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【公開質疑応答】人生に耐えられない試練はない?

こんにちは。

天心です。

公開質疑応答を行っていきたいと思います。

質問をお寄せくださったのは、灯り様です。

全ての公開質疑応答は、御質問に回答するという形式をとっていますが、他の読者の皆さまにも共有できるような普遍的な内容となる回答を心がけています。

たとえ自分の質問ではなくても、大切なことをお話していることもありますので、是非、お読みいただければと思います。


【質問】


天心様

いつも楽しくブログを拝見しています。
期限ギリギリですが、気になっていることがあり、質問を送らせていただきました。


「人生に耐えられない試練はない」というのは本当なのか?
というのが私の質問です。

「人生に耐えられない試練はない」という言葉はスピリチュアル関連の書籍やブログでしばしば目にします。
その理由として「人は生まれる際に魂の成長やカルマの精算のために様々な試練を設定するが、その際自分が耐えきれないような試練は設定しない」と説明されることが多いようです。

しかし、実際にはひどい苦痛に耐えきれず体や精神のバランスを崩したり、自ら命を絶つ方は大勢いらっしゃいます。
世界を見渡せば、信じられないような理不尽な出来事はたくさん起きていますし、そもそも感受性というのは人それぞれですよね。Aさんがそれほど苦痛に感じないことでもBさんは違うかもしれません。その人の心の内にどのような葛藤や苦しみがあるのかは、他人には分からないことです。

「人生に耐えられない試練はない」という言葉には「今は辛くても頑張ればきっと乗りきれますよ」という慰めや励ましの意味がこめられているのだと思いますが、この言葉をかけた相手を救えなかったとき、人生の難関を乗り越えられなかった方に対して「忍耐や努力が足りなかったのだ」と言える権利がある人は、本当は誰もいないはずです。

もちろん、生かされているうちは全力で生きるべきだと思いますし、困難を乗り越えたとき、自分が大きく成長するのも実感としてわかります。
しかし、だからといって「人生に耐えられない試練はない」と言えるでしょうか?


以上が私の質問です。お答えいただけると嬉しいです。


【回答】


灯り様

ご質問ありがとうございます。

>「人生に耐えられない試練はない」というのは本当なのか?

確かによく聞く言葉であり、灯り様のおっしゃられているように、その人を励ますための言葉でもあるかと思います。

但し、自分で設定した試練だから、耐えられない試練はないという言葉は、少し誤解があるように思います。

自らのテーマとして天命を持っていること。

その天命を真に自覚し邁進するときには、いかなる試練をも乗り越えていくことができる。

これが、本来の意図するところかと思います。

耐えられない試練はないというところだけクローズアップしてしまうと、いかなる試練も不運なる出来事も単純に堪え忍べるはずだというような意味に聞こえてしまいますが、そうではないのです。

自分自身の中にしっかりとした軸があり、本当の意味で志が定まったときには、困難、苦難をも超えていく力が出てくるということなのであって、ただ、苦痛を耐え忍べるということではないのです。

酷い不幸や痛み、苦境から命を絶ったり、体調や精神の均衡を崩してしまう原因は、自分の中の軸がまだ、定まりきれていないことにも原因があるのです。

不運や困窮が発生することを単純にカルマの精算や経験としての不運を味わうためとするスピリチュアル的な解釈もあるようですが、私自身としては、少し無理があるように感じています。

もちろん、そういった意味も確かにありますが、だからといってそれだけの理由だけでは試練としての困窮、苦難に耐えられるという理屈にはならないはずです。

いくら自分が計画してきたことであろうと、苦しいものは苦しいし、痛いものは痛いのです。

泣き叫びたいくらいの悲劇、顔を歪めて悶絶するほどの怒りと憤慨。

消えてしまいたいくらいの悲哀と寂しさ。

人生には、単に「自分が設定した計画だからどんなことも受け入れるべき」というような単純な言葉で片付けられるものばかりではないはずです。

全てを理屈で推し量ることはできないのが人生です。

筋道だった論理ももちろん、必要なことではありますが、同時にロジックではない心のひだを理解しながら人生は進んでいきます。

人生に起こりうることは、単純な言葉では推し量れないということを理解しておくことは大切なことだと思います。

起こること全てに一律の正しい答えはありません。

試練だと思えるような出来事も、心の向く先によっては、単なる苦痛でしかないかも知れません。

しかし、自らの生きる筋を見つけることができれば、苦痛もまた自分のさらなる先を見つめるための光となることもあるということです。

人生において、いかなることが起こるのか。

正確に逐一、わかる人はいません。

ある程度、霊的な情報を得て先を予測したり、知恵によって転ばぬ先の杖を用意することで苦難を回避したり、減算して被害を小さくすることなどはできることでしょう。

それでも、全てをわかったつもりになるのは、全くの思い違いだと言わざるを得ないでしょう。

霊界の法則も原理も有り様も私達が見ているのはその一端であり、わかっていることよりもわからないことの方が多いはずなのです。

このことが理解できていれば、自ずと「人生に耐えられない試練はない」という言葉も単純に受け止めると見誤る恐れがあるということがわかると思います。

世の中には様々な論理や言葉が溢れていますが、その言葉だけを追いかけるとその本質を見失ってしまうことがあります。

私達の生きてる人生というものは、常に動き変化し、誰一人として同じ道ではありません。

そして、その道を照らす真理というものも様々に変化していくものでもあります。

「人生に耐えられない試練はない」という言葉もある人には光となりますが、常にいかなる場合も光となるとは限らないということです。

自分の道を照らすものは、常に本質を理解しながら、探していく必要があるといえるでしょう。


以上が回答になります。



天心 拝


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テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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やっと理解できました

私も長年、この言葉の意味が理解できず、ずっともやもやしておりました。苦しみの最中にある時は、かえってこの言葉に苦しめられ、神様を恨みもしました。今、天心先生の解説を読んで、やっと心が晴れる思いです。
しかし、かつての私と同じように、この言葉にかえって苦しめられている人が他にもいるのではないかと思います。どうか、この天心先生の解説が広まって、自分が壊れるまで耐えてしまう人が無くなってほしいと心から思います。
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Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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