深い、質疑応答ができるのかなとも思います。

それはさておき、多くの方に支えられて、この活動をしていられますことをここで、改めて感謝をさせて頂きたいと思います。

皆様、ありがとうございます!


天心 拝


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言霊活用法

今回は言霊(ことだま)についてお話します。

霊界を変えてゆくことが、現実界へのフィードバックのあり方を変えて、ひいては人生を変えてゆく基本となることは、繰り返しお話して参りました。

そのためには、一念をコントロールしていくことが必要であることも以前のブログでもお話した内容であったかと思います。

一念を健やかに晴れ晴れとした心根であることを保つならば、いつしか、その心根に応じて霊界が形成されて、自らの霊界が改善をされてくるので、そのフィードバックを受けるようになります。

そして、顕現化の法則により、現実も改善されていく。

これが基本となる霊界法則であることは、何度かお話してきました。

でも、なかなか、一念を変えるのって難しいと感じる人もいらっしゃるのではないかなと思います。

どうしても、人に対する愛の心を持とうと努力していても、嫌なことや頭に来るようなことが発生したりすると「ああ、どうしてこう悪いことばかりが起きるんだ」とか「○○の奴め!」なんて、人を怨むような気持を抱いてしまいがちになります。

誰でも一日24時間、365日、心根が愛と真心で満たされているなんてことはないのが現状です。

気分が落ち込むこともあれば、どうしても愚痴っぽくなってしまう時もあるでしょう。

これは、仕方のないことです。

霊界のフィードバックを受けたり、家系からの負のエネルギーの影響や、そのおかげで、色んなネガティブなことが発生してきたりするのが現実の世の中です。

一念を良きものに維持するのは、想像するよりもはるかに難しい心得の一つであるといえます。

では、どうしたら一念を出来る限りよい状態を保つことができるのでしょうか。

それには、まず、言霊の活用法を知らなければなりません。

一念が曇り、重い気持ちになったりしてしまう原因の最たるものは言霊にあります。

嫌なことが起こると必ず人は、ネガティブな言霊を使いたくなる性質を持っています。

「もうダメだ~」とか「どうせ俺は上手くいかない」とか、いわゆる愚痴ですね。

愚痴を言うなというのは簡単なのですが、愚痴を言わないということを実践し維持していくのは大変です。

最初は、そう心がけて、維持していられているように感じていても、いつしか、ストレスがたまって、爆発してしまうことがあります。

そこで挫折感を覚えて、「俺は何をやってもダメだ、一念のコントロールすらできない。。」と気落ちしてしまったり、「私なんか何をやってもダメなんだわ」と哀しい気持ちになって、余計に沈んでしまう場合もあるでしょう。

これでは本末転倒と言わざるを得ません。

一念を良いものに維持しようとして、却って心根を暗くしてしまっているのですから、まるで逆効果であるといえます。

なので、無理は禁物なのです。

このブログで書かれている内容はとてもシンプルで優しく思えますが、同時に永遠のテーマでもあったりするのです。

一日二日で満願成就というわけにはいかないのです。

一生かけて試行錯誤して実践していくのが学びであり、修行でもあるわけです。

だから、ちょっとうまくいかない、挫折してしまったからといって、クヨクヨしないことが大事です。

挫折とは諦めて放棄した時にはじめて挫折となるのであって、「少し休憩していたけれど、再び頑張るぞ!」と一旦挫折したように見えても、再び、意気を取り戻し、頑張り始めれば、それは挫折ではないのです。

ちょっと、うまくいかないから止めてしまう。

これが挫折というものの本質なわけです。

話を元に戻して言霊の活用法に戻りますが、愚痴をいうと言霊の作用により、心根が暗い気持ちに引き込まれていきます。

ですから、言霊をできるだけ、悪いものを使わないようにするために愚痴を言わないようにするという発想が生まれてきました。

しかし、先ほどもいいましたように愚痴を言わないでい続けることは大変困難なことです。

というよりもほとんど不可能であります。

なので、愚痴を言ってもいいのです。

でも、そのあとに愚痴に十倍以上のポジティブで明るい言霊を発するように心がけることが大切です。

善なる作用のある言霊を使う絶対量を増やしていけばよいのです。

例えば、「ああ、お金がない」と(笑)ついつい愚痴ってしまった場合は、「私はまだまだ無一文ではないし恵まれている」「まだ五体満足で動けるんだからお金を稼ぐチャンスはある」「ちょっとしたキッカケで収入が増える例だった世の中には沢山ある」「必ず努力した分はどこかでそのことが生きてくる」等ナドとどんどんと良いポジティブワードを連発し続けるわけです。

先ほどの愚痴が完全に影をひそめてしまうくらいに、善なる言霊を発することを続けていきます。

そうすることで、先ほどの愚痴の言霊の力を善なる言霊の力が滅殺してしまうので、一念が穢されることはないのです。

このように言霊というものは、非常に強い作用を持っていますので、どんどん活用しないと勿体ないわけです。

日頃から自分をポジティブにしてくれる言葉を広い集めて、何かあった時には連発して発していく。

これを心がけてゆけば、一念のコントロールも必ずや可能となってくるはずです。

言霊活用法。

参考にしてみてください。



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六根を清める

ようやくFGS会報メルマガ創刊号も送付し終えて、ほっと息をついています。

携帯受信量の制限問題は、まだ、どこかで噴出しているかも知れないので、またお問い合わせがあるかも知れませんが、今は少し落ち着いています。

新しいFGSの会メンバー向けのお取次も早速のお申し込みがあり、そちらの取次も先ほど終えたところです。

まだ、既存の取次タイミングが訪れない、鑑定依頼が残っていますが、もう少しかかりそうです。

なかなか取次のタイミングによる問題は、鑑定種別によっても異なり、すんなりいく場合とそうでない場合があるため簡単にはいかない場合もあります。

ですから、結構、お待たせしてしまう場合もあるのです。

申し訳ありませんが、ご理解頂けると幸いです。

さてさて、話しを今回のテーマにフォーカスしましょう。

「六根を清める」というテーマであります。

「六根(ろっこん)」とは仏教および神道で使われている言葉でありまして、眼、耳、鼻、舌、身、意をさします。

これは、別の言い方をすると視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、意識ということができます。

つまり、「六根を清める」とはそれぞれの感覚を清めて浄化していくということになります。

神道の祝詞にも「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」という言葉がありまして、これも同じことを意味しています。

全ての穢れというものは、この六根から始まると言われているのですね。

あまりにも見難い、汚らしい映像ばかりを眼にしていると段々と心が穢れてきます。

嫌な言葉、愛のない言葉や雑音ばかりのガチャガチャとした音ばかり聴いていると精神が疲れてきますね。

臭い匂いや妙な香りばかりを嗅いでいるとやっぱり変な気持になってきます。

食べ物もあまりにも濃かったり、従来の自然な味覚がマヒするようなものばかりを食べれば、おかしくなってきます。

触れる物もそうですね。

心にいつもいつも恨みや妬みや不平、不満を頂けば、それも穢れになるわけです。

私も霊界というものは、心の世界であるとブログでもお話しています。

心が重く穢れてくれば霊界もそのような状態にふさわしいものが形成されるというわけです。

だから、心をいつも晴れやかにして、愛と真心で満たしていく必要があるわけですが、どうしたらいいのか。

その答えの一つとして「六根を清める」ということがあげられるわけであります。

思えば、心が暗くなったり、沈んだり、妬んだり、恨んだり、怒ったりとするのは、大抵、五感を通して刺激を受けることによって、発生することが多いですね。

嫌なものを見たりすれば、気分が悪くなり、不快な気分になります。

人から悪口を言われたり、言っているのを聞いたりするだけでも心は暗くなります。

例えば、夫婦喧嘩の原因に「トイレの後が臭い」とか「おならするな!」とか(笑)ばかばかしくも感じますが、以外と匂いには敏感であったりします。

まずい食事を食べたら、嫌な気持になったりすることもありますよね。(笑)

電車で足を踏まれたりしたら、痛いと思って相手を思わずにらんでしまったりもするかもしれません。

このように心に重大な影響を与え続けているのが六根であるといえます。

ですから、仏教を修行する僧侶の方でも、神道の行法をする方でも、皆、六根を清めるための修行をしているわけです。

もちろん、私たちは一般の人であり、修行者ではありませんので、山にこもって修行するわけにも参りません。

社会人としての生活を送り、家庭があり、日常生活を送りながら、心根を清めてゆく必要があるわけです。

そこで、プチ修行として、一日、あるいは一週間に一度でもいいので、時間を決めて、六根を清める時間を持ってみるのもいいかも知れません。

具体的には、眼を休める(余計なものを見ない)、静かな場所で耳を休める(色々、話しをしたり聴いたりせずに静かな時間を持つ)、なるべく刺激の強い香りのするものを避けて心が落ち着くくらいのほんのりとした香りをかぐ(薄い香りを放つ花の香りや淡い香りのお香をかぐ)、味覚を休める(あまり大味なものを控える。素朴な食事にする)、触覚を調える(適度な運動、呼吸の調整)、意識を調える(なるべく嫌なこと、執着していることから思考を離して、自由な希望あるれる未来について想像する)

このような感じのことを実践してみると少し、日常の中で穢れてきた心が、清々しくなってくることでしょう。

参考になれば幸いです。



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【FGS会員向け】携帯アドレスについて

こんにちは!

天心です。

先ほど、FGS会報メルマガ創刊号を送付したご報告の記事をアップしたばかりではありますが、ちょっと注意を喚起しておかねばならない事象が発生しています。

それは、携帯アドレスにて入FGS会報メルマガを受信されている方で、メルマガの内容が全て受信できずに途中で文章が切れてしまっているというご連絡を受けました。

私が自前のソフトバンク携帯でテストした際には、問題なく受信できておりましたが、性能によって受信要領の限界を超えるとこのような事象が発生する可能性が考えられます。

そこで、携帯アドレスにて受信をされている方は、もし、可能であるならば、パソコンのアドレスにて受信ができる体制をとって頂く方が安全かも知れません。

私も携帯性能までは、考慮に入れていなかったため、完全に受信できなかった方には、ご迷惑をおかけしております。

ただ、私の方でも全ての方の携帯性能を把握するのは不可能でありますし、それを考慮するのも難しいものがあります。

パソコンをお持ちの方は、そちらのメールアドレスもご連絡頂ければ、変更は可能ですので、是非、ご検討の方をお願い致します。

日常で使われているものと分けたいという場合には、YahooやGoogleのフリーアドレスを取得されると便利です。

携帯にてメール受信に不備があるようでしたらご一報頂ければ幸いです。


天心 拝



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FGS会報メルマガ創刊号を送付しました!

こんにちは!

天心です。

今朝の6時51分頃、岩手県沖の方で震度5弱の地震があったようです。

東京は震度1程度なので、あまり揺れを感じませんでした。(私は全く感じませんでした)

今回は、津波警報も出たようで、朝から少し緊張気味のスタートになってしまいましたが、東北地方にお住まいのブログ読者の方は、大丈夫でしょうか。

もし、今、大変な状況にあるのであれば、まずは落ち着いて行動することが大事です。

ニュースからしか情報がわからないので、被害がどの程度なのか、あるいはほとんどない状態(これを願うばかりです)であるのかがわからないので、なんとも申し上げにくいところではありますが、ブログを読まれている方、くれぐれもご無事であられることを願っています。

さて、昨日のブログ記事でも予告してありましたFGS会報メルマガ創刊号の送付ですが、先ほど、35名の方に送付が完了いたしました!

昨日の記事を見て、連絡をくださった方が1名いらっしゃいまして、急遽先ほど、採点を終えて、その方を加えての送付となりました。

今回、間に合わなかった人にも、なんとか、読むチャンスができるように何か考えたいと思いますが、とりあえずは無事、創刊号の配布ができて何よりです。

さて、繰り返しになってしまいますが、今現在は入会申請をして頂いた方に対するミニアンケート送付は全て完了しています。

万が一、届いていないという方がいらっしゃいましたら、遠慮なくご連絡頂ければと思います。

また、プチテストの採点が終わり、承認、不承認にかぎらず全ての方に、結果の報告も完了しています。

ですから、プチテストを送付したけれど、採点結果が届かないという方も、なにがしかのメールトラブルの可能性がありますので、ご連絡をお願いします。

また、さらに本日、採点結果にて承認をさせて頂いた方には、創刊号が配布されていますので、こちらも到着しているかどうかをご確認頂ければと思います。

到着が確認できない場合は、迷惑メールフォルダに入る可能性もあるかと思いますので、そちらのチェックもお願いいたします。

それでも届いていないという方は、やはり連絡をお願い致します。

以上、FGSの会からのお知らせでした。



天心 拝



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FGS会報メルマガ創刊号が完成しました!

こんにちは!

天心です。

今日も厳しい夏日が続いていますね。

皆様も熱中症には気をつけてくださいね。

節電ムードであまり、空調なども動いていない場所も多かったりします。

水分不足と体調不良には用心しましょう。

さて、今日は、おきて破りの?(笑)二回目更新になります。

どうしても、本日中にお知らせしたくて、またまた、ブログをアップしているところです。

タイトルをお読みになればわかるかと思いますが、ついにFGSの会第一回目会報メルマガ創刊号が完成いたしました!

私の感想を述べさ世て頂ければ、ブログ記事に比べまして、かなりのボリューム感といった感じです。

一応、携帯、PCメールにテスト送信を行ってみて、OKそうではあるので、いよいよ明日、送付したいと思います。

現在、FGSの会の承認メンバーは34名です。

ミニアンケートは、全員に配布済みであり、未だ、フィードバックが確認できていない人が6名いらっしゃいます。

もう、明日送付する予定でありますので、間に合わない場合は、創刊号を送れなくなってしまいます。

折角、お申し込み頂いたので、是非、創刊号を受け取って欲しいという思いから、こうして、ブログにてお知らせさせて頂いております。

お申し込み済みの方は、明日の送付までにご連絡頂ければ、若干の送付タイミングをずらすなど対応はしますので、何卒、ご連絡をお待ちしております。

いよいよ、創刊号を送付させて頂くわけですが、先ほども言いましたが、とてもボリュームがあるメルマガとなっていますので、もしかすると携帯だと見難い場合もあるかと思います。

可能であれば、携帯アドレスで受信の方はPCに転送してお楽しみ頂ければと思います。

それでは、明日、お楽しみに!



天心 拝



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【六道の道案内】高岩寺の地蔵菩薩

東京の巣鴨といえば、昔から有名なのが高岩寺のお地蔵さんです。

通称、とげぬき地蔵と呼ばれていまいて、多くの参拝客が訪れています。

お寺自体は小さなこじんまりしたところではありますが、どこか優しく、柔和な気に満ちている場所でもあります。

巣鴨の地はよくご高齢者の方が沢山、訪れることでも有名ではありますが、先日、久方ぶりに高岩寺を参拝した時にもやはり、多くのご高齢者が通りの商店街にてお買い物を楽しんでおられました。

町全体的には、とても穏やかで、一応、大きな通りには面しているものの商店街の方はほのぼのとしています。

新宿や渋谷といった喧騒の町にくらべると、ここはご高齢者にとって居心地のよい立地なのかも知れません。

高岩寺の地蔵菩薩の像は、基本的に秘仏であるために拝見することは叶いませんでしたが、それでもしっかりと地蔵尊の存在感は漂っております。

紫色っぽい感じの金色も混じったオーラとともに降臨されております。

童のような心根に帰す、そんな働きがあるようです。

スーッと迷いや不安が消えてゆく感覚にとらわれます。

とても暖かで優しい気も発せられています。

泣いている子をなだめながら、こっちに行こうよ!と正しい方向に導く。

おもちゃやお菓子で関心をとりながらも、決して怒ったり、無理強いしたりしないそんな導き方をされるのが地蔵尊の特徴です。

おそらく、ご高齢者に人気があるのも、人生も色々経験し、やり尽くしたところへ少し執着が薄れてくる時期に人は童心に帰るといいます。

自然と穏やかな気を求め始めるのかも知れません。

お参りすると「お前はあまり入り浸るなよ」と守護霊にくぎを刺されました。(笑)

今は、まだまだ、地蔵菩薩に救いを求めるには私は歳若すぎるということでしょうか。

今回の参拝も久方ぶりになったのは、やはり、私には早いということの証なのかも知れません。

疲れた時、心にゆとりや優しさが欲しくなった時、詣でると地蔵菩薩様が現れて、その人の心の迷いを救ってくださいます。

現実をバリバリと突き進む感じの功徳ではなく、疲れ果てた心をそっと癒し、慰めてくれるような感じです。

高岩寺の地蔵尊と交流をし続けていると甘い乳製品のような味わいと、スーッとするような香りが感得されてきます。

赤ちゃんのお肌のような柔らかい感覚もそこには感じられます。

丸いお顔はどこまでも優しい、アンパンマンのようなお顔です。

・・・ふと思ったのですが、アンパンマンも自分を身代りにして人を救いますよね。

もしかすると、どこかで地蔵菩薩様の姿を感得して作られたキャラクターだったりして(笑)

そんな風にもちょっと思いました。

若者があまり参拝し過ぎると穏やか過ぎて活気のない若者(笑)になってしまうかも知れませんが、心疲れた時、どうにも安らげない時には、高岩寺を詣でてみるのが良いでしょう。


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荒魂を活性化させる

私たちは現実の世界に生きる以上、肉体という制約を受けています。

という存在は、かなり自由度が高く、心に思い描くことが、そのまま実現するうような世界に生きています。

もちろん、霊界にも霊界法則や原則があるためになんでも自由というわけではありませんが、現世の肉体を持った人間に比べれば、はるかに制約は少ないといえましょう。

毎日、睡眠をとったり、食事をとったり、適度なコンディションを保つために運動するなどは、霊にとっては必要ありません。

移動も本来は一瞬で移動(同一霊界内であれば)できますし、コミュニケーションも心の状態がほぼそのまま伝わるので誤解(咀嚼の違いはありますが)もありません。

しかし、私たちは今、現世において生活しています。

内面的には霊性を備えた存在であっても、現実には、肉体に制約された存在であるわけです。

うまく、この肉体と付き合っていく必要があります。

霊の世界では、精神が若々しければ、霊体も若々しい状態となり、姿も若者の姿になります。

変幻自在ですから、老人の姿に変わることもできますが、現世のように時間とともに強制的に老化するということはないのです。

でも、現世ではどうしても肉体がくたびれたり、老化したりするために、日々、頑張っていこう!と気合を入れてみても、どうしても身体がついていかない場合もあるでしょう。

肉体は以前にブログでも少し触れましたが、荒魂(あらみたま)と呼ばれる魂の部分が相当しています。

荒魂は、ハクと呼ばれる部分があり、これが物質次元(現世)における肉体を管轄しているわけです。

人間は亡くなるとこの荒魂のハクの部分が消失してしまうわけです。

肉体は、魂の一部であるともいえるわけですね。

なので、肉体を鍛えること、健康に留意することも、ある意味では魂を磨くことになるわけです。

肉体を鍛えていくと気力も湧いてきますし、精神力もついてきます。

これは、魂が全て連動しているからなんですね。

よく、人間の本質は霊や魂であるから、肉体は関係ないと思っておられる方がいらっしゃいますが、そうではありません。

肉体も含めて、全てに意味があります。

だから、やたらと肉体を無意味に傷めつけたり、ぞんざいに扱うのはよろしくないのです。

肉体を活性化させることに意味があるとしても、どうしても日常生活をしていれば、疲れることもあり、損傷してしまうこともあるでしょう。

現世では学びと研鑽が主目的なので、健康ばかりに留意しているわけにもいきません。

実際問題として生活していくためには仕事で頑張らなければいけなかったり、毎日の家事をこなさなければならないでしょう。

将来のために学校に通い、勉強にいそしむことも必要になってきますよね。

そんな生活の中でどうしても肉体は疲れてくることがあるのは仕方ないことです。

そこで、ちょっとだけ霊的な肉体、気力回復の方法をご紹介してみたいと思います。

人間の肉体が荒魂の一部であることはご説明いたしました。

魂である以上、そこに意識が宿ります。

とても不思議なことに聞こえるかも知れませんが、肉体にも意識というものがあるのです。

私たちのように喋ったり考えたりするわけではありませんが、そこには意識的なものが存在しているのです。

なので、荒魂に語りかけると身体は反応することがあります。

例えば、ちょっと今日は疲れたなと感じたならば以下のように語りかけてみます。

「私の荒魂様。今日も一日の生活を支えて頂きましてありがとうございます。一切の骨肉の疲労、気の流れを調えて元ある清々しい荒魂の姿に立ち返って頂きますようにお願いいたします。ことごとに疲労回復為さしめ頂きましてありがとうございます。日々の壮健なることを感謝いたします。明日も一日、ともに宜しくお願いいたします」

なんだか自分の肉体に対して語るというのは不思議なものかも知れませんが、肉体は神様からの息吹によって与えられた荒魂であるので、自分のものであって、本当のところ自分のものではないのです。

よく「親に貰った身体」という表現をしますが、厳密には「御親の神から授かりし荒魂」なわけです。

人間が作ったわけではないのです。

このことを理解して、日々、身体に対しても感謝の気持ちで使わせて頂かなければなりません。

現世での活動を支えてくれているのは、この身体である荒魂なのですから。



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生まれ変わりの仕組み

鑑定種別の中でも、結構、ご依頼があるのが天命・過去世調査であります。

自分の天命を知り、そして、その天命が授かる元となった過去世を明かすのが、この鑑定の主なテーマであります。

多くの方が天命を知りたいと願うその裏側には、「生きる意味」を考えたいという欲求が隠れていると思います。

自分の生きる道筋や方向性が見つけずらい現代ではありますから、自然、自分に与えられた使命なりテーマなりを知りたいと思うのは、当然の流れなのかも知れません。

日々の安楽や欲求だけで生きているとしたら、それは動物であり、万物の霊長類たる、また魂を授かりし神性、霊性を持つ人間の姿ではないと思います。

もちろん、日々の平安や、ある程度の欲求が満たされてこそ、人生全般を俯瞰したり、意義を考えたりできるのも事実です

「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるように、高尚なものや大きな視点というものは、日々の雑事に追われて頭を悩ませているだけの状態では、中々、得られないものなのかも知れません。

だから、私は、現実の欲求というものをある程度は満たし、平安を得ること、そして、それに止まらない魂の学びや体験をしていくことの二本柱でやっていくのが良いのではないかなと考えています。

あまりにも高尚なもの魂とかスピリチュアルなものばかりを追い求めてしまえば、社会性を失い、現実の生活がおろそかになってしまうおそれもあります

しっかりと生活を営み、生業に精を出し、幸せをつかむ。

これも大事な今生を生きる人間に与えられしテーマでもあるわけです。

その一方、自分を知り、より精神性の高い魂の次元のことを学び、より高い次元の視点でものを見ていくことも同時に養うことも大事です。

そのための学びのキッカケになればという思いでブログを日々、更新させて頂いているわけです。

過去世を知ることも、一つの学びであり、それが興味本位で終わるならば、あまり意義を為さないのが実情です。

過去世を知るとは一つには、自らを知ることであり、知るというよりも考えるキッカケにするのが意義であるともいえます。

だから、「自分の過去世は○○だ!」とか言って自慢したり、悦に浸ったりするのは、本来の意義からは遠のくばかりです。

あるいは、華やかで見栄えのよい過去世でなかったからといって「自分は○○だったのか。。なんだか残念な気がする」というような意気消沈することも大きく意義からはずれることになります。

過去世がどうであれ大事なのは今生をどう生きるかにあります。

そこを忘れた時、過去世調査は自分を惑わすものとなってしまいます。

お申し込みをする場合は、そのあたりのことも自覚した上でお申し込みされることが大事です。

さて、前置きの話しが長くなってしまいました。(いつものことですが(笑))

今回は、生まれ変わりについて少しお話させて頂きたいと思います。

以前の記事でも少し触れましたが、生まれかわりは、単純に一つの魂が生まれ変わりを繰り返すわけではありません。

魂には本魂分魂があります。

例えば、Aさんという人が一生を通じて魂を磨き、亡くなられて霊界に帰った場合、霊界にての生活が始まるわけですが、その生活は現世と同様に学びと成長が本義としてあるわけで、そこは変わらないわけです。

霊界では霊界での法則に乗っ取って学びが行われます。

そのあたりの事情については、霊界事情カテゴリの新説・霊界ストーリーなどを参考にするとイメージがつかみやすいかと思います。

ともかく、霊界に帰った場合には第二の人生が始まるわけです。

少しずつ、上部霊界の神霊などの教育を受けながら、霊格、霊覚を向上させて、ついには魂の存在にまで昇華することが目的です。

魂や霊体については、「魂と心と身体の関係」でもお話しましたが、いくつかの構成を持って成り立っています。

霊体、霊界とは主に心(霊、スピリット)によって成り立ちますが、魂の世界(神界)は、心の最奥部にある直霊(なおびのみたま)だけの世界です。

ちょっと、このあたりが難しく感じるかも知れませんが、観たり、聴いたり、感じたりという現世と非常に似た感覚(でも同一ではありませんが)で把握できるのが霊界であり、霊人の住む世界です。

それに対して、魂の世界とは、どちらかというと「意志」であり、私たちが何かを求めたり、表現したりする際の根本的な理屈では測れない感性の部分。

これが、魂の世界なのです。

私たちは、霊界で学び研鑽するのも、現世で学び研鑽するのも、全ては、魂の世界に上がり、真実の自己そのものになるための旅路であるわけです。

Aさんの話に戻りますと、Aさんは霊界での修行や学びによって、魂の世界に上がるために努力するわけなんですが、霊界だと限界があります。

なぜならば、自分が作り出し、また同様の霊波長を持つ霊人たちによって共有世界として存在する霊界から抜け出るのは、非常に困難であるからです。

霊格、霊覚、霊層の向上も、似たもの同士の世界では、自分よりもさらに上の世界のことを学ぶ機会が少なくもなります。

もちろん、霊人の教育システムは存在しているため、ゆるやかに向上していくことはできるでしょう。

でも、やはり現世に生まれてきて修行し学びを行った方が格段に成長が早くなります。

逆にいうと現世はそのために存在しているといっても過言ではないかも知れません。

なぜならば、どう考えても、霊界の方は自由度が高いわけですし、下部霊界に逝ってしまうと悲惨極まりないことになりますが、上部霊界であれば、とても楽しく幸せな気持で日々を送ることができるのです。

何を好き好んで現世に生まれ変わり来るのか。

ひとえにさらなる向上のためにほかならないわけです。

現世がなぜ、霊界のように自由度が少なく、制約事項が多いのかといえば、様々な霊界から降り来る霊人達を同一世界に止まらせるためには、かなり強力な抑止力としての力をかけなければなりません。

本来はそれぞれの霊界に居るところを同じ世界に住まわせることになるわけですから、当然そうなります。

だからとても、現世という次元の世界は、貴重で不思議な世界であるといえます。

現世の人間の視点から観たら、霊界や神霊界、神界なんて不思議でとても信じられない奇跡のようなものだと感じるところではありますが、逆の立場から観ると、現世こそ、ほとんど奇跡に近い世界に思えたりします。

Aさんも霊界での修行、学びの限界を知り、再び、現世への誕生を願うようになります。

しかし、単純にこれは願っても叶うものではありません。

時期がありタイミングというものもあり、何より、神界にて現世を管轄する神様の許可がでないと生まれ変わることができません。

この現世を管轄する神様は、ここでは詳しく申し上げられませんが、この神様が私たちの地球を作り、現世の一部を管理なさっているわけです。

この神様がAさんの生前(過去世)の学び、研鑽の度合い、正負のエネルギーの割合、Aさんの持つ縁起(ご縁)などを全て考慮した上で許可できるかどうかを判断します。

また、判断材料の一つとして、自らの発願(誓いと現世にて成し遂げるテーマを願い出る)があります。

これがいわゆる天命と呼ばれるものの一つであります。

他にも天命には、神霊や神仏から託された使命などがある場合もあります。

でも、生まれかわる場合には、必ず、この発願を掲げなくてはならないのです。

そして、ある程度の命数(寿命)と運命シナリオ(暫定的な人生の行路)を与えられた上で生まれ変わることになるわけです。

また、生まれかわるといっても、魂の部分が生まれ変わることになります。

奇魂(くしみたま)幸魂(さちみたま)が生まれ変わり、新たな息吹として和魂(にぎみたま)荒魂(あらみたま)が神様より与えられます。

魂(この場合は奇魂)に刻み込まれた記憶は残ることになりますが、単純な霊体(和魂)に残留する記憶は消えてしまいます。

だから、通常は過去世のことや霊界のことは覚えていません。

深く奇魂の記憶に収められているだけなのです。

また、以前の記事にも書いた通り、必ずしも本魂(ほんこん)が生まれ変わるとは限りません。

魂は大きく成長しますと分魂と呼ばれる新しいブラザーソウルを生みだすことになります。

本魂は神霊界に残存して、分魂だけが生まれ変わるというケースも多くあるのです。

守護霊になっている神霊などは、本魂が霊界に残り、神霊としての活動を行い、分魂を生まれ変わらせて現世での修行をしているという場合もあるのです。

時々「守護霊は生まれ変わらないの?」とか「生まれかわる霊と生まれかわらない霊の違いって?」という疑問を抱かれる方もいらっしゃることと思いますが、こういうパターンもあるということです。

このように生まれ変わりといっても、様々なパターンがあるためひとえに単純にはいえないところではあるのです。

霊界の実相は誠に複雑であるといえるかも知れません。

今までのお話を簡単に纏めますと以下のようになります。

1.生まれかわりは、より高い霊層、霊格、霊覚、ひいては魂の世界へと脱皮していくために行われる
2.生まれかわるためには、許可がいる。何より天命を全うする発願がいる。
3.生まれかわるのは魂の部分だけであり、本魂と分魂の二つのパターンがある。
4.和魂は消失して、奇魂、幸魂が生まれ変わり、新たに神の息吹として和魂、荒魂が与えられる。よって、霊意識の中の記憶は抹消されてしまう。


こんな感じでしょうか。

ちょっとお話が冗長になってしまいましたが、生まれかわりの仕組みについては以上になります。


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またまたお待たせしてしまってます(汗)

大分、鑑定依頼の取次FGSの会のミニアンケート送付作業、プチテスト採点、結果送信と気合を入れて消化して参りました。

…と思ったのもつかの間、週末から、またまた鑑定依頼、FGSの会申込、プチテスト採点のご依頼のメールが続々と寄せられて参りました。(汗)

ということで、またまた未処理メールを識別するために私がつけている★マーク(GMAILのフラグ機能)は、列をなしております。(笑)

またまた、お待たせすることになってしまいまして、申し訳ありませんが、中々返事がこなくても、諦めずにお待ち頂ければ幸いです。

これ以外にもブログ上のコメントやメッセージ機能で問い合わせ、質問なども寄せられることがあります。

同様にお返事がなかなかできない状況でありますこと、申し訳なく思います。

全てに目を通してはおりますので、「回答させて頂きたい!」という気持ちはあるのですが、手が回らない状態であります。

返事がなくご不快になられた方がいらっしゃいましたらば、平にご容赦頂ければと思います。

また、一点、ご協力頂きたいことがございます。

鑑定依頼、FGSの会の申込等の私が指定させて頂いているメールに送って頂く際のことなのですが、同時にご自身のメールアドレスの設定で、ドメイン指定などの設定がなされていないかをご確認して頂きたいということです。

過去に数件、ドメイン指定やその他のフィルタリング機能(指定メールの除外または指定メール以外の除外指定)と思われる設定をされているために、鑑定結果が届かないという事象が発生しています。

これ以外にもメールサーバの不調なども考えられるとは思うのですが、時折、送れないことがあるのです。

折角、お取次をして守護霊様から伺ったコメントも、ご本人に届かなければ、意味がありません。

なので、私としてもブログ上で、送付できなかった旨を発表させて頂いたりして、お知らせをするようにはしています。(逆にこのくらいしか、方法が思いつきません)

このような措置で、ご本人が気付いて、設定を解除して頂けるケースもあるのですが、残念ながら過去に鑑定取次をしたものの、ご本人に送付ができずに終わったケースもございます。

なんとも、守護霊様に対してはご足労頂いたにもかかわらず、無駄になってしまい申し訳ない思いでいっぱいになりました。

このことは、一つには、守護霊様よりももっと上の方々の判断で、まだ、ヒントを教えるには早いと判断された可能性もあるのですが、ある種、邪霊の妨害という可能性もあります。

その人がよりよくなるのを拒もうとする存在が憑いていると、そのような妨害をしてくる場合がございます。

ですから、鑑定依頼をされた方は、まず、ご自分の守護霊様にしっかりと感謝のお祈り(守護霊様によりお導きを受けている日々に対する感謝のことです)をしてほしいと思います。

