良い年越しをお祈りしています

今日は大晦日。

いよいよ本年の最終日となりました。

激動の一年ではありましたがこうしてブログ更新を全うし続けることができましたことに感謝です。

また、ブログを続けてこられた一番の理由は、読者の方の応援に励まされたことです。

毎回、FC2ブログにては、拍手や拍手コメント、コメントを頂いた方、本当にありがとうございました。

メールにてご感想を送って頂いた方、本当にありがとうございます。

アメブロでは、ペタやコメント、メッセージなどありがとうございました。

ブログを発信していくなか、一番気にしている点があります。

発信する意味のあるブログになっているかということです。

自己満足に終わらない意味あるブログをずっと目指して行きたいと思っています。

拍手、コメント等を頂くことでそのバロメータとさせて頂くことができました。

大変ありがたいことです。

来年もさらに創意工夫を怠らず、より一層の深みねあるブログになるように精進させて頂きたいと願っています。

本年の締め括るご挨拶として、以上の言葉に代えさせて頂きたいと思います。

読者の皆様に来年も輝く幸多い日々が訪れますことを祈念して。


天心 拝


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お不動様の縁日

相変わらずの寒さ厳しい日となっていますが、それでも、朝日子である太陽の光が差し込んでくるとホッとした感覚を覚えます。

今日は、世間では仕事収めである方も多く、納会やら大掃除などで忙しいことと思います。

私も昨日は、新年を迎えるにあたり自分の机周りを掃除致しました。

毎日、綺麗にせねばと思いつつも、やはり一年が経過すると目が届かないところにも埃が溜まり、結構、壮絶なことになっているものですね(笑)

パソコンの裏とか以外とひどいことになっていました。

ともかく濡れぞうきんでしっかりと拭き掃除。

それから、本なども整理して、どうしても家におけない(収納しきれない)本は、ブックオフへ持ってゆくということをして、なんとかかたずけることに成功です。

掃除を始めると机周りに潜んでいた邪気がブワーッと襲いかかってきます。

やってる最中はもう、体中に反応が出てしまい、本当に辛い作業なんですが、めげずに掃除が終わるとすっかり机周りが正常な気に戻っています。

掃除は手っ取り早い一番の邪気祓いになるんですよね。

以外に簡単な方法なのだけど、なぜかできないのも掃除なんですよね。

この原因は、無意識に邪気を怖れてしまうからだと思います。

私の場合ははっきりと邪気を感じてしまうので、そのことが原因だと自覚しているのですが、おそらく、邪気なんか感じないという人も知らず知らずのうちに無意識が察知してしまい、怖れているのかも知れません。

あるいは自分に憑いた邪霊が掃除させまいと動いている可能性もあるでしょう。

これを解決するためには、しっかりと自分の意を決して「掃除するんだ!」と気合いを入れて掃除を始めるしかありません(笑)

自分が邪霊にコントロールされていることを見破ると少しだけ、その呪縛から自由になれるはずです。

だから、掃除したくない!と思った時には「邪霊に呪縛されている?」と疑い見破って、意を決して掃除する。

こうすることで、自分のお部屋の邪霊と邪気を退散させることができるわけです。

さて、掃除の話が以外と長引いてしまいましたが本題に入ろうかと思います。(笑)

本日は28日ということで、お不動様の縁日でもあります。

縁日はその日に該当する仏様が非常にパワーアップされている日でもあります。

28日はお不動様がパワーアップされている日ということになります。

なぜパワーアップするのかと言いますと、簡単に言ってしまえば、皆様がそう信じているからであります。(笑)

本来、仏様は不眠不休の不惜身命の想いで活動されています。

だから、縁日でなくてももちろん、いつだってお力添えはしてくださっているのです。

しかし、昔からのしきたりや決まり事として、私達は縁日にその該当する仏様をお祭りし大切にしてきたという経緯があります。

昔から連綿と続くしきたりや言われというものは、霊界を形成しているのです。

28日には仏様との強い縁が結ばれる日という想いが集まり、実際にお不動様が大きく働かれるためのフィールドとなる霊界が形成されて、それがバックボーンとなり、お不動様も大きなお力を発揮することができるようになるわけです。

縁日なんて単なる迷信か宗教上のしきたりでしょ?と想っている方も多いかも知れませんが、実は霊界から観るとこのような構造になっているわけです。

ですから、いかなる仏様も人の信仰心、信心が集まれば集まるほど、力を発揮されるのです。

少し話がずれますが、ネバーエンディングストーリーというファンタジーの映画がありました。

映画の内容としては、ある少年が童話のような世界に入り込み冒険するというお話でした。

でも、最後にはその童話のような世界は実は少年や他の子供達が信じることによってつくられた世界であることが明かされます。

この映画はもちろんフィクションですが、霊界の様相を実によく現わしている映画でもありました。

霊界も信じる人が減少すると段々と縮小するものです。

お不動様を信心する人達がお不動様の霊力の底を支えているということが言えるのかもしれません。

ということで、本日はお時間がありましたならば、お不動様をお祭りした仏閣にお参りするか、お不動様に感謝のお祈りをしてみるのもよいかと思います。


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年末の禊祓い

いよいよ年の瀬、わずかな日和を残して今年も終わろうとしています。

今年は3月11日に発生した東日本大震災を筆頭に大変な一年でもありました。

進む円高や大型台風の被害。

EUの経済問題に端を発する世界経済の動向。

リビアの内戦やら年の瀬に至っては北朝鮮の指導者である金正日の死去。

世界の問題は、遠い国のお話ではなく、今のグローバル化された社会においては、すぐに日本や私達の生活に影響を与える現象として現れてくるものです。

ですから、不安定な政情を持つ国の変化は将来の不安を暗示します。

経済においてもEUやアメリカの状況の悪化は日本の経済にも悪影響を与えます。

私達は、目の届くところ、手の届く先だけに強い関心が向いてしまう傾向がありますが、すべては繋がっているんですね。

だから、世界で起こっていること、日本の自分が関係していないように見える地域で起こっていることも、実は、すべては繋がっていていずれかは影響を与えてくるものであることを知ることは大事なことだと思います。

さて、話は変わりまして、年の瀬ということもあり、一年の罪穢れを祓い清める時期になってきましたので、少しお祓いについてお話してみたいと思います。

お祓いといえば、神社で神主さんに祓い幣(はらいぬさ)でお祓いしてもらうのが一般的なイメージかと思いますが、他にも色々とございます。

私がお勧めしているのは、人形(ひとかた)と呼ばれる和紙を人の形に切り抜いたものを使ったお祓いの方法です。

人形に名前を書き、息を三回吹きかけることで、自分の分魂が宿ります。

その分魂を宿らせた人形を通して清めを行うわけですね。

炎で人形をお焚きあげして、穢れを清めるわけです。

なかなか手軽な方法なので、お勧めです。

他にも、厄除け大師と呼ばれる仏閣での護摩木祈願もお勧めです。

人形の代わりに護摩木と呼ばれる木材に名前と願いを書いて、僧侶の方に祈祷して頂くわけです。

そうすることで、穢れが祓われてスッキリすることができることでしょう。

遠隔浄霊も禊祓いはセットで行っているので、これも一年の穢れを取るのには最適かと思います。

いろんな方法はありますが、それぞれの縁にあった方法で一年の穢れを祓い良き新年を迎える準備をして頂ければと思います。

最後に少しだけ予告させて頂きます。

現在、三つに分けて行っている鑑定メニューですが、新年より新たな方向性を受けて改変を行ってゆきます。

具体的にはまだ、明かすことはできませんが、実施する際にはブログにて告知いたします。
(形が変わるお取次、新しいお取次が増えます)

ブログの更新は29日以降、年明け1月4日までは、お休みになるか、スローダウンして参ります。

この機会に最新記事のみならず、過去記事もお読みいただけると幸いです。

どうしてもブログという媒体の特性上、過去記事は読まれない傾向があります。

大切なことを沢山、お話していますので、是非、ブログがお休み中でも、過去記事等には目を通して頂けると嬉しく思います。

さて、長々お話してしまいましてが、残りの日々を楽しく過ごして頂ければと願っています。


天心 拝


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守護霊交流の小話(その2)

前回は、大学受験の時のお話をさせて頂きました。

なんとか、都内の条件に合う大学を発見し、なんとか合格をすることができたわけなんですが、今回は大学時代に経験した苦い想い出についてお話してみたいと思います。

丁度、大学2年生の時であったかと思います。

この時には、もう守護霊を言葉は悪いですが、かなり動かす術を身につけておりました。

大抵、お祈りするとサインや証はもとより、自分の思うような方向性に現実を変化させてゆく霊力を発揮するようになっていました。

少し有頂天になっていた部分もあったかと思います。

できれば、思い出したくもないことも多々あります。(苦笑)

それでも、お話をはじめてしまったからには、続けてゆきたいと思います。

当時、私は都内にある本の流通業を行っている仕分け現場のようなところで働いておりました。

そこは毎日、新刊本が大量に出版社から送られてくるものを小売店となる書店へ向けて発想するお仕事をしていました。

私はアルバイトではありましたが、いくつかの書店を任されることになり、一応、責任感を養うという意味でも貴重な体験をさせて頂きました。

また、本好きの私としても、毎日、新刊本をいち早く触れられる職場はとても魅力的なところでもありました。

日中はそこで働き、夕方からは大学に通っていたわけです。

充実した大学生としての日々でありましたが、ちょっと物足りない点もありました。

それは当時、私には恋人といえる人がいませんでした(笑)

なんとも恥ずかしいお話ですが、まあ、二十代の若者にはありがちな「彼女欲しい~」という願望は普通に持っていたわけです。

なんだかスピリチュアルなことを語ったり、実践したりしていると、私のことを「清貧」とか「高潔」なんていうイメージを持たれてしまう方がいたりしますが、そんなことはなく全然普通なんですよ。

愚かで、失敗したり、苦い想いをすることも多々ありました。

この時の私も自分の想いに踊らされる馬鹿な若者でありました。

私は、例によって守護霊にお祈りをするわけなんですが、この時は本当に霊力の使い方をよくわきまえていなかったため、自分のエゴを強化する方向に発揮してしまっていたように思います。

守護霊の力添えもあり、私は、なんと当時のアルバイト先で、念願の恋人を見つけることができたのです。

「やっぱり守護霊様はすごい!なんでも手に入れることができるではないか」

愚かにも私はこのように考えていました。

何せ願えば叶うわけなので、本当に有頂天になってしまっていたのです。

しかし、これが悲劇の始まりでもあったのです。

今思えば、あえて守護霊は私に苦い失敗をさせて自分の愚かさを悟らせようとしたのかと思います。

念願の恋人を手に入れたと有頂天になる私ではありましたが、実はこの後、彼女には他に恋人がいることが発覚したのです。

大ショックです!(苦笑)

まさしく寝耳に水とはこのことで、その時は何が何だか分からない状態に陥りました。(笑)

守護霊の導きで出会えたと思った恋人が他にも実は付き合っている人がいたわけです。

本当はここで、自分のエゴの正体と方向性の間違いと守護霊のお諭しを悟るべきだったのですが、真正のおろか者です。

私は、なんとか彼女を自分の元へ引き込もうと一層、祈りを込めて霊力を発揮するようにし始めたのです。

その効験は凄まじく、祈れば、すぐに彼女の心は私の方に向いてきます。

それから、彼女が何を考えているのか、求めているのんか、すぐにピンと来ることができるのです。

本当に不思議なのですが、どこに彼女がいても、すぐにそこを探し当て、直行できるくらいの現象が起こっていました。

その状況に私は満足するわけなんですが、でも、しばらくすると彼女はまた、元の恋人の元へ戻ろうとします。

今考えれば、元々、彼女は元の恋人が好きだったんでしょう。

今なら、さっさと諦めていたところでしょう(笑)

しかし、若く、愚かな私は、さらに霊力を発揮して彼女を引き戻しにかかります。

なんとかこの三角関係に勝利しようと(笑)この時の私はエゴの権現になりさがっていたことと想います。

なんども彼女を引き戻し、しばらくすると離れてゆくを繰り返す中、ついにこの不毛な状態に終始符が打たれることになりました。

ある日、いつものように霊力を発揮しようとお祈りしようとしましたが、まったく力が入りません。

どこか、穴が空いてしまった風船のようにお祈りができなくなってしまったのです。

そうこうしているうちに結局、私は彼女に振られてしまうことになるわけです。(笑)

この時は、さらに大ショックではありましたが、どこか憑き物がとれたように安らかな気持となったのを覚えています。

「もう彼女のことで悩む必要がない」

このような心境はある意味心地よく感じたのです。

身勝手なように感じますが、この時の私の正直な感想でもありました。

後からわかったことですが、守護霊は私がいつまでも悔い改めないために、霊力をストップさせてしまったようなのです。

でも、その前に散々、エゴに振り回されて、あえて罪を作らせることによって、負のエネルギーも積ませ、さらにそれを清算させることで、私を真に悟らせようとする守護霊の導きでもあったわけです。

どんなに言って聞かせても、サインを送ってもわからない時、守護霊はこのようにあえて失敗させ、苦渋を飲ませ、罪を作らせてでもわからせることがあるのです。

私は現在、守護霊アドバイスなどで恋愛の相談を受けることがありますが、いつも思うことがあります。

時としてひどく傷つくような想いをしたとしても、それが悪いこととはかぎらないということ。

もしかすると、それは守護霊が自分の欠落したことを真に自覚させるための一つの指導なのかもしれない。

だから、守護霊アドバイスの内容を伝えつつも、すべての人に想うことは、まずはとことんやってみる。

それで罪を作るかもしれないし、ひどく傷つくかもしれないけれど、そこから学べることもある。

そのように思うのです。

今回は私の恥をさらしましたが、人間なんてこんなものです(笑)

ということを感じて頂ければ幸いです。

完全な人間はいないし、苦しいこともまた、時間が流れれば、良き想い出話になったりすることもあります。

間違って、苦しんで、痛くて、切なくて、それでも人は経験を通して磨かれる。

そう思えば、人生に起こることはすべて宝物なんだと思います。

長々とお付き合い頂きましてありがとうございました。


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守護霊交流の小話

今回は少し、私の守護霊交流に関する過去の経験をお話してみたいと思います。

あまり、固くならないように小話を聞くような感じでいてくださって結構です。

今までもチラホラと守護霊に関する体験を乗せた記事はありましたが、今回は、私が大学受験を目指す高校生の時のお話になります。

当時、私は俗に言う「都落ち」をして地方の大学に進学したいと考えていました。

もちろん、東京に住む私が、地方の大学に行くためには、下宿等をして独り暮らしをしながら通うことになります。

まさにそれを狙っての企みだったわけですが(笑)、当時は本当に親元から離れて早く独立した生活をしたいという気持ちが強かったのを覚えています。

しかしながら、あまり身体も強いわけでもなく、一人暮らしをするとそれを支えるためには、かなりの時間を学業以外のアルバイトに割かなければなりません。

家はあまり裕福ではなかったため、仕送りも期待はできないのです。

色々と考慮した結果、地方大学への道は諦めて都内の大学を目指すことになります。

ところが、都内の大学というものは中々学費が高いのです。(当時)

裕福でもない家からそんなに高い学費の負担は出してはもらえません。

当初は、自らアルバイトをして学費をためようかとも考えてそのつもりで高校に通っていました。

もちろん、守護霊にもしっかりとお祈りしています。

「守護霊様。私は何としても大学に進学したいと考えています。一生懸命、勉強しますので、何卒、志を遂げさせて頂きますようにお願い致します。後、学費がちょっとままなりません。アルバイトをして稼ごうかとも思いますが、肝心の受験勉強に支障がないか心配です。しかし、家の家計はあまり芳しくはありません。負担をかけずに、かつ都内の私が通える範囲の大学が見つかるようにお導きください。」

このように毎日、お祈りをしていたわけです。

この頃は大分、守護霊という存在にも親和性を持って接し始めていた時期でもありました。

まだ、はっきりとはわからないけれど、どこか傍にいる。

そんな感覚を持っていたことを覚えています。

そうすると不思議なもので、今まで都内で通える範囲の大学は皆、学費が高額であるところばかりが目についていたのですが、ある時、学校案内なる大学の情報が掲載された本をぱらぱらとめくっていると、ある大学に目がとまりました。

そこが、結局、私が通うことになる大学となるわけですが、この時にその大学の夜間部であれば、かなり学費がかからないことを発見したわけです。

しかも、私の自宅からは、40分程度で通えることがわかりました。

学費、通学、様々なことを考慮しても私にぴったりの大学であることがわかったのです。

守護霊の加護というと何か具体的な最終的な結果に紐づくことをしてくれると思いがちですが、案外そうでもないのです。

あくまで、守護霊はアシスト役に徹します。

私が、実家の財政状態、自分に体調、大学に求める条件などを具体的に詰めて、人としてのできる努力をきちんとする時に、そのヒントをくれる。

これが守護霊の加護のやり方なんですね。

だから、守護霊との交流、対話というのは、一回や二回では終わらないものです。

なんどもキャッチボールのようにやり取りが続くものなのです。

一回や二回で答えに辿りつけるほど、守護霊は便利に働いてくれるわけではないということをこの時は実感しましたね(笑)

でも、真剣に向き合い、守護霊に相談すれば必ず道は開けてくる。

このようにも感じたことを覚えています。


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幸せのセオリー

幸せになりたいですか?

どんな方にお聞きしても大抵の方は「YES!」と応えられます。

「それはそうだろう。誰だって不幸になりたい奴なんていやしない」

こんな声が聞こえてきそうですよね。

でも、幸せになりたいという人は多いけれど、幸せってなんだろうと深く考えてみる人はどうでしょうか。

幸せって何?と問われて即答できる人もいれば、幸せってなんだろうと改めて深く考えこんでしまう人もいらっしゃるのではないでしょうか。

幸せと問われて即答できる人はどんな答えを持っているのでしょうか。

「健康で長生きが一番さ!病んだ体ではどんなことも味気なく感じてしまうからね」

と答える人もいれば、「優しくて想いやりのある良い人と結婚できれば幸せ!」という方もいるでしょう。

「何はともあれ先立つものはお金だよ。お金がなければ何も買えないし幸せにだってなれやしない」

こんな意見もあるかも知れません。

あるいは、「僕は自分の才能が如何なく発揮できて、世に認められれば幸せかな。」という方もいるでしょう。

「私は子供がすくすくと無事に育ってくれれば幸せ」というお母さんもいるかも知れません。

「おいしいケーキを山ほど食べられればそれだけで幸せ」なんていうのもあるかも知れませんね。

本当に幸せにはいろんな形があるのだと思います。

でも、これらの幸せってよくよく観察してみると一つの共通点が浮かんできます。

その共通点とは一体なんなのでしょうか。

それはどれもが個人の夢見る幸せの形であるということであります。

このようなことを指摘すると「個人の幸せで何か問題でもあるのか」といういぶかしむ声があがってきそうですね。

もちろん、個人の夢が悪いなんていうつもりは毛頭ありません。

でも、想像力の翼をもう少しだけ広げてみて欲しいのです。

私達の幸せと呼ぶものを支えてくれているものについてです。

私たちは個人というパーソナルなものを持ち合わせて日々を生きています。

私たちは自我を持ち、自分で考え、自分で感じ、自分の生活や人生を作り出してその上を歩んでいます。

しかし、私たちは個人的な存在であると同時に一つの大きな存在につつまれて存在しているともいえるのです。

私たちの暮らす地球は広大な宇宙空間に浮かぶ一戸の惑星として存在しています。

宇宙という土台があって初めて地球は存在できているわけですね。

また太陽系という星系に属することで太陽からのエネルギーの恩恵を受けて、地球上の生命体は活動をしていくことができています。

さらに私たち人類を初め、地球上の生きとし生けるもの全ては、母なる地球が存在することによって、それをベースに国を作り、社会を作って調和を目指しながら生きているわけです。

そして、私たちの個人という存在も国や都道府県や地域のコミュニティから会社や家族、親類という単位に至るまで必ず何かしらの母体を持って生きているという事実があります。

このことは私たち個人という存在は、母体である家族や会社やあるいは地域社会、都道府県、国、地球、太陽系、宇宙と全ての母体が健全であればこそ、幸せに生きることができるということを意味しています。

個人の幸せというものは、個人にとってイメージしやすいものになりやすいという傾向があります。

しかし、その個人の幸せというものも、実は母体が危うくなれば簡単に壊れてしまうものであることも同時に認識しておいた方がよいといえます。

例えば、健康第一をもっとうにして健全な日々を送るためには、衛生的な環境やあるいは適度な運動をしたりできる時間や空間を持つことが必要かも知れません。

おいしい栄養のある食事をとることも大事ですし、睡眠もしっかり取る必要があるかと思います。

これらの健康第一を実現するためには、家族の協力が必要かもしれませんし、適度な運動ができるようなスペースとして手近な公園などを作ってくれているのは、公的な機関であったりします。

毎日、仕事があるのは、きちんと運営されている会社組織があればこそかもしれません。

国家が経済活動をしやすいように行政などで指導したり、枠組みを決めたり、法案を通して国家のいや国民の生活が向上していくように調整するからこそ、会社組織もその中で活動できているといえるでしょう。

子供がすくすくと育ってほしいという願いも、常に戦争状態にあったり、内紛や混乱が国内で起これば、その幸せも実現は難しいといえます。

このように個人の幸せというものは、母体となるものが健全に調和されて成り立っている状態の時にはじめて存在できるということがおわかりいただけたかなと思います。

自分の幸せというものを考えるのが私的幸福と名付けるならば、そのベースにあるのは公的幸福であると名付けることができます。

先だって発生した東日本大震災においても、ひとたびあのような巨大地震が起これば、個人の幸せなど消し飛んでしまうことは疑いありません。

だからこそ、個人の幸福を守りたいと願うならば、個人の幸福を超えた公的幸福を願う心根を持つことが重要になってくるのです。

なぜ、長々とこのようなお話をしているのかといえば、「幸せになりたい」と人が想いを馳せる時、必ずはまる落とし穴があるからなのです。

それが、「個人の幸せ」ばかりに意識をフォーカスしてしまうということです。

先ほどもお話させて頂いていますが、幸せってなんだろう?と考え始めると得てして閃くものは個人的な幸せであることが多いのです。

まるで、自分の幸せを実現するためには、自分の幸せに全てを注がなくてはならないとでも言わんとばかりです。

このように申し上げると「だって、まず自分が幸せにならなきゃ他人どころじゃないでしょ?」という意見がおそらく却ってくると思います。

実はこれこそが、全ての間違いの発端であるといわざるを得ないのです。

先ほど、長々と私的幸福は公的幸福に立脚しているというお話をさせて頂いた理由は、ここにあります。

全ては逆なのです。

宇宙の調和があり太陽系の調和がうまれ、太陽系の調和があり、地球の調和が確立されます。

地球の調和が確立されて初めて国家の調和が成り立ちます。

国家の調和がなり、公的なコミュニティや属するコミュニティが安定してこそ個人の幸せは成り立つのです。

だから、「他人とか国家とか俺には関係ない!」というのは論理的にも間違っていることがわかると思います。

「自分の頭のハエも追えないものが、他人の頭のハエを追うな!」という表現があります。

これは自分の問題も解決できないものが、他人の問題を解決しようとするなという意味でつかわれることが多いですが、これは間違いです。

自分の頭の上のハエ、他人の頭の上のハエ、二つの状況を観て導き出される答えは、ハエが発生するような何かが発生してしまっているということです。

もしかしたら、住んでいる地域のごみ捨て場所がカラスに荒らされているのかも知れません。

分別を怠って、きちんとごみ袋が規則の通りに入れられておらず、ハエが大量発生してしまっているのかも知れません。

そうなると地域での問題であり、他人とか自分とかいう問題ではないということがわかります。

このような考えに至ってはじめて問題解決への糸口が見えてくることになるわけです。

地域という公的幸福を考えればこそ、はじめて自分の頭のハエの問題も解決されてくるというものですよね。

まずは、この幸せに至るセオリーである公的幸福を考えるという発想を是非持って頂きたいと思います。


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守護霊は自分の一部?

少し前に守護霊についてのご質問を頂きました。

公開質疑応答は現在は募集していないのですが、ご質問の内容を拝見して、回答しておいた方が後々、多くの方にとってもプラスになるかなと思いまして、今回はイレギュラーではありますが回答させて頂きたいと思います。


【質問】


天心様

こんにちは。本日初めてブログを拝見しました。

現在守護霊やガイドに関する記事や本は結構見受けられますし、世界中で多くの人が体験しているものかと思います。

私もガイドの存在を信じているのですが、私が習っているヨーガの教えでは、守護霊は低級霊がなりすましている場合が多いと言われています。
天界の住人の場合もありますが、修行の過程で自分のステージが上がって守護霊を越えようとすると修行の邪魔をしてくるとのことです。

またガイドは自分の一部、一体となっているというのはありえないと言われました。

これに関して天心様の見解をお聞きしたいのですが。


【回答】

まず、以前からブログ記事でも何度もお話させて頂いていることではありますが、私のブログに書かれていること、お話させて頂いていることは唯一無二の絶対的な真理ということではありません。

私の見解、私の見聞した内容をもとに皆様にプラスになるかなと思った内容をチョイスしてお話させて頂いております。

ですから、いろんな方がいろんな見解を持ち、その表現方法もそれぞれ異なるわけです。

たとえ、一見矛盾しているような見解にもそれは視点の違いや表現の差によりそのように感じているだけで本来は矛盾はないのかと思っています。

例えるならば、同じアメリカという国へ旅行にいった複数の方から感想を聞いてみればわかりますが、おそらく共通点もあるけれど、お話する内容はそれぞれ異なっているはずです。

同じアメリカに旅行に行ってもその感想や見解は異なるわけです。

このことを踏まえた上で、早速、ご質問の内容に入ってみたいと思います。

>私が習っているヨーガの教えでは、守護霊は低級霊がなりすましている場合が多いと言われています。

ヨーガの教えにも様々あるかとは思いますが、確かに守護霊と名乗り低級霊がなり済ますケースはあるかと思います。

ですから、必ず守護霊交流には審神(さにわ)と呼ばれる正邪判別を行うことが大切であると神道ではされています。

つまり、正か邪かをジャッジするわけです。

この方法論については、ここでは述べられませんが、低級霊のなり済まし可能性は否定しません。

但し、低級霊がなり済ますか、守護霊が正しく懸るのかは、その当人の霊格によるところが多いです。

つまり、面白半分で交流しようとする人が多いならば、低級霊の可能性はおのずと高くなるというものでしょう。


>天界の住人の場合もありますが、修行の過程で自分のステージが上がって守護霊を越えようとすると修行の邪魔をしてくるとのことです。

これは、老子の言うところの「名の名とすべきは常の名にあらず」です。

もし、ヨーガの教えで、天界の住人の守護霊が修行の邪魔をするというように考え、定義しているのであれば、私からするとそれは守護霊ではありませんし、それこそ、守護霊になり済ました霊物であるということになります。

私が定義する守護霊はしっかりとした霊格を備え、神霊界に繋がった存在であるわけです。

それから、魂の教育係を担う存在を守護霊というように呼んでいますし、守護霊と呼ばれる霊人達もそのように受け止めておられます。

修行の邪魔をするというのは、ありえないことかと思うわけです。

例えば、間違った修行をしているから、お諭しとして、邪魔に感じるような何かサインを送ってくることはありえるかも知れませんが、邪魔することはないかと思われます。

また、自分自身の霊格が上がると守護霊交代という現象が起こり、さらなる魂の向上にふさわしい守護霊に交代することはあります。

この場合も本当の守護霊であれば、交代を嫌がったりはしません。

守護霊団の一員としてバックヤードを固める役割に退かれるだけなのです。

つまり守護霊と呼んでいる名前は一緒でもその中身の定義は異なっているといえます。

>またガイドは自分の一部、一体となっているというのはありえないと言われました。

これは時折、耳にする守護霊説ではあります。

自分の一部がガイドであり、ハイヤーセルフと言われる高次元の自分がいるなどという説を聞いたことがあります。

確かに分魂現象といって、自分自身の魂が分裂してブラザーソウルとして霊界に存在していることは珍しいことではないようです。

ですから、守護霊が実は自分のブラザーソウルであったならば、自分の守護霊は自分の魂の一部であるといえなくもないかと思います。

ただ、それ以外にも、別系列の守護霊がつくことはあります。

また、ハイヤーセルフといった場合には、その意味するところをよくよく聞いてみると御魂のことを言っているのかな?と感じる次第です。

物事に絶対ということはありませんので、自分の一部が本当の守護霊という見方は、ひとつの見方であり、それ以外のケースも沢山あるのかと思います。

私が知りうるかぎりでは、守護霊は様々な形態があるようなので、一概にこれが正しい守護霊の形態であると言いきってしまうのは、視野を狭くしてしまう可能性があるのかなとも思います。

以上が私、天心の守護霊に関する見解をお話してみました。

繰り返しになりますが、あくまで一つの見方、見解として受け止めて頂ければ幸いです。



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正のエネルギーの循環

最近とても強く感じる霊界法則があります。

それは正のエネルギーは常に循環するということです。

昔の格言に「情けは人のためならず」という言葉があります。

これは、「人に情けをかけることは一見、人のためのようにしているように見えるけれど、その情けは自分のためにもなっている」という法則を示したものです。

この言葉は、正のエネルギーが常に循環することを昔の人は肌で感じ取っていたことを表しているのかなと思います。

私自身の経験で申し上げれば、本当に不思議なことなのですが、神社にて参拝して、玉串を奉納した時には、必ず僥倖ともいえる事柄が発生してきます。

具体的には思わぬ入金があったり、新しい出会い(恋愛的出会いではありません)、それから今まで見えなかった事柄に対する回答が得られたりすることがあります。

本当に不思議です。

私はほとんど、自分個人の幸せを祈ることはありません。

大抵は、感謝の祈りから始まり、大きくは日本国民1億3000万人の方々の安寧と発展、国運の隆盛、それから地域的な関わりあいのある方々の幸せ、このブログの読者、FGSの会メンバー等の方達の発展、課題の解決などがほとんどです。

自分がああしたいこうしたいという願いは、している暇がないというか(笑)、自分が向上できれば、さらに多くの人に還元できるという意味あいでは、祈りますが、それ以外はほとんどないのです。

にもかかわらず、必ず僥倖があります。

これは、私が祈りの中で正のエネルギーを生成し、さらにそれを真心を込めた参拝、お玉串の奉納等を行うことによってもまた、正のエネルギーが生成されていることに関係しています。

私は、仏教で言われる回向のように神仏の神徳、正のエネルギーを様々な人に降り注いで頂く取次をしているわけなんですが、こうした行いをすることで、私自身も正のエネルギーを頂くことになっているのです。

正のエネルギーは常に循環するようにできているわけです。

自分のことを祈らなくても、真心が極まり、人に対する愛を向ける時、そしてそれを具体的な行動ときちんと形に現わすことで可能となるのでしょう。

本当にありがたいことだと思います。

逆に自分のことばかり、自分の利益ばかりを考えて行動していると、負のエネルギーが循環して、益々自分を不幸にする可能性もあるわけです。

神社に参拝しても自分の利益ばかり祈る人は、いつしか御神徳も薄くなってしまいます。

時には自分のことだけでなく、利他の愛の祈りを行うことも必要だということです。

我欲を越えた祈りと行動が結果的に正のエネルギーを生みだし、自分を幸せにしてくれる元になることを覚えておくとよいでしょう。


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ほぐし糸の法則

よくある勘違いなのですが、浄霊を一度受ければすべての霊障が解決してしまうというものがあります。

確かに浄霊をすることによって、解決される霊障は多々あることでしょう。

しかし、想ったり言われたりしているほど、霊障は単純ではない場合が多いのです。

人間は様々なを背負って生きています。

良縁も悪縁も様々に絡み合って存在しています。

それは、同時に霊線も複雑に絡み合っていることを意味しています。

だから、こんがらがった糸を一つ一つほぐしていくような気持が霊障解決には必要な場合があります。

一つの霊障の裏に別の霊の関係があり、その霊を操る別の霊物の存在があったり・・

それらを一編に解決するのは難しかったりします。

また、時間をおかないと浮かび上がってこない霊障もあったりします。

一つの霊障をはずすことで、ようやく処置可能な状態になるものが現れてきたりするのです。

どういう順番でというのは、守護霊の導きや他神仏のお導きにより判断されますが、意見交換を行いながら一つ一つ対処していくことになります。

ですから、どうしても時間のかかる浄霊等もあったりするのですね。

一つの糸をほぐしたら、もっと奥のからまっている糸をほぐしにかかる。

この繰り返しで少しずつ霊界が変わりやすい環境が整って参ります。

何事も根気が必要なことはかわらないものということは言えるのではないかと思います。


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浅草寺御開帳

先日、浅草寺にて参拝をさせて頂きました。

浅草寺といえば聖観音様が祀られているお寺ですね。

浅草観音の通称でも親しまれていて、土日祝祭日問わずに人でにぎわっています。

都内の観光地としてもメジャーであり、外国人の方も日本に来た時に立ち寄るスポットになっているようです。

この人ごみの混雑と浅草観音の慈悲にすがる不成仏霊の邪気を乗り越えてゆくと(笑)いよいよ、本堂にたどり着けるわけですね。

聖観音様には本当にお世話になっています。

特に先祖供養系では本当に様々なお力添えを頂いています。

その感謝の祈りのためにご参拝させて頂きました。

狙ったわけではないのですが、たまたま、この日は御開帳の日であり、聖観音様の秘仏を拝むことができました。

普段は、仏像はしっかりと秘蔵されていて、拝謁することはできません。

これはお導きに違いないと確信した次第です。

御開帳の瞬間までまだ時間があったため、今回も護摩木を書いて奉納させて頂きました。

今回は特に普段、遠隔浄霊を申込んで頂き、先祖供養等をさせて頂いた方のための強化祈願をこめて申込させて頂きました。

ご先祖様がさらなる霊界での向上を果たされるための聖観音様の加勢を頂くための祈願です。

護摩木を奉納して、再び、本堂にてお祈りを始めました。

それから10分くらいして、いよいよ開帳の時が訪れ、私はその瞬間に立ち会うことができたのです。

秘仏は、とても小さく、昔から連綿と守り通してきたものであるためか、なかなか年季の入った(笑)、木造?のつくりをしていました。

遠巻きに見ただけなので細部はわかりませんが、本当にシンプルで素朴な感じの仏像です。

しかし、たとえ見てくれはどうであれ、やはり、秘仏にしてあるだけあります。

御開帳した瞬間にあらゆる仏様や菩薩様、如来様等、まさしく諸天善神がプワーっと金色のうっすらとした透明度のある光とともに降りてくるのがわかります。

それと同時に仏国浄土ともいうべき、高い次元の霊界への扉が開くのがわかるのです。

うわーっと圧倒されて見上げるような感じで、その扉の向こう側をみようとするのですが、ハッキリとはしません。

でも、しばらく見つめているといつの間にかその世界に入り込んでしまっている自分を発見するのです。

そこは、救済ということをテーマにした霊界であり、迷える人を救うぞ!という意気込みのある霊人達が実際に活動するためのフィールドが広がっているようです。

一瞬の霊界との邂逅を終えて、再び、現世感覚に戻りました。

その時、わかったことがあります。

御開帳に立ち会うことの意義についてです。

御開帳に立ち会うとその瞬間に仏国浄土の霊界の扉が自分の中に作られてそこから霊体が自由に行き来することができるようになるということです。

これは自覚があるかないかの差はありますが、どのような方もその聖観音様の功徳を頂けているということです。

だから、知らず知らずのうちに人に対するサービス精神が旺盛になったり、救済という気持ちが自分の中に宿ることになります。

ただ、これはずっと続くわけではなく、その機会にその霊界にふさわしい自分になるための努力をしないと、ある程度したら霊界への扉は閉じてしまうとのことです。

なかなか、都合よくはいかないものですが、それでも、ご開帳を拝見しにゆく価値は多くありそうですね。

そのようなわけで、今回の浅草寺参拝はとても意義深いものとなりました。

聖観音様にこれからもお導き頂けるような自分であるように精進していけたらと思っています。


天心 拝


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魂の向上プロセス(続き)

人間の持つ現世的な欲望について前回は少しお話させて頂きました。

そして、その欲望はいつだって変化し続ける現世の無常に照らすと虚しさを覚えるものだということにも触れました。

実際にスピリチュアル的な発想への目覚めはここから始まることが多いといえます。

永遠に変わらぬ喜び、幸せ。

これを求める気持ちが生まれて初めてスピリチュアルの入り口に立つことになるのです。

なぜ、神様と人との合一に長い時間がかかるのかの理由としては、この気持ちに行き着くのに、様々な経験を通さないと難しかったりするからなんですね。

楽しみや現世的な欲望を満たし、それでも虚しさを感じること。

あるいは、現世的な欲望を追いかけても、辛いことばかりが起こる。

このことに対する疑問。

この現世で起こることは、全部、現世を越えた世界へと目を向けさせるために起こっていると考えることもできるわけです。

しかし、時には、いつまでもずっと現世的な欲望にばかり囚われてしまい、目が向かない場合があります。

その場合は目が向くまで、いろんな現象を通して、サインが送られ続けることになるわけです。

良いことも嫌なことも全部、そのために必死に守護霊や神霊や神仏が動いています。

では、そんな守護霊様や神霊、神仏の願いに答えるためにはどうすべきなのでしょうか。

それは、守護霊の願い、神霊の願い、神仏の願いを知るといことです。

彼らが何を望み、何を考え、何を基準に行動しているのかを知る。

知ることで彼らの心に近づきます。

次に必要なことは、守護霊の心、神霊の心、神仏の心の視点でモノを観るようにするということです。

守護霊だったらどのように動くかなといった視点を持つことです。

例えば、嫌なことが起こったとしても、守護霊の視点に立って見た場合「何かを知らせようとしている」「魂の向上のために鍛えようとしている」という気持ちが湧きあがってくるはずです。

なぜなら、守護霊の願いはその一点に他ならないからです。

つまり、その究極をいえば、守護する当人を守護霊は常に愛しているということがいえます。

自分が求めるのではなく、愛を与えたいと常に考えているのが守護霊であるといえます。

これは守護霊に限らず、他の神霊も神仏も皆、共通しています。

ただ、その表現される次元や内容が少し異なっているだけです。

だから、守護霊の心、神霊の心、神仏の心の視点になるということは、愛を与える心の視点を持つということになるのです。

現世的な欲望を追求している状態の時には、中々、この愛を与えるという視点が持てません。

愛が欲しい、愛を受け取りたい、何かしてほしいという想いが強くなる傾向があります。

しかし、この発想を止めて、愛を与えようという心の視点に立つことが、魂の向上のプロセスに乗っているという状態に漸く入ることになるのです。

纏めると以下のようなプロセスになります。


【1】現世的な欲望の追求
【2】無常を理解する
【3】スピリチュアル的な視点への目覚め
【4】上位の願いを知る(守護霊、神霊、神仏等)
【5】上位の心の視点に立つ(愛を与える喜び)


あくまで単純化して構造だけを抜き出すとこのようなプロセスをたどって人の魂は向上し続けることになります。

そして、【5】の状態に入れた人は、菩薩、天使と呼ばれる存在に霊界ではなっています。

そこがスタート地点になり、さらなる表現方法や物事の見方、考え方、発想の次元などが挙がっていくことになるわけです。

ちょっと長くなり、冗長なお話になってしまいましたが、これにて魂の向上プロセスのお話を終了したいと思います。

お付き合い頂きましてありがとうございました。


天心 拝



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【重要】守護霊アドバイスをお申し込みのmegmeg様

megmeg様


天心です。


先ほど、守護霊アドバイスの取次を終えてメールにて返信させて頂きました。

エラーにてメールが返却されて戻って参りましたので、到着されているかどうかをまず確認して頂ければと思います。

未到着の場合は、メールアドレスを変更しているか、あるいはドメイン指定等のフィルタリング設定をしていないかを確認して頂ければと思います。

いずれにせよ、一度、ご連絡をお待ちしております。


天心 拝

魂の向上プロセス

私達は多かれ少なかれ目標目的を持って日々を生きています。

毎日、仕事をするのは、月々の家のローンを支払うためかもしれませんし、子供を養育するためかもしれません。

あるいは、仕事を通して出世して名誉を得たい、金銭的に豊かになりたい。

こんな理由かも知れません。

仕事に限らず家庭を築き、妻子、あるいは夫とともに幸せに過ごすことも目的の一つかもしれません。

趣味に興じたり、ある時には勉強したり、交友関係を深めたり、私達には選択子が沢山あります。

もちろん、事情によって選択子は制限されているように見えるかもしれませんが、選ぼうと思えば以外に選択子は見つかるものです。

その選択子から一つを選ぶ時に基準となるのが目標や目的であるわけですね。

だから、目標や目的を持たないと人は何を選択すべきかがわからなくなってしまうものです。

問題はどのような目標を持ち人生を生きるかということになるのですが、スピリチュアル的な観点から言えば、「魂の向上」が一つの目的であり、そのために目指す境地として、神様と人とが合一する状態になることが目標となるわけです。

合一については以前、ブログでもお話しましたが、神霊に近い次元まで霊格、霊覚が向上してくると、合体してしまうという現象です。

でも、これは、一足とびに出来ることではなく、長い年月と人生の経験と学びを通して段々と実現できるようになってきます。

では、なぜ、長い年月を必要としているのでしょうか。

神様と人との合一するためには、人として持つ様々な煩悩に打ち克ってゆかねばならないからです。

ここでもう少し詳しく、魂の向上のプロセスについてお話してみたいと思います。

私達は通常、欲望を持って生まれてきています。

この欲望が私達の生きる動機づけになっているわけです。

生命を維持するためには、「食欲」がないと食べるという行為に発展しないため生命活動を続けることができません。

また、疲れたら休息を取るということ、とりわけ「睡眠欲」も大事な欲望です。

これがないとどこまでも無理をして身体を壊します。

それから、子孫を残し人類の継承をしていくために「性欲」も必要です。

他にも欲望は沢山ありますが、まずは自分の生命を安全を確保し、生命の連鎖を継承していくことが基本にあるわけです。

でも、これらの欲望は最低限の本能にねざしたものであり、現世においては非常に重要な意味を持っていますが、霊界においてはあまり意味を持たないものばかりです。

なぜならば、基本的に霊界では食べる必要も、寝る必要も、自分の分魂を作るのにわざわざ性的な交渉をする必要がないからです。

現世ではとても重要な意義を持つこれら欲望も本来は霊性高き人間にとって、そこで満足することはありません。

欲望のレベルはもっと上昇していきます。

もっと住みやすい家が欲しい、かっこいいスポーツカーを所持したい、名誉や名声が欲しい等と欲望の次元は上層し続けます。

しかし、ある程度豊かになり、欲しいものも手に入ると、人間は虚しさを覚えるものです。

なぜならば、現世で手に入るものは、現世でしか通用せず、現世とはいずれ去らねばならない仮の世であることを魂は知っているからです。

一切は無常であり、いずれは失われてしまう。

このことを自ずと理解するようになります。

本当のなくならない永遠の喜びや幸せとはどこにあるのか。

ここを考えるようになるわけです。

スピリチュアルとは本来、このような境地に立ってはじめて意義をなします。

神社に参拝してお祈りをしたら、恋愛がうまくいったとか、仕事でチャンスが巡ってきたというのは、一つのおまけであり、本質ではありません。

いくら恋愛が成就したところで、いつかは別れが来るかもしれません。

当初は望んで結婚したはずなのに離婚をする人もいます。

離婚しなくても、いずれ死別という運命はまぬかれない事実です。

ちょっと暗い話になって恐縮ですが、物事を突き詰めてゆくと一切は無常であるという考え方にいきつくということです。

もちろん、誤解のないように申し上げておきたいのは、現世的な喜びや幸せを否定しているのではありません。

ただ、スピリチュアルを学ぶならば、本質を理解した上で、現世的な喜びや幸せを享受したほうが実りがあるといえます。

人間は無常であることを様々な欲望を満たし続けることでいつか気づくことになるのです。

逆説的にいうとスピリチュアル的な永遠に変わらぬ喜びに気づかせるために、現世的な欲望は用意されているともいえるかも知れません。

一つ一つの欲望を満たし、その欲望に満足したり、あるいは欲望のために傷ついたり、切ない想いをしたりする過程があればこそ、人間は自分を本当に幸福にするためには不完全な現世的な欲望からスピリチュアル的な欲望へと意識を変えなければと願うようになるからです。

人生で辛い目にあったり、苦境に立たされるのは、システマティックな霊的な仕組みから言えば、負のエネルギーの顕現化によるものです。

でも、なぜこのような仕組みが存在しているのかという答えがあるとするならば、それは、本当の幸せに意識を向かわせるためであるといえます。

だからこそ、人間は苦境にあればあるほど、祝福されているという見方もできるわけです。

少し長くなったので続きは次回にゆずりたいと思います。


・・・続く


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迷ったら原点に帰る

人間だれしも今の自分の方向性や実践している内容に迷いを生じることがあります。

最初は意気揚々と最初の一歩を踏み出した時は、純粋な心で高い志があったはずです。

しかし、一歩一歩を踏みしめて歩き始めると人は、いつしか、どこに向かっているのか、あるいは当初の目標はどこにあったのかを見失うことがあるものです。

人は感情があり、人生には様々なことが起こります。

右に左に揺さぶられ、時には谷へ落ちたり、山を迎えたりすることで、感情的にも揺さぶられていつの間にか初期の目的を忘れてしまうわけです。

そうすると人は迷い始めます。

迷い始めると人は、どこで道を間違えたのかを考えるようになるのですが、実はこれが新たな迷いの始まりになってしまう場合もあります。

誤りを正そうとして、より深い迷いの世界に入り、富士の樹海のごとき、迷路から抜け出せなくなるのです。

なぜ、このようになってしまうのか。

それは、枝葉の部分に囚われて、森の全体像を忘れてしまうからです。

別の言い方をすると自分の原点、志を忘れてしまうからなんですね。

自分は何のために生きようとするのか。

何のために道を進み、目的地へと急ぐのか。

そもそもの自分の中にある原点へと立ち返れば、迷いは晴れるはずなのです。

途中の道の選択ミスを訂正することよりも、一番最初の出発点に戻れば、迷った道へはもう行かなくなり、新しい道を探すスタートになるわけです。

ですから、初心の時の誓いとはとても大切なことであったりします。

私も守護霊にお祈りする時には、必ず感謝の祈りだけでなく、この初心である原点に回帰するお祈りを捧げます。

新たに自分の志について誓いをたてなおすわけですね。

自分がどう生きるのか、どのような志を持って天命を全うするように努めるのか。

これを守護霊に祈る時に、自然と原点回帰に繋がることになります。

迷った時には原点に帰る。

これが迷いを断つ根本的な姿勢であるということを覚えておいて欲しいと願います。


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ご先祖様の浄化の意義

先祖供養には様々な意義がありますが、その中でも、ご先祖様の浄化をすることで、子孫である自分自身も浄化されるというものがあります。

過去にもお話しましたが、先祖と子孫とは二人三脚のような状態です。

霊線が繋がっている以上は、お互いに影響を少なからず受け合うことになります。

だから、ご先祖様に霊層向上して頂くのは、何もご先祖様だけのためになるわけではないのです。

私は、遠隔浄霊を先祖供養として取次ぐ時に必ず、霊界にお送りする前に申し添えておくことがあります。

それは、「この浄霊はあなた方の子孫である○○様が真心を持ってご先祖様の供養を申込まれたからこそ実現したことであります。ですから、霊界に戻り修行されて霊格が高まった暁には必ず、○○様をしっかりと守ってあげるようにしてくださいね」という内容を申し添えてあるのです。

ご先祖様も段々と霊法の珠等を観音様から授けられて、霊格、霊覚が上がってくると、守護霊団に加わったり、あるいは、個人的に守護してくれたりするようになります。

先祖霊が霊団を作り背後霊団として活動するようになったりします。

ですから、ご先祖供養というと真っ先に自分が先祖にしてあげるというイメージになってしまうことが多いですが、意外と自分のためにもなっているということがいえるでしょう。

さらにご先祖様は子孫に対して情的な想いを持っている場合がほとんどです。

子孫がかわいいな♪と思えば、どこまでも力を貸そうとされるところがあります。

人間的な情実が多い分、頂けるご加護もどこか現世的であることが多いように思います。

いわゆるちょっとした「ラッキー!」な出来事などは意外とご先祖様からの贈り物である場合が多いものです。

そういう意味でも、ご先祖様は大切にしておいた方が、現世で過ごす上では有利になるように感じます。

あまり、先祖供養を強調するのは、本道から外れるので、このあたりで辞めておきます。

ただ心の片隅に止めておいて頂ければと思います。



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純粋な心とは

スピリチュアルなものの見方、考え方、生き方をしていく上で重要な要素があります。

それは、「純粋な心」というものが挙げられます。

純粋とは透明で混じりけのない状態を表す言葉です。

純粋な心とは、混じりけのない心ということになるわけですが、私達が世知辛い世の中を生きているとどうしてもいろんな情報を受け止めて心が濁ってしまうのです。

純粋な心でいるためにはどうすればよいのでしょうか。

一つには情報に振り回されないということが挙げられます。

私達はいろんな情報を目にし耳に聞き、肌で感じて生きています。

毎日、流れるニュースを見ては、凶悪な犯罪が起これば不安や憤りを覚え、景気が悪と聞けばテンションが下がります。

また、流行や権威的なことからの情報も私達の心根を決めている重要なポイントでもあります。

これらの情報というものは、時が経過し、状況が変われば、全く意味が変わってきたりします。

私達は常に変化し続ける世の中に生きているわけですから、情報というものは常に意味が変わり続けるものなのです。

だから、自分が知っている情報のみを起点として、心をきめてしまうといつしか純粋な心は、情報という濁りで毒されてしまうこともあるのです。

では、純粋な心でいつつけるためには、何が必要なのでしょうか。

情報に惑わされないために必要なことはなんであるか。

それは、自分の中でのしっかりとした価値観を築くということです。

スピリチュアルというものに興味を持つ方は沢山いらっしゃいます。

しかし、途中で迷い、わからなくなり、いつしか、現実の世知辛い中に取り込まれて、スピリチュアルな発想などには目もくれなくなったりします。

「スピリチュアルなんて意味がない」
「現実こそがすべてさ」


そんなふうに感じ始めると、それは既に純粋な心は失われつつあるといえるでしょう。

これは、スピリチュアルを信じない方が純粋でないといっているのではありません。

自分の中に確かな価値観が根づいていないから、すぐに様々な日常から受けている情報というフィードバックに毒されてしまい、道を見失ってしまうということを言いたいのです。

このブログではスピリチュアルな事柄がテーマですので、どこまでもスピリチュアルなモノの見方、考え方、価値観に純粋に向き合ってゆくことを目指しています。

だから、普段から受け取る様々な情報フィードバックで、コロコロと考えが変わったり、揺れてしまうのは、価値観がしっかりと固まっていない、すなわち自分の中でしっかりとどう生きるのかを決断していないことの表れであることが多いのです。

天命を全うするにせよ、仕事を全うするにせよ、夫婦の道を全うするにせよ、すべては自分の中の価値観がゆらがないことが前提になります。

情報を起点とせずに、自分が何を目指したいのか。

ここを定めることが純粋な心を維持するための秘訣なのかも知れません。


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無用の用

今日はちょっと荘子に描かれている物語についてお話してみましょう。

昔々あるところに、大きなゴンズイという樹が生えていました。

ゴンズイの樹はとても大きいのでにするには大きすぎます。

かといって船をつくる材料にするには色々とねじ曲がって真っ直ぐに幹が伸びていないため使えない。

さらに悪いことに樹皮にはコブがいくつもあるので、どんな用途にも使えないときます。

ある時、大工の男がこのゴンズイの樹を観て、笑っていいました。

「本当に役立たずなどうしょうもない樹だな!」

大工の男の目からすれば、箸にも棒にも引っかからない使えない素材であると映ったわけです。

しかしです。

大工の男は、その夜、不思議な夢を見ます。

夢の中で、昼間に見たゴンズイの樹が現れてきたのです。

不思議なことに夢ではゴンズイは言葉をしゃべっているではないですか!?

男は驚きつつも、その声に耳を傾けます。

ゴンズイの樹:「昼間は散々、私のことを悪く言ってくれたじゃないか。だが、考えても見ろ。もし私が薪にするのに適していたり、船を造るのに優れた樹であったならとっくに切り倒されていた。私は樹齢千年にもなるが、これだけ長く生きながらえているのは、お前がいったその「使えない」という特質があったからなのだ。私の周りにあった樹は悉く切り倒されてしまった。どちらが幸福なことであろうか」

そこで男は目を覚まし、このゴンズイの樹について深く考えこんでしまいましたとさ(^_^)


実際の荘子に記述されているお話に対しては忠実ではありませんが(笑)、ざっくりとした話に纏めています。

さて、このお話が示唆することは、「無用の用」という発想についてです。

私達は普段、物事を判じる際に、これは無用であるとか、これは貴重であるとか、考えてしまいます。

しかし、一見、無用と思えていることにも大切な効用があり、それなくしては得られないものもあったりするわけです。

お話の中では、ゴンズイの樹の生命を守っていたものが、大工の男から観た欠点であるというところがポイントになっているわけです。

無用と思えるものの中にも本当は大切な働きをしているものがある。

そこにちゃんと目を向けないと大切なものを失ってしまうかもしれませんよ!というのが荘子でのこの物語の主張なのかも知れません。


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霊団と霊界

今年も後一カ月を切りましたね。(2011.12.6 現在

会社などでは忘年会のシーズンであり、街はクリスマスに向けてイルミネーションで装飾されたお店や街路樹なども目立ってきています。

クリスマスといえばキリスト教の本来は行事であるわけなんですが、ここで少し宗教的グループというものに関する霊界についてお話してみたいと思います。

霊界というものは、特に本来は特定の宗教的なグループの専売特許というわけではなく、普遍的に存在するものであります。

ただ、その存在を多く知らしめているのは、やはり宗教的なグループではないかと思います。

私はここでどの宗教グループがどうであるといった批判や解説をするつもりはありません。

しかしながら、実は独特な霊界を形成しているのが実は宗教的グループではることは事実であるようです。

コミュニティができあがるとそのコミュニティの霊界というものが出来上がってきます。

同じ価値観や意識レベル、志を共にする人達の念が集まれば、コミュニティの霊界はできるわけです。

例えば、私達は日本人という意識をもって、その習慣のもとで暮らしていますので、大きな意味で日本霊界(大和霊界)というものが存在しています。

大抵はこの霊界に皆ベースとして活動しているわけです。

その霊界の中にさらなる層があり、いくつもの小霊界が存在しているわけです。

霊界は本当にある意味複雑で、簡単に言葉で説明するのは難しかったりします。

ブログやFGS会報メルマガなどでも霊界についてはある程度、単純化したり、わかりやすく表現するために端折ったりしている部分もあります。

さて、宗教的グループは信仰や教義を信じる人達でコミュニティを形成しています。

そのため、強烈な霊界が形成されやすいともいえます。

会社組織などもある程度は価値観を共有したり、意識レベルの統一がなされているので、霊界を持っていますが、宗教的グループの場合は、その比ではありません。

なにしろ、価値観の共有化が他の組織よりも進んでいることは間違いありません。

ですから、その分、より強い結束で霊界がつくられます。

強い霊界が作られるとどうなるのかといいますと、その霊界にあった霊物、霊人などの存在が降りてくるフィールドとなるのです。

どのような霊物や霊人が降りてくるのかは、その霊界の性質によって、異なります。

清々しい愛と真心を持って活動を行っているグループであるならば、それに見合った霊界が形成されますので、そこにふさわしい神霊などが降りてくるわけです。

時には複数の神霊が霊団(れいだん)という形で結束して降りてくる場合もあります。

コミュニティの霊界を守護する霊団は、大抵、どこの宗教的グループにも降りています。

なので、宗教的グループに属するということはこの霊界に籍を置き(霊籍(れいせき))、霊団の影響を受けるということになります。

ですから、どんなコミュニティに属するのかということは、それなりに霊的な影響を受けているということを自覚することが大切になってくるかもしれません。

また、もしご自分が何かコミュニティを営む立場にある人ならば、どのような組織にしていくのかによって、霊界や霊団が異なってくるということも意識してみるのも良いと思います。


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疑念と大疑団の違い

物事を探求し、学びを深めていくためには、疑問を持ち、問いかけてゆくことが基本にはあります。

学問という言葉も、問いかけて学ぶと書くとおり、疑問を持つことは、学びを行う上で必須のことであります。

禅宗にも修行を行う上で必要となる三つのポイントがあげられています。

大信根(だいしんこん)、大疑団(だいぎだん)、大勇猛心(だいゆうもうしん)

この三つのうち大疑団は、大きな問題意識を持ち、問いをぶつけてゆくという意義があります。

まさしく、自ら疑問点を見いだして問いかけて答えを見つけてゆこうとする心構えが大疑団であるといえます。

しかし、この大疑団を支えている考え方は、大信根であるといえます。

大信根とは、どこまでも信じてつき従う覚悟を持つことであるといえます。

禅の道でいうならば、禅の道というものへの信頼、信仰、そして、師事するお師匠への信頼。

これがあって、はじめて、問題提起、大疑団というものが定まってくるのです。

大信根があり、大疑団を持つならば、最期は大勇猛心です。

怖じ気心や迷いを払しょくしてどこまでも勇猛果敢に道を極めてゆくのが大勇猛心ですね。

この三つがあってはじめて禅宗では道に入ったと言える状態にあるということがいえますね。

さて、疑問を持って問い学ぶことが大事であることは冒頭でお話しましたが、このことは禅宗の三つのポイントに置き換えるならば、大疑団とうことになります。

しかし、大疑団というものは、得てして一般的には疑念と勘違いをされる傾向にあるように感じます。

例えば、色々と疑問を持つことは、生きている中で多々あることでしょうけれど、大疑団と指すメンタリティと単なる疑念の違いはどこにあるのでしょうか。

それは、疑念を持っている人のメンタリティというものは、基本に愛や真心、そして素直な心というものが欠けています。

ともかく、すべてが疑わしく見えていたり、常に自分をだまそうとしているのではないかと考えてみたり、いつだって「怪しい」という目線でものを見ていきます。

自分の利には敏く、他人のあらを探すことは大好きです。

どこにも愛がなく、素直ではありません。

このような疑念は、何を学ぼうとしても身につきませんし、益々、疑心暗鬼になるだけです。

では、正しく疑問を持って学びを深めてゆくためには、どうすればよいのでしょうか。

言わずともお分かりになるかもしれませんが、大疑団を持つことです。

大疑団と疑念の差は、大疑団の場合、まずは大信根、すなわち、信じる心、素直な心があって初めて成り立ちます。

もちろん、なんでもかんでも信じてしまえというわけではありません。

検証やその前の大疑団を持ち、信じるにたるものを得るために疑問を持つことは必要かと思います。

しかし、心根に基本的な素直さが欠けてしまっていたり、「人を見たら泥棒と思え」といわんとばかりの疑念は、この大疑団とは似て異なるものであるわけです。

信を得るためにまずは問い学ぶ。

これが正しい疑問を持つということかと思います。



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【2011年12月度】神田明神への参拝

昨日、12月度神田明神への参拝をご奉仕させて頂きました。

先月の体調不良を乗り越えて、今月は一日の良き日に参拝をさせて頂くことができましたこと、感謝のお祈りをささげて参りました。

また、献灯のお玉串を捧げて、お賽銭箱にも皆様からのご寄付の一部を奉納させて頂きまして、神田明神様のご新徳の追い風がその真心に応じて行き届いていきますことを祈念させて頂きました。

さて、12月といえば、もう今月で今年も終わりますね。

このブログも開始したのは確か今年の一月からで、もうそろそろ一年になるということですね。

ここまで続けてこられたのは、読者の皆様やFGSの会のメンバーの皆様が応援してくださっていたおかげだとも思っています。

そして、神田明神をはじめ、様々な神社仏閣や神霊界からの支援もあり、ここまでなんとか不完全ながら続けてくることができました。

この場を借りてお礼申し上げます。

さて、神田明神にての参拝ですが、お祈りしている時にいくつか、神田明神様からのご指摘がありました。

一つは、道名授与を受けた方の中で少し混迷の中にいる方がいらっしゃるとのことで、この方達のサポート、祈りをしっかりと充実させなさいというものです。

それから、来年は、厳しく感じることもあるので、新しい方向性を持ってやり遂げなさいとのこと。

新しい方向性?厳しい。。?

具体的なことを伺ってみましたが、それは来年に入ってから教えてくださるとのことでした。

何はともあれ、とりあえずは、今回は、様々な今まで鑑定してきた方の悩み事の解消などを具体的にお祈りの言葉に奏上しつつ、道名授与を受けられた方には、一人一人、道名を奏上してお祈りをさせて頂きました。

すべての人が益々の発展を迎えられるようにご祈念をさせて頂いたわけです。

後、蛇足的なことですが、なぜかこの日はいつものどっしりとした主祭神様の神霊ではなく、神主姿の少彦名命様の取次役の神霊が現れてきました。

何かが変わろうとしているのでしょうか。

まだ、よくわかりません。

最後にメッセージをご紹介してご報告を終わりたいと思います。


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終わりよければすべて良し

歳末は謝恩の心持ち締めくくるべし

穢れは持ちこさず

置いてゆく

新たなる

朝日子迎える

準備を致すこと


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天心 拝


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天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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