逆説!裸の王様

裸の王様という童話は皆さんご存知の方も多いと思います。

かいつまんでストーリーをおさらいしておくと、ある日、王様は世界で一番、美しくてイケてる衣装を求めて、仕立て屋に作るよう命じます。

仕立て屋は、色々と思案しますが、その時、ちょっとした悪知恵を思いつきます。

そして、王様に最高のお召し物ができましたよ!仕立て屋は伝えるのです。

しかして、王様が意気揚々と仕立て屋を呼びつけて、最高の衣装を見せてみよと命じます。

仕立て屋は言いました。

「この衣装は愚か者には見えぬように作られた世界に二つとないものです。王様ともあろうお方が見えぬはずはございません。まさかお見えにならないわけではございますまい?」

この言葉に王様の心は不安と羞恥でいっぱいになりました。

王様には衣装が全く見えなかったからです。

王様は、どうしても自分が見えていない愚か者だと思われたくなくて、「うむ、立派な衣装の仕立てご苦労であった」とあたかも見えているかように振る舞い、嘘をついたのです。

周囲にいた侍従や側近たちも見えていない自分の恥ずかしさと、王様に下手に忠告して不興を買うことを恐れて何も言いません。

かくして、王様は仕立て屋の嘘にまんまと乗せられて、裸のまま見えない衣装をまとって(まとったつもりになって)、城下町へと外遊しに出かけます。

街ゆく人は裸の王様を見て、ビックリしますが、誰もそれを指摘できません。

やはり、王様の不興を買うのと自分が馬鹿だと思われたくない気持ちが勝って、誰も真実を言おうとしません。

この物語のオチとしては、最後に純真な子供が、「王様は裸だ!」と叫ぶことで、周囲の大人たちが自分らの面子や不興を買うことを恐れる情けないメンタリティを直視させられるという寓話として終焉を迎えます。

さてさて、長々と童話の説明などをしてしまいましたが、今回の記事のテーマは「裸の王様」逆説で考えていきます。

この物語からは子供は純真で大人はあざといという、純粋真っ直ぐさだけが礼賛されてしまうような趣がどこかにあります。

確かに純粋さは大切ですが、純粋さとは未熟さのことでもあります。

私は、愚か者には見えない衣装実は存在すると思っています。(笑)

「ええっ!なんだよそれ」

と顔をしかめつらしくされる方もいらっしゃるかと思います。

もちろん、これはメタファーです。

いかなるメタファーかというと、私たちは子供の頃は、現在の自分ほど世の中の様々なことが理解できてはいません。

親の保護下にあり、そこから見える小さな範囲でしか物事を見ることができません。

しかし、段々と成長し、視界も広がり、世の中の広さを知れば知るほどに今まで見えてこなかったものみえてくることになります。

私たちは学び、経験し、前を向いて進むごとに見えないものが見えるようになってくるのです。

子供の頃に限らず、今の自分にはまだまだ見えていない様々な真実が世の中には沢山あるということです。

見えない真実こそ、まさに「愚か者には見えない衣装」の正体なのではないかと思うのです。

私たちは自らの未熟さを知り、それを克服していくたびに見えてくる様相を味わう旅を続けています。

純粋さだけの子供に留まらず、あざとい大人になるのではなく、真の成長を遂げていくことに大きな意味があるのではないでしょうか。

今回は寓話である裸の王様を逆説的に見た場合の私たちのあり方について考えてみました。

王様は裸だと言える純粋さも持ちながら、まだ見えぬ真実を見出していく旅を続けていくことができればと思います。


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