【GW特別企画】開運講座シリーズ(魂の目覚め-段階編-)

こんにちは!

天心です。

【GW特別企画】開運講座シリーズ第四章をお送りしたいと思います。

第四章のテーマは、魂の目覚め-段階編-になります。

前回は、魂の意志を知り、その意志に準じて生きようとするときに自我意識の働きにより、魂の成長を妨げるようなことが起こることをお話しました。

魂の意志に殉じようと行動しても、この自我意識の働きにより、魂の成長にブレーキをかけてしまうわけです。

では、どうすれば自我意識の妨害を最小限に抑えて、魂の意志に準じる道へと身を投じていくことができるのでしょうか。

その方法を理解する前にまずは、一般的な成長の過程について見ていくことにいたします。

まず、人は、いきなり高尚な魂の意志通りには動きにくいということを理解した方が良いと思われます。

もちろん、これはその人の現在の霊格、霊覚によっても異なります。

ある程度、魂の成長過程が高度な次元にまで進んでいる場合には、すんなりと魂の意志に準じた生き方へと移行することはあるでしょう。

しかし、そうでない場合は、まず、自我意識をある程度、満たすというところから始めることになるということです。

衣食足りて礼節を知るという言葉もあるように、必要最低限の自分の身の回りのことくらいは、自分なりに決着が付けられるようにならないと高次元の魂の成長どころではありません。

自我意識はまず、自分のことを第一義に考えてしまう心ですが、ある程度、自分のことはどうにかなる、できるというレベルに自分自身を成長させなければ、どんなに魂の成長を願っても、いずれかは自我意識の妨害にあい、魂の成長を止めてしまう結果になることが多いわけです。

ですから、まずは、自我意識によく言い聞かせるために、自分は大丈夫、自分は例え大きな変化にさらされたとしても、どうにか自分を維持することができるという状態にしておくことが肝要なのです。

自我意識が最も恐れるのは、自我の消滅につながる(という幻想、迷いの心)状況なので、そのような状況にはならないという余裕を持つことが大事だと思います。

余裕が生まれると、自我意識も大分、抵抗しなくなってきます。

なぜならば、ある程度の余裕のある状況は、自我意識は安心を感じ、何をやっても大きな自我意識にとってのリスクに繋がらないと判ずるからでもあります。

この状況をまずは、自分なりに生み出していく必要があるということです。

戦々恐々としている状況では、決して、魂の成長を促していくことはできないということです。

まず、自我意識がある程度、安心できる状況を作っていきましょう。


◎クリックご協力ください!

スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【GW特別企画】開運講座シリーズ(魂の目覚め-準備編-)

こんにちは!

天心です。

【GW特別企画】開運講座シリーズ第三章をお送りしたいと思います。

第三章のテーマは、魂の目覚め-準備編-になります。

前回は、共通する魂の傾向についてお話させて頂きました。

共通の魂の傾向を知ることで自分の意志が魂からの発露なのか、自我意識に歪められた意志なのかを判別することができるようになったかと思います。

これがわかりますと次は、いよいよ、魂を目覚めさせて、主体的意志にそった生き方をして魂を成長させていこうという気持ちになっているかと思います。

しかし、気勢を削ぐようで申し訳ないのですが、もう少しだけ、お話を聞いていただきたいと思います。

確かに魂の意志に従って生きていくことで、魂は成長を遂げていくことになりますが、そうは問屋が下ろさない(笑)と言わんとばかり、手ぐすね引いて、それを妨害してくる存在がいます。

それは、前回もお話した自我意識です。

自我意識は、とかく魂の意志とは反対の働きをしてしまうことが多い傾向にあります。

例えば、世の中の真実を少しでも学び勉強しようと思い立っても、自我意識は「めんどくさい」「自分には関係がない」という想いを作り出して、妨害してきます。

なぜならば、真実などを知って、今の自分が大きく変化されては自我意識としては困るのです。

大きく自分が変化するということは、今の自分を維持できないということです。

なので、自我意識は抵抗を試みるわけですね。

他にも善なる行為を行ったりすることもなんだか躊躇(ちゅうちょ)してしまいがちになるのも自我意識の働きです。

「そんな大それたことをするのは自分らしくない」と今の自分を変えていくことを妨害してくるのです。

美しさを求めることも、進歩向上しようとすることも皆同じです。

ですから、魂の成長のために魂の声に従おうとするときには、必ず、自我意識の妨害が入るということを覚えておかなければなりません。

そうしないと、魂の成長はいつの間にか自我意識の働きに絡め取られて、あらぬ方向にミスリードされてしまう結果になってしまいかねないということです。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【GW特別企画】開運講座シリーズ(魂の傾向)

こんにちは!

天心です。

【GW特別企画】開運講座シリーズ第二章をお送りします。

大テーマは魂の成長ですが、第二章のテーマとしては、まず、魂の傾向についてお話してみたいと思います。

前回は、魂を取り戻そうということをお話させて頂きました。

魂とは主体的意志であり、私達の根源的な意志であるというお話をさせて頂いたわけです。

しかしながら、自分の魂はいかなるものかと頭をひねって考えてみても、なかなか、答えは出しづらいのも事実です。

あるいは、単純に自分が思っていること、衝動が魂の意志なのかといえば、そうではありません。

私たちは魂の他に自我意識(エゴ)と呼ばれるものを持っています。

仏教の阿頼耶識論(あらやしきろん)でいえば、末那識(まなしき)に当たる部分かと思います。

この自我意識というものは、私達が「自分」という認識を持つために様々な働きをしています。

自分が自分であるために必要なものを与えてくれる働きをする機能であると思ってもらえれば良いと思います。

しかし、この自我意識というものは、純粋なる魂の意志をいろんな意味で歪めてしまう働きもしてしまうという厄介な性質を持っています。

私達が個として生きていく以上、この自我意識はどうしても必要な働きでもあるわけですが、同時に魂からの意志をあらぬ方向へと捻じ曲げてしまっている働きもしているということです。

なので、どうしても自分自身の主体的意志といっても、単純に自分が好きなことをやっていれば、魂の意志に準じているのかといえば、そうとは言えないのが実情なのです。

このようなお話をすると「なんだか魂の意志を理解するのは難しそう」というような印象を持つ方もいらっしゃるかと思います。

そこで、まずは、最初から自分の魂の意志とは何かと考えずに、その共通する傾向について見ていくことが、自分の魂の本質に気づくきっかけとなるのではないかと思います。

では、魂の傾向とは何かを端的に述べてみたいと思います。


1.真理を理解したい
2.善なるものを表現したい
3.美しくありたい
4.進歩向上、進化発展


大きく分けるとこの4つの傾向が誰の魂にもあると言えます。

1.真理を理解したいというのは、私達が生まれてきた世界や私達自身、あらゆるもの、わからないものをわかるようになりたいという意志のことです。

思えば、スピリチュアルにせよ科学にせよ、歴史に文学に天文学・・・それこそ無数にある学問、思想というものは、わからないものをわかろうとするために生まれてきたものです。

