神様のドングリ- 予言の兆し -

はじめて読む方は神様のどんぐり- はじまり -からお読みください。

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神様のドングリ- マモリギ その8 -からの続き。

尊い小さな命が召された時。

ただ慟哭だけがその場を支配しています。

ドリの死に後悔と悲しみと様々な思いを抱くバリス。

そんな冷たく重たい時間が過ぎ去ってから、数日後のこと。

マモリギの傍をお腹を空かせて肩を落とした狐の姿があります。

・・・ ◇◆ 予言の兆し ◆◇ ・・・

美しい樹木やたわわに実る果実でいっぱいだった山道。

しかし、今はあちこち樹木はなくなり、マモリギだけが平原の中に寂しくそびえ立っています。

地面も穴だらけであった場所にようやく小さな草が生えてきていますが、食べられそうな植物は見当たりません。

時折、キューっという小動物の鳴き声のような音をお腹が立てると狐のタイラーはなだめるように摩りました。

「腹減ったな・・・」

弱々しい声で呟きながら、同時に自分のしたことを振り返っています。

神様のどんぐり。

最初は悪戯半分で思いついた嘘でした。

でも、それを利用して森の動物たちを支配しようと企むものが現れるとは夢にも思っていなかったのです。

あの岩窟の王者メフィスとの対峙でタイラーは自分自身の浅はかさを痛感させられずにはいられませんでした。

結果、タイラーは自分が主食としていた木の実のなる樹木も安心して暮らせる住処も奪われることになってしまったのです。

しばらくは、あちこちを歩き移動しながら、食べ物や寝場所を探してきました。

しかし、タイラーにフィットする食べ物も住処もそう簡単に見つかりません。

歩き疲れて、結局、気づくとマモリギの傍を歩いていました。

この世界で一番大きいといわれる樹木。

世界の守護神であるマモリギ。

タイラーは今まではそんな言い伝えを耳にするたびにバカにしたような気持ちでいました。

物言わぬ樹木が一体何を守るというのだ・・と。

でも、今は歩き疲れてマモリギに寄りかかるように背中を持たれて一眠りしたい気分でした。

そして、実際にマモリギにもたれかかると非常に気持ちが良く何だか自分自身が抱きしめられて、守られているような気分になってきました。

「マモリギ・・か。まんざら嘘でも・・」

気持ちの良さから何かをつぶやこうとしましたが、それよりも前に瞼が下りてきて、心地よい睡魔の誘いに導かれて、眠りに入ってしまうタイラーなのでした。

タイラーが眠りの淵に落ちてから幾ばくの時間が流れたでしょう。

タイラーはふと何かの気配を感じて、目覚めました。

キョロキョロと周囲を見回してみましたが、他の動物の気配はありません。

気のせいか。

そう思おうとしたときに何か光のようなものがタイラーの顔を直撃しました。

思わず顔をのけぞらせて、手で光を遮りながら、光の発する正体を見極めようと目を細めて睨みます。

光を発しているのはマモリギでした。

樹木全体が光のベールに包まれています。

「これは・・・夢か?」

タイラーは自分はまだ寝ぼけているのかと頭を左右にブルブルふってからもう一度、マモリギを見ました。

さっきよりかは視界はハッキリとしていますが、やはりマモリギが光っているのを再確認しました。


タイラーよ

孤独な狐よ

無知なるものよ

お前は何故この世界を滅ぼすことに手を貸したのか

どこからともなく聴こえてくる声があります。

タイラーは再びキョロキョロと周囲を見渡しますが、やはり動物の気配はありません。

一体、どこから声が・・・

タイラーが訝しんでいると再び声は語り掛けてきます。


タイラーよ

お前の探しているものは今目の前にいる

先入観がお前を盲目にしている

よく見据えて受け入れるのです


耳を澄ましても、どこから聴こえてくるのかは分かりません。

ここにいるのはタイラーだけ。

いや、タイラーとマモリギだけなのです。

「まさかマモリギが・・?」

一瞬、そんなことが頭に浮かびますが、タイラーは苦笑いして心の中でそれを否定しました。

そんな馬鹿な。

樹が喋るわけがない。

そんなことをタイラーが考えていると突如、マモリギが再び光を強く放ち、樹木全体が揺れて、枝葉がわさわさと音をたてました。

突然のことにタイラーはビックリしてマモリギを凝視すると再び声が聞こえました。


タイラーよ

罪深きものよ

孤独なる哀れなものよ

括目しなさい

耳を傾けなさい

世界の終りを止める最後の機会を逃さぬように



今度はさしものタイラーも絶句してマモリギをただ茫然と見据えています。

目の前で信じられないことが起こっているのをみて動けないでいます。

タイラーはごくりと固唾を飲み込むと呟きました。

「なんてこった。樹がしゃべってやがる」


・・・続く

神様のドングリ- 予言の兆し その2 -へ続く

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水辺で気を付けること

こんにちは!

天心です。

相変わらず暑いですね~

猛暑を涼しく過ごそうと避暑地に出かけたり、海水浴などに行かれる方もいらっしゃることかと思います。

時期的にも夏休みですから、ご家族で旅行とかもされている方も多いことでしょう。

海と言えば、夏場は海難事故が起こりやすいので気を付けたいものです。

毎年、溺れて亡くなる方がいらっしゃいます。

大抵、「溺れるはずないよ」と思っている方ほど、事故にあいやすかったりするものです。

もちろん、事故を怖がっていては海や川で遊ぶことができなくなってしまいます。

なので、あまりに気にしすぎるのはマイナスです。

ただ、あまりにもこの時期は海難事故が多いので、一つスピリチュアル的にこの問題を考えていきたいと思います。

実際、行楽地や歓楽街など楽しい雰囲気を持つところほど不成仏霊が好んでたむろする傾向があります。

海水浴場なども実際には色んな霊が集まってきていることが多いです。

そんなことを意識しすぎると楽しめないので、あまり考えない方が良いわけではありますが、それでも、やっぱり貰い受けしてしまうケースもあります。

行楽地から帰ったら急に不調になったり、具合が悪くなったりするわけです。

貰い受けの場合は憑依レベルも低いことが多いので、ほっといても離れていくことが多いので、それほど気にしなくて大丈夫なのですが、海などの水気が集まる場所に行く場合は若干、注意した方が良いかも知れません。

水気というのは霊的なエネルギー作用の媒体となりやすいので、色々、降りてくるのです。

実際、海難事故が連鎖して起こってしまう傾向があるのも、溺れたりした方がそのままお止まりになっているケースが多いからでもあります。

必ずしもそればかりが原因ではありませんが、少しでもそういった霊的な干渉によるリスクを減らすためには以下の簡単な言霊を唱えてから海や川などで遊ぶと良いでしょう。

みずはのかみ うみひらき わたつみは たいらかに しずまれり

以上、簡単ではありますが、ご紹介させて頂きました。

ご活用頂ければ幸いです。


天心 拝


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家庭という霊的フィールド

こんにちは!

天心です。

夏場も本番、真っ盛りといったところで(2014.07.28現在)、熱気で心は熱くなる一方ですが、身体は暑さで今一つ円滑に動かないというギャップに苦しんでいます。(苦笑)

夏場では海難事故なども多く起こり、ちょっと水回りにおける注意事項などをお話しようかと考えていたのですが、先ほど、別途、指導霊より別の指示が下りてきて、このことを話しなさいということだったので急遽、話題を変更。

今回のテーマはずばり「家庭」についてです。

私はしばしば、結婚のスピリチュアル的な意味などを質問されたりするのですが、多くの方は結婚というと男と女が出会うということや、その後の二人の生活、あるいは子供が出来た後の事柄など個別にイメージされる方が多いように思います。

正直に言えば、男女が出会うことは結婚に限定しなくても、仕事で一緒に活動する関係、恋愛関係、あるいは友達としての関係など他にも色々なケースがあります。

子供だって別に結婚という制度があるから生まれてくるわけではなく、男と女が愛し合い結び付くことで、そこに子供が生まれる結果が生じるわけです。

結婚にまつわる個別の事柄を追いかけて行けば、良く考えると「結婚」って何だろう?何の意味があるのだろうと考え込んでしまうことにもなりかねません。

良くある勘違いに結婚は自分が幸せになりたいからするのだということがあります。

でも、良く考えてみてください。

結婚をすれば、自分自身の好きなようにはふるまえません。

伴侶のこと、子供が出来れば子供のことも考えなければなりません。

なので、結婚したら確実に自分自身の個人としての幸せからは単純に考えると遠のきます。

しかし、相手のことを想い、自分の自由を制限しても良いから相手を幸せにしたいと思うことが出来るのならば、初めて結婚して幸せになる可能性はあるのかと思います。

それはさておき、結婚をして一番に何を考えた方が良いのかということについてお話してみたいと思います。

実はこの結婚をして一番に考えるべきことについても多くの勘違いが潜んでいます。

さて、結婚後に一番大切なことは何であるのかわかるでしょうか?

