守護霊の詩

私は今ここにいます


私は今ここにいます


あなたがそう願うならば


いつでも私はここにいます


あなたがこの世に生を受けた日も


あなたが初めてお陽様を眩しそうに目を細めてみていた時も


あなたが初めて星を指差した夜も


あなたが初めて人と手をつないだあの日も


あなたが熱で浮かされて泣いていた時だって


いつもあなたを見守っていました


いつもあなたを見守っていました


友達と喧嘩して帰った日のあの後味の悪さ


その後に仲直りさせるのにどれだけ私が骨を折ったことか


あなたは知らないでしょうね


あなたが初めて恋をした時に


私がどれだけチャンスをあなたに与えてあげたことか


あなたは、失恋に涙して、この世を呪い、ふさぎこんだあの日も


私はあなたの傍でじっと


そうじっとあなたが私の声に耳を傾けてくれることを待っていたのですよ


受験勉強で徹夜をしていたあの時も


風邪をひかないようにお母さんを動かしてそっと毛布を差し入れたこと


あなたはきっと知らないでしょう


大切な受験当日にあなたは受験票を忘れそうになったことがありましたね


そんなことがあったかと、あなたは忘れてしまっているかも知れませんね


あの時、受けた虫の知らせは、私の必死の叫びだったのですよ


おかげでなんとか無事、受験ができて、今は笑い話の一つになりましたね


大切な就職の面接があって、緊張して声もでないあなたを


私は一緒にハラハラしながら見守っていました


頑張れ!頑張れ!今があなたの人生の勝負どころ


私の声は伝わらないけれど、私の心よあなたに伝われ!


あなたが大事な人を亡くした時のこと


忘れらないあの日


泣き叫んで、この世には元に戻らないものもあることを知ったあの日


私も一緒に泣いていました


いつかは誰にでも来る死というものを


あなたはこの時、学びましたね


大きな哀しみを乗り越えて、あなたは成長していった


私もそれが嬉しかった


そして、あなたも子供を持つ親となり


無条件の愛を注ぐことの幸せを知りましたね


私はね。とても嬉しかった


やっと、私の気持ちとあなたの気持ちが重なり合う瞬間が来たのだと


私も今のあなたと同じように、あなたをずっと見守ってきたのだと


伝えられたらどんなに良いだろうか


でも、私の言葉はあなたには伝わらない


でも、あなたの言葉は私には十分すぎるほど


伝わってきます


私は今ここにいます


私は今ここにいます


あなたがそう願うならば


いつでも私はここにいます


あなたは私に気付かなくても


私はいつでもここにいます


あなたの魂の旅路を見守っていきます


そして、いつかあなたが、この世から元来た世界へと帰る時


あなたに会えるのを楽しみにしています。


それまでは


私はいつでもここにいます


いつまでも



~~ 守護霊の詩 Fin ~~


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斎庭(ゆにわ)が大事です

スピリチュアルな世界においてとても大事な要素があります。

それは霊的な空間であり、フィールドであり、言ってしまえば、場所でもあります。

場所といっても物理的な土地を指しているというよりも、あらゆる要素が組み合わさっておりなされている霊空間のことであります。

ちょっとわかりにくいと思いますので、神社を例にとってお話してみたいと思います。

さて、皆さんも一度ならずも神社に詣でて、お参りした経験はあると思います。

神社といえば、鳥居があり、玉砂利が敷かれた参道があり、手と口をすすぐ手水舎が入り口付近にたたずみ、舞殿や拝殿、その奥に本殿があるそんなイメージがあると思います。

もちろん、神社の形式はいろんなタイプがありますので、それぞれに個性的で異なる部分もあるでしょう。

後は、鎮守の杜と呼ばれる山や森林があったり、神南備と呼ばれるご神体とされる山がある場合もありますね。

山がご神体でない場合は、磐座(いわくら)と呼ばれる巌が依代として存在しているところもあります。

あるいは御鏡を祀ったり、榊に半紙、ないし和紙で作られた紙垂(しで)をつけたご幣に神がかかるとされていて、それもまた一つの仮のご神体の代わりになっていたりします。

いろんな、神聖なものを象徴するものが神社には沢山ありますが、ここで考えてみてほしいことがあります。

さて、これらのものが集まる中で神社にとってもっとも大事な要素はなんだと思いますか?

「神社といえばやっぱり鳥居かな」という方もいらっしゃるかも知れませんね。

確かに鳥居は神の使者たる鳥が羽を休める止まり木という意味あいから、神聖さがありますよね。

また、正と俗を分ける分岐点でもあります。

「いやいや、自分はあの玉砂利の上を歩いている時に神聖さを感じる」という方もいるでしょう。

これも、確かに玉砂利が綺麗に敷き詰められた神社は美しさがありますよね。

「いや、そうじゃない、やっぱり、お祈りする場所が大事でしょう。拝殿や本殿が一番、大事なんじゃないかな?」という意見もありそうです。

確かに私達が神社に詣でて向かう場所は拝殿ですし、その向こうには本殿があったりします。

重要な神社の核なるものであることは間違いないでしょう。

「ちょっとまった!拝殿や本殿も大事だが本当に神様の依代となっているのは神南備の山であり、磐座じゃないか。そちらの方が重要だ!」こういう考え方もあるかも知れません。

確かに拝殿や本殿は人が拝みやすいように作られたものであり、もともとの自然のありようを示した依代である山や磐座はとても重要なポイントでもありますね。

「皆、物質的なことに目がいきすぎだよ。やっぱり、どんな神社でもそれを運営する神主さんの心が大事でしょ」

これもまた真実ですね。

神様が御働きになるのは、人を通してのことが多いわけなので、その神域を守る神主さんの御心も重要な点でもあります。

さて、いろんな、考えうる意見を提示してみましたが、皆さんはどう思われましたか。

実は、それぞれの意見は全て間違いではありません。

ある意味、全て正解なのですが、同時に全てにおいて欠落している点があります。

それは、斎庭(ゆにわ)という点です。

個別の要素を取り上げてみても、それぞれの個別のものがおりなす神聖さは伝わってきますが、それだけで神様がいます神社であるとはいえないのです。

全ての個別の要素が互いに関連しやあっておりなす空間が斎庭であり、その斎庭があってそこに神霊が降りてこられるわけです。

霊空間というのは目に見えませんし、個別に「コレ」と指さすことができません。

霊空間はあらゆる神聖なものが織りなす空間のことなのですね。

実はこの霊空間こそがとてもスピリチュアルな世界において重要な要素になってきます。

私達はどうしても目に見える一つひとつのものに気をとられてしまいがちですが、大事なのは織りなす空間です。

空間はフィールドであり、場所ですが、土地という固有の「モノ」ではないのです。

ですから、たとえば、私のブログを読んでスピリチュアルな世界に入っている時、私と読者の皆さまとは霊空間を共有しているということがいえます。

わくわくとスピリチュアルや守護霊のお話に耳を傾けているその空間が神社でいう「斎庭(ゆにわ)」と同じなわけです。

ですから、FGSの会もブログを読んでいる時の空間も、神社でお参りしている時の空間も全ては霊空間だということです。

守護霊アドバイスや天命・過去世調査のやり取りをすることも霊空間。

遠隔浄霊ももちろん、霊空間を清めています。

この霊空間を少しでも良いものに変えていくことがスピリチュアル的な霊的向上にはとても重要なテーマになってきます。

どれだけ、自分の関わり合う霊空間を清めていくことができるのか。

このあたりにも一つのスピリチュアル的な課題が存在していることと思っています。


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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-陽天宮3】

☆初めて読む方はコチラからお読みくださいね!
☆前回の新説・霊界ストーリーはコチラをクリックしてくださいね!