わからないことを分かりたいと思う心がまずは、魂の持つ共通の意志です。

2.善なるものを表現したいについては、愛、真心に基づく良かれという思いに基づいて行動したいという傾向になります。

これは、結果的にどのような評価がなされるかどうかは別のお話です。

良かれと思って行ったことが必ずしも善として受け入れられるかどうかは、時代背景やその時の状況に左右されることなので、意味はありません。

ただ、純粋に愛と真心に基づく気持ちで何かを表現したいと思うときには、それは魂の意志の発露であると言えるでしょう。

3.美しくありたいについてですが、これは、私達は美しいもの芸術などもそうですが、自然の中に美を感じたり、ともかく素敵なものに憧れを抱きます。

美しくあるということも魂にとっては重要なテーマでもあるわけです。

どうあることが美しいことなのか。

美を追求することが魂の意志の一つでもあるということです。

そして、最後は、4.進歩向上、進化発展についてですが、これは上記三つの総括的な意味合いになります。

どういうことかといえば、私達はどこまでも今よりも次はもっと成長したい、進化したい、グレードアップしたいという気持ちを持っています。

植物もすくすくと成長し天に向かって伸びていくように、地上、海川河、空、どこに住む生き物も成長と進化を続けて生きています。

もちろん、霊長類のトップである人間も同じです。

より素晴らしくなっていくことを魂は最終的には望んでいると言えるでしょう。


以上が4つの魂の傾向になります。

自分の意志が果たして魂の意志に準じたものなのかどうか、迷ったときにはこの4つ傾向を鑑みて判断すると、自分自身の魂の発露からくる意志なのか、単なる自我意識に歪められた意志なのか判別しやすいかと思います。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【GW特別企画】開運講座シリーズ(はじまり)

こんにちは!

天心です。

いよいよ、GWの初日に入りましたね。

大型連休の初日ということで、皆様、どこかへお出かけされているかもしれませんね。

でも、現代の便利なところは、どこにいても、インターネットが繋がれば、情報を得ることができてしまうところです。

出先でもブログをチェックしてくださっている方もいらっしゃるのではないかと思っています。

少しでも学びの一助となればと思い【GW特別企画】開運講座シリーズをお送りしてゆきたいと思います。

さて、今回のシリーズは魂の成長ということをテーマにお届けいたします。

その始まりとして、まずは、私達の魂が何を望んでいるのかを知るということについてお話してみたいと思います。

魂とは、言ってしまえば、私達の主体であり、意志でもあるわけですが、単なる意志ではなく、本当の本音の部分にある根源的な意志を指しているということは、過去のブログ記事などでもお話してきました。

ただ、根源的な意志と言ってみても、イマイチ、ピンと来ない方もいらっしゃるのかと思います。

とかく、現代社会は、魂というものがすっかりと抜け落ちてしまっている人が多くなっています。

どういうことかといえば、何をするにも周囲のあり方を伺い、誰かに指示されなければ何も動けない、あるいは、何か権威的なものにオーソライズされていないと安心できないといった傾向があります。

自分が何を成し遂げて行きたいのかということよりも、どうすれば正解なのか?と考えてしまう人が多いと言えます。

そもそも人が生きるということに正解も不正解もあるはずはないのですが、誰かにそれは「正解だよ」と言って欲しくて、彷徨い歩く人を時々、見かけたりすることがあります。

当人は真剣に正解を求めているつもりなのだと思うのですが、知らぬうちに自分の主体的意志、すなわち魂が希薄になり、何のために生きているのかわからないという状況に陥ってしまう人が多いように思うのです。

もちろん、様々なことからヒントを得て、自分なりに考えて行動する材料とするのは悪いことではありません。

でも、その様々なことの中に正解そのものがあると思ってしまうといつの間にか魂が希薄になってしまうので注意が必要です。

ですから、まず、魂の成長を考えるにあたり一番の大前提をお話するとそれは、自らの魂を取り戻すということが必要になってくるということです。

全てのものを積極的に咀嚼して、自らの魂の栄養としていくというスタンスが魂の成長の一番はじめに行うべきことだといえるでしょう。


◎クリックご協力ください!



テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

明日からGWに突入ですね

こんにちは!


天心です。

いよいよ、明日からはゴールデンウィーク(GW)に突入しますね!

皆様におかれましても、良き休日となることを願うところですが、私としましても、若干、お休みというよりは、他の溜まった案件を片付けないといけない時期にもなるので、少しFGSの会の活動などをスローダウンしたいと思います。

ただ、ブログの更新を長きに渡り、滞らせるのも良くないので、GWに入る前にある程度、記事を書き溜めておくことにいたします。

といいましても、配信は一日に一記事になるかと思いますが、大体、毎日、正午くらいにアップされる予定です。(未来投稿設定を利用する予定)

題して【GW特別企画】開運講座シリーズです。

今回のテーマは魂の成長について順次シリーズ化してお伝えしていければと思っています。

連休中はブログ記事は毎日アップされることになりますが、取次鑑定やメールのご返信などは遅れ気味になりますのでご理解くださいませ。


それでは、皆様、良き連休をお楽しみください。



天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

遠いご先祖様へのご挨拶

神社参拝といえば、願掛けをすることをイメージしがちですが、特にお願いごとがなくても、神社に行くことは良いことかと思います。

神社に祀られている神様は、皆、どこかで私達の祖先とつながっていたりします。

直接的な産土様としての関係性がなくても、この地上に生まれ、日本に生まれたからには、親戚か遠い親戚にあたるはずなので、いかなる神社であっても、最終的には私達にとっては遠いご先祖様が祀られていると思って良いでしょう。

産土様かあるいは鎮守様か氏神様かという違いは、あくまで近しいか遠いかの違いだと思えば、特に問題はないのです。

もちろん、霊人や特殊な霊物を祀っている神社もありますので、例外もありますが、あまり系譜を気にしてよそよそしくする必要はないのかと思います。

それよりも、もっと積極的に詣でることで、近しい間柄になってしまえば良いと思います。

私達人間も最初は疎遠な間柄でも、何度もご挨拶をしたり、交流をしていると段々と近しい間柄になっていくことがあります。

同じように神社の神様も何度もご挨拶にいくうちに近しい間柄になっていくものなのです。

ですから、いろいろと考え込んでしまうよりも、ご挨拶だけはしておくという習慣をつけていくことが神社の神様(神霊)と仲良くなるポイントになるかと思います。

神社参拝の方法論をよく問われることがあるのですが、本当は方法論よりも、こうしたちょっとした習慣の積み重ねや、私達が日常でごく当たり前に行っていることの中に答えがあったりします。

いきなり願をかけに出向いていき、お参りをしたけれど、何も変わらなかったという方もいらっしゃいますが、これも私達の日常の営みに照らして考えればよくわかります。

いきなり初めて訪ねて来た人がいろいろと要求やお願い事をしてきたらどう思うのか。

「不躾な!なんだろうこの人は?」と思うのではないでしょうか。

人にものを頼むときにもコツのようなものがありますよね。

日頃からご挨拶をかかさず、ここぞというときには、菓子折り持参でいき、丁寧にお願いをする。

そうすると、頼まれる方も断りづらい(笑)

多少、冗談も含みますが、これが人の世の真実ではないでしょうか。

それは、神社の神様(神霊)も同じなんですよね。

神様に普段からご挨拶していると、いざというときに導きが得やすくなるというのは、スピリチュアル的には間違いないと思います。

なので、どうかいきなり願掛けだけして、霊験を得られないからといって「叶わなかった!こんな神社に霊験なんかない!」なんて失礼なことを叫ばないでくださいね。

神社参拝では人と神様との関係性を結ぶことが何よりも大事なことなのですね。

そのためには日々の何気ないご挨拶も大切なことだということです。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

心に残った守護霊からのメッセージ9

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


---------------------------------

ぬしが何も成し得ぬのは才なきにあらず

いたらぬは根性なり

嗚呼、叫びて飛び込めよ

女々しき言い訳など聞きたくもない

口舌を捨て、さっさとその重い腰を上げるがよいぞ




---------------------------------


これは、自分に才能や能力やないことを考えて悩み、うじうじと悩んでいた時に頂いた、守護霊様からの一喝です。(笑)

結局は物事を進めていくことも、壁を乗り越えることも、魂を輝かせることも、理屈じゃなく、どこかで腹を括って飛び込み、泣き叫びながらでもやっていくという行動の中にしか実現できないというお諭です。

私もつい、悩むと色々と理屈をこねたくなります。

最もらしい言い訳も沢山思いつきます。(笑)

でも、そんなことをしていても、何も始まらないのですよね。

賢いやり方ではなくても、カッコ良いことでなくても、人から見て無様なあり方のように見えても、泣き叫びながらも、鼻水ジュルジュル垂らしながらでも(笑)、度胸と根性で進むか進まないか。

ここにしか答えはないのかも知れません。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

魂の飛翔

ボロを身に纏っているからといって


心まで貧しくなる必要はない


大きな損失を被ったところで


元々、人は裸一貫で生まれて、裸一貫で死んで行くもの


何かを失ったという錯覚に心を惑わされる必要はない


人生の栄光を誰も称えてくれずとも


己の心の栄光まで失う必要はない


誰からも愛されないからといって


自分の心の中にある愛の灯火まで消す必要はない


とかく人は外聞にとらわれて


心の中まで外聞に染められてしまうことが多い


外聞を遮断して


自分の心に溜まった穢を削ぎ落とす時


自分の心の中にある


魂の声が聞こえてくるはずです


その時こそ


魂の飛翔が始まる時なのです



◎クリックご協力ください!


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【時事ネタ】<赤ちゃん>抱っこして歩くと泣きやむ理由、科学的に検証

今回の時事ネタはこちら!


★<赤ちゃん>抱っこして歩くと泣きやむ理由、科学的に検証
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/science/brain_research/?1366549215



-----

親が赤ちゃんを抱っこして歩くと、赤ちゃんが泣きやんでリラックスする仕組みを科学的に検証したと、理化学研究所の黒田公美(くみ)ユニットリーダー(神経科学)の研究チームが発表した。18日付の米科学誌カレントバイオロジー(電子版)に掲載された。(毎日新聞)
[記事全文]

-----


赤ちゃんが泣き止まない時の定番の対策といえば、”抱っこ”ですよね。(笑)

あまり深く考えずに行っていることではありますが、なぜ、赤ちゃんは抱っこすると泣き止むのだろうかということを科学的に検証してみたということらしいです。

全文記事を読んでみたところでは、子が親に運ばれる時に体が丸まるとリラックスするという傾向にあることは、人間以外の哺乳類にも見られることなのだそうです。

生後6カ月の赤ちゃんを腕に抱いた母親12人に、約30秒ごとに座ったり歩いたりという動作を繰り返してもらい、赤ちゃんの心拍数や泣く時間を調べたところ、母親が歩き始めた約3秒後に心拍数が低下してリラックスした状態になり、座っているときに比べて泣く時間が約10分の1になったそうです。

そして、記事の結びとしては、心拍数や皮膚感覚が赤ちゃんをリラックスさせて泣き止ませる効果のポイントとなっているのではないかということです。

なるほど!と思いましたが、これをスピリチュアル的に考えるとどうなのかなと思いまして、少しお話してみたいと思います。

確かに心拍数皮膚感覚というものも大事な要素かなと思います。

ただ、思うに表面的に心音や皮膚感覚だけで赤ちゃんはリラックスしているわけではないようにも思います。

それは、皮膚感覚という「気」を通して、お母さん(あるいはお父さんでも、そうでない人でも)の持つ愛情が伝わるからだと考えられます。

「気」とは感覚ではありますが、どのような感覚かによって「気」の種類は変わるわけです。

「うるさいな。早く泣き止んでくれないかな。。」という気持ちで抱っこするとその「気」が伝わるので、赤ちゃんはそれを敏感に察知することもあるかと思います。

抱っこしても泣き止まないというケースもあるかと思いますが、それはどこかに「気」が愛情から来ていないことも関係があるのではないでしょうか。

なので、赤ちゃんを抱っこして歩くと泣き止む理由は、心拍数や皮膚感覚だけでなく、そこに込められた愛情が絶対的に必要なのではないかと思います。

愛情が「気」として赤ちゃんに伝わることで赤ちゃんの幸せを増幅しているからこそ、泣き止むのではないかなとスピリチュアル的には考えられるかなと思います。

もちろん、他にも様々な要因はあるのかと思いますが、一つの見解としてお話しておこうかと思います。


◎クリックご協力ください!


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

パズルのピースを集めよう

時折、自分を何をすれば良いのか、どこに向かっていくべきなのか、将来に何もヴィジョンが見えないといった御相談を受けることがあります。

ブログ記事などでも目標や志を立てることの大切さをお話してまいりましたが、そもそも、その目標や志を持つこと自体が困難に感じてしまうケースがあるようです。

やりたいこと、自分が行って楽しいことを目標や志にしたら良いと思うわけなんですが、それでも、「やりたいことも、楽しいことも見いだせない」といった悩みを持つ方もいらっしゃるのです。

こうなると目標を持つことに関しては、お手上げのように見えますが、実は、まだ、諦めるのは早いといえます。

そもそも、私達は訳もなく目標や志を立てるわけではありません。

目標や志を立てるにあたり、必ず何かしらのキッカケが存在しています。

キッカケがないから目標や志を立てるにいたらないし、そもそも、やりたいこと、楽しいことも見いだせないということになっているのかと思います。

では、キッカケはどうつかめば良いのでしょうか。

そのためには、絶対的な知識や経験の量が必要になってきます。

例えば、私達が普段、食事を楽しんだり、映画を見て感動したり、仕事をしてやりがいを感じたりするのは、それらに対するある程度の熟知した知識や経験があるからだといえます。

グルメのように様々な食べ物を食べ歩くといった楽しみがありますが、そもそも、どんな料理があるのか、どこのお店に行けば食べられるのか、あるいは料理に関する様々な知識があり、美味しいものを食べ歩くという一つの楽しみ方を知っているからグルメという楽しみは成立しているわけです。

映画もそこに描かれる内容に関するある程度の知識がないと面白いと感じないはずです。

大抵、ヒットする映画は、どこか私達が普遍的に知っている内容が盛り込まれているものです。

恋愛、友情、悪役、ヒーロー、あるいは様々な現実に起こった出来事を仮想化したストーリーなどなどと様々なキーワードが浮かんできますが、大抵は皆、どれも私達が知っていることで構成されています。

逆に知らないことばかりで構成された映画というのは、見たことがありません。

おそらく作ったとしても、「ナニコレ?意味わかんない」となってしまうはずです。

私達はある程度、自分の中にある知識や経験と照らして、物事を判断しています。

だから、何かに関心を持つのもある程度は自分が知っていることに限定されてしまいます。

もちろん、完全に理解しているものだけに関心をもつと言っているのではありません。

ある程度の知識がベースにあり、それ以上の付加価値があるものを私達は面白いと感じるのですね。

全く、知らないものは理解もできないし、意味もわからないし、関心どころか興味すらわかないものなのです。

さて、ちょっと横道に逸れてきた感じがするので、話を元に戻しますが、目標や志が立てられないというのは、自分の中にある知識や経験の量が乏しいために、目標や志につながるキッカケが生まれないことにあるわけです。

つまり、自分の知識や経験が少ないと関心を抱いたり興味をもつこと自体が少なくなってしまうわけです。

これは、学生さんなどにはよくありがちなことです。

卒業を間近に控えても、社会に出て何をしていけば良いのかわからないで悶々とする時期があったりします。

それはまさに、学校という限定的な空間で得た知識や経験、お付き合いも同じ学生であることがほとんどという状況に原因があるわけです。

そのような状況で自分の将来に繋がるような目標や志を立てようといってもなかなか難しいものなのです。

これは、学生に限らず、限られた空間での生活が長い方にも言えると思います。

ずっと同じ会社で同じような仕事をしていたり、専業主婦でずっと家事に追われて日々が終わってしまっているとか、あるいは、付き合う人間関係も限定的であったりなど、様々なケースが考えられますが、要するに自分の知識や経験を広げることができていないことが目標や志が立てられない原因になっていたりするのです。

なので、目標や志が立てられないといった場合には、自分自身に知識や経験の絶対量を振り返ってみることが大事になります。

自分の持つ知識や経験をまずは増やしていくことが、目標や志を立てるキッカケを得る上で必要になってくるのです。

様々な本を読んでみたり、多くの人から話を聴いたり、自分自身で試行錯誤して何かを実践してみることで経験が蓄積されてきます。

その一つひとつの知識や経験は特に意味をなさないパズルのピースのようなものかもしれません。

しかし、沢山集めて組み合わせていくといつしか、一つの絵が浮かび上がってきます。

この絵こそ、私達が目標や志につながるものだったりするわけですね。

こう考えれば、無理やり目標や志を立てようと思わなくても、できることは沢山あります。

まずは、パズルのピースを集めましょう。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

穴八幡宮へご挨拶

先日、実家近くまでいく用事があったため、久方ぶりに、穴八幡宮(あなはちまんぐう)にご挨拶に寄らせていただきました。

穴八幡宮は、東京の西早稲田という土地に鎮座していまして、流鏑馬(やぶさめ)などでも有名です。

穴という名前の八幡様。なんとも不思議な感じがするかも知れませんが、Wikipediaの穴八幡宮のページより引用させていただけば、

--- 引用開始 ---

1641年(寛永18年)宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れた。掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになった。

--- 引用終了 ---


ということで、どうやらこの地には横穴が存在し、そこから尊い御神像が現れたということみたいですね。

神社の境内には残念ながら横穴は見当たりませんが(笑)、でも、もしかすると社殿の奥には実は、横穴が秘め置かれていたりするのかしら、なんて想像力をはためかせてしまいます。(笑)

実家の近くということもあり、子供の頃はよく、お祭りなどでも遊びに来ておりました。

お祭り以外でもわりとお参りに来ていましたが、実家を出てからとんとご無沙汰してしまっていたので、ご挨拶によったわけです。

社殿なども整備されて、昔よりもきれいになっておりました。

それに、社殿の中はとても静かで、何か力強い存在がいます。

この八幡様の社殿の作りで興味深いのは、お祀りする神籬(ひもろぎ)としてのお鏡が三段階くらいの階段の上に鎮座しているところです。

なんだか見つめているとそのまま、穴八幡宮の持つ霊界に入り込んでしまいそうな感覚に陥ります。

それから、黒龍でしょうか、完全な黒ではなく、白い毛のようなものが混じる龍神の存在が感得されました。

残念ながら御神霊からのメッセージなどは特にいただけなかったのですが、少なくとも、この黒龍が霊験や顕現化の力を持っていそうです。

とりあえず、お賽銭だけさせていただきまして、ご挨拶のお祈りをして、この斎庭(ゆにわ)が発展し、この地域に住む方々が幸せでありますようにというお祈りをさせて頂きました。

さて、穴八幡宮はただ、横穴があったというだけの神社ではありません。(笑)

もう一つ、有名なのは、「一陽来復(いちようらいふく)」の御札かと思います。

「一陽来復」とは、易経の大成卦でいうところの「地雷復(ちらいふく)」の卦を表しており、一陽の生じることを表し、日の出や年が改まり、新しく始まることなどを意味しています。

この御札は、

・冬至の日の24時、
・大晦日の24時、
・節分の日の24時


のいずれかのタイミングでお祀りするという、ちょっと変わったやり方でお祀りします。

陰の気が極まる冬至、年の瀬が極まり新春(一陽)を迎える大晦日、立春を迎える前の節分。

いずれも、これから一陽が出る時期に御札をお祀りして、新しく脱皮していくためのエネルギーをチャージするのかと思います。

ちなみに霊験・功徳は、「金融融通」金運的な要素が言われているようですが、本当は、金運に限らず、自らを新しく健全に生まれ変わらせるエネルギーチャージをするというのが本当のところかなと思います。

ということで、今回は穴八幡宮をご紹介させていただきました。



◎クリックご協力ください!



トラブルをこじらせる心根とは

私達は生きていく上で、順風に押されてスムーズに行く時もあれば、どうしても逆風などに遭遇して、時にはトラブルに見舞われることがあります。

人と口論となったり、あるいは、軋轢が生じたりすることがあるわけですが、そんな時に速やかにトラブルを収束できる人と余計に悪化させる人とに分かれたりします。

この違いはどこから生まれるのかといえば、一言で言えば、復讐心を持ってしまうか否かによります。

例えば、ちょっとした意見の食い違いやぶつかり合いが生じた時に、その相手に一矢報いてやりたいといったような感情を抱いてしまうことが時としてあるかと思います。

言われっぱなしだと悔しいということで、一言も二事も余計なことを口にしてしまうのです。

その結果、余計に相手の感情を逆なでしたり、ギクシャクするような傾向へとエスカレーションしてしまうわけです。

やられたらやりかえす。

この復讐心という心根を持っている方は、トラブルに見舞われた時に益々、悪状況に拍車をかけてしまう傾向があるように思います。

イラっとしたり、心情を害されたと感じたときに復讐心は燃え上がるものですが、智慧のある人は、これをうまく飼い慣らし、平常心を保ち、品格のある行動へと自分を導くことができるものなのです。

復讐心に囚われれば、ちょっとした軋轢もあっという間に焼け野原のように怒りと憎しみの炎は広がり、山火事のような大惨事のようなトラブルへと発展してしまいます。

復讐心こそは、厳に注意が必要な心根の一つだと思います。

何かのきっかけで一言二言、言い返したくなる時は注意してみると良いでしょう。

その行動の根底にある復讐心は、決して自分を幸せにはしないということを肝に銘じておく必要があるかと思います。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

痩せたキリギリスを救う

アリとキリギリス

イソップ童話の有名なお話。

アリは冬の訪れの準備のために一生懸命に働き、食料を溜め込みます。

その間、キリギリスは、そんなアリ達を嘲笑うかのように遊びほうけています。

そして、いざ冬が到来すると寒さは厳しくなり、食料は手に入らなくなります。

アリは、備蓄した食料で冬を耐え凌ぎます。

キリギリスは、遊びほうけていたツケがまわってきて、食料は底を付き、やせ細り、なんとか生き延びようとアリに食料を無心しますが、アリはあっさりと断り、キリギリスは途方にくれてしまいます。

ざっとこんなお話だったかと思いますが、この物語はせっせと働くアリが賞賛されて、遊びほうけていたキリギリスは、因果応報とばかりに最後は悲惨な末路になるという教訓的な意味合いで受け止められることが多いのではないかと思います。

批判を恐れずに言えば、私はこのお話があまり好きではありません。

もっと言うとアリが好きではありません。

確かにアリは一生懸命働いて冬を無事に過ごせたかもしれませんが、結局は自分、あるいは同胞のためだけに一生懸命だっただけなのかなと思ってしまうのです。

別に他の動物や昆虫、生き物達のためにせっせと働いていたわけではないのです。

もちろん、キリギリスも問題がないわけではありません。

将来のことも鑑みず、遊びほうけていたのは、賢い選択ではなかったと思います。

でも、最後は見殺しにされなければならないほどの罪なのでしょうか。

自分のダメなところを自覚し改心し、やり直すことすら認められないほどの罪なのでしょうか。

この物語の結末を時折、夢想することがあります。

もし、アリが温情を見せて、キリギリスに食料を分けていたら、キリギリスはどうなっていたのだろう。

やっぱり、ダメなキリギリスのままだったかも知れませんが、もしかすると、その暖かさに自分の間違いに気づけていた可能性もあったのではないか。

アリはキリギリスを切り捨てても、少しの同情の念も持たなかったのでしょうか。

もし、少しの温情を見せていたら、アリの心にも暖かい何かを得ていたのではないのだろうか。

結局のところ、裁きの心が痩せたキリギリスを殺し、アリの心を冷たくしたのではないかと考えてしまいます。

最近、思うのは、裁きの心が人としての大切な気持ちをなくさせているように感じることです。

罪人は死ねば良い。

そんな声があちこちから聞こえてくるような気がしてしまうのです。

もし、裁きの心が捨てられたなら。

もっと幸せな社会に向かっていくことができるのではないか。

それとも所詮は夢想なのか。

答えはまだ、わかりません。

でも、例え、世の中が裁きの心で充満し、棍棒でお互いの弱点を叩き合うような状態が続こうとも、小さな小さな愛の灯火は、消さずにゆきたいと思っています。

今は、この小さな小さな灯火を守ってゆくことだけ考えたい。

そんな気分です。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

心に残った守護霊からのメッセージ8

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


---------------------------------

人情とは砂糖のごとし

なければ味気なく

過ぎれば健康を損なうなり

---------------------------------



世知辛い世の中もちょっとした人情や人の暖かさを感じるから、味わいがあるものですよね。

なんでもかんでも正論ばかり、理屈ばかりでは、生きていても楽しくないです。

でも、人情だけで、しっかりとした論理やけじめがなければ、社会は成り立ちませんし、魂の成長がないのも事実です。

しょっぱい中に適度に甘さがあるからこそ、その甘さは意味をなすのですよね。

何でもかんでも甘ければ良いわけではなく、その程度と分量を間違えると健全な状態ではありませんよという守護霊からのお諭です。

人情ばかりでも正論ばかりでも、ダメだということですね。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

気楽に考える

「気楽」という言葉がありますが、これは気持ちを楽にするという意味と「気」を「楽しく」するという意味があります。

通常は前者の意味で使われますが、その本質的な意味は後者にあるように思います。

「気」とは感覚であり、感覚を楽しいものに変えていくことを「気楽」というわけですね。

つまり、自分が楽しいと思えている時の感覚を取り戻していくことが「気楽」ということにつながるわけです。

そう考えると「気楽に考える」とは、「気」が「楽しく」なるような考え方をするということです。

「気」が「苦しく」なるような考え方は、どこまでも心根を沈ませてしまいますが、自分が楽しくなるような「気楽」な考え方は、自分の持っている霊界を変えていくためにも必須でもあります。

本来ならば、自分が楽しくなるような考え方をすることはとても気持ちの良いものなので、もっと多くの人が気楽に物事を考えるようになってもおかしくはないのですが、人生に起こる様々な出来事に揉まれていくうちにこの気楽ということができなくなってしまう傾向があるわけです。

これは、身体を動かさないでいると筋肉も固まり、関節も動きにくくなることにも似ています。

常に気楽に考えるという練習をしていないと、人生に起こる様々な出来事に飲まれて、心の柔軟性を失ってしまうことにもなります。

一度、柔軟性を失うとそこから這い出るのは、なかなか困難になったりするものです。

ですから、日頃から、「気楽な考え方」というものを工夫して、できるだけ心が軽くなるように務めることは大事なことなのかもしれません。

考えてみると私自身もずっと自分の発する念をチェックして、常に意識状態を気楽になるように努めてきました。

もちろん、時には沈む時もありますが、それでも、常に意識してきたおかげで、いつも、這い上がれることができています。

結局は、ちょっとした心がけを如何に続けていくか。

そして、それを長く続けてくると段々と心の力がついてくるので、人生に起こりうる苦を跳ね除けていくことができるわけですね。

積み重ねがないと霊界も本当の意味で変わらない。

この点はとても大事なポイントなのかなと思います。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

未来の自分

夢や希望、目標を掲げて道を歩もうとするとき、その最初の一歩を踏み出すことに躊躇してしまうことは、多くの方が経験されていることではないでしょうか。

その躊躇するときの心根の最たるものは、「こんな自分が○○のような夢を実現できるの?」という疑念からくる考え方ではないかと思います。

そこで、大抵の場合は前向きに考えましょうとか、ポジティブシンキングとか、色々と心根を変えてゆく方法論が世の中では言われているわけです。

その一つひとつはなるほどと納得のいくものも多いかと思いますが、それでもどうしても一歩踏み出せずに終わってしまう方も多いのが実情なのかと思います。

どんなに前向きになろうと考えても、ポジティブシンキングしようとしても、どうにも、その一足が出ないのです。

アントニオ猪木さんの引退セレモニーで猪木さんが語られた言葉の中に「危ぶむなかれ!危ぶめば道はなし」という言葉がありましたが、そんな勇気の出る言葉を聞いて、「よっしゃやるぞ!」と気合が入る方もいるかも知れませんが、それでも、どうしても一歩踏み出せないという方もいるかもしれません。

ここまでくると単なる精神的な気合だけでは、一歩を踏み出すことが難しいように思います。

では、どうしたら一歩踏み出せるようになるのか。

ここをもう少し探ってみたいと思います。

そもそも、なぜ、一歩を踏み出せないのかというと、自信がないからなのですが、なぜ、自信を持てないのかというと、それは物事を今の状態のまま永遠に止まっているかのように見ている発想に原因があるように思います。

「こんな自分が○○のような夢を実現できるの?」ということを思ってしまう方に是非、考えて欲しいことがあります。

それは、1年後3年後5年後10年後あなたは今のあなたのままでいるつもりなのかということです。

世の中は動いています。

そして、世の中で生活する私達も常に変化していきます。

つまり成長していくわけです。

もちろん、ぼーっとしていたら成長でなく退化になってしまうかも知れませんが、何かを始めて目標に向かうとき、人は必ず成長をしていきます。

成長を続けていくと今までできなかったことができるようになったり、わからなかったことがわかるようになります。

苦手だったことがあまり苦痛でなくなったり、得意だったものがより、高度なやり方で表現できるようになったりもしていくことになるのです。

つまり、今の自分が夢を実現できるかどうか怪しいとしても、未来の自分はそんなの余裕で乗り越えてしまえる自分になっている可能性は誰にでもあるということなのです。

「こんな自分が○○のような夢を実現できるの?」という考えがよぎったときには、是非、未来の自分を目の前に呼びつけて聞いてみましょう。

「ねえ、君は、○○のような夢を実現できると思うかい?」

そうしたらきっと未来の自分はこう答えるでしょう。

「そんなの楽勝だよ」

未来の自分というものは無限の可能性を秘めています。

未来の自分というものは、どこまでも成長する可能性を持っている自分なのです。

今の自分が未来のことを案じてみても、何もわかりはしないのです。

私達の未来を生きるのは、成長し、進化した未来の私達なのだから。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

魂の旅路(縁起編)

魂の旅路は決して孤独なものではありません。

私達の一人ひとりの魂には、繋がり合う他人の存在があります。

その繋がりは、霊線の太さ、濃さによって、現世での関わりあいの度合いが異なってきます。

「袖すり合うも多生の縁」といいますが、まさに過去世などで影響を与えあった存在と今生でもまた、何らかの形で関わり合うこともあるわけです。

私達はこれを不思議なご縁と感じて、知らず知らずのうちに受け入れて生きているところがあります。

どうして、今の家庭に生まれたのか、どうして今、この日本に生まれたのか、どうして、今いる友達との出会いがあったのか。

ふとしたきっかけで繋がり合う存在。

これが魂の旅路で出会う、ご縁のある他人(自分以外という意味での他人)です。

もちろん、過去世にて縁起がなくても、今生で結ばれるご縁もあります。

ご縁とはすなわち私達の持つ天命や志、霊波長に引かれて出会う他人あるいは現象のことです。

私達の心の持ちよう、行動のありようによってご縁は広がっていくものなのです。

ですから、過去世であまりご縁がなかった方だったとしても、今生で霊波長が合うような状況になったり、志が変わったりすれば、新たなご縁は生まれてくるわけですね。

よく過去世で縁がないと今生は全く無関係な存在として関わりがなくなってしまうかのような誤解がありますが、そうではないのです。

私達は生きていく中で次々とご縁を結び直し、過去世のみならず、今生においても、また新たなご縁が結ばれることも多いにあるということです。

ただ、再生転生の折に何度も遭遇するご縁の深い方については、運命の中での引き合いがことさら強く起こりうるということなのですね。

もちろん、その関係性を薄めたり、断ち切ることも今生の生き方次第では起こってくるわけです。

無条件に縁起は続いていくわけではないということは理解しておくと良いかと思います。

私達は今生において、過去世でのご縁を気にするだけでなく、新しい良いご縁を作っていく、あるいは悪しき慣習という縁起をもって生まれてきたならばそれを積極的に断ち切っていくことも大事なテーマだということです。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

わかりあうコツ

夫婦喧嘩は犬も食わないなんていう言葉がありますが、夫婦に限らずとも人と人とが関係する時、そこには軋轢が生まれてしまう場合がありますよね。

できれば、余計な軋轢は避けたいところですが、どうしても、相手と話が噛み合わないと口論となったりして、喧嘩別れに終わることもしばしば。

喧嘩をしている姿は傍からみるととても醜くて、まさに犬も食わない状態に見えるものです。

では、どうしたらこの避けがたい人と人との軋轢を回避していくことができるのでしょうか。

お互いに分かり合えるためには何を心得なければならないのでしょうか。

それは、「相手の論理」を知るということに答えがあります。

以前のことになりますが、とある電化製品の量販店に買い物に行ったときのことです。

書籍を販売するコーナー(そこは本屋さんもテナントとして入っている)で店員さんとお客さんが何やら、書籍の返品を巡ってもめていました。(苦笑)

なんとなく聞くとはなしに耳に聞こえてきた内容によると、書店員がレジ打ちの時に「雑誌の返品は聞きませんがよろしいですか?」と一言そのお客さんに申しおきをしたことから口論が始まったようなのです。

おそらく、店員はあまり考えずにお店で決まっている通りのルールを注意事項として、雑誌に関しては返品ができないことをあらかじめ伝えたに過ぎないのでしょう。

あるいは、お店で雑誌を買われるお客様にはそのように伝えるようにマニュアルになっていたのかもしれません。

しかし、言われたお客さんの方は、その言いようにカチンと来てしまったようなのです。(苦笑)

お客さんは感情的になり、「返品できないとはどういうことだ。そもそも間違って買ったもので、レシートもあり、すぐに持って行っても返品できないのはどういうことだ!」と喧嘩のような口論が始まってしまいました。

さて、正直、雑誌の返品ができないことが正当なのか、不当なのか、私にはわかりません。

また、そのお店の店員の対応がよかったのかまずかったのかも微妙です。

雑誌の返品ができないのには理由があるのかもしれませんし、店員もおそらく他意はなく言ったことなのでしょう。

でも、お客さんの気持ちとしては、おそらく、何の理由も告げられず、ポソリと「雑誌の返品はできません」というようなことだけ言われたのでカチンと来てしまったのかと思います。

お客さんと店員の口論バトルはしばらく続いていました。

その間、お店は変な空気が流れて、他のお客さんは気まずそうです。

そもそもこの不毛なやり取りを終わらせることができない原因こそ、「相手の論理」が見えていないことにあるのです。

店員はお客さんがなぜ怒ってしまっているのか、本当の原因に気づいていません。

ただ、自分の論理で正しいことを主張しているだけです。

お客さんの方も、店員が単に業務上で決まっていることを伝えているという以外に何も他意はないということに意識が及んでいないのです。

本当の少しでも他人の論理に意識を向けるだけで、ここまで喧嘩する必要はなくなるはずなのですが、それが感情的になることでできなくなってしまうわけですね。

お互いを分かり合うためのコツとは、相手の論理はどういったものなのか。

どういった心情や理屈でものも言っているのか。

ここにあるのかもしれません。

いかなる人もその人なりの論理を持っています。

そこを理解することが、わかりあうコツなのかもしれません。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

究極的にシンプルな顕現化

神界-霊界-現世

私たちは神界の意志、すなわち魂の意志を霊界という鏡に映し、その映ったものをさらに現世へと顕現化させることを一つの目的として生きています。

もちろん、人によっては神界の意志との断絶が起こり、自分の背後の霊界が様々に変質した状態で現世を作り上げてしまっていることもあるでしょう。

というかむしろ、そちらのケースの方が多いのかもしれません。

ゆえに、私達は霊界の歪みを正したり、神界と魂の合一を図ったりするために様々な工夫をする必要が出てきます。

このようなお話は過去の記事でも様々な確度から触れて参りました。

しかしながら、いろいろと厳密に考え始めると神界とつながるとか、霊界の歪みを正すとか、現世に顕現化するとか、なんだか難しそうに聞こえてしまうかもしれません。

とても、そんなことできないよと考えてしまいそうです。

なので、今回は、その不安を払拭するためにも究極的にシンプルな神界、霊界、現世への顕現化という一連の流れをスムーズに行う方法についてお話してみたいと思います。

いろいろと理屈をこねるとすごく難しいことのように思えてしまいますが実はこれほど、単純で誰でも実行可能なことはないのです。

否、むしろ、誰でも知らずに実行していることもあるくらいだと思います。

では、そのシンプルな方法とはいかなるものなのでしょうか。

まず、神界との接続などというと難しいので、素直な気持ちで、何かこうしたら誰かが喜ぶなとか、何かのために良いことであるなと感じられるものを探します。

難しく考えなくても大丈夫です。

例えば、人の長所を見つけて褒めてあげるなんていうことでも構いません。

そのような何か善なる要素を見つけることができたら、人に対する愛情で心を満たしてみてください。

具体的には、その人の喜ぶ姿や、幸せな気持ちになっている様子を想像しつつ、自分もそれを見て楽しい気持ちになってみてください。

そういったイメージをふくらませていくと、本当になんだかワクワクしてきたりするものです。

そしたら、実際に人を喜ばせるために褒めてみましょう(笑)

最初は気恥ずかしいかもしれませんが、そこはちょっとだけ勇気を出してみてください。

言葉に出すことは、一番、基本となる顕現化の第一歩なのです。

自分の中にある良かれという善なる心を言葉で表した時点で顕現化は起こっています。

どうでしょうか?

すごく簡単なことだと思いませんか?

でも、この簡単なことを実は誰もやってないのです。

難しいことは実は何もないのです。

ただ、やるかやらないか、それだけです。

私達の人生はこのシンプルな神界、霊界、現世への顕現化を積み重ねていくことで形作られていくのです。

このシンプルな積み重ねなくして、人生を豊かにすることも、充実させることも、楽しくなることも、ありはしないのです。

是非、やってみて欲しいと願います。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

霊格を磨く

スピリチュアルに興味のある方は、霊的な感性である「霊覚」を磨くことに興味のある方は結構いらっしゃるのですが、どうしても「霊格」を磨くということに意識を向ける方は少ないように感じることがあります。

「霊覚」「霊格」も同じくレイカクと読みますが、その意味するところは異なります。

今回は、「霊格」についてスポットを当てて考えてみたいと思います。

霊格とは、霊人としの人格という意味合いと、霊性という側面から見た品格という意味合いなどがあります。

よく「格が違う」なんていう言葉で物事の品位を表現する場合があります。

霊格とはその人の持つ芸術的な気質、センス、学問的な教養の深さ、言葉使い、振る舞い、考え方の美しさや、倫理観、道徳観、人としての人情の機微を理解する度量の深さなどなど、様々なものを総じて決まってくるものです。

如何に霊力が強く、あるいは霊的感性が優れていようとも、霊格が低い存在は、霊性も低いと言わざるを得ません。

だからこそ、私達は、人生の中で生活の中で、仕事の中で、趣味の活動、勉強の活動の中で、言葉を正し、振る舞いを正し、自分の心根を正し、よく内省して霊格を磨く必要があるのです。

なんでも悪し様に汚い言葉を使い、いつも人を非難したり、裁くことばかりを考えて、自らを省みない人というのは、たとえ霊的な能力が高かろうと、霊格は高いとは言えないのです。

逆に麗しい言葉を使い、人を祝福して、自らを常に内省する習慣のある人は霊格が高まっていくことになります。

霊的な能力や感性など全くなくても、この霊格さえしっかりしていれば、その人の魂は輝ける人だと言えるでしょう。

人は目に見える具体的な形や結果に注意力が向きがちではありますが、霊格とは形もはっきりとしない抽象的な概念です。

それゆえに、あまり注目をされず、目立たない、取り上げられなくなってきていることのように感じます。

結果主義、実利主義に世の中が傾いている昨今では、教養や品格、自らの心根を練り上げることは、地味で評価されにくくなってきているようにも感じます。

これからは霊格を磨くということにも注力して考えていきたいなと思っています。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

意味よりも意志が大事

とは主体的意志であり、神界からくる純なる意志魂であるともいえます。

私たちは、様々な意志を持っていますが、その意志は霊界というフィルターを通す時に純なる意志から少し変質してしまいます。

良い形で発展、具象化されるならば良いのですが、時には歪んでしまう場合もあります。

魂は主体的意志というと、全ての意志が魂の純なる意志だと思ってしまうと少し意義が異なってくるので注意が必要かと思います。

さて、上記を踏まえた上で今回は、「意味よりも意志が大事」ということをテーマにお話してみたいと思います。

よく、私達は、人生に起こる様々なことに対して「どんな意味があるのだろうか?」と考えることがあります。

あるいは、自分で考えずに人に「どんな意味があるの?」と聞いてしまう場合もあるでしょう。

私達は集約すると「生きる意味」について知りたがっています。

私達はなんで生きているの?という問いは永遠のテーマでもあるのかも知れません。

私は、生きる意味を問われた時には、「魂の向上のため」あるいは「魂の意志を現世にて表現するため」などと回答することが多いです。

では、これが究極の人生を生きる意味であり、唯一無二の回答なのかというとそうでもないのです。

こんなことをいうと私の提唱している道を根底から否定しているように見えてしまうかも知れませんが、そうではありません。

私は一つの真理として上記にあげた回答を真実だと確信していますし、迷いもないです。

しかしながら、これが唯一無二の人生を生きる意味なのだと固定的に断言することはできないのです。

なぜかといえば、意味とは固定的なものでも、唯一無二のものでもないからです。

意味とはあえて言えば、意志を持ち、その意志を体現していく方向性の中で浮かび上がってくるものだといえます。

よく聞く話で「人生に意味なんかない」という考え方があります。

別に生まれながらにして人生はこういなければならないというルールがあるわけではありません。

一応、法律や道徳、価値観といったものが生きる意味を規定している場合がありますが、それらは、あくまで後天的に人が作り上げてきた意味に過ぎないといえば、なかなか反論するのは難しいところです。

では、本当に人生には意味なんかなく、ただ、なんとなく漂うように生きていくことが真実なのでしょうか。

それは違うと思います。

確かに固定的で唯一無二の「意味」というものは、初めから存在しているわけではありません。

なので、まっさらな状態で生まれたと考えてしまえば、人生に意味など存在しないと思ってしまうことになります。

しかし、私達には天命をはじめ、様々な意志、すなわち魂をもって生まれてきているわけです。

魂が向かう先に意味が浮かび上がってきます。

意味は固定的なものでもなく、唯一無二ではないけれど、意志に付随して意味は浮かび上がってくるというわけです。

だから、「人生の意味とは?」と問いかけるのは実は迷いの渦に引きこまれるキッカケになる場合もあるのです。

人生に固定的な意味があると思ってしまうと、いつまでも意味は見いだせずにぐるぐると堂々巡りを繰り返すことになります。

ともすれば、人生に意味などないと感じてしまい、やる気も元気も失って虚無に陥る可能性もあります。

だからこそ、「意味よりも意志が大事」ということは覚えておいた方が良いかも知れません。

魂を輝かせて向かう先にしか意味は姿を現してはくれないともいえるでしょう。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【2013年4月度】神田明神への参拝

2013年4月度神田明神への月参りを行いました。

今月は朔日に参拝できたので、本当に良い神気がみなぎっていましたね。

FGSの会名義の献灯、以前からしている個人名義の献灯、祈願串、お賽銭などをご寄付の一部から奉納させていただきました。

写メは撮りませんでしたが、神馬の明かりちゃんは紫色のちゃんちゃんこを脱いでいました。(笑)

そろそろ暖かくなってきたかと思いきや、今日はまたまた、寒いですね。

今回のご報告は短めで終わってみたいと思います。

皆様にとりましても今月も良い月となりますことを願っています。


天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

意識カーソルの合わせ方

私達が何を見て、どのように受け止めるのかは、まず第一に意識カーソルがどこに合わさっているのかでほぼ決まってきます。

私達は同じものを見て、同じように受け止めているように思えるかも知れませんが、実は、人によって見えているもの、受け止めているものは様々にあります。

共通するものもありますが、全く異なるものも多くあります。

できれば、良いものを沢山見て、良いものを沢山受け止めたいと願うのが人情かと思いますが、得てして人は、嫌なものばかりを見て、嫌なものばかりを受け止めてしまいがちです。

例えば、仕出し弁当の箱の開けたときのことを思い浮かべてみてください。

色とりどりのおかずと美味しそうなホカホカご飯が盛り付けてあったと想像してみましょう。

思わず、顔がほっこりします。

その瞬間は幸せな気持ちにすらなっていることでしょう。

しかし、オカズの中に自分が超苦手な食材が入っていることを発見してしまいます。

その瞬間、もう先ほどの幸せ感覚はなくなって、「うわー、○○入っているじゃん(嫌)」という感じにテンションが下がってしまいがちになります。

それからは、もう嫌な食材が入っているということにばかり意識カーソルが合わさるため、美味しそうだった弁当が今や、何か嫌なものであるかのように感じてしまっています。

同じ仕出し弁当を見ていても、意識カーソルが美味しそうという良いイメージに向いていた時と、嫌な食材にむいていた時とで受け取る感覚は全く変わってきますよね。

たかが弁当の話じゃないかと思われるかも知れませんが、全ての真理というものは、得てして小さなことも大きなことも全ては繋がっているものです。

私達はこの小さなことから大きな状況や環境を作り出しているということを知る必要があるのです。

今回は、意識カーソルをどこに合わせるべきなのかを考えて見て欲しいと思います。

自分が気に入らない、嫌なことに意識カーソルを合わせれば、本当はもっと幸せになれる要素が沢山周囲にあったとしても、全くそれは見えてこないし、受け取ることもできないのです。

これは、全てに言えることです。

ですから、何かを受け止めて気に入らないことがあったとしても、そこに注力すれば、意識カーソルは気に入らないことに当たり、本当に素晴らしいことを見ることも受け止めることもできなくなるのですね。

ここがわからないと何をやっても、きちんと良いもの見て、受け止める、ということができなくなってしまうことを覚えておくと良いかも知れません。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

ツイッター
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
閲覧者数
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Happy Search★ ~占いと癒しの検索ポータルサイト~
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR