愛と慈悲の違い

今回は慈悲についての違いについてお話してみたいと思います。

正直なところをいえば、あまり言葉の違いを説明したところで意味がどの程度あるのかはわかりません。

一緒くたに考えられているケースもあり、わざわざ分ける必要もないのかもしれませんが、一応、よく守護霊のコメントなどにも表れてくるキーワードでもあるので、あえて今回は定義してみたいと思います

愛も慈悲もどちらも美しい響きを持っていますね。

また、言葉の持つ概念も非常に次元の高いものがあり、その分、抽象的でもあります。

そこで、多少わかりやすくするために次元を少し落として定義していきたいと思います。

まず、とは何かということですが、ひとつわかりやすいキーワードをあげれば、それは「育む」というテーマがあるかと思います。

一番わかりやすいのは赤ちゃんに接する時の母親の心境かなと思います。

赤ちゃんは何もできない存在で、泣いたり叫んだり、うんちを漏らしたりと基本的にはしたい放題を行う存在です。(笑)

でも、母親という存在は、どんなに好き勝手に騒がれようとも常に赤ちゃんに対して気を配り、愛を注ぎます。

愛というものは非常に抽象的な言葉ではありますが、その存在は随所でみることができるのです。

どれだけ大変であっても、ひたすらに相手を育もうとする心、その心から発せられる言葉と行動はすべて愛だと言ってよいでしょう。

そして、愛はすべてのものを育みます。

赤ちゃんが健全に育つのは、愛が無条件に注がれているからです。

赤ちゃん以外でも、植物でも動物でも、あるいは自分の夢や理想という生き物ではないものだとしても、愛を注ぐものは必ず育まれていきます。

だから、愛というものの性質をあらわす一つのキーワードは「育む」なのですね。

さて、一方、慈悲とは何であるのでしょうか。

愛と何が違いのでしょうか。

もともと慈悲とは仏教などでよくつかわれている言葉であります。

釈尊の慈悲などという表現もよく使われていますが、これはお釈迦様が衆生に対して持っていた慈悲の心を指しています。

慈悲を一言で簡単に定義するならば、それは「かわいそう」と思う心であります。

私たちも不遇な人を見かければ同情したりしますね。

お腹をすかせた野良猫を見れば、かわいそうと思って餌をあげたくなったりします。

これも一つの慈悲の表れなんですね。

ではお釈迦様の慈悲とは何であったのかといいますと、苦しむ衆生に対する「かわいそう」という心だったのですね。

衆生が苦しむのは、無明(むみょう)すなわち、真理を知らず、蒙昧(もうまい)にとらわれているからであると理解していたお釈迦様は、無明であるがゆえに苦しむ衆生がかわいそうで仕方なかったわけです。

だからこそ、あえて、苦しい現世にとどまり続けて、仏法を説いて回られてわけです。

かわいそうと思う次元や事柄は、私たち一般人とお釈迦様では異なるかも知れませんが、その根底には同じような慈悲の心があったわけですね。

慈悲の心は主には苦しむものへの救済というマイナスからプラスへという働きかけがあるかと思います。

逆に愛というものは、その人、物の持つプラスを育んであげるためのさらなるプラスのエネルギーを注ぐという働きがあるのかも知れません。

愛も慈悲も人に備わった大切な要素でもあります。

それぞれに万人の魂の輝きとして発揮されんことを願います。


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成長とは何か

私たち人間は生まれた時には乳飲み子としてお乳を与えられて育てていただきます。

最初は、成人のような食事をすることができません。

箸も使えませんし、お茶碗も持てません。

それどころか、歯もしっかりと生えていないので、固いものがかめません。

だから最初は水分の多い、お乳しか飲めないわけです。

少し、成長してくると離乳食といって、柔らかめの固形物の入った食事がとれるようになりますね。

そして、だんだんと固いものも口にできるようになり、5歳くらいにもなれば、ある程度、大人と同じような食事もできるようになるわけです。

それでも、まだ、大人のように箸をうまく使えなかったりするので、フォークやスプーンを使ったりもするかもしれません。

大人のように何でも食べられなくて、苦手な食材や食わずキライなものなどもあったりします。

しかし、成長するにつれて、段々と食べ物の幅も広がってくるために、食事のレパートリーも広がってきます。

さて、これは、一般的な人間の成長の段階を食事という視点で追いかけてみたお話です。

私たちは、日々、成長していく存在ではありますが、そのためには、常にステップアップしていく過程が必要になってきます。

お乳が栄養があり、飲みやすいからといって、ずっとお乳を飲んでいては健全な成長は望めないのではないでしょうか。

時々、私のブログなどの感想で「難しい」とか「漢字が読めない」などの御意見をいただくことがあります。

私としてもなるべくわかりやすく、ソフトな感じで伝えられるように心がけてはいます。

私自身の表現力を成長させていくためには、試行錯誤も必要です。

漢字も難しいそうなもにには、ふりがなをつけたりすることもあります。

こういったことを意識しながらお話をすることも、私自身の成長には必要なことであると認識しているからです。

人気があり、読者の多いブログをいろいろと拝見させていただくことがあるのですが、共通しているのは、「わかりやすい」「読みやすい」「単純明快」そして、「読者に訴えるメッセージ性」がきちんと盛り込まれているという点にあるようです。

なるほど、多くの人の支持を集められる方というものは、読者の目線に立ったものであるわけですね。

納得いくと同時になぜか、どこかに表現しにくい違和感があるのも自覚していました。

一体何に違和感を感じているのだろうとしばし、内観をしていると守護霊様から答えが返ってきたのです。

その時のメッセージを御紹介してみたいと思います。

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乳飲み子のごとし

自らの咀嚼(そしゃく)磨かざるは

御魂(みたま)太らず

意義薄きものなり

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このメッセージの意義は、いつもわかりやすく、常に相手に気を配ることは、最初の段階としては正しいけれど、いつまでも、乳飲み子をあやすように、噛んで含んであげているようでは、本当の意味で相手のためにはならないということをお諭しいただいているところにあります。

このメッセージを受けてなるほどと考え込まざるを得ませんでした。

確かにわかりやすいほうが、読んでくださる方のためには、優しいことかもしれません。

難しい言葉を使わない方が、多くの人が読みやすいと感じるのかも知れません。

しかし、そうやって、わかりやすく、読みやすい、お乳を乳飲み子にあげるようなことばかりをしていては、誰も固くて、飲み込みにくいものを食べようとはしなくなってしまいます。

そうなってしまえば、成長はそこでストップしてしまうわけですね。

難しい言葉があっても、現在はインターネットや辞書をひも解けば、調べることはできます。

わかりにくい表現であっても、何度も吟味して咀嚼していくということを嫌がらなければ、すぐには理解できなくともいずれは、自分なりの答えを見つけることはできるのではないでしょうか。

思えば、私も、多くの人の著作などを拝見してきましたが、その時はわからなかったこと、難しい言葉なども多々ありましたが、それを乗り越えてきた分だけ、自分の中で成長につながってきたように思います。

バリアフリーになっていく世の中はとても便利で優しいものなのかも知れませんが、自分自身の成長ということを考えたときに、必ずしもよいとは限らないということを深く考えざるを得ませんでした。

ですから、今後、私のテーマとしては、ひとつにはわかりやすい表現や読者の方にとっての益になることを考えることもありますが、同時にあまりにも、過度にわかりやすいことを求めてしまうと、成長を阻害することになることも鑑みて、適度に難易度の高いと思しき事柄も扱っていこうかなと思っています。

わかりにくい、難しいというご意見もあるかと思いますが、ひとつこの点、御理解いただけると嬉しく思います。

また、このブログがみなさんの成長するための一つのきっかけになるならば、本当にうれしく思いますし、それを願って今後もお話をしていけたらなと思います。


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誰もが皆、愛を受けて生きている

人の生というものは、非常によくできているなと感じることがあります。

それは、どんな人も必ず愛を受けるという経験をするような仕組みになっているところです。

このようなことをお話すると必ず「私は愛なんて受けたことはない」とか「愛されたという経験はありません」という人がいます。

でも、それはありえないのです。

なぜ、ありえないのか。

私たちの出生を考えてみると非常によくわかります。

私たち人間は、必ず最初は赤ん坊という乳飲み子として生まれてきます。

哺乳類でも生まれてすぐに活動し始める動物もいますが、人間はまず、生まれた時には自分だけでは生きられないほどに弱いのです。

少なくともお乳を与えてくれるお母さんや守ってくれるお父さんの存在が必要です。

それ以外にも実際には病院の医師看護師、あるいは様々な親類縁者などの手も借りてきたかも知れません。

もう一度いいますが、人間は絶対に誰かからの愛の手を差し伸べられなければ、最初の乳飲み子、少年期などを生き延びることはできないのです。

こうして、今現在、何かをしたり、仕事をしたり、生活を続けていられているということは、最初のか弱く、自分ではどうしょうもない時期を誰かしらかの愛の手によって保護されてきた証なのです。

だから、今生きている人は、どうあがいても「誰からも愛されたことがない」とは言えないはずなのですね。

いろんな思いや人生での葛藤や苦悩が時として、この基本的な事実を忘れさせてしまうことがあります。

自分はひとりだけで生きてきた。

誰からの手も借りずにいきてきた。

こう考えが浮かぶとき、本当にそうかと考えてほしいのです。

人の生はうまくできています。

どんな人でも必ず愛を受けねば生きていけないように作られているからです。

だから、逆にいえば、どんな人も人に愛を向ける心が宿っているということでもあります。

人と人は愛し合うように作られているのですね。

でも、心根が曇れば、本来持ち合わせている愛の心もいつしか忘れ去ってしまうことにもなります。

そんな時は、自分がどうやって生まれてきたのか。

ここを考えてみるとよいのかも知れません。


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心の窓の曇りを取る

時々、FGSの会などではスピリチュアルな世界を体験していただくための教材となるものを提供させていただくことがあります。

守護霊や神霊との接点を作るため音源に霊力を込めて作成したコンテンツなどがそれに当たります。

それ以外にも様々なややブログよりも深い話をさせていただいていたりもします。

霊性開拓の飛躍をテーマに今年(2012年現在)に入ってから試行錯誤しているのですが、なかなかこの体感というのは難しいところもあったりするようです。

あっさり守護霊や神霊と感応したり、ヴィジョンを垣間見る人もいますが、まったくわからないという方もいらっしゃるようです。

少しだけ光や色彩、気配や感覚だけわかるという方もいます。

人それぞれにやはり個人差があるようで、一律に同じように感得するのは難しいところもあるようです。

いろんな方のフィードバックを得ていて気付いたこととしては、より深く霊界や守護霊、神霊といういものを感得できているという方には、特徴があります。

それは、「心の窓」がキレイになっている人であるといえます。

ここでいう心の窓とは、霊界との接点となるフィルターのことを言います。

私は、守護霊と接する時にはなるべく、自然体であるように心がけて、自分の知性を働かせすぎないようにしています。

あまりにも頭で考えすぎたり、先入観で判断してしまうと、その思考によって、心の窓が曇ってしまうことになるからです。

なので、なるべく先入観を捨てて、自然体で守護霊と語り合うようにしていくと霊的な感応性というものが深まってくるわけです。

このブログでも過去に何度か守護霊との交流のための方法などをご紹介しているものもあります。

FGSの会に比べると多少は表面的なことだけに限定はしていますが、それでも守護霊への語りかけやお祈りといったことは、続けていれば多少なりともスピリチュアル世界との感応性の向上につながってくるところでもあります。

大事なことは素直な気持ちで先入観を持たずに接していくこと。

一つのポイントはここにあるのかと思います。

心の窓の曇りを取るためには、ここから初めていくとよいのかも知れません。


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【呪縛観念シリーズ】過去の自分×現在の自分=未来の自分?

久しぶりに呪縛観念シリーズのお話をしてみたいと思います。

人は誰しも多かれ少なかれ先入観や思いこみによって、縛られて生きています。

この思い込みは小さなことかも知れませんが、実に人生を大きく左右する結果にまで影響を与えている場合もあります。

呪縛観念は自由な霊界の広がりを制限し、現実的には自分自身の日々の歩みや成長を止めてしまうこともあります。

このシリーズでは一つ一つ、呪縛観念の存在は明らかにして、その呪縛から自分自身を解放してゆきましょうというのが大きな主旨です。

今回の呪縛観念としては、自分自身の未来像に対する呪縛を解いてゆきたいとおもいます。

さて、皆さんにお聞きしたいのですが、将来の自分の姿を想像してみてくださいと言われた時にどんな姿を想像されますでしょうか。

自分の夢や理想をかなえた素敵なイメージが思い浮かぶでしょうか。

それとも、あまり考えたくないような状況に遭遇している姿を思い浮かべてしまったでしょうか。

人によって自分の将来像というものは、それぞれに異なっていることとは思います。

でも、なぜ、人によって異なっているのでしょうね。

将来とはまだ確定していない未来の出来事なわけなので、どうせならば思いっきり都合の良いハッピー状況を想い描けばよいのです。

霊界とは心の想いの世界が凝結して構成されています。

最近、リリースした小冊子のエッセンシャルガイドでもこのあたりのことはお話しています。

霊界を狭く、暗く重いイメージで構成してしまえば、現世にもその霊界のフィードバックがあるわけなので、現世もそれに近づいてしまうわけです。

だからこそ、幸せな霊界のイメージ作りは基本中の基本となります。

しかし、どんなに霊界のセオリーをご紹介しても、これが実践できないことがあります。

頑張っても頑張っても暗く重い発想ばかりが浮かんできてしまう。

このような負のサイクルにはまってしまった経験をされた方もいらっしゃるかも知れません。

幸せイメージ自体が作れないという状況に陥っているため、当然、幸せ霊界が作られようもないわけです。

では、どうして幸せイメージが作れないのでしょうか。

ここに呪縛観念の存在が疑われる部分があります。

人は自分の将来像を想い描く時に、過去の自分の実績と現在の自分の延長線上に未来予想図を描こうとする習性があります。

まるで、過去と現在が未来を作っているかのような錯覚を持っているといっても良いでしょう。

過去の自分×現在の自分=未来の自分

こんな方程式が存在し、この方程式から逃れられないかのような錯覚が人を縛り付けていると感じることがあります。

この方程式は嘘っぱちです。

妄想であるといってもよいでしょう。

もう一度いいますが過去がどうであれ、現在がどうであれ、将来の自分の姿は、自分の現在の心根とその先にある行動の積み重ねによってしか形つくられることはないのです。

しかし、過去と現在の先に未来の自分があるという思いこみが強いと将来の自分の姿は過去の出来事と現在の状況によって縛られたものとなってしまいます。

いくら幸せなイメージを作り上げて将来の素敵な自分の姿が実現している霊界を作り上げようとしても、過去の記憶と想い出によってつくられた霊界に意識カーソルがしっかりと合わさった状態ではうまくいかなくなってしまいます。

幸せイメージを作り上げる時に特に気をつけなければいけないのは、「理想はあるけど、過去の自分を振り返ればそんなこと無理」と想ったり、「現在の状況からではそんなの夢物語だよ」なんて考えてはダメなんですね。

こう考えてしまうのは、過去の自分×現在の自分=将来の自分という呪縛方程式の存在があるからです。

この呪縛方程式が嘘っぱちであることをまずは、認識することで、始めて幸せ霊界を作るスタート地点に立てるのかも知れません。


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守護霊の華麗なる?生活(その6)

守護霊の華麗なる?生活シリーズの第六段です。

このシリーズはちょっとした守護霊との交流を通して知り得た、守護霊の霊界での生活や普段の守護霊の様子をご紹介しているものです。

多少、守護霊の生活そのものとは関係がないことも多々ありますが、守護霊との交流模様を雑記的に記しています。

さて、今回は、日頃、守護霊との交流の中のひとコマをお話してみましょう。

私も普段から守護霊には何かと問いかけて交流を深めるようにしています。

深い内容から、あまり重要でない内容までありますが、私としても皆さんと同じように同じ時代を生きて、問題や課題にぶつかる以上、守護霊とは蜜に交流が行われています。

ある時、私は、霊的な問題で手をやいていたのですが、その時に守護霊の一人との交流で得た内容を話してみたいと思います。

どうしても、霊界とのかかわりが増えてくると攻撃的な霊的存在との軋轢が生じることがあります。

あまり霊的な世界に没入し過ぎたり気にし過ぎると現実的な生活に支障が出てくるので、意識をなるべく向けないようにしているのですが、取次などをする場合は、そうもいかないことが多いわけです。

霊的な存在から自分を守る方法としてはいくつかあるかと思います。

一つには結界と呼ばれる霊的な防壁を築いてしまう方法、あるいは守護霊によくお祈りして篤き守護をお願いするという方法もあります。

しかし、いずれも完璧なものはなく、どのような方法論を持ってしても、その人の霊力の限界が効力の限界でもあります。

霊力を上回る複数、複合的な霊的な攻撃には対処できない場合もあるのです。

そのようなケースに遭遇した場合にどうしたものかと守護霊と交流しながら解決方法を検討していた時のことです。

私の守護霊団の中で神仙の道に通じ、生前は道士として活動していた守護霊がいました。

その守護霊が言うには「霊波動を見えなくさせる」という技があるそうです。

ちょっと一見、何言っているのかわからなかったので、詳しく聞いてみると、その守護霊は生前、時の権力者に何度か殺されそうになったことがあったそうです。

西洋で言うところの一種の魔女狩りのようなことが時代的に行われていたようで、時々、密告や噂などを元に道士や法術などを使う者たちが、あらぬ嫌疑をかけられて、処刑されたりしていたことがあったそうです。

ほとんどが、冤罪というか、いわれのない嫌疑であったようですが、少しでも怪しいと密告などがあれば、命が狙われるという状況にあったとのことです。

この守護霊は何度も命の危険が横を通り過ぎるようなことがあったものの、結局は命を永らえて一生を無事過ごすことが出来たそうです。

仲間の中にはこのせいで命を失ったものも多々あった模様です。

この守護霊が命を狙われずに済んだのは、自分自身の存在を消してしまうという霊術を身につけていたからだそうです。

「姿を消すことなんてできるのだろうか・・?」

といぶかしく思いさらに詳細を聞いてみると、別に姿を消すわけではなく、見えなくさせるという技であったとのこと。

「見えなくさせる・・ハリーポッターの見えなくさせるマントみたいなものだろうか」

と想像力をはためかせてみましたが、これもどうやらイメージとは違うようなのです。

色々と突っ込んで聞いてゆくと、どうやら一番、合致するイメージが見つかりました。

それは、ドラえもんの四次元ポッケに出てくる「石ころ帽子」のような効能に近いようです。(笑)

見えなくなるというより、石ころのように相手の意識や関心が向かってこなくなるという技であったようです。

この技を駆使すると役人が道士をやっきになって見つけようとしても、なぜか見つけられないようになってしまうとのこと。

もちろん、本人が消えたわけでも、住んでいる住居が見えなくなるわけでもありません。

なぜか、そこを見つけられないようになるという不思議な技であるようです。

どんなに探しても見つけられないようにしてしまうため、この守護霊は命を長らえることができたわけですね。

「ほんまかいな。。」というのが正直な感想ではありましたが、その守護霊が言うには、霊界においても霊波動が見えなければ、攻撃的な霊物に見つかることがないので余計な攻撃を受けないようになるそうです。

確かに結界や守護霊などの霊的な防御を働かせると、存在自体は察知されてしまうので、場合によっては余計な攻撃をわざわざ誘発してしまう可能性もあるのです。

そう考えると「霊波動が見えなくなる」という方法は良いのかも知れません。

ただ、この技も結局のところ、恒久的なものではないので、一時しのぎという点では変わらないのかも知れません。

いづれ体得できたら使ってゆこうと思います。

守護霊もいろんな得意ジャンルがあるようなので、時々、とっぴな発想を提供してくるものもいます。

今までなかった発想がもたらされる時には、ちょっと新鮮な気分で守護霊との交流を楽しめますね。


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小さなことで動揺しないコツ

日常生活を送る中でちょっとしたアクシデントに見舞われることは誰にもあることかと思います。

水も漏らさぬほどの完璧な日々を送っている方ももしかするといらっしゃるかも知れませんが、大抵の場合、何かしらのミスをやらかします。(笑)

私自身もうっかり忘れものをしてしまったり、道端の小石にけつまずいたり(笑)することは多々あります。

そんな時には、油断すると取り乱したり、不運を嘆いて感情的になってしまうこともありますよね。

どうでしょう?皆さんも思い当たる節はありますか?

以外と小さいことで、よくよく考えるとどうでもよいことなのですが、なぜか動揺してしまう。

そんな経験はないでしょうか。

「そんなことはしょっちゅうあるよ?でも、それがどうかしたのか?」

と思うかも知れませんが、実は、この動揺してしまうというふるまいの中に大きな意味が潜んでいます。

さて、ちょっと想像してみて欲しいのですが、小さな子供ソフトクリームを手に持っているとしましょう。

その子供がうっかり、ソフトクリームを地面に落してしまったところを想像してみてください。

どうなるか想像できますでしょうか。

「そんなの簡単じゃん。落してしまったソフトクリームを指さしてワンワン泣きじゃくるのでは?」

私も同意見です。(笑)

おそらく誰でも容易に想像つく場面かと思います。

では、ちょっとだけ想像に変更を加えてみてください。

今度は小さな子供ではなく、そのお父さんがソフトクリームを手にしています。

そして、やっぱりソフトクリームを地面に落してしまいます。(笑)

さて、お父さんの反応はどうなることでしょう。

小さな子供と同じようにワンワン泣きじゃくる姿を想像する人は少ないと思います。(笑)

「そりゃそうだろ?大の大人がソフトクリーム落としたくらいでワンワン泣いたらおかしいだろ!」

と突っ込みが入るかもしれません。

おそらく、お父さんは一瞬、驚くかもしれませんが、地面に落したソフトクリームをかたずけて、また新しいのを買ってくるかもしれません。

あるいは、落してしまったものはしょうがないと諦めるかもしれません。

まあ、当たり前といえば当たり前の態度です。

しかし、同じようなアクシデントに遭遇しても、小さな子供は動揺しまくり泣きじゃくりますが、大人のお父さんは、動揺しません。

なぜだと思いますか?

「それは大人だからでしょ?」

確かに大人であれば、小さな子供よりも精神的にしっかりしていると思われるのが一般的にです。

でも、本当にそうでしょうか。

ソフトクリームを落としても泣かない大人でも、自分の財布をなくしたら取り乱すかも知れません。(笑)

どうでしょうか?

では、子供か大人かの違いが動揺するかしないかの違いではないとするならば、一体、どこに差があるのでしょうか。

それは、何に対して一番の価値を置いているのかという点にあります。

小さな子供にとって、ソフトクリームは非常に重要な意味を持っています。

小さな子供にとって、目の前のソフトクリームは今現在の自分にとって最高の幸せを現わしている象徴なわけです。

それが目の前で失われたわけなので、それはもう衝撃的なアクシデントとして感じられても不思議ではないのです。

一方で、お父さんにとってはソフトクリームはそれほど重要ではありません。

落してしまったら、もったいないなとは感じるかもしれませんが、また買えば良いと思うか、諦めてしまえば良いという程度の幸せに過ぎないわけです。

私達がアクシデントに遭遇した時に動揺してしまうのは、あらゆる方面に価値を置いてしまっているところにあります。

つまり一つ一つの事柄にこだわり過ぎてしまうところに原因があるのです。

お金も大事、健康も大事、恋人も家族も大事、仕事での成功も大事・・

いろいろと大事なことはあるかと思いますが、プライオリティというものを大きなものに一つ絞ることができるならば、小さなものごとへのこだわり過ぎは失くしてゆくことができます。

私にとって大切なものは魂の向上にあります。

これが一番のプライオリティに位置付けています。

だから、何をおいても、魂の向上という視点で物事をみていくようにしています。

例え、お金が豊かでなくても、健康に少々難があっても、家族との間がぐちゃぐちゃしていても、「それは魂の向上にとっていかなる意味があるのか」と問いなおすことで、様々なアクシデントの小さなことに動揺し振りまわされないようにコントロールしているわけです。

もしこれが全ての事柄に対して、価値を置いてしまっている状態だと、アクシデントが起こる度に私は動揺して取り乱していなくてはならなくなることでしょう。

小さなことで取り乱してしまうという現象の背後にはこのように自分自身のプライオリティが定まっていないことが原因である場合が多いといえます。

なので、小さなことで動揺しないコツとしては、きちんと自分の中でのプライオリティの一番はどこにあるのかを自覚することだといえるのではないでしょうか。


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与える喜びを知る

人は得てして、何かを求めて生きています。

もっと豊かな暮らしがしたい。

大きな家に住みたい。

かっこいい理想の旦那様を見つけて幸せな結婚生活を営みたい。

会社の売上を今季こそアップしたい。

営業成績でナンバーワンになりたい。

病気を治し健康を手に入れたい。

色々と上げてゆけば人の数だけ求めるものは上げられてゆくことでしょう。

これらの願望をつぶさに観察してゆけば、一つの共通点が挙げられます。

それは、「自分自身が何かを得たい」という気持ちにあるかと思います。

得たいと思っている事柄はそれぞれ違います。

お金であったり、名誉であったり、愛情であったり、物であったりするわけです。

でも、その根本には自分自身の心に「幸せ」という感覚を得たいという欲求が隠れています。

しかしながら得てして、得よう得ようと思うことに対して、得られないという現実を突きつけられて人は苦悩に沈むのですね。

苦悩の裏側には必ず得たいものが得られないという状況があるわけです。

もちろん、得たいものを得られれば幸せになってハッピーエンドかといえば、そう単純でもありません。

得たいものを得た瞬間から、別の幸せの形を追い求めるようになります。

今まで得たいと思っていた事柄からは幸せのフィードバックが得られなくなるのですね。

得たいものが得続けられる人生というものは、中々ありません。

もちろん、努力と工夫によっては可能ではあるかも知れませんが、単に願うだけで、欲しいという気持ちを満たし続けてくれるほど現実は甘くはできていないようです。

得たいという気持ちだけで生きれば、いつしか得られない状況に遭遇して苦悩することになるのです。

その場合には、与える喜びを知る機会に直面していると考えた方が良いでしょう。

「私は散々、今まで与えてきたのに自分の欲しいものは得られていない!」とおっしゃられる方もいるかも知れません。

しかし、ここでいう与える喜びとは得ることを前提とした取引のような気持で行った与える行為は含みません。

本当に愛と真心から捧げて与えるという行為をしている場合は、その行為自体に幸せを感じることができるものです。

「私は散々与えてきた!」という言葉が出てくる時点で、どこか得たい気持ちの裏返しとしての与えるという行為であったのではないかと思うわけです。

本当は、与える喜びが理解できると何をやっても幸せな気持でいられるようになります。

なかなか、伝えようとしても理解されにくいところもあるのですが、究極的には得たい気持ちによる苦悩を越えてゆくためには、与える喜びに気づいてゆく他はないかと思います。

ただ、単純に与える喜びを説いてみても、得たい気持ちに囚われている場合には心に響かないことが多いといえます。

如何にしてこの与える喜びを理解し、実感してゆくのかが課題でもあるわけですね。

私自身も時として得たいという気持ちに支配されそうになることがあります。

その都度、与える喜びに回帰していこう。

このように心根を正すようにしています。

私はどれだけこれからの人生で人に何かを与えてゆくことができるのだろう。

時々、考えることがありますが、たとえ些少でも、大した影響力はなくとも、多くの人に善なる影響を与えてゆけるように鋭意努力はしていこうかと思っています。


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【時事ネタ】25年ぶりの金環日食

本日の時事ネタは、まさにタイムリーなこの話題です。

★金環日食見えた 列島に歓声
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/science/eclipse/?1337548676



皆さんは見られました?

私はといえば、丁度、雲の向こう側に天使の輪のようなリングがちらりと見えるのを一瞬垣間見た程度です(笑)

金環日食の観察用のメガネを用意していなかったので、一瞬チラ見できた程度なのですが(しっかり観ると目にダメージがあるとのことでしたので)、思っていた以上に輝きを放っていました。

日本で見られるのは実に25年ぶりだとか。

メガネを用意しておけばよかったですかね。(笑)

でも、ここまでハッキリ見えるとは思ってなかったです。

さて、金環日食とは、御存知のように太陽と月がかぶさる現象なわけですが、完全にかぶって太陽が黒くなる皆既日食と異なり、微妙に太陽の方が大きくなる位置でかぶさるため、リング状に光を放つんですね。

そのリングが金色の輪になっているから金環日食というわけですね。

太陽と月が織りなす天体上のイリュージョンも私達を楽しませてくれますが、もうひとつの月と太陽の関係についてお話してみたいと思います。

太陽といえば、日本でいえば天照大神様の象徴です。

霊的な解釈をすると現世に生きる動植物全ての生命力、エネルギーを司っています。

どちらかというとパワフルで、エネルギッシュな存在です。

一方月は穏やかで、メンタル的な世界を司っています。

どちらかというと霊性とか、霊界に通じたエネルギーを放っています。

私達が生きてゆくにはいろんな要素が必要不可欠なのですが、とりわけ太陽と月のエネルギーは大きく関わっているといえるでしょう。

「明るく生きる」という言葉がありますが、「明」という言葉は日(太陽)と月の字で構成されています。

明るいとは太陽のパワフルな現実的な要素と穏やかな霊性の要素が合わさった状態を指す言葉でもあります。

私達も日々、明るく生きるためには、太陽と月の要素を調和させながら試行錯誤が必要なのかも知れませんね。


それにしても金環日食は綺麗でしたね!

それでは、本日も皆様が元気で過ごされますことを願っています。


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夢は成長する

子供の頃のは何であったでしょうか?

宇宙飛行士になることでしょうか?

野球選手になってプロ野球球団に入ること?

それとも、白馬の王子のような素敵な男性に巡り合ってセレブになることでしょうか(笑)

いろんな夢があったと思います。

もちろん、今だって夢はあるでしょう。

社長になるとか、建築家になって自分の独自センスで斬新なデザインの建物をつくりたいとか、発展途上国でボランティアをしながら国際貢献に生涯をささげるとか色々あるかも知れません。

今回は一つ、夢についてお話をしてみたいと思います。

皆さん、様々な夢を持っていることと思いますが、その中で実現できずに挫折してしまったと残念に思っているものがあったりしませんか?

子供の頃、描いた夢はいつの間にか消えてしまっていた。

そんなふうによっとさびしく思うこともあるかもしれませんね。

でもね。

それはちょっと違うんですよね。

夢とは成長するものなんです。

なぜならば人が成長していく以上、夢もそれに応じて成長していくからなんですね。

子供の頃は、仮面ライダーやウルトラマンのようなスーパーヒーローになることが夢であったとしても、段々と成長するにつれて、弱者や正義のためにより、具体的で適切な形へと夢は変化していきます。

例えば、架空のスーパーヒーローにあこがれる夢から警察官になるとか、自衛隊に入って国民を守ろうとかですね。

より様々な知識や経験を得て、夢がより具体的に成長していくわけです。

最初はボンヤリとしたあこがれや、大きなざっくりとした夢であっても、人の成長に合わせて夢も成長します。

なので、最初はばかばかしいほど大きくて抽象的で、ぼんやりした夢であっても、いつしか成長する途上で段々と輪郭がはっきりしてくるものであります。

最近は自分の夢がよく描けないという人が多いように感じます。

その理由は初めから完璧で現実的な夢を想い描こうとしてしまうからです。

本当に細部にわたり、夢が現実味を帯びるのは、ある程度、自分自身が夢に向かって成長していかないと難しいところがあります。

ですから、あいまいなボンヤリとした夢であっても最初はいいのです。

むしろ、それが当然なのです。

人は大きくて抽象的な夢を笑い飛ばして軽視してしまうところがあります。

しかし、どんなに偉大な功績を残した人物も最初はボンヤリとした大きな夢を描くものです。

そして、大事なことは、自分自身を成長させてゆく過程で夢も一緒に成長していくことにあります。

夢が成長することは、子供の頃の夢をあきらめてしまうことにはなりません。

仮面ライダーやウルトラマンにはなれなくても、自分にとってのヒーローとは何かをより臨場感を持って体得し、それを表現する場を得られたならば、夢は成長しかなえられているといえるでしょう。

白馬の王子様は向かえにこなくとも、本当に愛しあえる人との出会いは、子供の頃に描いた夢の成長した姿であるといえるのです。

だから、どんどん夢を描きましょう。

そして、夢とともに成長していける自分になることが一番大切なことであるといえるでしょう。


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笑いの効用

人生とは何だ!なんて、肩苦しく真面目に考え過ぎると肩が凝ってしまします。

真面目に考えれば考えるほど、身体には力が入るもので、それに伴い心もいつしかガチガチに柔軟性を失った状態になってしまうことにもなります。

人生を楽しく幸せに生きるためには、真面目さだけでは足りないのです。

もちろん、いい加減で適当なのが良いとはいいませんが、時には、心も体も緩める必要があることも事実です。

心と体を緩めるために一番適しているのは「笑う」ことです。

ここでいう「笑う」ということは、「笑顔」「頬笑み」といったレベルのことではありません。

文字通り、大きな声で笑うことです。

品よく笑おうとか、体裁を気にしていてはいけませんよ。

そんな真面目に考えていると心や体は強張ったままです。

綺麗でいたいとか、お上品になんて時にはわすれて「ガハハハっ」と理屈抜きで笑えばよいのです。

程度が低いなんていってお笑い番組なんかを観ることを忌避する人もいますが、時にはそういった何も考えずに笑えるようなTVを観て笑ってみるのも良いのです。

もちろん、気の合う者同士でお酒を飲んで語り合うのも良いでしょう。

神社でも厳粛なお祭りや儀礼を行った後には直会(なおらい)といって宴席が設けられます。

一応、神様と会う場という儀礼的な意味もあるのですが、実際的には宴会と変わりません。

飲み食いをしながら皆で笑い盛り上がるのです。

真面目に真面目に儀礼を行うのが祭りではなく、真面目な儀礼の後には、楽しく笑い声が響く直会があるものです。

人生も同じなのですね。

真面目一辺倒で全て論理と筋だけで生きてしまうと片手落ちと言わざるをえないでしょう。

難しく考えず、良く笑うようにしましょう!

人間は笑いながら悩むことはできません。

笑いながら怒ることもできません。

どんなに哀しくても笑い声は、切ない感情を吹き飛ばしてくれるものです。

笑いの効用をもう一度、振り返ってみるのもよいかと思います。


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謎の天使

私は主に日系の神霊界とのかかわりを深く持っているのですが、時には欧州系などの海外の神霊との交流を持つことがあります。

ほとんど偶発的な要素なのですが、取次などで出会うことが一番多いかと思います。

それ以外でも、本当に偶になのですが、天使系の存在と交流することがあります。

以前、ブログ記事においても天使と邂逅した時のことをちらっとだけお話したこともあります。

でも、基本的には私は西洋系といいますか海外系統や他惑星系の神霊のことは詳しくありません。

まあ、元はどの霊統も通じあっている(表裏一体)ので、その現れ方の違いだけなんですけどね。

また、詳しくないということは、意識が向かないため交流もあまり発生しないのが霊界法則でもあるようです。

ただ、昨今、どうもそうも言っていられないような状況が生まれてきそうな予感を感じています。

ある時、ブログでお話した時の方ではない天使様が現れたことがあったのです。

ブログ記事においてお話しようかともその時は、考えもしたのですが、諸々、検討してみた結果やめておくことにしたのです。

なぜかというと、ちょっと怪しげで(笑)発表するのには躊躇があったからです。

どういうことかというと、日本の神霊界に属する系統の神霊と違って、ちょっと(日系から観て)変わっているところがあるのです。

まず、現れた天使様は真っ白なオーラに背中には大きな翼を持っていました。

長い長い金色の髪をたたえていて、名前をザキエル天使長と名乗ったのです。

「ザキエル天使長?聞いたことがない。。」

これが私の最初の正直な印象でした。

それに聞きもしないのに名乗るのは、かなり警戒しなければなりません。

通常は神霊の御霊名は聞いても教えてくれないくらいの場合が多いものです。

そのあたりも審神のポイントでもあるのです。

一応、気にはなったので、天使のお名前についてある程度調べてはみました。

・・・

なんとありました!

でも、どんな天使様なのかはわからなかったのです。

あと、調べたものには、天使長とは書いていませんでした。

天使長というのはある程度、天使を束ねる立場の役割を担った存在ということのようです。

霊波動なども審神しましたが、怪しい気配はなかったのです。(現実思考では十分怪しいですけどね(苦笑))

その時に言われていたのは、「精霊界が開く」ということだけでした。

「それだけじゃ意味わからんだろが!」と突っ込みたくなりましたが、おそらくは、今後、欧州系、西洋系、天使系と関わってゆかねばならない方向に進むのでしょう。

正直、これ以上、霊界が広がっていくと自分の許容範囲を超えそうなので、あまり歓迎はしていません。。

日本系の神霊界だけでも持てあましているので、できれば開かないで欲しいなんていう気持ちもあります。

でも、多分避けられないのだろうなと予感しています(笑)

謎の天使、ザキエル天使長・・

あれ以来姿を見せていませんが、何しに来たのでしょうか(笑)

その内、また会うことがあれば聞いてみたいと思います。


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根性の使いどころ

最近の世の中を見渡せばどうにも効率主義といいますか、楽をして成果を上げようとする風潮がもてはやされているようにも感じます。

もっとも、無用な苦労や周り道を是非したいという方はいらっしゃらないことと思うので無理もないことかと思います。

ある程度は効率や成果を考えなければ、努力のモチベーションも続かないことでしょう。

ただ、どうしても、効率化やノウハウのようなものだけで超えられない壁もあることは事実です。

いかに書店の本棚を訪れれば、凄まじい数のノウハウ本や効果的と謳われる書籍が並んでいたとしても、その本を読んで成功した!と名乗りを上げる方の数はわずかであったりもします。

百万部の売れ筋ノウハウ本が世の中にはその時々によって現れますが、百万人以上の成功者が名乗りを上げることはまずありません。

なんとも不思議なことではありませんか?

世の中の売れ筋ノウハウ本の言うように効率的に成果を出せるものなのならば、次々に成果をものにしたという人が続出してもおかしくないと思うのです。

しかし、実際にはそのような現象は起きていません。

なぜならば、いかに効率やノウハウを吟味してみたところで、成果を上げていくためには絶対に必要不可欠な要素があるからなのです。

それが欠けているといかなる売れ筋本を読みあさろうと成果を出すことはできないと思われます。

では、欠けている点とはいったいなんなのでしょうか。

それは、「根性の使いどころ」という点にあります。

昨今、「根性」という言葉はあまり好かれない言葉になってきているように感じます。(笑)

口にはするけれど、どこか汗臭く、スマートじゃない印象を持つ人も多いのではないでしょうか。

結構、お仕事なんかでも精神論を振りかざす上司にこってりやられたりした経験を持つ方などは、「根性」なんてきくと嫌な感じがするのかも知れませんね。

私も基本的には「精神論」的な「根性」は好きではありません。

なんでも頑張って我慢して気力だけで成し遂げるというスタンスは、あまり健全ではないかと思うからです。

人間には精神力のみならず、知性も感性も与えられています。

物事に真っ直ぐに向かっていく精神力も大切な要素ではありますが、知性である程度、合理化していくことも大切な智恵でもあります。

なので、私も何が何でも根性だけで物事を制していくことをお勧めしたいわけではありません。

ただ、智恵だけで物事を乗り切ろうとするとこれもまた片手落ちであるといわざるを得ないということです。

そこで、私は根性を発揮して乗り越えるべき点が最低でも三か所あるということを今回はお話させて頂きたいと思います。

まずは、一番最初の起点の部分です。

何かを始めようと思うその瞬間のことです。

売れ筋ノウハウ本などを読んで、それをすぐに実行に移せるかどうか。

大抵の人は読んで終わりになります。

本を読んで感動することと、最初の一歩を踏み出すのには実は大きな隔たりがあるのが現実です。

実は最初の一歩は本当に辛く重い一歩でもあります。

この一歩を踏み出すためにまずは根性を見せる必要があるのです。

ここで根性を見せない人は、本を読んでそこで終わり。

何も変わらないし、変えられない人であるといえます。

一歩を踏み出せれば、次の一歩はものすごく軽くなります。

一歩一歩を進めていくうちにどんどん足が軽くなって段々と実行が習慣化してくるのです。

ここまでくれば一安心と思いきや実は二番目の根性の見せ場がやってまいります。

習慣になっている分、足取りは軽いけれど、中々、思わしい成果が見えてこないことがあります。

この時にくじけそうになるわけです。

この壁を乗り越えていけるかどうかも根性が試されます。

挫折する人はここで、いろんな言い訳や甘い言葉で自分自身の精神を緩めてしまうのです。

しっかりと「やるんだ!」という根性を見せなければ中途挫折の憂き目にあうのは必定です。

そして、この中途に見える障害を越えていくことができると最後の関門がやってきます。

それは完成するまで諦めないという根性です。

しっかりと最後までケジメをつけて物事を完結するまで、「もう少し頑張ってみよう」という根性が持てるかどうか。

ここにかかっています。

以上、三点が主に根性が問われるシーンでもあります。

いかなる売れ筋ノウハウ本もあまり根性についてはお話していません。

なぜならば、読者うけしないからです。

なるべく、楽して成功したいという読者の感情に逆らうことは本には載っていないものです。

しかしながら、どうしても根性出して頑張らねばならない瞬間というものはあるものです。

もちろん、最初から最後まで根性で行くのは無理でしょう。

でも、必ず、根性を試される瞬間があるということを踏まえた上で、本を読んだり学ぶことで、より成果を上げることに近づくことができるのではないかと思います。

根性には使いどころがあるものです。


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【小冊子第一段完成!】エッセンシャルガイド

皆様!

こんにちは!天心です。

古参の当該ブログ読者の方は以前、こんな記事を発表したのを覚えておいででしょうか?

小冊子

昨年の7月25日の記事になっているのですが、内容を要約するとこのブログの要点をある程度絞った小冊子を作ろうと想っているという主旨になっています。

何しろこのブログは、記事数が既に300を越えています。(2012/05/14時点)

過去ログは是非とも読んで欲しいという気持ちは今でも変わりませんし、是非是非、このブログに興味を持たれた方は、全てに目を通して欲しいと思っています。

ただ、それでも、いきなり300以上もある記事を一挙に読んでくださいというのは、土台無理な話でもあります。

なので、なんとか、このブログ初心者向けのポイントをまとめた読み物を提供できないかと考えてきました。

・・・考えてきたものの、中々、すべきこと為すべきことに忙殺される日々と濁流のごとき時間のスピードに流されて、一年近くも時がいたずらに流れてしましました。

なさけないことに不言実行ならぬ有言不実行になっていたわけです。

しかし、ついになんとか小冊子を完成させることができました!\(^o^)/

総ページは31ページと短めですが、それでも全て書き下ろしで作成しましたので、なかなか難儀をいたしました。

当初は、ブログの記事からお勧めの記事などをピックアップするなどして、ブログの骨子を伝えていこうかとも考えましたが、やはりブログと小冊子は性質が違います。

ブログは一つ一つの記事が独立して成り立っているため、どうしても全体的に見渡すとまとまりがありません。

ある程度の骨子をまとめるためには、どうしても書きおろしにせざるを得ませんでした。

そのため、ものすごく時間もかかってしまったわけです。

さて、言い訳はこのくらいにして(笑)、小冊子のタイトルを発表します。


「守護霊が導く!スピリチュアル世界~エッセンシャルガイド~」


このブログの一番の骨子となるエッセンスを凝縮した内容となっています。

あまり膨大なテーマを盛り込むと本当に1、2冊の本になってしまいそうなので、本当に基本中の基本になることだけを取りまとめました。

本当はもっとお話したい内容は沢山あったのですが、泣く泣くディレクターズカットいたしました。

なので、本当に短い小冊子になっています。

この小冊子で語れなかった部分は、また別途の小冊子などを刊行してみたいと思っています。

ともかく、まずは小冊子の表紙と目次をお披露目してみたいと思います。


★表紙
エッセンシャルガイド表紙


★目次
エッセンシャルガイド目次


それぞれの画像リンクをクリックすると大き目の画像を観ることができます。

この小冊子は当面は無償提供と致します。

欲しいという方は、以下の申込項目を記入の上でメールアドレスに送信してください。

小冊子の提供はPDFファイルを添付ファイル送信により行います。

閲覧にはアクロバットリーダー(フリーソフト)が必要になります。

PCでの閲覧はチェック済みですが、携帯やスマートフォンで閲覧可能であるかどうかはチェックしていないのでご了承ください。


※発表当初はメールにて送付しておりましたが、現在(2012/7/21より)は、ウェブ上にアップしております。
下記のリンクにてアクセスしていただければ小冊子を開くことができます。



「守護霊が導く!スピリチュアル世界~エッセンシャルガイド~」


●申込項目

申込先のアドレスはtensin.session★gmail.com ※★は@に変更して使用してください。

メールの件名:「エッセンシャルガイド希望」

メールの本文:

1.お名前:ハンドル名可能
2.性別:男 or 女
3.年齢:お歳をお書きください
4.当該ブログをお知りになったキッカケ
①検索エンジン(Yahoo,Google,その他、わかれば具体的に書いてください)
②ブログランキング
③人からの紹介
④その他(具体的にわかれば書いてください)
5.ブログなどの感想があれば書いてください


以上、お知らせでした。


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【2012年5月度】神田明神への参拝

2012年5月度神田明神の参拝をご奉仕いたしましたのでご報告いたします。

謹んでご寄付して頂いた中の一部より玉串を奉納し、祈願串も奉納させて頂きました。

また、献灯も継続させて頂いております。

読者の方やFGSの会メンバー、道名授与者、ご寄付を頂いた方、今までご相談頂いた方の問題解決や幸運将来の祈念、そして、天命成就の祈りをさせて頂きました。

皆様に良き追い風を吹かせたまえとお祈りさせて頂きました。

毎度の報告なので、この記事はあまり読んでくださらない方が多いように感じますが、今後も可能なかぎり報告を続けていきたいと思います。

さて、最期に神田明神にて受けたメッセージをご紹介して終わりたいと思います。


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泥の中に入りて人救う

心根なければ真実の慈悲とはいえぬ

穢れおそるることなかれ

気遅れすることなく

泥まみれでゆくがよし


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天心 拝


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FGSの会からお知らせ

こんにちは!

天心です。

FGSの会からお知らせがあります。

4月18日に臨時創刊号5を送付させて頂きました。
(4月18日以降に入会された方には送ってませんので、この記事はスルーして結構です)

その内容にてお知らせしたとおり、今後、FGSの会の継続意志がある方にはメールにてお知らせ頂くようにお願いしております。

お返事の期日が5月15日までとなっております。

万が一、メールが届いていないという事態を考慮して念のためブログでも再度、告知をさせていただこうかと思います。

以上、お知らせでした。


天心 拝


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【時事ネタ】竜巻発生について

今回の時事ネタは、竜巻についてです。

今朝、見かけたニュースをピックアップしてみました!


★気象庁、竜巻発生予想 1日前から「気象情報」 数時間前に「雷注意報」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120511-00000107-san-soci



最近、茨城県や栃木県の方面で竜巻による被害が発生してから、竜巻予測や警報活動に気象庁も敏感になっておられるようですね。

昨日も東京地方を含む関東全域で竜巻の注意が促されていました。

私も丁度、ポカポカとした晴天の中、外出したのですが、出先の中、突然の寒気と雷鳴に驚かされた一人です(汗)

竜巻に関する予測は気象庁も力を入れているようですが、予想的中率が1%とまだまだ低いようなので、なかなか有効活用には難しい課題が残っているようです。

さて、竜巻をスピリチュアル的視点でとらえますと、自然龍が霊威を現わす時に起こる現象であるといえます。

自然龍といってもいろんなタイプや龍神様がいらっしゃるので一概にこれだとは言えませんが、少なくとも龍神様が故あって行っている場合もあるということです。

以前に一度、「なんでこんな迷惑なことをするのでしょうか?」と皮肉を込めて(笑)お尋ねしたことがあります。

私達人間にとっては確かに竜巻など発生させて欲しくはないし、土砂降り雨も困るわけですが、地球規模のメンテナンスや自浄作用として自然龍は活躍しているようなのです。

人間の都合だけでは動いてはくれないのが自然龍でもありますね。

でも、私達に恵みの水を運んできてくれる役割なども担ってくれている部分もあるので、完璧に人間と対立する存在でもないわけです。

時には生態系の維持のために自然を癒したりすることも彼らの役割であるようです。

龍神様は気難しいところもありますが、優しいところもあります。

切々と人間の言い分も真心から申し上げると聞いてくれることもあるようです。

いずれにせよ、敵対するのではなく、自然龍とは仲良く折り合ってゆくしかないかも知れませんね。

でも、なるべくならば、どうか人的被害、物的被害を最小限に抑えてお役割を全うして頂きたいと願うばかりです。



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寸暇を惜しもう

何かと忙しいことを理由にやるべきことを先送りにしてしまう。

こんな経験は誰にもあることか思います。

「とても忙しくてそんなことできない」

このような言い訳をして、後回しにして、結局はやらずに放置してしまうといったことは、意外とやってしまうことではないでしょうか。

忙しいという状態は実は、大半は想いの世界でのお話で、実際に時間がないわけではない場合がほとんどです。

このように申し上げると必ず「いや、自分は本当に時間がないんだ。スケジュールもビッチリなんだ!」と反論の声があがります。

確かにお仕事に生活の雑多なこと、家庭のことなど、人との付き合いと上げていけば、忙しくて時間がないといいたくなる気持ちもわからないでもありません。

しかし、この場合の時間がないは、「まとまった時間がとれない」という意味でのことではないでしょうか。

物事によっては確かにまとまった時間が必要な場合もあるでしょう。

でも、自分を成長させ学ぶために行えることは、小さな隙間時間にもできるものも多いとえいます。

ちょっとした休憩時間、電車に乗っている時、道を歩いている時、ちょっとした隙間時間は意外に沢山あるものです。

こういった時間にちょっとだけ本を数ページだけ読んでみる。

ちょっと、空いた時間に守護霊にお祈りをする。

もちろん、人前ではやり難いでしょうから、トイレに駆け込んでするという方法もあります(笑)

あるいは、電車の中でも声を出さずに守護霊に語りかけるなどもありでしょう。

少し意識してみてみると隙間時間というものを無駄にしているケースが多々あるのではないでしょうか。

忙しいという前に隙間の時間を有効利用していくことを考えないと一生、学ぶ時間など取れずに終わる可能性もあるのです。

「忙しいからできない」という気持ちがわき起こった時には、「本当にそうか?」と疑ってみると良いでしょう。

寸暇を惜しむ心を持てば、忙しいという心に負けないで学びを続けていくことができるはずです。


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戦争がなくならない理由

ある方からご質問のメールを頂きました。

本来、質問受付している時にだけ質疑応答をブログ記事にて回答しているのですが、ご質問の内容が普遍的な事柄でもあり、他の皆様にとっても知っておいて欲しいことでもあるので、急遽、ブログ記事にすることに致しました。


【質問】


率直にお聞きます。天心さんは、なぜ世の中から戦争が無くならないと思いますか?

私は、国際関係に少し興味があって、国際ニュースや、情報をよく見るのですが、

ある国では、「自爆死で何人が死亡」またある国では「米兵が市民に発砲」など、

殺し合ったり巻き込まれたり、心が痛くなるニュースが多いです。(日本の事件や事故でもそうですが)

人は、死ぬために生まれてくるのではないはずです。

なぜ仲良く暮らせないのでしょうか?


【回答】


おっしゃる通り、世界平和という言葉が叫ばれる中、一向に世界では戦争がなくなりませんよね。

日本は比較的、戦争という意味では平和な状態にありますが、北朝鮮などの国がミサイルを発射してきたり、尖閣諸島などでは、戦争までいきませんが、中国による領海侵犯行為などが横行し、一触即発といった事態もあったりしてますね。

中東付近では、イスラエルやパレスチナなどでも争いが絶えません。

アメリカが介入することで解決するどころか益々、戦火が広がっているようにも見えますよね。

こんな状況を観ていると人間は何で骨肉の争いをやめられないのだろう?と疑問に思うのも無理はありません。

戦争や争いには複雑な事情や原因が絡んでいる場合が多いものです。

例えば、宗教上の理由です。

いわゆる歴史のある伝統的な宗教をひもとくと、多くの思想や教義があるわけですが、その内容は人間が幸せになるための教えであることが多いように思えます。

キリスト教におけるイエスが説いた愛の教えは、隣人を愛せというものでありますし、イスラム教のムハンマドが受けた啓示であるコーランも、本来は唯一神であるアラーは人間を救ってくれる存在であることを説いているはずです。

ユダヤ教も教義の違いはあっても人類の救済というテーマは内在しているはずです。

仏教も元々は苦しむ衆生を苦しみの世界から解き放つためにお釈迦様が慈悲の心で仏法を説いたところから始まっています。

どんな宗教でも、本来は皆、人間にとって平和で幸せな道を説いているものでもあります。

でも、なぜか、そんな愛や慈悲に満ちた教えを奉じている宗教を持つ民族や国家が殺し合いをしているという現状には、大きな疑問が残りますよね。

実は、争いが収まらない理由はいたって単純なところにあるように思います。

それは、「裁きの心」にあります。

隣人愛を説くキリスト教であっても、あくまでキリスト教は正しいけれど、他宗教は間違っているという意識がどこかにあったりするものです。

イエスを信じる者は救われるけれど、そうでないものは間違っているという「裁きの心」がキリスト教にもあるのです。

イスラム教もコーランにしがたい、アラーを唯一神として奉じるならば、その人間を救うけれど、それ以外は認めていません。

仏教も仏法以外の教えを「外道」といって退けています。

それぞれの宗教の立場もあり、自分の信じる宗教が一番正しいという信念がその他の教えを認めないという方向に向かわせてしまっているわけです。

これを私は「裁きの心」と呼んでいます。

人間はそれぞれに信念を持っています。

また、好きなもの嫌いなもの、習慣、文化も違います。

皆それぞれに自分を育んでくれた民族的な習慣や文化、そしてその精神的な支柱となってくれている宗教や思想というものが一番正しいものだと信じたがるものです。

もちろん、誰だって自分を育んでくれたもの、自分が好きなものはプライオリティが高くなるのは当然なのです。

だから、キリスト教を信じる人が、「キリスト教が一番良い」と考えるのは感情としては当然だといえます。

その感情自体は問題ではないのです。

イスラム教、ユダヤ教、仏教、いかなる宗教であってもこの傾向は同じであり、その感情自体は問題にはなりません。

問題は、「自分の信じるものは最高だが、他は誤りで認めない」という発想にあるのです。

自分の信念から他のものを裁き、悪のレッテルを張ることで自分の信念の正しさを証明しようする。

そのような状態が続けば、世の中から永遠に戦争はなくならないことでしょう。

なぜならば、自分とは異なる価値観や信念を持つ人は必ずこの世界には存在しているわけです。

自分の信念とは異なるものを排除しようと躍起になればなるほど、益々争いはひどくなるばかりなのです。

では、どうすれば戦争をなくすことができるのでしょうか。

それは、「裁きの心」を捨ててゆくしかないのです。

「自分の信じるものは正しい。それ以外は悪だから排除」という発想を止めて「自分はこれを信じている。しかし、他の価値観、信じるものがあっても良い」という発想に転換されていくことでしか、戦争をなくしていくことはできないでしょう。

人は皆、異なる個性を持っています。

それは国家や民族でも同じです。

良く耳にする言葉に「全ては一つだ」という言葉があります。

この言葉は一見、良い響きを持っていますが、一歩間違えると「正しいことは一つだ」という信念となり争いの原因になっていくことになります。

だから、私は、あまりワンワールド的な言葉は好きにはなれないのです。
(あくまで個人的な感想です)

皆、違いがあり個性があり、世界も複雑です。

真理だって唯一無二の方程式があるわけではありません。

だから、ぐちゃぐちゃしたり、色々と様々な価値観があって良いのです。

大切なことはお互いの個性や良さを尊重し、自分の中の嗜好や文化、習慣は大切にしていくべきだし、他の価値観とも調和していくことが一番大事なのです。

私達が世界にある素晴らしい個性をお互いに認めるという発想を持てた時、「裁きの心」は消え失せ、本当の意味での平和が訪れるのではないでしょうか。

実際のところ戦争は、裏の事情として経済的理由や事情も絡んでいる場合もあるので、単なる「裁きの心」だけが問題ではない部分も多々ありますが、今回は戦争がおわらない一つの視点として、「裁きの心」を上げてみました。

戦争問題を考える際の何かの参考になれば幸いです。


天心 拝


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霊波動とリズム

時々、「どうも調子がでない」とか「いつもの自分じゃないような気がする」といった感覚を覚えることはないでしょうか。

いつもは、上手くいっていることも、なぜか上手くできない。

そんな時、どうしても焦ってしまって無理をしたり、道理を無視して行動してしまうこともあるのではないでしょうか。

「なんで上手くいかないのだろう?」と考えれば考えるほどドツボにはまる。

意外とこんな経験をしたことがある人は多くいるのではないでしょうか。

このような状態になってしまうのには理由があります。

スピリチュアル的な観点で申し上げれば、それは自分自身の霊波動が乱れ始めてしまっていることに他なりません。

霊波動といっても、目に見えるわけではありませんし、何か物質的な方法論で霊波動を計ることができるわけでもありません。

特に理屈でこの霊波動の原理をとらえようとすると余計にわからなくなるのが特徴でもあります。

では、どうしたら霊波動の乱れに気づくことができるのでしょうか。

そして、どのように対処していけばよいのでしょうか。

まず、霊波動の乱れにはサインがあります。

自分がうまくいっている状態を正のエネルギーがうまく輪転している霊波動の状態とするならば、霊波動が乱れるのは、これがうまくまわらず負のエネルギーに邪魔されている状態にあるからです。

誰でもある程度、自分の作ってきた習慣というものがあります。

霊波動の乱れのサインに気づくためには、その習慣というもののサイクルを観ていくという方法があります。

バイオリズムなんていう言葉がありますが、必ず、乱れる時期というものがあります。

過去の自分の習慣を少し分析してみるとある程度、一定したサイクルがあるはずなので、それを観ていくわけですね。

こうすることで、そろそろ落ち込む時期かな?と霊波動の乱れのサインに気づきやすくなります。

次に乱れのサインに気づいたらどう対処していくかですが、いくつかの方法があるかと思います。

一つは、ヒーリング浄霊などを受けるという選択肢もあります。

私も時々、遠隔浄霊などでご相談者の霊波動の乱れがある場合には霊界にてそのマイナス部分を処置することで対応させて頂くことがあります。

遠隔浄霊は必ずしも霊波動を調えるためだけではないのですが、そういった側面もあるということです。

でも、なかなかこうした施術や取次といったものを受ける機会がないという方もいらっしゃることと思います。

そういった場合には、もう少し手軽に行う霊波動の調整方法があります。

それは、リズムを調えていくということです。

先ほど、霊波動の乱れにはバイオリズムなどのサイクルがあるということをお話いたしました。

つまり、ある程度のサイクルで必ず乱れが来ることがわかっているわけなので、乱れのサインを掴み、乱れが起こる直前に新しいサイクルを始めてしまうというのが、ご紹介したい対処方法です。

そのためには、自分が絶好調、あるいは比較的調子の良い時のリズムを思い出すことが必須になります。

理屈ではなく、リズムです。

リズムというのは、状態の細かい設定や条件や環境のことを指すのではなく、行動や言動の一定したパターンのようなものであります。

リズムを調える手っ取り早い方法としては、一番自分が調子の良い時に良く聞いている音楽などをガンガン聞きまくるというのも良いでしょう。

これを乱れが起こる直前にやってみてください。

霊波動が乱れてからだと中々リズムを整えようとしても難しい場合があるので、そうなる前に行うことが大切です。

リズムが調ってくると新しい霊波動の良いサイクルが乱れのサイクルを打ち消して開始されはじめます。

つまり、乱れる前に霊波動のサイクルをリセットしてしまえ!ということです。

新しいサイクルを作ることで、常に新たな息吹を入れることになり、不調のドツボにはまることなく、日々を歩むことができるのではないでしょうか。


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通常モードに戻ります

皆様!こんにちは!!


天心です。

ゴールデンウィークも終わりましたね♪

皆様におかれましては、いかがお過ごしで下でしょうか?

私は、五月の一日、二日にかけて箱根神社参拝と箱根にまつわるパワースポットにて英気を養って参りました。

芦ノ湖、強羅、大涌谷と本当に力強いパワーを感じる場所を回ってきました。

ただ、あいにく、天候は初日は小雨が降ったりやんだり、二日目は土砂降りというありさまで、観光という観点で見ると少し残念なところはありましたが、逆に自然龍や自然霊の霊威を感じられる、いつもだったら味わえない感覚を得ることできました。

何事も表面的なことだけで、判断はでいないもので、雨が降れば降るほど、自然龍の霊力の力強さを感じたのでした。

でも、やっぱりずっと降り続くと箱根神社参拝ができなくなってしまいかねない状況だったので、「少しだけ雨を弱めるか移動してください」とお祈りしてみたところ、雨足は弱まり、一時は陽がさすほどに回復したのです。

自然の環境は人間の思う通りにはいかないものですが、龍神様にご相談すると不思議なことに少しだけ譲歩してくれることがあります。

箱根神社参拝が終わるまでは、あの二日目の土砂降りを止めてくださったようなわけです。

なので、なんでも言ってみるもんだなと思いました。(本当はちょっとあいにくの天候に芦ノ湖の九頭龍神に毒づいていたところもあります(笑)。うだうだ言っていたら少し言い分を聞いてくださったようです(笑))

さて、そんなこんなで、連休は何かと雨模様でありましたが、なんとか気力充実させることができました。

本日からは通常モードに戻ります。

いろいろとご迷惑をかけた方もいらっしゃったかもしれませんが、ご容赦頂ければと思います。

それでは、連休明けも張り切ってゆきましょう!



天心 拝



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【時事ネタ】ハーレー漂着!物と人との縁起

Yahooニューズのヘッドラインを観ていたらこのようなニューズがアップされていました。


★カナダ漂着ハーレー所有者判明…米社が修理意向
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/canada/?1336009205


東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた宮城県山元町の町職員である横山育生さんの所有していた米高級大型オートバイ「ハーレーダビッドソン」がカナダ西部ブリティッシュ・コロンビア州グラハム島に漂着したとのことでニュースになっておりました。

所有者である横山さんも見つかってくれて大変うれしいとコメントしておられるようなので、本当に良かったと思います。

被災地の悲惨な状況から鑑みれば、少しでも明るい話題を聞けると嬉しく思いますね。

さて、人と人との間にも縁起があるように人と物との間にも縁起があったりすることがこの記事からは伺えますね。

本当に大切にして愛着を持っていると、その想いが物との結びつきを強めてくれるわけですね。

その結果、こういった奇跡的なことも起こるわけですね。

もちろん、単に戻ってきてほしいと願っていれば、戻ってくるものでもなく、やはり今回のようなケースは奇縁というべきことかも知れませんね。

私自身も子供の頃に失くした自転車などが数年たった後に自分の手元に戻ってくるといった経験をしたことがあります。

皆さんもそのような経験ありませんか?

例え生命を持たぬ物体であったとしても、その想いがこもれば、霊力を持ち、霊線が繋がることがあるようです。

そう思えば、物も邪険に扱わず、大切に扱うことも重要かもしれませんね。


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天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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