【閲覧注意】 死は怖くても良い ~死のもう一つの側面について考える~

こんにちは!

天心です。

暖かさを通り越して、時々、真夏日のような気候が続く中、世間ではゴールデンウイークが終わり(人によっては今週明けから)忙しい日常へと回帰されていることと思います。

つい先日まで猛烈に冷え込んでいたかと思えば、突然の夏日。

小春日和な春らしい期間は一瞬で通り過ぎていったような気がします。

現在、箱根山が噴火の予兆を高めていますが、そのことについて時事ネタで触れようとも思っていたのですが、どうしても本質的なこと(スピリチュアル的なこと)をお話しようとするとブレーキがかかります。

ある意味、怖がらせてしまう可能性も高いし、あまりに内容をセーブしてお話すると記事にする意味が殆どなくなってしまいます。

なので、当面は、箱根山について記事にするのはやめておくことにしました。

それはともかく、ゴールデンウイークをはさみ私自身、新たな神域調査なども行ったりしていたのですが、その話についてもおいおい、記事にでも出来ればとは思っています。

例によってまだ、神社のレビューをまとめ切れていないので、アップは出来ていません。(汗)

何だか言い訳のようなことばかりが並んでしまいました。

そうはいっても、大分期間が空いてのブログ更新です。

いい加減、何か情報をアップしておかないと折角、新着記事を期待して覗いてくださっている方にも申し訳がありません。

そこで何をお話すべきかと思案していたところ、最近、私の思索の対象としているテーマをお話してみたらいいかなとアイデアが浮かびました。

テーマは色々あるのですが、最近のお気に入りを上げれば以下のようなものがあります。

・お釈迦様は本当に悟ったのか問題
・タイムトラベルはどういう仕組みで起こり得るか
・人はなぜ死を恐れるのか、そもそも、なぜ死ぬのか
・・・etc

くだらなそうなものから、切実そうなものまで、色んなテーマで思索を深める時間を設けていますが、その中で、今回は死についての思索について触れてみようと思います。

正直、死については極力、触れないようにしてきました。

本来、スピリチュアルにおいて死というテーマは避けられない要素の一つでもあります。

一方で、死というものは人を理性的な平常心から遠のかせてしまいます。

理性的な一切を受け入れられなくなり、目に見える世界まで一変させてしまう力を持っています。

自らの死期を悟って動揺している方や身近な方の死を迎えられている方の悲しみや苦しみを考えると、あまりドライに死について語ることが躊躇われたことが死について触れることを避けてきた大きな理由でした。

しかしながら、最近、思うに現代の人間はあまりにも死について意識を背けることによって、益々、死に対する抗体が弱くなっているようにも感じ始めました。

死について語るのはタブー。

死は忌避すべきものであるという意識で思考停止状態に陥ってしまっているように感じるのです。

なぜ、死が存在するのか、なぜ、私達は死が怖いのか。

考えることもせず、ただ、縁起でもないと死を人生の隅に追いやってしまうあり方は、本当に正しい姿勢なのか疑問に思ったりもします。

どんなに怖がっても、どんなに死を忌避しても、それはいつか私達の目の前に現れます。

本当は身近なものなのに、何だか遠い存在のような気がしていて、自分とは無関係な存在だと思ってしまう。

だからこそ、益々、その影に怯えたり、必要以上に怖いものだと思ってしまうことになるのではないでしょうか。

ちょっと話はずれますが、今、私は右足を怪我して、よく動けません。

もちろん、足を怪我したくらいで死んだりはしないとは思いますが、もし、これがサバンナの草原とかであったならば、肉食系の獣に襲われて死ぬ可能性もあるでしょう。

偶々、今は無事ですが、いつ何時、死が訪れるかなどは、誰にも分りません。

人には命数があるということを神霊から教わってはいますが、その命数がいつ尽きるのか、どのように決まるのかは判然とはしていません。

その意味では、死はいつでも傍にあるといえるでしょう。

だから、死を忌避して、無関係を装って生きていくのは、実はとても危険なことなのかも知れません。

今回はタブーを超えて、死について語りたいと思います。


◇◇ 死についての現状における理解 ◇◇


世の中で死について考えるタイミングというものがいくつかあると思います。

・身近な方の死を経験する
・死者の出た大きな災害や事故のニュースに触れる
・殺人事件などのニュースに触れる
・イジメや自死の問題

・・・etc

死に関する情報に触れたときに人は、死について考えることが多いように思います。

ただ、共通していえるのは、死というものを不幸な出来事として処理し「悲しい」「恐ろしい」という感情に基づいて考えることが多く、死の本質についてまで、考えの幅と深さを求めようとはしないことだと思います。

もちろん、死は通常は歓迎されない出来事なのかも知れません。

でも、先ほどからお話しているように死は本来、身近であり、私達が必ず迎えるものでもあるのです。

単に「悲しい」「恐ろしい」という感情論のみで考えているとそれ以上には死についての考えは深まらないように思います。

そこで、今回は、死というものを構造的に解釈し、スピリチュアル的な目線も含めて考えてみたいと思います。

これから論じるのは、あくまで思索であり、正解とか正しい解釈というものではありません。

大事な点は、私達が一人ひとり、しっかりと死について考えを深めることだと思います。

ですから、これから述べることもあくまで思索のきっかけとして頂ければと願います。

さて、スピリチュアルにおいて、私達の生きているフィールドや世界、果ては宇宙といったものは、元々は完全なものであるという考え方があります。

昨今、流行りの「ワンネス」「今ココ」みたいな言葉や考え方も、究極的な話をすれば、元々の世界、あるいは宇宙は完全であり、一つであるということに基づいています。

一つであり完全であった宇宙(ここで言う宇宙は物理的な宇宙のみではなく、全次元に広がる包括的なもの)は、いつから存在したのかは分かりません。

なぜならば、完全であるが故に滅びること(終わること)がないからです。

滅びることがないということは、始まることもないのです。

少し、持って回った言い方になりますが、物事の定義上、「始まり」がなければ「終わり」もないのです。

つまり、終わらないのだから始まりもないわけで、いつから完全な宇宙が存在したのかは誰にもわからない(というよりも始まりが存在しない)ということになるのですね。

この考え方は、死というものが如何なるものなのかを考えていく上での重要な前提になりますので、まずは理解して欲しいと思います。

さて、宇宙が完全のままでいれば、滅びることはありません。

つまり宇宙には本来、終わりを意味する「死」は存在しないのです。

しかし、実際には、私達が生きている世界には、「死」が溢れています。

というよりも、誰も死とは無関係でいられない仕組みになっています。

これは何故なのでしょうか。

ここから先は多様な説が沢山あることと思いますし、何が正しいか、どの説が有力なのかは確かめようはありません。

しかし、それでも大胆に考察を深めて見なければ、死についての理解は深まらないものでもあります。

ここで、一つの命題を考えてみることにします。


◇◇ なぜ完全なる宇宙は完全性を放棄したのか ◇◇


完全なる宇宙には完全であるが故に欠けるものがありません。

永遠であるがゆえに始まりも終わりもありません。

完全なる宇宙が死ぬことはないのです。

そのままであれば完全なる宇宙のままで何の問題もなく永遠です。

しかし、完全なる宇宙は完全性を放棄したのです。

その理由は様々に考えられるわけですが、仮定をすれば、以下のような理由も考えられます。

・宇宙の完全性を証明するために不完全な存在が必要だから
・完全なる宇宙が不完全を体験してみたかったから


この辺りは巷のスピリチュアルな解釈でも提唱されている内容でもあるかも知れません。

理由としては、有力なものだと思いますが、今回はあえて死というものをテーマにしていますので、一つの仮定を上げてみたいと思います。

・宇宙は滅びることを味わってみたかった

完全であるがゆえに永遠であるがゆえに宇宙は滅びることを知りません。

なので、完全なる宇宙はそのままだと滅びるということを味わうことは出来ないわけです。

完全なる宇宙が滅びを体験するためには、今のままではダメなのです。

完全性を放棄し不完全になるしかありません。

完全なる宇宙が不完全なる宇宙に生まれ変わるために最初にしたことは、おそらく「始まり」を作る事だったのではないかと考えます。

なぜならば、先にも述べたように始まらなければ終わりもないからです。

滅びるためには、始まり、すなわち「生じる」ということを作り出すしかないのです。

おそらくは、ビックバンなどがこの「生じる」に当たるのかと思いますが、とにかく、滅びることを体験するために生じる必要があったわけです。

かくして宇宙には永遠は失われ、始まりが生じたため、終わりという滅びが生まれることになりました。

これで完全なる宇宙の滅びを体験したいという願いは、成就されたのでしょうか。

残念ながら、これでは不完全だと思われます。

ビックバンには諸説ありますが、実際には宇宙創成であるビックバンは複数回に渡り起こっているという説があります。

つまり、現在の宇宙が出来上がったのは、一度のビックバンではなかったということです。

では、何故にビックバンは複数回、発生せざるを得なかったのでしょうか。

これは、おそらく、最初のプランに誤算があったからではないかと推考します。

完全なる宇宙が滅びを体験するために始まりを生じさせたことで、終わることが可能にしました。

しかし、これだけだと、始まりの直後、間髪入れずに、終わりが来てしまいます。

始まりと終わりが殆ど同時に発生すれば、どこで始まり、どこで終わったのか全く味わうことが出来ません。

宇宙創生のビックバンも最初はおそらく、何度も始まってはすぐに終わり、生じては即座に滅びるというのを繰り返す結果となったのではないかと思われます。

始まったと思えば終わっているというある種の不毛なことを何度か試みた結果、宇宙は一つの結論に達したのではないかと思われます。

それは、始まりから終わりまでの間に何かインターバルとなるものを生じさせなくてはダメだということです。

生じて滅びるまでに「時間」というものが必要だということです。

この「時間」のことを私たちは人生と呼んだり、歴史と呼んだり、歳月と呼んだりします。

この時間というインターバルが存在して、初めて、宇宙は滅ぶことをしっかりと堪能できるわけです。

さて、時間というのは闇雲に存在できるわけではありません。

本来は時間というものは物事の変化を図るための尺度であり、測りでしかありません。

実際には、始まりと終わりのためのインターバルを存在させるためには、生命という名の「生きる」というインターバルを持つ存在が必要になりました。

ビックバンは、始まり即終わりの不毛な繰り返しをやめて、宇宙空間という生命エネルギーが満ちた空間を作り、その空間を生きる存在を多々生み出しました。

人間もその中の一つであるわけですね。

人間とは本来は完全なる宇宙の欠片であり、その本質は完全なる宇宙そのものです。

しかし、滅びを体験するための、始まりと終わりのインターバルを生きる存在として人間は誕生したわけですね。

人間にとって滅びとはすなわち死です。

非常に不思議な、あるいは社会常識上の通年から言えば不謹慎として一蹴されてしまいそうな表現になりますが、人間は、「死」を体験するために生きているといえるのではないでしょうか。

ここで非常な違和感や矛盾を感じることと思います。

何故ならば、私達は通常は「死にたくない」からです。

死は忌避すべきものであり、人生の目的が死であるなんて、おそらくは到底は受け入れかねることだと思います。

しかし、ここで思考を停止すれば、今まで通り、死は単なる忌むべきもの、悲しいもの、恐ろしいものという発想で終わってしまいます。

さらに踏ん張って考察を続けていきましょう。


◇◇ 私達は何故、死を恐れるのか ◇◇


私達の人生も目的が死を体験することだという大胆な仮説を立てました。

しかし、私達は死を忌避するという性質を持って生きています。

この二つの命題はともに相反するものであり、矛盾しているようにも見えます。

この矛盾を解決しない限り、私達の死についての本質に迫ることは出来ないと思います。

そこで、私達が何故、死を忌避するのかについて考えてみましょう。

本来、私達の生命として産み落とされた理由が死を体験するためであるならば、生命の向かおうとする先も死ということになります。

しかしながら、このままだと生命はすぐに死に向かおうとするために、生命は死を体験するためのインターバルを生きることは出来ません。

簡単に言えば、生まれてすぐ自死を選ぶようでは、死の体験を味わうことが出来ないため、完全なる宇宙が生命を生み出した意味がなくなるということです。

そこで考えられたのが「死を忌避する」という生命の機能だと考えられます。

生命の死を忌避する機能により、生命は誕生から死ぬまでのインターバルを得ることが出来るようになりました。

死を味わうために死を忌避する。

かなりねじれた状態が生まれた理由がこれです。

人生にはご存知の通り、様々な死のリスクがあふれています。

自然災害、事故から動植物に襲われる危険、病気、ウィルス、数え上げればきりがないほどに死のリスクに溢れています。

何故、こんなにも私達に死を与えようとする要因があるのかといえば、それは、人生の大目的の一つが「死」を体験することだとするならば、合点がゆきます。

生命は死を忌避し、不完全なる宇宙は、死を与えようとする。

一見、イケずをされているような構図ではありますが、この関係性こそ、最も生命が死を味わうためのインターバルを持つための当面の宇宙の意志なのではないかと思います。

私達は様々なことを通していつでも死を得ることが出来ます。

しかし、簡単に死を得てはいけない。


◇◇ 死とは一様なものではない ◇◇


生命の死を忌避する機能と死を与えようとする宇宙の意志の構図については、理解をして頂けたと仮定してお話を進めていきます。

論理構造としては、ここまでは私達の生きる世界に何故、死があるのか、死が怖く感じたり、悲しく感じたりする理由も説明は出来ていると思います。

しかしながら、やはり、情実的には、人間の生きる理由が死ぬためだというだけでは、なんともシュールな結論です。

虚しさすら覚えてしまう人もいるかも知れません。

人生は虚しいと言いたいがために私は思索を展開しているわけではありません。

私たちが求めなければならないのは、単一的な滅びや終わりを意味する死ではありません。

一様ではない多様性のある死なのです。

死とは単純化すれば単なる始まりから生じたインターバルの終了にすぎませんが、完全なる宇宙が求めた滅びとはそんな浅はかなものではなかったと思います。

もし、そんな浅はかな滅びを体験したいだけであったならば、もっと宇宙はシンプルで簡素なものでよかったはずです。

完全なる宇宙が求めた滅びとは、もっと複雑で多様なる輝きを持つ滅びです。

滅びという言葉で表していますが、実際には誕生と生きるというインターバル、そして死という名の滅びは一体のものです。

つまり、完全なる宇宙が求めた滅びとは誕生からインターバルも含めた死を通して、如何なる表現をすることが出来たのかというものなのです。

死とはすなわち終わりであり、表現の完成です。

死を通して表現を完成させる。

そのために密度の濃いインターバルを過ごすことが生命にとって求められていることでもあります。

密度の濃いインターバルを過ごし切るために私達は死を忌避するのです。

だから、「死は怖くても良い」のです。

死が怖くなければ、私達は充実したインターバルを得ようとしなくなります。

そして、死は怖いものではありません。

何故ならば、死は私達の表現の完成を告げるフィナーレだからです。

良くスピリチュアルにおいて、死んでも死後の霊界があるから怖くないという説が流布しています。

しかし、これは本当は違います。

死後の世界があろうとなかろうと、死は怖くて良いのです。

同時に死を恐れる必要はないのです。

非常にねじれた理屈ではありますが、一つの宇宙と生命と死について考察したことで浮かび上がってくる筋道になります。



◇◇ 感情を超えて死と向き合う ◇◇


私達は死を怖いと思うものです。

私達は死に直面することに大きな悲しみを覚えるものです。

その感情は正しい姿なのです。

しかし、死というものを感情だけでとらえている内は、決して死の本質に気付くことはないのかと思います。

長い考察を通して、死について構造的に解説をしてきました。

まだまだ、穴だらけの説明ではありますが、シンプルな構造を見てみることは、死について考える上で有効なことかと思います。

世の中には様々な死についての問題が沢山あります。

・なぜ死ななければならないのか
・なぜ死は苦しくのか
・なぜ積極的に死を選ぶことがタブーなのか

・・・etc

少なくとも

・なぜ死ななければならないのか         ⇒ 死の体験と表現の完成
・なぜ死の苦しみがあるのか            ⇒ 死の忌避機能によるインターバルの確保    
・なぜ積極的に死を選ぶことがタブーなのか  ⇒ インターバルの放棄は目的の実現を不可能にするため


と説明は出来るのかも知れません。

私達は死に向かって生きています。

死に向かう旅路で、大いなる自分の生というものを表現し完成させるために生きています。

それこそが魂の向上と呼ばれることそのものでもあります。

死についてしっかりと向き合うことは、生きることに向き合うことでもあり、生きることにしっかりと向き合わなければ、私達の元である完全なる宇宙の目的は達することが出来ないといえるのかも知れません。

かなり長いお話になってしまいましたが、皆さまが死について考察していくためのきっかけとなれば幸いです。

あくまで、皆さまがそれぞれに考えることが肝要かと思いますので、この記事に対する質問などは受け付けませんので、ご理解頂ければと思います。


天心 拝


◎クリックご協力ください!

スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

ツイッター
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
閲覧者数
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Happy Search★ ~占いと癒しの検索ポータルサイト~
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR