【あとがき】宗教とスピリチュアル
【第四章】宗教とスピリチュアルからの続きになります。
今回は、「宗教とスピリチュアル」をテーマにしたシリーズの最終回となりますので、【あとがき】として、今までの総括なんかをしてみたいと思います。
以前から宗教とスピリチュアルについては、自分なりの思いを考察してまとめてみたいと考えていました
テーマ自体が重いというか、宗教というキーワードを出した途端にアレルギー的な反応が返ってくるのではないかという怖さもあって、あまりしっかりとは触れずに今まではいました。
また、しかめつらしい顔をしてグダグダとお堅いテーマを論じると読者の皆さんも退屈させてしまう可能性も多いにあるかなと思います。
ブログとは私にとっては、読者の皆さんとのインターネット空間を利用した対話だと思っています。
なので、一方的に話たい内容を話すというだけでなく、いつも、何を発信すべきかな?という観点で記事の内容を決めています。
なるべく、「為になった」と思っていただけるために色々と試行錯誤を繰り返しているわけです。
ただ、それでもやはり、時として、面白くなくてもしっかりと明示しておきたいことも出てきます。
今回のテーマもその一つです。
昨今ではスピリチュアルという言葉が大分、市民権を得るようにはなってきたように思います。
社会の中枢とまではいきませんが、その片隅で花を咲かせることができていると感じています。
それも、思えば、様々なスピリチュアルの分野で研究や実践を続けてこられた先達のおかげかと思います。
時代によっては、スピリチュアルなどという言葉を出すだけでも「頭がおかしい」というレッテルを貼られてしまうこともあったように思います。
そんな時代の中でスピリチュアリティを継承してきてくださった先達には感謝しなくてはいけませんね。
まさに、徒然草の中に出てくる「先達とはあらまほしきかな」でございます。
現代風に意訳すれば「先に経験して色々と教えてくれる人というものはありがたいものだ」といったところでしょうか。
私も小さい存在ながらスピリチュアリティというものを奉じて生きています。
なので、この芽を守り、次世代につなげていく努力は拙いながらも続けていかなければならないと考えています。
次世代の人から「先達とはあらまほしきかな」と言ってもらえるように努力をしなければいけないかなと思っています。
そのためにも、まずはスピリチュアリティの元々にある宗教というものについて考察してみるということは、避けて通れないことでもあると思います。
単純に宗教の負の一面だけを見て、「臭いものには蓋」をしてしまうのではなく、その本質はどこにあるのか?について理解しておくことが大事かと思います。
宗教を知ることでスピリチュアルというものの本質も見えてくる部分もあるかと思います。
そういった意味でこの「宗教とスピリチュアル」のシリーズが読者の皆さんの考察の一助となることを願っています。
とはいえ、ブログ記事という関係上、あまりだらだらとお話するとさすがに息が切れてしまう部分もあります。
なので、ある程度、完結に短めにお話を構成させて頂いたつもりです。
本当にこのテーマをじっくり詳細に詰めていくと、ブログ記事では収まらない内容になってしまいます。
そのような事情から、内容はかなり乱暴にざっくりとまとめてしまっているところが多いという反省も残りました。
読みづらかったり、ちょっと論理的に飛躍があったり、データとして提示するものが欠落している点が多々ありますが、その点はご容赦いただければ幸いです。
通常のブログ記事とくらべ長めの連載となった「宗教とスピリチュアル」シリーズにお付き合い頂いた方は、本当にありがたく思います。
次回からは通常のライトな記事にまた戻る予定なので、これに懲りず、今後も「守護霊が導く!スピリチュアル世界」のブログでのお話にお付き合いいただければ幸いです。
天心 拝
◎クリックご協力ください!
今回は、「宗教とスピリチュアル」をテーマにしたシリーズの最終回となりますので、【あとがき】として、今までの総括なんかをしてみたいと思います。
以前から宗教とスピリチュアルについては、自分なりの思いを考察してまとめてみたいと考えていました
テーマ自体が重いというか、宗教というキーワードを出した途端にアレルギー的な反応が返ってくるのではないかという怖さもあって、あまりしっかりとは触れずに今まではいました。
また、しかめつらしい顔をしてグダグダとお堅いテーマを論じると読者の皆さんも退屈させてしまう可能性も多いにあるかなと思います。
ブログとは私にとっては、読者の皆さんとのインターネット空間を利用した対話だと思っています。
なので、一方的に話たい内容を話すというだけでなく、いつも、何を発信すべきかな?という観点で記事の内容を決めています。
なるべく、「為になった」と思っていただけるために色々と試行錯誤を繰り返しているわけです。
ただ、それでもやはり、時として、面白くなくてもしっかりと明示しておきたいことも出てきます。
今回のテーマもその一つです。
昨今ではスピリチュアルという言葉が大分、市民権を得るようにはなってきたように思います。
社会の中枢とまではいきませんが、その片隅で花を咲かせることができていると感じています。
それも、思えば、様々なスピリチュアルの分野で研究や実践を続けてこられた先達のおかげかと思います。
時代によっては、スピリチュアルなどという言葉を出すだけでも「頭がおかしい」というレッテルを貼られてしまうこともあったように思います。
そんな時代の中でスピリチュアリティを継承してきてくださった先達には感謝しなくてはいけませんね。
まさに、徒然草の中に出てくる「先達とはあらまほしきかな」でございます。
現代風に意訳すれば「先に経験して色々と教えてくれる人というものはありがたいものだ」といったところでしょうか。
私も小さい存在ながらスピリチュアリティというものを奉じて生きています。
なので、この芽を守り、次世代につなげていく努力は拙いながらも続けていかなければならないと考えています。
次世代の人から「先達とはあらまほしきかな」と言ってもらえるように努力をしなければいけないかなと思っています。
そのためにも、まずはスピリチュアリティの元々にある宗教というものについて考察してみるということは、避けて通れないことでもあると思います。
単純に宗教の負の一面だけを見て、「臭いものには蓋」をしてしまうのではなく、その本質はどこにあるのか?について理解しておくことが大事かと思います。
宗教を知ることでスピリチュアルというものの本質も見えてくる部分もあるかと思います。
そういった意味でこの「宗教とスピリチュアル」のシリーズが読者の皆さんの考察の一助となることを願っています。
とはいえ、ブログ記事という関係上、あまりだらだらとお話するとさすがに息が切れてしまう部分もあります。
なので、ある程度、完結に短めにお話を構成させて頂いたつもりです。
本当にこのテーマをじっくり詳細に詰めていくと、ブログ記事では収まらない内容になってしまいます。
そのような事情から、内容はかなり乱暴にざっくりとまとめてしまっているところが多いという反省も残りました。
読みづらかったり、ちょっと論理的に飛躍があったり、データとして提示するものが欠落している点が多々ありますが、その点はご容赦いただければ幸いです。
通常のブログ記事とくらべ長めの連載となった「宗教とスピリチュアル」シリーズにお付き合い頂いた方は、本当にありがたく思います。
次回からは通常のライトな記事にまた戻る予定なので、これに懲りず、今後も「守護霊が導く!スピリチュアル世界」のブログでのお話にお付き合いいただければ幸いです。
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