守護霊への接し方 -不安で仕方がないとき編-

こんにちは!

天心です。

「守護霊への接し方 -不安で仕方がないとき編-」をお送りしたいと思います。

なお、前回は、「守護霊への接し方 -やる気が出ないとき編-」をお話しましたので、宜しければコチラもご参照くださいませ。

前回は、守護霊との交流において最初にぶつかる、めんどくさい、やる気が出ないとき等の状況にどう対処していくのかについてお話いたしました。

今回は、さらに一段と具体化を進めてお話をしてみたいと思います。

ズバリ、不安に押しつぶされそうな時にどうやって守護霊様のご加護を仰ぐのかというテーマになります。

多分、スピリチュアルの門をたたく方の8割以上は何らかの不安を抱えていらっしゃることが多いです。

スピリチュアルに限らなくても現代社会において不安が一切ないという方はおそらくかなりの少数ではないかと考えらえます。

生きている中では、多かれ少なかれ不安を覚える瞬間を持つことは避けようがないことでもあります。

人生の中で現れてくる不安とどう付き合っていくのかは、私たちにとっても重要なテーマでもあるはずです。

不安への向き合い方は様々にあるかと思いますが、私の提案としては、そんな時こそ、しっかりと守護霊と交流した方が良いということです。

守護霊はある意味、ハイパーポジティブな存在だといえます。

生きている私たちは得てして不安にからめとられてしまいがちではありますが、守護霊という存在は、不安とは無縁の存在なのです。

私自身、不安なときに幾度も守護霊と交流してきましたが、いつでも守護霊は「大丈夫。大丈夫!」という趣旨のことしか言いません。

時には、本当に絶対絶命と思われるような瞬間においても、守護霊はいつでも「大丈夫。大丈夫!」といった具合です。

ホンマかいな!と時には、余裕するぎる守護霊の態度に懐疑的になってしまうこともありますが、結果として大丈夫なことが多いのです。

そんな具合に守護霊はハイパーポジティブなので、不安なときに守護霊と交流すると自分自身の霊体(あるいは霊界)と守護霊との霊線つながり、またつながりが濃くなることで、自分自身もハイパーポジティブに近づいていくのです。

守護霊アドバイスなどの取次鑑定も実際にはこの守護霊のハイパーポジティブな影響を取次するという側面も強かったりします。

ハイパーポジティブな守護霊と交流が深まると単なる積極性以上のものが出てきます。

それは何かというと、究極的には根拠のない自信です。(笑)

いやいや、根拠がないのはダメなんじゃ?と思われるかも知れませんが、それは違います。

そもそも、自信を持つことには根拠は必要ないのです。

というよりも、何もかもうまく運んでしまう人をつぶさに観察してみるとよくわかりますが、いつでも自信に溢れている状態であることが多いです。

大抵の人は、苦手分野だったり、その事柄の初心者であったり、そもそもの経験の絶対量が足りない人は、消極的な思考になるものです。

経験を積んだり、上手く出来たりしていく中で段々と自信が培われていくことが多いといえます。

ある意味、この流れは順当であると考えられるかも知れませんが、これだと最初の一歩が非常に不安なものになります。

なぜならば、誰でも最初の一歩目は未経験、初心者、成功体験もなく知識や情報もあやふやである場合が殆どだからです。

この状態で自信もなく腰が引けているネガティブ思考でことに望めば、成功する率は極めて低くなります。

経験の少なさ、技術や知識の未熟さ、実績がないなどの要素をカバーして有り余る者がその人の持つ絶対的な自信なのです。

だからこそ、未経験、初心者であればあるほど、根拠も実績もなくとも自信を持たねば、最初の一歩の成功すらもつかめないという結果になりかねないということです。

不安であるということは、大抵は、自分自信が未経験のことであったり、良く知らない、わからない、どうなるか予想できないことである場合がほとんどです。

あるいは、苦手意識を持ってしまっていること、すでに失敗体験があり、魂の傷になっている場合などです。

いずれにせよ、これら不安要素を払拭するためには、守護霊とのつながりを強化するのが一番なのです。

では、どのようにして守護霊とのつながりを強化していくことで、不安を払拭していくことが出来るのでしょうか。

まず、第一には素直に語り掛けるということが挙げられます。

不安という気持ちに打ち勝とうとするあまり、虚勢を張ったり、無理にポジティブな態度を取ろうとしてしまうことがあるかと思います。

ネガティブはいけないという思いがあることから、良いことと信じて、ポジティブであろうとするわけです。

しかし、残念ながらこれは逆効果になる場合も多くあります。

少なくとも守護霊との交流においては、マイナスに働くことが多いといえます。

なぜならば、守護霊との霊線を接続したいと願うならば、まずは心を守護霊に対して開いておく必要があるからです。

人間同士の交流を考えてもわかると思いますが、常に建前でのお話や良いかっこしかしない人とは、本当の意味で腹を割った心の交わる対話は出来ないものでもあります。

守護霊との対話も同じなのです。

無理にポジティブであろうとするあまり、守護霊に対して心を閉ざしてしまっては、本当の意味での意義の深い守護霊交流にはならないということです。

ですから、まずは、愚痴っぽくなっても構わないので、守護霊に対しては素直な気持ちでありのままの不安をぶつけると良いでしょう。

例えば、

「明日は就職の面談があります。正直、あがり症で面接担当者に根暗なやつだと思われそうで怖いです。ダメなやつだとレッテルを張られないでしょうか。怖くて怖くてたまりません。この試験に落ちたらどうなってしまうのか考えると恐ろしいのです。・・・」

という具合になるべく素直に言葉にして不安を率直にぶつけてみることが大事です。

他にも

「胃潰瘍の手術をしなければいけないのですが、不安で不安でたまりません!」
「プロポーズしたいのですが、断られたらどうしよう・・」
「取引先でのプレゼンテーションで、ポカをやらかしそうで怖いです(><)」


など色々、何でも守護霊にぶつけてみましょう。

どんなことをぶつけても良いのです。

なぜならば、守護霊の答えは一つだからです。

「大丈夫。大丈夫!」

守護霊からの答えは言葉で来るよりも根拠のない自信、大丈夫という安心感という形でくる場合が多いです。

守護霊としっかりと繋がれば、不安はおのずと消えていくものでもあるということです。


関連記事 : 守護霊への接し方 -質問があるとき編-コチラから!


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守護霊への接し方 -やる気が出ないとき編-

こんにちは!

天心です。

「守護霊への接し方 -やる気が出ないとき編-」をお送りしたいと思います。

なお、前回は、「守護霊への接し方 -何もないとき編-」をお話しましたので、宜しければコチラもご参照くださいませ。

さて、前回は守護霊と接する最初の段階の気まずさを払しょくしていくための方法についてお話しました。

今回は一歩進んで、やる気が出ないときの守護霊との接し方についてお話していきたいと思います。

守護霊との交流の最初の壁を超えると次なる壁が現れてきます。

それは、「めんどくさい」という壁です。

、「守護霊への接し方 -何もないとき編-のお話を聞いた方の中には、早速、守護霊と接してみたという方もいらっしゃることかと思います。

最初の関門となるどうやったら守護霊との交流を果たすことが出来るのかという点が優しく紹介されていますから、誰でもやってみることは出来たかと思います。

しかしながら、最初は興味や関心をもって行っている守護霊との交流も時が流れると段々とやらなくなってしまうものです。

その理由は様々にありますが、多くの方が忙しない日常の中で生きているため、どうしても意識が日常の雑多なことにからめとられてしまう傾向にあることが挙げられます。

忙しければ、体力的な疲労もさることながら、精神的な疲れも蓄積されてきます。

そうすると段々と守護霊との交流などから離れていくことになるのです。

守護霊と交流を行おうと思っても、集中した時間が取れなかったり、気力がわかないということにもなってきます。

段々とめんどくさいという気持ちが強くなり、そのうちに守護霊と交流することとか、交流以前として守護霊という存在すらも意識しなくなり、しまいには今まで通りの守護霊とのつながりの薄い時間を生きることになるのです。

結構、心当たりがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。(笑)

この「めんどくさい」という壁を越えていくことが一つの次なるステージへと向かうための最初の試練でもあります。

ところが、ここで流されてしまうケースが多いのも現実なのですね。

では、どうやったらこの「めんどくさい」の壁を越えていくことが出来るのでしょうか。

究極のポイントを言えば、まずは、キチンとやろうとしないということです。

何事も完璧に整然として、お作法やら環境やらを準備して理想の状態でことを成そうとしないことが大事なのですね。

守護霊との交流というと神棚とか静かな瞑想空間とか、折り目正しく、お作法に則ったやり方をせねばならないと思い込んでしまっている方が意外と多くみられます。

確かに落ち着いて静かに守護霊と向き合える環境や清浄化された場所、意義を正してお祈りできる状況があるならば、それに越したことはないかも知れません。

しかしながら、生き馬の目を抜くがごとく、時代の流れは早く激しく、その影響下にある私たちの日常もまた、忙しさから逃れられない部分も多々あります。

ですから、理想的な完璧な状態で守護霊と交流しようと真面目に考えすぎてしまうと出来なくなってしまいます。

「弘法は筆を選ばず」という言葉がありますが、守護霊交流には場所も時間も状況も選ばなくても良いといっても過言ではないかと思います。

実際のところ、よく受ける質問の中で「天心さんは、いつどこでどのように守護霊と交流しているのですか?」という趣旨のものがあります。

守護霊やらスピリチュアルなことを次々と語っているくらいだから、それこそ理想的な状態で完璧なあり方で守護霊交流を行っているのだろうと思う方も多いのかも知れません。

しかし、私の回答は、「いつでも、どこでも、どんな時でも守護霊と交流します」というものです。

実際、神社でお祈りなどもしますが、私は道行く中でもお祈りし、電車で吊革につかまりながら独り目をつぶり、周囲に聞こえないレベルでぶつぶつお祈りすることもあります。

トイレに入っている時もお風呂の時も、読書の途中で守護霊との会話が始まることも多々あります。

また、折り目正しく行儀よくお祈りをすることばかりではありません。

実際、身体も精神的にもボロボロで立ち上がれず、突っ伏しているようなときでも守護霊にお祈りするのです。

いつもいつも正座をして手を合わせて行儀よくしているわけではありません。

苦しみながら、起き上がれないときでも、布団の中で寝ながらお祈りします。

まさしく、いつでも、どこでも、どんな時でも守護霊との交流はあり得るのですね。

私だってめんどくさいと思ってしまい、その気持ちに負けそうになり、もう立ち上がる気力もない時だってあります。

言葉も出てこない、やる気も出てこない、ヘロヘロでどうしょうもない時もあります。

そんな時でも、ぐだんぐだんのまま、ぐだんぐだんの調子でも、「守護霊様~!!このぐだんぐだんの自分に喝をお願いします~」とブツブツと語り掛けていると不思議なもので、少しずつやる気も戻ってきたりします。

だから、守護霊との交流はいつでもどこでも、どんな時でも行えるということです。

やる気が出ない時、めんどくさい時でも、自分の中で制約事項を加えなければ、守護霊との交流は出来るということを覚えておいて頂ければと思います。


関連記事 : 守護霊への接し方 -不安で仕方がないとき編-コチラから!


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守護霊への接し方 -何もないとき編-

こんにちは!

天心です。

このブログでは守護霊との交流や語り掛けの実践を推奨する立場をとっています。

しかしながら、いざ記事を読んでみてもどのように実践していったらよいのか具体的なところがわからない。

こんなご意見を頂くこともあります。

今や1000を超える記事数の中、読み込めば答えは見つかるとは思うのですが、中々、過去記事を読むのは大変ということもあるかと思います。

目次ページなどをご参考にこれだけは読んで!というページを設けて過去記事をリストアップしているものもありますが、それでもピンポイントで守護霊との接し方についてお話しているものは少ないかも知れません。

そこで、今回は改めて復習にもなるかと思いますので、守護霊の接し方をなるべく具体的な方法論を交えてお話してみたいと思います。

さて、守護霊に接するといいましても、今までその存在すらも認識していなかったわけです。

それにも関わらず、急に積極的に交流していこうと思っても何をどうしたら良いのかわからないかも知れませんね。

これは初対面の人と突然、脈絡なくお話をして交流するのがちょっと気まずいことにも似ています。

相手がどんな人なのかもわからないし、何の話をしてよいのかもわかりません。

こんな時は、やっぱり最初はあたりさわりのない雑談のようなところから入るのが良いのかも知れません。

天気の話、よくある世間話などがこれに当たるかなと思います。

ぽつりぽつりとでも話ている内に最初は気まずい空間があっても段々と話すことに慣れてきたりしますよね。

守護霊とも最初はこんな風に雑談から入るのも良いと思うのです。

最初から気合を入れて何かお願いごとをしてみようとか、難しい深いお祈りのようなことをしようとすると長く続かないものなのです。

長く続かない以前に実行に移せないことも多いでしょう。

なので、守護霊に対しても最初は、「今日も天気がいいですね♪」とか「最近は仕事で新しい案件を任されましてね~、大変ですが何とか頑張ってますよ~」なんていう具合に他愛もないことを話かけてみると良いのです。

内容は特に問わないので、話しかければ話しかけるほど良いと思ってください。

大事なことは語り掛けることで守護霊との間柄が疎遠な感じから、親和的な感覚になっていく感じをつかめるようになることが大事なわけです。

人と交流する時も大抵は中身よりもその人と心が繋がっている感じを持つことが大切なポイントであるのと一緒です。

私たちが普段している会話の大部分は本当は大した内容ではないはずです。(笑)

仕事や人生の重要な事柄について決めていくための話し合いなどの場合は、中身も濃く真剣なものが多いわけですが、大抵はそうでないことが多いと思います。

ですから、守護霊に対しても雑談程度で構わないのです。

真剣に真剣に中身のあることを語り掛けようとすると疲れてしまいますし、続きません。

八割くらいはどうでもよいことで、二割くらいは、自分自身の人生や天命、学びなどのことをお祈りするでも良いと思います。

もう一度、繰り返しますが、最初に求められるのは守護霊との親和性です。

守護霊と仲良くなることが大事なので、何もないときには雑談をしていきましょう。

関連記事 : 守護霊への接し方 -やる気が出ないとき編-コチラから!


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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-天使霊統編10】

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前回記事は二番目のリンクをクリックでページが切り替わります。


<前回までのおさらい>

今、身を置いている空間は、どうやら敏感に霊波長に反応することがわかってきました。

霊波長を整えるため調和のための祈りを始めるとそこには、輝く大きなベーグルのようなものが浮かび上がってきます。

フェイシェル大天使によれば、ベーグルのような輪っかはエンゼルトーラスと呼ばれるもののようです。

天使が気品を保つためのものだということですが、おそらく霊界における象徴的なものなのでしょう。

「美しものはない」というフェイシェル大天使の言葉の真意を悟ると目の前に新たな荘厳なる光景が開けるのでした。

<続き>

銀色と時々、淡い透明感のあるブルーが混じった輝きが結晶のような形をなし、それが連綿とつながりあっている。

輝きは輝きを呼び、どこまでも美しい形容しがたいモノが広がっていて、どこにも醜悪なものはありません。

この空間に佇んでいるだけで、ますますに全てが美しく感じます。

美しさが美しさを反射し映し出し、さらなる美へと導かれ発展していくような感覚です。

まるで、ギリシャ神話のナルシスになったような気分です。

その光景を垣間見たら、見ることをやめられないのです。

いつまでもいつまでも自分が麗しく洗練されていく様がわかります。

フェイシェル大天使:「セフィラの罠に陥らないようにしてください」

フェイシェル大天使の言葉にふと我に返ります。

天心:「セフィラ?」

フェイシェル大天使:「セフィラは旅の途上に現れる導であり課題です」

天心:「どういうことでしょう?」

少し戸惑いつつフェイシェル大天使に尋ねます。

フェイシェル大天使:「光の柱を通り、向かう目的を忘れてはなりません。私たちは皆、主なる神に向かい旅をしているのです。」

天心:「確かにそうですね。それではセフィラとは主なる神に向かっていくための導導であり課題だということですか?」

どうやら意図したことを正確に受け取ったことを意味するようにフェイシェル大天使は微笑んでいます。

フェイシェル大天使:「セフィラは旅の途上に現れる課題です。課題を受け止めることが出来たらば、セフィラに拘ってはなりません。」

私は、少し立ち止まってフェイシェル大天使の言葉をよくよくかみしめて考えてみます。

つまり、今までこの霊空間で経験した、無限ループをしたことや霊波長によって景色が変わる現象も全ては課題を受け止めるためのものだったということに考えが行き着きました。

一つひとつの出来事に意味があり、そこでの体験が私の霊覚を開いていくためのプロセスになっていたのでしょう。

ただ、私がその場の出来事にとらわれてしまうと本来の主なる神へ向かう目的を失ってしまいかねないからこそ、フェイシェル大天使は忠告をしてくれたということなのかも知れません。

本当にこの解釈であっているのだろうかと少し心配になりフェイシェル大天使の顔を覗き込みます。

満面の笑みを浮かべて優しいまなざしが注がれてきます。

どうやら間違ってはいないようです。

天心:「わかりました。何だか名残惜しい気持ちが強いですが、次なる課題に向かって進みたいと思います」

私はフェイシェル大天使にそう宣言しました。

するとフェイシェル大天使は先導するかのように私の前に立ち一筋の光を天上よりおろしました。

その光の筋が新しい道となり次なる空間へ続いていきます。

この先はどんな課題が待っているのでしょうか。


☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-天使霊統編11】へ続く


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小さな幸せは簡単に得られる?

こんにちは!

天心です。

もうすぐ桜の季節になりますが、まだまだ気温の上下の落差もあり、淡い薄ピンクの可愛らしい花弁の姿を拝むことは出来ていませんね。

ポカポカ陽気の日もあれば一転して曇天。

鼻がぐずるのは、花粉のせいか風邪を引いたのか。

そんなことを考えつつ、ティッシュで鼻をかみかみしながらブログにてお話しています。

ところで、私はいろんな方のお悩み相談をメールという形で受けては取次鑑定という形で守護霊アドバイスや遠隔浄霊などを通して向き合わせて頂いています。

悩みには様々な形があるものですが、その中で最近、共通する勘違いが多いなと感じることがあります。

そのことについて少しお話してみたいと思います。

それは、「小さな幸せは簡単に得られる」という誤解です。

よく耳にするフレーズに「私が願っているのはささやかな幸せです。でも、こんなささやかな幸せすらもつかめないでいます。。」といったニュアンスのものがあります。

つまり、ささやかな願いや幸せは簡単に得られるはずだという信念多くの方が持っていらっしゃるということですね。

別の角度から言うと簡単な願いや幸せしか求めていないのになぜ私は幸せになれないの?という疑問を持つことが悩める方の多くに見られるということです。

確かに一般論として小さなささやかな幸せであれば、簡単に手に入りそうなものです。

大きな幸せより、小さな幸せの方が手に入れやすいに決まっていると考えるのは無理からぬことかも知れません。

しかしながら、実はここに大きな勘違いが存在していることに気付かないと今後もこの先も小さくささやかな幸せを手に入れることもできなくなってしまう可能性が高いといえます。

その大きな勘違いについてお話したいと思います。

それは、「小さな幸せを得るためには、実際には大きな正のエネルギーを必要とする」ということです。

一見して、ささやかで小さく見える幸せも実際のところは、その背後で大きな正のエネルギーを使っているのです。

意外と気付いていないのですが、幸せという感覚を得られること自体が本来はとてつもなく希少なものなのです。

それは、紛争地域などに出向き、いつ酷い目にあっても不思議ではないような状況に身をおけば、小さな幸せの希少さを体感することは出来るかも知れません。

あるいは、現代のようにあれもこれも整っているような時代ではなく、人権も認められず、生活環境も厳しことを強いられる時代のことを考えれば、ささやかな幸せを得ることの希少性に気付くはずです。

しかし、それでもおそらくこう考えるかも知れません。

周囲には簡単に幸せを得られている人もいるのに自分が得られていない理由はなぜなんだ!と。

これは身も蓋もない言い方をすれば、その人、個人の持つ正のエネルギーにはばらつきがあるからです。

小さな幸せを手に入れている人と自分との間に表面的な部分で違いは見いだせないかも知れませんが、持っている正のエネルギーには違いがあるわけですね。

小さな幸せをあたかも簡単に手に入れられているように見える陰にはそういったスピリチュアル的な要因があったりするものなのです。

ただ、このようなお話をするだけで終わってしまうと単なる残酷な現実を突きつけられて意気消沈してしまうことになりますよね。

そこで、今回はどうしたら大きな正のエネルギーを蓄えることが出来るのかについて、お話することでまとめたいと思います。

さて、小さな幸せは簡単に手に入ると思いきや手に入れられずに苦しむ人には共通点があります。

それは、小さな幸せならば簡単に手に入りやすいという思い込みです。

これは先ほどもお話した誤解ではあるのですが、この誤解のせいで、そういった方は間違った考え方を持っていることが多いのです。

小さな幸せならば簡単に手に入りそうだから、分相応の生き方をしよう、分相応の願いや希望、志を持とうという思考に入り込みます。

ゆえに求めるものも小さくなりますが、その分、その人の持つあらゆる可能性も小さくなるのです。

あらゆる可能性とは、その人の成長する伸びしろ、その人が受け取る質量、その人が蓄える正のエネルギーなどあらゆるものが小さくなっていきます。

大きく求めれば大きな器となるべく自身が変わろうと霊界は動き始めます。

しかし、小さく求めればその逆に霊界は不要な可能性をそぎ落とし、小さくなろうとする傾向があるのですね。

さて、先ほどもお話しましたが、ささやかな幸せを得るためにはそれなりの正のエネルギーを蓄えている必要があります。

正のエネルギーを大きく蓄えるためには、大きく求めなければなりません。

大きく求めるとは強欲になれという意味ではもちろんありません。

もっと高い次元に目を向けていく、もっと広く多様化した視点でものを見ながら、その欲求の次元とスケールを大きくするということです。

ささやかな幸せを簡単に手に入れようとする人はある意味で意識の次元層も低くなりがちで、その夢や目標もスケールが小さい傾向があります。

大きく求める人についての小さい幸せを求める人の印象は「二兎追うものは一兎も得ず」の諺にあるかのごとく、何も得られないものだというイメージを持っているのです。

でも、よく観察してみてください。

本当にそうでしょうか。

大きく求め常に高い基準で生きている人は得てしてささやかな幸せもゲットしている傾向があるように思います。

それはそうです。

大きく求める人は大きな正のエネルギーも同時に獲得するわけです。

ですから、その分、小さな幸せだって簡単に得られるのです。

しかし、小さな低い基準で満足ですという考え方は、小さな正のエネルギーしか持てないため、実際のところ幸せをつかむどころではなく、自分の持つ負のエネルギーに負けてしまいます。

これが、小さなささやかな幸せを遠慮がちに求めようとする人が中々報われない一つのメカニズムでもあるということです。

「私が願っているのはささやかな幸せです。でも、こんなささやかな幸せすらもつかめないでいます。。」

という場合には、一度、自らの考え方を見直してみる必要があるのかも知れません。



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心に残った守護霊からのメッセージ43

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


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逃げて勝つ

負けるが勝ちなり

ゆずる道

折れぬ心が

道ひらくなり

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私たちは何でもかんでも逃げずに戦うことが道をひらく方法だと思い込みがちです。

しかし、勝ち急ぐ時ほど、深みにはまり足元をすくわれることが多いのも現実です。

守護霊様は、積極的に逃げるべき時には逃げなさいとおっしゃられていたことがありました。

いつも勝とう前のめりにいくことよりも、あえて一時的に敗北しても、損を引き受ける決断をすることが出来る人だけが本当の意味で最期の勝利者となるということでした。

あえて、頑なにならず、一時、道を譲ったとしても、それでも心を折らないで進む人には、必ず後で道がひらいてきますよという守護霊様のお諭しのメッセージになっています。


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【超略解シリーズ】 老子 -三十の輻-

こんにちは!

天心です。

【超略解シリーズ】としまして、早速、老子道徳経の内容についてお話していきたいと思います。

初回は二度にわたり、老子序章として、概略をお話してきました。

まだ、読んでない方は、そちらを最初に読まれてから、当該記事を読まれることをお勧めします。

【超略解シリーズ】 老子 -序章-
【超略解シリーズ】 老子 -序章2-

また、当該シリーズの老子道徳経編のバックナンバーは以下になります。
合わせてお読み頂ければ幸いです。

【超略解シリーズ】 老子 -道の道とすべきは-
【超略解シリーズ】 老子 -天下みな美の美たるを知るも-
【超略解シリーズ】 老子 -賢を尚ばざれば-
【超略解シリーズ】 老子 -道は沖しきも-
【超略解シリーズ】 老子 -天地は仁ならず-
【超略解シリーズ】 老子 -谷神は死せず-
【超略解シリーズ】 老子 -天は長く地は久し-
【超略解シリーズ】 老子 -上善は水の若し-
【超略解シリーズ】 老子 -持してこれを盈たすは-
【超略解シリーズ】 老子 -営魄を載んじ-

それでは、老子道徳経の解説に入っていきたいと思います。


◆◇ 三十の輻 ◇◆


【原文(書き下し)】

三十の輻(ふく)、一つの轂(こぐ)を共にす。
其の無に当たって、車の用有り。
埴(つち)を挺(う)ちて以て器を為(つく)る。
其の無に当たって、器の用有り。
戸牖(こゆう)をうがちて以て室(しつ)を為る。
其の無に当たって、室の用有り。
故に有の利を為(な)すは、無の以て用を為せばなり。/span>

【超意訳】

車の車輪は三十本のスポークが軸に集まって作られている。
車輪の中心には何もない空間があるが、その空間があることで車輪として利用をすることができる。
泥をこねて丁度、くぼみがあるように器は作られている。
器というものはそのくぼみの何もない空間があればこそ、器として利用することが出来る。
扉や窓、壁を囲んで何もない空間を創造することで部屋は作られている。
何もない空間を創造することで、部屋を部屋として利用することが出来る。
このように私たちの身近に存在して利用しているものは、「なにもない」という働きがあればこそ、その有限の働きをなすことが出来るものなのだといえよう。


【超解説】

私たちは目に見えている部分、すなわち実体がハッキリしているものに着目しがちです。
しかし、実際に目に見えていない部分によって、目に見える部分に意義を与えられていることがしばしばあるということですね。
特に今回、大事なキーワードは「何もない」という点です。
何もないから全くそこには働きはなく、意味もない。
こう考えてしまいがちですが、何もない空間に大きな意味がもたらされていることもあるのだということを老子は説きます。
車の車輪を車輪として使うためには真中に空間がなければ利用できません。
現代の車で鑑みれば、タイヤの中は何もありませんが、何もないから空気を詰めて弾力を得て、タイヤとして使えるということですね。
また、お茶碗やコップのような器も、くぼんだ空間がもし、埋め尽くされていたら、器として何の利用もできないわけです。
水も汲めませんし、お茶も飲めません。
私たちが生活をする場としての部屋も空間があるからそこで寝転んだり、食事をしたり、色々とできるわけですね。
何もないということがとてもありがたく機能しているわけです。
老子はこの何もないということすらも道の働きだと喝破していました。
有があり無がある。
有と無が調和しているからこそ、私たちは様々な恩恵を受けています。
有には意識が向きやすいものですが、老子はあえて無を強調することで、道の働きのありように意識を向けさせたかったのかも知れません。
また、スピリチュアル的にこの章を解釈すると一つの雑念のない霊空間という場を開くとそこに満たされるべく、新しいエネルギーがやってくるという意味合いも示唆しています。
健全なスピリットを呼ぶためには、健全な純化された空間を作ることが肝要なのです。
老子は有と無の相対的な話だけをしたかったわけではないようにも思います。
私たちはもっと積極的に無の働きを考えていかねばならないのかも知れません。



以上、老子道徳経の超略解になります。

何かの参考になれば嬉しく思います。


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新説・霊界ストーリー 【霊界探索-天使霊統編9】

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<前回までのおさらい>

水中深くに潜伏したときのような静けさにつつまれた空間で、新たなテーマが与えられました。

透明感のある場所で私は、フェイシェル大天使より美しさとは美しいものではないと諭されました。

一体、どのような意味なのか答えをフェイシェル大天使に求めましたが、それは自分で求め探すものだと再び諭さます。

どういていいのかわからずに途方に暮れていると静かな空間に変化が起こり、見えている景色が崩れていくのを目の当たりにするのでした。

<続き>

まるで、透明なゼリーに一筋の切り口を入れたときにできるような線。

線といえば良いのでしょうか。

一筋の線が出来ては、パズルのピースのように景色が切り取られていきます。

その光景自体、とても不思議な感じでもあり、ちょっとだけひんやりとした冷たい風が頬を撫でていくような皮膚感があります。

カットされたダイヤのいくつもの鋭利な表面が光を反射させるように景色の一部がまた欠片のように分かれていきます。

何が起こっているのかは、わかりません。

わからないと考えるほどの景色は混沌としてくるようなのです。

時には、頭が混乱するかのような気持ちになると、ザラザラした感想した砂漠のような景色がぐるぐると回転しては現れます。

一つだけわかってきたことは、思念に敏感に影響する空間なのだということです。

ちょっとした波長の違いもすぐに目に見える景色、感じる感覚としてフィードバックされてくるようなのです。

私は、ともかく、思念を整えるべく、お祈りをしながら霊波動調整をしていきます。

心の波風を抑えるようにしていくと再び、透明感のある空間と景色が戻ってくるのです。

そして、シャボン玉のような気泡がまた浮かんできます。

ふと、そこで直観的にシャボン玉の正体がわかったような気がします。

それを確認するために、少しシャボン玉に強い思念を向けてみました。

するとシャボン玉の数が増えて、ブクブクと粟のような感じで大小の気泡が現れるのです。

思念が鎮まれば、静寂な空間、そして、微弱になった霊波動の活動は、優しいシャボン玉のような表層的なシンボルで現れているようです。

今度は、静かに祈りを調和へのものへと変えていきます。

あらゆるものが調和した姿こそが美しさの一つではないかと考えたからです。

静かに静かにお祈りをしていくとシャボンの玉は、ゆっくりと中心に集まってきます。

先ほどのように泡立つのではなく、優雅に舞うように絡み合いながらダンスをしているかのようです。

小さな、そして静かなツイスターが目の前に作り出されていきます。

八の字を描くように左右に広がりながら、段々とドーナツ状の大きな輝くリングが現れています。

宝石で出来たベーグルみたいで、眺めているだけで魅了されていきます。

フェイシェル大天使:「見事なエンゼルトーラスです」

フェイシェル大天使ふいに語り掛けてきました。

天心:「エンゼルトーラス?何ですかそれは??」

フェイシェル大天使:「天使が皆、気品を保つために持つものです」

天心:「そうなんですか。そういえば・・」

目の前で綺麗に光り輝く、ドーナツ状のものは、見方によっては、天使の頭によく描かれている光の輪に似ています。

実際には、絵に描いたような光の輪を頭の上に乗っけている天使というのは、霊感旅行の際にもあまり見かけてはいません。

おそらく、現世に伝えられている天使のイメージというものは、わかりやすく描かれなおされている部分もあるのかも知れません。

ただ、光の輪が象徴するものは霊界にも存在しているということなのかと思います。

天心:「これが天使の輪の正体なのですね・・」

でっかい光り輝くベーグルという私の個人的な感想は封印しておきました。(笑)

フェイシェル大天使:「あなたはまだ美しさが何であるのかわかってはいませんね」

天心:「え?そ、そうなんですか?」

フェイシェル大天使の言葉に再びドキッとさせられます。

フェイシェル大天使:「美しいものはありません。」

天心:「美しいものはない・・」

私は再び考え込んでしまいます。

すると先ほどの光輝くエンゼルトーラスが割れたガラス片のように飛び散り、空間が混沌へと姿を変え始めます。

このままでは、また、もとの繰り返しです。

静かに祈りつつ霊波動を乱さないように最新の注意を払いながら、景色の乱れが整い始めるのを見ていた瞬間にハタと全てを悟りました。

何を悟ったのかを言葉で表すことは出来ません。

しかし、あえて言うならば、美しさとは何かということです。

美しさとは、その対象にあるわけではないという点です。

美しいものがないとフェイシェル大天使がおっしゃられていた意味がようやく腑に落ちました。

あえて言葉にするならば、美しさは、美しさをとらえること自体にその本質があるということです。

美しさが美しさを見るのであって、美しいものがあるわけではない。

まるで合わせ鏡の中の鏡を見るような実体のとらえどころのない境地に立ち、私は一瞬、立ち尽くすように空間を見つめていました。

すると、まるで分厚いカーテンが幕を開けたかのようにその向こう側に表現できないような景色が広がっています。

どういってよいのかわかりません。

まさしくこの世のものとは思えない、現世にありようもない光景です。

綺麗とか美しいとかいう言葉では追いつかない、そこには完全性を思わせる姿が現れていました。

フェイシェル大天使:「主の片鱗をあなたは見たのです。全てに主の片鱗があるようにあなたにもまた主の片鱗があります。」

フェイシェル大天使はそう言うと、とても晴れやかな表情で私を愛でるような視線で見つめていました。

続く。

☆新説・霊界ストーリー【霊界探索-天使霊統編10】へ続く


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思考・言動・行動を整理する

私たちは日々、様々なことを考え、様々なことを言葉にして表現します。

そして、様々なことを行動に移しながら生きています。

私たちの人生というものは、直接的な意味においては、思考、言動、行動の三つの原理で作られていきます。

思考することで、如何なる言葉を使い表現するのかを決めていますし、どのような振る舞い、行動をするのかも決めています。

私たちの行動、振る舞い、一つひとつが自らの状況を作り出していくわけです。

言葉によって自らの意志を表現することも人生に大きな影響を与えています。

社会の大半は言葉で意志を表明し合いながら、そのあり方が決められていきます。

一言もしゃべらず、言葉を発することなく人生を過ごすことは出来ません。

考えてみれば言葉ほど私たちの人生を左右している存在はないのかも知れません。

このように人生というものを作り上げていく手段を究極的に絞っていくと、思考、言動、行動に行き着くわけです。

私たちは人生の航路をより良い方向へと舵を切りたいと願うならば、上記の三つをうまく活用しなければならないということになるわけです。

そのため、「自らの行動や振る舞いを見直そう」「言葉を大切にして言葉使いを改めていこう」とか「思考を明るく前向きなものにしていこう」などの提言が昔からあります。

宗教や自己啓発などの世界においてもよく上記の提言を行われることがあることでしょう。

自らを省みよ。

特段、珍しい提言ともいえないことなのですが、実は、あることが欠落すると全く意味を失ってしまうので要注意なのです。

それは意外と見落としがちな点でもあります。

何かというと「基準を持つ」ということです。

実際、試してみるとわかります。

単純に自分自身の思考や言動、行動を振り返ってみましょう。

さて、色んなことが見えてきたり、思うところ、反省点なども浮かんでくるのかも知れません。

しかし、それで何かが自分の中で変わったという実感は得られたでしょうか?

得られたという方は、それはそれで良いわけですが、大抵、単純に自分を省みることを行うと自分の至らなさだけ目について、がっかりしてしまうことが多いものです。

反省というと美しく聞こえますが、実際は自分の嫌な点に気付いて、落ち込んでいるだけの話になっていることが多いのです。

これでは、反省すればするほど、自分自身の自信が失われていくだけです。

百害あって一利なしといえば言い過ぎかもしれませんが、基準を持たない反省という行為に存在する問題点であるのも事実です。

では、どのようにすれば、きちんと自らを振り返り、省みることが出来るのでしょうか。

先にもお話したように「基準を持つ」ことが大事なのであります。

例えば、何か考え事をしていたとします。

その時の思考状態について省みる場合、単純に省みると「あっ!また後ろ向きなことを考えてしまっていた。俺っていつもネガティブに考えてしまう。。」とこうなりがちです。

何となく思考状態が悪いことを自ら裁いて落ち込んでしまうわけです。

では、どうすることで、このように落ち込むことなく、真の意味で自らの思考を省みることが出来るのでしょうか。

まず、思考が如何なる状態であるかを判断する前にその基準を確認します。

つまり、基準に合致するための思考であれば良いわけですが、それ以外は雑念であると整理します。

ここではネガティブかポジティブかは関係ありません。

基準に合致しているかどうかを機械的に判断するのです。

では、どのような基準でもって、判断していくのが良いのでしょうか。

基準は人によって異なります。

なぜならば、基準はその人の志の内容によって決まるからです。

志とは夢や目標と置き換えても良いですが、その人の生きるための指針となるものです。

自分がどのような生き方をしたいのかという方向性が志というものの本質であるといえます。

つまり、基準とは、志に沿った生き方をするために必要となるポイントは何であるのかという点にあります。

分かりやすい例をあげれば、将来は起業して自ら事業を起こしたいという目標があったとしましょう。

志は、社会に益を為す事業運営を行うことが出来るリーダーシップのある経営者であることです。

そのような志に合致した自分になるためには、責任を取る、常にヴィジョンを持ち、世の中の課題や問題に目を向ける、リスクを請け負うなどの資質が必要となり、そのためには思考、言動、行動もそれに相応しいものに変えていく必要があることでしょう。

その場合、思考について省みるにしても単純に明るく前向きであるかといった方向では意味がないわけです。

思考している内容が自らの志を実現していくために、どのようなヴィジョンが必要なのか、課題は何なのか、責任をいつでも引き受けるぞという心構えがそこに存在していないとダメなわけです。

思考は常に志に相応しいことを考えているのかという基準でものを見なければ正しく自らを省みることは出来ないのです。

思考のみならず、言動も行動も原則は一緒です。

基準から見て、自らがどうあるべきかをイメージすることで、正しく自らを省みることが出来るようになるのですね。

漫然とした反省よりも、基準を持った反省により思考・言動・行動の整理を心がけていくことが大事だということです。


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【超略解シリーズ】 老子 -営魄を載んじ-

こんにちは!

天心です。

【超略解シリーズ】としまして、早速、老子道徳経の内容についてお話していきたいと思います。

初回は二度にわたり、老子序章として、概略をお話してきました。

まだ、読んでない方は、そちらを最初に読まれてから、当該記事を読まれることをお勧めします。

【超略解シリーズ】 老子 -序章-
【超略解シリーズ】 老子 -序章2-

また、当該シリーズの老子道徳経編のバックナンバーは以下になります。
合わせてお読み頂ければ幸いです。

【超略解シリーズ】 老子 -道の道とすべきは-
【超略解シリーズ】 老子 -天下みな美の美たるを知るも-
【超略解シリーズ】 老子 -賢を尚ばざれば-
【超略解シリーズ】 老子 -道は沖しきも-
【超略解シリーズ】 老子 -天地は仁ならず-
【超略解シリーズ】 老子 -谷神は死せず-
【超略解シリーズ】 老子 -天は長く地は久し-
【超略解シリーズ】 老子 -上善は水の若し-
【超略解シリーズ】 老子 -持してこれを盈たすは-

それでは、老子道徳経の解説に入っていきたいと思います。


◆◇ 営魄を載んじ◇◆


【原文(書き下し)】

営(まど)える魄(うつしみ)を載(やすんじ)、一を抱きて、能く離るること無からんか。
気を専らにし柔を致して、能く嬰児ならんか。
玄覧(げんらん)を滌除(てきじょ)して、能く疵(し)無からんか。
民を愛し国を治めて、能く以て知らるること無からんか。
天門開闔(かいこう)して、能く雌(し)たらんか。明白四達(めいはくしたつ)して、能く以て為すこと無からんか。
これを生じこれを畜(やしな)い、生ずるも而も有とせず、為すも而も恃まず、長たるも而も宰たらず。
これを玄徳と謂う。/span>

【超意訳】

肉体的な欲望に惑わされず唯一の道理をわきまえていられるだろうか。
気持ちを赤子のように柔らかくして、純朴なあり方でいられるものだろうか。
心を禊祓いして塵一つない状態を保てるものだろうか。
国民を愛してよくこれを治めて、それが当たり前の状態であるようにできるものだろうか。
女性性の象徴であるどこまでも受容する包容力を持つことができるものだろうか。
隅々まで明瞭でありながらも何もなさずにありのままでいられることができるものだろうか。
何かを生み出し、何かを養い、育んだとしても、それを所有して自分のものとせず、それに依存せず、たとえ優れた才能を持っていてもそれを利用して、権力を握ったりはしない。
これらのような振る舞いが出来る人は聖人だけが持つといわれる玄徳を持っている人だといえよう。


【超解説】

今までの老子の中でもたびたび、聖人君子のあり方について言及されています。
その特徴を上げれば、以下のようになるでしょう。
1.森羅万象の道理をわきまえている
2.道理をわきまえているからこそ、いたずらに利益や権力を求めない
3.わざとらしさや人としての賢さを捨てているので、素朴であり、一見、すごい人のようには見えない
4.道理に従順であることが良いのであり、人が作り出した智慧や欲望に惑わされることはない
5.道理は永遠のものであり、尽きることはない。だから、聖人の徳も永遠に続くものである
他にもいろいろありますが、簡単にあげれば上記のような形になります。
今回のトピックでは、何故に聖人は、このような振る舞いが出来るのかという点について述べています。
一言でいえば玄徳と呼ばれる性質を備えているからこそ、聖人は聖人らしく振舞えるのだということになります。
逆に言えば、玄徳があるからこそ、聖人になることが出来たということなのかも知れません。
但しこのトピックにおいては、玄徳を得る方法については触れられていません。
そうあるように振る舞えば、玄徳が得られるということなのでしょうか。
しかし、人為における賢しらを否定している老子ですから、ことさらそれを得ようとする行いもまた人為であると喝破するのかも知れません。
ただ、道理に従順に生きるためには、おそらく道理の根源に触れてみなければわからないということなのかも知れません。
理屈よりも、玄妙なる道の働きとエネルギーに触れて、理屈を超えて、道理を体得せよということのようにも思います。





以上、老子道徳経の超略解になります。

何かの参考になれば嬉しく思います。


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失敗を恐れない方法

人は理屈通りには動かないものとは良く言ったもので、どんなに理路整然とした思考に基づき、考えに考え抜いて計画を立ててみてもその通りには行かなかったりします。

つまり、計画に失敗はつきものであり、失敗しない計画というものは、稀有なものです。

何事にも失敗がつきものであるならば、失敗という結果とうまく付き合っていくことが私たちの人生を明るく前向きに生きているためには必要だということですね。

良く言われることに「失敗を恐れるな!」という言葉があります。

失敗を必要以上に恐れてしまうと、人生の歩みがどうしても鈍ることになります。

人生を豊かにしていくためには、失敗を恐れずに一歩ずつ前に進んでいく他はないのです。

だからこそ、失敗を恐れずに一歩、また一歩と歩みを進めていく必要があるわけです。

しかしながら、「失敗を恐れるな!」という言葉をよく耳にすることは、あっても、本当に失敗を恐れずに一歩進むことは中々難しいものでもあります。

「失敗を恐れるな!」と葉っぱをかけられても、どうしたって失敗が怖くて足がすくんでしまうことは多々あるかと思います。

ですから、ここで重要なことは、「失敗を恐れるな!」という言葉を単なるキャッチフレーズとして終わらせない智慧を身に着ける必要があるのです。

すなわち、失敗を恐れない方法について考えることが大切です。

さらに煎じ詰めれば、何故に私たちは失敗を恐れるのかという点について知る必要があるということです。

では、私たちは一体、何故に失敗を恐れるのでしょうか。

「失敗したら大きな財産的、物質的な損失をこうむるから」
「失敗したら名誉や面子を失うかも知れないから」
「失敗することで自信をますます喪失してしまうから」
「失敗して人に迷惑をかけるのが怖いから」
・・・


挙げていけば失敗を恐れる理由は沢山ありますが、これらをいちいち確認していくことは全く解決策にはなりません。

これら失敗を恐れる理由は、すべからく、後付けの理由に過ぎないからです。

失敗を恐れる理由とは何かと自分自身に問いかけた時に思い浮かぶものは、全て単なる言い訳にすぎません。

失敗が怖いということを人に(あるいは自分に)納得させようとして、あげつらっているだけにほかなりません。

このようにあげつらうだけでは、失敗の怖さから逃れることは出来ないものです。

それでは、どうしたら失敗を恐れない心を手に入れることが出来るのでしょうか。

それは、「無明」を捨てるということです。

無明とは、仏教の言葉で、物事の真理が良く分からない状態を指します。

仏教では、人が苦しむ根源的理由に無明であることを挙げています。

例えば、人が死を恐れる理由は、「死とは何か」ということが本質的に理解できていないことに原因があると考えます。

私たちは通常、死を恐れますが、本来的には死は恐ろしいものではありません。

なぜならば、死とは自然界のサイクルの一つにすぎず、常に生と死は繰り返されているものなのです。

正確に言えば、死が怖いのではなく、「死は怖いもの」と思っている情動が怖いのです。

ところが、こんな理屈を説いてみても、死を恐れている人が、急に死が怖くなくなるなんてことはないでしょう。

当たり前です。

本当の意味で死とは何かを理解していなければ理屈で理解しても意味がないからです。

ここでいう理解とは論理的にわかることではなく、実感的に腑に落ちることを言います。

なので、仏教者はとことんまで死とは何かを究明して、自分の中に落とし込めるまで、修行するわけです。

理屈を説かれて「はい。わかりました!」というのは大概はわかったつもりの幻想です。

このことを踏まえて、失敗を恐れない方法を考えてみましょう。

失敗がなぜ怖いのか、それは死=問答無用で恐ろしいことという図式を私たちは心に落とし込んでしまっているのと同じように、失敗=ネガティブという図式を心根に持ってしまっていることに理由があります。

ですから、この図式を打ちこわし、刷新することが大事なわけです。

では、どうやって失敗=ネガティブの図式を刷新したらよいのでしょうか。

そのポイントとなるのは、失敗を恐れることのリスクをきちんと理解し、心に落とし込むことです。

実は、失敗を恐れる人は、失敗することのリスクばかりに目がいくため、失敗を恐れることの大きなリスクに気が付かないものなのですね。

まず、失敗を恐れることで訪れるリスクとは何であるのかについて考えてみましょう。

例えば、身体が不調に見舞われたとしましょう。

本来ならば医療機関にて受診することが懸命なわけですが、あいにく医者にかかることに対し抵抗があるとします。

して欲しくもない注射をされるかも知れませんし、嫌な薬も飲まなければならないかも知れません。

大きな病気が見つかって入院だ手術だと大事になってしまうのではないかと気が気ではありません。

受診した担当医が藪医者で、妙な病気だと誤診されてしまうかもと妄想を膨らませていきます。

確かに好きで医療機関を訪問する人はまれですし、できれば、余計な治療などはしたくありませんよね。

大きな病院に行くとやたらと仰々しく検査だ入院だと進められて、重病人扱いされてしまうこともあったりします。

できればそんな面倒なことに巻き込まれるのは避けたいところです。

そんな思いを持っていると体調不良であっても中々、病院に行こうとは思わないことでしょう。

つまりは、病院に行くことで失敗したくないわけです。

しかし、色々と理由をつけて病院に行くことを躊躇しているうちに本当に大病になってしまうリスクがあるわけです。

また、一度、医者の受診をしておけば、少なくとも自分の健康不良の状態がいかなるものなのかがある程度、判然とします。

色々考えて躊躇している間は、「もしかしたら何か大変な病気かも知れない」「一体、何でこんなに調子が悪いのだろう」
というような気持から解放されることもなく、精神衛生上も良くない状態が続きます。

これが、言うなれば失敗を恐れることのリスクです。

また、失敗を恐れている心根は負のエネルギーを醸成し続けています。

失敗したらどうしようと思い続けている状態で、負のエネルギーを帯びて物事を対処しようとすると、その背後には思いマイナスの霊波動を背負いながらの実践となります。

そのような状態で取り組む物事がどのような方向性に向かうのか想像に難くないと思います。

絶対に失敗できないようなリスクの高い挑戦をしようとする時であればあるほど、失敗を恐れがちになりますが、失敗を恐れれば恐れるほど、失敗を恐れるリスクは高くなり、余計に恐ろしい目にあってしまう。

このことを深く深く、心の中に落とし込むことが出来れば、失敗を恐れる心は出てこなくなるはずです。

なぜならば、失敗を恐れることの方が、よほど、恐ろしいということが心の中にしっかりと鎮まるからですね。

失敗を恐れるな!

と声高に叫ぶよりも、失敗を恐れるリスクを知ることが大事だということなのです。


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守護霊のやる気を出す方法?

こんにちは!

天心です。

最近はブログの更新ペースが落ちていて、何事にもゆっくりめの対応となってしまっています。

それにも関わらずブログのアクセス解析を見てみるとそれなりの人数の方が訪問してくださっていることがわかります。

ありがたいことです。

アクセス解析のツールには様々な観点からの分析が出来るように訪問者の情報が集計されています。

訪問人数や訪問者が訪れた時間帯、どのページにアクセスがあったのか等、様々です。

その中でも私がいつもチェックする項目に検索キーワードというものがあります。

この検索キーワードは、このブログにたどり着くために検索エンジンを利用した場合にどのようなキーワードが指定されたのかを一覧で見ることが出来ます。

キーワードの文言は本当に多岐にわたり、色んな観点でユーザーはインターネットの情報を探し求めるものなのだなと関心いたします。

思いもよらないキーワードを見つけるたびに人の関心事は本当に色々あるものだなと感じます。

そんなキーワード一覧の中で、ちょっと気になるものを発見しました。

「守護霊のやる気を出すには」

このような言葉があったのです。

中々、面白い視点だなと思ったので、ちょっとこのキーワードをテーマにお話してみたいと思います。

このブログを古くからお読みいただいている方は、ある程度、私が語る守護霊とはどういう存在なのかということは、理解して頂けていることと思いますが、折角なので復習してみます。

守護霊とは、私たちの魂の向上をサポートする存在であり、次元のある程度高い位置にいて、私たちを導いてくださっています。

単純に私たちに憑依して干渉してくる存在がイコール守護霊ということではありません。

霊と呼ばれる存在には様々ありまして、その中でも守護霊は特別な使命や目的を持って私たちを守ってくださっているということです。

簡単に言うとこれが、このブログ、または、天心の定義する守護霊の概要になります。

守護霊という言葉は、多々、使われていて、同じ言葉であっても、その意味するところが人によりまちまちです。

なので、守護霊といった場合に単純に背後についている霊を指している人もいれば、先祖霊などのことを指している人もいます。

あるいは自己分霊(自分自身の分身的存在の霊体)を指しているケースもあるようです。

他にも定義は様々にあり、必ずしも守護霊という言葉を使っていたとしても同じ対象を示しているわけではないことが多いのです。

ですから、まずは、ここをご理解頂き、私の定義する守護霊のことを指しているということを踏まえた上でお話を聞いて頂ければと思います。

さて、守護霊のやる気を出す方法ということですが、原則として、やる気のない守護霊というものは本来はいません。

やる気がない時点でもはや守護霊を名乗る資格はない霊的存在だといえるからです。

少なくとも私が定義している守護霊には当てはまらないということですね。

もし、何らかの形で感得した霊がやる気がなさそうな存在であった場合には、それは少なくとも守護霊ではないと思った方が良いと思います。

しかしながら、「いや、そうじゃなくてさ。何かもっともっと守護霊に本気を出してもらいたいんだ!そうすれば自分の運命ももう少し開けてくるのではないか?」という意味で、守護霊のやる気を出したいと願うケースもあるのかも知れませんね。

守護霊は原則としてやる気満々ですが、もっともっと守護霊に積極的に動いてもらいたい!と願う人もいることでしょう。

その願いを叶えるにはどうすれば良いのでしょうか。

これはとても簡単です。

守護霊のやる気を二倍にも三倍にもする方法があります。

それは・・・

自分自身が守護霊以上にやる気を出すということです。

守護霊という存在は常にやる気を持って動いてくださっていますが、一点だけ制約事項があります。

それは、あくまでバックエンドの存在であるということです。

守護霊という名の通り「守」が基本姿勢であり、守護する相手の気持ちや状態を無視して、勝手に人生の方向性を決めてしまうことは出来ません。

守護霊とはサポーターであり、その人の持つ志や目標、願いや天命に準じて、その人の魂の向上につながるための動きをするのが守護霊のあり方であるわけですね。

なので、自分自身が守りに入り、「守護霊が何かやってくれないかな?」「何か良いことしてくれないかな?」「自分を助けてくれないかな?」と思っているだけで消極的な姿勢でいるといくらやる気のある守護霊でも万全を期してフル稼働することが出来なくなります。

でも、もし、自分自身が守護霊の気持ち以上に前向きに積極的に気持ちを高めて進もうとするとき、守護霊の方もその意気に呼応するようにやる気を二倍にも三倍にもしてくださるということです。

もちろん、守護霊の数が足りなければ増員されますし、守護霊の霊格、霊覚が自分自身の志とやる気に対して、見合っていない場合にはさらなる高い霊格、霊覚を持った守護霊がメインの位置について指導してくれるようになるのです。

だから、守護霊にやる気をもっともっと出して欲しいと願うならば、自分自身がもっともっとやる気を出していくことが必要不可欠だといえるでしょう。

守護霊はいつでもあなたのやる気が倍増されることを今か今かと待っているのです。


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【一日一言】2014.08.01~2014.08.31 過去ログ

こんにちは!

天心です。

2013年12月21日より、アメーバなうの機能を利用して、短めのコメントを発信させて頂いております。


よろしければ、是非、アメーバなう、またはTwitterの天心のアカウントをフォローして頂ければと思います。

今回は2014年8月1日から2014年8月31日までの間にツイートした【一日一言】をまとめた過去ログをご紹介させて頂きます。

通常のブログ記事と違い、短いものではありますが、ポイントを絞った一つのものの見方、考え方などを提示させて頂いております。

読者の方の何かの参考になれば幸いです。


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【一日一言】山登りの秘訣を知りたければ、山に登ってみれば良い。物事の秘訣は全て目の前にある。けれど、多くの場合そのことに気づかずに明後日の方向を探してしまう。いつだって真実は目の前にある。

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【一日一言】あなたがあなたの素直な想いを発信すれば、それに呼応する人は必ず現れます。だから今は独りでも味方は増えていくものです。

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【一日一言】自然体が一番良いのですが、段々と不自然なあり様に流されてしまう。そういう流れを作っているのも背景に持つ霊界の働きだったりします。

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【一日一言】幸魂は歳を重ねるごとに劣化してゆく傾向があります。瑞々しい感性を取り戻すためには、麗しいものとの感応道交を心がけることも大切です。人に優しさのない社会は幸魂の劣化から始まるのです。

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【一日一言】物事を二極化してみる癖を改めよう。わけられないものも世の中には沢山あるのだから。

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【一日一言】何事もない日々がどれだけの奇跡と恩寵なのか考えさせられることが多いです。平穏無事は当たり前ではない。つい忘れてしまいがちです。

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【一日一言】広島市の土砂災害。まだ、救出されていない方の一刻も早い救出を祈念いたします。

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【一日一言】こうあらねばならない。と考えるから窮屈になる。こうあったらいいな。を増やしていくことが幸せ霊界を作ります。

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【一日一言】まだまだ暑い日々ですが、こんな夏日でも秋の兆しは出ています。それはまだ微小であるがゆえに感知され難いのです。この微小な気を捉える訓練をしていくと気の察知力が上がってきます。先に何が待ってるのかを知る手掛かりになります。

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【一日一言】実りの秋までもう一踏ん張り。夏を乗り切って行きましょう。

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【一日一言】時にはどうにもならないツライこともあります。そんな時には意地を張らずやり過ごすということも大事です。目の前に山があるからといって無闇に登るだけが道ではないのです。

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【一日一言】まほろばの くにおこりたり いまこそは かみとくにたみ こころひとつに

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【一日一言】どんな財産もいずれは失う運命です。だけど、成長した魂の輝きは失われることはありません。一時曇って失われたように見えても雲をとり払えば再び太陽のごとく輝き始めます。

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【一日一言】手軽に手にしたものは本当の意味で大切には出来ない。だから、本当に大事なものは苦労して手に入れることです。苦労はあなたに大事なものとの結びつきを与えてくれることでしょう。

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【一日一言】うるわしき ことたまふるう きょうのひは うるわしきこと あふるる ものかな

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【一日一言】猛威を鎮めたまえ。水龍、風龍、天神龍ことごとくよろしくお願い申し上げます。

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【一日一言】穢土から浄土へ。阿弥陀如来様、祖先を救わせたまえ。観世音菩薩様、救済の玉を授けたまえ。

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【一日一言】今日もしっかり結ぼう。自分らしく生きて活きた一日として。

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【一日一言】身体を動かすと気も廻ります。鬱ぎ込む時こそ、積極的に身体を動かし気の廻りを良くしましょう。

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【一日一言】何気に口にしている言葉があなたの自我意識を作っています。自我意識を変えるアプローチとして自分の良く使う言葉や表現に気を付けてみましょう。

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【一日一言】相手の心に寄り添えば、相手の心が自分の心の真澄の鏡に映りこみます。これが他心通力の基本です。相手の心に寄り添うためには、徹底して相手の第一の味方になってあげてください。ここが一番のポイントです。

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【一日一言】繰り返し繰り返し。少し休んでまた繰り返し。その繰り返しが自分の心根を定めていくプロセスそのものです。繰り返される中で鋼鉄は鍛え上げられて、鋭さをもった刃となることができるのです。

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【一日一言】今日も人生で最高の一日でありましたことを感謝致します。明日もまた人生で最高の一日であることを誓います。

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【一日一言】道に迷ったら原点に戻る。だから何が自分の原点であるのかを理解しておく必要があります。原点を理解しておけば、いつでもそこに戻ることができます。原点に戻れば迷うことはありません。

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以上が一日一言の過去ログです。


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天心 拝


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【2015年3月度】神田明神への参拝

2015年3月度神田明神月参りをしてまいりました。

3月は桃の節句の雛祭りがありますね。

雛祭りは雛形を作ることで霊界を形成するという意味合いもあります。

だから女性は婚姻の儀を雛人形を通して行うことで、結婚の縁の雛形を作っているという意味合いも古来からあるようですね。

婚姻に限らず雛形を作っていくためのお祈りをしっかりとさせて頂きました。

お祈りをしていると何ともミルキーな味わいが口の中に広がり甘い香りがして参ります。

いつもより柔らかい気が立ち込めているような神域となっていました。

また、いつも通りではありますが、FGSの会メンバーをはじめ、ブログ読者の方や関わり合った全ての方の幸せを祈念させて頂きました。

また、毎度のことながら、ご寄付の一部からお玉串をさせて頂きました。

もちろん、献灯の継続祈願串の奉納もさせて頂きました。

皆様に神様からの追い風の力が降り注ぐように祈念して参りました。

今月も元気に過ごして頂ければと思います。


天心 拝


kanda_sinkyo.jpg
神田神社 神鏡守り



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プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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