型に当て嵌めない

最近、本当によく感じることなのですが、人は学ぼうとする時に一定の型にはめて考えてしまう傾向があるように思います。

私は時折、質問などのメールを個別に頂くことがあるのですが、その中で「それは○○と同じですか」とか「△△では◇◇と言われていますよね」とか何がしかの型にはめて考えているなと思しきことが書かれていることがあります。

何かの型にはめて考えた方が確かに理解する際には楽な側面は確かにあります。

しかしながら、本来、学びというものは型にはめて理解すれば良しというものではないのです。

例えば、Godという英単語がありますが、これを日本語訳すると「神」という言葉にあてはめられます。

だから、キリスト教のいうところの主なる神も日本の八百万の神も同じような印象で受け止められてしまいがちです。

実際には、キリスト教で言われているところのGodと日本で言うところの「神」は意味は異なるものです。

キリスト教の主なる神は、全知全能の神であり、完全なる無矛盾の存在です。

一方で神道で言われるところの八百万の神は、単なる複数いる神ということではなく、とりわけて優れたるものを持つ存在を意味しています。

漫画の神様と言えば手塚治、経営の神様と言えば松下幸之助、野球の神様と言えばイチローというところでしょうか。

これらの方々は、人間であっていわゆる全知全能のGodとは意味が違います。

しかしそれでも、私たちは敬意をこめて「神様」と呼んでいるわけです。

なぜならば、とりわけて優れたるものを持つ存在だからです。

もちろん、神様イコール優れた人間ということではなく、優れた畏敬するに値する自然現象なども神様の表れとして認められています。

山や川、林や森に何故に神が宿るのかと言えば、それは、とりわけて優れた自然の働きがそこにはあるからです。

また、神道においては、神はとりわけて優れたる存在であるわけですが、仏教などでは、神様は仏様よりも下位の存在として位置付けられています。

これを本地垂迹説といいますが、ここで言われている神も本来、神道で言われている神と異なるものでもあります。

もちろん、キリスト教で言うところのGodとも違います。

全てを「神」という型に当て嵌めてしまうと理解はしやすいかも知れませんが、本当の意味で何を示しているのかがわからなくなります。

結局、何が言いたいのかと言うと「シルバーバーチの霊訓ではこう言われていた」「日月神示ではこうあった」というように○○という何かに当て嵌めて、私がお話していることを理解してもおそらく間違うだけだと思うのです。

以前、捨己従人(しゃきじゅうじん)という言葉の意味をとりあげて、学ぶ時の姿勢についてお話した記事があったかと思います。

何かを学ぶということは、一切の先入観を捨てて、真綿が水を吸い込むようにしっかりと素直に受け止めていくことが大事だということです。

何かの型に嵌めて、一致するしないという部分的なことに拘泥するようだと決して本来の意味を理解することはできないからです。

本当に完全に学び体得したいと考えるならば、型を捨ててゼロになって受け止めていく他はないのですね。

自らの中に潜み学びを歪めてしまう型から自由になることも魂の向上には一つの大事なポイントになってくるかと思います。


◎クリックご協力ください!




スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

コメントの投稿

非公開コメント

そうですね真っ白な状態で学んでいくことが大切ですね。何かと比べるのではなく、まずはありのまま学ぶそして咀嚼し審神することが大切なような気がします。

No title

スピリチュアルが教義を重んじる宗教になってしまってはダメなわけですね。私もシルバーバーチから入りましたので、よく「シルバーバーチ教」とか揶揄されている熱狂的信奉者の方を見かけると、せっかくなのに少し残念な気がします。
楽な道ではありませんが自分自身で一つ一つ消化して身につけるように努力したいと思います。ありがとうございました。
プロフィール

天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

ツイッター
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
閲覧者数
現在の閲覧者数:
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Happy Search★ ~占いと癒しの検索ポータルサイト~
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR