FC2ブログ

法難システムとは何か

皆様、日々、元気で夢や希望を持って精進されていることとお喜び申し上げます!

なんて、ちょっと改まって言ってみましたが(笑)、誰もが皆、理想を持ち、目標を掲げて、日々生きることは、人間が生まれてきた大きな理由である魂の成長には大事なポイントであります。

目標や志がなくなってきますとどうしても歳をとるのも早くなり、気力も衰えてきますね。

時折、目標が持てないというご相談を受けることもありますが、そいういう場合はあまり難しく考えずにとりあえずの目標を立てるのがいいと思います。

それほど、好きであるとか、大事に思っているような大仰な理想像を掲げなくても、「ちょっといいな」「こんなことできたらカッコいいかな」くらいのものでも構わないので、どんどん志として掲げていって欲しいと思います。

目標を持つと魂が浮き立ち、ワクワクしてきます。

そして、目標に向かって努力をしていくと、充実感と楽しさ、喜びがついてきます。

目標といいますと達成することばかりを気にしてしまいがちですが、本当はその向かっていくプロセスの中で感じる楽しさや充実感、感動などが魂の栄養となり、輝きとなるわけです。

人生で感じる幸せというものは、決して死ぬ時にどんな栄誉があったかとか、どんな資産を築いたかとか、あまり関係ないのです。

そういうものは、全ておまけであって、毎日毎日の生活の中で感じる感覚と感動こそが意味のある人生の実体であるわけです。

ここがわからないと人生は面白くもなんともなくなってしまいます。

だから、結婚することよりも、結婚生活が大事であり、受験に合格するよりも学校で何を学ぶのかが大事ですね。

独身であっても、独身である時にしか味わえない楽しさ喜びがありますし、学歴なんてなくても、別に他のことで充実した生活を営めればよいわけです。

人間はこうならないと幸せでない、こうならないと意義のない人生だと自分で勝手に決めつけて不幸になっていく人が多くいるのが現実の世の中ではないかなと感じます。

人生を歩む経歴というものは、表面的なものであり、人生の本質ではありません。

一番大切なことは、その人生の経歴が生み出されたであり、内側にあるものだといえます。

だから、スピリチュアルな道を生きようとされている方に是非、わかってもらいたいのが、魂が輝く日々を如何にして送るのか。

ここを考えずしてスピリチュアルなものの考え方、生き方を全うできているとはいえないということであります。

全ての迷い、悲しみ、苦しみ、怒り、切なさ、辛さ、やるせなさは、元をただせば表面の人生をどこまでもたどり、人生の本質を無視するからこそ、生まれてくるわけですね。

さて、またまた、大幅に話の前置きが長くなりましたので、そろそろ本題に入りたいと思います。

「法難」という言葉をご存じでしょうか。

仏教の言葉で、一度くらいは耳にしたことがある人もいるかも知れませんね。

これは、正しい仏法を伝えようとするものには、常に困難が付きまとうということを表した言葉です。

考えてみれば歴代の歴史上の有名な僧侶の伝記をひもとけば、様々なエピソードの中に法難とも呼べる、困難がそれら僧侶たちを苦しめた話を観ることができます。

弘法大師空海が真言の法を求めて、遣唐使船に乗り込んで、唐の国に向かいますが、途中で何度も船が座礁の危機を迎えたりしていますね。

浄土真宗を開いた親鸞上人などは、衆生の苦しみを理解するため、あえて出家者としてはタブーとされていた妻帯を行い、破戒僧であるとののしられ、ものすごい迫害を受けながら、阿弥陀如来への帰依の法を確立する活動を続けました。

また、法華経を広める活動をした日蓮上人は、既存の宗派を悪しざまとも映るほど非難し、本当の道は法華経にあると主張し、そのあまりの激しい主張であったために、何度も迫害を受け、処刑されそうになったりもしています。

