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惻隠の情こそ御魂の発露

人間の本性を語る上で大きな思想の潮流として二つの考え方があります。

一つを性善説といい、一つを性悪説といいます。

性善説は主に孟子などが説いた人間の本性についてのお話であり、人間は本来的には善なるものを持っているという主張であります。

一方で性悪説は荀子などが説いています。

これは性善説の真逆で、人間の本来の姿は悪であるとするものであります。

その根拠については、人は放っておけば、自分のエゴのままふるまってしまう性質をあげています。

例えば、法律などで禁止されていなければ、人のものを盗んだり、暴力をふるったり、やりたい放題になってしまう場合があります。

よく何か混乱が生じ、政府が機能しなくなった国で暴動が起きて、暴徒と化した国民がショッピングモールを襲ったり、暴力をふるったりするような事態になる光景をテレビなどで見かけることがあります。

性悪説はこのような現象を冷徹に見つめて、人間は法律などで制御しなければ間違った行いに走ってしまうということを主張しているわけです。

現在の国家のあり方は、法律により、国民の行動を制御していることからもわかるように、基本的な考え方は性悪説に基づいているといえるわけです。

このような事実を踏まえると性善説は間違っているのか?と思えてくるかも知れませんね。

しかし、そうではありません。

孟子は性善説を説く根拠として、「惻隠(そくいん)の情」というものを掲げています。

これは、人間の本性に必ずある善なる心根のことであります。

例えば、まだ、よちよち歩きの乳飲み子が井戸の渕につかまり中を覗こうとしているところを目撃したとします。

それを観た人は「危ない!」と考える間もなく、この幼い子供を助けようとするはずです。

この時の行動が惻隠の情というものであると孟子は言っています。

決して心の中で自分の利益を考えて行動したわけではなく、ただ、目の前に命の危険がある子供を助けなければという一心で人は動くことがあるということです。

この惻隠の情があることこそが、孟子が性善説を信じる根拠になっているわけです。

この惻隠の情は御魂の発露であるとも表現することができます。

御魂は本来、善なるものの塊のような存在です。

なにしろ神様そのものの分魂なのですから、あたりまえなのですね。

でも、残念ながら、その御魂をエゴという霊体が覆ってしまっています。

だから、いつだって、人はエゴに囚われた瞬間から御魂の輝きを曇らせてしまっているわけです。

このことから、人間を単純に悪か善であるかを分けることはできないことでしょう。

大切なことは、本来持つ善なる御魂を発動させて、エゴを少なくしていくことにあると言えるのかもしれません。



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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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