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相対的幸福から主体的幸福へ

幸せとは感性であり、感情であり、心の中にある。

幸せの形は人それぞれにありますが、同じ形を持っていても、幸せを感じる人と感じない人がいます。

なぜ、人によって同じ幸福を手に入れても、感じ方が違ってくるのでしょうか。

様々な見解はあるかと思いますが、その中でも今回、問題提起したいこととして「相対的幸福」というものがあります。

相対的幸福とは、すなわち比較によって生まれた幸せ感覚であり、得られた形の質や量を比較することで生まれる幸福のことであります。

相対的幸福があれば、相対的不幸もあります。

これは、たとえば、結婚して、子供もいて、持家もあって収入もそれなりにある方がいたとしましょう。

このようにいえば、十分幸せであるように感じる方も多いと思いますが、それでも自分を不幸だと感じる人はいらっしゃるものです。

なぜかというと、それは相対的幸福の中に生きているからです。

結婚したいけど、なかなかご縁がない方からすれば、結婚できただけでも幸せであると考えることもできますが、これが友人の伴侶は、優しくていつも記念日にはプレゼントをくれたりするけど、それとくらべて、自分の得た伴侶は何にもしてくれないとか、お隣さんの旦那さんはお金持ちだけど、自分のところは、生活ぎりぎりの収入しか得られていないとかいろいろ比較すると違いがあるわけです。

子供がいても、親戚のうちの子供は東大に入れるほど頭がいいけど、自分家の子供は勉強がさっぱりできなくて、いつも成績表を隠してみせない(笑)とかあるかも知れません。

持家もお隣は新築だけど、うちは中古の40年物だとか(笑)あるのかも知れません。

この世に同じものが二つとない以上、比較すれば必ずそこに違いが生じます。

この違いのギャップに応じて幸福、不幸を決めてしまうことを相対的幸福といいます。

比較した結果、その比較対象よりも上位にあるとき(あるいはあると思える時)は幸せを感じられるわけです。

逆に自分が比較対象よりも下位にあるとき(あるいはあると思える時)は不幸を感じることになります。

こういった相対的幸福からは比較をすることでしか幸せを生み出すことができないという問題点があります。

しかしながら、このような反論もあるかと思います。

「上ばかり見るから不幸になる。自分より下のものと比較すれば幸せになれるのではないか?」

なるほど、確かに相対的幸福で考えるならば、自分よりも恵まれていないと思えるものに意識を合わせれば、自分の今の状況を幸せに感じることができるかも知れません。

たとえば、結婚したくてもご縁がない人と結婚している自分を比較すれば、結婚できている分だけ自分は幸せと感じるようになるかも知れません。

しかし、この考え方は非常に危険な状態になることをはらんでいます。

また、たとえ話をさせていただきます。

とても中の良いA子さんとB美さんがいたとしましょう。

二人は背格好も似ており、センスも同じで気が合う友達同士です。

お互い彼氏もおらず、収入もそこそこのOLさんです。

いつも、二人で会うと会社のことの愚痴や彼氏ができないことの愚痴を言い合っています。

二人は大の仲良しなので、二人でいるととても癒されて幸せを感じています。

A子さんはB美さんといると、「私だけ彼氏がいないわけでもないし、B美だって私と変わらないんだし」と思えるので、なんだか癒されるのです。

一方、B美さんも同じようにA子さんに対して癒されて幸せを感じているわけです。

ある意味、均衡がとれた二人の関係ではありますが、ある時、変化が生じます。

彼氏がいないと愚痴を言い合っていたB美さんに彼氏ができたのです。

そして、B美さんはたまたま人の紹介で転職を果たし、職場環境も改善されて収入も上がったのです。

それを受けてA子さんはどう思ったことでしょう。

仲の良い友達が幸せを得たのだから本来ならば祝福の思いがわきあがってもおかしくはありません。

しかし、実情は違います。

A子さんは言い知れぬ不安と不幸な感じを得てしまいます。

それどころか、心のどこかでB美さんの幸せをねたみ、引きずり下ろしたいとすら考えてしまっているのです。

もちろん、A子さんはB美さんが好きで大切な友人だという意識はありますが、どうしても心のどこかで、素直に喜べない気持ちになってしまっているのです。

実はこれが相対的幸福における危険性なのです。

A子さんの幸せは相対的にB美さんと比較することで生まれていた相対的幸福でありました。

それゆえに、B美さんに依存した幸福は、B美さんが自分と同じかそれ以下の状態の時にしか成り立たないものであったのです。

だから、どうしてもA子さんはB美さんの幸せを心から祝福できないことになってしまったわけです。

では、A子さんは本当はどうしたら心からB美さんの幸せを祝福できる気持ちになれたのでしょうか。

それは主体的幸福ということを確立しておけばよかったのです。

主体的幸福とは、比較ではなく、ただ、自分の信念と志、目標に向かうことで、そのプロセスに幸せを見出すことで得られます。

比較を行わず、自分の主体的信念に従うので、一切の他への依存がありません。

他人がどうであろうと関係ないのです。

主体的幸福の中ではたとえ隣の芝生が青く見えても関係ないのです。

自分の芝生を青くすること、自分の夢をかなえること、志を全うすることに重きを置いている生き方は、比較することで幸せを得る方法と違い、他人と比べることで生じるいかなる危険も回避します。

友人が幸せになれば、素直に祝福できますし、不幸な人を見れば、慈悲の心を持つこともできます。

なぜならば、しっかりと自分の主体的幸福を得ている人は他人に対して余裕があるからです。

自分の幸せに他人の状況が介入しないからです。

比較することで幸福を得る方法はいつだって他人によって崩されてしまうものでもあります。

自分でコントロールできない幸せだともいえます。

主体的幸福に切り替えることで、自分自身の手に幸せになる鍵を取り戻すことができるのではないでしょうか。



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ジャンル : 心と身体

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