他にも法難とも呼べるエピソードを持つ僧侶はあげていけばきりがないほどいらっしゃいますが、ともかく、正しく仏法を伝えるものには難儀がつきまとうということを、法難という言葉で表しているわけです。

想えば、革新的な教えというものは、その反発を必ず招くもので、その反発を押しのけられるくらいの情熱とパワーがなければ、広めることは難しいということの表れなのかも知れません。

さて、法難という言葉が仏教の言葉であることは、わかって頂けたかと思いますが、我々は僧侶ではなく出家しているわけでもないので、関係ないと思わないでくださいね(笑)

実は法難というものは、宗派とか宗教とかを越えて、普遍に存在しているシステムであるということが、わかってきたのです。

私はこれを法難システムと呼んでいます。(笑)

宗教的な事柄に関係なく、人が何か人生を革新させたり、あるいは世の中にとって革新的なことを提唱、推進させていこうとする時、必ずやそれをつぶそうとする働きが起こってくるという法則があります。

これが法難システムです。

例えば、英語を勉強して海外に留学して、将来は外資系で世界各国を相手に仕事をしたい!と目標を立てて頑張りはじめたとします。

そのまま、何年も諦めずに頑張り通せば、必ず自分の想像通りではないにせよ、結果はついてくるはずです。

しかし、そう事は単純には運ばないものです。

なぜならば法難システムが発動されるからです。

まず、最初は、自分の心の中が攻撃を受け始めます。

なかなか、英語が覚えられない、英単語が右の耳から左の耳へと抜けていき、身につかない。

テストはイマイチの成績で、とても留学できるような状態とはいえません。

このような状況を目の当たりにして、「私には才能ないのかしら?あきらめて他の道を探した方がいいかな」なんてつぶやき始めます。

最初の法難は自分自身の弱い心です。

でも、これは、まだ、序の口です。

それから、両親などが口をはさみ始めるかもしれません。

「あんたが留学?そんなの無理でしょ~?」とかヤル気をそぐことを言い始めます。

友達も「留学なんてこだわらなくてもいいじゃん?日本の手ごろな会社に入って適当に過ごした方が楽じゃないの?」なんて、当人は親切のつもりで、言葉をかけてきたりします。

周囲からの言葉にますます、自分の心が揺れ動きはじめるわけです。

そのうち、「留学なんて初めから無理だったんだよね。しょうがない。分相応な生き方をしよう」なんて自分に言い訳をし始めて、最初は目を輝かせていた目標や志もいつしか青春の一ページに収められて、忘れ去られてしまうことになるのです。

これらは、よくあるお話を例え話として取り上げさせて頂きましたが、どんな目標でもそれを阻害する反作用が発生してくることを法難システムと呼んでいるわけです。

この法難システムはなぜ起こるのかといいますと、本当にその人が使命感、あるいは何としても成し遂げたいという魂からの本気の想いで立てられた志であるかを判定するために発生してくるのです。

魂に授かりし想いからズレないで人生を全うできるように、中途半端な想いで人生の舵をとらせないためであるといえます。

もうひとつの意味としては、法難システムを乗り越えることで、魂の力を培わせているというものがあります。

何事も摩擦がなければ、磨くことができません。

魂を磨くということは、まさにやすりや砥石でゴリゴリと研磨していく様を表して、「磨く」という言葉が使われているわけです。

苦もなく難もない状態というものは、摩擦がない分、魂は磨かれないわけです。

このことから、法難システムは存在しているといえます。

大切なことはこの、法難システムというものの実体と意義を理解して、それに惑わされずに自分の夢や目標に向かっていくこと。

このことが魂を磨くことに繋がることになるわけです。

もし、今、苦しいことに遭遇しているのならば、それは法難システムに遭遇している時なのかも知れません。



◎クリックご協力ください!

スポンサーサイト



テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

ツイッター
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
閲覧者数
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Happy Search★ ~占いと癒しの検索ポータルサイト~
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR