正と負の法則

子供の頃の想い出で公園で遊んだ記憶を持つ人は多いでしょう。

公園といえば、様々な遊具があって、子供心を楽しませてくれます。

砂場に滑り台、ジャングルジムと色々ありますが、その中でもシーソーという遊具があったのを覚えているでしょうか。

細い長い板の真ん中に起点となる支えを作ることで、ヤジロベエのようなバランスを作り出す。

天秤の要領で、板の端と端に二人の人が乗ることで、お互いの体重で、双方向に揺れ動くことになります。

自分の身体が上に持ち上げられたり、下に沈んだりするのが、子供にとっては面白かったりするわけでね。(笑)

このシーソーですが、これを例えにして正と負の関係についてお話してみたいと思います。

よく人は、「自分はこんなに努力しているのになぜ報われないのか?」というような言葉を口にすることがあります。

努力する人としない人という区別をつけてしまいそうになりますが、そうではありません。

誰でも本人なりの努力をしているものです。

だからこそ、努力をしているはずなのに報われた気持ちになれないと、つい不平を言いたくなったりします。

成果が見えなければ、どうしても虚しさを覚えてしまうのが人情というものかも知れません。

しかし、努力が報われるかどうかというのは、正と負のバランスによるのです。

シーソーの板の一方の端には、正のエネルギーが乗っていると想像してみてください。

人に対する愛と真心からの行動によって生まれた正のエネルギーです。

また、明るい、軽い、楽しい心根でいるだけでも、正のエネルギーは蓄積されています。

自分や人を明るい気持ちにさせる、楽しい気持ちにさせる言霊も正のエネルギーです。

神社や仏閣で、神気やよい霊波動を受けることも正のエネルギーになりますね。

上げてゆくときりがないですが、人の前向きな努力は全て正のエネルギーになるのです。

もう一方のシーソーの端には、負のエネルギーが乗っています。

人を傷つけたり、恨まれたり、怒りや執着心などの心根で行動したことで生まれた負のエネルギーです。

愚痴ばかり言って、未来に対する希望が見いだせないという心根の状態を長く続けていると負のエネルギーは益々蓄積されます。

邪気や邪霊も負のエネルギーの一種といえます。

このように正があれば負もある状況で、シーソーのようにバランスを取っているのが運命というものです。

だからこそ、自助努力によって正のエネルギーを生みだしたとしても、その反対方向に負のエネルギーがあれば、すぐには、努力が報われないことも多いのです。

負よりも正が勝った時に運命は好転を見せるのです。

ただ、これは単純に正が勝れば負の要素が消えて悪いことが起こらなくなるということではありません。

積み上げてしまった負のエネルギーはどのような形であれ顕現化へと向かいます。

この負のエネルギーが大きく顕現すれば、大きく負のエネルギーは減少することになりますが、その分、受ける苦しみも大きいと言えます。

正のエネルギーも同様で、受ける楽しさが大きければ、減少する正のエネルギーも大きいといえます。

なので、正と負のエネルギーの顕現化の大小やそのタイミングによって運気のサイクルのようなものがつくられてくるわけです。

だからこそ、単に楽しいだけの人生もなければ、苦しいだけの人生というものもありません。

正と負のバランスによって、全般的に運の良い人生といえる一生を送れるのか、あるいは不運の連続といえるのかが決まってきます。

もちろん、運が良くても、負のエネルギーは多かれ少なかれ人は持っているものです。

なので、時には手痛いことも起こるのです。

運が悪いと思っていても、正のエネルギーも必ず備わっているはずなので、その運の悪さの中にも不幸中の幸いという形で幸運が訪れることはあるのです。

だから、こそ、単に運、不運を嘆くのは意味がないことです。

運命をできうるかぎり幸運なものに近づけたいと思うならば、いちいち不運を嘆かずに正のエネルギーを蓄えるような行動や心根を持つ努力を続けるしかありません。

一方で、起こってしまった不運は、負のエネルギーの顕現化であると受けめて、これを減少させていく努力をしていく。

これは、一つには神霊の力を借りて行う、祈願や取次などで少しだけ減少させることができます。

後、自らの非を内省することで神仏の加護があり、負のエネルギーの顕現化のタイミングやその大きさの調整をしてくれることがあるのです。

このように正と負の法則に従って、運命の流れは決まってくるので、努力をしてもすぐに報われないということもあるわけです。

この正と負の法則が理解できてくると、今、何をするべきかがわかってくると思います。



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先祖霊について

先祖霊と一口にいいましても、色々あります。

父方、母方でも異なりますし、父方の中の母方、母方の母方という具合にさかのぼっていくとそれこそ無限に続いていきます。

さらに、兄弟、姉妹がいる場合には、その嫁ぎ先の父方、母方と広がっていきます。

前者を直系のご先祖だとすれば、後者は傍系のご先祖であるといえます。

本当に数え切れないくらいの先祖とのつながりがあるわけで、過去帳や役所の記録などで調べられる先祖だけでは把握できないものです。

遠隔浄霊では、申込まれた相談者と強い、あるいは濃い霊線で繋がった先祖霊を浄化しています。

その中には、直系、傍系、色々、入り混じっている状態です。

先祖ときくと、わかっている範囲でのご先祖様を想像してしまいますが、本当に古い時代の方も霊線で繋がっている可能性があるのです。

だから、審神(さにわ)の結果、そんなご先祖様、うちの家系にいたのかな?

と疑問に思う人もいらっしゃいます。

しかし、霊障とは複雑怪奇な場合もあり、一概に単純に、どこそこの霊と判別できるわけではないケースもあります。

どういうことかといいますと、生前の行いがあまりにも天地の法則からずれ、人間としての品性すらも失い、動物と変わらない状態まで魂が曇ってしまっている先祖も中にはいます。

こういう場合は、人の姿をしていないことが多いのです。

必ずしも霊界での姿は、生きていた時の状態とはかぎらないですし、想いの世界ですから姿もそれに応じて変わります。

神霊に近い存在になられている先祖霊は本当に清々しい波動に満ちています。

お姿も立派なお召し物を来ていたり、シンボルとしての装飾品を身につけておられる方もいます。

一方で、あまりに魂が濁ってしまったために、もう人間とは思えない姿の先祖もいたりします。

後は、ごくふつうの人間としての姿を持ったご先祖様ももちろん、いらっしゃいます。

多かれ少なかれ、人には先祖霊との霊線での絆があります。

素晴らしい先祖との絆もありますし、ちょっと霊界であまり良い環境にいない先祖との絆もあります。

時にはドロドロの変化した姿の先祖との絆もあります。

これは割合の違いこそあれ、大体、どんな人にもそれぞれのタイプの先祖霊との絆があるといえるのです。

素晴らしい先祖との絆は、自分自身の魅力や才覚の源であったりする場合が多いです。

ちょっと、具合が悪くなったり、調子が出ない時には、あまり良い環境の霊界にいない先祖の戒告であったりするのです。

重大な欠落や不備、人生に影を落とすようなことに繋がっているのは、いわずもがな魂の濁ってしまったご先祖様です。

このように先祖といっても色々あるわけですね。

遠隔浄霊で当面、救えているのは、あまり良い霊界にいないご先祖様です。

それ以上に穢れがヒドイ先祖霊の場合は、なかなかすぐに救済することは難しいのです。

ちょっとずつ、霊線の繋がっている今生で生きている人が頑張って霊格を上げ、負のエネルギーの決算を終えて、正のエネルギーを蓄えていく。

その上で浄霊などの取次を捕捉的に行っていく。

これ以外には、なかなか方法はないようです。

あまり、先祖供養ばかりを気にし過ぎることを私が推奨しないのは、このように先祖をさかのぼっていくときりがないほど、多くの方にいきついてしまうからであります。

もちろん、供養したり、浄化すれば、その分、先祖は救われて、霊的には軽くなっていきます。

霊線が繋がっている本人もしかりです。

だけども、先祖供養するために、私たちは生きているわけではないのです。

バランスを取りながら、やっていくことが先祖供養としても一番良いことと思います。


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自分を見捨てない

あまりにもヒドイことが続いたり、あまりにもヒドイ失態を繰り返したりする過去を持っていると、時として人は自分不審に陥る場合があります。

何をやってもうまくいかず、自分には才能も運も魅力もないのかとなげきたくなる時があるものです。

しかし、どんなに不運なことがあっても、どんなにひどい仕打ちを受けたとしても、そこから返り咲き、成功や幸せを手にする人がいます。

それはどんな人なのでしょうか。

それは、どんなことがあっても自分を見捨てない人なのです。

人は人を見捨てることがあります。

哀しいことですが、人にはそれぞれの事情があり、考え方があるので、必ずしも他人からの愛を期待しても、それはかなえられないこともあります。

助けて欲しい時に助けてくれる人を求めてしまうのが人の性ではありますが、そう都合よく動かないのが他人という存在です。

だから、どんなに期待し、見返りを求めたとしても、時にはあだで却ってくることがあります。

期待を募らせれば募らせるほど、エゴは強くなり、運気は落ちてきます。

皮肉なことですが、運気が落ちると人気も落ちるので、人は寄り付かなくなったりします。

では、どうしたら良いのでしょうか。

しっかりと自分の足で地面に立つということです。

最低限、自分のことは自分でなんとかするし、なんとかできると信念を持つことです。

そのような心根を持っている人には、他人も協力を惜しみません。

つまり、運気があがり、人気も出てくるのです。

この法則がわかっていないと、他人に裏切られたとか、期待していた見返りが得られずに苦悩することになります。

物事というものは大抵、裏側に真理が隠されているものです。

人は自信のない時には、自信のないようなそぶりを見せてしまいます。

苦しい時ほど、自分に甘くなるものです。

でも、本当に苦境から脱したいと考えるならば、自信のない時にこそ、思い切った決断が必要な時もあります。

苦しい時ほど、あえて気を引き締める。

もちろん、やり過ぎるとげんなりして気力そのものがなくなってしまうこともありますが、多少の喝は、必要不可欠であると理解したほうが良いのかも知れません。

自分を見捨てるのは、他人ではなく自分自身がまず最初であるということを自覚出来る時、道は開けてくるのかも知れません。


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【ご質問】遠隔浄霊の実際

先日は、遠隔浄霊の実際というタイトルで、浄霊の時の状況について、少しだけお話させて頂きました。

まだまだ、ほんの一部をお伝えしただけなので、よくわからない部分も多々あるかと思います。

また、機会を作り、いろんな角度から紹介していけたらなとも考えています。

さて、早速、記事に対して、ご質問を受けましたので、ここで回答してみたいと思います。

私は、先日の記事の中で、浄霊をするためには「心根を正しく持った状態で浄霊に向かわないとダメ」ということをお話させて頂きました。

この部分が非常にあいまいな表現であるため、正しい心根というのは、なんなのかというのがご質問の趣旨であったかと思います。

世の中には人の数だけ正義があり、皆、自分の認識や正義観があります。

なので、自分の主張を通せば、争いになったり、偏った見方によって人を裁いたりするようになります。

私も過去の記事の中で何度か、裁きの心についてお話をさせて頂きました。

裁きの心を持って、人を冷たく断罪すれば、そこに愛はありません。

また、正義の心は、いきすぎれば独善となり、騒乱のもとになるのも確かです。

ですから、私は、一方的な正義というものは、信じてはおりませんし、絶対的な正しさということも主張するつもりはありません。

私がブログ記事に書いているのは、あくまで、私の見聞した内容から把握している道理であったり、原則であったりします。

体験、経験なども積み重ねてきたけっかの一つの現時点で、私が正しいと信じることを、ささやかに提案しているだけなのです。

そのことを踏まえた上で、先日の記事でお話した正しき心根とは何かということについてお話させて頂きます。

結論からいえば、私が件の記事で言った正しき心根とは、神仏、神霊、守護霊に通じるための原則となる心の状態のことになります。

全ての状況を鑑みての正しさではなく、あくまで神仏、神霊、守護霊に動いて頂くために必要となる心根のことです。

それは何であるかというと、いかなる状況にあっても愛に立ち返る心根のことであります。

私の行う鑑定とは、取次であるといつもお話させて頂いています。

取次とは、神仏や神霊、守護霊の心を取次ぐこと、あるいは神徳や霊力を取次ぐことにあります。

つまりは、神仏が働いてくださらないかぎりは何も始まらないということになります。

では、神仏はどうしたら働いて、動いてくれるのでしょうか。

実は、いつも愛の念を持って事にあたることが求められてくるのです。

遠隔浄霊でいえば、ご相談者に対する愛の念、そして、背後についている霊障に対する愛の念が必要になってきます。

「相談者に対して害を与えているような霊に対しても愛は必要なの?」

と思う方もいるかも知れませんが、ここは例外なく愛の念を向ける必要があります。

不成仏霊も、思えば自らの不明のために迷ったり、苦しいからといって、人に憑いたりするのはその霊のエゴの為せるわざではあるかと思います。

そんなエゴを持つ霊にまで愛の念を向ける必要があるのか?

こう思われる方がいらっしゃっても不思議ではありませんね。

でも「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるように、その霊が行っていることが人の迷惑になっているのであれば、それは看過することはできませんが、その霊自体にはやはり、霊界に戻り、幸せになって頂くことを願うべきなんですね。

そうしないと、「この悪霊め!悪さをするならば容赦はせんぞ!」とばかりに、霊を追い払おうとすれば、やはり霊の方もやるせない気持ちになり、一層の怨念を募らせたり、益々、意固地になって現世に固執してしまう可能性があります。

一時的に追っ払っても、霊界は現世での自由度が高い分、再びもとの人のところに戻ってくる可能性が高いといえます。

また、祟っている霊や憑いている霊物にも言い分があったりします。

このあたりのこともきちんと聞いてあげて、納得させてあげる必要があります。

そして、何より、心の中に愛の念がなければ、神仏は動いてくれないので、自前の霊力だけで対応することとなり、相手の霊の霊力の方が強ければ、逆にこちらが、コテンパンにやられることになってしまいます。

だから、私が言う正しい心根とは、どのような行動をしているかという形の部分ではなく、心の中にある暖かき人に霊に対する愛の感覚があるかということなのです。

もちろん、愛で持って、行動をしていたとしても、思わぬ方向に道がそれて人を傷つけてしまったり、却って迷惑をかける事態を起こしてしまうようなことはあるでしょう。

しかし、神仏は、基本的にその人の心の中にある愛の念しか見ていません。

やってしまったことに対する結果として現れてくる現象は、森羅万象、天地の法則にしたがったものです。

人を傷つけたならば、それによって負のエネルギーが発生したり、恨みを買ってしまって、運気を下げてしまうこともあるでしょう。

あくまで、法則というものは厳然として存在しています。

それは、愛のある人も、非道なことをしている人も、ひとたび、大地震のような災害が起これば、巻き込まれて亡くなってしまうような不運に出くわすこともあることを見れば、おのずと理解できる話です。

中国古典の中に老子道徳経と呼ばれる書物がありますが、その中には、こんな言葉があります。

「天地は仁ならず。万物を持って芻狗(すうく)と為す」

これは、天地の法則というものは、儒者(孔子の説く仁をはじめとする徳目を磨き聖人に至る道を説く)のいうような人が持つ思いやりやいつくしみの心なんていうものは、天地にはない。万物を祀りで使い、用がすんだら、捨ててしまうような人形のように扱うものだと老子が説いているわけです。

これは、なんだか恐ろしいことを言っているように聞こえるかも知れませんが、天地の運行に人間の都合など関係ないのだという、厳然たる自然摂理を見据えた深い洞察による言葉なのです。

老子という人物は、特に天地の運行を「道」と呼び、深く精通した方であったようです。

少し話がずれましたが、形に現れてくるのは、あくまで心、行動、言動などの全て鑑みて、天地の法則に従って発生してくるものなのです。

しかし、神仏は実は、結果となって現れる現象には、あまり関心は払われていません。

見ているのは、あくまでその心根に愛の念があるかどうなのかなのです。

天地の法則にしたがえば、時として思わぬことが起こってしまうこともある現象よりも、その行動のもととなった心根を見ているわけです。

例えば、幕末の志士達で、活躍した方達の中には、途中で命を落としたり、結果的に逆賊的な扱いを受けたり、必ずしも明治維新後に報われた方ばかりではないでしょう。

しかし、心根には、皆、日本という国をどうにかしなければならないという思いがあったのではないかと思います。

もちろん、中には自己の保身や、ただ、自分の仕える主君に対する忠誠、あるいは、立身出世のために頑張っていたという方もいらっしゃったかも知れません。

そして、明治維新の動乱の中で、良き愛の心を持っていた方も、若くして亡くなった方もいらっしゃいますし、自己保身が強い人でも生き残った方もいるでしょう。

また、愛の心(どちらかというと義の心)で維新を駆け抜けたけれど、維新を迎えて報われなかった方もいたはずです。

その逆もまたあったでしょう。

神仏は、明治維新の志士達を現実的に報われたかたどうか、名前が残っているかどうか、出世したかどうかを見てはいません。

ただ、愛の心でどれだけ駆け抜けたのか、そこしか見ていないのです。

人としての行動も、あるいは国家としての行動も、原則は同じです。

どんな大義名分を掲げて、もっともらしく正義を語っていたとしても、その心根に愛の念がなければ、神仏から観れば、正しい心根であるとはいえないのですね。

目に見える形だけを、耳に聞こえる言葉は、美しくとも、神仏はその心根をいつも見ているということです。

お話が長くなってしまい、かつちょっと冗長な感じになってしまいましたが、私が先日の記事にて記載していた正しき心根についての説明は以上です。

一つの考え方として受け止めて頂ければと思います。


天心 拝


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遠隔浄霊の実際

ブログ記事中に時折、ピンポイントでご紹介している遠隔浄霊について少しだけお話させて頂きます。

実は先ほども、朝早くから午前中、必死の思いで2件の浄霊を終えたところです。(2011.7.27現在)

その後も鑑定が続き、まとまってブログでのお話をする時間がとれませんでした。(汗)

ようやく、少しだけ落ち着いたので、ブログの方のお話をしていきたいと思います。

遠隔浄霊というのは、遠隔にてご相談者の方の背後でうごめいている霊障を浄化することでありますが、いろいろ手順があります。

まず、私の場合は、その方の背後の霊障関係の審神から入るんですね。

何が憑いているのか。どういうタイプの霊障なのかとうことを判定するわけです。

これは、基本的にメールにて受付をして頂いて、私がメールを読んだ瞬間から行っています。

ただ、しっかりと霊障を見極める必要があるため、大抵、その受付した日は、審神だけで終わります。

大体のパターンは、翌日から浄霊を開始するわけです。

この審神の間は、ご相談を受ける人は自由に行動してかまわないのですが、私は、少し事情が異なります。

私もずっと集中して審神をしているわけではなく、時間を開けたり、少し気分を転換させてから、再度取り組んだりと、何度か審神を繰り返すのです。

もちろん、通常の生活のための食事をしたり、買い物をしたりと、やらねばならぬ現実的な事柄はあるわけで、一日中、審神に没頭できるわけではありません。

しかし、審神に集中していない時でも、審神は続いています。

どういうことかというと、霊障は待ってはくれないからです。

浄霊を邪魔しようと色々と妨害が入ったり、身体が重くなったり、妙にイライラしたりすることが起こってきます。

たまに背中がズキーンと痛んだなと思ったら、後ろから、落ち武者みたいなボロボロの姿の霊が鬼のような顔して(というか霊界での顔は鬼そのものになっています)後ろから小太刀で刺してたりします。(汗)

祟りの霊なんかだと、復讐の邪魔をするなといわんとばかりに攻撃してきます。

動物霊化した人霊なんかもいまして、いろんな術をかけてくることがあり、目がぐるぐる回ったりすることもあるのです。

その都度、それを審神しながら、正体を見極めていく作業が続くわけです。

そして、翌日、最終的な審神のチェックを終えて、遠隔浄霊の開始を告げるメールをお送りしています。

そこで、大体の審神結果のあらましを報告して、そこから浄霊が始まることになります。

今日も、遠隔浄霊の開始のメールを送り、浄霊を開始しはじめたところ、早速の怪異がありました。

浄霊をするためのお祈りをしている時のことです。

突然、さわってもいない、冷蔵庫にマグネット式の張り付けていた小型のキッチンタイマーがピーとか鳴り始めたのです。

まず、おかしいのは、一切触れていないし、使っていないのです。

しかも、通常、アラームの成り方はピピピピっという感じでなるのであり、ピーという音はしません。

いつもは正常に動いています。

なのにいきなり故障か?触れてもいないのに。。

実はこういうことは良く起こります。

浄霊を邪魔するためにゆさぶりをかけてくるんですね。

驚かせて、正気を失わせ、恐怖で支配してしまおうとう霊障側の作戦なわけです。

これに負けて、パニックになったり、恐怖に支配されてりすると、そこで浄霊は失敗して、最悪、こちら側がコテンパンにやられます。

なので、ここが正念場。

心を不動にして強い信念と、ご相談者の方への愛の祈り、そして、邪魔している霊障に対しての慈悲の心、神仏、守護霊、神霊への真心の祈りが必要なわけです。

間違っても、「コンチクショー!」とか「やっつけてやる!」なんて思ってしまうと神仏がお力添えをしてくれなくなるので、注意が必要なのです。

あくまで、心根を正しく持った状態で浄霊に向かわないとダメなわけです。

私は、ピーとなるキッチンタイマーを無視し続けました。

でも、しばらく静かになって、またピーっとなります。

あまりにしつこいので、一度、お祈りを止めて、キッチンタイマーを観に行きました。

案の定、タイマー表示は、設定した記憶もない、意味不明な数字が羅列されていました。

こういうかく乱作戦に負けないで、約2時間、一体一体の霊と対峙しながら、説得、諭し、浄化、霊体の治癒、霊界送迎をしながら浄霊を終えたのでした。

終わった後、浄霊の完了を告げるメールをご相談者に送って終了です。

遠隔ということもあり、なかなか浄霊中に何が起こっているのかをお伝えすることができなかったので、今回は初の試みとして、状況をお話してみました。

まだ、語りきれていない部分があるので、また別の機会にお話してみたいと思います。



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天心 拝

小冊子

こんにちは!

天心です。

今日はちょっとつぶやきみたいに短めのブログになってしまいますが、お知らせがあります。

日頃、ブログにて様々な霊界や守護霊、スピリチュアルなことなど、また開運するためにどう心がけるべきかなどをお話させて頂いております。

このブログをすべて読んで頂くと私の取次鑑定などに対するスタンスやアドバイスの骨子になることは理解できるようになっています。

なので、全ての記事を読んで欲しいというのが本音としてはあるのですが、どうしても、最近、ブログに出会われた方などは、過去のバックナンバー記事まで読まれていない方もいらっしゃるようです。

これは、ブログという時系列で掲載されるメディアの特性上、最新記事には目がゆくけれど、過去記事までは目がゆかない。

あるいは、読むのに時間がかかるので、すぐには読めないということもあるので仕方ないと思っています。

そこで、いつ完成するか、そもそもいつ着手できるかもわかりませんが、ある程度、ポイントをしぼった開運のための心得帳のような小冊子を作ってみようかなと考えています。

その心得帳を見れば、ポイントがつかめるというものです。

まだ、完成は先の話になりそうですが、ちょっと心にとめておくために、あえてブログにて記載しておこうと思います。


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なぜ守護霊は抽象的なことしか言わないのか

守護霊アドバイスなどを取次して、多くの方のご相談を伺う日々を送っていますが、その鑑定後のご感想には様々なものがあります。

本当に喜んで頂いて、しっかりとアドバイスを受け止めて、未来への足がかりになったという感想も多々寄せられています。

しかし、同時にしっくりこない。よくわからなかったというような感想をお寄せ頂くこともたまにあります。

なぜ、しっくりこないかといいますと、守護霊からのアドバイスによる表現が難しい、あるいは抽象的なので、わかりずらいことがある。

このあたりがどうも、しっくりこない原因の一つであるようです。

悩みに対するパーフェクトアンサー、あるいは緻密で細かい具体的な方法論。

これらを教えて欲しいと考える方には、守護霊アドバイスなどの守護霊からのお諭しは、抽象的と映るのかもしれません。

無理もないことですね。

何しろ私だって同じことを思ってきたわけですから(笑)

そうなんです。守護霊という存在は得てしてポイントや方向性は指示してくれるものの、絶対的な答えや手取り足とりのアドバイスはくれないものなのです。

ご相談を受けて、私が取次をする場合は、ご相談者の真心の極まりと真剣さ、どれだけの霊的境地にたっているかにもよりますが、それでも結構、色々、答えてくれている方です。

私が自分のために守護霊に質問を投げかけたり、お願いごとをしても、ガン無視(笑)か、ものすごい、あれこれ言葉を尽くし、色んな他者のための愛と真心から何かことを起こすことを約束し、言祝ぎ誉めたたえて守護霊をよいしょすることで、どうにか、ポツリポツリとヒントを与えてくれる程度なのです。

だから、抽象的過ぎてよくわからないというご意見、よーく気持ちわかりますよ。

一番、守護霊に文句言いたいのは私自身ですから(笑)

私の場合、散々、守護霊に問いかけながらも、自分で考えたり、勉強したり、試行錯誤しながら、ある日、ポッと守護霊からのコメントがあるわけです。

先日、道すがら受けとったコメントは「真実無比」という言葉です。

「なぜ漢字!?しかも四文字熟語みたいなの一言!ひどすぎます。直接言語中枢にかかられれば何時の時代の言葉だって話せるはずでしょ?守護霊様!何か試しておられるのですか。それともご自分の教養や見識を誇示したいとでもいうのでしょうか!謙虚さを持ってする守護霊様がそんなことしていいんですか~(><)」

とかまあ、ごちゃごちゃ文句を垂れてダダをこねていると、

「・・・この意味は『真実とは◎☓△で・・』ということである」

なんて、ようやく解説が入ります。

「普通に話せるやないか~い(^_^)/\(^_^)ワハハハ。逆に聞こう!なぜ初めからそうしない?」

と最近、めっきりテレビで見かけなくなってしまった髭○爵のような突っ込みを入れたくなったりします。

なので、守護霊というものは、中々、どうして一筋縄ではいかないものです。(笑)

自分で考えて、試行錯誤し、傷ついたり失敗したりと、何事もおっくうがらずに自分で真実を手にいれようと頑張る人をちょっとだけ応援するということです。

その頑張りが大きくなり、自分だけでなく、より多くの人のために動こうとする時、守護霊は、さらに突っ込んだヒントを与えてくれることになります。

なので、守護霊アドバイスを受ける心構えとしては、すぐにその意義や意味がわからないことがあっても、焦らないことなんですね。

抽象的で具体的な方針ではないかもしれないけれど、その守護霊からのコメントを胸に抱き、精進努力しているとふとした瞬間に次のヒントを頂けることになるのです。

こういう守護霊とのやり取りの妙味ということが理解できていないと、守護霊アドバイスを受けても、よくわからなかった、ピンとこないという感想を残して、何も心に残らずに流れていってしまうことになります。

大変もったいないことです。

守護霊との交流には根気と時間がかかるものなんですよ。

なぜ守護霊は抽象的なことしか言わないのか。

それは、守護する当人に考える力、咀嚼する力、アドバイスに囚われずに自由な発想へとつなげて欲しいという愛の気持ちからなのです。

そこを理解しないと守護霊とのお付き合いは面白くもなんともないものになってしまいます。

抽象的と思わずにその言葉をまずは味わうこと。

そこに守護霊アドバイスの妙味があるのかも知れません。


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お盆の先祖浄霊

こんにちは!

天心です。

お盆の時期ですが、この度、先祖供養のための浄霊ということで、お話をしたいと思います。

通常、お盆の時期などはお寺などでも供養をしたり、灯篭流しも行い、先祖供養をしますよね。

これは、ご先祖様も喜ぶ行為であったりします。

やっぱり、子孫が先祖の功を忘れずにお盆の供養をしてくれるというのは、ご先祖様にとっても嬉しいものです。

死んだ人間より生きている人間を重視するのは、生活上仕方のないことではありますが、時として、自分のルーツである先祖を振り返り、霊界での修行の支援をしてあげるのは良いことかと思います。

そこで、前回は、観音様を祀るお寺での供養をお勧めしてみましたが、なかなか近くに良いお寺がなかったり、どうしても時間が取れない、難しいという方もいらっしゃるのではないかなと思います。

そこで、もうひとつの先祖供養の方法について、ご紹介したいと思います。

それは遠隔浄霊という方法です。

浄霊というと、何か霊的な問題がある場合に受けるというイメージがあるかも知れません。

ブログでお話している内容に関しても、そのようなイメージを与えてしまうお話が多かったかと思います。

でも、必ずしも、霊障を除くのが目的なのが浄霊ではありません。

ご先祖様の霊界改善や霊層向上なども同時に取次を行うのが浄霊の一環でもあるのです。

何しろ霊線で繋がっている存在なので、影響は少なくなかったりするのですね。

浄霊を受けると先祖の霊界環境が良い方向に変わってゆくので、一つの供養にもなるということです。

遠隔浄霊の受付は、無償ではありませんが、受付はしています。


ご関心がある方は、「遠隔浄霊について」のページをお読みになってみると良いかも知れません。

先祖供養として申込をしたい方は、<気になっていること>欄に「先祖供養」と記載してください。

また、父方、母方、嫁いで姓が変わった方は、ご主人(あるいは婿の場合は奥さん)の姓も書き添えて頂ければと思います。

以上、ご紹介でした。


天心 拝


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【守護霊問答】人はなぜ苦しむのか

こんにちは!


天心です。


台風の影響で本日も東京は雨模様です。

洗濯物も乾きにく状況の中、浴室乾燥機が活躍しそうですね。

さて、今回は久しぶりに守護霊問答を行いたいと思います。

守護霊との対話を通して少しでも人生をよりよく生きるヒントを得ようというのがこの問答の意義であります。

今回のテーマは「人はなぜ苦しむのか」ということについて守護霊に質問をぶつけてみました。

私も鑑定にて沢山の方の悩みを聞いてきましたが、内容の違いはあれど、皆、苦しむ人が多いのを実感しています。

何か参考になる意見が得られるのではないかと思い、尋ねてみることにしました。


天心:「守護霊様。本日のテーマは『人はなぜ苦しむのか』ということでお願いします」

守護霊:「良き時代になったものだな」

天心:「はい?」

守護霊:「欲しいと思えばほぼ何でも手に入る。あまつさえ何ら代償もなく。良き時代になったものだ」

天心:「いやいや、手に入らない物だって沢山ありますよ?お金だってかかりますし」

守護霊:「私が生きた時代は水を飲むのも川辺より水桶にて運ぶよりなかった」

天心:「昔はそうだったんですね。今は水道の蛇口をひねれば手軽に水は飲めますからね」

守護霊:「結婚もお家の存続という使命のために過ぎなかった。好いてるかどうかなど無関係」

天心:「今は、自由恋愛の時代ですから。。」

守護霊:「ひとたび戦が起これば命の危険もある。日照りが続けば飢え死にだ」

天心:「今でも戦争はなくなっていませんが、日本は比較的、平和といえますね。飢え死にする人は日本ではほとんどいない状況ではありますが。。」

守護霊:「私の生きた時代の人間達には、運を天に任せる気持ちがあったものだ」

天心:「どういうことでしょう?」

守護霊:「生きるも死ぬもお天道様次第。自分の人生の半分以上はどうにもならないことをわきまえていた」

天心:「はい。。」

守護霊:「神仏に願をかけるものもあったが、それは主に天に全てを任せ、人事を尽くす誓いを立てるのが本道であった。何事も天意に沿えば、必ずや吉へと向かうことを皆、心根で理解しておったのだ」

天心:「最近でも神社参拝をする人はいますが、どちらかというと願望成就という意味あいが強いのかも知れませんね」

守護霊:「戦の前の戦勝祈願とて、願えば必ず叶うと思っておるものなどおらなんだ。だから兵(つわもの)どもは、いつだって今日、死ぬことを覚悟の上で戦に出向き、願をかける時には、天意に背かずまっすぐに生きること。それだけを願っていたのだ。天意に沿えば必ずやいかなる戦とて負けるはずはないという信念による」

天心:「少し、願望成就とは異なる感じがしますね。私たちの現代人はどうしても自分のしたいことやりたいことの成就ばかりに意識が向いてしまいますね」

守護霊:「人が苦しむ理由について問うたな?」

天心:「はい」

守護霊:「簡単なことだ。天意に沿って誠実に生きようとするよりも、自らの欲望を満たすことばかりを考えるからだ。何が何でも自分の想いを満たそうとするからだ」

天心:「・・・」

守護霊:「本当に今は良き時代になった。良き時代になったゆえに忘れてしまったことが実に多い」

天心:「確かに求めるものがあるとどうしても手に入れたくなってしまうところはあるかも知れませんね」

守護霊:「求めることばかりで、他人に与えることを知らぬものも多い」

天心:「とおっしゃいますと?」

守護霊:「お前たちの今の時代を見ておるとなんでも代償なく手に入るように見える」

天心:「う~ん。それはどうでしょう」

守護霊:「では、今、お前がやっているものはなんだ」

天心:「ブログ書いてますが(笑)」

守護霊:「そのブログなるものが書けるのはなぜだ?」

天心:「ブログサービスといって企業が無料で提供・・あっこれは確かに代償がないですね」

守護霊:「そうだろう。お前が良く使っているそれらのものは、私の時代からは考えられぬほどの便利な道具だが皆、当たり前のように代償なく使っておる」

天心:「まあ、そうですね。でもこれは企業の一つの営業活動の一環なので、ちゃんと利益に繋がっているみたいですよ」

守護霊:「そのようなことは関係がない。当たり前と思い、感謝も忘れ、便利さの中に溺れれば自分を見失うのだ」

天心:「そうですね。肝に銘じておきます」

守護霊:「私の時代では、寺社に詣でる時には、必ずや真心をこめて、お布施をして感謝の気持ちを表したものだ。たとえ、どんな生臭坊主が住職の寺であったとしても、自分の心に恥じるような行為はしなかったものである。常に天道に恥じぬ生き方をするのが当たり前であったからだ」

天心:「立派な生き方だとは思いますが、それと何か関係があるのでしょうか」

守護霊:「まだ、わからぬか。なんの代償も払わずに何でも得られる時代は、知らず知らずのうちに自己中心的な想いを肥えらせるだけなのだ。その結果、自分の想いで自分を苦しめている。これが人が苦しむ最たる理由なのだ」

天心:「ではどう生きることが苦しみから逃れることになるのでしょう?」

守護霊:「天意に恥じぬ生き方とは何かを学ぶこと。私の時代は論語や孟子を拝読しては自らを律したものである。また、進んで労苦を引き受ける気概、何かを得る時には感謝とそれに対する代償があることを理解すること。このことをよく考えてみよ」

天心:「自分だけの幸せや願望を満たすことばかりを考えずに、誠実な人であるためにどうあるべきかを考える。それから、得られていることへの感謝を忘れないということですね!」

守護霊:「夢夢忘れぬように」

天心:「わかりました!ありがとうございました!」


以上が守護霊問答になります。

前回までとはちょっと違った守護霊様がいらっしゃったみたいです。

生前は武士として生きておられた方であったようで、途中で戦の話などが垣間見れました。(笑)

人の苦しむ理由には、現代の利便性とエゴの増大化にも関係がありそうです。

私たちは、知らぬ間に便利で暮らしやすい日々を過ごすうちに、得ることばかりを考えて、何か大切な生きる道のようなものを見失ってしまっているのかも知れません。

この守護霊問答が何か自分を振り返るキッカケになればと願っています。


天心 拝



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ハッピーエンドのススめ

こんにちは!

本日(2011.7.19現在)は、台風6号の接近に伴い、雨模様が外の景色を作り上げています。

若干の気温の低下を感じるものの、梅雨時の暑さにも似た感じです。

ジリジリと照りつける太陽の暑さは緩和されているものの、やっぱり今日も蒸し暑い一日になるのでしょうかね。

さて、三日ぶりの更新になるこのブログですが、しばし休息を頂いておりました。

といっても、家庭内の雑用をこなしたり、出かけたりをしていたので、それほど休んでいたわけではないのですが、少しだけ隙間時間に鑑定を行ったり、少しだけネットでメールやサイトチェックをしたりする以外は、もっぱらオフラインの日々を送っていました。

心配して非公開コメントをお寄せ頂いた方もおられましたが、一応、元気でおります。

お気づかいありがとうございました。

今回のテーマ「ハッピーエンドのススめ」ということでお話させて頂きたいと思います。

ハッピーエンドといえば、ドラマに映画、小説、漫画と物語を紡ぎ出す形態は様々ありますが、得てして人気のであるストーリーというものは、皆ハッピーエンドであることが多いと思います。

たまには意に反して、後味が悪いようなバッドエンドが良いなんてかたもいらっしゃるかも知れませんが(実際そういう作品もありますよね)、大多数の方は、やっぱりハッピーエンドが好きなんじゃないかなと感じます。

ヒット作品というのは、概ねハッピーエンドですからね。

皆心の底では、いつだって人が幸せになることを考えています。

本来は、皆さんの中にある神性は、人が不幸になったり、苦しんだりするのを見たり、感じたりしたくないわけです。

自分のことであろうと他人のことであろうと、関係なく本来は、皆が幸せであればよいと思うのが本来の神性の部分であります。

この神性の部分である魂が穢れてくると段々と他人に対して、やっかみや恨み、不幸になってしまえ!なんていう暗く重い気持ちが出てきたりするものです。

他人に対する優しさや愛が消えかかっている時は、どこか神性が穢れで多い隠されている場合が多いといえます。

自分の心の状態をチェックしてみることで、自分の神性が正しい形で発露されているのかがわかります。

ハッピーエンドの話に戻りますが、物語というものは、始まりがあり終わりがあるものです。

ハッピーエンドの物語の特徴は、例えば、最初はあまりハッピーでなくとも、紆余曲折を経て、最期はハッピーになるというある種のパターンのようなものがあります。

恋愛映画でしたら最初は仲が悪い男女が最後は愛し合って結婚して幸せになって終わるといった内容です。

この種の物語の特徴は必ず幸せになったところで終わっているというところではないでしょうか。

得てして人生にもハッピーなことが訪れる瞬間はありますよね。

恋愛映画ほどロマンティックなエピソードはなくとも、好きな人と結婚したり、恋愛が成就すれば、少なくともハッピーな気持になることは間違いないでしょう。

しかし、物語と違うのは、人生はハッピーでエンドにはならないということです。

物語の場合は終わりがハッピーでエンドになるために永遠に幸せな状態でいられるわけですが、人生はこうはいきません。

ハッピーがあったり、ブルーな日があったりが続くのが人生なのです。

つまり物語のように単純にハッピーエンドであると評価するのが難しいのが人生だといえます。

映画やドラマのようにわかりやすいシナリオがあり、最期はハッピーエンドを向かえるというのであれば、人生はなんとも気楽なものです。

よく街中の人に「あなたは幸せな人生を送っていますか?」というアンケートをとると概ね幸せと答える人が多いと聞きますが、しかし、その言葉にはどこか迷いがある人が多いようにも感じます。

それは、物語のように最初から最後までの筋書きを客観的に評価することができないのが人生であるからです。

他人のしかも、既に亡くなっている方であれば、客観的な評価ができるかも知れませんが、自分で生きている内に自分の人生を評価をするのは、とても困難であるし、むしろ不可能といってもよいでしょう。

では、永遠に自分がハッピーな人生を歩めているかどうかわからないのにどうやったらハッピーエンドを迎えられるのでしょうか。

それは、自分の人生に起こるすべてのことに対し、「これでいいのだ」という言葉を添えるということです。

なんだか「天才バカボンのパパ」みたいな発言ですが(笑)、この言葉は魔法の言葉なのです。

何が起こっても、どんなに不可解なことが起こっても、「これでいいのだ」と最後に言葉を添えるだけで、全てはハッピーエンドに変わっていく霊界が出来上がってきます。

一日の終わりに守護霊様に語りかける時も、どんなに嫌なことがあった日でも「守護霊様。今日は○○や△△なことがありましたが、ホントにこれでよかったと思います。全ては守護霊様の導きであると私は確信しています。ありがとうございました」とお祈りしていると、守護霊様もなんとか一日経験したことをすべて良い成長の糧に変えていけるように守護してくれるのです。

もちろん、霊界も「全てが良かったことになる」というものに変わっていくので、人生で何が起ころうと最後は必ずハッピーエンドになるのです。

物語のようにシナリオがかっちり決められていないのが人生です。

だからこそ、自分の歩み紡ぎ出す、自分だけの人生とういう物語をどのように評価するかは、自分次第であるといえます。

どうせ歩むならばハッピーエンドの物語のような人生でありたいものです。



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【Part3】龍神について

龍神についての記事も第三回目を迎えました。

前回は、自然龍についてお話させて頂きましたね。

天龍、地龍、水龍が主な自然龍の区分けでもありました。

もっと厳密にいえば他にも種類があるのですが、際限がないので代表的なものだけをピックアップしてみたわけです。

箱根神社のほとりにある芦ノ湖や、諏訪大社の近所に位置する諏訪湖等も自然龍が鎮まっていますね。

芦ノ湖の場合は、自然龍でありながらも、箱根神社の眷族神としての役割も担っているようです。

九頭龍神社という古くからの社もあります。

このように単純には分けられない、複合系の龍神様も多々いらっしゃるようです。

ということで、前回は自然龍をテーマに少しお話をさせて頂きました。

今回は、霊界を主催する霊龍についてお話をしたいと思います。

新説・霊界ストーリーでも少しだけ触れていますが、大抵の霊界には、その霊界を守護する龍神がいらっしゃいます。

主に霊界を守護して、他の許可なき霊の侵入を防いでいたり、あるいは霊界の住人を守り導いているわけです。

特に霊界内の霊層向上の際には、ご尽力頂き、新しい霊層に行く際は先導してくれたり、連れて行ってくれたりする役割も担っているようです。

ただ、この霊龍については、まだ、詳しくは、わからない部分もあります。

担当している霊界や種類によって、役割も細かく違ってくるようでもあるのです。

出会う旅にその都度、お伺いをして調査しながら、理解していく他はないでしょう。

次に龍神の形態についてお話してみたいと思います。

龍神にはいくつかの形態があります。

まず普通に龍神といった場合は、広く、様々な龍を含む総称として呼ばれている場合が多いのですが、「龍王(りゅうおう)」といった場合には、ある程度の龍神を統括して動いたり、リーダー的な役割を担う働きをする龍神に称されることが多い形態です。

その分、力や働きも強く、範囲が広いといえます。

また、「神龍(しんりゅう)」といった場合には、力のある神霊がより顕現力を発揮するために霊的に龍体(りゅうたい)に姿を変えて表した姿であることを指しています。

このように形態が違えば、呼び方も違ってきたりするわけです。

名前が違うだけでも龍神の種類は、またまた変わってきたりするわけですね。

追求していくときりがないかもしれませんが、いろんな観点で霊界という場所を見てみると、今まで見えてこなかった別の側面からの霊界が見えてきたりするものです。

これからも、もっと霊界探求を行って調査していきたいと思います。

とりあえず、龍神についてのお話はこのあたりにまでにしておきたいと思います。



天心 拝


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【Part2】龍神について

龍神についてのお話のPart2に進みたいと思います。

前回は、龍神の中でもとりわけ眷族神としての龍神様についてお話をさせて頂きました。

神社や仏閣のご祭神、ご本尊の手となり足となり働く眷族としての龍神が存在していることがわかって頂けたことと思います。

あくまで、主となるのは、ご祭神であり、ご本尊であることをお話させて頂きましたが、この主なる存在を無視して眷族神だけを信仰したり、拝んだりし続けると困ったことが起こってくるという話までしたと思います。

では、なぜご眷族神だけを拝んだり、大切にし過ぎると問題が起こってくることになるのでしょうか。

再び、将軍と最高司令長官の関係にて説明してみたいと思います。

通常、眷族神は、主なる神霊の指示や命令なく動くことはありませんが、あまりにも眷族神をもてはやし、ちやほやし過ぎると時として、慢心したり、増長したりすることがあります。

これは、通常、シビリアンコントロールで大統領や内閣総理大臣の指示なしには、動かないはずの軍隊が時として、クーデターを起こしたりして、軍事政権を樹立してしまったりするケースがありますね。

日本や親交国であるアメリカでは幸いそのような事態にはなってはいませんが、軍事政権が担っているような国もありますよね。

軍事的力というものはとてつもなく力が強いもので時として、暴走する可能性があるわけですね。

民主国のようにしっかりとシビリアンコントロールができていれば、こういうことはないのでしょうけれど、これができていないと軍事政権になったりするわけです。

これと同じように龍神もまた、「神」という字が符されているように、ものすごい霊力と顕現力を持っています。

お祈りすれば凄まじい霊験が得られたりすることもあるのです。

死にかかっている人が復活できたり、権力を得ることができたり、願望成就の力も半端ではありません。

だからこそ、皆、拝みたがるし、信仰したがるわけです。

しかし、あまりにも主なる祭神をおろそかにして、龍神信仰ばかりをしていると、いつの間にか龍神も堕落して、眷族としての役割を果たせなくなったりするのです。

これは、龍神は、霊力はあっても、神霊のような高貴さや教養、芸術性、品格、などが欠落しているためです。

凄い力を持っているけれど、神霊のように魂の向上を第一に考えたり、柔軟性のある対応というものができなかったりします。

また、霊験は表すけれど、感謝の気持ちや見返りとしてのお供えなどのお礼を忘れると、怒りをあらわにして戒めを与えてきたりすることもあるでしょう。

世にいう神様、仏様の罰というのは、神霊や神仏が与えることはないのですが、眷族神の場合は、ありえます。

神霊や神様のように穏やかで、品格のある存在とは違うのです。

もちろん、比較的、穏やかな龍神様や気品のある龍神様もいるかも知れませんが、神霊のようにどこまでも大らかで、寛大な心を持っているわけではありません。

礼節を尽くさない人間には戒めを与えることも考えられるということです。

このような理由から私は、まず滅多には眷族神に直接お願いことをするということはありません。

これは龍神に限ったことではなく、全ての眷族神について同様です。

信仰の自由はありますし、人それぞれの考え方はあると思うので、人がしていることには口を出さないようにしていますが、時折、「危ないな」と感じる時もあります。

ですから、もし読者の方で、まだ神社や仏閣に行ったりするのは、あまり経験がないという方でしたら、このことを覚えておいて頂ければと思います。

繰り返しますが各自の信仰や信心を否定する気は全くありません。

ここでは、あくまで霊界の事情という意味合いで、お話させて頂いているにすぎません。

そこのところはご理解頂ければと思います。

さて、ご眷族神としての龍神については、以上ですが、それ以外にも実は龍神はいらっしゃいます。

自然霊の一部としての自然龍ですね。

これは、特定の神様にお仕えする龍神様とは違い、自然の中で生きています。

特に自然環境を操り、大自然の営みの一部を担っています。

例えば、雨を降らせたり、風を吹かせたりするのも自然龍の働きによるものが多いのです。

自然龍には天龍、地龍、水龍などがいます。

天龍は時折、空の雲や大気の運行を動かしたりしています。

雨を降らせたり、稲光を走らせたりするのは、天龍の得意分野であるといえます。

地龍は大地の動きですね。地上の生き物に大地の生命力を供給したり、時には火山やマグマを噴火させたりするのもこの地龍の働きによるものです。

水龍は主に水辺に存在しています。

湖や海、河、川、水気をエネルギー源として活動されていますが、海面や海底の生体などを育み助けています。

簡単にわけると以上になりますが、これらの区別は、実は厳密にあるわけではありません。

天龍であっても、地龍と水龍の要素を含んでいる場合も多く、あくまでバランス上、天龍の要素が大きいという区別でしかありません。

地龍と水龍においても同様です。

基本的に自然龍は天地水の三つの要素を含んでいて、自然環境の運行に影響を与えているということが言えます。

だからこそ、この地上にある自然環境が破壊されたり、汚されたりしていくと、自然龍は居場所がなくなってきたりもするのです。

自然龍は、自然の中で意識を研ぎ澄ますと意外と姿を現していることがわかります。

姿が見えなかったとしても雲の様子や大地の様子、海や川の様子を観察していると気配を感じることがあります。

以外なところに龍神様はお出ましになっていることがあるということです。

・・・続く



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【Part1】龍神について

以前、龍神についてのご質問を受けながら、中々回答できずにいましたので、今回は少しだけ、龍神についてお話させて頂きたいと思います。

龍神と一口に言いましても、様々ありまして、単純にこうだと言い切れるものではありません。

それに全ての龍神を列挙していくわけにもいきません。

数が多すぎますし、私も知らない龍神も多々います。

ですから、今回は基本となるポイントだけお話して、龍神とは何であるのかということを理解する参考にして頂ければとなります。

まず、龍神様をお見かけするのは、得てして神社や仏閣で祀られている龍神像などが一番、一般的には多いのではないかと思います。

これは、その神社の祭神や仏閣のご本尊のご眷族としてお働きになっている龍神様ですね。

龍神は非常に霊力を持っていますから、現実に影響を与える力も強いわけです。

神霊も強い霊力を持つ方もいらっしゃいますが、どちらかというと繊細な気と清らかさという意味では、龍神よりもはるかに勝りますが、顕現力という意味では、龍神には叶いません。

これは、軍隊に例えるならば、将軍や軍隊の長をイメージしてもらえるとわかりやすいかも知れません。

将軍は戦闘や力技に関しては強い力を発揮しますよね。

ひとたび戦闘に入れば、基本的に向かうところ敵なしです。

一般の人にくらべれば、身体も鍛えていますし、闘うことに修練されています。

でも、シビリアンコントロールという原則が民主国にはありますから、最高司令長官は、大統領だったり内閣総理大臣であったりするわけです。

これらの長官は権限を持ち、軍隊を動かすことができますが、実際の戦闘や戦いという意味では得意ではなかったりしますよね。

この関係に神霊龍神の関係は似ています。

神霊は、龍神を動かす権限を持っていますが、龍神は、与えられた使命と権限の中で力を発揮されるわけです。

あくまで大局的な判断や指示は、神社や仏閣に降りている神霊の方が行うわけです。

ですから、そういう意味では、本殿や主祭神をお参りせずに、ご眷族の社である龍神社ばかりを詣でるというのは、間違いなわけです。

軍隊を動かせるのは最高司令長官たる大統領であり内閣総理大臣であるのです。

そこをわきまえずに軍隊の将軍に直接あれこれ訴えても、これは主客転倒というものになってしまいます。

同じように龍神様だけを詣でるのは、これと同じことです。

龍神様だけをお参りしたりする人がいるのは、その絶大な霊力を期待して、願いを叶えてもらおうという意図が隠されています。

実はこのことが、大きな問題を発生させることに繋がる可能性があります。

そのことに関しては次回、お話したいと思います。


・・・続く



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知らないとわからない霊界の不思議

霊界広大無辺な世界であるということは、再三にわたりブログ記事にてお話して参りました。

多くの人が霊界を感得して、そのあり様を説かれていますが、それぞれに共通点がありながらも、異なる部分も多く見受けられるのが特徴です。

自分の感得している霊界を絶対的なものとして信じてしまう方が多かったりするのですが、これには理由があります。

それは、霊界の種類は、導きやご縁により、存在を知ることができないと一生わからないままであるという霊界法則があるからです。

人は皆、それぞれ、信じる信じないにかかわらず、背後に霊界を持っています。

その霊界がどういう特徴なのかは、その人自身が身をもって知っているはずなのですが、普段は通常気にしないし、そういう霊的な視点で心を観察することは少ないと思います。

しかし、しっかりとその人の持つ霊界というものは存在しているわけです。

そして、得てして、自分の心の状態というものは、自分自身が良く知っているものです。

大抵は自分の中にある価値観や心根の状態を持って、世の中の様々なことを判断しています。

「世の中不景気だな。皆、貧乏に耐えながら暮らしているんだろうな」

なんて思ったりする方がいたとします。

その人の中には、少しセピア色のどんよりとした、不景気な世界が見えているわけです。

これは、その人の持つ霊界のフィルターを通して現世を見ているわけです。

そのように思っている人に「世の中チャンスが一杯!やりがいのある時代が到来している!」なんて説いてみたとしても「はあ?こんだけ失業者があふれて、俺は貧乏なままだ。そんなわけあるか」と一蹴されることでしょう。

なぜならば、この方の霊界は、どんよりとした、不景気で面白くもない世界になってしまっているか、そのような霊界に強く影響を受けてしまっているからです。

この現世という世界は一つであるわけですが、人は皆それぞれの霊界のフィルターを通してみているために、同一の世界であっても感じ方、見え方が違ってくるわけです。

それだけ人は自分の持つ、霊界に強く影響されやすいということがいえます。

霊感にて霊界を感得する人も同様に、自分の持つ、あるいは自分の観ている霊界には強い影響を受けています。

このため、中々、自分の霊界に反するものは、受け入れられなくなったりするのです。

ですから、新しいもの、より多彩な霊界事情を知ろうと思うならば、素直な気持で様々な霊界を見聞しなければなりません。

私も実は、このことを理解するような不思議な出来事に遭遇したことがあります。

私は、主に日本の神様や仏教の仏様等には、よく親しくさせて頂いておりますが、キリスト教系や他の西洋系、欧州系などの霊界にはあまり詳しくはありません。

多少の知識はあるのですが、あまり詳しくは探求してきませんでした。

そうなると、面白いのですが、私がコンタクトをとったり、向こうからコンタクトを取ってきたりするのは、大抵は、日本系の神霊、菩薩、如来様であったりします。

もちろん、例外はあるのですが、得てして、守護霊アドバイスなどでも現れるのは、日本系の守護霊であり、とりわけ仏教や神道に精通した方が多かったりします。

例外的に外国人やキリシタンの方が出ることもありますが、圧倒的に日本系が多いです。

これはなぜかというと、一つは日本人の方がほとんどなので、日本系の方が多いということもありますが、私自身の霊界が日本系の方に親和性があるということを表しています。

なので、より出てきやすい守護霊は日本系になることが多いといえるでしょう。

先日、面白いことがありまして、夜、目をつぶって眠る前のお祈りをしていると、フッとふわふわ何かが降りてくるのを感じました。

そして、瞼にゆっくりとシルエットのようなものが降りてきて、その実態を目の当たりにした時に「おや?」っと思って一瞬ほうけながらそれを見ていました。

そこには、翼を背に持つ天使の姿があったのです。

身体はシュッとした感じで、どちらかというと痩せていますが、ガリガリ痩せているのではなく、ガラス細工の造形のような繊細な感じです。

それを見た時の私の感想としては、「天使って本当にいるんだ(笑)」という何とも罰当たりな感想ではありました。

何しろ今まで見てきたのは、大抵は霊人であり神霊です。

基本は人間の姿をしています。

そもそも、霊界法則を熟知した神霊にとって、霊界移動などは一瞬のことであり、翼なんて必要ありません。

しかし、目の前に見えた天使はしっかりと翼をはためかせてゆったりと羽ばたいています。(笑)

「その翼、必要ですか?(笑)」

とまた、罰当たりなことを聞いてみると「翼は霊力の象徴。神の使徒である証です」という答えが来ました。

つまり、翼がないと飛べないとか移動できないということはないけれど、信仰とか神様と繋がっている証としてのシンボルであるということらしいです。

なるほどと思いながらも、はじめて見たのでドキドキしました。(笑)

ちょっとだけ、私の中の霊界に変動が生じ始めているのかも知れません。

やっぱりどこか、自分の見えている霊界に囚われている部分があるわけですね。

この囚われをぬぐい去ってゆくことも学びの一つになります。

そのためにはもっと勉強していくことが必要であると感じた次第です。

知れば知るほどわかってくるし、霊界の幅も広がってきます。

一生学びは続いていくのでしょう。


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お盆の時期ですね

いよいよ、お盆の時期(2011.7.11現在)が近づいて参りましたね。

というか、地域によってはお盆の時期が7月だったり、8月だっりします。

どちらの月に供養したらいいのか迷う方もいるかも知れませんが、そういう場合は今までの習慣に従っていくのがよいでしょう。

ご先祖様も現世に降りてくるタイミングは、習慣に乗っ取っておりてくることが多いので、今まで7月にやっていたのに、急に8月に変えたりすると戸惑ったりすることもあるようです。

両方の月にやっているという方は、両方の月に2度行ってもかまいません。

形式やしきたりは、習慣化されているやり方や、檀家、属している宗派のやり方に乗っ取って行えばよいとは思います。

ただ、特にそういうお寺の宗派などに属していないという方は、浅草観音を筆頭とする、観音様をお祭りしているお寺での護摩供養がお勧めです。

観世音菩薩がたちどころのうちに現れて、迷っているような先祖も救ってくださいますし、お里帰りという意味でお盆の時期に現世に戻ってきている先祖も供養して頂けます。

供養の申込などは、直接、お寺にお問い合わせしてくださいね。

時々、メールで私にご質問されてくる方がいらっしゃいますが、私はお寺の人ではないので(汗)、お答えしようがないこともあります。

あくまで、ご紹介までが私のできることなので、詳しいことは、ご自分で御調べになってください。

さて、以前、の先祖供養の記事「観音様による先祖供養」に観音様の簡単な供養のためのお祈りを掲載させて頂いたこともあります。

そちらもご参考にはなるかと思います。

特にこのお盆の時期は、救済を求める先祖が子孫のもとに現れてくる時期でもありますので、体調が崩れたり、具合が悪くなってくる場合があります。

そのような場合には、先祖供養をきちんと執り行うとスッキリする場合もあります。

これは、先祖が供養を求めて戒告しているわけですね。

折角、久方ぶりに現世に帰ってきたと思ったら、子孫が皆、バカンスに出かけていて、誰も先祖のことなど気にもとめていなかったというのでは、先祖も寂しく思ったりするのですね。

だから、家庭内を騒がしたり、ちょっと具合を悪くさせたりして、気付いてもらおうとするわけです。

私もこの時期は、具合が悪くなることが多く、最初は夏バテかな?なんて、想うわけなんですが、よく考えてみるとお盆の時期であったりして、先祖のことをすっかり忘れてしまっていたりすることが多々あります。(汗)

そんな時は、きちんと先祖と向き合う時間を作って、供養をしています。

今年も浅草寺に詣でて、お賽銭をつつみ、供養をしてきたいと思います。

また、浄霊も行って、ご先祖様の霊界環境も少し改善していきたいと思います。

皆様も調子が悪いなと思ったら、お盆の時期は先祖供養をしてみてください。



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生霊について

霊障と一口に言っても色々ありますが、最近、一番厄介に感じるのは、生霊の存在です。

生霊とは、文字通り生きている人間から発せられる念が凝結して霊体形成している場合のことを言います。

人の想いを受けるだけでも念となって霊体を取り巻いてしまうことがありますが、それが極まると生霊になるわけです。

亡くなった霊に関しては、霊界に帰って頂ければ、そこで霊障からのフィードバックはなくなるので、そこで話は一度終わりになるわけですが、生霊の場合は、発信している本人が自覚して止めて頂かなければ、終わりがありません。

ここが一番厄介なんですよね。

今朝方私も大分、生霊や念を受けているために、息苦しくなり浄霊を致しました。

自分自信に対する浄霊は久しぶりだったので、かなりスッキリしましたが、そのことから、相当な生霊と念を受けていたのだなと実感致しました。

生霊というものは、何も恨みの念だけではありません。

例えば、恋愛とかでも執着を持って相手を想い続けていると念を飛ばし、生霊を発生させる原因になります。

例え「好きだ!」という念であっても、それが本当に相手の立場や心を考えて、見返りに対する執着を持たない念であれば、それは愛念であり、清々しい神霊のような生霊となりその相手を守ります。

しかし、「どうして自分を見てくれないの?」とか「私をもっと愛して欲しい」というような、エゴを中心とした想いの念は重く、相手を害する生霊となっていくわけです。

相手を慮り、軽やかな心地で発した念は、よいのですが、こうしてほしい、ああしてほしい、こうなってほしい、様々な自己都合の念を募らせると霊障となるわけです。

もちろん、生きていれば多かれ少なかれこういった念や生霊を受けることもあります。

あまり気にし過ぎるのはよくありませんが、私の場合は、多くの方を相手にしているため蓄積されやすい面があります。

ご相談のメールが沢山溜まってしまったり、あまりにも「助けて欲しい」という念が多く集まってくると耐えきれなくなってしまうわけです。

本日は久方ぶりに、我慢の限界に来たために時間をとって、自ら修祓と浄霊を行ったわけです。

生霊というのは、人類が存在している以上は、なくならない存在なのだろうなと感じています。

時折、修祓や魂のクリーニングを行うことは必要不可欠なのかも知れないと感じましたね。

また、生霊は善なる想いで執着せず発信する念は善なる生霊になるわけなんで、どうせ発信していくならば、善なる生霊を発信していきたいものですね。


天心 拝



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気持ちを乗せる意義

私たちは日々、様々なことを考えたり、行動をしたりしています。

職場でも、家庭でも、学校でも、場所や時は異なっても、一日何かをしているわけです。

寝ている時くらいでしょうか。

何もしていないのは(笑)

さて、今回は、正のエネルギーを積み、負のエネルギーを減少させていくための行動についてお話したいと思います。

例えば、皆さん日々、行動する時に何を考えて、何を思って行動されていますでしょうか。

「特に何も考えていない」という答えもあると思います。

これは、行動そのものに意味があまりないものがあるからですね。

コップに水を汲んでくるという行動をする時にあまり考えたり、思ったりしません。

ただ、水が飲みたいから水道の蛇口をひねり、コップに水を注ぐだけです。

この行為にあまり大きな意味はないでしょう。

でも、これが、誰かのために水を汲んであげるという行為であったならばどうでしょう。

「のどが渇いて可哀そう。この人のために水を汲んであげよう」

というような暖かい愛の心から水を汲んだ瞬間にそれは「善行」と呼ばれる行為になるわけです。

逆に「めんどくさいな。水くらい自分で汲めばいいのに」なんて思って行う行動は、「善行」ではなく、めんどくさいという暗い心根がのっかっている行動であるといえます。

同じ、水を汲むという行動であっても、全く意義が異なるわけです。

お金というものについても同じことがいえます。

お金は基本的には日本においては、日本銀行が印刷した紙幣、貨幣に対し、価値を認められていることによって、皆がそれを信頼することで、経済流通を円滑にするための道具に過ぎません。

お金とは単なる道具に過ぎないのが本来の姿なのです。

しかし、そこに真心をこめて、神社や仏閣、あるいは恵まれない人への募金、志ある人への支援という思いを込めて、差し出す時には、「浄財」と呼ばれるお金になるわけです。

逆に「ああ、今月は支払いが大変だ」とか「欲しいものを手に入れるために支払う」といった感覚で支払われるのは、ただの経済的意味でのお金です。

ずるいことをしたり犯罪で手に入れたお金は俗に「汚れたお金」なんて言ったりしますよね。

これら全ては、お金という意味では、お金以外の何物でもなく、「浄財」であろうと「汚れたお金」であろうとお金としての機能は変わりないのです。

しかし、そこに乗っかる気持ちが善なる気持ちでしたものであるならば、正のエネルギーとなり、あまり良い気持ちで扱わなかったお金は負のエネルギーを感じるものです。

このように行動をする、何かアクションをする時には、行動の意義ももちろん大切なポイントではありますが、そこに乗せられた気持ちがどんなものであったのかも非常に重要なポイントになるわけです。

だからこそ、毎日の実行する全ての行動にどういう気持ちが乗せられているのかを考える必要があります。

会社に行くという行為もどこか「行かなきゃダメだから」とか「生活のために仕方ない」という気持ちがある場合には、負のエネルギーを発生させることになってしまいます。

会社に行くということは、会社の同僚や上司、部下を幸せにして、取引先のお客さんを幸せにして、社会に貢献するためであるという気持ちで向かうならば、これも一つの「善行」になるわけです。

そうやって、何気なく行っている行動も全て善なる気持ちを乗せてゆく努力をしていくと正のエネルギーは蓄えられてくるのです。

だから、何かをする時には、常に愛と真心を気持ちを乗せるように心がけることが、結果的に正のエネルギーを蓄え負のエネルギーを相殺することになるため、運の良い人生を送る礎になるわけです。

ここを今一度、鑑みることで、開運に近づくためにはどうすればよいのかを学んでいくことが大事です。



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厄難の発生するもう一つの意義

厄難が発生する理由として、ブログを通して言い続けてきたことは、負のエネルギーの顕現化によるということでした。

負のエネルギーは心根の状態が穢れてくることによって発生してくるのが基本構造であります。

いつも暗いことばかり考えたり、悪意で物事を為したりするとその心根は穢れてしまいます。

あるいは、人を苦しめたり、傷つけたりすると、相手の心根も暗くなり、穢れてしまいますが、その結果、恨みの生霊や念を受けてしまい、それが負のエネルギーとして蓄積されます。

相手を傷つける時の心根は暗く、重いことが多いので、その分も負のエネルギーに加算されます。

また、自分自身の良心もうずいたりすれば、罪の意識が発生しますから、それもまた負のエネルギーになるのです。

自分は特に悪いことをしているとう自覚がない場合でも、逆恨みや嫉妬により生霊や念を受けてしまうことがあります。

このように考えていくと、なかなか負のエネルギーを蓄えないという生き方は難しいことがわかります。

なので、負のエネルギーを蓄えないように心がけるよりも、受けてしまったならば、マメに祓い、綺麗にしておくのが効果的であります。

その上で、善行を積み、正のエネルギーを蓄える努力の方に注力した方が、より合理的な生き方であるといえるでしょう。

負のエネルギーを蓄えないという意識だけで生きてしまうと、人生に対して消極的になり過ぎたり、潔癖になってしまう可能性があります。

ですから、より正のエネルギーを蓄えることに意識を向けてゆくことが大事です。

正のエネルギーは、愛と真心からの心根を持つことを基本にその精神状態からの行動に移すことによって、より蓄えられることになります。

行動の種類は様々にあります。

友人や知人を喜ばせることもいいでしょうし、親孝行もいいでしょう。

ボランティアをしてみたり、人の悩み相談に乗ってあげることも正のエネルギーの蓄える糧となります。

神社仏閣へ赴き、お玉串を添えて感謝の祈りをするというのもお勧めです。

義援金を送ったり、寄付をするということも施しの徳が積まれますので、正のエネルギーになります。

ともかく、良かれと思うことは積極的にやっていくのが良いでしょう。

もちろん、時には、良かれと思うことが裏目に出てしまうことや、より大きな視点で見たら、良いと思ったことが悪いことであったというようなケースもあるでしょう。

しかし、あまり小さな悪を犯すことに萎縮して消極的になるくらいならば、より大きな善であろうと積極的に動いた方が守護霊の応援も得られて、結果的に運の良い生き方にも繋がることになるのです。

さて、ちょっと横道にそれてしまいましたが、厄難が発生する理由は負のエネルギーによるという法則があることは、何度もお伝えしていますが、それ以外にも実は厄難が発生する理由があります。

それは、大きなインパクトは、大きく霊界を変えるキッカケとなる場合が多いため、その人の成長のために発生するという理由です。

もちろん、負のエネルギーの蓄積やその人の持つ運命シナリオのヒナ型等により厄難の内容や大きさは決まってくるのですが、守護霊や神仏の愛により、その内容に修正が加えられることがあります。

例えば、非常に母親を愛して、溺愛している人がいたとします。

親離れができずに、今の状態では、天命を全うできないし、霊界も変えることができないと守護霊や神仏が判断した場合に、母親と死別したりするような、時として非常なくらい不幸な出来事が起こることがあります。

良く成功して著名になった方などは、愛すべき母親を亡くして、不幸のどん底に落ち、そこからはいあがって成功したというようなエピソードが残っていたりします。

愛すべき人を亡くすというエピソードは、不幸中の不幸な出来事といえます。

こういうことが起きるその背景には負のエネルギーや霊的な関わりがあるわけですが、しかし、同時にその人が本来の道に目覚めるキッカケとするという守護霊や神仏の愛が隠されていることが多いのです。

もちろん、起こったことは不幸なことには違いありません。

それは、どう考えてもあらがえない発想ではありますが、ここで重要なのは、起こったことには、必ずといっていいほど、その裏側には意義が隠されているということに気づくことです。

誤解のないように繰り返しますが、別に守護霊や神仏が何かを知らせたり気付かせるためだけに不幸を起こすわけではありません。

あくまで因果応報の理法は存在しています。

そこは、わきまえておかなければなりません。

しかし、単なる不幸で終わってしまうことがないようにそこに学びと成長の糧を付与してくれるように取り計らってくれているのが守護霊、神仏の愛だと理解してください。

厄難は単なる不幸ではありません。

その不幸の裏に何があるのか。

そこに注目していくことが、人生の学びに一環であるといえるでしょう。



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他人の守護霊に語りかける

守護霊といいますとどうしても自分の守護霊ばかりに気が言ってしまいますが、守護霊は何も自分にばかりついているわけではありません。

皆さん誰もが、守護霊に守られているわけです。

どんな人にも最低でも1名はいるわけです。

私は、いつも自分の守護霊に語りかけ、質問したり、あるいは意見を言ってみたり、感謝したり、要望を出してみたりとしているわけなんですが、時として人の守護霊に語りかける時もあります。

主だっては、守護霊アドバイスなどの取次の場合がメインですが、それ以外でも、他人とのかかわりあいが重要な意味を持つ時には、積極的に語りかけます。

例えば、自分一人で何かを行えばすむ話であれば、自分の守護霊だけでも十分なのですが、お仕事や家庭のことなど、会社の人間関係、上司、同僚、部下、あるいは自分の家族などと一緒に行動する場合には、その人達の持っている運気というものも事の成否などに影響してきます。

霊界は多くの人が集まりコミュニティを築くことで、新たな霊界を作り出すことになります。

会社単位でつくられる霊界、部や課や係などのともかく人が集まり共通の認識を持った集まりを作った瞬間にそのコミュニティとしての霊界が作り出されてきます。

なので、いつも一緒に働いたり、一緒に暮らす人とはおのずと霊界を共有しはじめるという現象が起こってくるわけです。

例えば、本来はものすごい良い運気を持ち、成功運も逞しく持っている人がいたとします。

この人の個人の霊界はとても、輝ける素晴らしい成功をもたらす波動を持つものであります。

しかし、たまたま、悪縁により引き込まれてしまった会社がとても暗く、陰気なマイナスの霊波動を持つところであったらどうなると思いますか?

基本的に会社の持っている霊界の方が大きく影響力が強いので、その人個人の霊界は、いつしかその会社の持つ霊界の霊波動に影響されはじめて、濁ってくることになります。

どんなに個人的によい霊界を持っていても、それを上回る多人数でのコミュニティで持つ大きな霊界にはなかなかあらがえなかったりするものです。

もっとも、良い霊界を持っている人は大抵は守護霊の導きにより、その良い霊界にふさわしい、良い霊界を持ったコミュニティにご縁ができたりするものです。

なので、通常は大丈夫なのですが、ここに、家系からくる負のエネルギーの働きや、その時の心根のコンディションが悪かったりすることが加味されて、不幸にも悪縁に惹かれてしまうケースもあるというわけです。

だから、周囲の人間関係というものはとても大事なものです。

逆に言うと、周囲の人間関係の人達の霊界を少しずつ清めてゆけば、自分の属するコミュニティの霊界も浄化されてくるので、段々と自分自身も運が開けてきたりします。

情けは人のためならずといいますが、本当に人の幸せを願い、周りの人を幸せにしてゆく行為は、自分自身を幸せにしていくことに繋がっているのです。

そこで、周囲の人を少しずつ浄化してあげる一つの方法として、他人の守護霊への語りかけというものがあります。

周りの人、自分の親、兄弟、友人、知人、それから会社の関係者、同僚、上司、部下、会社の社長、取引先の担当者、取引先の会社の社長と関係している全ての人の幸せをお祈りしていきます。

ちょっと骨が折れると思われるかも知れませんが、これらの全ての人の守護霊にしっかりと守護して頂けるようにお祈りするだけで、自分をとりまくコミュニティの霊界は清められていくのです。

実際、自分の霊界を良くしようと自分の心根だけを改善してようとして、なかなかうまくいかないケースが多々あります。

「自分は根気がないのだろうか」

とショゲてしまうこともあるかと思いますが、そういう場合は、根気がないということも考えられますけれども、実際には自分の所属している一段上のコミュニティ霊界が曇っていることが原因である場合があるのです。

ですから、これを清めてゆかないと個人レベルの努力では追いつかない場合もあるというこです。

是非、今日から皆様の日頃、関係している全ての方の幸せの祈願をそれぞれの方の守護霊に語りかけてみてください。



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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-月天宮4】

☆初めて読む方はコチラからお読みくださいね!
☆前回の新説・霊界ストーリーはコチラをクリックしてくださいね!


初めてこの記事を読まれる方は、一番上のリンクをクリックすれば、一番最初の記事を読むことができます。

前回記事は二番目のリンクをクリックでページが切り替わります。


<前回までのおさらい>


月天宮(つきのあまみや)にも教育する場が設けられていました。

白っぽい金色の砂漠。

そこには、大きな観世音菩薩様に教育を受ける霊人達の姿がありました。

菩薩位に達した者たちが受ける行動な霊法の授受の場といったところでありました。


<続き>

月天宮にずっと霊体を置いているだけでも、相当な霊体にとっての栄養分になるようです。

本当に眩く、それでいて、スーッとミントのような香りも漂ってきます。

ここでは、主に霊性から神性への目覚めと、かぎりなく神霊の境地に近づくための分岐点といった要素があるのでしょうか。

次々と心を穏やかにするメロディーが響いてきます。

いつかこのメロディーを現実の楽曲に落としてみたいと思ったくらいです。

静かな雰囲気の中で流れるどこまでも続く余韻のある音。

音。音。

それとともに姿を現したのは、白色と金色の混ざり合う美しい龍神様でした。

天心:「この霊界を主催する龍神様でしょうか?」

月天妙光龍神:「我は月天妙光龍神(げってんみょうこうりゅうじん)なり。この霊域を守るものなり」

とても荘厳な感じの龍神様で見ているだけでも、ポワーッとしてしまう感じです。

額にはダイヤモンドのような光輝く石のようなものをつけています。

そこからピカーっと時折、光を発しておられます。

天心:「龍神様はこの世界を守ってらっしゃるのですね」

月天妙光龍神:「月天宮の霊層を縦横無尽に行き来しておる。霊人をさらなる高みに登らせる時の手助けも我の職掌なり」

そういうと、月天妙光龍神様は、私と守護霊を背に乗せて、上空へと舞いあがり始めました。

どんどん、月天宮の世界が眩くなってきます。

光の輪に向かって登りつけてゆくと、再び、月天宮の世界が広がります。

しかし、そこは、先ほどと同じような景色でありますが、霊体に感じる心地よさ、漂ってくる香りの格調高さ、口の中に広がる感覚などが先ほどとけた外れに違っています。

同じ、月天宮であるのにも関わらず、受ける印象、強さが違います。

今まで室内の窓から外の美しい景色を見ていたのが、外にでて直接、美しい姿を見ている。

そんな感覚です。

同じ霊界でも霊層が異なると全く受ける感覚の度合いが異なるようです。

天心:「すごいですね。ここはどのあたりの霊層ですか?」

月天妙光龍神:「月天宮の中段に値する」

このレベルで中段だとすると、もっと上はどうなってしまうのだろうか。

想像ができません(笑)

守護霊:「霊層を上げていくこともまた霊界での一つの目標でもある」

天心:「そうですね。同じ霊界でも霊層が変わるとこんなにも違うとは思っていませんでした」

私は、月天妙光龍神様に感謝を述べて、再び、霊界探索の旅に出かけるのでした。


☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-青天明界】へ続く



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【申込締切】第三回遠隔浄霊を締切ります

こんにちは!

天心です。

無償の遠隔浄霊のお申し込みについて、締切をさせて頂きます。

お申し込み頂いた方、ありがとうございした。

抽選にて当選した方には、メールにてお知らせいたします。

次回の募集は、まだ未定です。

ブログ記事にて募集は行う予定ですので、希望の方はお見逃しのなきよう要ブログチェックです。

今回は、ご応募ありがとうございました。

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【人数限定(第三回)】遠隔浄霊のご案内

こんにちは!

天心です。

いつもブログを読んでくださいましてありがとうございます。

今回は第三回目の遠隔浄霊のお知らせをさせて頂きたいと思います。

この度、人数限定ではありますが、再びの遠隔浄霊を実施してみたいと思います。

本来は、自助努力による浄化が基本ではありますが、当方からも浄化力を強化すべく、援護射撃をしていくようなイメージとなります。

具体的には、お申し込み頂いた方の背後の霊界にアクセスして、その人の問題となっている箇所に影響を与えている霊障を少し取り除くという方法で浄霊を行っていきます。

とても負担がかかる方法なので、基本、無償では行っていなかったものなのですが、今回は、人数を限定しての無償による浄霊を試みます。

なぜ、今回そのような試みを行うかと申しますと、霊視・霊感鑑定の御依頼で解決が難しいケースが出てきています。

霊視・霊感鑑定においても、微量に霊障を祓うことができるのですが、やはり限界があります。

しっかりと意識を切り替えて、集中する方法でないと難しいのが現実です。

なので、全ての人に必要かどうかは疑問ではありますので、まずは人数限定で行いたいと考えています。

人数を限定しないと私が倒れてしまう可能性があるので、そのあたりのことはご理解頂ければと思います。

また、遠隔にて浄霊なんてできるの?という疑問もあるかと思います。

確かにマンツーマンでの取次の方がやりやすい部分は多々ありますし、理想ではあります。

しかし、基本的には、背後の霊界は、現実的な物理的空間を超えた存在です。

本来は、あまり物理的接触に意味はないのです。

ただ、受けられる方や取次を行うものが、意識を向けやすい、臨場感を感じやすいという点で異なる部分があるだけです。

もちろん、背後の霊界に接続しなければできないことなので、霊視・霊感鑑定よりも詳細な情報が必要になりますが、接続さえしてしまえば、物理的空間にあまり意味はないのです。

ということで、今回は三度目の試みになります。

今後、いつまた取次の機会を設けることができるかは不明です。

ご希望の方は、この機会にお申し込みを検討してみてください。


***お申し込みのルールについて***

1.冷やかし、おふざけ、真剣さを感じないご依頼はご遠慮ください。
2.今回の限定人数の枠は【1名】とさせていただきます。申込が殺到した場合は抽選になります。
3.お申し込み資格は、過去に私の霊視・霊感鑑定を受けたことがある方が対象となります。
4.浄霊で全ての問題が解決するわけではありません。自助努力を忘れないこと。
5.真心を持って神仏に感謝する気持ちがあること。
6.何か改善を保障をするものではありません。あくまで許された範囲での浄霊作用となります。



***お申し込み方法について***

以下の項目を記載の上、メールにてお申し込みください。

申込アドレス:tensin.session●gmail.com ※●はスパム対策です。@に変えてご使用ください。

件名:「無償遠隔浄霊の申込」と記載してください

本文:

1)お名前(実名)を記載してください
2)性別(男性 or 女性
3)年齢
4)生年月日
5)お住まいの都道府県
6)家族構成(両親の存命の有無、配偶者、子供
7)宗教有無(なし or 所属しているところ
8)仏壇・位牌(なし or 宗派が分かれば書いてください
9)ご寄付(基本無償なので通常は「なし」で結構ですが、希望する方は「あり」記載してください。ご寄付の方法についてお伝えいたします)
10)写真(添付ファイルで送れるならば送ってください。必須ではありません
11)気になっていること(何か特別気になることがあれば記載してください。


以上のことを記載した上で、お申し込み頂ければと思います。

後、基本的な注意事項などは、霊視・霊感鑑定の時と同様です。

限定人数を超えた場合は、抽選となります。

抽選に当たった方のみメールを返信させて頂きます。

締めきりを行う際には、もう一度、お知らせ記事にて、お知らせします。

以上になります。




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朔日参りについて

昨日、7月に入りましたことを受けて、神田神社朔日(ついたち)参りに行って参りました。

朔日参りとは、その月の初めの日、すなわち1日の日に神社にお参りすることであります。

神社においても、お祭りをしていることも多く、神道では特別な日とされています。

神社の神様もこの日には神威を増しておられるようにも見受けられます。

なぜ、朔日は特別なのでしょうか。

神道の書を紐解けば、様々な解釈や説明を知ることができます。

ただ、専門的でありすぎたり、理屈が先行してしまうキライがあるため、誰でもわかるようにお話させて頂こうとするとこのような感じになるのかなと思います。

「いの一番に神様に詣でる心」

これを神様が喜ばれるからではないかということです。

月の初めとは、新しい月に変わって心機一転して、望むタイミングであるともいえます。

月ごとに新たな心持で日々の生活を再スタートさせる。

これが月参りの意義の一つではないかと思います。

そんな、月の初めにいの一番に神様を優先し、ご挨拶にいくということは、そこに神様に対する敬(うやまい)の心、すなわち真心がなければ、そのような行動には出ないわけです。

人は、真心が極まるとすぐに行動になって現れてきます。

例えば、誕生日を迎えた時に、いの一番で誕生日になってすぐに訪ねてきて、プレゼントを渡してくれて、祝ってくれる友人がいたならば、とても喜ばしく嬉しく感じるものです。

でも、誕生日が過ぎ、何週間も経過してから、「あれ?今月、誕生日じゃなかったっけ?」なんて、後付けでお祝いをしてもらったとしたら、それはそれで、嬉しいとは思うのですが、やっぱり、いの一番に行動してくれた友人の方が好印象であることは間違いないと思います。(笑)

これと同じで神様も、いの一番に神様への真心を行動で移す、すなわち朔日参りをする人に対しては、本当にうれしく、かわいくおもっていらっしゃるわけです。

もちろん、現実的な事情や予定もあるので、なかなか、朔日参りができない場合もあるので、もちろん、他の日にお参りしても全然かまわないわけなんですが、より、真心をきわめて詣でるための一つのポイントとして知っておくとよいのかも知れません。

さて、例によって、今月も皆さまから頂いたご寄付の一部をお玉串として奉納して参りました。

それから、義援金の募金箱にも寄付をして、献灯もまた、させて頂きました。

神田明神の神徳の追い風祈願の取次も、ご寄付をして頂いた方を中心に関わりあいのあるすべての人にさせて頂きました。

一応、これをご報告しておきたいと思います。

FGSの会の会報メルマガでもお話していますが、神田明神にはとてもお世話になっています。

月に一度は最低でも詣でて、感謝のお祈りをさせて頂いております。

今月は朔日参りができましたので、それにちなんでのお話をさせて頂きました。

今回もお話を聞いて頂きましてありがとうございました。



天心 拝



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【近日配送】FGS会報メルマガ第二号について

こんにちは!

天心です。

本当に猛暑が続いています。

体調不良、熱中症などには本当に気をつけなければいけませね。

炎天下で運動会を行っていた中学生が熱中症で倒れて救急車で運ばれたというニュースも最近、耳に致しました。

また、高齢者に至っては、脱水症状でお亡くなりになる方もいらっしゃるようです。

節電モードで電力をセーブしようとする心意気は素晴らしいのですが、どうかくれぐれも体調管理は万全にお願いしたいと思います。

この暑さをあなどらずに水分を十分に補給して頂きたいと願います。

さて、今回のブログ記事は、またまたお知らせになってしまいます。

FGS会報メルマガ第二号が着々と執筆が進んでおります。

八割は完成している状態です。

今回は、メンバー向けの霊法の紹介トピックもあります。

メンバーの皆さまが、日常生活で活用して頂けたらいいなと考えています。

今までには公開していない霊法です。

ただ、一部の方には簡略版として鑑定を通じてご紹介したこともあるのですが、今回は正式なやり方を伝授いたします。

神伝によるどこにも掲載されていない秘咒(ひじゅ)の公開も行います。

楽しみにお待ち頂ければと思います。

後、今回も一般非公開であるお取次音源コンテンツを作成しました。

内容は、第二号にて発表されます。

それまでお楽しみにして頂けると幸いです。

FGS会報メルマガに関しては以上ですが、最後にちょっとだけブログについてお話させて頂ければと思います。

昨日、掲載した「守護霊アドバイスについて」という記事についてなんですが、何人かの方からお問い合わせを頂くことがありました。

内容にも共通性がありまして、これはちゃんと一度、誤解を説いておく必要があるなと感じた次第です。

どういう内容だったかといいますと、誤解を怖れず簡単に申し上げれば、守護霊アドバイスを受けた方に対する批判的な内容に感じられたということなのです。

自分のことを言われているのかと感じて哀しい気持ちになったと言われる方もいらっしゃいました。

私は、これを受けて急いで、記事を再びチェックし何か表現上まずい部分があったのではないかと探してみましたが、これといって見当たらないのです。

色々と悩み、葛藤しましたが、あれ以上のことはお話しようがないところもあり、現在はそのまま掲載を続けています。

守護霊アドバイスについて」の記事は、あくまで守護霊アドバイスの意義をもう一度、再確認するためにお話させて頂いたものです。

ブログ記事は、全て読者の方にとって最終的に良かれという思いで全てお話しています。

なので、哀しくなったり、息苦しくなってしまわれることを私は望んではいません。

そんなふうに思ってしまわれたら私の方も哀しい気持ちになります。

誰かの批判をしたり、非難する意図があるわけではないことをここで今一度、明言しておきたいと思います。

守護霊アドバイスのお話の中では、占いと比較することで守護霊アドバイスの意義を浮き立たせる構成になっています。

私は占いも一つの手法として人々の心の悩みを救済する優れたツールであると思っています。

ですから、占いと守護霊アドバイスの間には異なる部分はあっても優劣はないと思っています。

だから、もし、私の記事が差別的に感じられてしまった方がいらっっしゃったならば、誤解でありますので、ご容赦頂ければと思います。

それから、悩み葛藤を通して人は成長し、新しい道を見つけてゆくものです。

だから、悩み相談や葛藤を持つことが恥ずかしいことでも、悪いことでもありません。

それを相談することも恥ずべきことではないのです。

ただ、守護霊の願いとしては、単純に悩みを解決してそこで終わって欲しくないという思惑があるということだけはお伝えしておきたいと思った次第なのです。

もしかするとそのあたりのことも誤解を与えてしまっているのかなと思ったりもしています。

いずれにせよ、誰も非難したり批判するつもりはありません。

表現力の乏しき身であります。己の未熟な面もあることを自分自身で理解しているつもりではありますが、すぐに修正できるものでもありません。

ご寛容のほどをお願いしたく想います。

なぜ、わざわざ、ブログ記事にしてまで昨日の記事のフォローをしようと考えたかといいますと、何人かの方が同じように哀しく感じられたということは、他にも、同じ感想を持った方がいらっしゃる可能性があるのではないかと思ったからです。

繰り返しになりますが、私は読者の方に哀しくなって欲しくありません。(汗)

そういう意図もありません。

この記事も含め、全ての方の幸せをつかむキッカケになることを祈っています。


天心 拝


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プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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