西洋と東洋の思想の違い(その5)

西洋と東洋の思想の違い(その4)からの続きになります。

前回は西洋思想の特質を総括しつつ、対比させながら東洋思想の特質についてお話させて頂きました。

西洋思想は論理と証明、そして目に見える明示性ということを非常に重要視することをお話いたしました。

一方で東洋思想は、論理や証明ではない感覚的なものを大切にする考え方であることもお話いたしました。

東洋思想は主に目に見えない部分に焦点を当てていると言えるかも知れません。

穢れの思想などはその典型であると言えます。

穢れとは通常の肉眼では見えない(もちろん見えている部分も問題にはするが)部分にそれを見出されることが多い。

他人が使ったリサイクル箸に抵抗を覚えることなどがその典型だと言えるかも知れません。

西洋思想的に考えると全く問題がないという結論になるリサイクル箸も穢れの思想で考えれば、問題があるということになります。

つまり東洋思想には論理性をあまり重要視しないという特質があると言えます。

論理性を重要視しないということは、そのまま西洋思想で最も重視されている証明の必要も重きを置かれていないということです。

形而上学では、魂や神の存在の証明をとことんこだわっているわけですが、東洋思想ではそれがありません。

例えば、日本古来から続く神道などは、まさに典型的です。

神道では山や川、様々な自然の中に神が降臨していると考えたりします。

しかし、ここで何を根拠に?ということは考えることはないのです。

ただ、そこに神なるものが存在することを感得していくことが重要なのです。

「これこれ、こういう理由でここには神がいるのです」なんていう理屈は存在しません。

ただただ、そこに神の存在を感じるか否かという問題なのです。

神とはどういう存在かということも、あまり重要視されません。

神道でも後期になり教派神道と呼ばれる宗教組織が営まれるようになったものは別にして、古来からある神道はとてもアバウトです。

言ってしまえば、「神道」という言葉すらも実は中国古典の四書五経の中の易経の風地観の卦の説明文の中で使われた文言を拝借して仮につけているような状態です。

日本古来からある神様とのお付き合いの在り方を何と呼ぶか、そんなことはどうでもいいと言わんとばかりです。

古事記や日本書紀などの神道を代表する古典も神道の起源とともにあったわけではありません。

名前すらも決まっていない神様とのお付き合いの習慣をなんとかまとめる必要性が生じたから作られたという経緯があります。

いわば古事記や日本書紀は、神道の公式ガイドブックといったところですね。

キリスト教、仏教、儒教いろんな宗教がある中で、神道だけが体系化されずに名前すらよくわからない感覚と習慣だけがある状態にあり、これはまずいと当時の天皇が稗田阿礼に命じて作らせたわけです。

だから、神道には教祖はおろか経典も教義も何もないのです。

あるのは目に見えざる真実と感応の世界だけです。

そのため伝承は文字よりも口伝、さらに大事なのは以心伝心による目に見えざる継承者を通しての系譜に頼らざるを得ません。

テキストも資料もなく、理解の手助けになる論理もない。

ただ、人から人へと脈々と続く、つながりを通してその実体は伝えられてきたわけですね。

理屈を超えた実体を感得するからこそ、神や魂の本質をとらえられていたと考えることができます。

西洋思想のように論理と証明に血道をあげていては、掴みようがない神と魂の世界の実体をより、掌握していたのが東洋思想であると言えるのではないでしょうか。

特に神や魂と言ったものの世界は理屈では測れない部分が多々あります。

それを理屈を通して証明することにこだわってしまったからこそ、西洋思想は神や魂の世界の探求から解離してしまったともいえるのかも知れません。

東洋思想は、ダイレクトに目に見えざる世界につながる感性を重視したからこそ、表面的な目に見える世界にからめ捕られることなく発展してきたと言えるのではないでしょうか。

そう考えると西洋思想よりも東洋思想の方が神や魂の世界にはより近い道が開けていると言えるかも知れません。

では、西洋思想よりも東洋思想の方が優れていると言えるのでしょうか。

いいえ、そう単純には言えません。

東洋思想にもやはり欠点があります。

先ほどもお話しましたが、東洋思想は目に見えざるものを論理や証明するということを越えて感性で捉える考え方をとります。

そのため、文字や言葉では表せない、否、表そうというムーブメントが起きにくかったと言えるのではないでしょうか。

口伝による伝承、以心伝心による伝承、ともに履歴として後世に伝えるには非常に心もとない方法です。

なぜならば、口伝は聞いたことを忘れたら終わりです。

以心伝心は伝授者にしか理解できませんし、後継者がいなくなれば、その内容は永遠に失われてしまいます。

西洋思想のようにしっかりとした証明に裏打ちされた論理と文字ベースのテキストで残されていれば、体現した思想を後世につなげていくことは比較的容易であったはずです。

しかしながら、東洋思想はそういった明示性、論理性、証明がなされぬまま継承されてきたため、断絶したり、過不足が出て伝わっているケースが多々あるように思います。

このことを考える時、私たちは、始めて西洋思想的、表側の論理性と明示性、東洋思想の感性、本質と体得重視の考え方の両輪が必要であることがわかると思います。

どちらが欠けても片手落ちになるのは間違いがありません。

このことを理解する時、どのような態度で私たちは世の中にある思想を受け止めればよいのかがわかるかと思います。

非常に長々としたお話になりましたが、このあたりでこのシリーズは完結させようと思います。

少し、お話が足りない部分がありますが、また、機会があれば違った角度でお話していけたらと思っています。

お付き合いありがとうございました。


◎クリックご協力ください!



スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

ツイッター
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
閲覧者数
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Happy Search★ ~占いと癒しの検索ポータルサイト~
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR