守護霊とのギャップ
日頃から守護霊アドバイスなどにのいて守護霊のコメントを取次させて頂き、ご相談者の方にお伝えいたしておりますが、時折、守護霊についてご質問を受けることがあります。
「私についている守護霊様ってどんな人なんですか?」
こんな質問を度々受けることがあります。
といいますのは、守護霊というのは、大体、200年から300年前くらいに生きていた方が多く、それ以前の昔の方なんかもいらっしゃいます。
私が見聞してきた守護霊にかぎって申し上げれば、あまり最近、お亡くなりになった方などは、守護霊になっているケースは少ないといえるのです。
何度かお話させて頂いておりますが、守護霊になるためには、それなりの霊格、霊覚が求められます。
また、学問や教養、礼節というものも生前に収めた方が多いといえます。
ですから、基本的に守護霊アドバイスなどでも、道徳的、規範的なその人を律するような内容のものを伝えてくることがほとんどなのです。
それから、話してくる言葉の質感として、どこか厳かだったり、いかめしく感じる言葉が多かったりします。
あきらかに現代人がきくと違和感を覚えるような言葉(笑)
あるいは時代劇の中でしか聞いたことがないような言葉で伝えてくることがあるのです。(笑)
もちろん、全ての守護霊がそうであるとはいいません。
ですが、かなりの確率で古い封建的な時代に生きた方が現れますので、守護霊からのコメントを伝えるときまって「いつの時代の人なんですか!?」「なんだか難しいこといってますね(笑)」というリアクションを頂くことがあります。
私もそう思うゆえに、必ず守護霊からのコメントだけでなく、解説として、色々と補足させて頂いて伝えさせて頂いているわけです。
さて、そんな守護霊ではありますが、我々、現代人とのギャップは何も言葉だけのことではありません。
実は考え方もかなりのギャップを感じることがあります。
守護霊はもちろん、愛と真心で活動しておられていますし、守護している方のことを本当に考えて行動をされております。
私も守護霊と同様に愛と真心を起点にして活動をしていくように心がけてはいるわけです。
守護霊と私は、愛と真心という点で、心を一つにしているということがいえることがわかると思います。
このようにお話しますと、「どこにもギャップはないのではないか?」と疑問に思われる方もいらっしゃるかも知れません。
しかし、そうでもないのです。(汗)
私は、御存知のようにこのブログを読んでくださっている皆様と同じ時代に生き、その環境の中で培ったライフスタイルや考え方、生き方に乗っ取って生きているわけです。
民主主義の国に生まれて、どことなく概ねフラットな感じで、身分や家柄の違いで大きく差別されるような時代ではない時に生まれ生きています。
もちろん、まだまだ、差別的なこと、制約を受けている事柄があり、万人が平等と呼べる状態ではないかも知れませんが、大昔に比べれば大分、平等、公平な世の中へと歩みを進めてきているといえます。
ところが、守護霊が生きた時代というのは、私たちの生きている時代とは大きく異なります。
封建制という、身分制度や家柄、門地などによってヒエラルキーがしっかりと組み込まれた社会であり、自由や平等といった気風はほとんどなく、お家大事、生きるべき筋を貫き通すのが正義と考えられるとてもある意味厳しい時代であったわけです。
現代では、それなりに自由にゆったりと生きることも可能ではありますが、守護霊の生きた時代は、お家のため、忠義を尽くす、あるいは、ともかく与えられた身分の中で生きていくのが精一杯であったのです。
そんな時代の中で学問を修め、教養を身につけて、霊格を磨いていった人が守護霊になっているわけです。
だから、とても言うことや求めることは厳しかったりします。
私も、時々、「それは今の時代にとってはナンセンスではないでしょうか?」なんて意見したりもしています。
ともかく守護霊は筋を通し、礼節と教養がびしっとした方が多いので、そのあたりでまずギャップが発生します。
私は、どちらかというとフランクにそして明るく楽しく、軽い感じで取次を行うように心がけていますが、守護霊の方は、以外と厳しいことを言ってきたりすることもあるのです。
そのたびに私は守護霊と会話をかわしながら、妥協点を探るわけです。
なぜかといえば、守護霊のそのままをご相談者にぶつけてしまうと、その方が受け止めきれない可能性があるからです。
守護霊からは「ちゃんと厳しく指導を伝えるように」と言われることも多々あるのですが、私は、「嫌」なので(笑)なるべく厳しくなくソフトに伝えるようにしているのです。
もちろん、守護霊は鬼ではありません。(笑)
きちんと筋を通しながら、切々とこちらの言い分を伝えてゆけば、わかってくれたり、妥協をしてくれたりすることはあるのです。
だから、いつだって守護霊と話し合いが必要なんですね。(笑)
お互いに愛と真心ということで、ご相談者に対する愛と真心が極まっていればお互いのギャップを埋めた形での取次を行うことができるわけです。
とはいえ、いつも妥協してもらえるとはかぎらず、こちらが負ける場合もあります。
どう考えても守護霊の言い分が正しい場合には、受け入れざるを得ないのです。
子供のように泣きわめこうが、筋が通らないことに耳を貸すほど守護霊は甘くはないからです。
先日こんなことがありました。
無償鑑定の際、時折、本当に真心の熱い方がご寄付を申し出てくださることがあります。
ご寄付の希望を持つ方は、鑑定申込の記載項目にて「あり」を記載して頂くことになっております。
本来は無償の鑑定のところへ、志としてご寄付をされるのですから、それはものすごい、愛と真心の正のエネルギーが込められているのです。
折角、お申し出頂いておりますので、なんとかその心に応えたいと思い、一部を神社に玉串をして、それでその神社特有の功徳の風を取次祈願をさせて頂いたりしているわけです。
そんなわけで大切なお寄せ頂いたご寄付を確認して、ちゃんと神社にてご祈願をさせて頂くために銀行に記帳確認にいったのですが、どうしても、ご寄付の入金確認ができない方がいらっしゃいました。
数人ではありましたが、どうしても記帳された数と一致しないのです。
もちろん、ご寄付のご入金のタイミングは、人それぞれでありますし、特に制限を設けているわけでもなく、また、設けるのも、ご寄付をして頂いた方に負担をかけることになってしまうので、したくもないのです。
しかし、一カ月以上前の鑑定において、未だ、ご入金がないということは、忘れられているか、あるいは鑑定後にやはり寄付を取りやめたいと思われた可能性が高いといえるでしょう。
もともと無償の鑑定です。
だから、私としては、「そんなこともあるよね♪」と特に意にも返さないでいます。
ここが私の気楽なところですね。
もともとないところに、真心とお志でして頂いていることですので、私がそこでどうこう思うのは筋違いだと考えているのです。
そんな感じで、記帳された数が一致しないことに関しては、すっかり忘れて、さあ帰ろうとした瞬間のことでした。
突然、頭がくらくらとし始めたのです。
めまいかな?と思い、しばし、ふらふらしながら、ちょっと気持ち千鳥足のような歩みで家路を向かっていると私の守護霊ではない感じの方が目の前にお出ましになりました。
その守護霊は、何か厳しい顔をして少し怒っているような、そんな感じが致しました。
「何かご用ですか?」と尋ねると「もっと厳しく指導すべきである」とおっしゃられるのです。
私は、「は?」という感じでしばし、茫然とそこに立ちつくしていました。
いきなり現れて何を言い出すのだこの守護霊は。。?
このように思っていましたが、よくよく聞いてみると、どうやら先ほど、記帳した数が合わなかった方の守護霊であることがわかったのです。
そして、守護霊が言うには「約束を違うとは不届きなり。恥を知れ!」と怒りながら嘆いているのです。
恥を知れって。。私に言われても。。
どうやら本人にメッセージを送っても一向に気づかないために私のもとへ直接訴えにきたようです。
私は、守護霊に言って聞かせました。
「これは元々、無償の鑑定ですから私はどちらでもいいんです。何もかわらないですからね。」
しかし、守護霊はまだ固い難しい顔とオーラを放ったままです。
思うに、厳しい礼節と道義を叩き込まれた方には、自分がした約束を違うなど考えられないという感じらしいのです。
私の方としては、いま時はそんなこともあるんじゃないかなと諦観といいますか、少し冷めているのか、あまりこだわってはいないのです。
こういうところでも守護霊と私との考え方のギャップはあるんだなと思った次第です。(笑)
最後に守護霊は「もっと厳しく指導すべきではないか。必ずこのことは正して欲しい」とおっしゃっておられました。
でも、私としては「嫌」なわけですね。(笑)
だって、考えてもみてください。
ご寄付の話というのは、なかなかいやらしい話に受け止められてしまいかねない話題です。
だから、あまり公然と触れたくないし、本当に真心がある方が、本当にそうしたいと願った時にして頂くのが一番だと考えているのです。
いやらしい意味でとらえられるのは、私にとって本当に不本意なものになってしまいますから、なるべく大きく触れない話題としていたのです。
しかし、それでも、必ず指導して欲しいとおっしゃられるので、仕方なく「厳しくは嫌なので、ソフトになら(笑)」ということで、このような記事の中でさりげなくお伝えしているわけです。
これが守護霊と私とのコミュニケーションによる妥協点であったというわけです。
ちょっと横道に話がそれた感がありますが、守護霊と私とでもかなりの考え方のギャップがあるということです。
最後に守護霊と我々、現世に生きている人間との間に起こる最大のギャップについてお話したいと思います。
それは、我々は現世に生きていて、守護霊は神霊界に生きているというところであります。
どういうことかといいますと、守護霊はもう既に神霊界の実相に慣れきっています。
神霊界は現世にくらべると、途方もないくらいのギャップがあります。
いうなれば天国と地獄くらい(笑)の差があります。
神霊界は、いつも感動的で明るい楽しい音楽が奏でられ、美しい景色、光景、常に感動と感激連続の世界です。
例えるならば、いつも美味しいものを口にした時のような嬉しさがあり、何かを実現した時のワクワク感、恋愛したてのころのトキメキ、家族のぬくもりを感じながらの暖かさにも似たようなとにかく、現世にくらべるとものすごいハッピーな世界なわけです。
そんな世界に在籍する守護霊からすると、現世の取るに足らない小さな喜びや欲望に気を取られて、魂の修行を怠るのは、本当に馬鹿げていることのように思えるようなのです。
もちろん、守護霊は高貴で、教養も高い方ですから、そんな意地の悪いことを言ったりすることはありません。
現世での人間の事情もある程度はわきまえてくれているので、現世での人間としての幸せも考えてはいてくれるのです。
しかし、それでも、やはりどこか、現世に執着する愚かしさや、やるせなさを感じることがあるようです。
口に出してはいわないけれど「もっと素晴らしい世界があるのにな。それに気づかず今の現状でとらわれているのはもったいないな」というのが守護霊のホンネのようなのです。
とはいえ、我々、現世に生きる人間にも言い分はありますよね?
「現実が不幸でひどい目にばかりあっていたら、魂に傷ができて余計に負のエネルギーが蓄えられて神霊界どころではなくなってしまいます」
「魂の修行の場とはいえ、少しは息抜きや楽しみがなきゃやってられないです」
これが我々のホンネではないかと思うのです。
でうから、守護霊と私との間の最後のギャップは、現世と神霊界の違いということがいえるでしょう。
守護霊は、神霊界の論理で動きます。
我々は、現世の論理で動きます。
でも、これをうまく調和して折衷して生きていくことが、現世と霊界の二つをうまく統合した生き方になるのかも知れません。
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こんな質問を度々受けることがあります。
といいますのは、守護霊というのは、大体、200年から300年前くらいに生きていた方が多く、それ以前の昔の方なんかもいらっしゃいます。
私が見聞してきた守護霊にかぎって申し上げれば、あまり最近、お亡くなりになった方などは、守護霊になっているケースは少ないといえるのです。
何度かお話させて頂いておりますが、守護霊になるためには、それなりの霊格、霊覚が求められます。
また、学問や教養、礼節というものも生前に収めた方が多いといえます。
ですから、基本的に守護霊アドバイスなどでも、道徳的、規範的なその人を律するような内容のものを伝えてくることがほとんどなのです。
それから、話してくる言葉の質感として、どこか厳かだったり、いかめしく感じる言葉が多かったりします。
あきらかに現代人がきくと違和感を覚えるような言葉(笑)
あるいは時代劇の中でしか聞いたことがないような言葉で伝えてくることがあるのです。(笑)
もちろん、全ての守護霊がそうであるとはいいません。
ですが、かなりの確率で古い封建的な時代に生きた方が現れますので、守護霊からのコメントを伝えるときまって「いつの時代の人なんですか!?」「なんだか難しいこといってますね(笑)」というリアクションを頂くことがあります。
私もそう思うゆえに、必ず守護霊からのコメントだけでなく、解説として、色々と補足させて頂いて伝えさせて頂いているわけです。
さて、そんな守護霊ではありますが、我々、現代人とのギャップは何も言葉だけのことではありません。
実は考え方もかなりのギャップを感じることがあります。
守護霊はもちろん、愛と真心で活動しておられていますし、守護している方のことを本当に考えて行動をされております。
私も守護霊と同様に愛と真心を起点にして活動をしていくように心がけてはいるわけです。
守護霊と私は、愛と真心という点で、心を一つにしているということがいえることがわかると思います。
このようにお話しますと、「どこにもギャップはないのではないか?」と疑問に思われる方もいらっしゃるかも知れません。
しかし、そうでもないのです。(汗)
私は、御存知のようにこのブログを読んでくださっている皆様と同じ時代に生き、その環境の中で培ったライフスタイルや考え方、生き方に乗っ取って生きているわけです。
民主主義の国に生まれて、どことなく概ねフラットな感じで、身分や家柄の違いで大きく差別されるような時代ではない時に生まれ生きています。
もちろん、まだまだ、差別的なこと、制約を受けている事柄があり、万人が平等と呼べる状態ではないかも知れませんが、大昔に比べれば大分、平等、公平な世の中へと歩みを進めてきているといえます。
ところが、守護霊が生きた時代というのは、私たちの生きている時代とは大きく異なります。
封建制という、身分制度や家柄、門地などによってヒエラルキーがしっかりと組み込まれた社会であり、自由や平等といった気風はほとんどなく、お家大事、生きるべき筋を貫き通すのが正義と考えられるとてもある意味厳しい時代であったわけです。
現代では、それなりに自由にゆったりと生きることも可能ではありますが、守護霊の生きた時代は、お家のため、忠義を尽くす、あるいは、ともかく与えられた身分の中で生きていくのが精一杯であったのです。
そんな時代の中で学問を修め、教養を身につけて、霊格を磨いていった人が守護霊になっているわけです。
だから、とても言うことや求めることは厳しかったりします。
私も、時々、「それは今の時代にとってはナンセンスではないでしょうか?」なんて意見したりもしています。
ともかく守護霊は筋を通し、礼節と教養がびしっとした方が多いので、そのあたりでまずギャップが発生します。
私は、どちらかというとフランクにそして明るく楽しく、軽い感じで取次を行うように心がけていますが、守護霊の方は、以外と厳しいことを言ってきたりすることもあるのです。
そのたびに私は守護霊と会話をかわしながら、妥協点を探るわけです。
なぜかといえば、守護霊のそのままをご相談者にぶつけてしまうと、その方が受け止めきれない可能性があるからです。
守護霊からは「ちゃんと厳しく指導を伝えるように」と言われることも多々あるのですが、私は、「嫌」なので(笑)なるべく厳しくなくソフトに伝えるようにしているのです。
もちろん、守護霊は鬼ではありません。(笑)
きちんと筋を通しながら、切々とこちらの言い分を伝えてゆけば、わかってくれたり、妥協をしてくれたりすることはあるのです。
だから、いつだって守護霊と話し合いが必要なんですね。(笑)
お互いに愛と真心ということで、ご相談者に対する愛と真心が極まっていればお互いのギャップを埋めた形での取次を行うことができるわけです。
とはいえ、いつも妥協してもらえるとはかぎらず、こちらが負ける場合もあります。
どう考えても守護霊の言い分が正しい場合には、受け入れざるを得ないのです。
子供のように泣きわめこうが、筋が通らないことに耳を貸すほど守護霊は甘くはないからです。
先日こんなことがありました。
無償鑑定の際、時折、本当に真心の熱い方がご寄付を申し出てくださることがあります。
ご寄付の希望を持つ方は、鑑定申込の記載項目にて「あり」を記載して頂くことになっております。
本来は無償の鑑定のところへ、志としてご寄付をされるのですから、それはものすごい、愛と真心の正のエネルギーが込められているのです。
折角、お申し出頂いておりますので、なんとかその心に応えたいと思い、一部を神社に玉串をして、それでその神社特有の功徳の風を取次祈願をさせて頂いたりしているわけです。
そんなわけで大切なお寄せ頂いたご寄付を確認して、ちゃんと神社にてご祈願をさせて頂くために銀行に記帳確認にいったのですが、どうしても、ご寄付の入金確認ができない方がいらっしゃいました。
数人ではありましたが、どうしても記帳された数と一致しないのです。
もちろん、ご寄付のご入金のタイミングは、人それぞれでありますし、特に制限を設けているわけでもなく、また、設けるのも、ご寄付をして頂いた方に負担をかけることになってしまうので、したくもないのです。
しかし、一カ月以上前の鑑定において、未だ、ご入金がないということは、忘れられているか、あるいは鑑定後にやはり寄付を取りやめたいと思われた可能性が高いといえるでしょう。
もともと無償の鑑定です。
だから、私としては、「そんなこともあるよね♪」と特に意にも返さないでいます。
ここが私の気楽なところですね。
もともとないところに、真心とお志でして頂いていることですので、私がそこでどうこう思うのは筋違いだと考えているのです。
そんな感じで、記帳された数が一致しないことに関しては、すっかり忘れて、さあ帰ろうとした瞬間のことでした。
突然、頭がくらくらとし始めたのです。
めまいかな?と思い、しばし、ふらふらしながら、ちょっと気持ち千鳥足のような歩みで家路を向かっていると私の守護霊ではない感じの方が目の前にお出ましになりました。
その守護霊は、何か厳しい顔をして少し怒っているような、そんな感じが致しました。
「何かご用ですか?」と尋ねると「もっと厳しく指導すべきである」とおっしゃられるのです。
私は、「は?」という感じでしばし、茫然とそこに立ちつくしていました。
いきなり現れて何を言い出すのだこの守護霊は。。?
このように思っていましたが、よくよく聞いてみると、どうやら先ほど、記帳した数が合わなかった方の守護霊であることがわかったのです。
そして、守護霊が言うには「約束を違うとは不届きなり。恥を知れ!」と怒りながら嘆いているのです。
恥を知れって。。私に言われても。。
どうやら本人にメッセージを送っても一向に気づかないために私のもとへ直接訴えにきたようです。
私は、守護霊に言って聞かせました。
「これは元々、無償の鑑定ですから私はどちらでもいいんです。何もかわらないですからね。」
しかし、守護霊はまだ固い難しい顔とオーラを放ったままです。
思うに、厳しい礼節と道義を叩き込まれた方には、自分がした約束を違うなど考えられないという感じらしいのです。
私の方としては、いま時はそんなこともあるんじゃないかなと諦観といいますか、少し冷めているのか、あまりこだわってはいないのです。
こういうところでも守護霊と私との考え方のギャップはあるんだなと思った次第です。(笑)
最後に守護霊は「もっと厳しく指導すべきではないか。必ずこのことは正して欲しい」とおっしゃっておられました。
でも、私としては「嫌」なわけですね。(笑)
だって、考えてもみてください。
ご寄付の話というのは、なかなかいやらしい話に受け止められてしまいかねない話題です。
だから、あまり公然と触れたくないし、本当に真心がある方が、本当にそうしたいと願った時にして頂くのが一番だと考えているのです。
いやらしい意味でとらえられるのは、私にとって本当に不本意なものになってしまいますから、なるべく大きく触れない話題としていたのです。
しかし、それでも、必ず指導して欲しいとおっしゃられるので、仕方なく「厳しくは嫌なので、ソフトになら(笑)」ということで、このような記事の中でさりげなくお伝えしているわけです。
これが守護霊と私とのコミュニケーションによる妥協点であったというわけです。
ちょっと横道に話がそれた感がありますが、守護霊と私とでもかなりの考え方のギャップがあるということです。
最後に守護霊と我々、現世に生きている人間との間に起こる最大のギャップについてお話したいと思います。
それは、我々は現世に生きていて、守護霊は神霊界に生きているというところであります。
どういうことかといいますと、守護霊はもう既に神霊界の実相に慣れきっています。
神霊界は現世にくらべると、途方もないくらいのギャップがあります。
いうなれば天国と地獄くらい(笑)の差があります。
神霊界は、いつも感動的で明るい楽しい音楽が奏でられ、美しい景色、光景、常に感動と感激連続の世界です。
例えるならば、いつも美味しいものを口にした時のような嬉しさがあり、何かを実現した時のワクワク感、恋愛したてのころのトキメキ、家族のぬくもりを感じながらの暖かさにも似たようなとにかく、現世にくらべるとものすごいハッピーな世界なわけです。
そんな世界に在籍する守護霊からすると、現世の取るに足らない小さな喜びや欲望に気を取られて、魂の修行を怠るのは、本当に馬鹿げていることのように思えるようなのです。
もちろん、守護霊は高貴で、教養も高い方ですから、そんな意地の悪いことを言ったりすることはありません。
現世での人間の事情もある程度はわきまえてくれているので、現世での人間としての幸せも考えてはいてくれるのです。
しかし、それでも、やはりどこか、現世に執着する愚かしさや、やるせなさを感じることがあるようです。
口に出してはいわないけれど「もっと素晴らしい世界があるのにな。それに気づかず今の現状でとらわれているのはもったいないな」というのが守護霊のホンネのようなのです。
とはいえ、我々、現世に生きる人間にも言い分はありますよね?
「現実が不幸でひどい目にばかりあっていたら、魂に傷ができて余計に負のエネルギーが蓄えられて神霊界どころではなくなってしまいます」
「魂の修行の場とはいえ、少しは息抜きや楽しみがなきゃやってられないです」
これが我々のホンネではないかと思うのです。
でうから、守護霊と私との間の最後のギャップは、現世と神霊界の違いということがいえるでしょう。
守護霊は、神霊界の論理で動きます。
我々は、現世の論理で動きます。
でも、これをうまく調和して折衷して生きていくことが、現世と霊界の二つをうまく統合した生き方になるのかも知れません。
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