【動画】守護スピブログ:「守護霊の詩」

こんにちは!

天心です。

まるで、梅雨の時期のような湿度の高い日々が続いていますね。

またまた、動画コンテンツの作成を行いました。

今回は、ブログ記事「守護霊の詩」を動画コンテンツにしてみました!

この「守護霊の詩」は、守護霊の視点と立場で想いをつづったポエム調の記事です。

丁度、短めの動画には丁度良い素材かと思いまして、動画コンテンツ化してみました。

今度は二回目だから大分、スムーズに製作できるだろうとタカをくくっていましたが、全くそんなことはありませんでした。(汗)

あなどってはいけませんね。(苦笑)

二回目もしっかりと色々と学ぶところが大なるものがありました。

まだまだ、未熟なのである程度、数をこなしながら動画作成を覚えていこうと思います。

ということで、見てやってください。 ↓



天心 拝




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【動画】守護スピブログ:「心に残った守護霊からのメッセージ」

こんにちは!

天心です。

つい先日まで続いていた猛暑日が嘘のように今は秋の気配すら感じる涼しい日が続いていますね。

私も連日の暑さから急激な温度差に身体も心も悲鳴をあげております。(苦笑)

しかしながら、環境の変化に負けるものか!と色々と新しい試みに取り組んでおります。

その中の一つとして動画コンテンツの作成です。

今まで音源コンテンツを作成した経験はあったのですが、動画は閲覧することはあっても作成経験は全くありませんでした。

他人様の動画を見ながら「すごいな~」と関心しながらも自分で作るのは気が引けていました。

何せ知識も経験もありません。

ですが、知識も経験もないからやらないというのは、何とも情けない考え方なので、どうにかだましだまし取り組んで作ってみました。

2分程度の本当に短いものですが、作るのは2分というわけにはいきませんでした。。(当たり前か)

今回は、今までブログ記事にアップしてきた「心に残った守護霊からのメッセージ」のシリーズを動画コンテンツにしてみました!

初めての動画作成なので、中々、無様なできばえではありますが、そこは苦笑いで見逃してください(笑)

後、実際にはブログ記事の内容をそのままを基本にしていますが、どうしても読み返して誤字脱字、日本語的におかしいところなどは、加筆修正しています。

それでは、初めてのお使いならず、初めての動画コンテンツをお送りします。

見てやってください。 ↓


天心 拝




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スピリチュアルを支えているもの

スピリチュアルが語られるようになりどのくらいの月日が流れたのでしょうか。

それこそ、古来よりの言い伝えも含めれば、途方もないくらいの時間になることと思います。

そのためかスピリチュアルに関する情報も溢れるほどに賑わうようになりました。

情報が増えるようになるとスピリチュアル的な知識を得る機会も自動的に増えてくるものでもあります。

そのこと自体は良いことなのかも知れませんが、同時に大きな誤解や混乱も広がってしまう傾向も出てきます。

情報過多になれば、どうしても複雑化して分けがわからなくなります。

そのような状況にある昨今、スピリチュアルを学ぶ上で気を付けた方が良い点についてお話してみたいと思います。

まず、スピリチュアルというものは、そもそも、それ程、複雑なものではありません。

情報は多岐に渡っていてもその根本は同じことを指しています。

その根本を一言で言えば、私達と私達の住む世界の本質はどこにあるのか?ということを探究していくことです。

実はこのことは、スピリチュアルに限らず、全ての学問、経済、社会、政治、宗教、他あらゆるものはそこに帰結していくものでもあります。

科学は科学的な実証主義における本質の探究、文学は物語を通して世界と人間の意味論を表します、社会においては人の繋がりと共存において、私達が社会に求める本質的な機能と意味が取りざたされます。

政治もまた常に国家や民族といったアイデンティなどを守り、生命と暮らしを守るために何が必要なのかを考えます。

一見、無関係に見える事柄も全て繋がっています。

スピリチュアルは人の持つ霊性を通して私達のあるべき姿と獲得している世界について考えます。

霊性を通して物事を見ていくとき、全てはスピリチュアル的であるといえます。

どこがスピリチュアルで何がスピリチュアルではないという区別は本来はないのです。

私達の生きている暮らしそのもの、世界の有り様そのものがスピリチュアルの対象です。

だから、ことさらスピリチュアルとは何かと情報を求め彷徨わなくても大丈夫なのです。

私達はいつでもどこでもスピリチュアルを探究できます。

特別なことは何もありません。

私達の霊性を支えているものは、全てです。

全てによって支えられている以上は、何が必要で何が不要であるかという議論はあり得ません。

何が正しくて何が間違っているかということも本質的な部分においてはあり得ません。
但し、枝葉と論理性、筋道、私達をどこへ導くのかという目的によっては正誤はあり得ます

だから、スピリチュアル的な情報過多に迷いそうになったら本質的な部分に回帰してみると良いでしょう。

そして、自分の魂の声に耳を傾けてみれば、進むべき道筋を見つけることが出来るのかも知れません。



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守護霊への接し方 -守護霊による物品の祓い編-

こんにちは!

天心です。

「守護霊への接し方 -守護霊による物品の祓い編-」をお送りしたいと思います。

なお、前回は、「守護霊への接し方 -感謝を伝えたいとき編-」をお話しましたので、宜しければコチラもご参照くださいませ。

前回は守護霊への感謝をする際に気を付けた方が良い点としてポイントを絞ってご紹介しました。

感謝と言ってもただ「ありがとう」というだけでなく、如何にすれば守護霊が喜び、受け取ってくださる感謝となるのかをお話させて頂いたわけです。

今までは基本となる中心のテーマをトピックとして取り上げてきましたが、今回からは少しずつ具体的な応用編とも言うべき内容にも触れていきたいと思います。

さて、今回のテーマは、「守護霊による物品の祓い」になります。

私達は日常で様々な物品を道具として使っています。

洋服や靴、鞄、携帯電話にアクセサリー。

挙げていけばきりがありませんが、色んなものを利用して生活しています。

実は物品というものには、様々なものが宿ります。

一番はその道具を使っている人の気、それから、その物品を作成した人の気、あるいはその物品を持ち運び流通させているところで気を帯びることがあります。

気は目に見えるような物質的なものではありませんが、確実にその存在は私達の身の回りにて機能しています。

持っていると気持ち良く感じる物品もあれば、気持ち悪いと感じる物品もあります。

それは物品自体の価値や質にも関係はしていますが、それだけではなく、物品に宿る気も大きく関係しています。

また、物品に対する思い入れが深くなると今度は念が入るようになります。

こうなると半分、生きているような状態になります。

日本古来から伝わる付喪神などもこういったスピリチュアル的な背景があって生まれてきたのかと思います。

こう考えると私達の日頃から使用している物品には様々なよくも悪くも、気や念が入り込んでいるといえるのかも知れません。

一つひとつの影響は小さく的も毎日使い、毎日影響を受けていくと、積もり積もって無視できないものになることあります。

もちろん、あまり神経質になることは全くありませんが、折角ならば良い気や念を帯びた物品を使いたいものですよね。

一番良いのは良い気を持っている人から貰い受けするのが良いですが、中々、早々、手に入れるのは難しいかも知れませんよね。

なので、簡単に物品の気が良い気に変えていくことが出来れば良いのかなと思います。

そこで、今回の「守護霊による物品の祓い」というテーマにつながるわけです。

それでは早速、やり方について述べていきたいと思います。


1.守護霊への感謝のお祈り


まず、守護霊に働いて頂くわけですので、感謝のお祈りから入ることが大事です。

今回、感謝する内容は、これから物品に入り込んだ気や念を上部霊界から来るものへと変えて頂くことに対する感謝です。

「これより、守護霊様の御力をお貸し頂けることに感謝いたします。目の前にある○○に入り込んだ邪気、邪念を祓い、清々しきものへと移り替えなさしめ給え」

このような形でお祈りしましょう。

○○には具体的な物品の名称を入れます。

大事なポイントは淡々と行うのではなく、出来るだけ気持ちを奮い起こしつつお祈りします。

自分の心の中に清々しさを喚起することがポイントです。


2.言霊による秘歌を奏上します


依代(よりしろ)の 曲津(まがつ)の神は 立ち退きて 降り来るかな 正しき光


物品から悪い気が抜けて、良い気が入ってきたとイメージします。

ここでも実感としてそうなったと感じながら確信を伴ってやることが大切です。


以上を行うことで物品の気が祓い清められて、良い気を帯びるようになります。

但し、あまりにも強烈な気や念、また、その物品自体が特別な意味合いを持つもの(御札や数珠、あるいは特別な霊的な道具、または、強烈な気や念が込められてしまっているもの)はこの方法だけでは、難しいですが日常品を軽く祓い清めたい場合などは、守護霊にお願いすることで行うことは可能だということです。

以上、ご参考まで。

 

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虚構から抜けて幸せになる

「あなたは今、幸せですか?」

このような問いかけに「はい!幸せです!!」と満面の笑顔と素直な気持ちから返事をすることが出来る方は、本当に幸せなのかと思います。

世の人の中には、「幸せなもんか!人生は苦しいことだらけだ!!」と答える人も多くいます。

そこまで、幸せと真逆の状態を主張する人ばかりではないとは思いますが、意外と素直にハッキリと「自分は幸せです」と言い切れる人は少ないような気がする。

いつかどこかで取られたアンケートなどを見てみても、ハッキリときっぱりと「幸せです」と言い切る人は全体の数パーセントで、大概は、「概ね幸せです」とか「わからない」などと答える人が多数派であったような気がします。

私は、このブログで幸せとは、感覚的なものなのだというようなお話をしてきました。

その骨子を掻い摘んでお話すれば、幸せとは形に本質があるわけではなく、心で感じるものであるという趣旨になります。

なので、本来はどんな状況にある人だって、幸せはつかめる可能性があるということなのですね。

とはいえ、アンケートを見る限り、浮かび上がってくる事実としては、幸せだと言い切れる人が少ないという結果であるわけで、その裏側には、すっきりと自分は幸せであるという感覚をつかめないでいるという現状が隠されています。

かくいう私も20代の頃、「あなたは幸せですか?」と問われたときにやはり、大多数の方と同じように、すっきりとした思いで「幸せです」と答えられない自分がいたのを覚えています。

不思議なもので、「あなたは幸せですか?」と問われるとどうしても心に引っかかるものが出てくるのです。

世界には貧困国に生まれて食うや食わずの状態の方々もいます。

紛争地域にて暮していれば、戦闘に巻き込まれたりして、命を失うような危険と隣り合わせの人生を送ることになります。

実際にそういった方々はいらっしゃるわけで、そういう方々と比べるならば、はるかに自分は幸せだといえるのではないか?

このようにも考えるのですが、それでも心の中はもやもやな気持ちが残るのです。

当時はこのもやもやの正体がわかっていませんでした。

何となくの感覚で言えば、もっと違う何かがあって、それが欠けているから幸せになれないのだという想いが渦巻いていたのを覚えています。

しかし、今、私は「幸せですか?」と問われれば、文句なく「幸せです」と答えることが出来ると思います。

もちろん、一切の苦しみや嫌なこと、不快なことがなく、満足しているのかいえば、そのような意味ではありません。

現実問題として不足している点は多々あります。

ただ、そういったこととは別に幸せであると文句なく言い切れるようになったのには理由があります。

それは20代くらいの若いころに渦巻いていたもやもやの正体がハッキリしたからであります。

今回のブログ記事のテーマとしては、私達がすっきりと「幸せである」と言い切れない理由である、もやもやの正体についてです。


◇◇ 何に幸せを感じるか ◇◇


私達がすっきりと「幸せである」と言い切れないようにさせている、もやもやの正体について語っていくにあたり、まず、私が今、幸せに感じていることについて少し触れてみたいと思います。

一体、どんなことに天心は幸せを感じているのか。

興味のある方もいるかも知れませんね。

私が幸せを感じている瞬間というのは、実際のところ大したことではありません。

例えば、ランチで食べたハンバーグが美味しかったとか、力いっぱい活動して、くたくたになって、漸く布団の上に寝転がって、靴下を脱いだ時とかです。(笑)

下らない(苦笑)と感じられるかと思いますが、下らなくても事実だから仕方ありません。

後は、1歳10か月になる息子が大好きなアイスを頬張って笑っている顔を見るのが幸せです。

本当にうれしそうな表情で笑うのです。

また、最近は中々、時間が取れなくなってしまいましたが、手近なところ、自分の暮らしている街中で、あまり普段は出向かない見知らぬ通りをただ歩くこと。

決して有名でも観光地でもない、世間の人からしたら面白味もない場所なんですが、楽しいのです。

そして、幸せを感じます。

以前、まだ時間にゆとりがあった頃は妻と二人で只管なんでもないような場所を散策したりもしました。

特に目的もない、歩いたところで人に自慢できるようなものでもない、そんな時間を過ごしました。

ただ歩き、その途上、他愛もない、意義も意味もそれほどない、取り留めもない会話を時折、2、3、交えて歩きます。

「以前はここにあった店がなくなってしまったね」

「あれ、あの塀の上に猫がいるね。野良猫かな?」

どうでもいいような話です。

時折、立ち寄る本屋さんで珍しい本に出会った時なども幸せです。

本というのは一日に何千冊も新刊が生まれては、書店に並び、売れ筋から外れた本は、早々に消えていきます。

そんな中、出会える本というものには、ご縁や大げさに言えば奇跡に近いような感覚もあります。

私の幸せとは、まだまだ、他にもありますが、大抵は他愛もないものばかりです。


◇◇ 幸せはどこから来るのか ◇◇


以上が私、天心の幸せを感じるものの一部です。

どうでしょうか?

やっぱり下らないと感じるかも知れませんね。

観光地でも風光明媚な旅先でもない場所を歩いて何が幸せかと思うかも知れませんね。

あるいは、地味すぎてつまらないと感じるかも知れません。

そう感じること自体は、それで良いと思います。

ただ、私の幸せ感覚というものは、私以外の誰のものでもないのです。

だから、どんなことに幸せを感じても私の自由です。

人に同意を求める必要もなければ、幸せであることを証明してみせる必要もありません。

世の中ではSNSなどで、所謂、リア充アピールなるものをすることが流行しているようでもあります。

どれだけ、そういったリア充アピールの記事に高評価が付くのかというのも、競われたりしているようです。

私は様々な人の相談に乗ることが多い関係上、一見、幸せで楽しそうに見える毎日をアピールしている人にも裏側にはとても深い苦悩を抱えているようなケースがあることを知っています。

なので、あまりSNSなどの記事での事柄による印象をそのまま鵜呑みにすることはありませんが、世間的には、羨ましいがられたり、時には嫉妬や嫌悪感まで抱かれてしまうこともあるようです。

ある者は、自分の幸せをアピールし、ある者はそれを見て嫉妬したり、追従したりする。

そんな状況を見ていると複雑な気持ちになることがあります。

幸せとはアピールする必要もなければ、他人を嫉妬する必要も本来はないものです。

何故ならば、幸せはただ幸せを感じればいいだけで、他人による承認を必要としないからです。

だから、リア充アピールなど本来は不要なのです。

そして、他人の幸せを妬まなくても本来は良いのです。

幸せとは自分自身が感じれば良いものであり、他人の幸せのあり様は、全く関係がないからです。

しかしながら、それでも、時として人は、自分が幸せであることを他人に承認されたがる傾向があります。

他人の幸せの形を見て、嫉妬の情念を募らせえてしまうこともあるでしょう。

どうして、こうなってしまうのでしょうか。

実はここに、私達がすっきりと「幸せです」と言い切れない、もやもやの正体を知る手がかりがあるのです。


◇◇ もやもやの正体とは ◇◇


さて、再び私の幸せを感じる事柄について話を戻します。

私の幸せを感じる事柄について様々に感じる方がいることと思います。

ある人は、下らないとバッサリと切り捨てる人もいるでしょう。

また、場合によっては、「私には子供がいないので、うらやましいです」と思ったりする方もいるかも知れません。

あるいは、極端な話を言えば、子供がいないから、子供の笑顔を見るというような幸せはつかめませんという否定的なとらえ方をする方もいらっしゃるかも知れません。

妻との散策の話などを聞けば、独身でいる方からは、やっぱり、嫉妬のようなものを受ける可能性もあるかも知れません。

しかしながら、私は、子供がいて幸せですとか、妻と仲良く暮らしていますといったリア充アピールをしたかったわけではありません。

むしろ、私は、このブログにおいては関係のないプライベートな内容は極力、避けてきました。

スピリチュアルというテーマからぶれるのが嫌だったということが主でもありますが、そもそも、私は自分の幸せを他人に承認してもらいたいとは思わないからです。

そして、誤解を恐れずに言えば、私が幸せなのは、子供がいるからでもなければ、結婚して伴侶を持っているからでもありません。

私は仮に子供がいない状況であったとしても日々を楽しみ幸せに暮らしていただろうという気持ちがあります。

独身でも充実した日々を送ることは出来ていただろうと確信しています。

あくまで、もしもの話に過ぎないと思われるかも知れませんが、それでも私は確信しています。

まず、私達が自分の幸せというものにすっきりと向き合えない原因の一つに、幸せはリソース(資産、環境、状況)に左右されるという呪縛観念の存在があります。

これが、もやもやの正体の一部です。

子供がいるから幸せ、いないから幸せに足りない。

伴侶がいるから幸せ、いないから幸せに足りない。

貯金残高が少ないから幸せとはいえず、もっとあれば幸せ。

ワンルームの賃貸に暮らしているから不十分、4LDKの一戸建てに住めれば幸せ。

他にも色々あることでしょうが、結果的にすべては虚構であり幻想です。

子供がいればいたなりの大変さもあれば、喜びもあり、いなければいないなりの気楽さ楽しさもあります。

独身であれば出来たことも沢山あるし、ともに歩める人がいてくれる尊さもあることでしょう。

狭い部屋は荷物が置けず不自由かも知れませんが、掃除をするのは楽かも知れません。

賃貸の方が引っ越しも楽ですが、一戸建てはメンテナンスから移動も不自由です。

でも、一国一城の主という感覚を楽しめることもあるでしょう。

お金はあればあるに越したことはないかも知れませんが、守るべき資産のことで頭がいっぱいになって、大事なことを忘れてしまうことだってありえます。

物事には必ず長短があり、いいとこどりは出来ないように出来ています。

このことから、リソースによって幸せが決まると考えるのは、虚構であると言わざるを得ないのです。


◇◇ もやもやが生まれる原因とそこからの離脱 ◇◇


リソースによって幸せは決まらないというお話をしました。

しかし、それでも、おそらく多くの方は、納得されないように感じます。

「何を言っているのだ!老後のためにも子がいた方が良いに決まっている!!」

とか

「独り身は寂しいです。納得いきません!」

「そんな理屈よりお金持ちになりたいです。」

といった意見も噴出しそうです。

もちろん、私は幸せに付随する形としてのリソースを否定したいわけではありません。

幸せは感覚であるといったところで、何らかの形は伴うものなのです。

そう考えれば、人それぞれの幸せの形としてのリソースを追求することは自然なことなのかも知れません。

しかしながら、あえて、その多数の方の感情を受け止めながらも、このような本質的なお話をしているのは理由があります。

私達は足ることを知り、あるがままの中で幸せになることは十分に可能です。

でも、そのように考えること自体が困難な状況に置かれていることも事実です。

それがどういうことなのかお話したいと思います。

私はある時、テレビを見ていました。

バラエティー番組であったかと思いますが、そこではある事業で大成功を収めた事業家の私生活が紹介されていました。

その事業家は、人気のある一等地の場所に大邸宅を構えています。

まるで大名の御城のような家で広い庭には、池がありそこには一匹1千万円以上する鯉が何匹も泳いでいます。

家の中はいくつもの広い部屋があり、ペットの犬はゴールデンレトリバー。

ペットまで何だか豪奢な感じに見えてきます。

お風呂場は大理石でところどころ、宝石や金によって装飾されています。

レポーターが大げさにはしゃぎ、レポートが続けられます。

典型的な成功者の暮らしぶり。

番組に出演中の芸能人たちもひとしきり驚嘆し関心しています。

そんな番組を見ていて、ふと自分の家を見回すとどうでしょう。

なんと狭く、みすぼらしいことでしょう。

嫌になるほど、不足する点が見られます。

そしてしまいには何だか少し、自分が憐れな気持ちにすらなってきます。

「ああっ、この事業家はいいなあ。あんな広くて綺麗な家に住めて」

こんな風に思ったわけです。

これは私だけが何となく思ったというお話で留まるわけではありません。

実際、テレビ番組というものは、ある程度、視聴者の心をつかみ番組に釘付けにしておく必要があります。

故に何とかして注目をして、視聴者にチャンネルを変えられないように興味を抱かせるように作られています。

考えてみれば当たり前のことではありますが、私達は時々、このことを忘れてしまいます。

もちろん、テレビの事業家が大邸宅に住んでいることは嘘ではないかも知れません。

しかし、それとその人が本当の意味で幸せに暮らしているのか、あるいは、その後もずっとその暮らしを維持し、何も問題なく生きているのかは保証の限りではありません。

テレビ番組で映し出される姿は、良い一面のいいとこどりです。

つまらない部分、マイナスに見える部分はそもそも焦点を当てられないか、当たっていてもディレクターズカットされます。

つまり、本当にありのままの現状ではなく、つぎはぎされた幸せに見える虚構に過ぎないのです。

これはテレビ番組のみならず、全てにいえることです。

今回の記事の中で触れたSNSのリア充アピールについても同様です。

リア充アピールは良いことを抜き取り、良く見せるように書かれています。

だから、本当は嫌なことあれば、深刻に悩んでいることも裏側にはあるはずです。

しかし、そういったものはなく、良いことばかりが書かれているリア充アピール記事に反応し、追従したり嫉妬したりするのは、虚構によって、自分自身の幸せイメージを壊され、操作され、感覚を失う原因になってしまっているのです。

私が以前見た、テレビ番組の事業家の大邸宅を見て、自分の安心して暮らしている幸せの拠点であるはずの部屋がひどくみすぼらしく感じてしまったのと同様に、他人が作り上げた虚構の幸せイメージに左右されて、自分の幸せ感覚を壊してしまっている方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。

この記事の冒頭で「あなたは今、幸せですか?」と問われて、すっきりと「はい!幸せです!!」と答えられない原因となるもやもやは、実は、こういった虚構と自分の幸せ感覚を比較して壊してしまっていることにあります。

自分が幸せであるのかを感じる前に外部から植えつけられた虚構の幸せイメージとぶつけてしまうことで、考え込んでしまうわけです。

虚構の醸し出す幸せイメージからすれば、自分の持っている幸せのリソースなどとるに足らないものだと感じてしまうのです。

その結果、もやもやしてしまうのです。

私達が本当の意味でのすっきりとした自分自身の幸せイメージと感覚を取り戻すためには、虚構を見破り、そこから離脱する必要があるのかも知れません。


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心に残った守護霊からのメッセージ48

心に残った守護霊からのメッセージをご紹介してみたいと思います。


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抜刀して

即ち鞘におさむる

寸隙(すんげき)にして

大岩をも裁断(さいだん)す

その心根を磨くべし

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判断が難しいことでも、日頃からの生き方と覚悟が定まっていれば、一瞬で決断することが出来ると守護霊様は言います。

逆に生き方が定まっていないとアレコレ悩み、葛藤し、決断も出来ずにのらりくらりと人生を費やしてしまいます。

決断というものは、何か大きな壁にぶつかったときに始めてするようなことに思えて、実は違うと守護霊様に諭されたことがあります。

一瞬で岩をも切り裂くほどの鋭い決断をするためには何でもないような日頃からの境地と覚悟が大事なのだということでした。


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何で霊が見えないのか?何で霊が見えてしまうのか!?

こんにちは!

天心です。

お盆の時期、夏ということもあり、世間では怪談話のテレビ番組やらコンテンツが目立つようになってきました。

霊的な世界というものは、一方では宗教的、スピリチュアル的なものの見方をされますが、もう一方では怪奇など怖いもの見たさ、風物詩的な扱いで見られることも多いものです。

いずれにせよ、この時期は霊的な事柄に多くの人の意識が集中しがちなので、それだけ霊的な世界の方も感応し動かされやすいといえるのでしょう。

霊的な経験をしたり、霊を見たりしやすくなるのもこの時期の特徴かも知れません。

一方で霊的な事柄に興味を持っているものの一切、霊感などはなく、霊を見たことはないという方もいます。

そして、私の方には大別すると二種類の方が質問や相談を持ち掛けてきます。

一つは、霊を見てみたいけれど、全く見ることが出来ない方。

もう一方は霊が現れたり、感じたりして日常で困ってしまっているという方。

この相反する状態の方からの答えとなることを一つの記事で表すことは、とても難しいなと感じています。

何故ならばこの二種類の方々は、それぞれに前提となっている常識が異なっています。

霊を見ることが出来ないという方は、霊を見ることが特別だという意識を常識として持っています。

霊が見えてこまっているという方は、霊は見えることが前提として常識となっています。

私からするとどちらの方の言い分も良く分かるのですが、中々、人それぞれの常識を覆すことは難しいものです。

簡単に言えば、その人それぞれが持つ常識は自らコントロールできるという感覚を持てるようになると、それぞれの方の悩みは解決します。

霊が見えないという方の常識は、霊が見える状態は特別だという意識であります。

霊が見える人は、一度、霊を見てしまっているので、霊が見えていなかったことが常識の状態を取り戻すことが出来ないのです。

これらを解決することが実は、それぞれの方の持っている問題を解決する肝になります。

では、どうしたら常識をコントロールできるようになるのでしょうか。

それは、自分の見えている世界を疑うという視点を持つことにあります。

私達は自分が感じているものを当たり前の状況として受け止めてしまっています。

この当たり前と思っているものは、実は当たり前でも何でもなく、たまたま私達の眼前に現れている現象に過ぎないものでもあります。

しかし、そのことをわきまえずに何となく当たり前として常識を受け入れてしまっている時点で、私達はその常識の外側の世界を見ることは出来なくなります。

霊が見える世界も霊が見えない世界も実は、その方々の常識の外側の世界にあります。

ですから、一度、自らの常識の世界を打ち破る経験をしてみる必要があるといえるのです。

そのためには、まず、自らの持っている常識を一度、よく観察して疑ってみることです。

それだけでも自らの常識は揺らぎ初めて、新たな外側の世界を垣間見るきっかけにはなるかと思います。

少し抽象性の高いお話ではありますが、ある意味で霊が見えない人、見える人の限界を超えるヒントになるかも知れません。


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主体性への回帰と裁きの心の放棄

このブログでは様々なスピリチュアル的なお話をさせて頂いています。

多岐に渡る内容なので、読んだ方は興味深く感じたり、あるいは戸惑ったりする方もいるかと思います。

とはいえ、本来的にはスピリチュアルの雑学的なお話をしたいわけではなく、究極的に行き着く先は、主体性への回帰裁きの心の放棄にあります。

このことは何度もブログ記事にてお話してきたことでもあるので、ずっと読み続けてくださっている方にとっては、なじみが深い事柄かと思います。

復習がてら簡略に説明しますと主体性への回帰とは、自らの本当に望む意志に従って生きるということです。

意志はスピリチュアル的には魂を意味しています。

すなわち、魂への回帰を目的としてスピリチュアル的なお話をしているわけです。

魂への回帰がなされるということは、自らが主体的に考え、主体的な意志判断によって生きている状態になるということです。

一方で裁きの心の放棄とは何かといえば、自らの是とする信念のみを認め、それ以外を排斥してしまう狭い了見を手放していこうということです。

ともすると人は自分の考えと異なる人を排斥して、争い、どこまでも終わることのない闘争を繰り返いてしまいがちです。

実際のところ歴史をひも解けば、裁きの心は無くならず、多かれ少なかれ闘争の歴史はいまだ続いています。

なればこそ、裁きの心を手放していくことが出来なければ、段々と私達の生きる世界というものは、荒みきってしまうことでしょう。

言葉にすると簡単ではありますが、とても奥深いテーマでもあります。

逆に言えば、奥深いテーマであることに気付かずに単純に言葉の上での意味、定義に囚われると単なる理想論にすぎないようにも思えてしまうことでしょう。

実際、主体性への回帰や裁きの心の放棄についてお話してきましたが、多くの方が単純に受け止めてしまっているように感じることが多々ありました。

例えば、主体性への回帰に関して言えば、自らの意志で考え行動することが大事ということになります。

そうすると単純に我儘にふるまえば良いかのように思えてしまうかも知れません。

確かに自分の思った通りに行動するならば、ある意味、主体的と言えなくもありませんが、実際にはそうでもないのです。

我儘に自分の思ったことが自分の主体性だと思い込んでしまっていること自体に問題があるのです。

私達が我儘にふるまってしまう時には共通点があり、それは、周囲が見えていないということです。

周囲の環境や状況、関わり合う人たちとの調和をなして初めて私達は幸せな気持ちになることが本来は出来ます。

でも、我儘にふるまう時に幸せを感じてしまっている状態の時というのは、周囲が見えていません。

だから、自分の行動が環境や関係者にどのような影響を与えているのか、分かっていません。

分かっていないからこそ、人に迷惑をかけたり、傷つけたりしても、そのことに良心の呵責や気持ち悪さを感じないのです。

そのような不感症的な状態にある心根の状態というのは、とてもではないですが主体的意志を発揮できているとは言い難いのです。

あるいは、自分がしたいように振る舞っているように見えて、実際には他人から吹き込まれた価値観や世間の常識、思い込みなどで作り上げられた幻想に囚われてしまっている場合も多くあります。

他からの干渉を受けず、本当に魂からの意志で行動するというのは、とても難しいことなのです。

このように主体性への回帰と一口で言っても、単純にはいかないものなのです。

裁きの心の放棄も同じです。

単純に裁かずにいれば良いと考えてしまうと司法というものが成り立ちません。

犯罪を犯しても誰も取り締まらず、誰も裁かなくなれば法律などのルールによって公平性や治安を維持していくことも出来なくなります。

なので、これも主体性への回帰と同様に単純にはいきません。

裁きの心を手放すためには、まず、裁きの心を手放した状態が当たり前の前提として成り立つ社会になっていないと難しいのです。

これは平和主義と似ています。

日本は平和主義を掲げています。

平和主義の考え方はとても素晴らしいことだと思いますが、残念なことに世界でこの理念を掲げているのは日本だけです。

日本だけが平和を唱えていても、他所の国が全く賛同してくれていなければ、簡単には成立しません。

ですから、素晴らしい理念を具象化するための智慧やプロセスがどうしても必要になるのです。

裁きの心の放棄も同じで、単純に司法の放棄や相手の善悪や物事の長短を判断することをやめろというのでは成立しないのです。

なので、調和をめざし、判断をしつつも善悪という対立を超えていくアイデアを探し求めていく、その姿勢が大事なわけです。

このように主体性への回帰も裁きの心の放棄もすぐに実現できることではなく、永遠のテーマであり、そこに原則と意識カーソルを合わせて私達は一歩一歩近づいていく他はないのかと思います。

言葉というものは不完全で、言葉にして理解した瞬間から歪みが生じ始めます。

私達は常にその歪みと格闘しながらも、まっすぐに永遠のテーマに向き合っていく必要があるのかと思います。


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一切は過ぎていく

何か問題が起きたときに私達はどう思うでしょうか。

おそらく、「どうにかしなければ!」「誰かどうにかしてほしい」「解決策は何があるだろう?」と、こんな風に考えることが多いのではないでしょうか。

私達は長年の培った反応の仕方を持っています。

それは、問題が発生した場合には、その問題に対してなにがしかの働きかけをせずにはいられないというものです。

何かをしなければならないという一種の呪縛観念です。

人生には苦しみや悲しみ、痛みや不快感というものと遭遇せざるを得ないことが多々あります。

そして、多くの場合、それは問題であると捉えられてしまうことがあります。

問題としてとらえられると人の反応として、何がしかの働きかけをしたくなります。

しかし、ここに落とし穴があったりもするのです。

意外に思うかも知れませんが、私達を苦しめている半分以上の事柄は問題そのものではないことが多いのです。

問題そのものでないならば、一体、何が私達を苦しめる原因足らしめているのかといえば、それは、私達の問題に対する反応のあり方そのものなのです。

つまり、人は、問題を認識した瞬間、その問題を何とかして解決したいと望みます。

このこと自体、当然であり、当たり前のことだと受け止められがちなのですが、実はもがけばもがくほど、問題は複雑化したり、そのものが持つ不快なマイナスの波動を強めてしまうことが多くあるのです。

別の言い方をすれば、もがいていること自体が苦しみだといえるのです。

もがくのをやめるとそれだけで、元々、感じていた苦しみの度合いが下がります。

そして、問題の性質によっては、時間の経過とともに変質し過ぎ去っていくタイプのものもあります。

究極的な話をすれば、一切の問題もいずれは過ぎ去っていくものです。

一切は過ぎ去っていく。

ならば、流れていく事柄を何とかしようとせずに、一切の流れに任せてみるという心境を開く時、どうにもならないと思えていた問題の解決策が見えてくることもあります。

矛盾して聞こえるかも知れませんが、前へ前へと進むだけが良いわけではないということは、覚えて置いた方が良いことなのかも知れません。


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【2015年8月度】神田明神への参拝

2015年8月度神田明神月参りをしてまいりました。

燃え上がるような猛暑の中、沸々と湧き上がるエネルギーを感じながら参詣させて頂きました。

熱中症で倒れるかたもいらっしゃるほどの暑さではありますが、それに負けずエネルギー変えて精進していくことを御祈願させて頂きました。

そらから、いつも通りではありますが、FGSの会メンバーをはじめ、ブログ読者の方や関わり合った全ての方の幸せを祈念させて頂きました。

毎度のことながら、ご寄付の一部からお玉串をさせて頂きました。

もちろん、献灯の継続祈願串の奉納もさせて頂いております。

皆様に神様からの追い風の力が降り注ぐように祈念して参りました。

今月も元気に過ごして頂ければと思います。


天心 拝

kanda_ema_201508.jpg
神田神社 ハート形の絵馬置き場




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こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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