キリスト教と霊界

今日はクリスマス(´∇`)<Merry☆Christmasということで、クリスマスにちなんだお話をしてみたいと思います。

さて、クリスマスといえばキリスト教ですね。

どちらかといえば、イベント、お祭り的な楽しみとしての要素が大きいので、厳粛なイメージは日本ではそれほどありませんが、それでも、なんとなく、聖なる気持ちになる部分はあったりしますよね。

キリスト教は、簡単に言ってしまえば、イエス様を信じましょう。そうすれば救われますよという宗教です。

もちろん、それほど単純ではないですが、あえて単純化するとそのようにまとめることができます。

もともと、イエス様はキリスト教の教祖というわけではありません。

山上の垂訓などに見られる教えを説かれた時には、キリスト教というものはありませんでした。

存在したのは旧約聖書(当時は旧約とは言われていない。あくまで聖書)などの律法の書であり、その律法の書というのは、神様との約束といかに人間は生きるべきかが説かれた教えの書であります。

当時は、その聖書に記された律法に従うことが神様に従うことであり、救われる道だとされていたわけです。

ですから、イエス様が教えを説かれていた時代というのは、あくまでキリスト教ではなく、あえて言えばユダヤ教、神の言葉が綴られた律法の書に従うという信仰があっただけです。

キリスト教の霊界というものは、当時はまだ存在してもいなかったのです。

もちろん、律法の書が織り成す、霊界は存在はしていたはずです。

なぜならば、当時の人々は、信仰のよりどころは律法に従うことしかなかったからです。

そこへ、イエス様が現れて、全く思いもよらない角度から新たな霊統が生まれるきっかけを作られたのです。

今までは律法に従うことのみが神に従うことになるとされていた考え方に「愛」をもって神とし、隣人を許し、愛しなさいという、考え方が加わったのです。

本当はもっと専門的で神学などでは複雑な解釈もあるのでしょうけれど、あえて単純化して考えれば、一番のポイントは、「愛」という概念に重きを置かれているかどうかという点ではないでしょうか。

そもそも、隣人を愛せとは、自分の近くにいる人という文字通りの意味もあるかとは思いますが、これは、自分の敵対したり、相対する相手をも愛で包みなさいという教えでもあります。

律法という枠組みを超えて、「愛」で人を救おうとするところにイエス様の説かれた骨子があるのではないかと思います。

キリスト教の織り成す霊界の良いところは、このイエス様の愛という波動が満ちているところでもあります。

どこまでも愛で、例え罪人であっても、許しがたい人であっても、許し、愛し、育もうとする救いのエネルギーがある霊界がキリスト教の霊界の良いところだと思います。

もちろん、欠点もあるのですが、それは、今ここでは言わないでおきましょう。

それよりも、折角のクリスマスの日です。

今日は、いかなる罪も許される日です。

いえ、いかなる罪も許し難きことも、愛で包んで許していくことを考える日であるのが良いのではないでしょうか。

だから、今日は人を許し、自分も許し、罪も許し、愛で締めくくる一日となることを願っています。


天心 拝


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