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一流の生き方とは?

最近、たまたま、何かのニュース記事で目にしたもので、できる人は実践している事柄をまとめたような内容のものがありました。

それほど、気にして読んでいたわけではなく、目を通した程度なので、全般的にはうろ覚えなのでですが、その中で、このようなことが述べられていました。

「一流のものに触れること。そうすることで一流の生き方に自分を近づけることができる」

文言的には少し違うものだったようにも思いますが、ニュアンスとしては、このような感じだったと記憶しています。

この意見に対して、人それぞれに賛否や思うところはあるかと思います。

私としては、概ね同意といったところなのですが、少し別の考えといいますか疑問が浮かんできたのです。

「一流」という言葉はよく、世間では使われる言葉であるように思いますし、素晴らしいものを示す表現として頻繁に使われている言葉だと思います。

一流といえば、素晴らしいものという暗黙の了解があり、世の中には自分自身や自分が世に提言したい事柄をPRするためにも「一流」という言葉が利用されて、少し氾濫しているようにも感じます。

私はよく書店廻りをするのですが、本棚のビジネス本、自己啓発本などの棚を見るとよく「一流」という言葉を見かけます。

「俺は一流だ!」と暗にほのめかすタイトルのものもあれば、本の中で、「私は一流を知っている」「僕は一流の人と関わりを持っています」みたいな内容を書かれている方もいらっしゃるようです。

インターネット上でも「一流のやり方」とか「一流の○○」といったような表現が目立つことがあります。

そんなに世の中、一流だからけなのかな(笑)、そもそも一流って自分で言ってしまうのはありなのか?(苦笑)

なんて、ちょっと意地悪な考えが頭をよぎることもあります。

もちろん、人それぞれの解釈です。

いちゃもんをつける気はありません。

ただ、言葉というものは得てして、その本質を表さないことがあります。

どういうことかといえば、人によって言葉の定義が異なることが多いからです。

「一流」という言葉も多く使われている言葉であるものの、イマイチ、統一されていないようにも感じます。

そこで、少し、一流とは何かということについて考えてみたいと思います。

一般的なイメージを推測してみると、一流とはずば抜けて優れていたり、素晴らしいと認められているもの、著名であるもの、実績のあるもの・・・等いろいろな意味合いが織り交ざっているように感じます。

もちろん、これらの意味合いも「一流」の定義として、間違いではないかと思うのですが、これだとイマイチ、優れているものであるという意味合いはわかるのですが、わざわざ「一流」という言葉で表す意義ないように思うのです。

単に「すごく優れている」と言えばいいだけのことです。(笑)

「一つの流れ」と書いて「一流」なのですから、単に優れているというだけでは言葉の定義上弱いのかと思います。

では、私なりに考える(定義する)「一流」についてお話してみたいと思います。

「一流」とはズバリ、「自分自身の中にある魂の発露に従って表現されること」であると定義したいと思います。

どういうことかといえば、自分の中にある抗いがたい魂の意志、湧き上がってくるものを素直に表現することが「一流」という言葉の核心にあるのかと感じます。

この場合、単に「優れたもの」ということではなく、優れているか劣っているかは関係ありません。

大事なことは、何かを表現するときに、自分の魂と一つになっているかどうかということ。

混じりけのない、純粋なる魂からの表現であるものだけが「一流」と言っても良いのではないかと思うのです。

これだけだと少しわかりにくいと思いますので、少し例を上げて説明したいと思います。

小説の世界において「一流」とは何かを考えてみましょう。

例えば、著名な作家の中で村上春樹氏がいらっしゃいます。

賞なども多く取られている方でありますし、近年でも「1Q84」などの話題作をお書きになっていらっしゃるので、知っている方も多い作家の一人だと思います。

私は、彼などは、「一流」というもののある意味、良いモデリングだと思っています。

このようなことを申しますと必ず「いや、村上春樹など読まない」「村上春樹を面白いと思ったことはない」「もっと他にも優れた作家はいるぞ」などなど、様々な意見が湧き上がってきます。

なるほど、確かに村上春樹氏の作品は時として、賛否両論があり、好き嫌いも別れています。

中には、「全然、面白くない」と酷評される方もいらっしゃるようです。

このような状況にあると「どこが一流なんですか?」と疑問に思う人もいるかも知れません。

それでも、私は、村上春樹氏は一流だと言って良いと思っています。

勘違いして欲しくないのは、単に私が村上春樹氏のファンだとか、偉い作家先生をヨイショしているとか、後で村上春樹氏の本をアフィリエイトしようと企んでいるとか(笑)、そういうことではないのです。

では、なぜ、彼のことをモデリングとして選んだのかと言いますと、彼自身の作品は村上春樹ワールドと呼ばれるくらい独特な感性に彩られています。

つまり、他では真似しようがない彼の中心から魂からほとばしる何かを表現している作品が多いということです。

自分の中の世界観が揺るぎなくあり、賛否はあったり、好き嫌いはあっても、自分の中の中心からブレないで常に自己の魂と一体となって表現されている作品なのではないかと思うのです。

そうでなければ、村上春樹ワールドと呼ばれることもありませんし、熱狂的な読者やファンも現れることはなかったでしょう。

面白いか面白くないか、評価されているかされていないか。

実は、一流かどうかの判断にはあまり関係がないと私は思うのです。

好き嫌い、評価というのは時の流れや人の主観、意見がどのように動くかに左右されるとても流動的なものです。

昨日、酷評されていた作品が時を経て、評価し直されることもあるでしょうし、最初、つまらないと思っていたものが、時間が立って読み返すととても含蓄のある素晴らしい作品だと思えてくることもあるでしょう。

もちろん、この逆もあるでしょう。

面白いと思っていたものがつまらなく感じる。

このように好き嫌いなどの嗜好、善し悪しなどの評価で一流かどうかを判断してしまうと、あるときは一流であるときは一流ではないといったおかしなことになってきます。

一流はどこまでいっても、何があっても、好かれようが嫌われようが、評価されようがされまいが最後まで一流なのです。

それは、自分の中心にある魂から外れることなく表現されているという一点においてブレがないからです。

この一点からブレないならば一流といい、ブレない生き方ができているならば「一流の生き方」をしていると言えるのではないでしょうか。

ちなみに蛇足として、二流の生き方について考えてみました。

二流は一流に恋焦がれて、一流の生き方をする人の模倣をします。

そして、一流に肉薄するくらいの技能や表現方法を身につけている方だといえるでしょう。

それはそれで、優れていることには間違いないので、世間から評価されたり、人気が出たりすることもあるでしょう。

しかし、二流と一流の違いは、自分の魂に繋がった生き方をしているか、他人の素晴らしいものを模倣しているだけで、自分の魂が置き去りにされているかにあります。

評価や人気、著名度だけを見てしまうと一流と二流の違いを見失ってしまうことになるかと思います。

さて、ここまで来たらついでに三流についても考察してみましょう。(笑)

三流とは常に世間の顔色や時流ばかりを追いかけて、自分の中の魂どころか、一流かどうかすら関係なく、よさげなものであれば、飛びついて真似したり、反応したりして、軸のないブレブレの生き方をすることと私は定義しています。

もしかすると、「俺は一流だ!」と自ら言ってしまう方は、時流に合わせて姿を変えているとするならば、本当は三流なのかも知れません。

あっ!ちょっとこれは意地悪な言い方ですね。(笑)

でも、最後に締めの言葉として、一流の生き方をしたいと思うならば、一流に触れることも大事だけれど、一流とは何かを理解して、それに準じた生き方をしていく必要があるのではないかなということを述べてみたいと思います。

間違っても、時流に踊らされる三流にならないようにしたいものですね。

あっ!ちょっとこれも意地悪な・・・?(笑)


長々としたお話にお付き合いありがとうございました。


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ジャンル : 心と身体

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