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【守護霊問答】死について

今回の【守護霊問答】は、今まで聞きたくても躊躇(ちゅうちょ)していた「死」についてお伺いをたててみたいと思います。

なぜ、今まで躊躇していたかといいますと、私達の現世での目的は魂の向上であり、活き活きと生きることにあります。

明るく前向きに生きることについてお話する時に「死」というテーマは少し暗く、テンションを下げてしまいます。

また、安易に人の死について、さも、わかったようにアレコレと論じるのは、人の尊厳ということも鑑みるとどうしてもキーボードの指も鈍るというものです。

死生観というものは人それぞれにあるものです。

その一つ一つは尊重されてしかるべきものだと思います。

また、霊界は現世よりも自由で楽しそうだから、辛い現世を抜け出して霊界に帰りたいなんていう発想を持たれても、本ブログの主旨からずれてしまいます。

なので、長らく、あまり「死」というものに対してテーマとして取り上げることはしていませんでした。

しかしながら、人は早かれ遅かれ現世的には死を迎えます。

泣いても笑っても人は霊界の門をくぐることになるのです。

優しい柔和な愛すべき人も、剛直で力強くどんなものにも負けないようながっしりとした人も、多くの善行で社会に貢献した人も、翻って悪行三昧で憎まれっ子のごとき人生を歩んだ人も、分け隔てなく死を迎えるのです。

現実において「死」というテーマは暗くなりがちなテーマですが、人が一度は通る道である以上、向き合わないわけにはいかないのではないか。

このように思い至ったことから、今回は守護霊様にこのテーマをぶつけてみることにしました。

これから繰り広げられる問答は、決して興味本位でもいい加減な気持でもなく、純粋に私達がどう死と向き合うべきかについて守護霊様との交流を通しての結果であり、一つのヒントであり、解釈であります。

あくまで一つの解釈である以上、唯一無二の真実を語っているわけでもなんでもありません。

ですから、一つの参考として受け止めて頂ければと思います。


天心:「今回は死というものについて、どう向き合ってゆくべきかについてお伺いしたいと思います」

守護霊:「死とは決済なり」

天心:「決済ですか。。?」

守護霊:「さよう。本来、この世には生まれるものもなければ死すべきものもない」

天心:「そうなのでしょうか。人は生まれてそして死んでゆくものだと思うのですが。。?」

守護霊:「生とはあると感じる心。死とは喪失と感じる心。いずれも変化に対する感情である」

天心:「確かに仏教などの教えでは、一切は空であり、物事は常に変化し続けるとありますが。。」

守護霊:「変化に際し心の区切りをつけるために人は生と死を作り出したといえよう」

天心:「生も死も変化の状態の呼び名に過ぎないということですかね。」

守護霊:「その通り」

天心:「では、改めてお伺いしたいのですが、死が決済とはどういう意味なのでしょうか?」

守護霊:「人は死すべき時に己がいかなる心根で今生を全うしてきたのかを知ることになる」

天心:「それは、良く聞く話で、一生の出来事を走馬灯のように見るといわれていることと同じなのでしょうか」

守護霊:「走馬灯とは己が心根を見ている現象に過ぎぬ。本当の意味で人生を生き切ったものは走馬灯は見ぬ」

天心:「そうなんですか!?」

守護霊:「毎日毎日の積み重ねた心根の念が清ければ、死は爽やかに訪れるもの」

天心:「なるほど。でも、死ぬ前にやっぱり苦しんだり、不安に思ったりするのが人情だと思うのですが」

守護霊:「光明に向かっておるものには不安などはない。死の不安とは闇に囚われた心の迷いである」

天心:「う~ん、もう少し詳しくお願いできますか?」

守護霊:「ウキウキとした心地で旅にでるものが途中で山賊に襲われて死を迎えることなどは考えぬであろう。死はいつでも傍にあるもの。だが、人は前に向かって歩みを進める時、死神をも蹴散らす」

天心:「なるほど、確かに私達はいつだって死に直面する可能性はあるわけですよね。でも、希望を持って前に進もうとする時には死に対する不安なんてないですよね」

守護霊:「死に対する向き合い方とは、どこまでも自分の中にある光明に向かってゆくことにほかならぬ」

天心:「つまり、どんな死に方をするかとか、死んだらどうしようという不安など無視して自分の中の光に向かてゆくことが、正しい死に対する向き合い方だということでよろしいでしょうか」

守護霊:「概ね正しい」

天心:「最後にもう一つだけ教えてください。死にゆく人を見取る側の心構えについてなのですが」

守護霊:「一つは旅立つ者の想いを受け止める。一つは感謝の想いを持つ。最後はただ愛のまなざしだけである」

天心:「相手の今生における最後の想いをしっかりと受け止めるということですね。それから最後は愛を持って見送るということですね。ただ、真ん中の感謝の想いを持つがちょっと意味がわからないのですが」

守護霊:「死にゆくものとは先達である。現世のものに死の在り方ありようを教える役目を担っておる。なればこそ、その瞬間に立ち会い学ぶことができることを死にゆくものには感謝すべきなのである」

天心:「確かに私達は人の死に触れて始めて、死を意識したりしますからね。そういう意味では、私達は命をかけた最後の教えを死んでいった方々から授けられているのかも知れませんね」

守護霊:「現世を生きるものは、死者の最後の諭しを受けて、修行する。これが本来の先に逝った魂への礼節なのである」

天心:「私達が現世でその生を終えて死を迎える時のために教えてくれた様々なこと、残してくれた想い、それを受けついで今生を一生懸命生きなければ、先達として霊界に旅立った人達に申し訳がないですね」

守護霊:「その通り。なればこそ現世を勇猛心を持って生き抜けよ」

天心:「わかりました。ありがとうございました」


以上が守護霊問答になります。

人ぞれぞれの死生観があるとは思いますが、今回の守護霊問答が何かのヒントになることを願っています。


天心 拝



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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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私も霊界の人達にしたら死は状態の変化でしかなく恐れるものではないと聞いたことあります。死んだ人達にしたら死は単なる身体からの脱皮みたいなものなんですかね。

読んでいて、自然と涙が出ました。死に立ち合わせてもらう事が学びだという内容に、個人的にはとても感銘を受けました。よりそこから学びを受ける事や知る事が必要な者に、天は死に携わる仕事を授けるのかな?等。とても考え深い反面、自分に確かな気付きがありました。何時も勉強になります、ありがとうございます。

心より…

今の私にとって
心に響き沁み渡るお言葉でした
嘆いても足掻いてもいい
わめき散らしたって構わない
けれどそこから確かに
学び取るものがあるんですね

有難うございました

こんばんは。テーマは死ですか。難しいテーマですね。私にも死生観はありますが年を重ねるたびにそれもまた変化し続けています。寿命がきた時、悔いのないよう生きたいものです。
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こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
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