神仏は天罰を与えない

こんにちは!

天心です。

今回は、急遽、コメントを頂きましたことに対する回答となる内容をお話していきたいと思います。

テーマは、「神仏は天罰を与えない」というものです。

昨夜、コメントを頂いたのですが、管理人のみが参照できる秘密コメントの設定での投稿でしたので、コメントの記載内容の掲載は控えさせて頂こうと思います。

ただ、この質問に対する返信は、他の方にも知っておいてもらいたい内容でもあると思われます。

ですから、私からの回答となるところだけを記事という形で掲載させて頂こうと思います。

あくまで、この話は一つの霊的な解釈であり、ひとつの見方に過ぎません。

絶対的な正しい解釈ではありませんので、必ずしも質問された方、そして、読まれている読者の方が納得できる内容となっているかどうかはわかりません。

しかし、大きな災害などに遭遇した際の一つの解釈のヒントとして受け止めて頂けるかと思います。

さて、回答に入る前に、どういった質問を受けたのかということをかいつまんでポイントのみをお話したいと思います。

御存知のようにこの度、3月11日の14時46分に東北・関東において大地震が発生致しました。

多くの方が被害にあわれて、お亡くなりになられた方もいらっしゃいます。

本当に恐ろしい、そして、深い慟哭を覚える出来事です。

今なお、余震が続いたり、福島県にある福島第一原発の核燃料棒の露出による放射能汚染、電力供給不足による大規模停電の可能性、深刻な被害を受けた被災地への物資の運送が遅れている、そして、地震災害に伴う風評被害など本当にいろんな意味でまだまだ現実的な問題を抱えたままです。

大津波により尋常でない被害を受けた宮城県の人達、原発の脅威にさらされて住みなれた街を断腸の思いで離脱して他県への避難をしなければならなかった福島県の人達、そして、今なお強めの余震が続く、茨城県、他の地域でも報道されたりニュースに取り上げられていないだけで、被害にあわれた地域やその人々は沢山いらっしゃることと思います。

被災者の方にはお見舞い申し上げますという言葉を沢山、見かけることが多いなか、実際はそんな軽い言葉で済ませられないほどに、深く被害を受け、心底、傷ついている方達が大勢います。

私自身も言いようのない暗い、深い悲しみの波動からしばらくは動けなくなるほどでありました。

そのようなまだ、地震災害の傷が癒えない現状の中、霊的にはああだとか、神様はこうおっしゃっているだとか、今回の地震の意味だとか、とてもではないけれど、話す気持ちにはなれなかったのです。

しかし、ふさぎこんでいても、何も変わってゆくことはありません。

私にこのブログで出来ることは、どうしたら被災者をこれ以上増やすことなくバックアップできるのか。

自衛官や消防庁でもない私ができることといえば、募金、節電くらいなものです。

もちろん、それだって大切な愛と真心からの行いであり、尊い行いです。

それはそれで行ってゆくべきことでしょう。

そして私は奇しくもブログという媒体を通して、霊的なお話をさせて頂いて参りました。

それならば、霊的な視点で被災を最小限度に抑えるための心構えをお話することも一つの方法ではないかなと思いいたったのです。

少なくとも地震の災害にあわれて、不安に思っている方、今後、災害に遭遇する可能性を最小限に抑えるためにどういう心構えが必要であるのか。

これがわかれば、少し、安心して頂けるのではないかなと思い、ブログでお話をする決心をしたわけです。

決して上から目線で地震災害の霊的な講釈を単なる知的好奇心を満たすためにお話したいわけではないのです。

出来る限り、誰にも被害にあって欲しくない。

これが本心です。

・・・前置きが長くなりました。すいません。。

ご質問頂いたのは、今回の地震でなぜ、罪もない人達も亡くなったり、尋常でない被災を受けて苦しまねばならないのか。

神様は悪い人だけでなく、良い人にまでこのような仕打ちをされるのはなぜか。


要約しますとこのような趣旨のコメントでありました。

このコメントには一つ大きな誤解があるように思えたので、まずはこの誤解を解いてゆきたいと思います。

まず、神様、神仏は人に天罰を与えたりはしないということです。

地震発生を受けて、石原都知事が、「今回の地震は天罰だ」というような発言をしたことが問題となりました。

この発言の真意は、おそらく別にあるのだとも感じるのですが、被災にあわれ、住居をなくし、家族や親類、友人を亡くした人達からすれば、「何が天罰か!」と憤りを覚えるのも無理はないことです。

言葉とういものは、時として、人の心をえぐってしまう場合があります。

状況をわきまえて発言する必要があるというものです。

さて、この言葉に象徴されているように人は大きな災難に遭遇すると、そのあまりに大きな代償から天を仰ぐ気持ちになります。

そのような時に、これは何か神仏の罰か何かなのかと考えてしまいがちになります。

しかし、繰り返しになりますが、神仏は決して人を裁いたり、罰を与えたりをしません。

もちろん、神霊と呼ばれる存在も同じです。

「天に唾を吐けば、唾を吐いた者に降りかかる」

このような例えが昔からあります。

これは、「天に唾を吐いたから無礼だと天が怒り、唾を吐いた本人に浴びせかけて罰を与えるのではない。天に向かい唾を吐けば、天地の法則に従って唾は自分の元へ返るだけだ」ということを表す例えです。

あくまで物事が発生するのは、大前提として法則が存在して、その法則通りに事が進むだけで、誰かが意図的に起こすわけでなないとうものがあります。

もちろん、世の中には人為的に発生させられている物事も多くあります。

特に人間はそれぞれ思惑を持って生きているために、その思惑により環境や状況に変化を与えようと行動して意図的に物事を発生させながら日々を生きています。

人間の意図には様々あって、大局に立ち、皆が幸せになれるようにという大きな思いを持って行動する人もあれば、自分の利益だけを優先して、愛や真心とは程遠い行動をとる人もいます。

残念ながら人間は完全からは程遠い生き物であると言わざるを得ないでしょう。

だから人間の行動はいつでもどこか、偏りがあるものであり、欠落しているものです。

そこを埋めてゆくように心がけて日々を生きることが、人生の意義でもあります。

神霊神仏というものは、この偏りが限りなくなくなり、愛と真心で満たされた存在であるともいえます。

そんな存在が恣意的に人に罰を与えたりすることはないのです。

なぜならば、裁きの心はエゴの一つだからです。

「あの人はいい人だ」「この人は嫌な人、悪人」

人は得てして物事を善悪をつけて考える癖があります。

世界には様々な思惑を抱えた人がいるために、それをうまく調整して仲良く暮らしてゆくためにはある程度のルールが必要です。

そして、ルールを破るような人には、ペナルティなどを課すことで、ルールを尊守させようとする仕組みになっています。

そのため、どうしてもルールというものを中心に裁きを行う必要がでてきます。

この世に生きる人達が全てエゴから解放されて、皆と調和することが自然とできるようになったならば、本来はこの裁きを行う機能は必要がないはずです。

しかし、現実には、エゴに囚われた人が多いために、裁判所などが代表してルールにのっとり裁きを行っているわけです。

そこで疑問に思われる方もいらっしゃるかと思いますが、なぜ裁きの心がエゴであるのかという点についてお話したいと思います。

人間が不完全だというお話を先ほど致しましたが、不完全な人間がそもそも、公平で正しい判断による裁きができるのかという問題があります。

国家の法律等は、なるべく公平な判断を念頭にして作られているとは思いたいですが、それでも、やはり人間が作った法律であり、それに基づき判断し裁定をするのも、不完全である人間です。

不完全な人間が完全に公平な裁きを行えるはずはないのです。

だからこそ、人を裁くという発想は本来的にはエゴの産物だと言わざるをえないのです。

現実に裁きが存在するのは、嫌な言葉ではありますが「必要悪」以外の何物でもありません。

誰も人を裁けない。

もちろん、神霊も神仏もです。

だから我々が誰かを悪と決め付けたりすることも一つのエゴであるのです。

この観点に立つと神仏が良い人、悪い人を区別して裁いたりはしないことがわかるはずです。

良い人、悪い人と区別して考えるのは人の偏った視点から生まれたエゴに過ぎません。

このようなお話をしてもにわかには納得できない。

こう思われる方もいらっしゃることと思います。

今回の震災においても、健気に人を救うために尽力する人、一生懸命、復興に頑張る人もいる中で、火事場泥棒などを行ったり、この混乱に乗じて詐欺を働いたり、皆が頑張っている時に自分勝手な行動をとる人もいます。

頑張っている人は良い人だけど、迷惑かけて、非人道的な行動をとる人は悪人ではないか。

このように思われる方も多いでしょう。

私もそう思います。

未曾有の危機だからこそ、皆で手を組みながら、頑張って苦難を乗り越えなければならない時に、犯罪に走り、自己利益のみに走る姿を視えれば、悪人と感じてしまいます。

実際に自己利益のみを考える人はエゴにより悪想念の毒が蔓延しているのがわかります。

私だって憤りを感じます。

しかし、神仏の視点から観た場合、彼らこそ哀れむべき対象であったりします。

なぜなら、その悪想念の毒とそこから出た行動により、負のエネルギーを自らに蓄えてしまっています。

当然、背後の霊界も下部霊界の底の方になります。

今は生きながらえて、普通に幸せに暮らしているように見えても、必ずその負のエネルギーにより暗く重い方向へ引っ張られていくのです。

これは天罰ではありません。

法則なのです。

そして、このような負のエネルギーが蔓延して蓄積し始めると、災害という形や様々な大きなトラブルとなって噴出してくるのです。

神霊や神仏は全ての人を救おうとしています。

善人と悪人という裁きを行いません。

ただ、悪人と呼ばれる人達は負のエネルギーによっていつかその報いを受けることにはなるでしょう。

そのタイミングは、人によっても違うのです。

また、善人と思われている人も実は家系から来る負のエネルギーを引き継いでいる場合があります。

これは、家系という単位で蓄積されて継承されてきた負のエネルギーにより、大きな災害を引き起こそうとしている霊界と自分の背後にあった負のエネルギーを蓄えた霊界が感応しあうことで、災害に巻きこまれてしまうケースもあります。

負のエネルギーの顕現化のプロセスというものは、単純に考えれば単純なのですが、現実にあてはめると非常に複雑な現れ方をするので、一概にはいえないのです。

これが、善人、悪人ともに被害を被ってしまうことがある理由であり、一部の人が被害を受けているように見えてしまう理由でもあります。

今回の災害を逃れたとしても、負のエネルギーを浄化してゆかないかぎり、他の災業が顕現化していつしか巻きこまれる可能性もあるのです。

だから、大切なことは、善人とか悪人とか裁く心を捨てて、大愛による祈りにより、負のエネルギーを浄化してゆくことなのです。

そして、何より私は、もうこれ以上、誰も傷ついたり、亡くなられたり、苦しんだりして欲しくはありません。

いわゆる悪人であるならば、いち早く改心して悔いあらためて欲しいと願いますし、本当に健気に生きる善なる人が背後に持つ負のエネルギーにより災害に巻きこまれたり、思わぬアクシデントに遭遇しないで欲しいと切に願います。

そのための一つの方法をご紹介しているわけです。

もちろん、信じるか信じないか、受け入れるかどうかは、読者の皆様のご判断によるでしょう。

これ以上は私もどうすることもできないので、やれることをやっておこうと思うだけです。

長くなりましたが、以上になります。

まだ、伝えきれていないことが多々ありますが、このあたりで一度、締めておきたいと思います。



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