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明るい人とは

人生を明るく前向きに生きましょう!

こんなキャッチフレーズは一度は誰でも耳にしたり言葉にしたりしたことがあるかと思います。

明るく生きる。

とても普遍的であまり異論の少ない生き方の表現であるともいえますが、明るく生きるとはどのようなことを指しているのでしょうか。

そもそも明るい人とは、どのような人を意味しているのでしょうか。

今回の開運コラムではこのことについて少しお話してみたいと思います。

さて、明るい人とは何かということについて、お話していくにあたり、明るさを象徴する神様についてお話してみましょう。

日本を代表する古典に古事記という書物がありますが、その中で三貴子として方らている三柱の神様がいらっしゃいます。

一柱は天照大神(あまてらすおおみかみ)、二柱目は、月読命(つくよみのみこと)、三柱目は須佐之男命(すさのおのみこと)であります。

この神々は三貴子と呼ばれておりまして、伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(あわぎがはら)で禊祓を行った時に次々に神様がお生まれになり、その中でも特に尊い神様ということを表しています。

古事記では、天照大神は太陽を中心とした天を治め、月読命は、月を象徴する夜の世界を統治し、須佐之男命は、海原を管轄することを定められたと記されています。

さて、この三貴子の中で一番、明るい神様と考えられているのが天照大神様であります。

何しろ太陽は、燦々とすべてを照らして、闇を一切祓い、全てを明らかに照らす働きがあるわけです。

明るさの象徴であり、月の明るさは、闇夜を照らす一筋の光明であるのに対して、太陽は全てを明らかにする大きな光です。

明るい人と言った時に良く、「太陽のように明るい人」という表現もあるくらいですから、明るさという点ではこの天照大神の右に出る神様はいらっしゃらないのではないでしょうか。

古事記の中で語られる神話において、天照大神が携わる有名なエピソードがあります。

それは、天の岩戸開き(あめのいわとひらき)のお話です。

一度は耳にしたことがあるかと思いますが、天照大神が天の岩屋戸と呼ばれる洞窟のような岩で囲まれ、岩の扉で固く閉ざされた中におこもりになられるお話です。

かいつまんでお話すると、弟神である須佐之男命が亡くなった母神である伊弉冉神(いざなみのかみ)に会いに
黄泉の国にいくことを姉神である天照大神に一言挨拶に高天原に参上したことが、天の岩戸開きのエピソードが発生するきっかけとなったのです。

弟神が自分の統治する場所を奪いに来たと疑った天照大神は、須佐之男命に自分の疑惑をぶつけて問いただしたわけです。

そのようなことは心外であり疑われ傷つけられたと感じた須佐之男命は、一つの提案をいたしました。

お互いに身に憑けている装飾品を噛み砕き、そこからどのような神が生まれるのかによって、自分の心にやましさのないことを証明しようということです。

これは一種の審神といえる古事記の重要なくだりでもあるわけですが、おそらく、そのまま読むと何を言っているのか荒唐無稽すぎてわからないという印象を持つ方がほとんどかと思います。(笑)

説明したいところではありますが、とりあえず本筋から外れるので省略します。

話を元に戻しまして、お互いに審神をし合って、須佐之男命の潔白が証明されたわけなんですが、その後が問題なんですね。

自分が正しかったことを証明できた須佐之男命は調子にのり、高天原の様々なところで、暴れまわり、暴挙のかぎりをつくしたのです。

その様子を見て心を痛めた天照大神は、傷ついて、そのまま天の岩戸におこもりになられたというわけです。

わかりやすく見れば、弟がお姉ちゃんの部屋に侵入して、好き放題、めちゃめちゃに壊しまくって、怒ったお姉ちゃんが引きこもってしまったという図式ですね。(笑)

もちろん、古事記はそんな単純なことを伝えるために編纂されたわけではないので、あくまで一つの秘め事を物語風に伝えているので額面通りに受け止めるわけにはいかないでしょう。

ただ、ここで重要なのは、明るさの象徴である天照大神が天の岩屋戸におこもりになったことで、世の中が闇につつまれてしまったということです。

明るさの象徴である天照大神がなくなれば、暗く先が見えない暗闇が訪れるというわけですね。

実はここに明るい人のヒントが隠されています。

まず、明るい人とは、心の中に天照大神が現れている人のことをいいます。

心の中に天照大神が現れているとはどのような状態を指すのでしょうか。

いつも、理想と希望と幸せのイメージを忘れない心の状態を一つは指しています。

これは、自分の取り巻く現状がどうであるとか、人間関係に恵まれているとか、財産が豊かにあるとか、健康であるとか、愛する人が傍にいるとか、そういうこととは無関係にどこまでも自発的に自ら輝きを発しようとする力であるともいえます。

だから、どんなに周囲が闇に閉ざされていようとも、どこまでも輝き、どこまでも照らす、天照大神のような心根を忘れない人というのが、明るい人であるわけです。

そして、もうひとつは、何事もつまびらかになっている状態であることが明るい人である要素といえます。

どこまでもはっきりとした目標を持ち、それをずっと照らし続ける心。

この心根を持っている時に天照大神は、どんな人の中にも現れて燦々と光輝き続けているのです。

逆に自らの現状や取り巻く状況という中で、悶々として、「自分には希望なんてない」「未来なんてない」と引きこもってしまっている状態は、丁度、天照大神が岩屋戸におこもりになっている状態であるといえるわけです。

そんな時には、重い重い岩屋戸の扉をこじ開けて、天照大神様にお出まし頂かなければなりません。

どんなに苦境にあろうと、どんなに辛く、ヒドイ現状であったとしても、その岩屋戸からはい出て燦々と輝きわたる天照大神を表していく。

それを心がけることが明るく前向きに生きることであり、そのように生きようとする姿が、明るい人の姿であるということがいえるでしょう。

どこまでも人生を照らし、どこまでも道を照らす明るい心。

自分の中に天照大神をいざお出まし頂いて今日も生きていきたいと思います。



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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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No title

天心様、有り難い言葉をありがとうございます。

ですね。明るい心は万物に通ずるのかも知れません。

ただ私を含め、人は弱いもので、暗闇にある時は中々明るく振る舞うのは難しいものです。

痛々しいかも知れませんが、そんな時にこそ無理にでも明るく振る舞う必要はあるのかも知れませんね。

強いてはそれが『真の明るさ』に繋がるのかも・・・・
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天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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