何があなたを苦しめるのか

こんにちは。

天心です。

先日、東京は代々木と原宿をまたぐ場所に鎮座する明治神宮のあたりを散策していた時のことです。

ちょっと、微笑ましいというか、ほっこりするような出来事に遭遇いたしました。

明治神宮の入り口にあたる大鳥居の近くに差し掛かると前方から、3~4歳くらいの保育園児と思しき小さな子供たちが保育士に先導されるようにして、駆けてくるのが見えました。

小さな子供たち7,8人といったところでしょうか。

可愛らしく、ちょこちょこと元気よく駆けてきます。

その中で最後の方を走っていた男の子が何かに躓いたのかバタンと勢い良く倒れこみました。

あらあら、かわいそうにと思いつつも、なんだか威勢よく前のめりに両手を伸ばして倒れている姿もなんだか、可愛らしく見えてきます。(笑)

しばらく男の子は、倒れた状態のまま、起き上がらずにプルプルと震えています。

おそらく、これから大泣きする準備に入っているのでしょう。(苦笑)

保育士は、「泣かないで頑張ろう!」と男の子を励ます声をかけます。

あくまで、自分の力で立ち上がらせようという教育方針のようです。(笑)

でも、倒れた男の子は、まだ立ち上がりません。

すると少し前を歩いていた別の男の子が、まだ自分も小さな足でちょこちょこ駆けているような頼りない足取りなのにも関わらず、倒れた男の子の元に駆け寄り、手を差し伸べたのです。

「大丈夫?」と声をかけると倒れていた男の子はようやく立ち上がり、泣きながらまた駆け出すのでした。(笑)

声をかけた男の子はその後も「泣かないで」と慰めていました。

なんだかちょっとだけ、心がホッコリしました。

非力であっても手は差し伸べる事はできる。

そんなことを小さな男の子に教えてもらった気がします。


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さて、今回は「何があなたを苦しめるのか」というテーマでお話してみたいと思います。

まあ、正直、苦しみの種なんて世の中尽きることはないと思う昨今ではありますが、個々の枝葉の事柄にこだわっていると本質を見誤るように思います。

苦しみの正体については過去にも触れたことはありますが、やはり、苦しみといえば仏教、すなわちお釈迦様の教えにヒントがあるのではないかと思う次第です。

今までもお釈迦様の教えをヒントにしたお話は多々、ご紹介してきたことと思います。

なので、今更、このテーマをおさらいするのも躊躇われたのですが、やはり大事なことなのでもう一回、復習も兼ねて考えていきましょう。

苦しみが発生する理由は様々にありますが、その中でもやはり一番の問題点は評価心(ひょうかしん)にあると考えられます。

評価心とは、仏教の言葉で言うならば、分別の智慧にあたるものです。

分別の智慧とはすなわち、差別する心です。

ここで、大きく勘違いされやすいのは、差別と区別は全く違うということであります。

例えば、金と銀と銅という金属があります。

皆さんはこの金属を観た時にどう思われますか?

「やっぱり金が価値があるよね?」「銀にもそれなりの価値はあるよ」「銅はあまり価値があるものとは思えない」

こんな風に思ったとしたら、評価心が働いていることになります。

すなわち、分別の智慧によって物事を見ているということです。

そもそも、金も銀も銅も地球上で育まれた鉱物にすぎません。

すぎませんという言い方も少し評価心が入っていますが、ともかく金も銀も銅も本来は評価的に何ら違いはないのです。

それぞれの特性や埋蔵量の違いがあるだけで、本来、価値の違いはないのです。

しかし、何かしらの物差しを使って差別化をした時点で、そこに評価が生まれて、あたかも価値の差異があるかのように見えてしまっているだけなのです。

ただ、このようなお話をすると必ず曲解する方が現れてきます。

「そうだ!金も銀も銅も皆同じ金属じゃないか!全部一緒だ!」と。

そうではありません。

金と銀と銅は全く違う性質を持つ鉱物なのですから、その違いは明らかです。

違いを無視して「金も銀も銅も一緒だ!」と言い放ってしまうのは、全く持って差別と区別の違いがわかっていないと言わざるを得ないのです。

もう一度、言います。

評価心とは分別の智慧であり、そこに価値的差別を持って見ることを指しています。

つまり、物事に対して何かしらの価値の尺度を付与して見てしまう態度にこそ評価心は存在していると言えます。

性質上の違いや区別を付けないということとは全く違うのでこの点は注意が必要です。

では、なぜ評価心が苦しみを発生させる理由になるのでしょうか。

私達が苦しむのは得てして、生得的な苦しみ(身体における痛覚などによる痛み苦しみなど)を除けば、ほとんどは、何かに価値を見出して、その価値を手に入れようとして苦しんでいることが多いのです。

例えば、お金がほしいと思っている人は、お金に価値を見出し、お金でないものに価値を見出しません。

つまり、お金で評価されないことでは満たされず、お金ばかりを追い求めます。

あるいはお金以外でも隣の人の持っているものがとても輝いて見えたりして、常に羨ましいという気持ちが手放せないでいる人もいるかも知れません。

全ての価値というものは、評価心が作り出す幻影でもあるわけですが、そのことを理解していないがゆえに幻影を求めて彷徨うことになるわけです。

もちろん、この点をしっかりと理解して評価心をコントロールすることが大事なわけですが、それができないからこそ、苦しみはなくならないとも言えるのではないでしょうか。

仏教では分別の智慧は捨て去るべきものとされていますが、私は、評価心をコントロールすること、あるいはコントロールする力を取り戻すことこそ、苦しみから脱する一つの解となるのではないかと思っています。


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