【公開質疑応答】神霊降臨の原理について

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、顕陽様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


天心様


こんばんは。いつもご指導いただきまして真にありがとうございます。

公開質問の応募をさせていただきます。

神霊がこの世に降りてこられるその目的およびその場所についての質問です。

天心様のブログより、多くの神社等の聖域の起源は元々、シャーマン達が神霊が降臨されている所を見つけてこれを神聖な場所として祭ったことに由来していると理解しております。

そこで質問ですが神霊は降臨される所をどのような基準で選ばれているのでしょうか?

「現世人とコンタクトがある場所」などのような原則があるのでしょうか。

例えば人が決して立ち入らない深山とか大海の真ん中とかでもご自身が気に入った場所に降りられるのでしょうか。

明治神宮は神霊が降臨していなかったところに社を建てて神霊を御呼びしてこれを鎮めたとのことですが、ご自身で自主的に降りられるのと異なる理由でおこしになったのでしょうか。

明治の神社合祀で廃止された神社では、そこに居られた神霊はどうされたのでしょうか。

元々神社がないところに降りられていたので、何もなくなっても平気でそのまま降りられたままなのでしょうか。

今、現在も人知れず神霊が降臨されている場所があり、将来これが見つかる可能性はあるでしょうか。

質問内容が不明瞭な点もあるかと思いますがご教示宜しくお願い申し上げます。


顕陽


【回答】


顕陽様

ご質問ありがとうございます。

ご質問の趣旨をまとめますと神霊の降り来たる原理についてということになるかと思います。

一つずつ回答していけたらと思います。


>そこで質問ですが神霊は降臨される所をどのような基準で選ばれているのでしょうか?

とのことで、神霊が降りるのに選ばれる場所は、基本的に「気」が整っている場所、あるいは霊波動が整備されている場所であるといえます。

これをある程度、現実面で当てはめますと、草木や川、山、などの自然の気が満ちているところは、理想といえます。

もう少し別の言い方をすれば、森羅万象を表す五行の気がバランスよく整っている場所であるといえます。

自然の気が満ちている場所、森林や山谷、川海などは、その条件が揃っていることが多いといえます。

もちろん、人が住めばある程度、人工物が増えて、気が乱れることもありますが、その場合は、神聖なる領域と俗を分けることで降臨されている場所に作られている霊空間を維持しています。

つまり、根本的には、場所の条件としては、気が良いところ、あまり穢や邪気がたまらないところといえます。

逆に言えば、最初は神霊域であった場所も穢や邪気が増えれば、霊空間が壊れて、単なる場所になってしまうことになります。

神霊が降り来たる原理としては、ともかく、気や霊波動が良いことが大前提になるかと思います。

>明治神宮は神霊が降臨していなかったところに社を建てて神霊を御呼びしてこれを鎮めたとのことですが、ご自身で自主的に降りられるのと異なる理由でおこしになったのでしょうか。

この違いとしては、使命を持って神霊の意志で降りてこられている場合と、人間側がお願いして鎮まってもらっているという違いがあります。

もちろん、鎮まってもらうためには、ある程度、霊空間が清められた場所でなければならないのは最初にお話したとおりです。

明治神宮の場合は、元々、神域として存在していたわけではなく、明治天皇が崩御された後に作られた神域だということです。

>明治の神社合祀で廃止された神社では、そこに居られた神霊はどうされたのでしょうか。

お社が廃止されてしまった時点で、神霊は元津御倉(もとつみくら ※元々、神霊がいらっしゃる霊界、神界)にお帰りになられます。

ちなみに工事などで立替を行う時、引越しをされる時は、神主さんが昇神の儀を執り行い、一度、元津御倉におかえり頂き、その後、新しいお社に再度、勧請を行うということをなされているはずです。

>今、現在も人知れず神霊が降臨されている場所があり、将来これが見つかる可能性はあるでしょうか。

これは、何とも言えませんが、可能性は多いにあるでしょう。

ただ、それを見いだせるシャーマンや霊的感性のある方がいればということになります。

必ずしもお社があったり、分かりやすい場所とは限らないので、一般的には見分けるのは難しいでしょう。


以上、回答になります。

参考になれば幸いです。



天心 拝


◎クリックご協力ください!

スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

積めば重く捨てれば軽い

まるで賽の河原(さいのかわら)みたいに


財産や


名誉や


権力や


ステータスや


情報や知識


思い込んだ幸せの形という幻想


いろいろ積み上げて生きている


その様々な思いを積み上げられて


作られた石の塔は


とても、あやうくふらふらと


倒れそうで


いつも私達を不安にさせる


いつか崩れてしまうのではないか?


これ以上は積めないくらいの高さになっても


まだまだ、上へと積み上げていこうとする


いっそ積むのをやめてしまおう


そしたら気楽になれるのだろうか?


積まない生き方は


軽く


積み上げる生き方は重い


◎クリックご協力ください!


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】亡くなったペットについて

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、タンク様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


初めまして、タンクと申します。

今年5月に愛犬(♀)を亡くし、ペット霊園で火葬してもらった後、骨を自宅の庭に埋めてお墓を作りました。ある程度の時間を経て悲しみは乗り越えましたが、「彼女は無事に成仏できただろうか」ということだけが気がかりでした。

先日、面識の無い知り合いの知り合いというような方に愛犬の写真を霊視してもらい、「すごくいい所(霊界のこと?)でのんびり過ごしているように見える」と言っていただき、私はその言葉を無条件に信じてとても喜んだのですが、同時に、自分の間違った行いのせいで愛犬が霊界に居られなくなったらどうしよう・・・などと恐れるようにもなってしまいました。

今は、日差しのきつい日などにお墓に水を かけたり、お墓や写真の前でペット用のお鈴を鳴らしたりなどしていますが、愛犬がずっと霊界でのんびり過ごせるように、飼い主がやるべき事、あるいは、やってはいけない事などはありますか?


【回答】


タンク様

ご質問ありがとうございます。

ペットは想いが深ければ深いほど、家族同然であり、亡くなった時のショックは大きいことはお察しいたします。

なればこそ、本来の自然に生きる動物なれば、野垂れ死にが基本であり、そこから自然に帰ってゆくというプロセスが通常であるわけですが、人情がそこに入るため、人間と同じようにお墓を作ったり、弔いをしたりするわけですね。

そのこと自体はそれほど、問題ではないかと思います。

気持ちの整理をつけるために、ある程度、できることをしてあげたいと思うのは無理もないことです。

しかし、霊視された方もおっしゃられていたようにペットの霊は大抵はペット用ともいうべき良い霊界に旅立っていくことが通例です。

なので、人間の時と同じようにあまり、悲しみをずっと引きずり過ぎるのはよくありませんし、念を送りすぎるのもよくはないでしょう。

もちろん、先程も言いましたように多少の気持ちの整理のために何かをしてあげるのは問題はありません。

ですから、程度の問題と心得ていただければ大丈夫かと思います。

ちょっと余談にはなりますが、ペットは人間と違い、なぜ、良い霊界にいくのかというと、基本的に邪念がないからです。

動物は必要以上には、欲望をみなぎらせたり、歪んだ思考を凝らしたりしないからです。

これは裏返せば、人間のように高度な思考、次元の高い思考ができる奇魂(くしみたま)を持っていないからだといえます。

悪く言えば、人間のような次元の高い霊性は持っていないわけですが、よく捉えれば、その分、余計な邪念を抱くこともないということです。

人間のように最上位の霊界にいくことはありませんが、動物として幸せなレベルの霊界には旅立つことができるわけなので、あまりご心配することはないのかと思います。

また、ご質問の趣旨として、何をしていいか悪いかということについて述べれば、一般で行われている通常のご供養や自分なりにお墓を立てて偲ぶといった程度のことであれば、特に問題はないと思います。

絶対にやらなければならないと言えることはスピリチュアル的には特にないと思います。

もともと、動物は本来は野垂れ死にが当たり前の生き物ですから、人間のように複雑ではない分、そのあたりのことはあまり深く考えすぎなくても大丈夫だといえるでしょう。

以上、回答となります。



天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

心に残った守護霊からのメッセージ17

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


---------------------------------

嫌になってからが勝負

楽々ゆく道に

御魂は輝くことなし

嫌になって悶絶しながらの葛藤

その先に魂の成長はある

手ぬるいやり方ではらちはあかぬぞ

---------------------------------


楽しんでやれているうちは頑張るけれど、嫌になったらどうでもよくなる。

こういった考え方では、自分の魂の意志を貫くことはできないという守護霊様からのお諭をいただいたことがあります。

何事も嫌気がさした頃くらいからが本当の意味での始まりだということでした。

その葛藤をどうやってこえてゆくのか。

それは、とことんまでやってみること。

勇気をもって、どんどん推し進めてゆくこと。

おっかなびっくり、嫌なことや辛いことを避けてばかりではダメだということを守護霊様はおっしゃられていました。

嫌になるほど、うんざりするほど物事をやり尽くしてみることも大事なことなのかも知れません。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】天職を全うするための考え方

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、sweet様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


天心さん、いつも楽しくブログ拝見させていただいてます。
また質問させていただきたい事があってメールさせていただきました。

内容は、「天職で人生を全うする」と決意した時の、生きていく事とのバランスと心構えについてです。

私は音楽が本業なのですが、実際なかなか食べていけないのでアルバイトで生活費を稼ぎながら活動を続けています。

最近、一念発起して「よし、もう本業一本にするぞ」と決意したところなのですが、「自分の得意な事で世の中に貢献したい」という願望と、「日々生活していかなければいけない」という現実との狭間で、よく心が揺らぎます。

世の中の人に自分が作る音楽で幸せになってもらったり、悲しみや寂しさにそっと寄り添いたいと思っているのですが、反面実際に生活したり活動を広げていくための収入は得なければいけません。

収入の事を考えると純粋な貢献への気持ちが鈍るし、貢献していく事にフォーカスしていくとだんだんと日常生活への不安が大きくなって仕事が手につかなくなります。

「自分の気持ちが足りないのか・・」
「無心で信じて没頭していればサポートされるのか・・」
「取り返しがつかなくなってから自分が間違ってたと気付いたらその後はどうなってしまうのか・・」

情けないですが頭の中がグルグルしています。

天職を見つけた人間が、どういう心構えを基本にそれと取り組んでいけば生活と両立していけるようになるのか、ヒントがあれば是非ご教授いただきたいと思います。


【回答】


sweet様

ご質問ありがとうございます。

自分の中で「これが天職」と思えるものがあることは、とても素晴らしいことだと思います。

本来、天職とは、自分の魂の中から湧き出る想い、すなわち天命を全うしていくための触媒となるものの一つであり、天命を職業で表現するときにそれは、天職であるということができるわけです。

天職で生きると意を決するということは、天命に気づきそれにそって生きようと決断したということになるのかと思います。

では、そう決断した次に問題となってくるのは、現実的な様々な諸問題と遭遇したときに自分の心が揺れてしまうということですよね。

>最近、一念発起して「よし、もう本業一本にするぞ」と決意したところなのですが、「自分の得意な事で世の中に貢献したい」という願望と、「日々生活していかなければいけない」という現実との狭間で、よく心が揺らぎます。

とご質問にもあるとおり、天職を全うしても、日々生活していくためにそれとは関係ないこと仕事もしなければならない時もあることでしょう。

これは、天職の道が細き狭き難儀な道であればあるほど、日々の生活をどうするのか?という課題は生まれてくることでしょう。

では、この二つの相反する思いとどのように向き合ってゆくべきなのか考えてみましょう。

先程も言いましたように天職とは、天命が先にあり、その天命を表す職業的なフィールドを指している言葉であります。

天命と天職を並べて考えたときに次元としては、天命の方が上の概念になります。

このことを考えると、天職という名の事柄にこだわると天命という大切なテーマからぶれてくることになります。

もちろん、天職を全うすることは天命を全うすることにおいて重要なことではあるでしょう。

その道を覚悟をもって進むことも大事なことではあります。

しかしながら、天命という視点で考えてみれば、必ずしも自分が天職と信じる職業と生活のための職業は分けられるものではありません。

天職と信じる道を進む時にも、生活のためにしている職業をこなしている時でも、そこには天命を表現する場という役割が課されるわけです。

>収入の事を考えると純粋な貢献への気持ちが鈍るし、貢献していく事にフォーカスしていくとだんだんと日常生>活への不安が大きくなって仕事が手につかなくなります。

というように純粋な貢献への気持ちが鈍ったり、日常不安が大きくなってしまうのは、どこかで、事柄で気持ちを分別してしまっているところがあるからだと思われます。

例えば、日常生活をしっかりと磐石にしていくためには、それなりの収入源となる仕事をする必要が出てくると思います。

でも、これは自分がやりたい仕事ではないかも知れません。

しかし、生活上必要ならばしなければならないこともあるかも知れません。

この時に「天職とは違うから天命を果たせない」と考えてしまえば、どうしても気持ちが単なるお金稼ぎの仕事をするといったような日常的な生活を維持するだけの境地になってしまうことでしょう。

例え、天職とは思えないような職業であったとしても、そこの天命の表現をする余地を見出すことができるならば、その職場は天職となるわけです。

もちろん、自分自身が本気で天職だと決めている仕事であれば、なおさら、しっかりと天命を意識して働くことができることでしょう。

でも、その時に日常生活を維持していくための仕事を無視して考えてしまえば、やっぱり不安な気持ちがよぎるのも無理はありません。

どうしたって、収入が見込めないことだけをやっていたら不安になるのは当たり前だからです。

なので、自分のやりたい仕事と日常生活の維持のための仕事は、両立するほかはないでしょう。

そして、両立しても気持ちを揺らがせないためには、自分の中の天命をしっかりと把握しておく必要があるということです。

>世の中の人に自分が作る音楽で幸せになってもらったり、悲しみや寂しさにそっと寄り添いたいと思っているの>ですが、反面実際に生活したり活動を広げていくための収入は得なければいけません。

このことからわかるのは、sweet様は、人を幸せにしたい、人の寂しさや悲しみを癒したいという想いがあるということがわかります。

できれば音楽でという部分はあるにせよ、本質は人の幸せにつながることをしたいという天命があるわけです。

であるならば、アルバイトであろうと、他の職種であろうとこのテーマを心にもって表現していけば問題ないはずです。

アルバイトはお金のためで、音楽活動は人のためと分けて考えてしまうから職場が変わったり、やる内容が異なるごとに気持ちが揺れ動くことになるわけです。

初めから何をやるにせよ、絶対に人の幸せになることをテーマとしてやっていくぞ!と腹をくくれば、いかなる職業をこなしている時にでも考えがぶれることはなくなるはずです。

まとめますと

・日常生活のためにする仕事は、自分のやりたい仕事(天職)を全うするためには必要。
・自分のやりたい仕事と日常生活のためにする仕事は、天命全うのための場として差別しないこと。
・天職よりも天命に重点をおいた考え方をすることで、何をやっても心はぶれなくなる。


以上のようなことが言えるのではないかと思います。

私達が天命を全うするためには、やりたい仕事を見つけて突き進むことも大事ですし、そのベースとなる収入源や豊かさも必要です。

そのバランスを取りながら心は常に天命を意識して生きていく。

ここにヒントがあるのではないでしょうか。

以上、回答とさせていただきます。



天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】スピリチュアル的に見る国家の盛衰

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、カピ様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


国家の盛衰は、スピリチュアル的に、どういう意味があるのか疑問です。

我が国を見ても、過去も現在も、侵略される危機を抱えています。

そして、国を守るために、国防を強化し、外交をし、経済発展を行っています。

そこには、国民の生活や幸せを守る、という目的がありますが、

それでも、世界や歴史には、侵略され、文化が滅びた国があります。

侵略される、という民族的な苦難は、霊的な冷静な視点から言って、何を意味しているのでしょう?


【回答】


カピ様

ご質問ありがとうございます。

国家の盛衰は、スピリチュアル的にどういった意味があるのか、何故、そのようなことが起こるのかについてお話してみたいと思います。

まず、国家というものをスピリチュアル的に見た場合、これは国家という単位の霊的枠組みとなり、一つの霊界となって形作られているということです。

日本、アメリカ、中国、インド、アフリカ、色々な国柄や文化を持つ地域がありますが、それらはそれぞれに国家的枠組みにおける霊界が作られています。

もちろん、そこに住むまた、連綿と伝統をもって続いてきた国家であるならば、霊界も大きく濃い存在となっているため、影響力も強いといえます。

日本に生まれて育てば、日本人的な性質や文化を受け継ぎますし、他の国においても同様になります。

国家はスピリチュアル的には大きな文化や習俗など様々な要素が組み合わさって作り上げられた大きな霊界が顕現化したものという見方ができるかと思います。

さて、では、これら国家が隆盛したり、衰退したりするのは、どういった意味があるのでしょうか。

一つには、国家が霊界である以上、その霊界には必ず正のエネルギー負のエネルギーバランスによって成り立っています。

正のエネルギーは物事を発展隆昌させる働きとなり、負のエネルギーは衰退、消除の方向へと向かわせます。

発展隆昌する国家は正のエネルギーの盛り上がっている国家であるといえ、衰退気味になっている場合には、負のエネルギーが活性化している状態にあるといえます。

単純に正か負かで、二極化できるわけではありませんが、大きな正と負の循環の中で国家の盛衰も決まってくるといえるでしょう。

過去の歴史の中で完全に没落してしまった国家というものは、おそらく負のエネルギーが大きくなりすぎて、一度、国家が没落するくらいの負の顕現化が起こり、負のエネルギーの抹消をしなければならなかったということが考えられます。

