守護霊を感じるとき

守護霊とともにあるときは、いつも自分が自分でない感じ(某アニメのキャラのセリフみたいですが(笑))になります。

どういうことかといえば、今までの自分では発想もしなかったようなことを考えついたり、どこか背中を押されているような、暖かな気持ちになったりします。

心の中にいろんな言葉色彩が現れてきます。

言葉以前のフィーリングとしかいいようがない感覚である場合もあります。

何が自分に必要で、何が不要なのか自然とはっきりとわかるように感じることもあります。

守護霊との対話は言葉で行う場合もあれば、無言のうちに悟るという以心伝心にて行われる場合もあります。

いろんな守護霊が入れ替わり立ち代り、入っては帰り、帰ったらまた次が来る。

そんな忙しない状況になる時もあります。

私は時々、自分がなにものであり、どういった人間なのかすらわからなくなる時があります。

自我意識が守護霊とともに再構成されると今までの自分はなくなり、新しい自分が生まれ変わることがあるのです。

守護霊との合一を繰り返していくと一つの自分という意識だけにとらわれなくなってくるようです。

いろんな自分が見えてくるし、いろんな自分を体験するようになってきます。

力強い剛毅のある守護霊が来れば、自分自身も剛毅な感じになり、勇気が沸き起こってくることもあります。

繊細な優しい守護霊いが来れば、とても穏やかで優しい気持ちになります。

とても博識で教養のレベルの高い守護霊が来れば、なんだか自分の頭の中も明晰になったような感覚になります。

どんな守護霊が来るかによっても感じ方は様々です。

とりとめも無くお話してしまいましたが、守護霊との交流は理屈ではなく感覚的なものも多くあります。

表面的な理論だけをお話するとよくわからないという方もいるかと思い、今回は少し、体裁的なものや体系的な論理を逸脱して、感覚的に語ってみました。

守護霊交流の際のヒントになれば幸いです。


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あなただけの道

あなたが歩いてきた道は


あなただけの道


他の誰でもない


あなただけの道なのです


測ろうとしても


測れない


比較しようとしても


比較しようもない


あなたが産声をあげた日から


今日という日まで


とても言葉では紡げないほどの


沢山の出来事と


沢山の人との関わりの中で


あなたが感じたこと


あなたが味わった事


全てがあなただけのものなのです


涙で視界が閉ざされるほどの悲しみも


飛び上がって喜んだあの日の一コマも


自分のずるさに辟易して、死ぬほどがっかりしたあの時も


うなだれて立ち上がれないくらい打ちひしがれていたときに差し伸べられた手


ただ、暖かかった、その手のぬくもり


勇気を持って取り組み、誇らしげな気持ちで終えた一日も


全てを失ってでも手に入れたいと恋焦がれた人とのひと時も


悶絶するほどの葛藤と痛み


何もできない自分への無力感


いろんなことがあったよね?


いろんなことがあったろう


良い人生?


悪い人生?


そんなものは


きっとない


あるのはきっと


あなたが歩いてきた


あなただけの


言葉ではあわらしようもない


いかなるものさしでも測りようもない


あなただけの道なんだと思います


あなただけの道は


良いも悪いもないけれど


あなたらしい


あなただけの道


その道を堂々と


歩いていこう


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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-陽天宮10】

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☆前回の新説・霊界ストーリーはコチラをクリックしてくださいね!


初めてこの記事を読まれる方は、一番上のリンクをクリックすれば、一番最初の記事を読むことができます。

前回記事は二番目のリンクをクリックでページが切り替わります。


<前回までのおさらい>


天乃鳥神龍(あめのとりしんりゅう)によると本棚は、グランドデザインの種ともいうべき、雛形が記載されているものであるようです。

色とりどりの色彩を放つ本のようなものの中には、人類の歴史に関わる記録も入っているとのことでした。

内容を秘密にすることで、その一端を垣間見ることを許されて、覗いてみると、そこには想像を絶するような記録が描かれていました。


<続き>

記録されていた人類史。

少し想像していたのとは違い、この中身をそのまま額面通りに受け止めて良いものかは難しいところがあります。

あまりにも内容が壮大すぎて、若干リアリティを持てないのです。

また、内容も衝撃的なものだったので、うかつには喋れません。

ただ、それだけだとなんのことやらわからないままなので、少しだけ輪郭のみ触れてみたいと思います。

まず、私達が人類史として認識している歴史は、本当は、ごく一部でしかないということがわかりました。

それから、地球上で起こったであろう事柄だけが、人類史とはいえないということです。

今の私達人類が出来上がるまでには、いくつもの紆余曲折のプロセスがあったようです。

私達はその小さな小さな一端の時間の中で、揺さぶられながらその歴史を紡いできたといえるでしょう。

具体的なことはブログ上ではあかせませんが、今起こっている問題や現象なども、過去のアーカイブを見てしまうと大したことではないように思えてきます。

だからこそ、やたらと開示すべきものではないという天乃鳥神龍の言葉の意味がよくわかりました。


天乃鳥神龍:「現時点でこのコミュニティであなたにこれ以上見せることができるものはありません。」

天心:「これ以上は許可できないといういことでしょうか?」

天乃鳥神龍:「あなたのためにも今は見ないほうが良いでしょう」


天心:「わかりました。では次はどこへ行くべきでしょうか?」

天乃鳥神龍:「それはあなたのガイドにお尋ねになるべきですね」

ガイドと言われて、しばしの間、守護霊の存在を忘れていたことに気づきました。(笑)

そういえば姿が見えません。

どこに行ったのかと周りを見渡してみても見当たりません。

天心:「守護霊様?どこにいらっしゃるのでしょうか?」

天乃鳥神龍:「ふふふ、あなたは気づいていないのですね?」

天心:「え?何がですか?」

天乃鳥神龍:「あなたのガイドは、あなた自身と一体となっているのですよ」

天心:「まさか・・いつの間に?」

天乃鳥神龍:「胸の奥で呼びかけてみなさい」

そう促されて、静かに胸の内でつぶやくように守護霊に話かけてみました。

すると、いつの間にか目の前に守護霊の姿があるではありませんか!?

天心:「え??どこにいたんですか」


守護霊:「お前と共にあったぞ」

天心:「いやいや、そんな自覚なかったですが(苦笑)」

守護霊:「お前が天乃鳥神龍に導かれこのコミュニティに至る際に合一したのだ」

天心:「そうだったのですか。全然、気づきませんでした」

守護霊:「このコミュニティの有り様を知るためには、お前自身の霊覚ではいたらぬゆえ一時的に補佐するための合一である」

天心:「なるほど。。私ではまだまだ、そこまで許されないということですね」

守護霊:「あくまで学びの一環としてのみ許可されたのだ。くれぐれも忘れぬように」

天心:「はい。よくわかりました。それで、次にゆくべき霊界はどこになりますでしょうか?」

守護霊:「次はすでに決まっておる」

守護霊はいうと再び、姿を消しました。

いや、おそらく姿を消したのではなく、私の中に入ったのでしょう。

とりあえず、次の霊界へと移動する前にコミュニティでなければなりません。

私は再び、天乃鳥神龍の背に乗せられて、コミュニティを後にしたのでした。


☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-天駆宮】へ続く


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心に残った守護霊からのメッセージ16

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


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厳しさも

優しさも

受け止める側の境地による

与える者は

ただ愛のみにて行うこと

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人に対して厳しく辛くないと甘くなってしまうとか、あるいは優しく接して良いところを見ていくべきかとか、いろんな意見が巷にはあります。

よく見かける書物などには、「きちんと叱れる上司」が良いとか、「褒めて伸ばす」やり方が良いとかいろんなテーマの本も見かけます。

私自身、どのように人と接すべきか悩むことがありました。

優しく振舞っていると自分は甘すぎるのではないかと思えてくるし、厳しくすればしたで、自分は傲慢なのかと思い悩むこともありました。

しかし、守護霊のお諭として、厳しいか優しいかは問題ではないというメッセージを頂いたのです。

厳しく感じるか優しく感じるかはそれを受け止める人間の感性によるものだと守護霊様は言います。

では、何が大切なのかと問いかけると守護霊は「中庸」であり「愛」にて行うことに注力することだとおっしゃられました。

相手にどのように受け止められるかを気にして振り回されて「厳しく」あるべきか「優しく」あるべきかを考えるのは本来の筋から外れていると諫められたのです。

ただ、その場その場のあり方でもっとも正しいと思えること。

そして、そこに愛があること。

それ以外のことは、相手の問題であり、お前の問題ではないというのが守護霊様の言いたかったことのようです。

叱るのが良いか、優しいのが良いか。

本当はどうでも良いことなのかも知れません。


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やりたいことを仕事にする?

昨今では、メールボックスには様々な広告メールのようなものが届くことがあります。

インターネットが普及してから、いわゆるダイレクトメール以外にも電子メールにて広告を発信してくる業者の方も多くなってきたように感じます。

普段は広告メールには、あまり目を通さないのですが、最近、自己啓発系と思しき広告メールが届いていたのがたまたま目に止まりました。

広告の内容は、概ね以下のような内容のものでした。

「あなたのやりたいことを仕事にして成功するためには~」みたいなことが書かれておりまして、そういった内容についてセミナーを開催するので参加しませんか?といった趣旨でした。

よくよく、読むと結構な参加者もいるようなセミナーでそれなりに人気を博しているようにも感じます。

自己啓発系のセミナーはそれなりに参加費用も高いのですが、それでも多くの方が参加されているということは、よほど、やりたいことを仕事にして成功したい人が多いのだなと察します。

しかしながら、私がふと疑問に思ったのは、参加費用も高いセミナーに通わずとも、このことに関しては、もう結論は一つしかないのではないかなということです。

そのことがわかってしまえば、わざわざ、高額なセミナーに通う必要ってないのではないか?と思ってしまったのです。

では、やりたいことを仕事にして成功する方法について、ちょっと考えてみたいと思います。

答えは至極簡単です。

それは・・・


「やりたいことをただ、やれば良い。成功するまで」です。


・・・とまあ、ここでお話を終了してしまうと石つぶての10個や20個飛んできてしまいそうなので(笑)、もう少し補足してみたいと思います。

そもそも、すべからく、「やりたいことを仕事にして成功する」という命題が私には、非常に現代に横たわるメンタル的な病状であるかのように感じます。

このような命題自体が何の疑問も抱かれずに人々の心を捉えていること自体が結構、危ういなと感じてしまうのです。

なぜかといえば、先ほどもお話したように、やりたいことはやれば良いのです。

これは仕事であれ、趣味であれ、学業であれ、いかなることでも同じです。

やりたいことがあればやれば良いのです。

もちろん、著しく社会や他人に迷惑や実害のあるようなことは困りますが、そういう極端なものを除けば、自分のやりたいようにやったら良いと思うのです。

おそらく、やりたいことをやるという発想自体が社会の中でなんだかタブーなことであるかのように扱われているところにも問題があるように感じます。

そもそも、そういった風潮がなければ、やりたいことをやらないという発想は生まれてこないはずです。

やりたいことを仕事にしよう!という実に当たり前すぎる発想のいびつさに気づけないようだとかなり、病状は進行しているのではないかと思います。

もう一度、いいますが、やりたいことがあるならば、やれば良いのです。

ただ、やったこと、やらなかったこと含めて私達はその結果をいずれにしても受け止めなければなりません。

何を選択しようといかなる行動にでようと、あるいは何かを保留にしようと必ず、そこには好むと好まざるとに関わらず結果が付き従います。

その結果を受け止められない人が最近は多くなってきたように感じます。

結果が受け止められないから、自分のやりたいことをやるという至極当たり前のことすらも、躊躇してしまうのです。

そして、どんなことでも、しつこく、相違工夫を繰り返し、行ってゆけば、いつかは自分がほっこり笑顔になれるような結論を出すことはできるのです。

誠に持って単純なことです。

この単純なことを理解し、会得するためにわざわざ、時間と費用を割いてセミナーに学びにいく人が多いということは、結果を受け止められない人が多くなっていることの証なのではないかなと思います。

仮にどんなにスゴイと謳われる講師のセミナーに出向こうと結局のところ、自分に起こる全ての結果を受け止める意志のない人は、おそらく(というかまず間違いなく)、結果としてやりたいことを仕事にする、それ以前にやりたいことをするということを実行に移すことはできないのではないでしょうか。

ちなみに私の読んだ広告メールによるとセミナーの中で具体的な起業指南などもあるようでした。

具体的に指南されて、それを受け入れた時点でそれは自分がやりたいことではないのでは?と思ったりもしましたが、多くの方は、あまりこういったことにも疑問を抱かないのでしょうかね。

もちろん、セミナーなどでお勉強をすること自体は私は否定はしませんが、少し、現代社会はメンタル的に危うい方向に向かっているように思えたので少しお話の題材としてみました。

決して、セミナーなどを批判するつもりはありませんので、誤解なきようにお願いします。

ただ、真理というものは実は遠くに見えて近くにあるものであるともいえます。

このことを少し考えてみる機会になれば幸いです。


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迎光

神降り来たり


鳥居かな


鳥居2



箱根 九頭龍神社 遥拝


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【時事ネタ】集団パニック? 生徒18人搬送

今回の時事ネタはこちら!


★集団パニック? 生徒18人搬送
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/first_aid/?1371639845



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19日午前11時45分ごろ、兵庫県上郡町大持の県立上郡高校で、1年の女子生徒が休み時間中に「気持ち悪い」と体調不良を訴え、過呼吸を起こした。その様子を見た別の生徒らが正午過ぎにかけ、次々と過呼吸などの症状を訴え、1年生17人と3年生1人の女子生徒計18人が市内2カ所の病院に搬送された。いずれも意識があり、命に別条はないという。(産経新聞)
[記事全文]

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実はこうした不可思議な事件は数年ごとに(定期的かどうかはわかりませんが)おきているような気がします。

同記事によれば集団パニックということですが、詳細記事を読む限りでは、もともとの発端は、霊感の強い少女が最初に過呼吸状態に陥り、それから次々と他女子生徒がパニックを引き起こしていったとのことです。

おそらく単なる不思議な事件として世間的には流されていくのだろうなと思いますが、実はこういった背景には霊界の影響が強く働いています。

特に霊的に鋭敏な方の場合、霊界作用も強烈な場合が多いので、周囲にいる人間の霊界まで瞬時にして同調させてしまう作用があったりするのです。

昔は小学校でコックリさん(ウジャボードを使った降霊術)をしていて、クラス全員が意識不明に陥った事件などもありました。

科学的な原因は未だ不明です。

ただ、事態を重く見た学校側としては、以後、コックリさんは禁止になったと聞いています。

今回の事件は、きっかけがなんであったのかは、記事に書かれていないためわかりませんが、霊界同調作用はあまく見ると怖いという側面があるということです。

特に霊的なことに鋭敏な場合は注意が必要です。

何か強烈なマイナスに襲われた場合に霊波動の乱れを大きくしてしまうと周囲にも影響を及ぼすことがあるということです。

こういったことからも、実は霊波動調整は結構、重要なことなのですね。

もちろん、こういった極端な事例は数は多くないと思いますので、必要以上に怖がる必要はありませんが、霊界同調の影響力という意味で参考になりそうなので取り上げてみました。


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爆走できますか?

最近、何かを成し遂げる人を見ていて発見したことがあります。

それを少しだけ備忘録がてらお話して残しておこうかと思います。

ちょっと話は遡って、私がとある職場で働いていたときのことになります。

その職場は少し変わっていて、その職場で称えられ評価されるにはある基準がありました。

当時、とても、それが不思議といいますか、妥当なのか不当なのか理解ができなかったところがあります。

さて、その職場の評価のされ方とはいかなるものだったかといえば、まず、一つには、ある程度、ずば抜けた専門性を持ち、成果を出していることです。

「なんだ。真っ当な評価ではないか」と思いますよね。

私もこのことに関してはなんら疑問も不思議にも思ってはいませんでした。

問題は次の評価基準です。

すば抜けた専門性はなくて、才能も特にない、成果にも繋がらないのだけれど、とにかく根性を見せて、ありえないくらいの行動(それは奇抜と映るくらい極端)した人間が評価されるというものです。

つまり、何の意義も意味も見いだせないような、一見してバカバカしいような行動でも、それが誰も真似できないような凄まじいまでの行動力やアイデアを伴っていた場合、なぜか、周囲からの評価も高く、上層部からの覚えも愛でたいという状況でした。

当時、私は、「これおかしいのじゃないの?だって、全然、結果に結びついてないなら意味ないじゃん!」と思っていました。

しかし、昨今、成功する人を見てきて思ったことがあり、実は、この評価基準は妙を得ていたのかも知れないということを感じるようになってきたのです。

どういうことかといえば、結局のところ、人が成果や成功、あるいは自分の信念を体現できるかどうかというのは、その目標に向かってなりふり構わず突っ走れる根性があるかどうかにかかっているところがあるからです。

もちろん、そんな根性論とは無縁に才幹とセンスでずば抜けた結果や成果を出す人もいることでしょう。

しかしながら、才幹やセンスがずば抜けていない人間が道を開くには、どこか、ネジの外れたような爆走状態がそこにはないとブレークスルーは難しい部分もあるのかなと思います。

例えば、目標を持っていたとしても、なかなかくすぶって、おっかなビックリ、石橋をたたいて渡るか渡らないか迷って、結局、保留にする人と、目標さえ定まったら、爆走して一目散に向かってしまう人とでは、やはり差がでてしまうのは、必定なのです。

私の昔の職場であった、結果も成果にも結びつかないけれど、爆走する人間が評価されていた裏側には、もしかするとこんな想いが秘められていたのかも知れません。

「あなたは今は何も生み出せない貢献できない状態かも知れないけれど、その志さえ見つかればきっと何かを成し遂げる人です」

成果や実績に結びつかなければ評価されない今の時代からすれば、随分とゆるやかな話ではありますが、それでも、最近、どうしても思ってしまうことがあります。

何かに向かって爆走できるエネルギーがあるかないか。

自分が向かう先にある希望に全エネルギーを注げる人は、最初は結果に結びつかなくても、いつかは必ず、何かを成し遂げています。

エネルギーとはいいようにも悪いようにも転ぶ代物ではありますが、そのエネルギーを爆発させて勇気を持って無茶苦茶と言われるまでに走り出すことができたならば、きっと何かを得ることができるような気がします。

私も燻らず、真っ直ぐに走り出したいと思う次第です。


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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-陽天宮9】

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<前回までのおさらい>


天乃鳥神龍(あめのとりしんりゅう)からのグランドデザインの変動の法則について具体的な説明を受けました。

グランドデザインは決して変えられないものではないし、それをよりより形へと変化させていくためには、個々人のエネルギーのあり方が実は重要であるということを学ぶことができました。

説明が終わるとその後は、建物内の天井部に向かって天乃鳥神龍と私は飛び立っていきます。

そして、建物の壁側に敷き詰められた本棚のような場所にたどり着きます。

いよいよ、この本棚のようなものの正体について紐解かれてゆきそうです。


<続き>

ぐるりと一周するように本棚は敷き詰められています。

背表紙に当たる部分がいろんなカラーで色付けされています。

何か絵の具のパレットを思わせる配色です。

無数に並ぶ本のようなその色付けされたものは、一体、何を表しているのでしょうか。

天乃鳥神龍:「ここには全てのグランドデザインの記録とアーカイブが収められています。」

天心:「グランドデザインの設計書みたいなものでしょうか?アーカイブというと、過去のグランドデザインもあるということでしょうか」

天乃鳥神龍:「グランドデザインの「種」みたいなものとでも言っておきましょう。アーカイブは、様々にありますが、主にここには人類史が収められています。」

どうやら、無数にある本棚の中で、今目の前にしているエリアには、人類史の過去の記録があるらしい。


天心:「人類史?というと人類全体の過去世みたいなものでしょうか?」

天乃鳥神龍:「概ねそのように捉えてもらって構いません」

この本棚の中には私達、人類が歩んできた過去世の集まりがあるということです。

それを思うと、やはりどうにも興味が掻き立てられます。(笑)

一体、どのような歴史がこの中に眠っているのでしょうか。

天心:「中を見ても良いでしょうか?」

天乃鳥神龍:「構いませんが、「秘」を破らないと約束できますか?」

天心:「秘密ということですか。。でも、伝えるのが私の役目の一つでもあります。どうにか伝えることをお許し頂けませんか?」

天乃鳥神龍:「霊界の機密は開示されるとそれだけで変質いたします。本当にその資格のある方だけに許された分だけ開示されるのが原則なのです」

天心:「そうですか。。では、開示することが許された方には伝えても良いと受け取っても良いでしょうか?」

天乃鳥神龍:「そうですね。ただ、くれぐれも、濫りに機密を漏らさないようにお願いします」

天心:「わかりました」

濫りに他言をしないと約束をして、私は、恐る恐る、色とりどりの本へ手に伸ばします。

本のようなものだと思っていたものは、手にすると球体の物体に変化して、どんどんと膨らんで大きくなってきます。

そして、その球体の中に取り込まれるように自分の霊体が吸い込まれるような感覚に襲われました。

宇宙空間の真ん中にぽっかりと浮かび、360度のパノラマ、プラネタリュウムといった感じです。

その中で、まるで映画の上映のように様々な出来事や人類の生成、神界から霊界、宇宙、様々なことが走馬灯のように見えてくるのです。

その内容は、ここで語ることはできませんが、本当に驚くような内容であり、世界観が変わるようなフィードバックに満ちています。

おそらく、これを見てしまうと不安や恐怖に襲われたり、おかしくなってしまう人もいるだろうなと思いました。

霊界の機密は他言無用。このことの理由が深くわかったような気がいたします。


天乃鳥神龍:「少し刺激が強すぎる内容でしたか?」

天心:「はい・・・。ものすごいですね。。もうなにもいえないといった感じです」

天乃鳥神龍:「必ずしも真実を知ることは楽しいことばかりではないのですよ」

天心:「そうですね。よくわかりました。」

アーカイブの内容に衝撃を受けつつ、今度は、将来のグランドデザインについても少し見聞すべきかなと迷っています。

グランドデザインは変えられるということはわかっていますが、やはり、それを知ってしまうと影響を受けます。

どうすべきか悩むところです。

でも、ここまで来たからには見ないのも中途半端な気がします。

最初はノリノリで興味津々であった気持ちも、今では少し躊躇する気持ちがでてきています。

とりあえず、次回に続きます。


☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-陽天宮10】へ続く

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魂の旅路(自我意識編2)

自我意識

この切っても切り離せない二者とのやりとりの中で、人生は進んでいきます。

自分はどんな人間なのだろうか?

自分とは一体何者なの?

このような問いが根底にあり、自我意識は自分を作り上げていきます。

魂は、いつも自我意識に本来の自分の姿を語りかけています。

魂とうまくコラボレーションできると自我意識は魂の輝きを受けて、理想的なあり方、形を作り上げていくというわけです。

しかし、人生には様々なハプニングが待っています。

魂の声ではない、様々な雑音も沢山、聞こえて来るのです。

自我意識は沢山のノイズも巻き込みながら、肥大化していきます。

ノイズ以外にも現世次元を成立させている法則に準じて生きていくための、本能と呼ばれる作用なども自我意識には取り込まれていきます。

そんな風にして、自我意識が育った結果、私達は「自分は自分である」という意識を強く持つようになるのです。

例えば、自分自分ではないものという意識が自我意識の始まりです。

そして、次に来るのは自分にとって良いもの悪いもの、好きなもの、嫌いなもの、必要なもの、必要でないものという評価、分別する作用が始まります。

この評価作用が自我意識の織り成す霊界の形や彩を決めていくわけです。

自我意識が強くなればなるほど、霊界は小さくなり、形や彩も具象化していきます。

目に見える視界も狭くなり、聞こえて来る音も受け取る範囲が狭くなります。

自我意識は、魂の意志に基づき、その形を整えるための相方としての作用をしてくれる存在であるともいえるでしょう。

魂は自我意識の作用を通して自らの本質を表現しながら旅を続けます。

私達の「自分」としての今生もまた、魂の旅路の一つなのです。


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魂の旅路(自我意識編)

私達のは永遠ともいえるほどの長い年月の中を旅を続けています。

魂は、時には分化の働きによって、分魂(わけみたま)となって、兄弟を増やしたりすることもあります。

ブラザーソウルとも言います。

あるいは、魂と魂が合わさり一つになる合一という現象もあります。

魂の結婚とでもいうべきものでしょうか。

複合的な魂を持つ人もいます。

そんなふうに魂は形を変えて、分かれたり、合体したりしながら旅路を続けます。

しかし、魂には本来、形がありません。

魂は意志であり、機能であり、言葉にして表すことが難しい、とても次元の高い存在です。

形がないゆえに魂がその働きを全うするためには、魂だけでは何もできません。

魂が様々な表現を試みるために次元を下降し、作り出したものがあります。

それが自我、あるいは自我意識と呼ばれるものです。

自我とは「自分は自分である」という意識であり、認識のことです。

魂が生み出す、あるいは別の言い方をすれば神界によって与えらえる自我意識を和魂(にぎみたま)といいます。

厳密にいうと和魂=自我意識というわけではありません。

和魂の中に包摂される形で存在する意識が自我意識であるといえます。

自我意識は魂の活動を具象化して、ある一定の形で表現させるために生み出された一つの仕組みでありメタファーです。

私達は、自分は自分だと思っていますが、私達の本質的な部分は魂にありいます。

自我意識とは本来、その魂の働きを具象化するためにアシストする役割を担う存在でもあるわけです。

しかし、自我意識は自分が自分であろうとするがゆえに、魂をも飲み込み、あらぬ方向に向かわせます。

自我意識とは魂にとって良き女房役であり、足を引っ張る邪魔者役でもあります。

喧嘩したり、時には仲良く寄り添ってみたりしながら、一生という名の示すとおり一つの「生」の中で付き合ってゆく友達のようなものです。

自我意識の誕生により、私達の魂の旅路は一辺倒なものではなく、様々なバリエーションと個性や彩を与えられるようになりました。

一見、魂の旅路を邪魔しているかのように感じる自我意識も、その不測の要素が加わることで、より複雑さを生み出しているのです。

神界もそのようにさらに新しいものが生み出されることを見越して、おそらくは自我意識というものを生み出したのかも知れません。

より複雑に、より個性的に、より斬新に、新しい可能性を表現するために私達の自我意識は生み出されました。

私達の人生は、この自我意識との付き合いというところに肝があります。

「自分」との付き合いです。

自我意識を見ていくと魂の旅路の中の「人生」というパートが理解してゆくことができるかも知れません。


・・・続く


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【呪縛観念シリーズ】もう一度起こるかも?という呪縛

人の成長や兆戦のための一歩を止めてしまうことのある、内的存在を私は呪縛観念と呼んでいます。

今までもいくつか呪縛観念についてお話をしてまいりました。

呪縛観念は本当に巧妙に私達の心の内部に入り込み、私達の言動、行動、態度、それから最終的には人生までもコントロールしてしまいます。

呪縛観念の性質としては、一番、やっかいなのは、自覚があまりないという点にあるかと思います。

私達は無自覚に様々な判断をして行動に移しています。

何をしようか、どれを選択しようか。

一つひとつを吟味して、あらゆる角度から検証して選択したり、行動したりすることは、実は日常の中においても、人生の途上においても、とても僅かなことではないかと思います。

大抵の場合は、無自覚、あるいは無意識に行動しているので、その行動を縛る呪縛観念に気づきません。

【呪縛観念シリーズ】はこの呪縛観念の存在に意識を当てることで、無意識レベルで私達の行動に影響を与えている存在に気づき、呪縛から逃れていくことが目的です。

さて、今回のテーマは、「もう一度起こるかも?という呪縛」です。

私達は、人生を歩む上で様々なことに遭遇します。

人生には素敵な出来事も嫌な出来事も含めて様々なことが起こります。

ただ、その出来事というものは得てして、いつどこで起こるのかというのはわかりません。

もちろん、ある程度、予測することや、法則性があるものもありますが、それでも、完全に何が起こるのかというのは、予測することは難しいでしょう。

未来の枠組みを決めている霊界の存在も常にそのあり方は変化していますので、絶対に変わらない未来像というものが存在しないことも、予測が難しいことを物語っています。

さて、しかしながら、この未来の予測は難しいという大前提を知りながら、人は時として、遭遇する出来事が「もう一度起こるのではないか?」という強い信念を抱いてしまうことがあります。

これだけだと少しわかりづらいと思うので、例をあげて見たいと思います。

今では、かなり落ち着きを取り戻した感がありますが、忘れもしない2011年3月11日、東日本大震災が発生しましたよね。

空前絶後の巨大地震を前に私達は恐怖し、不安におののく日々を当時、送っていました。

その結果、何が起こったのかといえば、様々なことが起こったわけなのですが、とりわけ、そこで注目してほしいのは、旅行を取りやめる人が続出したといことです。
(避難という意味で、別の国や地域に移動したことについては、旅行には含みません。)

特に東北地方への旅行が激減しました。

これは、原発事故などの影響もあったとは思いますが、その中でも、「東北地方にいったら、また地震に会うのではないか?」という認識が生まれてしまったことも大きな要因ではなかったかと思います。

あるいは東北に限らずとも、「いつ地震が起こってもおかしくない。だから、旅行先で地震にあったら大変だ」という意識も生まれたのではないかと推測します。

実際、テレビ、新聞などでも一斉に「地震が活動期に入った」とか、「5年以内に大地震が発生する確立は99%」とかいろんな情報が錯綜しました。

このような情報を受けて、益々、「地震怖い!(><)」となってしまった方も多かったかと思います。

しかし、これこそ、ある意味、呪縛観念の典型でもあります。

「いやいや、だってあれだけの地震が起こったのだから、警戒するのは当たり前でしょ?」

とおっしゃられる方もいると思います。

もちろん、衝撃的な出来事であることは認めますし、警戒すること自体が問題だと主張したいわけではありません。

問題なのは、大きな凶事を前に、正常な判断が下せない状態になることなのです。

例えば、東南海沖地震は近い将来99%いや100%の確率で起こると言われています。

これは、最近の話ではなく、もう大分、昔から言われていることであり、地質学や地震学的な検証としては間違いないようです。

しかしながら、相変わらずいつ起こるのか、どのタイミングで起こるのか、諸説は紛紛としながらも、はっきりしたことはわからないままです。

昔から言われていることなのだから、昔から私達はある意味でパニックになっていても不思議ではないわけですが、東日本大震災が起こる前までは、それほど気にしていませんでした。

というか忘れていたという言い方の方が正しいのかも知れません。

どんなに必ず巨大地震が起こると言われていても、私たちは普通に旅行していましたし、生業を営み、将来に希望を抱いて生きていました。

でも、一度、悲劇が襲うと、またその悲劇が起こるのではないかと思い込んでしまいます。

もちろん、未来のことは不確定であり、可能性自体は否定も肯定もできません。

私達は何が起こるかはわからない、誤解を恐れずに言えば、ある意味、不安定で恐ろしい世界に生きています。

しかし、そんな不確定で不安定な世界でも希望や良かれという想いを掲げて、生きていくのが人生です。

希望の灯火がある限りは例え不確定で不安定な世界であっても、必ず、明るい未来は開けてきます。

ところが悲劇や嫌なことが起こるとこれができなくなってしまうことが多々あります。

「また悲劇が襲うのではないか?」という不確定で不安定な気持ちが心を縛りつけてしまいます。

何が起ころうと私達の人生への向き合い方の原則は変わりません。

どんなに悲劇があっても嫌なことがあっても、それに引きずられる必要はありません。

引きずられているとすれば、それは呪縛観念なのです。

少し、大げさな例をあげての説明となってしまいましたが、個人の人生においても失敗して大変な目にあったり、嫌な出来事に遭遇したり、誰かに罵倒されたり、痛い目にあったりしたときに「また、こんなことが起こるかも?」と思ってしまったら呪縛観念になるということは覚えておいてほしいと思います。(私自身もよくよく自戒しています)


何が起こるか起こらないかではなく、ブレない主体的意志で希望を灯し続けて、歩き続けることが大事なことかと思います。

とりわけ、同じことがまた起こるかも?という意識が生まれたときには、これを注意して観察してみてほしいと思います。

本当にそんなことが言えるのか?

自問自答してみると、この呪縛観念は少しずつ消えてゆきます。

呪縛観念によって、魂を縛り付けてあらぬ方向に脱線しないでいられる自分になれるように精進していきたいものですね。


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心に残った守護霊からのメッセージ15

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


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壊さぬように

慎重に

事を進めて

腐らせてしまうことのなきよう

その石頭を砕け!

馬鹿者

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何事も慎重に大切にしすぎると、却って機を失って、全てを台無しにしてしまうことがあります。

バニラアイスを食べようか、チョコレートアイスを食べようか迷っているウチに溶けてしまって両方失ってしまうようなことなのでしょうか。

じっくりゆっくりやったら、全て上手くいくかのような幻想に取りつかれると、いつの間にか美味しい果実を腐らせてしまう結果になります。

私は、石頭なところがあったらしく、そのガチガチの頭を砕け!と言われているわけです。
(しかも、馬鹿者と怒られてますね~(汗))

何事も思い切りよく、万事、横着なところが多少なりともあったほうが良いのかも知れません。

どうしても良いものを作り上げよう、成し遂げようと思うと慎重になってしまうキライがあります。

そんな傾向がある方にも、もしかしたら当てはまる内容なのかも知れません。


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本当の敵は見えない

私達は人間である以前に動物としての性癖、傾向というものを持ち合わせています。

その性癖、傾向の中で、自らを害するであろう「敵」の存在は察知するというものがあります。

害する「敵」をすぐに察知できないと動物の世界では命の危険があるので、この能力を人間も授かっているわけです。

しかし、この動物が保有する敵を察知する能力というものは、得てして表面的であり、直接的なものであります。

例えば、猿の群れに薪に火をつけて投げ込めば、猿はすっ飛んで逃げてゆきます。

火は危険であり、それを投げつけられるという行為は、敵からの攻撃を受けたに等しいからです。

でも、猿に微量の毒素のあるものを混入させたバナナを与えても、気づかず食べてしまうそうです。

そして、食べ続けると猿は段々と体調がおかしくなり、最後は死んでしまうことになります。

わかりやすい直接的な危険、すなわち火のついた薪を投げ込まれるということは、察知できても、バナナに盛られた微量な毒素に猿は気づけないのです。

私達、人間にもこういった猿のような動物の持つ性癖、傾向があります。

わかりやすい危険は察知できても、目に見えない危険は察知できないことが多いのです。

特に動物レベルの意識レベル(すなわち低次元層の自我意識)になっているときには、目に見えない敵は察知できない傾向が強くでてきます。

本当の敵は目に見えない。

このことを理解しておかないと、深刻な危険を回避していくことはできません。

では、目に見えない敵を察知するためには何が必要なのでしょうか。

それは、常に目前のものばかりを追わずに、高所から俯瞰して物事をみていく癖をつけていくことではないかと思います。

意識レベルの次元(抽象性)を上げていくことを次元上昇と私は定義しています。

この次元上昇をしていくことで、目に見えなかった敵も見えてくるようになってきます。

さて、霊障というものも、ある意味、目に見えない敵の一つなのかも知れません。

霊的障害というものは、なかなか最初は察知できず、具体的な表面上の障害となって認識できるようになるまで、わかりません。

しかし、実際に障害が表面的になり、危険が目前に迫れば、それを覆していくのは、難しくなります。

なぜならば、表面化するということは、すでに顕現化して結論が出てしまっている状態にあるからです。

それは、猿が微量の毒素を取り続けた結果、ようやく体調に不具合が出始めたときのような状態に近いと思います。

微量の毒素が混入している段階でそれを取り除けなければ、将来の災厄を除くことは難しいといえます。

災厄の根源たる見えない敵を見破ぶり、転ばぬ先の杖となる対応ができるかどうか。

この点にも注意して生きていく必要があるのかも知れません。



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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-陽天宮8】

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<前回までのおさらい>


天乃鳥神龍(あめのとりしんりゅう)からのグランドデザインの説明は続きます。

グランドデザインには様々な層があり、個々の層、地域の層、霊界の層、神界の層・・・表現できうる以上に無数の層があるといことでした。

まずは、個々の層を次元上昇を果たした後に変えてゆくことができるとのことでしたが、でも上には上の層があります。

人間、個人が上位の層を変えてゆくことなどが果たしてできるのか。。

疑問を残しながらも、まだまだ、天乃鳥神龍とのお話は続きます。


<続き>


天乃鳥神龍:「グランドデザインは地表に生きるもの、一つひとつの波動によって成り立っているというお話はしましたね」

天心:「はい。確か神界の意志やあらゆる地表の存在の持つ波動で形作られているというようなお話だったような気がします」

天乃鳥神龍:「固有の(存在)と全体としての(存在)について、あなたはどのくらい理解されていますか?」

天心:「え~と、そうですね、私が理解しているのは、私達の魂は神界から派生していて、分化の働きによって、個々人の魂に分けられていて、霊界を通して個人的な存在として自我が作られているといった感じですかね。最終的には私達は一つのものから発生しているけれど、元は一つなのかなとも思います。」

天乃鳥神龍:「ある程度は正しい見識ですね。でも、まだ、全体と個の間にある法則は理解していないようですね。」

天心:「法則ですか?それはどんなものなのでしょうか?」

天乃鳥神龍:「全体としての(存在)は、個と個の(存在)つながりあいによって成り立っています。個と個の(存在)のつながりがあるからこそ、全体としての(存在)が決まるのです」

天心:「そうですね。たしかに言われてみればその通りですね。私達、個としての(存在)が組み合わさって全体を構成しているのは、道理ですね。」

天乃鳥神龍:「個と個が繋がっている以上、全ての個と個の間に起こりうることは、全ての個において無関係ということはありえません。わかりますか?」

天心:「はい。全体が個の集合で成り立っている以上は、全ての個の関係性は何らかの形で繋がっているということですよね。」

天乃鳥神龍:「その通りです。そして、個は常に他の個という(存在)に影響を与えています。そして、影響を与えられた個は、また、その影響を他の個に与えてゆきます。一度、放たれたエネルギーはずっと個と個のつながりを通して、全体への影響を及ぼし続けます」

天心:「私達が個人的に何か影響を与えるようなことをするとそのエネルギーは個と個の関係性を巡って、全体に影響を与えているということですね。」

天乃鳥神龍:「個のエネルギーは常に全体に影響を与えていくという法則を理解すればグランドデザインの変動のプロセスを理解できるはずです」

天心:「・・・あっ!つまりこういうことでしょうか。私達の個別のエネルギーのバランスによってグランドデザインが作られているならば、逆に個別のエネルギーをうまく伝えてゆくことができれば、全体のエネルギーバランスも変わるということですか?」

天乃鳥神龍:「ある程度正しいといえます。グランドデザインが変わる時には、ほぼ、個と個の間のエネルギー連動によって変わることが多いのです。」

天心:「ということは、やり方次第によっては、私達、個人のあり方次第で、上位のグランドデザインすらも変えることが可能になるかもしれないということですね!」


ちょっと興奮気味になり、まくし立てるように私が言うと、天乃鳥神龍は、にっこりと笑って、ようやく分かり始めたようですね!というような感じで、ぐるりと建物の天井知らずの上空へと楽しげに舞い上がっていきます。

私も、それについてゆくようにふわふわと霊体を浮かべて、建物内の上の方へ向かってゆきました。

(・・・飛んで行けば良いのなら、あの壁際に配置された階段は何の意味があったのだろうか)

とくだらいない疑問をちらっと脳裏に浮かべつつ、私と天乃鳥神龍はある本棚のようなものが目の前に見えるところまで移動してきました。

いよいよ、この本棚の謎に迫ることができるのでしょうか。


次回に続きます。


☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-陽天宮9】へ続く

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これをやらなきゃ後悔するかも

やったことよりも


やらなかったことを


後悔する


人はそんなふうにできている


全てのことが終わったあとに


自分の中の


日和見主義と


事なかれ主義と


絶対、損をしたくないという想いと


なるべく傷つきたくないという弱さと


ぶら下げられた


わかりやすい人参に目がくらみ


不安という名の


ぼんやりとした無知に恐怖して


何もしてこなかったことを


後悔する


常識という枠組みも


まことしやかな正義も


薄っぺらで


腰の入っていない愛や真心すらも


自分を縛っているありもしない幻想だと


気づいたときから


本当の意味で人生が始まる


後悔のない人生とは


これをやらなきゃ後悔するかも


そんな心の底から湧いてくる


感情に正直になることだ


押し着せられた殻を


今破るときがきた


さあ!


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不思議な共時性

こんにちは。

天心です。

最近、よく感じることに「共時性」ということがあります。

共時性原理、シンクロニシティなどと呼ばれる、特段、新しい原理原則というわけではありませんが、この共時性という原理が示唆しているものは、不思議で興味深いと思いますので、少しテーマとして取り上げさせていただきたいと思います。

さて、私はFGSの会の活動の一貫として、毎月、FGSの会の指導霊からのマンスリーメッセージなどをメンバーに向けて毎月朔日の日(時々、遅れることもあるのですが(汗))にお届けさせて頂いております。

全メンバーに対して、その月やあるいは月間という単位を超えて、心すべき内容がメッセージとして込められています。

全メンバーに向けてのことなので、当然、一人ひとりに対しての身辺の事情をお聞きした上での回答としてのメッセージとは違います。

しかし、受け止められたメンバーの中の数人から「今求めている内容のものでした」「とてもタイムリーなメッセージです」「自分の心を見透かされているようです」などと、それぞれの方の状況や心境にマッチした内容になっていたりする場合があることが、いただく、ご感想、フィードバックから明らかになっています。

守護霊や指導霊と呼ばれる神霊は、とても高い視点からものを見ている方であり、その働きも次元の高い、いろんなものを包括した角度からうごかれることが多いものです。

だから、メッセージなども多くの人が様々な角度で応用したり、受け止めたりできるような内容になることが多いといえます。

単純に次元の低いところで受け止めても一つの意義がある場合も多いのですが、より高度な受け止め方、咀嚼の仕方をするとより大いなる意志を理解する手助けになる。

そのような構造にメッセージはなっている場合が多いのです。

だから、何人が見ても、それぞれに受け止めらるメッセージになっているのですね。

守護霊アドバイスなどの取次においても「丁度、最近、同じようなことを何度も友人から言われていました」とか「自分自身、考えていたことと符号することが多い」などのご感想をいただくことがあります。

