魂と心と身体の関係

今回は久しぶりの霊界事情カテゴリによる記事の発表になります。

ですが、新説・霊界ストーリーではありません。

物語の途中のまま、随分と間隔をあけてしまって申し訳ありませんが、続きの方が何分、壮大な物語になってしまうことが想定されています。

上部霊界についての霊界探索は、本当にどこからお伝えすればいいのかわからないくらいに広大無辺で伝えるべきことが沢山あります。

整理しながら、何度も霊感旅行を行い、見聞をしながらも、つかみようもない世界。

ブログ上で発表するか、あるいは、もしかしたら別冊の自家製の電子書籍を作成して希望者にお分けするという形になるかも知れません。

まだ、詳しいことは決まっていませんし、守護霊様やもう少し上の存在の方たちにもお伺いを立ててみながらどうするかを決めていきたいと思います。

もうしばらく、お待ち頂ければと思います。

さて、今回の霊界事情のお話としては、ご質問を受けたことによるご回答になる内容とさせていただきたいと思います。

ご質問の内容をかいつまんで要約させて頂きますと、脳死や心肺停止になった場合に霊的にはどのような状態となっているのか。そして、臓器移植などを行った場合、霊界的には何か影響はあるのか。

かなり質問内容を省略してしまっていますが、あえて骨子を抜き出すならば、このようなご質問でありました。

この回答をするためには、まず、魂、霊体、肉体の関係についてお話する必要があります。

肉体と霊、魂の関係については、様々な諸説があり、表現方法やそのために使われる名称なども本当に多岐にわたってあります。

概ね言っていることは同様なことなのですが、表現が異なるので、様々な意見があるように見えるものです。

私のこれからお話することも、他の諸説と同様のところもあり、それと同時に異なる部分もあるかと思いますが、あまり難しく考えずにイメージをつかんで頂ければ幸いです。

さて、私が魂、霊体、肉体についてお話する表現方法としては、神道から伝わる一霊四魂という考え方を採用させて頂きます。

この一霊四魂という考え方も神道の中でも諸説がわかれるところであるため、私がこれから解説する内容は他の一霊四魂論とは、異なる場合がありますが一つのメタファーとして受け止めて頂ければと想います。

まず、人間というものの一番中心となるコアな部分があります。

元々の深い部分に持つ根源的な意志、神なる部分とも表現されています。

多くの人はこれをと呼びます。

なんとなく、人間には魂が存在するということを感じていらっしゃる方は多いと思いますが、実は魂と一口にいっても様々な種類があることを理解している人は少ないと思います。

まず、魂の中心部になり、神性の意志そのものとも言うべき直霊(なおびのみたま)というものがあります。

別名を一霊ともいいます。

一霊四魂の一霊の部分がこれに当たります。

この直霊は、神様そのものであり、神様から直接授かった分神であり、人間のエゴなる部分をそぎ落としてゆくと最終的にこの直霊が現れてくることになります。

よく宗教などでも、人は神の子と言われたり、人は神であるなど言われることもありますが、直霊が存在すればこそ、このような考え方が生まれてきたと思われます。

もちろん、人間=神ではありません。

ただ、人間には神性が宿る。ということは言えるかも知れません。

この神性が一霊とするならば、後の四魂は一体何を示しているのでしょうか。

直霊以外に魂には四つの要素で構成されています。

奇魂(くしみたま)・・・感性、霊性、直感、芸術的品格、統合性、知性等
幸魂(さちみたま)・・・愛、真心、育成力、情感等
和魂(にぎみたま)・・・親和性、協調性、柔軟性等
荒魂(あらみたま)・・・元気、忍耐性、闘争性、凝結力、体力、筋力、運動力等

四魂は、それぞれに意志の中にある機能をそれぞれになっている魂といえます。

例えば、奇魂は、主に感性や知性の部分をつかさどっています。

美しいものを素直に美しいと感じる心や芸術を解するような意志の部分を指しています。

人が物事を選択したり決めたりする際には、様々な根拠はあるかと思いますが、まず、知性で思考したりしながら最終的には直感的に決断を下しているはずです。

こういう一連の意志決定を行うことができるのは、奇魂を授かっているからです。

奇魂は、人体でいうと頭頂部に鎮まっています。

幸魂に関しては、一言でいえばです。

愛の塊が幸魂であるともいえます。

魂を構成する上で幸魂も重要な要素であるともいえます。

なぜならば、全てのものを育成してゆく原動力となっているのは、愛の力である幸魂であるからです。

愛がなければ、奇魂だけでは育むことはできないのです。

世の中には才能があり、知性もあり、センスの鋭い方もいらっしゃいますが、冷たくどこか退廃的になってしまっている方もいます。

これは、奇魂が発達してはいるものの幸魂が未発達であるということがいえるでしょう。

幸魂は、身体でいうと胸の鳩尾あたりに鎮まっています。

次に和魂についてですが、これは親和性をつかさどっているわけなんですが、どういうことかといいますと、人間というものは、様々な環境の変化にさらされながら生きています。

生きてゆくためには、色んな人とも協調関係を結び、仲良く生きていく必要があります。

また、変化にもなるべく適応して、調和していくことが求められています。

和魂は、全てのものに調和していく機能が込められています。

人間は生まれてくる時も、死んでいく時も一人ではありますが、生きている間は、様々な人達と交流して心を通わせあったりしながら仲良くなりますね。

生まれ出た家族の一員として調和していきますし、社会に出れば社会の人達や環境と調和して生きてゆくのです。

これは和魂があるからこそ、可能なことでもあります。

和魂はお腹から、おへその下あたりの身体の部位に鎮まっています。

最後に荒魂についてです。

荒魂は魂の中でも実は最も物質次元に近い存在であるといえます。

半霊半物質といった存在で、霊的な表層部分と肉体そのものをつかさどっています。

霊的な働きとしては、忍耐力や根性、何かを貫き通す精神力といったところを担っています。

また、絶対負けないぞ!といった闘争的な意志も荒魂の機能によるものです。

同時に身体としては骨や筋肉などを形成する要素ともなっています。

つまり荒魂というものは、身体の体力や筋力に比例している唯一目に見える魂の種類であるともいえるのです。

よくスポーツインストラクターなどの人は、端正な体つき骨格、筋肉を持ってらっしゃいますが、どこかさわやかで清々しいところがありますよね?

これは、身体を鍛えると同時に荒魂を鍛えているからなんですね。

スポーツマンは大抵、さわやかな人が多かったりします。

また、プロレスラーの方なども、筋骨隆々たるものがあり、同時に闘争心が強く、精神力にも恵まれている方も多いです。

格闘技などをされている方は、殴られたり、蹴られたりすることも多いでしょうけれど、そういったことは臆せず、闘って勝つという道を一番に考えていたりします。

普通の人だったら、臆病風に吹かれてしまうところではありますが、荒魂が鍛えられているので、精神力が強いわけです。

以上が、一霊四魂から見た、魂の全容説明となります。

これを別の説明で表現しますと、肉体(荒魂)、心(和魂)、魂(奇魂、幸魂)と分類することもできます。

私たちが、霊界と呼んでいる部分は主に和魂が主催する世界であります。

その上に神様の存在する神界があり、その世界は魂(奇魂、幸魂)の存在以外は入ることができません。

私たちは、生きている間は一霊四魂であるわけですが、死ぬと荒魂のハクと呼ばれている部分が消え去ることになります。

これが肉体の死です。

それから、基本的には霊界に旅立つことで、そこでの暮らしがはじまりますが、メインとなるのは、魂の部分の荒魂と和魂の部分になります。

奇魂と幸魂はまだ、霊体としての荒魂、和魂に覆われている状態であるために主にはならないのです。

しかし、段々と霊層も上がり、不必要な部分がなくなってくると、脱皮して魂の存在、すなわち、奇魂と幸魂が表に現れて、ついには直霊そのものの存在となり、神界に赴くことになるのです。

これが一つの人の生まれ、そして、死に、それからまた生まれて死んでを繰り返し、最終的に向かうべき一つのベクトルになるわけです。

以上がとても長いお話になってしまいましたが、ご質問に回答するために知っておいてもらう必要のある前提のお話になります。

これを踏まえた上で、脳死や臓器移植について考えてみましょう。

脳死状態になった場合、人はどうなるのでしょうか。

これは、状態としては、荒魂のハクの部分が現世に止まり、奇魂、幸魂は大抵の場合は、帰幽してしまっています。

本来の死の場合は、まず荒魂のハクが消え、他の魂が次に帰幽するのが順番なのですが、脳死などの場合は、順番が異なる場合が多いといえます。

脳死などの場合は、荒魂と和魂がそのまま現世に止まっているために、まだ意識的なものがあります。

不思議なことに聞こえるかも知れませんが、半分帰幽しながらも、しっかりと意識は現世にもあるわけです。

身体を動かす臓器である脳が死んでしまっているために何も反応することができないでいますが、意識はあるわけです。

ですから、臓器移植をするために臓器を取り出してしまうという行為は、当人にとっては納得いかない場合もあるわけです。

肉体的な痛みはありませんが、まだ意識があるために、擬似的な痛みや感情を頂くことはあるのです。

ただ、勘違いして欲しくないのは、臓器移植は悪であるなどというつもりはないということです。

臓器移植をすることによって、助かる命もあり、移植されて誰かの命と共に活かされるという選択もあってよいはずです。

神仏も臓器移植を裁いたりはしません。

問題になるのは、やはり本人の意思を尊重するということだと思います。

ご本人が臓器を提供して、他の命が救われるならば、喜んで臓器を指しだそうという愛の気持ちを抱いていたならば、本人は臓器に執着をしていないために、切り取られたかたといって、何か不便をきたすことはないのです。

なぜならば、霊界の世界では和魂と荒魂の魂の部分が主催している世界であるために、現世での状態や常識は適用されません。

現世でのこだわりを持ったままだとそのまま、霊界でも適応されてしまいますが、こだわりを捨ててしまえば、たとえ臓器を失っていても、何の問題もないのです。

霊界では、若返ったり、手足を失ったひとでも、それを取り戻したりする人もいます。

現世でのこだわりを捨てれば、年齢も状態も思うがままなのです。

ですから、臓器移植に関しては、ご本人が納得されているということが一番のポイントになってくることでしょう。

これを持ってご質問の回答とさせて頂ければと思います。



天心 拝



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こんばんは。

新説・霊界ストーリーの続き是非とも読みたいです。楽しみに待ってます。


僕は脳死は人の死ではないと今は考えています。
ただ天心さんの言う通り悪ではないと思います。

ありがとうございました。

天心さま、早速の回答をありがとうございました。
魂とは、とても複雑に構成されているのですね。

脳死臓器移植に関しては、
最愛の子どもの死を、未だに受け入れ難く、
苦しんでいる私としては、
やはり、命が繋がるという喜びがあるにしても、
「死」として認めることができないのです。

ただ、天心さまがおっしゃるように、
本人の希望と現世のこだわりを捨てた場合、
「痛くない」とわかり、とてもほっとしました。

いつも快く質問にお答えいただき、
とても感謝しております。

ありがとうございました。
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天心

Author:天心
こんにちは!天心と申します。
守護霊アドバイス等の取次鑑定を行っています。
ブログ記事では、守護霊やスピリチュアル世界に関するお話を掲載してゆきます。

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