質と量で自分を越えよう(その2)

質と量で自分を越えよう」の続きになります。

前回は、自分を越えられない、自分の霊界を変えてゆけない原因に人間が根源的に持っている動物的本能があるということまでお話させていただいたと思います。

どうしても、難しいことや、未知の領域には「危険」を感じてしまう本能が働き、自分を超えていくためのチャレンジをするということができなくなってしまいがちです。

自然界においては、危険を察知するこの本当は非常に重要なのかもしれませんが、ある程度、危険から隔離された人間社会を生きる私達には、この本能は時として行き過ぎて働いてしまうというわけです。

ですから、この本能から自由になっていくことが一つの自分を超えていくためのポイントにもなります。

さて、ここで少し私自身の昔話をしてみたいと思います。

私は10代から20代までの間、それなりに多くの本を読んできたつもりです。

中でも古典と呼ばれる書物は大変な影響を私に与えられたと思います。

「論語」や「孟子」、「中庸」「大学」、「老子」などもよく読みました。

それから禅宗系ならば「碧巌録」「臨済録」「六祖壇経」など他にもいくつか読んだ記憶があります。

いちいち、上げていくとキリがありませんが、読んできた本には、当時、非常に難解でさっぱり理解できないものも含まれていました。

何しろ古典というものは、現代語訳されていたとしても、内容が深いため、すぐには理解できません。

なので、最初、手にしたときはチンプンカンプンであったものもあります。

普通、自分の理解を超えすぎている本には手を出さない人も多いと思うのですが、私は違いました。

わけが分からずも、ともかく読み進めたのです。

そうすると分からるところとわからないところがでてきます。

頭はぐるぐるして、おかしくなりそうになりますが、1ページずつと細切れになっても読み進めました。

もちろん、無理やり読んでいたので、読み終わった後もしっかりとはわからないところはあるわけです。

それでも、私は躊躇なく、自分にとってわけがわからない本を読み続けていたものです。

そうすると不思議なのですが、段々とおぼろげですが、理解できるようになってくるものなのです。

そして、大事なところは守護霊がパッと閃かせてくれたりして、一挙にその本で学ぶべきところを悟るのです。

こういう経験を繰り返すことで、今では全く、自分の理解を超えた本を恐れることはなくなりました。

なので、自分がさっぱりわからないかもしれないと思う本でも平気で読みます。

理解できようができまいが、とにかく読むのです。

そうすることで、自分の中の「難しいことから逃げ出そう」とする本能を克服してきたわけです。

これは本だけではなく、全てにおいて同じことが言えます。

今の自分というものの判断を入れずに物事に取り組むという訓練をすると、本能を超えていくことができます。

すなわち、どんなものでも学び取る力というのは、自分という名の狭い了見を超えられられるかどうかにかかっているのです。

脱皮できない人というのは、いつでもリスクを恐れて(恐すぎて)、本能に振り回されてしまう人だということもできるかと思います。

だから、自意識を動かさずに物事に取り組むということをすることと、その上でとにかくまずは量を得ること。

そして、なるべく自分の枠を超えた難解かあるいは自分には手に余ると思えるようなことに淡々とチャレンジしていくことが自分を超えていく一つのやり方になることでしょう。


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