初めてこの記事を読まれる方は、一番上のリンクをクリックすれば、一番最初の記事を読むことができます。

前回記事は二番目のリンクをクリックでページが切り替わります。


<前回までのおさらい>

オオヒルメムチ様から陽天宮(ひのあめのみや)のお話を聞いたところ、どうやらこの霊界は現世と霊界との旅路の中継地点といったところのようでした。

霊界から現世に顕現化を行う、場所といったところのようです。

この霊界は128のコミュニティに分かれているとのことで、とても大きな霊界であるようでした。


<続き>

陽天宮には128のコミュニティがあるということなのでしたが、どこにいくべきか、どうしたらそのコミュニティに接続することができるのかわかりません。

オオヒルメムチ様は、必要なところだけ見ていきなさいというお諭しをくださいましたが、何が必要なのかわからないので、とりあえず、守護霊の導きにゆだねてみることにしました。

そのまま、意識を陽天宮に向け続けていると、何かローブといいますか、羽織物をした霊人達が沢山、忙しく動きまわっている場所に出くわしました。

オレンジ色のとても暖かい感じのフィールドなのですが、何か音が聞こえています。

ポコポコと何かが不思議な音なんですが、よく意識してみると泡がたつ時の音です。

そのフィールドの上空には泡のような何か物体がポコポコと舞い上がってみえます。

その物体はくっついたり、分裂したり、たがいにひも状の何かを出し合って結ぶ突いたりしています。

その物体を霊人達が実に忙しそうに手に持ってどこかに運んだり、くっついた物体をはがしたり、また別の物体とくっつけたりしています。

何をしているのかは、はたからは意味不明です(笑)

ただ、とても忙しいそうなのと、おそらく何かを作って組み立てているのではないかという気がいたします。

とりあえず、不思議な光景をじっと見つめていましたが、らちがあかないので、霊人のひとりに質問をしてみることにしました。


天心:「ここでは何をされているのでしょうか?」

霊人:「主に地表に住む生き物の入れ物を作っています」

天心:「入れ物ですか?」

霊人:「そうです。地表の動植物の身体のひな型になるものです」

天心:「それはいわゆる私達が身体と呼んでいるものでしょうか」

霊人:「あくまでひな型です。全てを移し世に形造るための元素を組み立てています」


・・・う~ん、何かを作って現世に流している。。

ということは、かろうじてわかったのですが、何をしているのかはわからずじまい(笑)

一つ言えるのは、全ては泡のように生まれてきて、その泡がくっついたり、離れたり、連動してつながったりを繰り返し、それを霊人達がこねくりまわして、何かを作り上げているということです。

もしかすると私達の全ては泡からポコポコと生まれてきたのかも知れません。(笑)


☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-陽天宮4】へ続く


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【時事ネタ】兄の水筒、87歳妹の元へ

今回の時事ネタはこちら!


★戦死から70年…兄の水筒、87歳妹の元へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121126-00000082-san-soci


以下、記事抜粋

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第二次世界大戦の激戦地のひとつ、東部ニューギニア(現パプアニューギニア)で見つかった水筒が、持ち主とみられる兵士の戦死から70年を経て今月、遺族の元に戻った。水筒に刻まれた姓を手掛かりに、戦友会関係者らの調査で持ち主が判明。劇的な“再会”に、遺族は「信じられない」と喜びをかみしめた。

~中略~

辻本さんが今月17日、岐阜県を訪れ、啓一さんの3つ違いの妹、小栗ぎんさん(87)=岐阜県瑞浪(みずなみ)市=に水筒を手渡した。弾痕や穴が残るアルミ製の水筒を手にしたぎんさんは「魚釣りが好きで、優しかった兄さんを思い出しました」と目を細めた。辻本さんは「啓一さんの国に帰りたいという強い気持ちが返還につながった」と話した。

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以前も「【時事ネタ】ハーレー漂着!物と人との縁起」の記事で、持ち主の元に津波でさらわれたバイクが戻ってきたという記事をご紹介しましたが、今回の記事のお話もなかなか興味深いですね。

今回は、持ち主ではなく、持ち主の妹さんのもとに「水筒」が戻ったということですが、これも単なる偶然としてしまうには、あまりにも奇跡的です。

私達の想いというものは、目に見えず、なかなか届けにくいものという印象がありますが、その想いは必ずエネルギーとなって生成されています。

そのエネルギーはどこかで何かの形で顕現化されようとするわけです。

今回の記事を読んでいると、亡くなられた持ち主である方の想いが形を越え、時を越えて、妹さんに伝わったということのように思います。

私達の想いというものも、一見、はかなくとらえどころがないように見えていても、それは決して、目に見えないから「ない」のではなく、本当はいつもそこに「ある」ものなのかも知れません。

だからこそ、一つひとつの想いが何かを変えていく原動力になることもあるのだと思います。

想いが集まれば、何かが伝わり、何かが変わり、そして何かが生み出されていく。

このことをそっと教えてくれているかのような出来事のように感じます。

皆さんはどう感じられましたでしょうか?


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反転の理

今回は、「反転の理(はんてんのことわり)」というテーマでお話してみたいと思います。

私達はいつも何かを判断し、真実が何であるのかを見極めながら生きています。

どんな人でも真実を求めていろいろと考えをこらしてみるわけですが、得てして真実は闇の中にあり、判然としないことも多いのではないでしょうか。

たとえば、いつも喧嘩の絶えない夫婦関係を例にとって見てみましょう。

いつも喧嘩をしてしまう原因について夫はおっとなりに、妻は妻なりに考えていることはあるはずです。

夫からするといつも妻は嫌みばかりを言って、自分の非難ばかりをしてくるので、頭に着てしまうというのが喧嘩の原因だと考えているとします。

妻の方は妻の方で、夫が常にだらしなく、たよりないところがあるからイライラさせられてしまうと考えていたとしましょう。

どちらにも言い分の正当性はあるかも知れませんし、その根拠となる証拠もあるのかも知れません。

しかしながら、これらの真実は、自分自身の立場から見える真実に過ぎません。

なぜならば、真実は人の主観の数だけその姿を変えてしまうからでもあります。

夫は夫の立場から喧嘩の原因を探ろうとしますし、妻は妻の立場からそれを行います。

当然、見えてくる景色は異なったものとなります。

なので、見えてくる景色が違えば、また、意見も異なってくるため、その相違をめぐって喧嘩になったりしますよね(苦笑)

では、どうすれば喧嘩の原因を突き止めて、解決へと向かうことができるのかといえば、それは、自分の主観を越えて物事を見るということが必要になります。

つまり、自分の見えている景色をあえて、封じて、相手が見えている景色を自分でも観てみるという体験が必要になります。

たとえで言えば、夫は夫の立場から見える真実の景色を一旦捨てて、妻の目線から見える景色を垣間見るということを行ってみることがこれに当たります。

自分の反対側にいる人の目線に真理があるという発想のことを「反転の理」と呼ぶことにします。

この反転の理によって、まずは対面の人間の見えている景色を理解することができると思います。

これが第一ステップになります。

では、これで真実が見えてくるのかといえば、まだ不足しています。

何が不足しているのかといえば、まだ、夫婦という二人の間柄というところで、見えている景色は偏っているといえます。

夫婦の間で見えている景色と第三者から遠巻きに見える夫婦の姿はいかなるように映っているのかという目線で考えてみることも必要になってきます。

つまり、第三者になったつもりで、自分と相手、夫と妻の二人の関係や在り様を見てみるということも必要です。

これも、夫婦という間柄の反対側にまわることになるので、反転の理になります。

なぜ、真実を見極めるためにこの反転の理が必要になるのかといえば、人はどうしてもエゴの影響で、視界がとても狭くなっていることが多いためです。

視界がとても狭くなるということは、つまりは自分の心の霊界が狭く、次元も低くなっていることを示唆しています。

物事を解決していくためには、視界を絞ってばかりいては、真実が見えにくくなり、解決が難しくなることも多いといえます。

反転の理において、真実を見ていく習慣がついてくると、より自分の視野が広がってくることにもなるはずです。

真実が見えにくく感じる時には、この反転の理に基づいて視野を広げていくことが必要になるかと思います。


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心に残った守護霊からのメッセージ6

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


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頭よりも気を使うべし

気を使うよりも真心を込めるべし

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どうしてもアレコレ考えると頭でっかちになってしまします。

頭でロジカルに考えるよりも、もっと気配りをした方が良いというお諭しでした。

さらに気を使うだけではなく、そこにもっと真心を感じさせる振る舞いになってなければだめですよということもおっしゃられていました。

真心というものは、頭でいくら考えていても表現できるものではないということです。

真心があるならば、もっと気配りをして、人を喜ばせ、感動させ、幸せを感じさせる振る舞いができるようになりましょうとよく言われています。(苦笑)


天心 拝



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世界を一変する方法

私達が生きている世界はとても複雑で、一見すると個人の力ではどうにも変えがたいものにも見えることがあります。

世界とは多人数で運営される社会であるため、個人の力が及ぶ範囲は限られています。

この事実を踏まえると、世界についてアレコレ考えてみるだけ無駄ではないかと思ってしまいがちです。

しかし、世界というものは、私達一人ひとりの活動によって運営されています。

そして、その活動を支えているのは、私達一人ひとりの心のありようでもあります。

さらにいえば、心が向かう先を決めている軸となるのが、価値観と呼ばれる心の視点でもあります。

私達のつくりだしている世界は、多くの心の共有と多様な価値観の中でも、より多くの支持を得ている価値観によって成り立っています。

つまり、世界とは価値観によってその姿を変えるものであり、価値観が変わればすなわち世界も変わっていくということです。

価値観のパラダイムシフトこそが世界を一変させるキーであるということです。

私達の多くが共有する価値観に「物質的な豊かさを得ることは幸せなこと」というものがあります。

もっと、具体的に例をあげると「お金を得ること」が良いことだという価値観があります。

もちろん、全ての人がそうであるとは言いませんが、大多数の人達の心には、「物質的な豊かさ」「お金を得ること」という価値観が植えつけられていることは間違いのないことかと思います。

私達の抱える悩みの多くは、この価値観から生じる問題に帰結される場合が多いように思います。

現代では心の問題もクローズアップされてきているようにも感じますが、それでも煎じつめると上記の価値観が深くかかわっているように感じるのです。

何か、物質的な豊かさを手に入れないのは不幸であるかのように、あるいはお金がないことが不運の源であるかのように信じられているような、そんなことを感じることがあります。

私達は物質ではない世界からやってきて、物質次元での生活を経験して、最後は物質ではない世界に帰ってゆきます。

誰もが皆、同じ道を通ります。

どんなにお金を稼いでみても、物質的な豊かさを得て、たとえば豪邸に住んだり、毎日、御馳走に舌鼓を打ったとしても、いつかはそれを手放す日が来ます。

別にそれだから物質的な豊かさを得ることがむなしくて、無意味であるなんていうつもりはありません。

お金を稼ぐことが悪いことなんていうことも言いません。

ただ、お金を稼ごうが、豪邸に住もうが、御馳走を毎日、飽きるほど食べようとも、人はそれだけで幸せになれるわけではありません。

幸せとはいつでも心が決めるものです。

別の言い方をすると心以外に幸せを決める権利はないのです。

なので、お金を稼げたら幸せという幸福もあってよいですし、豪邸に住むことは楽しいという幸せがあっても良いのです。

しかし、覚えておいてほしいのは、それは、一つの価値観という心の視座から見える景色であるに過ぎないということです。

私達の世界は万華鏡のようなものです。

ひとたび筒を回すと見えている世界は全く異なった姿を見せてくれます。

私達の心の中にある万華鏡の筒をほんの少し回してみれば、わかります。

世界はそれだけで一変してしまうものだということを理解できると思います。

そして、私達が絶対の幸福を呼ぶ価値観と信じているものも、実は、その一つの景色に過ぎないということも感じることができるでしょう。

私達が絶対に個人では変えることができないと思っている世界は、本当はとてももろく頼りないものなのかも知れません。


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【守護霊問答】人から好かれる人になるには

今回は久方ぶりに守護霊問答を行ってみたいと思います。

問答のテーマは「人から好かれる人になるには」ということでお送りいたしたいと思います。

誰でも人から憎まれたいとは思わないもので、できれば人から好かれた方が人間関係も楽しくなるのかと思います。

そこで、守護霊様に人から好かれるようになるためのヒントを伺えってみました。


天心:「人から好かれる人には何が必要ですか?」

守護霊:「言祝ぎの心なり」

天心:「言祝ぎといいますと、誉めるということですか?」

守護霊:「しかり」

天心:「確かに人から褒められれば嫌な気はしませんよね」

守護霊:「言祝ぎを行うには細やかな気配りがいる」

天心:「とおっしゃいますと?」

守護霊:「うわべの言葉は、そらぞらしく人の心には届かぬもの」

天心:「うわべだけではなく、心からそう思うことを誉めなきゃいけないということですね」

守護霊:「真に言祝ぐためには、人を心から理解することが必定」

天心:「相手のことがわからないのでは、何が良いところなのかわかりませんからね」

守護霊:「言祝ぎの心は愛心。愛あるものは愛される」

天心:「なるほど。深いですね。私達はどうしても好かれたい、嫌われたくないという想いの方が先行してしまいますからね。まずは、相手のことを想う気持ちがないとダメということですね」

守護霊:「今一つは皮肉をいわぬこと」

天心:「皮肉ですか・・?」

守護霊:「己がことばかりを考える時、一言二言、余計なことをいう」

天心:「ああ、確かに自分が愛されていないと感じている時には愚痴っぽくなったりもしますね」

守護霊:「人の悪しき点が垣間見え始めたならば気をつけるべし。己が心がどこに向かっているのか。今一つ確認するがよかろう」

天心:「う~ん。気をつけます(苦笑)」

守護霊:「人から好かれたくば、まずは人を好きにならねばならぬぞ」

天心:「わかりました。ありがとうごいました」


ということで、「人から好かれる人になるには」というテーマで守護霊様と問答を行ってみました。

結局のところ、人から好きになられるためには、自分がもっと人を好きにならないと始まらないよといったところでしょうか。

以上、守護霊問答でした!


天心 拝


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魂の旅路(正負のエネルギー編 その2)

前回の続きになります。

前回のポイントを復習しますと、私達が再生転生を繰り返しながら行っていることの一つとして正負のエネルギーの調和と調整であるということをお話させていただきました。

正と負のエネルギーのバランスによって、幸不幸というものが形に現れることになります。

よく言われる運が良い悪いというものは、この正と負のバランスに影響されてもたらされるものでもあります。

たとえば同じ努力をしていても、正のエネルギーが強い人とそうでない人とでは、結果の表れ方に違いが出てきます。

「あの人は何をやってもうまくいく」と思える人には過去世を含めて今生での正のエネルギーの蓄え方が異なる場合が多いということです。

正のエネルギーが少なく負のエネルギーが多いと努力が顕現に結びつきにくいということにもなります。

多くの開運方法を述べる書物や論議の骨子はおそらく、この正と負のエネルギーの調整にいきつくのではないかと思います。

風水なども自分に流れ込むエネルギーを調整しようと試みるものでもあったりしますし、パワーストーンを持つことも多少の中和にはなるかも知れません。

算命術と呼ばれる占星術や四柱推命などの占いもこの正負のエネルギーの流れを統計的なデータとサイクルで読み解こうとする試みではないのかと思います。

ただ、正負のエネルギーは個人のみならず、組織的なもの、グループやコミュニティ、国家、あるいは地球といった範囲でも循環しているものなので、単純に個人のエネルギーバランスだけでは問題や課題は解決しない場合も多いのです。

たとえば、どんなに個人のエネルギーを調整してみても、生まれた国が異なればおのずと、その国の持つ正負のエネルギーの流れに巻き込まれていきます。

日本に生まれた場合と未だに戦争が日常的に起こっている中東の国とでは、同じ正のエネルギーを持っていても、その顕現の仕方、パターンは異なってきます。

それは、私達は上位次元のもの、あるいは自分の乗っている受け皿となっているフィールドに流れる正負のエネルギーの影響にはあらがえないという法則があるからです。

それは船の中のクルーがどんなに優秀であっても、船そのものがダメージを受けて壊れてしまうとどうにもならないのと一緒です。

あるいは船そのものが浮かんでいる海全体が嵐になって荒れてしまえば、船は大きな波に呑まれてしまうのと同じなのです。

私達はともすると自分の運命や幸不幸にばかり目が行きがちなのですが、実は再生転生を繰り返しながら私達が果たすべき使命というものは、私達の受け皿であるものの正負のエネルギーの調和、調整というものもあるということを忘れてはならないということです。

私達の生き方一つひとつが私達の受け皿にも影響を与えていきます。

大きな視点を持つこと、高次元なところからの発想と創造を行っていくことは私達が生まれ変わり死に変わりする一つの共通課題でもあるのです。

私達の魂がそれぞれに現世に顕現するのは、より大きなものを、よりよくしていくための神界の意志であり、無数にちりばめられた可能性であり、試行錯誤の結果でもあるということです。

「神界の意志?私の人生は私のもの。どう生きようが勝手でしょ?」

と言われるかも知れません。

確かに自分の人生は自分のものであり、どのように生きるかはそれぞれの主体的意志にかねられるべきことでもあります。

しかし、少しでも自分がこの世に生まれた大きな意義はなんであるのだろう?という疑問を抱き生きていくつもりならば、小さな自分のエゴから少しだけ飛翔して、天から全てを見降ろしてみる目線を持つ必要があるのではないでしょうか。

魂の旅路が存在する大きな意味を時には考えてみるのも良いかも知れません。


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魂とエゴの因果な関係

人間は大きく分けると二つの意志によって構成されています。

一つはであり、もう一つはエゴという名の意志であります。

私はブログなどで主体的意志を持って生きることを推奨している立場でありますが、ここでいう主体的意志とは魂の意志のことです。

私達は、魂の意志によって現世に生まれて、このフィールドで様々なものを創造し、感得し、味わい、表現することを意図して生きています。

しかし、私達には同時にエゴという名の自我意識があり、この自我意識は自分というものを確固として守るための働きをしています。

自分が自分であるために自己を保身するための欲求や意図を持つのがエゴの役割でもあるのです。

私達が現世を生きる時、この二つの意志が絶妙に絡み合いながら行動や想い、言葉となって表れてきます。

どちらか一方の意志のみで生きるというケースはとても稀であり、大抵は比率は人それぞれに異なるものの、両方の意志にのっとって人生の方向性を決めているのです。

さて、魂とエゴという二つの意志ですが、これらはとても因果な関係を持っています。

ある意味とても正反対な性格をもった二つの人格を思い浮かべてみると分かりやすいかもしれません。

たとえば、私達は、得てして楽しく面白く、なんどもスイスイと目的に向かって進めることを望んでいたりしますよね。

誰だって率先して苦難に直面したり、つまらないことに関わりたいと思ったりはしないものです。

なるべく楽をしたいという気持ちがあるのが人間です。

この気持ちはどこから来るのかといえば、エゴの意志から来るものなのです。

ですから、私達が生きている日常の中で、「楽したいな」とか「もっと面白いことはないの?」なんて思っている時にはエゴの意志が活性化している状態にあるともいえるかも知れません。

