良き師を見つける方法

何事も学びを深めていくためには、良き先達や師となる存在が不可欠になってきます。

宮本武蔵などの歴史・時代劇小説家の吉川英治氏は、「我以外皆師なり」という言葉を残しておられますが、私もこれにちなんで同じように全ての人、存在が師であると思っています。

いかなる人も良き師となってくれる可能性は多々あります。

それぞれに特技もあれば、専門分野を持っているかも知れませんし、どのような人が師になってくれるかはわからぬものです。

だからこそ、いかなる人にもその個性に経緯を払い、学ぶべきところは学んでいく姿勢が大切です。

さて、私の師というものに対する基本スタンスはこのような感じではありますが、では、良き師となってくれる人をどうやって見つけるのかということについて少しお話してみたいと思います。

いくら「我以外皆師なり」といってみても、誰から何をどう学べばよいのかわけもわからぬまま、お題目のように唱えてみても意味は薄いというものです。

では、まず、師とは何かということについて考えてみましょう。

通常、師というと何か専門的な知識や技術を持っている人のことを思い浮かべることと思います。

特別な自分にはない何かを持っているから、それを学ぼうというわけです。

この考え方は半分は正しいといえるでしょう。

しかしながら、それだけでは師としては不足分があると言わざるを得ないでしょう。

なぜならば、知らないことを教えてもらうというだけならば、本を読んだりするだけでも学べてしまうところも多いことでしょう。

師と仰ぎ、教えを請うのにはもう半分の要素が必要になってきます。

それは、自分の見えていないものを見る力を持っているかどうかです。

どういうことかといえば、私達は皆、自分自身の見解や考え方、行動パターン、背後の霊界、霊統、様々な個別のものを背負っています。

私達は自分の霊界のフィルターを通してしか物事を図ることができないのです。

たとえるならば、魚は海や川の水の中のことはよく知っていますが、陸地や空のことは知りません。

知らないというよりも、知ることができないと言った方が正確でしょう。

なぜならば、そもそも魚は陸地に上がろうとか、空を飛ぼうなんていう発想すら思いつきません。

犬とか猫などの哺乳類は陸地を知っていますが、水の中のことはよく知らないですし、空のこともわかりません。

それはただ知らないということではなく、意識すらしないということです。

昔、聞いたお話である島に生息する猿がイモを洗って食べるようになった経緯についてのお話をご紹介してみたいと思います。

ある島では猿達は薩摩芋を主食として生きていました。

地面からイモを掘りそのままかじりついて食べる。

誠にシンプルな食べ方です。

野生の猿ならばそんなものでしょう。

その島の猿は陸地では森林の中を自由に行き来して活動的ですが、決して海側には近づくことはなかったということです。

猿は水中での活動は得意ではないのです。

というより、水の中に入るという発想すら思いつかないのですね。

しかし、ある時、猿はあることがきっかけで、海に入ってしまいます。

イモを海に落としてしまったわけです。

大切な食糧であるイモを海に落としてしまって猿は大慌てで、海に入りイモを探し当てます。

そして、海水に浸ったイモを一口食べると衝撃が走ります。

「まいうー!」(笑)

ちょうど海水で塩味がついた薩摩芋は猿にとって衝撃的な美味しさだったわけです。

それ以降、猿はイモを海水で洗って塩味にして食べる習慣が根付いたということです。

もちろん、陸地だけが生活圏としてしか見えていなかった猿たちに新たな視野が広がったことはいうまでもありません。

この島の猿は、海にイモを落とすというアクシデントがなかったならば、永遠に海のことを知らずに生きていたことと思います。

さて、大きく話が脱線しているのでもとに戻すと良き師とは何かというと、「自分が自分であるがゆえに見えていないものを見えるようにしてくれる存在」であるといえます。

私達、人間は猿よりは賢い動物だと自負しているところがありますが、それでも、猿と同じように自分のテリトリーや見解、習慣、考え方から抜け出せない一面を持っています。

自分はなんでも見えていると思い込んでいる人でも、必ず、自分の枠を超えたところには目が届かないものなのであります。

だから、その目の届かないところを目が届くように導いてくれる存在が良き師であるといえます。

別にこれは特別な知識や技能を持っているということとは関係がありません。

自分に見えていないものを見て指摘してくれる人、あるいは存在が良い師となりえるわけです。

なので、子供でも大人でも、女性でも男性でも、専門知識があろうがなかろうが関係ないのです。

自分とは異なる視点から自分が見えないものを見るためには、常に先入観なく俯瞰して見てくれる存在が良き師だといえるでしょう。

もちろん、実際にはそこまでの技量のある良き師を得ることは難しいかも知れませんが、自分自身が先入観を捨てて、様々な自身に送られてくるメッセージに耳を傾ける時、あらゆるものが師となり、正に「我以外皆師なり」の境地に立てるのではないかと思います。

ですから、良い師を探したければ、自分の見えないところを見てくれて導いてくれる存在を探すか、自分以外のあらゆる現象、存在を通して無形の教えを受け取れるようにすることで、自分にとっての良き師を見つけることができるかと思います。


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