二人の生活をするのに十分な広い家でしょうか。

子供が生まれてもちゃんと育てられるだけの財産の蓄えでしょうか。

「いやいや、お互いを想う気持ちが大事なことでしょ」という意見もあるかも知れません。


これらはどれも要素としては重要なことなのかも知れません。

しかしながら、実はポイントがずれています。

「ん?でも、家や財産はともかく二人がお互いを思いやることは一番重要な気がするけど?」

こう思う方もいるかも知れませんね。

でも、実は違います。

先ほども言いましたが、男と女が出会いお付き合いをするというお話であれば、確かにお互いを想う愛があればそれでよいといえます。

恋愛に必要なのは愛ある想いであって形ではないからです。

しかしながら、結婚後については少し違うのです。

二人が想い愛し合う以外に何が必須なのかと言えば、それは「家庭」を作るということなのです。

家庭というのは目に見えるものではありません。

スピリチュアル的な目線で言えば、霊的フィールドという表現も出来るかと思います。

どんなに家が広く立派であっても、どんなに財産の蓄えがあっても、子供が生まれてもそれだけで「家庭」にはならないのです。

家庭とはじっくりと時間をかけて、家族で意識しながら作っていくものなのです。

実際、持ち家もあり、子供もいるし、家族で住んでいるけれど、家庭は崩壊しているというケースは多々あります。

もう一度言いますが、家庭というものは意識して築いていかないと築けないのです。

特に個人主義が標準的になってしまっている現代においては尚更です。

鳥居に玉砂利、鎮守の森に拝殿、本殿、賽銭箱に社務所があれば神社という神域になるのかと言えばそうでないのと一緒です。

神社の神主さんが一生懸命にお勤めをして神社を神域足る状態にしてくれているから、こそ、神社は神域たる霊的フィールドになっているわけです。

家庭も同じなのです。

家族の絆を深めたり、心を一つにしたり、そういった創意工夫がなされて家庭が作られていくのですね。

そして、家庭という霊的フィールドを築くために結婚という一つの現世でのあり方があるわけです。

もちろん、結婚という選択だけが、人生のあり方ではありません。

霊的フィールドは他にもあるわけなので、結婚しないで別の生き方を選択するということもありえます。

そのような場合を除けば、結婚をするということは、家庭を作るということが何をおいても一番に考えていくべき事柄だということです。

どうしても、個別の要素ばかりを考えてしまうと家庭を作るという発想がなくなってしまいがちになるので、注意が必要なのかも知れません。


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冗談を理解する心

あの人は真面目で冗談が通じない。

こんな言葉を時折、耳にすることがあります。

真面目さというのは一つの美徳でもあり、取り分け日本人の中では実直さや真面目さは評価される徳目であることは間違いないといえるでしょう。

もちろん、不真面目でいい加減なものが良いなどと言えるはずもなく、真面目にコツコツと積み上げてきたからこその成果というものも世の中には沢山あります。

しかしながら、真面目で実直であればそれでよいのかというと実のことろそうとばかりは言えません。

昨今、私は真面目さが行き過ぎるがゆえに人は行き詰るのではないかと思えることを度々、見かけることがあるのです。

真面目に頑張れば道は開けると信じてただひたすらに実直であろうとする。

それは素晴らしいことでもありますが、大きな罠も潜んでいることを今回は取り上げてみたいと思います。


◇◇ 「真面目」というあり方に欠落しているものとは? ◇◇

さて、真面目な人によく見られる傾向として冒頭でもお話したように「冗談が通じない」ということが挙げられます。

私自身も時折、冗談を交えながらお話をさせて頂くことがありますが、意に反して額面通り受け止められてしまい、誤解を与えてしまうことがあります。

理由の一つには私の冗談のセンスがマズイので(苦笑)、うまく伝わっていないという部分もあるでしょう。

これに関しては、ごめんなさいと言うほかありませんが、もう一つの理由として、読み手が真面目過ぎて、額面通り、表面通りにしか受け止められない精神状態になっていることもあるかと思います。

「真面目に受け止めて何が悪いのだ!」

とお叱りを受けそうですが、確かに真面目なこと自体を問題視するつもりはありません。

問題なのは、その真面目さの裏側に咀嚼力の低下が隠れている場合があることなのです。

ここで冗談というものの本質を考えてみましょう。

冗談というと品性が低く、くだらない、取るに足らないことだと思われてしまう傾向があります。

確かに何かを伝えていく上で冗談というものは本質ではなく、話題の緊張感を緩めるクッションに過ぎない場合が多いといえます。

冗談ばっかりで本質的な話が一向になされないというのでは本末転倒であるといえるでしょう。
(但し、お笑いや芸人の方は別ですが)

私自身も冗談を言う時は、あくまで話が固くなり過ぎないようにするためのいわば方便として使うわけで、実際のところ受けを狙っているわけではないのです。

「それなら冗談など言う必要はないのでは?真面目な話を真面目にすれば良いではないか」

こんな風に思う方もいらっしゃるかと思います。

しかしながら、誤解を恐れずに言えば、冗談を理解するということは実はとても重要なことでもあるのです。

なぜならば、冗談を理解するためには、様々な文脈情報を瞬時に咀嚼して受け止めることが必要だからです。

冗談は様々な世の中に流れる情報や在り様を織り交ぜて、洒落や皮肉を笑いとユーモアに包んでうまく表現する必要があります。

そのため、冗談を聞いてクスッと笑いがこぼれるということは、それらの様々な背後に込められた文脈情報を咀嚼できているということになるのです。

逆に言えば、文脈情報を理解できないとどういうことになるか。

額面通りに受け止めてしまうため頓珍漢な解釈をしていまったり、冗談に気付かずに腹が立ったりしてしまうわけです。

額面通りに受け止めるというのは、それだけ背後にある文脈情報を読み取る力、咀嚼力がないということになります。

ここで少し、文脈情報がなぜ重要なのかについてお話していたいと思います。

ある時、ネットのニュースを閲覧していると次のような文面が飛び込んできました。

女優の石原さとみさんが「来週、双子のおばさんになります」という見出しが目につきました。
(ニュースソース:http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20140726/Tvfan_904556.html

さて、これを読んでどう思われますでしょうか。

普通に考えれば、きっと石原さとみさんの兄弟に双子の子供が生まれる予定でそれが来週のことになるのだろうなという解釈が成り立ちます。

実際のところニュースの本文記事を読むと石原さとみさんのお兄さんのお嫁さんが来週双子を出産する予定であることがわかります。

しかし、もう一度、見出しに注目してみてください。

そのような詳細は見出しには書かれていません。

詳細な文脈情報は見出しには見えない背後に隠されている状態です。

しかし、それでも私たちは大抵の場合は正鵠を射た解釈をすることが出来ます。

それは、背後の文脈情報を正確に読み取り咀嚼しているからです。

もし、文脈情報を咀嚼できなければ、石原ひとみさんが来週になると急に老け込んでおばさんになり、しかも今までは知られていなかった双子の兄弟が現れるという奇跡のような?ことが起こることを予言しているような意味にも取れるのです。

「そんなバカな!誰がそんな解釈するんだよ」

とおっしゃられるかも知れませんが、もし、背後にある文脈情報を推して知るということが出来なければ、そういった珍妙な解釈をしてしまう可能性があるということです。

実際、私の小学校低学年の頃の話をしましょう。

音楽の時間に「ふるさと」という歌を聴かされたことがあります。

とても有名な歌で最初の歌詞のフレーズに「兎追いし彼の山」という言葉があります。

このフレーズを聴けば、自然に恵まれた山中で、見かけた兎をどこまでも追いかけている情景を眼に浮かべることでしょう。

「ふるさと」というタイトルからも伺えるように、故郷の情景を切り取った歌詞であると咀嚼できるわけです。

しかし、低学年の子供にはそれが分かりません。

「ねえ、ねえ、兎って美味しいの?」とクラスの同級生と話し合った経験があります。(笑)

だって、ふるさとがどういうものか、実体験としても分かりません。

歌のフレーズだけを聴くと兎が美味しいと言っているようにしか聴こえなかったのですから。

背後にある文脈を理解できないということは、こういうことになるということなのです。

さて、これを踏まえた上で冗談についてもう一度考えてみましょう。

冗談を理解するためには文脈情報を推して知る力が必要です。

ということは冗談がわかるということはある意味では咀嚼力があるということでもあるのです。

一方で真面目過ぎて冗談が通じないという状況はどういうことかというと、言葉の背後にある文脈情報を咀嚼できないということになってしまうのです。

実際のところこの真面目さがつきあたところは原理主義になります。

コーランにはこう書いてあるということを基準に自爆テロをしたり、人を殺したりするのは、コーランに書かれていることの背後にある文脈情報を理解できないからでもあるわけです。

ここまで来ると困ったことになるのは、説明はいらないと思います。

実際のところ、真面目さということの裏側にはこういった罠も潜んでいることも知っておく必要があるのではないかと思います。


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神様のドングリ- マモリギ その8 -

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神様のドングリ- マモリギ その7 -からの続き。

土煙を立てて突き進んだ勇ましい戦車は、今や哀れに横たわっています。

上に載せていた大岩は転げ落ちてしまっています。

一瞬の静寂。

泣きまわるリスたち。

ドリはピクリとも動きません。

・・・ ◇◆ マモリギ その8 ◆◇ ・・・

戦車が転倒し哀れな姿をさらし、マモリギを打ち倒すという目的が完全に失敗した一部始終を丘の上の動物たちも目の当りにしました。

固唾を飲み込み、まるで石になってしまったかのように動物たちはその場を動けませんでした。

一体、何が起こったのか。

段々、状況が掴めてくると動物たちの中からさざ波が広がるように、動揺する声が沢山、聞こえてきます。

「・・・山猫はどうなったんだ?」

「まさか、死んでしまったの?」

「ひどい・・・」

不安げな声色から、段々と怒りのような声、ついには泣き出す動物たちも現れて、丘の上は徐々に騒然となってきました。

兎は、真っ青な顔をしてプルプルと震えています。

身体中、やな汗をかきながら、何かぶつぶつ言っています。

「なんで・・・普通、逃げるだろ・・俺は悪くない・・だって、メフィス様が・・」


そんな混乱した兎を突き飛ばすようにバリスは掴みかかりました。

「なんてことをしてくれたんだ!なんてことを!!」

突き飛ばされるような形になった兎は情けない顔をして地面に転びました。

兎の上に馬乗りになり、殴ろうとするバリス。

しかし、そっと肩に置かれる手がバリスを一瞬の狂気から目覚めさせました。

「そこまでにしておくのだ」


猪がバリスを制止します。

「それより、今は他にすべきことがあるじゃろう・・?」


そう諭されてバリスは我に返り、掴んだ兎の身体を離すと、血相を変えて丘を駆け下りていきました。

兎はそのまま倒されたまま、まだ、ぶつぶつ言っています。

その姿を猪は憐れむように見据えると、ため息をついて言いました。

「もう、お前さんの言うことは聞けないぞい。ワシは神様のドングリ探しは、もう降りる。」


猪は、大きな身体をのそりのそりと動かしながら、兎の元から離れていきました。

他の動物たちもそれに呼応するかのように半数はその場を去り始め、もう半数はどうしたものかわからずにただオロオロするばかりです。

そんな丘の状況を尻目にバリスは丘を駆け下りていきます。

「ドリ・・・ドリ!!」

叫びながら、途中の小石につんのめり、バリスは丘の上を転がり倒れてしまいました。

全身、打ち身や擦り傷を作りながらも、転んだ身体をすぐさま起こして、ドリの元へと駆け寄ります。

ドリの周りにはリスたちが泣きながら走り回り、難しい顔をした猿が佇んでいます。

バリスが近づくと猿は悲しそうな顔をして横にかぶりを振りました。

「そんな・・・ドリ!しっかりして、目を開けて!!」

ドリのすぐそばに跪くようにへたりこむとバリスは、何度も悲痛な声でドリに話かけます。

しかし、ドリはボロ雑巾のようになり、ぐったりとして動きません。

あの戦車を一人で止めるなんて、そんな無茶をなんで・・・

バリスはドリの身体の上にポタポタと涙のしずくを垂らしながら、悔やんでも悔やみくれない思いで胸が張り裂けそうな想いで動かぬドリを見守っています。

「ドリ!しっかりするんだ!一緒に村に降りて暮らすんだろ?新しい生活を始めるんだろ?」

バリスは泣きさけぶとドリの身体が少しだけ動きました。

心もとないおぼつかない手でドリはゆっくりとバリスの顔に手をやったのです。

そして、薄らと開けた瞼の中の瞳には、ドリの命の炎が消えかかっていること表すような弱々しい光が揺らめいています。

「バリス・・・ごめんね」

かすれた声でドリは言いました。

「ドリ!しっかりして!家に帰ろう。きっとこんな傷すぐになおる」

「泣かないで。。私はいつでもマモリギと一緒にあなたの傍にいるから」

「もちろんだ!当り前さ。俺はどこにもいかない。二人でまた今まで通り静かに暮らそう。ドリがいれば他には何もいらない」

必死に訴えるバリスにドリは最後の力を振り絞るかのように微笑んで言いました。

「お願いがあるの。私が死んだら身体をマモリギの見える場所に埋めてほしい。いつでもこの世界の動物たちを見守れるように」

「何を言ってるんだ!こんな傷で死ぬもんか!!ドリがこんなことで・・」

「バリス・・誰も傷つかない、皆が・・幸せに暮らせるように・・」

最後の生命の輝きスパークさせるように紡ぎだされたドリの言葉はたどたどしく、かすれていて良く聞き取れません。

しかし、それがドリの生涯最後の言葉となったのです。

そして、ドリは静かに眠るように息を引き取ったのでした。


・・・続く

神様のドングリ- 予言の兆し -へ続く


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魂の傷を見抜く

何か大事な決断をしようとすると必ずおかしな行動を取ってしまう。

頭では為すべきことが分かっていても、なぜかあらぬ方向へ舵を取ってしまう。

こんな経験は多かれ少なかれ誰にもあるのではないでしょうか。

どうして自分があんな行動をしたのか、振り返ってみても実は判然としない。

あるいは、もっともらしい理由は思いつくのだけど、心のどこかでは「どうしてこうなってしまうのだろう」なんて考え込んでしまうこともあるのではないでしょうか。

そんな時に色々と原因や理由を探っていこうとするわけですが、どうにも真の原因がハッキリしない場合があるものです。

実はそういうよくわからない、ハッキリとしない理由には「魂の傷」が問題の原因になっていることがあります。

「魂の傷」と言っても本来的には魂は無形のものなので傷がつくものではありません。

これは、抽象性の高い、魂の次元における障害が根っこにあり、現実の生活や人生に支障を与えていることを表現するために、「魂の傷」と呼んでいるのです。

例えば、「魂の傷」の典型的な例を挙げてみましょう。

ある夫婦がいたとします。

いつも喧嘩ばかりしていて、妻はいつも自分の夫が靴下を脱ぎっぱなしにしていることに憤っています。

「なんでいつも靴下を脱ぎっぱなしにするの!ちゃんと洗濯籠に入れてっていつも言ってるじゃない!!」

ヒステリックに夫に苦言を言い放っています。

これを現実思考で単純に考えてみれば、だらしない夫の行為に怒っているわけだから、夫が悔い改めて靴下を脱ぎっぱなしにせず洗濯籠に入れれば問題は解決するはずです。

しかし、実際には、これで解決する場合としない場合に分けられます。

単純に解決する場合には魂の傷は関係ありません。

表面的に起こっていることが解決すれば、問題は消えてなくなります。

しかしながら、解決しない場合には魂の傷の存在が疑われます。

なぜならば、どんなに妻が脱ぎっぱなしにされた靴下のことで憤っているように見えても、実際の問題点はそこにはないからです。

なので、夫がどんなにしおらしく?靴下を洗濯籠にきちんと入れるようになったとしても、妻は別のことでまた夫を攻撃するようになるのです。

こんなことが続くと夫婦仲も危うくなったりするわけです。

先ほども言いましたが、魂の傷とは抽象性の高い次元の障害のことを指しています。

抽象性が高いということは、その問題は現実の具体的な事柄や言葉、論理で表すことが難しいといえます。

抽象次元は文字通り抽象的な世界のことなので、具体的に何が問題なのかを言葉や論理、事柄で示すことは困難であるわけです。

つまり、このことは、問題点として存在しているにも関わらず、それを言葉や理屈で表せないのです。

なので、余計に苦しく、その苦しみをなんとか表現したくて、現実に表されてくるのは、本来的には無関係な事柄として表れてくるのです。

例えば、自分の魂がハツラツと輝けないような呪縛観念や霊障がついている場合には、それだけで本来は気持ち悪く、正しい行動もあるべき方向にも進みずらくなるのですね。

そうするとそれを何とか誰かに知らせたかったり、表現することで救難信号を出そうとするわけですが、現実的な言葉や論理、事柄では表現できません。

結果として、全然、本質とは関係ない部分で魂の傷は表現されることになります。

そうなるといくら表面的に起こっている問題点を解決しても、魂の傷は解決されないので、真に問題は解決しないわけです。

これが妻の怒っている事柄を解決したとしても問題が解決しない原因なのです。

ですから、何か問題が起こって表面的にその問題を解決しても状況が改善されない場合は、魂の傷を疑ってみると良いでしょう。

その場合は起こっている現象、そのものに注力せずに、その原因の背後にある真の原因を突き止めていくことが重要になると思います。


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【一日一言】2014.04.27~2014.05.26 過去ログ

こんにちは!

天心です。

昨年の12月21日より、アメーバなうの機能を利用して、短めのコメントを発信させて頂いております。


よろしければ、是非、アメーバなう、またはTwitterの天心のアカウントをフォローして頂ければと思います。

今回は2014年4月27日から2014年5月26日までの【一日一言】をまとめた過去ログをご紹介させて頂きます。

通常のブログ記事と違い、短いものではありますが、ポイントを絞った一つのものの見方、考え方などを提示させて頂いております。

読者の方の何かの参考になれば幸いです。


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【一日一言】自分の限界を超える経験をする。これ以外に本当の意味での魂の向上はありません。無難な選択は、衰退を呼びます。お釈迦様も人並み以上の苦行の末、中道を悟られました。苦行に本質はありませんが、そこまで極めたからこそ、けれんみなく苦行を捨て中道に入ることが出来たのです。

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【一日一言】何をすべきかを問題にせず、何をしたいのかを考える。小さな違いのようで実は大きな違いがあります。前者は魂を失い、後者は魂を輝かします。

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【一日一言】挫けそうになった時、途中で諦めてしまうのではなく、より高い次元の視座からものを見てみよう。もうこれ以上、何もできないと思っていた事柄も意外な側面を発見し、道が開けることがあります。諦めの気持ちが出た時は発想の転換の時期でもあるのです。

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【一日一言】新しいことを始めよう。古き経験を踏まえて新たなるステージへ。

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【一日一言】今日も守護霊と共に生きる。そう誓って一日をスタートすると守護霊もまたその気になって守護してくれます。一日の初めに心を重ね合わせておくことが守護霊と共に生きる日を送る一つのコツです。

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【一日一言】どうして晴天が良いと言えるだろう。雨が降らねば土地は干上がってしまう。どうして雨が恵みだと言えるだろう。雨は時に破壊し苦しみを与える。全ては皆、自分の持つ霊界を幻視しているに過ぎない。己の霊界を飛び越えてものを見ると万象の本来の姿を見ることができるだろう。

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【一日一言】現在、過去、未来。別々に考えない。全ては一つに集約されています。だから、現在を変えたら全ては変わるのです。現在を変えるとはすなわち現在の霊界を変えるということです。

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【一日一言】窮した時ほど魂は輝きます。いよいよ魂の本領発揮です。魂の見せ場を楽しみましょう!

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【一日一言】難しいことから逃げない。逃げたら逃げた分だけ成長が止まる。勇気を持って進むしかない。進めば難しいこともいずれは易しく感じられるものです。

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【一日一言】感応道交。これ以外には最終的には守護霊を理解することはできません。理屈で理解したつもりになることは、人を理屈で判断するのと同じで道を誤ります。人も守護霊も交わって初めて本当の意味で理解できるのです。

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【一日一言】良い一日を過ごしたいなら、良いことに意識カーソルを当てるようにしましょう。一日に何個良いことが見つかるか数えあげて見ても良いかも知れません。ちょっとしたことでも、かまわないのです。気持ちの切り替えの端緒になるはずです。

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【一日一言】トルコの炭鉱爆発事故。救出が困難を極めているようです。対岸の火事と思わず、ひとりでも多くの方が救われるよう祈りましょう。

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【一日一言】ただ粛々と自分の人生を生きよう。他人の人生ではない。自分の人生です。自分で決めて自分の足で進む。主体性だけが自分の人生を歩ませる鍵となることでしょう。

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【一日一言】失われし魂を取り戻す。今、一番求められる究極のテーマです。魂を取り戻すためには、まやかしの世に生きる自分に気づくこと。そこに気づくと真実の自己が望む意志がいかなるものか悟ることになるでしょう。それだけで、人生は百八十度変わったものになるものです。

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【一日一言】まず、学ぶべきはものの考え方にあります。間違った発想に従っている以上は自分の殻を破ることはできません。考え方はそのまま呪縛観念となって人生をミスリードしていくのです。

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【一日一言】人が新しい道を進もうとする時、最初に克服しなければならないのは恐怖心です。恐怖心があると一歩が踏み出せなくなります。新しい仕事、環境、人間関係、全てに恐怖心は顔を覗かせるでしょう。そして、歪んだ姿を見せようと働くのです。恐怖心をまずは捨てないと真実は見えないのです。

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【一日一言】災いは忘れた頃にやってくる。こんなことを言われたりしますが、実は幸福も忘れた頃にやってきます。結果に対するこだわりを忘れるほどに目前のすべき事柄に没頭する時、魂は輝き、その輝きは、忘れた頃に幸福を運んでくるものです。

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【一日一言】苦味があるから甘さがわかる。闇があるから光は輝く。物事は相応の理によってなりたつ。自分の側から見た景色が全てではないのです。真実を知りたいのならば、この岸からかの岸に渡って観ることです。

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【一日一言】ダメだと思う心がダメなことを招きます。招きたくない事柄からはなるべく心の距離をおくことも一つの手段になります。

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【一日一言】人の話に耳を傾けるようにしっかりと自分の本音に耳を傾けましょう。自分の本音がわかってくると、自分に何が足りないのかがわかってきます。自分の本音を無視し続けると結局、何が自分に足りないのかがわからず苦しむことになるのです。カッコつけず自分の本音と向き合いましょう。

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【一日一言】問題が発生することも守護霊の導きの場合があります。問題は浮き彫りにならない限り解決されようがないからです。内包それたまま気づかなければ一生欠落したままです。だからこそ、問題を顕現化させて教え諭すのです。

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【一日一言】本日は男の子の節句。我が家でも鯉のぼりが泳いでいます。鯉が滝を上るように力強くこれからも生きて行きたいものですね。

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【一日一言】表面だけじゃなくて咀嚼すること。これが出来ない人が多いように見えます。咀嚼とは噛み砕き、そこにある全ての要素が混ざり合い、新たな風味や本質的に内在する意味や味わいを受け止めることです。丸呑み鵜呑みはお腹を壊すだけだと言えます。

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【一日一言】人生には本当にいろんなことが起こります。何が起こるのかは、スピリチュアルにおいては重要ではありません。大事なことは受け止め方、向き合う態度です。ここを間違うと起こる全てが無駄になってしまいます。スピリチュアル的な成長ができる人とでかない人の違いでもあるのです。

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【一日一言】ほんの少しの見直しがその後の運命を大きく左右することがある。その少しのことに気づかせてくれるのが守護霊の導きでもあります。その導きに上手く乗れるかどうか。そこに人としての霊的センスが現れてくるようです。

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【一日一言】去るものもあれば、出会いもまたある。縁起もまた、流れていくもの。時間を経てなお続く縁起は濃いご縁と言えるでしょう。

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【一日一言】今、あなたの意識カーソルはどこにありますか?意識カーソルの場所がすべてを決めています。どこにあってもよいけれど、どこにあるのかを見失わないことです。多くの場合、迷う原因となります。

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【一日一言】一日中、自分のことばかり考えているから不安になり苦しいのです。試しに一日中、誰か他人のためだけを考えて過ごしてみてください。愛とは何かがわかります。そして、その範囲を地域や国や世界へと広げてみましょう。あなたの次元は上昇し、自己の悩みなど消えてしまうことでしょう。

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【一日一言】やっかいな相手だが、味方につければ頼もしい。それが自我意識というものでもあります。自我意識を敵視するのではなく、自分が何者であるのかを定義しなおすことで自我意識を味方にすることが大事です。

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【一日一言】スピリチュアル世界に想いを馳せるだけの時代はそろそろ終わりを告げようとしている。これからはらスピリチュアル世界の良い雛形を如何に地に降ろすのかが問われてくると思われます。だからこそ、主体性を持ってアウトプットしていくことも大事なポイントになってくると考えられます。

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以上が一日一言の過去ログです。


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天心 拝


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心に残った守護霊からのメッセージ34

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


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坊主の真似事など

よさぬか

精進の道は

常にそこもとの傍にあり

殊更な道に惑うべからず

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坊主の真似事というのは、本当の意味で悟ることなく、悟ったつもりになってしまう状態にあることを意味しているようです。

実際、禅宗では、一切衆生悉く仏性ありという言葉をそのまま受け止めて、「仏性があるならば修行しなくても仏なのだから良い」という誤った見解を持つ僧侶もいるようです。

また、浄土宗系においては念仏をすれば浄土に導かれるから、どんな悪い行いをしてもいいのだという本願ぼこりという一団があり、これも間違った考え方であります。

こういった間違った考えに囚われてしまうのは、自らの人生に起こる様々な学びと向き合わず理屈や論理だけで道をわかったつもりになってしまうことに原因があるようです。

そうならぬように釘をさされたメッセージでありました。



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忘れていても・・・

どうも調子が出ないな~なんて思う時が皆さまもあると思いますが、私も時々、そんな状況に陥ることがあります。

疲れているのかな?と身体を休めて横になってみても、逆に「気合が足りないのだ!」とあえて張り切ってみても、どうにもならないときがあります。

守護霊にも加勢をしていただくべくお祈りなどもしてみたり、神社、仏閣を詣でて廻ってみたり。

それでも、どうにもうまく調子がでない。

一体、何が原因なのかと首をかしげて途方に暮れているとサインがあります。

サインの内容は時々で違いますが、今年は電車のつり革であるお寺のポスターを見かけたことでした。

そのポスターに書かれている文言に「お盆の供養」といった言葉を見つけたのです。

その瞬間、得心がいったのです。

ああ、お盆の時期が近いのだなと。

調子が出ないのは下部霊界にいらっしゃるご先祖様が騒ぎ始めているからだと理解したのです。

私は決して、先祖供養ばかりを奨励したり、気にしたりすることはしないのです。

それよりももっと重要なことがあると考えているわけです。

でも、こちらがどのように思っても、忘れていても、しっかりと自己PRをされてくるのがご先祖様というものなのかも知れません。

大抵の霊的な障害は意識を向けない作戦で乗り切ることが多いですが、ご先祖様だけは、ダメみたいです。

人にもよるのかも知れませんが、お盆の時期になるとどうにも調子が出なくなります。

不思議なものです。

ということで近々、浅草寺に詣でて供養して参りたいと思います。

皆さまももし、どうにも不調で元気が出ないなんていう場合には、お盆の時期が近づていることも影響しているのかも知れません。

あまり気にしすぎるのもよくはありませんが、忘れていても影響が現れる時には、少し、対処を考えてみることも一つの手段かも知れません。


雷門


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神様のドングリ- マモリギ その7 -

はじめて読む方は神様のどんぐり- はじまり -からお読みください。

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神様のドングリ- マモリギ その6 -からの続き。

戦車を繋ぎ止めていたロープが宙を舞い鳴き声のような音を立てて空を切ります。

それと同時に鈍い音とともに戦車はその巨体を転がし始めました。

轟音とともに丘を下る戦車。

マモリギへと通じる道先にはまだ、ドリの姿がありました。

・・・ ◇◆ マモリギ その7 ◆◇ ・・・

地鳴りのような音をたてながら戦車はまっすぐマモリギへ向けて丘を下り始めました。

動き出した戦車は想像以上に圧倒的な力強さを纏っています。

動物たちは皆、その轟音と転がり落ちていく姿を見守っています。

戦車を動かす指示をした兎ですら、目を回してその姿を驚くような表情で見ています。

一方、丘の下にいたドリと猿とリスたちも丘の上から何かが転がってくるのを確認していました。

「おいおい、マズイことになったぞ。。」


猿は轟音とともに下り落ちてくるものが戦車であることをすぐに理解しました。

リスたちも戦々恐々としてちょこまかと動き回っています。

「なあ、アンタ本当にここはヤバいぜ?早く逃げよう!」


猿は顔に嫌な汗をかきながらもドリを説得します。

しかし、ドリは毅然とした表情を崩さずに転がってくる戦車に挑むようにその場に座り込むのでした。

猿とリスたちは懸命にドリの身体を持ち上げて動かそうとしましたが、どうにもなりません。

その間も戦車は刻一刻と迫ってきています。

「クソ!もうだめだ。。」


猿はしわくちゃの顔をさらに皺皺にして泣きながら頭を抱えています。

リスたちもパニックになり泣きながら、走り回っています。

ドリは座り込み静かに祈りを捧げています。

そして、運命の瞬間は訪れました。

目の前に立ちはだかるかのような大きな影。

瞬きするほどの間しかなかったはずなのにそれは永遠であるかのように感じられました。

時が止まったかのような静寂。

爆発したのかというような音が周囲に鳴り響きました。

あたりは粉塵のような土埃が舞っています。

そして、誇りが収まるとそこには横たわる戦車の姿がありました。

載せていた大岩は脇に転げ落ち、勇姿を誇っていた戦車は今は哀れな姿をさらしています。

最初にその姿を目にしたのは地面に突っ伏していた猿でした。

猿はギリギリまでドリの身体を動かそうと努力していましたが、戦車がぶつかる寸前のところで、横に飛びのいたのです。

一瞬の出来事で、猿は危険を回避したのでした。

咳こみながらも猿は土埃が落ち着いてくるとあたりの様子をボー然とした表情で見渡しました。

リスたちの姿が見えません。

猿はよろよろと歩いていくと、リスたちが泣きながら何かの周りをぐるぐる回っている姿が視界に入ってきました。

「ねえ!起きて!起きてってば」


リスたちは泣きながらぐるぐる回り、呼びかけています。

そこには、土埃で汚れ、ぐったりとした山猫の姿がありました。

猿は、横たわるドリの姿を見て顔を真っ青にして、次に哀れな姿をさらす戦車に目をやりました。

その時、何が起こったのかをすべて理解したのです。

あの巨体の戦車に立ち向かい、本当にその行く手を阻むことに成功したのだというとを。


・・・続く

神様のドングリ- マモリギ その8 -へ続く


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【公開質疑応答】スピリチュアル的な正しさとは?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、すみこ様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】

是非、お聞きしたいことがあります。
例えば、会社で不正をしているとします。
誰もが自分の身は守りたいと思うものだと思います。
内部告発などして、自分が退職に追いやられることがあるとして、スピリチュアル的にはそれは正しい生き方なのでしょうか?

私の場合ですが、飲食店でぼったくりが横行しています。
ノルマも多く、お客さんには迷惑をかけているんじゃないかといつも思います。
もちろん、気前のいいお金持ち、会社の経費で…という方にはありがたくいただいてますが…
自分が間違ったことをしていると思いながら、生活のため、とあきらめて働くことは生き方として正しいのでしょうか?それとも、たとえ失業したり、収入が減る覚悟でも正義を貫いて辞めた方がスピリチュアル的には正しい生き方なのでしょうか?

流されて行きていくことに疑問を感じています。

【回答】


すみこ様

ご質問ありがとうございます。

人生を過ごす中には様々なことに接していきますよね。

理屈通りにはいかないこともあり、いつでも善なる行いをして生きたいと考えていても、複雑化した世の中においては時には失敗し、時には罪を犯すこともあります。

また、善なる行いが何であるかは明白であっても、単純には真っ直ぐに進めない。

それが人生の複雑さでもあり、単純ならざる人の持つ命運の妙味でもあるのかも知れません。

さて、ご質問を拝読させて頂いて感じますのは、正しさとは何か、スピリチュアル的に正しい生き方をしたいと思っていても真っ直ぐに進めない葛藤のようなものですね。

誰しもこれは多かれ少なかれあるのではないかと思います。

正しい筋書がありその通りに生きるのが良いとは限らず、イレギュラーな筋書の読めない展開の中で右往左往しながらも真を得ていくのが学びであり、人生の本義でもあります。

まずは、それを踏まえた上で人生における様々なことと向き合っていくことが大事です。

一つの考え方としてスピリチュアル的な善悪と社会的な善悪というものがあります。

スピリチュアル的な善悪とは魂の視点から見た善悪であります。

>例えば、会社で不正をしているとします。
>誰もが自分の身は守りたいと思うものだと思います。
>内部告発などして、自分が退職に追いやられることがあるとして、スピリチュアル的にはそれは正しい生き方なのでしょうか?


とありますが、ここには二つの視点が混在しています。

スピリチュアル的視点と社会的視点です。

社会的視点においていえば、不正は正すべきという発想になるかと思います。

もちろん、スピリチュアル的においても社会的不正を良しとするわけではありませんが、少しだけ角度が違います。

スピリチュアル的視点の善悪というものは、あくまで魂目線での判定になるのです。

不正があったのを内部告発するのかどうかはスピリチュアル的な視点においてはあまり関係がないのです。

例えば、不正があったとして、それをそっと諌めたり、社会的には正道なやり方でなかったとしても、愛をもって諭すという方法もあります。

あるいは、不正を働くものはいつかその因果応報を受ける時が来るわけなので、それまで突き放すという厳しい態度ももしかしたら愛なのかも知れません。

不正があり内部告発するのが妥当かどうかとうのは、社会的視座であり、スピリチュアル的な視座としての善悪とは関係がないのです。

自分の身を守りたいと思うのは、誰しもあることかも知れませんし、自分の身を守ることがスピリチュアル的な悪であるとは限りません。

しかしながら、もし、自分の中に後ろめたさや単なる自分の身だけを案ずるだけの気持ちしかないのであるならば、それはスピリチュアル的には曇っている状態であるといえるのかも知れません。

要は魂の欲するところはどうなのかがスピリチュアル的な視座としては重要になってきます。

例えば不正を内部告発したとしても、単なる裁きの心だけであったり、自分が正義の側に立っているのだという自惚れだけで行う行為はスピリチュアル的な視座として必ずしも善であるとはいいがたいでしょう。

逆に社会的な視座で見たら不正を黙認したりして、悪なる行為に思えることもそこに魂からの本当の意味での愛があるならば、必ずしもスピリチュアル的な視座で見た場合の悪であるとはいえないのです。

ですから、

>私の場合ですが、飲食店でぼったくりが横行しています。
>ノルマも多く、お客さんには迷惑をかけているんじゃないかといつも思います。
>もちろん、気前のいいお金持ち、会社の経費で…という方にはありがたくいただいてますが…
>自分が間違ったことをしていると思いながら、生活のため、とあきらめて働くことは生き方として正しいのでしょうか?それとも、たとえ失業したり、収入が減る覚悟でも正義を貫いて辞めた方がスピリチュアル的には正しい生き方なのでしょうか?


とありますが、これは、是非、すみこ様の魂に問いかけてみてほしいと思います。

自分の状況、立場、職場のこと、お客さんのこと、大所高所からよく鑑みて、本当に正しいことはなんであるのだろうか。

この問いかけをして、魂の底から得られた答えがスピリチュアル的な善であるといえるのではないでしょうか。

固定的で絶対的な善などはスピリチュアル的視座においてはあり得ないことです。

ですから、答えはすみこ様の魂が知っているはずです。



以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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【公開質疑応答】運命は存在するか?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、ちこう様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】

天心先生こんにちは。

質問ですが、運命というものは存在するのでしょうか?
産まれてから死ぬまでに起こる出来事は既に運命として最初から決まっているものなのかと思っていました。
よく運命の人、こういう運命だったんだ、などと言いますよね。
なので、運命があるのなら、私がこの先どのような人生を歩んでいつ死ぬのかも既に運命的に決まっていると言う事になりますよね。

ですが、今回の公開質問応募の一つに『寿命について』ありましたが、それによると、
命数はある程度は決まっていますが、やはり多少の変動はあるようです。
と、ありました。
となると、人間の死と言うものは生まれながらに命数と言うものはあるが、その人の生活次第、人生の選択次第で多少は変動するのであれば、何歳で必ず死ぬ事になっている、と言う運命的なものは無いと言うことになるのでしょうか?

うまく伝えられなくて申し訳ありません。

【回答】


ちこう様

ご質問ありがとうございます。

世の中には運命論と言いまして、私たちの生きて死ぬまではすべて決められているという考え方がありますよね。

全ては決められていて、それに逆らうことができないという考え方です。

しかし、それだと私達には自由意志や決断によって人生を切り開くことはできないという発想になってしまいます。

本当に私達には決められた運命によって決められたストーリーを踏襲するだけの人生しかないのでしょうか。

この点について考えていく際に少し、運命論についてみていくことにしましょう。

運命論については様々な方が様々な視点で言及されています。

その中でも今回は、フランスの数学者であるピエール・シモン・ラプラスが提唱したものを簡単にご紹介してみたいと思います。

「運命論なのに何で数学者が関係するの?」

と訝しく思うかも知れませんが、実は、彼の提唱した理論にその答えがあります。

簡単に言うと彼は以下のようなことを提唱したのです。

「あらゆる物事はその前提となる事が明らかになれば、全て数学的に計算することができる」

ちょっと意訳的な解釈ですが、概ね以上のようなことになります。

「それが運命論と何か関係があるのか?」と思われたかも知れませんが、実はこのことはあることを意味しています。

例えば、身近な例でいえばビリヤードがあります。

ビリヤードは自玉である白いボールをキューと呼ばれる棒状のものでつくことで転がし、番号の振られた色のついた玉にぶつけて、番号の玉を順番にボード上にある穴に入れていくゲームですね。

白い自玉が番号の玉に当たり、玉は様々な方角へ転がっていきます。

一見すると無秩序に転がっているように見えますが、実際には転がり方などは計算することが出来るといわれています。

玉を突く位置、勢い、スピード、角度や方向性など前提となる要素を踏まえれば、計算通りの動きをビリヤードの玉にさせることが出来るというわけです。

実際、プロのハスラーともなるとすべて計算して玉をはじき、見ている外野も目を見張るような、鮮やかな玉の動きを見せてくれることも多々あります。

これはラプラスが提唱した前提がわかれば、その後に起こることは計算することが出来るという理論に合致していることになります。

さて、では、今度は例をビリヤードからスケールアップして宇宙の創生にまで創造の翼を広げてみましょう。

私達が生きている宇宙はビッグバンが起こり、そこから創生が始まり現在に至るという説があります。

ビッグバン後も宇宙は拡大し、その時のエネルギーは今も作用し続けているといわれています。

ビッグバンの時に宇宙が創生されるために動いたエネルギー量とか、加わった力などの前提となる要素がわかるとするならばラプラスの理論で言えば、その後の宇宙で起こる全てのことは計算して予見することが出来るということになります。

「ビリヤードみたいに単純じゃないのだから、宇宙創成などの話には当てはまらないのでは?」

こう思われるかも知れませんね。

しかし、実際には全ての物質の変化は最終的には量子的な小さな粒のぶつかり合いによって生じています。

私たちが思考したり行動したりするのも、究極的な科学的見地で言えば、量子的なぶつかり合いによる影響によって生まれてきているといえるでしょう。

そう考えると宇宙創成から私達の思考、行動、感じることを経て、ビリヤードの玉の動きに至るまで、全て起こりうる前提を知ることが出来ればその後の起こりうることは計算できるということになるのですね。

「いやいや、ちょっと待って!理屈ではそうかも知れないけど、ビッグバンの起こった時に加わった前提要件を明らかにするなんて無理なんじゃないの?」

確かにビリヤードと違い、ビッグバンの時に加わった前提となる要件をすべて明らかにすることは難しいと思います。

しかし、実はそこはあまり問題ではありません。

なぜならば、計算して未来を予見するための情報は得られなくても、ビッグバンが起こった以上、その起こった時の前提は必ず存在したはずだからです。

何事も起こることにはその原因となる前提があるはずです。

であるならば、ビッグバンが発生した時にもその前提はあったはずなのです。

ここから導き出されることは、「ビッグバンが起こった瞬間にその後の起こりうる未来の現象は既に決まってしまっている」ということなのです。

つまり、どんなに私達が自分の意志で行動しているように見えても、その行動に結び付くための前提はすべてビッグバンの時点で決まっているということに行き着いてしまったのです。

これをラプラスの魔と言います。

この考えは非常に多くのインパクトを与えました。

取り分けSFやファンタジーなどの題材としても沢山、扱われることにもなりました。

所謂、占いや神秘学の言うところの理屈を飛び越えた運命論と異なり、数学的な論理性から導き出された結論であることから多くの注目が集められたのです。

では、ラプラスの魔がある以上、私達の未来も意志も実は決められて、自由意志は存在しないということなでしょうか。

そうではありません。

実は、ラプラスの魔を打ち砕く、別の真実が明らかになったからです。

それは量子論における不確定性原理という考え方にあります。

難しいので、詳細や正確性はとりあえず脇に置いて簡単に概略を説明します。

簡単に言えば、私達が前提だと信じている事柄は、実は絶対的に動かないものではないということが明らかになったということです。

例えば、目の前に綺麗な絵柄のチョコレート箱があったとしましょう。

見るからに高級そうなチョコレートの箱で、何となくカカオの香りも漂っています。

さて、このチョコレートの箱の中は何が入っているのでしょうか?

「そんなのチョコレートに決まってるだろ?」

と思うかもしれませんね。

しかし、本当にそうでしょうか?どうしてそう言い切れるのでしょうか?

もしかしたら、チョコレートではなくクッキーかも知れません。

あるいは、食べ物ではなくもらったハガキを入れておく箱として、チョコレートの空き箱を使っているだけかも知れません。

もちろん、本当にチョコレートが入っているかも知れませんよね。

「そんなもの開けてみればわかるじゃん?」

その通りです。

逆に言えば開けてみなければ真実はわからない。

開けてみることによって真実は確定する。

これが不確定性原理の簡単な概要なのです。

実際、量子というものは、通常はランダムに動き、私達が観察することで一つの事実を作り上げているという動きが発生することがわかってきているようです。

つまり、最初から物事の在り様は決まっているわけではなく、私達が観察したことによって形を作っているということが証明されたのです。

これはビッグバンに当てはめると「ビッグバンが発生して宇宙が生まれたわけではなく、私達が宇宙の創生は如何なることから生まれたのかと探究し観察していく過程でビッグバンは作り出された」ということになるのです。

何だか突飛な考えに思えるかも知れませんが、実際のところ量子の世界ではそのような動きをしているということです。

これを踏まえてラプラスの魔を検証してみましょう。

前提となる要素が明解になればその後の起こり得ることを予見できるというのがラプラスの提唱した理論でした。

しかし、その前提は観察されるまで確定されない要素だといえます。

つまり、前提は観察次第によっては常に変動する要素だといえます。

このことから言えるのは、前提は不変ではない。

ということは、未来もまた不確定であり、いくらでも変化する可能性を秘めているということになるわけです。

このことから、ラプラスの魔による運命論は打ち破られたことになります。

以上が数学的、量子論的な運命論になります。

さて、大分、簡略化して誤解を恐れずに大雑把な説明をしてみました。

その結果、「数学とか物理とかよくわからんけど、スピリチュアル的な運命論はどうなってんだ!」

というお叱りを受けそうなので、最後にスピリチュアル的な運命論についてお話いたします。

まず、スピリチュアル的においても運命は固定でありすでに決まった道筋を歩むものだと考えているわけではありません。

もちろん、人によっては「運命は決まっている」という提唱をされる方もいらっしゃると思います。

実は未来に起こりうる可能性としての道筋を映し出す霊界というものは存在しています。

私は未来霊界などと呼んでいますが、実際には未来の可能性世界がそこにはあるのです。

その未来霊界を垣間見ると未来の在り様が映し出されています。

しかし、この霊界というのは可能性世界を反映したものであり、常に霊界は変動しています。

霊界を現す世が「現世」なので、基本的には霊界が変われば現世の在り様も変わります。

ですから、いくら未来霊界を正確に読み取ったとしても、その通りの未来が訪れるとは限らないのですね。

むしろ、霊界を変えて現世の在り様も変えていくことが魂の向上にもつながることになります。

>よく運命の人、こういう運命だったんだ、などと言いますよね。

とありますが、これは、ある程度、グランドデザインとしての人生の枠組みやあり方というのは存在します。

それが未来霊界に反映されているわけです。

その中でご縁が組み込まれている人や人生の流れを指して運命と呼んでいるわけです。

ですから、全てが決まっているわけではないのです。

>となると、人間の死と言うものは生まれながらに命数と言うものはあるが、その人の生活次第、人生の選択次第で多少は変動するのであれば、何歳で必ず死ぬ事になっている、と言う運命的なものは無いと言うことになるのでしょうか?

命数がある以上、ある程度は亡くなられる時期というのは決まっています。

しかし、それは絶対的な変動不能なことではないということです。

ある程度の枠組みがあり、その枠組みの範疇に入ることが多いので決まっているといえるのですね。

運命的なものはないということではなく、絶対的なものはない。

ということです。



以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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【公開質疑応答】法難システム発動の条件

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、和元様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】

何か新しいことを始めようとすると、法難システムがおこる。
近頃は何か新しいことをきめ、努力し始めたときに法難システムが発動すると「きたか!」と思うようになりました(笑)
はて、ふと疑問に思ったのですが、法難システムは、「新しいことを始めたとき」「いつでも」発動するのでしょうか?

たとえば、いつもは本を3冊読んでいるとする。
① 明日から、面倒くさいから、本は読まないことにした場合
② 明日から、将来の夢のため、本を6冊読むことにした場合

①も②も、新しいことを始めています。
違いは、①はより後退していきそうな方向で、②はより前進していきそうな方向です。
①の場合も、②の場合も、同じように法難システムは発動するのですか?

個人的には、②の場合にのみ、法難システムは発動しているように思えます。
もしそうならば、法難システムが発動するたびに「前進しているんだ!」と感じることができ、自分が良い方向に進歩していると感じる目安になるなあと思うのです。
決意して、新しいことを始めたとき、以外に法難システム発動の条件はあるのでしょうか?

【回答】


和元様

ご質問ありがとうございます。

>はて、ふと疑問に思ったのですが、法難システムは、「新しいことを始めたとき」「いつでも」発動するのでしょうか?

そうではありません。

自我意識が大きく変更され、人生に少なからぬ影響が与えられるような変化を起こそうとする時に法難システムは作動します。

なので、新しいことを始めるからといって細々したことで発動するとは限りません。

自我意識から見て誤差範疇に収まるようなものであれば、それほど大きく作動することはありません。

>① 明日から、面倒くさいから、本は読まないことにした場合
>② 明日から、将来の夢のため、本を6冊読むことにした場合


まず、①は面倒くさいからとされている通り、どちらかというと本を読むという行為はいつもの自分らしくない行為であると考えられます。

その場合、たまたま本を読むことにしていたのを止めるだけなので、新しいことを始めているというよりは、面倒くさいという気持ちで現れた法難システムに負けているだけだといえるでしょう。

そのに対して②の場合は将来の夢のために今までとは違う自分になるために本を読もうとしています。

この場合は、大なり小なり法難システムが作動する可能性は高いといえるでしょう。

但し、元々、読書の習慣があり、たまたま、最近本を読んでいないので、読んでみようと思い立ったというような場合には、そもそも、自分自身のあり方はそれほど大きく変わっていないので、法難システムも然程、発動しない可能性が高いといえます。

ですから、単純に事柄だけを見て、新しいことをしたから法難システムが発動するしないというは見えてこないと思います。

自分自身が大きく変動し、人生に少なからぬ影響がある(誤差範疇を超えて)場合には、法難システムは作動すると考えた方が良いでしょうね。


以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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【公開質疑応答】死に対しての向かい方

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、シェイミ様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】

いつも楽しく拝見しています。
そしてとてもためになります。いつもありがとうございます。

私はアラフィフですが、
最近親戚が老化して病気になり次々亡くなっていきます。
また、癌となり、深刻な病状の人たちも出てきています。

人間である以上、老化して病気になり、死んでいくことは当たり前のことです。

若いころは仕事で社会的に活躍し、地域社会に貢献し、
また家族のために料理を作り、家をきれいに掃除し、生き生きとしていた人たちが
老化して病気になり、食事、入浴、排せつを他人に頼らざるを得なくなり、
ついには死んでいくのを見て、本当に悲しく感じます。

人生の最後の最大の難関が病気と闘い死んでいくことだと感じます。

歳を取っての手術や癌の治療は痛いし辛いでしょう。
不健康な身体は、精神にも大きく影響をするでしょう。

私もいずれその日が来ます。
そのときの心構えなどをアドバイス頂きたいです。
また、死んでいこうとする親戚の人たちにも
どういう心で接したらよいかアドバイス頂けると助かります。

よろしくお願い申し上げます。

【回答】


シェイミ様

ご質問ありがとうございます。

人は生を受けた以上は必ず死を迎えます。

少なくとも現世においては生は始まりであり死は終わりであると捉えられていますね。

どんなに元気であった人も年を取れば、病気になったら身体も不調になってきたりします。

若いころのようには中々、行かない部分も出てきます。

そのような中で、死に対して不安を感じたり、どう向き合うべきかと考える瞬間は誰にでも訪れるものかも知れませんね。

私達にとって死は特別な意味を持っています。

というよりも、死を少し特別視してしまう傾向があるといった方がより真に近いことなのかも知れません。

ここで少し、儒教のお話をしてみたいと思います。

儒教の祖と言えば孔子ですが、ある時、弟子のひとりが孔子にこう問いかけました。

「先生!人は死ぬとどうなるのでしょう?また、なぜ人は死ぬのでしょう?死とは如何なる意味があるのでしょうか?」

この問いに対して、孔子は言いました。

「未だに生きる意味を私は知らない。それなのに死の意味などわかるはずもない」

何だかうまくはぐらかしているような回答に聞こえるかも知れませんが、そうではありません。

孔子は、死というものについてどれだけ吟味しても答えなど得られないことを理解していました。

良い死に方、悪い死に方というものが果たしてあるものなのか?ということです。

生と死は別物ではなく一体なのです。

精いっぱいに生きている、生き切って後の死は、生の輝きを全うした死だといえるでしょう。

それは病気で死ぬか、事故で死ぬのか、はたまた孤独に死ぬのか、見守られて死ぬのかは関係がありません。

生を生き切ればその極まりとして死が訪れる。

このように孔子は考えたのかも知れません。

実際、別の言葉で「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」というものがあります。

簡単に意訳すると「朝に真理を悟れば夕べに死んでもいいよ」という意味です。

なんと極端な物言いに聞こえるかも知れませんが、この言葉の真意はおそらく、生と死は一緒だと暗に示しているような気がします。

生の中で自分の求める意志に従い進んでいるならば(すなわち真理に即して生きているならば)、死がいつ訪れるか、あるいはどのような死を迎えるのだろうと考え込むことはなく、自然に死すべき時に死ねるということです。

ですから、死を対しての向かい方としては、死そのものを取り上げるのではなく、如何に生き切るかという点にあるのかなと思います。

病気になっても、死が身近に迫ったとしても自分の意志するところはなんであるのか、見失わないことが死に対する一つのあり方になるのかなと思います。

もちろん、人それぞれに死への向かい方はあるかと思いますので、絶対的な答えとはなりえませんが、一つの参考として受け止めて頂ければ幸いです。


以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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台風8号の被害が最小限になりますように

こんにちは!

天心です。

今年も7月に入り季節的にも天候不順が続いています。

毎年のことになっていますが、今年も台風が猛威を奮っております。

まだ、関東はそれほどでもありませんが、沖縄が大変な状態になっているようです。


☆現在の台風情報
http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/typhoon/


FGSの会のメンバーからの要請で、以前、ご紹介した台風に向けてのお祈りのやり方を再度アップして欲しいというものがありました。

そこで、再度、過去記事のリンクをご紹介させて頂きたいと思います。


【救済の祈願】皆様へのお願い(九州・東海地方の大雨)


この時も大雨で大変な被害が出た記憶があります。

台風も様々な意義があって発生しているものでもありますが、それに伴い物的、人的被害が出るのは悲しむべきことです。

出来るだけ、物的、人的被害が出ないようにお祈りさせて頂ければと思います。

もし、同じように心が向き合う方がいらっしゃるならば、共にお祈りして頂ければと思います。



天心 拝

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【公開質疑応答】虫封じの正体

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、陽輝様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】

天心様

お世話になっております。陽輝です。いつも勉強になるお話、誠にありがとうございます。
公開質問ということで、教えていただきたいことがあります。

よく「虫封じ」という言葉を聞くのですが、これはスピリチュアル的にはどのような解釈になるのですか?

実は私のひいおばあさんに当たる方が、子供の疳の虫をとることができて、依頼がくると方々に出かけていたと。
なぜ、このようなことができるようになったのか、そのいきさつはわからないのですが・・・
ひいあばあさんの「疳の虫退治」を実際に見たことのある私の祖母やはとこは、細い糸のようなものが子供の身体から抜け出てきたとい う証言をしていました。

また、先日神社でお参りをしたのですが、そこの神社は「社伝虫封じ」ができることで有名な神社だそうで、古くから虫封じの秘儀が伝わっているそうです。

よって質問は
①この虫封じの「虫」の正体と、
②虫を「封じる」「退治する」のメカニズム。
③そして私のひいおばあさんはなぜこのようなことができたのか。またどうすればできるようになるのか。


以上について是非天心先生にご説明いただきたく思います。
お忙しい中恐れ入りますがどうぞよろしくお願いいたします。

【回答】


陽輝様

ご質問ありがとうございます。

>よく「虫封じ」という言葉を聞くのですが、これはスピリチュアル的にはどのような解釈になるのですか?

神社での御祈願の項目には色々ありまして、開運祈願もあれば、心願成就、健康長寿や商売繁盛なんていうのもありますね。

その中でもちょっと一風変わった項目に「虫封じ」というものがあります。

虫というと、真っ先にイナゴやカブトムシのような昆虫を思い浮かべる方も多いかも知れませんが、ここでいう虫は、そういった物理的な意味での虫ではありません。

どちらかというと「蟲」という字の方がしっくり来るかも知れません。

よく言われるのは赤ちゃんが理由もなく泣きじゃくるのは「疳の虫」が騒ぐからであるといわれています。

この疳の虫を封じるのが虫封じの祈願であるわけです。

さて、ご質問の一つに

>①この虫封じの「虫」の正体と、

とありますが、これに関しては、一概には言えないのですが、一つには感情や情緒を騒がせる「気」や「霊物」の類を虫と表現していると思われます。

よく「虫の知らせ」という言葉がありますが、あれもこの世ならざる霊的世界からのメッセンジャーとなる媒介を指しての言葉なのですね。

なので、虫というのは、この場合、そういった霊的背景にある伝達を行う総称であるといえるでしょう。

また、虫は赤ちゃんや子供だけに関係があるわけではなく、大人であっても情緒が不安定であったり、すぐに怒りっぽくなったり、癇癪を起す場合なども虫が影響している場合があります。

こういう情緒を害する類の霊的背景を封じていく手段が虫封じだといえるでしょう。

②虫を「封じる」「退治する」のメカニズム。

ご質問の文中に

ひいあばあさんの「疳の虫退治」を実際に見たことのある私の祖母やはとこは、細い糸のようなものが子供の身体から抜け出てきたとい う証言をしていました。

とありましたが、これは霊的なヴィジョンを見たのかと思います。

私自身、実は「虫」が出ていくのを見たことがありますが、同じように線状のミミズのようなものがお腹や胸のあたりから抜けていくのです。

にょろにょろとミミズのように動くのでこれを見た人が「虫」と呼ぶようになったのかも知れません。

実際のところは分かりませんが、虫が抜け出るということは、ムズムズ、苛立ちといったささくれだった感情を高ぶらせている「気」が抜けていくことを意味しています。

もちろん、正体は気なので抜けてもまた生成される可能性はありますが、気を抜いてしまうと感情を高ぶらせているものが一時的にでも消えるので、情緒が安定しやすくなります。

③そして私のひいおばあさんはなぜこのようなことができたのか。またどうすればできるようになるのか。


陽輝様のひいおばあさんが虫封じを出来た理由はわかりませんが、おそらく推定すると「気」をとらえやすい体質の方だったのではないでしょうか。

「気」に触れることが出来るためには、「気」を捉えることが出来ることが必要です。

少なくとも虫の姿を何らかの形で感得できないと処置もできないわけです。

逆に言えば、虫の姿をとらえることが出来れば、それを抜いたり封じたりする方法は行く通りも考えられます。

「社伝虫封じ」というものもその神社に伝わる虫の封じ方のノウハウがあるということなのかと思います。

ですから、方法論というものは色々あるのかなと思います。



以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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【公開質疑応答】占星術のボイドタイムとの付き合い方

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、もんた様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


天心さま

お世話になっております。

ボイドタイムについてお伺い致します。

占星術からくるボイド時間帯というものが日々存在し、

その時間帯は、重要な決断や、契約ごとを行なわないとされているそうですが、

これは月(惑星)の満ち欠けによる、身体やエネルギーの変化・影響によるものなのでしょうか?

また、意思疎通やお取り次ぎに支障がある時間帯などが、あったりしますでしょうか?

ボイドタイムを知ってからは、その時間帯を注意していますが、少々意識し過ぎるところがありますので

どのように捉え、つき合っていけば良いのか、アドバイス頂けますと幸いです。

何卒よろしくお願い致します。


【回答】


もんた様

ご質問ありがとうございます。

確かにボイドタイムには生産的な活動がしにくくなるエネルギーの影響があるのかと思います。

四柱推命にも空亡という期間がありますし、気学などにおいては方位によってエネルギーの活殺があります。

つまり、星に限らず、様々なエネルギーの影響を私達は受けているといえるでしょう。

ただ、そういったエネルギーの循環を細かく気にしだすと積極的な行動がとり難くなるというマイナス面もあります。

現世においては、ボイドタイムであっても動かなければならないケースもあるでしょうし、仮にボイドタイムであっても持前の正のエネルギーが強ければ、然程、影響を受けないことも多々あります。

単純に外部因子のエネルギーだけで命運が決まるわけでなく個々の持つエネルギーや才覚、また、関係者や媒体を通して補充されるエネルギー(パワーストーンやお守りなどを含む)によっても異なってきます。

ですから、あまり気にしすぎることはないと考えます。

それよりも如何に正のエネルギーを充填するか、自分自身の才覚を磨くかという点の方がより重要かと思います。

もちろん、そうはいっても大事な商談やここ一番の時には、ボイドタイムをはじめ、方位や空亡などを気にして選べるならば吉なる時間や方位などを選ぶのは良いことかとも思います。

ですが、全てを占星術などのサイクルに合わせようとすると無理が起こるので、その点のバランスを取ることが大事かと思います。


以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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【公開質疑応答】寿命について

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、クロ様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


わたしの周りでは早すぎる死、若くして急に亡くなってしまう方、急死に一生をえる方、寝たきりで自分では起きあがることもできずに生きている方、高齢で老いてできることができなくなっていき、早く死にたくてもなかなか天に召されない方、

なかなか天に召されない高齢者は学びが残されているからまだこの世で気づかなければいけない、やらなければならないことがのこっているから召されないのか、逆に早くに亡くなる方はその方のもって生まれた寿命が終わり、学びも終わったから召されたのですか?

様々な死と直面する機会が多くあり考えさせられます。
お答えいただければ幸いです。


【回答】


クロ様

ご質問ありがとうございます。

人間の一生の中で「誕生」についで非常に重い意味があるのが「死」ということあるかと思います。

如何なる人間も生を受けたからには死からは逃れられません。

そんな宿命的な命題が「死」の問題であるわけですが、平等に訪れる死にも人により様々な死の形がありますね。

大きく分ければ、長命であるか短命であるか。

また、亡くなり方も様々ありまして、ある時、ぽっくり逝くこともあれば、闘病生活の上での死もあります。

健康上に問題はなくても事故や事件に巻き込まれて命を落とす場合もあります。

死は人間にとって平等であるといわれても、その質や量に違いがあるのは如何なる理由なのかというのがご質問の趣旨かなと思います。

まず、大きな枠組みとして私達には寿命というものを持って生まれてきています。

しかし、この寿命というのは私達が考えている物理的、肉体的な意味合いのことを指しているわけではありません。

物理的、肉体的な意味における寿命と間違わないために私は、命数という言葉で寿命について考えています。

命数とは現世にて活動できるエネルギーのようなものだと考えてください。

命数は人それぞれに異なりまして、短い人も長い人も平均的な人も色々あります。

命数がどのようなメカニズムで決定されるのかはハッキリとしたことは分かっていません。

ある程度、天命や人生における課題やテーマを鑑みて決定されていることは間違いありませんが、単純に分けられるものではありません。

ただ、分かっているのは命数はある程度、決まっているため、現世を生きる私達が人生上で立てている青写真と合致する形で人生を終えられるとは限らないということです。

このことから、現実思考で考えると理不尽に思えるような死や不可解に思えるような死があるように感じてしまうのです。

例えば若くて健康なのに突然、亡くなってしまう人もいますが、現実思考で考えれば、なぜこんな前途有望な若者が亡くならなければならないのかと思うことでしょう。

逆に病気がちで長くは生きられないと思っている人でも、病気しながらも長寿を全うするなんていうケースもあります。

これは、一見すると不可解に思えるかも知れませんが、命数という考え方でいけば、不思議ではないのです。

命数が尽きれば、若者であっても死が訪れることがありますし、逆に不健康な人であっても長生きすることもありうるのです。

九死に一生を得るというケースも実際には、死ぬような目に合うけれど、命数があれば死なないのです。

では、私達の生死というのは、命数次第であって、現世での健康管理や生き方によって影響されることはないのでしょうか。

実はそうではありません。

命数はある程度は決まっていますが、やはり多少の変動はあるようです。

命数が伸びるケースとしては、新たなる次元上昇が行われて、天命の次元も上昇した場合に見直しが図られるようです。

一方で命数が減少するケースとしては、あまりにも天命からかけ離れすぎてしまい、今生で命数を使い果たすまで生きると大きくマイナスに動いてしまう場合には、魂の緊急避難措置として、命数が減少するケースもあるようです。

また、命数とはあくまで現世に留まる期間的な意味合いのことを示しています。

例えば、同じ50年を生きるにしても充実して生きて、最後は家族に見守られて亡くなる場合もあれば、最初の20年に無茶苦茶な生活をして荒んだ状態になり、命数が尽きる時は致命的な病気になり亡くなるという場合もあるのです。

事故で亡くなる場合も、事件に巻き込まれたり、自殺に追い込まれたりする悲惨なケースも実際には、命数上の期間は変えられなくても、亡くなるあり方や生き方を変えることはできるということなのです。

なので、命数が決まっているということと、人生で何か工夫や努力をすることが無意味であるということは別なのです。

命数がどのくらいあるかは問題ではなく、どう生きるのか、どのような工夫や努力をしていくのかが、現世における意味なのですね。

ですから、様々な死の形があること、長短が存在することを考える場合には命数というものがあること。

命数が決まっていたとしても、その質は変えることはできる可能性があるということを踏まえておくと良いと思います。



以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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【2014年7月度】神田明神への参拝

2014年7月度神田明神月参りをしてまいりました。

天候不順が続く中、やっと訪れた晴れの日の参拝となりました。

拝殿の奥からは静かな気が流れてきています。

いつ詣でても良い気持ちにさせてくれる神域ですね。

また、毎度のことながら、ご寄付の一部からお玉串をさせて頂きました。

もちろん、献灯の継続祈願串の奉納もさせて頂きました。

皆様に神様からの追い風の力が降り注ぐように祈念して参りました。

今月も元気に過ごして頂ければと思います。


天心 拝

kanda_kigankusi.jpeg

神田神社 祈願串



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【公開質疑応答】傷ついた時のリカバリー

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、透宇様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


天心様
こんにちは、透宇です。

なんだか出遅れ感が半端ないですが
(何を聞こうか、先に自問自答していたら結局選べなくなってしまって(;´Д`))

今更ながら、質問に応募です。

天心様は普段凄く丁寧に、真心の籠もったアドバイスをされていらっしゃいますが
それなのに批判的な言葉が投げかけられる事がありますよね。

たとえば、相談者の方から
「言ったとおりにしたのにちっとも幸せにならない」などの逆恨みから
攻撃的なエネルギーや言葉を受ける

そんなとき、どうやって立ち直りますか?
守護霊様は何か労ってくれたり、励ましの言葉をくれますか?

誰もその人の代わりに人生を生きてあげられない、と私は考えるのですが。

これはブログには載せれないかもですが

「真顔やニコニコして聞いているけど
こっちはまじめに悩んでいるんだ。
同じように深刻にしてくれないと。」
といった心理状態の相手に
『高い波長を保つ為にワザと同調を避けてるから、一見深刻そうに見えないかもしれないが真剣に対処しているんだ』っていうのを
ちょっとわかって欲しいなと思ってしまうんですけど、そんな事はないですか?

いや、私のなかの人から拒絶されたくないというトラウマなのだろうとおもいますが
なんで思いやりを示して、マイナスが返ってくるのかなぁ?と

天心様を励ます時にも役に立つかもしれないとか…
そんな時が来ないのが一番ですけど。

いつもながら、支離滅裂な文章でごめんなさい。

今、メルマガ読んでいる最中なのでフィードバックも遅れてごめんなさい。

もし、記事にして役に立ちそうであれば
どうかご回答宜しくお願いいたします。


【回答】


透宇様

ご質問ありがとうございます。

生きていれば様々なフィードバックを受けます。

好意的なものもあれば、批判的なものもあります。

これは生きるという上においてある意味では宿命的なものなのかも知れませんね。

とりわけ何かを発信すれば、様々な反響がありますし、その反響の仕方も様々です。

さて、様々なフィードバックの中にはショッキングなもの確かにあり、そういう場合は私も傷つくことはあります。

そんな場合にどのようにリカバリーしていくのかというのがご質問の趣旨かと思います。

まず、一つの方策としては、なるべく感情的にならないことが挙げられるかなと思います。

もちろん、人間ですから、ひどいことを言われれば感情的になります。

その反応はとても自然なものです。

しかしながら、感情というものはとても大きなエネルギーなので、マイナスに振れるととても自分自身の心にもダメージを与えてしまいます。

>攻撃的なエネルギーや言葉を受ける

とご質問の文中にありましたが、攻撃的なエネルギーや言葉を受けたとしても、実際にそのエネルギーをどういう形で受け止めるのかという点に関しては、自分自身に委ねられているところもあります。

そうは言っても、攻撃的なエネルギーや言葉には元々の霊力がありますから、全てが自分次第とは言えない部分もありますが、それでも最小限にマイナスを抑え込むか、増大させてしまうかは自分次第になるのです。

ですから、まずは、感情のコントロールが肝要かと思います。

そこで問題となるのは、如何にして感情的にならないように自分を節するのかという点です。

一つには攻撃的なエネルギーや言葉を受けた場合に反射的に反応しないということです。

売り言葉に買い言葉という言葉があるように感情的になると生産的な心の活動がストップします。

実際にいつもの良いコンディションの自分を維持できないケースが多いので、少し時間を空けてから向き合ってみるという方法があります。

そうすると、その攻撃的なエネルギーや言葉を冷静見ることが出来るようになってきます。

不思議なのですが、冷静になって、向き合うと最初に感じていた感覚と大分違った印象で受け止められるようになるのです。

具体的に言えば、その言葉が単なる感情からのエネルギーから来ただけの単純な攻撃性のあるものなのか、自分自身が何かを行い、それに付随して投げかけられたものなのか、あるいは、誤解から来るものなのかがなどの背景がわかってきます。

こういった攻撃性のあるエネルギーや言葉の背後にあるものを冷静に見られるようになってくると感情的にならず、むしろそこから得るものすらあることに気付くこともあります。

マイナスのエネルギーにしても必ず理由があって発生いているものなので、その理由を探ると色々と見えてくるものがあるのですね。

ですから、感情的にならないでいた後には、より、受けた攻撃性のあるエネルギーや言葉を分析してみるのが良いと思います。

そして、仕上げとしては、良いエネルギーを発する人やもの、言葉に触れるなどが良いでしょう。

私自身、ひどいことを言われることはありますが、一方で励ましてくれたり、私がなしたことに対して、本当に喜んでくれている方々が沢山いらっしゃいます。

そういった方々のことを私は一番に考えます。

人の時間というものは限られたもので、限られた時間の中でどこにそれを割くのかが常に課題になります。

攻撃を受けたり、マイナスな言葉を投げかけられたことに時間を費やすということは、いつも応援してくれている人に対して割く時間が減るということです。

よく考えてみればこれは申し訳ないことです。

どんなことをしていても、応援してくれる人と批判してくる人は必ずいるものです。

だから、応援してくれる人だけを残して、批判的なことを言ってくる人を無くすことは中々できないものです。

なので、いずれかに意識を集中するかを選ばなければならないわけです。

そうであるならば、やはり、心ある応援してくださる人に対して時間もエネルギーも割くのが良いと思います。

>守護霊様は何か労ってくれたり、励ましの言葉をくれますか?

本当に究極の決断を余儀なくさせるほどの衝撃があった場合には、守護霊様も動きますが、多少のショッキングな出来事は「お前の修行だ」と取り合ってくれないでしょうね。(苦笑)

とはいえ、話は聞いてくれますよ。

>『高い波長を保つ為にワザと同調を避けてるから、一見深刻そうに見えないかもしれないが真剣に対処しているんだ』っていうのをちょっとわかって欲しいなと思ってしまうんですけど、そんな事はないですか?

誤解やこちらの想いが伝わっていないことを感じることはありますよ。
ただ、おそらくこれは鏡写しのような状態なのかな?と感じます。

こちらの想いも分かって欲しいという自分の想いの裏側には先方も「こちらの想いを分かってくれよ」という意識が隠されています。

ですから、その点は和光同塵という言葉もあるように、その人の状態を見て、初めは同調しつつ、徐々に相手の波動を上げてあげるという方法を取らないと難しいのかも知れませんね。

もっとも、あまりにも波動が下がりすぎていると、難しい場合もあるので、その場合は「自分にはあなたの意向に沿えるだけの力も能力も方策もありません」と正直に打ち明けます。

できないものはできないので、その辺りはその都度の判断になりますが、究極的には自分に出来ることをやっていくしかないかなという気もいたします。

ということで、参考までに傷ついた時のリカバーについて回答してみました。


以上、回答とさせて頂きます。


天心 拝


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プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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