誰もが信仰心を持っている

誰もが信仰心をもって生きています。

このようにいえば、「私は宗教なんか信じません」「信仰とか抹香臭い話は嫌いです」なんていう返事が返ってくることもあるかも知れませんね。

比較的、このブログをお読みいただいている方は、おそらく、スピリチュアルや目に見えざる理屈や現実思考では測れない世界については、理解を示されている方が多いのかと思います。

ところが一方では、まったく、そういった目に見えざるものやスピリチュアルや霊界、守護霊なんていうものは絶対に認めないというような考え方を持つ人もいることも事実です。

そのようにスピリチュアル的なことの否定派の人からすれば、信仰心などもってはいないと言い返したくもなるかと思います。

しかし、それでも、私は、人は誰もが信仰心をもって生きていると確信しています。

私がここで言っている信仰心とは、特定の宗教やあるいはスピリチュアル的な目に見えざる存在を信じる信じないといったことを指してはいません。

信仰心とはすなわち「よりどころとなるものを心に持つ」という意味で捉えていただければと思います。

私は、自分自身のよって立つ軸をスピリチュアルや守護霊、霊界というものに置いて日々を生きています。

だからこそ、ブログの中ではそういった観点のお話をさせていただいているわけです。

では、そういった事柄を否定して生きている人は信仰心がないというとそうではないはずです。

必ずよりどころとなるものは心に存在しているはずです。

たとえば科学というものがあります。

「スピリチュアルとか守護霊とか見えないし触れないし、不確かなものは信じない!でも科学には根拠があるから信じる」

このように主張する方もいらっしゃることと思います。

確かに科学とは検証し論理で証明し、真理に近づく学問ではあります。

非常に繊細で情緒的、かつ抽象的な存在である霊界や守護霊やスピリチュアルを信じるよりも科学の方が確実であると感じるのもわかる気がいたします。

しかし、本当に科学は確かなのか?と突き詰めていくと非常に怪しくなって参ります。

「いやいや、科学的に解明されたことは間違いない事実でしょ?」

という意見もあるかも知れません。

でも、そうとばかりは言えないのではないかなと思ったりもします。

なぜなら、科学とはまずは、仮説から入るものだからです。

仮説とは、「〇〇なんじゃないかな?」という不確かなものをあえて真実として仮定するものであります。

そして、仮説が本当であるのか証明するために実験したり検証したりするわけですね。

検証の結果、真実であるとされたものは、真理として学会に発表されたり、その真理を活用して、日常生活に生かされる道具が開発されたりするわけです。

「ほら!やっぱり科学は確かなものではないか!?」

とたたみかけられてしまいそうですが、問題はこれからです。

科学というものは、常に進歩向上しています。

一度、確かであると認定された科学的真理もしばらくすると別の説が表れて、否定されてしまうことがあるのです。

たとえば、ダーウィンの進化論というものがあります。

学校の理科の教科書で出てくるくらいなので誰もが知っている科学的理論の一つでもあります。

平たく言えば、猿から人へと進化したという説ですね。

この進化論は、有力な進化説でったために、私達は半ば真理として受け止めてきたところもあります。

だからこそ教科書にも載っているわけです。

しかし、このダーウィンの進化論は、昨今では誤りであるという説が有力だそうです。

理由としては、猿から人に進化したならば、猿から人に進化する途上の中間的な存在の生物の遺骨なり何かしらの遺物が出てきてもおかしくないはずなのに未だに発見されていないからということがあるようです。

この理由を受けて「いや、猿から人へは、徐々に進化していったのではなく、突然変異が起きたんだ!」という主張をして、やっぱり進化論は正しいとする声もあるようです。

しかしながら、この理論も欠落している点があります。

それは、突然の変異で猿が人になるのであれば、現在、上野の動物園の猿山にいる猿もいつかは突然変異して人間に進化する可能性を示唆しています。

では、はたしてそういう事例は過去にあったのでしょうか。

確認はされていません。

よって、突然変異説も仮説としてはありですが、真理とするには不十分だといえるでしょう。

どうでしょうか。

私は子供のころ、ダーウィンの進化論を聞かされた時は、そんなもんかな?と普通に信じていました。

猿と人間は動物的に近い生き物ですから、そのような進化が起こっても不思議ではないと思ったからです。

しかし、仮説としてはともかく、真実とは言い切れないことは明白なのです。

このように私達が普段、科学的根拠として正しいと信じているものも実は、不確実な要素を含む不完全な仮説にすぎない場合が多いということです。

なぜならば、立証されたと想っても、必ず他の諸説が表れては、否定されてしまう可能性があるからです。

もちろん、科学が不確かなものであったとしても、私達は科学の、あるいは科学的技術の恩恵にあずかって暮らしています。

大切なことはこの点にあります。

この世に完全なことはありません。

いくら論理的な思考で正しさを導きだせたとしても、どれだけ実証を繰り返したとしても、何かしらの事実が判明したり、新たな仮説の検証途上で覆る可能性はあるのです。

それでも、科学をよりどころとして生きていくのは、一つの信仰心であるといえるのではないでしょうか。

スピリチュアルや霊界を信じなくとも科学であれば信じるという一つの信仰心の表れではないかと思うのです。

とても面白いことなのですが、スピリチュアルは信じないけど、それを心理学に置き換えたり、脳科学で説明されると信じるという人もいます。

不思議なことですが、これも信仰心がなせる技なのではないかと思います。

論理と現実思考重視情緒と感性の霊界思考重視かの違いだけかと感じます。

いずれにせよよりどころは、人それぞれ違います。

共通していえるのは、何かしらのよりどころとなる信仰心が私達には必要だといえるのではないでしょうか。

私は、このブログを通して、スピリチュアルや守護霊、霊界というメタファーを通して、一つのよりどころを提供していきたいと思います。

そして、このよりどころが一人でも多くの人の幸せと魂の向上につながることを願っています。


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こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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