FC2ブログ

魔境から抜ける

仏教の宗派の中でも曹洞宗臨済宗などは、禅宗と呼ばれて、見性成仏して悟りを開くことを目指しています。

禅といいますと、一般的には、座禅といって座って瞑想するようなイメージがありますよね。

只管打座(しかんたざ)といって、ひたすら座禅を組み続ける修行方法をとるのが曹洞宗の特徴であり(といってももちろん作務などの修行はありますが)、道元禅師の教えがもとになっていますね。

座禅のことを黙照禅(もくしょうぜん)と言ったりします。

黙って座るという方式ですね。

それに対して臨済宗は看話禅(かんなぜん)であるのが特徴です。

看話禅は、公案と呼ばれる問答を通して、見性成仏にいたる修行をします。

臨済宗は臨済禅師が宗祖とされていますが、中国の方であり、日本人の中では中興の祖と呼ばれている白隠禅師が有名ですね。

さて、修行方法は異なり様々に良さのある禅宗ではありますが、今回はとりわけ座禅における魔境において少しお話してみたいと思います。

座禅のお話なんて別に禅僧でもないし、出家するつもりもないから関係ないと思われるかもしれませんが、実は大いに関係あるので、しばし、お付き合いいただければと思います。

禅においては、見性成仏に至るのが目的であるとお話しましたが、見性成仏とは、自分の中にある仏様としての性質を垣間見ることを指しています。

本来の自分の仏性を垣間見ることで、自分の真の姿に立ち返ろうというわけです。

そのために座禅修行などがあるわけですね。

では、座禅さえしていれば見性成仏にいたれるかというとそう甘くはないのです。

座禅に只管打ちこみ心の中にある煩悩や雑念を払うわけですが、時として、仏様が現れたり、ご先祖様が現れたりしていろんなことを言ってくる場合があったりします。

思わず素晴らしい体験をしたと思い、あたかも自分が見性成仏できたと思いこんでしまうこともあるようです。

しかし、禅宗では、これを魔境と呼んで退けます。

禅の書をひも解けば、「仏に会えば仏を切り、祖先に会えば祖先を切る」といった言葉に出くわします。

これはどういう意味なのでしょうか。

普通は仏様は大事にすべきところですが、切ってしまえと言っています。(汗)

祖先も本来は、感謝して敬うべきところですが、これも切ってしまえと言っています(汗)

なんだかとんでもないことを禅は教えているように思えてきてしまいそうです。

でも、これには理由があります。

本当の意味で見性成仏に至っていない僧侶は得てして、その手前にある魔境にからめとられて、本当の悟りを得られないまま、まやかしの世界にとらわれてしまうことが多いのです。

だからこそ、たとえ仏様に座禅中に会えたとしても、それで満足したり、悟ったと思いこんだりしてはならないことを教えているわけです。

尊敬すべき祖先が表れたとしても、不退転の覚悟でさらに修行を進めていくことが必要なわけです。

スピリチュアルな世界においても、霊が見えるとか感じるとか、あるいは霊能が開けたということで満足して何かを得た気になってしまうケースがありますが、それは禅宗からいわせれば魔境なわけです。

そこからさらに人としての努力をして、社会性を培い、現世で表現する技能を身につけ、さらに霊格や霊覚を磨き向上していくことを忘れてしまえば、魔境に陥ってしまうわけですね。

魔境から抜け出るには、常に真心を持って魂を向上させていくしかありません。

そのためには、もっと深く学んでいくことを続けていく他はないのではないでしょうか。

私たちの生活の中にも魔境は潜んでいます。

お金さえ得られればよい、生活さえ安定したらいい、学んだり努力するのはめんどくさい。

こう思いながらその日暮らしのまま、安楽を求めていくといつしか魔境に入り真実に目を向ける気持ちもなくなってきてしまいます。

魔境から抜け出るには現状に胡坐をかかずに進歩向上の心を忘れないことが大事なのかも知れません。


◎クリックご協力ください!
スポンサーサイト



テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

ツイッター
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
閲覧者数
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Happy Search★ ~占いと癒しの検索ポータルサイト~
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR