【公開質疑応答】湧いてくるイメージについて

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、由紀子様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


すごく親しいわけではありませんが、年に数回会う程度の知人がいるのですがその知人がなんだか深く悩んでいたり考えすぎたりしているような気がしています

しかも知人のお父様が(知ら合った時には他界されていて仏壇は知人宅にあります)深く考え過ぎないでと心配しているイメージが湧いてくるような感じがあります(表現が違うかも知れません)

突然知人に話そうか迷っていますが私の勝手なイメージなので言えません

これは私の妄想だったり、考えすぎなんでしょうか?

妄想や考えすぎでないとしたら、一見関係なさそうな関係の方でもこのようにイメージが湧いてきたりすることってあるのでしょうか?

ご回答されたら嬉しいです
よろしくお願いします


【回答】


由紀子様

ご質問ありがとうございます。

>すごく親しいわけではありませんが、年に数回会う程度の知人がいるのですがその知人がなんだか深く悩んでいたり考えすぎたりしているような気がしています
>しかも知人のお父様が(知ら合った時には他界されていて仏壇は知人宅にあります)深く考え過ぎないでと心配しているイメージが湧いてくるような感じがあります(表現が違うかも知れません)


これは、知人の方に意識を向けた際、湧いてくるイメージがあるということですよね。

私が何度かブログでもお話していることとして、意識の法則というものがあります。

意識を向けるということは、スピリチュアル的に考えるとその対象とつながることでもあります。

個人差はあれど、意識を向けた相手の持つ霊界が自分の霊眼に写り、それをイマジネーションとして受け取ることはありえることです。

由紀子様のケースの場合は、相手の霊界とひもずく祖先系の霊線と感応して何かを垣間見たのかと思います。

あまり付き合いがない知人ということですが、たまたま意識のカーソルがその方に合わさったのかも知れません。

しかしながら、由紀子様もおっしゃられているとおり、相手にとっては、そのイメージやヴィジョンに何ら理解があるわけでもなく、積極的に聞きたいと思っているわけでもないのでしょう。

そういう場合は、あまり口にしたりすることは控えた方が良いでしょう。

どうしても目に見えざる世界のお話というのは、現実的には混乱をきたす火種となる場合があります。

もし、どうしても気になるのであれば、直接的に湧いたイメージについてお話するのではなく、それとなく、イメージ基づく話題に触れてみるなど間接的に行う方が良いでしょう。

霊的な世界を垣間見る能力のことを仏教では天眼通力(てんげんつうりき)といいますが、こういった能力は、最終的に漏尽通力(ろうじんつうりき)に帰結できないと意味がないとされています。

簡単にいえば、漏尽通力とは、いかなる能力も中庸(ちゅうよう)を得て万事調和させることができる能力ともいえます。

つまり、霊感的なイマジネーションが見えたり、あるいは、何かメッセージが聞こえたり、その他様々な能力があったとしても、最終的に人を幸せに導ける力(漏尽通力)がないと生かせないという意味ですね。

ちょっと質問からずれましたが、以上を踏まえて、受け止めたイメージをどうすべきかを考えるのが良いかと思います。

以上、回答となっておれば幸いです。


天心 拝


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【公開質疑応答】気力は使ったら減るの?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、カピバラ様です。

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【質問】


気力(エネルギー)は使えば、減っていくのでしょうか?

人間関係や組織で悩まされたとき、それを打開するために気を強く持つと、使われた気は減って、本来使うところにエネルギーが行かなくなりはしないでしょうか。

例えば、理不尽さを感じ、相手に怒るとき、私は「こんな相手に怒るエネルギーを使うのは勿体ないのではないか? もっと他にエネルギーを使ったほうが良いのではないか?」と思い、怒りの感情を出さずに終わることがあります。

ですが、後で思い返すと、あの時、気力を使って、反論反発していたら、別の局面が開けたのでは、という気もします。

また、組織などで、自分の思ったことを言おうとすると、気力がいると思います。

大多数の人は、その気力を、発言に使わず、自分に与えられた仕事をこなすことで、使っているように思えます。

それは、気力は、無駄に使えばすり減っていく、と皆、経験的に思っているからなのでしょうか?

また、いじめが放置されたり、多くのいじめられっ子が反発できなくなるのも、使う気力を惜しんでいるからでしょうか?

気力は使えば、鍛えられて増えるものなのか、すり減って早死にしてしまうものなのか、お聞きしたいです。


【回答】


カピバラ様

ご質問ありがとうございます。

>気力(エネルギー)は使えば、減っていくのでしょうか?

とのことですが、まず簡単に「気」についての説明をしてみたいと思います。

「気」とは主に感覚であり、感じている状態が「気」の正体でもあります。

暖かい暖炉のそばによれば「熱気」を感じます。

雪が降り積もると「冷気」を感じたりますね。

スピリチュアル的な「気」においても、「清々しい」「優しく柔かい」などと「霊気」「神気」を表現したりしますが、これもひとえに「気」が感覚的なものだということを表しています。

そのように考えると「気」は減少してなくなったりするものではないことがわかります。

しかしながら、「気を使ったり、気力を絞るとどっと疲れたりするではないか。やはり気は使うと減少するのではないか?」という疑問も浮かんできます。

確かに「気水が枯れる」といいまして、気力を果たしたり、気を使いすぎると消耗を感じることはあります。

その理由は、まず、「気」を張り巡らせることによって、その方の身体自身が消耗してしまっていることが考えられます。

「気」を使うとは、感覚を張り巡らせることでもあります。

人間関係や組織での悩みを打開いしようと気を強く持つと気が消耗したように感じるのは、自分自身の感覚を張り巡らせていることによって、身体が消耗しているのです。

また、問題のある相手と対峙することで、その相手のネガティブな気を受けて、また疲弊してしまうというパターンもあります。

そういった現象をイメージしやすくするために「気を消耗した」という表現をする場合は多々ありますが、実際に物量的な意味で消耗することはありません。

なので、いわゆる「気」が消耗したなというような感覚を覚える時には心身を休ませれば、また回復してきます。

休憩しても回復しないと感じる場合は、減少した気力が戻っていないのではなく、知らず知らずに「気」を張り巡らせて心身を疲弊させてしまっているのです。

ですから、気を節約しようとして感情を表さずにいたとしても、内面的に「気」を使っていれば、結局のところは、いわゆる「気を消耗した」という状態になってしまうこともあります。

但し、アクションを起こさなかったことにより、相手からのネガティブな気を受け取るという側面は回避できている可能性があるので、心身の疲弊は少なくて済んでいるのかもしれません。

いずれにせよ、「気」を使って減少したら戻らないということではないのは確かです。

さて、では、「気」は鍛えたりすることはできるのかというお話に入りたいと思います。

そもそも「気」は感覚的なものだとお話しましたが、感覚的なものが「気」である以上、「気」を鍛えるということは感覚を鍛えていくということになります。

例えば、人間関係で気力を使うと消耗を感じてしまうのは、一つには相手のネガティブな気を受け止めすぎてしまっているからだといえます。

相手の態度や言葉、想っている念などに意識カーソルを合わせすぎて、必要以上に相手の気を受けてしまうから、自分の心身が消耗してしまっているわけです。

ですから、一つには、相手の気を受けすぎないようにするために感覚を鈍らせるかあるいは、相手から発せられている気を転換してしまう方法があります。

何を言われても動じない気の強そうな人も得てして、感覚が鈍感になっているからというケースが多いです。

実際、何を言われても気にしない、空気読まない(笑)という人は、ある意味強いですよ。(笑)

何しろ気を使わないから「気を消耗した」という感覚もないし、相手が何を行ってきても受け取らないので、ダメージもないのです。(笑)

気を鍛えるというと何か気というものを大きくするかのようなイメージがありますが、「気」は感覚なので、大きく膨らませればより感覚を鋭くすることになります。

結果、余計な気を受けるようになるので、逆に気が弱くなったように感じることになるでしょう。

ですから、ある意味、鈍感ほど、いわゆる「気が強い」状態はないのかもしれません。(笑)

あともう一つは、相手のネガティブな気を自分で変えてしまうという方法です。

これは、相手の態度や言葉、発する気を自分が受け取る瞬間にポジティブ感覚に変えてしまうという方法です。

例えば、相手が罵倒してきたとしても、「ああ、あんなにムキになるのは、根が子供で甘えたいからなんだな。そして、自分に対してそれだけ感情を表してくれているということは、それだけ心を開いてくれているということ。つまり信頼してくれているってことだね」という具合に転換するのです。

もちろん、これは例に過ぎず、そんなに簡単にできる手法でもありません。

ある程度、訓練も必要でしょう。

ある意味その訓練がいわゆる「気を強く鍛える」ということになるのかもしれません。

それから、もう一つ、付け加えると「自分よりも偉大で力強い存在を背後に持つ」ということも上げておこうと思います。

これは、たとえば、信心深い人が「私には不動明王様がついている。だから絶対にくじけることはない」という深い信仰心を持ち、偉大な存在をいただいている(霊線をつないでいる)状態を維持すると自分の気も同調して強くなります。

これは、なぜかというと、偉大なる存在とつながると、自分の中の意識が変わってきます。

わかりやすくいえば、自信が湧いてくるのです。

自信がわいてくると些細なことに気持ちが向かなくなります。

それから、霊格も磨かれてくるので、受け止め方の咀嚼力も上がってきて、気の転換がスムーズにいくようになります。

結果的に相手からの気を受けにくくなるのでいわゆる「気が強くなる」というわけです。

「気」については、まだまだ、これだけで説明しきれているわけではありませんし、霊界との関係性、念、守護霊、神仏、いろいろな観点で観ていく必要があります。

ただ、いわゆる「気の消耗」や「気を強くする」という意味については、一つの参考にはなると思います。

以上、長々とお話してしまいましたが、回答になっておれば幸いです。


天心 拝


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【公開質疑応答】ぬいぐるみや人形に宿るものとは

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、優果様です。

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たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


小さな頃から大事にしているぬいぐるみがありまして、寝るときに抱きしめたりすると癒されるのですが、ぬいぐるみや人形などは人の念がこもりやすかったり、エネルギーが吸われてしまったりとあまり良くないと聞くのですがそうなのでしょうか?

ぬいぐるみに話しかけたりすることがあるのですが、それでぬいぐるみに生命や気が宿ったりするということはあるのでしょうか?

それとぬいぐるみに話しかけているとき、その内容とか守護霊様が聞いていたり、ぬいぐるみに宿っているもの(念や気など、綿や素材の自然のエネルギーだったり)とかに影響があったりするのでしょうか?

私以外にもきっとこういったぬいぐるみや人形などを大事にしている人がいるのではないかなと思って、少し気になったのでご質問させて頂きました。

お答え頂けましたらよろしくお願いします。


【回答】

優果様

ご質問ありがとうございます。

人形やぬいぐるみに限らず、大事にしているものには想いの念が宿ります。

その中でも人形やぬいぐるみが特別にあげられる理由としては、愛着がわきやすく、また人の形や動物などの生命をシンボライズされたものであるからです。

たとえば、消しゴムや花瓶にだって愛着を持つ場合はあるでしょうけれど、やはり人形やぬいぐるみだと格別な思いを抱く方が多いと思います。

それを作る人もどこか、気持ちをいれて愛着を持って愛されるように作っているはずです。

だから、通常の物品よりも念はこもりやすいといえるでしょう。

ただ、念がこもるから必ずしも良くないと言い切ることはできないと思います。

ようするにどのような念がこもっているのかが問題なのであって、念がこもりやすいからよくないということにはなりません。

また、エネルギーを吸われるということですが、これも気にすることはあまりないでしょう。

古来、神社でも人形(ひとかた)といいまして、和紙や半紙を人の形に切り抜いたものに自分の分玉を宿らせて清める方法が実践されています。

なので、ぬいぐるみにエネルギーを移そうとそれほど問題はないのです。

ただし、長年使い込んだぬいぐるみや人形(にんぎょう)を捨てるときにはお炊き上げなどをして、清めてから処分したほうがよいかも知れません。

人からぬいぐるみや人形をもらいうけるときもそれらがどのような持ち主でどのような扱われ方をしていたのかは注意が必要かも知れません。

最後にぬいぐるみに話しかけている内容を守護霊が聞いているかどうかということですが、聞いてはいるでしょうけれど、特に反応はしないことが多いかも知れません。

守護霊も意識を自分に向けてこられているときには強く反応しますが、そうでないときは遠くで見守っている場合が多いからです。

以上、回答となっておれば幸いです。


天心 拝


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【公開質疑応答】守護霊は匂いで存在を知らせる?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、まいこ様です。

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たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


■守護霊様の存在などを匂いで感じることはあるのでしょうか?

子どもの頃から感じていたのですが、時折、場所や時間・季節に関係なく
鼻腔に匂いを感じることがあります。
「何の匂い」と例えるのが難しいのですが、花の匂いのようでもあり
お香の匂いのようでもあり、そのどれでもないような気もしますが
「いい匂い」なのです。
また、自分ひとりだけに感じるにおいのようです。

根拠はないのですが、子どもの頃は『なにかいいことがあるにおい』と
その現象を自分の中でそう呼んでいました。

大人になってからは、(これも根拠はないのですがなんとなくそんな気が
するという感覚で) 何か励まされているような、道しるべをたててもらって
いるような、そんな気がするのです。

もしかしたらホルモンのバランスとか体調的なものなのかもしれない?
とも思うのですが…

いろいろ調べてもそういう事例が見つからなかったので
天心様は何かおわかりになるかな?とこの機会にお伺いしてみようと
思いました。

なにかおわかりになること、お考えなどありましたらよろしくお願いします!


【回答】


まいこ様

ご質問ありがとうございます。

守護霊が香りや匂いで知らせることは大いにあります。

というよりも、守護霊はありとあらゆる手段を使ってサインをくれています。

なので、香りや匂いで知らせることもあります。

守護霊がそばにいるときや、何か清々しい神気に触れると良い香りを感じることが多いです。

ミントの香りだったり、甘い香り、お酒の米麹の香りなんかもあります。

よくお祈りしていると周囲にそんな香りの発生源がないはずなのに、微かに鼻腔に感じることがあります。

ちなみに龍神さんや霊物系の場合は、ちょっと生臭い、刺激のある匂いがする場合もあります。

匂い以外にも味覚で、何か味わい深いものが口の中に広がることもあります。

とても不思議な感覚なのですが、お祈りしているとよくあることです。

匂いが必ずしも守護霊が何かを諭しているサインとは限りませんが、法則として、霊的な存在と感応しているときに香りが漂ってくるという現象はあります。

霊的な感応というとどうしても、私達は視覚や聴覚を優位にして生きていることが多いので、目に見えたり、何かが聞こえたりという形を想像しがちなのですが、実際には味覚や嗅覚、触覚などのあらゆる器官、それから現象を通して守護霊はサインをくれています。

ということで、結論としては、守護霊などの存在を匂いで感じることはありえます。

以上、回答となっておれば幸いです。


天心 拝


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FGSの会ブログ通信(Vol3)

こんにちは!

天心です。

FGS入門メンバー向け教材(Vol1)の方をFGS全メンバー向けにメール送付を完了いたしました。

かなり初歩といいますか、基本に立ち返っての内容となっております。

というか、まだ、教材という意味では未完成な部分もかなりあるかなと思っています。

しかしながら、あまりにもこだわりすぎるとリリースがまたまた大幅に遅れてしまい、また、以前のようにいつ来るのかわからない会報メルマガ(苦笑)みたいな状況に逆戻りしてしまいます。

なので、多少、見切り発車な部分もありますが、第一弾を送付することにいたしました。

いろいろ、メンバー各自、思うところはあるかと思いますが、それぞれ主体的に受け止めて、何かの役に立てていただければと思う次第です。

あと、ちょっとお知らせというか、気になっているのが、送付時にメールエラーが発生しましたことです。(苦笑)

おそらく、メンバーの方の登録しているアドレスが変更されたか、ドメイン指定などのフィルター設定をされたか、あるいは他の理由で届いていない方がいらっしゃる可能性があります。

もし、FGSの会メンバーの方で、届いてないという場合は、エラーになってしまっている可能性があります。

今回のメールが届いてない場合は、迷惑メールフォルダなどもご確認していただき、それでも到着していることを確認できない場合は、お手数ですがお知らせいただければと思います。

エラーになった対象アドレスは当面、メンバーのメールリストから外して対応いたしますので、「届いていない」というお知らせを頂けない場合は、今後は会報メルマガなどをふくむ一切の送付が休止いたしますので、ご注意ください。
(メールリストからはずす理由は、毎回、送付時にエラーになってしまう可能性が高いからです。ご了承ください。)


天心 拝


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【公開質疑応答】聖書の信憑性について

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、Paul様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


聖書の信憑性について質問させて下さい。

古事記・日本書紀についての過去記事を拝見しましたが、聖書については如何でしょうか?

愛と平和の教えと、復讐や戦争などの暴力的な教えとが同居しています。

霊格の高い人の書いた書物と、あまり高くない人の書いた書物が混在され、更に、複数回の編纂を経て作られたのが、今の聖書ではないかと思っていますが、そうなのでしょうか?


【回答】


Paul様

ご質問ありがとうございます。


>聖書の信憑性について質問させて下さい。
>古事記・日本書紀についての過去記事を拝見しましたが、聖書については如何でしょうか?


とのことですが、まずは聖書の意義ということに着目して考えてみたほうが良いかと思います。

もともと聖書には旧約と新約があるかと思いますが、どちらもとても古いもので、編纂されるまでに長きを経ているはずです。

当然、様々な人の手を経て、編纂される都合上、そこには編纂に携わった人の感性が入り込みます。

ある程度、権威付けられたり、誤謬や創作なども入り込む余地はあるでしょう。

新約聖書に関しては、イエス様が編纂したわけでもなく、12使徒などが残したそれぞれの福音書や述べたことをパウロが纏め上げていたり、それ以外にも様々な解釈が後に加えられていることかとも思います。

ですから、聖書に書かれている内容がそのまま寸分たがわず事実であったとするのは、やはり、無理があるのではないかと思います。

しかしながら、聖書の根本的な意義ということになるとスピリチュアル的にはそこに描かれる神聖なストーリー、そこから浮かび上がる聖書の持つ霊界の姿などを読み手が感じ取り、自分自身の霊界に取り入れていくということのために存在しているのかなと思います。

別の言い方をすれば、信仰の象徴としての聖書といえるかも知れません。

実際には、キリスト教やユダヤ教などの細かい宗派の違いよりも、その世界のかもす霊波動にふれていくことで、そこにこめられた世界を感得したり、イエス様の本当の愛の心に触れる機会とすることが聖書の本来の役割かとも思います。

もちろん、歴史研究や神学といった学問的見地からすれば、細かいところや歴史的な信憑性などが重視される場合もあるでしょう。

なので、どういったスタンスで聖書を受け入れるのかによって、聖書の意義も変わってくるのかと思います。

>霊格の高い人の書いた書物と、あまり高くない人の書いた書物が混在され、更に、複数回の編纂を経て作られたのが、今の聖書ではないかと思っていますが、そうなのでしょうか?

様々な思惑が編纂の途中でこめられていることは間違いないでしょう。

ですから、本来の霊的な読み方としては、審神(さにわ)をしながら読むということも必要なのかも知れません。

大事な点はやはり、信仰のシンボルとしての聖書という部分が基本になるのではないかなとも思います。


以上、回答となっておれば幸いです。


天心 拝


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【公開質疑応答】目標の途上でやるべきことができない

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、sweet様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


スピリチュアルの世界を学べば学ぶほど、自分の人生においての矛盾というか悩みが増していきます。

「いま絶対にやるべきこと(自分の将来や未来の目標を考えると、その実現のためには絶対に必要なステップとして)」が、どうしてもやりたくない事や、やる気になれない事である場合、それは自分の夢(目標)の設定自体が間違っているという事なのでしょうか?

それとも別の方法を探せば幸せに目標に向かって進めるという事なのでしょうか?

