遊びの心

スピリチュアルなものを信じる心のある方は、とてもピュア真面目な方が多いように見受けられます。

フィーリングや、清らかな存在に対して、どこまでも希求していく心は、大切なものではあります。

ピュアであればこそ、真面目に向き合い、真剣に取り組もうとするのも当たり前のことですよね。

でも、時として、真面目すぎると柔軟性に欠けて、とても人生を狭く、味わいの薄いものに変えてしまうこともあるので注意が必要です。

例えば、私は、ブログの中で、エゴというものを縮小して、愛と真心に元ずいた発想を持つようにしましょうと提案しています。

これは、スピリチュアルな視点で見た時の一つの真実ではありますが、額面通りに受け取り、真面目に取り組みすぎると本来の意義が失われる結果になることもあるのです。

真面目に考えると得てして、「エゴは持ってはいけない!」「エゴは捨てなければ!」と頑なに思ってしまいがちですが、物事には調和というものが必要です。

エゴは確かに肥大化すると自分を重くし、暗くし、不自由に縛り付ける存在となります。

さらに周囲にも悪影響を与えたり、自分勝手な行動をとるようになったりして、困ったことを引き起こす存在でもあります。

では、エゴはなくなってしまえば一番よいのでしょうか。

そう単純にはいかないのが現実です。

人間には、必ず多かれ少なかれエゴがあり、それは、ある意味、人間にとって必要なものでもあるからです。

別の言い方をすれば、エゴはなくすことも、消滅させることもできません。

ただ、小さくすることはできますし、コントロールすることは可能なのです。

それは、この世から不具合や問題点を絶対的になくすことができないのと同じ理由です。

どのようなものであっても、問題点や不具合というものは、解決し、あるいは取り除いたとしても、新たに発見されて生まれていくものであります。

ですから、エゴもなくそうと努力したところで、なくなったと想ってもまた、再び発見されてしまうのがエゴなのです。

なくそうとするのではなく、肥大化させ過ぎずに自分の中の愛と真心を見失わないように、自分の中で管理していくことが大事なわけです。

少しくらい、不具合があっても、自分の幸せを考えてしまうところがあっても、その程度のエゴは大したことではないのです。

それどころか、多少のエゴは存在していたほうが、人間的であり、社会や人を癒したり、助けたりする場合には有用な場合もあります。

健康によくないからといって「健康食品しか食べない」とか「新鮮野菜しかとらない」など、清らかないもの、良いとされているものしか取らないというスタンスが世間にはあります。

しかし、例えば会社で上司が日頃の仕事の頑張りをねぎらって焼肉に連れてってくれると言った時に「私は肉は食べません」とか「コレステロールがたまるし、乳酸を身体にためると良くないので」なんて言って、断ってばかりいたら、なんとも付き合いが悪い面白味のない人だと想われてしまうかも知れません。

あるいは、若者や学生においては、友達同志で時にはファーストフードなどのジャンクフードをほおばり、悩みや将来のことを語り合ったり、くだらない話でも、お互い気心をつなぎ共有する時間があればこそ、人とのコミュニケーションはとれるわけですし、そんな想い出も大切な人生の人間味をつくる要素になっているものです。

私も、いまでこそ、そのような時間は取れなくなりましたが、若い頃は深夜のファミリーレストランで、人生や哲学、スピリチュアルなこと、恋愛、仕事、将来、いろんなことを友人と夜通し話、笑い合ったものです。

そんな一見、無意味でなにかの役に直接なっていないような物事であっても、人の情感や温かみを醸成する上で全ては必要なことであったりするわけです。

だから、時には、良きもの麗しいものばかりではなく、そのような型からはずれた、行動をしてみる時間を持つことも大切なことなのです。

もちろん、悪い習慣をつけなさいとか、不健康な生活をしなさいと言っているわけではありません。

真面目でピュアなだけが全てではない。

調和していくことが大事なことであり、その調和のためには遊びの心、無駄で無意味に見えることが実は大切な要素になっているということであります。

全てを額面通りに真面目に遂行しようとするのではなく、そこに人間的な血の通った柔軟な遊び心を付け加えていくことで、スピリチュアルな生き方というものも、より人生を輝かすものへと変わっていくのかも知れません。



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魂の成長を阻害するもの

同じ人生を歩む上で、魂が常に向上している日々を歩む人と、あまり変わらない日々を歩む人の二種類のタイプに分かれることがあります。

魂の向上とは、今までできなかったことができるようになること。

知らなかった知識を得ること。

愛をどれだけ実践できたのか。

真心をどれだけ表明し、表現することができたのか。

あるいは、義の心を持ってどれだけ一歩を踏み出せたのか。

感性を磨き、芸術性を解する心根を養うこと。

何かを信じ、ゆるぎない精神を培うこと。

全ては上げきれませんが、人の魂を向上させるとは、今、現時点の自分よりどれだけ変化して、善なる状況に近づくことができたかにかかっています。

だからこそ、今までどおりの変わらぬ日々、流されるだけの日々を送っているところに魂の向上はありません。

諸行無常とは申しますが、ただ、自然の摂理に従って、流され変わっていくだけでは、退化はしても進歩はないものです。

筋肉も動かし鍛えれば鍛えるほど、ついていくように主体的な行動こそが進歩向上には必要なのです。

何もしなくても、そのままで良いという考え方もあるかとは思いますが、少なくとも、そこに向上はありません。

今生を生き終えて、霊界に変える時、守護霊はどんな人でも暖かく導いてはくださいます。

たとえ、何もしなかったとしても、別に何か制裁を加えるわけではありません。

ただ、「お帰り」と迎えてはくれるでしょう。

しかし、「よくやったな」とか「ご苦労様でした!」と言われるくらい拍手喝さいで迎えられるためには、今生で魂を向上させることに成功する他はありません。

何もしなかったら、ただ暖かく迎えられるだけです。

でも、どこか、さびしい。

なぜならば、何のために不都合で不自由な想いをしてまで、現世に生まれ生きたのか。

ここを寂しくおもうわけです。

ですから、今生、生まれたからには少しでも魂を向上させることを念頭に置いて、生きた方が霊界に帰った時にも誉があるわけですね。

そこで、今回は、魂の向上をテーマにしてお話をしてみたいと想うのですが、ちょっと考えてみて欲しいことがあります。

最初にお話したとおり、私達は同じ時代、同じ社会的背景に生きていますが、魂を向上しようと生きる人と、あまりそのようには思わずにただ、流されるままに生きてしまう人とがいます。

あくまで大きく分けた場合ではありますが、このような違いが生まれてしまうのは、なぜなのでしょうか?

魂は皆平等です。

同じように授かり、同じように今生で魂を磨くために生まれてきています。

しかし、一方は魂を磨こうと努力し、一方はあまり関心がない。

この違いは、先入観を持っているかどうかにあるかと思います。

魂の成長を阻害する最たるものは先入観であるわけです。

なぜ先入観が魂の成長を阻害するのでしょうか。

それは、先入観が可能性を否定し、狭めてしまうことが多いことによります。

例えば、自分がこれから何かを志し頑張ろうと想ったとします。

魂の向上を考えれば、とにかくトライして、やってみていけばいいのです。

しかし、先入観がこれを邪魔します。

「私には無理。だってそんなこと経験したことないから」
「俺には向いてないな。才能もないし」
「そういうのは特別な人ができるもので、凡人の自分には不可能でしょ」

・・・

やってみたことも、試したこともないけれど、人は、今までの経験や自分の現在のおかれた状況だけで可能性を否定してしまうのです。

なぜならば、「きっとこうなるに違いない」という先入観があるからなのです。

選挙に行かない若者たちに理由を聞くアンケートをとったところ、一番多かったのは、「自分が一票を投じたところで世の中は変わりはしない」という理由だそうです。

これも先入観ですね。

皆当たりまえのように、夢をあきらめて、現実の生活の中に埋没してしまうのも、「夢なんかどうせ叶うはずない」という先入観によるのです。

もちろん、どんなことも願えば叶うなどというつもりはありません。

しかし、夢を描き、そこに近づくべく精進努力して試行錯誤の工夫を行うプロセスの中で魂は磨かれてくるものなのです。

先入観で、「そんなことは不可能」と決めつけて止めてしまえば、魂の向上の機会は永遠に失われてしまうことになるのです。

これが、魂の成長を阻害する大きな一つの要因であるといえます。

先入観は、本来、見えるはずのものを観えなくさせ、正しくものを観ることを不可能にさせてしまいます。

魂の向上を目指す人生を歩もうと志すならば、まずは、物事を観る目が先入観に冒されていないかどうかをチェックしてみる必要があります。

先入観をはずして、物事を正しく見る習慣をつければ、そこから魂の向上の日々が始まることと思います。


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【守護霊問答】仕事で出世するためには

こんにちは!

天心です。

本日は久方ぶりに守護霊問答を行ってみたいと思います。

今回のお題は「仕事で出世するためには」というテーマでお聞きしてみたいと思います。

多くの方が何らかのお仕事を生業としておられることと思います。

会社勤めの方もいれば、自営業の方もいらっしゃることでしょう。

出世といっても、単なる役職を与えられることに止まらず、どのようにすれば世に言う成功に近づくことができるのか。

この点についてお伺いを立ててみましたので、そのやり取りをここでご紹介してみたいと思います。


天心:「今回は、仕事をする上で出世するために何が必要であるかをお聞きしたいと思います。宜しくお願い致します。」

守護霊:「商いの道は、飽きないこと。私は現世においては、反物を仕入れ、城中におさめる生業に精を出しておりました」

天心:「生前は商人であったということでしょうか?」

守護霊:「そのとおりです。商人は沢山おりましたが、城中に反物をおさめる商いを許されていたものは数少ないものです」

天心:「なるほど。選ばれた信頼のおける商人としか取引はしてもらえなかったわけですね」

守護霊:「信頼とはどれだけの実績を積んだのかということと、どのような足跡があるのかということでしか築けないものです」

天心:「一生懸命、商売を続けながら、勝ち取った栄誉ということでしょうか」

守護霊:「一生涯、一つの生業に従事するということはとても骨が折れることです。多くの商人も道の途上で挫折していきました。」

天心:「守護霊様は、挫折せずに継続できたから出世なされたと想うのですが、どうして継続することができたのでしょう?やはり運もあるのでしょうか」

守護霊:「商いを継続させるための要点は一つしかありませんよ」

天心:「その要点とはどのようなものなのでしょうか?」

守護霊:「その商いの道に使命感を持っているかどうかです」

天心:「使命感?」

守護霊:「そうです。私は極上の反物をどこまでも追及し、妥協はしませんでした。美しいもの、麗しいものを発掘していき世に広めたいという欲求がありました。いつしか、それを私は自分の使命として受け止めていたのです」

天心:「なるほど。やりたいことという気持ちを飛び越えて使命とまで思って商いをしていたわけですね」

守護霊:「使命感がなければ、商いの道も途上で終わるのです。今の世の人達はどれだけの人が使命を感じて生業に従事されているのでしょう」

天心:「う~ん、人に寄るとは思いますが、大きくは生きるため生活のためにはお金が必要だからというのが大きな働くモチベーションになっているような気がしますが」

守護霊:「生業とは生きる業(わざ)。生きるために働くことも悪くはないのです。しかし、それだけでは出世はおぼつかないことでしょう」

天心:「確かに、生活を支えるだけのための仕事はどこか空虚な気もします。。」

守護霊:「使命感があれば、生業も充実し、使命感があれば、生業を末永く続けることができます。その上に信頼が生まれ、結果として出世という道が開けてくるのですよ」

天心:「なるほど。わかりました。お諭しを頂きましたありがとうございました!」


以上で守護霊問答は終わりです。

今回は、生前が商人であった守護霊団の一人がお諭しを与えてくださいました。

なかなか、フランクな感じの気をもった方なので、とても爽やかで、あまり緊張させないで問答を行わせて頂くことができました。

お出まし頂いた守護霊様に感謝をしつつ、この問答が読者の方の何かしらのヒントとなることを願っています。


天心 拝


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ご主人公をしっかりと保つ

禅の言葉に、「ご主人公がお留守」というものがあります。

ご主人公とは何かといいますと、自分自身の意識のことではあります。

その意識が今、目前の全てのことと向き合っている状態でないことを「ご主人公がお留守」という言葉で表現しているわけです。

簡単にいってしまうとボーっとして居る状態や、何かに心を奪われて、他の事が見えなくなってしまっている状態のことを想像してみればわかりやすいと思います。

ご主人公がお留守の状態だと一体、何が問題なのでしょうか。

まず、ボーっとしている状態というのは、得てして気力は霧散し、集中力を欠く状態なので、物事の達成能力は確実に落ちますね。(笑)

それから、何かに心を奪われている状態は、ある意味、一つの事に集中しているわけなので、ボーっとしている状態よりは、ましなように思われるかも知れません。

しかし、実際には、一つの事に心が囚われてしまうと、他の事が全くみえなくなり、欠落する点が多くなってしまうのが問題です。

恋愛に夢中になりすぎて、仕事に対する気持ちが手薄になったり、勉強に集中できなくなったりすることは、誰しも一度くらいは経験しているのではないでしょうか。

逆に仕事に没頭しすぎて家庭を振り返らなかったり、自分の生きがいに全てを捧げてしまって、いざ振り返ったら婚期を逃していたとか、そんなケースもあるかも知れません。

もちろん、人それぞれの人生があるわけなので、どういう生き方をしても、本人がしっかりと充実した日々を送っているならば問題はないわけです。

なので、何もやる気もなくボーっと過ごすよりは、何かに没頭する日々を送った方が余程、有意義というものではないかと思います。

ただ、やはり、それでも没頭してしまい過ぎる状態は、他が見えなくなるため、思わぬ落とし穴があるのも事実です。

その問題点を埋めるためにはどうすればよいのでしょうか。

そのヒントが沢庵禅師が記したとされる「不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)」の中に隠されています。

この本は、剣禅一如(けんぜんいちにょ)と呼ばれる禅の思想を元にして、剣の道を通して、禅の道を書き表したものです。

詳細な内容は、ここでは述べませんが、この本の中に剣の道について書かれています。

剣を抜き、目の前の敵に対峙した時に心はどうあるべきか。

簡単に言うとこのような内容が書かれています。

少し、想像してみてください。

もし自分が真剣を手に敵と対峙した状態だったらどうなるでしょう。

もしかしたら、震えあがって不安に耐えられず心ここにあらずになってしまうかも知れませんね。

でも、それだと、あっという間に敵に切られて一瞬で勝負に負けて命を取られてしまいます。

では、相手の動きや相手にばかり意識を向けたらどうなるでしょう。

そうなると、相手の動きに気を取られて、自分がどういう状態であるか、剣先がどこを向いているのか、周囲がどういう状況にあるのかわからなくなります。

剣先に意識を向けたらどうでしょう。

剣先にばかり気をとられて、相手の動きも何もわからなくなってしまいます。

では、どうしたらいいのでしょうか。

沢庵禅師は本の中では、全てにおいて心を置くと表現しています。

つまり、どこか一か所に意識を置いてしまうと、隙ができてしまうわけです。

だから、どこか一か所にとらわれた時点で、心は、ご主人公がお留守な状態になっているわけです。

この本の中で語られているような真剣をもった勝負など日常ではなかなかありえませんが、私たちが真剣勝負を挑まなければならない正念場という場面は時にはあると思います。

その時には、心をどのような状態にしておくべきなのか。

それは、ご主人公がお留守になっていない自然体の時の自分でいられるようにしておくということです。

これは、口でいうほど容易いことではありませんが、普段の生活の中でどれだけ心を意識して、とらわれない工夫をしてきたかがいざという真剣勝負の時に結果として現れてくることになります。

禅などわからない、剣の道など自分には関係ないと思われるかも知れませんが、この本で語られる内容の本質は、私達の日常の中にも深く関わりのある内容なのです。

普段、どのように生きているのか。

普段、ご主人公はお留守になっていないか。

常に確認してみると、心の強さを培う一つの研鑽となることと思います。


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振魂(ふるたま)の法

今回は、気分が滅入ったりクサクサしたりしてきた時の簡単な対処法について一つご紹介したいと思います。

それは、振魂(ふるたま)の法についてです。

振魂(ふるたま)というのは、古神道においても、魂を奮い立たせる、あるいは魂をゆらす、活性化させるなどの様々な意味があり、解釈、意義は諸々の内容を包含した言葉ではあります。

これから、お話するのは、その沢山の意味の中の一つであると受け止めて頂ければと思います。

振魂は、魂を活性化させて、元気づけてゆく方法ではありますが、その一つとして、身体に振動を与えるという方法があります。

骨肉は、荒魂(あらみたま)であり、魂の一部であるわけなので、これをまず揺さぶっていくことで、魂を活性化していくことになります。

手を合わせて、軽く上下に動かします。

それを段々スピーディにそれから、小刻みに揺らしていきます。

あまり力を入れる必要はなく、あくまで、身体をリフレッシュする意味で、身体をゆらしていきます。

座っても立ってもかまいませんが、30秒から1分程度くりかえします。

それから、立ち上がった状態で、少し身体を上下に揺らしながら小刻みにゆらします。

これも力を入れずに身体の緊張をほぐすような感じで行います。

全体で3分程度の時間で大丈夫です。

これを実施するだけでも気持ちの塞いだ感じや、イライラした気が少し晴れてきます。

とても簡単ではありますが、肌で実感できることですし、お金もかかりません(笑)

ちょっと、疲れたなと思った時に、振魂の法を行っておくと、気持ちを切り替えてゆく時の助けになります。

ご活用頂ければと思います。


天心 拝


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質×量×時間

霊力強さというものは、簡単にいうと以下の数式が適用されるのではないかと考えられます。

質×量×時間

以前、霊力について、霊力発揮のための3つのポイントをご紹介しました。

そのポイントは原則であり、その原則を上記の数式に当てはめてみることで、霊力の強弱が決まってきます。

実行、言葉、観想のまずは、が問われてきます。

どんなに実行していても、現実的に効果的でない行動ばかりしていては、物事の成就には結びつき辛くなります。

言葉も、より、麗しく、あるいは、力強い表現を用いた方が、より霊力も発揮されやすくなります。

観想も、ただぼんやりと漠然としたイメージを持つよりも正確に求める形を詳細化したほうが霊力は強くなるわけです。

だから、まずは、3つのポイントの質を高めていくことが霊力を強める一つのパラメータになります。

次にくるのは、ですね。

実行といっても、一回トライして、それでおしまいというのでは、霊力も長続きしません。

二回、三回、十回、二十回と量を増やしていくほどに霊力は強くなるものです。

言葉も、一言二言の短い言葉ではなく、沢山の言葉をもって、発することも大事です。

例えば、お祈りする時でも、「守護霊様、今日も良い一日でありますように」というのと「守護霊様。今日も清々しく太陽も輝き、ホントに気持ちのよい一日であることに感謝いたします。家族も皆、元気で私もすこぶる身体の調子もよく、全身にエネルギーがみなぎっています。ヤル気が満ちていて、今日も一日頑張れそうです。本当に全ては守護霊様のおかげです。ありがとうございます。今日もいつになく、過去においても全く経験がないほどの素晴らしい気付きと発見と幸せに満ちた良き日でありますように」

というのでは、全く、霊力の発揮され方が違います。

言葉の量を増やしていくこと。

これも留意したいものです。

最後に時間ですが、お祈りするならば、ある程度の時間をかけた方が霊力も強くなります。

質と量のお祈りを時間をかけて行っていくわけですね。

理想としては、時間がかかるほどの言霊の質と量をつむぎだし、観想もなるべく長い時間、続けていくことが大事です。

もちろん、実行も時間をかけて、繰り返し繰り返し、しながら年月をかけて実行していくことで霊力は強まっていくわけです。

質×量×時間

この数式を基本に考えてゆくことで、少しずつ霊力は強まっていくことになることと思います。

参考になれば幸いです。


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愛は礎、義は力

今までというものについて、色々とお話をしてきました。

愛は基盤であり、全ての善なる物事を生みだす原動力となるのが愛であるといえるのかも知れません。

どんなスピリチュアルなお話をされている方も、大抵は愛を強調し、その大切さを説いています。

だから、多くのスピリチュアルなことを学んでいらっしゃる方は、愛というものの大切さはいわずもがなわかっているという方もいることでしょう。

しかし、愛というものは基本であり、大切なものではありますが、それだけでは、不十分であることはともすると忘れられてしまうようにも思えます。

極論をすると愛さえあれば良いのだという考え方をする方が、時折みられるように感じられます。

愛とは全ての根幹であり、もっとも大切な要素ではありますが、神仏が評価されるのは、愛だけではありません。

その愛の心を持って、どれだけ貫いて継続して実践する生涯を生き抜いたかということも、神仏は見ていたりします。

愛はある意味、持っていて当然のものであるともいえます。

過去のブログ記事でも少しお話した偉人の一人にマザーテレサというクリスチャンのシスターがいらっしゃいました。

彼女は、貧しき人、孤独な人に手を差し伸べた愛の人でありました。

誰もが彼女を愛の人であると言いますし、そう評価していると思います。

しかし、彼女が本当に偉人であると言われるゆえんは、単に愛を持っていたからではありません。

その愛を持って、一生涯を貫く愛の実践を行い続けたからなのです。

誰でも、愛の行いをすることはあります。

ほんの数日だけ、愛の実践を気まぐれに行うことも時にはあることでしょう。

貧しき人や孤独な人に手を差し伸べる行為も、もし、期間限定でのことであるならば、誰しも一念発揮すればできる可能性はあります。

でも、マザーテレサのように一生涯、それに準じるのは並大抵なことではないのです。

マザーテレサが称賛され、未だに尊敬を集め続けているのも、単に愛の心を持っていたからではありません。

愛の実践を自分の義として持っていた。

だからこそ、一生涯貫いてこれたわけです。

そこが素晴らしいわけで、自分の中に使命感として、義心を持っていたからこそ、輝ける人生を送ることができたわけですね。

だから、愛の実践といっても、いかなる困難にも負けずに一生涯貫けるかどうかが、本当に素晴らしい人であるかどうかの評価点でもあります。

義の心とは自らに持つ使命感に生きる心根のことであります。

東日本大震災が発生した時、私は、皆が不安になり、道にあふれながら帰宅する人がいる時も、ただ只管、自分の仕事であるお店の運営をし続けるコンビニの店員さんを見かけました。

彼らだって怖かったと思います。

できれば、さっさと自分もそこから逃げ出したいという思いだってあったことでしょう。

しかし、それでも、自分の仕事をわきまえて、逃げずにそれを全うしている姿に私は心を打たれました。

警察の方も交通誘導をなさり、私が被災当時に入店していた本屋の店員さんはきちんとお客さんを誘導し、お客さんの安全第一に徹した行動をされていました。

本当に頭が下がります。

危険を顧みず、福島原発で作業をしてくださっている作業員の方や、当時、放水作業などをしてくださっていた自衛隊の方たち。

皆、不安だったでしょうし、怖かったかもしれません。

それでも、使命感と義心があるから、やるべきことを全うしているわけです。

義の心がなければ、愛があっても意味が薄いのです。

吹けば飛ぶような愛のともしびを、消すことのできない燃え上がる炎に育てるためには、義の心が必要ということなのです。

愛はとても大切で尊い、失ってはならない礎です。

そして、それを支えるのは、人としての使命感にささえられた義の心であるといえるのではないでしょうか。

愛は礎、義は力。

何が自分にとって何が大切なのか。

何が自分にとって使命として与えられているのか。

常に振り返って見直してみることも時には必要なのかも知れません。



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台風救済祈願について

こんにちは!

天心です。

関東も昨日の夜から雨が強くなり、台風の影響を感じます。

名古屋市などは、河川の氾濫が起こり、既に避難されている方もいらっしゃるとのことです。

和歌山県は土砂ダムが決壊寸前というシビアな状況。

東海地方は上陸の可能性、関東も直撃を受けると推定されています。

今、現在は30名の方が、私の昨日の呼びかけ(「【救済の祈願】皆様へのお願い」)に対して、祈願に参加してくださっています。

自然災害は、人間の手でカバーしきれないところが多く、祈る他ないところもあります。

台風15号は、秋雨前線の影響も受けて、風速を増し、雨量も関東では400ミリを超える推定がなされています。

ともかく、一人でも犠牲者や被害を受ける方がなくなるようにお祈りさせて頂いております。

風雨の直接的な働きを統括されているのは、八大龍王様でありますので、こちらの方にもしっかりと事分けてお願いをしているところであります。

禊としての台風という側面がある以上、日本列島縦断の回避はなかなか難しいのかもしれませが、それでも、最小限の風速、最小限の雨量になって頂くべく、もっかお祈りしています。

また、上陸せずに速やかに台風が過ぎ去ることも、細々と申し上げてお祈りさせて頂いています。

参加表明してくださっている方、これからお祈りをしようと想いっている方、どうか引き続き、台風が無害な状況になるまで、お祈りの継続をお願いしたいと思います。

私も微力ならが取次を今後もし続けていこうと思っています。

宜しくお願い致します。


天心 拝



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【救済の祈願】皆様へのお願い

こんにちは!

天心です。

本日は、久しぶりの曇天を仰ぎみながらの一日をスタートしています。

様々な溜まったお取次の依頼を実施したり、メールにて返信を書いたりしていましたが、まだ、全てが完了はしていない状況です。

お待たせしてしまっている方は、本当に申し訳ありません。

取次のできるタイミングや許しのでる時期が異なったり、他にもやらねばならぬことが、溜まっていたりと事情が重なってしまっています。

ご理解頂ければ幸いです。

さて、今日のブログでは、ちょっとだけ皆様にお願いがあります。

現在、台風12号の影響で、和歌山県奈良県などを始め、各地で豪雨の被害がでています。

また、台風15号、16号も発生しており、その影響がまた各地で出始める気配があります。

このままいきますと、再び大きな気配が出てしまう可能性が高いといえます。

先ほど、Yahooのニューストピックでも以下のニュースが掲載されていました。


〇和歌山土砂ダム満水
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110920-00000024-jij-soci


また、FGSの会のメンバーの方からも奈良県が9月3日から、台風の被害にあわれた方がいらっしゃるとのご連絡を受けました。

私は、メンバーの方がどちらにお住まいかは、全て把握できているわけではありませんが、被害にあわれた方もいらっしゃるのではないかと心配もしています。

自然現象は、人間が太刀打ちできない、一つの壁でもありますが、しかし、大切なことは、被害にあわれている方もいらっしゃるという現実から目をそむけずに、愛の祈りを向けていくことにあると思います。

対岸の火事だと想わずに、我がことのように感じ、慈悲の心で祈ることを守護霊や神霊たちは望んでいます。

台風というものは、一つには自然現象として、もうひとつは神様の大地の禊祓いとして、発生しているという観点があります。

つまり大地に溜まった罪穢れを台風で祓っているわけです。

一つの霊的、自浄作用でもあるわけですが、とはいえ、この働きには、人的被害、人が暮らしていく基盤を壊す物的被害も付きまといます。

なぜこんなひどいことが起こるのか。

神も仏もないものか。

あるいは神様の罰なのかと思われるかも知れませんが、そうではありません。

このことに対する詳しい話は、以前の記事「神仏は天罰を与えない」でお話していますので、そちらを参考にしてみてください。

被害が出てしまうのは、負のエネルギーの顕現化によります。

そして、それは今までの人それぞれが積み上げてきた、因業の清算でもあります。

とても、恐ろしく悲しい出来事であっても、理不尽に思えても、全てには理由があります。

しかし、それだからといって、自分は被害にあわなかったから関係ない、自分は今、安全だから関係ないというのでは、愛と真心の実践を行っている魂磨きをしている人の在り方ではありません。

苦しむ人がいれば助け、少しでも苦しむ人が癒され、少しでも苦しむ人が少なくなり、少しでも被害が小さくなるようにお祈りするのがスピリチュアルに生きている人間のありようではないかと思うわけです。

ですから、本当は、たまたまブログに立ち寄ったという方も多いこの媒体で、このようなお願いをするのは、適切かどうかは迷いましたが、もし、私の言っている主旨に賛同できる方がいらっしゃいましたら、以下のお祈りにご参加頂ければと思います。

参加といっても、各自、実行できる場所でお祈りを実践して頂ければ大丈夫です。


☆「台風12号の被災者救済、台風15、16号の未然、被災最小化のお祈り」


1.天照大神(あまてらすおおみかみ)

「伊勢神宮にます天照大神様。日の元津国の民の苦しみを和らげ、一切の因業を痛み少なく、苦しみ少なく、祓い清め頂きしてありがとうございます。」

2.被災にあわれた方、被災可能性のある方の守護霊

「こたびの台風12号、および、15号、16号にて被災されし人、または、被災可能性のある方の守護霊様。何とぞ守護を強め、被災されし人はこれ以上に痛みや苦しみを享受することなく救済助力をお願いいたします。また、被災可能性を最小限にして頂き、今後一切の被災なきように導きたまえ」

3.八大龍王(はちだいりゅうおう)

「八大龍王様。風雨、豪雨による禊による人的、物的被害を最小限度に抑えて頂きましてありがとうございます。また、こたび被害となった人、物を悉く、救い導いて頂きますことを感謝いたします。こい願わくば、これ以上の台風の被害は発生しないようにお働きを出来うる限り、人的、物的被害のない形にして頂けますようひらにお願い申し上げます」

以上の三つのお祈りに参加頂ける方は、メールにてお知らせ頂きたいと思います。

皆様からのお祈り参加の意志を受けて、私も一層、神様に守護霊団にお祈りを伝えさせて頂きたいと考えています。

メールにては以下の項目を記載して頂きたいと思います。

件名:「台風救済祈願の参加」

名前:ハンドル名、または氏名

年齢:年齢を記載

性別:男 or 女

内容:救済祈願についての想いなど


送付先:tensin.session〇gmail.com ※〇を@に変えてください。


不躾なお願いをブログでしていることご容赦頂ければ幸いです。

また、一つの魂磨きの一環としても、有志の方がご参加頂けること、お待ちいたしております。



天心 拝


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最高に甘い人生を味わうために

人生の幸せを良く味覚に例えると「甘さ」に例えられることが多いのではないでしょうか。

甘い生活、甘い恋、スイートなものほど、人生は幸せに感じられるものなのかもしれませんね。

ケーキやお汁粉、フルーツなど甘い食べ物は、人気があったりするものです。

でも、甘いものを食べ続けると何が起こるかといいますと、口の中が甘さ一色になり、いつの間にか最初の一口目に味わった甘さは消えてなくなっています。

甘いものばかりを食べていると甘さを感じられなくなってしまうわけです。

そんな時、どうしたらよいのかというと、しょっぱいもの苦いものを口に含むと味覚が元に戻り、再び、甘いものを口にした時に、甘さを味わうことができます。

お汁粉なんかを和菓子の店で頂くと必ずといっていいほど、しょっぱい系のおつまみのようなものがついてきます。

最初はなんでかな?と不思議に思ったものですが、考えてみると、和菓子はものすごい甘さ一色のものが多いので、時々、しょっぱいものを口にして味覚を元に戻す必要があるわけですね。

これは、人生においても同じことがいえますね。

楽しい、幸せな時間が続くと必ず、その幸せの感覚は薄れてくることになります。

当たり前になって、感謝の気持ちを忘れてしまうわけです。

だから、時として、人生には苦く、しょっぱいような出来事が発生してきて、味覚バカになった私たちを正気に戻してくれることになります。

災難というものは、確かに負のエネルギーの顕現化により発生してくるものではありますが、実はそれだけではないのです。

なぜそのような仕組みが存在しているのかといえば、人間がずっと長く幸せを感受していくための仕組みでもあるわけです。

ずーっと何事もなく平坦に進む人生というものは、どこにもないのですね。

苦かったり、しょっぱかったりするのは、霊障や負のエネルギーのせいかも知れませんが、それでも、別の角度からみれば、幸せを再認識させてくれる一つの必要悪だったりするわけです。

皆、苦さや、塩っ辛い想いからは逃れたいと想うものではあります。

それは当然のことではありますが、もっとよく人生に対する理解が進んでくると、苦みもしょっぱさも自分の人生を輝かし、魂の栄養となる大事な要素であることを悟ることができるようになります。

苦みと甘さは表裏一体であるのと同じように幸福、不幸もまた、最期は幸福へとつながていくために不即不離の要素であると気づく時、一つまた人生の味わいが深まる瞬間であるといえるのかも知れません。


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愛の実践とは何か

私のお話の中では、良く真心が大切であるということが出てきます。

ずっとお読み頂いている読者の方は、もうお気づきのことかも知れませんね。

ただ、愛と真心といっても、何をもって愛と真心とするのか。

ここが大切な考えるべき点であるわけです。

愛や真心という言葉は、とても抽象的な概念であり、美しい響きを持つ言葉でもありますが、ともするとその言葉の響きに酔いしれて、本来の具体性を失ってしまうことも多々あります。

愛や真心という言葉を聞けば、それだけで何か崇高なものを感じてしまうものです。

しかし、実際には、愛と真心を実践しようとするならば、無数に形があるものです。

だから、ひとえにこれが愛の実践だといえる事柄があるわけではなく、愛を持って、実行、実践することは、全て愛にもとずく行為であるともいえるわけです。

でも、これでも、ちょっと良く分からない部分はありますよね。

心とはとても流動的なもので、今、こうしている事柄は愛なのか、それとも違うのか。

考え始めるとわからなくなります。

私も、ある時、愛とはなんだろう、愛を実践するとはどういうことなのかと深く考えることがありまして、一度、守護霊様に問いかけてみたことがあります。

その時、頂いた答えはこのようなものでした。

「愛の実践とは想いなり。人の幸、思い続ける心で行うこと全て愛なり」

つまり、愛とは人の幸せを祈る心で想い続けることであると守護霊は言っていたわけです。

もちろん、これは一つの表現であり、愛の側面を表しているに過ぎません。

完全な答えというものではありません。

ただ、私がこのメッセージから咀嚼したことを話したいと思います。

人は皆、何かしらを想いながら生きている。

どんな人も何かしら想いを持っているわけです。

だから、何を思っているのかは人それぞれだけれども、想いを持たない人はいないということです。

愛の実践というと何か具体的な行動ばかりをイメージしてしまいますが、人のことを考え、人のことを思いやり、人の事をしっかりと見守り、見つめていくことが愛の起点であるといえます。

思えば私も、取次を行う時には、ずっとご相談者のことを考え、意識を向け、その方が少しでも幸せをつかむためのキッカケになればいいと思い続けながら行っているわけです。

だから、これも一つの愛の実践なのですね。

単に、取次を行う、相談に乗る、浄霊をするという事柄だけが愛の実践ではなく、その過程で絶対に必要となる、人に対する幸願う想いを継続し、送るという行為。

これこそが、愛の一番、基本的な実践なのだと守護霊様は教えてくれたわけです。

これは、取次だけにいえることではありません。

仕事で何か作業をする時でも、その作業が誰のために行っていることなのか。

お客様のため、取引先のため、同じ職場の同僚や上司のため、それから、自分の家族を養うため。

色々な人が関係しているはずです。

その人達の幸に繋がるようにという想いを込めてするならば、それは愛の実践といえるのです。

だから、ボランティアや何か特別な行為をすることだけが愛の実践ではないのですね。

主婦の方がお料理をする時も、家族が喜ぶ姿を想い、作るならばそれは立派な愛の実践です。

勉強する時もいつか、自分を支えていくれた人達や、同じ時代に生きる人達に何か還元できるものを得ようという想いでする勉強は、愛の実践です。

掃除をする時も綺麗な部屋を観た家の人が、喜んで感動してくれるように想いを込めて床を磨く時、その部屋は愛の念でみたされています。

どんなことでも、人に対する幸願う想いをつなげていくことができているならば、全ては愛の実践であると守護霊はお諭しを与えてくれていたわけですね。

特別な修行や勉強をすることよりも、全ての日常にある行動すべてが愛を実践する機会に満ちているわけです。

今からでもすぐに始められることです。

どんな人にも平等に愛の実践の機会は与えられています。

この機会を活かすも殺すも、その人次第ということですね。

愛の実践はそこに用意されています。

心を決めて一歩踏み出すことを願っています。



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法難システムとは何か

皆様、日々、元気で夢や希望を持って精進されていることとお喜び申し上げます!

なんて、ちょっと改まって言ってみましたが(笑)、誰もが皆、理想を持ち、目標を掲げて、日々生きることは、人間が生まれてきた大きな理由である魂の成長には大事なポイントであります。

目標や志がなくなってきますとどうしても歳をとるのも早くなり、気力も衰えてきますね。

時折、目標が持てないというご相談を受けることもありますが、そいういう場合はあまり難しく考えずにとりあえずの目標を立てるのがいいと思います。

それほど、好きであるとか、大事に思っているような大仰な理想像を掲げなくても、「ちょっといいな」「こんなことできたらカッコいいかな」くらいのものでも構わないので、どんどん志として掲げていって欲しいと思います。

目標を持つと魂が浮き立ち、ワクワクしてきます。

そして、目標に向かって努力をしていくと、充実感と楽しさ、喜びがついてきます。

目標といいますと達成することばかりを気にしてしまいがちですが、本当はその向かっていくプロセスの中で感じる楽しさや充実感、感動などが魂の栄養となり、輝きとなるわけです。

人生で感じる幸せというものは、決して死ぬ時にどんな栄誉があったかとか、どんな資産を築いたかとか、あまり関係ないのです。

そういうものは、全ておまけであって、毎日毎日の生活の中で感じる感覚と感動こそが意味のある人生の実体であるわけです。

ここがわからないと人生は面白くもなんともなくなってしまいます。

だから、結婚することよりも、結婚生活が大事であり、受験に合格するよりも学校で何を学ぶのかが大事ですね。

独身であっても、独身である時にしか味わえない楽しさ喜びがありますし、学歴なんてなくても、別に他のことで充実した生活を営めればよいわけです。

人間はこうならないと幸せでない、こうならないと意義のない人生だと自分で勝手に決めつけて不幸になっていく人が多くいるのが現実の世の中ではないかなと感じます。

人生を歩む経歴というものは、表面的なものであり、人生の本質ではありません。

一番大切なことは、その人生の経歴が生み出されたであり、内側にあるものだといえます。

だから、スピリチュアルな道を生きようとされている方に是非、わかってもらいたいのが、魂が輝く日々を如何にして送るのか。

ここを考えずしてスピリチュアルなものの考え方、生き方を全うできているとはいえないということであります。

全ての迷い、悲しみ、苦しみ、怒り、切なさ、辛さ、やるせなさは、元をただせば表面の人生をどこまでもたどり、人生の本質を無視するからこそ、生まれてくるわけですね。

さて、またまた、大幅に話の前置きが長くなりましたので、そろそろ本題に入りたいと思います。

「法難」という言葉をご存じでしょうか。

仏教の言葉で、一度くらいは耳にしたことがある人もいるかも知れませんね。

これは、正しい仏法を伝えようとするものには、常に困難が付きまとうということを表した言葉です。

考えてみれば歴代の歴史上の有名な僧侶の伝記をひもとけば、様々なエピソードの中に法難とも呼べる、困難がそれら僧侶たちを苦しめた話を観ることができます。

弘法大師空海が真言の法を求めて、遣唐使船に乗り込んで、唐の国に向かいますが、途中で何度も船が座礁の危機を迎えたりしていますね。

浄土真宗を開いた親鸞上人などは、衆生の苦しみを理解するため、あえて出家者としてはタブーとされていた妻帯を行い、破戒僧であるとののしられ、ものすごい迫害を受けながら、阿弥陀如来への帰依の法を確立する活動を続けました。

また、法華経を広める活動をした日蓮上人は、既存の宗派を悪しざまとも映るほど非難し、本当の道は法華経にあると主張し、そのあまりの激しい主張であったために、何度も迫害を受け、処刑されそうになったりもしています。

他にも法難とも呼べるエピソードを持つ僧侶はあげていけばきりがないほどいらっしゃいますが、ともかく、正しく仏法を伝えるものには難儀がつきまとうということを、法難という言葉で表しているわけです。

想えば、革新的な教えというものは、その反発を必ず招くもので、その反発を押しのけられるくらいの情熱とパワーがなければ、広めることは難しいということの表れなのかも知れません。

さて、法難という言葉が仏教の言葉であることは、わかって頂けたかと思いますが、我々は僧侶ではなく出家しているわけでもないので、関係ないと思わないでくださいね(笑)

実は法難というものは、宗派とか宗教とかを越えて、普遍に存在しているシステムであるということが、わかってきたのです。

私はこれを法難システムと呼んでいます。(笑)

宗教的な事柄に関係なく、人が何か人生を革新させたり、あるいは世の中にとって革新的なことを提唱、推進させていこうとする時、必ずやそれをつぶそうとする働きが起こってくるという法則があります。

これが法難システムです。

例えば、英語を勉強して海外に留学して、将来は外資系で世界各国を相手に仕事をしたい!と目標を立てて頑張りはじめたとします。

そのまま、何年も諦めずに頑張り通せば、必ず自分の想像通りではないにせよ、結果はついてくるはずです。

しかし、そう事は単純には運ばないものです。

なぜならば法難システムが発動されるからです。

まず、最初は、自分の心の中が攻撃を受け始めます。

なかなか、英語が覚えられない、英単語が右の耳から左の耳へと抜けていき、身につかない。

テストはイマイチの成績で、とても留学できるような状態とはいえません。

このような状況を目の当たりにして、「私には才能ないのかしら?あきらめて他の道を探した方がいいかな」なんてつぶやき始めます。

最初の法難は自分自身の弱い心です。

でも、これは、まだ、序の口です。

それから、両親などが口をはさみ始めるかもしれません。

「あんたが留学?そんなの無理でしょ~?」とかヤル気をそぐことを言い始めます。

友達も「留学なんてこだわらなくてもいいじゃん?日本の手ごろな会社に入って適当に過ごした方が楽じゃないの?」なんて、当人は親切のつもりで、言葉をかけてきたりします。

周囲からの言葉にますます、自分の心が揺れ動きはじめるわけです。

そのうち、「留学なんて初めから無理だったんだよね。しょうがない。分相応な生き方をしよう」なんて自分に言い訳をし始めて、最初は目を輝かせていた目標や志もいつしか青春の一ページに収められて、忘れ去られてしまうことになるのです。

これらは、よくあるお話を例え話として取り上げさせて頂きましたが、どんな目標でもそれを阻害する反作用が発生してくることを法難システムと呼んでいるわけです。

この法難システムはなぜ起こるのかといいますと、本当にその人が使命感、あるいは何としても成し遂げたいという魂からの本気の想いで立てられた志であるかを判定するために発生してくるのです。

魂に授かりし想いからズレないで人生を全うできるように、中途半端な想いで人生の舵をとらせないためであるといえます。

もうひとつの意味としては、法難システムを乗り越えることで、魂の力を培わせているというものがあります。

何事も摩擦がなければ、磨くことができません。

魂を磨くということは、まさにやすりや砥石でゴリゴリと研磨していく様を表して、「磨く」という言葉が使われているわけです。

苦もなく難もない状態というものは、摩擦がない分、魂は磨かれないわけです。

このことから、法難システムは存在しているといえます。

大切なことはこの、法難システムというものの実体と意義を理解して、それに惑わされずに自分の夢や目標に向かっていくこと。

このことが魂を磨くことに繋がることになるわけです。

もし、今、苦しいことに遭遇しているのならば、それは法難システムに遭遇している時なのかも知れません。



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FGS会報メルマガのバックナンバー完成!

こんにちは!

天心です。

FGS会報メルマガのバンクナンバーを収録した電子ブック(PDFファイル)が完成致しました!

詳しくは、メンバーには臨時増刊号2にてお知らせいたしますが、とりあえず、表紙目次のイメージ画像を発表します。

以下のサムネイル画像をクリックすると大きめの画像が表示されます。

バックナンバー表紙1

バックナンバー目次1


取り急ぎ、報告まで!

天心 拝


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星と霊界の関係2

先日、星と霊界の関係について少しだけお話させて頂きました。

月と月天宮は霊界と現世を結ぶパイプになっているというようなお話をさせて頂きましたが、どうやら他の星達も同じように霊界との密接な天の通い路がつくられているようです。

古来、太陽太陽神としてあがめられる対象であり、世界の神話などでも、太陽を神様として神格化しているお話は多々あります。

日本の神道でも太陽は天照大神(あまてらすおおみかみ)の象徴として、神格化されています。

太陽は、恵みの光を与えてくれて生き物が育つエネルギーでもあります。

同時に霊的に観ると生命力の源となる霊流を私たちに知らず知らずのうちに与えてくれているわけです。

西洋占星術という占いがありますが、生まれた年月日時に惑星がどの位置にあったのかによって、その人の宿命や運気を占う手法ではありますが、これは、一つには、惑星のどの霊流を強く受けて生まれてきたのかを知ることで運命を予見しているということがいえます。

まずは、生まれた瞬間にどの惑星からの強い霊流を受けたかによって、基本となる霊的性質が形つくられるわけです。

その後、年月を経過して移動する惑星の位置から、霊流を受ける惑星や恒星、衛星などの強弱が変わってくるために運命サイクルにある種の傾向が読みとれるようになるわけです。

占いは、あくまで運命サイクルを読みとり、それをもとにどうしていくかをアドバイスしていくものです。

運命サイクルはあくまで霊流の影響から来る傾向に過ぎませんので、いわゆる運命固定説は成り立ちません。

あくまで運命は常に変動していくものだからです。

しかし、少しでも傾向を読みとって先手を打っていけば寄り良い運命に軌道を修正できるのではないかというのが、占いの意義であり、主旨であると思います。

ただ、それでもやはり、運命を知り、一喜一憂する人が多いのも現実であり、当たるか当たらないかに終始して占いを受ける人、占う人もいるのも事実であります。

なので、積極的に運命を作り上げていく、いわゆる易経でいうところの立命を行うことに導いていくのが正しい導き方であるといえるでしょう。

そこで、今回、提唱したい運命改革の一つの方法をお話したいと思います。

私は西洋占星術の専門家ではありませんので、占術の詳細や具体的手法はわかりませんが、霊界法則という観点で申し上げれば、星からの霊流を引くことで、運命サイクルの調整をすることは可能ではないのかということです。

どういうことかといいますと、例えば、元気や瞬発力が足りなくなる惑星の位置になる時期というものが、占星術でわかったとすれば、それを捕捉するために太陽などの霊流を引いて、不足分を補うようにしていけば、バランスが取れてくるということです。

太陽は先ほども少しお話しましたが、天照大神の神格化した星でもあるわけです。

元気と生命力をみなぎらせてくれる神徳がある霊流を太陽から頂くことで、不足分を補うことができるはずです。

やり方としては、太陽に意識を向けて(直視できないので、太陽のある方角を向くか、あるいは、そこにあるとイメージします)お祈りをします。

「太陽神にます天照大神様。私の不足している元気、生命力、活力をお与え頂きましてありがとうございます。いつも太陽の霊流に満たされて、運命のサイクルをより良きものに変えて頂きまして感謝いたします。」

このようにお祈りすることで、太陽と霊線が繋がり、霊流を引くことができます。

単に、占いにて判明した運命サイクル、傾向に一喜一憂するくらいならば、積極的に星の霊流を引いて、霊的に改善をしていく方法をとるほうが、より前向きな発想であるのではないでしょうか。

まだまだ、星と霊界の関係は謎が多いので、これからも研究と調査を続けていきたいと思います。

このお話が何かのヒントになれば幸いです。


天心 拝


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日和見主義を止める

文字色人生は選択決断の連続であることは、言われるまでもなくわかってらっしゃる方は多いと思います。

選択肢が沢山あればこそ、迷いことも多いのかも知れませんね。

あるいは、選択肢はなくても、どうしようもなく不安を抱えて決断できないというケースもあるかも知れません。

いずれにせよ、迷い葛藤するのは、人生を生きる上での宿命のようなものといえるでしょう。

選択や決断をする際に気をつけたいポイントがあります。

それは、日和見主義になってしまわないことです。

日和見主義とは状況を観ては、どっちにしようかアレコレ悩んで、自分の得である方を選ぼうとするメンタリティのことです。

もちろん、状況を観て、判断を行うことが悪いと言っているのではありません。

問題は、その心根にあるエゴの肥大化が問題となってくるのであります。

人間はどうしても、損を避けて徳を得ようとする心根が働いてしまうことが多いものです。

私にとってどちらを選択するのが得かしら・・・?

そうやって、いつも、自分が損をしない、得ばかりを狙う心根は、常に微弱の負のエネルギーが付きまといます。

古来、四書五経の筆頭書物の一つである易経に記載されている大成卦の一つである「水地比(すいちひ)」と呼ばれる卦があります。

その卦の解説には「後夫凶」という言葉があります。

あとから遅れてくる者は凶なるものであるから注意せよという易経の教えの一つであります。

後から遅れてやってくる者がなぜ凶であるのかといえば、元々、「水地比」「比」とはならび比べるという意味合いもあります。

つまり、色々、比較して、自己利益にかなうならばという思いを抱いて、後からやってくるような者は信用してはならないということを意味しています。

易経にもあるように日和見主義の人間というものは、常にエゴが起点となって行動が伴うために、「仁」の心や「義」「礼」、あるいは「信」の徳によらず、公共心も薄く、神霊の加護も弱くなります。

自分のことだけを考えて日和見主義で生きれば、開運などできるはずはありません。

何かを選んで決断しようとしているその瞬間、自分の心はどこになるのか。

他人に対する思いやりはあるのか。

社会に対する義はあるのか。

礼を失していないのか。

相手を信頼し、自らを信じてもらえるような努力をしているのか。

このような心根がない人は皆、日和見主義という罠にはまっている可能性があります。

日和見主義を捨てないかぎりは、本当の開運は手に入らない。

このことに気づける人が多くなることを切に願っています。


天心 拝


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憑依レベルについて

先日、守護霊との交流において合一(ごういつ)という状態についてお話をさせて頂きました。

今回はその霊障バージョンのお話をしてみたいと思います。

合一状態というものは、必ずしも守護霊や神霊との間にだけ為されるものではありません。

不成仏霊、動物霊、先祖霊の場合も同じように関わりが深くなってくると合一状態に近づいてきます。

よく巷では霊が憑依するなんていう表現がなされたりしますが、憑依といいましてもいくつかの段階があります。

まず、低級な荒い霊波動を受けて、少しこちら側の霊波動が乱れてしまうレベルがあります。

これは別の言い方をしますと邪気にあてられたなんていう言い方もします。

少しだけ、霊波動が乱されて気分が悪くなったりする段階です。

この段階は初期レベルなので、ちょっと気分を転換したり、発想を変えるような努力をするだけで、邪気は祓われていくため、ほとんど問題にならない場合が多いといえます。

実際、ほとんど邪気に充てられていることも気づかずにそのままいつの間にか解消してしまっていることが多いのがこのレベルです。

次にしばらく、荒い霊波動を受け続けて、その波動になじんでしまってきているレベルがあります。

ちょっと慢性的に疲れていたり、具合が悪いなとはっきり自覚できる段階といえます。

ある程度、その霊との関係性が深まったために、いつでもどこでもその人に霊がくっついて移動している状態ですね。

この段階だと少し時間をかけて気持ちを入れ替えることをするか、ある程度のお祓いなどのヒーリングや浄化をしないと良くならないこともあります。

個人差があるので、なんとも言えませんが、霊というものは長い時間、関わり合いを持ち続けるとそこに一種の絆のような縁がつくられ始めます。

霊線ができて常に霊流が行き来するようになります。

なので、良からぬ霊との関係が深まると調子が狂ったり、イマイチぱっとしなくなったりすることもあります。

この霊線がつくられて、慢性化、常態化してしまうと本格的な浄霊を受けないと霊的には解決が難しくなってきます。

これが第三段階ともいえる憑依レベルです。

本来はここまで来る前に何らかの対処をしておくことが大事なわけですが、ほっておくと益々霊線が強くなってしまうので、タチが悪いともいえます。

例えば、虫歯でいえば、毎日の歯磨きを欠かさないようにしていれば、虫歯にはなりにくいわけですが、サボって歯磨きを怠ると歯には歯石がこびりつき、歯医者さんで削ってもらうしかなくなりますよね。

さらに放置すれば虫歯になって歯を削るか抜くしかなくなります。

これと似ています。

第三段階までくると次は第四段階ということになるわけですが、ここまでくると低級な霊との合一状態になってしまいます。

以前、霊障は性格に現れるという記事を書きましたが、なぜ性格に現れるのかといえば、合一状態になると、その霊の性格とそっくりに自分がなっていくことになるからです。

フラフラとその日暮らしをしてボーっとすごして不成仏霊になってしまった霊と合一してしまえば、その日暮らしのグータラ人間になってしまいます。

ギャンブル狂いの暴力的な、ハチャメチャな人生を送った先祖霊と深い霊線で結ばれて、合一状態になれば、当の本人も同じような振る舞いになったりする場合もあります。

この段階まで進むとなかなか浄霊しても、すぐには改善しないことも多く、時間と気力と労力を持って、頑張って少しずつ改善を試みていく他はなくなります。

このように憑依レベルというものがあるので、一概に霊が憑いているといってもそれぞれ状態は異なるわけです。

あまりこのように霊障を分析しているブログは少ないかもしれませんが、私が見聞してきた中でわかってきた一つのことですので、参考程度にとどめておいて頂ければと思います。

さて、今回、このようなことをお話した理由としましては、一つ知っておいて欲しい事実があるからに他なりません。

それは、物事というものは、時間をかけて段々と状態のレベルは深くなるという傾向にあるという事実です。

例えば良いことを時間をかけて努力を積み重ねれば、必ず大きな力となって自分に却ってくるものです。

だから、何か目標をたてて頑張ろうと想う時には、決して短期的に物を見ずに時間をかけて気長に頑張ることが大切だということです。

逆に悪い習慣に関しては、長く続ければ続けるほど、事態はどんどん悪い方向に向かってしまうということもいえます。

霊障も、一念の想念の歪みが段々と大きな霊障や厄難に変わってしまうことが今回の記事で明らかになったことと思います。

ちょっとした暗く、消極的で、退廃的で、愚痴のような一念をいかに早い段階で改めていくことが大切であるのか。

このことを知っておいて欲しいという思いがあります。

今、不具合を感じている時には、どの段階に自分はいるのか。

まずは、それを知ること。

それから、できるかぎり、早めの対処をすることが大きな災いになる前に解決する秘訣でもあります。

小さなボヤはすぐに消せるけれど、大きな火事は消しにくい。

このことを知って、早め早めの対応を心がけることが大切だといえるでしょう。


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守護霊との合一状態について

守護霊との交流について様々な角度からお話をして参りましたが、今回はまた少し違った角度からのお話をしてみたいと思います。

守護霊との交流の基本は、過去記事において何度もお話してきたように、まずは、語りかけやお祈りをしていくことにあります。

最初は、存在すら意識しなかった守護霊ではありますが、語りかけ、お祈りをしていくうちに意識が向くようになり、交流が始まります。

皮膚感的に守護霊を感じ始めたり、サインという形で、存在の確信を深めていくわけですね。

交流が深まってくると守護霊からのメッセージなどもわかるようになったりしますが、このレベルは、まだミドルレベルの交流であるといえます。

なぜならば、まだ守護霊と自分との間に境界線がしっかりと存在しているからなんですね。

守護霊という存在と自分という存在がまだ別個の状態であり、まだまだ人的な交流と変わらないレベルです。

以前、魂についてお話をした際に、分魂現象について説明をさせて頂いたことがあったと思います。

大きく成長した魂は分魂を作り出し、増え続けるということをお話させて頂きました。

実は、この逆の現象もあります。

それは、合一(ごういつ)という現象になります。

魂レベルの波動が同一になってくると魂と魂が合霊状態となり、一体化してしまう現象があります。

守護霊とお話をしたり、お祈りして交流している段階というのは、まだ、守護霊と自分の魂との間には、非常に近い距離であるとはいえ、境界線が存在しているといえるのです。

だから、もう一段階、守護霊との交流が進み始めると、守護霊との合一が為されて、自分の魂と守護霊とが一体化することになります。

この状態になって初めて、守護霊との交流は最高レベルに達したといえるのです。

では、守護霊と自分が合一すると実際にはどのような変化が為されてくるのでしょうか。

考え方、発想、霊格が守護霊と非常に似通ってきます。

いつも、魂の向上に気持ちをむけて、霊性、教養、中庸という観点で心根が正されてきます。

ほとんど、守護霊と変わらない精神レベルになり、自分の想いがニアリーイコール守護霊の想いになってくるのです。

合一状態になると守護霊の考えが自分の考えになり、自分の考えが守護霊の考えになるために、どちらがどちらか区別できなくなるほどになります。

最終的な守護霊との交流はこの合一状態を目指していくことになるのです。

最初からこの状態には中々、成れませんが、交流を深め学びを深めていくといつの日か、守護霊と合一できる日が訪れることでしょう。


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呪縛について

人は多かれ少なかれ、呪縛を持っています。

呪縛なんていうとなんだか恐ろしげなもののように聞こえて、特別なことのように思えるかもしれませんが、以外と普通に呪縛は存在しています。

呪縛は、呪って縛ると書きますが、この正体について少しだけお話してみたいと思います。

呪縛の正体とは、目に見えない心に埋め込まれてしまった鎖のようなものです。

知らず知らずのうちに、人の自由意志を縛り付けている存在だといえます。

呪いというと何か特別な霊能者や呪術師がかけてくる法術だと想っている方もいると思いますが、そればかりとはかぎりません。

実は、いろんな人がいろんな形で呪(まじない)をかけているものです。

やっかいなのは、呪をかけている本人もそれに気づいていないことが多いことがあります。

例えば、私たち人間が一番最初に関わり合う人間に両親がいます。

通常、両親は自分の子供に愛情を注ぐものではありますが、両親もまた人間であることもあり、時として、愛情以外の感情を抱くこともあります。

疲れていたり、自分が追い詰められていたり、悩みを抱えていたりすれば、どうしても愛情よりも暗い想念で子供に接してしまうこともあります。

そんな時についつい、子供の前で愚痴をいったりしてしまうこともあるでしょう。

「私の人生なんてこんなもの」とか「ああ、こんなに大変なら結婚なんてするんじゃなかった」とか「ああ、辛いことばかりだよな人生なんて」等ナド。

愚痴のレパートリーは人それぞれかも知れませんが、うっかりそんなことを口にしてしまうこともあるでしょう。

口にしなくても、そのような態度をとってしまい、言外に気持ちを表してしまうこともあるのではないでしょうか。

このような親の言動や行動、態度を観て、子供は学習します。

「そうか人生は辛いものなんだな」「結婚なんてするもんじゃないんだな」

こんなふうに子供は肌で記憶して、魂に刻みこむのです。

そして、やっかいなことに、それら学習したことは、正しいか正しくないかに関わらず、魂レベルでの観念となりその子供の将来に渡って、物事を判断し行動していくための基準になるのです。

もちろん、時間がたつにつれて、親がそのようなことを口にしていたこと自体は忘れてしまうかも知れませんが、魂についた呪縛はずっと生き続けるのです。

そうしますと、子供が成長し大人になっても、「なんとなく人生は辛いものだ」という考え方をベースにした発想しかできなくなり、霊界も暗く重い霊界が形つくられる結果となります。

「なんとなく結婚は嫌だな」と感じるのも呪縛によってつくられた意志である場合もあるのです。

もちろん、自分では、「これは自分の意志」と想っているわけです。

このようにかくと「自分の性格の問題は親のせいなのか!?」と早合点して両親を責めたりする人がいそうなので、正しておきますが、別に呪縛を与えているものは両親だけではありません。

学校の先生、周囲の大人、友達、いろんな人が悪意はなくとも、呪縛となるような言霊や態度をとることで、知らず知らずのうちに呪縛は生まれてしまうのです。

そのように考えると決して両親が悪いと一概に決めつけることはできません。

あるいは、学校の先生が悪いとか、周囲の大人が悪いとか、友達が悪いとか、それもまた間違った考え方です。

なぜならば、悪影響をもたらす呪縛よりもそれを上回る愛と真心を注いでくれているのもまた、両親であり、周囲の人であり、友達であり、学校の先生であるからです。

もちろん、個人により呪縛の方が多かったのか、愛情を多く注がれたのかは異なるかもしれませんが、いずれにせよ、人は、どうしても何らかの形で呪縛を受けているということをまずは自覚することが大事です。

そして、一番大切なことは、それらの呪縛を解いていくことで、自由な魂の輝きを取り戻すことだといえます。

呪縛は、その呪縛の基となった起点を理解することで、はずすことができます。

例えば、「結婚なんてしたって碌なことがない」という思い込みの呪縛を持つ人は、なぜそう思ってしまったのかを考えてみることです。

もしかしたら、家庭がいつも大変な困窮にさらされていて、両親がいつもケンカをしていて、事あるごとに「結婚なんてするんじゃなかった」と口にしていたことに思い当たるかも知れません。

その時、大切なことは、「それは不幸なことであったかもしれないけれど、幸せな結婚をしている人は世界に沢山いる。私はそうでない未来を作っていこう」と宣り直しをしていくことです。

あるいは、ヒドイ離婚の仕方をして、もう二度と人が信じられないなんて呪縛にかかっている場合には、「離婚の後に素晴らしい人生が開けた人もいる。痛い想い出ではあるけれど、これはきっと神様が与えたチャンスであり、良い人と会える素晴らしい機会を与えてくれているんだ!」と宣り直しをするのです。

これらは、あくまで例え話ではありますが、大切なポイントとしては、自分がこれは真実であると想っていることで、ネガティブな要素を含むものは、全て呪縛であると疑ってみることです。

疑ってみてその本質を見極めて、宣り直しをしていくことで、呪縛は解かれてそこから自由になってきます。

中々すぐには自由になれないかも知れませんが、繰り返し、行っていくことで自由を得ることができることでしょう。

呪縛を解いていくことは、霊界の状況を改善していくための重要なポイントになりますので覚えておくとよいでしょう。



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【2011年9月度】神田明神への参拝

昨日、九月度神田明神へのお礼参り、追い風祈願の取次に行ってまいりました。

毎回、読み続けてくれている方は、もうおなじみになっている神田明神参拝の記事による報告ですが、こうしてご報告させて頂くことで、読者の皆様にも神田明神様の息吹が伝わるようにしているわけです。

神田明神には最低でも月一回は詣でていて、普段の取次でご寄付をして頂いた方の真心込めたれたる浄財の一部を玉串させて頂いているのです。

それから、献灯もさせて頂き、義援金の箱にも募金しています。

もう、聞きあきて耳にタコができている方もいるかも(笑)知れませんが、ご報告という意味あいがありますのでご勘弁頂ければと思います。

さて、台風12号もゆるゆる進み、なんだか中途半端な天候の中、幸い、雨に降られずに参詣することができました。

あとからニュースを観て驚いたのですが、今回の台風で被害にあわれた方、おなくなりになった方が予想以上に多かったということです。

本当に被害にあわれた方はお悔やみお見舞い申し上げます。

自然の猛威というものは、人の手ではどうにもならぬ部分もあります。

人はいつ何時も、与えられた自然という環境の中で文化や文明を作り暮らしてきています。

そもすると文明社会の生活の中で自然に対する意識が薄くなりがちですが、時にこのような猛威を見せつけられると、やはり人間とはちっぽけな存在であり、非力であることを自覚致します。

非力であることを自覚することで謙虚さが生まれ、ふけば飛ぶような命と知ることで、その日その日を一生懸命生きることができるのかも知れません。

私自身、今後も一日一日をいや一瞬一瞬を無駄にすることなく、魂を輝かせるための学びとして、修行として精進努力していきたいと心を新たに致しました。

さて、再び神田明神の参拝のお話に戻ります。

神田明神といいますのは、過去記事でも触れたかも知れませんが、東京のお茶の水、神田、大手町近辺をテリトリーとする産土神社でもあります。

大手町といえば、ビジネス街であり、多くのビジネスマンの方達が集う、とりわけ金融機関なども密集する日本にとっても重要な拠点の一つにもなっています。

その拠点もテリトリーの一部になっているために、毎年、年明けの仕事始めの日には多くのスーツ姿のビジネスマン達が初詣に訪れたりしています。

毎年、5万人を超える人が参拝されているそうです。

霊威のある神霊のおわす神社というものは、参詣客の動員数にも現れていることもあります。

神田明神の霊威の強さを見せてくれている一面であるともいえます。

そのような神社であることも手伝ってか、今回のお祈りの始めの部分は感謝の祈りから入り、そのあとは、なぜかずっと日本の経済のことについてお祈りしてまいりました。

御存知のように今日本は超円高の状態であり、輸出などの貿易で痛手を被っています。

これは日本経済全てに影響を及ぼす事態ですので、なんとかこれを越えてゆく必要があるといえることでしょう。

あまりそのようなことを考えて、お参りに来たわけではないのですが、ふとお祈りを始めるとそのようなことに関する祈りの言葉が紡ぎだされていました。

おそらく、守護霊が私の身体を使い、今は日本のために祈るべき時だと教えてくれていたのだと思います。

しばらくは、日本の経済の好転について、日本の国民が誰もこれ以上苦境に立たされぬように、経済悪化で、生活が苦しくなったり、企業経営が悪化してリストラなどが進まないようにずっとお祈りして参りました。

もちろん、そのあと、ご寄付をしてくださった方への追い風祈願も事細かにして取次は行いましたのでご心配には及びません(笑)

ただ、おそらく個別に縁をもった人達の祈願よりもまず先に「公」に対する祈りが先であるという神田明神様からのお諭しの一つであったのだと思います。

そんなわけでつつがなく参拝を終えることができました。

さて、毎回毎回、神田明神ではお玉串をさせて頂いていることは周知の事実ではありますが、折角なので、お玉串を捧げる時の境地についてお話をしてみたいと思います。

まず、神社というものは自動販売機ではありません。(笑)

お金を投じて祈ればお目当ての願望が叶うという代物ではないということです。

そんなことはわかっているという声が聞こえてきそうですが、わかっているようで段々と心根がずれてくるのが人間の性であります。

これだけお玉串したのだから、願いが叶うのではないか。

私が叶えたい願いはこうなんだから、証やサインもこうあるべき。

段々とこのような心根に支配されてしまうようになってくるのが人情というものです。

しかし、自動販売機のように、お金を入れたらお目当ての商品が購入できるというような便利屋のような存在とは神社は違うのです。

だから私はいつも玉串を奉納する時には、「させて頂く」という気持ち以外に妙な期待や願望は持っていないのです。

逆にいえば、この「させて頂く」という境地がつくられた状態で玉串を行わない場合にはただの投げ銭になってしまいます。

だからこそ、感謝の念だけを込めて玉串を奉納しています。

頂いたご寄付の一部も皆様の真心を橋渡しして神様にお届けするという気持ちでさせて頂いているわけです。

このような心根で玉串を行う時、はじめて神様はそこに込められた真心を受け止めてくださるのですね。

今回は、お賽銭や玉串を捧げる時の境地についてお話をさせて頂きました。

何かのヒントになれば幸いです。


天心 拝


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星と霊界の関係

最近、宇宙にある惑星、恒星、衛星等ナドと霊界とどんな関わり合いがあるのかを調査したりしています。

昔から星の運行は、占星術などでも重要な意味を持っていたりしますよね。

そもそも占いというものが成立するのは、ご神託を告げるための神殿のある霊界があり、そこから啓示を受けることで、未来やその人の秘められた性質をひもといたりすることができるわけです。

その占いと密接な関係がある星にも霊界との接点があるのではないか。

こう考えて今は鋭意調査中です。

一つわかったこととしては、新説・霊界ストーリーにて出てくる月天宮(つきのあめのみや)はどうやら、月とリンクしているということです。

もちろん、現実のクレーターだらけの月に月天宮があるというわけではありません。

月というシンボルが月天宮との天の通い路(あめのかよいじ)となっているということです。

別の言い方をすれば、月を見ながら、月に向かって意識を向けていくと月天宮とのパイプが強くなるということがいえるようです。

なので、お月さまの綺麗な日には、月を見上げて、月照姫之命様にお祈りをすれば通じやすいということです。

また、月天宮の霊波動を浴びるとその霊界の影響を受け始めますので、自分の霊界を変えてゆくための一つの方法として使えると思います。

ただ漫然とお月さまを眺めていた人は、是非、一度、月を鑑賞する時には、月天宮を意識してみて欲しいと思います。

また、今後、詳しい関係がわかってきましたら、発表していきたいと思います。


天心 拝


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【重要】ヨギエル様へ

天心です。


天命・過去世調査をお申し込みのヨギエル様

先ほど、取次の結果を送付したところ、送信エラーとなってしまいました。

ドメイン指定などのフィルタリング設定が為されている可能性があるかと思います。

一度、ご連絡頂き、設定を解除して頂ければと思います。

宜しくお願い致します。

霊力を発揮する方法

あまりむやみやたらに霊能について語るのは混乱のもとであるので、控え目にしているのですが、スピリチュアルな事柄に触れる行きがかり上、どうしも避けて通れないお話でもあります。

今回は、霊力ということで、これを発揮するための方法についてお話してみたいと思います。

霊力といいますとなんだか摩訶不思議な力であるかのような印象を持つかと思いますが、実際には、どんな人にもそれなりの霊力は備わっているものです。

そもそも霊力とは、霊妙な力であると同時に現実においても、それとは知らずに発揮されていることが多かったりします。

例えば、霊力が強い人のわかりやすい例をあげれば、リーダーシップのある人なんかは霊力が強い方であるといえます。

同じ、意見や方針を述べるにしても、なぜか、この人に言われるとついてゆきたくなる、あるいはその人のペースに引き込まれてしまう。

こういう方が時々いらっしゃいますよね。

これは同じようなことを行ったとしても霊力の違いで、その結果や影響力が変わってきてしまうことを意味しています。

あるいは、なんでも目標を立てたならば叶えてしまう人。

これも霊力が強い人であるといえます。

霊力と一口でいっても様々な現れ方があり、必ずしも霊的な事柄で発揮されるとはかぎらないものです。

霊力なんて自分には関係ないと想っているかたもいらっしゃることかと思いますが、以外に現実面でも霊力の強さは日々の生活や人生に影響を与えているものなのです。

霊力とは自分の意を実現し、あるいはそれに強い影響を与える力であるとも定義できるわけです。

だから、なるべくならば、霊力が強い方が人生を歩む上で心強いといえなくもないのです。

では、どうしたら霊力は発揮されて強くなるのでしょうか。

詳細な方法や具体論は、ここでは述べません。

それは色んな人が観るブログという媒体で語るには少し抵抗がありますし、神霊からも許可がでません。

今後、FGSの会等ではもしかしたら触れていくかも知れません。

ただ、そのかわり、霊力が発揮されるための基本的ポイントについてだけお話してみたいと思います。

そのお話をする前に少し密教についてのお話をさせてください。

密教には三密といいまして、身・口・意と呼ばれる大事なポイントがあります。

これはなんであるかといいますと、と呼ばれる手と指をからませて組む仏様を表すシンボルを意味しています。

マントラ、すなわち真言です。

観想、これは仏様と一体となるイメージのことですね。

つまり印を結び、真言を唱えて、仏様をイメージすることを基本として、密教では護摩祈願や修法と呼ばれる儀式を行い、霊力を発揮して霊験を得たりしているわけです。

これが密教における霊力が発揮される大切なポイントとされています。

しかし、これはあくまで密教の加持祈祷などで行われるポイントです。

私たち一般の人間が霊力を発揮するためにこれらを実践するのは少し無理があります。

そこで、誰でもできる霊力の発揮される三つのポイントをお話してみたいと思います。

1.実行

まずは、何はなくとも現実的な目標となる物事へ向かって行動を起こしていくことです。

ボーっとして何も動かず、ただ、霊力発揮されないかな~(笑)なんて、動きが止まっていると絶対に霊力は発揮されません。

ともかく身体を動かし、実践、実行を旨とする。

これが大事なひとつ目のポイントです。


2.言葉にする

これは、具体的なかつ表現力豊かな語彙力をつけるということ。

それから、しっかりと言葉であらゆることを表現する力を身につける。

できうるかぎり、自分の目標が実現されるために必要と思われること、どうしたいのか、どうなりたいのかを多くの言葉を使い表現していく、沢山の言葉を口に出し、紙に書き表していくことで、言霊の霊力を経て、行動を後押しして、状況を変えてゆく力が生まれます。


3.イメージを作る

できるかぎり、自分の実現させたい理想の状況を事細かに臨場感を持って感じるようにする。

そのためには、具体的なイメージを細部にわたり描くようにする。

六根をフル動員してイメージを作り上げていくことで、よりリアルな理想の霊界が作られてくる。



この三つのポイントが合わさった時に霊力は発揮されるわけです。

どれか一つでも欠けても、霊力は上手く発揮されず空回りするので、絶対に外せないポイントです。

しかし、最期にお話しておきたいこととしては、霊力は正邪を選ばないということです。

自分の心の中に他人にたいする愛の念や神仏に対する真心がなければ、どんなに強い霊力を獲得したとしても、却って霊力に振り回されてしまう結果になります。

霊力を本当の意味で使いこなすためには、人格を磨き、心の修養が必要であることは覚えておくとよいでしょう。



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こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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