これは、友人を通して、あらかじめ守護霊がサインを示してくれていたり、知らぬうちに守護霊交流をしていて、自分自身の中で答えを見つけている場合などもあるということです。

こういった共時性は、度々、発生しています。

共時性とは偶然の一致と片付けてしまえば、それまでのことではありますが、沢山の事例が集まってくると、単なる偶発性と解釈するには、無理があることがわかります。

最初は不思議に感じていた共時性も最近では、当たり前のことに感じ始めています。

全てのことは、どこかで霊線が繋がっていて連動している。

このことを実感させられることが多くなってきました。

皆様の周りにおいても、様々な共時性が見出されることもあるかと思います。

もちろん、あまりにもこだわりすぎてしまうと、逆に共時性が観念になって、幅広い咀嚼の邪魔をしてしまう可能性もあるので、気をつける必要はあります。

しかし、これらの共時性をたどっていくと様々な原理原則や法則が見えてくることもあるのではないでしょうか。



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心に残った守護霊からのメッセージ14

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


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一念に全ては映る

想いを節制できぬもの

何一つ思うようにはゆかぬであろう

己を律するには

己の念を律するべし

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ああじゃこうじゃと頭の中と心を濫りに想いを巡らしていたときにお叱りを受けたものです。

結局のところ、悩みや葛藤を究極的にまで小さくしてみるとそれは「念」という単位になるそうです。

ちらっと思ったり、考えたりするその念が全ての想いの元であり、心の状態を作るきっかけであり、霊界を形作る要素の一つであり、その全てであるということです。

ちらっと「嫌だな」と思っただけでも、そこからアレコレと妄想は始まり、いつの間にか気持ちもすっかり落ち込んだり、顔色まで悪く、実際の状況までも最悪になってしまうきっかけを作ってしまうということです。

そう考えると、ちょっとした「念」も、しっかりと自分でコントロールしていかないと、いつの間にか良からぬ方向に向かってしまうこともあるのかと思います。



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【2013年6月度】神田明神への参拝

こんにちは!

天心です。

2013年6月度神田明神月参りご奉仕させていただきました。

今年も上半期、最後の月になりましたね。

今月末は夏越しの大祓もあります。

上半期の穢れも下半期に持ち越さずにしっかりと洗い流す月になれば良いと思います。

今年は梅雨に入るのも先年よりも早く、この分だと梅雨明けして本格的な夏がやってくるのも間近に感じます。

体調不良なども置きやすいので皆さんのご壮健もご祈願してきました。

いつものようにご寄付の一部をお賽銭として奉納し、献灯の継続、祈願串の奉納も行わせていただきました。

あいも変わらず神田明神の神域は清々しく、都内でもここまでしっかりとした神域は少なくなってきていますので、とてもありがたく、また稀少な斎庭でもあります。

どこまでも長きに渡り、神域が維持されていくことを願ってやみません。

それでは、皆様に置かれましても上半期の最後の締めくくりとして良い月になりますことをお祈り申し上げます。



天心 拝


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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-陽天宮7】

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<前回までのおさらい>


天乃鳥神龍(あめのとりしんりゅう)よりグランドデザインの基本的なお話を聞きましたが、それでも、まだイマイチ消化しきれていません。

私達人間の意志、魂の意志はどこまでも向上していくことを目指していますが、グランドデザインという枠組みはなぜ、私達の魂の表現を掣肘するような働きをするのでしょうか。

また、グランドデザインを変えることは可能なことなのか。

謎は深まるばかりです。


<続き>

天乃鳥神龍:「グランドデザインは幾層にも分かれています。個々の層、地域の層、霊界の層、神界の層・・・表現できうる以上に無数の層に分かれています。」

天心:「そんなに沢山種類があるのですか。そんなに沢山のグランドデザインとして枠組みが決まっていたら、私達の選択や行動などどれほどの影響があるというのでしょうか?」

天乃鳥神龍:「次元層が高いグランドデザインは確かに一人の力では代え難いといえるでしょう。しかし、初めから考え込む必要はありません」

天心:「とおっしゃいますと?」

天乃鳥神龍:「手に触れ、目に見えて、感じられるところからグランドデザインを変えてゆくのです」

天心:「つまり、それは、お話からすると個々の層から変えてゆけということですか?」

天乃鳥神龍:「その通りです。個々の層とは、地表の個体がそれぞれに持つグランドデザインです。この枠組みは超えてゆくことは一番容易なものだといえるでしょう」

天心:「個々の層というのは、例えば人間でいえば人生のアウトラインのようなもの。一人ひとりに定まっているグランドデザインということでよろしいでしょうか?」

天乃鳥神龍:「問題ありません。個々の層はもっとも変動しやすいグランドデザインであるといえるでしょう」

天心:「なるほど。では、具体的にどのようにグランドデザインを変えてゆけば良いのでしょうか」

天乃鳥神龍:「グランドデザインを変えるためには、次元上昇を果たすしかありません」

天心:「次元上昇?ということは、今の自分の次元をあげないといけませんね」

天乃鳥神龍:「上位層の次元においてしかグランドデザインを変えることはできません。次元上昇がなければグランドデザインの枠組みを変えることはできません」

天心:「わかりました。では、次元上昇を果たしたとして、自分の人生におけるグランドデザインを変えることができたとしましょう。でも、やはりその上には次元の違うグランドデザインがあるわけですよね?そうなるとやはり、大きな意味ではグランドデザインは変えてゆくことは難しいのではないでしょうか」

天乃鳥神龍:「確かに単純には上位層のグランドデザインを変えてゆくことはできません。もう少し説明が必要みたいですね。」

天乃鳥神龍が、ちょっと飲み込みの悪い私に辟易したりしているのではないかと心配しながら、私は、段々とグランドデザインの謎が明らかになるように話を進めていきます。

次回に続きます。


☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-陽天宮8】へ続く


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プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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