ないものねだりをしない

ないものねだりをしない


隣人の人生を羨まない


あなたは隣人ではないのだから


あなたにはあなたの特別な人生が授かっているのだから


ないものねだりをしない


短いものより長いものが優れていると誰が決めたのだろう


できるだけ多くを得ることが幸せだと誰が決めたのだろう


どんな状態であっても人は幸せになれる


神様はそのように人間を作っている


ないものねだりをしない


独りでも楽しく


大勢でも楽しい


人生はいつだって楽しくできる


ないものねだりをしない


障害が現れれば除いて欲しいと願い


障害がなければ張り合いがないという


ないものねだりをしない


ないものをねだった時に人は苦しむ


全てはあり


全てはない


ただそのことに気づけないだけなのだ


そのことに気づけた人を上道(じょうどう)に入った人という


上道の人はないものをねだりはしない


そのかわりに必要なものを作り出す力を持つ


まずは、上道に入ることからはじめよう


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ゴールデンウィーク期間中について

皆様、こんにちは!

天心です。

いよいよ、本日からゴールデンウィークに突入ですね。

ゴールデンウィーク中は、概ね天気にも恵まれそうなので、嬉しく思います。

さて、ゴールデンウィーク中は少し、予定などもこなさないといけないこともあることから、ブログの更新頻度を落ちていくことと思います。

毎日、訪問し読んでくださっている方には、少しペースダウンすることをご報告させて頂きたいと思います。

ただ、過去記事も大変、重要な内容について語っているものもありますので、この機会に過去記事をお読み頂くのによいかとも思います。

また、取次鑑定やメールでのお問い合わせなどの返信についても、遅くなってしまう可能性があるので、その点もご容赦頂ければと思います。

連休ということで、皆さんも楽しんで過ごされることと思いますが、連休中は事故や怪我、体調を崩したりしやすい時期でもあります。

そのあたりは、どうか気を緩めずにしっかりと万全の態勢で事故のないようにお願いできればと思います。

それでは、皆様、良いゴールデンウィークをお過ごしください~♪


天心 拝


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積み残さない

本日、東京はあいにくの雨でございますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

明日からゴールデンウィークに入りますね。

週の中日の平日をお休みすれば、なかなかの長期連休になりますよね。

実りある連休をお楽しみ頂ければと願っています。

さて、今月も残すところわずかであるわけですが、今回のテーマは新たな月を清々しく迎えるに当たり、必要となてくる心構えについてお話してみたいと思います。

新たな月を迎えるとカレンダー上、日付が1日に戻るわけですが、以前、ブログでもお話させて頂いたように神社ではこの1日朔日(ついたち)と呼び、新たな気持で神様をお迎えする時期として祀りごとを行っています。

なので、神社にお参りするならば、1日にすると神社の神気も一層、漲っているわけで、日取りとしては大変お勧めできる日でもあります。

しかしながら、単純に1日に参れば、それで新たに月を向かえるにふさわしい行動になるのかといえば、そうではありません。

それだけでは、理想的な新たな月の迎え方としては半分ですね。

では、もう半分を満たすためには何が必要なのでしょうか。

それは、積み残しをしないということにあります。

これは年末年始の大祓い初詣の関係を考えればわかりやすいかと思います。

年度末には、神社にて人形などを収めたり、茅野輪をくぐったり、一年の穢れを落とす行事が神社などでは行われています。

これは、新しい年を迎える前に当年度の穢れという積み残しを祓っておく必要があることを意味しています。

新年を迎える時と同じように新しい月を向かえるためには、まずは積み残しを決済する必要があるわけです。

でも、年末ならいざしらず、毎月、祓いの儀式を奨励しているような神社はなかなかないかも知れません。

どうすればよいのかという疑問が生まれてくるかも知れませんね。

霊的な穢れについては、いろんな方法論があるかと思いますが、今回、お話したいのは、もう少し現実思考で取り行える方法になります。

それは、次の月になる前になすべきことをしっかりと終わらせておくということになります。

具体的にいえば、例えば支払うべき料金などがあれば、来月に持ち越さずに支払いを済ます、メールの返信をすべきものがあるならば、早めに送ってしまうなどがあります。

あるいは、していた約束を果たすなんていうのもあるかもしれませんね。

やらなければならないのに後回しにしていたことを、積み残しせずに済ませてしまうということが、新月を迎えるに当たり、一つの禊祓いになるわけですね。

借金や支払うべき債務、あるいはしなければならない作業などを積み残した状態で、いくら朔日参りを敢行しても、心のどこかに「やるべきことをやっていない」という想念が残ってしまうのです。

なので、できうるかぎり積み残さずに決着をつけるために年に十二回の禊があると思ってもらえればと思います。

「積み残さない」「罪を残さない」という意味でもあります。

ゴールデンウィークに入りますが、清々しい五月の良き朔日を迎えるためにも、積み残しをどうか決済して、新たな気持で道を進めて頂ければ幸いです。


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【守護霊問答】守護霊に愛される人

今回の守護霊問答のテーマは「守護霊に愛される人」というテーマで行ってゆきたいと思います。

私達を導いてくださる守護霊ではありますが、どうしたら守護霊に「かわいいな」とか「もっと守ってあげたいな」と思っていただけることができるのか。

この点について少しお伺いを立ててみたいと思います。


天心:「守護霊様。守護霊様に愛されるために何か一つ心がけることを上げるとするならば何がありますでしょうか?」

守護霊:「理屈を申さぬことである」

天心:「理屈ですか。。言い訳をしないということですか?」

守護霊:「理屈をこねず直ぐ(すぐ)の心で行動に移す者は、我ら守護の魂の感じいるところである」

天心:「ええっと、あまりごちゃごちゃと考えずに素直に前向きな努力をする人ということでよろしいでしょうか?」

守護霊:「その通り。一つ理屈言わば、百歩後退するなり。成長するものとは常に魂に逆らわぬものである」

天心:「あまり考え過ぎたり、理屈で損得勘定なんかを交えて、結局、ぐずぐずと行動に移せないことはよくあることですね」

守護霊:「素直なるものほどに成長は早い。理屈ばかりを言う者に成長も進歩もない」

天心:「なるほど。でも、どうしても考えてしまいがちな人もいると思いますが、どうしたら良いのでしょう?」

守護霊:「古(いにしえ)のものたちは、禅定に迷妄を立つことを求めた」

天心:「座禅のことでしょうか?でも中々、現代人が座禅を習うというのも機会がないようにも思います」

守護霊:「難しく考えることはなし。すべての責を負う覚悟で頭でなく腹で決断する癖をつけよ」

天心:「確かに自分が全ての責任を負う覚悟で、飛び込めば、あまり考え込むこともないですね」

守護霊:「我らがもっとも愛しく思う者とは、魂の活き活きとしたものである。そのためには、賢しらを捨て自己の魂を発露させるにしかず」

天心:「守護霊様たちにとって、その守護する人間が輝いている姿が一番愛しいということですね。そのためには、あまり考え込まずに素直な心で向き合って生きるということですかね」

守護霊:「さようなり」

天心:「わかりました!今回もお諭しありがとうございました。」


以上が守護霊問答になります。

これからは、私もあまり理屈をこねず頑張ろうと思います(笑)


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全力を出し切る

筋肉をつけるためには、筋肉を使うことが前提となることは、誰でも知っている事実だと思います。

運動することで筋肉を使い、そうすると、筋肉が疲労して破壊されることになります。

重い荷物を持ったりすることを続けていると、そのあとはへとへとになって疲れてしまいますよね。

でも、そうやって筋肉に付帯をかけて、へとへとになり、休息を取ることで、筋肉は超回復という働きにより、今まで以上に強固なものに成長していくことになります。

私達の身体は、運動の結果として、成長するように作られているわけですね。

実は、この法則は必ずしも筋肉だけにいえることではないのです。

頭脳も同じで、いっぱい難しい本を読んだり、緻密なことを考えたりしていると、段々と頭の回転や発想力も出てきたりします。

逆に頭を使わず、本も読まない、考えもしないと頭の回転も鈍くなってくるわけですね。

さらにいえば、心根においても同じなのです。

難しい課題や困難に立ち向かうことで、心の強さは成長していきます。

この時に大事なポイントとしては、筋肉の運動と同じようになるべく力を出し切ることにあります。

筋肉運動もなるべく重い荷物を持ったりして、筋肉にかかる付加が大きければ大きいほど筋肉の成長は大きくなります。

心の強さも課題に対して全力を出し切ることで、心の強さの成長も大きくなるわけです。

それから、もうひとつ大事なポイントは、またまた、筋肉運動と同じようにしっかりと休息を取ることにあります。

課題に対して全力を出し切ったならば、どこかで課題のことは一度、忘れて、意識を離すということが必要になってきます。

ずっと執念深く課題にとらわれてしまうと逆に心が壊れてしまう可能性があるからです。

筋肉運動も休まずやり過ぎれば、ただの身体の故障につながってしまうのと同じです。

課題に対し全力を出し切ったら、少し離れてみる。

この動と静の呼吸を掴むことがポイントになるかと思います。

何事も成長させるためにはコツがあるものです。

そのコツをつかむことが一番、安全に自分を成長させてくれる道となってくれるはずです。


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気迫を持つ

世の中には大きく分けて二通りのタイプの人間が存在しています。

どんなことでもやり通し成功させる人と、何をやっても中途半端で尻切れトンボになってしまう人。

あくまで、おおざっぱに分けた場合ですが、あえてざっくりと分類すると二つに分類できると思います。

言うまでもなく前者は人生において様々な利益を享受することができるわけですが、後者は中々、得たくても途中で挫折してしまうために得られるもの少なくちょっと切ない想いをすることも多いのではないでしょうか。

さて、自分がどっちに入るのかな?と考えた時に前者に入ると言い切れる方は、幸福な方ですね。(笑)

でも、得てして世の中は、どうも後者に入る人の方が多いような感じもたします。

かくゆう私自身とて、過去には挫折した夢の残骸を多く抱えています。(苦笑)

中々、全てを守備一環して貫き通し、成功成就させるということは至難の業でもございます。

多かれ少なかれ、皆、目標を立て、そこを目指して歩みを進めますが、途中で挫折してしまうわけです。

ある時、なぜ人は(というか自分は(笑))挫折するのだろう?と疑問に思ったことがあります。

そこで自分自身の過去の夢の残骸(苦笑)と向き合いつつ内観(ないかん ※自分の心根を見つめる手法)してみると一つの共通点が浮かんできたのです。

それは、必ずと言ってよいほど、夢や目標、志を立てると、それとは反対向きの勢力が動くという現象に遭遇するということなのです。

このことは、以前、ブログ記事「法難システムとは何か」でもお話させて頂いたことでもありますが、必ずと言ってよいほど、発生してくる現象の一つではないかと思います。

「海外留学をするぞ!」と志を立てれば、「お前英語できんの?」とか「留学?お金どうするの?」とか「留学なんて大変なことしなくてもよいんじゃない?」とかいろんな反対の意見が湧いてくるわけです。

そして、結果的に心が揺らいだりしてきます。

それを乗り越えても、実際に一歩踏み出せば、現実的な苦労や障害が発生してきます。

自分の才覚のいたらなさを痛感したり、自分の中に合った甘い目論見が崩れ去ったり(笑)、実際の資金難にあい諦めてしまったりということも起こってきます。

つまりは、これら法難システムによる障害を越えられないかぎり、私達は永遠に前者のような物事を成し遂げて成功を手に入れる人にはなれず、ずっと後者の中途半端なくすぶりを続ける人に甘んじることになるといえるでしょう。

なので、前者になるか後者となるかは、この障害に負けずに乗り越えられるかどうかにかかっているということです。

では、これら法難システムを退けるためには何が必要なのでしょうか。

一言でいえば、「気迫(きはく)」です。

気迫とは、気が迫ると書きますが、実際に物事をやり通す人というのは、一種独特の迫りくる「気」を持っています。

言葉では表現しにくいのですが、その人がひとたび志を立てれば、誰も口をはさめない何か圧倒的なパワーを感じたりするものです。

そのような気迫のある方には、周囲の人も反対意見を口にしなくなります。

逆にいえば、気迫のない人が夢を語るのを聞くと人はなぜか反対意見を口にしたくなるという傾向があるのかも知れません。(苦笑)

私達は、周囲の人がいらぬ口をはさむから心が揺らいでしまい、結果的に挫折へと導かれてしまうと考えてしまちがちですが、実は、視点を変えてみると自分の中に気迫を持っていないから、あれこれと余計な口を挟まれるということがいえるわけです。

また、発生してくる障害も気迫がないとちょっとした、つむじ風程度の向かい風も、ものすごい抵抗勢力のように感じられてしまったりするものです。

なので、法難システムを乗り越えてゆくためには、是が非でも自分の中に気迫を培う必要があるのです。

さて、気迫はどうやって培われるのでしょうか。

それはひとえには志に対する情熱でしかありません。

自分が成し遂げようとしていることにどれだけ情熱を注ぐことができるのか。

本当にやりたいことはなんであるのか。

ここを吟味していかなければ気迫は生まれてこないのです。

そして、最期は自信です。

「自分は何があっても絶対にやり遂げる!」という気持ちを常に自己に言い聞かせることができるのか。

ここにかかっているのかと思います。

どんな障害も気迫を持てば乗り越えられる。

法難システムに負けずにぜひとも志を遂げられる人になれるように願っています。


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”めんどくさい”は破滅の言霊

生きるということは、活きるということでもあります。

活きるとは活動的であることです。

常に前を向いて、自分にとって輝かしいと思える未来を描き、一歩一歩進んでいくことが「活きる」ことであり「生きる」ことでもあります。

しかし、時には人は動けなくなってしまうことがあります。

病気になったり、けがをしたりすれば物理的には動きにくくなりますよね。

こういったケースも人生には時折、生じることがあります。

でも、それ以外でも、人は動けなくなることがあるものです。

概ね健康だし、動こうと思えば動ける状態であっても、動こうとうはしない。

それは、心に「めんどくさい」という言葉が浮かんでいる時であります。

やろうと思えば、すぐにでも終えることができるような事柄でも、「めんどくさい」の言葉が心に浮かぶ時には、人は活動を止めて、停滞期に入ります。

「めんどくさい」破滅の言霊と私は呼んでいます。

「めんどくさい」を一回、口にするだけでも、活動力の十分の一くらいは奪われているような気がします。

心に「めんどくさい」を思い浮かべただけでも、百分の一くらいの気力が失われてしまうような感じがするのです。

例えば、メール一本、しかも大した内容でもない、ちょっとした返信メールすらも、「めんどくさい」と思えば人は、実行に移さなくなります。

あるいは、家から外出することも、おっくうになったり、新しいことにチャレンジしようという気持ちもなくなってきたりします。

人は活動しなくなれば、気力がなえ、段々と「活きる」力がなえてきて、「生きる」事の中で障害を抱えるようになります。

繰り返しになりますが、病気やどうしても動きようがない状態におかれている場合は、仕方がありません。

でも、それ以外で動こうとしない場合には、必ずその心に「めんどくさい」が隠れているはずです。

私自身、このことは常に戒めていることでもありますが、どうか何かを学び得ようと思われている方は特にこのことを注意する必要があると思います。

私は時折、取次鑑定などでご相談などを受けている時に予感を感じることが多くあります。

「この方はきっとご自分の障害を克服なさるだろう」
「この方は、これっきり音沙汰がなくなり、状況に流されてしまう傾向がでるだろう。。」
「この方は、この先も少し試練が続きそう。また、フォローのために導かれてくるだろう」


いろんな予感があります。

もちろん、このような予感は伝えることはありません。

昔、未来ヴィジョンの霊視を行っていた時には、伝えることもありましたが、霊視によって未来を限定化してしまい、その方の自助努力による未来開拓の可能性をなくしてしまうのは申し訳ないので、守護霊様のおっしゃること以外のあまり余計なことは伝えないようにしているわけです。

できれば、誰もが幸せになって頂きたいと願う気持ちがありますが、感覚的に人それぞれに流れていく方向のようなものが存在しているのは感じるのです。

そして、幸せな方向に流れていく人とは逆に、そうでない方向に流されていく人の中に「めんどくさい」の心をどこかに持っている方が多いようにも感じるのですね。

時間をかけてじっくりと課題に取り組むということは、考えてみたら、非常に焦れることでもあり、「めんどくさい」と思ってしまうがちです。

これを「めんどくさい」と思わずに続けていくことができるのか。

そのプロセスを楽しめるのか。

このあたりに生きることが幸せに繋がっていくことになるのか、あまり幸せでない人生に繋がっていくのかの分かれ道であるような気が致します。

私自身も含め、「めんどくさい」を克服して、輝ける人生を手に入れたいものですね。


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【補足】本来の自分に戻る

先日の記事「本来の自分に戻る」についてコメントを頂きました。

コメントを頂くと読んでくださっている方がいらっしゃるんだなあ~と実感がわくので大変ありがたく思っています!

さて、そのコメントの中で、疑問をお持ちになられたご様子だったので、これは、他の皆様の同様の方もいらっしゃるのではないかと思い、今回は少し補足させて頂こうと考えた次第です。

まずは、頂いたコメントからご紹介したいと思います。


【コメント】

天心さん、こんばんは。
いつも訪問させていただいています。
タイムリーなお話に感激している毎日です^^

本日のお話で、

>様々な悩みごとや障害というものは、本来の自分らしくない行動をし続けた結果として現れてきているものであるともいえます。

とありましたが、私は常々、
「悩みや障害」は、「自分の計画してきた学びの壁」のように思っていたのです。
障害があるjからこそ、学べることもあると思うからです。
その学びは、魂が求めていることと信じてきました。

魂が知っている、本来の自分、自分らしい行動、それができる方は悩みや障害がないのでしょうか・・。
魂に立ち返ること、とっても難しいですね。

すごく、難しいと思いました。
生意気なコメントでスミマセン^^;
素朴な疑問なので、お許しください


【天心からの補足】


はい。

おっしゃる通り、障害悩み事というものが魂を向上させてくれる糧になっていることは間違いないです。

障害や悩みがなければ、人は学ぼうとか、頑張ろうとか思わない性質を持っています。

それゆえに障害や悩みは、人生のための教材だという表現もできることでしょう。

確かにこの考え方は間違っているわけではありませんし、最初の段階としては、必ず誰もが通る道です。

しかし、誤解を怖れずにいえば、悩むことが修行ではないし、障害と向き合うだけが学びではないのですね。

最初は向き合い、葛藤することから始まりますが、究極的には、その解を得る瞬間が来るわけです。

その時に今までは大変な障害と思われていたこと、あるいは悩み葛藤していたことは、その人にとって障害でも葛藤でもなくなっているということになります。

その解を得られる瞬間とは、自分が本来の姿に立ち返っている時に他ならないということです。

先日の記事でお話した、「様々な悩みごとや障害というものは、本来の自分らしくない行動をし続けた結果として現れてきているものであるともいえます。」という表現をしたのは、一つには、障害を生み続けるのは、その人が本来の自分に戻るという解にたどり着けていないために起こっているという意味であると同時に、本来の自分に戻ることなくして本当の意味で悩みや障害がなくなることはないのだということを伝えたかったわけです。

>「悩みや障害」は、「自分の計画してきた学びの壁」のように思っていたのです。

これも一つの表現だとは思います。

自分を磨くために障害を計画する。

そのように人生の悩みや障害を意味つけることもできなくはないでしょう。

しかし、この考え方には一つだけ見えてこない部分があります。

それは、何のために?なのです。

例えば、人々に障害に負けない勇猛心を表現してみせて、感動させ、同時に自分自身の意志の表現とするためあえて障害を設定した。

このように目的が明快であれば、考え方、あるいは表現としてそのように定義できるかと思います。

でも、私としては、自分自身の表現したい意志があり、その途上に不足点を補うために障害が生まれてきていると考えた方が自然であるように思えるので、そのようにお話させて頂いているわけです。

どちらの表現もおそらくは同じことを指しているのかと思います。

その人なりにしっくりくる解釈をすればどのような表現でも良いのかと思います。

私としては、障害や悩みに焦点を当てずにあくまで自分の中の主体的な意志と目標の光に向かってどこまでも伸びていこうという思想を持っているため、表現上の違いがでてきているのかと思います。

人生に起こる障害や悩みに焦点を当てる(いわゆる、障害や悩みの意味を考える)ことで自己を成長させるという観点での発想をされる方にとっては、矛盾しているように感じられてしまうこともあるかと思いますが、実際には一つのことを指しているはずです。

目標に向かう途上に障害があるのか、障害を越えることで目標に近づけるのか。

どちらでも良いかと思います。

でも、どちらにせよ自分の向かってゆくべき大目標を見いだすためには、本来の自分に戻ることはいずれにせよ求められてくるのではないかなと考える次第です。

疑問の解消の一助にこの記事がなれば幸いです。

貴重なコメントありがとうございました!



天心 拝


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本来の自分に戻る

守護霊に一度だけあることを尋ねたことがあります。

それは、「人生においてまず、何を学んでいくべきなのですかね」といった内容でした。

人生は魂の向上のためにあるといわれましても、何から手をつければよいのかわからなかったからであります。

人生に起こる全てが学びだとしても、私が向かっていくべき方向性というものがわからないと、一歩を進められないと感じたことわけです。

守護霊の答えとしては「本来の自分に戻ること」というコメントを下さっただけでした。

なんだか少し、わかったようでわからないコメントなのですが、本来の自分に戻るとはどういうことなのか、しばらくはわかりませんでした。

でも、今ははっきりと理解しています。

私達は皆、魂を持っています。

これは、別の言い方をすれば、純粋なる意志を持って生まれてきているということを意味しています。

つまりは、初めから方向性を意識した魂にそって人生は進められていくということに他なりません。

ところが、私達は魂の持つ方向性というものを意識することなく人生を生きていることが大半であります。

生まれてきた瞬間はわけもわからず、ただ、必死で生命を維持するために、両親に育てられながら、肉体と精神の発達のために活動をするわけです。

なので、子供の頃というのは得てして魂の意志の自覚は少ないといえます。

しかし、ずっと子供のように肉体や精神だけを培うために生きていくわけではありませんよね。

子供の頃は両親や学校などの保護者的な立場の人間の指示に従って活動することが多いはずですが、成長し大人になれば、自分で自分がどのような方向に向かってゆくのかを決めなければなりません。

その時に一番、大切なことは本来の自分に戻ることであります。

本来の自分に戻るとは魂の意志に立ち返るということです。

ただ、これがうまくいっていないケースが世の中には多いようにも思えます。

世間の常識や先入観、呪縛観念に縛られて、魂の意志がなんであるのか自覚できなくなっているのが現実のように感じます。

だからこそ、守護霊は最初に本来の自分に戻ることから魂の向上は始まると教えてくれていたのだと思います。

魂に立ち返らずにやみくもに人生を歩めば、何が何やらわからなくなってしまうものです。

様々な悩みごとや障害というものは、本来の自分らしくない行動をし続けた結果として現れてきているものであるともいえます。

よく聞く言葉に「自分がどこへ向かえば良いのかわからない」といったものがありますが、この言葉を口にすることこそ、本来の自分を見失っている典型的な状態に陥っていることを意味しています。

何をどうすればよいか。

人はすぐに安易に方法論を求めるキライがあります。

しかし、「どうするか」よりも「何をすることが自分らしいのか」に焦点を当てていくことの方が実は大事であったりするわけです。

まずは、魂に立ち返ること。

ここから魂の向上の旅の一歩が始まります。

本来の自分に戻ることからはじめてゆきましょう。


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1%未満の真理を掲げて

私はブログやFGSの会報メルマガ等を通して様々なことをお伝えするために発信をさせて頂いております。

私なりに見聞した真理をお伝えしているわけです。

時には、「本当に勉強になります」という、あり難くも恐縮なお言葉を頂くこともあります。

しかし、同時に私自身、まだまだ、全く持って真理には遠いなと自分自身を内省することが多いのが現状です。

人はどんなに勉強して、成長したつもりでも、所詮は全体の真理からすれば不完全な存在です。

あえて定量的に表現するならば、どんなに頑張ってみても1%未満の真理を体得できているかどうかという程度のものです。

どんなに立派に見える人も、凄いことを話しているように見える人も、やはり突き詰めれば1%未満の真理でしかないのではないかと思えるのです。

だから、私は常に私が述べていることは全体の1%未満の真理に過ぎないということを自覚しています。

読者諸氏の皆様がたにおかれましてもそのつもりで受け止めて頂きたいと思います。

さて、私達は不完全であるということに関して、声を大にして反対する人は少ないかと思いますが、それでも人生というフィールドを与えられているかぎりには成長してゆかなければなりません。

1%未満の真理で満足せず、様々な真理を得るために努力を惜しまないことは大事です。

とりわけ、人と言うのは自分の中の1%未満の真理で全ての物事を図ろうとしてしまうことが多いにあります。

自分の尺度だけで人生を観て、これが真理だと思いこめば、狭い道をゆくこといなります。

また、人は権威あるのものに出会うと絶対だと感じてしまう傾向もあります。

有名な人が言っていることだから、経歴が凄い人が言うのだから、社会的実力がある人がいうのだから、と権威を拠り所としてそれを絶対的に受け入れて従おうとしてしまうところもあるのではないでしょうか。

しかし、繰り返しますが、人という者は1%未満の真理しか持ってはいないものなのです。

どんなに優れた人であっても、完全には程遠いのが人間の姿なのです。

だからこそ、私達は見聞を広めていくことで不完全さを少しずつ補っていくことで成長するわけです。

自分の信じる真理が全てであると誤認した時、人は成長を止めてしまいます。

それよりも、新たな見方考え方が世界にはあるのではないか?と問い続けることで成長は進んでいきます。

人生は思いもよらないところに答えがあったりするものです。

良いも悪いも乗り越えて、何にでも試行錯誤してチャレンジしていくことでしか、私達は自分たちの中にある真理を成長させることはできないでしょう。


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負のエネルギーの連鎖を断ち切る

負のエネルギーは、時として家系や過去世からの継承によるものがあります。

つまり、今生で作り出してしまった負のエネルギー以外にも先祖伝来の引き継いでいるエネルギーもあるわけです。

負のエネルギーの正体は、誤った心根が蓄積したものですから、浄化されない限りは永遠に残り続けるわけです。

以前にもブログでお話したことはありますが、負のエネルギーを抑え込むには、正のエネルギーを蓄えてバランスを取るか、負のエネルギーを顕現化させることで、エネルギー自体を消費してしまうという方法があります。

ただ、家系からくる負のエネルギーというものは膨大で、とても個人で全てを消費しきれるものでもありませんし、正のエネルギーでバランスを取るといっても、個人で家系の負のエネルギーを凌駕するほどの正のエネルギーをすぐに蓄えることは難しいかもしれません。

だからこそ、少しずつ家系に属する人間を通して、消費して減少させているという部分もあります。

でも、負のエネルギーの問題点は、一旦消費して一字的にエネルギーが減少しても、気をつけないと新たな負のエネルギーを蓄えてしまう可能性があるとことです。

例えば、非常に苦しい立場におかれている時、どうしても人は、恨み事を口にしたり、考えたりしてしまいます。

人情としては仕方ないところでもあるのですが、自分に降りかかる苦難に対してネガティブに向き合ってしまうと折角、負のエネルギーが消費されても、新しいものをまた生み出してしまいかねません。

なので、苦難にあった時には、正念場でもあります。

永遠に終わることのない負のエネルギーのサイクルを作り出してしまうのか、自分のところで今後の子孫に与える負のエネルギーをできるだけ減少させておくことができるのかが決まってくるわけです。

どうせ同じ味わわねばならない苦しみならば、積極的に借金を返すつもりで、覚悟を決めて受け止めるということも人生では必要な場合もあります。

負のエネルギーの連鎖を断ち切るためには、どうしてもその当人の忍耐や自覚が必要です。

霊的な方法で霊界面より、少しだけ負のエネルギーを相殺したり、あるいは、因業とよばれる負の傾向に向かわせる歪みの元となる霊波動を調整することはできます。

しかし、霊界の状態を調えても、現実においての自助努力がどうしても必要になってくるものです。

これは丁度、骨折して治療を施した後、固まってしまった筋肉は、苦しいリハビリを通してしか最終的には蘇生できないのと似ています。

霊界と現世での両輪で何事も進めていくことが結果的に物事を改善へと向かわせていくことになります。

苦しいかもしれないし、切なく感じて、「やってられるか!」と叫びたくなる瞬間もあることかと思います。

でも、そんな時には、今、負の連鎖を断ち切れるかどうかの分岐点にいるということを想い出してみてください。

夜明けを信じられる人にだけ、朝日を拝むことができます。

全ての人が自らの正念場を見事に超えて行けることを願っています。


天心 拝


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食べ物と霊気の関係

私達が生きてゆくために欠かせない事柄に食事と言う行為があります。

食べるという行為を通して私達は身体に必要な栄養を摂取して、カロリーを蓄えて、活動の原動力にしているわけです。

さて、私達が食事をするのは、主に身体を健康に保ち、肉体保存のためだと考えられていますが、実はそれ以外にも重要な意味があります。

栄養を摂取するという以外にある食事の意義とは一体なんであるのでしょうか。

家族や友人との団欒のひと時、あるいは、美食のような楽しみとしての食事の意義もあるでしょう。

今回は、そのようなこととは他に食事を通して私達が摂取している霊気についてお話してみたいと思います。

私達が普段口にしている食事には、様々な食材に含まれる栄養素があります。

ビタミン、ミネラル、塩分、鉄分、カルシウムやタンパク質等ナド。

栄養素の数は限りないほどありますが、肉体を健全に保つためには、栄養をバランスよく取ることが推奨されています。

なので、多くの人は、時折、健康を保つために栄養バランスなどを考えながら日々の食事を決めたりすることも多いと思います。

しかし、食べることで摂取しているのは、栄養素だけではありません。

実は私達が本当の意味で健全に肉体と精神を保つためには、「霊気」というものにも着目しなければなりません。

「気」とは何かについては過去にもブログ記事にてお話したことがあります。

少しおさらいしておくと、「気」とは主に感覚を意味しています。

私たちは、普段から様々な感覚のフィードバックを受けて生きています。

目に見えずとらえどころない感覚を私達は「気」という言葉で表すことが多いかと思います。

熱い感覚を「熱気」と表現したり、人々でにぎわい動きのある状況を「活気」があるなんていうこともあるでしょう。

このように「気」とは主に感覚を表現したものであるわけです。

私達が健全な肉体と精神を維持し培うためには、栄養以外にも「霊気」が必要だと言いましたが、それを別の言い方で表せば、私達は食事を通して「霊気」を取り入れることで、肉体と精神を豊かにできるということが言えます。

このことをもう少しわかりやすくするために、現代病ともいわれる肥満の仕組みを用いてお話してみたいと思います。

現代社会において、肥満になる人が多いといわれていますが、これはひとえにカロリー摂取が昔に比べて増大してきたことと、それに反してカロリーを消費するような肉体的運動を行う絶対量が減少していることが原因であるといわれています。

確かに、昔は何か一つのことをするのにも全ては人の手で行われていたわけです。

水を確保するにも川まであるいて汲みにいったり、食べ物を得るためには、獲物を求めて只管歩いたり、獲物と格闘して倒さなければ食べることはできませんでした。

あるいは作物を取るためには、田畑を耕し、一日中、力仕事をしなければならないわけです。

もちろん、今の時代でも農業に従事している人は、一日身体を動かし、文字通り額に汗を浮かべて働いておられるいことでしょう。

日本のような恵まれた国ではなければ、世界には、水を汲みだすために今も川まで時間をかけて行き来するような状態の国もあるので、例外はありますが、それでも、現代においては格段にカロリー消費を行う機会が減少してきているとはいえるのではないでしょうか。

そして、少なくとも日本においては、少しお腹がすけば、街にでて食事をとるなり、買い物をして食べ物を買うなりしてカロリーを摂取することができます。

このような状況であれば、カロリー過多、運動不足になるのも仕方ないのかも知れません。

そこで、現代ではダイエットというものが脚光を浴びているわけです。

いかにして、カロリーの摂取を過大にならないように控え、運動不足を解消するのかというのがダイエットの基本になります。

単純に考えれば、運動量が減少しているのだから、摂取カロリーはそれほど必要がないはずです。

それでも、なかなか、カロリー摂取を控えるのが難しく感じてしまうのが現実ではないでしょうか。

運動量に対してカロリーは足りているはずなのに、食べたくなってしまうわけですね。

実はここに食べ物に含まれる霊気というものが関係してきています。

私達の現代の生活は概ねカロリーは十分に足りている状態になってきています。

しかし、カロリーは十分でも、霊気が不足してくると、身体と精神はそれを欲し始めます。

人間は無意識のうちに霊気を取り入れたいという欲求に駆られて生きています。

これは、あまり通常、意識されることがないことですし、一般的には霊気というものの存在はあまり認めようとする人が少ないため、益々、誰も考えることがなくなってきてしまった要素でもあります。

霊気を取り入れるために一番手取りばやいのは、食事を通して取り入れることなのです。

なので、肉体的にはカロリーは十分すぎるほど摂取できていても、霊気が不足していると必要以上に食べてしまうことになるわけです。

現代においては、霊気の不足が顕著であるため、この点を解消しないかぎり、肥満という名の現代病は解決していかないのではないかなと個人的には思います。

さて、霊気が不足しているとお話しましたが、それを取り入れる方法に食べるものの量を増やすことで対応しようとするから肥満になることは、なんとなくご理解頂けたかのではないかと思います。

カロリーは十分なのに霊気が不足するというアンバランスをどのように解消すべきなのでしょうか。

その答えとしては、日頃から「気」を取り入れることを心がける必要があります。

「気」といっても難しく考える必要はなく、よく感覚を味わうという習慣を持つことが大切です。

もちろん、取り入れるのは自分にとって良い「気」でなければなりません。

邪気や怪しげな気を取り入れると余計に肉体と精神のバランスが悪くなってしまいます。

一番良いのは、自分の心がスッキリとする場所に赴き、その場の空間や目に見える景色、香り、六根で感じられる全ての感覚をしっかりと味わうように意識してみることです。

神社や森林、川や海といった自然のある空間などがお勧めです。

もちろん、他にも気を取り入れることができる場所は多々ありますが、霊気の不足を補うためには、日頃からの気に対する意識が大切になってきます。

繰り返しますが難しく考えることはありません。

特別な行やトレーニングをしろということではないので、気軽にかつ継続的に行っていくことがポイントになります。

霊気を補い、霊体が充足してくると不必要な食べ物をとる必要もなくなってくるため、肉体も精神も健全になってきます。

是非、試してみてください。



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【守護霊問答】死について

今回の【守護霊問答】は、今まで聞きたくても躊躇(ちゅうちょ)していた「死」についてお伺いをたててみたいと思います。

なぜ、今まで躊躇していたかといいますと、私達の現世での目的は魂の向上であり、活き活きと生きることにあります。

明るく前向きに生きることについてお話する時に「死」というテーマは少し暗く、テンションを下げてしまいます。

また、安易に人の死について、さも、わかったようにアレコレと論じるのは、人の尊厳ということも鑑みるとどうしてもキーボードの指も鈍るというものです。

死生観というものは人それぞれにあるものです。

その一つ一つは尊重されてしかるべきものだと思います。

また、霊界は現世よりも自由で楽しそうだから、辛い現世を抜け出して霊界に帰りたいなんていう発想を持たれても、本ブログの主旨からずれてしまいます。

なので、長らく、あまり「死」というものに対してテーマとして取り上げることはしていませんでした。

しかしながら、人は早かれ遅かれ現世的には死を迎えます。

泣いても笑っても人は霊界の門をくぐることになるのです。

優しい柔和な愛すべき人も、剛直で力強くどんなものにも負けないようながっしりとした人も、多くの善行で社会に貢献した人も、翻って悪行三昧で憎まれっ子のごとき人生を歩んだ人も、分け隔てなく死を迎えるのです。

現実において「死」というテーマは暗くなりがちなテーマですが、人が一度は通る道である以上、向き合わないわけにはいかないのではないか。

このように思い至ったことから、今回は守護霊様にこのテーマをぶつけてみることにしました。

これから繰り広げられる問答は、決して興味本位でもいい加減な気持でもなく、純粋に私達がどう死と向き合うべきかについて守護霊様との交流を通しての結果であり、一つのヒントであり、解釈であります。

あくまで一つの解釈である以上、唯一無二の真実を語っているわけでもなんでもありません。

ですから、一つの参考として受け止めて頂ければと思います。


天心:「今回は死というものについて、どう向き合ってゆくべきかについてお伺いしたいと思います」

守護霊:「死とは決済なり」

天心:「決済ですか。。?」

守護霊:「さよう。本来、この世には生まれるものもなければ死すべきものもない」

天心:「そうなのでしょうか。人は生まれてそして死んでゆくものだと思うのですが。。?」

守護霊:「生とはあると感じる心。死とは喪失と感じる心。いずれも変化に対する感情である」

天心:「確かに仏教などの教えでは、一切は空であり、物事は常に変化し続けるとありますが。。」

守護霊:「変化に際し心の区切りをつけるために人は生と死を作り出したといえよう」

天心:「生も死も変化の状態の呼び名に過ぎないということですかね。」

守護霊:「その通り」

天心:「では、改めてお伺いしたいのですが、死が決済とはどういう意味なのでしょうか?」

守護霊:「人は死すべき時に己がいかなる心根で今生を全うしてきたのかを知ることになる」

天心:「それは、良く聞く話で、一生の出来事を走馬灯のように見るといわれていることと同じなのでしょうか」

守護霊:「走馬灯とは己が心根を見ている現象に過ぎぬ。本当の意味で人生を生き切ったものは走馬灯は見ぬ」

天心:「そうなんですか!?」

守護霊:「毎日毎日の積み重ねた心根の念が清ければ、死は爽やかに訪れるもの」

天心:「なるほど。でも、死ぬ前にやっぱり苦しんだり、不安に思ったりするのが人情だと思うのですが」

守護霊:「光明に向かっておるものには不安などはない。死の不安とは闇に囚われた心の迷いである」

天心:「う~ん、もう少し詳しくお願いできますか?」

守護霊:「ウキウキとした心地で旅にでるものが途中で山賊に襲われて死を迎えることなどは考えぬであろう。死はいつでも傍にあるもの。だが、人は前に向かって歩みを進める時、死神をも蹴散らす」

天心:「なるほど、確かに私達はいつだって死に直面する可能性はあるわけですよね。でも、希望を持って前に進もうとする時には死に対する不安なんてないですよね」

守護霊:「死に対する向き合い方とは、どこまでも自分の中にある光明に向かってゆくことにほかならぬ」

天心:「つまり、どんな死に方をするかとか、死んだらどうしようという不安など無視して自分の中の光に向かてゆくことが、正しい死に対する向き合い方だということでよろしいでしょうか」

守護霊:「概ね正しい」

天心:「最後にもう一つだけ教えてください。死にゆく人を見取る側の心構えについてなのですが」

守護霊:「一つは旅立つ者の想いを受け止める。一つは感謝の想いを持つ。最後はただ愛のまなざしだけである」

天心:「相手の今生における最後の想いをしっかりと受け止めるということですね。それから最後は愛を持って見送るということですね。ただ、真ん中の感謝の想いを持つがちょっと意味がわからないのですが」

守護霊:「死にゆくものとは先達である。現世のものに死の在り方ありようを教える役目を担っておる。なればこそ、その瞬間に立ち会い学ぶことができることを死にゆくものには感謝すべきなのである」

天心:「確かに私達は人の死に触れて始めて、死を意識したりしますからね。そういう意味では、私達は命をかけた最後の教えを死んでいった方々から授けられているのかも知れませんね」

守護霊:「現世を生きるものは、死者の最後の諭しを受けて、修行する。これが本来の先に逝った魂への礼節なのである」

天心:「私達が現世でその生を終えて死を迎える時のために教えてくれた様々なこと、残してくれた想い、それを受けついで今生を一生懸命生きなければ、先達として霊界に旅立った人達に申し訳がないですね」

守護霊:「その通り。なればこそ現世を勇猛心を持って生き抜けよ」

天心:「わかりました。ありがとうございました」


以上が守護霊問答になります。

人ぞれぞれの死生観があるとは思いますが、今回の守護霊問答が何かのヒントになることを願っています。


天心 拝



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孟子の母

文字色私が過去に拝読して感銘を受けた古典に「孟子」があります。

孟子様孔子様の説いた儒教に基づいた思想を展開した方であり、その思想をちょっとした物語風にエピソードをまじえながら編集されているのが「孟子」と呼ばれる古典です。

非常に含蓄に富んだ内容で一読すればその素晴らしさを理解できることと思います。

孟子様は現代でも評価される諸子百家(しょしひゃっか)と呼ばれる思想家でありますが、この方を育まれた母上様も本当に素晴らしい方なのです。

孟子様もはじめから立派な考えを持って生まれてきたわけではありません。

最初は他の子どもと変わらない平凡な子どもでありました。

孟子様は生まれてからしばらくは、お寺のそばで育ったと言われています。

お寺が傍なので、いつも葬儀とか法事のようなものが周囲で行われている状態だったためか、いつしか孟子様はお坊さんの真似ごとをして遊ぶようになったといわれています。

子供は何にでも興味を持つので、周囲の真似ごとをはじめたとしても特に変わっているとも思えません。

なので、孟子様も特段、普通の子供と変わらない平凡な子供そのものです。

しかし、素晴らしいのは母上様です。

その様子を見てあることを閃いてしまいます。

お寺の傍に住んでいるからお坊さんの真似ごとをするのであるならば、立派な学者さんの集まる場所に引っ越せば、この子は学問に目覚めるのではないだろうかと。(笑)

早速、母上様は住居を近くの学者の集うところに移してしまいました。

母上様の読みはあたり(笑)、子供である孟子様は、今度は学者の真似ごとをして見よう見まねで本をそらんじたり、読み書きをするようになったわけです。

こうして、未来の聖人である孟子様の誕生につながる礎がつくられたわけです。

母上様がこのように機転を利かせなければ今頃は、私達が「孟子」という書物を読むこともなかったかも知れません。

さて、学者の真似ごとをするようになり、段々と成長した孟子様は、段々と立派な学者さんになるべく、学問を修めていきます。

でも、やっぱりまだまだ、この段階では聖人と呼ばれるほど、立派な方であったとはいえないようです。

学問をおさめつつも他の人間と同じようにどうしても前に進めない壁にぶつかってしまいます。

「自分はこのまま学問を修めていても一角の人物になれるものなのだろうか」

壁にぶつかり、孟子様も普通の人のように同じような悩みにぶつかったわけです。

自分の才覚に限界を感じた孟子様は久しぶりに帰郷して母上様の顔を観に行きます。

人間、弱気になると親の顔を観に行きたくなるのは、今も昔も変わらないのかも知れませんね。(笑)

実家に帰ると母上様は裁縫仕事をなさっていました。

突然の息子の帰郷に母上様はいぶかしみどうしたことか尋ねると孟子様は事の次第を母上様に告げます。

自分には才覚が足らないので、学問は諦めようかと思うと弱音を吐いたわけです。

その瞬間、母上様は今まで縫っていた裁縫の糸を途中で切断してしまいます。

糸が切られた布は瞬く間にほどけて元の布切れに元に戻ってしまいました。

孟子様もあっけにとられてそれを見ていると母上様は言いました。

「どんなに糸を紡いで、縫い合わせた布も最後まで縫い合わせて、糸を締めくくらなければ元の布切れにもどってしまうものです。お前が今、学問を諦めてしまうことは、この裁縫の糸を締めくくらずに切ってしまうのと同じことなのですよ」

このように母上様は、やり通し、最期まで決着をつけるまで続けることの意義を息子に諭したわけです。

これを受けて、弱音を吐き、泣きごとを言っていた自分が恥ずかしくなり、孟子様はその後、迷うことなく、学問の道を修めていくことになります。

この時、母上様が諭すことなく、息子の言い分を受け入れていたら、今日の「孟子」は存在しなかったわけですね。

このように意外に世間的には注目されなくとも、注目をされる偉人や名著の背後には、立派な方の存在があるわけです。

特に最後の母上様の裁縫を通じてのお諭しは、現代を生きる私達にもそのまま当てはまることのように思えます。

何事も最後までしっかりと締めくくるということは、とても大事なことなんですよね。

スピリチュアルな世界の探求にしても、魂の向上にしても一過性の熱意だけで、後が続かないのでは、糸を締めくくらない裁縫と同じことなのかも知れません。

私自身、糸を紡ぎ、締めくくれるその日まで、くじけずに道を探求していければと思っています。


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プライスレスな宝とは

あなたは何かを行動に移そうとする時、何を基準に考えますか?

おそらく何らかのメリットがあるかどうかで行動するかしないかを決めているのではないでしょうか。

もちろん、何のメリットもないことを率先して行動に移すことは、なかなかしないことです。

何かしかの益を感じるからこそ、実行に移そうと心みるのでありますから、メリットのないことを率先してやりましょうなんてことを言うつもりはありません。

ただ、そのメリットと感じていることに少し注目して頂きたいなという想いがあります。

得てして人は、メリットというと大抵は金銭的なものをまずはじめに考えます。

それはお金になるのか?という発想です。

次に考えるのは、自分にとって直接的に得になるようなことなのかということです。

何か無償でもらえたり、自分が得したと思えることで、金銭的に換算すると価値があるとみなされるものを得られた時にメリットを感じることが多いのではないでしょうか。

もちろん、これらメリットを得ることは悪いことではないのですが、このような目先の特に金銭というもので全ての尺度を図ってしまう癖をつけてしまうと人生はとてもつまらないものになり、人生を歩む意義が薄れてしまいます。

お仕事をしてみても、「給料が高い」とか「福祉厚生がしっかりしている」とかそういう点ばかりが気になって、肝心の仕事に対する情熱とかやりがいに意識が向かなくなると、仕事もしなければならない義務のようなものになってつまらなくなります。

人間関係においても、「これはつきあいだから」といって義務感で遊びにいきますと気を使い疲れるばかりで、面白くなかったりしますよね。

いつしか、人はメリットをお金に置き換えて考える癖をつけるようになってしまいました。

本当に人間が豊かに生きるためには、目先のメリットや金銭的な価値の基準を越えて、見ていくことができなければ難しいかと思います。

それは別な言い方をすれば、「プライスレスな宝」に目を向けていく必要があるということです。

例えば、芸術は心と感性を豊かにしてくれます。

音楽のコンサートなどにいきますと、座席が場所に応じてランクづけされています。

一番後ろは一番安い料金で、舞台に近づくほど金銭的には高くなります。

いわゆるS席とか特別席と呼ばれる場所は非常にお高いわけです。(笑)

ここで、あなたならばどう思うでしょうか。

「どこで聴いたって音楽なんて変わらんでしょ?安い場所で十分」と考えるでしょうか。

確かにそれほど、こだわりがなかったり、経済的な事情もあることなので、こういう判断も間違っているわけではありません。

しかし、本当の意味で芸術作品を心から味わおうと思ったら、本当に良い席で聞いた方が良いのです。

臨場感が違いますし、心に響くものが違ってくるからです。

さて、ここで、ある程度お金には余裕があることを前提として考えた場合にどのような選択をするかによって、自分の価値観が目先に向いているのか、プライスレスな宝に向いているのかがわかります。

もしここで、「音楽にお金を支払ってもお金が儲かるわけじゃない」と考えて安い席にするようならば、金銭的価値基準にとらわれているといわざるを得ないでしょう。

このようなことを言うと「何があるのかわからない世の中だし、お金は節約したほうがよいではないか?」というご意見が出てくることでしょう。

確かに、やたらと散財するのは賢い選択とは言えません。

しかし、私達の人生を豊かにしてくれるのは決してお金ではないのです。

私達の心根を豊にする以外に人生を豊かにすることはできないのです。

それでもやはり反論は出てくることが予想されます。

「いや、お金がなければ欲しいものだって買えないではないか」と言う意見があるでしょう。

ごもっともなご意見です。

しかし、お金というものは、持っているだけで人を豊かにしてくれるものではありません。

自分を豊かにするために正しいお金の使い方をすることが、結果的に豊な人生を手に入れることに寄与するわけです。

戦々恐々として、将来の不安をお金で紛らわそうとしたり、お金さえあれば幸せと思いこんでしまうとお金を得よう得ようという方向に動いてしまいます。

逆説的にいえば、お金を得たければ自分自身がお金を引き寄せられるだけの魅力や実力、能力を培うことが一番のポイントになるわけですが、そういった要素は、目先の金銭的な価値で計れるものの中にはなかったりするのです。

例えば、学問にしても、直接はお金には関係ない、何のメリットがあるのかわからないようなものもあります。

難しい専門書を読んでみたって、それがお金を運んできてくれるわけではありません。

しかし、学問をおさめ、探求する最中、自分なりのアイデアで社会に貢献できるだけの人になることができれば、そのような才覚のある人材には、お金が回ってくるわけです。

でも、本人は決してお金を得るために、目先のメリットを掴むために学問をしたわけはないはずです。

自分の心にある探求心と成長したい、より知識を得たい、新しい発見をしたいという想いがあるからこそ、学問にいそしむことができたはずです。

お金お金と目先のことを追いかければ、いつしか、心の豊かさも失われて、「貧乏暇なし」を地でいく人生が待っているのです。

プライスレスな宝とは、お金で計れないものです。

お金がなくとも、大切な家族と過ごす穏やかな日々は、人生を豊かにしてくれる大切なものです。

あるいは、芸術的な感性や学問をして身につけた賢さはすぐに目先のメリットは与えてくれないかも知れませんが、より深く人生を味わうことができる能力を授けてくれます。

これもプライスレスな宝です。

気の置けない友人、自分自身を正しく導いてくれる信仰、信念もプライスレスな宝です。

勇気を出して東京フルマラソンに参加してへとへとになっても完走できたという経験は、一円にもならないことかも知れないけれど、自分の心の中の永遠の宝となるはずです。

大切なことは、全てプライスレスです。

金銭的価値や目先の損得を越えて、プライスレスな宝を得るために生きる。

これが一つの人生を豊かに生きるためのヒントなるのではないでしょうか。


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江ノ島の龍神

以前、ブログで龍神についてお話させて頂いたことがありました。

いくつかに分類をさせて頂き、龍神の働きや役割、特質などをお話いたしました。

龍神の多くは自然龍であり、自然の中に鎮まっておられることが多いのが特徴です。

特に多いのが、岩壁や海、湖といったところです。

先日、江ノ島神社を参拝させて頂いた際に、渡り船を使って海を横断して岩屋洞窟まで参籠(さんろう)させて頂いたことがあります。

その際に江ノ島の海原には○○○海龍王という龍神様がいらっしゃいました。

江ノ島一帯の海でご活動をされている龍神様で本当にスカッとしたのびのびとした波動を持つ自然龍です。

海は水気が多いので、自然龍も動きやすいのでしょうか。

本当にアクティブに動いていらっしゃいました。

さて、江ノ島神社についての以前しましたが、江ノ島には神社発祥の地といわれている岩屋洞窟と呼ばれる場所があります。

実に歴史も深く、昔から参籠して祈願をする人が多くいたようです。

岩屋洞窟は第一岩屋第二岩屋に分かれています。

最初は第一岩屋に進みます。

洞窟の中は神秘的な空気につつまれていて、外の神社とはまた違った意味で異空間を現わしています。

この岩屋洞窟でも○○○○龍神様がいらっしゃり、洞窟の神秘性に一役買っているようです。

ただ、現在は少し洞窟内は人工物が増えているため少し神気を損なっている部分があり、この龍神様はいつまでここに鎮まっていられるかはわからないそうです。

天然のものであるからこそ、自然龍は息づくことができるのですが、人工物が増えると居場所がなくなって龍体を維持できなくなってくるとのことです。

どうしても江ノ島という土地柄、観光地でもあり、ある程度、整備しないと人を迎え入れられないので仕方のないところではありますが、岩屋洞窟の神気を失ってしまうのは、ちょっと寂しい気がいたします。

洞窟内は薄暗いので、蝋燭一本の灯篭を貸して頂くことができます。

蝋燭の灯を頼りに洞窟内を進んでいくと二股に道が分かれています。

中央には八臂弁財天(はっぴべんざいてん)の石造が祀られています。

他にも白蛇神の石造だとか弘法大師の像、色々とあります。

昔、参籠した祈願者が奉納したもので、本当に多くの像がたたずんでいます。

中には、あまりにも古いので顔が欠けてしまって、何の像なのか判別不能なものもあります。(笑)

左側の道を進むと富士山に繋がっていると言い伝えがある洞穴に行き当たります。

そこには日蓮が寝るのに使ったとされる石座があります。

日蓮が本当に使ったのかどうかはわかりませんが、その場所には非常に濃い神気が凝結しているのを感じます。

右側をゆくと神社発祥の地とされる同じく洞穴にたどり着きます。

こちらもまた凄い気です。

観光客でにぎわうところではあるので、なかなか繊細な気を感じるのは難しいところではあるのですが、午前中の早い段階でいけば、ゆっくりとお参りできるのでお勧めです。

色々と秘密のある江ノ島という神域ではありますが、多くはブログでは語れないのです、いつか別の機会にFGSなどで発表できればと考えています。(いつになることやら。。)

ともかく、江ノ島に来ましたら、一度は参籠することをお勧めします。

ちなみにもう一つの第二の岩屋洞窟はあまり神気は残っていない状況で、10年くらい前に行った時ほどは、あまり濃い気は感じませんでした。

さて、ちょっと話が龍神からそれましたが、江ノ島での龍神伝説といえば、五頭龍(ごずりゅう)天女の物語があります。

簡単なストーリーをご紹介すれば、江ノ島の海で滅茶苦茶暴れまくっていた五頭龍が、天女に恋をするというお話です。

天女に龍はプロポーズするのですが、天女は、あまりにも傍若無人にふるまい、江ノ島に住む民を苦しめているその行いをとがめて、申し出を拒絶します。

ショックを受けた龍は、改心して、民のために力を使い、民を守る龍神となりました。

改心した龍を見た天女は龍のプロポーズを受けて結婚するというようなお話です。

この五頭龍にも秘密があるのですが、これもまたいつか、時が来たらお話してみたいと思います。

しかし、本当に江ノ島にはいろんな龍神様がいらっしゃいます。

それだけ霊力も強い神域であるといえますね。

龍神様だけを慕ってもだめなんですが、江ノ島神社の神様を中心にお参りしていれば、龍神様も陰で力添えをしてくださるはずです。

江ノ島の地は、何度でも来たくなる、そんな気に満ちていました。


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霊界と大きな器について

大器晩成(たいきばんせい)

この言葉は、大きな器は晩年に完成するといった意味合いの四成熟語であります。

大きな器とは人間でいえば、度量の深さだったり、志の大きさだったり、社会的実力や才覚を現わしたりしますね。

誰しも人間的に大きな器でありたいと願うところではありますが、どうしたら大きな器のごとき人間になることができるのでしょうか。

実は、人間としての器の大きさとは、心の広がりに比例するという法則があります。

心とはすなわち霊界です。

背後に持つ霊界が大きな人は大きな器となっていく傾向があるといえるでしょう。

では、大きな霊界を持つためには、どうしたらよいのでしょうか。

今までも霊界転換や幸せ霊界の作り方、後、良いフィードバックを与えてくれる霊界との感応についてお話はしてきました。

霊界は自分の念や気によって、その質が決まってきますし、自分の中の心の想いを浄化していくことが霊界の質を向上させていくことに繋がるわけです。

しかし、霊界の大きさというものは、どのようにして決まってくるものなのでしょうか。

一つには多くの人が共鳴し、価値観を共有したり、心を一つにすることで霊界は大きくなります。

器の大きな人の周りには、なぜか多くの人が集まってきます。

これは、お互いが共鳴しあって、霊界の共有化が起こっていると見ることができます。

ですから、多くの人が集まるようなコミュニティや人物に近づくとその霊界に感応して自分自身の霊界も大きくなったりします。

このお話は以前のブログでもご紹介したことがあります。

ただ、この方法は、自分自身の霊界を大きくするのではなく、外部の霊界に感応することで、結果的に自分の霊界を他の外部の霊界に変えてしまうという形になります。

どうしても、そのコミュニティの霊界に取り込まれてしまうため、自分の主体性を失ってしまう可能性は否めません。

何事も長所と短所があるもので、自分が中心となって霊界を大きくしていくためには、別の方法を考える必要がでてきます。

そこで、今回は、基本的な霊界を大きくしていくコツのようなものをお話してみたいと思います。

霊界を大きくするためには、霊界が大きくなるための原則について知らなければなりません。

霊界の質を向上させることについては、様々な角度からお話してきたつもりですが、霊界の大きさに広がりを持たせるためにはいくつかのポイントがあります。

その内の一つをご紹介します。

それは、「想いを馳せる時間軸」にヒントが隠されています。

冒頭でお話した大器晩成という四成熟語の話に戻りますが、なぜ、大器は晩年に完成するのでしょうか。

一つには、じっくりと時間をかけなければ大きな器を作ることはできないということでしょう。

人間としての魅力も度量も、社会的実力も時間をかけて培うことなしに一足飛びに手に入れることは難しいものです。

だからこそ、時間をじっくりかけなければ、大きな器にはなれないよとこの言葉は教えているわけです。

しなしながら、実はこの言葉にはもう一つの意味が隠されているように感じます。

それは何かといえば、「大きな器を持つ人は大きな時間軸のスパンで物事を考えることができる」という意味に思えます。

器の大きな方というのは、ともかく考え方の尺度や時間軸が長い方が多いのです。

天下百年の計なんていう言葉がありますが、百年先の未来の世の中のことまで想いを馳せられるのが天下人としての資質であることを暗に示した言葉ではないかと私は感じます。

実際に器の小さい人というのはその日その日のことばかりを考えて、刹那的に生きてしまうことが多かったりするのも事実です。

いまが良ければ先のことなど考えない。

もちろん、百年先の世の中がどうなっているのかなんて思いもしないわけです。

百年先の世の中までは想いを馳せることができなくても、10年後の自分がどうなっているのか、あるいはどのようになっていたいのかを念頭において、現在の行動を起こしている人は、少なくとも社会的な実力や度量といった器を身につけているように見受けられます。

間違えてはいけないのは、10年後を予想することが大事なのではなく、10年というスパンで物事をとらえてみてゆけるという心の発想ができるかどうかが重要なのです。

その時間軸が10年とか20年、あるいは50年とか大きくなればなるほど、その人の霊界も広がりを増していくことになります。

厳密にいえば他にも必要な要素はありますが、一番わかりやすいポイントとしては、時間軸の大きさなんですね。

刹那的に生きれば生きるほど、霊界は小さくなり、より将来まで想いを馳せる心の広がりを持てば持つほど、霊界は大きくなるということです。

時間軸を大きく持つということは、一々、今現在起こっている瑣末なことで一喜一憂しないことでもあります。

日々、今日は楽しかった、今日は嫌な目にあった、何がどうしたと小さな時間軸に囚われればそれだけ霊界は小さくなります。

小さくなった霊界は、その人自身の器まで小さくしてしまいます。

大きな器になるために、時間軸を長く取る。

これを心がけてみて頂ければと思います。


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【2012年4月度】神田明神への参拝

昨日、神田明神様への月参りをご奉仕させて頂きました。

毎月のことなので、過去記事をお読みになれば、なぜ毎月お参りさせて頂いているかは理解して頂けると思います。

今回も、ご寄付の一部をお玉串として奉納、それから献灯も継続手続きをして、祈願串も奉納させて頂きました。

少しずつではありますが、毎月、ご寄付をしてくださった方を中心に継続して追い風祈願をさせて頂いています。

神社参拝で大事なことは、真心を継続して捧げるということにもあります。

単なる願掛け祈願ではなく、一つの学びであり研鑽であると心得て毎月のお参りを続けるわけです。

このような心構えを持って神社参拝を続けていくと神社の神霊とも仲良くなれますし、自分自身の心の修養にもなります。

月に一度(本当は一度ではなく何度も参っていますが)は、自分の襟を正し、虚心(きょしん)に戻る。

虚心とはすなわちニュートラルな心であり、素直な心根という表現もできるかも知れません。

虚心への回帰のための参拝でもあるわけですね。

人は形がなければいつしか、心は環境や状況に流されてしまいます。

最初は真心を持っていても、日常の忙しさにいつしか、心は失われていくものなんですね。

だから、けじめとして形式というものが必要でもあるわけです。

時間を割いて、労力を使い、お玉串も捧げて、しっかりと自分と神様に向きあうことで、はじめて自分の心根が正されていくことになります。

たまに観想法やイメージングなどの瞑想法だけで心をコントロールして、心根を正そうとする人もいますが、それはおそらく難しいことかと思います。

なぜならば、現世と霊界、そして神界は連動しているものだからです。

なので、心だけをどうにかしようとしても現世的な形も修めていかないと心根を正すことは難しいのですね。

もちろん、観想法やイメージングも効果的な方法ではあることは間違いありませんが、それだけに固執すると霊界思考だけが強くなり、地に足がつかない状態になってしまうこともあるでしょう。

ですから、現世での形式というものも心根を正すためには必要だったりするのですね。

そのようなわけで今後も神社参拝は続けていく所存なので、こうして時々、ご報告をさせて頂こうと思います。

最後に神田明神にて受け取ったメッセージをご紹介します。


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本気を出せ

本気を出せ

本気を出し惜しみするものに霊験も徳もなし

手ぬるい日々を送るなら

ぬるま湯のごとき人生となる

本気のものだけに神も仏も味方する

これ天佑(てんゆう)というものぞ

わきまえるべし

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天心 拝


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守護霊の華麗なる?生活(その5)

守護霊は私達の教育係であると散々にブログを通してお話してきました。

私達に現世にて学ばせることが第一義の使命なんですね。

でも、そんな守護霊でも守護霊なり霊界での生活というものがあります。

その一旦を少しだけご紹介するのが、「守護霊の華麗なる?生活」シリーズでございます。(笑)

とはいえ、守護霊の生活というよりも雑学的な内容になってきてしまっているのが現状ですが(汗)、今回はもう少し守護霊の霊界ライフについてご紹介してみたいと思います。

さて、守護霊という立場は私たちを学ばせようとさせる担当教育係といったところではあるわけですが、自分たちはどうなんだと(笑)

守護霊達は学びや研鑽をしないのはズルイじゃないかと(笑)

このように思う人もいるかもしれませんね(いやいないかも。私だけでしょうか(苦笑))

そこで、今回は守護霊に「あなた方は一体いつ学びを行っているのですか?」という不躾な質問をぶつけてみましたところ、いきなり霊界に引っ張られて見せられた光景について少しお話してみたいと思います。

まず、守護霊達も普段は自分の霊界での自分の活動があります。

その活動の拠点といいますか、やはりコミュニティのようなものがあるようで、大きなパルテノン神殿を想わせるような、でもちょっと天井や屋根の作りは日本風の建物に多くの守護霊としての資格、資質のある神霊達が集って情報交換のようなことや上位神霊から講義のようなものを受けているようです。

本当に金色に輝いていて、ものすごい暖かくて眩しい光で包みこまれています。

情報交換や講義といっても私達が現世で行うような形ではないようですが、建物内に一同に会して集まっている光景はさながら守護霊学校とでも呼ぶのが相応しい感じが致します。

守護霊の集まるコミュニティといってもそれこそ沢山あるようなので、コミュニティごとに特色はあるようです。

その守護霊の霊籍を置く霊界の質によって異なるようです。

例えば、日本風だったり欧風だったり、その守護霊が生前に強く影響を受けた宗教、思想、哲学などによっても変わってくるようです。

私の場合はやはり日本風であり仏教や神道に影響を受けた守護霊との交流が多いのですが、時には欧州系の守護霊やキリスト教やユダヤ教などを想わせる感じの守護霊もいます。

それぞれの特色があったり、指導方針の細かいところが違ってりするのは、守護霊の属するコミュニティや霊界の違いにもよるようです。

日本風の場合はともかく、穏やかに本人の自覚を促す形での間接的なアプローチが多いようですが、欧州風になってくると少し介入的なところもあり、間違っているとハッキリとした形で人生の機動を修正するような守護をする場合が多いようです。

もちろん、一概にはいえないのですが、守護霊にも性格や性質というものがあるわけですね。

話がそれましたが、守護霊も私達と同様に霊界では学校のようなところで常に学んでおられるようです。

逆にいえば、私達は守護霊から観ると現世で遊び過ぎだと思われているフシがあるようです。(笑)

守護霊は現世の人間を守護しながら自分の霊界での学びも同時にこなし、それでいて不平不満を漏らさないメンタリティを持っているわけです。

並大抵のことでは務まらないわけですね。

ちなみに守護霊が学びを行うのは霊界でのコミュニティにおいてだけではないようです。

私達が本を読んだり、講演会にいったり、あるいは普段の仕事や趣味や生活の中でも学ぼうとして行っている時には一緒に学んでいるということです。

当人の守護もできて、自分も学ぶことができるから一石二鳥なんですね。

だから、私たちが勉強をすると守護霊達も賢くなるので守護霊にとってもありがたいことであるわけですね。

ちなみに食事をする時も「守護霊様、一緒に頂きましょうね」といって食べると守護霊も一緒に食べるそうです。(笑)

もちろん、守護霊は現世の食べ物を欲しがったりはしませんが、そのように言われると断れないので(笑)、一緒に食べるそうです。

食べるのは食べ物に宿る霊気を吸収するといことですが、何より、自分に向けられた真心にうれしい気持ちになるそうです。

同じように勉強する時も仕事をする時も何をする時でも「守護霊様一緒にやりましょうね」と言えば守護霊は断りずらいわけです。(笑)

このように守護霊と一緒になんでも行えば、守護霊さんと近くにいる時間が増えるわけですね。

またまた、ちょっと話がずれましたが、守護霊も私達と一緒に学んでいると思えば、守護霊も頑張っておられるのだなあとひとしきりの苦労というものがわかるかと思います。


守護霊は私達以上に学びを行っている。

これが守護霊の真実なのかもしれません。


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何事もエッセンスが大事です3

前回の記事「何事もエッセンスが大事です2」の続きになります。

前回は老荘思想と対比する意味で孔子様が説いた儒教についてお話してみました。

軽くおさらいしてみると老荘思想の方は天地自然の法則に立ち返り根本回帰の思想であることに対し、儒教は、仁義礼智信の徳目を磨くことで聖人に至る道を説き、社会規範や人間として生きるための道筋を説いたものであることをお話した次第です。

さて、お話が随分と長くなってしまい、気が付いたら第三部にまで突入してしまっていました(汗)

これ以上、説明を詳細にしていくとこの記事のテーマがぼやけてくるので、そろそろ纏めていきたいと思います。

1部、2部のお話は老荘思想や儒教の教えを本当に簡単に説明したものであり、詳細を突き詰めてゆくと本当に膨大な時間をかけてお話しなければならなくなってしまいます。

一つの哲学や思想というものは、本当に追いかけてゆくとどこまでも深く、その範囲はどこまでも広大です。

しかし、どの思想にもいえることなのですが、そのエッセンスやポイントというものは、簡潔なものであります。

私が1部、2部でお話している内容は、本来の老荘思想、儒教からいえば本当に微細でわずかな事柄にしか触れていません。

それでも、重要なポイントであるエッセンスはそこに集約されていると思っています。

老荘思想も儒教もそれぞれの立場があり主張があります。

老荘思想が流行した頃の中国の背景には、儒教というものが出世の道具となり、本来の孔子様が理想とした聖人へ至る道からは程遠いものになっていたことが挙げられます。

儒教の教えも形骸化して本来の道がすたれてきていたから、本来の道へと回帰させようとするムーブメントとして老子や荘子の道の教えが出てきたとも考えられます。

逆にあまりにも老荘思想のように厭世的になると一般の人間社会では到底適応できない部分もあります。

いくら無為自然が一番、大道に即した状態だからといって、民に自由にさせて為政者が何も干渉しないで国が存続できたのかといわれれば、かなり怪しい話です。

やはり人間社会を営むにはそれなりの儀礼や制度、風俗というものを調えていく必要もあったはずです。

どちらの思想にも良いところはあるけれど、そのままは現実には適応できないわけですね。

だから、思想や哲学というものは、そのまま適応できるものではなく、そのエッセンスを学び、現在、自分のおかれている環境や時代背景に即して、アレンジしていく必要があるのです。

一生懸命、論語を読んでみても、孔子様が生きた時代と私達が生きている時代には相当なギャップがあります。

その時、その時代に必要な思想があるように私達にも私達に必要な哲学や思想を練り上げてゆく必要があるということです。

なので、大事なことはエッセンスにあるということを覚えておかないと、古典や思想、哲学を勉強すればするほど、迷うことになってしまいます。

スピリチュアルな事でも同じです。

誰それが何を言ったということをそのまま自分に適応しようとしていては、本質を見誤る可能性が出てきます。

有名な神様からメッセージやら、権威的な文献は世の中に沢山ありますが、その一つ一つはその時代背景や状況を鑑みて降ろされたものばかりです。

有名だから、権威的だからといって、そのまま適応はできないということは理解しておく必要があるかと思います。

時代も人間も霊界も全部動いています。

何一つ静止して、かわらぬものはないのです。

私達が学びを行うのはエッセンスを謹んで受け止めて、新しい時代に適応した行動原理を作ってゆくことにあります。

この点を見失わなければ、正しい学びは続いてゆくことになることでしょう。


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取次鑑定を再開し始めました

こんにちは。


天心です。

体調を崩してからは様々な方がメールやコメント欄より、励ましの言葉を頂戴いたしました。

また、拍手なども沢山して頂きまして感謝いたします。

現在は、完全復帰ではないものの峠を越えた感があり、キーボードに向かうことができるようになってきました。

そこで先ほどは、取次鑑定をお待たせしまくっていた方々に対して取次を行い結果送信をしたところです。

まだ、残り件数があるので、全てはできていませんが、順を追って、取次をしていきたいと思いますので宜しくお願い致します。

さて、身体の痛みはまだ残っていますが、これは現世的な治療がまだ必要なので、今後も続けてゆくことになるでしょう。

リューマチではないのか?というご指摘もありましたが、どうやらそれは違うようで、原因は不明ですがおそらく、カイロプラティックなどの整体を続けてゆけば、元に戻っていくかと思います。

ただ、霊的な原因の方に関してはあらかた解決をいたしました。

あまりの忙しさに自分自身の浄霊や修祓を怠っていたところがあったので、それが積み重なって霊障が強力になり、そのあげくに顕現化して物理的な身体の不調にまで発展してしまったという経緯があったようです。

霊障といっても本当に複雑で分類し始めるときりがないものです。

まず、私の場合は日々の取次でもらいうけは頻繁に起こるので、これも一つの原因ではありました。

また、ご依頼者の霊界にアクセスするとその霊流を受けるのでそれもダメージになります。

それ以外にも日常で様々な受けている邪気も溜まりきっていたようです。

一つ一つほどいていく以外にはないので、面倒でも一つ一つ審神しながら時には一挙に解決を図るために神様の力添えを頂いたりしながら解決を図ってきました。

癒しの霊法でまずは自分で霊波動を調えるところからはじまり、一つ一つの霊障を判別し、引き離していくわけです。

癒しの霊法だけでも霊波動が整うので、改善される部分は大きいのですが、やはり、マイナスに引き込む霊物の存在を処置しないとどうにもならないところもあります。

一つ一つやっていくしかありません。

スローダウンしていた期間は主に霊的な闘いと現世的な治療がメインではありました。

ただ、今回の体調不良は、霊障以外にも守護霊があえてそうさせたという奥の意味もあったようです。

単に突っ走るだけではだめで、「きちんとたゆまず永続できるような道の歩み方を考えてゆきなさい」というお諭しでもあったわけです。

思えばどこか力まかせに進もうとしていた自分を悟らされる結果となった感があります。

少しスローダウンすることで、大局に立って見ることができたようにも思います。

一生懸命にやるだけが、良い道ということではないということを守護霊は教えてくれていたのかも知れません。

また、もうひとつ悟ったことは、一つ一つの霊障は小さなもので感得できるレベルのものではなくても、それが積み重なると大きな存在に成長してしまうということです。

大きく成長した霊障は対処に時間がかかるし、解決が難しくなってしまうというのも身を持って体感いたしました。(汗)

何事も小さなうちに解決をしておく方が楽だということなんですね。

わかっていたつもりなのですが、ついつい忙しさにとらわれると真理を忘れてしまうものです。

真理がわかっているつもりでも、見失ってしまえば、わかっていないのと一緒です。

ここで一度、私自身も猛省して、新たな気持で自分の天命や道と向き合ってゆければと思います。

御心配をおかけした方々も多くいらっしゃったようなので、本当に申し訳なく思います。

少しずつ復帰していきますので、今後もともに学びの道を共有できればと思います。



天心 拝


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Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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