そうすると守護霊の加護が少し増えてきますので、こういう妨害を受けにくくしてくれます。

是非、これを実行してみてください。

それと繰り返しになりますが、メールアドレスの設定を見直してみてください。

設定した記憶はなくとも、忘れていたり、初期設定で何かが設定されているという場合もないとはいえません。

なので、念のため確認してみてもらえますと送付エラーの可能性は低くなってくるのではないかと考えられます。

それから、ブログ上でのお知らせ欄も時々、チェックしてもらえると、よりよいと思います。

メールが送れないとなると、最終手段はブログ上でのお知らせしか今のところはありません。

ですから、お知らせカテゴリは要チェックです。

以上、天心からのお知らせでした。



天心 拝


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お客様にならない主人としての生き方

私は度々、ブログの中で大事なキーワードとして主体性ということについてお話をして参りました。

どんな不運な状態であっても、常に主体性を忘れずに改善の行動を忘れなければ、いつしか運命も好転の流れに変わることがあるということです。

もちろん、協力助け合いという意味での共生というあり方は大切ではあります。

なんでも自分本位に考え過ぎて、一匹オオカミのような生き方では、これもまた、幸運な人生から離れてしまうことになりかねません。

主体性というのは、自我を強調することではなく、自主性であり、自ずから積極的に考え行動を起こしてゆくこと。

そして少なくとも自己の周囲に起こることに関しては、自己の責任という視点から内省する気持ちを持つことが主体性の肝になる部分であるといえます。

これらの心根が段々と薄まってくると人は皆、共生、協調ではなく、依存体質へと変わってゆくものです。

主体性なき共生、協調はもはや依存でしかないのです。

己をわきまえない生き方、すなわち、全ての原因を自己以外に求めてしまう考え方や生き方は、依存であるといわざるを得ないでしょう。

もちろん、外部環境、内部要因の両方が噛み合わさって、人生を作り上げている以上、自己以外の外部の環境を全く無視することはできないでしょう。

だから、全てを自分の責任だとして思いつめる必要はありません。

内外のバランスをとった考え方、行動が結局は中庸を得ることになり、幸運の人生を引き寄せる結果にもなるわけです。

さて、主体性ということですが、主体性をしっかり持ち、生きるためにはどのようなことを心構えとして持っておく必要があるのでしょうか。

一つの方法として、「お客様にならない」ということを挙げておこうかと思います。

皆さん、外出すれば、時には買い物をするためにお店に立ち寄ることはあるでしょう。

例えば、食事をする時には、レストランなんかを利用しますよね。

レストランの扉を開くとお店のウェイターかウィイトレスかはともかく、お店の人が笑顔で迎えてくれると思います。

その瞬間から私たちは、「お客様」になるわけです。

とても不思議なことだと思うのですが、お店の人はまるで私たちを仕える王様か何かのように、丁寧にそれでいて低頭な面持ちでお世話をしてくれるのです。

「何が不思議なんだ?お客さんなんだから店員としては当たりまえではないか」

このように思われた方もいらっしゃることと思います。

確かに特に珍しい光景でもないですし、不思議なことでもなんでもないのかも知れません。

しかし、私は思うのです。

お店の店員さんも同じ人間、同じように生活を送り、同じように心があります。

全ての人に基本的人権が憲法により認められているのであるのに、一方はまるで昔の召使のように仕える立場をとり、一方は、王様になったかのようにふるまっています。

「それがサービスというものだろ?」

と言われれば、そうなのかも知れませんが、私は時々、なんだか違和感を覚える時があるのです。

ある時、昼食時であったでしょうか。

あるお客様が非常に怒って、店員に文句を言っておられるのを見たことがあります。

なんでも注文したものが出てくるのが遅い、接客が悪いとか色々文句を言っていました。

確かに昼時で混雑しているのと、店員さんがあまり慣れていない人であったのか、そんな理由から結構、食事が出てくるまでに時間をとられていたのは事実でありました。

サービス業という観点で見れば、お店側としては反省点として、心得なければならないところではあるのかも知れません。

しかし、文句を言っているお客さんの方はどうなのでしょうか。

おそらく、このお客さんの心の中は、「俺は客だ。客である俺を不快にさせるとは何事だ!この店はなっとらん」

このような気持でいたことと推察できます。

これは、このお客さんにかぎらず、多くのお店を利用する時の、お客さんの心理状態に共通するところではないかと思うのです。

お店の店員とお客さんの心理状態の違いをわかりやすく分ければ、店員さんとしては「お客さんをお迎えする。しっかりとお店を運営して多くの方に喜んで頂こう」基本的にはこのようなメンタリティを持っているはずです。

一方でお客さんの場合は、「どんなサービスを受けさせてくれるのか。何をしてくれるのか」こういう考え方であることが多いといえるのではないでしょうか。

店員は常に主体性を持って、自分の(務める)店の主人たろうとして、行動するのに対し、お客様は基本的に受け身であるということがいえます。

そして、常に文句をいえる立場にあるのがお客様であるのに対し、常に内省し、改善につとめるのがお店側の主人たる店員であるといえるのです。

主体性ということを念頭におくならば、お客様になってはいけない。

常に主人でなければいけないということがわかると思います。

なんでもかんでも、自分の思い通りにいかない人生を嘆き、文句や愚痴ばかりを言っている人は、どこか人生の中で「お客様」になっているのです。

与えられたものに不満をいい、クレームをつけるのは、私の特権であると思いこめばそれはもう、「お客様」であり、人生の「主人」となっているとはいえないのではないでしょうか。

先ほどのレストランで文句を言っていた方も、「昼時だから遅れているのかな?」「この店員さんは新人さんだからこれから色々学んで成長していくのだろう」と少しでも状況を鑑みて愛と真心を持って考えていたら、もっと違う対応をとっていたかも知れません。

自分はお客さんであると思えば思う程、自分の身に起こることに文句をつけたくなるものです。

人生の主人たれ!

このことは、人生に幸運を引き寄せるための基礎となるので、覚えておいて頂ければと思います。



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【近況報告】FGSの会について

こんにちは!

天心です。

湿った空気の暑かったり、涼しかったりの日々が続いておりますが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

梅雨の時期ということもあり、体調のリズムが狂いやすい状況でもありますので、お身体の方はくれぐれもご自愛頂ければと思います。

さて、またまた、「お知らせ」ばかりが続いて恐縮ではありますが、少し、FGSの会近況報告をさせて頂きたいと思います。

ブログにてもお話しましたが、予想以上の申込の方が増えており、その対応に追われている状況の中、ご依頼の鑑定もこなしつつ、最近はめまぐるしく、やることだらけに囲まれた日々を送っております。

まず、FGSの会に現在(6月16日 AM9:00現在)の時点でお申し込みの方は、36名いらっしゃいます。

この全ての方にミニアンケートの送付の方は完了しております。

但し、1名の方については、メールがエラーとなり送付が失敗しております。

一度、ご連絡を頂きまして再送させて頂きましたが、やはりエラーになってしまっています。

この方については再度の確認とご連絡待ち状態となっています。

この方についてはブログ記事にて呼びかけを行っておりますので、確認して頂ければと思います。

それ以外の方で、ミニアンケートが届いていないと言う方がいらっしゃればご一報を頂ければ幸いです。

それから、現在、FGSの会メンバーとして承認させて頂いております人数は25名となっています。

その他の方は、まだミニアンケートを受け取っていないので、保留状態になっています。

また、今回、入会にあたり、審査を行うとブログ上でも公表しておりましたが、審査基準としましては、プチテストの回答の正答率を鑑みて判断させて頂いております。

具体的にいいますと誤った問題が3問までであれば、一応、承認とさせて頂いております。

残念ながらそれを越えて間違ってしまうと不承認とさせて頂いておりますので、ご承知おきください。

なぜ、このような審査を行っておるのかと申しますと、このFGSの会への参加条件として原則として当該ブログを全て読んでいる方というものを掲げさせて頂いています。

ただ、全部読むのはすぐには難しいので、そうでなくても、これから読むという意欲のある方はOKということにさせて頂いているわけですが、やはりある程度の基本的なことは理解しておいてくださらないと、FGSの会でのメルマガではもう少し突っ込んだ話とかをしていく予定でもあるので、プチテストを設けさせて頂いているわけです。

このプチテストは、応募者の理解力を試すためのものではなく、私がきちんとお伝えできているかどうかを確認するための材料とさせて頂いております。

ブログを見ながら、プチテストの正答が書かれていそうな記事をとりあえず読んでみて回答すればそれほどは難しい問題ではないはずです。

暗記する必要はないのです。

いわゆる学校で行われているような厳密な理解力を試すテストではないのですから、気楽にブログを読みながら応えて頂ければよいのです。

残念ならが不承認になってしまった方は、どうかあまり、気を落としたり、めげたりせずにブログを読みなおしてみて、再チャレンジをして頂ける事を願っています。

折角、応募してくださったわけですから、私としては基本的に皆、承認したい気持ちでいっぱいなのです。

でも、守護霊様にもお伺いを立てながら、当初は全問正解が絶対条件であったものをギリギリ三問までは良いといいう譲歩を引き出した結果の審査基準になっています。

それほど難しい問題は出題していないことと、正か誤を選ぶだけの簡単なものであることを鑑みれば、本来は全問正解であるのが条件であったのです。

しかし、それでも、私の出題の仕方が悪かったりしたため、うっかり間違えてしまうこともありうるでしょう。

また、皆さんの入会動機で語られる熱い気持ちを込められた文面を読んでいると単純に正答率だけで決めてしまうのは、心苦しいと思い始めた次第です。

「間違ったところは、私が解説しフォローしますので、基準を少し甘くしてはダメでしょうか?」

このようにお伺いをしたところ三問までの誤答ならば許そうという守護霊様からのコメントを頂くことができたのです。

そのために、私は一人一人のプチテストを全て眼を通し、採点して、誤った問題に関しては、解説を付与して送り返し承認する運びになったわけです。

但し、三問より間違いが多かった方には今一度、見直してみて欲しいという願いを込めて、正答数と誤答数を表記して、再チャレンジを促すメールを送らさせて頂いております。

このような対応、作業が続いていたために、中々、FGSの会の会報メルマガコンテンツ作成に着手できていない状況が続いておりました。

しかし、漸く、少しずつ入会希望者の申込ピークも越えたのか、落ち着いてきたために昨日、非公開の音源であるご祈願・取次系のコンテンツを一つ作成することができました!

音源は二本で、一つは解説編、もう一つは取次編です。

このブログ上でもプチ修祓の音源を公開していて、お聴きになられた方もいらっしゃることでしょう。

プチ修祓の方もお聴きになられた方から「スッキリした!」「身体が痛かったのがよくなった」「気分が落ち込んでいるのが回復した」などという報告も受けています。

音源には霊力を込めて何度でも聞けるようにセッティングしているわけなので、こういう音源は中々興味深いコンテンツの一つになることでしょう。

さて、プチ修祓に変わり、今回、作成しFGSの会メンバーのみに公開する音源コンテンツとはいかなるものなのでしょうか。

それは・・・ヒ・ミ・ツ・・です。(笑)

FGSの会の会報メルマガで真実が明らかにされます。

こうご期待!

というわけで、少し、近況のお話をさせて頂きました。

メルマガは準備が整い次第、承認済メンバーに対しては送付させて頂くことになります。

承認されていないと祈念すべき第一段の創刊メルマガが読めなくなってしまうので、なるべくミニアンケートの送付はお早めにして頂くことをお勧めします。

それでは、皆さま!健やかな今日の日をお過ごしください!



天心 拝



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【重要】鑑定をお申し込みの聖龍様へ

ご鑑定をお待ちの聖龍様へ


先ほど、鑑定結果を送付致しましたところ、エラーで却ってきてしまっています。

メールが到着しているかを確認して頂き、到着していない場合には、フィルタリングの設定をされていないかどうかを確認して頂きたいと思います。

一度、メールにてご連絡をして頂けると幸いです。


天心 拝

新説・霊界ストーリー 【霊界探索-月天宮3】

☆初めて読む方はコチラからお読みくださいね!
☆前回の新説・霊界ストーリーはコチラをクリックしてくださいね!


初めてこの記事を読まれる方は、一番上のリンクをクリックすれば、一番最初の記事を読むことができます。

前回記事は二番目のリンクをクリックでページが切り替わります。


<前回までのおさらい>

月天宮(つきのあまみや)の宮殿にて、月照姫之命(つきてるひめのみこと)様にお会いして、不幸を祓い、幸せのタネを見つける方法について教えを頂くことができました。

とても、繊細でキラキラした童心にかえったような心根の波動が満ちている宮殿にいるとどんどんと現実感覚が薄れてゆくのであった。


<続き>

宮殿を後にすると私と守護霊はまた、別のエリアを探索することにしました。

ともかく、広く全般的には白金というか、白っぽいそれでいて金色の輝きにつつまれた霊界なのです。

砂漠のような場所を発見しました。

砂漠といっても、現実にあるようなカラカラに乾いた感じのところではなく、あくまで涼しげな、心落ち着くような気が流れているところです。

砂は砂金ではないかというほどに美しく、見とれてしまいます。

その場所には、何人かの霊人の集団がいらっしゃいました。

観世音菩薩様でしょうか。

とても大きなお身体ですが、それを取り巻くように小さな、といっても観世音菩薩様に比べればの話ですが、霊人が取り巻いています。

どうやら現幽界にても見た光景に似ています。

そうです。おそらく教育をしている場所なのでしょう。

ただ、特徴的なのは、霊人達の姿をまじかでみるとインド系仏教者のような感じの方々が圧倒的に多いように見えることです。

お顔は皆穏やかで、涼しげでいて、気持ちよさそうです。

霊体も現幽界にいた霊人よりも輝きといいますか、オーラ、後光がさしている方ばかりです。

この月天宮に存在する時点で、相当な霊格であり霊覚である霊人であることは間違いないでしょう。

守護霊:「皆、菩薩位に達したものたちばかりである」

おもむろに守護霊は、教えてくれました。

天心:「菩薩位?この方々は皆、菩薩様なのですか?」

守護霊:「菩薩とは境地のことである。真理に目覚めるために一生を捧ぐ決意をしたものを菩薩というのだ」

天心:「なるほど。私は菩薩と聞くとどうしても、地蔵菩薩様とか観世音菩薩様を思い浮かべてしまいます」

守護霊:「地蔵菩薩も観世音菩薩ももとは菩薩位から始まった。今は神霊としての神の位につくものなり」

天心:「そうなんですか!?神の位ってすごいですね!神様なんでしょうか?」

守護霊:「正しくは神の位とは一度、神界に上がり神霊界におりきたりたものをさす」

天心:「神様とは少し違う?」

守護霊:「かの菩薩位に達した霊人達は(霊界を)移動の途中である。教示しておる観世音菩薩は神界よりくだり来た神霊なり」

天心:「つまり、神界に一度行ったことがあるかないかが違いというわけですね」

守護霊:「いかにも」

私は、この時、傍にいるこの守護霊様は一体どちらの神霊なのだろうかと一瞬、考えがよぎりましたが、ちょっと失礼な気がしたので、すぐに打ち消しました。

少しだけ守護霊は、苦笑いをしているようにも感じました。(笑)

やっぱり少し伝わってしまったのでしょうか。(笑)

私も折角、この場にきたのだから、観世音菩薩様から霊法の玉を受け取らせていただくことにしました。

フワフワと金色の玉が私のもとに飛んできます。

口の中が香ばしいそれでいて、ミルクのような淡い甘さが伝わってきます。

金色の玉を胸のあたりで受け止めるとフッとメッセージがよぎります。

「涅槃とはこだわりなき心。神霊界の入り口に至る心根なり」

意味としては、人間というものは、どこまでも、こだわりを持ってしまうために眼の前が見えなくなってしまう。

執着を即座に捨て去るすべを身につければ、涅槃(ねはん)のような穏やかな境地にたどり着けることができるということです。

それこそが、神霊界への入り口であるといえるようです。

この霊法の玉は、執着を断ち切る心の知恵を授けてくれるようです。

そういえば、心なしかさばさばした、重荷を下ろした時のような安堵感が広がってきています。

なんとも自由な感じです。

なぜ、私はあんなことに、いつまでも執着していたのだろうと振り返って不思議に思う瞬間があるかと思いますが、そんな感じにも似ています。

「南無観世音菩薩様。一切の執着、頓着から解き放つ機会を与えて頂きましてありがとうございます」

このように祈るとこの霊法の玉が授かるようです。

心の重荷をおろして、自由になることが涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)というものの基本なのかも知れません。



☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-月天宮4】へ続く


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悟覚力を持て

本当に最近は忙しくて、ブログも毎日、アップできない状況でありました。

まだまだ、鑑定なども取次が残っている状況ですから、しばらくこの状況は続くように思えます。

お待ちの方には、申し訳ありませんが、ご理解頂けると幸いです。

さて、私は、毎日ブログでお話する中で、本当に様々なお伝えしなければならない事を抱えています。

天啓として伝えるべきことが毎日のように降りてくるのです。

それも一つではありません。

複数同時に降りてきたりするのです。

しかし、一日にアップできる記事の数はやはり一つか二つが限界です。

今のところ一つが限界なのですね。

だから、本当は伝えなければならないことが山ほどあっても、伝えきれないというのが現実なんですね。

なにしろ私の身は一つですし、やれることには物理的、肉体的、精神的制約がどうしても生まれてしまうものだからです。

天啓は、大抵は神霊守護霊からの要望といいますか、私を通して伝えようとしている事柄であったりするため、いずれは伝えなくてはならないことになるでしょう。

でも、天機というものがあり、いつでもどこでも伝えられるわけではなく、タイミングを逃すとお伝えできるのがずっと先になる場合もあるのです。

(神霊の要望に応えて)取次できなかった事柄の多さに少し悔しい思いもあります。

思えば、守護霊や神霊も「早く私の要件を伝えて欲しい」と思ってらっしゃるのかも知れません。

鑑定をお待ちの方が沢山いらっしゃるように、神霊や守護霊も沢山の待ち行列を作っているのかも知れません。(笑)

現実的にも霊界においてもダブルで板挟み状態ではありますが(笑)、なんとかやっております。

さて、そんなことをつらつら並べたてている暇があったら、とっととテーマに遷りなさいというお声がかかってきましたので、本題に入らさせて頂きたいと思います。

開運コラムの今回のテーマは「悟覚力(ごかくりょく)を持て」ということでお話させて頂きたいと思います。

悟覚力という言葉はあまり聞いたことがないかと思いますが、簡単に説明してしまうと、気づきの力であり自ずから悟る力のことであります。

なんだか難しい言葉に聞こえてしまうかも知れませんが、そんなに難しいことではありません。

ただ、とても重要なキーワードの一つなので、これから私のブログなどを読んだり、あるいはFGSの会の会報メルマガを読んだり、その他、スピリチュアル、それ以外のことで本を読んだり話を聞いたりする上で意識して欲しいと思うことであったりはします。

物事を知り、学び、研鑽していくためには、多くの人の意見や本、お話を聞いたりすることが必要です。

自分の知らないことを知り、新しい考え方を身につけていくことは大事なことです。

しかし、得てして、多くの場合は、本で読んだ内容をただ受け止めて、覚えたり実行したりするだけに止まるケースがほとんどであるように思われます。

「新しい知識を得ました!」
「素晴らしいことを聞いたので実行しています」


これはこれで素晴らしいことですが、やはり悟覚力がないといずれ頭打ちになってしまう可能性が高いといえます。

少し、わかりずらいと思いますので、例によって譬え話をさせて頂きたいと思います。

最近の新社会人にある傾向についてお話を聞いたことがあります。

新入社員なんかは、まだ、当然、右も左もわからない状態ですから、先輩社員や上司の指示に従うことで仕事を覚えてゆくことになります。

そこで、様々なことを研修や勉強会、あるいは実地によるいわゆるOJTと呼ばれるような訓練を通して学ぶわけですが、一つ頭を抱える事態に遭遇することがあるということです。

それは、教えたこと、学んだこと、指示したことはしっかりと身につけるのですが、それ以外は全く抜け落ちているケースが多いということです。

教えてもらったことはできるし、指示されればしっかりと働くわけです。

しかし、それ以外は全くというほど、主体的に動かないし、ボーっとしている社員が結構いらっしゃるということです。

これは、新入社員にヤル気がないからなのでしょうか。

いえ、そうではないようです。

なぜならば、彼らは、勉強もしますし、指示すればしっかり働くことはするわけです。

ただ、指示しなければ動かない、あるいは動けない、知らないことは知らないからやらない。

こう考えてしまう方が増えてきているということをお話として聞いたことがあるのです。

もちろん、新入社員だけの話ではないかもしれませんが、全般的にこれは悟覚力が全くないか低下している状態であるといわざるを得ないでしょう。

彼らの言い分からすれば、「言ってくれればやるのに」「知っていることならできます」と言いたいところではあるのでしょう。

しかし、本来、仕事とは自ら率先して成し遂げるテーマであり、やりがいのあることであるはずです。

誰かに命じられたり、指示されてやっと重い腰を上げるのでは、なんとも勿体ない話しでありますし、そこに主体性なんてないように思えます。

だから、悟覚力のある人であるならば、自分のおかれた状況、求められていること、これからゆくべき方向性を自ら考え出して進んでゆくはずなのです。

悟覚力とは気づきと自ずから悟る力であるといいましたが、与えられた仕事をただこなすのではなく、与えられた仕事が意味するところに気づき、察しながら、どうすれば必要なことを成し遂げることができるのかを考える。

これが悟覚力というものの本質であるわけです。

言ったことしかやらない、知らないことは知らないままでいる。

これでは霊性高き、魂を持った人間のあるべき姿とはいえないでしょう。

何が必要か、言われていることの本質はどこにあるのか。

このように自問しながら、深く、悟ってゆく力を培わなければ、それは単なる有機的なロボットであり、霊性は低いと言わざるを得ないのです。

実はこの悟覚力は、守護霊との対話やコミュニケーションにも非常に重要な意味を持っています。

守護霊は、必ずしもそのものズバリの答えを示してくれるとはかぎらないのです。

他の神霊も同じですが、ヒントであり、断片的であったりするために、後は咀嚼して受け止めるか、自ら気づき悟る他、答えを知る方法はありません。

悟覚力のない人は、守護霊からのメッセージも表面的なことしか受け取れませんから、真の意味も理解できないままなのです。

よく一生懸命に霊感や霊能を磨いて、守護霊や神仏とアクセスして答えを知ろうと試みる方がいらっしゃいますが、ある意味、それは無駄なのです。

なぜならば、守護霊、神霊、神仏とはとても、気品があり、高貴で教養のある方であるために、その意志を本当の意味で理解し受け止めるためには、悟覚力がどうしても基礎として必要であるからです。

悟覚力のない新入社員が上司からどんなに熟練のノウハウや仕事のやり方を受け取ろうと思っても、表面しかわからないのといっしょなのです。

だから、表面上の霊的感性や霊能を磨いたところで、ちょっと感性が鋭くなったり、霊的なものを感じたり見えたりするようにはなるかも知れませんが、高度なものを受け取ることはできないのです。

むしろ、低レベルで怪しい情報を受け取るリスクが増える分、危険であるということもいえるわけです。

今回のお話で一番言いたいのは、全てのことを表面的に受け取ってわかったつもりになるのは危険であり、霊性の向上をストップさせてしまう可能性がありますよということです。

また、浅い解釈で善悪を論評したり、決め付けたりするのは、悟覚力のある人のすることではありません。

このあたりのことも心しておいて頂ければと願います。

さて、悟覚力をつけるためには、何が必要であるかについて最後にお話しておきたいと思います。

それは、「察しと思いやりの心を持つ」ということです。

私のブログもそうなんですが、全ての事柄を漏れなく伝えることは不可能です。

なるべくそうありたいとは願っていますが、不完全なる身ゆえ、それは不可能であると言わざるを得ないのが現状です。

だから、ブログや私の鑑定結果なども、これはどうゆうことなのか?何を自分は心がけねばならないか?という内省的な視点を持って読んで欲しいということです。

こういう視点を持つことで、悟覚力は段々と磨かれてきます。

なんでもかんでも、質問するだけ、聞けば応えてくれるだろうとばかりに、自分で考えずにいると悟覚力は低下してしまします。

もちろん、自分だけで考え込んでしまうと独りよがりになってしまいますので、質問すること聞くことも大事ではあります。

そこはバランスです。

少し意味するところを洞察してみる。咀嚼してみる。

これが悟覚力を磨いていくのに必要な心構えであるといえるでしょう。

それから思いやりの心も大切です。

単なる気づきや悟りでは、本当の意味での霊性の向上には繋がりません。

そこに愛と真心がなければ意味がないからです。

なるべく、好意的にあるいは、人に対する優しい気持ちで察していく。

例えば、ちょっと色々と小言ばかりをいう上司がいたとしても、その小言は、自分にとって大切なことを言ってくれているのかも知れないし、そうでなくても、何かストレスや不安を抱えているのかも知れない。

察していくと、相手の言っていることの意味するところや、どう受け止めればよいのかがわかってくるはずです。

これもまた、悟覚力です。

このブログを読む方が深い悟覚力を体得されて、霊性向上へと進んでいかれますことを願っています。



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大変お待たせしております!

こんにちは!

天心です。

FGSの会の希望者が続々とお申し込み依頼が押し寄せていて、まだまだ、対応しきれていません。

お申し込み頂いた方へのミニアンケート送付、またミニアンケートに回答して頂いた方への結果返信、通常の鑑定依頼への取次、結果返信が、滞っております。

随時、対応しているのですが、次から次へと依頼が来ている状態になっているため、なかなか全てを終わらせることができていません。

しばし、お待ち頂くことになってしまいますが、御理解頂ければ幸いです。



天心 拝



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守護霊とのギャップ

日頃から守護霊アドバイスなどにのいて守護霊のコメントを取次させて頂き、ご相談者の方にお伝えいたしておりますが、時折、守護霊についてご質問を受けることがあります。

「私についている守護霊様ってどんな人なんですか?」

こんな質問を度々受けることがあります。

といいますのは、守護霊というのは、大体、200年から300年前くらいに生きていた方が多く、それ以前の昔の方なんかもいらっしゃいます。

私が見聞してきた守護霊にかぎって申し上げれば、あまり最近、お亡くなりになった方などは、守護霊になっているケースは少ないといえるのです。

何度かお話させて頂いておりますが、守護霊になるためには、それなりの霊格、霊覚が求められます。

また、学問教養、礼節というものも生前に収めた方が多いといえます。

ですから、基本的に守護霊アドバイスなどでも、道徳的、規範的なその人を律するような内容のものを伝えてくることがほとんどなのです。

それから、話してくる言葉の質感として、どこか厳かだったり、いかめしく感じる言葉が多かったりします。

あきらかに現代人がきくと違和感を覚えるような言葉(笑)

あるいは時代劇の中でしか聞いたことがないような言葉で伝えてくることがあるのです。(笑)

もちろん、全ての守護霊がそうであるとはいいません。

ですが、かなりの確率で古い封建的な時代に生きた方が現れますので、守護霊からのコメントを伝えるときまって「いつの時代の人なんですか!?」「なんだか難しいこといってますね(笑)」というリアクションを頂くことがあります。

私もそう思うゆえに、必ず守護霊からのコメントだけでなく、解説として、色々と補足させて頂いて伝えさせて頂いているわけです。

さて、そんな守護霊ではありますが、我々、現代人とのギャップは何も言葉だけのことではありません。

実は考え方もかなりのギャップを感じることがあります。

守護霊はもちろん、愛と真心で活動しておられていますし、守護している方のことを本当に考えて行動をされております。

私も守護霊と同様に愛と真心を起点にして活動をしていくように心がけてはいるわけです。

守護霊と私は、愛と真心という点で、心を一つにしているということがいえることがわかると思います。

このようにお話しますと、「どこにもギャップはないのではないか?」と疑問に思われる方もいらっしゃるかも知れません。

しかし、そうでもないのです。(汗)

私は、御存知のようにこのブログを読んでくださっている皆様と同じ時代に生き、その環境の中で培ったライフスタイルや考え方、生き方に乗っ取って生きているわけです。

民主主義の国に生まれて、どことなく概ねフラットな感じで、身分や家柄の違いで大きく差別されるような時代ではない時に生まれ生きています。

もちろん、まだまだ、差別的なこと、制約を受けている事柄があり、万人が平等と呼べる状態ではないかも知れませんが、大昔に比べれば大分、平等、公平な世の中へと歩みを進めてきているといえます。

ところが、守護霊が生きた時代というのは、私たちの生きている時代とは大きく異なります。

封建制という、身分制度や家柄、門地などによってヒエラルキーがしっかりと組み込まれた社会であり、自由や平等といった気風はほとんどなく、お家大事、生きるべき筋を貫き通すのが正義と考えられるとてもある意味厳しい時代であったわけです。

現代では、それなりに自由にゆったりと生きることも可能ではありますが、守護霊の生きた時代は、お家のため、忠義を尽くす、あるいは、ともかく与えられた身分の中で生きていくのが精一杯であったのです。

そんな時代の中で学問を修め、教養を身につけて、霊格を磨いていった人が守護霊になっているわけです。

だから、とても言うことや求めることは厳しかったりします。

私も、時々、「それは今の時代にとってはナンセンスではないでしょうか?」なんて意見したりもしています。

ともかく守護霊は筋を通し、礼節と教養がびしっとした方が多いので、そのあたりでまずギャップが発生します。

私は、どちらかというとフランクにそして明るく楽しく、軽い感じで取次を行うように心がけていますが、守護霊の方は、以外と厳しいことを言ってきたりすることもあるのです。

そのたびに私は守護霊と会話をかわしながら、妥協点を探るわけです。

なぜかといえば、守護霊のそのままをご相談者にぶつけてしまうと、その方が受け止めきれない可能性があるからです。

守護霊からは「ちゃんと厳しく指導を伝えるように」と言われることも多々あるのですが、私は、「嫌」なので(笑)なるべく厳しくなくソフトに伝えるようにしているのです。

もちろん、守護霊は鬼ではありません。(笑)

きちんと筋を通しながら、切々とこちらの言い分を伝えてゆけば、わかってくれたり、妥協をしてくれたりすることはあるのです。

だから、いつだって守護霊と話し合いが必要なんですね。(笑)

お互いに愛と真心ということで、ご相談者に対する愛と真心が極まっていればお互いのギャップを埋めた形での取次を行うことができるわけです。

とはいえ、いつも妥協してもらえるとはかぎらず、こちらが負ける場合もあります。

どう考えても守護霊の言い分が正しい場合には、受け入れざるを得ないのです。

子供のように泣きわめこうが、筋が通らないことに耳を貸すほど守護霊は甘くはないからです。

先日こんなことがありました。

無償鑑定の際、時折、本当に真心の熱い方がご寄付を申し出てくださることがあります。

ご寄付の希望を持つ方は、鑑定申込の記載項目にて「あり」を記載して頂くことになっております。

本来は無償の鑑定のところへ、志としてご寄付をされるのですから、それはものすごい、愛と真心の正のエネルギーが込められているのです。

折角、お申し出頂いておりますので、なんとかその心に応えたいと思い、一部を神社に玉串をして、それでその神社特有の功徳の風を取次祈願をさせて頂いたりしているわけです。

そんなわけで大切なお寄せ頂いたご寄付を確認して、ちゃんと神社にてご祈願をさせて頂くために銀行に記帳確認にいったのですが、どうしても、ご寄付の入金確認ができない方がいらっしゃいました。

数人ではありましたが、どうしても記帳された数と一致しないのです。

もちろん、ご寄付のご入金のタイミングは、人それぞれでありますし、特に制限を設けているわけでもなく、また、設けるのも、ご寄付をして頂いた方に負担をかけることになってしまうので、したくもないのです。

しかし、一カ月以上前の鑑定において、未だ、ご入金がないということは、忘れられているか、あるいは鑑定後にやはり寄付を取りやめたいと思われた可能性が高いといえるでしょう。

もともと無償の鑑定です。

だから、私としては、「そんなこともあるよね♪」と特に意にも返さないでいます。

ここが私の気楽なところですね。

もともとないところに、真心とお志でして頂いていることですので、私がそこでどうこう思うのは筋違いだと考えているのです。

そんな感じで、記帳された数が一致しないことに関しては、すっかり忘れて、さあ帰ろうとした瞬間のことでした。

突然、頭がくらくらとし始めたのです。

めまいかな?と思い、しばし、ふらふらしながら、ちょっと気持ち千鳥足のような歩みで家路を向かっていると私の守護霊ではない感じの方が目の前にお出ましになりました。

その守護霊は、何か厳しい顔をして少し怒っているような、そんな感じが致しました。

「何かご用ですか?」と尋ねると「もっと厳しく指導すべきである」とおっしゃられるのです。

私は、「は?」という感じでしばし、茫然とそこに立ちつくしていました。

いきなり現れて何を言い出すのだこの守護霊は。。?

このように思っていましたが、よくよく聞いてみると、どうやら先ほど、記帳した数が合わなかった方の守護霊であることがわかったのです。

そして、守護霊が言うには「約束を違うとは不届きなり。恥を知れ!」と怒りながら嘆いているのです。

恥を知れって。。私に言われても。。

どうやら本人にメッセージを送っても一向に気づかないために私のもとへ直接訴えにきたようです。

私は、守護霊に言って聞かせました。

「これは元々、無償の鑑定ですから私はどちらでもいいんです。何もかわらないですからね。」

しかし、守護霊はまだ固い難しい顔とオーラを放ったままです。

思うに、厳しい礼節と道義を叩き込まれた方には、自分がした約束を違うなど考えられないという感じらしいのです。

私の方としては、いま時はそんなこともあるんじゃないかなと諦観といいますか、少し冷めているのか、あまりこだわってはいないのです。

こういうところでも守護霊と私との考え方のギャップはあるんだなと思った次第です。(笑)

最後に守護霊は「もっと厳しく指導すべきではないか。必ずこのことは正して欲しい」とおっしゃっておられました。

でも、私としては「嫌」なわけですね。(笑)

だって、考えてもみてください。

ご寄付の話というのは、なかなかいやらしい話に受け止められてしまいかねない話題です。

だから、あまり公然と触れたくないし、本当に真心がある方が、本当にそうしたいと願った時にして頂くのが一番だと考えているのです。

いやらしい意味でとらえられるのは、私にとって本当に不本意なものになってしまいますから、なるべく大きく触れない話題としていたのです。

しかし、それでも、必ず指導して欲しいとおっしゃられるので、仕方なく「厳しくは嫌なので、ソフトになら(笑)」ということで、このような記事の中でさりげなくお伝えしているわけです。

これが守護霊と私とのコミュニケーションによる妥協点であったというわけです。

ちょっと横道に話がそれた感がありますが、守護霊と私とでもかなりの考え方のギャップがあるということです。

最後に守護霊と我々、現世に生きている人間との間に起こる最大のギャップについてお話したいと思います。

それは、我々は現世に生きていて、守護霊は神霊界に生きているというところであります。

どういうことかといいますと、守護霊はもう既に神霊界の実相に慣れきっています。

神霊界は現世にくらべると、途方もないくらいのギャップがあります。

いうなれば天国と地獄くらい(笑)の差があります。

神霊界は、いつも感動的で明るい楽しい音楽が奏でられ、美しい景色、光景、常に感動と感激連続の世界です。

例えるならば、いつも美味しいものを口にした時のような嬉しさがあり、何かを実現した時のワクワク感、恋愛したてのころのトキメキ、家族のぬくもりを感じながらの暖かさにも似たようなとにかく、現世にくらべるとものすごいハッピーな世界なわけです。

そんな世界に在籍する守護霊からすると、現世の取るに足らない小さな喜びや欲望に気を取られて、魂の修行を怠るのは、本当に馬鹿げていることのように思えるようなのです。

もちろん、守護霊は高貴で、教養も高い方ですから、そんな意地の悪いことを言ったりすることはありません。

現世での人間の事情もある程度はわきまえてくれているので、現世での人間としての幸せも考えてはいてくれるのです。

しかし、それでも、やはりどこか、現世に執着する愚かしさや、やるせなさを感じることがあるようです。

口に出してはいわないけれど「もっと素晴らしい世界があるのにな。それに気づかず今の現状でとらわれているのはもったいないな」というのが守護霊のホンネのようなのです。

とはいえ、我々、現世に生きる人間にも言い分はありますよね?

「現実が不幸でひどい目にばかりあっていたら、魂に傷ができて余計に負のエネルギーが蓄えられて神霊界どころではなくなってしまいます」

「魂の修行の場とはいえ、少しは息抜きや楽しみがなきゃやってられないです」


これが我々のホンネではないかと思うのです。

でうから、守護霊と私との間の最後のギャップは、現世と神霊界の違いということがいえるでしょう。

守護霊は、神霊界の論理で動きます。

我々は、現世の論理で動きます。

でも、これをうまく調和して折衷して生きていくことが、現世と霊界の二つをうまく統合した生き方になるのかも知れません。


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【報告】FGSの会のミニアンケート

こんにちは!

天心です。

昨日、FGS(フレンドリー・ガーディアンズ・スピリット)の会の発表およびメンバー募集の記事をアップしましたところ、多くの方からの御依頼を頂いております。

一挙に来たために、少々驚きました。(笑)

私のイメージとしては、何人かコアな読者の方々が、2、3人ちらほらと応募されてこられるのかなという感じでおりましたところ、一挙に十数名を越える方々が応募してくださいました。

このような何の権威もない私のブログを読んで頂き、あまつさえもっと深く学んでいきたいとおっしゃられる方がありますこと大変ありがたく、また恐縮している次第です。

昨日の記事でもお話したように、まだまだ、メルマガを発信していこうという以外は、細かいところは決まっていません。

これから順次つめていき、少しずつ稼働していこうと考えています。

その前にまず、ご応募頂いた方に早急にミニアンケートを送付しなければと、朝から準備しておりました。

先ほど、BCC扱いで全ての人に同一の内容のメールを送付させて頂くことができました。

個別に対応をしようと考えていたのですが、予想以上の人が応募されましたことを受け、時間短縮と漏れがないようにするために一括送信とさせていただいた次第です。

一応、現時点(2011/6/9 AM10:00)で応募頂いた方には送付を完了致しております。

万が一、メールが届いていない場合には、まず迷惑メールフォルダの確認をしてみてください。

それから、ドメイン指定などのフィルタリング機能が設定されていないかの確認もしてみてください。

それでも、届いていないよという方は、ご一報頂ければと思います。

さて、ミニアンケートの内容としては、前半、純粋なアンケート、後半がプチテストにんなっています。

前半は、皆様のご意見やこのブログにたどり着いた経緯をお尋ねすることで今後の活動をする上での参考にさせて頂こうというものです。

後半は、ブログの内容を理解して頂けているのかな?という意味も込めてのものになります。

これは、別に皆さんの理解力を試そうとしているわけではなく、私自身がちゃんと伝えることができているかという反省の意味も込めてのプチテストでございます。

表現力の乏しき身ですので、やはり切磋琢磨、いつも試行錯誤の連続です。

このようなテストやアンケートに参加頂くことで、私自身も勉強させて頂いております。

ということで、今回はミニアンケートを送付させて頂いたという報国でありました。


天心 拝




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誰でも陥る天狗の罠

皆様は天狗を御存知でしょうか。

よく昔話などで出てくる伝説上の怪物というようなイメージを持つ方が多いのかなと思います。

あるいは、天狗が祀られている神社なども存在していますから、何かの信仰と祭祀の対象として認識している方もいらっしゃることでしょう。

確かにご眷族の神として祀られる天狗とう存在もありますが、今回、お話したいのは、この世に存在する天狗のお話です。

「えっ!天狗ってこの世に存在するの?」

こう思われる方もいらっしゃると思いますが、にわかには信じがたいかも知れませんが、存在しています。

天心もついにイカレタことを言うようになったか!

とブログを閉じてしまう前に少しだけ話しに付き合って頂けないでしょうか(笑)

この世に存在する天狗についてお話をする前に天狗とは何かということについてお話させて頂きたいと思います。

皆さんの天狗のイメージを思い浮かべてみてください。

おそらくは鼻の長い真っ赤な顔色の眼付も鋭い顔を想像した人が多いと思います。

では、体つきはどうだったでしょうか?

天狗の顔はある意味有名なので想像つく人も多いのですが、身体も含めた天狗の姿を思い起こせますでしょうか。

正解をいいますと、身体は山伏、修験者の姿をしています。

そうです。天狗の姿とは、実は山伏、修験者であります。

もちろん、山伏や修験者がイコール天狗であるといっているわけではありません。

天狗の正体は、山伏の成れの果てであるということを言っているのです。

山伏は、野や山にこもり修行を行い、霊場を開いたり、神を降ろしたりと神通力を得とくして、駆使しながら活動を行う存在です。

本来は神仏を取り次ぐのが使命の一つです。

しかし、ものすごい難行苦行をして、荒行を達成し、とてつもない神通力を発揮できるようになると山伏は時として天狗に変身してしまうというわけです。

天狗とは、ものすごい実力や神通力を持つ存在であるといえます。

だからこそ、畏敬の対象ともなり、信仰する人も多かったりするのです。

病気をたちどころのうちに癒したり、人間ばなれした速さで野山を駆け巡ることができたりと、とにかく凄い力を持っているわけですが、その力ゆえにとても態度や行動や心根が傲慢であったりするのです。

我こそは最強なり!といわんとばかりに力を誇り、実力を見せつけます。

やっかいなのは、実力があるゆえに、それを諫め止められる人もいないということです。

時々、実力もないのに大言壮語を放つ人を天狗といったりすることがありますが、実力が伴わない時点で、その人は天狗とはいえません。

天狗とは実力があるけれど、傲然として、省みることを忘れたものの姿であるといえるのです。

丁度、西遊記孫悟空の姿が天狗の姿とかぶります。

孫悟空はとてつもない妖術を使いますし、誰も止めることができないくらいの実力を持っていました。

しかし、圧倒的に悟りと理法をわきまえた存在であるお釈迦様に対しては、越えることができず、その天狗の鼻を折られる結果になることは、物語の中では周知の事実です。

天狗になってしまった人の鼻を折るのはお釈迦様のような優れた人でなければ難しいといえます。

それゆえに、天狗になってしまうと愛も真心も消え失せて、やたらと力や功績を誇るようになり、誰も止めることができなくなります。

山伏はあまりにも修行を積み、力をつけてきたという自負の心から天狗へと変貌してしまったわけです。

これは、山伏だけのお話で現代の一般社会に住む私たちには関係のないお話なのでしょうか。

いえ、そうではありません。

私たちの社会にも天狗は存在しています。

社会的実力、仕事における実力、なんでもそうですが、自分が成長して実力がついたと感じ始めた時こそ、実は一番、天狗に陥りやすい時であるといえるのです。

皆様の職場を見渡してみてください。

時々おりませんか?

実力もあって、成績も好調であるけれど、人に対する優しさや、思いやりに欠けるところがある人。

実力があるゆえに、いつしか、優しさを失ってしまえば、その人は天狗であり、二度と神霊世界の妙なる世界に移動することは叶わなくなってしまいます。

天狗はしょせん、天狗なのです。

愛も真心もなく、ただ、実力を誇り、それゆえに人を傷つけても平気でいられるような人になります。

時々、正義を振りかざし、論理と知恵で人を言いくるめて喜んでいる人。

自分は正しいことをやっているのだからと、自分より劣る人をなじって悦に浸っている人を見かけることがあります。

自分は正しいと相手にも他人にも認めさせたいという気持ちがそのまま現れたような行動をとる人。

全て、この世に存在する天狗の姿であると言っても過言ではないのではないでしょうか。

私も常に自分が天狗になっていないか、寛容さと優しさを失ってはいないかチェックするようにしています。

そうしないと人はいつしか、天狗になってしまう可能性を秘めているからです。

実力に振り回されて愛と真心を失うくらいならば、いっそ愛ある優しき愚か者でいた方がましなのです。

このことに気をつけながら今後も様々な活動を続けていけたらと思っています。

皆様もくれぐれも天狗にはお気をつけくださいませ(笑)




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守護霊との関係性

守護霊について随分、様々な角度からお話をさせて頂いてきましたが、それでもなお、まだ、語り尽くせない存在であるのが守護霊であるといえます。

守護霊という言葉から、何か守ってくれている存在であるという認識を持つ方が多いと思いますが、それ以上に守護霊と自分とはどんな関係があるのか。

単に守られたり教育されたりする家庭教師教え子といった上下関係のようなものなのかと考えてしまうと守護霊との関係は狭く縛られた関係に思えてきてしまいます。

なんだか、上を見あげるような感じで守護霊様を感じてしまうこともあるかも知れません。

以前、神霊との関係は祖父母のような関係であるというお話をさせて頂きました。

丁度、守護霊の立場や思いをメタファーとして表すのに祖父母というイメージは丁度よかったということもあり、そのような譬え話で表現させて頂きまいた。

最初は祖父母に甘えるように、語りかけ、助けられながら、自らの魂を磨く日々を送り始めます。

ここが基本となるわけですが、孫がいつまでも子供のままでいるわけではないように、私たちも成長してゆかなければなりません。

私たちが成長していくと守護霊も好々爺のような上から見守るだけの存在から別の次元の顔を見せてくれるようになります。

今までは一方的に助けられ、学ばされるだけの存在、教師のような親のような祖父母のような存在であった守護霊が、また一段と身近に感じられる存在になっていくわけです。

では、別次元の顔を見せるようになった守護霊との関係はどのように変化していくのでしょうか。

そのことについて、今回は少しお話をさせて頂きたいと思います。

突然ですが、皆様、「海猿」という映画を御存知でしょうか?

いきなり映画の話で戸惑われるかもしれませんが、非常にこの映画の中には守護霊と自分との関係性に対する深いヒントが隠されています。

ですから、しばし、お話にお付き合い頂ければと思います。

「海猿」を御存知ないかたのために、少しだけどのような映画であるのかを解説させて頂きますと、簡単にいえば海上救援隊のお話でして、海難事故にあった方を命がけで救助していく隊員達の人間模様を描く、感動的なお話です。

具体的なストーリは興味があれば映画を見て頂くこととして、この映画の中で主役となるのは、救助隊員です。

そして、救助隊員は、救助を行う際に、必ずバディーと呼ばれる、相互補助を目的として他の隊員とタッグを組むことが原則となっています。

バディーは常に助け合い、補助しながら、救助作業を行うわけです。

命がけの現場ですから、バディーの息があっていないと救助は成功しませんし、それどころか救助隊員の命すら危険にさらされることになります。

バディーはお互いを固く信頼しあい、信じあうことで、成立するわけです。

実はこのバディーという関係は、別次元に昇華した時の守護霊と自分との関係性に極めて近いものであると考えられます。

例えば、救助隊員の一人が救助中に危険な状態に陥った時に、もう一方は、これを助けるために最善を尽くします。

しかし、救助中に起こった事故は、想像を絶する極限の中でのことである場合が多いため、パニックになりやすいわけですね。

もちろん、救助隊員は厳しい訓練を受けているわけなので、一般の人に比べれば、対処方法などもわかっているわけではありますが、それでも極限の時には極度の不安や恐怖と闘わなければならないことになることでしょう。

そんな時に相方であるバディーを信じられるか?

ここが、その後の救助活動の成否にもかかわってくる話であります。

バディーには強い信頼と絆が要求されるわけです。

強い信頼があればこそ、お互いを助け合いミッションを成功させることができるのです。

これは、守護霊と守護される私たちにも言えることなのです。

守護霊は私たちのバディーであるともいえるのです。

いつも、霊界から私たちを必死で導き、どんな苦境にある時も身捨てはしません。

最善の方法をなんとか考えて導こうとされています。

しかし、それに対し、ただ単に現状に不満と不安だけを抱き、ちっとも守護霊を信じずに状況を嘆くだけであったならどうなることでしょう。

バディーの関係は崩壊です。

信頼できない、相手を疑う姿勢である時、バディーは自然と崩壊してしまうのです。

もちろん、ミッションも失敗に終わるでしょう。

しかし、どんなに苦しい状態出会ったも、バディーである守護霊が必死で対応し道を開くべく導いてくれているはずだと確信することができるならば、いかなる苦境であっても、そこからはいあがることは可能なのです。

文句たらたらで、「守護霊なんかいない」「私は守護されていない」なんて愚痴を垂れていれば、そこには信頼関係などないに等しいでしょう。

絶対に守護霊の期待を越えるくらいの人物になってやろう!

守護霊は絶対に自分を身捨てたりはしない。

このように考えて、たとえ現状が辛く苦しいものであったとしても、怖れず立ち向かっていく時、守護霊と自分との間にバディーの関係は成立しているのです。

ここが理解できてくると守護霊との関係は一段上の関係へとステップアップすることができることでしょう。

「海猿」はエンターテイメントとしての映画として作られているわけですが、知らぬ間に神霊界の実相も表している作品になっているように私は感じます。

だからこそ、多くの観客に感動を与えて、興行としても成功していたようですね。

色んなところに学びがあります。

今回は守護霊との関係性について少し見なおしてみる機会として頂ければ幸いです。


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枯れた愛情を蘇らせる方法

こんにちは!

天心です。

昨日は、神奈川県にある箱根神社へお参りに行ってまいりました。

とても、良い参拝になりまして、色々とお話したいことも沢山ありますが、それに関しては、後日また改めて報告できる機会を作りたいと思っています。

神社参拝を終えた後は本当に清々しい気持ちでいるのですが、一方で、またまた、鑑定依頼の方をため込んでしまっている状況が生まれつつあります。(汗)

申込んだのに中々返事がないという方、大変、申し訳ありませんが、しばしお時間を頂ければと思います。

私自身も鑑定が終わらないとスッキリとした気持ちに切り替えができないため、早く返事をしたい気持ちは多々あるのです。

しかし、どうしても人によりすぐに取次をすることが出来る人もいれば、中々、許可ができない、あるいは問題そのものが難しいなどの理由のため、お返事が出来ないこともあります。

なるべく早いレスポンスをと心掛けるものの中々実現が難しい場合もあること御理解頂けると幸いです。

さて、今回は、開運コラムとして、「枯れた愛情を蘇らせる方法」というテーマでお話したいと思います。

私はブログの中においても、真心が大事ですよと何度も様々な表現方法でお話をして参りました。

愛と真心がある人には守護霊も強いご加護を与えますし、なによりも正のエネルギーの蓄積にもこれは必要不可欠な要素であったりします。

でも、どうしても人間、毎日の日常生活を続けていく中で、もともと持っていた純な気持を失い、冷めた心で人に接してしまうことがあります。

いつもいつも愛情にあふれた心境で物事に取り組むというのは、難しいものです。

いつしか、愛情も枯れ果てて、ドライな関係で、家族や友人、恋人、夫、妻などに接してしまう瞬間は訪れてしまう場合もあるでしょう。

そんな時には、どうすれば愛情が復活して、心からあふれてくるようになるのでしょうか。

それは、今あることが当たり前に存在するものではないということを自分自身にしっかりと自覚させることにあります。

例えば、今は、もう付き合っていた当初のようなキラキラした感性、愛情がなくなってしまった夫に対して、どうすれば愛情が復活するのか考えてみましょう。(笑)

夫婦生活が長くなれば、時間と共に初期の頃のような感情は失われてくるものです。

これは、感情というものもまた、永遠ではないことを意味しています。

愛は永遠とは言いますが、現実には、時間の流れのなかで放っておけば錆ついてくるのが愛の現状というものです。

だから、愛情にもメンテナンスが必要なんですね。(笑)

そこで、一度、試して頂きたいのは、もし、御主人と(これは他に置き換えてもかまいません)今日でお別れして二度と会えない、会話もかわせない、聴きたかったあのこと、言っておきたかったあのことを伝えられないとしたら自分はどうするのか。

あくまで、想定に過ぎませんが、真剣に考えてみて欲しいと思います。

もう会えない、もうやり直しはできない。

こう考えた時に、あなたはどう行動するのか。

いつも通り、冷めた口調で、何かめんどくさいものと接するように、適当にあしらったりするのでしょうか?

愛情が枯れ果てて、もう相手に対してめんどくさい(笑)としか思わないくらいになってしまっていたとしても、今日という日が、接することのできる最後の日であると考えたならば、自然と初心に帰ることができるのんではないでしょうか。

永遠の時間は、現実には存在しません。

当たり前のことも存在しません。

常に変化して移り変わっていくのが現実です。

このことに目を向ければ、時間の経過とともに失ってしまった愛情も復活してくる可能性もあるのです。

時間は愛情を枯渇させますが、永遠はないことを自覚する時、乾いた泉に再び水が湧き出るように愛情があふれてくることでしょう。


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【6月度報告】神田明神にて追い風祈願

本日は梅雨らしく潤いの雨が降り注ぐなか神田明神への参拝をさせて頂きました。

ブログ開設の当初から読んでくださっている方は、御存知かと思いますが、私は、月に最低一度は、この神田明神にご挨拶に伺い、皆さまから頂いたご寄付の一部を玉串として奉納させて頂いております。

特に献灯は毎月、奉納させて頂き、神田明神様のおひざ元を、皆さまからの真心にて照らして頂く想いでさせて頂いています。

今回も雨にも負けず、神田明神にて皆様の様々な悩みや葛藤、病気平癒、仕事、恋愛、結婚、人間関係、家族の問題、性格の悩み、等ナド。

少しでも、改善されて、そして幸せを感じている時間が長くなりますようにとお祈りをさせて頂きました。

ご寄付を頂いた方には、格別なる守護と追い風を、そうでない方にも、さわやかな神徳のそよ風がいきわたりますようにとしっかりとお祈りさせて頂いて参りました。

さて、今回も拝殿でお祈りしているとスーッといつもの神霊の姿が見えてきました。

益荒男ぶりというのでしょうか。

いつも、武将というか、髪が長くお髭も蓄えた力強い感じの方が現れます。

少し透明感のある金色に輝いて見えますが、本当にりりしいお顔です。

青い龍神様を従えています。とても、壮大な感じです。

神田明神には、平将門公もお祭りされていますので、もしかして、ゆかりのある神霊であるのかなと思っていましたところ、今日は、お祈りしている最中に降りてきたメッセージによると「オオナムジの尊」の神魂が霊界次元まで降りてきた時の姿であるように教えて頂きました。

もしかすると平将門公は、オオナムジの尊とゆかりがある魂なのかなと思いました。

それはともかく、神田明神様の功徳の一つが新たに教えて頂くことができましたので、こっそりと(笑)ご紹介してみたいと思います。

あまり、神社公式で発表されている神徳とは違うものなので、声を大にしていうわけにもいきません。

信じる信じないは、各人お任せします。

「いかなる逆境からも勝利をつかむ徳」

これが、一つの神田明神での功徳であるとのことでした。

かの神域では、北辰妙見菩薩(ほくしんみょうけんぼさつ)がお祈りしていると降りてきて願いを聞いてくれています。

どんなに、逆境で追い詰められていても、それを逆転して突破していく勇気と知恵が授かるそうです。

そういえば、平将門公もいつも追い風に守られて、戦では勝利を収めていたというお話があります。

私も、なぜかお祈りする時に皆様に追い風の幸運がいき届きますようにと自然とお祈りしていることを思い出しました。

もしかすると追い風というのは、神田明神にとって、キーワードとなる言葉なのかも知れませんね。

なので、例え、逆境に陥っても諦めずに神田明神の手助けを得ればきっと、苦境は去って、良い方向に導かれていくことと思います。

全ての人に神田明神の追い風がありますことを願っています。



天心 拝




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他心通力の基礎

よく守護霊アドバイスなどで恋愛に関する相談を受けることがあります。

男と女の関係というものは、多彩な要素が組み合わさり、その複雑さゆえに悩みや葛藤が発生しやすい事柄であるのかなとも思います。

男女の問題のほとんどは、いきつくところは心の問題です。

相手が何を考えているかわからない、見えない。

だから迷う。葛藤する。

多くのケースを観てきましたが、ほとんどがこのパターンに行きつくことが多いように思えます。

彼(彼女)が何を考えているか知りたい。

本心がどうであるのか知りたいというご依頼も時々、あります。

私は、基本的には、守護霊からのコメントをお伝えすることに止めていて、相手の心を探ることはあまりしないようにしています。

以前は、未来予見のヴィジョンと同様に、相手の気持ちを読みとるような取次もしていたこともありました。

しかし、これもやはり、「相手の心を知ってどうするのか」という点で、あまり本当の意味での問題解決にならないケースが多いために、なるべく取次しないようにしているのです。

守護霊がコメントとして教えてくれるケースもあるため、絶対に伝えないわけではないのですが、自粛しているわけです。

人の心について読みとりを行うことを他心通力(たしんつうりき)といいます。

これは、仏教で示されている6つの神通力のうちの一つであります。

他人の心のうちを探る能力の一つであります。

まさに彼(彼女)の気持ちを理解する能力であるといえます。

これからお話するのは、この他心通力の基礎となるメカニズムについてです。

どうしたら、相手の気持ちを理解することができるようになるのか。

これが今回のお話のテーマであります。

それでは、早速、お話を進めて参りたいと思います。

まず、人の心を読むなんていうと、どうしても「心を読んでやろう」とか「腹の内を探ってやろう」なんて思ってしまいがちです。

このような心根は、神通力が発揮される基礎となる要素が完全に欠落しているといわざるを得ません。

何が欠落しているのか。

ひとえにそれは、真心であるといえます。

相手の気持ちを読んで自分に有利なように動こうとか、「浮気をしているかどうか確かめてやる」なんていう(苦笑)思いではまず、他心通力は発揮されません。

相手がどう思っているのか不安だから心を知りたいという想いも同様で、そう思えば想う程、相手のことがわからなくなってしまうのです。

相手の気持ちがわからないというご相談をされる方の多くは、自分の不安から相手の気持ちを探りたいという気持ちを強く持っている方がほとんどではないかと思います。

逆にいえば、その心根が相手の心を理解できない状態にしてしまっているということもいえるのでしょう。

もう一度、繰り返しますが、他心通力の発揮される状態の基礎となるのは、愛と真心です。

相手の幸せを真に想い、願う心で、相手がどうしたら喜んでくれるのだろうか?等と純な気持で、相手に意識を向ける時、ポッと心の中に、相手の想いが映りだす。

これが他心通力の原理原則なのです。

私も、取次をする場合は、絶対に相手の心を探ってやろうとか、読んで当ててやろうなんて気持ちを持ってやっているわけではありません。

常に相手の幸せを願う心がなければ、守護霊様は他心通力を発揮させてくれることはないからです。

全ては、神霊や神仏が許してくれただけ、取次ができるのです。

この原則を踏まえるならば、愛と真心で、相手を真に思いやり、意識を向けてさえいれば、ご相談者自身、相手の心がわからないなどと言って、迷ったりすることはないのです。

逆にいえば、この原則からはずれるからこそ、相手の心がわからなくなってしまうわけです。

本当に仲良く上手くいっている夫婦やカップルは、いつだって他心通力が発揮されているものです。

当人たちはそれに気づいていないかも知れませんが、知らぬうちに相手の心がわかるようになっていたりするものなのです。

だからこそ、仲良く関係を続けていけているという部分もあるのかと思います。

もちろん、何事も例外はあり、あまりに波長が合わない相手との間に他心通力は発揮されないことはあるでしょう。

しかし、原則としては、相手に対する愛と真心こそが、相手の心を知る基礎なのだということは理解しておくことが大切かと思います。

他心通力が本当の意味で発揮することができ、幸せな関係を築いてゆく一つのポイントとして受け止めて頂ければ幸いです。


天心 拝



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Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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