【解説】溺れている犬

溺れている犬」の解説編になります。

まだ、読まれていない方は、まずは上のリンクの記事を読んでから当該記事を読まれることをおすすめします。

さて、前回はなんともシュールな超ショートショートをお披露目してしまいましたが、あのままだと流石になんのことやらわからないと思うので解説をしてみたいと思います。

まず、お釈迦様がご登場されておりますが、仏教とは何の関係もありません。(笑)

ただ、芥川龍之介「蜘蛛の糸」に因んでご登場をいただいたまでです。

あと、犬に何の恨みもございません。(苦笑)

あくまで話の設定上なので、ご理解くださいませ。

以上を踏まえた上で解説していきますと、あのお話は、助けようとしているお釈迦様とそれをうまく受け取れない犬との間のジレンマが表現されています。

お釈迦様は慈悲の心で溺れている犬に手を差し伸べているだけなのですが、犬の方はなぜか、お釈迦様の救いの手をガブリっと(笑)噛んでしまいます。

なぜなのでしょうか。

噛まれたお釈迦様も反射的に手を引っ込めてしまったわけですが、結果的に犬は救いのチャンスを逃して、助かりません。

芥川龍之介「蜘蛛の糸」でも、地獄に落ちた男を救おうとお釈迦様が糸を垂らしますが、結局は男のエゴと自己中心的な振る舞いによって男は助からないという落ちになっています。

なんとも後味が悪いお話ではありますが、そもそも、これは、危地に陥ったものが陥る典型的なメンタリティに問題があるといえるのではないかと思います。

「溺れている犬」のお話もお釈迦様の目線で基本的には話が進められていますが、一度、犬の目線になって考えてみましょう。

犬は溺れていて必死になり、ともかく周りのことは見えていません。

もしかしたら、お釈迦様が通りかかる前にも人が通って助けようとしたこともあったのかも知れません。

でも、窮地に陥りすぎている犬には、救いの手なのか、自分をさらに苦しめる敵の攻撃なのか区別もつかなくなっています。

だから、近づくもの、本当なら感謝してその手を掴み、自ら救われようと謙虚な気持ちになったならば、お釈迦様の慈悲の心が理解できたのかも知れません。

しかし、結果的にはそうならない。

ここに危地に陥った者が持つ焦燥感などに代表されるメンタリティの危うさが隠されています。

本当は川から引き上げてくれるはずのお釈迦様の手が、自分を川底へと沈ませる悪魔の手に見えてしまったりするものなのです。

だからこそ、追い詰められている時こそ、冷静にいつもの自分を取り戻すことが必要なのですね。

本来ならば溺れている犬は救われて当然のところなのです。

慈悲あるものならば、救われて欲しいと願われることでしょう。

しかし、そうならないのは、自らの持つエゴという業と真に向き合わないことにあるということを理解しておくことは重要なことなのではないでしょうか。


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No title

救いの道に至るには、 解説の最後の一文が真に決め手ですね。
生涯通じて この様な天の采配との遣り取りの連続になっていると感じるものです。

No title

こんにちは。

なんだか、迷いから覚めたような気持ちになりました。
冷静に。
悩んでばかりで、周りが目に入ってなかったようです。

いつも、ありがとうございます。
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天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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