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何事もエッセンスが大事です3

前回の記事「何事もエッセンスが大事です2」の続きになります。

前回は老荘思想と対比する意味で孔子様が説いた儒教についてお話してみました。

軽くおさらいしてみると老荘思想の方は天地自然の法則に立ち返り根本回帰の思想であることに対し、儒教は、仁義礼智信の徳目を磨くことで聖人に至る道を説き、社会規範や人間として生きるための道筋を説いたものであることをお話した次第です。

さて、お話が随分と長くなってしまい、気が付いたら第三部にまで突入してしまっていました(汗)

これ以上、説明を詳細にしていくとこの記事のテーマがぼやけてくるので、そろそろ纏めていきたいと思います。

1部、2部のお話は老荘思想や儒教の教えを本当に簡単に説明したものであり、詳細を突き詰めてゆくと本当に膨大な時間をかけてお話しなければならなくなってしまいます。

一つの哲学や思想というものは、本当に追いかけてゆくとどこまでも深く、その範囲はどこまでも広大です。

しかし、どの思想にもいえることなのですが、そのエッセンスやポイントというものは、簡潔なものであります。

私が1部、2部でお話している内容は、本来の老荘思想、儒教からいえば本当に微細でわずかな事柄にしか触れていません。

それでも、重要なポイントであるエッセンスはそこに集約されていると思っています。

老荘思想も儒教もそれぞれの立場があり主張があります。

老荘思想が流行した頃の中国の背景には、儒教というものが出世の道具となり、本来の孔子様が理想とした聖人へ至る道からは程遠いものになっていたことが挙げられます。

儒教の教えも形骸化して本来の道がすたれてきていたから、本来の道へと回帰させようとするムーブメントとして老子や荘子の道の教えが出てきたとも考えられます。

逆にあまりにも老荘思想のように厭世的になると一般の人間社会では到底適応できない部分もあります。

いくら無為自然が一番、大道に即した状態だからといって、民に自由にさせて為政者が何も干渉しないで国が存続できたのかといわれれば、かなり怪しい話です。

やはり人間社会を営むにはそれなりの儀礼や制度、風俗というものを調えていく必要もあったはずです。

どちらの思想にも良いところはあるけれど、そのままは現実には適応できないわけですね。

だから、思想や哲学というものは、そのまま適応できるものではなく、そのエッセンスを学び、現在、自分のおかれている環境や時代背景に即して、アレンジしていく必要があるのです。

一生懸命、論語を読んでみても、孔子様が生きた時代と私達が生きている時代には相当なギャップがあります。

その時、その時代に必要な思想があるように私達にも私達に必要な哲学や思想を練り上げてゆく必要があるということです。

なので、大事なことはエッセンスにあるということを覚えておかないと、古典や思想、哲学を勉強すればするほど、迷うことになってしまいます。

スピリチュアルな事でも同じです。

誰それが何を言ったということをそのまま自分に適応しようとしていては、本質を見誤る可能性が出てきます。

有名な神様からメッセージやら、権威的な文献は世の中に沢山ありますが、その一つ一つはその時代背景や状況を鑑みて降ろされたものばかりです。

有名だから、権威的だからといって、そのまま適応はできないということは理解しておく必要があるかと思います。

時代も人間も霊界も全部動いています。

何一つ静止して、かわらぬものはないのです。

私達が学びを行うのはエッセンスを謹んで受け止めて、新しい時代に適応した行動原理を作ってゆくことにあります。

この点を見失わなければ、正しい学びは続いてゆくことになることでしょう。


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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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そうですね。時代の変化が著しい今、私たちもより前進していかなければなりませんね。自身の迷いを少なくするためにはシンプルな思考でありたいものです。密かに守護霊問答楽しみにしています^^
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こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
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