形的には霊界の枠組みは残っているので、また復興する場合もありますが、その場合は、正のエネルギーの盛り上がりを待つ必要があるとえいるでしょう。

日本の場合は、戦争に負けて負のエネルギーを解消し、その後、高度経済成長などを経て正のエネルギーが活況になってきましたが、そこで正のエネルギーがまた枯渇して、あるいは、そのプロセスの中でまた負のエネルギーを蓄えてしまったために、侵略の危機や経済不況などの苦しみを負っているという見方もスピリチュアル的にはできると思います。

いずれにせよ、国家という単位は歴史もあり、多くの人間が関わりあい、その中では良いことも悪いことも沢山起こしてきたはずです。

戦争や戦で国家的にも多くの命を奪ったりしたこともあります。

もちろん、経済支援などで救ったこともあるでしょう。

そういったことのバランスなどでも正と負のエネルギーバランスは決まってきます。

また、その国家に属する国民の心根もどういった状態にあるのかも重要です。

自分のことばかり考えて、エゴを募らせるばかりの人が増えれば国家のスピリチュアル的な衰退を早める結果になるかも知れません。

不安と暗い考えで過ごす人が増えれば増えるほど、国家的には衰退に向かいます。

しかし、逆に言えば、国民が前向きで、常に善良な気持ちと、正のエネルギーを蓄えるような心根で過ごし、行動もそれに叶ったものにしていくことができるならば、国家としての隆昌も自ずとついてくるというものなのです。

正と負のエネルギーの関係性は単純に個人だけに当てはまることではなく、国家にも当てはまるということなのですね。

以上が回答になります。



天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

聖観音

南無観世音菩薩

金龍山に在して

諸々霊を救うかな


雷門



◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】馬が合わない人と守護霊の関係

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、zeruda様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


zerudaです。いつもお世話になってます。本当に馬の合わない人とはどんな人を言うのでしょうか?

またそのような人なら守護霊様同士も仲が悪いとかもあるのでしょうか?

相手の守護霊様に仲良くなれますようにとの祈りが少ないからかどうも合わない人がいます。

もちろん、相手も私をそう見てます。

気になってますので質問しました。

よろしくお願いします。


【回答】


zeruda様

ご質問ありがとうございます。

>本当に馬の合わない人とはどんな人を言うのでしょうか?

これは、スピリチュアル的に解釈すると霊波長が合わない人という表現ができるかと思います。

現実思考で言えば、馬が合わないのには様々な理由が挙げられるかと思います。

「趣味が合わない」
「考え方が違う」
「行動指針において、お互いの損益がぶつかり合う」

等など

いろいろな要素はあるかと思います。

しかし、実際のところ、それら形に現れているお互いの不具合や衝突は根本的な馬が合わない理由にはならないかと思います。

なぜなら、趣味が違う人同士でも、仲良くやっているケースはありますし、考え方が違っても、お互いの違いがある部分に興味があれば、うまく付き合っていくこともあるでしょう。

行動指針にぶつかり合いが起こったとしても、話し合えば、回避できるかも知れません。

なので、具体的な馬が合わないと感じるきっかけとなる事柄は沢山あるかと思いますが、その根底には霊波長が合わないという理由が潜んでいる場合がほとんどかと思います。

逆に言えば、同じ趣味を持っているのに馬が合わないというケースだってあるはずです。(笑)

なので、馬が合わないのは霊波長のズレが原因であるとスピリチュアル的には表現できるのかなと思います。

では、霊波長が合わないものは、馬が合わず一生、仲が悪いままでいるしかないのでしょうか。

そうとばかりは言えません。

もちろん、霊波長が合わないもの同士はどうしても、違和感があるため波長が合う人との交流に比べれば、どうしても親和性を生むことは困難な部分もあることでしょう。

しかしながら、馬が合わないからといって、仲が悪くなるとは限りません。

実を言えば、馬が合わないことと、仲が悪く喧嘩することとは全く異なることであると言えます。

馬が合わないのは霊波長がズレているからだといえるわけですが、仲が悪くなるのは、お互いに「裁きの心」を持っているからにほかなりません。

つまり、自分とは異なる次元の相手に対して「赦せない」からなんですね。

裁きの心を捨てるとは、別の言い方をすれば、自分とは異なるもの、波長の合わないものの存在を赦し認めるということでもあります。

ですから、馬が合わずに仲が悪くなってしまっている場合には、まずは、自分の心の中に相手に対する裁きの心がないかどうかをチェックしてみる必要があるかと思います。

>またそのような人なら守護霊様同士も仲が悪いとかもあるのでしょうか?

守護霊は高次元な存在でもあり、裁きの心をある程度まで捨てている存在でもあります。

逆に言えば、裁きの心を持ち続けている存在は、守護霊とは言いませんし、その資格もないと言えます。

ですから、回答としてはNoだと言えます。

zeruda様がされているように相手の守護霊様にお祈りをして仲良くなれるように動いてもらうことは良いことだと思います。

ただ、守護霊様は相手に働きかけてくれていても、その相手の霊界が裁きの心で充満していて、どうにも変わりにくいという可能性もあるかと思います。

zeruda様は相手と仲良くというお祈りをしている時点で裁きの心を手放そうとされているわけなので、波長としては上がっているはずです。(もちろん、まだ完全に裁きの心を捨てきれていないのであれば、しばらくお祈りを続けることは大事かと思います)

にもかかわらず相手の態度が軟化しないということであれば、(出来る範囲で)少し距離などを置くようにして、波長のぶつかり合いを避けるなどしてみるのも良いかと思います。

霊波長の問題は単純には解決できない場合もあります。

zeruda様の霊波動が上がってくると(霊界が大きく広く強くなってくると)、相手の霊波長をこちらの波長で浄化していくこともできるかと思いますが、今は拮抗しているような状態であるようにも感じます。

なので、現時点では、お祈りを続けつつ守護霊の加護を得ながら、自分の霊波動を上げていくことに注力していくのが良いのではないでしょうか。

以上、回答とさせていただきます。


天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

一流の生き方とは?

最近、たまたま、何かのニュース記事で目にしたもので、できる人は実践している事柄をまとめたような内容のものがありました。

それほど、気にして読んでいたわけではなく、目を通した程度なので、全般的にはうろ覚えなのでですが、その中で、このようなことが述べられていました。

「一流のものに触れること。そうすることで一流の生き方に自分を近づけることができる」

文言的には少し違うものだったようにも思いますが、ニュアンスとしては、このような感じだったと記憶しています。

この意見に対して、人それぞれに賛否や思うところはあるかと思います。

私としては、概ね同意といったところなのですが、少し別の考えといいますか疑問が浮かんできたのです。

「一流」という言葉はよく、世間では使われる言葉であるように思いますし、素晴らしいものを示す表現として頻繁に使われている言葉だと思います。

一流といえば、素晴らしいものという暗黙の了解があり、世の中には自分自身や自分が世に提言したい事柄をPRするためにも「一流」という言葉が利用されて、少し氾濫しているようにも感じます。

私はよく書店廻りをするのですが、本棚のビジネス本、自己啓発本などの棚を見るとよく「一流」という言葉を見かけます。

「俺は一流だ!」と暗にほのめかすタイトルのものもあれば、本の中で、「私は一流を知っている」「僕は一流の人と関わりを持っています」みたいな内容を書かれている方もいらっしゃるようです。

インターネット上でも「一流のやり方」とか「一流の○○」といったような表現が目立つことがあります。

そんなに世の中、一流だからけなのかな(笑)、そもそも一流って自分で言ってしまうのはありなのか?(苦笑)

なんて、ちょっと意地悪な考えが頭をよぎることもあります。

もちろん、人それぞれの解釈です。

いちゃもんをつける気はありません。

ただ、言葉というものは得てして、その本質を表さないことがあります。

どういうことかといえば、人によって言葉の定義が異なることが多いからです。

「一流」という言葉も多く使われている言葉であるものの、イマイチ、統一されていないようにも感じます。

そこで、少し、一流とは何かということについて考えてみたいと思います。

一般的なイメージを推測してみると、一流とはずば抜けて優れていたり、素晴らしいと認められているもの、著名であるもの、実績のあるもの・・・等いろいろな意味合いが織り交ざっているように感じます。

もちろん、これらの意味合いも「一流」の定義として、間違いではないかと思うのですが、これだとイマイチ、優れているものであるという意味合いはわかるのですが、わざわざ「一流」という言葉で表す意義ないように思うのです。

単に「すごく優れている」と言えばいいだけのことです。(笑)

「一つの流れ」と書いて「一流」なのですから、単に優れているというだけでは言葉の定義上弱いのかと思います。

では、私なりに考える(定義する)「一流」についてお話してみたいと思います。

「一流」とはズバリ、「自分自身の中にある魂の発露に従って表現されること」であると定義したいと思います。

どういうことかといえば、自分の中にある抗いがたい魂の意志、湧き上がってくるものを素直に表現することが「一流」という言葉の核心にあるのかと感じます。

この場合、単に「優れたもの」ということではなく、優れているか劣っているかは関係ありません。

大事なことは、何かを表現するときに、自分の魂と一つになっているかどうかということ。

混じりけのない、純粋なる魂からの表現であるものだけが「一流」と言っても良いのではないかと思うのです。

これだけだと少しわかりにくいと思いますので、少し例を上げて説明したいと思います。

小説の世界において「一流」とは何かを考えてみましょう。

例えば、著名な作家の中で村上春樹氏がいらっしゃいます。

賞なども多く取られている方でありますし、近年でも「1Q84」などの話題作をお書きになっていらっしゃるので、知っている方も多い作家の一人だと思います。

私は、彼などは、「一流」というもののある意味、良いモデリングだと思っています。

このようなことを申しますと必ず「いや、村上春樹など読まない」「村上春樹を面白いと思ったことはない」「もっと他にも優れた作家はいるぞ」などなど、様々な意見が湧き上がってきます。

なるほど、確かに村上春樹氏の作品は時として、賛否両論があり、好き嫌いも別れています。

中には、「全然、面白くない」と酷評される方もいらっしゃるようです。

このような状況にあると「どこが一流なんですか?」と疑問に思う人もいるかも知れません。

それでも、私は、村上春樹氏は一流だと言って良いと思っています。

勘違いして欲しくないのは、単に私が村上春樹氏のファンだとか、偉い作家先生をヨイショしているとか、後で村上春樹氏の本をアフィリエイトしようと企んでいるとか(笑)、そういうことではないのです。

では、なぜ、彼のことをモデリングとして選んだのかと言いますと、彼自身の作品は村上春樹ワールドと呼ばれるくらい独特な感性に彩られています。

つまり、他では真似しようがない彼の中心から魂からほとばしる何かを表現している作品が多いということです。

自分の中の世界観が揺るぎなくあり、賛否はあったり、好き嫌いはあっても、自分の中の中心からブレないで常に自己の魂と一体となって表現されている作品なのではないかと思うのです。

そうでなければ、村上春樹ワールドと呼ばれることもありませんし、熱狂的な読者やファンも現れることはなかったでしょう。

面白いか面白くないか、評価されているかされていないか。

実は、一流かどうかの判断にはあまり関係がないと私は思うのです。

好き嫌い、評価というのは時の流れや人の主観、意見がどのように動くかに左右されるとても流動的なものです。

昨日、酷評されていた作品が時を経て、評価し直されることもあるでしょうし、最初、つまらないと思っていたものが、時間が立って読み返すととても含蓄のある素晴らしい作品だと思えてくることもあるでしょう。

もちろん、この逆もあるでしょう。

面白いと思っていたものがつまらなく感じる。

このように好き嫌いなどの嗜好、善し悪しなどの評価で一流かどうかを判断してしまうと、あるときは一流であるときは一流ではないといったおかしなことになってきます。

一流はどこまでいっても、何があっても、好かれようが嫌われようが、評価されようがされまいが最後まで一流なのです。

それは、自分の中心にある魂から外れることなく表現されているという一点においてブレがないからです。

この一点からブレないならば一流といい、ブレない生き方ができているならば「一流の生き方」をしていると言えるのではないでしょうか。

ちなみに蛇足として、二流の生き方について考えてみました。

二流は一流に恋焦がれて、一流の生き方をする人の模倣をします。

そして、一流に肉薄するくらいの技能や表現方法を身につけている方だといえるでしょう。

それはそれで、優れていることには間違いないので、世間から評価されたり、人気が出たりすることもあるでしょう。

しかし、二流と一流の違いは、自分の魂に繋がった生き方をしているか、他人の素晴らしいものを模倣しているだけで、自分の魂が置き去りにされているかにあります。

評価や人気、著名度だけを見てしまうと一流と二流の違いを見失ってしまうことになるかと思います。

さて、ここまで来たらついでに三流についても考察してみましょう。(笑)

三流とは常に世間の顔色や時流ばかりを追いかけて、自分の中の魂どころか、一流かどうかすら関係なく、よさげなものであれば、飛びついて真似したり、反応したりして、軸のないブレブレの生き方をすることと私は定義しています。

もしかすると、「俺は一流だ!」と自ら言ってしまう方は、時流に合わせて姿を変えているとするならば、本当は三流なのかも知れません。

あっ!ちょっとこれは意地悪な言い方ですね。(笑)

でも、最後に締めの言葉として、一流の生き方をしたいと思うならば、一流に触れることも大事だけれど、一流とは何かを理解して、それに準じた生き方をしていく必要があるのではないかなということを述べてみたいと思います。

間違っても、時流に踊らされる三流にならないようにしたいものですね。

あっ!ちょっとこれも意地悪な・・・?(笑)


長々としたお話にお付き合いありがとうございました。


◎クリックご協力ください!


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】故人の部屋を再利用する際に注意点

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、ねこうさぎ様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


●亡くなった人の部屋や物を使うとき、気をつけることを教えてください。


私の長男が亡くなってもうじき3年になります。

部屋は不要なものを処分(友達にあげたり、捨てたり)して、

きれいにさっぱりさせています。


そろそろ、その部屋を活用しようと思っています。

弟の部屋として使う場合、なにか気をつけることはありますか。

オーディオや、ベッド、タンスも使う予定です。

使わせてもらうね・・と、お願はしました。


一般的な回答でけっこうですので(あたりまえですね^^)

よろしくお願いいたします。


【回答】


ねこうさぎ様

ご質問ありがとうございます。

>●亡くなった人の部屋や物を使うとき、気をつけることを教えてください。

とのことで質問に回答していきたいと思います。

まず、ご質問の内容にもありました通り、

>使わせてもらうね・・と、お願はしました。

という具合に故人に対するお断りをするというのは、重要です。

この点は、過去の質疑応答でも回答したものがあったかと思います。

では、故人が使用していた部屋を誰か他の人が使う場合についての注意点として何があるのかをお話してみたいと思います。

部屋の場合においても、物品と同様、お断りすることは大事なことであるわけなんですが、もう一つ、重要な点があります。

それは、他の誰かが使うと決めて、お断りをした後に、部屋の様相を一新してしまうということです。

単純に言えば、リフォームして故人が使っていたときの状態からは想像がつかないほどに新しくしてしまうのが理想と言えます。

ちょっと、話が脱線しますが、これは中古物件などを購入して利用する場合にも言えることです。

なぜ、一新した方が良いのかといいますと、故人にお断りをして新たに使い始めるということは、その部屋はすでにもう所有者ないし、利用者が別の人間に変わっているということです。

そのことを徹底的に物理次元においても表現するためにリフォームなどをして一新した方がよいといえるのです。

少しでも前の部屋の使っていた時の名残が残っているとそこから霊界が感応して、以前の使用者の霊波動が残ってしまうからです。

なので、一新することが一番良いといえるでしょう。

もちろん、そうは言っても、経済的な事情やリフォームが難しいケースもあるので、必ずそうしなければならないというわけではありません。

ただ、霊界事情としては、部屋の中にある物理的な痕跡が霊界における霊線を部屋に残してしまうことになってしまうので、それをできるだけ変えることで断ち切っていき、新しい利用者の部屋になったという認識を強めることが大事だということです。

リフォームは難しくても、カーテンを変えてみるとか、壁紙を張り替えるとか、少しでも部屋の印象を刷新するようにした方がよいでしょう。

どんなに故人が大事にしていた部屋であったとしても、他の人に譲る時点でもうすでに故人の部屋ではなくなるわけです。

この仕切りをしっかりとやっていくことが大切だと言えるでしょう。

最後に霊的にすっかり綺麗にする場合には地場ヒーリング(例えば、お祓いなどをしてもらう等の霊的な浄めの儀礼等)などをして霊的に霊波動を整えておくことも良いことと思います。

しかし、地場ヒーリングはなかなか一般の方が自分でやるのは難しいと思いますし、そこまでしなくても通常の場合は(ご質問のケースの場合は故人がご家族であり、身元のわからぬ方ではないので)大丈夫かと思います。

ですから、まとめると基本としては、故人へのお断りと部屋の様相の刷新をすることが故人の部屋を再利用する際の注意点になるかなと思います。

以上、回答とさせていただきます。



天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】霊格の基準について

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、とものしん様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


過去にありました質問の中に、「現世での最大のメリットとは、自分よりも霊格が上の人と交流して学ぶチャンスがある」「また、自分よりも下の人に出会った際には、自らの慈愛を表現する機会にもなる」とありました。

自分よりも霊格が高い、または低いと判断する基準があったりするのでしょうか?