これに対して魂の意志はどう考えるかというと、苦難に直面したら「やった!ラッキー!?」と思うのです。

信じられないと思うかも知れませんが、私達がめんどくさいこと、自分の進みたい方向に障害物が現れたり、問題が発生したりすると魂は喜び勇んでいるのです。

もちろん、エゴの方は「信じられない。なんでこんなにひどい目にあうんだよ!」と憤慨しているわけなんですが、一方で魂は喜んでいます。

これはなぜかといいますと魂は自分が生まれてきた目的が何であるのかを熟知している存在でもあります。

いろんな局面を経験し味わい、体験しながらそこで自分が真善美を表現し、新たなものを創造していくことがどれだけ素晴らしくうれしいことであるかを理解しています。

なので、魂は困難やめんどくさい問題が発生したりすると「よっし!ようやく見せ場が来たぞ!」と喜ぶわけです。

でも、一方ではエゴは「冗談じゃない。なんで次から次へと面倒なことばかりが起こるんだ。いい加減にしてくれ!」と叫んでいるのです。

どちらも同じ自分の一部なのですが、こうも正反対な性質を持つ魂とエゴとは因果な関係だと思いませんか?(苦笑)

恋人に振られて泣いている時も、エゴは憤り、魂はこれを機にどうやって成長しようかとワクワクしているのです。(笑)

事業不振で資金繰りでヒイヒイいっている経営者さんの魂は、「この逆境で一枚も二枚も脱皮して凄腕に経営者になってみせるぜ!」と息巻いているのです。

一方でエゴの方は「ああ、資金も底をついたし、銀行の融資係にもあってもらえなくなった。。もうおしまいだ」と意気消沈していたりするのです。

魂はいわば人生の主演俳優のような存在だといえます。

たとえば映画のストーリーというものは、得てして波乱に満ちて、様々なトラブルや問題が発生したり、困難に直面したり、時々、悲しいことが起こったりと紆余曲折あるものの方が面白いといえます。

もし、淡々と変わり映えのない、平平凡凡の当たり前で可もなく不可もない、予定調和的なストーリーの映画があったとしたら、あまりヒットしないのではないでしょうか。(もちろん、そういうのが良いという観客もいるかもしれませんが(笑))

やっぱり、ハラハラドキドキのどうなるのか先が見えないような見せ場の多いストーリーの方が主演俳優も輝いて見えると思うわけです。

主演俳優である魂は、見せ場がおおければ多いほど、「自分の出番だ!」と喜ぶわけですね。

しかし、エゴの意志は基本的に安定志向、受け身志向、事なかれ志向であることが多いのです。

どちらの意志も自分の意志ではありますが、スピリチュアル的な視点でいえば、魂の意志を尊重し、魂を向上させて輝かせる人生を選ぶことを目標としています。

もちろん、自己保身というものも私達が生きていくうえでは必要不可欠な部分もあるわけなので、完全にエゴを否定する必要はありません。

ようするにバランスなのです。

魂の意志に多くの耳を傾けるのか、エゴの声に従って生きていくのかで人生は大きく変わっていくことになるかと思います。

同じ主体的意志でも、この違いをわきまえて選択することが大事かと思います。

魂の意志が目覚め始める時、人生に本当の意味での幸いを感じることができるのかも知れません。



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FGSの会からのお知らせ

こんにちは。

天心です。

FGSの会からのお知らせになります。

昨日、会報メルマガ臨時増刊号6をメンバーの皆様に送付させていただきました。

内容としては、バックナンバーVol3の完成報告と購読希望者の募集、それから会のメンバーであることの継続意志確認とアンケートになっております。

メールにて送付したところまたもやエラーが発生した模様であり、もしかすると今回の臨時増刊号が届いていない方もいらっしゃるのではないかと思います。

もし、メンバーの方で届いていない方がいらっしゃれば一方いただければと思います。

その際には指定アドレスが変更になっていないか、ドメイン指定やフィルタリング設定がなされていないかの確認も同時にお願いいたします。


FGSの会からのお知らせでした。


天心 拝


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魂の旅路(正負のエネルギー編)

私達の魂は再生転生を繰り返しながら魂を向上させ、自らの霊界の歪みを取り払い、神界への回帰を果たすと同時にそのために天命を持って活動をしています。

私達は個々の魂という存在に分化されて生きていますが、元津神界にその発端を求めれば、一つに集約された存在であるともいえます。

もともと一つであったものがなぜ、分化されて個々の存在になったのかといえば、それは様々なものを表現して創造していきたいというのがもともとの神界の根源的な意志でもあるからです。

ですから、私達は個々の天命というテーマを持って生まれてきているわけです。

しかし、私達は個々の天命以外にも普遍的ななすべき共通するテーマも持っています。

それは、正負のエネルギーの調和と次元の高いところから来るエネルギーの顕現化にあります。

正負のエネルギーの調和というのは、基本的には正のエネルギーを生成し、負のエネルギーを減産していくというところにあります。

もちろん、正負のエネルギーは相対的なものでもあるので、全てが正のエネルギーになり負のエネルギーが一切なくなるということはありません。

また、逆も同じで負のエネルギーだけで正のエネルギーが消えてなくなることもないのです。

そのバランス上、どちらのエネルギーが勝っているのかという関係であり、正のエネルギーが勝る時には、より人にとって幸せな感覚を醸成するものが顕現化されやすくなり、負のエネルギーが勝るときには、人にとって苦しみの感覚にもとずくものが顕現化されやすくなります。

高い次元の素晴らしい善なるものを顕現化させていくためには正のエネルギーが大量に必要になります。

正のエネルギーが満ちている状態の時になって初めて、素晴らしい人を幸せにするものは顕現化させることができるのです。

逆に負のエネルギーが満ちている時には嫌なこと辛いことが顕現化しやすくなっています。

これは、嫌なことが顕現化するためのエネルギーが満ちているからなんですね。

私達の魂の共通の使命としては、正のエネルギーをできるだけ醸成して、高い次元からくる善なるものを顕現化させていくところにあります。

それゆえに私達は現世でなるべく正のエネルギーを蓄えて、生成する生き方をする必要があるのです。

人を喜ばせたり、幸せにしたり、より善なる志を持って正のエネルギーの醸成を促すことが求められています。

そうすることで私達の生きている現世全体も素晴らしい快適な世の中に調整が進みます。

もちろん、正のエネルギーを沢山蓄えた個々人の魂には、それに応じた幸せも付随してくるということになります。

逆に人を苦しめたり、自分も苦しんだりしながら不幸の念を持ち、負のエネルギーを醸成すれば、世の中もますますに嫌な醜い暗い重苦しい状態になってくるということです。

私達の魂の旅路はこの正負のエネルギーを調整しながら、より素晴らしいものを現世に卸すための旅路であるともいえるわけです。

・・・続く


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ポカポカする感覚

守護霊は時々、身体の感覚器官を通してサインをくれることがあります。

守護霊にお祈りしていると背中や胸がポカポカ暖かくなったりするのです。

後、ジーンとした感動や目の前の何かが開くような感じを覚えることがあります。

不思議なのですが、理屈抜きでくよくよ悩んでいた問題が嘘のように心の中から消え失せてしまうこともあるのです。

守護霊との語らいを推奨していますが、それは現実的な顕現化だけが目的なのではなく、この感覚的な部分での改善に非常に守護霊は力を貸してくれることが多いことが理由でもあります。

すごく、クサクサした気持ちで前を向けないような時でも、守護霊に向かってその気持ちをぶつけていくと心が晴れ渡ってくることがあります。

これは、本当に何度も経験していることで、時々いただく、ご感想などでもそのような報告を多く受け取っているのです。

守護霊にお祈りしたのに現状何も変わらなかったとがっかりする方が時折いらっしゃいますが、現状を構成しているのは霊界のありようです。

その霊界のありようを形成しているのはその人の想念とりまく気だったりします。

現状を変えてゆきたければ霊界を変えねばなりません。

霊界を変えたければ、自分自身の想念を変えてゆくしかありません。

想念を触発する原因を改善するならば、自分をとりまく「気」にも気をつけねばならないでしょう。

守護霊との語らいで守護霊とつながることは結果的にまず、守護霊との霊流が強化されるので、気が良いものに変わっていきます。

また、守護霊からのフィードバックにおいて想念も前向きな物に変えやすくなります。

その結果、自分の背後にある霊界も変えてゆきやすくなるのです。


よく「守護霊は何もしてくれない」とおっしゃられる方がいますが、本当は目に見えないところで様々な助成をしてくれている存在であり、その助成に気付かずに無に帰してしまっているケースが多いことを理解した方が良いのかも知れません。

目に見えないがゆえにその存在のありがたさは意識しないと気付きにくいものでもあります。

それは、いつもお世話になっている人や家族などがいつの間にか空気と同じように当たり前の存在になってしまうことで、感謝の気持ちが段々と失われてしまうのと同じことでもあります。

意識しなければ、その存在はないも同じになってしまうのです。

守護霊などいないという人は、守護霊がいないのではなく、守護霊の存在を無視しているということに過ぎないということがスピリチュアル的な視点で見た場合の真実でもあります。

もちろん、信じるか信じないか、無視するか意識するかはその人の価値観や考え方にもよるので、強制はできないわけですが、折角、守ってくださっている存在なのですから、仲良くした方が得策ではないのかと思うのです。

なので、少しでも興味を持ってくださったならば、今日からでも守護霊に語りかけてみませんか?

その語りかけに応じて、身体がポカポカとしてきませんか?

それは守護霊からの「やっと気づいてくれたね」というサインの始まりなのかも知れません。


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あなたはそれを信じてはいけない

「ダメな奴」というレッテルを張られてののしられたとしたって


あなたはそれを信じてはいけない


一寸の虫にも五分の魂


どんな人にも輝くチャンスがある


学歴や家柄が良くないから決して出世はしないだろうと言われても


あなたはそれを信じてはいけない


水呑み百姓からの天下取り


豊臣秀吉は太閤とあいなった


「お前は風采があがらないからモテないんだよ」と馬鹿にされたって


あなたはそれを信じてはいけない


いけてるいけてないなんて、どうせ時代が変わればその姿も変わってしまうものなのだ


貧乏暮らしをしているのを「お前は本当に貧しいな」とさげすむような目を向けられても


あなたはそれを信じてはいけない


お金がないことが貧しさなのではない


お金がないことに汲々として、まわりを見渡す余裕を持てないことが貧しさの原因なのだから


「お前にそんなことができるはずがない」と夢を否定されたって


あなたはそれを信じてはいけない


この現実の世界は、皆、夢見た人達の努力によって作られてきたのだから


君は不健康だから長生きできないと宣告を受けても


あなたはそれを信じてはいけない


不健康であればこそ養生の道というものも生まれる


お前は頭が悪いな!とからかわれたとしても


あなたはそれを信じてはいけない


人には奇魂(くしみたま)があり学びを深めることでいくらでも賢くなれる


この世には多くの負のエネルギーが満ちています


この世の多くの人は負のエネルギーに耳を傾けて魂を輝かせずにいます


この世に満ちる負のエネルギーに耳を傾けて信じてしまえば


いかなる光も闇の中に消え去ってしまいます。


信じることは大切なことだけど


何を信じるのかは吟味しなければならない


私達を導く存在に耳を傾けよう


結局はこの闇夜のような世界を渡る


一つの方法なのだと


知る人は幸いだと思います




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魂の旅路(天命編)

私達の魂は再生転生をしながら、時には過去世のありように霊的な影響を受けながら現世と霊界の旅を繰り返しながら神界への回帰を目指していきます。

私達は生まれ変わり死に変わりしながら、魂をより輝かせ、そして時にはブラザーソウルである分魂を作り出し、魂を向上させてゆきます。

この繰り返しが生まれ変わりの一つの仕組みでもあります。

しかしながら、単純にこれを繰り返すだけが私達の魂の姿ではありません。

魂とは意志であり、その意志には様々なテーマが付与されています。

そのテーマこそが天命であるというわけです。

天命とは魂の向上プロセスの中のお題であり、魂の志でもあります。

ただ、自分の作った霊界の穢れを落とすだけが再生転生のテーマではありません。

どのような方向性で魂の練磨を行っていくのか。

これが天命の本義でもあります。

天命は再生転生を繰り返しても、ずっと持ち続けていくものもあれば、今生限りのものもあります。

様々なスパンはあれども、私達が魂を向上させていくための大事なポイントでもあるわけですね。

人生の方向性やある程度の筋書きというものが生まれるのはこの天命にそって霊界がまず作られるということでもあります。

もちろん、天命だけでなく、その人の過去世において作ってしまった霊界や因業、積み上げた正負のエネルギーのバランス、発生した縁起なども考慮の上で今生の方向性すなわち宿命を決める霊界が作られるわけです。

その霊界を垣間見るとある程度のその人の未来の方向性がわかってきます。

占いなどで未来を見るといった場合には、この霊界と感応して未来図を予見していることが多いのですね。

この霊界はあくまで未来の方向性のひな形であって、この霊界が未来の確定した形であるということではありません。

霊界はあくまで変えてゆくことができるものです。

むしろ、背後の霊界をよりよく変えてゆくことで、当初の予定よりももっと素晴らしい人生へと飛躍させることだってできるのです。

しかし、受け身で流されやすく、自助努力が足りなければ、霊界の未来図に流されて、概ねそのままいく場合もあるでしょう。

あくまで未来の霊界は常に揺らいでいるといえるでしょう。

霊界を変えれば自分の理想的な人生へとシフトチェンジすることも可能なわけですが、ただ、気をつけねばならないこともあります。

霊界を変えるのは自分の主体的意志であれば自由に変えるのは構わないのですが、霊界を変えるということは、つまりは、その霊界に今度は影響を受け続けるということになります。

ということは、霊界の作り方を間違えると、最後まで自分自身にその影響がフィードバックされることになります。

正しく神界の意志に回帰して霊界を変えることができれば、その霊界転換は素晴らしい人生の転換をもたらせてくれるといえますが、間違えれば、自分のエゴを強化して、さらに因業や歪みを助長することになってしまう場合もあるのです。

もともと、この霊界の歪みこそが因業や負のエネルギーの発生する源であるともいえるわけです。

なので、どうするのが一番良いのかを正しく理解することが大事だったりするのです。

大事なポイントは素直なる魂の意志に正しく立ち返り、霊界の歪みを正し、健やかに現世に顕現化していくというところにあります。

そして、魂の旅路は時には正しい道をゆき、時には寄り道をして、時には迷いながら、進んでいくということです。

その旅路の一つの指針として天命というものがあるというわけですね。


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白と黒の間に

私たち人間は白と黒の間に生きています。

私たちはいつも白と黒とを分けたがりますが、私たちのいる世界というものは、いつだって白と黒はあいまいです。

一点の曇りもないような白に見えても、その中にはわずかながらも黒が存在しています。

真黒な闇にんも一条の光が差し込んでいたりもします。

白と黒とに分けることは不可能なのが私たちのいる世界であり、私たちの歩む人生でもあり、道でもあります。

私たちの生きる世界は常に変動し移り変わり、状況も環境もそしてそこに生きる人達も次々と変わっていきます。

「ALL THE WORLD’S A STAGE」

稀代の戯曲家ウィリアム・シェークスピアの言葉です。

私たちは私たちの世界で私たちの役割を演じています。

そして、私たちも劇中に現れては消えてゆく登場人物の一人です。

私たちが演じるのは白と黒の間にあるどちらともいえない、判然としないこの世界でいかに生きるのかというのがテーマでもあります。

いかなることにも答えがあり、きっちりと固定的な答えがあると思ってしまうと私たちの生きる意味はわからなくなってしまいます。

私たちの生きる意味とは白と黒の間で何を演じ、何を表現し、そして感動や歓喜、時には絶望や悲劇もあり、いいかげんで適当なゆるさも存在するこの判然としない世界を味わうことでもあります。

宇宙をそして世界を理解していこうとするなかで、それでもどこか判然としない、不可解を残したまま、私たちはそれでも見果てぬものを追いかけて生きてゆきます。

答えを出すことだけが人生ではないのかも知れません。

白と黒を分けることよりも、白と黒の間に生きる生き様の中で真善美を追求していく姿勢も時には必要かと思います。


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39でサンキュー!感謝感謝で締めくくります

こんにちは。

天心です。

いつもブログを読んでくださっている読者の皆様、ありがとうございます。

また、コメントや拍手、ペタなどの機能で応援してくださった方々、本当にありがとうございます。

この活動を支える支援としてご寄付などをしてくださった方々、本当に感謝いたします。

メールで様々なご感想をフィードバックくださる方々も非常に助かっております。

フィードバックを受けることで大変、勉強になり、また、読者の方々、関係するすべての方々と一体感を持って活動を続けていられます。

本日、私は誕生日を迎えまして、齢39となりましてございます。m(__)m

三十代の最後の年となりましたが、どのようにこの世代を締めくくろうかと思案しましたが、やはり何はなくとも感謝で締めくくりたいと思いいたりました。

39でサンキューと(笑)、笑えないダジャレのようなタイトルで恐縮ですが、感謝の意を私と関係する全ての人に捧げたいと思います。

思えば30代は本当に転換の世代であったなと感じます。

20代はただひたすら会社や仕事に明け暮れる人生でありましたが、30代より段々と己の霊性と向き合う時間の方が長くなってきたように思います。

この活動を始めたのも30代の後半でございました。

20代の頃はスピリチュアルなことは自分の内面にしまいこみ、ただ、現世での表面的なことだけを気にして生きていたような気がいたします。

まさか私の見聞や意見、取次という形で発信していくなんてことは思ってもみていませんでした。

そもそも、私の話など誰も聞かないだろうし、聞きたくもないだろうと思っていたのです。

わざわざ、ことさらに霊界や守護霊、スピリチュアルなことをお話するなんてこともすべきではないのではないかと思っていたくらいです。

しかし、私の人生の流れは30代の中盤くらいを期に突如としてスピリチュアルなことを前面に出していくことを余儀なくされる方向に流されてきました。

おっかなびっくり始めた霊視・霊感鑑定を経て現在の取次鑑定にいたるまで、どうしたら私の天命を果たすことができるのかと思考錯誤の連続でありました。

つたない運営、いたらないところ、不完全なところ多々ある中で、関心を示していただいた方々がいたことだけで、私は本当にありがたいと思っています。

今なお、本当にこれで良いのか、もっと良いやり方があるのではないかと思考がやむことはありません。

一番にあるのは、皆さまが主体性という名の魂を取り戻し、本来持つ素晴らしい性質を現世で体現しつつ、霊界もより高き尊き清々しいものへと変わり、霊格、霊覚を向上し、毎日が輝ける人生であるということを実感する生き方をどのように伝えていくことができるのかということです。

決して私が大上段に構えて何かをしてやろうというのではなく、皆さま、一人ひとりが人生の主人となり、魂輝ける人生となるきっかけを私はつくることができるのかということが大切なところでもあります。

様々な辛酸や苦境がある現代社会ではありますが、そんな世界にともに生きている一人の人間として皆さまとともに向上心を持って人生を生きてゆけたらこの上ない幸いと思っています。

今後もこの稚拙な天心のブログや活動にお付き合いいただけると嬉しく思います。

皆さまへの感謝をこめて今日の記事を終わりたいと思います。


天心 拝


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【2012年11月度】神田明神への参拝

こんにちは。

天心です。

朝晩の冷え込みは、秋も深まり冬に突入していく兆しすら感じますね。

昨日、神田明神にご参拝させていただきました。

もちろん、11月度の月参りであり、今年も残すところ二か月を切りましたが、しっかりと気を抜かず活動をしていくことを誓って参りました。

今回も献灯の継続を申請し、ご寄付の一部を御賽銭箱に奉納させていただきました。

真心からご寄付を下さった方々の尊き思いを神田明神様にも取次して、追い風の神徳が吹くようにと祈願をさせていただきました。

もちろん、FGSの会メンバー、ブログ読者の方々、それから道名授与者の方々の天命成就、各種取次を受けられた方々がそれぞれの課題を乗り越えていけるようにとお祈りさせていただきました。

それから祈願串も奉納し、さらなる祈願を加えました。

今年も残すところの時間が少なくなってきましたので、どう締めくくるべきかなどをご相談しながらのお祈りとなりました。

おそらく、また来年度は新しい体制を作って活動に取り組む必要がでてきそうです。

神馬のポニー(明(あかり)ちゃん)も元気そうでした。

いつもちょっと弱弱しい感じなので心配しているのですが、明ちゃんも頑張っているようなので(笑)、私も今年も頑張ろうと(笑)気合を入れなおした次第です。

さて、最後に神田明神にてのメッセージをご紹介してご報告を終わりたいと思います。


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傍観者をやめて当事者となれ

この岸からかの岸に渡れ

この岸からかの岸に渡るとは

己が時間、金銭、体力を割いて勇み学ぶことである

この岸から見渡すだけでは

かの岸のことはわからぬ

かの岸に渡ればこそ

得るものがあることを知れ

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何事も傍観して観ているだけでは本当の意味で学ぶことができません。

主体的意志を発揮して、何事も率先して動いていくことが大事だということです。

サイレントマジョリティーという言葉があるように多くの人は物言わぬ傍観者でいることが多いと言われています。

何が起こっても対岸の火事のようであり、自分に関係しているという意識が持てない方が多いと聞きます。

傍観者でいれば、大変な苦労やめんどうくささからは逃れることができるかも知れません。

はっきりいえば、当事者よりも傍観者は楽なのかも知れません。

しかしながら、当事者にならなければ本当の意味で人生での学びを深めていくことはないとメッセージは伝えています。

人は、どうしても時間がかかったり、お金がかかったり、体力的におっくうに思うことには倦厭しがちなところがあります。

でも、その気持ちを乗り越えて踏み込むことが本当の意味での学びにつながり、人生をより豊かにしてくれる一つのポイントだということです。


天心 拝


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因業を解消するには

私たちの周りで起こる物事には原因があります。

原因があり結果が生じます。

これを総じて因果と呼んだり、因業と呼んだりします。

あるいは原因があり縁起が生じることから因縁という言い方をすることもあるでしょう。

たとえばある時、電車に乗っていたとしましょう。

突如、足に鋭い痛みが走ります。

痛くて痛くてしょうがありません。

なぜだか理由がわかりません。

でも、足をよく見てみると誰かが自分の足を踏んでいます。

朝のラッシュアワーであったため車内は大変混雑していたのです。

足が痛かったのは足を踏まれているという「原因」があったからなんですね。

足を踏まれているという原因が生んだ結果を「因業」という言葉で表しますが、そもそもは原因があって生じるメカニズムのことを指しているわけです。

さて、足が痛いということが因業により生じている現象であると捉えるならば、この足の痛いという状態を改善するために必要なことはどのようなことであるといえるでしょうか。

つまり、足が痛いという因業を解消する方法ですね。

これは、足を踏んでいる方に「ちょっと、すいません、足を踏んでるんでどけてください」と言えばよいわけです。

おそらく踏んでしまっている人も悪気がないはずなので、謝りつつ足をどけてくれるはずです。

こうすることで、足が痛いという因業が解消されて、足が痛いという状態が救われることになるわけです。

しかしながら、あらゆる自分自身の身の回りに起こる因業によるマイナスの現象というものの原因がはっきりとわかるレベルのものばかりではないのも現状です。

もともと、先ほどのたとえ話でいけば、足を踏まれているという状態が原因であるというのは、わかりやすい原因ではあります。

しかし、もっと深く原因を探っていけば、なぜ足を踏まれるようなことが起こったのかというとその根源的原因は霊界にあるわけです。

霊界に原因となる状態が作られているからこそ、現世において足が踏まれるという原因が生まれるわけです。

原因といっても深く訴求していくと、どんどん抽象的になり、微細になり、わかりにくくなるものです。

現世の次元でさかのぼれる原因を突き止めて因業を解消していく方法とさらに霊界にまで原因を訴求していく方法と両方の視点が必要なのではないかと思うわけです。

霊界と現世の両方での解決が因業による負のエネルギーの生成を元から断ち、現世でのマイナス現象を顕現化させない一つの方法なのではないかと思います。

私たちはどうしても目に見える形になってからその原因を目に見える形に求めようとします。

しかし、本当は形に成る前の霊界の歪みを微細なうちに正していくことが、転ばぬ先の杖になるということも覚えておいた方がよいでしょう。


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長谷観音への参拝

先日、鎌倉から江ノ島電鉄、通称、えのでんの長谷駅から10分程度の場所にある長谷寺観音様にお参りさせていただきました。

長谷寺は、本尊である巨大観音像を中央に御祀りする仏閣でございます。

参拝するには拝観料がかかりますが、それでもこれだけ大きな観音様を拝めるお寺はなかなかないので、一度、参拝してみることをお勧めします。

観音様以外には、阿弥陀如来様大黒天様なども御祀りされています。

経蔵と呼ばれる御経の納められた場所もありまして、御経が格納された箱は押すとぐるぐると回転するようになっていて、この箱を回すことで経典を全て読了しただけの功徳があると言われています。

残念ながら現在は、老朽化が進んでいることから、特別な日にしか押して回すことが許されていません。

以前、詣でた時には押して回したことがあったのですが、先日はそんなわけで回すことができませんでした。

中央の観音様を御祀りする御堂でお賽銭として皆さまから頂いたご寄付の一部を奉納させていただきました。

それから、阿弥陀如来様と大黒天様にお参りをして、最後は弁天洞窟と呼ばれる弁財天様を祀る洞窟へ参籠させていただきました。

江ノ島にも弁財天様を祀る洞窟がありますが、長谷寺の洞窟は少し狭く、また雰囲気も違います。

どちらかというと仏界に近い、非常に現世と霊界との接点に根をおろしているそんな感じがいたします。

洞窟の中央部に祀られる弁財天様のおそばに小さな弁財天様の仏像を奉納させていただきました。

弁財天様の功徳がFGSの会やご寄付をくださった方にいきわたるようにと祈念させていただきました。

長谷観音様には時折、詣でることがあるのですが、少し、頼ってくるものも多いのか、ところどころに邪気がたまっているところもあるので、とりあえず中央の観音様、阿弥陀如来様、大黒様にお参りして、弁財天の洞窟をめぐるくらいが丁度良いかも知れません。

ただ、鎌倉では有名な御寺の一つでもあるので、お参りしてみられることも良いと思います。


天心 拝


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プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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