虚構から抜けて幸せになる

「あなたは今、幸せですか?」

このような問いかけに「はい!幸せです!!」と満面の笑顔と素直な気持ちから返事をすることが出来る方は、本当に幸せなのかと思います。

世の人の中には、「幸せなもんか!人生は苦しいことだらけだ!!」と答える人も多くいます。

そこまで、幸せと真逆の状態を主張する人ばかりではないとは思いますが、意外と素直にハッキリと「自分は幸せです」と言い切れる人は少ないような気がする。

いつかどこかで取られたアンケートなどを見てみても、ハッキリときっぱりと「幸せです」と言い切る人は全体の数パーセントで、大概は、「概ね幸せです」とか「わからない」などと答える人が多数派であったような気がします。

私は、このブログで幸せとは、感覚的なものなのだというようなお話をしてきました。

その骨子を掻い摘んでお話すれば、幸せとは形に本質があるわけではなく、心で感じるものであるという趣旨になります。

なので、本来はどんな状況にある人だって、幸せはつかめる可能性があるということなのですね。

とはいえ、アンケートを見る限り、浮かび上がってくる事実としては、幸せだと言い切れる人が少ないという結果であるわけで、その裏側には、すっきりと自分は幸せであるという感覚をつかめないでいるという現状が隠されています。

かくいう私も20代の頃、「あなたは幸せですか?」と問われたときにやはり、大多数の方と同じように、すっきりとした思いで「幸せです」と答えられない自分がいたのを覚えています。

不思議なもので、「あなたは幸せですか?」と問われるとどうしても心に引っかかるものが出てくるのです。

世界には貧困国に生まれて食うや食わずの状態の方々もいます。

紛争地域にて暮していれば、戦闘に巻き込まれたりして、命を失うような危険と隣り合わせの人生を送ることになります。

実際にそういった方々はいらっしゃるわけで、そういう方々と比べるならば、はるかに自分は幸せだといえるのではないか?

このようにも考えるのですが、それでも心の中はもやもやな気持ちが残るのです。

当時はこのもやもやの正体がわかっていませんでした。

何となくの感覚で言えば、もっと違う何かがあって、それが欠けているから幸せになれないのだという想いが渦巻いていたのを覚えています。

しかし、今、私は「幸せですか?」と問われれば、文句なく「幸せです」と答えることが出来ると思います。

もちろん、一切の苦しみや嫌なこと、不快なことがなく、満足しているのかいえば、そのような意味ではありません。

現実問題として不足している点は多々あります。

ただ、そういったこととは別に幸せであると文句なく言い切れるようになったのには理由があります。

それは20代くらいの若いころに渦巻いていたもやもやの正体がハッキリしたからであります。

今回のブログ記事のテーマとしては、私達がすっきりと「幸せである」と言い切れない理由である、もやもやの正体についてです。


◇◇ 何に幸せを感じるか ◇◇


私達がすっきりと「幸せである」と言い切れないようにさせている、もやもやの正体について語っていくにあたり、まず、私が今、幸せに感じていることについて少し触れてみたいと思います。

一体、どんなことに天心は幸せを感じているのか。

興味のある方もいるかも知れませんね。

私が幸せを感じている瞬間というのは、実際のところ大したことではありません。

例えば、ランチで食べたハンバーグが美味しかったとか、力いっぱい活動して、くたくたになって、漸く布団の上に寝転がって、靴下を脱いだ時とかです。(笑)

下らない(苦笑)と感じられるかと思いますが、下らなくても事実だから仕方ありません。

後は、1歳10か月になる息子が大好きなアイスを頬張って笑っている顔を見るのが幸せです。

本当にうれしそうな表情で笑うのです。

また、最近は中々、時間が取れなくなってしまいましたが、手近なところ、自分の暮らしている街中で、あまり普段は出向かない見知らぬ通りをただ歩くこと。

決して有名でも観光地でもない、世間の人からしたら面白味もない場所なんですが、楽しいのです。

そして、幸せを感じます。

以前、まだ時間にゆとりがあった頃は妻と二人で只管なんでもないような場所を散策したりもしました。

特に目的もない、歩いたところで人に自慢できるようなものでもない、そんな時間を過ごしました。

ただ歩き、その途上、他愛もない、意義も意味もそれほどない、取り留めもない会話を時折、2、3、交えて歩きます。

「以前はここにあった店がなくなってしまったね」

「あれ、あの塀の上に猫がいるね。野良猫かな?」

どうでもいいような話です。

時折、立ち寄る本屋さんで珍しい本に出会った時なども幸せです。

本というのは一日に何千冊も新刊が生まれては、書店に並び、売れ筋から外れた本は、早々に消えていきます。

そんな中、出会える本というものには、ご縁や大げさに言えば奇跡に近いような感覚もあります。

私の幸せとは、まだまだ、他にもありますが、大抵は他愛もないものばかりです。


◇◇ 幸せはどこから来るのか ◇◇


以上が私、天心の幸せを感じるものの一部です。

どうでしょうか?

やっぱり下らないと感じるかも知れませんね。

観光地でも風光明媚な旅先でもない場所を歩いて何が幸せかと思うかも知れませんね。

あるいは、地味すぎてつまらないと感じるかも知れません。

そう感じること自体は、それで良いと思います。

ただ、私の幸せ感覚というものは、私以外の誰のものでもないのです。

だから、どんなことに幸せを感じても私の自由です。

人に同意を求める必要もなければ、幸せであることを証明してみせる必要もありません。

世の中ではSNSなどで、所謂、リア充アピールなるものをすることが流行しているようでもあります。

どれだけ、そういったリア充アピールの記事に高評価が付くのかというのも、競われたりしているようです。

私は様々な人の相談に乗ることが多い関係上、一見、幸せで楽しそうに見える毎日をアピールしている人にも裏側にはとても深い苦悩を抱えているようなケースがあることを知っています。

なので、あまりSNSなどの記事での事柄による印象をそのまま鵜呑みにすることはありませんが、世間的には、羨ましいがられたり、時には嫉妬や嫌悪感まで抱かれてしまうこともあるようです。

ある者は、自分の幸せをアピールし、ある者はそれを見て嫉妬したり、追従したりする。

そんな状況を見ていると複雑な気持ちになることがあります。

幸せとはアピールする必要もなければ、他人を嫉妬する必要も本来はないものです。

何故ならば、幸せはただ幸せを感じればいいだけで、他人による承認を必要としないからです。

だから、リア充アピールなど本来は不要なのです。

そして、他人の幸せを妬まなくても本来は良いのです。

幸せとは自分自身が感じれば良いものであり、他人の幸せのあり様は、全く関係がないからです。

しかしながら、それでも、時として人は、自分が幸せであることを他人に承認されたがる傾向があります。

他人の幸せの形を見て、嫉妬の情念を募らせえてしまうこともあるでしょう。

どうして、こうなってしまうのでしょうか。

実はここに、私達がすっきりと「幸せです」と言い切れない、もやもやの正体を知る手がかりがあるのです。


◇◇ もやもやの正体とは ◇◇


さて、再び私の幸せを感じる事柄について話を戻します。

私の幸せを感じる事柄について様々に感じる方がいることと思います。

ある人は、下らないとバッサリと切り捨てる人もいるでしょう。

また、場合によっては、「私には子供がいないので、うらやましいです」と思ったりする方もいるかも知れません。

あるいは、極端な話を言えば、子供がいないから、子供の笑顔を見るというような幸せはつかめませんという否定的なとらえ方をする方もいらっしゃるかも知れません。

妻との散策の話などを聞けば、独身でいる方からは、やっぱり、嫉妬のようなものを受ける可能性もあるかも知れません。

しかしながら、私は、子供がいて幸せですとか、妻と仲良く暮らしていますといったリア充アピールをしたかったわけではありません。

むしろ、私は、このブログにおいては関係のないプライベートな内容は極力、避けてきました。

スピリチュアルというテーマからぶれるのが嫌だったということが主でもありますが、そもそも、私は自分の幸せを他人に承認してもらいたいとは思わないからです。

そして、誤解を恐れずに言えば、私が幸せなのは、子供がいるからでもなければ、結婚して伴侶を持っているからでもありません。

私は仮に子供がいない状況であったとしても日々を楽しみ幸せに暮らしていただろうという気持ちがあります。

独身でも充実した日々を送ることは出来ていただろうと確信しています。

あくまで、もしもの話に過ぎないと思われるかも知れませんが、それでも私は確信しています。

まず、私達が自分の幸せというものにすっきりと向き合えない原因の一つに、幸せはリソース(資産、環境、状況)に左右されるという呪縛観念の存在があります。

これが、もやもやの正体の一部です。

子供がいるから幸せ、いないから幸せに足りない。

伴侶がいるから幸せ、いないから幸せに足りない。

貯金残高が少ないから幸せとはいえず、もっとあれば幸せ。

ワンルームの賃貸に暮らしているから不十分、4LDKの一戸建てに住めれば幸せ。

他にも色々あることでしょうが、結果的にすべては虚構であり幻想です。

子供がいればいたなりの大変さもあれば、喜びもあり、いなければいないなりの気楽さ楽しさもあります。

独身であれば出来たことも沢山あるし、ともに歩める人がいてくれる尊さもあることでしょう。

狭い部屋は荷物が置けず不自由かも知れませんが、掃除をするのは楽かも知れません。

賃貸の方が引っ越しも楽ですが、一戸建てはメンテナンスから移動も不自由です。

でも、一国一城の主という感覚を楽しめることもあるでしょう。

お金はあればあるに越したことはないかも知れませんが、守るべき資産のことで頭がいっぱいになって、大事なことを忘れてしまうことだってありえます。

物事には必ず長短があり、いいとこどりは出来ないように出来ています。

このことから、リソースによって幸せが決まると考えるのは、虚構であると言わざるを得ないのです。


◇◇ もやもやが生まれる原因とそこからの離脱 ◇◇


リソースによって幸せは決まらないというお話をしました。

しかし、それでも、おそらく多くの方は、納得されないように感じます。

「何を言っているのだ!老後のためにも子がいた方が良いに決まっている!!」

とか

「独り身は寂しいです。納得いきません!」

「そんな理屈よりお金持ちになりたいです。」

といった意見も噴出しそうです。

もちろん、私は幸せに付随する形としてのリソースを否定したいわけではありません。

幸せは感覚であるといったところで、何らかの形は伴うものなのです。

そう考えれば、人それぞれの幸せの形としてのリソースを追求することは自然なことなのかも知れません。

しかしながら、あえて、その多数の方の感情を受け止めながらも、このような本質的なお話をしているのは理由があります。

私達は足ることを知り、あるがままの中で幸せになることは十分に可能です。

でも、そのように考えること自体が困難な状況に置かれていることも事実です。

それがどういうことなのかお話したいと思います。

私はある時、テレビを見ていました。

バラエティー番組であったかと思いますが、そこではある事業で大成功を収めた事業家の私生活が紹介されていました。

その事業家は、人気のある一等地の場所に大邸宅を構えています。

まるで大名の御城のような家で広い庭には、池がありそこには一匹1千万円以上する鯉が何匹も泳いでいます。

家の中はいくつもの広い部屋があり、ペットの犬はゴールデンレトリバー。

ペットまで何だか豪奢な感じに見えてきます。

お風呂場は大理石でところどころ、宝石や金によって装飾されています。

レポーターが大げさにはしゃぎ、レポートが続けられます。

典型的な成功者の暮らしぶり。

番組に出演中の芸能人たちもひとしきり驚嘆し関心しています。

そんな番組を見ていて、ふと自分の家を見回すとどうでしょう。

なんと狭く、みすぼらしいことでしょう。

嫌になるほど、不足する点が見られます。

そしてしまいには何だか少し、自分が憐れな気持ちにすらなってきます。

「ああっ、この事業家はいいなあ。あんな広くて綺麗な家に住めて」

こんな風に思ったわけです。

これは私だけが何となく思ったというお話で留まるわけではありません。

実際、テレビ番組というものは、ある程度、視聴者の心をつかみ番組に釘付けにしておく必要があります。

故に何とかして注目をして、視聴者にチャンネルを変えられないように興味を抱かせるように作られています。

考えてみれば当たり前のことではありますが、私達は時々、このことを忘れてしまいます。

もちろん、テレビの事業家が大邸宅に住んでいることは嘘ではないかも知れません。

しかし、それとその人が本当の意味で幸せに暮らしているのか、あるいは、その後もずっとその暮らしを維持し、何も問題なく生きているのかは保証の限りではありません。

テレビ番組で映し出される姿は、良い一面のいいとこどりです。

つまらない部分、マイナスに見える部分はそもそも焦点を当てられないか、当たっていてもディレクターズカットされます。

つまり、本当にありのままの現状ではなく、つぎはぎされた幸せに見える虚構に過ぎないのです。

これはテレビ番組のみならず、全てにいえることです。

今回の記事の中で触れたSNSのリア充アピールについても同様です。

リア充アピールは良いことを抜き取り、良く見せるように書かれています。

だから、本当は嫌なことあれば、深刻に悩んでいることも裏側にはあるはずです。

しかし、そういったものはなく、良いことばかりが書かれているリア充アピール記事に反応し、追従したり嫉妬したりするのは、虚構によって、自分自身の幸せイメージを壊され、操作され、感覚を失う原因になってしまっているのです。

私が以前見た、テレビ番組の事業家の大邸宅を見て、自分の安心して暮らしている幸せの拠点であるはずの部屋がひどくみすぼらしく感じてしまったのと同様に、他人が作り上げた虚構の幸せイメージに左右されて、自分の幸せ感覚を壊してしまっている方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。

この記事の冒頭で「あなたは今、幸せですか?」と問われて、すっきりと「はい!幸せです!!」と答えられない原因となるもやもやは、実は、こういった虚構と自分の幸せ感覚を比較して壊してしまっていることにあります。

自分が幸せであるのかを感じる前に外部から植えつけられた虚構の幸せイメージとぶつけてしまうことで、考え込んでしまうわけです。

虚構の醸し出す幸せイメージからすれば、自分の持っている幸せのリソースなどとるに足らないものだと感じてしまうのです。

その結果、もやもやしてしまうのです。

私達が本当の意味でのすっきりとした自分自身の幸せイメージと感覚を取り戻すためには、虚構を見破り、そこから離脱する必要があるのかも知れません。


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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
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