【公開質疑応答】一方的な霊的攻撃ってある?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、ルル様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


ご質問です。
人によるのかも知れませんが。よく霊感がある方が悪魔に殺されかけた、悪魔系の方に取り憑かれて生きるのに支障が出た、などブログで書かれている方とかいらっしゃいますが、強い霊力があると自分が何もしてなくても悪魔と呼ばれる方からの一方的な攻撃?はあり得ますか?
もしあるのならそういう方は一生そういうことに関わり続けないといけないのですか?


これは私個人の意見なのですが、個人の意識の弱さが原因じゃないのか。とか思ってしまいます。嫌な事があると他人のせいにするとかその物事から逃げとるとか。人なので、私も逃げてしまうことありますが(・・;)
何もしてないのに取り憑かれて嫌な事が続くなり霊に殺されかけるなどあるなら霊力のある素直に頑張って生きてる方が、可哀想過ぎじゃあないですか。

ちょっと気になったので、ご質問させて頂きました。


【回答】


ルル様

ご質問ありがとうございます。

>強い霊力があると自分が何もしてなくても悪魔と呼ばれる方からの一方的な攻撃?はあり得ますか?

悪魔というか所謂、霊障というものは、強い霊力があるなしに関わらず、存在しています。

悪魔的な存在からの直接的影響を敏感に感じ取ってしまうケースが、所謂、霊的に敏感な体質と呼ばれる方には多いと言えます。

悪魔にせよ、霊障にせよ、霊力があるから攻撃されるわけではなく、霊的な事柄に意識を向けているか、向けている意識はなくとも向いてしまう体質に原因がある場合がほとんどかと思います。

それ以外で考えられるのは、何か悪魔的な何かと関係性を持ってしまい、縁起が結ばれて、付きまとわれているというケースです。

むやみに降霊術や他、霊法をおもちゃにしたりして、霊界と戯れるようなことをして、憑かれてしまうというケースもあるでしょう。

また、先祖が生前に行った所業で、誰かを傷つけて強く恨まれることになり、その恨みの霊が先祖を辿って子孫にまとわりついているケースもあります。

あるいは、祠を潰したり、霊物が鎮まっている山林、川、池、井戸などを潰した場合、樹齢の長い木、特に神木などと呼ばれる特別な木を切り倒したりした場合、大量の動物、昆虫、などの生き物を殺生している家系などに生まれている場合などなど。

ケースはいくらでもあるかと思いますが、要するに関係性を結ぶ原因がどこかにあり、その結果、何らかの霊的攻撃を受けることになっているということです。

一方的に攻撃を受けていると思えても何かしら原因があるものです。

>もしあるのならそういう方は一生そういうことに関わり続けないといけないのですか?

の回答としては、その原因を突き止めて解決しない限りは、関わり続けていくことになります。

>何もしてないのに取り憑かれて嫌な事が続くなり霊に殺されかけるなどあるなら霊力のある素直に頑張って生きてる方が、可哀想過ぎじゃあないですか。

ご本人が何か自覚があるかどうかに関わらず、発生していることには、必ず原因があるものです。

その原因を突き止めていくことが重要なのかなと思います。

ご質問内容に挙げられた方がどのような理由で悪魔的な存在から攻撃を受けているのかにもよるので、何とも言えませんが、その方にとって、気の毒だとは思いますが、何かしらの原因を突き止めることができることを願うしかありません。

多くの場合は、意識の法則で霊界は動くので、そういった悪魔的なものを包含している霊界から距離をおくのがポイントになります。

「悪魔に殺されそうになった!」と強く意識すればするほど、その悪魔の霊的フィールドに引き込まれることになります。

なので、そういった意識を向けることをまずは、止めていくことが、そういった霊的攻撃を受けやすい方には基本として必要になってくることかと思います。


以上が回答になります。



天心 拝


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心の境地が大切です

何を行うにしても、同じような行動や態度、振る舞いをするにしても、そこから伝わる目に見えない何かがあります。

それをスピリチュアル的な言葉で言えば、霊波動ということになるのかも知れません。

霊波動というものは、全く、この世の科学的原理では立証できてはいないかと思いますが、その存在は経験的、直感的に感得されてきたという過去からの流れがあるようにあります。

理屈で立証が難しい事柄というものは、得てして、現代においては見逃されがちであり、ともすれば、怪しげという印象のもと影に追いやられてしまう傾向もあるように思います。

私達の全ての霊的な波動というものは、簡単に言ってしまえば、その根本に心の境地があります。

同じ所作、同じ言葉をもってしても、そこから伝わるものは全て違うものです。

例えば、同じ「ありがとう」という言葉でも、食事中にテーブル上にある、でも手が届かない場所においてある醤油を近場に座る人にとってもらう時に言葉にする「ありがとう」と、災害にあって、レスキュー隊に命を救ってもらった直後にいう「ありがとう」は、同じ言葉でも違ったものを含んでいます。

同じ「ありがとう」なのに何故、違うのかといえば、これこそ、その人の心の中にある境地に由来するとしか言い様がありません。

心の境地が改まり、本当に心の底からの感謝の言葉には、全く違った目に見えざる霊波動を感じるものなのですね。

もちろん、感謝の言葉だけでなく、全ての言葉にも当てはまります。

また、言葉だけでなく、振る舞いも全ての所作が心の境地に由来するのです。

私達は様々なことを学び、自分自身の魂の向上のために修練しながら生きていますが、実に本当はまず、この心の境地、すなわち心根を正すことから始める必要があるのかと思います。

言葉や振る舞いは、境地がどうであれ、形を整えてしまえばどうにでもなるかも知れません。

しかし、本当の意味でその言葉や振る舞いが真に叶ったものであるかどうかは、心の境地によって決まってくるものでもあります。

別の言い方をすれば、私達は振る舞い、言葉を発することを通して、その心の境地を霊格高いものへと練り上げていくのだと言えます。

私達が礼儀や美しい所作を習う意味があるとすれば、それは、心の境地を練るためだとも言えるのかも知れません。

私達は結局、形や物質的な事柄が原則や法則として支配する現世を生きていながら、その奥では、同時に目に見えざる心の境地を練るために生きていると言えるでしょう。

心の境地。

形と物質的な事柄が原則や法則として支配する現世に生きているとどうしても、蔑ろにされがちなことでもあります。

スピリチュアル的なものを理解し、体得していきたいと思う時、やはり、心の境地に気を配っていくことが大切になるのかと思います。


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【第五弾】質問募集

こんにちは!

天心です。

久しぶりに質問募集をいたしたいと思います。

個人的なご相談や鑑定、取次は別途、守護霊アドバイスなどを行っているので、純粋なご質問ということで、かつ私が答えられる類のもの、それから、回答することで皆様の学びとなりそうなものに関しては、ブログで回答を発表してみたいなと考えています。

この機会に公開質問をお寄せいただければ幸いです。

応募条件は、以下のようなものを考えています。

・冷やかしや不真面目、ふざけ半分な内容ではないこと
・個人的な愚痴や不満など他意や批判的な内容は受付いたしません
・プライベートなご相談ではなく、純粋な疑問やご質問のみ受付します
・今までブログで掲載した内容で答えがでていると想われるものは対象外とします。
・すべての質問に回答はできないことがあります。
・公開質問なので、応募頂いた内容はブログ上で公開してしまいます。
・いつ頃回答できるか、あるいは回答として取り上げられるかどうかはお答えできないのでご了承ください


とりあえず、このような感じで考えております。


【ご質問応募方法】

件名:公開質問応募

お名前:公開されても良い名前(ハンドル名でも可能) 
※ハンドル名とはネット上でのみ使用する仮の名前のことです。(以前、質問されたので念のため記載)

ご質問:なるべく質問の趣旨がわかるように記載してください。


応募先:tensin.session〇gmail.com ※〇を@に変更して使用してください。


【募集期間】

とりあえず、2013年11月15日までを区切りとして締切りたいと思います。

状況によっては延長するかまたは、途中で締め切る可能性もあります。


以上、お知らせでした。


天心 拝


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魂の旅路(グランドデザイン編)

私達の魂の旅路は様々な流れがあり物語があります。

決して単調で一言で表現できるような旅路ではありません。

私達は天命を持ち、魂の意志するところに基づき、様々な経験を通して、学び、魂を向上させていきます。

しかし、私達は決して孤独で単調な存在だというわけではありません。

一人ひとりの天命は違っても、運命の流れは個別にあったとしても、多くのものを共有しながら生きているのも事実です。

私達の魂が生きる時代背景や環境というものは、元を正せば神界からの意志により描かれた、大きなデッサンです。

どのような世界になっていくのか、宇宙のエネルギーの流れを決めているもの。

全ては、個々の魂の働き如何で変わってくるものでもありますが、同時に私達は大きな枠組みの中で生きているということも言えるのです。

例えば、日本という国には日本という国の霊界があり、その霊界の大きな枠組みというものは、ある程度が決められているものなのです。

それは、アメリカ合衆国であれ、中華人民共和国であれ、欧州や中東など、いずれの国でも同じです。

国家という枠組みの背後にも霊界は存在し、その霊界の大きな枠組みというものは、それぞれに決まっているものです。

言うなれば、国家の特性や民族の特性、私達個人にも個性があり特性があるように国家にも同じようなことが言えるわけです。

私達の魂の旅路は一見、個々人のものであるように感じられるかも知れませんが、実際には様々な私達個人の霊界よりも上位の霊界の枠組みによって影響を受けながら進められていきます。

霊界というものは、フラクタルに入れ込み、まるで時計に歯車のようにかみ合い、動かされながら運営されています。

なので、そんな霊界を背後に背負う私達の存在もまた、大きな枠組みの中で様々な影響を受けながら魂の旅路を進んでいくことになるわけです。


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もし今日で人生が終わるとしたら

もし今日で人生が終わるとしたら・・・


こんな問いかけを戯れにしてみることが時として誰にもあるだろう


そんな時、どんな答えを用意しているだろうか


全財産を使って思いっきり遊ぶ?


嫌な奴を思いっきり殴りに行く?


告白できずにいたあの人に想いを伝える?


カロリーを気にせず思いっきり美味しいものを食べてみる?


それとも会社をサボってかねてから行ってみたかった場所に旅行に行くだろうか


色んな思いがあるだろう


でもね


よく考えてみて欲しい


もし今日で人生が終わるとしたら


何か特別なことをして過ごそうなんて思っているとしたら


今日一日を本当に精一杯生きているのか


振り却ってみて欲しい


人生はいつだって突然に終を告げる


思いがけず幕が下りる物語


それが人生というものだろう


それなのに私達は


いつの間にか自分を殺して


何か見えない抑圧によって


人生と向き合わずに生きてはいないか


本当に人生を精一杯に生きているならば


もし今日で人生が終わるとしても


きっと、いつもと同じ


自分でいられるはずではないか?


もし今日で人生が終わるとしたら


いつもどおりの自分でいること


そんな風に思えたら


今の自分は精一杯生きているという


証なのかも知れない



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心に残った守護霊からのメッセージ23

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


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万巻の書をひも解け

学ぶ意志が足りぬ

ぬるま湯にて満足せぬよう

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ちょっとダレて学ぶことを怠っていた時に入った喝としてのメッセージです。

いつでも学べると、のほほんとしているといつの間にか緊張感を失い学ぶ意志も薄らいてできます。

ぬるま湯のような気持ちの良い状態というのは、別の見方をすると気が抜けている状態とも言えます。

楽しい時、幸せな時。

そんな時は人生に充実しているようでいて、実は学ぶ意志が希薄化している危機的な状態であるとも言えるといういことです。



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取次鑑定のご感想 Part3

守護霊アドバイス、天命・過去世調査などの取次鑑定のフィードバック、ご感想などを日々いただいております。

なかなか、ご紹介できないものも多い中(プライバシーに関する部分も多いので)、いただいたものから、ご紹介可能なものを少し発表してみたいと思います。



☆守護霊アドバイス


~~~~~~~~~


守護霊アドバイス


天心さま

大変お忙しい中、本当にありがとうございました。
厳しいことも言われるかもと思いドキドキしながらメールを開きました(笑)
希望がもてる内容でほっとしました(^.^)
ここ最近なんとなくよいほうに変化を感じており、頂いたアドバイスを心に刻みながら将来の飛躍に向けて一歩ずつ楽しんでいきたいと思います。

また、どうしても路頭に迷ってしまいましたら、ご相談させていただきます。
天心さまも大変だとは存じますが、どうかご無理をなさらずに、これからもブログ等 楽しみにしています!

ありがとうございました。


30代 女性

~~~~~~~~~


天心 様


この度は、守護霊アドバイスをありがとうございました。

心を大切にするということですね。

深く響きました。

私は、今までの経験より、
自分の心のままにちゃんと生きられていると思っておりました。

それが、
最近のいろいろなメッセージでは、
どうもそうでもないらしい
ということをうっすらと感じてはおりました。

でも、どうしようもないので保留といいますか
ほったらかしにしておりました。

ですが、今回の天心様からのお取次ぎで
真の道を歩みたいという気持ちが
また一層強く感じられるようになりました。

心して、一歩一歩、参りたいと思います。

ありがとうございました。


40代 女性

~~~~~~~~~

天心様

お世話になります。

守護霊アドバイス、有り難うございました。

他人には話さない方が賢明ですね。
仰る通り、守護霊様と向き合えない方には特に・・。

前の彼は結果的に9年付き合いましたが、
本当にたくさんの事を学びました。

今は、新たな自分の問題(エゴ)が表面化してきて
克服するのに悪戦苦闘しております。

結果に執着せずに今の生活を大切にして、
日々学んでいきたいと思います。

お忙しい中、どうも有り難うございました。
季節の変わり目ですので、どうかお体を
大切にお過ごし下さいませ。

今後とも宜しくお願い致します。


20代 女性


~~~~~~~~~


☆天命・過去世調査


~~~~~~~~~


私は新潟出身なのですが、前世でも新潟に生まれていたなんて驚きました。

今はその地を離れて暮らして居ますが、周りをよく見てみると新潟に由来している物に囲まれて暮らしています。

改めて考えてみると縁があるなぁ、と思いました。鑑定にも書いてあるように郷土愛が本当に強かったみたいで自覚は無くとも魂は覚えているんだなぁと驚きました。

今回示して頂いた天命ですが、私が足りていない部分だと痛感しました。

私自身シンクロニシティで答えやヒントを貰う事があるのですが、今回鑑定して頂いた内容はシンクロニシティとリンクしてました。

未熟、苦手な部分だったこともあって面倒だと無視していましたが、天心様にまで言われ、考え直すキッカケになりました。

それからまたシンクロニシティが起きまして、素直という言葉や文字をよく目にすることが多く、これは素直に聞きなさいという意味なのかなと考えてます。

なのでもう少し苦手な部分と向き合って、克服し、天命を全うしながら皆様のお役に立てるよう精進していきたいと思います。

ありがとうございました。



20代 女性



他にも沢山のフィードバックをいただいておりますが、今後、折を見て発表できればと思います。



天心 拝


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【あとがき】自己啓発とスピリチュアル

【第三章】自己啓発とスピリチュアルからの続きになります。

序章から始まり、本論としては第一章から第三章までの範囲で自己啓発とスピリチュアルの違いなどについてお話させて頂きました。

今回は最終回ということで、あとがきとして総括させて頂きます。

自己啓発にせよ、スピリチュアルにせよ、とても抽象性のある概念であり、本来はとても一言では表せないものだと思います。

今回、このシリーズでお話したことも、そういった意味では、まだ沢山の穴があると言えるでしょう。

ただ、昨今の状況を見ていると段々と自己啓発なのかスピリチュアルなのかという境界線はとても希薄になってきているなと感じています。

自己啓発も段々と現実における表層的な意味から、人の持つ精神性に焦点を当てたものが多くなっているように感じます。

例えば単純に技術的なノウハウの追求であったものから、マインド的なことの変革に主眼が置かれるようになってきているようにも思います。

というか、普通にチャネリングとかパワースポットだとか、本来はスピリチュアルな分野の専売特許的に思われていたことすらも、自己啓発書の中で見られるようになってきたように感じるのです。

ところが、自己啓発という分野においては、相変わらず、解決思考の範囲という掣肘を受けているようにも感じています。

自己啓発は基本的にはカタルシスを与えない。

その点は、あまり変わっていないように思います。

しかしながら、こうして自己啓発がスピリチュアル分野と呼ばれていたところにも進出してくると、スピリチュアルの本来持っていた、浄化思考の部分が埋もれてくるのではないかとも危惧しています。

全てを解決したい。

解決の向こう側に幸せがあると無条件に思ってしまい、その延長線上でスピリチュアルの門を叩く人が多くなってきているようにも思います。

守護霊も神仏も人の持つ霊性というものも、別に私達の問題や課題を解決するためだけに存在しているわけではないのです。

もちろん、立ち上がって問題に取り組むときには力添えはしてくださるはずですが、そのためだけに存在があるわけではありません。

それは、丁度、私達の周りにいる人たちが私達の願望や都合、問題や課題に必要かどうかというためだけに存在しているわけではないのと同じです。

私達はそれぞれに目的があり、夢を見たり、問題に悩まされて葛藤したりしながら生きています。

誰かの都合のために生きているわけでもなければ、単純に問題解決のために生きているわけでもないのです。

そのことを忘れるとき、スピリチュアルの本質的な現実への働きかけは失われてしまう一方であるのかも知れません。

正直に言えば、今回のシリーズもどれだけのひとに真意が伝わるのかは自信はありません。

誤解を受ける可能性もあるかと思います。

しかし、少なくとも、自己啓発やスピリチュアルが何を問いかけてきているのかということを考えてみる一つのきっかけにはなったのではないかと思います。

漫然と世の中に溢れる情報を受け入れていると時々、混乱したりわからなくなってりすることもあることでしょう。

そんな時には、どこに本質があるのか?という問を自分自身に発して見ることも良いのではないでしょうか。


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【第三章】自己啓発とスピリチュアル

【第二章】自己啓発とスピリチュアルからの続きになります。

前回は、自己啓発的な解決思考では越えられない問題が人生には多々存在することをお話させて頂きました。

もう少し掘り下げて言えば、解決は表面上の問題点のクリアにしかすぎず、人の幸せに通じるかどうかは、別の問題であるということに解決思考の限界があるということです。

自己啓発は問題や課題を解決に導く手法や考え方などを提供してくれるかも知れませんが、その人が本当の意味で幸せになれるかどうかまでは、考えていません。

解決の先には幸せがあるはずという希望のもと、その目前の課題をクリアすることだけに本来的には着目しています。

もちろん、人生においては、様々な問題、課題をクリアしていく必要があるわけで、そういう意味では解決思考は私達が人生を歩む上で必要な要素でもあるでしょう。

しかしながら、解決の先にある幸せを意識せずに、目前の問題、課題だけをクリアにしていくことだけに注力すれば、人生は何とも虚しいものになってしまいます。

では、解決思考ではどうにもならないことは、どのような発想で向き合ってゆけば良いのでしょうか。

そこにスピリチュアルにおける浄化思考の必要性があると言えるのです。

浄化思考とは、何かと言うと、言ってしまえば、カタルシスを得るということだと思います。

私は、これを昇華という言葉で表現することが多いです。

例えば、前回の記事でお話した例え話に戻って考えると、両親の死や友人・知人などを亡くした時の悲しみというものは、解決思考ではどうにもならないものです。

無理やりに解決思考で表面上の解決を試みれば、表面上はクリアできているように見えても、心の中には大きな傷やシコリを残すことになることでしょう。

では、浄化思考では、何を重視するのでしょうか。

浄化思考では、解決することにはあまり重きを置きません。

それよりも、起こっている問題や課題を人生や魂の向上といった一段も二段も上の次元で見ていくことが大事になります。

上の次元から俯瞰して見ていくと、私達が遭遇する苦しみや悲しみにもある種の意味やストーリーが存在することに気づくことができるものです。

例えば死というものは、単なる不幸や悲しみとして捉えるのではなく、そこにまつわる意味やストーリーを考えてみると、死とは生のあった証であり、その集大成であることがわかるかも知れません。

死によって、初めて、その人の生が完結し、そこにどんな人生だったのか、その人生にどんな意義があったのか、こういったことを考えることができるようになります。

私達は近しい人の死を通して、その人がどのような人だったのかを知ることができるのかも知れません。

もしかするとその人のことを本当の意味で評価する唯一の瞬間がその人が亡くなるという経験の後にしか訪れないのかも知れません。

そう考えた時、私達にとって、死とは単なる悲しみで終わらせて良いものではないことがわかります。

死ということ以外にも苦しみも悲しみも、あるいは喜びも楽しさも、さらに言えば、成功、失敗ということも、全て様々な意味や意義があるものです。

これらを考えずして、全てを表面的に解決してしまうのではなく、しっかりと自分の中で受け入れ、自分の中で整理していくこと。

これらを促すカタルシスを得ることが浄化思考の本質と言えます。

そして、スピリチュアルが現実に対して与えてくれる効果というのは、本来的にはこのカタルシスを与えてくれるという部分なのではないかと思います。

もちろん、スピリチュアルには霊界事情が様々に関与するため、単なるカタルシスを与えてくれるというだけのものではありません。

ただ、霊界事情は、今回のテーマでは論点が発散してしまうので、除外して考えています。

霊界事情を除外し、あくまで現世におけるスピリチュアルの本来的な効果は、やはり浄化思考によるカタルシスを得ることだと言えるでしょう。

私達の人生に意義と意味を与えていくためには、自己啓発的な解決思考では、難しいと言えるのではないでしょうか。

以上が自己啓発とスピリチュアルの本質的な違いになるかと思います。

次回で本シリーズは最終回となります。

後、一回、お付き合いいただければ幸いです。


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【第二章】自己啓発とスピリチュアル

【第一章】自己啓発とスピリチュアルからの続きです。

前回におきましては、自己啓発とスピリチュアルの本質的部分の定義についてお話させて頂きました。

軽くおさらいしておきますと、自己啓発は解決思考が本質にあり、スピリチュアルには浄化思考に本質があるということをお話しました。

自己啓発は、何かしらの問題や課題を解決していくことにその本質があるということです。

解決を必要としていることがあれば、すなわち、そこには自己啓発的な思考が入り込む余地があるということです。

しかしながら、解決すべき問題や課題という意味では、スピリチュアルにおいてもあるとは思います。

悩みや葛藤があり、それを解決したいという欲求からスピリチュアルの門を叩く人も沢山いることかと思います。

同じように解決を目的として行われることならば、スピリチュアルも自己啓発の範疇に入るということになるのでしょうか。

そう考えて振り返ってみると昨今、自己啓発の思想の中にもスピリチュアル的な要素が取り込まれているケースも見られるようになってきました。

そうなるとますます、スピリチュアルと自己啓発の違いがわからなくなってきそうです。

しかし、自己啓発とスピリチュアルには決定的な違いがあります。

もう少し言葉を足すと自己啓発の解決とスピリチュアルの解決とでは本質的な違いがあります。

それはスピリチュアルにおいては、自己啓発の陰に潜む、解決できない事柄を扱っていきます。

「それって霊的世界の問題とかですか?」

とこう思ったかも知れませんが、ここで言っているのは、そういうことではありません。

確かにスピリチュアルの世界とは霊的問題も扱いますが、それだって解決という意味では自己啓発の解決思考と変わりません。

誤解を恐れずに言ってしまえば、霊的問題を取り除いて解決するとしても、それは自己啓発上の解決思考と何ら変わりはないのです。

では、一体、自己啓発の解決思考では解決できないものとは何であるのでしょうか。

そのためには、私達は一度、人生を振り返って考えてみる必要があるかと思います。

私達の人生は様々な問題や課題に溢れてはいますが、本当に私達の人生はこの問題や課題を解決したら幸せになれるのかという問題です。

一番典型的な例を上げれば、死の問題などがそれにあたります。

私達は生きている以上、必ず死にます。

そして、自分が死ぬ前に大抵の場合は、人の死に遭遇します。

一番身近なところで言えば、いつかは養ってくれた両親とは死別します。

あるいは友人・知人の死とも遭遇することでしょう。

そんな時に私達はとても深い悲しみとどうにもならない想いで胸がいっぱいになることかと思います。

さて、こんな時、これらの悩みや葛藤を解決思考で解決できるものなのでしょうか。

死んだ人間を生き返らせることができるというのであれば、もしかしら解決できるのかも知れませんが、そうはいかないのが現実です。

「死んでしまったものはしょうがない。どうにもならないことは見切りをつけて前へ進む」

自己啓発的解決思考で考えるとこんな発想が生まれてくるかも知れません。

しかし、果たしてそれは本当に幸せを得ることができる解決策だと言えるのでしょうか。

理屈上は確かに正しいかも知れません。

起こってしまったネガティブなことを引きずっていても、良いことはありません。

だから、気持ちを切り替えることで新しい人生を歩んで行く。

このこと自体は正しいと思います。

しかし、親しいものを亡くした時の痛みも辛さも、どうしようもない苦しみも忘れ去って、ただ、解決し、前に進めば良いのでしょうか。

そうではないと思いませんか?

自己啓発による解決思考の限界とは、人生には所謂、理屈上の解決、表面上の問題のクリアが根本の本質的な解決すなわち幸せにつながらない部分が多々あるということです。

例えば、自己啓発した結果、お金持ちになったならば、それだけで人生から不幸は消えて、幸せいっぱいの人生を送ることができるのでしょうか。

念願の愛しい人との結婚さえ実現したら、後はハッピーな人生が待っているのでしょうか。

会社で出世して立派になったら、それで人生は双六のように「あがり」になり、万事全てが丸く収まるのでしょうか。

考えてみてください。

そんなに単純じゃないはずです。

お金持ちになろうと大好きな人と結婚しようと、会社で出世競争に打ち勝てたとしても、人生には、解決しきれない様々なものが付きまとうのです。

これが自己啓発による解決思考の限界なのです。

では、この解決思考の限界を如何に超えてゆくのか。

その答えがスピリチュアルによる浄化思考にあります。

次回はその点についてお話していきたいと思います。


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【第一章】自己啓発とスピリチュアル

【序章】自己啓発とスピリチュアルからの続きになります。

まず、自己啓発とスピリチュアルの本質的な違いについて定義していこうと思います。

いきなり細部から入ると、ごちゃごちゃになってしまうので、一番、肝になる部分をまずは押さえておく必要があるかと思うのです。

では、自己啓発とスピリチュアルの本質的な違いとはいかなるものなのでしょうか。

自己啓発においては、その中心にあるのが解決思考であるということ。

そして、スピリチュアルは浄化思考であるということです。

解決思考と浄化思考とは一体いかなる違いがあるのでしょうか。

まずは自己啓発に関して考察してゆきたいと思います。

自己啓発とは何かといいますと、簡単に言うと自己を啓発し改善、改革し、自己の理想を実現させる思想であると言えます。

例えば、営業マンがどうしたら顧客の心をつかむセールスができるようになるのか?というテーマも自己啓発です。

また、スピーチが苦手な人がどうしたら人前で、流暢にしゃべれるようになるのか?というのも自己啓発と言えるでしょう。

あるいは、単純に自分自身の才能を見つけ出すということも自己啓発の範疇と言えるかも知れません。

お金持ちになるための成功法則を身に付けるなんていうのも自己啓発ですね。(昨今はこういったものが注目を集める傾向にある?)

いずれにせよ、自己啓発という言葉に由来する範囲はとても広く、単純にこれこそが自己啓発であるいうようなものはありません。

自己啓発というものは、ある程度、抽象化された概念であり、その意味するところに該当する分野はそれこそ、星の数ほどあるのではないかと思います。

だからこそ、自己啓発と一口に言ってみても、その実体はつかみにくかったりします。

では、自己啓発を一言で言い表すことはできないかというと、私は解決思考という言葉である程度、まとめることができるのではないかと思います。

解決思考とは、何か問題なり、課題なりがあり、それを解決していこうとする思考のことをいいます。

自己の理想という課題があり、それを実現するために様々なことを解決していくのが、自己啓発の役割であり、その本質は解決思考にあると言えるのではないでしょうか。

営業マンがセールスの力を身につけたいのは、営業ノルマが達成できず、困っているからかも知れません。

その困っている問題を解決するための提言を行っているのが自己啓発書の類だと言えます。

あるいは、スピーチが上手になりたいという人は、結婚式のスピーチを頼まれて、皆の前のスピーチをする必要に駆られている人かも知れません。

その人にとっては、人前で恥をかかずにスピーチを成し遂げなければならないという解決すべき問題があるわけです。

自分の才能を見つけたいと思っている人も自分の中にある、自分が自分らしくありたいという欲求を解決したいがためかも知れません。

いずれにせよ、全ては問題があり、課題があって、それを解決したいという欲求に基づくということなのです。

さて、このように自己啓発の本質的部分についてお話してみましたが、これを聞いていて、ふと「それならば、スピリチュアル的なことも解決思考なのではないか?何かしらの問題を抱えている人が答えを求めて、スピリチュアルの世界の扉を叩くのではないか?」と思った方もいらっしゃるかも知れません。

実がここが自己啓発とスピリチュアルが混ざり合うことになる部分であり、同時に誤解を沢山、与えてしまう部分でもあると言えます。

確かにスピリチュアルの世界においても問題や課題を解決していくという発想はあります。

しかしながら、それは自己啓発の解決思考とは少し方向性が異なるものなのです。

それでは、自己啓発の解決思考とスピリチュアル的な解決の意味の異なる部分とは一体なんなのでしょうか。

この点に関して次回からお話していきたいと思います。


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【序章】自己啓発とスピリチュアル

大型書店に出向いてみるとわかりますが、本当に様々なコーナーに分類された書棚が並んでいます。

そんな書棚の一角に「自己啓発」コーナーも設けられています。

そして、何故だかその近辺には、「精神世界・スピリチュアル」のコーナーも肩を並べていることがあります。

自己啓発とスピリチュアル。

この二つは同じように人の生を充実させたいという願いを持った似た香りを持つもの同士という感覚があります。

人生に難義なることが発生したり、自分をより成長させたいという思いが湧き上がる時、人は何かを求めます。

その求めるものは様々にありますが、そのうちの一つとして、自己啓発があり、スピリチュアルがあると言えます。

この二つは、それぞれに人生において指し示すものは大きく違うのですが、昨今の傾向を見ていると、ごちゃまぜのマーブル状態になっていると言えます。

別にそれはそれで構わないのではないか?とも思うのですが、今回はあえて、この二つの違うについてお話してみたいと思います。

何故、あえて話をするのかといえば、実はこの二つの考え方には本来的には大きな隔たりがあり、これを理解しておかないと自己啓発に何を求め、スピリチュアルに何を求めるべきかがわからなくなることがあるからです。

違いがわかるとこの二つとどう向き合えば良いのかがわかります。

比較してどちらが優れてるとか、そういうことを言いたいわけではありません。

人生を豊かに送るためには、どちらの要素も実は必要だからです。

そういう意味では、二つが融和されようとすることも、事情としては良くわかります。

次章からこの二つの違いについて具体的にお話していきたいと思います。

またまた、長くなってしまいそうな予感がありますが(汗)、出来ればついて来て頂ければと願います。

こういうシリーズを立ち上げると何故だか拍手数(FC2の場合)が減少するので、あまり歓迎されていないのかな?とちょっと凹んだりしますが、懲りずにやります。(苦笑)

では、よろしくお願いいたします。


天心 拝


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善国寺-毘沙門天

東京の神楽坂。

お店が立ち並ぶ賑やかな道沿いに毘沙門天を祀る善国寺はあります。

JR飯田橋駅から徒歩7、8分といったところでしょうか。

善国寺は、山の手七福神の一柱である毘沙門天を祀る日蓮宗系のお寺です。

私は20代の頃に初めて存在を知り、その後、度々、お世話になっています。

最近では久しぶりのご挨拶となりましたが、参拝をさせて頂きました。

七福神の一柱として、財宝を授ける神として親しまれていますが、元々は仏教の仏神、十二天の一柱でもあります。

見るからに無骨で力強い姿で描かれる(あるいは作られる)仏像が多いと思います。

その出で立ちに負けないくらい、強い守護をくださる仏様です。

同じ力強い仏様である不動明王様とはまた少し異なり、毘沙門天様は、戦略、知略に優れたところもあり、防御力といいますか、鉄壁の守護を授けてくださるという側面があります。

自分の中に悪なるものが入ってこないようにするという働きです。

それから、如何に悪を挫き、善を広めていくかという戦略、戦術をさずけてくれたりしています。

私自身は、よく生霊を弾き返すための結界を作るときにお助けを借りています。

鉄壁の防御なので、他人の念を弾き返すのにとても優れた功徳を表してくださいます。

また、悪なるものと対峙し、その中で善を推し進めて行かねばならない苦しいときにも、戦略、戦術を後押ししてくれたりするので、困窮し、迷った時には、何故か毘沙門天に心が向き、気がつくと神楽坂に足が向いています。

思えば、あの百戦して負け知らずと言われる上杉謙信公も毘沙門天を崇拝していたことで有名です。

上杉謙信公は決して私心でもって戦を行わず、武将でありながら深く仏法に帰依された方としても知られています。

上杉謙信公が負け知らずであったのも毘沙門天の加護があればこそだと思います。

私たちも人生を行く道すがら、悪なるものと対峙し、それでも善を貫かねばならない局面を迎えることもあります。

そんな時は、毘沙門天に加勢していただくのも良いかと思います。


オンベイシラマンダヤソワカ


天心 拝


niji.jpg
神楽坂ではありませんが、神仏との架橋を意味する虹を最近みましたので掲載しておきます。


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博物館にて学ぶ?-美と調和-

こんにちは!

天心です。

最近は秋だというのになぜだか湿気が多くて困ってます。

今は梅雨か!というくらいに湿気を感じることが多いです。

そんなことを感じているのは、私だけでしょうか。

どうでもいい話から入ってしまいましたが、どうでもいい話ついでに私が以前、博物館に行った時のことをお話してみたいと思います。

以前より、よく上野にある東京国立博物館などに出向いていたことがありました。

出雲展とか国宝大神社展とかエジプト展とか気になるイベントがある時は、なんとか時間を作って出向いていくことにしています。

歴史などのお勉強も兼ねて行くわけですが、単なる知識的な学びと違い、古代から残されてきた遺物に実際に触れてみることで、見えてくるものもあります。

そういった空気のようなものに触れる機会というものは、結構、貴重だったりします。

どうしても座学でわかったつもりになってみても、実際の空気というか、その歴史から漂う気を正確にトレースすることは難しいものです。

なので、こういった博物館に出向くことも良い勉強になるのです。

後、これは個人的なことなのでどうでも良いのですが、最近は歴史的なものに触れているとなんだかホッとすることがあります。

身の回りのものがものすごいスピードで革新を遂げたり新しくなっていく世の中で、歴史というものは(特に古代の歴史は)、あいもかわらずそこに「居る」からです。

じっと動かずにいつでもおいでと言わんとばかり待っていてくれる。

そんな気がするのです。

なんでもかんでも早く進化を遂げるのがいいのかと、ふと疑問に思う時もあります。

もちろん、進化し成長していくことが魂の意志であることは間違いありません。

でも、それは単なる便利になるとか、新しい技術を追い求めるということだけを意味しているわけではありません。

時にはじっくりと魂と向き合い、熟成させるゆったりとした時間を持つことも大事なことでもあるのかも知れません。

もちろん、ゆったりしすぎて腐ってしまっては元も子もないわけですが(苦笑)

結局のところは中庸(ちゅうよう)なのかなと思います。

さて、博物館の話に戻りますが、東京国立博物館はとても広くて大きなところなので、展示品も多く、結構、見ごたえがあります。

常設展(年間を通じて展示されているもの)を含めてゆっくり見て回ると2、3時間くらいかかってしまうのではないでしょうか。

私は貧乏性なのか、時間が許すときは常設展を行くたびに何度も見て回ります。

結構、なかなか拝観できない仏像などが展示されていたりするので、何度もじっくり見てしまいます。(笑)

博物館の中には展示ルーム以外にもお約束として、お土産売り場があります。

ここも必ずと言って良いほど、立ち寄る場所になっています。

お土産売り場には、様々な展示会のテーマに即したグッズが並べられています。

例えばエジプト展であれば、ツタンカーメンの人形やら、スカベラをかたどったオブジェなどが並べられています。

展示品を見終わった後、いろんなエジプトグッズが並んでいるとテンションが上がるわけです。(笑)

そのテンションでもってお土産を買って帰ってもらおうというのが、博物館側の商売戦略なわけですね。

「なかなか、うまいやり方ですな」なんて、ひとりごちてみるわけですが、私もそのうまいやり方に乗せられて(笑)、気がつくと、なんだかわからないピラミッドのオブジェを購入しているのでした。(笑)

お土産売り場の様々なエジプトグッズと肩を並べているピラミッドがなんだかとても美しく見えてしまったわけです。

で、そんなにお値段も高いわけではなかったので、来館の記念に一つ購入。

記念といっても、結構な頻度で博物館に来館していた時期だったので、また、どうせ来るのだろうと思いつつ(笑)

さて、博物館を出て、そのまま真っ直ぐ家路につくと、早速、お土産袋に入ったピラミッドを取り出してみます。

小さなエジプトのピラミッドを机の上においてみます。

そして、じーっと眺めてみる。

な~んだかな~、違うのですよね。

何が?と思われるかも知れませんが、要するにあまり美しく感じないのです。(苦笑)

博物館のお土産売り場で見たときの感動や輝きは、私の机の上のピラミッドにはないのです。

どうしてしまったことなのでしょう。(笑)

そこで、私はハタと気づきました。

私が買った小さなピラミッドは、あのエジプト展という空間のさらには、多くのエジプトが調和するグッズの中に存在するとき、その美しさを発揮するということです。

スフィンクスやらツタンカーメンやら、他のエジプトという空間を創りだすグッズたち、もちろん、それ以外にもお土産売り場をエジプトっぽく内装していたりしてエジプトという一種の擬似的霊空間がそこには現れていたのです。

その中に調和したピラミッドのオブジェだからこそ、光輝いて見えたというわけですね。

つまり、美とは調和であり、調和なき美はありえないということなのです。

私の日常の細々としたものが散らかる雑然とした机の上にエジプトのピラミッドがポツンと寂しいそうに佇んでいる。

全く調和していないのです。

だから美しくもないし感慨もない。

そのことを悟った私は、人間のありようも同じかも知れないと思ったのです。

自分が今、何をすべきかという点においても、結局は全体を考えて調和をしていく、調和を考えていくしかないということです。

そのためには、美しさを感じることをするということが重要なキーポイントになるのではないかということです。

どんなに意義の深いピラミッドも調和していなければ、滑稽で寂しい存在でしかないのです。

自分という存在に意義があるとするならば、どのように調和していくのかを考える必要があるのではないでしょうか。

机の上に漠然と置かれた小さなピラミッドを見つめながら、そんなことを考えた思い出があります。

皆様に置かれましても一度、美と調和について考えてみられてはいかがかと思います。


P.S

その後、机の上の小さなピラミッドは、大怪獣(小さなピラミッドから見た場合)虎縞にゃんこの襲撃を受けて、右往左往と蹴散らされておりました。(苦笑)

その後のピラミッドの消息は不明です。(汗)

おしまい


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心に残った守護霊からのメッセージ22

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


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変わること

変わることこそ

人の生の妙味である

変わるとは流されることにあらず

一心にゆくものだけに訪れる福音なり

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初志貫徹というのが一番良いと思ってしまいがちですが、守護霊様は変わっていくことに本当の人生の意義があるとおっしゃられていたことがあります。

例えば、最初に抱いた夢が、人が成長する過程で変わっていく。

過去世の因縁に引かれて今生も同じような道を歩もうとする人も多いけれど、そうではなくて、過去世の因果をも超えて新しい境地を得たならば、行くべき道も変わっていく。

変わるということは、とても、不思議で面白く意義深いものだと守護霊様は言います。

でも、流されることと変わることは違うもので、何かを一心に想い、進むとき新しい何かが見えてくる。

これは、一心に物事を突き詰めた人にだけ訪れる福音だということです。


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事件は現場で起こっている?

「事件は会議室で起こっているんじゃない。現場で起こっているんだ!」

この名台詞は、踊る大捜査線というドラマの主人公である、織田裕二が演じる青島刑事が劇中で発したものですね。

結構、有名な台詞なので、知っている方も多いと思います。

踊る大捜査線は、警察官に憧れて脱サラして刑事になった青島を主人公とした、警察や警視庁といった組織の持つ問題点や内部事情をモチーフにした人間ドラマであり、所謂、刑事ドラマとは一線を画したものとして、放送当時は人気のあるドラマでもありました。

映画化もされていまして、上の台詞は確か映画のワンシーンでのものだったと記憶しています。

さて、今回はこの台詞にちなんだお話をしてみたいと思います。

そもそも、この台詞の意味するところは、現場での苦労や実際の現状を顧みず、会議室の中で話し合われた内容だけで捜査が進められていく不条理に対する、現場の刑事の叫びというところでしょうか。

しかしながら、事件を問題や課題、目標の実現ということに置き換えてみると多くの場合、事件は現場で起こっていないことが多々あります。

どういうことかといえば、事件とは大概は、まず、自分の頭の中(あるいは心の中)で起こるものでもあります。

私たちが人生を歩む中で、自分なりの夢や希望、目標を持ったり、課題や問題にぶつかった場合、まず最初に頭の中でそれは起こっていると言えるでしょう。

自分の頭の中だけで事件は発生し、まだ、その事件を知る人間は自分以外にはいないと言えます。

多くの場合、ここで悶々と悩み葛藤し、人は孤独を感じます。

何しろ、頭の中の事件ですから、この事件を担当している刑事は自分だけです。(笑)

一人で事件を担当しているとどうやっても煮詰まってしまうことが多いように思います。

そこで必要となることは、頭の中で起こっている事件を会議室に下ろすということであります。

こうすることで少なくとも会議室のメンバーという複数の人からのフィードバックを得ることできるようになります。

事件は自分一人のものじゃなくなり、他人と共有するものとなります。

この会議室では色んな意見が出てくることではありましょう。

肯定的な意見もあれば、否定的な意見もあることでしょう。

しかし、一人ではないので、一人で煮詰まることはありません。

もちろん、会議室で起こっている事件はやはり良くも悪くも机上の空論です。

色んな意見を元にある程度のアイデアや計画が練られたら、今度は、できる部分から実行に移していくことが必要になります。

ここで始めて、「事件が現場で起こる」ことになります。

実際の現場で何かしらアクションが起こって始めて、得られるフィードバックもあります。

これは、アイデア通りにいった、これは思っていたより難しい、難しいと思っていたけどやってみたら意外と問題なかった。逆に思いがけないことが起こって、それについてまた検討する必要がでてきた。意外なところからの助っ人が現れた。抜本的なアイデアの練り直しが必要なことがわかった。

様々な現場に事件を下ろしたことで、フィードバックが起こり、一つずつ夢や希望、目標、あるいは問題解決は具現化していきます。

できることから現場に降ろして始めれば、また、新たなるフィードバックと変化を得ることができるわけです。

「頭の中の事件」にしておくと、煮詰まりやすく、具現化する前に腐ってしまう可能性も多々あります。

なので、積極的に「頭の中の事件」は「会議室の事件」に下ろし、「会議室の事件」を「現場の事件」にしていく必要があるということです。

「事件は会議室で起こっているんじゃない。現場で起こっているんだ!」

と青島刑事のように叫ぶ以前にまずは頭の中の事件を会議室へ下ろしましょう。

それから、現場の事件にしていきましょう。


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根底を覆す発想

前回は、お散歩中に受け取ったメッセージなどを絡めながら、まったりとお話させて頂きましたね。

今回もまた、ちょっとまったり気味に行かせて頂きます。(笑)

まあ、散歩はいいものだということで、私の散歩はときどき、発見するお店などに立ち寄ってみたりの、割とのらりくらりとした、気分次第で変わるコースでございます。(笑)

ある時も歩き疲れた私は、途中でヤマダ電機を発見して、立ち寄ることにしました。

なぜ疲れている時にヤマダ電機?と思われるかも知れませんが、ヤマダ電機にはあるコーナーがあります。

それは何かというと・・・マッサージチェアお試しコーナーでございます。(笑)

「ジジくさいなお前!」と指さされてしまいそうですが、結構な距離を歩き通しだったので、疲労回復の誘惑には勝てません。

ということで、ヤマダ電機へレッツGO~でございます。

もちろん、お試しさせて頂く身でございます。お一人様、15分までというマナーはちゃんと守りましたよ。

あっでも、私がお試しさせてもらったマッサージチェアは、お店側が設定していた時間が、なぜだか16分になっておりました。

私はいじってないですよ~

ということで、変にいじくるのもアレなので、そのままの時間で利用させて頂きました。(えへへ)

まあ、そんなことはどうでも良いのですが、マッサージチェアというものも色々な種類がありますね。

私が物心つく子供の頃に見たシンプルなマッサージチェアからすると大分、ハイテクになっています。

単に叩くとか押すとかではなく、位置調整、振動、エアー圧縮に温熱機能、ひいてはストレッチ機能まで付いています。

しかも、ほぼコンピューター制御でリモコンには様々なボタンが付いています。

お値段も中々なものです。(う~ん、どんな人が買ってゆかれるのだろうか。。)

で、お試しのマッサージチェアに座り、体中をグリグリされながら(笑)ちょっと考えたことがあります。

いや、色々、ハイテクにはなっているのですが、やっぱり、何か違和感というか、やっぱり、昔のマッサージチェアと根本的には変わらないような感覚なんですよね。

これは一体どうしてなんだろう?

とか、少し考えていると、私にはマッサージチェアが今以上に進化するためには、もっと根底を覆すような発想が必要なのではないかと思い始めるようになりました。

確かにマッサージチェアは色々と進化を遂げてきているようではありますが、それでいて、今ひとつ脱皮できない理由があるような気がします。

それはなんであろうか。

考えていて、いくつかのアイデアが(妄想が(笑))浮かんできました。

そうだ!マッサージチェアは、「椅子に座る」という発想から抜け出せないでいるのではないか!

こんな妄想に近いアイデアが浮かんできたのです。(笑)

「いやいや、椅子に座ってマッサージするから、マッサージチェアなんでしょ!」

というツッコミをされそうですが、考えてみれば、なんで椅子に座らないといけないのだろうと思います。

椅子よりももっとリラックスしてマッサージを受けられる方法も検討すればあるような気がします。

それから、次に浮かんだのは「揉み玉という発想を止めてみる」というアイデアです。

考えてみれば、これもマッサージチェアの常識みたいになっていて、マッサージチェアには揉み玉と呼ばれる、筋肉をグリグリしてくれる玉がついているものです。

昨今のマッサージチェアは、これが色んな形をしていたり、暖かくなったり、複雑な動きをしたりするように進化していますが、そもそも、揉み玉じゃないものを使ったマッサージチェアに今までで一度もお目にかかったことはないように思います。

いっそ、揉み玉ではなく、もう手の形をした本当の人の手で揉むのと同じような機械を作れないものなのかと徐々に妄想の世界(笑)

マッサージチェアのメーカーの人が聞いたら「お前無茶言うな!」と怒られそうなことを沢山お話しましたが、もちろん、どれも妄想の域をでないことなので、軽く流してくださって結構です。

ただ、私が一番思ったことの肝の部分をいえば、色々、進化していると思えるけれど、結構、根底の部分を疑ってみるといった抜本的な発想の転換をする人は少ないのだなということです。

私たちは意外に自分の中にある前提を覆せないものなのかも知れません。

自分らで作り上げてきた前提を覆すのは、とても勇気もいりますし、リスクも伴います。

でも、本当の意味での「自分を変えたい」「進化していきたい」と考えるならば、一度、自分の中にある永遠の定理や公理となっているような前提を疑ってみる必要もあるのかも知れません。

う~ん、誰か揉み玉以外の椅子に座らなくても良いマッサージチェア作らないかな~


なんて、マッサージチェアにグリグリやられ、揺られながら、妄想する天心でありました。(笑)


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学び方の質

こんにちは!

天心です。

最近はすっかり秋らしく涼しい風が舞う中、時折、運動不足解消のため散歩を心がけています。

不思議なのですが、机の前でとっぷりと考え込むよりも、歩き回りながら、思考を巡らす方が実に様々なものを受け取りやすかったりします。

守護霊や神霊からのメッセージなど、取次鑑定の場合は別ですが、それ以外のイレギュラーなものは、実に散歩したり何かに取り組み動いている時に受け取る場合がほとんどです。

メッセージを受け取るなんて言うと、なんだかお祈りをしている時に降りてくるというイメージがあるかも知れませんがそればかりではないのです。

むしろ、本当に重要なメッセージは最期の最期で忘れた頃にやってくることも多いのです。

さて、それはともかく、テクテクと足取り軽く、歩いていると、途中でイーオンを発見!

あっ断っておきますと、散歩といっても、私の場合は見知らぬ土地や普段、歩かないところを探索することが好きなので、なるべく発見のある見知らぬルートを通ります。

で、話を元に戻すとイーオンがあったので、ちょっと立ち寄って見ることに致しました!

イーオンは総合的に幅広く商品を扱っているお店なので、色んなものを物色することができます。

私は必ず、そういうところにいくとチェックする部分があります。

それは本屋さんが入っているかどうかです。

Amazonなどのネットショッピングでいくらでも本が手軽に探せて購入できる世の中になりましたが、それでも私の原点は店舗としての本屋さんなのです。

街を歩いていて、本屋を発見したらまず間違いなくチェックします。

なぜか本に関しては結構、アナログ好きです。

それはともかく、イーオンの中をチェックしてみると本屋さんを発見!

早速、フラフラと吸い寄せられるように書棚の並ぶところへ向かい、本の背表紙が並ぶ姿や平済みの新刊本をチェックしていきます。

一応、ジャンルに関わらず一通りはチェックすることにしています。

そして、自己啓発の書棚に差し掛かった時にあるハードカバーの本が目に入ってきました。

その本はとても有名な著作で、自己啓発界ではバイブル視されているような本です。

タイトルは秘密にしておきます。(笑)

別に内容に関して紹介するつもりも、コメントするつもりもないからです。

とても分厚いハードカバーの本で、成功法則を説く大御所が笑顔で表紙を飾っています。

何気なく手にとって、パラパラとページをめくってみると、そこにはギッシリと成功法則の教え?が論理的に図表なんかも差し込まれながら解説されていました。

思わずため息がでます。

「これ全部読むの大変そうだな~(苦笑)」

自己啓発のバイブルと崇められるほどの本を手にしての感想がそれかい!とツッコまれそうではありますが、私の正直な感想でした。

その後に思ったのは、この分厚い本を読み終わったら、さぞ、達成感というか充実感があるのかも知れないなということでした。

その時です。

私の中で降りてくるメッセージがありました。

それは、「学ぶ内容でなく、学び方の質」というものでした。

ん?なんのこっちゃ?と最初は思いましたが、その後、よくよくメッセージの内容を吟味してみるとその意味がわかってきました。

つまり、書籍というものは、内容が重厚で学びがいがあればあるほど、ある問題点を抱えているということです。

それは、どんなに素晴らしく重厚な内容を書き記せたとしても、その本を読むだけでは、なんにもならないということです。

いや、むしろ、重厚な内容の本であればあるほど、読後感やその内容に酔いしれたり、感銘したりしてしまう分、本質からずれてしまう可能性があるということです。

例えば、私が手にとった自己啓発のバイブルも同じです。

本当に書かれている内容は素晴らしく、重厚であり、色んな人から評価を受けているからこそ、こうして、今も本屋さんで取り扱われているわけです。

なので、内容はきっと申し分ないのでしょう。

しかし、そんな素晴らしい内容の詰まった本が世の中で脚光を浴びる位置にあったとしても、次々と本当の意味で自己を啓発して生まれ変わる人が出てこないのが現実です。

この理由は、結局のところ、学ぶ内容の問題ではなく、学び方の質が向上していかないことにあるというのがメッセージの趣旨であったわけです。

どんなに素晴らしい内容の情報が開示されようとも、その学び方の質が向上していかない。

どうしたら身についていくのか。

それを指導しうまく導いてくれる指導者が少ないということなのかも知れません。

学ぶ内容を求める人は多くいます。

世の中では次々と新しい情報や内容が発信されていきます。

しかし、どれだけ内容や情報が開示されようと、本当の意味で学び方を体得していかないとまるで意味がないということを教えられたわけですね。

今回は私が散歩中にたまたま受け取ったメッセージの一旦を紹介させて頂きました。

こんなふうにいつもいつも、気づきと諭しがそこらじゅうに転がっているものです。

人間、いつでも、どこでも学びはできるということですね。(笑)


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【2013年10月度】神田明神への参拝

2013年10月度神田明神月参りをしてまいりました。

毎度のことながら、ご寄付の一部からお玉串をさせて頂きました。

もちろん、献灯の継続祈願串の奉納もさせて頂きました。

皆様に神様からの追い風の力が降り注ぐように祈念して参りました。

10月に入り、秋口の様相が漂い始めていますね。

秋といえば、読書の秋でもあり、何かと学びも深まる落ち着いた良い時期です。

また、秋はアキ、すなわち「飽き」にも通じていて、今年の後期に差し掛かることで、夏の暑さから解放されて、気が抜けてしまい、中途挫折する時期でもあります。

今年も残すところ最期の四半期となりますが、飽きずに頑張って参りましょう!


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神田神社 神門


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なぜ次元をあげる必要があるのか

一生懸命に努力すれば皆幸せになれる。

こんな言葉をどこかで聞いた覚えが私にはあります。

皆さんもどこかで聞いたことがある言葉ではないでしょうか。

でも、この言葉には沢山の矛盾があって、多くの人が首をかしげてしまう事態にもなっています。

どういうことかといえば、そもそも、どんな人だって、皆、大抵は一生懸命に生きているものです。

一生懸命に正しくあろうと、良き善なる人であろうと皆、努力しているものです。

その努力の仕方や表現方法は違うけれど、どんな人でも努力していない人はいない。

にも関わらず、あいも変わらず、世の中には不遇なことや不幸せな状況が渦巻いています。

こういった状況を目の当たりにして、「一生懸命に努力したって幸せになんかならないじゃないか」「正しいことを推し進めたって一向に僕らの生きている社会はよくならないじゃないか」と愚痴をこぼしたくなるのも無理はないかと思います。

皆、一生懸命に努力はしているし、正しくあろう、善なる人であろう、愛あることをしようと思っていても、一向に状況は良くなっているようには見えない。

そう感じてしまう理由について、少しお話してみたいと思います。

まず、今回、お話したいのは、一人ひとりの正しさ、善、愛、美なるものを寄せ集めても、全体の幸せ、というか、本当に幸せにはつながらないということです。

これだけでは、何を言っているのかわからないと思いますので、少し例え話をしてみたいと思います。

ある時、とても真面目な警察官がいたとしましょう。

彼の使命は街の治安を守るために市民に法を遵守させることにあります。

彼自身も真面目な気質でもちろん、法は犯しません。

彼は自分の使命に忠実で、どんな不正も見逃しません。

信号無視している人はないか?自転車二人乗りしている人間はいないか?道路にゴミをポイ捨てしている人はいないか?道路で寝転んで迷惑をかけている人はいないか?

ともかく、法に遵守していない人を常にチェックして、見つけたら問答無用で逮捕して、調書をとり、法に照らして罰則を加えるべく手続きをして上に報告いたします。

彼の仕事は法を遵守させることにあり、彼の行っていることは、彼の使命からすると正しいと言えます。

しかし、彼は法を遵守させることしか頭にはありません。

たまたま、ちょっとボーッとして信号が変わったのに気づかず立ち往生していた車も容赦なく検挙します。

ちょっと、嫌なことがあって飲みすぎてしまい、思わず道路に寝そべってしまった人間も見つけ次第、法に照らして留置所にぶち込みます。

彼の行動は法を遵守させるという警察官の使命としては、正しいと言えます。

でも、街の空気はどうでしょうか。

法は遵守されたけれど、どこかピリピリして活気がありません。

何か間違いを犯したら、即座に逮捕されて刑罰の対象となるので、街の人は戦々恐々として暮らしています。

この警察官は、決して間違ったことはしていません。

むしろ、愚直なまでに自分の使命を全うしているだけなのです。

にも関わらず、街の雰囲気は最悪なものへとなっていきます。

さて、警察官のお話は一旦、横において、今度はある芸術好きのお金持ちのお話です。

芸術作品が大好きなお金持ちの男がました。

その男は、趣味が高じて、大きな美術館を建設することに致しました。

美術館は芸術の殿堂として相応しいものにしたいと考えた男は、彼が日頃、お気に入りにしているアーチスト達を集めて、それぞれの芸術性を活かして、建物の内装を決めさせようと、彼らの好きなようにさせることにしたのです。

皆、偉大なアーチストなので、彼らがそれぞれに力を発揮すれば、素晴らしい美術館が出来上がると考えたわけです。

しかし、いざ、美術館が完成し男が内装を確認してみると、そこにはグチャグチャで混沌とした、なんだかわからない気持ち悪い空間ができていました。

男は気分が悪くなり、思わず美術館を飛び出しました。

美術館の内装は確かに依頼したアートストたちがそれぞれに遺憾なく個性を発揮したものではありました。

ある部分は和風の清楚な感じであり、かといったら、突然、洋風の風体が現れ、一方ではエスニックな感じで問行った感じでまとまりも調和もなにもなく、グチャグチャの混沌と化してしまっていたのです。

さて、長々と例え話をしましたが、何を言いたいかというと、部分的な正しさや部分的な美しさを追求し、寄せあつめても、決して、大きな意味での正しさや美しさなどには、つながらないということです。

仮に個別の正しさ美しさを追求することを「部分善」と名づけたとしましょう。

そして、全体的な調和が取れた正しさ美しさ、ひいては幸せな状態を「全体善」と名づけます。

一つひとつの個がそれぞれの部分善を求めて行動していけば、世の中は調和がとれた全体善が実現するのかというとそうはならないということなのです。

これが、私たちが一生懸命に個別に努力を積み重ねているけれど、一向に幸せを掴めなかったり、社会の状況が良くならないと感じてしまう理由なのです。

では、どうしたら、私たちの行う努力が部分善ではなく、全体善に繋がるものとしてくことができるのでしょうか。

そのためには、次元を上げて物事を発想し、次元の高い太極観にて物事を判じていくことを行わなければならないということです。

個別の視点、個別の努力、個別の幸せを追求しても、本当の意味での全体善にはつながらないのです。

これが次元を上げることが必要である本当の意味なのです。

単純にエネルギーの流れが変わるとか、次元上昇すれば幸せなれると言われる裏側には、きちんとした理由があるということです。

この点を理解しておくことが、今後のスピリチュアルティを探求していく際に必要となるかと思います。


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現世から霊界への移行

基本的に現世にて如何にスピリチュアリティを発揮していくのかについてを中心に語ってきたので、以外と現世に生きる「生」から、霊界へ移行するいわゆる「死」についてまとまったお話をしてこなかったように思います。

以外と誤解の多い、生と死のはざかいについて少しお話してみたいと思います。

一般的に認知されているスピリチュアル的な発想でいくと生が終わり、死を迎えると霊界へ旅立つといった流れになるかと思います。

わかりやすい表現だと思うので、私も時折、このような表現を使うことはあります。

他のスピリチュアル系の方々においても、同じような表現を使っている方も多いように思います。

この流れの説明は、わかりやすいし受け止めやすいので、多くの方が使われているわけですが、この表現が多くの誤解を生む結果につながっていることも確かです。

肉体が滅び、現世から霊界へと旅立つとすると、霊界とは、どこか遠くにあって、そこに移動していくという発想に結びつくのかと思います。

しかしながら、実は霊界とは遠いものでも、どこかへ旅立つといった私達の生きる現世とは無関係の世界というものでもないのです。

私達は今こうして現世で生きている中でも、その背後では霊界に生きている存在でもあるのです。

このようなことを言うと、「何言ってんだコイツ?」という反応が帰ってきそうです。(苦笑)

なので、本質的な霊界の説明というものは、とても理解してもらうのが難しいので、様々なメタファーが生まれたわけです。

メタファーとは、例え話や暗喩や象徴といったものです。

物事はわかりやすくすると本質から少しずつ距離ができるものです。

そして、いつの間にかメタファーとしての表現が本質的なこととすり替えられてしまう場合もあるのです。

そこで、少しずつ霊界というものについて、本質への回帰を図るためにも、巷に言われている霊界事情の真実の部分についてお話してみたいと思います。

まず、仏説では人が死ぬと49日間は、現世に留まり、その後、あの世に旅立っていくというお話があります。

私達、日本人の習慣的にも慣れ親しんだ発想でもあり、あまり深くは考えないと思いますが、実はここにも霊界の実相が秘められています。

なんとなく、肉体が滅びるとその霊魂があの世にいくという発想はスピリチュアル的思考をされる方であれば、それほど違和感なく受け入れられる人も多いかと思います。

しかし、何故、49日間、現世に留まるのかについては、疑問に思う人も多いのではないでしょうか。

よくある説明としては、現世への未練を断ち切るために、現世に留まることが許された期間であるといったものがあります。

この説明は正しいのかと問われれば、概ね、本質はついていると言えますが、やはりメタファーの部分が強く出ています。

なぜならば、それほど、未練や執着を持っているものがない人だっているはずなのに、どうして皆、49日間、留まることになってしまうのかについては、説明できていないからです。

49日間という日数の意味はとりあえずおくとして、なぜ、すぐに霊界へと移動しないのかというと、その理由は移動しないのではなく、できないからなのです。

私たちは長い間(といっても魂の歴史から考えれば大した時間ではありませんが)、現世という特殊な制約空間の中で暮らしています。

本来、私たちの本質は霊性や神性といった物理空間を離れたものにあります。

しかし、長い間、現世の中での制約空間に身をゆだねて生きてきたため、その感覚で私たちは縛られているのです。

常に現世の有り様だけに意識を集中してきたため、すぐには霊界や神界という本質的な世界へと意識を向けることはできなくなっています。

なので、しばらく現世に近い、霊空間の中で霊的世界に馴染むまで留まることになるわけです。

そして、段々と霊界のあらましなどを頭ではなく感覚で馴染み理解していくと霊界への移動が始まるわけです。

ここで注意しておきたいのは、移動といっても物理的な移動とは本質的には違うということです。

意識カーソルの移動であり、意識状態の移行なのであって、どこか別の場所にいくのではないのです。

ただ、ここの説明がややこしいので、メタファーとして「霊界へ移動する」と表現しているのです。

現世的な感覚から霊界感覚に移行していくにあたり、その中間層となる霊空間が存在します。

それを幽界と呼んだりする場合もあります。

時折、霊界に入る前の準備段階の世界として幽界と表現されているスピリチュアル的な書物もありますが、これは現世意識から霊界意識への移行の中間期にあたります。

この中間期は人により滞在(意識状態の期間)期間が異なる場合もありますが、一説によれば、最長30年くらいとも言われています。

もちろん、そんなに長くならない場合もあります。

すぐに霊界移行を実現してしまう場合もありますし、浄霊や供養などの霊的なサポートによっては、もっと早まる場合もあります。

単純に亡くなったら霊界にいくというわけでもないのです。

現世から霊界への移行にも様々なプロセスがあると言えるということです。


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見ることのない世界に想いを託して

今日も僕は小さな小さな苗を植える


そよ風が撫ぜただけでも、手折られそうなか弱い苗を植える


そして、僕はその苗が大きな立派な姿となって


育つ姿を見ることはない


その苗が世界一面に繁茂する


そんな世界を見ることはない


決して見ることはないけれど


僕はそんな世界に想いを託す


見ることのない世界に想いを託して


今日もまた、小さな小さな苗を植える


見ることのない世界と


僕との繋がりを感じながら


見ることのない世界に生きる人たちと


僕とのつながりを想いながら


今日の日に植えた苗の行く末を


僕は見ることはないけれど


僕はそのつながりを信じて


今日も小さな小さな苗を植えるだろう



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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-天駆宮3】

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前回記事は二番目のリンクをクリックでページが切り替わります。


<前回までのおさらい>


天駆宮(あまかけるみや)は、童心を司る霊界ということでした。

しかし、それだけではないようです。

玉守地蔵菩薩(たまもりじぞうぼさつ)にお話を伺ってみると、この霊界は、童心をコントロールできず自分を見失った霊人も集まってくるようです。

一体、それは何を意味しているのでしょうか。


<続き>

小屋には窓があり、そこから覗いてみるとその中は、煌々と明かりが点っていて、明るいのですが、そこには沢山の霊人が集まっています。

昔のそろばん塾のような感じで、肩を並べながら、何かを教わっているような様子です。

随分と賑やかな感じで、中の霊人は落ち着きがなく、好き勝手な行動をとっているようにみえます。

なんだか現世における学級崩壊を彷彿させます。(苦笑)

そこに集う霊人達は皆、子供のような幼い顔をしているのですが、子供というわけでもないようです。

何か、わーわー騒いでいる声が聞こえるのですが、耳を傾けるとわかるのですが、声は子供ではなく、大人の声です。

というか、話している内容は子供の無邪気なソレとはちょっと違います。

自分自身のポリシーや主張を叫んでいるものもいれば、自分の世界に浸って、全く周囲を見ていない霊人もいます。

素直に前を向いてお勉強に取り組もうとしているけれど、自分で何かに積極的に向かうというよりは、手とり足とりしないと何もしないといった態度の霊人もいたりします。

若干、混沌とした状況の中で、神霊がそれぞれの霊人を指導していて回っています。


天心:「なんだか凄い状態になっていますが、この小屋のようなものは何を意味しているのでしょうか?」

玉守地蔵菩薩:「玉之学び舎(たまのまなびや)です。」

天心:「何を学ぶところなのですか?」

玉守地蔵菩薩:「自己と他との調和です。」

天心:「調和ですか。確かにこの玉之学び舎の中は混沌としてますね」

玉守地蔵菩薩:「自己の見えている世界だけしか知らずに生きた御魂に異なるものを与え調和することを学ばせています」

天心:「自分の見識とか自己中心にしか物事を見れない状態を解消するということでしょうか」

玉守地蔵菩薩:「自分自身すらも見えなくなってしまった御魂たちに今一度、広く学び大きな視点で見ることを教えることが目的なのです」

天心:「でも、ちょっと意外なのですが、上部霊界に位置する場所にしては、なんというか混沌としていますね」

玉守地蔵菩薩:「ここにおいては、まだ、素直なる御魂が集うので波動は清らなか方なのです」

天心:「確かに混沌としていますが、重たい感じや嫌な気配などはない感じですね」

玉守地蔵菩薩:「下なる世界はもっと辛く、思い波動で満ちています」

どうやら、この霊界の玉之学び舎はまだ、清々しい方で、下部霊界には、もっとどんよりと思い、荒くれた御魂が集う学び舎もあるようです。

それに比べれば、まだ、幼く未熟だけれど、霊性が優れた霊人は、上部霊界の中で学べる分だけ、マシだと言えるのかも知れません。

守護霊:「次なる霊界へとゆくべし」

唐突に守護霊が割り込んできました。

ちょっとゆっくりしすぎたのか、守護霊なりにツアー計画があるのかわかりませんが、促されるまま、次の霊界へと向かいます。

天心:「次はどんなところに行くのでしょうか」

守護霊:「次は決まっておるぞ」

やっぱり、守護霊ツアー計画なるものがあるようです。(笑)


☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-天使霊統編】へ続く


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Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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