【質疑応答】絵に宿る魂について

以前、コメント欄にてご質問をいただきました。

基本的にご質問には質疑応答の受付募集を行っているときに対応しているのですが、今回、頂いたご質問は読者の皆さまにも参考になるかなと思い取り上げてみることにいたしました。


【ご質問】

天心さん、こんにちは。

今日はひとつ質問がありまして是非教えていただきたいのですが
先日、四神の模様が彫刻された水晶玉が付いている
ハングル型の念珠を購入しました。
リーズナブルで四神の絵がそんなにリアルなものではありません。
極端な言い方でいうと非常口の緑色の看板の人型の絵みたいです。

安かったのでわかって購入しましたが
これは霊的な作用は働くものでしょうか?


【回答】

四神というのは、何を指しているのかにもよりますが、おそらく、朱雀、白虎、青龍、玄武のことかと思うのですが、もともとこういったものは、一つのシンボルであり、象徴的な存在でもあります。

絵に魂が宿るというよりも、絵が象徴となり、そこを入り口として、霊界や神界につながるパイプになっているわけです。

ですから、そういう観点でいえば、安いか高いかにかかわらず、シンボルに相応する霊界とつながることになります。

ただし、意識的、あるいは無意識的にそのシンボルを通して、自分の霊波長を該当する霊界に合わせた場合に霊的作用は起こることになるので、念珠を持ったからといって誰にでも霊的作用があるわけではありません。

また、シンボルとなる絵があまりにも杜撰なものだと、「安っぽいな~」とか「本当に大丈夫かな」というネガティブ意識が働くので、霊波長のつながりが途切れて感応は弱くなります。

なので、やはりある程度はしっかりとした作りになっているものの方が霊界、神界とのつながりは強くなるでしょうね。

後、もうひとつ重要な点としては、その絵を描いたり、あるいは念珠を作った時に入っている作成者の念や気というものも霊的作用には影響を与えます。

どんなに素晴らしい絵や念珠でも、「高く売れたらいいな」とか邪念を持って作成されていると、その念が宿ります。

その念が本来の正しい霊界や神界とのパイプをゆがめて、あらぬ霊界にミスリードしてしまう可能性もあるのですね。

なので、単純に良い絵だから、良いとされるグッズだから良い霊的作用があるとは限らないのです。

結論をまとめますと、絵に魂が宿るのではなく、絵はシンボルであり、そのシンボルが描かれた媒体に宿る念によって、霊的作用があるなし、その作用のよし悪しが決まってくるということです。

ご参考になれば幸いです。



天心 拝


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自分の霊界を広げよう

人間というものは、自分の内側にあるもの、たとえば、経験や知識によって理解できるもの、認識できる範囲でしか人生を作ってゆくことができません。

のっけから何を言っているのかわからんと思われるかも知れませんが、今現在の私たちの人生の在り様を定義ずけている大きな要因の一つに霊界の存在があります。

霊界については様々な視点でお話をしてきましたが、私たちが背後に持っている霊界を現実思考で分析をしてみると、それは私たちが内部的に持っている要素すべてであるといえることができます。

ちょっと小難しい理屈を言っているように聞こえるかも知れないので、たとえ話をしてみたいと思います。

ある非常に貧しい男がいて、収入も非常に少なく、小さな頃から食うや食わずの暮らしをしていました。

毎日の食事といえば、パン屋さんにいき、パンの耳が袋に詰め込まれた奴(一袋30円)を買ってきて、食いつないでいる状態でありました。

そんな男のもとへある時、弁護士が訪れて「実はあなたと生き別れになっていた父上様が亡くなられてしまったのですが、資産の相続人があなたしかいません。相続する資産は100億円あります」と告げられたのでした。

男はそれを聞いて驚いて言いました。

「ああ、それだけの遺産が手に入れば一生食うに困らないだけの”パンの耳”が買えるぞ!」


なんともできの悪いシンデレラストーリーのフィクションで恐縮ですが(笑)、この小話は、ある種の真実を含んでお話させていただいています。

そもそも、100億円の遺産が手に入ったのだから、この男の人生は一変することになるはずだと誰もが思うところでしょう。

100億円の遺産があれば、豪邸のような家に住むことだってできるし、毎日、料亭のような食事をすることだってできることでしょう。

でも、男は、そんなこと思いもよりません。

なぜならば、男にとって、自分の人生のよりどころとなっている糧は、”パンの耳”であって、その他のことはちっとも知らないからです。

食うや食わずの人生がこの男にとって”パンの耳”を得ることしか眼中に映らなくさせていたということです。

もちろん、これは単なるたとえ話ではありますが、私たちも得てして、この男と同じようなところがあるものです。

「いやいや、そんなことはないでしょ」
「自分だったら100億円手に入ったらもっと有意義に使いますよ」


このように思うかも知れませんね。

しかし、それでも、私たち人間というものは、皆、この男と大差ない部分を持ち合わせているのです。

別の言い方をすれば、私たち人間は、自分の知っていること、経験したこと、持っている価値観、考え方を越えて物事を推し量ることができないように作られています。

この小話の男は”パンの耳”を得ることしか頭にないために他の選択子は思い浮かべることすらできないのです。

たとえ”パンの耳””豪邸””一流の料亭の食事”に変わったところで、結局はその人の中にある知識や理解、価値観を越えた発想というものはできないようにできているのですね。

ある人は100億円を使い、基金を設立して、貧困にあえぐ人を救うための互助システムを起動させて、より多くの人の役に立つもののために使おうと想うかも知れません。

あるいは、誰かのためにお金を寄付して、お金には変えられない人の幸せと笑顔を作るために活用するかも知れません。

会社を設立して事業をする。単にギャンブルなどで豪遊し使い果たしてしまう。あくまで貯金したまま、質素倹約に生きるなどなどいろいろ考えらることは多くあるかと思いますが、共通していえるのは、その人の内側にあるもの、経験、知識、理解しているもの、価値観、考え方を越えて発想することはできないのです。

この発想の限界となる自己の内部にあるものこそが霊界の本質であるともいえるかも知れません。

自分自身の霊界を越えて、現世において、何かを作り上げていくことは非常に難しい、というよりは不可能なのかも知れません。

では、どうしたら自分の霊界の限界を超えることができるのでしょうか。

自分の霊界を広げるために何が必要なのでしょうか。

それは、自分の霊界というフィルターで物事をみないということが重要になってきます。

人はどうしても自分自身の価値観、知識、経験、理解、考え方で物事をふるいにわけてしまいます。

小さなザルにいくら沢山のものを注いでも、ほとんどのものはこぼれおちてしまいます。

こぼれおちているのは、知識だったり、新しい価値観だったり、経験だったり、考え方だったりします。

私たちの持つ霊界フィルターは、常に現在の霊界事情に合わせた内容を現世に顕現化させるために余計な要素を排除するように働きかけます。

”パンの耳”しか存在しない霊界を持つ男の人生には、それ以上のものは手に入らないようにフィードバックが起こるわけです。

だからこそ、見聞を広め、自分の持つ霊界にない要素を取り入れていく努力が不可欠なのです。

そして、見聞を広める際には、自分の霊界フィルターを動かさないようになるべく先入観を捨てて、時にはご縁と運命の流れに任せて、食わず嫌いをせずに様々なものを取り入れていくことが重要になるわけです。

自己の霊界を越えられない人生とは、生きていく糧が”パンの耳”しか思いつかない男となんら変わらない人生となってしまいます。

自分の霊界を広げてゆくことは、一重に人生を広げてゆくことに他ならないということなのです。


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【時事ネタ】職場のうつ 30代は弱いのか?

本日の時事ネタはこちらです♪

★職場のうつ 30代は弱いのか
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120626-00000009-maiall-bus_all



最近、すっかりと現代病の筆頭にもあげられそうな勢いになってしまった鬱病ですが、職場で特に30代の方に広がっている傾向にもあるようですね。

どうしても職場においても30代は中間管理職などの役割も担うことも多く、板ばさみの状況におかれることも多々あると思います。

精神的に参ってしまう状況というのは、社会情勢の不安定化なども拍車をかける要因になっているのかも知れません。

私も一応、まだ30代でありますので、人ごとではないのですが、守護霊アドバイスの取次依頼でもやはり職場でのストレスに耐えられないといった内容のものもよくうかがうことがあります。

心の問題は日増しに大きくなってきているように感じますね。

ただ、冒頭に現代病の筆頭と書いてしまいましたが、心の問題や葛藤は別に現代に限らず過去の生きていた人達も抱えてきたものでもあります。

とりたてて、現代人だけが悩んでいるわけではないとは思います。

では、なんでこれほどまでに現代病の筆頭といっても過言には聞こえないほどに心の病がクローズアップされるようになってしまったのでしょうか。

それは、ひとえには、心の葛藤を越えてゆく学問や教養が著しく低下している状況に答えがあるような気がいたします。

いまや経済的な成功や自分の欲望を満たすことばかりが幸せであるかのように教え込まれている社会になっているような気がいたします。

だから、書店に行っても、経済的に豊かになる本だとか、仕事で成功するだとか、そういった本はとても良く売れているようで、いつでも平積みになって並んでいます。

もちろん、誰だって、豊かになりたいし、幸せにはなりたいのは当たり前かも知れません。

しかし、昔の人のように自分のあるべき姿や心の美しさ、教養というものを、あるいは自分自身に備えるべき人徳というものを磨こうと進める本はめっきりと姿を消してしまっているように思います。

昔の人だったら、古典などをひも解き、先達の生きざまや教養を謹んで学び身につけようとする習慣があったのかと思います。

たとえ、学問がなくても、人としての道を親から子へ子から孫へと伝えていく最低限の教育もなされてきたことと思うのです。

自分の幸せばかりを追わず、公としての自分を磨きあげることの大切さをきちんと学び教育されていれば、たとえ苦難があってもそれを乗り越えるメンタリティが培われているので、病にまで発展することはなかったのかも知れません。

心も筋肉と同様に鍛えれば、大きな力を持ち、苦難にもうまく対処することができるのですが、弱まってくると苦難を跳ね返す力もなくなってしまいます。

誤解の内容に言っておきたいのですが、私は、うつ病になるのは、精神的に軟弱だからだとか、精神論を振りかざしたいわけではありません。

ただ、ストレス社会と呼ばれる社会構造そのものを変えてゆくことはとても難しいことですし、この世からストレスを完全に排除することはできないでしょう。

また、心を癒すだけでは根本的な解決にはならないと感じるのです。

では、何が根本的な解決へと一歩進めることができるのかといえば、やはり、苦難に負けない生き方をしっかりと学ぶことしかないと思うのですね。

そのためには、自分の利を追うだけではなく、しっかりとした人生観、価値観、志というものを自分の中に築いてゆくための根本的な学びをしていくことが大切なのではないでしょうか。

自分の中にしっかりとした軸を持つことができると苦難に打ち勝つ心の力がついてくるのではないかと思います。

もちろん、心の病の問題はもっと複雑ではあるでしょうから、単純にはいかないことも真実でしょう。

この複雑な心の病の問題には、私たちの生き方や考え方を今一度、見直していきなさいという天からのメッセージが込められていると感じる次第です。


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祀る人の心

今回の記事は少しお話するかどうか非常に迷いました。

おそらく、このブログを読まれている方というのは、ある程度、スピリチュアルというものに関心があると想われます。

そうなると必然的に神仏や霊的な存在には興味や敬意を持ってらっしゃることでしょう。

とりわけ神社仏閣、あるいは道にある仏像などを拝見すれば、手の一つも合わせたいという気持ちになる方も多いのではないでしょうか。

もちろん、その信心の気持ちは尊いものでありますし、神仏に対する敬虔な真心は素晴らしいものであります。

私もブログなどでも様々な神社や仏閣の参拝レポートをさせていただいたりしていますので、ますます、神社や仏閣などにも興味もわかれることでしょう。

ただ、本当に誤解をされそうで迷うのですが、あえていえば、神社や仏閣であれば、どんなものでも良いのかといえばそうでもないのが実情です。

たとえば神社というものは、形的にいえば鳥居があり、鎮守の杜があり、玉砂利や本殿、拝殿などがあり、賽銭箱や御鏡などがあり構成されています。

神社の形式によって少し違うところもありますが、得てして、ふつうはこのような形を見て神社なのか、そうでないのかを判断する場合が多いでしょう。

そして、形が神社ならば、それは尊いものだと判断し、思わず「ありがたや!」と手を合わせたくなるものですよね。

でも、神社というのは形も大事なのですが、そこに神霊が鎮座できる霊空間がしっかりと維持されているかどうかも非常に重要な要素でもあります。

逆にいえば、霊空間を維持するために形が整えられているといっても良いかも知れません。

つまり、いろんな神社を構成している、あるいは仏閣を構成している要素というものは意味があってそうなっているわけです。

霊空間を維持するためには、単なる形だけでは片手落ちなのですね。

他に何が必要なのかといえば、その神社や仏閣に祀られる神仏を祀り、信心する人達の心が常に真心である必要があります。

ここが間違ってくると霊空間が壊れて、神霊はもとの神霊界に帰還し、単なる空間になります。

単なる空間であればまだましですが、代わりに祀る人の心が邪に穢れている状態が続くと、それ相応の霊物が降りてくるようになるのです。

こうなると見た目は神社であっても、ある意味、伏魔殿になってしまっています。

あまり、こういうことをお話すると怖くなってしまう人もいるかと思うので、少し迷ったのですが、今回は思い切ってお話してみることにしました。

一番良いのは伏魔殿化している神社には近づかないことなのですが、そうはいってもなかなか見分けをつけるのは難しいところではあるかと思います。

なので、あまりどういった神社であり、どういう経緯で立てられた神社であるのか、あるいは仏閣にしても、道行く場所にある祠にしても同じですが、よくわからないところを参拝する場合には、まずは、あまり自分の利益に直結するようなお祈りをしないようにすることが肝要かも知れません。

というのは、自分の利益に直結するお祈りというのは、どうしてもエゴが混じるので、そのエゴを通じて、霊物の影響を受ける可能性があるからです。

逆に自分の利益と関係のないたとえば、国とか地域のこととか、もう少し大きな、私心が入りこまない願いを祈るか、ひたすら感謝の祈りだけをしておけば影響を受けにくくなります。

怪しいなと感じる場所での祈願はこうして少し様子を見てみることも大事かも知れません。

特に小さな祠系は経緯を良く調べてからの参拝にした方が良いかもしれません。

たとえば交通事故が良く多発するために地蔵菩薩の像を建立し鎮めている場合などもあります。

地蔵菩薩様は大変素晴らしい仏様であるわけですが、その建立の意図が不成仏霊を鎮めるためだったり、あるいは凶事が頻繁に起こる場所を鎮める目的で建てられている場合などは、やたらと手を合わせて霊波動を合わせると周辺の不成仏霊をもらいうけしてしまう場合もあります。

同じ仏像でもそこに込められた意図によって機能する方向が違ったりするのです。

お地蔵様を見たらなんでもありがたいと思ってしまいがちですが、本来は地蔵菩薩様に対する信心の真心が大切なのであって、仏像という形が主ではありません。

形は意図に応じて変わるものであるからです。

なので、同じように素晴らしいはずの仏様、神様を祀っていたとしても、意図によっては働きが代わるという霊界事情を理解しておくことも大事かと思います。

こういったことは形だけ見ているとわからなかったりします。

形だけでなく、真心にて神霊との交流を図る参拝になるように心がけていくことも大事なことなのかも知れません。


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幸魂を磨く

人生には理屈ではわりきれない様々な出来事と遭遇することが多々あります。

人を好きになったり、あるいは憎んだり、正しいと理解していることとは裏腹な行動をとってしまったり。

あるいは、理想とはかけ離れた選択をしなければならない状況におかれることもあるでしょう。

言ったり考えたりすること以上に人生というものは単純ではなく、複雑です。

とりわけ人生を複雑にしているのは、人間の感情の部分でもあります。

感情は魂でいうと幸魂(さちみたま)と呼ばれるものであり、人が人らしくあるために欠かすことのできない要素でもあるわけです。

理屈通り、論理的に正しい通りに動くだけならば、それはカラクリ人形のような機械仕掛けのような無機質な存在であり、そこに理屈に合わない情緒や感情があるからこそ、人間は面白みがあり暖かみもあるわけです。

平たい言い方をすれば人情の機微こそが、人を人たらしめる要素なのかも知れません。

別の言い方をすれば、この人情の機微を理解してこそ、人生は味わい深いものとなるといえるでしょう。

人情の機微を豊かにすることは幸魂を磨くことにつながります。

人生経験をある程度積んでくると幸魂はほのかに暖かく光を放つようになります。

ちょうど暖炉の火のようにその暖かさは人を幸せな気持ちにさせてくれるのです。

幸魂が発達していない人はどうしても理屈先行になったり、あるいは単に浅い情のつながりはあっても、深く人を愛したり物事に対する愛を向けることができません。

幸魂を磨くためには、一つには人情の機微を理解していくことが大切なわけですが、そのためには文学性を持つということも大切になってきます。

文学性とは、文字通り文学の世界にあるような人間関係の複雑な心理や機微に精通する性質のことです。

たとえば、レ・ミゼラブルという小説がありますね。

日本語の表題だと「ああ無情」と訳されることが多いようですが、軽く直訳してしまうと「ザ・悲惨!」みたいなタイトルになってしまいます。(笑)

日本語訳する人のセンスは大事ですね~(笑)

それはともかく、このお話は、本来なかなかの長編なのですが、簡単にあらすじの冒頭を説明してみますとジャンバルジャン(以下、ジャンと略します)という非常に貧しい男がいまして、職もなく、食うや食わずの状況におかれていました。

ジャンは、思いあまってパンを盗んでしまうわけですが、そのことが原因で逮捕されて19年も投獄されてしまうのです。

自業自得とはいえパン一個で19年です。

しかも思いあまって、やむにやまれぬ状況で、悪いこととは知りつつも、そうしなければ生きてゆけなかった。

こういう主人公の葛藤を慮ると人情の機微というものが少しずつわかってくるのかも知れません。

脱線したのでもとに話を小説にもどすとジャンは19年間、牢獄で非常にいじめられたり、きつい労役を受けたりしながら、段々と心が荒んでいくの感じていました。

パンを盗んだことはよくないことだけど、これほどの苦しみを受けるとは思いもよらず、19年の獄中の暮らしを終えて娑婆に出ることには、すっかりと荒んだ悪党になり変っていました。

牢獄から抜け出せたものの、働くあても、身寄りもありません。

さらに荒んだ心になってしまったジャンはもう、どんな悪いことだってしてやるぞという気持ちになっていました。

ジャンは途中ある教会に身を寄せてそこで食べ物と一宿一飯を得ることができました。

そこでミニエル司教という方と出会うわけですが、その方は良い方で、ジャンのことを本当によく面倒を見てくれたのですが、心が荒びきっているジャンにはその暖かさが理解できません。

ジャンは散々に良くしてもらったミニエル司教の館から銀でできた食器を盗んでいなくなろうとしたのです。

それほどまでに彼の身に起こった悲惨な出来事は彼を変えてしまっていたわけです。

理屈で考えれば彼のやっていることはとんでもない悪党と同じことであることは間違いないでしょう。

しかし、どうなのでしょうか。

理屈で考えれば、悪であることは明白ですが、彼の生い立ち、今までの経緯、いろんなことがあって、心が荒んでしまっているのです。

もちろん、だからと言って彼の行為が正当化できるわけでもありません。

ここで自分ならどう考えるのだろうか。

このように考えることで、人情の機微というものがわかってくるのですね。

さて、また脱線したので小説に戻ります。

ジャンは銀食器を手にするとそのまま教会を後にして逃走を図りますが途中で憲兵につかまり問い詰められます。

何しろ身なりの悪い、それでいて顔つきも悪党面になっているジャンが高級な銀食器などを手にしているわけです。

あきらかに怪しい男です。

ジャンは万事休すと思い、また投獄されてしまうことを観念しましたが、そこへミニエル司教が表れて彼をかばってくれたのです。

「その銀食器は私が彼にあげたものです」と。

それからミニエル司教はさらに銀の燭台を手にしていて、ジャンに渡します。

「銀の食器だけでは足りないだろうから」と。

憲兵はもうわけがわかりません。

ジャンもその出来事に呆然としています。

自分は、恩義のある司教を裏切り、あろうことか盗みまで働いたというのになぜかばってくれるのか。

ここで、ジャンは深く自分を振り返ることになったのですね。

誰も自分の苦しみをわかってくれない。どうせだれも助けてはくれないと思いこみ心が荒びきっていた自分を見つめなおすことができたのです。

ミニエル司教はわかっていたのかも知れません。

このまま、ジャンが投獄されてしまえば、一生、彼が立ち直る機会は失われてしまうであろうことを。

そして、ジャンもようやく司教のその深い愛に気づくことができたわけですね。

人は誰しも不遇の状況が続けば、社会を憎み人を憎み、自分の善良な心までも見失いかけてしまうものです。

でも、そんな中でも愛を持った人はいる。

このことにジャンが気づけるまでには、いろんな葛藤や迷いがあったわけですね。

理屈でわりきるだけでは決して理解できないのが人の心というものなのかも知れません。

この出来事をきっかけにジャンはもう一度立ち直り正直で善良な人間として生きていこうと心に誓ったということです。

この物語はその後のジャンの生涯を描いていますが、そのきっかけとなった重要なエビソードを紹介してみました。

人の心は複雑で、また感情があるがゆえに間違ったり失敗したりするけれど、人の愛に触れてまた立ち直ることもあるのだということが文学を通して知ることができます。

単純に悪いこといいこと、ああすべきこうすべきとうのは、理屈としては正しいかも知れないけれど、そこに血の通った人の迷いや悲しみや苦渋やずるさや誠実さいろんな感情が絡まって人生や人間関係を形作っているわけです。

そのような複雑極まりないことを本当に受け止めていくことができるかどうかは、幸魂の成長にかかっているのですね。

そのことを学ぶ機会として文学に触れるということも一つの方法としてあるのかも知れません。


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守護霊からの言霊について

日々、守護霊アドバイスをお申込みの方に取次させていただいておりますが、本日は少し守護霊アドバイスについて補足の説明をさせていただきたいなと思っています。

守護霊アドバイスは基本は守護霊様からのコメントとその解説を天心がしてお伝えするというような形式でメールにてお話させていただいています。

なぜ、天心が解説をしているのかといえば、守護霊は魂の教育係として、高い次元からのコメントをメッセージとして伝えてくるわけなんですが、そのために非常に抽象的でわかりづらいことも多々あるからです。

ご相談内容を私がある程度咀嚼して、守護霊に伺いを立てることでメッセージの方向性はある程度決まってくるのですが、そうはいっても、非常にポイントを絞ったものになっています。

なので、ある程度、私がコメントの内容を咀嚼しつつ、わかるようにご相談者様に解説をしているわけです。

時折、解説をしても「わからない」と感想を言われてしまうこともありますが(汗)なるべく、私自身も咀嚼力を磨いて、わかりやすいようになるべく具体的になるようにくだいているのです。

ただ、本来は守護霊からのアドバイスを頂く意義というのは、守護霊との霊線を強固にしていくという意味もあります。

短くわかりにくい内容のコメントであったとしても、守護霊の濃密な霊流が流れているのが、守護霊からのコメントであったりするわけです。

ですから、コメント自体をよくよく自分なりに咀嚼したり、味わったりすることで、守護霊との交流も深まったりするわけです。

守護霊アドバイスはともすると単なる人生相談に終始しがちな要素を持っていますが、本来は守護霊との交流を深めるためのきっかけにするための取次なのですね。

もちろん、現世における利益や問題解決も大切な事柄ではありますし、それを通して学び修行していくのも一つの在り方ではあります。

ただ、最近は少し、基本的な意義からずれてきている感覚があるので、一度、補足しておいた方がよいかなという想いから今回はお話をさせていただいています。

なので、守護霊アドバイスは特に悩みごとや問題がなくとも、自分のこれから心がけてゆくべきことや、学びのための方向性などをうかがうということも一つの活用方法ではないかと思います。

なによりも、守護霊アドバイスを通して守護霊からの直接の言霊に触れることで、守護霊との霊線を深めていくことも一つの霊的な学びにもなるわけです。

そして、霊的な学びという意味でいえば、守護霊からのコメントをしっかりと味わい吟味することも大切なことだということです。

抽象的でわからないからといって敬遠することなく、守護霊の言霊もしっかりと受け止めていただけると幸いです。


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我事において後悔せず

大河ドラマの主人公にもなったことがある人物に宮本武蔵という剣豪がいたことは、よく知られたことではないかと思います。

宮本武蔵は吉川英治氏の小説でも有名で、実在した人物でもあります。

書物としては五輪の書なんかが有名ですね。

小説の中の宮本武蔵のイメージは、もとは、タケゾウと呼ばれる暴れん坊の腕白な少年が自分を見つめなおしながら、剣の道を通して自分を見つけていく、一人の人間の姿が想い浮かばれます。

単なる剣の達人というだけでなく、一人の人間として成長していく姿がすべての人に通じる人生のありようを示しているのではないかと感じるのです。

そんな宮本武蔵の残した言葉に「我事において後悔せず」というものがあります。

この言葉は、ひとたび何かを選択し事を起こす時には腹を決めて後悔しないことを誓って行っていくことを宮本武蔵は自分に課していたのかと思います。

人は失敗したり、恥をかいたり、痛い想いをするのは嫌なものです。

物事を実行した後に結果が芳しくないと、やらなければよかったと思ってしまいがちです。

そうなってしまうと怖くて何も選択できない、道を選べないという状況が生まれてきてしまいます。

このことをよく理解していたからこそ、宮本武蔵は自分自身の矜持を「我事において後悔せず」という言葉で表したのではないでしょうか。

一寸先は闇なんていいますが、将来のこと、自分の選択の結果をネガティブにとらえれば、先行きは真っ暗闇のように見えてしまいます。

しかし、一寸先はすべて可能性であり、何かを作り上げてゆくフィールドであると捉えるならば、私たちはたとえ怖くても不安であっても一歩踏み出す勇気をそこに見出すことができるはずです。

先に進めなくなってしまうのは、主体的な意志決定の結果を受け止める勇気がなくなってしまっているからであるともいえます。

そんな時には宮本武蔵の言葉「我事において後悔せず」を思い出してください。

一人の人間として葛藤し、自分の生きる道を探求した武蔵もまた、自分のゆくべき道がどこに行きつくのかわからず怖かったのではないかと思います。

怖かったからこそ、自分のその不安を乗り越えて、それでも自分の中に真理を得たいという勇気を振り絞るために言い聞かせていたのではないでしょうか。

後悔するよりも、自分の意志で切り開いた道を誉に想い、もっと先へと進むことが、結果的には最も後悔の少ない生き方につながるのかも知れません。


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【守護霊問答】アウェーをホームに変えるには

さて、今回の記事は【守護霊問答】を行いたいと思います。

テーマは、「アウェーをホームに変えるには」ということで行ってみたいと思います。

ホームというのは、直訳すると「家」とか「わが家」という感じの訳になりますが、自分の家にいる時のようなリラックスして本来の自分らしい状態でいられることをいいます。

アウェーは、その逆で落ち着かない外野的な場所にいる状態を指すわけですね。

私たちが自分らしくふるまえるのは、ホームの状態にある時であり、アウェーの状態の時には、緊張したり、余計な力が入ってしまい、あげくに失敗したり、自分らしくないふるまいをして周囲に誤解されたりしてしまいます。

なので、できるだけ自分の関わる場所をホームの状態に変えておくほうがよいわけですね。

そこで、今回の守護霊様にお尋ねするテーマとして、どうやって自分のアウェーな場所をホームに変えてゆくのかについてを取り上げてみました。

それでは、早速、問答に入ってゆくことにしましょう。


天心:「なかなか落ち着かない場所で自分の本領を発揮するために何が必要が教えていただきたいのですが」

守護霊:「よりよく知る。他なし」

天心:「よりよく知る?それはどいういう意味でしょうか」

守護霊:「誰しもよく知らぬ土地では恐れを抱くもの。よく知らぬ相手は敵か味方かも判然とせぬ」

天心:「なるほど。まずは、自分が関わっていく場所や事柄や人についてリサーチが大事ということですか?」

守護霊:「ただ知るのみでは足らぬ。自分の軸として深くかかわる覚悟を決めること」

天心:「自分を軸にするということは、主体的にその場所と自分との関わりを強固にしていくことと捉えてよろしいでしょうか」

守護霊:「その通り。外から眺望するがごとき傍観は、己を軸としない。なればこそ本領も発揮できぬ」

天心:「自分自身がその場所や事柄、相手との結びつきをしっかりと認識することで、自分自身の責任感も作られていくということですね」

守護霊:「暴れ馬を制するのもたずなを持つ者の心得一つである」

天心:「確かに状況に対して自分がコントロールできない立場にいると不安でもありますね。自分が蚊帳の外におかれている感じがする時には、自分のことが無力に感じたりすることもありますね」

守護霊:「たずなを持つことが制することにつながる。すなわち、よく知ることこそ、たすなを握る最初の一歩となるであろう」

天心:「わかりました。しっかりと物事を把握して、たすなを握っていこうと思います。」


以上が【守護霊問答】になります。

私たちは、よく知っているものを扱ったり、よく知った人とは仲良くできたりします。

以外とよく知らないからこそ、逃げて意識や外野的なアウェーな感覚を覚えてしまうこともあるのかも知れません。

ならば、もっともっと知るようにすれば、今はアウェーに感じていても、いつの日かホームに変わる日が来るのではないかと思います。


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【東京のへそ】大宮八幡宮にて参拝

先日、大宮八幡宮にて参拝させていただきました。

大宮八幡宮は東京のへそとも呼ばれていて、規模としては中小規模の神社でありますが、閑静な住宅街にたたずむ隠れた神域です。

八幡系の神社というのは、全国でも摂社、末社の数も多く、参詣される方も多いのではないかと思います。

八幡様といえば、主祭神は応神天皇(おうじんてんのう)様であり、他に御祭されているのは、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)様神功皇后(じんぐうこうごう)様が祀られています。

いずれも歴史上の実在の人物であり、皇室の方でありますが、神様として祀られているわけですね。

皇室は元をただせば祖先神は天照大神様につながるわけですが、そう考えると皇室の方が祀られるのは、自然なことかもしれません。

実際に神様と一口にいっても次元が違うので、同じ八百万の神々でも働きは異なりますし、意味あいも違ってくるのですね。

八幡様の場合は、霊人を祀っていることになるわけですが、限りなく古き世の神霊の場合、限りなく神格化しているので、実際には神霊界の奥の奥にある非常に繊細な御魂としての存在になられているようです。

なので、単純に実在の人物を祀っているという発想ではないのですね。

また、同じ八幡神社でも降りられている取次の神霊は違います。

窓口となる神霊はまた神社によって違ったりするわけです。

大宮八幡宮では、私と主祭神様との取次をしてくださったのは、巫女のようないでたちのご神霊であられました。

非常に繊細ですが、真に力強さを持った存在です。

特に八幡様は現世にて実在しご活躍された神霊を祀っているわけなので、現世的な霊験も出やすいようです。

とても力強い霊力を感じることが多いのが八幡宮の特徴です。

でも、大宮八幡宮の場合は、とても繊細な気も動いている場所なので、取次のご神霊が女性であることもどこかうなずけます。

境内は本当にのどかな雰囲気であり、すぐにその神域の気に溶け込むことができます。

折角のご参拝なので、昇殿参拝をさせていただくことにしました。

昇殿参拝とは、正式に神主様に祝詞を奏上する取次をしていただき、巫女様による豊栄の舞を奉納し、榊にシデをつけて玉串奉奠を行う参拝方式になります。

実際に参拝したのは私だけではありますが、その背後には、これまで、また現在もご縁を頂いたり、鑑定取次をしたり、FGSの会のメンバー、道名授与を受けられた方の分も込めての参拝になります。

もちろん、ご寄付の一部も昇殿参拝のお玉串に活用させていただいています。

そうすることで、ご寄付をされた方の真心も大宮八幡宮の神様に届くようになるわけですね。

大宮八幡宮の昇殿参拝では、神笛奏上もきちんと巫女様がライブで行ってくださいます。

豊栄の舞の謡(うたい)も神主様が行います。

あたりまえじゃないか?と思う方もいるかもしれませんが、最近では録音テープを流すだけの神社も多いので、その点、深い真心を感じたのです。

ある程度、合理的になってしまうのは、現代においてはやむをえないところではあるのでしょうが、やはり一つ一つの儀式を人の手で丁寧に行っているというのは非常に素晴らしいと思いました。

最後に大宮八幡宮にてのメッセージをご紹介させていただきます。


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天に見放されたと思う時には八幡神を詣でるがよい

物事の成り立ちを知ることで道は開く

道理を無視して天地は成り立たぬ

道理を極めつくしたもののみが最後には勝利する

よくよく励み務め学ぶべし

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天心 拝


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居直るより進むが安し

最近、自分自身の勉強をかねて様々な本やブログなどを拝見させていただいております。

いろんな方の考えや意見を知ることは、とても大事なことだと思いますし、自分にはない考えに触れるきっかけになることもあります。

ただ、少し思うところがありまして、今日は「癒し系」と呼ばれるものについてお話してみたいと思います。

昨今、疲れてい方が多いせいなのかわかりませんが、「癒し系」と呼ばれる様々なグッズもあるみたいですね。

グッズに限らず、思想自体も「癒し系」のものが増えているような気がいたします。

私自身のブログもランキングカテゴリの一つに「癒し」があります。

なので、傷ついた心をケアするという意味では、「癒し」の重要性は理解しているつもりです。

しかしながら、ちょっと最近、「癒し」に偏りすぎて、難題を解決していこうとか、大きな目標を立ててチャレンジしていこうという気概が小さくなっている傾向に世の中がなってきているような気もいたします。

たとえば、傷ついて自信を失っている人に対して、どのようなアドバイスが成り立つのか考えてみます。

私からすれば、まず、何に傷ついているのか。

また、それは本当に自分が傷つかなければならないようなことなのか。

ここに着目します。

得てして心の傷というものは、傷ついている本人からすれば無神経な他人の行動や言動によって傷つけられたと思ってしまうものなのですが、本当はそうではありません。

もちろん、きっかけは、他人のふるまいかも知れませんが、心の傷というのはいつだって自分自身がえぐっている場合が多いものです。

たとえば、仕事で同僚の勝手なふるまいのせいでミスをしてしまい、それが全面的に自分が悪いことになってしまったことを想像してみてください。

そのミスを作りだした同僚はシャーシャーと反省の色もなくふるまっています。

それどころか、こちらが悪いかのような言動すら見られます。

まあ、このような同僚に対してありていにいえば、「ムカついて」しまうのは無理もないこと、というよりは当然なことかもしれません。

なぜ、ムカつくのかといえば、心が傷つけられたと感じているからムカつくわけです。

ムカつくだけで済めばまだいいのですが、人によっては落ち込んだり、さらに自分を責めたりして傷ついてしまう人もいます。

このような場合、どうしたらいいのかといえば、しっかりと毅然とした態度をとって、相手の悪い部分は指摘し、自分が悪かった部分は反省し、決着をつけてしまうことにあります。

その決着をつけずにずっと心にため込んでしまえば、永遠に心の傷はいやされはしないでしょう。

単に心の傷を癒すためだけに優しいケアだけを試みても、何故、自分が傷ついているのかをわかっていないと傷はいやされないのです。

相手が変わることをただ願い、ひたすら自分を傷つけた相手をうらめしく思っていても、心の傷はいえません。

自信をなくした時も同様です。

なぜ、自信がないのかを考えてみることです。

答えは簡単で、過去の経験において成功体験が絶対的に不足しているからです。

成功体験といっても大げさなものではありません。

ことの大小は問わず自分で何かを計画し実行し成し遂げるという体験です。

自信のあるなしは、実はおよそ7割くらいは自分の過去の経験に依存しています。

自信のない人はこれが圧倒的に足りないか、あるいは、過去にそれを上回る失敗体験を繰り返してしまってきた人であるはずです。

だから、自信のない人は、どんなことでも、ささやかなことでもいいので、自分で計画し実行し成し遂げることをすぐに始める必要があります。

そもそも、自信とは勘違いの産物です。

過去にうまくいった経験がいくらあろうとそれで未来が確定してしまうことはありえません。

考えてみれば未来に起こりえることは誰にも正確に予見することはできません。

ある程度の傾向や現時点でいけばどうなるのかは予見できても、現在の状態や行動を変えてゆくことで未来も変わってしまうのです。

そう考えたら、自信をいくら持っていてもそれは明るい未来を保障してくれるものではないことがわかります。

でも、やはり自信を持っていた方が精神衛生上も物事に一歩踏み出す勇気という観点でもよいわけです。

自信がないと一歩踏み出す勇気がでてこなくなってしまうことが多いからなんですね。

だからこそ、自信がないならば、自信がつくように成功体験を自分の中に蓄積していくしかないわけです。

このように分析していくと、問題の答えが段々と明白になってきます。

答えが明白になれば後は、実行していくだけなのです。

「案ずるより産むが安し」という言葉がありますが、ここでは、「居直るより進むが安し」といったところでしょうか。

傷ついている、自信がないという状況に悶々とするくらいならば、一歩でも二歩でも進む道を探していきましょう。

その方が結果的に癒されるのは早いはずです。

癒してもらいたい、どうにかしてもらいたいという気持ちを乗り越えて一歩進もうとしたとき、本当の意味での「癒し」が訪れるのかもしれません。


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【時事ネタ】五輪バレー女子 死の組回避

本日の時事ネタはこちらです♪

★五輪バレー女子 死の組回避
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120613-00000030-spnannex-spo


オリンピック出場をかけたバレーボールの戦いは、男子の方は残念な結果となってしまいましたが、女子はなんとか善戦して出場を勝ち取りましたね。

今日、たまたまニューストピックを見ていたら、上記のようなヘッドラインを見つけました。

「死の組」ってなんだか不吉な言葉ですが、恐る恐るクリックしてみるとどうやら、今回のグループ分けで、日本にとって苦手な中国やランキング1位のアメリカが別グループになったことを言っているみたいです。

でも、日本が属するAグループには、あの強豪ロシアが入ってますからね。

決して楽なグループではないと思いますが。。

いろんな見方はあるかと思いますが、ともかく、日本を代表してのことなので、頑張って全力を出し切っていただければと願います。

さて、本日の時事ネタにちなみまして、少し、スポーツをネタにスピリチュアル論を展開してみたいと思います。

スポーツにも色々なタイプがありますが、多数の選手が集って行う競技は、実はとりわけ大きく霊界が関わっています。

どういうことかといいますと、まず、今回の五輪バレーでいえば、まず日本の霊界が動きます。

日本代表として選抜された彼女たちの一人一人の背後には日本の代表的な霊界がフィードバックを与え始めます。

一つの信念でつながれたグループにはそのグループ全体を覆う霊界が形成されるのです。

そうなると日本代表チームとしての霊界の影響を彼女たちは知らず知らずのうちに受けるのですね。

ただし、一人ひとりの選手が日本代表としての強い意識と他選手たちとの一体感を持たないと日本の代表霊界は完全に形成できないため力は弱くなります。

一時期の日本のバレーは本当に世界レベルで強かったことがありますが、大きな日本の代表霊界をうまく選手たちが活かせていたということでもあるわけです。

今の日本はどうしても、個人に意識が向かいやすくチームや団体というものが単なる囲いのような存在になってしまう傾向があるように見えます。

その個人に分散された意識を一つのグループ、いや国家として統合することができると無敵の強さを誇れるようになるのではないかなと感じます。

また、競技は競技をしている選手たちだけの実力で勝負が決まると思われがちですが、これも違います。

応援している人の念も凝結して、チームの霊界の一部になっています。

なので、現実思考で考えれば、選手やチームとしての実力が勝負の分かれ目であり、応援はあまり意味がないように思えてしまいがちですが、そうではないのです。

しっかりと応援して、勝利を確信すればするほど、チームの霊界は大きくなります。

結論からいえば、各自選手、応援する人、コーチや監督、控えの選手、全部の思いが霊界を作り、勝負を決めているわけですね。

なので、これからも日本代表として頑張っていただくためにも私もささやかながら応援をしていきたいと思います。


(@^^)/~~~


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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-陽天宮2】

☆初めて読む方はコチラからお読みくださいね!
☆前回の新説・霊界ストーリーはコチラをクリックしてくださいね!


初めてこの記事を読まれる方は、一番上のリンクをクリックすれば、一番最初の記事を読むことができます。

前回記事は二番目のリンクをクリックでページが切り替わります。


<前回までのおさらい>


上部霊界の活気ある波動につつまれた陽天宮(ひのあめのみや)で、生命の源であるワインレッドの宝石が飛び交うのを目の当たりにする。

その宝石を受け止めて再生が行われる霊人達。

新たに現世へと舞い降りる姿は、再生への一つのありようであると守護霊は言います。


<続き>

陽天宮(ひのあめのみや)の霊波動はともかく元気元気に人をさせてくれます。

新しい生命を生み出す場所でもあるようなので、その霊波動はとても力強く暖かいのです。

中央にある大きな銀色の鏡のような穴以外には、いくつかのが建てられています。

天空までずっと伸びているのですが、どこまで伸びているのかはわかりません。

ともかく長く長く伸びていて登頂部は光の向こう側といった感じで眩しくてよくわかりません。

たくさんある塔の中には、大きなほんのりとオレンジがかる光を帯びた、途中にまるでサボテンのように塔と塔を結ぶ通路のようなもので組み合わさった大きな中心的な塔があります。

よくよく見てみるとすべての塔は何らかの形でつながっているようで、その中心になっているのが、サボテンのような形をした塔であるようです。

天心:「あれは何でしょうか?」

守護霊:「均衡の柱。または、中央の塔と呼ぶ」

天心:「どのようなものなのでしょうか?」

守護霊:「神界の仕組を下す一つの柱となる」

天心:「神界の意志を現世に下すための装置よのようなものでしょうか」

守護霊:「詳しくは見てみるがよかろう」

そのように守護霊様が言うと霊体が吸い込まれるように中央の塔へと引き込まれていきました。

塔の中は思っていた以上に非常に広い空間が広がっていて、細い光の筋が上から流れてきています。

光ファイバーのような、なんと表現すべきかわかりませんが、ともかく色とりどりの光が流れていきます。

赤い光、青い光、薄いグリーンの光、淡い紫の光、中央の塔の中心には、大きな本当に大きな女性の神霊のお姿がありました。

非常に白金色と水晶のちりばめられたドレスをお召しになり、まるで超豪華なウェディングドレスのような感じです。

後、装飾品がすごいのです。

基本は透き通るような光を帯びたものが多いのですが、髪飾りは扇形に広がる翅のようなものでできていて、一本一本はまるで、クジャクの羽根をガラス細工で作ったようなものに見えます。

首飾りはも色合いは同じなのですが、一つ一つのつながれている玉が勾玉のようなものもあれば、完全なる球体のものもあり、楕円のものもあるという、天然石をつなぎ合わせて作られているようなのですが、それがとても美しいのです。

お顔は、どちらかというと落ち着いた感じの30代、40代くらいの美人な感じです。

ただし、すごーく大きいのです。(笑)

私の霊体は、近づくとその方のお顔にすっぽりと入ってしまうくらいの大きさです。

適切かどうかはわかりませんが、鎌倉の大仏のような、それよりももっと大きいような感じでしょうか。

オオヒルメムチ:「よう帰りましたね」

天心:「はい?」

オオヒルメムチ:「あなたの幸魂(さちみたま)はここにて作られし魂」

天心:「そうなんですか!?」

オオヒルメムチ:「ここでは、多くのものに幸魂を授けています」

天心:「ちょっと待ってください。幸魂は授かるものなのですか?私は自分の一部と思っているのですが」

オオヒルメムチ:「もちろん、あなたの一部でもあります。ここでは幸魂に「育み」の力を与えています」

天心:「先ほど宝石のようなものを見かけましたが、それでしょうか?」

オオヒルメムチ:「霊人が映し世に移動するときには荒魂が必要なのです。それを育む元の力が幸魂に付与する「育む」力なのですよ」

天心:「この霊界は、現世への旅路の中継地点といったところなのでしょうか」

オオヒルメムチ:「それは少し違います。多くの霊人も暮らすところもあります」

天心:「では先ほどみた大きな穴以外にもこの世界にはまだ、いろいろとあるのですね!」

オオヒルメムチ:「ここは現世で大きな創生をなした霊人が集う場所です」

天心:「具体的に言うとどういうことを指しているのでしょうか」

オオヒルメムチ:「霊界の物質をよく現世にて取次、生み出す功を持つもの」

天心:「う~ん、つまりは、現実でいろんなクリエイティブな物や事柄を生み出すことを実際にやってのけた霊人だけがこの霊界に入れるということでしょうか」

オオヒルメムチ:「心だけでの創生は霊物を生み出すだけなのです。それを現世にまで及ぼすだけの創生があるものたちがここに集っているのです」

天心:「わかりました。この世界の他にも色々と見てみたいのですが許可いただけますでしょうか?」

オオヒルメムチ:「この霊界は全部で128のコミュニティに分かれているのです。そのうち、あなたに必要なものだけ見てゆくのがよいでしょう」

天心:「ありがとうございます。そうさせていただきます」

128ものコミュニティがあるとのことでしたが、そんなに見て回れないのでどうしようか、迷っていましたが、守護霊が見るべきところは選んでくれるそうなので、任せることにしました。

それから、中央の塔で謁見した大きな女王様は、オオヒルメムチというお名前の神霊であり、天照大神様の霊統にあたる霊界次元に降りてきた姿の一つであるとのことでした。

陽天宮は思っていた以上に大きな霊界であり、霊界と現世をつなぐ重要な役割のある霊界の一つであるようですね。


☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-陽天宮3】へ続く


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【守護霊問答】自分の不足を発見するには

今回の守護霊問答は、「自分の不足を発見するには」というテーマで行っていきたいと思います。

よく人は自分のことがよくわからなくなることがあります。

どうしても自分の足らないところに気付けない、そのために堂々巡りをしてしまうといった経験はないでしょうか。

自分は一生懸命に努力しているつもりでも、壁を越えられない場合があります。

そんな時にどうやって壁を越えてゆけばよいのか。

別の言い方をすれば、自分の欠点にいち早く気づくことができる方法について守護霊様にお伺いを立ててみました。

自分の不足がどこにあるのか気付くヒントになればと思います。


天心:「今回は、自分自身の足りないところに気付く方法について教えていただきたいと思います」

守護霊:「目に見えるもの。理解できるもの。好きなもの。一旦、横におくこと」

天心:「もう少し具体的に教えていただけないでしょうか」

守護霊:「人は欲しいものしか見えぬ。知っているものしか理解できぬ。つまりは己の中にあるものしか手に入らぬということである」

天心:「確かに自分の好きなものとか、必要としているものには関心が向きますよね。でも、それが自分の不足を知ることとどのような関係があるのでしょうか」

守護霊:「不足とは己にないものを言う。すなわち、己が見えていないもの、己が関心薄きもの、己が咀嚼しきれぬものの中にこそある」

天心:「つまり、自分が知っていることや自分が好きなこととか得意なことばかりを見ていては、自分の不足している部分がなんであるのか見つけることはできないということでしょうか」

守護霊:「その通り。皆、誰しもが自分の好むところ、理解できるもの、目に見えるものばかりを追いかける。しかしなれど、本来はその外側にしか己の不足を補うものはなし」

天心:「自分のこだわりとか好き嫌いとか、理解できるかどうかということを越えて、広い視点を持たないとダメだということでしょうか。でも具体的にどうしたら、自分のこだわりの外側に意識を向けることができるようになるのでしょうか」

守護霊:「難しい問題から逃げぬこと。わからないものを恐れぬ心。いかなるものにも己との縁起を結ぶ点を見つけること。とりわけ、思い込みこそ己の了見を狭める枷(かせ)となることを知るべし」

天心:「確かに難しい問題に出くわすと思考停止して自分の好きな方向に逃げたくなりますね(苦笑)。わけわかんないものはとりあえずスルーしてしまう自分がいます。でも、そういった自分には扱えないと思われがちな世界の中に自分が足りないものがあるということなのでしょうか。どんなものにでも探せば自分との接点を見つけることはできそうですね。でも、自分には関係ないと思いこんだ瞬間から自分の蚊帳の外に置かれてしまいますね」

守護霊:「己の狭い了見で生きれば、己の不足に気づくこともなく成長もないものである」

天心:「言われてみれば、自分の世界にこもれば自己完結になるだけで、新しい自分へと成長することもできないということになりますね。」

守護霊:「ゆめゆめ、忘れることなきよう」

天心:「よくわかりました。ありがとうございました!」


以上が守護霊問答になります。

少し、守護霊の説明にはわかりにくいところもあり、補足している部分もありますが、概ね守護霊の言いたいこととしては、自分の好き嫌い知識の幅、理解の幅が自分の限界を決めてしまっているので、その限界を超えることが不足を補うことだよということみたいです。

そして、自分の好きなこと、理解できるやさしいことだけをしている間は、自分の足りないところには気付けないものだよというお諭しであるようです。

今回の守護霊問答としては、以上になります。

何かの参考になれば幸いです。


天心 拝


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【2012年6月度】神田明神への参拝

昨日、時間を作りまして、神田明神様への6月度の参詣をしてまいりましたのでご報告いたします。

6月といえば、夏越の大祓

今年上半期の穢れを修祓(しゅばつ)を行う、神社の神事の中では大きな行事の一つですね。

まだ、神田明神には茅の輪は出現していませんでしたが、そのうち、あの大きな輪っかを見れる日が来るでしょう。

毎月のことではありますが、やはり最初は今年の上半期をしっかりとお導き頂いたことに対する感謝の気持ちからお祈りをさせていただきました。

それから、取次をさせて頂いた方への追い風祈願、道名授与者の天命が成就されますこと、ご寄付を頂いた方の真心を神様へと届くようにとお祈りをさせていただきました。

また、FGSの会でも参加してくださっている方がしっかりと人生の妙味を味わえるように、人生での壁を超えてゆけますようにとお祈りをさせていただきました。

今月も献灯をささげ、皆さまからのご寄付の一部を奉納し、祈願櫛を書いておさめました。

他の神社や仏閣においても、立ち寄るときには必ず、お祈りとお賽銭をするようにしています。

川崎大師であれば、義捐金箱に毎回、寄付をさせていただいています。(最近、なぜか神田明神からは義捐金箱がなくなってしまいましたので、他神社の時にさせていただくようにしています)

今後も続けられるかぎり、続けていきたいと思っています。

・・・しかし、早いもので今年も半年が終わろうとしていますね。

区切りの時期として、6月度の自分がどれだけ志を全うできたのか振り返ってみるのもよいのかも知れません。

なんとなく日々をズルズルと続けているといつの間にか自分の方向性が分からなくなっていることもあります。

知らず知らずのうちに道がずれてくるわけですね。

だからこそ、夏越の大祓の時期は、単純に穢れを祓う時期としてのみ考えるのではなく、自分自身の内省と内観を行う一つターニングポイントとして鑑みることも大切かもしれません。

最後に神田明神にてのメッセージを紹介して終わりたいと思います。


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遥かなる峰を目指し

ようようと足取り軽くゆけばよし

朝露の静かなる時

夕暮れのほのかなる暖かさ

味わいゆけば

楽しき人生

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天心 拝


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言霊の変化球

落ち込んだり、不安になったり、自分自身を鼓舞したいときに有効なのは言霊法です。

自分自身にとってプラスになる言葉、すなわち「自分はできる」「必ず問題は解決できる」「未来は明るい」というようなニュアンスの言葉をたくさん自分に向って投げかけることを言霊法といいます。

自己啓発の世界でもアファメーションといいまして、自分をプラスの方向へ導いてくれる言葉を発するという方法があります。

平たくいえば自己暗示みたいなものではあります。

しかし、この言霊法もアファメーションも時として逆効果になる場合があります。

一生懸命にプラスの言霊を言い聞かせるわけですが、あまりにも自分が追い詰められすぎて心が硬直しているとすべての言霊が嘘に思えてしまい、返って自分の中にあるネガティブな要素を刺激してしまうこともあります。

確かにいましがた上司にこっぴどく怒られた矢先に「おれは仕事ができる!」とか言霊法をやってみても、全然、心に響かない場合もあるでしょう。

恋人と喧嘩してしまって、音信不通になっているときに「私と彼(彼女)とはもう仲直りしている」とアファメーションをしてみても、どこか不安に感じてしまうことも多いのではないでしょうか。

そんな場合には、少し変化球を使ってみることをお勧めします。

言霊の変化球ですね。

言霊法といえどもストレートばかりでは心のストライクゾーンに言霊を投げ込むことは難しいのですね。

「自分はバリバリ仕事ができる人なんだ~!」と言霊を投げ込んでも、上司に死ぬほど侮辱された後だったら「そんなわけあるか~!」と言霊もネガティブな心のバットではじき飛ばしてしまうわけです。

では、どうすればよいのでしょうか。

変化球です。

まずは、自分の今の状況によりそうような言霊から入ります。

たとえば、「確かに今回は、自分のミスだし。怒られても仕方ないかもしれない。」とちょっと自分が今信じている状況によりそうような言霊から入ります。

そうすると不思議なのですが、自分自身の言葉に今の自分の心が耳を傾けるようになるのです。

最初はよりそうことで、自分の心と同調します。

その後に「でも、失敗しない人はいなし、一度のミスは一度の成功で補えばいい。そして、自分はそれができるはずだ」と言霊をプラスしていくわけです。

その後は、どんどん、自分にとって輝かしい未来につながるプラスの言葉をつむぎながら、最終的には自分の心根を言霊の力で変えてゆくわけです。

最初は変化球で、自分の心の信頼を勝ち取り、その後はプラスの言霊で自分の心根をよりよい方向に変えてゆく。

言霊法といっても、試行錯誤しながら、自分の心を正しく誘導してあげることを工夫していくことも大事なポイントであることを覚えておくとよいかも知れません。


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守護霊の導きによる選択とは

Aを選択すべきか、Bを選択すべきか、人生に選択の迷いはつきものです。

そんな場合、何を選ぶべきかを意識するあまり、守護霊につい正解を教えてほしいと思ってしまう気持ちがわき起こってきたりします。

再三とブログでもお話していますが、守護霊は魂の教育を主として、導きを与える存在なので、主体的意思を無視した介入というものはしないものです。

必ず本人に考えさせ、主体的意思により選択、決断をさせます。

守護霊がヒントとして与えてくれるのは考えるきっかけであり、心すべきテーマなのです。

心のどこかに楽をして正解にたどり着きたい、単に助けてほしいという気持ちがあると守護霊は少し距離を置き始めてしまいます。

守護霊に依存させないためですね。

では、選択に迷った時には、守護霊は絶対に助けてくれないのかといえば、そんなことはありません。

選択に迷った時に守護霊が距離を置くのは、依存心が出ているときと、結果に対する執着心が強い場合です。

こうなってほしい、ああなってほしいと結果に執着して何とか結論を自分の都合に合わせてほしいという思いが強くなると守護霊は距離をおくのです。

逆に「守護霊様。見ていてください。私はこの道で当面、頑張ってみます!」と意を決して主体的に選択して動く時に守護霊はぐっと距離を縮めて導きを与えてくれるのです。

結果はどうなるかわからないし、自信があるわけではないけれど、ともかく頑張るぞ!と意思を固めて動くと、守護霊は「こうしたらもっとよくなるよ」とか「そちらよりこちらの方がいいよ」とサインを送ってきてくれるのですね。

あくまで守護霊は主体的な意思で覚悟を決めて決断をしたときに動いてくれるわけです。

バックエンドの存在だということを考えれば、当たり前の話なのですが、よく忘れてしまいがちなことでもあります。

私たちの人生の自分であり、守護霊ではないのです。

守護霊はあくまでの存在であり、の在り方を間違えると守護霊との交流もからまわりに終わることになります。

「守護霊は何を言ってもいうことを聞いてくれない!」

と嘆く前に、守護霊との基本的な関係と法則を見直してみることも時には大切なことかと思います。


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【時事ネタ】「太陽電池機」大陸間飛行に成功

本日の時事ネタはこちらです~♪


★太陽電池機 大陸間飛行に成功
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120606-00000040-jij-int



私たちの生活を維持していくためには、様々なエネルギーが必要とされています。

とりわけ電力は、原子力発電の災害時の危険性などが問題視されはじめている昨今、新しいエネルギー開発には期待がかけられていますよね。

現世的な意味でもエネルギーの開発は重要なテーマではありますが、私はここに「可能性を開く」というスピリチュアルなメッセージを見出してしまいます。

私たち人間の文明の歴史は、様々な技術革新などによっても育まれてきた事実があります。

エネルギー開発に限らず、様々な技術革新の背後には、可能性の探求ということが不可欠な要素でもあるわけです。

「もうこれでいいや」と現状維持を決め込んで、新たなことへの可能性の扉を叩くことをやめてしまえば、人としての成長は止まってしまいます。

私たちは得てして現状に満足してチャレンジをやめてしまいがちですが、その陰で様々なチャレンジと試行錯誤を続けている人たちもいます。

そういった人たちの絶え間ない研究の成果が今の私たちの豊かな生活や幸せな人生の母体の一つになっていることは否めないでしょう。

私自身も新たなこと、チャレンジを忘れずに少しでも何か皆さんの人生に吉なるものを寄与してゆけたらなと願います。


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不幸な自分が好き?症候群

今回はのテーマは「不幸な自分が好き?症候群」ということでお話していきたいと思います。

…とおそらく、この時点で様々な突っ込みどころを募らせた方も多いのではないでしょうか。(笑)

「不幸な自分が好きな奴なんているか!」
「みんな幸せになりたいって思ってるに決まっているじゃん!」


もっともなご意見が飛び交うのが想像できます。

しかしながら、「不幸な自分が好き」な人が多いというのは冗談でもなんでもなく、事実でございます。

わりと人は不幸な自分が好きだったりするところがあるのです。

これだけではにわかには納得できないことと思いますので、少しずつお話をしていきたいと思います。

たとえば、皆さんにお聞きしたいのですが、自分の部屋が整理整頓されて、ちりやほこりがないピッカピカのすがすがしい状態と、ごちゃごちゃして本やら化粧品やら、昨日、食事で使った食器類がテーブルに散乱している邪気紊乱(びんらん)の部屋とどちらが好きでしょうか。

「そんなの綺麗で清潔で整理整頓された部屋に決まっている」

と思うかも知れませんね。

では、自分の住んでいる部屋は、そうなっていますか?

と聞かれて「もちろん、そうなってます!」と胸を張って言える方は、とても素晴らしいといえますし、少なくとも部屋に関しては、自分自身にとって最高な状態を維持できていると判断しても間違いないでしょう。

しかし、自分の住んでいる部屋を見回して、理想とは程遠い状態であるなと感じた方は少し、考えてみてほしいのです。

理想の部屋は整理整頓された清潔感のある状態であるわけですが、自分の部屋はそうなっていないわけです。

理由はなんでしょうか。

「時間がないから、掃除できなくて」
「部屋が狭いから整理がなかなか難しいんです」


ほかにもいろんな理由はあるかも知れません。

でも、その根底には実は、「わりと今の部屋の状態に満足してしまっている」という心根が存在していたりするものです。

本当はスピリチュアル的な観点で鑑みれば、整理整頓されず清潔感のない部屋は邪気がたまるので、「気持ち悪い」と感じるのが通常のように思われます。

しかし、自分が暮らす部屋は意外に邪気がたまってきても平気であったりする場合があるのです。

これはなぜかというと、実は低次元層の霊波動同士の共鳴は意外と「気持ちの良い」ものであったりするのです。

この説明だけでは少しわかりずらいと思いますので、もう少し詳しくお話してみたいと思います。

本来は人の心には非常に高次元な存在であるというものがあります。

この魂はいつだって高次元なものを求めています。

お部屋の状態でいえば、先ほどから言っているように整理整頓された清潔感のある清々しい状態ですね。

しかし、自分の霊層が低次元層にまで落ちてくると、低次元層の波動が好ましく思えてくるという現象が起こってきます。

たとえば、会社の同僚と飲み屋にて、上司の悪口や会社への不平不満を言い合ったりするのって結構、楽しかったりしませんか?

恥を忍んで言えば私自身も若かりし頃には、経験があります。(苦笑)

同僚同士で、お互いに拉致もあかない、生産的でもない愚痴を言い合ったりする時間が至福に感じていたことがあるのです。

もちろん、この時の私の霊層は最悪の位置にあったと思います。(汗)

でも、その時はすごく楽しく感じていたのです。

このように低次元層同士の波長をもつ人同士というものは得てして仲良くなったりしますね。

お互いに一緒にいて気持ちが良いわけです。

しかし、霊波動はいつも低次元層からのもので満ちているので、霊界もそれ相応のものが形成されてきます。

結果、その霊界からのフィードバックを受け続けていくわけなので、現世的にもそれ相応の出来事が待っているわけですね。

このような霊波動が低次元層に合わさった状態が継続されるとなかなか元の高次元層の霊波動に合わせにくくなってきます。

そうなるとどうなっていくと思いますか?

先ほどのお部屋の状態を例にして説明をしてみたいと思います。

本人は低次元層の霊波動になじんでしまっています。

ただ、本人はそのことには自覚はありません。

しかし、自分の部屋が汚れているな、綺麗にしたほうがよいのではないか?ということは頭では理解しているとします。

ある時、部屋の掃除屋さんに以来して部屋を整理整頓し綺麗にしてもらったとしましょう。

この後、どうなると思いますか?

部屋が綺麗になってメデタシ!で終わると思いますか?

いいえ、部屋が綺麗になっても、本人の低次元層の霊波動が調整されないかぎり、本人は知らずうちに自分の霊波動にあった部屋の状態に戻そうとしてしまうのです。

つまり、もとの汚いお部屋に戻るということです。

このたとえ話はお部屋に限っていますが、実際にはすべてにおいてこの法則は成り立っています。

自分の不幸や不運、そのもととなった心根の状態というものが、明らかにネガティブで暗く重いものであったとしても、長い間、その状態にあるとそれが気持ちよくなってしまっている部分があるのです。

もちろん、苦しい部分も多くあるので、そこから抜け出たいという気持ちもあることは事実ですが、どこかで今現在の低次元層にある自分自身を肯定したいという気持ちが隠れています。

この気持ちに流されてしまっている人のことを「不幸な自分が好き?症候群」と名付けています。

どこか、今現在の自分の中で明らかに将来に良くない影響を与えるであろうと思しき発想や心根を肯定しているかぎりは、いつまでたっても、低次元霊層から抜け出せなくなってしまうのですね。

人は自分を否定されることを嫌います。

それはある意味当たり前の反応でもあるのですが、その否定された中で自分自身にとってプラスになることなのか、マイナスになることなのかを判別することは大事なことでもあります。

そして、自分にとってマイナスと判別できることであるならば、勇気を持って「これは本当の自分ではない。自分の本当の姿とはこうなんだ!」と自分にとって最良である状態を真実として肯定し、自分の中のマイナスを否定することも大事なことであるのです。

いつの間にか不幸な自分を好きになっていないか。

ここを見極めていくことが、一つの自分の心根を審神(さにわ)していくポイントにもなるかと思います。

最良の自分とは何であるのか。理想を常に意識して霊層をあげてゆくことが大切になってくることでしょう。


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感情のゆさぶりの原因は?

時々、わけもなくイライラしたり、切なくなってしまったり感情がゆさぶられてしまう時はないでしょうか。

不定愁訴などといいまして、わけもなく感情が動くことが時にはあります。

私も時々、どうしょうもなくイライラしたり、感情が揺れ動いてしまう時があります。

そんな時は、大抵、マイナス効果を生む霊的な存在が邪魔している場合が多くあります。

やっかいなのは、感情を揺さぶられるだけにとどまらず、気がつかないうちに、そのマイナスの感情を持っている自分が本来の自分だと勘違いしてしまうことがあるということです。

いつもイライラしていると「自分は短気だから」などと勝手に自分の評価をマイナスにしてしまうこともあります。

あるいは、暗く湿ったムードにひっている自分を「私は暗いから。。」とまるでマイナス感情である時の自分を本当の自分だと思ってしまうことがあるわけです。

私は感情が異常に高ぶったり、揺れ動いている時には、まずは霊的な存在の介入の審神(さにわ)を行い、本当にこれは自分の魂からの情動であるのかをチェックすることにしています。

そうしないと感情に任せて、自己評価や行動選択の基準にしてしまうと後で後悔することが多いからです。

感情というものは、実に霊界の影響を受けやすい部分でもあります。

良い影響を受けていれば、いつも楽しく明るくさわやかな心根で行動することになるため、人生にもプラスの資産が築かれていくことになります。

しかし、逆に悪しき影響を受けながら、感情にマイナス的な要因を持ったまま、行動を続けるとなぜか人生にはマイナスの負債ばかりがつみあがっているなんてことにもなりかねません。

なので、感情が揺れ動く時には少し注意が必要なのですね。

大きな決断や行動選択をする時には、少し落ち着いた気持ちの時にする方がよいといえるでしょうね。

それ以上に自分にとってマイナスな感情が生まれている時には、性急な判断を下さないように自分の心をコントロールすることも大切な器量の一つになるのかと思います。


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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-陽天宮】

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<前回までのおさらい>


青天明界には、ナスカの地上絵のような象徴的な図形が描かれていました。

その意味するところは一見してわかりませんでしたが、守護霊様が言うには、霊界法則をつかさどる回路のようなものだということでした。

それから大きな渦から光がほとばしる景色に出会いました。

その渦に触れると頭脳が明晰になるような心地を覚えたのでした。


<続き>

青天明界(せいてんめいかい)の探索を終えて、しばしの月日が流れて、霊感旅行も久しぶりに行いました。

大分、現世の波動にさらされて、霊界へつながる道筋が見つけずらくなっています。

特に上部霊界に合わせて霊波動を調整していくのは、時間がかかりました。

今回は霊界の入り口には立ち寄らず、ダイレクトに上部霊界につながろうとしたため余計に時間がかかってしまったように思います。

段々とうっすらぼんやりとヴィジョンが見えてきます。

非常に明るさはあるのですが、こちらの世界は色彩で表すと紅色といった感じであり、ものすごい活力とエネルギーを感じます。

繊細な霊界の波動というよも、何かを生み出すための火花散るような活気です。

この霊界の波動をずっと受けていると、とても走り出したくなるような躍動感を覚えるのです。

なにか心の底からわくわくするような感情。

太陽の下で汗をいっぱいかいて、運動した後のような、スポーツで全力を出し切っているときに感じるハイな状態にも似た感覚で満ちています。

少しずつ景色が見えてきます。

朝日のような大きなそして巨大な明るいエネルギーボールが宙にいくつも浮いています。

太陽がいくつもあるような感じでしょうか。

そのボールからいくつもの光の筋が、まるで反射するプリズムのようにほとばしりでているのが見えます。

その光の筋の一つに着目して追いかけてゆくと、ワインレッドの色をした宝石のようなものが見えます。

その宝石をくるむように雪の結晶のような形の枠のようなものがはまっているのです。

なんだろう?これは。。

そう思っているとようやく霊界の案内をしてくれている守護霊が私の前にスッと表れてきたのです。

守護霊:「生命の種である」

ワインレッドの宝石のようなものを指して守護霊は言います。

天心:「生命の種?なんですかそれは?」

守護霊:「霊人と現世をつなぎとめる霊力体である」

天心:「霊力体?どういうことでしょうか」

守護霊:「霊人が現世に再生する上で必要となる霊力の礎となる」

天心:「つまり、霊界から現世に生まれる時に必要となるエネルギーの源みたいなものでしょうか」

守護霊:「概ねよろしい」

どうやらこの霊界では、生命の源や現世とのつながり、生まれ変わりに関係しそうなところみたいです。

この霊界はなんと呼ばれているのかを聞いてみますと「陽天宮(ひのあめのみや 又はひてんぐう)」との回答が返ってきました。

ともかくこの霊界は生命力をつかさどるほどの場所であることから、創造力や生命を育む力に満ちているところです。

霊人もどことなしか霊体が大きく、皆、パワフルながっちりとした姿であるように見えます。

しばし、光の筋のほとばしる様子を見物していると、ワインレッドの宝石を、霊人が受け止めているの見えます。

その宝石を受け止めた霊人は中央の大きな、本当に大きな穴の空いた場所に集まってきています。

その穴の向こうは不思議なことに青空が広がっています。

といっても、空洞になっているわけではなく、銀色の液体のようなものが満たされていて、それが鏡のような役割を果たしているようにも見えます。

ただ、鏡といっても、対面のものを映し出しているわけではなさそうです。

そこに映るのは、私たちが現世でよく見ている雲がたなびく青空であり、どこか懐かしさを感じるものでもあります。

ワインレッドの宝石を受け取った霊人たちは、次々とその穴の中に入っていきました。

吸い込まれるようにというか、新しい世界への旅立ちの瞬間といったところでしょうか。

天心:「これは再生の瞬間なのでしょうか?」

守護霊:「その一つのありようである」

天心:「一つのありよう?」

守護霊:「再生には幾通りもの筋道があり。そのうちの一つということである」

天心:「なるほど」

今、目の前に見ている光景が再生の瞬間だとするならば、もしかすると自分もここから現世に生まれてきたのかもしれない。

そんなことを考えつつも、私自身のことに関しては特にコメントをしてくれない守護霊を横目に少し感慨にふけってしまいました。


☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-陽天宮2】へ続く



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こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
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