また、すでに相当霊格の高い人は、自分よりも霊格が高い人と出会うチャンスがなかなかなく、
まだまだ霊格が未熟な人は、周りは自分よりも霊格が高い人だらけ・・・と、理屈ではこうなりますが、
実際はどうなのでしょうか?



【回答】


とものしん様

ご質問ありがとうございます。

霊格の高い低いという基準についてということですね。

まず、霊格という言葉は一つの抽象的な名詞表現に過ぎないうことです。

霊格という言葉に込められているニュアンスは本来は定量的に単純に高いか低いかを明確に表すことはできないでしょう。

一つ抽象性の高い表現であり、厳密に詳細に説明するととても複雑なものであるといえるでしょう。

そこで、ある程度、わかりやすくするために霊格という言葉で名刺的に定義し、高い低いという表現でその霊的存在の持つ質的なものを表現しているわけです。

ただ、このような抽象論にてお話して終わってしまうとわかったようでわかりずらいと思います。

なので、もう少し具象化してお話していきたいと思います。

霊格とは、簡単にいえば霊的存在の持つパーソナルな質感であり、人格的ないし品格的に高貴さを持つものを霊格が高いと表現し、高貴さから遠ざかれば低いと表現できます。

高貴さというものも非常に抽象性の高い表現なので、これもまた定量的な意味合いで厳密にどちらが高いか低いかを定義することは難しいといえます。

一つの基準としては、神界に近づくほど高貴さは高くなり、高次元になればなるほど、霊格は高くなるといえるでしょう。

しかし、この説明をもってしても、まだまだ、抽象的でよくわからないと感じる方も多いでしょう。

そこで、さらに具体的なキーワードで考えるならば、一つは真理の探求、学問、教養が深く、造詣がある方は霊格が高いといえるでしょう。

物事を深く咀嚼して、物事の真理を体得しているほど、霊格は高くなります。

もう一つのキーワードを上げれば、芸術性になります。

芸術性は美しいもの、元々、人間は神なるものに触れたときに感動し、心が揺さぶられます。

芸術性はいわゆる芸術作品だけを指すのではなく、こういった理屈抜きで美を感じる感性、及び、それを表現できるほどに感受性、技法などを体得している人も霊格が高いと言えるでしょう。

それから、最後は信念、揺るぎない愛と真心に基づく、魂の意志にどれだけ準じているのか。

この点がどれだけ実現できているのかというのも霊格の高さを測る一つの基準になるかと思います。

このように大きく見ると三つの基準があるかと思いますが、これもあくまで一つの基準に過ぎず、実際には同じ霊格の高さでも気風や霊統の違い、種類によっても同じ霊格の高さでも表現が違ってきます。

このことを踏まえれば、

>自分よりも霊格が高い、または低いと判断する基準があったりするのでしょうか?

の答えとしては、自分の人格性よりも優れているなと感じる方、品格がある方、あるいは芸術性が優れている方、真理を体得している方、深い信仰心のある方などの視点で見ていくことで、見分けることはできるでしょう。

全てにおいて自分よりも優れている方ではなかったとしても、ある視点から見た場合には、優れたものを持っている方は沢山いらっしゃると思います。

もちろん、あらゆる点で優れた方もいるかも知れません。

いずれにせよ、このことを鑑みれば、

>また、すでに相当霊格の高い人は、自分よりも霊格が高い人と出会うチャンスがなかなかなく、
>まだまだ霊格が未熟な人は、周りは自分よりも霊格が高い人だらけ・・・と、理屈ではこうなりますが、
>実際はどうなのでしょうか?


この答えもわかってくると思います。

単純に高い低いで考えれば、一番、霊格の高い人は自分より優れた人が周りにいないという状況が考えられてしまいます。

しかし、実際には優れた人でも、ある点では別の方の方が優れているというように偏りがあるものです。

全てにオールラウンドで超越した方というのは、もしかしたらいるのかも知れませんが、大抵はあることに優れていればあることは不足しているというように多少の凸凹はあるものでしょう。

なので、霊格が高い人は現世で誰からも学べないということはありません。

逆に霊格が低いと思しき人でも、必ず、何かしら誰かよりも優っている部分はあるかと思います。

そう考えれば、その人の次元層として周囲には、指導する立場になる場合もあれば、指導される立場になる場合もあるということです。

霊格という言葉でまとめてしまうととても単純でわかりやすいため、このような言葉で表していますが、実際には、その意味するところはとても広く、詳細なものが込められているということです。

ですから、霊格が高い、低いという表現には様々な霊性、神性の豊かさ、美しさ、深さ、広がりが込められていると理解していただければと思います。

現世での最大のメリットは、別の言い方をすれば、自分の持たないものを持っている存在との交流にあるという言い方もできるかと思います。

以上をもちまして回答とさせて頂きいます。

何かの参考になれば幸いです。



天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

前を向き天を仰げ

足跡ばかりを追いかけて生きるのはやめよう。


この足跡は誰のもの?


どんな形の足跡だろう?


足跡をつなげて推論してみても


それは結局ね


足跡にすぎないのですよ


誰かがこう言った


歴史ではこうであった


ある理論ではこうなる


どっちにしたってそれは足跡をつなぎ合わせただけなんだ


そろそろ前を向いて目の前に続いている道を直視しよう


天を仰ぎ、空の青さと深さを知ろう


海は広がり、山林はどこまでも続く


世界はこんなにも広く、大きい


足跡だけを見ていたら


人生に残るのは足跡だけだ


下ばかり見てないで


前を向き天を仰げ


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】反社会的組織の霊団について

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


天心様、いつもお世話になっております。
最近、気になったことがあったので、早速応募してみました。

あまり良い話ではないのですが、真理を知る参考になればと思いました。

質問の内容は、ヤクザや暴力団、右翼などについてです。

とても怖いイメージですし、関わってはいけないのだろうと思いますが、彼等も同じ人間ですよね。

どんな世界観で、目的は何なのか、最終的には何を目指しているのかなど、気になることはいろいろありますが、、

今回、気になってお聞きしたいのは、その背景に悪の霊団がいるのかということと、一般人としては、このような存在をどう受け止めたほうがよいのかということです。
差し支えなければ、回答宜しくお願いします。


【回答】


光様

ご質問ありがとうございます。

今回のご質問の趣旨として、いわゆる反社会的な組織の背景にも霊団が降りていたりするものなのか?ということかと思います。

結論から言えばYESです。

霊団とは、霊人、霊物の集合的な存在であると同時に組織的なものに降りている霊的存在のことでもあります。

一番、わかりやすいのは宗教団体などの霊的グループなどがあります。

そのグループを指導したりある種の力を発揮させたりしているのは、そのグループに霊団が降りているからにほかなりません。

しかし、このように申し上げると「霊団というものは、特別な霊的な事柄を扱っている組織にしか降りてこないのだな」と思われてしまうかも知れませんね。

そこで、少し基本的な霊団の形成プロセスについてお話してみたいと思います。

通常、私達、個々人にも様々な霊的存在が関与しています。

もちろん、強い弱いの違いはあります。

全く微弱でほとんど存在を感知できないレベルのものも含めれば本当に様々です。

その代表を上げれば守護霊ということになるわけですが、守護霊以外にも実に様々な霊的存在は関与しているのです。

私は、守護霊と認定できない存在については、霊物、背後霊団という呼び名で区別しています。

さて、私達は個人的に様々な霊的存在との関与を受けながら生きているわけですが、私達は個人的な活動だけをして生きているわけではありません。

他人との関わり合い、同じ方向性を向いて活動する会社や組織に属して、意を一つにして活動しながら生きています。

大きな範囲でいえば社会とは人間が合わさって大きな霊界を形成している現世における顕現化の形であるといえます。

会社もあらゆる組織も同じで人間の意を合わせて霊界の共有現象を起こし、大きな一つの霊界を作るという行為であるわけです。

人間が集まり、意を一つにして形作られた組織には、大きな霊界が作られます。

するとその霊界に見合った霊的存在が降りて来るということになります。

これが組織に降りて来る霊団の正体です。

いかなる霊団が降りて来るのかは、その組織の共有化された霊界の質に応じたものが降りて来るのです。

霊的グループには霊的な事柄を指導するための霊団が降りて来ることが多いですし、会社などの利益を追求したり、あるいは社会的貢献を必要とする組織には、そういったことに巧みな霊団が降りて来るのです。

では、いわゆるヤクザなどと呼ばれたりする反社会的な組織にはいかなる霊団が降りて来るのか。

察しはつくかも知れませんが、それは、反社会的で暴力も辞さない、自分の主張を通すためなら手段も選ばないといった気質を持った霊団が降りてくるのですね。

もちろん、高次元層の神界に近い存在とは程遠い、下部霊界やあるいはそのまた下の妖魅跋扈する霊界から降りて来る霊団だということです。

以上が一連の霊団の降りて来るプロセスになります。

これらのお話から言えることは、いかなる組織、社会、グループにはそれ相応の霊団が憑いているといっても良いと思います。

反社会的な組織かそうでないかに関わらず霊界共有の起こる全てには霊団があるということです。

大きな視点でいえば、日本にだって八百万の神柱という霊団が降りているという見方もできます。(厳密にいえば霊団とはまた違いますが、詳細は割愛します)

西洋には天使団や精霊団なども降りていることでしょう。

なので、霊団というのは霊界共有によって降りて来る霊的存在のことだと認識すれば自ずとどのように接すれば良いのかがわかるはずです。

より高次元層の存在が降りている、あるいは自分の魂をブラッシュアップしてくれる霊団が降りていると思しき組織に関われば、その影響を受けて自らの魂の向上をサポートしてくれます。

逆に愛も真心もない低次元層の物欲だけを原理として動く組織であれば、その組織の霊団の影響を受けることでしょう。

反社会的な組織に関われば、言わずもがな、段々と反社会的な霊団の影響を受けて、自分自身も反社会的な方向に導かれていくことになるというわけです。

ですから、自分が何に関わっていくのかは、その組織の持つ霊界が如何なるものであるのかを喝破して、お付き合いを決めた方が無難であるといえるのかも知れません。

もちろん、そうは言っても、何が自分にとって良くて、何が自分にとってマイナスになるのかはすぐにはわからないことも多いでしょう。

あまりにも霊団を気にしすぎるのは却って可能性を縮めてしまうこともあるでしょうから、極端に難しく考えることはないとは思います。

ただ、少なくとも反社会的な組織と関わりをもって良い影響を受けることは、ほとんどないかとは思いますので、そういった組織からは身を遠ざけるのが賢明かとは思います。

以上が回答になります。

何かの参考になれば幸いです。


天心 拝




◎クリックご協力ください!




テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

祖先を憶う

想いのバトンを渡されて命のリレーは続いてゆく



obon.png


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】供養すべき先祖の範囲について

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、Paul様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


<質問>
供養すべき先祖の範囲についてご教示下さい。


<詳細>
・過去記事の中で、傍系の先祖も供養の対象
であると書かれていましたが、血の繋がりもなく、
生前面識もなく、苗字も異なる人でも供養の
対象になるのは何故でしょうか?

・過去世の先祖は供養すべきでしょうか?
私は過去世で外国人だった事が多いようですが、
その時の先祖を、今生にて供養すべきでしょうか?
(過去世で先祖だった人が、今生での先祖や
家族になっているケースも多い?)

・霊線の濃い先祖は、同父母の兄弟姉妹
でも異なりますでしょうか?
(私が供養する事で浄化される先祖と、
姉が供養する事で浄化される先祖は
同じ人でしょうか?)
(配偶者の先祖は別として)

・仮に、血の繋がりもなく、苗字も違っていても、
家系図で「先祖」とされている人は、
仮に家系図が間違っていたり、或いは、
女性の誰かが不倫をして、男性側との
血の繋がりが無くなっているような場合
でも、「先祖」と信じて供養していれば、
「先祖」同様の霊線が出来るのでしょうか?

・先祖が「氏神 (祖先神)」として信仰していた神
(清和源氏の場合の八幡神 等)
や、先祖が代々住んでいた土地の神(産土神)
は、子孫も「氏神」や「産土神」として信仰すべきでしょうか?
それとも、自分との直接の神縁を優先して、
自分の出身地の神様を「産土神」とし、
自分の守護神様を「氏神」様と看做すべきでしょうか?


以上、よろしくお願い致します。


【回答】


Paul様

ご質問ありがとうございます。

供養すべき先祖の範囲についてということで回答していきたいと思います。

まず、ご質問を拝見させていただいたことにより、少し気になった点があります。

ところどころに「~すべき」という言葉が散見されました。

それから、ご質問全般から感じられることとして、何か非常に供養というものを固く考えられているようにも感じました。

ですから、まず、正しておきたいのは、供養とはしなくてはならないからするということではないということです。

供養は真心の発露であり、先祖やその方に対する気持ちが形に現れるものであるということが基本にあります。

しなくてはならない、すべきという気持ちはどこか形式にこだわりすぎてしまっているキライがありますので、この点は注意が必要です。

以上を踏まえた上で詳細部分のご質問に回答していきたいと思います。

>・過去記事の中で、傍系の先祖も供養の対象
> であると書かれていましたが、血の繋がりもなく、
> 生前面識もなく、苗字も異なる人でも供養の
> 対象になるのは何故でしょうか?


通常の供養では、近しいよくわかっている方までを対象とすれば良いとは思います。

しかし、実際のところ、霊線は傍系の先祖ともつながりがある場合があり、単純に家系図や血縁上だけとは限らないという霊的な事情があります。

ですから、浄霊の場合などは、霊線上で浮かび上がってきた縁者を許された範囲で供養するということになるのです。

ただ、霊線の濃い薄いが決まるメカニズムはまだわかっていないため、詳細は不明な部分もあります。

>・過去世の先祖は供養すべきでしょうか?
> 私は過去世で外国人だった事が多いようですが、
> その時の先祖を、今生にて供養すべきでしょうか?
> (過去世で先祖だった人が、今生での先祖や
> 家族になっているケースも多い?)


さすがに過去世分までを追いかけるのは難しいのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、供養とは気持ちが向く方に対して真心を向けること、それに対して形式が付き従うものです。

過去世での関わりあいのあった縁者にまで気持ちが向くという方は、よほどのことではない限りはないと思います。

ですから、過去世までは特別な理由がない限りは先祖供養の対象範囲としなくても良いと考えられます。

>・霊線の濃い先祖は、同父母の兄弟姉妹
> でも異なりますでしょうか?
> (私が供養する事で浄化される先祖と、
> 姉が供養する事で浄化される先祖は
> 同じ人でしょうか?)
> (配偶者の先祖は別として)


父母兄弟で霊線の濃い浅いは異なります。

また、その関係上、浄霊の際は、繋がっている方の霊線によるので対象となる先祖霊も変わります。


>・仮に、血の繋がりもなく、苗字も違っていても、
> 家系図で「先祖」とされている人は、
> 仮に家系図が間違っていたり、或いは、
> 女性の誰かが不倫をして、男性側との
> 血の繋がりが無くなっているような場合
> でも、「先祖」と信じて供養していれば、
> 「先祖」同様の霊線が出来るのでしょうか?


家系図で先祖とされているということは、何らかの家系的つながりがあったはずですよね。

仮に血のつながりはなくても、養子縁組などの形で縁ができれば霊線は繋がります。


>・先祖が「氏神 (祖先神)」として信仰していた神
> (清和源氏の場合の八幡神 等)
> や、先祖が代々住んでいた土地の神(産土神)
> は、子孫も「氏神」や「産土神」として信仰すべきでしょうか?
> それとも、自分との直接の神縁を優先して、
> 自分の出身地の神様を「産土神」とし、
> 自分の守護神様を「氏神」様と看做すべきでしょうか?


冒頭でもお話したように「すべき」かどうかで決めるのではなく、ご縁と気持ちの中で決めていくことです。

先祖がしていたからしなきゃいけないとか、自分を優先すべきとかではなく、信仰心とは、真心からの気持ちからの発露だとお考え下さい。

最後に私達は、先祖供養のために生きているわけではありません。

あるいは、特定の信仰を義務的にこなすために生きているわけでもありません。

全ては今生にテーマを持ち、魂の向上という大テーマのために生きています。

魂の向上のテーマは人それぞれに異なります。

だから、これが正しい生き方だと固定的に決まっているわけでもないのです。

その点を踏まえていけば、供養のあり方も自ずからわかると思います。

以上、回答となっておれば幸いです。


天心 拝




◎クリックご協力ください!




テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

皇徳の社

八百万の神柱


しろしめし


すべる神かな


伊勢神宮


伊勢神宮 遥拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【公開質疑応答】守護霊の未来予知について

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、めろんぱん様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


今回、質問させて頂きたいのは、守護霊の未来予知についてです。

守護霊は守護している人間の数年先まで見通せる、と聞きますが、これって一体どれぐらいの精度なのだろうか?と疑問に思っています。

私事になりますが、去年、とあるスピリチュアルカウンセラーの方に主人の仕事(未来)について守護霊さまに聞いて頂いたことがありました。

結果としては、その答えは外れているように思います。

その他の霊視などは、恐ろしいほどにクリアで見抜かれているような感じだったので、非常に能力のあるカウンセラーさんだったと思います。

他の方のブログでの、カウンセリングの体験談などを拝見しても、過去や現在のことは概ね当たっているのに、未来だけは違う、ということをおっしゃっている方は多いように感じます。

例えば、子供が出来ると言われた時期になったのに出来ないとか、結婚出来ると言われた時期なのに気配がないとか…。

天心さまもブログでおっしゃられているように、未来というのは不確かで、本人の意思次第でも違って来る、というのも重々承知しています。

あくまでも可能性の問題である、ということもわかります。

でも、意外と占いなどのほうが未来は当たり易いような気がしています。
(守護霊さまに失礼なことばかり言っているようで申し訳ないのですが…。)

ですので、まず

「守護霊というものは、どれぐらいの精度で未来を見抜いているのか?」
「どのぐらい先のことまで見通せるのか?」

あと

「私達は守護霊の未来予測に対して、どのような姿勢でいた方がいいのか?」
(例えば、あまりとらわれ過ぎない方がいいとか、いいことだけ信じて努力を惜しまない、とかの心構え)

を教えて頂きたいです。

どうかよろしくお願いいたします。


【回答】


めろんぱん様

ご質問ありがとうございます。

今回のご質問の趣旨としては、まず、守護霊はどのくらい未来が読めているの?ということと、未来予知に関してはどのような姿勢でいるのが良いのかということかと思います。

守護霊がどのくらいの精度で未来を見据えているのかということをお話する前に未来予知の霊的なメカニズムについてお話してみたいと思います。

私達が未来と呼ぶものは、霊界においては、独自の「未来像」の可能性という形で霊界に存在しています。

といわれてもちょっと想像しにくいかと思いますので、映画館をイメージしてみましょう。

最近の映画館の仕組みは、いくつかのシアタールームに分かれていて、様々な映画が同時刻に上映されています。

私達の未来というものの様々なシアタールームで今現在も上映されている映画のようなものだとイメージしてみてください。

未来予知を霊的に行う場合、この未来像が上映されているシアタールームを覗いてみて垣間見えたものから未来に起こりうるであろうストーリーを紡ぎ予知を行うわけです。

しかし、このシアタールームでの上映内容は、普通の映画のように一定しているわけではありません。

常に上映内容はブラッシュアップされて内容は書き換えられていると思ってください。

さて、上記を踏まえた上で、守護霊は如何に未来予知を行うのか。

これは、単純に言ってしまえば、このシアタールームを覗き込むという行為によって未来予知を行っているわけです。

占いも原則は同じです。

未来予知が成り立つのは、未来像の霊界から情報を得ているということがいえると思います。

ただ、それならば、なぜ、守護霊からの未来予知と占いとで未来予知の精度の違いがあるように見えてしまうのか。

疑問に思うところかと思います。

まず、一つ正しておかなければならないのは、守護霊と一口にいっても、様々な方が様々な定義をしている存在であり、守護霊の霊格、霊覚によってもどの程度まで霊界にアクセスできるのかが変わってくるということがあります。

守護霊といっても本当は、守護霊と呼べるほどの霊格、霊覚のない存在とコンタクトをとっているのであれば、未来予知といっても取得できる情報は限られたものになります。

これは占いであっても同様で、その占い師の鑑定能力や霊覚によっても受け止められる内容に落差がでることもあります。

ですから、単純に守護霊だから占いだからという視点で、どちらが精度が高いのかということはいえないということです。

まずは、このことを踏まえて置いていただきたいと思います。

このことを踏まえた上で、今度は、守護霊が伝える未来予知のあり方と占いの場合とでの違いについてお話してみたいと思います。

そもそも、守護霊は本来的には魂の教育係であり、守護する当人の魂の向上にしか関心はありません。


魂の向上に寄与すると判断した場合には、未来予知も行いますが、そうでないと判断した場合には、あまり教えないか、あえて違うことを伝えてくる可能性もあります。

守護霊は例え、霊界の未来像を正確に把握できていたとしても、それを伝えることで本人の魂の向上につながらないと判断する場合には、そのままを伝えることはないということです。

そして、誤解を恐れずに言ってしまえば、守護霊の次元が高くなればなるほど、未来予知には慎重になるという傾向もあります。

なぜならば、未来を完全に教えてしまうと、その未来像がそのことによって大きく変わってしまう可能性が高いからです。

未来像は当人の魂の向上の過程で悟り、変えてゆくべきものであって、守護霊サイドが干渉して変更を促す場合は、魂の向上においてマイナスに向かっていると判断した場合だけだといえます。

また、逆に未来像を知ってしまうことによって、「この未来が絶対的なんだ!」と思い込むことで自在に変えて行けたであろう未来までも固定的なものにしてしまうというリスクもあります。

これらの観点から守護霊は未来予知に関しては慎重な姿勢を見せることが多いように思います。

こういった守護霊の計らいを単純に未来が当たった外れたという観点でのみ測ってしまうと「守護霊って未来予知がヘタなの?」という感想をもってしまう可能性があります。

そうではなく、守護霊は単純に未来予知をした結果を伝えるとは限らないということが、このあたりの未来予知の精度に関する誤解に繋がっているかと思います。

さて、では、占いの場合は守護霊を介する未来予知よりも的中率が高いように感じる理由について少しお話してみたいと思います。

そもそも、占いの場合は、占いの技法にもよりますが、占術専門の霊界というものを経由している場合が多いです。

この占術専門の霊界というのは、何かといえば、占い鑑定技法によっては何千年とかの歴史があったりします。

占いというのは意外とかなり太鼓の昔から行われていますので、そういった歴史などにより積み重ねられてきたものにより形作られた霊界というものがあります。

これが占術専門の霊界というわけです。

この霊界は、未来像を取り出す様々なメカニズムを把握し、連綿と占術者達の想いと技術が密集しています。

なので、未来像を引っ張り出す技術なども詰まっている霊界です。

そういう意味では、守護霊のように色々な判断が加わることなく、単純に未来像を引き出す霊界を動かし、そのままダウンロードしているような状態なので、いいか悪いかなどの判断は聞きません。

ただ、霊界にあるものを降ろしていくだけの作用があります。

もちろん、占い師側でその内容を吟味して伝え方を考えたり、咀嚼する際に恣意的なものが入り込む場合はありますが、基本はそのままの未来像の内容がそのまま得られるわけなので、ある意味では精度が高くなることはあるかと思います。

占いの場合は、その結果がどのような作用をもたらすかなどの高度はジャッジが入らない分、精度が高く感じますが、その分、どのような方向に魂を向かせてしまうのかわからないという怖さもあります。

もちろん、占いを受ける側の気持ちがしっかりできていれば、活用することはできるかも知れませんが、大抵の場合、「当たった、外れた」ということに終始してしまうため、間違った方向にいく可能性も高いといえます。

占い師側がその点をしっかりとフォローしていけば、占いも活用方法は沢山あるかと思いますが、占い師も人の子なので間違えることはあるでしょう。

なので、やっぱり完全であるとは言えません。

このように守護霊からの未来予知の場合と占いによる未来予知の場合とでは、メカニズムが違うということです。

そして、最後に言わなければならないこととして、未来予知をするということは、自分の人生に影響を与えているということを自覚することが大事だということです。

本来、守護霊に未来を尋ねるにせよ、占いで未来を知ろうとするにせよ、人生を豊かにするためにそれを行おうと思ったはずです。

豊かな人生というものは、単純に未来を知るだけでは得られるものではありません。

それでも未来を知りたいと思うのはなぜなのか?と自分自身にまずは自問自答してみることが未来予知を受ける際に必要な心構えかと思います。

その自問自答の中で「未来を知って安心しただけ」「未来を知ってうまく立ち回り損を回避したい」というような、まるで宿題の答えを最初から教えてもらって、後は記入するだけで終わらせたいというどこか、色々な苦労をするのを回避したいという怠け心が脳裏を掠めるならば未来予知を行ってもろくなことにはならない可能性が高いといえるでしょう。

でも、当たるか外れるかはどうでもいい、しかし、自分が今、未来に対して一歩進めていくためのきっかけが得られないので、その一歩を踏み出すための一つの参考にしたい、いかなる結果につながろうとそれを受け止めるという覚悟ができているならば、未来予知というものも一つの方便として有効に働くのではないかと思います。

とても、長々とお話してしまいましたが、以上をもってご質問の回答とさせていただきたいと思います。


天心 拝




◎クリックご協力ください!




テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【2013年7月度】神田明神への参拝

2013年7月度神田明神月参りをしてまいりました。

毎度のことながら、ご寄付の一部からお玉串をさせて頂きました。

もちろん、献灯の継続祈願串の奉納もさせて頂きました。

いよいよ今年も下半期に入りました。

梅雨も明けて本格的な夏到来を感じながらの参拝をさせて頂きました。

FGSの会メンバー、ブログ読者様ともに発展・繁栄に月となりますことをお祈り申し上げます。


神田神社拝殿


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

【第四弾】質問募集

こんにちは!

天心です。

久しぶりに質問募集をいたしたいと思います。

個人的なご相談や鑑定、取次は別途、守護霊アドバイスなどを行っているので、純粋なご質問ということで、かつ私が答えられる類のもの、それから、回答することで皆様の学びとなりそうなものに関しては、ブログで回答を発表してみたいなと考えています。

この機会に公開質問をお寄せいただければ幸いです。

応募条件は、以下のようなものを考えています。

・冷やかしや不真面目、ふざけ半分な内容ではないこと
・個人的な愚痴や不満など他意や批判的な内容は受付いたしません
・プライベートなご相談ではなく、純粋な疑問やご質問のみ受付します
・今までブログで掲載した内容で答えがでていると想われるものは対象外とします。
・すべての質問に回答はできないことがあります。
・公開質問なので、応募頂いた内容はブログ上で公開してしまいます。
・いつ頃回答できるか、あるいは回答として取り上げられるかどうかはお答えできないのでご了承ください


とりあえず、このような感じで考えております。


【ご質問応募方法】

件名:公開質問応募

お名前:公開されても良い名前(ハンドル名でも可能) 
※ハンドル名とはネット上でのみ使用する仮の名前のことです。(以前、質問されたので念のため記載)

ご質問:なるべく質問の趣旨がわかるように記載してください。


応募先:tensin.session〇gmail.com ※〇を@に変更して使用してください。


【募集期間】

とりあえず、2013年7月31日までを区切りとして締切りたいと思います。

状況によっては延長するかまたは、途中で締め切る可能性もあります。


以上、お知らせでした。


天心 拝


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

守護霊ははっぱをかける?

よく守護霊アドバイスの取次で誤解されやすいことがあります。

ほとんどの方は何かしらプラスのものを得て、ご満足されているフィードバックなどをいただくことが多いのですが、

ごくまれに、この誤解により時々、私が相談者の方に怒られてしまうこともあります。

いやいや、守護霊がそういっていることを私は取次、ある程度、わかりやすくするため解説も加えているという立場なのですが、守護霊がかました?ことによる尻ぬぐいといいますか?矢面に立たされるのは私だったりします。(涙)

随分、相談者からひどいことを言われたりしたこともあります。

まあ、ひがみ根性、被害妄想とそしられるのも嫌なので、詳細をブログでお話することは致しません。

ただ、やっぱり、誤解されやすいことは、あらかじめ伝えておく方が賢明なのかな?と私なりに学習しまして(笑)、今日はちょっとお話してみようかなと思った次第です。

では、どのような誤解が守護霊アドバイスには潜んでいるのかお話してみたいと思います。

まず、例え話をもって説明していきたいと思います。

結婚したいという願望のある方がいらっしゃるとしましょう。

一生懸命に出会いの場を求めて、お化粧も技術を磨いて、エステにいってスタイルも磨いて、異性の気持ちを引き寄せるような品格を磨く努力をしていたとしましょう。

自分なりに一生懸命にやっているわけです。

おそらく、本人的には、褒められこそすれ、喝が入るとは思っていないことが多いわけです。

しかし、ドSの守護霊は、ズバリ、もっと努力せよといってくる場合があるのです。

言われる本人にしてみたら、「いやいや、どんだけ努力してきたことか!ふざけるな!!」と言いたくなってしまうのですね。

これはよくわかります。

私だって、守護霊の取次をしながら「それはないのじゃないの?」とちょっと伝えるのをビビってしまうことがあるくらいです。

だから、私は守護霊のコメントの解説を加えるときには、それはもう、慎重に慎重に(苦笑)、気を遣い、御相談者が傷ついたりしないかを考えつつ、でも、守護霊の取次としては、その意図を歪めてはならないので、その板挟みになりながらお話をしています。

守護霊は時として、サディスティックなのか、相手の努力以上のものをズバリ突きつけてくることがあります。

なので、どんなに本人的に一生懸命だったとしても、さらにそれをいくようにはっぱをかけてくることもあるのです。

本当にムカつく心厳しいいやがらせ?慈愛に満ちた喝をくださるわけです。

でも、その結果、御相談者が傷ついたり、頭に来たりした場合は、そのとばっちりは、私に向けられることが多いのですね。(泣笑)

まあ、取次者の宿命でもあり、しょうがないのですが、本当に守護霊アドバイスなどの取次をする際には、どこかで「どうか守護霊よ、お手柔らかに頼みます」と祈っている自分がいます。(笑)

受け取られる相談者の方だって厳しすぎると嫌になってしまうかも知れませんしね。

それでも、お構いなしにズケズケと物言うのが守護霊の側面でもあるのです。

もちろん、守護霊によってはものすごく優しいことしか言わない方もいるし、バリバリ体育会計な感じの方もいます。

いろいろですが、どんな守護霊がお出ましになるのかは、先方の都合なので何とも言えません。

そんなわけで、守護霊だからなんとなく優しいものばかりをイメージするかも知れませんが、結構、鬼のような?守護霊もいますので、気をつけましょう?(ってどうやって気をつければいいのやら)

ちょっとヤサグレ気味でお話した感もあるので、最後は真面目に締めますと、やはり守護霊のメッセージを受け止めるには、それなりの受ける側の覚悟も必要だということです。

覚悟とメッセージに込められた内容を咀嚼する力がないと単に守護霊からのメッセージの内容に頭にきたり、がっかりしたり、傷ついたり、誤解して疑念を巡らせたりしてしまう結果になるということです。

その点を今一度、正しておく必要があるかなと思います。


◎クリックご協力ください!



テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

天女と海原

言の葉は

愛嬌なれば

人和み

人動かすなり

口舌は

剣(つるぎ)なり

事を推し進めるものなり


弁財天


海原の

うねり

波打つ脈動

龍の棲みかなるかな

今は静かなり


江ノ島の海原


江島神社 参拝

◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

想いをつなげる

この世を去る時がきて


この世に何かを残して行けるとしたら


それは


血のつながりでもなく


DNAという謎めいた記号でもなく


家系という制度上のつながりでもなく


財産でもなく


名誉でもなく


生きた証でもなく


立派な墓碑銘でもない


形ではない


想いをつなげてゆくことだけ


エゴではなく


魂からの想いをつなげてゆけたら


何もいうことはない


想いはつなげられてゆくのかな


誰が想いを受け止めてくれるのかな


たんぽぽの綿毛のように飛翔した想いは


いつか誰かに受け止められるのかな


その想いは


花咲く大地を見つけるまで


飛び続けるのかな


きっと飛び続けるのだろうな


綿毛


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

守護霊と子供みたいに話そう

守護霊との接し方について随分前にお話した内容が以下の記事です。

【GW霊界開運講座】神霊は祖父母のごとし

守護霊との関係はまず、親しむことから始まります。

そうは言っても、どんな感じで接すれば良いのかわからないという方も多いと思います。

そのため、過去記事においても様々な視点から交流方法をお話してきました。

なので、過去記事は結構重要なことをお話しているものも多いのです。

FGSの会のメンバーには、最低でもバックナンバー記事を全てに目を通してほしいと願うのは、単純にページビューをあげたいからではありません。(苦笑)

それだけ過去には基本となることをお話しつくしているからなのですよね。

ただ、そうは言っても、中々、過去の記事は読まれにくいという傾向があるため、今回、再び、基本に戻ってお話してみたいと思います。

そもそも、なぜ、守護霊との交流を進めるのかといえば、それがスピリチュアル世界を比較的、安全に学んでいくための最初の一歩になるからでもあります。

いきなりハードコアな霊的な儀礼などから入ってしまうと、社会的生活にも混乱をきたす可能性もあります。

よくわからないまま、霊界のダークサイドに絡め取られてしまい、黒いものが白く見えたり、白いものがグレーに見えてしまったりするかも知れません。

なので、どのような入り方をするのかということは、結構重要なのです。

さて、今回のテーマは「子供みたいに話そう」ということでお話してみたいと思います。

祖父母のごとく親しみを持って接していくのが守護霊との最初のお付き合いの仕方ではありますが、では、具体的にどうしていくのが良いのかを考えてみましょう。

祖父母に甘えるのは、やはり孫であり、小さい子供ですよね。

小さい子供がどうやってお爺ちゃんやお婆ちゃんと接するか見てみるとわかります。

「あのね、僕ね幼稚園で仮面ライダーごっこしたんだ!」

小さい男の子ならこんな今日あった出来事を報告するかも知れません。

「ねえねえ、どうして熊さんはどうしてあんなに毛むくじゃらなの?」

それがどうした?と言いたくなるようなことでも、小さい子供はなんでも聞きます、話します。(笑)

これと同じようになんでもあったことを報告したり、くだらないと思えることでも尋ねてみたりする。

こういった、子供みたいなコミュニケーションをしていくと守護霊との親しみが強まってくるわけです。

ここで、「そんなくだらないことを聞いたら申し訳ない」とか「これはお話するような意味があることじゃない」と分別の心で裁いてしまうと守護霊との対話は長続きしないのです。

小さな子供のようになんでも話す。話題にする。

まずは、ここから守護霊交流に入っていくのが良いかと思います。


◎クリックご協力ください!

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

ツイッター
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
閲覧者数
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Happy Search★ ~占いと癒しの検索ポータルサイト~
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR