守護霊の華麗なる?生活(その3)

守護霊は霊界での活動、現世で生きる私達の人生を導くお役と大忙しです。

本当に寝る間も惜しんでという言葉を思い浮かべてしまいますが、ここでふと気になったことがあります。

守護霊って眠ったりするのかな?

まあ、普通に考えれば、霊界で活動する存在である時点で睡眠が必要とは思えないので、不眠不休で働いておるのだろうなと想像はしています。

でも、現世の人間だってどこかで休息を入れないと気水が枯れて(気力が消耗して)疲れ果ててしまうのだから、守護霊だって肉体はないとはいえ、どこかで休息の場があるのではないかと思ったりもします。

そこで、はっきりいってあまり、魂の教育には関係ないと想いつつも、守護霊に質問をしてみたことがあります。(笑)

天心:「守護霊様は睡眠は取られないのですか?」

守護霊:「眠りはせぬ。が大きな霊波動の乱れを感じた場合には養生の霊域*1にて癒しを受ける」

天心:「ああ、なるほど!どのくらいの頻度で訪れるのですか?」

守護霊:「数年に一度程度である」

天心:「それでも数年に一度くらいなんですか。。」

守護霊:「我ら守護の魂は眠らぬが、眠っておる霊人も時にはいる」

ええっ~!この言葉には正直びっくりしました。

霊人が眠るなんてありえないでしょう(笑)

天心:「そんなことあるんですか?(興味津々)」

守護霊:「うむ、困ったことであるがな」

天心:「困ったこと?」

守護霊:「観てみるが早かろう」

守護霊がスーッと霊視のヴィジョンから消えて、代わりに少し、薄暗い感じの寂しい気の漂うところが見えてきます。

大きな箱のような、チョコレートの箱というか一つ一つワッフル上に区切られた大きな箱の中に多くの人の姿が見えます。

まるで、その一つ一つの四角い穴に収まるように霊人達は仰向けになり、すやすやと眠っているようです。

ハッキリ言って目が点です。(笑)

なにこれ~♪面白い!?初めてみるヴィジョンにちょっとテンションが上がります(笑)

守護霊のお話によるとこの人達は「永眠」しているのだそうです。

永眠しているというと、私達、現世に生きる人間にとっては、お亡くなりになり永遠の眠りにつくことを意味していますよね。

もちろん、この言葉は一つに死亡するということを露骨に現わさないための、優しい表現ではあるわけですが、時々、本当に死んだら永遠に眠りにつくと確信してお亡くなりになる方がいるとのことです。

そういう気持ちでお亡くなりになるとそのまま、本当に眠っている(かのようなボンヤリした)霊界に逝ってしまうとのことです。

実際は霊界には現世的な意味での睡眠はありませんが、寝ている感覚だけの霊界に止まるという不思議な状態に逝きついてしまうとのことです。(汗)

この霊界は、一見穏やかで平和に見えますが、やはり霊界としては下部霊界に属し、大きな苦しみや哀しみもないかわりに、楽しいさや感動、意欲といった気力的な部分はそぎ落とされて、ぬるま湯のような霊界を形成しているということです。

う~ん、ずっと眠っていられるなんて、ある意味、天国では?(笑)なんて思ったりもしましたが、そうは問屋がおろさないようです。(なんか変な表現ですが(笑))

いずれかは、上部霊界より降り下ってきた神霊達にたたき起される運命にあるようです。

よりよい霊界に旅立ち、魂の向上を目指すという使命を完全に忘れてしまっている霊人達に、文字通り「目覚め」て頂かなければならないからです。

なかなか起きないようですが(笑)、彼ら霊人が目覚めた時には、とっても後悔するようです。

惰眠をむさぼり、自分の魂を穢していたことに気づくわけなんですね。

丁度、私達がダラダラ人生を寝て過ごしていて、気が付いたら結構な歳になっていて(笑)、ショックを受けるのと似たところがあるのかも知れません。

私達もうかうか、寝てなんていられませんね!

今生も精一杯、魂の向上を目指して頑張ってまいりましょう!


*1 「養生の霊域」に関しては、『新説・霊界ストーリー 【霊界探索-養生の霊域】』をご参照してください。


◎クリックご協力ください!




スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

守護霊の華麗なる?生活(その2)

本当に毎日思うのですが、守護霊は大変だなと思います。

特に私の守護霊は大変だと思うのです。

わざわざ、霊波動の低い霊界に合わせて浄霊をしたり、守護霊アドバイスなどの時に相手の霊界にアクセスした時に被る邪気などは、私自身も苦しめられますが、守護霊も一緒に被っているのです。(苦笑)

私が利他愛でこのような活動を行う時は、必ず守護霊は一緒についてきてくれているのです。

本人が自分の我を捨てて物事に打ち込む時、守護霊はいつだって傍にいます。

だから、私がドロドロの下部霊界にまで降り下る時には、守護霊も覚悟を決めてついてきています。(笑)

死なばもろとも(といっても守護霊は死にませんが(笑))といった感じですね。

本当にご苦労様ですと言いたいところです。

人というのは不思議なもので、なるべく苦を避けようとして楽に流れる傾向があります。

しかし、楽にいこう、楽にいこうとすればするほど、異に反して大変になったりすることもありますね。

これって守護霊から観ると、ある意味、楽にいこうとする人の守護は簡単だったりします。

なにしろ、間接的な遠隔守護で良いわけなので、守護霊の意図としてはともかく、単純に考えると楽なわけですね。

でも、守護されている当人からすると守護霊の守護が薄くなるので、色々と現実的には難儀な部分が発生してきたり、ここぞのピンチを乗り越える気力が湧いてこなかったりするわけです。

当人からすると楽な道を選んでいるはずなのに、苦労が多い(笑)

そんなことになる場合もあります。

代わりに守護霊が楽をしていたりして(笑)、なんだか笑い話のようです。

だから、逆に一念発揮して逆境に向かって、苦労も厭わず、進む時には、以外とすんなりと壁を越えてゆくことができてりもするのです。

本当に不思議です。

これはひとえに守護霊が背後で頑張って助力を与えてくれているからなんですね。

このように守護霊という存在の働きは、得てして人が考える傾向の逆をいくというところがあるのです。

難儀を避けよう避けようとすると余計に難しくなり、負けるものかと奮起して立ち向かうと守護霊の守護とともに勝負にも勝つ。

こういう守護霊との関係を築くコツを早く体得することが、運の良い生き方をすることにもつながるのかなと思います。

さて、守護霊のこのような大変な毎日は、ちゃんと報われているのでしょうか(笑)

大抵の場合、守護をしていても、ほとんど無視されることが多く、感謝されることも少ないわけです。

それでも、いつでもどこでも、愛を持って、その人がちゃんと魂の成長を遂げることができるように導いてくださっています。

いくら、愛を持つ守護霊といっても、使命感だけでは、このお役を全うするのは難しいのではないかなと思いませんか?

不思議に思い以前、聞いてみたところ、「常に神界からの霊功(れいこう)をもらっている。心配するでない」と言われたことがあります。

霊功とはなんですか?と尋ねると魂の栄養となる功績を現わすもので、大きく蓄えてゆくと、より神界に近づくことができる存在になることができるそうです。

なんだか守護霊のお給料のようなものなのでしょうかね(笑)

それは守護霊にしかもらえないのですか?とさらに聞いてみたところ、神界からのお役を頂くことができれば、誰にでも授かるものとのことでした。

誰にでも?ということは生きている人間にも授かることができるということですね。

どうしたら神界からのお役を頂くことができるのでしょうか。

ちょっと興味がありますよね。

つっこんで聞いてみたんですが、まだ、教えてはくれないようです。

いつか教えてもらうことができたならば、発表できたらなと思います。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

Be gentleman(紳士であれ!)

「少年よ。大志を抱け!」

この言葉は日本人ならば一度は耳にしたことがあるくらい有名な格言ではあります。

でも、この言葉が実はウィリアム・スミス・クラークというアメリカ人の発した言葉を邦訳したものだということを知らない人は多いかも知れません。

原文は、「Boys, be ambitious」なんですね。

この方は、日本の札幌農学校(現・北海道大学)の初代の教頭を務められた方でクラーク博士という呼び名で親しまれています。

この方の残した、「Boys, be ambitious」は、とても有名になり、日本でも愛される格言であるわけですが、もともとは、クラーク博士が札幌農学校を去る時に生徒達に残した言葉であったりもします。

私もこの言葉は大好きですが、実は、一番好きな言葉は別にあります。

それは、「Be gentleman」、邦訳すれば「紳士であれ!」という言葉です。

クラーク博士が、札幌農学校を始めて訪れた時、学校内に貼られているある張り紙をご覧になりました。

その貼り紙には、学校の規則がずらずらと並べられていたと言います。

内容としては、「○○するべからず」「○○を禁止する」などといった学校内での掟のような感じで、禁止事項がずらずらとまるでモーゼの十戒のように並べられていたわけです。

それを観たクラーク博士は、その学校規則をすべて廃止にして、一言に集約してしまいました。

その一言こそ、「Be gentleman(紳士であれ!)」でありました。

当時の日本は封建的で非常に縦割りの厳しい教育がメインでありましたので、生徒たるものが犯してはならない規則、ルールというものをビッチリと教え込むというのがお約束でもありました。

生徒も先生からはビシビシ鍛えられて喝を入れられるのが当り前な雰囲気でもあったわけです。

しかし、クラーク博士はそんな自由もない志も失わせてしまうような、がんじがらめの校則を破棄し、生徒達の自主性を信じたのです。

私はここにクラーク博士の心情を伺うことができることから、この「Be gentleman」という言葉が大好きなのです。

私自身もなるべく、条件やルールや決まり事を厳しく作らないようにしているのは、この言葉の影響もあるのです。

「○○してはいけない」というような拘束で縛りあげるのではなく、「どういうふるまいが紳士たるもののふるまいなのか」を考えさせることが大事なわけですね。

考えてみれば、紳士とはなんであろう。

ともて抽象的な言葉であり、どうふるまうことが紳士であるのか一見しては具体的にはわかりません。

でも、その意図するところは、自主的にマナーを守り、人に優しさを表し、つねに感謝の気持ちをもって行動する。

そんな人に自分がなるとしたらどうふるまうべきなのか。

本当のgentlemanならば、どうすべきなのかを考える。

このことこそが、もっとも大事な学びなんだよと教えてくれているように感じるのです。

だから、私も色々細かいことや具体的な禁止事項を列挙したり、ぎちぎちに決め込むことはなるべくしたくはないという想いがあるのです。

もちろん、それでもある程度、具体的なルールや条件などを設定しないとわかりにくいという点もあるわけなので、そのあたりはバランスを考えないといけないところではあります。

でも、本当の心根の奥にはいつも、この「Be gentleman(紳士であれ!)」があるのです。

ルールで決まってないんだから何をしたっていいだろ?

とうそぶく人も世の中にはいますが、私は、ルールで決められるよりも、自らgentlemanに近づくためにはどうすればよいかを問い続ける人生を選びたいと願っています。

そのような気持のある人が集えば必ずや、世の中のありようも変わってくるのではないかと思うのです。

主体性を持って、自分が紳士たるにはどうあるべきかを考える。

そのような気持がもっと世に広まることを密かに願っています。


「Be gentleman(紳士であれ!)」


天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【重要】鑑定ご依頼のけいこ様

けいこ様


天心です。

ご指定の新しいアドレス(hotmail)に再送したところ、エラーとなって返却されてしまいました。

再度、トライしてみましたが、同じようにエラーとなります。

一応、直近で頂いた確認のメール(yahoo)の方のアドレスに再送しておきました。(エラーは発生していません)

ただ、前回、届かなかったこともあり、今回も送信されていない可能性もあるので、ご確認後にご一報頂ければと思います。


天心 拝

【重要】鑑定ご依頼のけいこ様

けいこ様


おはようございます。天心です。

昨日の午前中に一つご依頼のご返信をさせて頂きましたが到着されていますでしょうか?

返信後にカギ付きコメントにて、再度、ご依頼の確認となるようなコメントをお寄せ頂いたので、もしかしたら何らかのメールトラブルで到着していないか、あるいは迷惑フォルダに入ってしまっていないか心配となり、お知らせ記事にて確認を取らせて頂くこととなりました。

ご確認の上、到着、不到着だけでもお知らせ頂けると幸いです。


天心 拝

守護霊とライフスタイル

このブログやFGSの会では、守護霊との交流を推奨しています。

頭で理解するよりも、自らの生活の中で守護霊との交流を行い体感、体験を通して学ぶ方がより、深く認識できるからであります。

どうしても、ブログを読んでその場で理解できたつもりになってしまうと頭でわかったつもりになり、いつしか守護霊のことなど気もとめなくなることが多いのです。

人にはそれぞれのライフスタイルというものがあります。

一日の過ごし方、一カ月の過ごし方、一年の過ごし方とつぶさに観察してみるとある生活の傾向というものが見えてくるはずです。

日々、全く異なる生活を送っているという方はなかなかいらっしゃらないはずです。

大抵はある程度のパターンがあり、そのパターンから大きくはずれる行動は取らないことが通常です。

逆にいえば、ライフスタイルのパターンに守護霊との交流というものを入れ込んでしまうと続けるのは楽になります。

私がお勧めしたいのは、朝起きた時の守護霊様へのお祈りと夜寝る前の守護霊様への感謝のお祈りです。

朝起きた時というのは、一日をスタートさせる大事な瞬間です。

一日何をしてどのように過ごすのか。

一日分の目標を立ててそれを守護霊に誓うのです。

その誓いを聞いた守護霊はその誓いをサポートするように動いてくれるはずです。

毎日毎日、守護霊に朝誓いを立ててお祈りしていると最初はよくわからなくても、一カ月、三カ月、半年、一年、三年と続けてゆく時、大きく成長できている自分を発見するはずです。

守護霊を見方につけるには、もっと交流の回数や度合いを深めていくことが大事でもあります。

そのためには、ライフスタイルの中に組み込み、習慣化することが重要になるのです。

朝の誓いの祈りを行ったならば、今度は夜の感謝の祈りも大切です。

朝の誓いの祈りに従って、守護霊は一生懸命に動いてくれています。

これに対する感謝がないとどこか守護霊におんぶにだっこな自分を作ってしまうことになります。

だから、必ず誓いの祈りと感謝の祈りはセットでなくてはなりません。

よく感謝の祈りだけ、誓いの祈りだけという人がいらっしゃいますが、それでは片手落ちということになります。

右手と左手を力強く合わせ叩くと柏での音がなるように、誓いと感謝の祈りの両方を打ち鳴らすことで、守護霊との交流は深まっていくことになります。

理屈より実践が大事です。

そして、実践を進めていくためにはライフスタイルとしてこのことを組み込んでいくことが大切になるでしょう。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

霊界から観た「ご縁」とは(続き)

霊界から観た「ご縁」とは』の続きのお話に入りたいと思います。

前回のお話は、「ご縁」の本質について述べさせていただきました。

一つは「関係性」であり、その関係性は、過去世にまでさかのぼることができるというお話をさせて頂きました。

しかし、その本質は実は同じ要素を持つ者同士が引き合うことによるということをお話したところで終わっていたかと思います。

本来、良いご縁とは魂からの発露である、天命に必要なものを引き寄せることを言います。

今生であれ、過去世であれ、魂の望む天命成就に必要不可欠なものを無意識のうちに求めるため、ご縁が引き寄せられるわけです。

ですから、まずは良いご縁を育む方法としては、素敵な夢を描き、そこに向かおうとする、あるいは天命を知りそこに近づこうとするそのような意識を持ち、言動、行動を取り続ける時に、どんどん良いご縁が育まれてくるということが言えるのです。

まっすぐな心で魂を輝かせていくと、良いご縁はどんどん作られていくことになるわけです。

過去世からの継続された縁のみならず、今生でも新しい縁が作られてきます。

ですから、大切なことは、古い縁ばかりを観るのではなく、今生、全く新しい縁を作り、その縁作りは自分の持つ志、夢、希望というものを起点としていくことであります。

過去世で夫婦であったり、兄弟であったりする人とはとても、懐かしい感覚を覚えるかも知れませんが、その縁に囚われる必要はないということです。

そして、何より、古い縁に囚われてしまうと逆にその縁の中に悪縁が混ざっている場合には、その影響を受けてしまう可能性もあります。

例えば、過去世で兄弟であったかも知れないけれど、お互いに進むべき道が異なる天命を持っていた場合、今生ではあかの他人として生まれてくることもあるでしょう。

その時に過去世の懐かしさの感覚に惑わされて今生のテーマを生きられないというケースもあります。

また、過去世ですごい大酒飲みで博打や無法を繰り返していた時があった場合にその時できたご縁というものは、大抵、今生にも暗い陰を落とす存在となったりすることがあるのです。

なので、ご縁があるイコール幸せに繋がるとはかぎらないということです。

もし、自分をマイナス方面に引っ張っていくご縁であるならば、これを断ち切る必要があります。

悪縁を断ち切るための方法としては、まず一つは関係性を断つということがいえます。

縁とは関係性なので、いかに過去世にいわくある縁があろうとも、今生で関係性を断ち切れば、影響は薄くなっていくのです。

これがまずは一つ。

しかし、霊界から観た縁は、今生で関係性を断ってもまだ存在し続けています。

これをどうするかということになります。

この答えとしては、魂の脱皮を図ることです。

別の言い方としては、全く今までの自分とは異なる次元の発想、行動、志を持ち、新しい自分を確立した時、霊的な縁も断ちきれることになるのです。

これは、縁の本質から考えると良くわかります。

縁はその人に似たものあるいは、必要と思われるもの、関係性があるものが引き寄せられるということを意味しています。

だから、その人自身が大きく変わってしまうと、その人に存在していた縁の本質が変わってしまうため、ガラリと縁の内容も変わってしまうのです。

具体的には、人間関係が一新されたり、お仕事のフィールドが変わったり、現実的にも大きな変化が起こってきます。

今までの自分を引きずるからこそ、縁はどこまでも続いていくことになるのです。

ですから、ご縁というものに関しては、良いご縁を育むために、より高い境地の自分への脱皮が必要だということです。

悪縁も良縁も全ては過去からの継承した関係性に過ぎません。

大事なことはそれを脱却していき、さらにもっと素晴らしい縁を組み直していくこと。

ここに本来のご縁というものの見方、考え方というものがあります。

自分の魂を成長させて脱皮させてゆくことは、ご縁を越えてゆくということでもあるわけです。

この点を是非、忘れないで頂きたいと思います。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

霊界から観た「ご縁」とは

私達は現世において様々なご縁を頂いて生活をしています。

良き伴侶となる縁もあれば、お仕事におけるパートナーを組む縁もあります。

子供を授かったりするのも縁であり、こうして私のブログを読んだりしているのも一つの縁ですよね。

そこで、今回は、「ご縁」というものについて少しお話してみたいと思います。

まず、通常、縁としった場合には何を指しているかといいますと、それは「関係性」です。

ある人ととの出会いであったり、ある職業との出会いであったり、あるモノとの出会いであるかも知れません。

出会いがあって、縁が生じるわけです。

すなわち関係性が生まれることが、縁なわけですね。

だから、私達は生きているうちに様々な縁を作りながら生きているということも言えるわけです。

しかし、ご縁という言葉にはもう一つの意味あいがあります。

それは、なぜ今生で出会うことができたのかという偶然の産物をご縁と呼ぶことがあります。

これについては、霊界から観た「ご縁」というものを考えてみるとわかりやすいと思います。

私達は現世において奇遇ともいうべき出会いを経験することがあります。

はじめて会うはずの人とずっと前からの旧知の間柄のように感じたり、はじめて体験することであるはずなのに凄く自分にフィットして違和感を感じないなんてことがあります。

これは、主には過去世からのご縁の継承によることが多いといえます。

平たくいえば、過去世で非常に近しい間柄の人物である場合、今生で再会する確率も高くなるわけです。

過去世で自分が持っていたテーマは今生でも懐かしく感じる場合もあります。

知らぬ間に自分が求めて、今生でも縁を作ってしまっているというのが、霊界から観たご縁の正体でもあります。

しかし、これでもまだ、疑問が残りますよね。

過去世の縁が継承されて今生でも縁ができるとしたら、その過去世での縁はどこからきたものなのだろうかと(笑)

そのまた過去世から来たものであるという答えもあるかと思いますが、それでは堂々巡りになってしまいますよね(笑)

この答えに一つの終点を見出すためにも「ご縁」というものをもう少し本質的に観ていくことにしましょう。

そもそも、ご縁が発生するメカニズムとして、その人の持つ意識というものがあります。

意識の波長という言い方をしても良いと思いますが、その波長に合うもの同士引き合うという原則があります。

ある似たものを持つ、そして自分が必要とするものを持つ人やモノ、現象というものは互いに引き合う性質があるということです。

これは今までお話してきた霊界法則を考えても同じことがいえます。

同じ霊界を持つものは共有しあうという法則も、同じ縁のある霊界を持つ人が引かれ合うというようにも説明することができるでしょう。

このようになぜ関係性が生まれるのかという点を観ていくと縁というものの本質がわかってくることと思います。

「ご縁」を大切にしましょうという表現がありますが、「ご縁」とは自らが求めたものである可能性が高いからこそ、そのような発想があるわけですね。

しかし、「ご縁」と言っても、必ずしも良いものばかりとは限りません。

あきらかに自分にとってマイナス方向に向かわせる場合もあります。

俗に言う悪縁や腐れ縁、因縁なんていう言葉もあることから、縁が必ずしも良いことばかりを運ぶわけではないということはいえるでしょう。

ですから、まず、自分に縁があるものがどのような性質であるものであるかを自分自身で見極める目を持つことは大事かと思います。

その上で、縁を育むのか断ちきるのかを判断していく必要があることでしょう。

ちょっと長くなりましたので、次回に続きたいと思います。

次回は、縁を育む方法縁を断ち切る方法についてお話していきたいと思います。


・・・続く


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

家を神域に変える方法

少し前「トイレの神様」という歌が感動的で泣ける歌ということで静かなブームとなっていましたが、その歌の中にもあるように家の中には神様が宿ることがあるということを今日はお話してみたいと思います。

神様というと決まって、神社特別な神域にいかなければ交流することができないという観念があるものですが、そうでもないのです。

そもそも、神社といっても、もとから古くから神霊が降りる地場となっているフィールド以外には、「勧請」という儀式を持って神霊をお静めしている社もあるものです。

必ずしもその地域と場所に密着した社ばかりではないということです。

お家に神棚を祀り、神霊が降り下ればそこは列記とした神社であります。

小さくはあっても神霊が降りる社であれば、そこは神域なのです。

では、社がないお家に関してはどうなのでしょうか。

お社はヒモロギであり、神霊が降り下るシンボルでもあります。

しかし、それがなくても家に神霊が降り下ることはあるのです。

それはどんな場合かといえば、その家の主がしっかりと神霊と接霊し、その真心を持って家を清め掃除を怠らなければ、その家は神域と化してきます。

単なる部屋であり生活のための場所とだけ考えれば、そこは単なるスペースに過ぎません。

しかし、そこを神域だと思い、神社であるかのごとく想いを馳せて、真心から掃除して清めてゆくと本当に神霊が降りてくる神社と変わりない空間が生まれてくるのです。

だから、トイレ掃除だけでなく、部屋全体を掃除する時には神様をお呼びするという気持ちで行うと段々、部屋が浄化されてくるのです。

この真心と清めの行いが神霊を呼ぶわけですね。

ですから、折角、お掃除をするのであれば、単なる掃除だけでなく、自分の部屋を家を清めるつもりで行ってみることが良いわけですね。

お掃除一つでも心がけが異なれば全く意味が違ってくるものです。

日常の一つ一つを振り返ってみて、そこに真心をこめてゆけているかどうかを確かめてみるのも良いかと思います。



◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

惻隠の情こそ御魂の発露

人間の本性を語る上で大きな思想の潮流として二つの考え方があります。

一つを性善説といい、一つを性悪説といいます。

性善説は主に孟子などが説いた人間の本性についてのお話であり、人間は本来的には善なるものを持っているという主張であります。

一方で性悪説は荀子などが説いています。

これは性善説の真逆で、人間の本来の姿は悪であるとするものであります。

その根拠については、人は放っておけば、自分のエゴのままふるまってしまう性質をあげています。

例えば、法律などで禁止されていなければ、人のものを盗んだり、暴力をふるったり、やりたい放題になってしまう場合があります。

よく何か混乱が生じ、政府が機能しなくなった国で暴動が起きて、暴徒と化した国民がショッピングモールを襲ったり、暴力をふるったりするような事態になる光景をテレビなどで見かけることがあります。

性悪説はこのような現象を冷徹に見つめて、人間は法律などで制御しなければ間違った行いに走ってしまうということを主張しているわけです。

現在の国家のあり方は、法律により、国民の行動を制御していることからもわかるように、基本的な考え方は性悪説に基づいているといえるわけです。

このような事実を踏まえると性善説は間違っているのか?と思えてくるかも知れませんね。

しかし、そうではありません。

孟子は性善説を説く根拠として、「惻隠(そくいん)の情」というものを掲げています。

これは、人間の本性に必ずある善なる心根のことであります。

例えば、まだ、よちよち歩きの乳飲み子が井戸の渕につかまり中を覗こうとしているところを目撃したとします。

それを観た人は「危ない!」と考える間もなく、この幼い子供を助けようとするはずです。

この時の行動が惻隠の情というものであると孟子は言っています。

決して心の中で自分の利益を考えて行動したわけではなく、ただ、目の前に命の危険がある子供を助けなければという一心で人は動くことがあるということです。

この惻隠の情があることこそが、孟子が性善説を信じる根拠になっているわけです。

この惻隠の情は御魂の発露であるとも表現することができます。

御魂は本来、善なるものの塊のような存在です。

なにしろ神様そのものの分魂なのですから、あたりまえなのですね。

でも、残念ながら、その御魂をエゴという霊体が覆ってしまっています。

だから、いつだって、人はエゴに囚われた瞬間から御魂の輝きを曇らせてしまっているわけです。

このことから、人間を単純に悪か善であるかを分けることはできないことでしょう。

大切なことは、本来持つ善なる御魂を発動させて、エゴを少なくしていくことにあると言えるのかもしれません。



◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

限界を越えてゆく生き方

体調の方としては、熱はなんとか下がり、身体の重さは相変わらずですが、なんとかこうしてブログ更新を行っています。

先ほど、遠隔浄霊の取次を終えましたが、まだ、取次や鑑定依頼で完了していない案件があるので、後ほど余力があれば、少しでも返事をしていきたいと思っています。

体調不良のことをブログにてお話したことで、読者の方からいたわりや心配のお声を頂いたりしていますが、ぶっ倒れるほどの無理はしないつもりですので、どうかご安心ください(笑)

私も無理やり行うということは、あまり好まず、むしろ、人には無理をしないようにしてくださいと言っているくらいです。

なので、あまり無理をしているつもりはないのですが、苦しくなればなるほど、それを跳ね返そうとする気力も湧いてくるのです。

苦しみの中に身を置くことでしか得られないものがあるものなんですね。

今生のテーマとして、自分の限界を越えてゆくというものがあります。

自分はこれが精一杯という思い込みはだれしも持っているものですが、その観念を越えてゆくことが自分の限界を越えてゆくことに繋がるわけです。

苦しい時にはどうしても、人は弱気になり、自分はもうこれ以上は進めないのではないか?と思ってしまいがちです。

もちろん、本当に限界まで来てしまっている場合もあるでしょうけれど、本来、人の可能性に限界はないのです。

限界だと決めた瞬間からそこが自分の行く手を阻む壁となるわけです。

だから、本来は無理はしない方がよいのですが、時にはこうして、自分を甘やかさずに苦しみに負けずに立ち向かってゆくことが必要なのです。

平平凡凡にただ、無為に時を過ごす一生を送るつもりであるならば、そんな無理は必要ないでしょう。

でも、自分の限界を越えてゆく一生を送りたいと思うならば、腹を決めて頑張る瞬間がどうしても必要なのです。

そんなわけで、ボーっとする精神を奮い立たせながら、今日もこうして、ブログでのお話をしています。

魂の向上のためにやるべきことをする。

それが私の生き方であり、また、スピリチュアルなものの考え方を持つ人の在り方ではないかと思っています。

限界を越えてゆこうとする時、魂は光を放ち輝きを増します。

今日も一つ学びを進める。限界を越えて。


天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【2011年11月度】神田明神への参拝

まだまだ、体調不良を引きずっている状態ではありますが、昨日、11月度神田明神様への月例のお礼参りに行って参りました。

取次を受けられた皆様から頂いた真心からのご寄付の一部を奉納させて頂き、ご神徳の追い風がその方々に吹かれますことを取次するための大切な参拝です。

本来は、月が変わり、準備が整い次第、参詣すべきだったのですが、なかなか、今月は事情がありどうしても調整がつかなかったために、半ばの時期まで押してしまいました。

体調が芳しくない時に詣でるのは避けたかったのですが、ずるずると先延ばしにするのは、神様に対し不敬ともいえますので、身体に鞭打ち、向かったわけです。

そのように覚悟を決めてゆくと不思議なものです。

一時的ではありますが、その瞬間だけは、体調が復活して、いつも以上に真心の極まった状態での参拝をすることができました。

あえて苦難に負けずに神様に向き合おうとする時には、神様もそれに報いる神徳を授けてくれるものなのかも知れません。

無理をし過ぎてはいけませんが、あまりにも自愛だけでは、得られぬものもあるのですね。

たとえ、へろへろな状態であっても、それに屈せずに情熱を燃やして向かう時に、神がかり的な機運が来る。

いつも苦しみや嫌なことから背を向ければ、よけいに苦しさは増すばかり。

これが一つの法則であるのかなと感じます。

さて、今月も献灯をさせて頂きました。義援金の募金箱が神田明神から異動してしまったようで、見当たらなかったため、義援金は、別の神社・仏閣参拝の時にでもさせて頂ければと思います。

最後に神田明神様からのメッセージをご紹介してご報告を終わりたいと思います。


--------------------


山岳に詣で清らかな気に触れるも良いが

身近な家内を神気あふれる斎庭(ゆにわ *1)とする

このことよくよく心致すこと

全ては足元にあり

瑣末なること軽んずれば

大いなること成り立たぬと知ること



--------------------


少しだけ簡単に解説しますと、清らかな場所を求めて詣でるのも良いけれど、自分の身近な場所を清めていくことが大事ですよという主旨になります。


天心 拝


*1 斎庭(ゆにわ)とは神霊が集まるフィールドのこと



◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

霊界と霊層

今回のテーマは「霊界」と「霊層」の違いについて少しお話してみたいと思います。

私は度々、霊界という言葉と霊層という言葉を使って様々なお話をさせて頂いております。

以前、霊格と霊覚の違いについての質問をされた経緯から、この違いについてのお話をさせて頂いたことがあります。

よく使う言葉なのですが、定義をしっかりとお話したことがなかったため質問を受けたわけです。

そこで、霊界、霊層という言葉も一度、定義してお話しておく必要があるかなと思いまして、今回は霊界と霊層のことをテーマにお話してみたいと思います。

まず、霊界についてですが、これは共有意識が織りなす心の世界であるということは既に何度もお話はさせて頂いています。

さらに霊界には上部と下部の違いがあることもお話させて頂いています。

だから、様々な霊界が存在しているわけではありますが、霊界の違いは、単なる上部と下部の違いだけで表せるものではありません。

例えば同じ上部霊界であったとしても、共有意識の持つ概念によって大分異なるからであります。

例えば、平安時代とかに立派に生を全うし、上部の霊界にまで霊格、霊覚を昇華できた霊人がいたとします。

この霊人が所属する霊界は上部霊界になるわけなんですが、どのような霊界かといいますと、ほのぼのとした暖かき日差しの中、お茶会を開いたり、和歌を読みあって楽しんだりしています。

蹴鞠をして、遊んでいたりする場合もあるでしょう。

この霊界には現代人が楽しく感じるエンターテーメントは存在しません。

なぜならば、その時代に生きた人達の共有意識で出来上がっているので、大抵は、その時代に即した楽しみや幸せの形が霊界では具現化されているわけです。

もちろん、霊界にて修行されて、様々な自分が知りえなかったことを知り始めると現状の霊界からの異動ができるようになるので、新しい楽しみ方や幸せの形が具現化された霊界へと移動する霊人もいることはいます。

ただ、亡くなられた直後にいらっしゃる霊界としては、その方の生きた時代の状況などが色濃く反映された霊界がつくられることが多いということです。

例外としては聖徳太子などの生まれながらにして非常に霊格、霊覚が高い方などは、その時代の枠を飛び越えた霊界に生きながらにおられた方もいます。

聖徳太子は、生前、地球儀を作ったと言われています。

時代的にはまだ、地球が球体であるとは誰も考えもつかなかった頃です。

未だにこれはミステリーとして語り継がれていますが、これは聖徳太子が既にその時代を越えて未来には常識となっているであろう知識を既に得ていた証でもあります。

霊界も当然、その時代の枠を超えたものに感応していたことが伺えます。

このように上部の霊界と一口にいっても様々な個性があるわけです。

単純に割り切ることはできないといえます。

では、霊界に比べ霊層とはいかなるものを指しているのでしょうか。

これは、一つ一つの霊界に関する純度を指す場合と、神界を起点とした霊界間の比較による階層を表しています。

霊界に関する純度とは、同一霊界であっても、その霊界にどれだけ深く感応して一体化しているかにより、影響力も明るさ、暗さ、暖かさ、冷たさ、楽しさ、苦しさ、等の差異があるということを意味しています。

同じ上部霊界で同じような暮らしをしていても、そこで受け取る感覚的な影響力の強さが異なるわけです。

霊層が上がると同じ上部霊界であっても、より楽しく幸せに感じる度合いが高まるというように考えるとわかりやすいかも知れません。

一方、下部霊界の場合は、霊層が上がると少しずつ苦しさが軽減されてきて、真っ暗だった霊界の景色が少し薄暗い程度に改善されたりすることになります。

このように霊層とは霊界の内部的な階層を意味しています。

それから、上部霊界にも神界から観て近しい存在と離れた存在があるため、その差異となる段階の差を霊層という場合もあります。

このように言葉の違いにはそれぞれの意味があったりするものです。

少しわかりずらいところではありますが、これらの言葉の意味を理解した上でブログ記事やFGS会報メルマガなどをお読みになるとより一層の理解が深まることとなるのではないかと思います。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

好転反応と体調不良

ここ最近、ずっと濃い神霊達とのやり取りを行っていました。

FGSの会で新たに始めた霊法伝授のことなどを含めて、非常に深い学びの期間を送っています。

そのこともあってか、少し体調を崩し始めました。

「なんで神霊と繋がっているのに体調が悪くなったりするの?」

と不思議に思うかも知れませんが、ずっと強い神気に触れ続けていると、自分の魂の深いところに沈澱していた負のエネルギーが浮き出てくることがあるんですね。

丁度、ぎとぎと油をずっとお湯に漬けこんでおくと、こすっても取れない汚れも浮き出てくることがありますよね。

それと同じようにずっと強い神気を浴びて、魂の輝きが増すと少し、自分の状況に変化がある場合があるのです。

私の場合は体調というところで現れてきいています。

これを越えるとスッキリして、新しい自分に生まれ変わることができます。

今の体調不良は一種の好転反応なんですね。

スピリチュアルなことを深く学び、本当の意味で神霊と接することができはじめますと好転反応として、一見、悪いことのように見える出来事が現れてくることがあるわけです。

単に霊障とか、邪気を受けている場合もありますが、深く学び続けて、一旦、状況が悪くなったようにみえて、後々スッキリと解決する。

これが、好転反応の特徴ではあります。

後ほど、少し禊祓いをしていこうと思っていますが、皆さまにおかれましても、もし、深くスピリチュアルなことを学び、神霊と接するうちに具合が悪く感じることが起こってきた場合には、好転反応なのかも知れません。

ですから、ちょっと状況が悪化したように見えてもすぐになげかず、見守る必要もあるかと思います。

あわてず騒がず好転反応を受け入れて新しい自分へと生まれ変わるチャンスととらえることが良いのかも知れません。



◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】神様は創作されたのか?

こんにちは!

天心です。

質問コーナーの第十四弾です!

ご質問は、ぎょ様から頂きました。

この公開質疑応答は応募頂いたご質問に回答するという形式になっていますが、全ての読者の方にも普遍的な学びとなる内容になるようにお話しているつもりです。

個人的な質疑応答コーナーだと思わずに読んで頂けると嬉しいです。


【質問】


天心様のブログでは、様々な神様が登場されますが、その神様について伺わせてください。

神道の本を読んでいたところ、時の権力者の都合で創作された神様が多いことを知りました。

そういった神々は、実在するのでしょうか?

また、そういった神々を祀る神社でお祈りした場合、

実際に祈りは届いているのでしょうか?

以上となります。

何卒、宜しくお願い申し上げます。


【回答】


>神道の本を読んでいたところ、時の権力者の都合で創作された神様が多いことを知りました。

まず、誤解のないように申し上げておきたいのは、神道やそこにご登場される神様に対する解釈というものは、諸説が入り混じって世の中に流布されているということです。

中には神道書でありながらも、現実的な側面でのみ考察を加えて、宗教も神様も政治的な権力者の都合で作られたごとき説明をされることもあります。

確かに、他宗教の歴史などをひもとけば、祀りごとは、政ごとであり、祭政一致という時代もあったわけです。

そのような観点からみれば、権力者の都合で創設されたのではないか?という見方もできる場合もあるでしょう。

しかし、神霊界の実情からいえば、必ずしも現実的なそのような見方が正しいとはかぎりません。

なぜならば、神霊は人を媒体として現世に顕現できる依代(よりしろ)を霊界から指導して作らせる場合が多いからです。

一番わかりやすいのはシャーマンなどの霊的感性の優れたものを通して、現世に霊域を開かせたり、祠や社を創設させたりします。

その際の神様のお名前もシャーマンの取次によって導きだされてりしているわけです。

でも、これらのことも、うがった見方をすれば、シャーマンの手によって神様を創作したという見方をできるわけです。

どこまでも、見方を現実思考から行えば、全ては作り物の絵空事にとらえてしまうことも可能だということです。

神道の本といっても様々あるわけです。

少なくとも公平な目で見てゆくためには、様々な諸説を学びながらも、最終的には感性の世界のことは、自ら感得して悟ってゆかなければ意味がないということをわきまえる必要はあるでしょう。

ですから、まずは一つの神道の解説をされた本のみを観て、それを真として受け止めるのは早計であるといえなくもないでしょう。

さて、前置きが長くなりましたが、これらを踏まえて、歴史上で創作されたと思われる神様についてのスピリチュアル的な解釈についてお話してみたいと思います。

具体的な神様の名前が挙がっていないので、なんともいいずらいのですが、先ほども言いましたように、神霊というものは、現世にて顕現するためには、人を媒体とする必要があるということを申し上げました。

通常はシャーマンなどを通じて行うことが多いのですが、それだけとは、かぎらない場合があります。

シャーマンなどを通じる場合は、小規模な依代を立てるのが精一杯であったりします。

そこで、時の権力者などにあえて神がかり的な直感を与えて、大規模な国家を守るための依代を作らせるという場合もあります。

この時、時の権力者はそのことには気づいていない場合もあります。

単に自分の都合で作ったと想っていたとしても、大きな神霊界の働きかけが実は背後にある場合もあるわけです。

現実的にみたら、権力者の都合に見えても、神霊界からみたら、そうではないこともあるということです。

但し、権力者の創作したとされる神様がすべて、神霊界からの働きかけかどうかは、単純には割り切れません。

時には邪霊が神がかりを装い、人を操って依代を作らせる場合があるからです。

具体的な神様の名前もあがっていないので、これに関してはなんとも回答はできませんが、一つ注意点としてお話しておきます。

以上を持って回答とさせて頂きたいと思います。



◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

スピリチュアルにおける一番大切なこと

私達は今日という時代を生きています。

今生には様々なことが起こります。

良いこともあれば嫌なこともあります。

大変なアクシデントもあれば、思わぬ僥倖に合うこともあるでしょう。

人生の歩みというものは決して一定したものではなく、常に変動し、その都度、私達は対応を求められてくるものです。

だから、一定のこれさえやればよいという公式のようなものはないといえます。

書店に足を運べば、実に様々なノウハウの書かれた本を目にすることがありますが、いかなる書物も一つのヒントにはなっても、常に移り変わる現実の絶対的な答えというものはありません。

大切なことは何かに書かれた内容ではなく、一人一人の心の中で何を悟り、何を抱いて生きてゆくのか。

ここにあります。

私はこのブログではスピリチュアルというものをテーマにお話させて頂いています。

ですから、スピリチュアルという立場で様々な内容のお話をさせて頂いていますが、その一つ一つは枝葉であるということをまずは認識することが大事でもあります。

現在、このブログでは240近い記事の数をリリースしていますが、今なお無尽蔵に語るべきお話は出て参ります。

FGSの会の会報メルマガにおいても、さらに深く広く、お話をさせて頂いています。

しかし、この無尽蔵に出てくるスピリチュアルなお話というものは、元をただせば一つの太極から生まれ出たものばかりであるといえます。

太極とは、全てを包含する可能性のことであるともいえます。

これらの記事のお話などを通じて、最終的にはこの太極を悟って頂くために日夜、活動をしているわけです。

枝葉を収集することが目的ではなく、少しずつその枝葉を頼りに太極を悟って頂きたいという想いがあるということをまずは、お話しておきたいと思います。

さて、「スピリチュアルにおいて一番大切なこと」というテーマに入っていきたいと思います。

これは、先ほどのお話とも関係がありますが、スピリチュアルな枝葉の知識を得ることが一番大切なことではありません。

スピリチュアルな知識を得ることを通して、太極を悟ることが目的であるわけなんですが、それを得るために一番大切な心構えについてお話してみたいと思います。

それは、「全ての本質は御魂(みたま)にある」という人生観を持って生きることであります。

これは、あくまでスピリチュアル的な生き方を求める方にとって必要な人生観であるということを言っています。

もちろん、他の人生観があってもかまいませんし、明るく楽しく幸せに生きればよいという価値観で生きるのも悪くはありません。

自分の行っている事業の成功のために生きる人生もあるでしょうし、家族の幸せのためだけに生きる人生もあるかもしれません。

あるいは、趣味に没頭するという人生観なんてものもあってよいでしょう。

しかし、スピリチュアルというものを心において生きようとするのであれば、何はなくても「全ての本質は御魂(みたま)にある」ということを自覚する必要があるのです。

人は迷い多き生き物であります。

健康を害せば、生命を憂い、家族に争いが起これば、その騒乱に心を痛め、お金がなければ貧しさを嘆き、良き伴侶がいない寂しさを悔やんだりします。

あるいは、その逆で仕事で出世すれば喜び、子宝に恵まれれば幸せを感じ、家を立てれば一国一城の主となれたと楽しく感じることもあるでしょう。

人間であれば、どれも当たり前の感情かも知れません。

しかし、スピリチュアルにおいては、これらはまさに枝葉の出来事に過ぎません。

本来は御魂の状態や向上を促すための一つの方便にすぎないといえます。

この大目標を忘れて、枝葉のことに囚われ続ければ、いずれかは、本質を見失いことになってしまいます。

本質を見失えば、いつしか、迷いと憂いと浮足立つ心に囚われて苦しい道を歩むことになるでしょう。

その反面、本当に大切なことが何であるのかを悟った時、人は喜びと幸せに包まれることになるのだと思います。

「全ての本質は御魂(みたま)にある」

御魂の向上する人生こそが本当の幸せな人生であるという境地にて今日も一日過ごしていければと思います。


天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】霊界から観た死について

こんにちは!

天心です。

質問コーナーの第十三弾です!

ご質問は、zeruda様から頂きました。

この公開質疑応答は応募頂いたご質問に回答するという形式になっていますが、全ての読者の方にも普遍的な学びとなる内容になるようにお話しているつもりです。

個人的な質疑応答コーナーだと思わずに読んで頂けると嬉しいです。


【質問】


人間は生きていると死を意識して恐れたりしますが霊界から見れば死というのは単なる現象のひとつでお帰りって感覚なんでしょうか?

魂から見ればこの世の人生はほんの短い瞬きのようなもんなんでしょうか?

次に守護霊様クラスになると生まれ変わりはしないのでしょうか?


【回答】


zeruda様のおっしゃる通り、私達生きている人間はを怖れますね。

なぜ死を怖れるのかについての意見は人それぞれ、諸説がありますが、一番単純な解釈としては、肉体を統括する荒魂(あらみたま)を守るために付与された感情であるといえるのかも知れません。

死を恐れないと人間が現世にて魂向上の修行をする際に必要となる荒魂を簡単に失うことになってしまうからです。

だから、どんな人でも現世に生きているうちは、多かれ少なかれ死を怖れます。

良く言われる勘違いで「霊界を知れば死は怖くなくなる」というものがありますが、そう単純ではありません。

故人となってしまいましたが、アップル社元CEOのスティーブ・ジョブズ氏がハーバード大学の卒業式で行ったスピーチの一節にて面白いことを言っています。

「死んだら天国に逝きたいと想っている人でも、天国に逝くために死のうという人はいない」

ある意味、言い得て妙であると思います。

上部霊界の素晴らしさなどをブログで伝えたりしていますが、だからといって死んで霊界に逝こうと想ってもらっては困りますからね(苦笑)

現在、生きている内は、まだ現世でやり残したことがあるわけです。

だから、ある程度、死を怖れてもらわないと困ります。

では、霊界から観た場合の死とはやはり怖いものという認識であるのでしょうか。

ある意味、霊界では死んだ経験のある人が山ほどいるわけですよね。(笑)

それでも、死はやっぱり恐ろしいものなという認識なのでしょうか。

これに対する答えとしては、霊界の住人にとっては死とは概念に過ぎないということがいえます。

怖いという認識はありません。

ただ、あまりにも惨い死に方をしたり、現世に執着し過ぎている人が死ぬと魂の傷になったり、不成仏霊となってしまいますので、それを怖れるという感覚はあります。

霊界に帰るという言い方をしましたが、本当は死んで霊界に帰るのではなく、現世で生きている間も霊界に身を置いていて、現世的な「死」を向かえるとそこに「居る」というのが表現的には真実に近いといえます。

だから、霊界から観たら「死」は概念上のことでしかないわけです。

私達は生きながらにして霊界に存在し生活をしています。

でも、それには気づいていないだけなのです。

霊界と現世は物質的な制約、時間的制約などの違いを除けば同じなのです。

現世とは現わす世と書きます。

霊界を時間と物質的な制約を受けて反映されているのが現世なのですね。

ですから、死して霊的存在になった場合にも本来はすぐさま、霊体としての活躍が継続して行われるはずなのです。

ただ、現世での生活が長く、霊界の感覚(霊覚)が低くなっているため、霊界に順応するための通過儀礼となるいくつかの段階は用意されています。

しかし、それは、あくまで本来は霊的存在としての自覚を促すための方便なんですね。

霊界から観た死は怖いものではないけれど、現世に存在している人間の魂の傷になるような死に方をされることを怖れる。

これが一つの答えではないかなと思います。

>魂から見ればこの世の人生はほんの短い瞬きのようなもんなんでしょうか?

この事に関しては、「霊界における時間について」をお読みになってみてください。

>次に守護霊様クラスになると生まれ変わりはしないのでしょうか?

転生することはあります。

ただ、守護霊クラスになると分魂(ぶんこん)を持っていますから、ご本霊は霊界に止まり、分魂だけが現世に生まれ変わるということになるかと思います。


以上、回答になっていれば幸いです。


天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

誕生日の意義

秋の様相もいよいよ深まり、街路樹の葉もちらほらと茶色の色彩を覚え始めた今日この頃であります。

もうじき紅葉も本格的に秋の彩りを放つ季節柄、落ち着いて学ぶには良い時期であるかと思います。

今年も残すところ後、二か月弱でありますが、残りわずかなこの時期を無駄に過ごさずに過ごせれば幸いです。

さて、実は、本日、11月7日は私の誕生日でもあります。

38歳となりましたが、まだまだ、未熟さを隠せない半人前といったところです。

今日という日を再スタートとして、さらなる人生の学びのために日々を送ってゆければと思います。

また、メールやコメント、アメブロ別館の方では、プレゼント(アメーバのデジタルコンテンツ)等をいただきましたこと、この場を借りてお礼申し上げます。

プロフィールなどでは、誕生日などあまり隠さずオープンにしているため、気付いた方が様々なメッセージを送ってくださっています。

本当にありがたいことです。

今日は私の誕生日ということにちなんで誕生日というものの意義について少しお話してみたいと思います。

誕生日には大きく分けて三つの意義があります。

まず一つ目は、現世で生きて学び研鑽出来ることに対する感謝の想いを発することですね。

産んでくれた両親への感謝、自分を日頃支えてくれる友人への感謝、仕事があることへの感謝、学校へいけることへの感謝、美味しい食事が出来ることの感謝。

感謝する対象は様々ありますけれど、一番の感謝は今、こうして生きて学ぶことに対する感謝なんですね。

この機会を神様から与えられたことに対する感謝ということをまずは一番最初に持つことがスピリチュアルな観点から観た誕生日の意義でもあります。

誕生日というと、なにかしら自分がしてもらう、祝ってもらうということをイメージしがちですが、本当は感謝の念に立ち返り、新たな齢を迎える日にするということが大事な心構えでもあります。

次に大切なことは、自分の今まで歩んできた足跡というものを振り返り内省するということです。

人は何を行ってきたのかという過去の足跡によって評価されるものです。

今の自分を作り上げているのは、過去の足跡の積み重ねであったりします。

逆にいえば、その人の足跡を観てみれば、その人の本質が見えてきます。

どんなにその場しのぎで自分を取り繕うとしても、その人の人生の足跡をたどれば、一目瞭然に本質はさらけ出されます。

私も、ブログを作成して数か月がたちますが、毎日毎日、読まれる方の少しでも学びのキッカケになればとお話をさせて頂いています。

ブログ更新ができない日もありますが、それでも継続してこうして皆様にお話をしている理由は、足跡を残すためであるともいえます。

自分を振り返って一体なにを自分が足跡として残すことができたのか。

何もせずぼんやり過ごしてきたのか、しっかりと学ぶこと、それから学ぶことができたことを実践に活かす試行錯誤を忘れずに生きてこれたのか。

毎日、自分との勝負ですね。

足跡を残すことで後で自分を内省し、振り返ることができます。

振り返ることで、自分の半生をチェックしているわけです。

これが誕生日の二つ目の意義です。

そして、最期の誕生日の意義は、誓いを立てるということなんですね。

新しい齢を迎えて、新たな気持で人生を再スタートすることができます。

過去の足跡を振り返り、内省が終わったならば、過去に引きずられていてはなりません。

新しい息吹を自分に吹きこんで新しい誓いと志を立てるのが良いでしょう。

そうすることで、本当の意味で新しい自分へと生まれ変わる、誕生日となるのです。

志を立てて自分の人生を再スタートさせる今日の良き日に私は感謝します。

そして、私の足跡を振り返り、内省し、新しい自分へと生まれ変わっていければと切に願います。

ブログを読んでくださった全ての方に感謝を込めて。


天心 拝



◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】回忌供養に対する向かい方

こんにちは!

天心です。

質問コーナーの第十二弾です!

ご質問は、ねこうさぎ様から頂きました。

この公開質疑応答は応募頂いたご質問に回答するという形式になっていますが、全ての読者の方にも普遍的な学びとなる内容になるようにお話しているつもりです。

個人的な質疑応答コーナーだと思わずに読んで頂けると嬉しいです。


【質問】

一周忌や三回忌について。

法事をするときに気をつけることとして

あまり楽しそうにしてはいけませんか。

たとえば、歌を歌うとか、ビデオを流すとかです。

若くして亡くなった子供の場合、

お友達を呼んで、思い出を語り合ったりしてみたいのですが、

どうゆうものでしょうか。

また、親戚でもない友人を何人か呼ぶのは、結婚式でもあるまいし、

普通は、避けるものでしょうか。

よろしくお願いいたします。


【回答】


回忌供養については、二つの捉え方があります。

一つは現世的な意義、もう一つは霊界における意義です。

現世的な意義からいうと、回忌供養というものはしめやかに行われることで、故人を偲んだり、故人に関係の深かった方達が故人に思いを馳せる場ということがあります。

それなりの伝統的な作法や考え方、回忌供養の執行の仕方など、ある程度常識というものをわきまえる必要はあるかも知れません。

しかし、霊界においては少し事情は異なります。

霊界では回忌供養というものは、霊人が主役であり、現世の人達はその主役である霊人に対して真心を向けるのが筋ということになります。

だから、あくまで回忌供養のありようも供養の対象となる霊人がどのように思うかによって決まります。

故人が非常に礼節に厳しく、回忌供養とはしめやかに行うべきであり、厳正に伝統にのっとって行われるべきと考えていたような方であれば、そのようにすべきではあるでしょう。

封建的な作法や立場などに厳しい時代に生きた方の場合は、しめやかに行うのが一番良いでしょう。

しかし、現代的な感覚の方、あまり、そのような儀礼にとらわれない方の回忌供養などの場合は、別段、楽しく、友人を呼び、音楽や笑い声の中で行ったとしても問題はないのです。

大切なのは故人となった霊人の気持ちなのです。

ですから、今回のご質問の回答としては、現実的な視点で考えるならば、参加される方の都合も鑑みて、ある程度社会通念上の常識にかなった法要を営むのが無難であるとはいえます。

しかし、霊界から観た法要のあり方は霊人の御性格に合わせたやり方で行えばよいということになります。

現実的面と霊界面からみて調和のとれたやり方を行うのが最も適切な回忌供養のあり方かと思います。

伝統的な回忌供養のやり方で行った後に、有志の方達とだけの別のしのぶ会などを行うなどの方法などが考えられますが、こうでなければならないといった形式的で絶対的な決まりはないと想って良いでしょう。

霊界、現実、両方を鑑みて調整してみることが大切です。



◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【重要】ローマンカモミー様

ローマンカモミー様


天心です。

鑑定依頼のメールをご送付頂いたとのことですが、到着はしておりません。

コメント欄に記載のあったアドレスに鑑定依頼用のアドレスよりメール送信を行いました。

お手数ではありますが、そのメールが到着していたら、そのメールの返信により再度、鑑定依頼を送って頂ければと思います。

エラーの原因は不明ではありますが、他の方からのメールは届いています。

私の方でもドメイン指定などはしていません。

ご確認頂ければと思います。


天心 拝

【公開質疑応答】守護霊の助力はズルイこと?

こんにちは!

天心です。

質問コーナーの第十一弾です!

ご質問は、はむりん様から頂きました。

この公開質疑応答は応募頂いたご質問に回答するという形式になっていますが、全ての読者の方にも普遍的な学びとなる内容になるようにお話しているつもりです。

個人的な質疑応答コーナーだと思わずに読んで頂けると嬉しいです。


【質問】


守護霊についてのページを読んだり、守護霊のメッセージを鑑定してもらったりをしているうちに疑問に思いました。

知ってしまうことは、ずるいというか、楽をしていて良くないということはありますか?

人によっては、守護霊について何も知らず、誰かにアドバイスも受けず生きていく場合もありますよね。

生きる意味なんてないと思いながら、自暴自棄になってしまう人もいるのではないでしょうか。
(何も知らずにがむしゃらに生き続けることも、必要なのかもしれませんが。)

それとも、目的意識がある人や何かを成し遂げる人は、自然と感じたり、誰かに教わったりするものなのでしょうか。

人格も世界観も素晴らしい人がいますし、そういうことができるようになるものなのかな?と思います。


【回答】


はむりん様がおっしゃるとおり、誰もが守護霊という存在を認識しているわけではありませんよね。

大半の人は、守護霊という言葉すら知らず生きているわけですから、守護霊アドバイスなどで守護霊からの直接のメッセージを伺うのは、なんだかズルイような気もしてしまいますよね。

でも、守護霊というものは、知っていても知らなくても、いろんなメッセージを送ってきているものなのです。

守護霊を信じようが信じまいが、関係なく守護霊は守護霊としての役目を持っています。

そして、守護霊アドバイスなどを受けることができたり、何らかの霊媒的なものを通してメッセージを受け取るというのも、一つの守護霊からの導きでもあるわけです。

どのような形で、守護する当人を導くかは、守護霊の教育方針にもよります。

必ずしもスピリチュアルな方面にての導きが守護霊のやり方とはかぎらないということです。

例えば、過去世で散々、スピリチュアルなことばかりを行ってきている人にはあえて、現実面での知性や論理を磨かせるために、守護霊もあまり神秘的なことを表さない場合もあります。

守護霊からのメッセージなど無縁のような人生を送り、全てを現実的な側面から解釈させようと守護したりする場合もあるということです。

守護霊からのアドバイスを受けられる環境を持てるということは、守護霊がそれが必要と判断したからでもあるのですね。

だから、守護霊からのメッセージを受けられる人はラッキーだけど、その機会がない人は、アンラッキーであるというものでもないのです。

こうして、私のブログを読むことも、守護霊アドバイスを受けようとされることも、あるいは、その逆で全く関心が向かないという人生を送ることも、陰では守護霊の導きを受けてのことである可能性が高いのです。

もちろん、例外はありますが、守護霊アドバイスを受けられなくても、自然と必要なことを悟るように導かれるのが守護霊のやり方なんですね。

だから、一番、大切なことは守護霊アドバイスやメッセージを受けることに対し、良いのか悪いのかと考えるよりも、素直な気持でその機縁を感謝して受け入れていくことであるわけです。

現世で起こること、霊界でのありよう。

全ては本来、公平で平等なものなのです。

しかし、人にはそれぞれの尺度があり、個性があるため、通り一遍に全ての人に同じようなことが起こるわけではありません。

不公平に感じること、ズルイなと感じることがあっても、本来、神仏の視点から観るととても合理的でなんら不公平はない場合がほとんどなのです。

でも、私達、人は自分の縛られた観念の中で、公平、不公平を考えてしまいがちです。

だから、素直さというものが一番大切なことでもあるわけなのですね。

守護霊のメッセージを受けられるかどうか、あるいはそうでない場合も含めて、全ては公平なんですね。

その人に必要なものが与えらる。

このことが理解できれば、おのずと答えは見つかるかと思います。



◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

守護霊の得意分野

守護霊は魂の教育係であり、なおかついざという時のガード役でもあるわけなんですが、一口に守護霊といっても得意分野が異なったりするものです。

以前、ブログにて守護霊に多いのは生前、武士であったり、僧侶である方が多いというお話をしたことがあります。

もちろん、いくらでも例外はありますし、あくまで私の見聞に過ぎないのではあります。

これを前提として、お話させて頂ければ、どうやらこれには理由があるようです。

守護霊として活躍されている方は、何百年も前の方が多いのですが、特にその時代でもっとも知恵篤く心の修養を積んだのは、僧侶の方や武士階級の方が多いのですね。

人を教育したり諭したりするためには、ある程度の教養が必要ですし、精神の支柱となる気骨を養うためには、武士道などのストイックな心根を鍛え上げた武士であったり、人を諭すのが上手なのは僧侶の方が得意だったりするわけです。

農民や商人の守護霊がいないわけではないのですが、どうしても、心の修養にたけているという点では、僧侶、武士がトップなんですね。

なので、例外はありますが、本当に僧侶の方、武士の方は多いです。

まずは、どのように教育すべきか、導くべきかが重要な使命の守護霊ですから、このことは非常に良くうなずけます。

でも、守護霊というものは、一人であるとは限りません。

というより、大抵誰でも、5、6名のグループは守護霊団としている場合が多いようです。

守護霊アドバイスなどでも、同じ方がコメントをしてくれるとはかぎらず、その都度に異なる守護霊が出てくることもあるのです。

これは、ご相談内容によって、得手不得手が守護霊にもあることを示唆しています。

正守護霊はある程度、オールラウンドにふるまえますが、それでも得手不得手はあるのです。

あまり得意ではない場合は、守護霊団の中でご相談内容に応じて得意な守護霊が出てきてアドバイスをくれる場合もあります。

だから、毎回頂くコメントの感じも異なることもあるわけです。

必ずしも正守護霊が全てを請け負うわけではないのですね。

さて、このことを踏まえて日々の守護霊へのお祈りについて少し話てみたいと思います。

守護霊へのお祈りを日々実践するうえで、通り一遍の感謝とお導きを願うだけの祈りだけでは少しもったいない部分もあります。

なぜならば、時には悩み事を相談したい時もあるでしょうから、その時に単に守護霊様!と祈るだけだと効果的なお祈りとはいえません。

もちろん、そのような祈り方でも、ある程度は守護霊の方で機転を利かせて、動く守護霊の配置などを考えてはくれます。

でも、どうせならば、「○○のことで悩んでいます。○○のことに得意な守護霊様に申し上げます。願わくば・・」という感じに枕詞をつけて指名してしまうというのがダイレクトで守護霊も動き安くなるものです。

きちんと言霊に事を分けて奏上すると、強力に守護霊にもその想いが伝わることになるのですね。

以外に言われなければ気づかない守護霊へのお祈りのポイントでもあります。

日々の守護霊へのお祈りの際の参考にしてみて頂ければと思います。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

ツイッター
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
閲覧者数
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Happy Search★ ~占いと癒しの検索ポータルサイト~
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR