中途半端な幸せという罠

これは、私自身もよくよく注意していることでもあるのですが、人が最も気が緩むのは、課題や問題が解決した後だといえます。

ホッと一息、つくことができると私達は、一瞬気が緩むのです。

どこかでその瞬間に幸せを感じていたりもします。

いわゆる、ぬるま湯状態に陥りがちなのもこの時なのかも知れません。

ぬるま湯状態とは別の言い方をすれば、中途半端に幸せな状態にあるといえるかと思います。

完全ではないけれど、まあまあ、幸せな感覚を味わえて、それほど、苦痛もない状態が中途半端な幸せな状態であるといえるでしょう。

こういうと、「別にいいじゃない。わがままを言って完璧を目指すより、足ることを知るのは大事でしょ?」という意見もあろうことかと思います。

これは、その通りではあるのですが、ちょっと注意した方がいいなと思うのは、そのぬるま湯はずっと続かないということなのです。

ぬるま湯につかっている時には、永遠にいい感じの温度が保たれていると思いがちなのですが、世の中は常に変化しています。

ぬるま湯のような中途半端な幸せな状態も少しずつ剣難な状態へと変化していることがあるのです。

でも、得てしてぬるま湯にあるときにはそのことに気づけなかったりするのです。

否、気づいてはいても、でも、抜けられない。

これが中途半端な幸せ状態に仕掛けられている罠でもあります。

今が幸せだなと思っていても、いつの間にか剣難な状態に陥ってしまうのは、この罠から脱する術を知らないからなのです。

では、剣難に陥る前に脱する方法とは何かといえば、それは、常に物事は移り変わっていくという変転の理をわきまえること、それから、常に魂の向上を心がけること意外にはないといえます。

「そんなことめんどくさい」

と思うかも知れませんが、ここに気がつかないと「もっとめんどくさい」ことが先には待っていることになります。

中途半端な幸せという罠を如何に抜け出ていくかは、今後も重要なテーマになってくるかと思います。


◎クリックご協力ください!
スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

言霊は自らに帰る

私達の人生は様々な言葉で彩られています。

私達が何かをしようとするときも考えようとするときも、考えを伝えようとするときも、いかなる時であっても、言葉は重要な役割を果たしてくれています。

言葉は言霊と太古の昔より大事にされてきましたが、科学文明の発達する現在に至っても、言葉の重要性は少しも薄れてはいないと思います。

どのような言霊を使うのかは、どのような人生を送ることになるのかを決めている。

そう言い切ったとしても過言ではないのかと思います。

言霊とは不思議なもので、そこには想いがあり、人の情念が乗り、その言葉は霊界を形作ります。

そして、形作った霊界は必ず、その言霊を発した人の元へと顕現化によって帰ってきます。

良い言霊を積極的に発する人には、良いことが引き寄せられる霊界が作られて、良いことが顕現化してきます。

良からぬ言霊を発すれば、いつかはその言霊が自身に帰ってくるものです。

言霊を発するということは、とても小さなことで、些細なことで、あまり注意して言葉を発するということをしている人は少ないように思います。

感情のままに思ったことを口にすれば、それは、その感情に見合ったものを自分自身に引き寄せることになります。

常に感情がハッピーで楽しい状態であれば、言葉も自然に良いものを発するようになるのかも知れませんが、そうでないときには、注意が必要です。

悪しき感情のときにそのまま言霊を発すれば、立ち所のうちに悪しき言霊で自分を穢してしまうことにもなりやすかったりします。

感情が揺さぶられて、良からぬ方向に進んでいるときにこそ、言霊を発する前にチェックしてみることも大事なのかと思います。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

時間は命

もっとも大切なことに集中しよう


もっとも大切なことに集中すれば


自ずと人生は輝く


どうでもいいようなことに囚われえれば


それだけで、人生に影を落とす


私達は命というものを


時間というものさしで図ることができる


時間は命


何が大事なことなのか


何がもっとも大切なことなのか


自分に問いかけてみよう


今自分が意識していることが


今自分に本当に必要なことなのか


見つけることからはじめよう


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【解説】溺れている犬

溺れている犬」の解説編になります。

まだ、読まれていない方は、まずは上のリンクの記事を読んでから当該記事を読まれることをおすすめします。

さて、前回はなんともシュールな超ショートショートをお披露目してしまいましたが、あのままだと流石になんのことやらわからないと思うので解説をしてみたいと思います。

まず、お釈迦様がご登場されておりますが、仏教とは何の関係もありません。(笑)

ただ、芥川龍之介「蜘蛛の糸」に因んでご登場をいただいたまでです。

あと、犬に何の恨みもございません。(苦笑)

あくまで話の設定上なので、ご理解くださいませ。

以上を踏まえた上で解説していきますと、あのお話は、助けようとしているお釈迦様とそれをうまく受け取れない犬との間のジレンマが表現されています。

お釈迦様は慈悲の心で溺れている犬に手を差し伸べているだけなのですが、犬の方はなぜか、お釈迦様の救いの手をガブリっと(笑)噛んでしまいます。

なぜなのでしょうか。

噛まれたお釈迦様も反射的に手を引っ込めてしまったわけですが、結果的に犬は救いのチャンスを逃して、助かりません。

芥川龍之介「蜘蛛の糸」でも、地獄に落ちた男を救おうとお釈迦様が糸を垂らしますが、結局は男のエゴと自己中心的な振る舞いによって男は助からないという落ちになっています。

なんとも後味が悪いお話ではありますが、そもそも、これは、危地に陥ったものが陥る典型的なメンタリティに問題があるといえるのではないかと思います。

「溺れている犬」のお話もお釈迦様の目線で基本的には話が進められていますが、一度、犬の目線になって考えてみましょう。

犬は溺れていて必死になり、ともかく周りのことは見えていません。

もしかしたら、お釈迦様が通りかかる前にも人が通って助けようとしたこともあったのかも知れません。

でも、窮地に陥りすぎている犬には、救いの手なのか、自分をさらに苦しめる敵の攻撃なのか区別もつかなくなっています。

だから、近づくもの、本当なら感謝してその手を掴み、自ら救われようと謙虚な気持ちになったならば、お釈迦様の慈悲の心が理解できたのかも知れません。

しかし、結果的にはそうならない。

ここに危地に陥った者が持つ焦燥感などに代表されるメンタリティの危うさが隠されています。

本当は川から引き上げてくれるはずのお釈迦様の手が、自分を川底へと沈ませる悪魔の手に見えてしまったりするものなのです。

だからこそ、追い詰められている時こそ、冷静にいつもの自分を取り戻すことが必要なのですね。

本来ならば溺れている犬は救われて当然のところなのです。

慈悲あるものならば、救われて欲しいと願われることでしょう。

しかし、そうならないのは、自らの持つエゴという業と真に向き合わないことにあるということを理解しておくことは重要なことなのではないでしょうか。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

溺れている犬

作家である芥川龍之介の作品に確か「蜘蛛の糸」というタイトルがあったように思います。

とても短い小説で結構有名なので知っている方も多いと思います。

さて、今回は、ちょっと蜘蛛の糸ではありませんが、少し超ショートショートを天心なりに描いてみたいと思います。

題して「溺れている犬」


あるとき、お釈迦様が川のほとりを散歩しておりましたところ


犬が川で溺れていました。


「犬ならば犬掻きくらいできないものだろうか」


お釈迦様はそんなことを思いながらも、川のそばまで近づくと犬を救うために手を差し伸べました。


なにしろ、川の流れゆく先は大きな滝壺があり、このままだと命が危ういわけです。


犬はお釈迦様の差し出す手に必死に擦り寄ってきました。


よしよし、これでもう大丈夫だよとお釈迦様が思った矢先のことです。


犬はガブリッ!お釈迦様の手に噛み付きました。


お釋迦様はビックリして犬を助けようとしていた手を思わず引っ込めることになりました。


その後、犬は川に流されて滝壺に流されてしまいましたとさ。


おしまい。



・・・え~と、「くっだらない作り話書いてんじゃねーぞ!」というお叱りが聞こえてきそうですね(苦笑)


「蜘蛛の糸」とは並ぶべくもない、くだらない、少しシュールな超ショートストーリーではありますが、ちょっと考えてしまうある種のジレンマがこのお話には込められています。


解説は別の機会に譲ろうかと思います。


◎クリックご協力ください!


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【体験記】守護霊交流よもやま話(その3)

【体験記】守護霊交流よもやま話(その2)」の続きになります。

前回はサンタクロースなどという、ちょっとメルヘンが過ぎる内容だったので、ほんまかいなという懐疑的な部分も多々あったかと思います。

当時の私もまだ子供ですから、はっきりと何かを感得したのか、それとも単なる気のせいなのか判然としなかったわけですが、得てして、最初はこんなものです。

守護霊との交流というとすぐに何でも自由自在に会話ができたり、はっきりと何かヴィジョンのようなものを感得できると考えてしまう人が多いものです。

しかし、実際には、判然としないうっすらとした感覚や出来事から守護霊との交流に入る場合が多いように思います。

今回は私が少し、神様(あるいは目に見えない存在)を意識し始めたきっかけとなったお話をしてみたいと思います。

もしかすると過去記事でもお話したことがあったかもありませんが、子供の頃、一度、エレベーターに一人で閉じ込められたことがあります。(笑)

まだ、幼かったので、かなり恐怖感を覚えた記憶なのでよく覚えています。

一人でエレベーターに乗っていると突然、エレベーターが止まり動かなくなったのです。

理由はわかりません。

子供なので、ちょうど非常ボタンにても届かない状態だったようにも記憶しています。

半分、パニックになり、必死でこの時は神様にお祈りしたものです。(笑)

そうすると不思議なもので、エレベーターは何食わぬ感じで動き始めたのです。

今までは科学万能と思って科学者に憧れていたわけですが、人間追い詰められるとどうやら行き着く先は根源的な目に見えざる世界に向かうようです。(笑)

どんなに合理的な発想や理論的な考えを持つ人でも、どうにもならない闇に遭遇すると自然と「祈る」という行為に向かうようになっているように思います。

それまでは、祈ったことなどありませんでしたし、祈って危地を脱するという経験をした初めての体験だったのかと思います。

これも今思えば守護霊の仕業だったのかと思います。

守護霊は通常は本人の意志を尊重しますが、まだ主体性すなわち魂がしっかりと鎮りきれていない幼少期などはある程度、問答無用に導くという形を取る場合があるようです。

私たちは生まれながらに魂が完全な形で授かっていると思われがちですが、実は、成熟した魂が現世に顕現化するにはある程度の時間が必要だったりするのです。

赤ちゃんの時なんかは魂はまだ完全に鎮りきれていない状態だといえるでしょう。

実際には30歳くらいになるとある程度、成熟するという説を唱えている方もいらっしゃるようですが、これは個人差もあるのかなと思います。

少し横道に逸れましたが、今回は、初めてのお祈りということでお話してみました。


・・・続く


◎クリックご協力ください!



テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【体験記】守護霊交流よもやま話(その2)

【体験記】守護霊交流よもやま話」の続きになります。

前回は、私の子供の頃のお話を少々と守護霊が近づくと直感力が冴えてくるという傾向があることについてお話させていただきました。

まだ、この頃は守護霊の「守」の字も意識していない頃なので、今思えば、守護霊との交流は水面下で始まっていたのかなと思うといった次第です。

さて、子供の頃、まだ4、5歳くらいだったと思いますが、漠然と神様という存在に対してなんとなく意識はしていたものの、それと同じくらいに科学的なものにも惹かれてもいました。

何しろ、物心がついたときに初めて、なりたいと思ったのは白衣を着た科学者でありました。(笑)

というより、どちらかというと発明家に憧れていたのです。

それは、トーマス・エジソンの影響でもありました。

今でもエジソンは偉人・あるいは成功者として取り上げられている人物ではありますが、発明家としても名高い名声のある方です。

幼かった当時、エジソンの偉人伝の書籍は、大抵の本屋さんの教育系の棚に置いてあったものです。

何の因果があってなのかわかりませんが、私は、エジソンの偉人伝を読むことを皮切りにどんどん科学的なことに惹かれていったのです。

「スピリチュアルな方向にいかなかったの?」というツッコミがありそうですが、これは正直に白状します。

最初、子供の頃は、限りなく無神論に近い状態のメンタリティを持った子供だったと自覚しています。(笑)

しかし、同時に不思議な体験もチラホラしていたりもしたのですが、子供ながらも科学する感覚が芽生えていたため、不思議現象が起こっても基本、全て無視していました。(笑)

例えば、クリスマスの夜に私は一度、サンタクロースを見たことがあります。

「いや、そりゃ、クリスマスだったら街にはサンタクロースの姿した人はそれなりにいたでしょ」

と思われたと思いますが、ご想像しているのとは、違うと思います。

見たのは夜中の3時くらいです。

正確にいうと見たというほど、はっきりではないのですが、スーっと何か気配を感じ、それから、鈴の音がずっと鳴り響いて近づいてきたのです。

もちろん、だからといってサンタクロースかどうかはわからないじゃないかと言われればその通りなのですが、当時、子供心に「サンタ?、いやそんなのいないよね?」と半信半疑でいました。

今思えば、霊的な何かと感応していたことは間違いないと思います。

サンタクロースのフリしてやってきた守護霊だったのか(笑)、わかりません。

とりあえず、思い出の中ではサンタクロースということにしておくことにしています。(笑)

ただ、いえるのは、夜中の3時くらいに目が覚めたこと、そんな時間にはサンタクロースに扮した店員が活動していることはなかったこと、それに見たのは家の中ということから、そういった類のものではなかったと思います。

不思議なのは、その当時、全くサンタクロースなど信じていなかったし、科学的なものへの芽生えの最中だったので、子供なりに「ありえなーい」と否定していたくらいなのに、しっかりと何かが降りて来るのをキャッチしていたことです。

普通、サンタクロースは素直で良い子のところに来るものだと言われていましたが、どちらかというと神様に対して懐疑的な自分のところに来るなんて本当に不思議なものです。

でも、考えてみれば、その当時は否定していたので、何かが降りてきても無視するか否定するかして気づかないわけです。

いかなる体験も否定してしまえば、それは単なる気のせいとなり、記憶の彼方へ押し仕舞われてしまいます。

今はこうして、振り返ることで、あの時の現象や体験は、なんであったのか判別することができます。

守護霊もいろんなことでサインを送ってきていますが、私達はそれに気づかないものなのです。

それは否定の心が先に立つからなんですよね。

だから、本当は振り返ってみると「霊的体験なんてしたことない」と思っている方でも探してみると結構、不思議な体験はしているはずなんです。

とはいえ、あの時の鈴の音と気配はなんだったのか、おそらくは守護霊だったのかと思います。

それとも本当にサンタクロースだったのでしょうか?(笑)


・・・続く


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【体験記】守護霊交流よもやま話

今まで沢山の方のご意見などを伺ってまいりまして、結構、多いのが、「天心の守護霊交流の体験談」のようなものを聞いてみたいというご意見でした。

正直、あまり、個人的なことを語るのもどうかなと思うところではあるのですが、そうはいいつつも体験談的なものが多少の参考になるのであればということで、過去にも多少、ご紹介したエピソードなどがあります。

今回はちょっとしたシリーズとして再び、体験談的なものをお話してみたいなと思います。

ただ、体験談というものは得てして個人的なものであり、個人差やその人間の受け止め方という尺度が入るため誤解されやすいものでもあります。

ですから、これからお話していくことは、一つの体験談のサンプルとして受け止めて全ての方に完全に当てはまるかどうかは限らないということを念頭に聞いていただければと思います。

さて、私が守護霊を意識してお付き合いするようになったのは、10代の初めくらいからでありますが、それ以前からも、おそらく守護霊交流は無意識下で行われていたのではないかなと思っています。

私の幼少期は特段、霊的に鋭いとか、すごい霊感があるということはありませんでした。

父親は信心の深い性格ではありましたが、母親はどちらかというと現実主義といったところでした。

まあ、家庭の状況としては、当然の帰結として「目に見えざるものを支持」 VS 「あんたもっと現実を見なさいよ主義」なところはあったわけですね。(笑)

幸か不幸かそんな家庭環境で育った私は、目に見えざる世界というものを意識しつつも、現実もしっかりと見据えさせられるという右に左に揺さぶられることになったわけです。

思えば、これも私自身にとっては修行と学びの一環として与えられた環境だったのでしょう。

一方で神様を理屈抜きで信じるとはどういうことかを学ぶ一方で、現実の状況はどうなのかを透徹して観ていくということをさせられたわけです。

「もうどっちに行けばいいんだ~!」と(笑)叫びたくなるような状況なわけです。

おまけに喘息、アトピー持ちという持病で、他所の子供と同じようには遊んだり、活動したりできない状況でもありました。

そんな追い詰められた状況だと人は、深く人生を考えるようになるようです。

まだ、年端もいかない子供の頃から私は、いわゆる普通の子供とは違った視点でものを見るようになっていました。

さて、ここからが少しスピリチュアルなお話になりますが、私は実は、今思うと他の子供と違うなと思えるところがありました。

それは、異常な直感の強さです。

これはどういうことか少しお話してみたいと思います。

私は子供の頃、人見知りが強くて、人にあってもちゃんと挨拶ができないような性格だったと言われています。

言われていますとと他人事のように言っているのは、あくまで母親から見た私に対する印象に過ぎないからです。

確かに傍から見ると初めて合う人や他人に対して、ちょっともじもじするような、ちゃんと元気よく挨拶をする子供に比べると、グズグズした態度といいますか、そういったところはあったのかと思います。

それを見て母親をはじめとする大人たちは、「この子は恥ずかしがり屋で人見知り」というように感じたのは無理のないことかと思います。

しかし、実際は多少違うのです。

もちろん、若干は人見知りや恥ずかしがり屋なところはあったかと思いますが、本当は大人たちが知り得ることのない秘密がありました。

それは、私は子供の頃にして大人の思惑や考えていることを正確に読み取ることのできる直感力があったということです。

子供は無邪気で、大人の都合なんてわからないと考えられがちです。

実際にそうなのかもしれません。

しかし、私は違っていました。

例えば、母親が私に挨拶をきちんとさせたいとしていたのは、表面上は「ちゃんと礼節を教えなければならない」ということではあったはずですが、その心の裏には、「この子がちゃんとしないと私が恥をかく。だからちゃんとしなさい」という気持ちが隠れていたのです。

これは、わからない人から見たら「穿った見方ではないの?」「そんなことないよ、お母さんはちゃんと教育としてしつけていただけだよ」という意見が出ると思います。

もちろん、そういった意味合いも全くなかったわけではないでしょう。

しかし、あえて言えば、子供の頃の私は、そういった大人の都合や嘘を瞬時に見破るという直感がありました。

大人が「子供だからこんなことまだわからないだろう」と想っているようないわゆる大人の事情も察知していたのです。

妙な話に聞こえるかもしれないですが、私は子供の頃、周囲の同じ歳の子供たちがなんだかとても子供じみていると感じてすらいたのです。

他の子供からしたら「相当変わった子」です。

でも、私の察知していることをそれとなく親や大人に伝えても笑われるだけです。

子供が無邪気に大人の真似をして大人びたことをいっているだけ。

このように流されるのが落ちでした。

私が挨拶ができなかったのは、恥ずかしがり屋だったから、人見知りだったからというだけではないのです。

親の思惑が直感的に分かり、その霊波動の乱れというか、穢れている部分を感じ取ってしまうからだったのです。

「なぜ、そんな嘘をつくの?」「それはボクのために言っているんじゃないよね?」

やたらとそういうことがわかってしまうのです。

そもそも、この直感力の鋭さが後のスピリチュアル世界へ入っていく、発端となっていたのかなと思います。

ですが、まだ、この頃はそんな知識はありません。

なんとなく父親の影響で、「神様はいるのかな?」という程度の気持ちがあるだけです。

そんな気持ちも母親の「神様、神様とすがってたって現実はよくならないじゃないのよ!」という痛烈な批判で、スピリチュアルな芽は潰されかけるわけです。(笑)

守護霊との交流など意識しようもありません。

しかし、守護霊が傍に来るとあることが起こる傾向があるようです。

それは、直感力が磨かれるということです。

これは、当然、当時は知るべきもないことですが、今思うと、私に直感力を与えていたように感じます。

ある意味、余計なことをしてくれた!(苦笑)というように思わないわけではないのですが、たぶん、今の天心としての自分の活動に行き着くためには、必要な布石だったのかも知れません。

そんなわけで、まだ守護霊という言葉もわからない状況ではありましたが、その関わりは水面下で起こっていたといえるのではないかと思います。

・・・続く


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

日陰にて咲く花

なんの益にもならぬじゃないか


なんの得にもならぬじゃないか


かしこくないなと笑われても


そっと誰かのために損を引き受ける


日陰にて咲く花


重い荷と軽い荷があったなら


何も言わずに重い荷を背負う人


大きな果実と小さな果実があったなら


そっと大きな果実を相手に差し出す人


誰にも気付かれず


誰にも主張しない


でもその輝きは


どんな黄金よりも輝き


その暖かさは


どんな心よりも暖かい


人生を終えて


やがて無窮の世界へ


旅立つ時に


その心は


翼となり


天へと導く


導(しるべ)となろう


日陰にて咲く花は


儚げに見えて


実は強く


真に賢い


日陰にて咲く花よ


嗚呼・・


◎クリックご協力ください!




テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】神棚・仏壇での日々のお勤めについて

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、スマイル様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


スマイルと申します。

神棚とお仏壇の毎日やらなければならない事を教えてください。

神棚は毎日主人がお水と榊の水を取り替える事をやっております。

2礼2拍手1礼をして特に祝詞というものはあげておりません。

お仏壇は、私がほとんど毎日自分達が朝ご飯をいただく前に、一番茶と炊き立てのご飯とお水をあげて、お線香を3本たてて特にお経はあげておりません。

主人共々朝はいそがしくなかなか時間をとることができませんが、毎日これだけはやったほうがいいですよというアドバイスがありましたら教えてください。

ちなみに我が家は真言宗です。


【回答】


スマイル様

ご質問ありがとうございます。

>神棚とお仏壇の毎日やらなければならない事を教えてください。

これは、日々の勤行のことかと思いますが、結論からいえば、作法は様々あるかと思います。

基本は、神棚をお分けいただいたところで指導されているやり方などを基本とするのが良いと思います。

>ちなみに我が家は真言宗です。

とのことですので、仏壇に関しての詳細な作法などは、属する真言宗のお寺にお聞きになられた方がより正確なやり方は理解できるのではないでしょうか。

さて、では、宗教・宗派に関わらずスピリチュアル的な基本となる神棚や仏壇にまつわるライフワークについてお話してみたいと思います。

まず、毎日しなければならないと一つの義務としてだけ、神棚や仏壇に向かうのは、あまりスピリチュアル的にはよろしくないと思われます。

神棚や仏壇というものは、あくまで一つのひもろぎであり、媒体に過ぎません。

いわば、私達が霊界や神界にある存在とつながるための形であるわけです。

「毎日お世話をせねば!」とか「こういうやり方でないとダメなんだ!」という思いだけで神棚や仏壇のお世話をするとその義務感の念が神棚や仏壇を覆ってしまい、神仏もご先祖様も降りてきにくい状況となります。

例えば、人を招いておもてなしするのに、本当に心から楽しそうにお迎えする気持ちがある方の家と義務感だけで戦々恐々として行う家とでは、やはりお客としてくる人にとっても居心地が違うのと一緒です。

ですから、毎日、神棚や仏壇で何かをしたい、ライフワークとしてお勤めをしたいというのであれば、心がけることは一つです。

その神棚や仏壇に神仏やご先祖様が降りてきたいなと思えるような状態にしておくことです。

いくらお祀りする作法はバッチリでも、いつまでもお供え物が腐ったり、カビたりするまで放置されていたり、ただ、仏前に置けば良いといわんとばかりに、置いてあるだけという感じにお供えされていたら、神仏やご先祖様だって嫌な感じになるはずです。

神仏はあまり細かいことは気になさらないのですが、ご先祖様であれば、ちゃんと供物は食べやすいようにりんごやみかんは皮をむいてお供えするとか、パッケージに入ったお菓子などはちゃんとパッケージを開けてお供えするなどの気遣いをすることも大切です。

作法的なことはおくとして、いつも清潔感を出しておくことはもちろんのこと、お祈りするときも思わず神仏もご先祖様も立ち寄りたくなるような迎える気持ちと言葉で祈るのが良いでしょう。

やたら難しいお経や祝詞を懸命にあげることよりも、本当に心からお迎えする、居心地良くいらしていただくという気持ちと言葉と行動を表すこと。

これを念頭に置いて日々、神棚や仏壇と向き合っていけば、良い勤行となりお勤めとなることでしょう。

作法とはこの基本を受けて現れてくる一つの形だということはいえると思いますので、あとは、宗門宗派の方と御相談の上、出来うる限りの真心がこもるやり方を一つの基準として毎日のお勤めとされてみてはいかがでしょうか。


◎クリックご協力ください!




テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

天耳通力-心に浮かぶメッセージ-

前回の記事であまり触れたくないと行った矢先からで恐縮ですが、霊能力カテゴリのお話を続けてしてみたいと思います。

取次鑑定として日々、守護霊アドバイスなどを取次させていただいておりますが、こういうことをしていますと何かと天心は特別な人間ではなのか?と誤解されることがあります。

全く持って、普通の人間でありますし、万能でも完全でもない、むしろ、不足部分の多い未熟な人間です。

全てのアドバイスや取次は守護霊をはじめとする神霊が働いてくださることで機能しているに過ぎません。

あくまで天心は媒体であり、「取次」をしているに過ぎません。

なので、全ての功績は守護霊にあり、神霊にあるといって良いでしょう。

それでも、「守護霊からのメッセージを受け取れるというのは特別な力でしょ?」と思われる方も多いようです。

メッセージを受け取る能力のことを仏教では天耳通力(てんにつうりき)と呼ばれたりもしているくらいなので、益々特別な印象が強まりますよね。

でも、これは霊視と同じように実は誰でも本当はメッセージを感じたり受け取ったりしているはずなのですが、気づいていないだけというケースが多いといえます。

メッセージを受け取るなんていうと特別に感じてしまうのは、丁度、はじめて天体望遠鏡を除いて夜空の星の姿を目の当たりにした時に思わず「スゴイ物を見た!」と感激してしまうことにも似ています。

最初は確かに特別でスゴイことのように思えるかもしれませんが、天体望遠鏡を使い、その後、惑星や衛生などを観測しんがら学問的探求をしていくことで、新しい発見や発想を生み出していくことこそが大事なわけです。

同じように単にメッセージを受け取れるかどうかということよりも、メッセージを人生を通しての学びを深めるキッカケとできるのかどうかが大切になるわけです。

守護霊との交流によりメッセージを受け取ることも、最初はとにかくメッセージを受け取りたいと思う一心になってしまいがちになるかと思いますが、段々とそこから先へと進んでいくことが肝要です。

とはいえ、最初はやはり、ワクワクドキドキしんがら楽しんで守護霊との交流をしていくところから入るのは、良いことかと思います。

さて、今回は少しメッセージを受け取る時のコツといいますか、状況についてお話してみたいと思います。

まず、あまり「受け取ってやるぞ!」と気張らない方が良いということです。

それから「自分には無理ではないの?」という否定的な考えも排除していくことが大事です。

あとは、「メッセージを受け取ることは特別な行為だ」という念も持たない方が良いでしょう。

なぜならば、私達は特別なことと感じた瞬間にその対象との距離が広がってしまう傾向があるからです。

特別なことは特別なのだから滅多には起こらない。

このような流れのストーリーが自分の中に出来上がってしまうとメッセージを受け取ろうとしても、そのストーリーが作り出す霊界がメッセージの受け取りを拒んでしまうことになります。

守護霊交流に関してはFGSの会で詳しく触れていますが、ブログ読者向けにもできる範囲でお話できるとすれば、このような感じになるかなと思います。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

霊視-霊界を垣間見る-

久しぶりに霊能力カテゴリのお話をしてみたいと思います。

あまり、霊的な能力のお話をすると、そちらの方面ばかりに興味が注がれてしまう可能性が高いので、控えめにしています。

でも、スピリチュアル世界のお話を語る上でどうしても避けて通れない分野でもあるかなとも思います。

霊能力というとなんかとてつもなく特殊な能力というように思ってらっしゃる方も多いような気もいたします。

実は全くの誤解なのですが、この誤解は結構根深いところにあります。

さて、今回は、巷で言われているスピリチュアルなお話でもよく耳にすることも多いであろう「霊視」ということについてお話してみたいと思います。

私は、当初、霊視という形の鑑定をしていましたが、現在は廃止しています。

それは、なぜかといえば、巷で言われている霊視がいろんな意味を含みすぎていること、誤解を生じやすいという点も理由の一つとしてありました。

「霊視すればなんでもわかるのでしょ?」という方が結構いらっしゃるのですが、そんなに便利なものでもないのです。

霊視をあえて私なりに定義すれば、「霊的世界を垣間見る」ことであるといえます。

霊的世界とは霊界であったり、霊界にある存在であったりします。

霊界を固定的に定義するのはとても難しいことなのですが、霊界には様々な現世の原型ともいえる雛形が存在しています。

ある意味、私達の未来の形もそこに存在しています。

未来だけでなく過去も現在も存在していますが、占いなどで未来予言として行う霊視の場合は、この未来の雛形を垣間見て判断しているわけです。

もちろん、これだけでなく、霊界の存在にコンタクトをとり、教えをこうなどの情報取得の方法もあります。

また、未来予知を行う専門の霊界(占術霊界)を動かすという方法もあります。

いろいろとやり方はあると思いますが、いずれにも問題があります。

様々な方法にて未来の様子がわかったとしても、この霊界は変わらずに固定であるわけではないので、常に変化し続けています。

未来というものは、ある程度のグランドデザインはありますが、その詳細は常に変わっていますし、現在での大きな霊界の変動があれば、グランドデザインそのものも変わる可能性はあるのです。

つまり、いつでも未来の霊界というものは揺らぎ一定していないといえるのです。

未来の霊界を一度でも垣間見てしまうとその霊界は必ず影響を受けて変化してしまうことになります。

なぜならば、未来の霊界を見ることで現在の霊界にも影響を与えてしまうからにほかなりません。

現在の霊界が影響を受けて変化すると未来の霊界も変わってしまいます。

このことを考えると未来の霊界で100%の固定的な未来を予見することは不可能だということになります。

ある程度の参考にするならば、まだしも、人は得てして、自分の未来の姿を知るとそこに固執してしまうことが多いものです。

だからこそ、私としては、未来予見、霊視による鑑定は廃止にしたという経緯があります。

未だに「この先、私はどうなるの?」といった質問がくることが時折ありますが、未来については一切、守護霊にも聞かないし、霊視もしないということを貫いています。

未来は自分の手で切り開くもの、そのためには現在の自分の霊界を変えてゆけば良いのですね。

なので、未来がどうなるかなどは一切気にする必要はないのです。

昨今、不吉な予言の類に不安になる方が多いように思いますが、私達人類の未来も私達が作ってゆけば良いのです。

恐れることは何もありません。

恐れたってどうしょうもないのです。

逆に恐れば恐るほど、より最悪なグランドデザインが描かれた霊界を強化してしまうだけなのです。

この点をどうかご理解いただければと思います。

さて、ちょっと話がずれてきたので元に戻しまします。

霊視についてですが、何か特別な能力と思われがちですが、実際には誰にでもある霊眼でものを見ている状態に過ぎません。

問題は何を見ているのか。

見せられているのかが問題です。

守護霊などの神霊と呼ばれる存在が見せている場合は、やたらと様々なものを見せたりはしません。

必要なものだけを必要な時に見せてくださるといった感じです。

逆にそれ以外には、雑多な霊界の断片が見えてくることはありますが、これはノイズのようなものなので、あまり意味をなさないものも多いです。

逆にノイズに囚われると霊界に囚われてまともな現世での生活が送れなくなってしまいます。

だからこそ、私達は通常は霊視ではなく、肉眼による物理空間のものだけを見るように導かれているともいえます。

そんなわけで、霊視というテーマで久方ぶりにお話をしてみました。

多少なりとも興味のある方のご参考になればと思います。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

FGSの会ブログ通信(Vol4)

こんにちは!


天心です。

最近、ちょっと忙しさが急に増してきまして、昨日はブログを更新できませんでした。(汗)

今後、段々と様々なことに追われていくとFGSの会としての活動も滞ってしまう可能性も出てきます。

何か対策を考えねばと思ったりしています。

なるべく、合理化できる部分は合理化していかないと身動きが取れなくなってきそうです。

ということで、ちょっと報告になりますが、以前にも少しお話していたFGSの会の公式サイトの制作に着手し始めました。

公式サイトを作る理由は、なるべく情報の一元化を図ることにありますが、それ以外にも、私が今まで手作業で対応していたこと(会報メルマガ発送やバックナンバー送付、申込手続きの対応、返信など)を自動化していこうかと考えています。

ちょっとしたメールを返信するという手作業もつもり積もると時間も気力も限りなく吸い取られてしまうことになります。

もちろん、なんでもかんでも自動化できるわけでもないですし、やはり、一つひとつ丁寧に心を込めなければならない部分もあるので、何をどう自動化するのかは検討中です。

ただ、あきらかな、特に私個人が力を入れる必然性の薄い作業に関しては少しずつ合理化していくことで、より、コアな部分に集中できるようにしていきたいと思っています。

まだ、公式サイトは着手したばかりなので、完成には程遠いのですが、いずれお披露目できればとおもいます。


天心 拝


◎クリックご協力ください!



テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】守護霊様は故人の言葉を代りに届けてくれるのか?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、さり様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】

守護霊さまは亡き人の言葉を、代りに届けてくれることはあるのでしょうか?

私は守護霊さまのメッセージを受け取る時に、感情とは関係のない涙が流れます。

先月最愛の主人がこの世を去りました。
その後から守護霊さまのメッセージに少し変化がありました。
それがどうしても主人からのメッセージにしか思えないような内容です。

今まで何度も読んでいた本に「俺に縛られるな」というフレーズがありました。
死後しばらくして読み返したあといつものように涙がどっと出ました。
悲しいという気持ちはありませんでした、むしろ不思議で温かい気分でした。

その後は何だか気分が晴れやかで、すっきりしています。

実は主人は亡くなる一か月前程から、意思を伝える手段がありませんでした。
死を看取る瞬間も彼が最後に何を伝えたかったのかわかりません。
だから私の中は罪悪感でいっぱいだったのですが、消えていきました。
まだ喪中なのですっきりするというのも不謹慎なのかも知れませんが、彼は生前とてもポジティブな人でした。

単純に意識のしすぎかもしれませんが、もし代りに伝えてくれてたら嬉しいなと思います。

宜しくお願い致します。


【回答】

さり様

ご質問ありがとうございます。

守護霊様は故人の言葉を代りに届けてくれるのか?ということでが、これはあります。

実際、私が取次を行う際に故人の霊人と直接の接触はあまり許されていないので、守護霊を介入して許される範囲で行い場合があります。

ですから、ご質問としてはYESです。

しかし、全てが守護霊が伝えてきているとは限りません。

霊位の低い霊人の場合は、何かを伝えたくて直接、伝えようとする場合もありますが、本来、霊界の存在となった霊人は現世にやたらと干渉はしない、許されていないという部分もあり、霊界での生活を重視することになるので、守護霊が介入して伝えてくるという可能性はあります。

結論からいうと、様々なパターンがあるため、これが唯一無二のあり方だというのはありません。

ご質問のケースでは、おそらく、守護霊が伝えてきているのか、あるいは、守護霊に語りかけているつもりが、思いが亡きご主人に知らずに向いていて、つながったのかも知れません。

いずれにせよ、様々なサインを送ってくれているわけなので、受け止めて前向きに生きる糧とできるならば一番良いのかと思います。


天心 拝


◎クリックご協力ください!




テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

心に残った守護霊からのメッセージ7

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


---------------------------------

間(あいだ)は恐れをうみ

恐れは憎悪を作る

親しめば愛育ち

和の広がりを見るかな

---------------------------------


人はよく知らないものや、他人事だと思うものには、溝ができやすいものです。

そして、溝ができると、なんだか恐ろしいもののように感じてしまいます。

恐ろしいものは憎悪の対象となり、いずれかは忌避して、敵対を起こします。

でも、どんなに恐ろしく見えるものも親しみ距離を縮めていくと、その人やものとの関係が近づき愛が育ちます。

愛が育てば、調和の心もどんどん広がっていくことでしょう。

守護霊からあまり選り好みをするよりも、親しんでその人の良いところを知ろうとすることが、結果的に愛を自分の中に育てるポイントになるのだと教えて頂きました。


天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】遺骨の扱い方

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、ピカリン様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


天心様、こんにちは
ピカリンと申します
いつも貴重なお話を聞かせて頂き、どうもありがとうございます

質問です
先だって父が亡くなり、納骨も済んだのですが、残された母が、父の遺骨の一部を骨壺に入れ、現在自宅に安置しております

母は、たまたまその様な事をテレビで見たらしく、仏具屋に訪ねた所、専用の小さな骨壺があり、遺骨の一部を入れて仏様として手を合わせ供養する方法もあると言われた、との事でした

元来、母は全く物が捨てられない性分で、遺品も一切手を着けておりません

以前、天心様が書かれた事を参考にし、気持ちは分かるが、あまりにも執着するのは故人にとって良くない場合もある、少しずつでも遺品を処分する方がいいと話しました

同様に考えると、かなり強い思い入れを持って、故人を忘れられないが故に、遺骨の一部を家に所有していても全く問題はないのか、疑問が沸きました

やはりきちんと納骨したほうが良いのではないでしょうか?

父の魂は、ちゃんと霊界に行けるでしょうか?

また良くない霊が寄って来るような事は無いのでしょうか?

個人的な質問で恐縮ですが、ご回答頂ければ幸いです
どうぞよろしくお願いします


【回答】

ピカリン様

ご質問ありがとうございます。

ご遺骨を一緒にお祀りしていて問題はないのかということですが、原則を言えば、遺骨は納骨して、家には仏壇・位牌にて祀るのがよろしいかと思います。

しかしながら、昨今では、祀り方もそれぞれの方の思いによって変わってきています。

ご遺骨をひもろぎとして、お祀りすることも悪くはないとは思います。

ただ、ご遺骨をお祀りする場合、どうしても、先祖代々のものを祀るのは無理がある場合もあるかと思います。

スペースの問題上、それができないから納骨をするという側面もあるわけです。

ご遺骨はひもろぎとしては強力なものになりますので、亡き方とのつながりも太くなる反面、やはり、お互いに霊的な引っ張り合いになりやすい面もあるかと思います。

現世の人間の思いを強く送れば、霊界での霊人の生活の邪魔になります。

逆に現世に生きる私達に霊人側が干渉しやすくなってしまうという問題点もあります。

執着がどれくらいあるかどうかにもよりますし、一概によい悪いは言えないのですが、ご遺骨があることによって、あまりにも故人に思いが行き過ぎるのであれば、納骨した方がよいといえます。

きちんと気持ちを切り替えることができているのであれば、そのままお祀りしても構わないでしょう。

以上、回答となります。


天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【2013年3月度】神田明神への参拝

本日、3月3日ひな祭りですね。

2013年3月度神田明神様への月参りに行ってまいりました。

FGSの会のメンバーや取次鑑定を受けられた方が天命を全うされて、学びも深められ、それから各自の課題や問題を超えてゆけますようにということでお祈りさせていただきました。

例によって、ご寄付の一部をお玉串として奉納させていただきました。

祈願串もFGSの会メンバー向けのものを含めて奉納させていただきました。

それから、献灯の継続ももちろん、させていただきました。

さて、献灯の継続といえば、今月からFGSの会名義の提灯がお社に掲げられることになりました!

3月はひな祭りもあるためなのか、献灯のスペースは満員御礼状態だそうです。

神田明神様も参詣客の真心に感動されていることと思います。

ちなみにFGSの会の提灯は拝殿の向かって右側の献灯スペースに配置されております。

参拝された時にチェックしてみていただければと思います。

参詣が難しい方もいらっしゃると思いまして、今回はお写真を撮らせていだきました。↓

献灯

ちょっと光の反射で名義名が見えにくいですが、クリックして大きくするとよく見えます。


ちなみに、神馬のポニーの明ちゃんは、防寒対策で暖かそうな上着をきています(笑)↓

明ちゃん


そんなわけで、今月も清々しく参拝をさせていただきましたことをご報告させていただきます。


以下、メッセージをご紹介します。


-------------------------

いつの間にやら正道(せいどう)に乗る

これが神なる導きのあり方である

人為では測れぬぞ

人為すなわち我執

我執はすべてをゆがめるもととなる

-------------------------



人間の思惑を超えて、気がついたら最良の道を歩かされていた。

このような形で導いていただけるのが神霊のお導きだということです。

あまり、ごちゃごちゃと考えこまずに素直に導きを受けられる人は、運もよいということなのかも知れません。

逆に自分の思惑ばかりを追及してしまうと、せっかくの導きもゆがめてしまうという、お諭しです。



天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

汗の中に浮かぶ智慧

くだらない屁理屈は捨ててしまえ!


理屈ではない


汗をかいて


泥だらけになって


悟ったこと


これが本当の智慧である


誰からも奪われることのない


かけがえのない智慧である


だから無精をせず


失敗を厭(いと)わず


穢れ(けがれ)をものともせず


進んだ人にしか


道は開かれない


どんなに分厚い本をひもといても


どんなにハイテクな情報ツールを駆使しても


本当の智慧は得られない


コピーアンドペースト出来る真理などあるものか


真理は泥だらけの中で


にじみ出る汗の中に浮かぶ智慧


厭う(いとう)なよ


進め!


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

ツイッター
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
閲覧者数
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Happy Search★ ~占いと癒しの検索ポータルサイト~
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR