FGSの会よりお知らせ

こんにちは!

天心です。

久しぶりにFGS関連カテゴリで記事を書いております。

このカテゴリは、FGSの会でどのような情報が発信されているのか、どのような活動が為されているのかなどを掻い摘んでご紹介するために設けました。

ですが、中々、うまく活用は出来ていません。(汗)

久方ぶりにこのカテゴリで更新をしたのは、最近、FGS会報メルマガESSや指導霊からのマンスリーメッセージを送付するとメールエラーが返ってくるケースが多くなってきました。

メールエラーが返ってくる理由は様々に考えられるのですが、一番多い理由はメールアドレスが変更になり、登録されているものが存在しなくなったパターンかと思います。

登録済みのメールアドレスに変更があった場合にはお知らせ頂ければ、差し替え処理をいたします。

お申し出がなくメールエラーになってしまったメールアドレスに関しては、FGSの会のメーリングリストより一時、削除して対応させて頂いております。

なので、その後もお申し出がない場合には、エラーが発生したメルマガを含む以後のメール物の送信が停止になります。

これは、メーリングリストにエラーが発生するアドレスが存在すると毎回、エラーが発生してしまうため、それを回避するための措置となります。

他に良い方法がないためのやむを得ない措置ですので、ご了承ください。

因みに本日、【第三十九号】FGS会報メルマガESSを送付いたしました。

FGS基本メンバー、FGS正式メンバーが送付対象です。

対象メンバーの方で、もし届いていないという方はお知らせ頂ければと思います。

一応、念のための確認がてらのお知らせでした!


天心 拝


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-No Awareness- 無意識の扱い方 Part3

-No Awareness- 無意識の扱い方 Part2からの続きになります。

前回は無意識の働きと魂の傷の発見方法などについて触れました。

内在化した魂の傷について考えていくためには、前提として無意識の働きについて知っておく必要があります。

そのため、無意識についてその働きを解説しました。

かいつまんで説明すると無意識には私達が日常を過ごすにあたり、ごく自然にふるまっている行動のパターンが収められているということでした。

私達は、日常で繰り返される行動をルーチン化して無意識に格納しています。

私達の行動の殆どが無意識に格納されたルーチンを元に行動原理として決められているのです。

このルーチンまたは行動原理に歪みが生じると私達の日々の振る舞いも歪んだものとなり、あらゆる人生のねじれとして現れてくることになります。

このねじれや歪みこそ魂の傷であり、この魂の傷が負のエネルギーを発生させるあるいは負のエネルギーを顕現化させることを促進するタイミングを観察により発見することが重要であることを前回はお話したわけです。

今回は、魂の傷の発動ポイントとなるトリガーを発見した後にどのように魂の傷を修正していく方法があるのか考えてみたいと思います。


◇◇ 代表的な魂の傷の修正方法 ◇◇


魂の傷の修正方法はそれこそ多岐に渡りますが、最も大枠で単純化した場合、その方法論は大きく分けると二つあります。
一つは、負のエネルギーという膿を出し切る方法ともう一つは、魂の傷の無効化です。

どちらの方法も一長一短はありますが、魂の傷を修正するためには有効かと思います。

まずは、負のエネルギーの膿だしを行う方法について説明してみたいと思います。

魂の傷は何かのタイミングで私達の行動原理に干渉して、間違った行動を取らせようと働きます。

そのタイミングのことをトリガーと呼ぶことにします。

トリガーとは引き金のことであり、魂の傷という名の歪んだ行動原理に基づき行動さえるきっかけのことです。

つまり、魂の傷は、トリガーというものを通してその本領を発揮します。

トリガーがなければ魂の傷は無意識に内在化したまま眠っていることになります。

しかし、得てして魂の傷が眠ったまま何事もなく放置されることはありません。

必ず何らかのトリガーが魂の傷には存在しています。

なので、皆、傷を負っている人は、トリガーに触れるようなことを避ける傾向があります。

過去に大恋愛の末、失恋に至ったことで魂の傷を負ったケースなどで考えてみると、その後、恋愛が出来なくなったりすることがあります。

この場合は恋愛が魂の傷のトリガーとなっているため、そのトリガーを避けるための防御行動です。

恋愛するとその時の哀しみやショックといった負のエネルギーが再燃化されるため回避行動に出るわけです。

しかし、あえて、このトリガーを引いていくという方法が実は魂の傷の修正に良い場合があります。

何故ならば、負のエネルギーはエネルギーという性質上、必ず消費されると弱まってくるからでもあります。

恋愛ということから逃げ続けると過去の失恋で負った負のエネルギーはプールされたままになるのです。

負のエネルギーがプールされ続けている以上、魂の傷も健在です。

逆に負のエネルギーが枯渇してしまえば、魂の傷もマイナスに働かせる力を失います。

あえて恋愛という自分の中のタブーを犯すことで、最初は負のエネルギーで絶望的な気持ちになるかも知れませんが、その後、全く気にならなくなるということもあるのですね。

過去に失恋をしていても、平然と笑い話にしてしまえることがあると思いますが、それは、まさに過去の魂の傷によって生じた負のエネルギーを解消したことによるといえます。

なので、魂の傷を恐れずに積極的に生じた負のエネルギーを解消してしまうというのも魂の傷を修正するのには有効なのです。

どんなに過去に恋愛で失敗したという記憶があったとしてもそれが負のエネルギーを産まなければ全く問題はないのです。

魂の傷と直面して修正するという方法が負のエネルギーの膿を出し切るというものなのです。

一方で、違ったアプローチもあります。

魂の傷によって負のエネルギーを一転して正のエネルギーに転じてしまう方法です。

「そんなことが本当に出来るのか?」

こんな風に思うかも知れませんが、可能です。

そもそも、正のエネルギーも負のエネルギーも結局は心の状態が生み出すものに過ぎません。

物質的なものではない以上、その形を変えることはそれ程、難しいことではありません。

負のエネルギーを正のエネルギーに転じるためには、ここで言うところのエネルギーが発生する性質を知る必要があります。

正負のエネルギーが心の状態で生まれる以上、心の状態を変えてしまう条件を整えることが肝要です。

簡単に言えば、エネルギーの発生源である文脈を変えてしまうという方法になります。

過去の失恋で魂の傷を負い負のエネルギーを生み出してしまうのは、その失恋にまつわる文脈情報に依存しています。

失恋に至るイベントの全ての意味にネガティブな解釈を加えているために負のエネルギーが発生し、魂の傷にしてしまっているのですね。

実際のところ失恋は哀しいこととは限りません。

別の見方をすれば、失恋は新しい選択肢が増えるきっかけであり、新しい出会いの始まりです。

恋愛が必ず幸せを運んでくれるとは限りません。

恋愛によって見えなくなり見過ごしてしまう多くの出来事は山のようにあります。

一人の人間に拘り続けることのリスクもあります。

色んな解釈の可能性はあるはずなのですが、持っている文脈情報が乏しいと失恋=不運という解釈しか出来なくなるものです。

だから、魂の傷となった原因体の解釈の文脈を加えることで、魂の傷を修正することが出来ます。

しかし、原因体がわからない場合は、どうすれば良いのでしょうか。

そのためには、魂の傷が発動するトリガーに対して別の文脈を加えてしまうとう方法があります。

例えば、上司にヒドイ叱られ方をしたけれど、そのことをすっかり忘れてしまっていて、魂の傷が内在化していたとします。

上司に似た体形と目つきの人に会うとすごく嫌な落ち着かない気持ちになって挙動不審になってしまうという魂の傷の歪んだ行動原理が発露してしまうとしましょう。

何だかわからないけど、あの男の人のにいると落ち着かないし、イライラして不安感がヒドイ。

この場合、その男の人に会うというトリガーが魂の傷を発動させているわけですが、トリガーに文脈情報を加えます。

何でもいいのですが、その男の人の良いところを10個、20個と探していきます。

気付いたこと、人から聞いたことでも良いです。

その男の人にまつわるあらゆるポジティブ情報を付加していくわけです。

魂の傷の原因体は不明でもそのトリガーがハッキリしていれば、そのトリガーの意味解釈を変えることで、魂の傷は修正可能となります。

魂の傷のトリガーを発見するごとにこれをやっていくと、いつの間にか魂の傷は発動しなくなり、問題は薄れていくということです。

実際のところはもっと複雑ではありますが、魂の傷を修正する方法としての原理は以上になります。

無意識に内在化してしまった魂の傷を修正することは、とても重要なことでもあるので、自分自身の行動原理にて不安定なところがある方は注意してみると良いかも知れません。


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-No Awareness- 無意識の扱い方 Part2

-No Awareness- 無意識の扱い方からの続きになります。

前回は無意識の中に内在化した負のエネルギーのリスクについてお話させて頂きました。

嫌なことを単純に忘れて記憶を消してしまうと、負のエネルギーの原因体が不明になってしまいます。

原因体が不明であると負のエネルギーの糸口がわからなくなり、解決が困難になるわけです。

だから単純に嫌なことを早く忘れてしまうという方法はリスクが伴います。

では、どうするのが良いのでしょうか。

前回のお話で得た結論としては、負のエネルギーの発生原因である魂の傷の原因体を即座に解決してしまうという方法がありました。

例え話で上司にヒドイ叱られ方をした部下が翌日、上司からフォローを受けたことで、嫌な思いが消えてしまうというお話をした通り、嫌な思いをした出来事の意味を変えてしまうことに魂の傷を修復するポイントがあります。

この方法は魂の傷を受けた直後に行うと効果的です。

何故、直後が良いのかといえば、原因体が何であるのかを忘れてしまわぬうちに対処するためです。

しかしながら、残念なことに今まで負ってきた魂の傷というものは、過去に受けたダメージである場合が殆どです。

これから受けるかも知れない魂の傷には、直接、原因体に対して働きかける方法は有効ですが、既に傷ついてしまっていて、しかも原因体がハッキリしないものについては、有効とは言えません。

では、過去に受けた傷はどのように修正していくのが良いのでしょうか。

今回は、無意識の中に内在化してしまった魂の傷を修正する方法について考えていきたいと思います。


◇◇ 無意識の働きと魂の傷 ◇◇


無意識の中に内在化した魂の傷は、私達にとって最も厄介なダメージでもあります。

何故、厄介なのかといえば、ある日、突然、無意識の中に眠る負のエネルギーが顕現化して、心身の健康を損ねたり、全く自覚のない心根の歪みが人格的な歪みとなって現れることがあるからです。

私達のパーソナルなものを表す一つの要素として、好き嫌いなどの嗜好性がありますが、こういったものも無意識の中に内在化している魂の傷が大きな影響を与えている場合があります。

魂の傷は負のエネルギーを呼びますが、負のエネルギーは霊障や呪縛観念を引き寄せることもあります。

負のエネルギーに見合ったマイナス霊を引き寄せますし、負のエネルギーを生み出す考え方、思考のルーチン化は呪縛観念となります。

呪縛観念が出来ると常に負のエネルギーを醸成し続けたり、ポジティブな行動をしようとすると強烈なネガティブ意識が生まれて苦しくなったりします。

苦手意識なども呪縛観念の一種でもあり、別の言い方をすれば呪縛観念が苦手意識を演出しているといえるのです。

このような様々なマイナス影響が人格にも表れて、人格に歪みやねじれが出来ると私達の人生上で見えてくる光景も歪みやねじれが現れてきます。

つまり、無意識の中に内在化した負のエネルギーを侮ってはならないということですね。

さて、無意識の中に内在化した負のエネルギー解消していくためには、一足飛びにというわけにはいきません。

まずは、無意識が一体、どのような働きをしているのかについて理解する必要があります。

私達が普段、無意識と呼んでいるものは、文字通りに解釈すると「意識がない」という意味に捉えられてしまいます。

実際、この解釈は多くの誤解を生んでいます。

無意識はまるで通常は使われていない意識部分であるかのように思われがちですが、そうではありません。

およそ私達の行動は無意識によって為されています。

少し日常の自分の行動に思いを馳せてみてください。

朝目が覚めてから夜就寝するまでの間でどれだけの行動を意識的に行っているでしょうか。

朝目が覚めて、「顔を洗うぞ!」とか「これから洗面所に向かうために布団から起き上がるぞ!」とか逐一の行動を意識しながら生きていることは殆どないはずです。

顔を洗うことも、歯を磨くことも、食事を取ることも、場合によっては会社に出社して仕事をする大半の作業内容すらも、殆どしっかりと意識することなくこなしているのではないでしょうか。

もちろん、その時々に我に返ったり、部分的には意識していることかとは思いますが、八割方、ルーチン化したものは、深く考えたり意識したりせずに行動しているはずです。

私達の日常生活の大半は無意識の働きによって支えられています。

無意識の中には私達の日常行うべくルーチン化された行動原理が収まっています。

そして、その行動原理通りに大半は行われているのです。

私達が意識を巡らしているのは、無意識の中の行動原理から外れた行動を求められる時や、イレギュラーが発生した時に意識がどうするかを理性的に考えたり判断したりしています。

言うなれば、無意識とは行動原理が収められていて、そのルーチンを実行しようとするエンジンのようなもので、意識はその管理者といったところでしょうか。

厳密に言うと違いますが、わかりやすく理解するならば、このような形になるかと思います。

無意識の中に魂の傷があると行動原理も歪んだものになります。

歪んだ行動原理に基づくルーチンが日常で繰り返されるので、人生がどんどん歪んだものになっていきます。

では、無意識の中の歪んだ行動原理を正すためには何が必要なのでしょうか。

ここで活躍するのは、無意識の管理人こと「意識(理性)」になります。

意識は無意識の管理人になります。

無意識を制御できるのは管理人である意識だけです。

無意識の出す指令を意識がチェックしない限り、私達は無意識の言いなりになって行動するしかありません。

なので、管理人としての意識を十二分に発揮することが大事です。

具体的に言うと無意識の中の魂の傷をまずは、意識の働きを駆使して発見していくことが重要です。

そのためには、自分の中の如何なる傾向が問題だと感じるのか整理しておくことが必要です。

悩みや苦しみを抱えている方の中で時折、見かけるのは、悩みや苦しみが何であるのか判然としないタイプです。

ただ何となくボンヤリと不安や葛藤を抱えているというケースですね。

この場合は、無意識の行動原理の歪みに振り回されて、意識という管理人を上手く活用できていない場合が多いです。

だから、まずは、自分の中の何がどのように問題であるのかをハッキリさせることが大事です。

そして、次に重要なのは、自分自身を観察することです。

何を観察するのかというと「何がどのようになる時、その問題が起こるのか」を見極めることです。

必ず、悩みや苦しみが発生するのには何かタイミングがあるはずです。

ある言葉を聴いた時、あるシチュエーションに身を置いたとき、ある人(あるいはその人と共通する特徴を持つ人)が近づいてきた時、何かイベント的なものが発生した時、注意深く観察をしていれば、必ずきっかけがあることに気付きます。

この見極めをしていくと魂の傷が出来た直接の原因体としての出来事は発見できなくても、魂の傷によって発生した負のエネルギーが発動するトリガーを見つけることが出来ることでしょう。

トリガーを見つけることが出来れば、解決の糸口はつかめたといえることでしょう。

次回はその糸口を使ってどのような解決方法があり得るのかもう少し深く見ていくことにしましょう。


-No Awareness- 無意識の扱い方 Part3へ続く


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-No Awareness- 無意識の扱い方

嫌なことは早く忘れた方が良い。

こんなことを言われた経験のある方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

嫌なことをいつまでも覚えていれば、その嫌なことに連なって、嫌な感情まで引きずってしまう。

だから、嫌なことは早く忘れた方が良いというわけです。

確かに嫌なことをずっと意識して、嫌な気分を味わい続けるとその時の心根の状態はあまり良い状態とは言えません。

良い状態とは言えない以上、それに伴って発生するエネルギーは主として負のエネルギーとなります。

負のエネルギーは、今までも説明してきているように私達にとって歓迎されないネガティブかつマイナス的な働きをして、歓迎していない現実を現象として招きます。

そう考えるならば、嫌なことは早く忘れ去って、負のエネルギーを醸成しないようにするのがスピリチュアル的な法則からすれば理に適っているのかも知れません。

私自身も大抵の場合は、嫌なことは早く忘れた方が良いとは思っています。

ちょっとした悪しき感情に囚われすぎると人生を前向きに進めなくなるからです。

しかしながら、昨今、こうしたあり方が後々の大きな憂いへと繋がってくることがわかってきました。

単純に忘れ去ればその時は、解決したように見えるのですが、実際には問題が内在化して見えなくなっただけというケースが多くみられるようになったのです。

今回は、こういったケースを鑑みて無意識化する負のエネルギーについてお話してみたいと思います。


◇◇ 見えなくなった負のエネルギーのリスク ◇◇


意識的な偏りやねじれ歪みのことを魂の傷と私は呼ぶことがあります。

あまり深くない軽度な魂の傷は穢れと呼んだりもします。

どちらにせよ、傷と言っても目に見える物理的な傷ではありません。

これらの魂の傷は、意識的に修正(あるいは癒し)されない限りは、ずっと残り続けるものです。

また、魂の傷は、ハッキリとその性質や原因が明確であるほど、修正することが容易になります。

何故ならば、私達は原因がハッキリするとその解決策を比較的に検討、思案しやすくなるからです。

例えば、風邪を引いたということがハッキリすれば、抗生物質や抗ヒスタミン剤、解熱剤といった薬剤を投与すれば治癒が早まります。

あるいは薬を使わなくてもしっかりと休息と栄養のある食事を心がけるのも効果的かも知れません。

いずれにせよ対処方法が明確になるわけです。

しかし、原因不明の病気にかかるとこのようには参りません。

何が原因なのか物々しい検査を繰り返したり、医師などの専門家が仮説を立てながら、手探りで治療法を探すことになります。

このように見えない、わからない、判然としないという状態はリスクでもあるわけです。

魂の傷も同様で原因がわからないものほど修正が難しくなります。

例えば、上司にこっぴどく叱られて、魂の傷がついてしまったとします。

あまりにヒドイ叱られ方をしたので、自尊心も傷ついたわけです。

この場合は原因が上司に叱られたことであることは明白です。

この魂の傷を修正することは比較的簡単です。

例えば叱られた翌日、上司に新橋の飲み屋に連れられてこんな風にフォローされたとします。

「昨日は少し言い過ぎた。すまなかった。でも、君の今後の働きを期待しているから厳しくしているんだよ。わかってくれるかな?」

上司の心の内などがわかり、ヒドク叱られたことの意味を理解した瞬間に苦しかった心の状態は改善されることも多いのではないでしょうか。

これが魂の傷が修正されたということをスピリチュアル的には意味しているわけです。

この例え話では、良くある魂の傷とその修正のプロセスが表されています。

しかし、もし、上司がフォローしてくれず、叱られた部下の人が「こんな嫌なことは早く忘れよう」と考えたとしたらどうなるでしょうか。

上司も時間が経てば部下に対してどんな叱り方をしたのかは忘れてしまいます。

哀しいかな人は忘れる生き物であり、特に相手にダメージを負わせた方の忘却スピードは素早いものです。

一方で、叱られた部下の方も時間が経ち気にしないことで、そのことを忘れてしまいます。

こうして、再び、上司と部下の関係や職場での日常に平穏が戻ってきます。

でも、この平穏は魂の傷が消えたことで訪れたものではなく、内在化して表面だけが波風が無くなったことで訪れたものでしかありません。

魂の傷が内在化している以上、スピリチュアル的には何も解決はされてない状態です。

もちろん、こうした軽度の魂の傷は誰もが持っているものでもあり、内在化したままでも人生を生きる上で問題にならない場合もあるでしょう。

しかしながら、魂の傷というものは、時間が経てば経つほど、その性質はシンプルになり、汎用的になり、最終的には呪縛観念化していきます。

これはどういうことを意味しているのかを考えていく上で今一度、例え話に戻ります。

上司に叱られた経験は、時を経て部下の記憶から消えていきますが、無意識の中に刻印された傷は消えていくことはありません。

別の言い方をすると叱られたというエピソード的記憶は消えても、その時に発生した衝撃や不快感、絶望感などは残っているのです。

形式的な出来事は忘れて、その時に生じた負のエネルギーは滞留したままになります。

この負のエネルギーは、上司にヒドイ叱られ方をしたというエピソードが原因で発生したわけですが、原因体であるエピソードが失われたことで、独立単体で部下の心で蠢くようになるのです。

具体的な症状を言えば、上司(叱った上司とは限らない)に呼び出されたり、ちょっと注意されると絶望的な気分になり、何もかもが否定されたような感情になったりします。

あるいは、叱られたわけでもなくても、その時と共通するシチュエーションに身を置いただけで、震えがくるなど起こってきます。

しかし、なぜ、そのようなことになるのかについて本人は理解できません。

何故ならば、嫌な出来事として上司にヒドイ叱られ方をしたというエピソードを忘れてしまっているからです。

先にもお話したように原因がわかれば解決策が立てられますが、この場合はそれが出来ません。

解決策どころか何でそんな症状が出るのか本人も自覚出来ないのですね。

このように単に忘れ去ることは、原因不明の呪縛観念を作るリスクになります。

大事なことは、負のエネルギーの滞留を解消する形で、忘れなければならないということです。

上司にヒドイ叱られ方をした場合の例でいえば、上司の人間性が優れていればフォローもしてもらえるかもしれませんが、そうとばかりは言えません。

そういう上司に恵まれない場合には、自分なりに負のエネルギーを解消しておく必要があるわけです。

その方法については、次回にお話してみたいと思います。


-No Awareness- 無意識の扱い方 Part2へ続く


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【番外編】皇居外苑


こんにちは!

天心です。

神社参拝カテゴリではありますが、番外編としてパワースポットとしても名高い、皇居外苑について今回はご紹介してみたいと思います。

皇居外苑は文字通り、天皇陛下や皇室の方々がお住まいになられる皇居の周辺に位置する場所で、本当に清々しい憩いの場所ともなっています。

皇居の周辺は御堀で囲まれて、そこには、鯉や白鳥などが泳ぐ姿が見られます。

御堀の白鳥
皇居外苑 白鳥

外苑は東京駅からほど近い場所にあるわけですが、東京駅と大手町、大手町といえば金融機関、官庁系の建物がひしめき合う都心部です。

しかし、そんなお堅いイメージを払拭してしまうほど、この場所はのびのびとした朗らかな気持ちにさせてくれます。

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皇居外苑 御堀

皇居外苑は神社ではありませんが、何故だか気持ちが良く、大手町近辺に立ち寄ることがあるとついつい、引き寄せられるように足が向いてしまうところでもあります。

実際、皇室とゆかりがあると思しき龍神様が空を舞っていて、交流させて頂いたこともありました。

その際、ご霊名を伺ったのですが、どうしても思い出せません。(汗)

いずれ、思い出せたらご紹介したいと思いますが、もしかしらた公表しない方が良いから忘れさせられているのかも知れません。

真相はわかりませんが、何はともあれ良いパワースポットであることは、巷の噂に違わないと私は思います。

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とっても大好きなスポットの一つでもあるわけですが、先日、ふと外苑のある景色を見ていて、どうしてこんなにもこの場所が好きなのか、理由が判明いたしました。

実は、皇居外苑のある場所はとても霊界の景色に似ているのです。

その景色をぼんやり眺めていると自分が霊界に帰幽したような、肉体的な制約から離れて、自由になったような感覚を得るのです。

その霊的乖離がとても気持ち良く感じるのです。

おそらく、どこかの霊界とのパイプがここにはあるはずです。

それが何であるのかは、まだ判然とはしていません。

これから機会が得られれば探っていきたいと思います。


gaien_hashi.jpeg
皇居外苑付近の橋


一度、立ちよりの際はのんびりひと時を過ごすのに皇居外苑はお薦めですね!


天心 拝

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心に残った守護霊からのメッセージ45

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


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日和を見るから間違うなり

内なる声に従うべし

穢れが内なる光玉(こうぎょく)を覆う

穢れは日和見の心が作るもの


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今日はいけそうか、これは上手くいきそうか。

結果や状況ばかりを気にして、物事を決めようとしてしまうことがあるかと思います。

外部環境をあれこれ気にしすぎると迷いに迷ったあげく、間違った道に進んでしまうと守護霊様は戒めています。

惑わされずに正しい道を進むためには、自分の内側から発する魂の声に従うことが大切だということです。

しかし、穢れのようなものが魂の輝きを覆ってしまうと、内なる声も歪んで聞こえるものです。

そして、その穢れは、日和見主義の心が生み出しているものなのだと気付くことが肝要だと守護霊様がお諭しをされたことがあります。

ついつい、打算的になったり、結果ばかり気にして行動指針を決めてしまいがちですが、本当に大事なことは何かを常に忘れないようにしていくことが重要だということですね。


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【閲覧注意】 死は怖くても良い ~死のもう一つの側面について考える~

こんにちは!

天心です。

暖かさを通り越して、時々、真夏日のような気候が続く中、世間ではゴールデンウイークが終わり(人によっては今週明けから)忙しい日常へと回帰されていることと思います。

つい先日まで猛烈に冷え込んでいたかと思えば、突然の夏日。

小春日和な春らしい期間は一瞬で通り過ぎていったような気がします。

現在、箱根山が噴火の予兆を高めていますが、そのことについて時事ネタで触れようとも思っていたのですが、どうしても本質的なこと(スピリチュアル的なこと)をお話しようとするとブレーキがかかります。

ある意味、怖がらせてしまう可能性も高いし、あまりに内容をセーブしてお話すると記事にする意味が殆どなくなってしまいます。

なので、当面は、箱根山について記事にするのはやめておくことにしました。

それはともかく、ゴールデンウイークをはさみ私自身、新たな神域調査なども行ったりしていたのですが、その話についてもおいおい、記事にでも出来ればとは思っています。

例によってまだ、神社のレビューをまとめ切れていないので、アップは出来ていません。(汗)

何だか言い訳のようなことばかりが並んでしまいました。

そうはいっても、大分期間が空いてのブログ更新です。

いい加減、何か情報をアップしておかないと折角、新着記事を期待して覗いてくださっている方にも申し訳がありません。

そこで何をお話すべきかと思案していたところ、最近、私の思索の対象としているテーマをお話してみたらいいかなとアイデアが浮かびました。

テーマは色々あるのですが、最近のお気に入りを上げれば以下のようなものがあります。

・お釈迦様は本当に悟ったのか問題
・タイムトラベルはどういう仕組みで起こり得るか
・人はなぜ死を恐れるのか、そもそも、なぜ死ぬのか
・・・etc

くだらなそうなものから、切実そうなものまで、色んなテーマで思索を深める時間を設けていますが、その中で、今回は死についての思索について触れてみようと思います。

正直、死については極力、触れないようにしてきました。

本来、スピリチュアルにおいて死というテーマは避けられない要素の一つでもあります。

一方で、死というものは人を理性的な平常心から遠のかせてしまいます。

理性的な一切を受け入れられなくなり、目に見える世界まで一変させてしまう力を持っています。

自らの死期を悟って動揺している方や身近な方の死を迎えられている方の悲しみや苦しみを考えると、あまりドライに死について語ることが躊躇われたことが死について触れることを避けてきた大きな理由でした。

しかしながら、最近、思うに現代の人間はあまりにも死について意識を背けることによって、益々、死に対する抗体が弱くなっているようにも感じ始めました。

死について語るのはタブー。

死は忌避すべきものであるという意識で思考停止状態に陥ってしまっているように感じるのです。

なぜ、死が存在するのか、なぜ、私達は死が怖いのか。

考えることもせず、ただ、縁起でもないと死を人生の隅に追いやってしまうあり方は、本当に正しい姿勢なのか疑問に思ったりもします。

どんなに怖がっても、どんなに死を忌避しても、それはいつか私達の目の前に現れます。

本当は身近なものなのに、何だか遠い存在のような気がしていて、自分とは無関係な存在だと思ってしまう。

だからこそ、益々、その影に怯えたり、必要以上に怖いものだと思ってしまうことになるのではないでしょうか。

ちょっと話はずれますが、今、私は右足を怪我して、よく動けません。

もちろん、足を怪我したくらいで死んだりはしないとは思いますが、もし、これがサバンナの草原とかであったならば、肉食系の獣に襲われて死ぬ可能性もあるでしょう。

偶々、今は無事ですが、いつ何時、死が訪れるかなどは、誰にも分りません。

人には命数があるということを神霊から教わってはいますが、その命数がいつ尽きるのか、どのように決まるのかは判然とはしていません。

その意味では、死はいつでも傍にあるといえるでしょう。

だから、死を忌避して、無関係を装って生きていくのは、実はとても危険なことなのかも知れません。

今回はタブーを超えて、死について語りたいと思います。


◇◇ 死についての現状における理解 ◇◇


世の中で死について考えるタイミングというものがいくつかあると思います。

・身近な方の死を経験する
・死者の出た大きな災害や事故のニュースに触れる
・殺人事件などのニュースに触れる
・イジメや自死の問題

・・・etc

死に関する情報に触れたときに人は、死について考えることが多いように思います。

ただ、共通していえるのは、死というものを不幸な出来事として処理し「悲しい」「恐ろしい」という感情に基づいて考えることが多く、死の本質についてまで、考えの幅と深さを求めようとはしないことだと思います。

もちろん、死は通常は歓迎されない出来事なのかも知れません。

でも、先ほどからお話しているように死は本来、身近であり、私達が必ず迎えるものでもあるのです。

単に「悲しい」「恐ろしい」という感情論のみで考えているとそれ以上には死についての考えは深まらないように思います。

そこで、今回は、死というものを構造的に解釈し、スピリチュアル的な目線も含めて考えてみたいと思います。

これから論じるのは、あくまで思索であり、正解とか正しい解釈というものではありません。

大事な点は、私達が一人ひとり、しっかりと死について考えを深めることだと思います。

ですから、これから述べることもあくまで思索のきっかけとして頂ければと願います。

さて、スピリチュアルにおいて、私達の生きているフィールドや世界、果ては宇宙といったものは、元々は完全なものであるという考え方があります。

昨今、流行りの「ワンネス」「今ココ」みたいな言葉や考え方も、究極的な話をすれば、元々の世界、あるいは宇宙は完全であり、一つであるということに基づいています。

一つであり完全であった宇宙(ここで言う宇宙は物理的な宇宙のみではなく、全次元に広がる包括的なもの)は、いつから存在したのかは分かりません。

なぜならば、完全であるが故に滅びること(終わること)がないからです。

滅びることがないということは、始まることもないのです。

少し、持って回った言い方になりますが、物事の定義上、「始まり」がなければ「終わり」もないのです。

つまり、終わらないのだから始まりもないわけで、いつから完全な宇宙が存在したのかは誰にもわからない(というよりも始まりが存在しない)ということになるのですね。

この考え方は、死というものが如何なるものなのかを考えていく上での重要な前提になりますので、まずは理解して欲しいと思います。

さて、宇宙が完全のままでいれば、滅びることはありません。

つまり宇宙には本来、終わりを意味する「死」は存在しないのです。

しかし、実際には、私達が生きている世界には、「死」が溢れています。

というよりも、誰も死とは無関係でいられない仕組みになっています。

これは何故なのでしょうか。

ここから先は多様な説が沢山あることと思いますし、何が正しいか、どの説が有力なのかは確かめようはありません。

しかし、それでも大胆に考察を深めて見なければ、死についての理解は深まらないものでもあります。

ここで、一つの命題を考えてみることにします。


◇◇ なぜ完全なる宇宙は完全性を放棄したのか ◇◇


完全なる宇宙には完全であるが故に欠けるものがありません。

永遠であるがゆえに始まりも終わりもありません。

完全なる宇宙が死ぬことはないのです。

そのままであれば完全なる宇宙のままで何の問題もなく永遠です。

しかし、完全なる宇宙は完全性を放棄したのです。

その理由は様々に考えられるわけですが、仮定をすれば、以下のような理由も考えられます。

・宇宙の完全性を証明するために不完全な存在が必要だから
・完全なる宇宙が不完全を体験してみたかったから


この辺りは巷のスピリチュアルな解釈でも提唱されている内容でもあるかも知れません。

理由としては、有力なものだと思いますが、今回はあえて死というものをテーマにしていますので、一つの仮定を上げてみたいと思います。

・宇宙は滅びることを味わってみたかった

完全であるがゆえに永遠であるがゆえに宇宙は滅びることを知りません。

なので、完全なる宇宙はそのままだと滅びるということを味わうことは出来ないわけです。

完全なる宇宙が滅びを体験するためには、今のままではダメなのです。

完全性を放棄し不完全になるしかありません。

完全なる宇宙が不完全なる宇宙に生まれ変わるために最初にしたことは、おそらく「始まり」を作る事だったのではないかと考えます。

なぜならば、先にも述べたように始まらなければ終わりもないからです。

滅びるためには、始まり、すなわち「生じる」ということを作り出すしかないのです。

おそらくは、ビックバンなどがこの「生じる」に当たるのかと思いますが、とにかく、滅びることを体験するために生じる必要があったわけです。

かくして宇宙には永遠は失われ、始まりが生じたため、終わりという滅びが生まれることになりました。

これで完全なる宇宙の滅びを体験したいという願いは、成就されたのでしょうか。

残念ながら、これでは不完全だと思われます。

ビックバンには諸説ありますが、実際には宇宙創成であるビックバンは複数回に渡り起こっているという説があります。

つまり、現在の宇宙が出来上がったのは、一度のビックバンではなかったということです。

では、何故にビックバンは複数回、発生せざるを得なかったのでしょうか。

これは、おそらく、最初のプランに誤算があったからではないかと推考します。

完全なる宇宙が滅びを体験するために始まりを生じさせたことで、終わることが可能にしました。

しかし、これだけだと、始まりの直後、間髪入れずに、終わりが来てしまいます。

始まりと終わりが殆ど同時に発生すれば、どこで始まり、どこで終わったのか全く味わうことが出来ません。

宇宙創生のビックバンも最初はおそらく、何度も始まってはすぐに終わり、生じては即座に滅びるというのを繰り返す結果となったのではないかと思われます。

始まったと思えば終わっているというある種の不毛なことを何度か試みた結果、宇宙は一つの結論に達したのではないかと思われます。

それは、始まりから終わりまでの間に何かインターバルとなるものを生じさせなくてはダメだということです。

生じて滅びるまでに「時間」というものが必要だということです。

この「時間」のことを私たちは人生と呼んだり、歴史と呼んだり、歳月と呼んだりします。

この時間というインターバルが存在して、初めて、宇宙は滅ぶことをしっかりと堪能できるわけです。

さて、時間というのは闇雲に存在できるわけではありません。

本来は時間というものは物事の変化を図るための尺度であり、測りでしかありません。

実際には、始まりと終わりのためのインターバルを存在させるためには、生命という名の「生きる」というインターバルを持つ存在が必要になりました。

ビックバンは、始まり即終わりの不毛な繰り返しをやめて、宇宙空間という生命エネルギーが満ちた空間を作り、その空間を生きる存在を多々生み出しました。

人間もその中の一つであるわけですね。

人間とは本来は完全なる宇宙の欠片であり、その本質は完全なる宇宙そのものです。

しかし、滅びを体験するための、始まりと終わりのインターバルを生きる存在として人間は誕生したわけですね。

人間にとって滅びとはすなわち死です。

非常に不思議な、あるいは社会常識上の通年から言えば不謹慎として一蹴されてしまいそうな表現になりますが、人間は、「死」を体験するために生きているといえるのではないでしょうか。

ここで非常な違和感や矛盾を感じることと思います。

何故ならば、私達は通常は「死にたくない」からです。

死は忌避すべきものであり、人生の目的が死であるなんて、おそらくは到底は受け入れかねることだと思います。

しかし、ここで思考を停止すれば、今まで通り、死は単なる忌むべきもの、悲しいもの、恐ろしいものという発想で終わってしまいます。

さらに踏ん張って考察を続けていきましょう。


◇◇ 私達は何故、死を恐れるのか ◇◇


私達の人生も目的が死を体験することだという大胆な仮説を立てました。

しかし、私達は死を忌避するという性質を持って生きています。

この二つの命題はともに相反するものであり、矛盾しているようにも見えます。

この矛盾を解決しない限り、私達の死についての本質に迫ることは出来ないと思います。

そこで、私達が何故、死を忌避するのかについて考えてみましょう。

本来、私達の生命として産み落とされた理由が死を体験するためであるならば、生命の向かおうとする先も死ということになります。

しかしながら、このままだと生命はすぐに死に向かおうとするために、生命は死を体験するためのインターバルを生きることは出来ません。

簡単に言えば、生まれてすぐ自死を選ぶようでは、死の体験を味わうことが出来ないため、完全なる宇宙が生命を生み出した意味がなくなるということです。

そこで考えられたのが「死を忌避する」という生命の機能だと考えられます。

生命の死を忌避する機能により、生命は誕生から死ぬまでのインターバルを得ることが出来るようになりました。

死を味わうために死を忌避する。

かなりねじれた状態が生まれた理由がこれです。

人生にはご存知の通り、様々な死のリスクがあふれています。

自然災害、事故から動植物に襲われる危険、病気、ウィルス、数え上げればきりがないほどに死のリスクに溢れています。

何故、こんなにも私達に死を与えようとする要因があるのかといえば、それは、人生の大目的の一つが「死」を体験することだとするならば、合点がゆきます。

生命は死を忌避し、不完全なる宇宙は、死を与えようとする。

一見、イケずをされているような構図ではありますが、この関係性こそ、最も生命が死を味わうためのインターバルを持つための当面の宇宙の意志なのではないかと思います。

私達は様々なことを通していつでも死を得ることが出来ます。

しかし、簡単に死を得てはいけない。


◇◇ 死とは一様なものではない ◇◇


生命の死を忌避する機能と死を与えようとする宇宙の意志の構図については、理解をして頂けたと仮定してお話を進めていきます。

論理構造としては、ここまでは私達の生きる世界に何故、死があるのか、死が怖く感じたり、悲しく感じたりする理由も説明は出来ていると思います。

しかしながら、やはり、情実的には、人間の生きる理由が死ぬためだというだけでは、なんともシュールな結論です。

虚しさすら覚えてしまう人もいるかも知れません。

人生は虚しいと言いたいがために私は思索を展開しているわけではありません。

私たちが求めなければならないのは、単一的な滅びや終わりを意味する死ではありません。

一様ではない多様性のある死なのです。

死とは単純化すれば単なる始まりから生じたインターバルの終了にすぎませんが、完全なる宇宙が求めた滅びとはそんな浅はかなものではなかったと思います。

もし、そんな浅はかな滅びを体験したいだけであったならば、もっと宇宙はシンプルで簡素なものでよかったはずです。

完全なる宇宙が求めた滅びとは、もっと複雑で多様なる輝きを持つ滅びです。

滅びという言葉で表していますが、実際には誕生と生きるというインターバル、そして死という名の滅びは一体のものです。

つまり、完全なる宇宙が求めた滅びとは誕生からインターバルも含めた死を通して、如何なる表現をすることが出来たのかというものなのです。

死とはすなわち終わりであり、表現の完成です。

死を通して表現を完成させる。

そのために密度の濃いインターバルを過ごすことが生命にとって求められていることでもあります。

密度の濃いインターバルを過ごし切るために私達は死を忌避するのです。

だから、「死は怖くても良い」のです。

死が怖くなければ、私達は充実したインターバルを得ようとしなくなります。

そして、死は怖いものではありません。

何故ならば、死は私達の表現の完成を告げるフィナーレだからです。

良くスピリチュアルにおいて、死んでも死後の霊界があるから怖くないという説が流布しています。

しかし、これは本当は違います。

死後の世界があろうとなかろうと、死は怖くて良いのです。

同時に死を恐れる必要はないのです。

非常にねじれた理屈ではありますが、一つの宇宙と生命と死について考察したことで浮かび上がってくる筋道になります。



◇◇ 感情を超えて死と向き合う ◇◇


私達は死を怖いと思うものです。

私達は死に直面することに大きな悲しみを覚えるものです。

その感情は正しい姿なのです。

しかし、死というものを感情だけでとらえている内は、決して死の本質に気付くことはないのかと思います。

長い考察を通して、死について構造的に解説をしてきました。

まだまだ、穴だらけの説明ではありますが、シンプルな構造を見てみることは、死について考える上で有効なことかと思います。

世の中には様々な死についての問題が沢山あります。

・なぜ死ななければならないのか
・なぜ死は苦しくのか
・なぜ積極的に死を選ぶことがタブーなのか

・・・etc

少なくとも

・なぜ死ななければならないのか         ⇒ 死の体験と表現の完成
・なぜ死の苦しみがあるのか            ⇒ 死の忌避機能によるインターバルの確保    
・なぜ積極的に死を選ぶことがタブーなのか  ⇒ インターバルの放棄は目的の実現を不可能にするため


と説明は出来るのかも知れません。

私達は死に向かって生きています。

死に向かう旅路で、大いなる自分の生というものを表現し完成させるために生きています。

それこそが魂の向上と呼ばれることそのものでもあります。

死についてしっかりと向き合うことは、生きることに向き合うことでもあり、生きることにしっかりと向き合わなければ、私達の元である完全なる宇宙の目的は達することが出来ないといえるのかも知れません。

かなり長いお話になってしまいましたが、皆さまが死について考察していくためのきっかけとなれば幸いです。

あくまで、皆さまがそれぞれに考えることが肝要かと思いますので、この記事に対する質問などは受け付けませんので、ご理解頂ければと思います。


天心 拝


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【2015年5月度】神田明神への参拝

2015年5月度神田明神月参りをしてまいりました。

5月に入り突然の夏日。

気温は29度と上昇気流に乗り、すぐにでも夏が到来しそうな予感を受けつつの参拝になりました。

日差しの強い中、多くの参詣客で賑わう境内は、とても活気に満ちていました。

活気があるのは日差しのせいばかりでなく、そろそろ神田祭りが近いこともあるからのようです。

大きな山車が境内に展示されておりまして、中々、圧巻でございます。

また、いつも通りではありますが、FGSの会メンバーをはじめ、ブログ読者の方や関わり合った全ての方の幸せを祈念させて頂きました。

毎度のことながら、ご寄付の一部からお玉串をさせて頂きました。

もちろん、献灯の継続祈願串の奉納もさせて頂いております。

皆様に神様からの追い風の力が降り注ぐように祈念して参りました。

今月も元気に過ごして頂ければと思います。


天心 拝


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神田神社 加茂能人形山車



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【超略解シリーズ】 老子 -これを視れども見えず-

こんにちは!

天心です。

【超略解シリーズ】としまして、早速、老子道徳経の内容についてお話していきたいと思います。

初回は二度にわたり、老子序章として、概略をお話してきました。

まだ、読んでない方は、そちらを最初に読まれてから、当該記事を読まれることをお勧めします。

【超略解シリーズ】 老子 -序章-
【超略解シリーズ】 老子 -序章2-

また、当該シリーズの老子道徳経編のバックナンバーは以下になります。
合わせてお読み頂ければ幸いです。

【超略解シリーズ】 老子 -道の道とすべきは-
【超略解シリーズ】 老子 -天下みな美の美たるを知るも-
【超略解シリーズ】 老子 -賢を尚ばざれば-
【超略解シリーズ】 老子 -道は沖しきも-
【超略解シリーズ】 老子 -天地は仁ならず-
【超略解シリーズ】 老子 -谷神は死せず-
【超略解シリーズ】 老子 -天は長く地は久し-
【超略解シリーズ】 老子 -上善は水の若し-
【超略解シリーズ】 老子 -持してこれを盈たすは-
【超略解シリーズ】 老子 -営魄を載んじ-
【超略解シリーズ】 老子 -三十の輻-
【超略解シリーズ】 老子 -五色は人の目を-
【超略解シリーズ】 老子 -寵辱には驚くが若し-

それでは、老子道徳経の解説に入っていきたいと思います。


◆◇ これを視れども見えず ◇◆


【原文(書き下し)】

これを視れども見えず、名づけて夷(い)と曰(い)う。
これを聴けども聞こえず、名づけて希(き)と曰う。
これを塼(とら)うるも得ず、名づけて微(び)と曰う。
此の三つの者は詰(きつ)を致すべからず、故(もと)より混じて一と為る。
其の上は皦(あきら)かならず、其の下は昧(くら)からず。
縄縄(じょうじょう)として名づくべからず、無物に復帰す。
是を無状の状、無物の象(しょう)と謂い、是れを惚恍(こつこう)と謂う。
これを迎うるとも其の首(こうべ)を見ず、これに随(したが)うとも其の後(しりえ)を見ず。
古(いにし)えの道を執りて、以て今の有を御すれば、能(よ)く古始(こし)を知る。
是れを道紀(どうき)と謂う。


【超意訳】

どんなに視ようとしても見えないもの、それをあえて名づけるならば夷(い)と呼ぼう。
どんなに耳を澄ませて聴こうとしても聞こえないもの、それをあえて名づけるならば希(き)と呼ぼう。
どんなに頑張って捕まえようとしても捕まえられないもの、それをあえて名づけるならば微(び)と呼ぼう。
この三つに関しては、どんなに突き詰めてもその全体像はこれ以上にはわからない、元々は一つに混ざり合ったものでもある。
これ以上は明らかにできないし、この他に何かを隠すようなものもない。
ぼんやりとして名づけようもなく、いずれは無に帰ってしまう。
この有りようを表現するならば、姿のない姿、形のない形、恍惚としてはっきりとしないものとしか言いようがない。
迎え入れようと準備していても、その正面をとらえることは出来ないし、後ろを追いかけてみようにも、背中を見ることも出来ない。
古くから伝わる道のありように従って、現状に活かすことを心がけることで、古くから伝わる道というものが如何なるものであるのかを知ることが出来るだろう。
これが道に従うための方策というものである。




【超解説】

老子が常に一体であることを求めた「道(タオ)」というものは、どうにも捉えどころがないものです。
確かに存在はしているのだけれど、これが道というように固定的に指さして示せるものではありません。
このことは、これまでの老子道徳経の中でも度々、示されています。
確定的に指し示すことが出来ないゆえに様々なたとえ話やあり方を説明の糧にして「道」とは何かということを老子は示そうと必死になっています。

道と一体となった政治や生き方というものを主張する老子にとって、その指し示す道というものが、ハッキリと示せない性質であることに若干の苦悩のようなものを抱えていたのではないかと感じられます。
どんなに視たくても見えない、耳を澄ませても聞こえない、捕まえてやろうと画策しても、捕まえることは出来ない。
待ち伏せしていても、その顔がどんな顔をしているのか「道」は見せてくれません。
道を追いかけても、その後ろ姿すらもわからない。

こんな曖昧模糊としたものを中心に据えて、政治や生き方を考えねばならないのは、中々、難儀なことであるわけです。
本当に偉大で、尽きることのないエネルギーは、一筋縄でとらえることは出来ないのです。
しかし、老子は、その取扱いが難しい「道」について、如何にすべきかという結論として古くからある、「道」の有りようを手掛かりに現状の自分のありように適用していくことで、段々と古くから伝えられている「道」に関する理解が深められると考えたようです。







以上、老子道徳経の超略解になります。

何かの参考になれば嬉しく思います。


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こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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