【第二章】宗教とスピリチュアル

【序章】宗教とスピリチュアルからの続きになります。

少し固いテーマになりますが、お付き合いいただければ幸いです。

前回は、宗教というものの意味や現状について私が感じていることをお話してみました。

おさらいしてみますと、宗教とは本来的には倫理観や道徳観というものを伝えていく役割を担っていた部分があったということ、現在は宗教というものの評価や受け止められ方が若干の穢を含んだ認識のされ方をされているため、意識的、無意識的にも社会から排除されてしまう傾向にあること、それに伴い、社会から倫理観や道徳観というもの自体が欠落していく傾向にあるのではないかということなどを取り上げてみました。

多少、私なりの主観的な感想に偏っているキライはあるかとおもいます。

しかし、やはり、唯物的な価値観だけで占められた世の中というものは、いつか破綻をするのではないかという危惧は拭えないのも私の中では事実です。

もちろん、物質的、また効率や公平さ経済、政治という枠組みを軽んじるつもりはありません。

単純に倫理観や道徳観だけが主要であるとして、物質的な豊かさや社会的な枠組みを無視してしまうのは、それはそれで問題なのです。

要するに中庸が大事であり、バランスをとることが肝要だと言いたいわけです。

今は、物理的な世界の基準による豊かさ、社会的枠組みだけに意識が向きやすいという意味でバランスが偏っているように感じます。

であるならば、そのバランスを取り戻すためには宗教というものをもう一度、考え直し、理解し認識しなおす必要があると考えたわけです。

そこで、第二章では、宗教というものについて再び咀嚼して定義し直してみたいと思います。

様々な定義はあるかと思いますし、それぞれの人の印象も異なることは承知の上で、私の理解する宗教の定義を述べてみたいと思います。

まずは、WikiPediaにて宗教という言葉を調べてみました。

---WikiPedia「宗教」の頁より抜粋---

宗教(しゅうきょう)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり[1]、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである

---抜粋終了---

最初の冒頭部分にある「人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念」という部分は、簡単に言ってしまえばスピリチュアリティということになるかと思います。

私達がスピリチュアルというものを探求し研究し実践しているのは、実にこの部分なわけです。

ゆえに宗教とスピリチュアルは似通ったものとして見られる傾向があります。

しかし、この先の定義を読み解けばわかるように宗教はスピリチュアルな要素だけで成り立っているわけではありません。

「その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団」

とありますが、一番重要なキーワードは「社会集団」というところです。

スピリチュアルは霊性、すなわち霊的な根源にある原理原則、あるいは神仏など本質的でコアな要素を指しているわけですが、宗教とは実はそれだけにとどまらず、体系化されて社会的な枠組みや文化的なものまで包含する存在でもあったわけです。

つまり、神仏的な存在を崇め奉ることがイコール宗教ではないということです。

宗教の定義を私なりの式で表すならば以下のような形になります。

宗教スピリチュアリティスピリチュアルの体系化・形式的儀礼スピリチュアルに基づく社会的枠組みの定義

少し抽象的なのでもう少し具体的に例を上げて考えてみましょう。

例えば、イスラム教にはクルアーン(コーラン)という聖典が存在します。

イスラム教は唯一神アッラーを主としたスピリチュアリティを持つ宗教であるわけですが、クルアーンの内容というのは、スピリチュアリティの部分だけが語られているわけではありません。

宗教的な形式的、儀礼的な作法はもとより、イスラム社会を運営していく上での枠組みとなる規則やルールなども記載されています。

他の宗教でも同様で規則や戒律的なものは、その背後には社会的集団生活を維持していくための方便的なものも多くあります。

そういった形式や戒律や儀礼的な作法はスピリチュアリティの範疇を超えて、大抵は国家や政治的な枠組みと合体を試みるようになります。

イスラム社会国家、キリスト教国家、色々とありますが、多くの伝統宗教というものは、スピリチュアルティの追求だけに留まらず、それ以外の生活や社会的集団がうまく運営されていくためのシステムとして機能し始めてきます。

なので、どんな国でも歴史を遡るとイスラム教やキリスト教、仏教や儒教といった様々な伝統宗教と結びついていることがわかります。

例えばアメリカ合衆国なども何だか合理性を追求したお国柄のように見えて、その実はキリスト教がベースにある国家であるということは周知の事実です。

日本はベースに惟神の道があり、そこに仏教や儒教、道教、キリスト教などの様々な宗教が乗っかって出来上がっています。

とりわけ比重的には仏教が大きいようにも思いますが、社会制度的には儒教的な枠組みも多いに見られます。

我々日本人が象徴として奉る天皇陛下は神道の神主の頂点におわします方ですから、やはり日本もまた宗教的なベースがあって国家としての枠組みが作られています。

このように宗教というものは、実は単なるスピリチュアリティだけを追求した存在ではないということなんですね。

そこには、私達の生活の枠組みまでもが宗教的な意味合いで作られているといっても良いでしょう。

例えば私達日本人は非常に潔癖なところがあり、汚いものに敏感です。

不正やアンフェアーに敏感だといっても良いでしょう。

これは神道における穢の思想からくる反応でもあります。

アメリカ外資系の会社では、日本の会社のような人と人との付き合いに応じたなあなあな取り決めでビジネスを進めることはありません。

びっちりと契約を結び、その契約が履行されない時には、取引が停止になるか、裁判で決着を付けられます。

「そこは私の顔に免じて一つよろしく!」というような日本的腹芸は通用しません。

なぜならば、キリスト教国家においては契約は神聖なるものであり、それが反故にされることなど考えられないからです。

元々、旧約聖書、新約聖書の旧約、新約という部分は神との契約という意味なわけです。

なので、文字通り契約は神聖なものなのです。

こういった様々なところで宗教というものから派生した部分は隠されているのです。

宗教とスピリチュアルの大きな違いはここにあります。

宗教はスピリチュアルを含む大きな社会的な枠組みまで作り上げてきたものであるといえます。

そして、スピリチュアルはそこから霊的なコアな部分にスポットを当てることを目的としています。

では、どうして宗教から独立したような形でスピリチュアリティだけが取り上げらるようになってきたのでしょうか。

そこには宗教の持つ独特な欠点に原因があるように思われます。

そのことに関しては次章でお話していきたいと思います。



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