「神様が怖い」というと可笑しな話に聞こえるかも知れませんが(笑)、いつも自分がすごく天に試されているような気がして、「こんな事さえ嫌がるくせに、本当にお前は夢を叶えるつもりがあるのか?!」と罵倒されているような気持ちになり、自分にげんなりする事がよくあるのです。


【回答】

sweet様

ご質問ありがとうございます。

確かに目標を立てて進む途中には、必ずしも自分が積極的にやりたくないもの、あるいは絶対にやりたくない!(笑)と思ってしまうことも、しなければならないケースがありますよね。

こんな時に誰でも目標に対して腰が砕けてしまいがちになるものです。

では、こんな時にはどうしてゆけば良いのかについて少しお話してみたいと思います。

まず、大前提になるのは、目標そのものについてです。

本来、目標とはある意味、あなたの夢でもあり、成し遂げた時にはハッピーになれるものであるはずです。

「ハッピーになれるものであるはずです」と当たり前に思えるようなことをわざわざ書いたのには理由があります。

人が目標を掲げる時には大きく分けて二つの傾向があります。

一つは自分がやりたくてやりたくて仕方ない。目標が達成できたことを想像するとワクワクしてしょうがないという目標があります。

その一方で、世の中には様々な呪縛観念的、自己啓発の思想が結構、蔓延している部分があります。

どういうことかといえば、「目標は持たなければダメだ」「目標を持たない人はできない人」「自分の目標ぐらいしっかりと持て!」などなど、楽しいとか幸せとかワクワクとか一切関係なく、まるで目標を持たねば人にあらずといわんとばかりの発想を持たされてしまうような情報が世の中には沢山あります。

まるで「目標を持たないとダメな人になる教」という宗教か何かであるように見えることがあります。(笑)

確かに目標を定めた方が人生はおそらく輝くことは間違いないのですが、だからといって、目標がないとダメと思い込むことは呪縛観念になりえます。

「目標を持て!」「チャレンジしろ!」「今日のノルマは○○だ!」と葉っぱをかけられて、目標を持ったとすれば、それは本当の意味で魂を輝かせる目標とはなりえないのです。

ですから、まずは、自分の心の中を見つめて、今掲げている目標はどこから来たものかを考えてみる必要があります。

本当に目標が止むにやまれぬくらい魅力的に思えるものであれば、人は多少のプロセスの中にできればやりたくないことがあったとしても、思わず目標に向かって進んでしまうものです。

目標がどこかお尻を叩かれて、無理やり掲げたものであったりすると途中で様々な嫌なことと遭遇すると当然、投げ出したくなります。

>「神様が怖い」というと可笑しな話に聞こえるかも知れませんが(笑)、いつも自分がすごく天に試されているような気がして、「こんな事さえ嫌がるくせに、本当にお前は夢を叶えるつもりがあるのか?!」と罵倒されているような気持ちになり、自分にげんなりする事がよくあるのです。

とありましたが、神様はサディストではありません(苦笑)

別にsweet様に試練を与えて根性入れたろか!と思っているわけではないのです(笑)

むしろ、本当にsweet様の魂が輝くような目標ならば、どんどん後押ししてくれる存在でもあります。

ただ、後押しするといっても神様はすべてをどうにかできるわけではありません。

現世、霊界、神界を含めてこの世には様々な法則や原則が存在しています。

その法則や原則を捻じ曲げて、人間の思いを結実させることは神様にもできないのです。

目標に向かう途上で様々な試練と思えるような出来事が起こることを私は法難システムと読んでいます。

自分の魂を向上させる先には必ず、その真逆ともいえる「目標から遠ざけよう」とする反作用が生まれるというものです。

そもそも、なぜ、こもような作用があるのかといえば、この世には本当に魂から願う内容しか顕現(実現)させたくないという神界の計らいでもあります。

やたらと思ったことが全てこの世に顕現されてしまうと、私達の住む現世はえらいことになってしまいます(汗)

だから、あえて法難システムのような反作用で本当にそれは実現しても良いですか?ファイナルアンサー?(笑)と私達、人間に神様は問いかけているわけですね。

そのことを考えれば、まず、目標に進んでいくプロセスで何かひっかかりが出たときに省みてみるべきは、目標そのものなのです。

目標を省みるといっても注意してほしいのは絶対に「自分にはこんな大層な目標は所詮無理だよね」といったようなネガティブな反省はしてはいけません。

「この目標は本当に達成できたら楽しいかな?」という問いを自分に投げかけてみることが寛容です。

その問いに対して、自分の心が浮き立つように楽しく、ワクワクするようならば、目標は間違っていません。

もし、目標に対してなんの感慨も起こらないといった感じの場合には、どこかで無理をして立ててしまった目標である可能性があります。

ですから、まずは、原点である目標についてチェックしてみることが大事かと思います。

以上、回答になっておれば幸いです。


天心 拝


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【公開質疑応答】仏壇の供物はどうすべき?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、ねこうさぎ様です。

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【質問】


公開質問の機会をくださってありがとうございます。

さっそく質問させていただきますね。

お仏壇に、お供えするご飯やお菓子ですが、

私のところでは、仏様が食べたということで

「食べ終わって無い」から、そのまま捨てています。

息子が亡くなって2年半。

毎日、家族と同じものをお供えしています。

ご飯だけでなく、ケーキなども

御膳を下げるときに、みんな捨てています。

こういったやりかたは、どうなんでしょうか。

他のご家庭では、よく「おさがりだから」と食べていますよね。

おさがりは、神様からだと思うのです。

モノを粗末にしているとは思いますが、

息子が食べたのだから(息子にあげたのだから)

そのあと、誰かが食べるのは嫌なんです。


よろしくお願いいたします。


【回答】

ねこうさぎ様

ご質問ありがとうございます。

仏前に供えた食べ物をどのようにすべきかということですよね。

捨ててしまうべきなのか、あるいは、食べ物を粗末にしたくないから食べた方がよいのか。

結論から言いますとどちらでも構いません。

なぜならば、霊人や神仏は食べ物を食べるわけではないからです。

では、何を食するのかといえば、その供え物に込められた真心や、その供え物事態に付随する霊気をもらい受けるのです。

ですから、供え物を捨てるのか、食するのかは、宗教や宗派、あるいは、考え方によって違いはでてきます。

ねこうさぎ様が息子様に供えたものを他の人間が食べることに違和感があるのであれば、捨てても構わないと思います。

ただ少し、質問からずれるかもしれませんが、仏前に備えるだけが霊人の供養のあり方ではありません。

例えば、自分が食べながら、一緒に故人と一体となって食事をしているという感覚で食することも一つの供養のあり方としてあると思います。

例えば、神棚からのお下がりをいただくのも、神様と一体となって食べ物や飲み物をいただき、一緒になって楽しむためでもあります。

だから、神社のお祭りでは厳粛な祭儀のあとには直会(なおらい)といって飲んだり食べたり、「これってただの宴会じゃないか?」と傍から見ると思えてしまう行事にも意味があるのです。

それは、神社だけのお話では?と思われるかもしれませんが、実は元々、神社の神様もたどってゆけば、我々の祖先にあたります。

つまり神社の神様とは遠い祖先でとても霊格も高く、神界まで昇華された存在といえます。

亡くなったばかりの方はそこまでの存在にはなっていないケースが多いわけですが、それでも、先に霊妙な世界に旅立った先達としてお祭りしているというように見てみれば、神社も仏壇も宗派の形式などは違っても、本質的なところは、変わらないのです。

ですから、仏壇に供えた食事をその後、いただくことも決して故人に失礼なことではないのです。

あとは、それぞれの宗派などの意見やお供えをされている方のお考えやお気持ち次第となるかと思います。

以上、回答になっておれば幸いです。


天心 拝

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【公開質疑応答】多重人格は憑依?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、仁灯様です。

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【質問】


天心様いつもお世話になっております。

仁灯です。


質問は多重人格についてです。
あれは憑依なのでしょうか?
人格が変わる姿を観ていると
取り付かれている人に よく似ています。


どうぞ宜しくお願い致します。


仁灯


【回答】

仁灯様

ご質問ありがとうございます。

多重人格(解離性同一障害)は、何か霊的な憑依により発生するのかどうかということですよね。

これは一概には言えないと思います。

どちらかというと、心理的、あるいは脳機能的な不具合がまずは発生理由として多いのではないかと思います。

いきなり霊的な存在に憑依されたからといって、必ずしも急に人格が変わるということはありません。

憑依にも段階があります。

この点については過去記事「憑依レベルについて」をご参照ください。

通常、憑依が進んでも必ずしも病理レベルでの症状が出るとは限りません。

ただ、多重人格が進んで、その隙間に霊的な存在が入り込む、あるいは、霊的な存在の介入をきっかけとして、多重人格が発生してしまうという可能性は否定できないと思います。

ですから、多重人格の方=憑依されていると言い切ることはできませんが、可能性としてはあるといえるでしょう。

以上、回答となっておれば幸いです。


天心 拝


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【公開質疑応答】宇宙人・UFOは実在する?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、ゆうじ様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


いつもお世話になります。

ちょっとスピリチュアルとは関係ないかもわかりませんが、宇宙人やUFOなどは実在するのでしょうか?

もし実在するのなら、我々が今度生まれ変わる時、別の天体などで魂を磨く事はあるのでしょうか?

幼稚な質問かもわかりませんが、よろしくお願い致します。


【回答】

ゆうじ様

ご質問ありがとうございます。


>ちょっとスピリチュアルとは関係ないかもわかりませんが、宇宙人やUFOなどは実在するのでしょうか?

まず、少し整理しておきますと宇宙人というのは、地球外生命体、UFOは未確認飛行物体ということですよね。

科学的にも広大な宇宙には、地球外に生命体がいることは、確率からすれば、かなり高いと指摘されていますし、未確認の飛行物体という意味では、実際に目撃証人も目撃映像などもニュースで流れていいるのを見たことがあります。

ですから、物理空間的に実在するかどうかは、科学的な検証や物証などを合わせて考えていく必要はあるかと思います。

ちなみに天心は、物理空間(現世)でいわゆる宇宙人にあったこともなければ、UFOを直接、肉眼レベルで見たことはありません。

但し、霊界という枠組みでいうならば、地球霊系や太陽霊系、月天系、その他諸々の霊系統というものはあります。

実際に地球に住みながらも、その霊系統(すなわち霊統)は、別天体から来ているという方はいらっしゃいます。

ただ、地球霊系で育った魂が転生して物理的な別宇宙に転生しているかどうかは、現時点では確認しようがないので答えようがありません。

可能性としては、あると思います。

宇宙霊系は枠組みが広いので、今後、少しずつ解明していければと思っています。


天心 拝


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【第三弾】質問募集

こんにちは!

天心です。

久しぶりに質問募集をいたしたいと思います。

個人的なご相談や鑑定、取次は別途、守護霊アドバイスなどを行っているので、純粋なご質問ということで、かつ私が答えられる類のもの、それから、回答することで皆様の学びとなりそうなものに関しては、ブログで回答を発表してみたいなと考えています。

この機会に公開質問をお寄せいただければ幸いです。

応募条件は、以下のようなものを考えています。

・冷やかしや不真面目、ふざけ半分な内容ではないこと
・個人的な愚痴や不満など他意や批判的な内容は受付いたしません
・プライベートなご相談ではなく、純粋な疑問やご質問のみ受付します
・今までブログで掲載した内容で答えがでていると想われるものは対象外とします。
・すべての質問に回答はできないことがあります。
・公開質問なので、応募頂いた内容はブログ上で公開してしまいます。
・いつ頃回答できるか、あるいは回答として取り上げられるかどうかはお答えできないのでご了承ください


とりあえず、このような感じで考えております。


【ご質問応募方法】

件名:公開質問応募

お名前:公開されても良い名前(ハンドル名でも可能) 
※ハンドル名とはネット上でのみ使用する仮の名前のことです。(以前、質問されたので念のため記載)

ご質問:なるべく質問の趣旨がわかるように記載してください。


応募先:tensin.session〇gmail.com ※〇を@に変更して使用してください。


【募集期間】

とりあえず、2013年3月15日までを区切りとして締切りたいと思います。

状況によっては延長するかまたは、途中で締め切る可能性もあります。


以上、お知らせでした。


天心 拝


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【呪縛観念シリーズ】考え方のパターンを超える

久方ぶりに【呪縛観念シリーズ】のお話してみたいと思います。

呪縛観念とは、自分自身の自由な心の働きを縛りつけているもの、それがあるゆえに霊界の転換をできなくさせているものをしています。

自分自身を縛り付ける呪縛を解いていくためには、自分自身の中にある呪縛観念の存在に気づくことがその第一歩となります。

そのためのきっかけとなることを願ってお話しているのが【呪縛観念シリーズ】の記事になります。

さて、今回の呪縛観念は一人ひとりの方が持つ考え方のパターン化を取り上げてみたいと思います。

私達は、自分達の人生の善し悪し、あるは幸、不幸を状況や環境に依存しているものと思い込んでいます。

「もっとお金があれば」「もっと地位や名誉があれば」「もっとイケメンだったら(笑)」「もっと、頭が良ければ」などなど、自分の持つ状況や環境、状態に意識が向きがちです。

しかし、実は人生を幸、不幸を分けているのは、状況や環境、状態はあまり関係がないのです。

このように言うと多くの方からの反論を受けそうですが、よくよく考えてみるとそのことが事実であることが理解できると思います。

どういうことかといえば、そもそも起こっている状況や環境に善し悪しはありません。

「もっとお金があれば幸せになれる」と思う方もいるかもしれませんし、実際にお金があればしたいことやできないと諦めていたこともできるようになるかも知れません。

しかしながら、それでも私達は状況や環境を受けてどのように考えるかによって善し悪しや幸・不幸を作り出しているのです。

状況や環境に善し悪しや幸・不幸があるとするならば、お金を持っている人は皆、幸せになっていないとおかしいことになります。

イケメンはいつでもハッピーである(笑)となるはずです。

でも、幸せそうに見える人でも、実際には様々な悩みを抱えていたり、幸せを享受できていないケースも多いのではないでしょうか。

さて、では幸せになるためには状況や環境ではないとするならば、どうすれば幸せになることができるのでしょうか。

それは、自分の中にある考え方のパターンを知ることが先決です。

人間の考え方というものは、実は大抵の場合パターン化されています。

それは背後に背負う霊界の影響を受けていることも関係しています。

考え方がいつでもネガティブでマイナスで悲劇的な最後で結ばれてしまうようなストーリーパターンになってしまっている場合は、何が起ころうと全てが真っ暗で悲劇的に見えてきます。

そんな馬鹿な!と思うかも知れませんが、実際にそうです。

例えば、大金を手にしたとしても、「税金を沢山取られる!」とか(笑)、あるいは地位や名誉を得たとしても「いろいろと人間関係がめんどくさくなったな」とか(笑)考えてしまいがちになります。

起こったことに対する考え方が常に悲惨な嫌な結末になるというストーリーパターンになっていると絶対に幸せにはなれないのですね。

なので、人生を変えたいと思ったならば、自分の変えがたい環境や状況に目を向けるより、自分の中の考え方のパターンはどうなっているのか?と意識してみることが大事です。

自分はいつもどんなストーリーを描いているのか。

ここに人生を変えてゆく、また、霊界を変えていくヒントが隠されているのです。


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賢そうな馬鹿より馬鹿になれる賢さを

馬鹿にされたくない。

こんなふうに考えたことはありませんか。

なるべく賢く思われたい、自分をいけてる人間に見せたい。

「そりゃ、誰しも馬鹿だと思われたくないんじゃない?」

という意見もあるかと思いますが、幸せになりたいと思うならば、馬鹿になれる賢さを持つことは大事かも知れません。

得てして、賢くありたい、そうみられたいと思っている時には、人は余計な力が入っていることが多いです。

難しい顔をして、しかめっ面して、自分はあらゆることに責任をもっているのだ!という具合にとても硬くなっています。

そして、無邪気に振舞い、あまり自分から見て賢そうに見えない人を見かけると「ああ、○○はいいよな単純で」なんていう捨て台詞でもって、自分はこんな奴とは違う!賢い人間なんだ!と思い込もうとします。

その結果、どうなっているかといえば、自分は賢いというささやかな自己満足感にやや悦に浸るものの、顔は相変わらず曇ったままです。

一見、賢そうに見えますが、これは「賢そうな馬鹿」の状態にあります。

ちょっとひどいことを言っているように聞こえるかもしれませんが、あえて批判を恐れずに言えば、そのちょっとした自己顕示欲と自己満足さえ捨てたら、本当に心から笑顔で幸せになれるのに、それができないのは、「賢そうな馬鹿」というほかないのです。

本当の賢い人は、馬鹿になれる賢さを持っている人です。

馬鹿にされようと、どんなふうに思われようと、悠々自適に人生を楽しめる人です。

本当に幸せな人生は、賢い自分になることではなく、賢く見られたい、いけてる人と思われたいという自分から脱することができたときにそっと訪れるのかも知れません。


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現世への顕現化の感覚

とても言葉に表すのは難しいことなのですが、霊界から現世へ顕現化、すなわち形として現れる時の感覚についてお話してみたいと思います。

霊界にある雛形が現世に投影されて現象として現れてくることは、過去の記事でも何度もお話してきたことであります。

私達の現世という物理的な空間は、霊界に雛形なしには形になることはありません。

霊界なくして、突然、現世にポンと生まれてくるものはないのです。

私達が現世で生きていく上では、いつも物理的空間の法則だけを意識しがちですが、本当は霊界にあるものを現世に降ろすという感覚でいることが一番、しっくりくる説明かなと思います。

まるで戸棚の上にあるものを下ろして手に入れるような感じといえば良いでしょうか。

物理空間の法則を無視して顕現化は起こりませんが、少なくとも、霊界にないものは、現世に降りて来ることはありません。

必ず何かしらその元となる形が霊界に存在すればこその顕現化なのです。

だから、まずは何はなくとも霊界を如何に形作るかが現世に素晴らしいものを降ろす基本となるわけです。

別の言い方をすれば、霊界の作り方さえうまくなってしまうと現世への顕現化の半分は成功しているといえます。

霊界を作って降ろす。

霊界を作って降ろす。

霊界を作って降ろす。


人生とはスピリチュアル的にはこの行動の繰り返しです。

人生を輝かせたければ、幸せ霊界、輝き霊界を作っていく以外に方法はないかと思います。


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FGSの会ブログ通信(Vol2)

こんにちは。

天心です。

FGSの会ブログ通信にお知らせしていたFGS入門メンバー向け教材の第一回目の章となる「守護霊との断絶を解く(仮題)」の作成に着手しています。

一番基本的なところとなるので、気合をいれて作っています。

といっても、あまりにいろいろ詰め込み過ぎると入門者向けにならないので、できるだけあっさりめになるように考えています。

この教材は、FGS入門メンバー向けとして作成していますが、全メンバーレベルの方にメール送付はいたします。

FGS入門メンバー向けとはいえ、基本的なことなので復習がてらご参照くださればと思います。

それから、第十回音声セミナーのコンテンツを作成いたしました。

これはFGS基本メンバー以上の方に送付しているFGS会報メルマガESS第八号にコンテンツURLを記載してお知らせします。

パソコンの調子がおかしいのか、私の声の具合が悪のか、今回の音声セミナーは音量が小さめです。

前回の第九回で、「音声が聞き取り難い」というご指摘を受けて、なるべく声量をあげたり、音量を高く設定したりして対応してみたつもりなのですが、出来上がったコンテンツを聞いてみると、あまり前回と変わらないような気がします。。

なので、聞き取り難かったらごめんなさい。m(__)m

何はともあれ、粛々とFGSの会で使用する教材関係を作っていますよというご報告でした。

また、FGSの会でない読者の方も、FGSの会ってどんなことしてるの?という関心がある方に向けてもちょっとだけ、その内容が垣間見えればと思います。

★FGSの会に興味のある方は以下の記事を参照のこと
http://syugorei.blog24.fc2.com/blog-entry-122.html


あと、最後に皆様にお願いがあります。

FGSの会への申し込み(広くは取次鑑定やご質問なども含む)についてなのですが、時折、コメント欄などで申し込みやお問い合わせをされる方がいらっしゃいます。

天心は基本的に指定メールアドレスを中心にお問い合わせをチェックして対応しているため、お申し込みの類は全て、メールアドレスに所定の項目を記載して送っていただくことにしています。

コメントやブログのプチメッセージや拍手コメントなどでお申し込みを受け付けてしまうと混乱して見落としや対応忘れなどが発生する可能性が高くなります。

できるだけそういったことをなくす意味でも、メールアドレスにて一元管理をさせていただいている次第です。

なので、ブログ記事のご感想などは、コメント欄でも構わないのですが、返信が必要な類の内容に関しては、所定のメールアドレスにお願いいたします。

★天心が基本的にチェックしているメールアドレス
tensin.session◎gmail.com ※◎は@に変更してご使用ください


それでは、これからもよろしくお願いいたします!


天心 拝


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あの頃に帰ろう

何の疑いもなく生きていた


あの頃に帰ろう


いつも明日がくる事が


楽しくてしょうがなかった


あの頃に帰ろう


目に映るもの


耳に聞こえる音


ほのかに香る淡い匂い


とても柔らかく包んでくれていた感触


ほっとするほど暖かい味わい


全てが輝いていた


あの頃に帰ろう


何もなくたって


どこにいたって幸せを見つけられた


あの頃に帰ろう


魂のふるさとは


ただ


喜びと


わくわくと


幸せと


暖かさ


どこまでも伸びていく


力強いしなやかさと


全てを育んでくれるところ


あの頃感じていたキラキラ輝く気持ちは


魂の声


あの頃に帰って


もう一度耳をすませば


聞こえて来るよ


だからもう一度


あの頃へ帰ろう



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【2013年2月度】神田明神への参拝

2013年2月度神田明神への月参りに行ってまいりました。

・・・といっても、実は参拝したのは2月2日なのです。

ご報告が遅くなりましたのは、記事のアップをすっかり忘れていたためです(汗)

ということで、遅ればせながら本日の記事でご報告させていただきます。

神田明神様はお正月モードが終わって落ち着いているかと思えば、2月の節分に向けてまたまた、参詣客の方々で賑わっておりました。

大変喜ばしいことだと思います。

今回は参詣客も多かったのであまりゆっくりとお祈りはできなかったのですが、なんとか皆様からいただいたご寄付の一部をお賽銭箱に奉納させていただき、月初めのご挨拶や誓い、御相談などをお祈りさせていただきました。

守護霊アドバイスなどの取次を受けられた方の早期問題解決や天命調査などを受けられた方が天命成就に近づけますこと、道名授与者の方の道名の霊力が益々強くなり、強烈に天命をサポートする働きを得ますこと、それから遠隔浄霊を受けた方々がすっきりと霊界の歪みが取れて、良い方向に向かいますことなどの願いを込めてお祈りをしてきました。

といっても、拝殿前でのご祈願には沢山の人が並んでいたため、あまり時間はかけられなかったので、FGSの会メンバー向けの祈願串を奉納することで、代用いたしました。

先月は祈願串の設置場所が見当たらなかったのですが、今月は復活していたので良かったです。

その後、献灯の継続をいたしました。

こちらは、個人名義の方です。

先月、新たに申請したFGSの会名義の提灯は3月から設置される予定なので、今月の継続は個人名義のものだけとなりました。

神馬のポニーの灯ちゃんも元気そうでした。

ちょっと居場所のスペースが狭くなって窮屈そうですが、節分が終わり通常モードになれば、また元に戻るのでしょう。

それまでちょっと我慢してね!といった感じでしょうか(笑)

さて、それでは、今月の神田明神でのメッセージをご紹介します。


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了見の狭さが可能性を狭めてしまう

疑念は疑念を呼ぶ狼煙となる

愚直なまでに信を貫けば開く

自と他は相呼応するものと知ること

-------------------------



あまりにこうすべきという考えに固執してしまうと可能性を狭めてしまいますよというご注意です。

それから疑念の心は疑念を益々助長し呼び寄せてしまいます。

ただ、理屈を言わず信じることができれば、懸念や心配するよりもうまくことが進むことが多いということです。

自分に起こっている現象を見たときに、他人や自分以外の周囲のことばかりを気にしすぎるのは間違いで、自分の中にそのような状況を生み出す要因がありそれに呼応して物事は起こるということを深く悟ることが大事ですよというお諭しです。


天心 拝


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【時事ネタ】御神木”謎”の立ち枯れ、真相は?

今回の時事ネタはこちら!


★御神木”謎”の立ち枯れ、真相は?
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/forest_preservation/?1360012111



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信仰の対象として大切にされていた神社の御神木。実は今、四国を中心とした各地の神社で、御神木が「謎の立ち枯れ」を起こす事態が相次いでいます。「誰かが、わざと枯らせて売り飛ばしたのか?」、調査を進めるとなんとも罰当たりな実態が見えてきました。ビデオでご覧下さい。(04日23:14)(TBS系(JNN))
[映像ニュース]

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抜粋記事にもあるように四国地方を中心とした神社の樹齢1000年を超える御神木が次々と枯れているという事態が起こっています。

しかも、その背後には、極めて悪質かつ恐れを知らない理由が隠されていそうです。

実際の映像ニュースを見ていただければわかると思いますが、どうやら御神木は自然に枯れたわけではなく、ドリルのようなもので幹に穴を開けられて除草剤を注入された結果だということが判明しました。

なぜ、そんなヒドイことをするのか!理解に苦しむところではありますが、どうやら、その背後には経済の論理が働いているようです。

現在、御神木などになる檜は伊勢神宮の式年遷宮などを受けて非常に需要が高まっているそうです。

つまり、そういったことを受けて木材などを扱う業者は檜を非常に欲しがっていたそうです。

何度か神社側に御神木である檜を売るように交渉したようですが、当然、信心篤い宮司さんは断ったわけです。

その後、次々と檜が枯れてしまう事件が起きたということです。

ニュースの構成的には業者がやったのではないか?という雰囲気を醸しています。

しかし、もちろん、これは状況証拠であり、その業者がやったという証拠はありません。

業者側も否定はしているようです。

なので、やたらと誰某が犯人だとあげつらうつもりはありませんし、すべきでもないでしょう。

ただ、やはりこの事件を受けて衝撃を受けたのは、そこまで今、全ての人がということではないにせよ、日本人の心は経済の、いやお金の魔力に絡め取られている状況なのだなということです。

もちろん、生活していくためには、お金を稼ぐ必要はあります。

材木業などを営んでいれば、どうしたって森林を伐採して、仕入れをしなければ立ち行かない部分もあるかも知れません。

だから、経済やお金に心が向くのが悪いなどというつもりもないのです。

しかし、御神木という存在は、樹齢が1000年を超えて、神様の降りる寄り代となっていたり、あるいは龍神化していたりする存在です。

そういったものをむやみに伐採したり、枯らしたりするのは、非常に問題が多いです。
(高次元の神霊は祟りませんが、龍神はそうでもありません)

式年遷宮の時などもその新しい本殿を立てるために檜などを使うわけですが、きちんと祀り、お断りをして、伐採をするのです。

そのように御神木に対する礼儀と感謝と言祝ぎ(ことほぎ)の心をもって伐採すると、そのまま神宿る木として永遠に神社で輝くようになるのです。

単なる経済的な理由で、心無く、枯らしたり、伐採したりすれば、御神木にかかる龍神の怒りと悲しみは尋常ではないはずです。

何より、目に見えざるものとの共存、共栄という、日本人の根底にあったはずの価値観が崩れてきていることのサインではないかと今回の事件を知って感じました。

大切なことを忘れれば、いつかはその因果は私達に降りかかってくることを忘れてはならないように思います。


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魂が輝くとき

魂が輝くときはどのようなときか


今までの「自分」という枠から飛び越えようと一歩踏み出すとき


苦手なものに勇気をもって取り組むとき


習慣化された安定から抜け出そうともがくとき


自分はもっと輝けるのではないか?と信念を固めて上を向き始めたとき


自分の中にある愛と真心に気づいたとき


愛と真心を行動に写したとき


疑念を去って、損得に囚われず信じることができたとき


美しいものに触れたとき


美しいものを表現できたとき


仁の心で耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶとき


より大きな夢を描くとき


より多くの人の幸せを願うとき


様々なことをきっかけとして


魂はいつでも輝き始めます


一人ひとりの魂の輝きが


この世を照らす光明となる


一人ひとりの光明が


集まるとき


本当の意味での次なるステージが待っているのかも知れません。


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FGSの会ブログ通信

こんにちは!

天心です。

最近は少しずつ春の兆しなのか、ほのあたたかい外を歩いていても空気を感じることがあります。

まだまだ、寒い時間のほうが長いようにも思いますが、確実に陽の気が内面では芽吹き始めているように思います。

FGSの会の方ですが、昨日は月初めということで、マンスリーメッセージを送付いたしました。

1月度のマンスリーメッセージは、つい先日送ったばかりなので、驚いた方もいるかと思いますが、基本、月初である一日に今後は送るようにしていきたいと思います。

今回はちょっと初回ということもあり、立て続けになりましたことご了承いただければと思います。

それから、現在はFGSの会の体制の過渡期ということもあり、いろいろと準備や調整もしていかなくてはならない状態でもあります。

そんなわけで若干、バタバタとメルマガの送信が続いたり、あるいはしばらく時間がかかってしまったりということもあるかと思いますが、何卒、ご容赦いただければと思います。

さて、現在、考えていること、実行に移しつつあることを少しお話してみたいと思います。

まず、FGSの会についてもう少しまとめたわかりやすい情報をアップするための公式サイトを作ろうかと思っています。

ただ、まだ、準備段階ということもあり、片鱗も作られておりません(汗)

発表できるようになれば、また、随時、発表していきたいと思います。

それから、ブログなのですが、実はもう一つブログを立ち上げました。

といっても、基本的には「守護霊が導く!スピリチュアル世界」ミラーブラグ(同一の内容のブログ)です。

なぜ今更、ミラーブログを立ち上げたのかというと、現在のFC2やアメーバブログに関しては、あくまで無料ブログなのでいつなんどき消えてしまったり、何らかの理由で削除されてしまうことも考えられます。

また、ブログ記事数も増えてきているので、無料だと制限が出てきた時に記事がアップできなくなったりもするかなという懸念もあります。

なので、今回は独自でレンタルサーバとドメインを新たに取得してブログを立ち上げた次第です。

いずれは体制が整えば、ブログは、新規で立ち上げた方に吸収していこうかなと考えています。

ただ、今まで長きにわたり、FC2ブログに本拠をおいてきたため突然、現在のブログを削除して新たなブログに移行してしまうと混乱もあるかなと思い、当面は同時並立の運用とさせていただこうと思っています。

また、新規ブログはまだ、使い勝手がわかっていない部分もあり、多少、まだ完全には公開できるレベルではありません。

FC2のブログ記事を移行したものの、なぜか改行が全て消えてしまって少しみずらくなってしまったりしています。

500を超える記事数なのでとても手動で修正はできないので当面はそのままにしてあります。

それでも新規ブログにご興味がある!という方は下記URLを覗いてみてください。

http://fgs-syugorei.jp/blog/

さて、公式サイト作り以外には何をしているかといいますと、現在は、FGS入門メンバー向けの教材作りです。

FGSの会メンバーには月ごとに課題的なものを提出していただくというような告知をしていたのですが、月ごとだとさすがに慌ただしい感じになってしまい、取り組むのも難しいと感じる方も多いかもしれないということで、多少、調整いたします。

まだ、正式な内容は確定していませんし、教材自体、完成もしていません。

ですが、ちょっとだけ予定というか、最初の教材で触れるテーマについてお話してみたいと思います。

今考えているのは、今までの活動で様々な方のフィードバックを受け止めてきた結果、大きく分けて二つの傾向があることがわかってきました。

一つは、なんとなくでも「守護霊と感応できた」「守護霊の存在を感じた」という体験をされている方と、もう一つは「全くわからない」「全然何も感じません」という方です。

確かに守護霊との感応などのスピリチュアル体験に関しては個人差があるため、このような差がでるのは致し方ないところではあります。

しかし、なぜ、このような差が出てくるのだろうかという疑問は常にありました。

そこで様々な守護霊、神霊、指導霊との問答や深い考察を加えながら、なぜ、差が生まれるのかを考えた結果、わかってきたことをお伝えしていこうと思います。

最初のお話としては「守護霊との断絶を解く(仮題)」です。

なぜ、私達は守護霊の存在を忘れてしまって今まで生きてきてしまったのか。

そもそも、なぜ、スピリチュアルな世界との断絶が起こってしまったのか。

このあたりにスポットライトを当てて解説していく予定です。

それでは、気になる内容については本編でということで(笑)


天心 拝


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ノリの良さこそ道開く

皆さん!ノってますかー?


・・・寒い、、シベリアのように寒い(笑)身体中に悪寒が走りました。。(笑)

冒頭から凍りつくような言葉を発して恐縮ですが(笑)、意外と大事なことでもあります。

私達はよく運が良いとか悪いとか口にすることがありますが、運の善し悪しを左右するポイントはいくつかあると思います。

何をやってもうまくいく時もあれば、何をやっても進まないと愚痴りたくなる時もあります。

そんな時に大事なポイントとなってくるのは、「ノリの良さ」なんですね。

うまく、機運のきている時にポーンとその浪に乗っかることができるかどうか。

守護霊のサインなどもノリが良い人ほど受け止め安かったりもします。

逆にノリが悪い状態とは何かといいますと、考えすぎてギスギスしてしまっている時なんですね。

もちろん、考えることも大事なのですが、人生をハッピーで軽やかに明るく生きていくためには、適度な軽さとノリの良さが必要なのです。

いろんなオファーがあっても、いろいろ考えた結果、何もしないという結論に至ってしまうのは、若干、ノリの良さが足りないといえます。

軽率であれと言っているわけではありませんが、アレコレ考えずにノリの良さで進んでみるというフットワークの軽さも開運には必要なポイントだったりします。

案ずるより生むが易しとも言いますから、あまり考えすぎずにやってみる。

これも大切なことかと思います。


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天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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