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浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)について

浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)とは、地獄の裁判官である閻魔大王(えんまだいおう)が被告である死者の生前の善悪を詳らかに映し出す鏡であるとして仏教説話では説明されています。

もちろん、これは仏教説話というメタファー(暗喩、比喩、たとえとしての表現)ではありますが、スピリチュアル的に見た場合、実は浄玻璃鏡は存在しています。

これは、霊的なメカニズムで自らの本質やあるいは歪みが生じている部分を実感させて、直面させること浄玻璃鏡の霊法、あるいは真澄の鏡の霊法と言います。

例えば浄霊の時に悟霊(ごれい ※霊の抱く誤りや歪みを諭し、ある程度、霊波動を整えること)させる時に使用する霊法の技になります。

霊法のことなので詳しくはここではお話できません(メールやコメントで質問されても回答はできません)が、霊人も理由があって不成仏霊になっているわけですから、単純には霊界に帰るように諭しても、はいそうですかとは納得しない場合があります。

その場合に自分の歪んだ部分に直面させる浄玻璃鏡が必要になってくるわけです。

この浄玻璃鏡の霊法を行うとものすごい、苦痛や嫌な感じを受けたり、目をそらしたくなったりします。

時には、反発心が起こって、イライラしたり、攻撃的になったり、ともかく、落ち着かなくなるのです。

でも、霊人自身の不明を悟るためには、どうしても、自分の歪みと直面しなければならないことも事実なのです。

常に霊法を行うわけではなく、必要に応じて行います。

なぜならば、やり方を間違えると余計に邪霊化してしまう可能性もあるからです。

さて、この浄玻璃鏡ですが、霊界においてだけ存在するわけではなく、現世にも存在しています。

「えっ!?本当に?」と思うかもしれませんが、事実です。

もちろん、鏡の姿をしているわけではありません。

それは、人の言葉だったり、行動だったり、あるいは何かの事象であったり、姿形は様々にあります。

誰もそれが浄玻璃鏡とは気づいていませんが、自分の不明に直面せざるを得ない何かを与えてくる存在は、浄玻璃鏡であると思って間違いないでしょう。

浄玻璃鏡に触れると自分自身が所在無さを覚えたり、不安になったり、自分が否定されたような、反発したくなるような気持ちになります。

そうしないと自我(エゴ)が維持できなくなるから必死で抵抗しようと反応がでるのです。

浄玻璃鏡に接したときに大切なこととしては、反発心に任せるまま物事を判断しないということにあります。

反発心や嫌な感じが起こっても、その実体をしっかりと審神(さにわ)して、自分自身に歪みや呪縛観念の存在に気づき、それを取り外すことができた時、さらなる自身の魂の向上が待っています。

それに気づかずに感情に流されると自分の中の歪みを益々、助長してしまう可能性があるということです。

なので、浄玻璃鏡に触れたと思われる瞬間はダークサイド化の危機ともいえるし、成長・脱皮のチャンスともいえます。

どちらにゆくかは、主体的意志により如何に自身を律することができるかにかかっているのかと思います。

この世に存在する浄玻璃鏡はいつどこで遭遇するかはわかりません。

偶然聞いた話、ニュースや職場での出来事かもしれません。

もしかしたら、このブログやFGSの会のメルマガや教材の中に潜んでいるかもしれません。

いかなる時でも自分を律する気持ちと審神の心があれば、惑わされてしまうことはないでしょう。

浄玻璃鏡に映る自分の姿を直視できるぐらいになれた時、私達の魂もより透明度の上がった神界に近い魂になったといえるのかも知れません。


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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
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