【夏休み霊界開運講座】お賽銭箱は何を語るか

さて、本日も夏休み企画の【夏休み霊界開運講座】第三弾を張りきっていきたいと思います。

今日のテーマは、神社や仏閣に詣でると拝殿の前に置いてある賽銭箱について、お話したいと思います。

でも、その前に前回の記事でご質問を受けたので、回答してみたいと思います。

ご質問の内容としては、名前や住所を細かく申し上げた方がよいことはわかったけれど、周りに人がいると恥ずかしいのでやりずらいということでした。

そうですね。

別に大きな声で奏上する必要はないのですよ。

お祈りの方法には3つありまして、一つは神主さんが祝詞を読むようにしっかりと声に出して祈る方法。

もうひとつは、言葉には出すけれど、自分に聞こえるくらいの声でぼそぼそとお祈りする方法。

黙って胸の中で祈りをする方法。

この中で私は二番目のぼそぼそと(笑)お祈りする方法を推奨いたします。

言葉に出した方がより気持ちもこもりますし、かといって大きな声は周囲の参詣客の迷惑にもなりかねません。

なので、聞こえるか聞こえないかわからないくらいの声でお祈りすれば、恥ずかしくないし迷惑にもならないと思います。

以上、回答になっていれば幸いです。


さて、ご質問にもお答えできたので、本日のテーマに入っていきたいと思います。

神社や仏閣に参拝すると必ず拝殿やあるいはその前の入り口付近などに賽銭箱が置いてありますね。

時々、観光地としてメジャーなところや資料館などの付属の施設の場合には入場料金や拝観料を設けているところもありますが、賽銭箱はそういったものとは意を異にする存在なのです。

入場料や拝観料ならば必ず一定額を支払うという決まりになっています。

しかし、賽銭箱は強制力はありません。

いくら納めるのかというのも決まっていません。

極端な話をすれば、お賽銭を入れずに帰ったとしても別にとがめられることもないのです。

もっとも、神社に詣でるような方は信心もある方が多いので、いくらかはお賽銭をされることが多いように思われます。

このようにお賽銭を納めるも、いくらするのかも自由である方式を「お志」といいます。

よく勘違いをされている方が多くいらっしゃるのですが、神社で御守りを頂いたり、破魔矢を頂いたり、昇殿での参拝をするときには、お金を納めるわけですが、これはそれぞれの物やサービスに対価を払っているわけではないのです。

全ては神仏への真心をお金という形で表しているにすぎません。

だから、「御守りを買って料金を払った」とか「神主さんにお祓いしてもらった料金を支払った」というビジネスライクな取引のような感覚は全て、本来の意義からはずれているといわざるを得ないのです。

たとえ、御守り一個500円などとある程度の金額が示されていたとしても、それは、一つ目安のためにつけられたものであり、決して物品に対する料金ではないのですね。

このことを踏まえてみるとなぜ、お賽銭箱が「お志」という方式をとっているのかがわかると思います。

物言わぬ賽銭箱のその向こうには神仏が祭られている神域、霊域が広がっています。

おそらくどの神社、仏閣もそのような構成になっているかと思います。

これは、「あなたの志を拝見しよう」という神仏の御心の表れでもあるのですね。

別に5円を放り込んでも、あるいは何も納めなくても神仏は罰を当てたり、怒ったりはしません。

「5円で願いをかなえろ?ずうずうしい!」と憤ったりはしないですし、「お布施がないとはけしからん!」と神仏が残念に思うことはないのです。

ただ、参詣している人の真心とその志を見ているのですね。

「いろいろと願いがあるようだけど、どれだけ真剣なのかな?」

という神仏からの問いに対して、自分の「志」を表明するからこそ、「お志」と呼ばれるゆえんなのですね。

「お金をあげるから願いをかなえてね」というのは間違いですし、「お金なんか神様なんだからいらないでしょ?」というのも間違いなのです。

全ては自分の志を表明するために静かに賽銭箱はたたずんでいるわけですね。

もちろん、賽銭箱に限らず、御守りを頂くのも、お祓いを受けるのも、昇殿参拝も、護摩木祈願も全部同じなんですね。

この自分自身がどれだけ神仏と向き合い真心をもって人生を生きていくつもりがあるのか。

その志を表すためにお賽銭箱は、いつも言葉になるぬ言葉で参詣客に語りかけているのかと思います。

この点を理解したうえで、神社、仏閣でお賽銭やお玉串、あるいは何かしらの神事、仏事でお金を納めるときには心を正して向かった方がよいのではないでしょうか。

その志の大きさに神仏は答えてくれるものなのかも知れません。


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有り難う御座いました

天心様 参拝の仕方良く解りました。有り難う御座いました。blogが神社、神様の事でしたので関連でお聞きしたい事があります。神社仏閣に御詣りするときに、我々は自分のお願いをすることが多いと思いますが、何々になりたい…何々になりますように…と。しかしこれは現状否定であり、神様仏様に対して大変失礼にあたるのではないでしょうか?神社仏閣はお願いをするところではなく、感謝の気持ちを伝える場所なのではないでしょうか?それとも、お願いをしてもよいのでしょうか?お導きお願い致します。

No title

お賽銭も、お守りを頂くときにおさめさせていただくことも
どちらも志なのですね。
お守りを頂く際の心持がまた変わってきました。

お守りというと、それが良い方向に導いてくれるという、私の中では今まで他力本願な、守ってくれる魔法のもの、のような位置にありました。
ですが、今日の記事を拝見することで、お守りを頂く際におさめさせていただくお金も、志、となるのならば。

そのようであれば、お守りは、○○に向かって努力します、と神様に誓ったことや、神仏と向き合うことへの証、それらをお守りを見ることで心にとめておくもの
他力本願ではなくて、自分への戒めのようなものなのかもしれないなと感じるようになりました。

お守りを見て、神様に、応援してもらえる自分であるかどうかを、自問自答するきっかけになるといいましょうか…。

神様に、がんばれ!と見守ってもらえる自分になれるように
精進していきたいです。

夏休み講座、これからも楽しみにしています!
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天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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