【公開質疑応答】進む荒廃?神社神道の行方
天心です。
公開質疑応答を行っていきたいと思います。
質問をお寄せくださったのは、優果様です。
全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。
たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。
【質問】
前回は産土神社についての質問にご丁寧に応えて頂きまして、ありがとうございました!とても参考させて頂きました。
もうひとつ疑問に思ったことがあるので、ご質問をさせて下さい。
この頃、地域経済の衰退、過疎・高齢化地域の増加、宗教と信仰の多様化、・・・等々により、
村社や郷社など、真に地域に密着した神社の荒廃が著しくなっております。
社殿はボロボロ、参道は荒れ、手水鉢の水は枯れ・・・
神社神道は、身近な神社によって崇敬心を涵養することから始まることが多い気が致します。
それなのに、子供や若い女性は怖くて境内に入れないような荒れた神社も増え、
祭祀もまともに行われなくなった、兼務社以下の神社まで増えております。
無人の社務所ならまだしも、廃屋にしか見えない建物が放置されている神社も増え、
神職が来ることもなく、年老いた数少ない氏子が細々と最低限の掃除だけやるのが精一杯。
そんな神社に崇敬心を持って下さいというのは困難でしょうし、
必然として、賽銭箱は常に空であり、町内に寄付を求めても応じる人は減り、
お金が集まらないから修繕・修築も出来ない、神職も来ない、参拝者も来ないという、
負のスパイラルの真っただ中にあるのが、地域の神社の現実のように感じてしまいます。
観光地や都市部で駐車場やビル経営、結婚式場を経営するような大きな神社だけで、
この先、神社神道というものは存続できるのでしょうか?
そして今、私達にできることはなんでしょうか?
【回答】
優果様
ご質問ありがとうございます。
>この頃、地域経済の衰退、過疎・高齢化地域の増加、宗教と信仰の多様化、・・・等々により、
>村社や郷社など、真に地域に密着した神社の荒廃が著しくなっております。
おっしゃる通り、沢山の神社、社はあれど、その全てが清々しい神域としての斎庭を維持できているとは言い難い状況がありますね。
都心部では、コンクリートの建物に囲まれて神域の気が維持出来なくなっているところも多いです。
地方においても神主不在などの理由で荒廃が進んでいるところもありますね。
神社は本来、私たちの魂の息吹を取り戻す大切な場所でもあります。
その神社が時代を経て荒廃していくことは、少なからず敬神の情がある方ならば、心を痛めてしまうところです。
神の宿る神域が何故もこうも荒廃してしまうのか。
今後、神社はどうなっていくのか。
このあたりが気になるところですよね。
まず、このことを答えていくにあたり、本来の神社の使命というものについて考えてみましょう。
神社とは文字通り神を祀る社であり、神霊のかかる神籬としての依代でもあります。
人は神社の鳥居や拝殿、鎮守の森や玉砂利の敷き詰められた参道の道に清々しさを感じ、神なる世界へと気持ちが入っていきます。
ところが、神社というものは、神道の始まりの時から存在していたわけではありません。
古来、日本人は、自然の中に降りている神霊と自在に交流していました。
元々、神霊の降りている場所には、鳥居やら拝殿やらはありません。
形無きところ、場と空間に神霊は降りていたわけです。
しかし、月日が流れる中、段々と日本人の感性も現実思考や物理次元に惹かれるようになってきます。
そうなると中々、場と空間という以外、何も目安になるものもない神域では、信心を寄せる縁とすることが難しくなってきました。
そこで、ここが神域であるとわかるように鳥居や拝殿、玉砂利の敷き詰められた参道作られたわけです。
今現在の私たちの代は、殆どの方がこうした後に出来た、道具立てとしての神社の在り様に神聖さを感じるようになっています。
掃き清められた斎庭に手入れの生き届いた社殿。
こういったものに心が奪われ、そこにある神霊に気持ちが向かわなくなってきています。
形無き神霊よりも形ある社殿に心が奪われると信仰心もまた、形あるものに左右されるようになってきます。
そして、遂に形にばかり目がいく結果として、神社という目に見えない神霊に向かわしめる使命を持つ存在自体にも心が向かわなくなってきました。
このことが現在の神社の荒廃の一因でもあります。
神社への関心も薄れ、神社への崇敬の念を持っているとする人たちも、その形に心を囚われているという状況が今日の在り様をもたらしたといえるでしょう。
さらに言えば、実は原点回帰のムーブメントが上部霊界の方で起こっています。
このことも高い次元から見た神社荒廃の原因でもあります。
それは、神社などの形あるものにばかり目が行く状況から神霊や目に見えざる真実に心が向かうようにしていくことの証でもあるのです。
こういったことを言えば、神社の神職の方や崇敬者の方からはお叱りを受けるかも知れませんが、神社があって神様があるわけではなく、神様の御心を反映するためにその在り方の一つとして神社があるのです。
御心の在り方を反映する方法は無尽蔵にあり、時代とともにまた変わってくることと思います。
今はその過渡期にあるといえます。
私たちに出来ることは、本質を常に忘れずに見ていくという態度を貫くことなのかも知れません。
以上、回答とさせて頂きます。
天心 拝
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